お詫びとお断り

2020年春以降、2024年3月現在、新型コロナウィルス感染症等の各種感染症の流行下での遠隔介護のため、マーラー祝祭オーケストラ第22回定期演奏会への訪問を例外として、公演への訪問を控えさせて頂いています。長期間に亘りご迷惑をおかけしていることにお詫びするとともに、何卒ご了承の程、宜しくお願い申し上げます。

2023年3月18日土曜日

私のマーラー受容:第9交響曲 (2023.3.18更新)

第9交響曲については、伝説的なあのバーンスタイン・ベルリンフィルの演奏をFMで聴いたのが最初かも知れない。 他の演奏を知らないままにこの演奏をカセットに録音して繰り返し聴き、じきに音楽をすっかり覚えてしまったので、 この演奏の「異様さ」というのを客観的に把握するには随分と時間がかかった。他の方がどうかはわからないが、 私はマーラーの場合に限って言えば、楽譜をほとんど持っていることもあり、またその音楽の脈絡をかなり記憶していることも あって、CDなどを聴いても、実際には自分の頭の中にある音楽を確認しているだけのことがしばしばあったし、 多少の距離感をおいて接することができる今ですら、その傾向は残っている。だから良く聴いて、馴染んだ曲ほど 演奏解釈の違いというのに無頓着な傾向が強く、そのせいもあって、いわゆる聴き比べのようなことに興味がない。 否あったとしても、細かい違いを気にして聴くことがそもそもできる自信がないのである。さすがに極端なテンポ設定や アゴーギクの違いには気づくし、明らかなミスは頭の中の音楽と比べることで容易に検出できるのでわかるし、 場合によっては使用している楽譜の版の違いにも気づくことがあるが、それはあくまでも自分の頭の中に納まっている ものとの違いによってに過ぎない。もしかしたら、コンサートホールでの実演に感動することが少ないのは このことと関係するかも知れない。マーラーとかヴェーベルンのような、「身に付いた」音楽ほどその傾向が強いのは、 多分そのせいなのだろう。もっとも第6交響曲のような例外もあるから、そればかりとは言えないと思うのだが。

というわけで、第9交響曲もまた、実演を聴いた印象は極めて希薄である、というよりほとんど聴いたという 事実以外のことは記憶にないというのが正直なところで、これでは聴いても聴かなくても同じことなのだが、 その実演とは井上道義・京都大学のオーケストラのサントリーホールでの演奏(第140回定期:1987年1月)(*1)で、 音楽が全く自分の内側に入ってこず、周囲の空間を素通りしていくに驚いたこと以外これといった印象がない。 学生オーケストラの技術は非常に高くて、技術だけとれば決してプロに 見劣りすることはないだろうが、この曲はプロでも下手をすれば楽譜をなぞるだけで終りかねない 難曲であり、恐らく、何かが伝わってくる水準の演奏ではなかったのであろう。学生オーケストラの 演奏会は第一義的には演奏する学生のためのものだから、その出来を云々するのはもともと 筋違いなのだろうし。だが、例えば別の機会に接したショスタコーヴィチの学生オケによる演奏では、些かユニークでは あっても作品に対する共感を感じる演奏であり、その演奏に私もまた充分に共感できたことがあるから、 これはマーラーの音楽が、普通に思われているより遙かに今日の日本人にとって遠い存在であるということを 告げる徴候のようなものとして考えることができるかも知れない。あるいはこの作品の持つ極端に私的な性格 (そして逆説的に、それこそが普遍性への通路になっているように思われる)と非人称的な客観性(これは シェーンベルクがかのプラハ講演で指摘した事柄と恐らく関係する)の共存に起因する部分があるのかも 知れない。

(*1)京都大学交響楽団第140回定期演奏会:ベートーヴェン「フィデリオ」序曲、マーラー第9交響曲、指揮:井上道義、京都大学交響楽団、1987年1月、サントリーホール

FMで聴いたベルティーニ・シュトゥットガルト放送交響楽団(1984.1.20)の演奏も素晴らしく、ベルティーニは FMで第3、第5、第7、第9と素晴らしい演奏を聴いていたのだが、第3交響曲の項で書いた通り、実演で 聴いたときの経験があまりにも不幸なものであったこと、ケルン放送交響楽団との来日が、丁度いわゆる マーラーブームの頂点の時期で、その時には私はマーラーから距離を置き始めていたという巡り合せの悪さも あって、ベルティーニが東京都交響楽団のシェフであった時期も結局一度も実演を聴くことはなかった。

LPは、ジュリーニの演奏がずっとレコード屋の店頭にあったのを記憶しているが、あいにくそれ以外の廉価盤が なかったせいもあって、とうとうレコード自体を買いそびれてしまった。CDの時代になってからは、かつてカセットテープで ベルリン・フィルとのライブをさんざん聴いたこともあり、バーンスタイン・コンセルトへボウの録音やインバルと フランクフルト放送交響楽団の演奏も一時期聴いたが、 結局のところ、ようやく聴くことがかなったバルビローリとベルリン・フィルの演奏に落ち着いた。

だがこの曲には他にも優れた演奏が多く、マーラーの作品中、色々な演奏を聴くという多様性の点では 他を圧して一番のように思える。ワルターとウィーン・フィルの1939年の演奏は、録音の悪さを超え、 もしかしたら演奏のクオリティだけで語ることが不完全であるかもしれないような時代の証言としての重みがある。 このような記録で、音楽をその音楽が演奏された状況と切り離して論じることは妥当ではないと私は思う。 コンドラーシンはモスクワ・フィルとの演奏でセッション録音と、日本初演の記録があるが、いずれも圧倒的な 説得力を持っている。ザンデルリンクの解釈はユニークでありながらこの曲の持つ別の一面を浮かび上がらせている ように思える。ジュリーニの演奏は評価が高いが、私はこの演奏を聴くと非常に具体的で現実的な風景が 見えてくるように感じられる。特に第4楽章を聴くと、ドロミテの、現地でEnrosadiraと呼ばれる現象を 思い浮かべずにはいられない。バルビローリもベルリンでのセッション録音の他に、トリノの放送管弦楽団との ライブ、ニューヨーク・フィルハーモニックとのライブがあって、それぞれオーケストラの個性により少しずつ違った 質の演奏になっている。インバルの演奏は、曲の持つ「記憶」の再現の克明さという点で卓越した演奏だと 私は思う。

この曲は楽譜に比較的早くから親しんだ曲の一つでもあり、音楽之友社からポケットスコアが出たときに 真っ先に買ったのがこの曲と6番、7番であった。(それ以前に持っていたのは、「大地の歌」と第8交響曲の Universal Edition版と、第2交響曲の全音版。)

この曲をマーラーの交響曲の頂点と考える人は多いだろうが、私は(これも昔からよくある)第1楽章の 出来が良すぎて、後続の楽章とのバランスが悪いと感じる方である。第2楽章以降の出来が悪いというのではなく、 個人的な嗜好では第1楽章があまりに素晴らしいのだ。それ故自宅でCDを聴く場合など、 第1楽章で終わりにすることも非常に多い。この曲の楽章構成がユニークなものでありながら、極めて 巧妙なものであり、あるいはまたこの曲の遠心的な構成の方が第6交響曲などよりマーラー的なのだとは思っても、 マーラー特有の叙述の分裂に同調できないことも多い。 結局私はほとんどの場合音楽をムーディーにしか聴いていないということの証なのだろうが、どうしようもない。 全曲聴くぞと思って聴かないと、全曲聴きとおすのが難しい場合が多く、そうした傾向は実は昔から現在まで 一貫して変わらないのだ。要するに、知的で分析的なレベルでは楽章構成に難をつけることはできないけれど、 実際に音楽を聴いてみると、第1楽章で音楽が完結してしまっていると感じることが多く、これは寧ろ 心的なダイナミクス、精神分析的な意味合いでの句読点の問題に違いなく、私の個人的な心的な機制の 問題の反映なのかも知れない。例えば、この曲を精神分析的な視点から解読した文献として、Holbrookの 著作があって、これは非常に面白い本だけれども、そして、そこに書かれている楽章構成の解釈に一定の 説得力は感じても、プライヴェートな聴取の次元では第1楽章で終わりにすることが多いという事実には 変わりがないのだ。もしかしたらそれは、私がこの曲を聴くに値するほどまだ人間的に成熟していないという ことなのかも知れない。大地の歌の方は、その巨視的な構造がもたらすメンタルなプロセスにすっかり馴染んだのに、 この曲については、まだ難しい瞬間があるようだ。

もっともそれでは中間楽章が嫌いかといわれればそんなことはない。第2楽章のイロニー、第3楽章の 暴力性ともども、それは自分の心象には寧ろ親和的にさえ感じられる。個人的には(こういうロマン派的な 聴き方自体を問いに付すことはとりあえず棚上げにしてしまえば)よりポピュラーなロマン派の音楽を どう聴けばいいのか寧ろ戸惑いを感じて、白けてしまって聴いていられないくらいである一方で、 病的な心象風景という見立てさえあるらしいショスタコーヴィチのカルテットや後期交響曲は私にとっては ごく自然な音楽なのである。それゆえ、マーラーの第9交響曲の第2楽章、第3楽章もまた、 それをロマン派的な通念で捉えたとして、そういう音楽が書きたくなる気持ちは良く分かるように思えるし、 ムーディに聴いたところでこういう気分はよくわかる。第3楽章の「極めて反抗的に」という演奏指示は確かに 異例のものかも知れないが、その音楽の風景には何ら異様なところはないように私には思える。 それゆえ、私はこの曲が何か特殊で例外的な心理の表現であるという意見には全く共感できない。 そういう意味では100年前の異郷の人間であっても、マーラーは私には随分と身近なメンタリティの 持ち主であると思える。

それと関係があるのかないのかはこれまた定かではないが、一つ気づいたこととして、どうやら、中間楽章、 特に第2楽章を聴くことの(勿論、私のとっての)容易さが演奏によって異なるらしいということがある。 手元にある5種類の演奏は、それぞれ優れた演奏だと思うが、例えば中間楽章の面白さという点では 違いがあるようなのだ。

いずれにせよ、この曲の第1楽章は本当に素晴らしい。否、単に素晴らしいというだけではなく、 あるタイプの演奏で第1楽章や第4楽章を聴いていると、マーラーがその中に立った風景が、 その時のマーラーの「感受」の様態が、そのまま自分の中に再現されるように感じることがある。勿論勝手な 思い込みだが、私にはマーラーが見た風景が見えるような気が、マーラーが感じた印象が 自分の中にそっくり再現されるような、言ってみれば私的な筈のクオリアの伝達が可能になっている ような気がするのだ。(勿論これは、スティグレールの言う第三次過去把持の効果であり、マーラーに関しては例外的に子供の頃から、アルマの回想を始めとしたさまざまな生涯の記録や証言に接して、まるで見てきたかの如くアネクドットの類まで覚え込み、作品の演奏記録に接し続けてきたことに基づくものに違いなく、神秘的な何かが生じているわけでは決してない。)クオリアの私性と共感とは一見したところ論理的に両立しないように 見えるが、それは知的な概念化に伴う単純化に起因する誤謬であるに違いない。 勿論、私の心の中で起きる事象はマーラーの心の中で起きたものと同じではなく、何らかの 変形が生じているのは間違いがない。それを言い出せば昨日の私が聴いた時と、今日の私が 聴いた時にだって違いはあるだろう。けれども、何か不変なものがそこにはある。それは言語化し 概念化すると、その時に生じる歪みにより大切な部分が揮発してしまうようなデリケートなものであって、 従っていわゆる言語的なレヴェルでの「標題(プログラム)」と同一視することはできないに違いないが、 言語化できなければ何もないというのもまた、知性の犯す誤謬なのだ。

昔のマーラーに熱中していた私がマーラーを必要としていたのも確かだろうが、それとは少し違った 意味合いでマーラーの音楽が本当に必要に思える時期というのが、今の私にはある。 それはその音楽が優れているか、その音楽が好きかというのとは少し異なった位相での音楽との 接し方で、そしてその切実さの度合いは、寧ろかつてよりも今の方が深いかも知れない。 そしてそうした切実な必要に応えるのは、子供の死の歌であったり、大地の歌であったり、 この第9交響曲であったりすることが多いように思える。こうした聴き方は、治療の手段として音楽を 聴く方にとっても、自律的な音楽の価値を追及する方にとっても中途半端であったり不徹底で あったりする問題のある聴き方かも知れない。そうであれば申し訳ないとは思うけれど、でも、 私にはそうした聴き方が必要な時がやはりあって、どうすることもできないのだ。そして、そうであれば これは非常に不遜で身勝手な感じ方だということになるのかも知れないけれど、私にとって マーラーその人が、その音楽ともども最も身近に感じられる瞬間というのは、そうした聴き方と 無関係ではありえないのも否定し難いのだ。かつて実演を聴いたコンサートホールでこの音楽が 素通りしていったのは惨めな経験だったけれど、だからといって、このような聴き方をするようになった 現在の私がこの曲をコンサートホールのような場所で聴くことが適切なことであるかといえば、 率直に言って自信がない。

[追記]その後、以下の公演で実演に接している。演奏会記録はこちら

ジャパン・グスタフ・マーラー・オーケストラ第9回定期演奏会:マーラー第9交響曲、指揮:井上喜惟、ジャパン・グスタフ・マーラー・オーケストラ、2012年6月24日、文京シビックホール


2023年3月16日木曜日

備忘:マーラーの音楽における「老い」についての論考に向けての準備作業 (15)

 「老い」そのものではないが、「病」(と「健康」)を通じて、カンギレムの器官学との架橋の可能性がある。ユク・ホイ『再帰性と偶然性』のp.253以降のカンギレムの思考の祖述部分を参照。病理的なものとは規範や秩序の欠如ではなく、むしろ健康の規範から逸脱した一つの規範なのであり、したがって正常と病理の間には対立はないが、病理と健康の間には対立がある。

「健康を特徴づけるのは規範の変移を忍耐する能力である。
(…)健康の測度とは、有機体の危機を超克し、旧い秩序とは異なる何らかの新たな生理学的な秩序を確立できる能力である。
健康とは病気に陥りながらも快復できるという贅沢なのである。」(
ユク・ホイ『再帰性と偶然性』, 原島大輔訳, 青土社, 2022, p.284)
これを、「老い」に関する以下のシステム論的定義と突き合わせてみたらどうなのか?
「(…)以上のように、老化という現象には、「階層構造」と「時間」のファクターが組み合わさり、時間軸方向には決定論的にふるまうが、ある時間の断面では確率論的である、という複雑な性質があります。このような複雑な現象を示すシステムとして生物をみた場合に、老化の本質はいったいどのようなものと考えられるのでしょうか。(…)システムの特徴の一つに、「ロバストネス」(頑健性)」という工学用語で表されるものがあります。生物学的な用語でいえば「ホメオスタシス(恒常性)」となるでしょう。(…)システム全体に負荷がかかった場合でも、それを元の状態に戻そうとする能力、それが「ロバストネス」なのです。(…)こうした議論をとおして北野所長とたどり着いた考えは、「老化」は、ロバストネスが変移して、最終的に崩壊する」過程であるというものでした。つまり老化の定義は、「生物がもつロバストネスの変移と崩壊」だと。単なる崩壊ではなく、「変移と崩壊」というところに注目してください。歳を取っても人の体はロバストなのです。(…)ロバストであることに変わりはありませんが、定常の位置が推移していきます。だんだんずれていって、最後に全体としてシステムのロバストネスを保つことができなくなるとついにシステムが崩壊する、つまり「死」に至る、ということになります。」(今井眞一郎『開かれれたパンドラの箱 老化・寿命研究の最前線』, 朝日新聞出版, 2021, pp.229-30)

後者で、 「歳を取っても(…)ロバスト」だが、「定常の位置が推移して」いくとされる部分と前者の「規範の変移を忍耐する能力」の漸進的喪失、「病気に陥りながらも快復できるという贅沢」の余地の漸進的喪失と結び付けることで「老い」を定義できないか?ただし、この時「老年的超越」はどう定義できるか?老年的超越は、生物学的=器官学的=システム論的な定義に対して、そのシステム自体がメタな視点を持つことができることを含意する。中核意識レベルでは「老い」は存在してもシステム自身によって認識されることはない。延長意識を前提とした自伝的自己があってはじめて「老い」の「自覚」が可能になる。だが、「老年的超越」は本当に反省的にのみ定義可能なのか?無意識的な「老年的超越」を生きる動物はいないのか?(またしても「死」に対する態度ということでずれが忍び込むが、二人称的な「死」を悼むだけではなく、一人称的「死」を予感する動物は?そこから更に、それと気づかずに二人称的な「病」なり「老い」なりを感受する動物はいないのだろうか?いないとする立場は極めて疑わしいように思える。)

 その一方で、マーラーの作品の音響の系列を生成する自動機械(オートマトン)というものを想定してみたとき、そのオートマトンは、アドルノの言葉によれば、「作品のいずれもが以前に書かれた作品を批判しているということにより」常に発展し続ける存在であり、「量的には決して多くない作品にこそ、進歩ということを語ることができる」ような存在でなくてはならない。それは常に定式通りの同じものを出力し続けるのではなく、定式から解放された個々のものが、いかにして形式へと自らを造り上げ、自律的な連関をわがものとするか、ということ」を特有の技術上の問題とし、都度「手にしうるあらゆる技術を使って一つの世界を構築する」ような機械なのだ。そのためには最低限、内部状態を持ち、それを都度書き換えるのみならず、同じ内部状態に対して同じ出力を生成するのではなく、都度新しい出力を返すように自己を書き換えるようなオートポイエティックなシステムでなくてはならない。「人間的時間」の「感受のシミュレータ」である「マーラー・オートマトン」は「有機的」「生命的」である。それは単純な、サーモスタットのようなフィードバックシステムではない。「マーラー・オートマトン」はサイバネティックな機械だが、それが「意識」のシミュレータである以上、少なくともセカンドオーダー・サイバネティクス以上であることは明らかだろう。セカンドオーダーというのは、即ち「観察者」がシステムの内部にいるということであり、サーモスタットのような反射的なものから内部状態をもったものへと変化することで、「環境の状態を直接知覚し、それを元に行為選択するということではなく、環境の状態に対する信念のようなものがあり、それを元に自動的に行為選択されるようになる」というフリストンの能動的推論を遂行するための条件を満たしているのではないだろうか?そしてその数理的な形式的条件は、何よりもマーラーの作品という具体的な出力の分析から抽出されるべきである。それは、アドルノのマーラー・モノグラフを、再帰性と偶然性の観点から読み直すことに通じるであろう。だが、ここにもう一つ、条件を付け加えなくてはならない。それは「老い」てゆく機械でなくてはならない。進歩とは永遠の若さを意味しない。「有機的」「生命的」であることは本来的に「老い」をその中に含み持つ筈なのだが、しばしば「老い」は「反生命的」なものとして捉えられる。一方では「老い」つつも、他方では「進歩」を続けるのだが、そうした背反する動きは永久には続かない。してみれば「老い」は「進歩」の代償、応酬なのだろうか。否、そうではないだろう。逆に「老い」の応酬として「進歩」が引き出される。それがマーラー自身の言う「抜け殻」に過ぎないとしても、「作品」として機械の停止後もなお存続することがなければ「進歩」は不可能だろう。恐らくは、機械とその産物というモデルで作曲者と作品を論じること自体が、不適切なのだ。作品は単なる不活発な痕跡ではない。それは作曲者を遡行的に指示する記号であるに留まらない。それは寧ろ新たな生成のためのパターンであって、オートマトンが動作するためのプログラムなのだ(ここで内井惣七が『ライプニッツの情報物理学』において、楽譜とその音響的実現との関係を、モナドと現象界との関係のアナロジーで捉えていたことを思い出すのは無駄ではあるまい)。

* * *

 これまでにMIDIファイルを入力として断続的に行ってきたデータ分析にも、「後期様式」を言い当てるための契機が内包されていることに気付く。いわゆる「スモールデータ」でも適用可能な分析ということで主成分分析等のような手法を用いて、和音の出現頻度という、ごく表層的なテクスチュアに関する特徴量だけからではあるが、マーラーと他の作曲家の作品の比較やマーラーの交響曲作品の間の比較を試みた結果を公開済だ(その概要については、記事「MIDIファイルを入力とした分析:データから見たマーラーの作品 これまでの作業の時系列に沿った概観」を、その結果の要約については記事「MIDIファイルを入力とした分析:データから見たマーラーの作品 和声出現頻度の分析のまとめ」を参照)が、そこから更に、そもそもアドルノの上記の主張の裏付けとなる結果をデータ分析から得られないかというアプローチも考えられるだろうし、そこから更に踏み込んで、特にその後期作品について、ベルクやベッカーの言葉を踏まえてアドルノが「(…)マーラーだけに、アルバン・ベルクの言葉によれば、作曲家の威厳の高さを決定するところのあの最高の品位の後期様式というものが与えられる。すでにベッカーは、五十歳を過ぎたばかりのこの作曲家の最後の諸作品がすぐれた意味での後期作品である、ということを見逃さなかった。そこでは非官能的な内面のものが外へと表出されているというのだ。」と述べている点について、それに対応する何らかの特徴量を検出できないかという問題設定を行うことで、マーラーの音楽における「老い」について実証的な仕方で語ることさえ可能かも知れない。

(2023.3.15)

備忘:マーラーの音楽における「老い」についての論考に向けての準備作業 (14)

 トルンスタムの「老年的超越」とゲーテ的な「現象から身を退く」ことによる「老い」の定義を突き合わせてみたらどうなるか?最も興味深く、かつ妥当性の検証のための題材として適切に思われる能『伯母捨』のシテ、あるいはボーヴォワールさえ参照している『楢山節考』の老女を「老年的超越」から眺めたら?同様に「現象から身を退く」こととして捉えたら?(但し、予めの注意が必要だろう。この問いの意味するところは、ゲーテ的な「老い」が「老年的超越」で汲み尽くされるということではない。仮に社会学的概念である「老年的超越」の持つ特徴の一つとして「現象から身を退く」を数えることができたとして、だからと言ってゲーテ的「老い」がより包括的な「老年的超越」の一つの側面に過ぎないということではない。寧ろ「社会学的にインタビューなどを通じて観測可能な「老年的超越」は「現象的」側面に過ぎず、まさにそこから「身を退く」ことによって、実はゲーテ的な「老い」の定義の方が権利上先行していることが露わになるのではないか。また、「老年的超越」は価値論的に中立ではなく、それまでネガティブに捉えられてきた「老い」に肯定的・積極的な側面を見出そうとする試みとして理解されるようだが、それが「老い」の否定的側面を軽視し、看過すること、あるいはより積極的にそれらを隠蔽することであるとするならば、そちらこそ「老い」の現実の一部に対して価値論的バイアスをかけているに過ぎず、寧ろ「現象から身を退く」という把握の方が価値中立であるとさえ言えるのではなかろうか。「老い」の醜さや「自伝的自己」の崩壊・解体としての「老い」から目を背けてはならないのだ。)

 別の流れでフィンランドのセイックラの「オープン・ダイアローグ」やアーンキルの「未来語りダイアローグ」という療法に興味を持って色々と調べているが、トルンスタムの「老年性超越」もスウェーデン生まれ、ヨーロッパ中央とは違った、辺境ならではの発想のようなものがあるのだろうか?そしてそれよりも、一見したところバフチン的なポリフォニーから着想され(だからこちらはこちらでマーラーの音楽との関りを論じることができるだろう)、「他者」との対話が「自己」の基本的な構造を作り上げていることに関わる「オープン・ダイアローグ」と、まさにゲーテ=ジンメル的に「現象から身を退く」ことの或る種の実践とも捉えられそうな「老人性超越」は一見相反するようでいて、「自己」というものの在り様として、どこかで通底しているに違いない、そしてその構造を考えるための導きの糸として、道元の『正法眼蔵』における「自己」の捉え方、「自己をならう」こと、「われを排列しおきて尽界となす」こと、或いは「脱落」という発想などなどが思い浮かぶ。ゲーテ=ジンメル的に「現象から身を退く」も「老年性超越」も、一見そう取られてしまうような「悟り=覚り」ではなく、「不覚不知」であり、寧ろ「心不可得」という認識に至ることなのではないか、というようなことがぼんやりと頭の中を漂っている(注意:能『伯母捨』のシテについては、能楽の筋書きが、概ねいわゆる「本覚思想」のパラダイムに依拠していることを考えると、この考え方の適用は困難だということになりかねない。だが、実際に舞台を拝見した印象は、そうした一般的なフレームをいとも簡単に乗り越えてしまうのだ。否、そもそもがもしそれが「悟り=覚り」なら、舞も含めて一切の行為は不要ということにはならないか。更にそれが時代を超えて繰り返し演じられ続けるという反復の意味もわからなくなる。寧ろ能の上演の反復は、只管打座の如きものとして考えるべきなのではなかろうか?そしてそれとは別に、『伯母捨』のシテの舞は「悟り=覚り」という一回性の出来事なのだろうか?否、そうではないだろう。彼女はことによったら永遠に、満月の光が満ち溢れる時節の訪れの度に、舞いを舞うに違いない。時代を超えて繰り返される『伯母捨』の上演は、別の可能世界でのそうした反復の、この世界への投影の如きものではないだろうか?イデアの世界が洞窟の壁に映り込むようにして…)…例えば、第9交響曲第4楽章アダージョの対比群のあの剥き出しの二声の対位法…

 そもそもトルンスタムの『老年的超越』には、東洋の思想、とりわけ禅への明示的な参照が含まれる。第2章「理論の起源と最初の概要」の「メタ理論上の他の枠組みによる実証的思考」の節では、冒頭で以下のように述べられる。

「新しいメタ理論のパラダイムへと到達するために、私たちは通常の実証主義的思考法を捨てて、その代わりに知的な実験として、東洋哲学にあるようなエキゾチックで、特異な準拠枠(価値基準)に目を向けたいと思う。私たちの(西洋的な)世界の解釈を、禅僧のそれと比較してみることにしよう。これは、一部で誤解されているような(例えば Jonsson, & Magnusson, 2001)、禅仏教を推奨するものではない。それは、物事の新しい見方を得るために、私たちの通常の考え方を一転するような一例で、本書の最初で示唆されている技法である。以下は、禅僧が、自分の世界を組み立てていると思われる推測に基づく実験的思考方法である。」(トーンスタム『老年的超越』, 冨澤公子・タカハシマサミ訳, 晃洋書房, 2017, p.38)

従って、ここで能楽を参照し、或いは道元を参照すること自体は決して突飛なことではなかったことになる。とはいえ、西洋から見た東洋は肌理の細かさに欠けると感じられる点もまた否めない。トルンスタムは同じ節でユングの「集合的無意識」にも言及するが、それと禅仏教とは独立に論じることができるように思われるし、「集合的無意識」が準拠枠として必須であるかどうかは疑問に付されて良いではなかろうか?ともあれトルンスタムの「禅仏教」の捉え方は以下の箇所から窺うことができるだろう。

「禅僧は、多くの境界線が拡散し、広く浸透している宇宙的世界のパラダイムの中で生きている。彼はおそらく、西洋人は1つの限界の中にとらえられ、物質的な束縛に制限され、閉じこめられていると見るだろう。一方私たちが、メタ理論的な見通しのもとに、日々瞑想に励む禅僧を分析するとき、禅僧が離脱している状態にあると決めつけることが往々にある。私たちは、もしその人物が禅僧であると知らなかったら、確実にその人物を社会から”離脱した”人間だと決めつけてしまうだろう。

 しかし禅僧が持つメタ理論上の視座によると、それは離脱の問題としてとらえれるものではない。禅僧たちが住む世界は、私たちが持つ定義では説明されない世界である。そのような世界の中では、主体と客体の分離の多くは消される。例えば、私とあなたは分離した存在ではなく、1つの同じ全体を成している部分であると考えたり、また、過去、現在、未来は分離したものではなく、同時に存在していると考えるというようなある禅僧の語る言葉は、私たちのメタ理論上のパラダイムの見地からは理解が難しい。」(トーンスタム『老年的超越』, 冨澤公子・タカハシマサミ訳, 晃洋書房, 2017, 同)

 そしてそうした考え方の西洋での対応物を求めてユングに行き当たるというわけだが、東洋にいる人間にとっては、寧ろそれは単に不要な迂回路であって、ユングを経由せずに直接禅僧の考え方に赴けば良く、かつそうした方が寧ろより好ましいのではなかろうか。

 「しかしながら禅僧は、”離脱”と考えられるようなことには多分承諾しないだろう。むしろ禅僧は、自分自身を別の世界、つまり西洋社会に慣れ親しんだ私たちの多くの者と比べ、境界線が開放された世界に住む”超越者”と呼ぶだろう。禅僧の存在のかかわりは本質的なものではあるが、私たちの定義では説明することができない独自の定義を持っている。これらが、社会への無頓着や離脱と呼ばれてしまうような個人が我々の眼前に存在する、という結論に達する理由である。」(同書, p.40)

 そして「老年的超越」は「このことを意識することなく、禅僧に近い感覚へと近づいているというふうに、加齢を比喩的に考え」(同書, 同ページ)ることによって説明される。であるとするならば、極東の島国に生きる人間は、以下のような問いを抱くことを余儀なくされることになるだろう。

1.くだんの禅僧は「老い」とはとりあえずは独立であると考えられるとするならば、禅の修行は「老年的超越」に加齢を伴わずに到達するための技法と定義してしまって良いのだろうか?(ここで直ちに「悟り」のことが思い浮かぶかも知れないが、「悟り」が到達点であると見なされる限りにおいて、そうした「悟り」の瞬間の時間性と「老年的超越」の時間性は、明らかに異質なものたらざるを得ないだろう。)

2. 一方でもしそうであるならば、「老年的超越」と定義される状態というのは、それ自体は加齢とは独立で、人によっては加齢なしで若くして到達することが可能ではないか?否、寧ろ「超越」一般があって、「超越」の実現の経路は複数あるのだが、そのうちの一つが加齢であり、かつその時には「老年的超越」と呼ばれるというべきなのだろうか?

3.更にそれが東洋においての方が了解がしやすいということは、「老年的超越」が生物学的な老化プロセスであるよりも一層、文化的なものであるということになりはすまいか? 

 実は2については、後続するトルンスタムが報告する内容からすれば明らかにそうであって、そのことは実証研究の前提となっていることが明らかになる。そのことは例えば、以下のような言い回しからも窺えることである。

「基本的に、青年期以降の老年的超越へと向かうプロセスは、一生涯連綿と続いていくものであると仮定することができるだろう。」(同書, p.41)

一方3についてのトルンスタムの答は、老年的超越の「プロセスは本質的なものであって、文文化には影響されない。しかし特別な文化の形によって修正されるということも、また考えられるであろう。」(同書, p.41)とされ、文化による修正については「私たち(=西洋人、引用者注)の文化的な要因は、老年的超越のプロセスを妨害する最も良い例であろう。」(同書, 同ページ)とされる。この点の当否については議論があるかも知れないが、ここではその点を追及することはせず、寧ろ「老年的超越」に関して東洋思想、なかんずく禅が持ち出される点と、それが論理的には「老い」と独立でありうるかも知れないにせよ、そうした傾向を抑圧するような文化においてすら、事実として「老い」が「老年的超越」をもたらすという点の2点を確認することにしよう。そして「老年的超越」は「悟り」の瞬間といったイメージで尽くされるものではなく、寧ろそうしたイメージにそぐわない時間性を持っているらしい点に注目したい。

 そのことから、ゲーテ=ジンメル的に「現象から身を退く」も「老年性超越」も、一見そう取られてしまうような「悟り=覚り」ではなく、「不覚不知」であり、寧ろ「心不可得」という認識に至ることなのではないかという私が抱いた仮説は、少なくとも検討の余地があることは確認できたように思う。またマーラーにおける「老い」について言えば、アドルノが指摘する「仮晶」としての中国、東洋について、それが「死」や「別れ」よりも寧ろ「老い」に関わるとするならば、そこに「老年的超越」を読み取る可能性の中で、その機能を問うことができるだろう。  

(2022.12.7-8 公開, 2023.3.16改稿)

備忘:マーラーの音楽における「老い」についての論考に向けての準備作業 (13)

 「リズム」と「老化」。「リズム」で「老化」を定義できるか?「リズム」がジンメル的なゲーテ把握において果たしている役割から老化を測ることができるか?そこから、逆にゲーテの「現象から身を退く」を定義できるか?チェズーア(一時停止。ここではヘルダーリンとツェランを念頭におきつつ)と「老い」。尤もヘルダーリンの「老い」とは「寂静」とホイサーマンの名付けた精神的薄明への移行であったし、ツェランは世間的には老いることなくセーヌ川に身を投じたということになるのだろうが、前者にはスカルダネリという別に固有名による署名と脱臼したクロノロジーを持つ、絶頂期の自由律の長大な讃歌とはあまりに異なって、韻律を持ち、繰り返しさえ厭わない定型的な題名を持つ短い一連の詩編があるし、後者には、まさにチェズーアを題名そのものとして戴いた Atemwende(『息のめぐらし』)を転回点として以降、『絲の太陽たち』『光の強迫』と、ますます圧縮されて短くなってゆき、暗号のように謎めいていく詩篇こそは、あまりに早く訪れた「老い」を、まさに強迫されるようにして駆け抜けたのだと考えることはできないだろうか…

* * *

 山崎正和『リズムの哲学ノート』。世阿弥『風姿花伝』における「老年の初心」。初心とはつまり、やり直さなくてはならない、ということではなかろうか?そしてやり直さなくてはならないという言葉の連想は、マーラーの、これもまた早すぎる「晩年」に書かれた、余りに有名な書簡を呼び起しはしないだろうか?勿論、これが世阿弥の「老年の初心」なのだということが言いたいのではない。その点の当否については、いっそ「否」と答えることさえ躊躇わない。そうではなくて、「老い」ということには、或る種のチェズーアが、「息のめぐらし(Atemwende)」が必要とされるということ、そこから先は、最早今までのようではなく、新たな条件の下で「やり直さなくてはならない」のだということを、世阿弥は能役者の芸のステージとして述べ、マーラーは『大地の歌』を書くことを、そのように(自覚に、明示的に認識したということではないにしても)了解したということをワルターに向けて問わず語りに語ってみせたということではないかということが言いたいだけである。

ブルノ・ヴァルター宛1908年7月18日トーブラッハ発の書簡にあるマーラーの言葉(1924年版書簡集原書378番, p.410。1979年版のマルトナーによる英語版では375番, p.324)

(...) Aber zu mir selbst zu kommen und meiner mir bewußt zu werden, könnte ich nur hier in der Einsamkeit. -- Denn seit jenem panischen Schrecken, dem ich damals verfiel, habe ich nichts anderes gesucht, als wegzusehen und wegzuhören. -- Sollte ich wieder zu meinem Selbst den Weg finden, so muß ich mich den Schrecknissen der Einsamkeit überliefern. Aber in Grunde genommen spreche ich doch nur in Rätseln, denn was in mir vorging und vorgeht, wissen Sie nicht; keinesfalls aber ist es jene hypochondrische Furcht von dem Tode, wie Sie vermuten. Daß ich sterben muß, habe ich schon vorher auch gewußt. -- Aber ohne daß ich Ihnen hier etwas zu erklären oder zu schildern versuche, wofür es vielleicht überhaupt keine Worte gibt, will ich Ihnen nur sagen, daß ich einfach mit einem Schlage alles an Klarheit und Beruhigung verloren habe, was ich mir je errungen; und daß ich vis-à-vis de rien stand und nun am Ende eines Lebens als Anfänger wieder gehen und stehen lernen muß. (...)

丁度マーラーが「大地の歌」に取り組んでいる時期に、ヴァルターに宛てて書いた手紙の一部だが、これもまた、ヴァルターの「マーラー」伝を始めとして色々な ところで引用されてきた有名な部分であろう。この文章には、まさに「大地の歌」に結晶する「受容」の過程が、その傷の深さとともにはっきりと刻印されている。 「そんなことはとっくの前にわかっていたことだ」という言葉は、若き日のマーラーを思えばいつわりは微塵も含まれていないが、にも関わらず、その言い方には 逆説的にマーラーの蒙った傷の深さを窺い知ることができるように感じられて痛ましい。ウィーンの宮廷歌劇場に40歳にならずして君臨し、すでに第8交響曲までの 作品を書き上げた天才が、一からやり直さなければならない、と書いているのを見るのは信じ難くさえ思える。

と同時に、この手紙を読めば「大地の歌」が何を語っているのかについての手がかりを得ることができるのではないか。それは「受容」の過程の結晶なのだ。 「とっくの前にわかっていたこと」のために一からやり直さなければならないという状況を受容して、再び仕事を続けられるようになる過程の反映なのだと思う。

 ところでこの件に関連しては、既に記事「大地の歌」における"Erde"を巡る検討のための覚書 ―甲斐貴也訳「大地の歌」によせて―において、『大地の歌』を「死の受容」のプロセスの反映であるという大谷さんの説を紹介して検討したことがある (大谷正人, 『音楽のパトグラフィー, 危機的状況における大音楽家』, 大学教育出版, 2002 の 第6章「マーラーの晩年の作品における死の受容をめぐって」, 初出は病跡誌No.49, 1995, pp.39-49)。大谷さんによれば「大地の歌」の曲の配列が、絶望(悲しみと怒り)、虚脱、受容、見直し(再起)という死や障害の 受容過程に関する死生学におけるモデル(平山正実「悲嘆の構造とその病理」現代のエスプリ248, 1988, pp.39-51)に類似しているという。

 ただし改めてそのプロセスと楽章排列を対照してみると、その類似は、大まかなアウトラインレベルのものであって、正確にプロセスの各段階が各楽章に対応づいているといったレベルのものではないのでここでは再掲しない(詳細は上記の元記事を参照。)一方で、「受容」の対象が「死」であるということよりも、それが「受容」のプロセスの反映であるという点に重点を置いた以下のコメントについては、基本的には現時点でも大きな修正の必要は感じていない。

ここで重要なのは、その音楽が「死」そのものの「描写」であるのではなくて、その「受容」の過程の、凡人には為しえない天才的な仕方での昇華で あるということで、それゆえに聴き手もまた、音楽を聴くことでそのプロセスを自分なりに反復することができる可能性があるのだ。 (大谷さんも述べているように、「受容」そのものについてマーラーの能力が際立っていたということではなくて、偉大なのはその過程の作品化の方なのだが、 そこにある経験の深み、作品と経験との他には見られないほどに密接な関係がマーラーの特徴なのだと思う。)

とりわけ「大地の歌」について言えば、その構成が死の受容過程に類似しているという指摘は大変に興味深いもので、この「大地の歌」を 含めた様々な優れた芸術作品が持っている「力」、多くの人が感じ取ることができる力の正体を考える上で示唆的だと思うし、病跡学とはいっても、 いわゆるマーラーその人の気質類型論の類にはあまり関心はないとはいえ、この説については、私の自分の経験に照らして、深い共感を覚える。 

さらにまたこの大谷さんの見方は、マイケル・ケネディの「マーラーは死ではなく、生に対する熱烈な憧れを表現」したのだという意見、その作品が聴き手の 「新陳代謝の一部になる」という表現と強く響きあうものがあるように思われる。 そして何より、私がマーラーに関して強く感じていること、マーラーの音楽が有限の主体の、儚い意識の擁護であること、取るに足らないものであっても、 それが還元不可能なものであり、様々な価値の源泉であるという感じ方とも一致しているように思われるのである。私にはヴェーベルンが気質の違いを 超えてマーラーに見出したかけがえのないものとは、こうした認識ではなかったかと思えてならないのだ。

 そして、ここでいう「受容」が必ずしも「死」のそれでなくても上記の了解は成立することは明らかなことに思われる。そもそも大谷さんが参照している平山論文のそれは「死や障害の受容過程」であって「死」に限定されているものではない。だからそれを「死」に限定してしまったのは、それをマーラーに適用するにあたり、大谷さんがマーラーの晩年についての通説のドクサに影響されたという見方さえ成り立ちうるのだ。飽くまでも重点は何らかの「苦」の「受容」の側にあるのであり、そうした「受容」のプロセスは、寧ろ「老い」中でより普通に見出すことができる或る種の「超越」と言うべきなのではなかろうか?

 ここでトルンスタムが「老年的超越」の実証的な調査の結果の検討の過程で見出したような、「危機」の経験が「超越」を促す働きをすることがありうる一方で、「超越」は「危機」の経験のみによって引き起こされるわけではなく、寧ろ「老い」の中で、加齢に伴って「危機」が「超越」に与える影響は小さくなっていくという解釈を思い浮かべるべきだろうか? (ラーシュ・トーンスタム, 『老年的超越 ―歳を重ねる幸福感の世界―』, 冨澤公子・タカハシマサミ訳, 晃洋書房, 2017, 特にその「第4章 量的な実証研究」の中の「人生の危機と老年的超越」の節 pp.126-138 を参照。)勿論、トルンスタムの解釈は、老年社会学における量的調査を統計的に分析した結果に対するものであり、或る特定の個人の経験についてのものではない。だからそれに基づいてマーラーの場合という特殊なケースについて述べることは論理的誤謬に過ぎない。そしてマーラーの場合における長女の死の経験(ジャンケレヴィッチ風には、「第二人称の死」ということになるだろうか)を軽視することは勿論できないだろう。だがそれとて、自分の病の宣告、宮廷=王室歌劇場監督辞任とニューヨークでの新たな仕事といった立て続けに起きた一連の出来事の一つであって、それのみが「危機」と呼ぶに値する問題で他はそうではない等ということはできまい。自分の病の宣告にしても(それが後年、客観的には誤診であったということを言い立てる近年の主張は、マーラー自身の主観的経験の水準とは無関係である点は措くとしても)それが「第一人称の死」に関わる経験であるという解釈を否定するような事実が明らかになったわけではなく、それは依然として有効な解釈であろう。但しその重点は、アドルノが揶揄したような「死が私に語ること」ではなく、寧ろ「老年的超越」における「宇宙的なつながりの次元」の獲得のプロセスにあると捉えるべきだということが言いたいのである。

 ちなみに、アルマの回想の影響で第6交響曲フィナーレのハンマーに関連付けられた「三つの運命の打撃」として人口に膾炙してしまったが故に、「脱神話化」の傾向の中で批判の対象になった上記の三つの経験が、いずれも老年学における「危機」に含まれることは興味深い(それぞれ一般化して、親しい他人の死、自己の死への恐怖、失職や定年の危機に概ね相当するものと思われる)。勿論トルンスタムの言うように「危機」とは第一義的には主観的な認識の問題であって、客観的な事象の外側からの把握が即、「危機」の客観的存在を確証するのではなかろう。そして個別の被験者の体験については、老年学では質的研究と呼ばれる手法の対象となるのだろうが、ここでマーラーのケースを(既に物故しているが故に、インタビューのような調査手法が取れないので、その代替として)病跡学に対応するようなアプローチで検討するだけの準備はまだないので示唆に留めざるを得ないが、それでも様々な資料から窺えるマーラーの主観的認識を推測するならば、くだんの三つの体験についての反応は、「親しい他人の死」は危機として受容、「自己の死への恐怖」はマーラーが病気に対してそれまでそうであった延長線上で捉えることも可能かも知れない生活習慣の変更による受容、「失職や定年の危機」もまた、それまで常にマーラーがこの点については抜かりない駆け引きを行ってきたのと同様の仕方での対応でウィーンでの辞任事前にニューヨークとの交渉を済ませており、最後のものはそもそも「超越」の契機となるようなレベルの「危機」として捉えられていたかを問いに付す向きがあっても不思議はないと思える。

 上記のワルター宛書簡で「一からやり直さなければならない」と書いているからには、そこに「危機」が存在していたことは主観的には疑いのない事実であろう。だがアルマのしばしば恣意的な描写のバイアスを除いてなお、それぞれの要因を分離して独立にその影響を測ることは既に事実を離れた抽象に陥ることを避け難い。否、アルマの回想にしても、それが後年の合理化による歪曲を含んでいたとして、どこまでがそうで、どこまでがアルマにとっての主観的真実であったかは測り難い。そしてアルマの証言を疑う客観的妥当性を認めてなお、彼女がマーラーにとって最も身近な存在であったことは疑いなく、彼女の認識とマーラーの認識をどこまで分離できるかについて懐疑的な姿勢もまた必要ではなかろうか。かてて加えて、マーラーその人の主観について仮に真実に到達できたとして、そのことと作品が私たちに語ることとは更に別であろう。勿論、作品を取り巻く過去の言説は作品の解釈にとって外的なものではなく、寧ろそうした言説の空間の中でしか解釈はあり得ないだろうが、mathesis univsersalisとしてそうであったとしても、それはマーラーの音楽が私に語ることの固有性に拘るmathesis singularisの立場からは、可能な限りそれらを一旦括弧入れして、作品から何か聴き取りうるかを見つめ直す必要があるのではなかろうか。そしてそうしたやり方を採ろうと試みた時に、こと『大地の歌』に聴き取りうるものは、「老年的超越」に近い存在様式に到達するプロセスである、というのがここでの仮説になるのだろう。

(2022.12.7-8 公開, 2023.3.16改稿)

備忘:マーラーの音楽における「老い」についての論考に向けての準備作業 (12)

 だがしかし、より客観的な見方をするならば、そもそもマーラーは「老い」とは無縁だった、と寧ろ言うべきではないのか?という異議申し立ては、恐らく一定程度正しいのではなかろうか?第10交響曲のデリック・クックによる5楽章版について述べた後、マイケル・ケネディは次のように言っていたのではなかったか?

 「 マーラーはその創造力の絶頂で死んだ。第十一交響曲はどんなものになっただろうか?後継者たちが辿った道に沿ってさらに進んだのだろうか?第一次世界大戦という殺りくがマーラーの感受性にどう作用するか考えるだけでも恐ろしく、こういう推測が無意味であるのはいうまでもない。それでも一九四〇年には八十歳の誕生日を祝い、ベルク、バルトーク、ストラヴィンスキーの傑作、シェーンベルクの十二音の革命を聞いたはずだと考えると不思議な気がする。マーラーは生まれ故郷のチェコスロヴァキアとオーストリアが強奪されるのも見たことになる。カトリックへの改宗も、ほかの多くのユダヤ人とともに永久追放されることから逃れさせなかっただろう。」(マイケル・ケネディ『グスタフ・マーラー』, 中河原理訳, 芸術現代社, 1978, p.234)

 マーラーに「晩年様式」が存在することは疑いないことにも関わらず、創造力の絶頂で死んだというケネディの評言は、彼がクックの作業に基づき、第10交響曲を5楽章よりなる交響曲として捉え、あの感動的なフィナーレの終結の部分を「(…)音楽は嬰ヘ長調に戻り、アダージョに出たヴィオラ主題は人生と愛の偉大な歌になる。ここはマーラーのどの交響曲におけるよりも熱烈で集中力ある結末であり、マーラーの精神的な勇気に対する高らかな召命である。」(同書, p.234)と述べていることを踏まえれば、全く正当で非の打ち所のないものと感じられる。彼は創造力の衰頽と無気力という意味合いでの「老年期」を持たなかった。それ故に幸運にも「晩年様式」の作品こそがその創作活動の頂点でもあるという状況が生じたということなのだろう。ダンテ的な意味合いでの「折り返し点」は第5交響曲あたりにあって、その意味での「正午の音楽」は第6交響曲であろう。しかしながらその一方で、晩年様式」の作品こそがその創作活動の頂点でもあることに関して、それを単なる幸運に帰着させて良しとするのは、マーラーその人に対しては著しく不当なことだろう。ケネディは「マーラーの精神的な勇気」という言い方をしているが、彼は(それが誤診によるものであったたというのは後知恵に過ぎないのであって)自己の生命の有限性と自分が最早「正午」を過ぎて梯子の反対側を降りているのだという自覚の下で、「一からやり直す」経験の中を潜り抜けつつ、「大地の歌」、第9交響曲、第10交響曲を書いたのであって、音楽的才能とは別の次元においても、それは誰にでもできることではないだろう。「マーラーの精神的な勇気」は、別にケネディ一人のみ指摘しているわけではない。日本においても例えば吉田秀和が以下のように述べているのを思い起こしてみても良い。

「(...)そういうこととならんで、というより、それよりもまず、私は寿命が数えられたと知ったときの人間が、生活を一変するとともに、新しく、 以前よりもっと烈しく、鋭く、高く、深く、透明であってしかも色彩に富み、多様であって、しかも一元性の高い作品を生みだすために、自分のすべてを 創造の一点に集中しえたという、その事実に感銘を受ける。

 こういう人間が、かつて生きていたと知るのは、少なくとも私には、人類という生物の種族への、一つの尊敬を取り戻すきっかけになる。死を前にして、 こういう勇気をもつ人がいたとは、すばらしいことではないかしら?(...)」(吉田秀和「マーラー」(1973--74)より(「吉田秀和作曲家論集1」p.151))

 確かにマーラーはその創造力に関しては下降線を経験することなく、その限りで「老い」を知らなかったけれども、結果として、創造力の絶頂で書かれた「晩年様式」の作品という奇跡の果実を私たちは1つならず、2つ、3つと手にしている。彼が遺したその作品(彼自身にとっては、それは「抜け殻」に過ぎなかったかもしれなくともーー否、それを「抜け殻」に過ぎないと見做す認識態度こそ「老年的超越」の徴候でなくて何だろうか?ーー)を通して、かつて異郷の地に「こういう人間」が生きていたことを知ることができる。吉田の、それが「人類という生物の種族への、一つの尊敬を取り戻すきっかけ」になるという言葉に共感する人は皆それぞれ、やはりマーラーの「晩年様式」の作品に向き合って、自分なりの応答を試みることが課せられているのではなかろうか?  

(2022.12.7-8 公開, 2023.3.16改稿, 2023.5.21加筆)

備忘:マーラーの音楽における「老い」についての論考に向けての準備作業 (11)

 ところでマーラーの晩年はいつから始まったのかという問いについては、作品における「後期様式」と対応付ける答え方が一般的だろう。(それは結局、アルマの「3つの運命の打撃」の前と後という見解を受け入れることになる。)だが、「老い」の始まりは?彼が「老グストル」になったのはアルマと結婚して以降だ。すると第5交響曲を分水嶺として、第6交響曲以降は「老い」の意識の裡で書かれたという見方が成り立つことになる。そこにはまだ「後期」の死の影はないけれど、「老い」の意識は確実に存在するとは言えないだろうか?だがそれはアドルノ=ジンメルの言う「現象から身を退く」こととイコールではないだろう。その意味合いでは作品における「後期様式」を第8交響曲を分水嶺にして、『大地の歌』以降におくことは間違いではない。寧ろそれらを「死」とあまりにも性急に結びつけることが問題なのだ。そこにあるのは第一義的には「老い」であり、一人称的な「死」についての認識は、寧ろ前提・背景、せいぜいが素材に過ぎず、実質ではない。ましてや「死」一般ということならば、マーラーにおいてそれは作品1たる『嘆きの歌』以来、ずっと扱われてきたのではなかったか?それを考えるならば、「老い」を主題化して取り上げることでマーラーの後期に関する誤解や矛盾の幾つかは解消するのではないか?

 もう一つの伝記的・実証的な資料。1907年夏のマーラーより宮内卿モンテヌオーヴォ侯への書簡と、それに対する返信である1907年8月10日ゼメリング発の宮内卿モンテヌオーヴォ侯よりマーラーへの書簡。アルマの言うところの「三つの運命の打撃」の一つであるウィーン王室=宮廷歌劇場監督辞任に関わる書簡で、後者は後任者ヴァインガルトナーの前任地プロイセン劇場総監督によるヴァインガルトナー解任によりヴァインガルトナーが1908年1月1日よりマーラーの後任となることが確定したことを告げるとともに、前者の中でマーラーが希望していた年金、補償、更にマーラー没後の妻への年金支給の件につき、皇帝から許しが出たことを告げる手紙であり、アルマが回想録に付した書簡集の中で過半を占めるマーラーからアルマ宛の手紙とともに幾つか収められているマーラーとアルマ以外の人間との間で交わされた書簡の遣り取りの一つである。この書簡の往復によって、マーラーがウィーン王室=宮廷歌劇場監督を辞して後、老後の備えとともに、自分の死後の準備についても怠りなかったことを窺い知ることができる。特に前者のマーラーの書簡からは、マーラーが冷静で現実的な交渉者であったことを如実に窺わせるに足る。尤もマーラーが劇場とのやりとりにおいて、人によっては「策士」「策略家」という形容をする程に、職を辞するにあたっても衝動的に辞めてから次を探すなどもっての外(とはいえ、そうしようと思えばそうできる程の稼ぎはあった筈なのだが)、常に事前に次の契約を獲得していたのは若き日からの常であって、だからその点について特殊な訳ではない。特にこの遣り取りの中での2点目の補償について等であれば、例えばハンガリー国立歌劇場を辞する際にも、残された契約期間に受け取れたであろう額が支給されることを求めて認められたりした経緯もあるわけだが、ここでは第3点目として自身の死後についての項目が挙がっている点でマーラーが「老後」「死後」を見据えていたこと、ということは即ち、マーラーの「老い」についての意識に基づく行動を、はっきりと、かつ客観的な事実として告げている。

(2022.12.7-8 公開, 2023.3.16改稿)

備忘:マーラーの音楽における「老い」についての論考に向けての準備作業 (10)

  だがそもそも上記のような考えを私が持つようになった原因の一つが、他ならぬマーラー自身の発言にあったことを、ふと思い出す。アルマの回想録の中の「結婚と共同生活 1902年」の章の末尾に、子供の頃に強く印象づけられた箇所があった。ベートーヴェンを巡ってのシュトラウスとの対話において、シュトラウスがその初期を評価しているのに対し、マーラーは後期に価値をおいているというくだりである。

「 マーラーとシュトラウスの話題は、ベートーヴェンに移った。シュトラウスは、後期のベートーヴェンより初期のベートーヴェンのほうが好きだと言った。マーラーは、ああした天才は年をとるほどますますりっぱになると言った。これにたいしてシュトラウスは、晩年のベートーヴェンにはしばしば独創力の欠如が認められるとし、青年時代の内発性にこそ高い価値があると言った。

「たとえばモーツァルトだ。」(アルマ・マーラー, 『グスタフ・マーラー 回想と手紙』, 酒田健一訳, 白水社, 1973, p.64)

ここの部分は実は、シュトラウスとマーラーという性格、気質、嗜好や人生観において全く対照的といって良い二人の天才の対話に、その対話の内容に全く関心を持たないシュトラウスの妻パウリーネの発言を差し挟むことによってパウリーネの「俗物性」を印象づけ、翻って、その内容に無関心でいられない自分を描くことによって自分を浮かび上がらせるという、どちらかというと見え透いてあけすけな意図をもって構成されていることは明白なのだが、子供の頃の私はそんなアルマの意図などまるでお構いなしに、自分のそれまでの乏しい聴取の経験から、それでも最後のピアノソナタOp.111のシュナーベルの演奏の録音を聴いて圧倒され、深く魅了されていたが故に、マーラーの意見に躊躇なく与したのであった。そればかりか、「青年時代の内発性」に関してシュトラウスがモーツァルトを持ち出した点についても、当時聴いていたのは、レクイエムK.626、ピアノ協奏曲第27番K.595、クラリネット協奏曲K.622くらいのものであったが、やはり子供ながらの性急さをもって傾倒していたモーツァルトの晩年の一連の作品を思い浮かべつつ、シュトラウスの言っていることは全く間違っていると、生意気にも断定さえしたのを良く覚えている。いずれにしても、当時の私にとってマーラーの言葉の重みは決定的であり、かつ読書の傾向とか、他の幾つかの面においてそうであるように、ここでも自分の嗜好や価値判断がマーラーのそれと一致したことによって、一層の傾倒を深める契機の一つになったことは間違いない。

 出会いこそ人並みに第1交響曲であったとはいえ、私が、マーラー自身の作品についても第6交響曲以降の作品をより高く評価し、未完成の第10交響曲に関しても、オーセンティシティを重んじるよりは寧ろ、5楽章形態の全体構想とありえたかも知れない完成形を垣間見せてくれるが故にクックの演奏会用バージョンの補作を評価することも含めて、後期作品と、特に晩年の作品を評価するだけではなく、好みもする(従って聴取の頻度も、第8交響曲を例外とすれば、明らかの後期作品に偏っている)というのさえ、マーラーその人の発言のみに起因するものであったとは言えないのだが(既述の晩年のモーツァルト、フランク晩年の傑作、シベリウスの後期交響曲という嗜好は、マーラーに先行するものであったのがその傍証となるだろう)、勿論、そうした自分の嗜好を正当化し、理由づけてくれるものとして受け止めたことは間違いない。マイケル・ケネディがネヴィル・カーダスの評言を参照しつつ、マーラーが発展的な作曲家であり、一曲毎に新しくより高い境地に到達し続けたことに言及したのは、諸家が「二番煎じ」、「失敗作」として批判した第7交響曲についてに関しての論述の冒頭においてであったが、クックの作業を身近に知る立場にあった彼の第10交響曲への評価と同様、第7交響曲についても、他のより人口に膾炙した作品に先行して接して早くから親しんだこともあって、私はそれを、己の嗜好の上で、初期作品より上位に位置づけていたから、ケネディの評価に与する立場を採ることに迷いはなかった。後にアドルノがマーラーにも「弱い楽章」があり、それを認めることが寧ろ正当なのだと述べたのは、第7交響曲のフィナーレについて述べた際であったが、それに接しても尚、アルマの『回想と手紙』に含まれている、あのシェーンベルクの評価(アドルノは、「よりによって」という言い方でこの評価にも言及しているが)の方が自分の受けた印象に近いものであるが故に、自分の評価を変えようとはしなかった程である。

 というわけでマーラーのベートーヴェンの後期作品への評価は、それによって自分の嗜好や認識が変更を強いられたという仕方ではないにせよ、私にとっては「天才は年をとるほどますますりっぱになる」という自分の経験に基づく直観に沿ったものであり、かつ、マーラーその人もまた、例外ではなくその「天才」の一人であるというように考えてきた訳であるが、今、ここでの問題にとってはそれは、確認しておくべき事柄であるにしても主たる問題ではない。寧ろこの文脈においては、アドルノがマーラー以外に後期様式、晩年様式について述べた一人がまさにベートーヴェンであるということで、私がマーラーの言葉に共感した根拠となった最後のピアノソナタから受ける印象は、確かにマーラーの後期作品から受ける印象と相通じる部分があるように思われるということである。私にとってベートーヴェンはワグナーと同様に周縁的な作曲家の一人であって、特にその中期作品、世上「傑作の森」という評価のある作品の、まさにアドルノが評価する側面こそが押し付けがましく、ついて行けないものを感じているし、初期作品についてはそもそもほとんど聴いたことさえないし、最早自分に残された時間が限られていて、「老年」なりの選択を強いられるようになってきた今になってそれに対峙しようとも思わないが、その後聞いた後期作品、ハンマークラヴィア以降のピアノソナタと、作品番号3桁の弦楽四重奏曲群(「大フーガ」を含む)については抵抗感なく聴くことができる。そしてそのことには作品における時間の流れ方の特性が関わっていて、なおかつそれがマーラーの後期作品と共通性があるように感じられるので、「時間の感受のシミュレータとしての音楽」という観点から、アドルノのいう「晩年様式」を眺めることができるのではないかという見立ての根拠となっているである。マーラーがベートーヴェンの晩年の作品にどれくらい影響を受けたという実証的な影響関係は私のような単なる市井の愛好家の手に余る事柄だが、「現象から身を退く」というのが単なる比喩の類ではなく、より構造的に了解できるもので、時間性の構造の観点と結び付けて論じることができるように思う。そしてそのことが、マーラーの音楽における「老い」を考える上での核心をなす部分だというのが見取り図ということになるだろうか。

 その一方でこの発言は、「晩年様式」に関するベートーヴェンの後期作品へのアドルノの了解が大筋において、マーラーその人のそれと、控え目に言っても親和的であることを証言する一方で、ジンメル経由でのアドルノのゲーテの箴言(「現象から身を退く」)への参照から、マーラー自身のゲーテに関する発言の中に、マーラーその人の「老い」に関する了解を探るというアプローチの可能性を示唆するように思われる。

 よく知られているように、マーラーにとってのゲーテは、単に第8交響曲第2部において『ファウスト第2部』の結びを素材として使用したというだけに留まらない。ゲーテは彼の愛読書であり、文学的作品のみならず科学的・思弁的な著作から対談集の類まで読んでいたことがアルマの回想や書簡などから確認できるし、ゲーテの生命観が彼の創作活動に直接間接に与えた影響は決定的であったと思われる。直接参照されているのが同時代の科学的著作である場合にも、それを受容する背景としてゲーテの生命観・有機体観の影響は極めて強いように感じられる。そうしたこととを踏まえるならば、直接に明示的に言及されることはないにしても、彼の芸術観・作品観・人生観にゲーテの影が映り込んでいて不思議はないし、たとえ典拠が明らかにゲーテでない場合や、誰のものであるか明らかでない場合でも、その発想にゲーテのそれとの親和性を感じ取ることはそれ程難しいことではないだろう。(個人的に印象的だったのは「神の衣を織る」という美しい言い回しが『ファウスト』第1部の地霊の科白に由来するものであることを突き止めた時のことだったが、同じようなケースは他にもあって不思議はない。)他の作曲家はともかく(更に言えばベートーヴェンとゲーテを巡るアネクドットの類は有名だが)、ことマーラーに関して言えば、ゲーテに典拠を持つ「老い」についての認識は、作品自体への適用は勿論だが、作曲者の考え方と親和的である可能性が高く、従ってマーラーの自己認識とも親和的である可能性があるということになる。同じアルマの『回想と手紙』では後年のマーラーが「床に唾を吐いたところでベートーヴェンになれるわけではない」と語ったというエピソードも含まれているが、彼にとってベートーヴェンが越えがたい規範であったのであれば、彼自身のベクトルが、彼がベートーヴェンに見出し、評価したものと重なるということが起きても不思議はない。(一方で、ワグナーの『パルジファル』についての否定的なコメントや、ブラームスの第4交響曲についての否定的なコメント、更にはブルックナーの第9交響曲についての否定的なコメントについての証言も残されているようだが、私にとってはそれぞれの「晩年様式」の作品であるそれらへの否定的評価もまた、彼が「老い」をどう捉えていたかを知る手がかりになりうる可能性があるだろう。他方で、そもそも偶然記録されたに過ぎないこのような「語録」自体を、それが語られた文脈も定かでない状況で過大評価することは却って誤った理解を導きかねないとする懐疑的な立場もまたあるだろうし、そうした懐疑にも一定の正当性があると私は考える。であるならばベートーヴェンの評価を巡っての、アルマが記録したアネクドットを取り上げて、ああでもない、こうでもないと突き回すのも同断だということになるのかも知れないが、そうした可能性を排除はしないまま、だがマーラーの音楽における「老い」について何某かのヒントが提供される可能性も否定し難く、ここで取り上げることにした次第である。)

  (2022.12.7-8 公開, 2023.3.16改稿)

備忘:マーラーの音楽における「老い」についての論考に向けての準備作業 (9)

 では、かつての私はマーラーの「後期様式」についてどう感じ、考えていたのか?

 まず眼差しのあり様としての「後期様式」を考えた時、それを「現象から身を引き離す」と捉えるのは「Mahlerの場合は」最も適切だということ。だがそれは一般化はできない。人により「後期」は様々だ。(例えばショスタコーヴィチを思い浮かべよ。)その一方で、ヴェーベルンの晩年とマーラーの晩年のアドルノの評価の違いはどうだろうか?いずれも「現象から身を退く」仕方の一つではないのか? こちら(マーラー)では顕揚されるそれと、あちら(ヴェーベルン)の晩年にどういう違いがあるのか?もっともこの疑問は幾分かは修辞的なものだ。なぜなら両者の様式が異なったベクトルを持っているのは明らかだから。寧ろ、にも関わらずそれらのいずれもが「現象から身を退く」仕方としては共通する点を以て、両方の「現象から身を退く」ことの間の差異を通じて「マーラー」の場合に照明を与えることが問われているのではなかろうか?

 更に具体的な問題として、マーラーの「後期」はいつから始まるのか、という問いには様々な異説があって、ヴェーベルンにおける作品20のトリオと21の交響曲の間にある明確な区切り点を見出すのが困難に見える。特に厄介なのは第8交響曲の位置づけだろう。

 ところで「大地の歌」の第1楽章について、かつての私には違和があった。今のほうがこうした感情の存在することがよくわかる。そういう意味で(多分にnegative―そうだろう?―な意味で)これは成年の、否、後期の(晩年、ではないにしても)音楽なのではなかろうか?
その一方で、「大地の歌」と第9交響曲を双子のような作品として、一方が他方のヴァリアントの如きものとして扱われることが多いのに対して、第9交響曲と第10交響曲の間に広がる間隙は大きいように見える。マーラーに関して、もしシェーンベルクが間違ったとするならば、それは「いわゆる第9神話」に、彼独特のやり方によってとらわれたことが挙げられるだろう。この点についてはマイケル・ケネディの方が正しいと私には思われる。更に、そこを「行き止まり」と看做すことなく、第10、第11交響曲を考える点でもケネディは正しい。マーラーは本当に発展的な作曲家だった。だから第9交響曲は行き止まり等ではない。確かに第10は「向こう側」の音楽かも知れない。(なお、これを第9交響曲より現世的と考える方向には与しない。)けれどもマーラーは「途中で」倒れたのだ。マーラーの死は突然だったから本当に途中で死んでしまったことになる。(ただし仮にそれが誤診であったとしても、心臓病の診断が下って後、迫ってくる自分の「死」を彼が意識しなかったというのは全くの出鱈目だ。せいぜいがアルマの回想のバイアスに対する警告程度であればまだしも、彼の見てていた主観的な風景を、あたかもそんなものはないかの如き主張、誤診という客観的事実のみを以て、マーラーが「健康」であったなどといった主張は「ためにする」議論でしかない。)

 そうしたこともあってマーラーの第10交響曲こそが最も近しく感じられる。この不思議なトポス、だけれども、これは存在する、そうした場所はあるのだ。少なくとも残された者の裡においては。それ自体、何れ喪われるものであっても、それは存在する。全くのおしまい、無というわけではない。それは「喪」そのものかも知れないが、喪のプロセスは残された者の裡には存在する。マーラーがこの曲を、特に第1楽章以降を書いたのは不思議だ。彼は確かに危機の最中にはあったし、己の死を意識してはいただろうが、でも死に接していたわけではないのだ。

 だが私はこの曲のAdagioに、他のよりポピュラーな作品に先んじて、最初にそれだけ単独で知ることになったのだが、知ってたちまちに、結果として早くから惹きつけられた。マーラーについて最初に書いた、ケネディの評伝の「読書感想文」の形態をとった文章の中で言及したのは、まさにこの楽章だった。他ならぬこの曲だった。それを子供時代に聴くというのはどういう事だったのか?

 否、「現象から身を引き離す」ことは老年だろうが、子供であろうが、実はいつだって可能だ。ただし有限性の意識として共通であってもクオリアは異なるだろう。かつての宇宙論的な絶望と今の生物学的な絶望との間には深い淵が存在する。

 「後期様式」とは具体的に何だろうか?回想という位相。(かつての)新しさの経験。異化の運命。後期様式による乗り越え。風景の在り処。現実感は希薄。回想裡にある。かつて現実だった?「だったはずの」? …「ありえたかも知れない」?「仮晶」=「ありえたかも知れない」もう一つの「民謡」としての「東洋趣味」、「中国様式」?

 確かにマーラーは何か違う。consolationなのか、カタルシスなのか。(ホルブルックの)Courage to Beという言い方に相応しい。それを「神を信じている」という一言で済ませるのは何の説明にもなっていない。その「肯定性」―それはショスタコーヴィチとも異なるし、例えばペッテションとも異なる― について明らかにすべきだ。同じように救済もまた、もしそれがあるとするならば、第8交響曲のみしかない訳ではないだろう。マーラーは「約束で」長調の終結を選んだわけではない。強いられたわけでもない。とりわけ第10交響曲の終結が、それを強烈に証言する。一体何故、このような肯定が可能なのか―マイヤーの言うとおり、これは「狭義」の信仰の問題ではない筈だ。懐疑と肯定と。

 アドルノのベートーヴェンの後期様式についてのコメントをマーラーの後期様式と対比させること。『楽興の時』の中でのベートーヴェンの後期様式やミサ・ソレムニスについてのそれを、マーラーの『大地の歌』、第9、第10、そして第8と対照させつつ検討する。案に相違してベートーヴェンの閉塞と解体に対して、マーラーは異なった可能性を示したのかも知れない。アドルノのことばは、その消息についてははっきりと語らない。一見したところ、両者の身振りは極めて近いものがある。だが、並行は最後まで続くのか?寧ろ一見したところ厭世的に受け取られることの多いマーラーの方が「他者のいない」ベートーヴェンよりも、 異なった可能性に対して開かれていたのでは、という想定は成り立つ(Greeneの立場とも対比できるだろう)。

 ホルブルックと大谷の「喪の作業」(『大地の歌』に関して)を組み合わせて考える。個人的な『大地の歌』―第9交響曲における普遍化というのは成立するのだろうか?ところで、ホルブルックの「結論」(原書p.213)はどうか? 多分正しいのだろうが――これは私の求めている答ではない。 では答はどこにあるのか? そもそもマーラーにあるのか? 勝手読みは(マイヤーの心配とは別に)必ず無理が来る 「感じ」が抵抗し、裏切るのだ。 頭で作り上げた「説明」は、どこかで対象からそれてゆく。 一見、ディレッタンティズムに見える―衝動に支えられた―探求の方が、より対象に踏み込めるに違いない。

 あるいは、「実感」が追いつかない――忘れてしまったのか?――否、そんなことはない。 まだ「わかっていない」だけかも知れない。 ここに「何かがある」のは確かなことだ。 自分が求めているものとぴったり同じではない可能性も否定できないにせよ、自分にとって限りなく重要な何かあがあるのは確かだ。

(2022.12.7-8 公開, 2023.3.16改稿)

備忘:マーラーの音楽における「老い」についての論考に向けての準備作業 (8)

  マーラーの音楽ではなく、マーラー自身に関して言えば、ある時期以降は、「老い」に支配されていたと言ってよい。端的にはアルマを伴侶に選んだ時に己の「老い」についての意識を抱え込むことになった。アルマの回想の「出会い(1901年)」の章には、色々なところで引用されることになる以下のくだりが登場する。

「その後まもなく、マーラーはベルリーンとドレースデンへ旅行した。彼はたびたび手紙をよこして、自分を苦しめ、私を悩ませた。そしてドレーズデンへユスティーネを呼びよせてからは、「初老の男が若い娘と結婚してよいものだろうか?」とか「彼にはそんな権利があるだろうか?」とか「秋が春を鎖でつなぎとめるようなまねが許されるだろうか?」などといった質問で、妹までも悩ませた。」(アルマ・マーラー『回想と手紙』, 酒田健一訳, 白水社, 1973, p.32)

 彼はまだ40過ぎであるにも関わらず、「老グストル」になったのだ。(アルマ・マーラー『回想と手紙』所収のアルマへの手紙の1904年の項には、末尾の署名が「老グストル」「老グスタフ」となっている一連の手紙が含まれている。これは丁度、第3交響曲をあちらこちらで演奏しながら、10月には第5交響曲のケルンで初演するという時期に当たっていて、夏には前年に取り掛かっていた第6交響曲のパルティチェルを完成し、子供の死の歌に第2曲、第5曲を追加して完成させ、第7交響曲の2つのナハトムジークを作曲している時期である。第5交響曲の作曲はアルマに1901年11月に出会う前、夏の休暇には着手していたので、アルマとの年齢差による「老い」の意識に関して、第5交響曲はまさに「過渡期」の作品ということになり、第6交響曲以降が「老い」の意識の下で構想され、完成された作品ということになる。

 ちなみにダンテは40歳以降を「老年」としたが、マーラーの場合はほぼ一致するものの稍々遅れて、41歳からが「老年」ということになるだろうか。あの異様なまでの活力に満ちた第6交響曲に「老い」を見るのは困難だという意見はあろうが、ダンテのイメージによれば、正午に南中した太陽がその後は西の地平線に向かって緩やかに高度を下げていく、そのプロセスが「老い」なのであるから、いわゆる「円熟期」と呼ばれる時期は「老年」に位置することになるだろうことを思えば、一見して感じるかも知れない程突飛な見解であるというわけでもなく、寧ろゲーテに基づく「後期様式」のことを思えば、「現象から身を退く」ことの兆候が老齢に先立って、所謂壮年期に現れたものが「円熟」として了解される、というような理解も成り立ちそうである。だがもしそうであるならば今度は、壮年期の作品と老年期の作品を区別するものは何なのか、それは連続的なスペクトルのどこに位置するかという相対的な問題に過ぎず、両者を明確に区別する特徴はないのかという問いが生じることになろう。(これは余談になるが、もし第6交響曲がアルマの言う「3つの運命の打撃」を予言した作品であるとしたら、そして「3つの運命の打撃」が、英雄の死をではなく、老年の開始を告げるものであるとしたら、第6交響曲は寧ろ老年に先立って、その開始に至るプロセスを音楽化することによって自ら老年期への移行を告げる音楽だということになろう。)

(2022.12.7-8 公開, 2023.3.16改稿)

備忘:マーラーの音楽における「老い」についての論考に向けての準備作業 (7)

 「後期様式」に関連したアドルノの論考3点/3人の作曲家

  • ベートーヴェン:「ベートーヴェンの後期様式」(『楽興の時』):ここでは「晩年の様式の見方を修正するためには、問題になっている作品の技術的な分析だけが、ものの役に立つだろう。」とされる。だがその「技術的分析」は、必ずしも作品自体の内在的な分析を意味しない。というのもそこで手がかりとされるのは「慣用の役割という特異点」なので。それが「慣用」なのかそうでないかを判定する客観的な判断基準を設定できるだろうか?それ自体、文化的で相対的なものではないだろうか? 
  • シェーンベルク:「新音楽の老化」(『不協和音』):結論から先に言うと、これはシェーンベルク個人の「後期様式」の話ではない。そうではなくて寧ろ、所謂「エピゴーネン」に対する批判であろう。従ってここで「老化」は「後期様式」とは何の関係もないように見える。だがそれならそれで「老い」について2通りの区別されるべき見方があるということになる。「後期様式」とは「老い」そのもの(?)とは区別される何かなのだ。恐らくは生物学的な、ネガティブなニュアンスをもった「老化」と、それに抗するような別の何かがあるというわけだ。それはシェーンベルクその人が含み持っていた傾向と無縁でないのは勿論、例えば、ヴェーベルン論において、作品21の交響曲以降の「後期作品」について留保を述べるというより端的に否定的な評価をしているケースとも無縁ではないだろう。ではそこには「後期様式」は存在しないのか?それとも二種類の後期様式が存在するのか?
  • マーラー:『マーラー』の最終章「長いまなざし」(ただし、「後期様式」への言及は、それに先立ち、第5章「ヴァリアンテー形式」において、アルバン・ベルクおよびベッカーの発言を参照しつつ、「(…)マーラーだけに、アルバン・ベルクの言葉によれば、作曲家の威厳の高さを決定するところのあの最高の品位の後期様式というものが与えられる。すでにベッカーは、五十歳を過ぎたばかりのこの作曲家の最後の諸作品がすぐれた意味での後期作品である、ということを見逃さなかった。そこでは非官能的な内面のものが外へと表出されているというのだ。」(アドルノ『マーラー 音楽観相学』, 龍村あや子訳, 法政大学出版局, 1999, p.112)と述べている。この最後の発言は、シェーンベルクがプラハ講演で第9交響曲について語った言葉と響きあう。)

 「現象から身を退く」に基づくアドルノの晩年様式の規定をマーラーの音楽の構造の具体的な特性として指摘できるか?「仮晶」Pseudmorphism 概念を、引用とかパロディのようなメタレベルの操作としてではなく定義できるか?中国、五音音階が果たす機能ということであれば、これは文化的文脈に依存のものとなる。日本で聴く『大地の歌』は、「仮晶」として機能するのだろうか?もっと別のレベルに「現象から身を退く」を見いだせないのか? 文字通りの物理現象としての「仮晶」の対応物を、時間プロセスのシミュレーションとしての音楽作品の中に具体的に指摘できるか?

 アドルノのカテゴリでの「崩壊」ではなく、Reversの言う「溶解」?だがここで問題にしたいのは、「別離」「告別」というテーマではない。寧ろ端的に「老い」なのだ。死の予感ではなく、現実の過程としての老い。「死の手前」での分解としての老い。それはだが、よく引き合いに出される「逆行」「退化」という捉え方とも異なる。細胞老化、個体老化のそれぞれにおいて起きていることはその基準になる。老化は成長の逆ではない。成長の暴走としてのガンは、老化を考える際に重要な役割を果たす。

 「意識の音楽」「時間の感受のシミュレータとしての音楽」という見方(これについては、記事「「時の逆流」および時間の「感受」のシミュレータとしての「音楽」に関するメモ」を参照のこと)に立ったとき、Peter Revers : Gustav Mahler Untersuchungen zu den spaten Sinfonien, Salzburg, 1986, S.185ff における音楽構造の融解化Liquidation はどのように捉えることができるのか?(但し、これは恐らくLiquidationに限らず、アドルノの「性格」におけるカテゴリ全般、つまりDurchburch, Suspension, ErfuhlungやSponheuerが主題的に取り上げたVerfallにしても同じ問いが生じうるであろう。)Reversが、それがマーラーの後期作品において、特に第9交響曲においては、音楽形成にとって唯一有効なカテゴリーとなると述べ、それが第9交響曲では各楽章の末尾、大地の歌では楽章群の終わりの部分について言えるとする。そして形式構造の融解化の手法を、別れと回顧という表現内容と結びつけるのであるが、それでは表現内容が「別れ」「回顧」のいずれかでもなく、第3のカテゴリがあるのでもないとどうして言えるのか?時間性の観点からは、そもそも「別れ」と「回顧」とが同じ時間性を持つということは到底言えないだろうが、にも関わらずそれが音楽構造の融解化にいずれも帰着するということがどうして言えるのだろうか?『大地の歌』において「別れ」と「回顧」は寧ろ異なった層に位置づけられるとするのが自然に思われる(この点については、以前に調的な構造の観点から検討した結果を公開したことがある。「大地の歌」第1楽章の詩の改変をめぐって ―甲斐貴也訳「大地の歌」によせて(2)―を参照。)のに対し、そこに形式的に同一の構造が見出せるとしたとき、その形式構造は、実は「別れ」「回顧」だけではなく、他の内容とも対応付けうるような一般的なものではないとどうして断言できるのだろうか?『大地の歌』の第6楽章の末尾の時間性は、そのタイトルにも関わらず、「別れ」の帰結とは異なるし、「回顧」の時間性とも相容れない時間性を持っているように思われる。この観点で興味深いのは寧ろ、「大地の歌」の曲の配列が絶望(悲しみと怒り)、虚脱、受容、見直し(再起)という死や障害の 受容過程であることを主張する大谷1995(病跡誌No.49 pp.39-49)の指摘だろう(こちらについても、以前に触れたことがある。「大地の歌」における"Erde"を巡る検討のための覚書 ―甲斐貴也訳「大地の歌」によせて― を参照)。Reversの指摘は興味深い点を多々含んでいるけれど、『大地の歌』の歌詞に基づいて(というか引き摺られて)そこに「回顧」と「別れ」をしか見なかったり、かと思えば第9交響曲の方は、これを専ら「死」と結び付けてみせる類の紋切型から自由になり切れていないように私には思えてならない。

 だとしたら、例えばここに「老い」を措いてみることはできないのか?単純に言って「老齢とは一段一段現象から退去する謂である」とするならば、「老い」はその中に「別れ」を含み持っているではないか。

(2022.12.7-8 公開, 2023.3.16改稿)


備忘:マーラーの音楽における「老い」についての論考に向けての準備作業 (6)

  トルンスタムの「老年的超越」の概念は、西欧的な自我観と密接な関係のある所謂「活動理論」を前提とした「アンチ・エイジング」の議論に対して、それに対立する「離脱理論」寄りの考え方として、だが単なる「離脱理論」に留まらない射程を持ち、ジンメル=アドルノがゲーテに依拠して述べる「現象から身を退く」こととしての「老年」への接続可能性を持つもののように思われるので、ここでの検討に値すると考える。例えば既述の能楽における「老い」の形姿と重ね合わせることができるのではないか、特に『伯母捨』のシテの存在の在り様を「老年的超越」に重ね合わせてみてはどうか、ということを考えたりもするのである。勿論、第一義的には「老年的超越」は社会学的に定義された概念であり、多数の高齢者に対してインタビューシートに沿った質問をして得られた回答を統計的に処理して高齢者に有意に特徴的であるという結果が得られたものではあるけれども、それを説明するのに「物質主義的で合理的な世界観から、宇宙的、超越的、非合理的な世界観への変化のこと」(増井幸恵『話が長くなるお年寄りには理由がある』, p.96)とされたり、「自己概念の変容」「社会と個人との関係の変容」「宇宙的意識の獲得」が三つの柱であるとされる(同書, p.98)ことから明らかなように、それはボーヴォワール(/サルトル)風には「世界・内・存在」としての個人の存在様態に関わるものであるが故に、寧ろ個別の具体的な作品に提示された人物像であったり、特定の個人の作品に映り込む意識の在り方を検討する際の手がかりになりうるのではなかろうか。一方で「世界観の変化」と言われ、「変容」、或いは「獲得」と言われるのは、一つにはそれが西欧的な自己観を基準にとっているからでもあり、それ故そのことはまた、マーラーの場合について言えば「晩年様式」が「異国趣味」という「仮晶」を必要としたという点にも関わっているに違いない。そもそも「異国趣味」がマーラーその人にとってどこまで借り物であったものか?マーラーの中には、インド哲学の影響が著しく、意志の否定を説くショーペンハウアーを皮切りに、ゲーテ(『西東詩集』West-östlicher Divan)、東洋学者でもあったリュッケルト、フェヒナー(『ツェント・アヴェスター』Zend-Avesta)、そしてハンス・ベトゲによる漢詩の追創作と、東方的なものに対する関わりが一貫して流れているのである。トルンスタムの「老年的超越」自体、東洋思想の影響の下で編み出されたものであるようだが、マーラーの側にも東洋的な諦観を、俄か仕込みの借り物としてではなく受容する素地があったのであれば、マーラーについてもまた「老年的超越」とその「晩年様式」とを突き合わせることは、表面的にそう見えるほど突飛なことではないのではなかろうか。

 西洋と東洋、ということであるならば、ボーヴォワールが『老い』の一番最初、「序」の冒頭で仏陀のエピソードを提示していることをどう受け止めたらいいのだろうか?本来これは、いわゆる「四門出遊」のエピソードの一部であり、それは後に「初転法輪」において四諦の一つである「苦諦」としてまとめられる「四苦」、即ち「生老病死」に若きシッダールタが直面した機会の中の出来事の筈である。私は仏陀の様々なエピソードに子供の頃から親しんできたので何事もなく通り過ぎてしまったが、改めて考えると「死」についてはあれだけ饒舌な西洋における「老い」に対する或る種の無視、特にそのマイナス面から目を背け、「老い」に対峙しようとしない姿勢に対して告発調なところも感じられなくもないボーヴォワールの口調を思えば、東洋においては「老い」について、その否定的な側面も含めて、少なくともそれを正面から取り上げようとしているのだということが告げられているようにも受け取れる。にも拘わらず本論になるとボーヴォワールは非西洋的な「老い」についての認識については「外部からの視点」と題された第1部の中でも「未開社会」の章の中に押し込めてしまっている。第2部のボーヴォワールの「世界ー内ー存在」としての、内側からの視点についての分析には興味深い点も多々認められるが、それに「序」の出だしにあえて仏陀を持ち出したことがどう影響しているかという点になると必ずしも判然とはしない。実際にはサルトルの「自我」の捉え方(特に『自我の超越』のような初期におけるそれ)には非西洋的な見方に通じる面もあるのだが、それが西洋的な視点に対する批判の拠点となり得ているかどうかについては限界があるように感じられる。

 これも既に『大地の歌』に関して何度か指摘していることだが、謂われるところの「異国趣味」について、自分が西洋から眺めた時に中国の更に向こう側から、逆向きに中国を眺めていることについて意識的であれ無意識にであれ無頓着である議論は大きな欠落を抱えずにはいないだろう。日本人が聴いてさえ耳につく『大地の歌』中間楽章の中国趣味にしてからが、日本人が聴くそれと西洋人のそれが同じであると思い込みことはできまい。だがここでは更に「老い」に関する認識の洋の東西の違いというのが加わることになる。一方でそれは「現象から身を退く」という両者共通の事実に対する両者の認識態度の違い(図式化すれば「活動理論」の西洋と「離脱理論」の東洋)なのだが、「現象から身を退く」際に依拠する「仮晶」として「東洋」、その中の「中国」がどのように機能するか、そもそも同じように「仮晶」たりうるのかという問題を引き起こさずにはいないだろう。そしてアドルノがその認識を記した半世紀前(それはマーラーが没してから半世紀後でもあったのだが)ではなく、更に半世紀後(ということはマーラーが没して1世紀後)の今日の、シンギュラリティを現実的なものとして議論することを可能にするような技術的状況下にあっては、そうした状況における宇宙と技術の多元性への可能性を検討した『再帰性と偶然性』のユク・ホイが、その思索の出発点において「技術への問い」に関して行ったような逆向きからの展望(『中国における技術への問い』)を、この文脈においても適用する必要があるだろう。(但し、この文脈においては、「東洋思想」という括りではなく、更に中国を挟んで反対側の極東の島国からの展望を剔抉すべきかも知れない。位相は異なるが、こちら側からも「仮晶」の論理が存在しており、しかもその位相は中国との関係の変化に応じて変容していると考えるべきであろうからである。とりわけてもここで、まさに「老い」についての認識が問題になっているからには一層この点は強調されるべきことに思われる。そう、私個人の記憶を辿っても『大地の歌』に出遭った時期、私は、李白、杜甫、王維など盛唐期の詩人のそれを中心とした漢詩にのめり込んでいたのだが、とりわけそれらに詠み込まれた「老い」の形姿が(気づいてか、気づかずか)逆向きに映り込むことは当然のこととして避け難く、特にそれは第1,2,6楽章の聴取に影響したし、現在もその影響は続いている筈である。そして更に今日、同じ(ジェインズの言う)二分心崩壊以後のエポックの中にあって、だがいよいよシンギュラリティが近づいている現時点で、改めてそれらの総体を今日の展望の下に位置づけなおす必要があるのを、我が事として感じている。)

(2022.12.7-8 公開, 2023.3.16改稿)

備忘:マーラーの音楽における「老い」についての論考に向けての準備作業 (5)

 だが、そうした社会的構造に根差した生成と推移のリズムが刻む単純な生死の対立の平面とは更に別の軸が存在することが、主として細胞老化のメカニズムに関する研究により明らかにされてきた。そこから出発して、成長ではない、癌のような分裂の暴走というのを時間的なプロセスとして考えることができるだろうか?エントロピーの概念?ここでは成長との二項対立は問題にならない。寧ろ老化は癌化に対する防衛という一面を持つらしいのだ。

 あるいはまた、遺伝子においても、従来は意味をもたないとされた膨大な領域が単に冗長性を確保するといった観点にとどまらず、より積極的な「機能」を担っている可能性が示唆されるようになったし、細胞老化の研究により、老化というのが細胞の複製・増殖の暴走である癌化への防衛反応の一つであるという見方が出されたことを始めとして、生命を維持するメカニズムは当初考えられたような単純なものではなく、非常に複雑で込み入ったものであることが解明されつつある。だが、この視点の素朴なバージョンなら、既にボーヴォワールの『老い』にも登場している。ただしそれは「いかなる体感の印象も、老齢による老化現象をわれわれに明確に知らせはしない」(邦訳同書下巻, p.334)ことの理由としてではあるが。曰く「老いは、当人自身よりも周囲の人びとに、より明瞭にあらわれる。それは一つの生物学的均衡であり、適応が円滑に行われる場合は、老いゆく人間はそれに気づかない。無意識的調整操作によって、精神運動中枢の衰えが長いあいだ糊塗される可能性があるのだ。」(邦訳同書下巻, p.334)だが、これは文脈上仕方ないことではあるけれど、事態の反面をしか捉えていない。つまり糊塗されている裏側で起きていることに対する観点が抜けていて、実はそちらこそ「老い」にとっては本質的な筈なのである。それを今日のシステム論的な議論に置き直せば、以下のようになるだろうか。

「(…)以上のように、老化という現象には、「階層構造」と「時間」のファクターが組み合わさり、時間軸方向には決定論的にふるまうが、ある時間の断面では確率論的である、という複雑な性質があります。このような複雑な現象を示すシステムとして生物をみた場合に、老化の本質はいったいどのようなものと考えられるのでしょうか。(…)システムの特徴の一つに、「ロバストネス」(頑健性)」という工学用語で表されるものがあります。生物学的な用語でいえば「ホメオスタシス(恒常性)」となるでしょう。(…)システム全体に負荷がかかった場合でも、それを元の状態に戻そうとする能力、それが「ロバストネス」なのです。(…)こうした議論をとおして北野所長とたどり着いた考えは、「老化」は、ロバストネスが変移して、最終的に崩壊する」過程であるというものでした。つまり老化の定義は、「生物がもつロバストネスの変移と崩壊」だと。単なる崩壊ではなく、「変移と崩壊」というところに注目してください。歳を取っても人の体はロバストなのです。(…)ロバストであることに変わりはありませんが、定常の位置が推移していきます。だんだんずれていって、最後に全体としてシステムのロバストネスを保つことができなくなるとついにシステムが崩壊する、つまり「死」に至る、ということになります。」(今井眞一郎『開かれれたパンドラの箱 老化・寿命研究の最前線』, 朝日新聞出版, 2021, pp.229-30)

* * *

 もう一つだけ付言するならば、「老い」としての「分解」には、再生とか復活に繋がる側面はなく、経済学的な循環からは零れ落ちてしまうもの、回収困難なものではないかというようにも思う。そしてだからこそ現実の社会の問題として解決し難い難問なのだろうか、というようにも思う。もう一度読み返してから言うべきだろうが、記憶する限り、『人新世の「資本論」』でも「老い」が主題的には扱われていた記憶はない。

 そもそも「持続可能性」にとって「老い」はどのように位置づけられるのか?アルタナティヴとして提示されているであろう『人新世の「資本論」』の「脱成長」において、「老い」という側面は(存在するであろう幾つかの水準のそれぞれにおいて)どのような意味を持つのだろうか?といったような疑問も湧いてきて、些か短絡的ながら、「老い」について論じない「脱成長」の議論は、何か本質的なところで底が抜けているということはないのか?というようなことさえ思う。

 一方、それを思えば、対立する資本主義の上に成り立っている特異点論者の「老い」に対する立場は明快であり、主張の是非を措けば、寧ろそれを正面から取り上げているとさえ言えるかも知れない。だからといって技術特異点論者の言うことに共感できるかどうかは、また別の問題であろう。例えばアンチエイジングを「ピンピンコロリ」の達成と言い換える如き風潮が見られるが、実際に介護に一人称的・二人称的に関わっている身にとって「ピンピンコロリ」そのものが本人にとっても周囲にとっても有難いということは認めたとて、それが一人の人間にとっての生きる意味などとは無縁の水準でしか発想されていないように感じられてしまうし、老化をコントロールすることが「ピンピンコロリ」を実現するために「も」有効であることを仮に認めたとしても、それがどうして健康寿命を限界まで引き延ばす話になるのか、若返りのテクノロジーの話になるのか、果ては(でもそれこそが本当の目標なのだろうが)寿命さえも乗り越えるという話に繋がるのがは杳として知れない。

 だが、アンチエイジングという言葉の濫用や、それに類する情況はボーヴォワールの時代にも既にあった、否、「二分心崩壊」以降、常にそういう志向を人間は持っているのかも知れなくとも、そして仮に医学的・工学的技術としての「アンチエイジング」が、現在既に巷間に流布し、まるで「老い」が「悪」であり、絶滅すべき対象であるというドクサとは独立のものであったとしても、そうしたドクサに乗っかろうとしているのであれば、それを許容することは私にはできない。

 結局のところ私は「現象から身を退く」ことで「老年」のみが達成できる認識、境地というものに子供の頃から憧れてきていて、たとえ自分にそうした境地が無縁のものであったとしても、その価値を信じ続けたいし、今更手放す気もないのだと思う。

(2022.12.7-8 公開, 2023.3.16改稿)

備忘:マーラーの音楽における「老い」についての論考に向けての準備作業 (4)

ところで「老い」のような水準は、現象学的分析においては扱いづらいもののようである。現象学が通常扱う意識の水準で「疲労」とか「倦怠」が取り上げられることはあるが、それらはせいぜいが過去未来方向の把持を含めた「幅をもった現在」の意識の相関者である「中核自己」の水準であるのに対し、「老い」は生活世界の住人である「自伝的自己」に関わるもので、両者は区別されるべきように思われる。管見では、アルフレッド・シュッツの生活世界の構成についての分析では、「時を経ること」=「老いること」が取り上げられていることを確認している。例えば、既に「老いの体験」と「老いの意識」の区別について参照した『社会的世界の意味構成』の第2章では、「私が年老いていく」事実と「老いの認識」について、フッサール現象学の時間論を参照しつつ述べた後、第3章 他者理解の理論の大要 の第20節 他者の体験流と私自身の体験流の同時性(続き)において、生きられた「同時性」を「共に年老いるという事実」(同書邦訳, p.143, 原文傍点)に見出し、それに基づいて第4章 で社会的世界の構造分析が展開される。C.社会的直接世界 (同書邦訳, p.224以降)で我々関係についての考察が為され、「しかし直接世界的な社会関係において年老いるのは1人私だけではない。我々はともに年老いるのである。」(同書邦訳, p.237, 原文傍点)とされるのである。なおリチャード・M・ゼイナー編『生活世界の構成:レリヴァンスの現象学』でもその最後の部分(第七章 生活史的状況 のE.時間構造)で、「時を経るという体験、つまり幼児期、青年期、成人期から衰退期を経て、老年に向かうという推移の体験」(邦訳:那須壽・浜日出夫・今井千恵・入江正勝, マルジュ社, 1996, p.246)をもっとも根本的な体験のひとつとして挙げており、「われわれは時を経るということ、これがわれわれにとっては最高度のレリヴァンスをもっている。それが、動機的レリヴァンス体系の最高次の相互関係、つまり人生プランを支配しているのである。」(邦訳同書, p.247)という指摘が見られる。勿論、このシュッツが取り上げる「年を経ること」=「老いること」は、時間論的には「推移」一般と関連づけられていることから窺えるように、特にダンテの定義する「老年」における「老い」の固有性をとらえたものではなく、従って、ここでの考察にとっては出発点を提供するものに過ぎないが、狭義での現象学的分析の対象である「中核自己」とは異なる「自伝的自己」の水準にフォーカスしている点、プロセス時間論などで「知「生成」と対比して論じられる「推移」の経験、つまり「超越」における被把持であり「自己超越=死」と「生成」とがリズムを刻むという不連続的・エポック的な時間把握へと接続可能である点、更には「老い」が本質的にポリフォニックであるという認識への展開の可能性を含み持つ点で極めて有効な視座を提供していると思われる。(更に追記。『生活世界の構成:レリヴァンスの現象学』における「時を経るという経験」が登場する箇所には編者による注が付けられているのだが、その注は、シュッツの別の論文「音楽の共同創造過程」への参照を求めている。ここでもまた音楽の体験が取り上げられていることに留意しよう。)

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 「老い」は通常二次的、複合的、派生的概念と見なされているのではないか。老いはファーストオーダーの事象ではなく、ある種の複合・ベクトルの合成の結果と見なされる。生成に対するのは死であり、老いではないと見なされてしまう。死と老いとを区別しないことは、生成の側に本来は存在する差異を蔑ろにすることにも繋がってはいまいか?

 自伝的自己の老いについては、だが、それでもいいのでは?ポリフォニーは単旋律の複合ではない。ポリフォニーをより単純な要素に還元することはできない。そうすればカテゴリーミステイクになってしまう。ここでもシュッツの指摘に耳を傾けるべきだろうか?『生活世界の構成 レリヴァンスの現象学』の第一章の序言において、シュッツは「対位法」を比喩として取り上げているのである。

「(…)私が念頭においているのは、同一楽曲の流れのなかで同時に進行している、独立した二つの主題間の関係についてである。それは簡単に言えば対位法の関係である。聴衆の精神は、いずれか一方の主題を辿るだろう。すなわち、どちらの主題であれ一方を中心的主題とみなし、他方を副次的主題とみなすだろう。中心的主題は副次的主題を決定しながら、それでもなお構造全体の入り組んだ構成のなかで依然として優位であり続ける。われわれの人格の、そしてまた意識の流れのこの「対位法的構造」こそが、他の文脈で自我分裂の仮説と呼ばれているもの―何らかのものを主題的に、それ以外のものを地平的にしようとすれば、われわれは自らの統一ある人格の人為的な分裂を想定せざるを得ないという事実―の系をなしている。主題と地平の区別が多少なりとも明確であるようにみえる場合、それを他から切り離して考えてみれば、そこには人格の二つの活動が存在しているにすぎない。そのひとつは、たとえば外的世界における諸現象を知覚する活動であり、他のひとつは「労働すること」、すなわち身体上の動きを通してその外的世界を変化させる活動である。だが、されに詳細に探究してみれば、そうした場合でさえも、精神の選定活動に関する理論は、領野、主題、地平といった問題よりもより一層複雑な問題群のための単なる題目―すなわち、われわれがレリヴァンスと呼ぶように提案している基本的な現象のための題目ーであるにすぎないということが明らかになるだろう。(…)」(リチャード・M・ゼイナー編『生活世界の構成:レリヴァンスの現象学』, 那須壽・浜日出夫・今井千恵・入江正勝訳, マルジュ社, 1996, p.41, ボールド体による強調は原文では傍点。 )

 シュッツの上記の指摘は、「老い」固有の事情についての指摘ではなく、寧ろ生活世界の構成一般についての指摘であるけれど、自伝的自己に関わる限りにおいての老いは、そうした次元に関わる限りにおいて、本質的に対位法的なものではないのか?「老い」の意識は、相対的なものである限りで、他者を必要とするのではないか?「老い」はポリフォニック、対話的なものではないか?それと細胞老化・個体老化という生物学的な意味合いでの老いとは区別されるべきではないか? ボーヴォワールの『老い』においても、第二部 世界ー内ー存在(邦訳同書下巻)において、「老いとは、老いゆく人びとに起こること」(p.331)であるがゆえに「老いという問題については名目論的観点も観点論的観点もとることができない」と主張されるのは、「自己の状況を内面的に把握し、それに反応する主体」(ibid.)としての「年取った人間」としての「彼がいかに彼の老いを生きるかを理解しようと試みよう」とする限り当然のことであろう。そもそもボーヴォワールの分析は、『自我の超越』や『存在と無』といったサルトルの現象学的分析に依拠しているから、シュッツの立場との接点があるのは当然だが、「老いとは、客観的に決定されるところの私の対他存在(他者から見ての、また他者に対するかぎりにおいての、私という存在)と、それをとおして私が自分自身にもつ意識とのあいだの弁証法的関係なのである。」(邦訳同書下巻, p.334)という規定は、シュッツのいうレリヴァンスとしての「対位法的構造」と、少なくとも事象の側としては極めて近しい水準のものを対象としているとは言い得るだろう。如何にも『存在と無』における他者のまなざしに関する議論を彷彿とさせる、「老い」の発見における他者のまなざしの役割の強調も、それが身体の経験の枠組みの中で捉えられる限りにおいて、直接的な他者の視線であったり、鏡に映った自己を眺める自身の視線に還元されてしまうように見えたとして、それのみに尽きてしまうわけではあるまい。勿論、「老い」において生物学的次元・生理学的次元を無視することはできないが、そこに還元してしまえるわけではない。ボーヴォワールの言う「普遍的時間」とは、実のところ普遍的ではありえず、生物学的時間・生理学的時間、そしてそれらと同様、天体の運動のような次元に基盤を持ちつつも、社会的関係によって構成された「暦」のような時間の重層のそれぞれの切断面に老いの経験の契機が孕まれているのであって、さながら冒頭の私の経験は、ボーヴォワールの記述においては、第六章 時間・活動・歴史 の中における「私は、私が為した(作った)ところのもの、しかもただちに私から逃れ去って私を他者として構成するところのもの、である。」(邦訳同書下巻, p.441)という規定に照らした場合の(残念ながらボーヴォワールの場合とは異なって)或る種の欠如の感覚(要するに、何も生み出すことなく馬齢を重ねるという認識)に起因するものであったということになろうか。

(2022.12.7-8 公開, 2023.3.16改稿)

備忘:マーラーの音楽における「老い」についての論考に向けての準備作業 (3)

 その点で留意するに値するのは、世阿弥が『風姿花伝』において能役者の生涯における三回の「初心」について述べる中で「老年の初心」について述べていることだろう。そもそも能楽には「老体」の能と称される演目があり、「老女物」の能を演じるのは能役者にとっての生涯の目標であり、かつては奥伝として特に許された者以外は生涯演ずることが叶わなかった程である。そしてそうした最終目標の演目において能役者が演じるのは、小野小町の老残の姿と心持ちを扱った作品(『卒塔婆小町』を始めとする所謂「小町物」)であったり、棄老伝説を踏まえた、今日的には残酷ともとれる状況を扱った作品(『伯母捨』)なのであって、役者として「老年の初心」を経て初めて到達できる境地と、そうした「老い」を主題とした演目との間に深い関りが存在することは、そうした作品の最高の上演に幾度か接すれば自ずと得心されるものであろう。

 私はこのことを単なる一般論として述べているのではなく、香川靖嗣師が演じた『伯母捨』(2013年4月6日)、『檜垣』(2019年9月14日)の老女物二曲に加え、老人の物狂いの能である『木賊』(2015年4月4日)、或いは老体の修羅能『実盛』(2010年4月3日)、更には「卑賎物」と呼ばれる罪業により地獄に落ちた老人の苦患を扱った「阿漕」(2000年6月10日)、「綾鼓」(2008年11月23日)、そして、それらとは全く異質であり、能にして能にあらずと言われるように、実際には「舞台芸術」ではなく「祭祀」そのものである『翁』(2003年1月5日)といった圧倒的な名演の数々を幸運にも拝見できたという具体的な経験に基づいて記していることを特に強調しておきたい。そうした観能の経験もまた、私がそうとは気づかずに断続的に行ってきた「老い」についての思考の枢要な導き手であったことを今、改めて認識し、そうした上演に立ち会うことができた僥倖に感謝せずにはいられない。ここでは「死」とは異なる「老い」の固有性が、そのマイナス面も含めて決して否定的に扱われることなく、だがそこから目を背けることもなく、真っ向から取り上げられているのである。

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 であるとするならば、要するに求められているのは、藤原辰史先生が『分解の哲学』において遂行したように「分解」「腐敗」を正面から取り上げること、そしてその顰に倣いつつ、だが、こと「老い」を扱うのであれば、『分解の哲学』が謂わば「死の向こう側」における「分解」に目を背けることなく取り上げたのに呼応して、「死の手間」における「分解」を取り上げることなのだと考える。

 『分解の哲学』第5章でも指摘されていることだが、分解者という捉え方は、そういう捉え方をすることで色々なものが見えてくる点で極めて生産的ではあるが、厳密に定義しようとすると、どこかで輪郭がぼやけてしまって、必ずしも安定的な概念ではない。それでも敢えて私なりの立ち位置から定位しようとすると、第一義的にはそれは(ジャンケレヴィッチではないですが)「死の向こう側」ということになるように思う。「死」自体も、近年、研究と医療とかの現場の問題の両方の水準で、その定義が問題になっているように決して自明なものではないのだろうが、その点は一先ず措いて、それでも「死」は誰にとっても明らかな障壁であり、それがゆえにその向こう側、「死」の後で起きることについてはなかなか思いが及ばないところを「分解」の視点は探り当てているのだと思う。

 同じく第5章には生態学に経済学的な概念が密輸されているという指摘があり、これは首肯できる。私が結局生態学ではなく哲学に向かった理由とも関わるのだが、「生産」と「消費」という切り口では見えないものに拘りたくて、「分解」という視点がそれを開示していることを心強く感じる一方で、分解が生態系のシステムの中で新たな「生産」に繋がっていく循環の重要な側面であるという捉え方は(そこにある違いを無視すべきではないとはいえ)、ヨハネ伝の「一粒の麦」がそうであるような、「死」が新たな「生」に繋がるという考え方、或いは個体の死は種としての存続のいわば「応酬」であるという捉え方と同じく、それ自体は全く妥当でありながら、結局のところ、そこで「きえさる」もの、「死の手前」にあった「個」を別の水準に回収するということに通じているように感じるのである。

 勿論それは目を背けたくなったとてなくなるわけではない厳然たる事実であり、だからこそ「メメント・モリ」であり、『分解の哲学』でも「九相図」への言及が為されているのだろう。その一方で「分解」は「生」のプロセスの最中にも埋め込まれているという捉え方も可能で、例えば『分解の哲学』でも参照されている昆虫の変態はそのモデルの一つ(まさにスクラップ・アンド・ビルド)なのだと思うが、他方でこれは(そこの記述がそうなっているように)「死」もまた「生」の中に埋まっていう見方に通じ、プロセス時間論などでの「自己超越=死」と「生成」がリズムを刻むという不連続的・エポック的な時間把握にも通じるように思うし、生物学的な水準では、個々の細胞は死んで新しいものに置き換わることで個体レベルの生が成り立っているという見方(岩崎秀雄先生の指摘される、種/個体のレベルでの生/死の対立の一つ下の階層で、個体/細胞のレベルで生/死が対立しているという、生と死を巡っての階層的・再帰的な構造を思い浮かべるべきだろう)に通じると思う。

 そうしたことを考えながら、ふと感じたことは、「分解」を「生」の最中ではなく、文字通り「死の手前」に置いてみることができないのか、ということであった。これは物凄く卑近なレベルに単純化してしまえば「老い」「老化」を「分解の哲学」の中で扱うことができないだろうかということである。

 『分解の哲学』でも取り上げられているチャペックは若くして逝去したからか、「老い」を扱っていないように思われる。例えば『マクロプーロスの処方箋』では、現在なら特異点論者のトピックである「不死」を扱っているが、そこでは「永遠の生」への懐疑はあっても「老い」は正面から扱われていないように感じる。寧ろ「不死」は「不老」でもあって、これは特異点論者の論点でもあるし、それが依拠している今日の「不死化」の研究のアプローチでもあって「老いを防ぐこと=死なないこと」となっているように見える。他方、上述の「個」というものにフォーカスするならば、「死」の手前には、事実上「生」の一部として、「自伝的自己」の崩壊・分解としての認知症があり、これは喫緊の社会問題でもあり、個人にとっても多くの場合、他人事ではなく最初は二人称的・三人称的に、最後には、もしかしたら一人称的にも直面せざるを得ない身近な問題でもあろう。それ故に「老い」には直結しない「分解」として、外傷的な損傷や精神疾患もあるが、それらよりも「死の手前」に存在する「分解」として「老い」を取り上げる方が一層興味深く思われるのであろうか。

(2022.12.7-8 公開, 2023.3.16改稿)

備忘:マーラーの音楽における「老い」についての論考に向けての準備作業(2)

  「老い」について語られることは、「死」について語られることの多いのに比べて余りに少なく、仮に語られても、それは「死」との関りにおいてのみ論じられることが常であるように感じられる。だが、ジュリアン・ジェインズの言う「二分心」崩壊以降、ダマシオの言う延長意識が立ち上がると「自伝的自己」が確立され、生涯に亘って維持されるようになったのだが、逆にそうなってみると生物学的な「死」の手前に、その前駆としてではない「自伝的自己」の消滅が、「老い」によってもたらされることになった。ダマシオの記述を参照するならば、認知症の代表的な原因であるアルツハイマー病では「初期では記憶喪失が支配的で、意識は完全だが、この破壊的な病が進むと、しばしば進行的な意識低下が見られる。(…)この意識低下はまず延長意識に影響し、事実上、自伝的自己の様相がすっかり消えてしまうまで延長意識の範囲を徐々に狭めていく。そして最終的には中核意識も低下し、もはや単純な自己感さえなくなる。」(ダマシオ『無意識の脳 自己意識の脳』, 田中三郎訳, 2003, 講談社, p.138)

 ジャンケレヴィッチの『死』は死そのものと同様、その手前と向こう側についても延々と語っており、その中で勿論「老い」についても「死の手前」の中の一つとして論じている(ジャンケレヴィッチ『死』, 仲澤紀雄訳, みすず書房, 1978, 第1部 死のこちら側の死, 第4章 老化)が、無い物ねだりとは言い乍ら、やはり「老い」そのものについて論じているとは言い難い。勿論こうした次元での「老い」は直接には「現象から身を退く」ことをその定義とする「後期様式」とは無関係であるということになろうけれど、こうした次元の「老い」と切り離してそれらを論じることは、こちらはこちらでもともとのゲーテの言葉を軽んじていることになるのではなかろうか。(その後、ジャンケレヴィッチの『死』における「老化」の章の検討と、その結果を踏まえた『大地の歌』への言及についての検討結果の備忘を纏めて公開した。備忘:ジャンケレヴィッチ『死』における「老化」と『大地の歌』への言及について(2023.2.3更新)を参照されたい。)

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 「老い」についての大著というと、邦訳で上下巻、二段組で700ページにもなるボーヴォワールの『老い』(朝吹三吉訳, 人文書院, 1972)があって、膨大な資料を渉猟し、その記述は多面的で、生理的側面、心理的側面、社会的側面の全てに亘り、客観的・対象的な了解と主観的・体験的な了解の両方を扱っており、かつそれらそれぞれの面のいずれについても充実したものだが、余りに経験的な次元に限定されている感じもある。一方でその限りにおいて、作家や学者に比べて芸術家(画家と音楽化)の晩年についての評価は高いのだが、その理由が特殊な技能を習得することから習熟に時間を要するという稍々皮相な指摘に留まっている。

 「このように彼ら(=音楽家:引用者注)が上昇線をたどるのは、音楽家が服さなねばならない拘束の厳しさによる、と私は解釈している。音楽家は自分の独創性を発揮するには高度の熟達がなければならず、これを獲得するには長い時間が必要なのである。」(邦訳下巻, p.479)

 何よりも「老い」が単なる「長い時間」と同一視されていて、「老い」の固有性が顧慮されていない点が致命的に感じられ、これではゲーテの「現象から身を退く」に基づくジンメルやアドルノの議論との間尺がそもそも合いようがない。ボーヴォワールが「老い」というものが様々なレベルで複合的に決定されているものであるが故に明確に定義することが困難であることを認識した上で、「老い」というものの固有性について理解しているだけに、個別の例における上記のような評価は寧ろ腑に落ちない感もある。

(2022.12.7-8 公開, 2023.3.16改稿)

2023年3月15日水曜日

備忘:マーラーの音楽における「老い」についての論考に向けての準備作業 (1)

  かつて私は、その年齢相応の仕方ではあったが「老い」について幾つかの対象を媒介にして考えたことがあった。それは生物学的・生理的な老いそのものではなく、アドルノとは別の仕方によって「後期様式」とは別の選択肢に辿り着くというような認識の様態を巡ってであった。

 それらの起点はと言えば、或る日自分に訪れた「折り返し点」の感覚ではなかったか?この折り返し点という感覚は、様々な「老い」についてのドキュメントのアンソロジーでもあるボーヴォワールの『老い』の中でしばしば現れるから、その時にそう思って以下にも書き付けた通り(そしてその時には、ダンテの「新曲」の冒頭が思い浮かんだのだったが)、それは普遍的な感覚なのだろう。そしてその時には気づかなかったけれど、つまるところこれは「老い」についての自己認識だったのだろう。ボーヴォワールの『老い』の第五章は「老いの発見の受容―身体の経験ー」と題されているが、そこには、ルウ・アンドレアス=サロメが病気のあろで髪の毛がたくさん脱けたのをきっかけに、「それまで自分に「年齢がない」と感じていたのだが、そのとき彼女は自分が「梯子の悪い側」(下り坂)に差しかかかったのを認めたと告白している。」(ボーヴォワール『老い』(上), 人文書院, 1972, 下巻, p.338)というくだりがある。ボーヴォワールはこのケースを急激な変化が老いの自覚を促すケースとして挙げているのだが、私の場合には、病などの急激な変化がきっかけという訳ではなく、寧ろ、同じ章の冒頭のボーヴォワール自身の回想である「早くも四〇歳のとき、鏡の前に立ちつくして、「私は四〇歳なのだ」と自分に向かってつぶやいたとき、私はとうてい信じられなかった。」(同書下巻, p.333)というのに寧ろ近いのだろう。だがしかし、そもそも私の老いの自覚は身体の経験に根差したものではなかったのだ。したがってそれよりも寧ろ、同じ『老い』の中にボーヴォワールが参照するダンテの『饗宴』における老いについての考察―「彼(ダンテ:引用者注)は人生の道を、大地から天に昇って頂点に達し、そこからふたたび加下降する弧に比較している。天頂の位置は三十五歳である。それから人間はゆっくりと衰えてゆく。四十五歳から七〇歳までが、老年の時期である。」(同書上巻, p.264)を確認した時(かつての「折り返し点」に事後的に気づいた私は『饗宴』の方は知らなかった訳だが)、それが自分のその時の認識の在り方に即したものであったことに驚き、更にその時の私が他ならぬダンテの『新曲』の冒頭を思い浮かべたことの方にもまた、今頃になって驚いたのであった。

Nel mezzo del cammin di nostra vita
Mi ritrovai per una selva oscura,
Ché la diritta via era smarrita.

人生の半ば、私は暗い森のただなかにいた。
有徳の正道は、もはや見失われて。(ダンテ『神曲』)

 まさにそのような感覚を持つ。多分それは普遍的な感覚なのだ。生きる力と衰えの均衡点に居ることの齎す停滞感なのではないか。

 人生の半ばを過ぎたことは確かだ。書き留めておくべきであったかも知れないが、今から1,2年程前のある時期に、はっきりとそのような感覚を持った。 そして、自分には何も残すものはなさそうであること、未だ「神の衣」を織ることあたわず、夢のまま終わるのかもしれないという漠とした感覚。 実際には、そうあっさりと思い切れるものでもない。だってまだ半分残っているのだから。 けれども、それが「どこ」にあるのか、わからなくなっている。(「身辺雑記(1)」の冒頭部分)

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 『狭き門』のアリサにおける「老い」。アリサとジェロームの関係における「老い」。相転移の向こう側。不可逆性(「もうページはめくられてしまった」)。不連続性。その移行のプロセスに注目すること。事後的に気づくのか?「老い」はアリサの側にあって、ジェロームにはない。だが、最後の場面における「年を経た=齢をとった」ジェロームにはないか?ジュリエットにはないか?

 アリサはもう、後には引き返さない。迷いはあるし、絶ち難い心の動きはあるけれど、 それらを寧ろ利用して反発力を得るかのように、パスカルを捨て、ピアノの練習を捨て、遂には家を出てしまうに至る。「私は年老いたのだ。」という 第8章のアリサの決定的なことばの重みは、一見するとそのように読めるにも関わらず、そしてその時のジェロームがまさにそう誤解してしまったように、 その場を取り繕ったことばであるわけではない。この言葉は、誰よりもアリサ自身にとって、ありのままの風景、展望であったろう。 彼女は相転移の向こう側の領域にいるのだ。だからジェロームの見ているのは、文字通り「幻」なのである。

 裏返せば、アリサは初めから相転移の「向こう側」に居たわけではない。「私は年老いたのだ。」という言葉を文字通りに受け止めるとどうなるか。 まず年老いる、とは以前のようではない、以前とは変わってしまった、相転移が生じて、 以前とは別の相に既にいるのだ、ということに他ならない。アリサの日記は、その異なる相から響いてくるのだ。アリサはある一線を越えてしまった。ヴァルザーの描く、 ブレンターノが入っていったというあの門が思い浮かぶ。(それはカトリックへの帰依に関するものだったから、寧ろ10年後の「田園交響楽」のジェルトリュードに こそ相応しかったのかも知れないが。)

 勿論、アリサもまた、正統的なキリスト教の教義からすれば、逸脱した恣意的な理解に陥っているのだろう。 ジッドはニーチェをプロテスタンティズムの極限点と見做していたらしいが、ニーチェの歩みをアリサの歩みと類比的に見る見方(山内義雄が紹介している)は 必ずしも的外れではないと感じられる。極限点は、向こう側なのだ。ただしそこでは何も許されない。「狭き門」はそれ自身閉ざされる。二人で通れないのではない。 門は常に、その人のものだ(ここからカフカの「掟の門前」に、そして「審判」に補助線を引くことができるだろう)。門をアリサは自ら閉ざした、という人がいても 不思議はない。

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 ヴァルザーがブレンターノを主人公にして書いた散文にあらわれるあの薄暗い大きな門、その向こう側には沈黙が広がる、相転移の地点のほんの手前についての思考、それは「掟の門前」(カフカ)や「狭き門」(アリサの「老い」)とどう関わるのか?門の通過。クリプトへの下降。ランプ。扉。待機。仮面をつけた一人の男。カトリック…

Ein Jahr oder auch zwei Jahre vergehen. Er mag nicht mehr leben, und so entschließt er sich denn, sich selber gleichsam das Leben, das ihm lästig ist, zu nehmen, und er begibt sich dorthin, wo er weiß, daß sich eine tiefe Höhle befindet. Freilich schaudert er davor zurück, hinunterzugehen, aber er besinnt sich mit einer Art von Entzücken, daß er nichts mehr zu hoffen hat, und daß es für ihn keinen Besitz und keine Sehnsucht, etwas zu besitzen, mehr gibt, und er tritt durch das finstere große Tor und steigt Stufe um Stufe hinunter, immer tiefer, ihm ist nach den ersten Schritten, als wandere er schon tagelang, und kommt endlich unten, ganz zu unterst, in der stillen kühlen tiefverborgenen Gruft an. Eine Lampe brennt hier, und Brentano klopft an eine Türe. Hier muß er lange, lange warten, bis endlich, nach so langer, langer Zeit des Harrens und Bangens, ihm der Bescheid und der grausige Befehl erteilt wird, einzutreten, und er tritt mit einer Schüchternheit, die ihn an seine Kindheit erinnert, ein, und da steht er vor einem Mann, und dieser Mann, dessen Gesicht mit einer Maske verhüllt ist, ersucht ihn schroff, ihm zu folgen. »Du willst ein Diener der katholischen Kirche werden? Hier durch geht es.« So spricht die düstere Gestalt. Und von da an weiß man nichts mehr von Brentano. (Robert Walser, Brentano)

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 老いと断念・断筆。

 デュパルクの断筆。

 デュパルクのことを考えていて、ふとアルヴォ・ペルトが修道僧に会った時のエピソードを想い出した。ペルトは祈りのために音楽を書いていると言ったのに対し、修道僧は、祈りのことばはもう用意されているから新たに何も付け加えることはない、と言ったらしい。だがペルトは作品を書くことを止めなかった。私はその話を読んだときにペルトの態度の方を不可解に感じたのだった。そう、デュパルクの態度の方が遥かに一貫していないだろうか?もっとも、あえてそうしたエピソードを明かしたからにはペルトは多分答えを持っているのだろうが。だが、私思うに件の修道僧はそのペルトの答えを決して認めないだろう。もう一つ。ジッドの「狭き門」で、アリサがパスカルを批判する件がある。数学者をやめたことを惜しむどころか、「パンセ」を遺したことすら問いに付されうる、というわけだ。「私は年をとってしまった」というアリサのジェロームへの言葉の意味は、要するに相転移の臨界のこちら側に来てしまった、という意味なのではないか。「ルサルカ」を破棄したデュパルクと同じ側にいる、ということなのではないか。)

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 後に何も残さないこと。シベリウスの沈黙。密かに為されたアウト・ダ・フェ。

 シベリウスは主観を(もっと言えばそれ自体啓蒙の産物たる「人間」を)超えたところにノモスのあることを確信していたに違いない(もう一度、ヘルシンキでのマーラーとの有名な対話を思い起こせばよい)が、しかしそのノモスを己の音楽の素材とは考えることができなかった。そのノモスに忠実であろうとするあまりに、曲を組み立てる恣意、手癖のように入り込む己の主観の働きに苛立つようになったのではないだろうか?

 シベリウスの沈黙は、ある種の完璧主義、強すぎる自己批判のなせる業だと考えられているようだし、第8交響曲に対するプレッシャーや戦乱、はたまた国家から終身年金が保証されたことによる経済的安定に至るまで、外面的な理由は様々に考えられているようで、それぞれその通りなのかもしれないが、晩年の音楽を聴くと外面的な理由以前に、音楽自体のうちに沈黙に至る方向性があるように感じられてならないのだ。

 それ故、第6交響曲、第7交響曲、そしてタピオラという3作品については、沈黙ではなく、撤回でもなく、作品が公表され、遺されたことを感謝すべきなのであろう。それらはある種の臨界の音楽、一歩間違えれば作品のかわりに沈黙が残されただけかも知れないような相転移の領域の音楽なのだと思う。シベリウスの歩みが止まるのが作品番号にして100を超える作品を産み出した後であって、その途上や、その出発点でなかったことは色々な意味で幸いなことだったのではなかろうか。それがペルトの言う、「偉大な芸術家にとって、もう芸術を創造しようとしたり、創造したりする必要のないとき」を迎えたという一例なのかどうかはわからない。そもそもシベリウスの音楽は、狭義では宗教的なものではない。典礼的な意味合いでの祈祷の音楽ではない。だが私には、その音楽の辿った沈黙への道筋、森の中へ消えていく足跡の方が、ペルトが選び取った貧しさ(ティンティナブリ)による祈りの形をした音楽の産出(それは本当に無名性を目指しているだろうか?)よりも、ペルトが会ったというあの修道僧の言葉に忠実ではなかったかと思えるのだ。

* * *

 これらはその時期の私なりの「老い」についての思考であった。それは実は最初から「老い」に、アルフレッド・シュッツの指摘をうけてより正確に言うならば、「老い」ていくという事実よりもより多く「老いの意識」に関わっていたし、今よりのち、ますますそうなっていくのだということを自覚せざるを得なくなったのである。(老いの経験と老いの意識の区別については、シュッツ『社会的世界の意味構成』の第2章 自己自身の持続のおける有意味的な体験の構成 を参照のこと。邦訳:佐藤嘉一訳, 木鐸社, 1982, p.63参照。なおシュッツについては後程、更に触れることになるだろう。)

 かつては寧ろ、相転移の向こう側の沈黙の方にフォーカスしていたので、恐らくはその手間に位置づけられる「後期様式」についての思考との両方を「老い」を媒介とした一つのパースペクティブの下で捉えるという発想を持つことはなかったのだが、今やそれにこそ取り組むべきなのだと感じている。そのことはパスカルに関して数学者をやめたことを惜しむのか、「沈黙」の替わりに『パンセ』を遺したことすら問いに付すのかとの間の二者択一を意味しない。寧ろ相転移の向こう側でなお、何が可能なのかが問われているのかも知れない。更に言えば「老い」の意識は暦年に基づく年齢とも生理的な年齢とも関わりなく、寧ろ病とか身体的な衰えや、そうしたことに媒介された死への意識とともに主体に到来するものなのだろうが、さりとて暦年に基づく年齢や生理的な年齢に伴う老化自体を無視することなど出来はすまい。

備忘:マーラーの音楽における「老い」についての論考に向けての準備作業 (0)

 今やマーラーと「老い」について、マーラーにおける「老い」について、必ずしもアドルノのようではなく自分なりの認識を整理することに向かうべきなのだと感じている。ゲーテはそれを「現象から身を退く」と定義したのだったが、アドルノはジンメルのゲーテ理解を受け継ぐような形で「現象から身を退く」点を重視して「後期様式」を、マーラー、シェーンベルク、ベートーヴェンといった具体的な作曲家を対象として論じている。

* * *

 ゲーテ=ジンメルにおける「老年」。特に重視すべきは「無限」との関わりだろう。人間以外には「無限」を認識できる生き物はいない。

 手始めにジンメルのゲーテ論(邦訳:ジムメル『ゲーテ』, 木村謹治訳, 1949, 桜井書店)の中で「後期様式」に関連する箇所の同定をしておこう。

第8章 発展 p.383~384

「青年期にあつては主観的無形式は、歴史的乃至理念的に豫存する形式内に収容さるゝ必要がある。主観的無形式は此の形式に依って一客観相たるべく発展されるのである。けれども、老齢に於ては、偉大な創造的人物は―予は茲で勿論純粋の原理、理想に就いて述べるが―自己内に、自己自らに形式を具へてゐる。即ち、今や<絶対に彼自らのものである形式>を所有する。彼の主観は、時間空間に於ける規定が内外共に我々に添加する一切を無視すると共に、謂はゞ彼の主観性を離脱し了つたのである。-即ち、已に述べたゲーテの老齢の定義にいふ「現象からの漸次の退去」である。」

In ihr bedarf die subjektivische Formlosigkeit der Aufnahme in eine historisch oder ideell vorbestehende Form, durch die sie zugunsten einer Objektivität entwickelt wird. Im Alter aber hat der große gestaltende Mensch – ich spreche hier natürlich von dem reinen Prinzip und Ideal – die Form in sich und an sich, die Form, die jetzt schlechthin nur seine eigene ist; mit der Vergleichgültigung alles dessen, was die Bestimmtheiten in Zeit und Raum uns innerlich und äußerlich anhängen, hat sein Subjekt sozusagen seine Subjektivität abgestreift – das »stufenweise Zurücktreten aus der Erscheinung«, Goethes schon einmal angeführte Definition des Alters.

ここで「已に述べた」とあるので、前で言及がある筈。どこか?

第6章 釈明と克服 p.277

「ゲーテは曾て言ふ、「老齢とは一段一段現象から退去する謂である」と。―而して此の言葉は、本質が外皮を剥落するとも解し得るし、同様に本質が一切のあかるみから究極の秘密へ退去するとも解釈し得る。」

»Alter«, sagt Goethe einmal, »ist stufenweises Zurücktreten aus der Erscheinung« – und das kann ebenso bedeuten, daß das Wesen die Hülle fallen läßt, wie daß es sich aus allem Offenbarsein in ein letztes Geheimnis zurückzieht;

(2022.12.7-8 公開, 2023.3.16改稿)


MIDIファイルを用いたデータ分析について(2021.12.23報告メモ, 2023.3.15改訂・補記)

1.これまでに実施・公開してきた音楽関係のデータ分析の概観

  • 最初の動機は「五度圏上の和声的重心の遷移の把握・図示」

  • 「新調性主義作品」と密接に関連

  • 三輪さんからのアドバイスでMIDIファイルの活用へ


※「新調性主義」については、三輪眞弘「《虹機械》作曲ノート」(三輪眞弘, 『三輪眞弘音楽藝術 全思考 一九九八-二〇一〇』, アルテスパブリッシング, 2010所収)および拙稿「新調性主義」を巡っての断想を参照。


  • MIDIファイルからの情報抽出プログラムを自作(C言語)

  • 過去に統計分析言語の使用経験があるので片手間で取り組んできた(R言語)

  • MIDIファイル解析・集計・分析をマーラーの作品を対象として実施

(参考)MIDIファイルを入力とした分析:データから見たマーラーの作品 これまでの作業の時系列に沿った概観


2.データ分析の動機・理由づけについて


  • 自分を惹きつける音楽の性質を客観的で検証可能な仕方で把握したい。

  • 自分を惹きつける音楽の特徴を図示(darstellen)したい。

  • 音楽を語るための自然言語とは異なる手段が欲しい。(言語に優越した手段ではない。良くも悪くも認識様式を強く拘束している言語とは別の手段を自分で作りたい(nachkomponieren)。)

  • 音楽についての自然言語による言説 (beschwören) に対する客観的な検証手段が欲しい。


※ beschwören / nachkomponieren / darstellen については、岡田暁生「「話したい人」と「見せたい人」と「やってみたい人」と―人文工学としてのアートの可能性を考える」(京都大学人文科学研究所共同研究プロジェクト「「システム内存在としての世界」についてのアートを媒介とする文理融合的研究」, 第1回研究会,  2019年4月7日)に基づく。


3.データ分析結果の公開に拘る理由


  • 音楽作品についてのデータ分析にはそれなりの歴史と蓄積があるようだが、自分が知りたいと思ったことの分析が既に実施されていることの確認はできていない。

  • 音楽情報処理は、対象となる音楽そのものについての研究ではなく、音楽を対象とした情報処理の手法についての研究なので、そもそも関心がずれている。

  • 先行事例がなければ自分でやってみる(nachkomponieren)。自分ができる手段で(ブリコラージュ)、自分なりの貢献をすることで、自分に到来し、自分を形成した他者への応答としたい。


4.本日の報告対象:和声出現頻度と長短三和音の交替を位置づけ

  • 音楽の構造の中でも和音の種類や変化に注目。音楽の全体を対象としていないことは前提。

  • 最初の一歩。自分が既にやったことのある方法でできる範囲で。

  • 最終的には調的な遷移の特徴を捉えたい。(cf.三輪さんの「新調性主義」)

  • 最初の第一歩として、簡単にできるところから…

  • 和声出現頻度:状態遷移を捨象した量だけでわかることは?

  • 長短三和音の交替:一番簡単に扱える調的な変化として


5.関連する話題(分析のスコープは遥かに限定的なので部分的にしか一致しない)


  • アドルノ他の指摘をデータから裏付けることができるか?

  • 創作時期による変化をデータ上の変化で確認できるか?

  • 発展的調性をデータから特徴づけることができるか?

  • 古典的なパラダイムからの「逸脱」がデータから読み取れるか?

  • ドミナントシステムの代替パラダイムの手がかりが具体的に得られないか?


6.データ分析の限界


  • 本当は個別性に辿り着きたい(ロラン・バルト「個別的なものの学」mathesis singularis)。

  • アドルノのいう「唯名論的」な在り方にどうアプローチできる?

  • 統計的には例外になってしまうものに価値がある筈。

  • 一方で客観的で検証可能な手法でアプローチしたい。

  • 分析を実施する環境上の特性

  • MIDIファイルの質

  • 個人のDTMの蓄積であり、分析目的で作成されたわけではない。

  • MIDIキーボードの演奏の記録だと拍の単位や小節の区切りの情報の正確さ、音のずれなどが生じてしまい、分析上は精度に問題が生じる

  • MIDIファイルの量

  • 作品数は少ないがMIDIファイル化は進んでいる。(交響曲は第10交響曲クック版も含め全て。歌曲は管弦楽伴奏があるものはかなりMIDI化されているが、ピアノ伴奏版しかない初期作品はほとんど行われていない。嘆きの歌のMIDI化も行われていない。)

  • 一つの作品に対して、複数のMIDI化が行われているケースも。(第1交響曲、第5交響曲等が多い。)


7.分析内容の紹介(インフォーマルな説明)


  • 分析対象 

  • 作品間の比較:創作時期・マーラーの交響曲の区分(角笛交響曲…)

  • 他の作曲家との比較:時代区分

  • 析単位

  • MIDIファイル毎(概ね楽章単位だが稀に作品全体や楽章の一部の場合もあり)

  • 作品単位(特徴量の平均の計算が必要:平均の仕方に選択肢あり)

  • 作品群単位(特徴量の平均の計算が必要:平均の仕方に選択肢あり)

  • 分析対象の特徴量

  • 拍毎に和音をサンプリング(小節拍頭でのサンプリングも実施)

  • 対象となる和音:単音・重音含む・全ての和音を対象としていない

  • 20種類程度の主要な和音

1:単音(mon)、3 :五度(dy:5)、5 :長二度(dy:+2)、9 :短三度(dy:-3)、17 :長三度(dy:+3)、33 :短二度(dy:-2)、65 :増四度(dy:aug4)、25 :短三和音(min3)、19 :長三和音(maj3)、77 :属七和音(dom7)、93 :属九和音(dom9)、27 :付加六(add6)、69 :イタリアの増六(aug6it)、73 :減三和音(dim3) 、273:増三和音(aug3)、51 :長七和音(maj7)、153 :トリスタン和音(tristan)、325 :フランスの増六(aug6fr)、585 :減三+減七、89 :減三+短七、275 :増三+長七、281 :短三+長七

  • 出現頻度の上位を占める和音(対象に依存)

  • 分析手法:

    • 階層クラスタ分析

    • 非階層クラスタ分析

    • 主成分分析(因子分析)

  • 結果の表示方法:darstellenの方法

    • 箱ひげ図

    • デンドログラム

    • 主成分平面へのプロット

    • 主成分得点・負荷量のグラフ


8.分析で何がわかったか?


和音出現頻度や長短三和音の交替といった、音楽学的見地からすれば粗雑な特徴量で   も作品についての一定の特徴が抽出できていると考える。以下にその一部を示す。


  • 他の作曲家に対するマーラーの特徴づけが、2つの軸の組み合わせでできた。

  • (1)古典派との比較は最も優越した成分で行え、古典派的な機能和声によるドミナントシステムとはやや異なった調的システムの機能がより優位であり、それが付加六の優越ということに繋がっていそうである。(2)概ね世代を同じくする作曲家との区別については別の成分において行え、ここでは3和音・4和音が優位なマーラーに対して、そうではない近現代の他の作曲家との区別が可能に見える。




  • マーラーの作品内での区分については、これまでの分析結果や諸家の分類を本に区分を設定し直したが、和声の出現頻度との関わりがないとは言えないまでもきれいな対応は得られなかった。




  • その一方で、長調・短調の対比の原理とそれとは別の原理の2つが併存・拮抗するという傾向が確認できた。

  • マーラーの作品創作の展開のプロセスは、第1交響曲を出発点として、一旦、角笛交響曲(第2~第4交響曲で)長・短調のコントラストの原理に基づいた後、長・短調のコントラストとは別の原理が登場して拮抗するようになった後、前者が放棄されて後者が優位に立つというものになるだろう。




(参考)MIDIファイルを入力とした分析:和音の出現頻度から見たマーラー作品(その7:交響曲分類の再分析 1.再分析の方針と結果の要約)

MIDIファイルを入力とした分析:和音の出現頻度から見たマーラー作品(その8:他の作曲家との比較の再分析 1.再分析の方針と結果の要約)



9.今後の課題:5.関連する話題の節に記載の論点へのアプローチを継続


  • 更なる統計分析:集計済データで未活用なものを用いた分析

  • 未分析の和音の解消

  • 転回形を区別した分析

  • クラムハンスルの調性推定を用いた調的中心の遷移データの利用

  • 長調・短調の主和音の交替に注目した分析

  • 機械学習の調査・活用:Google Magentaを用いた調査に既に着手済

  • 汎化・学習よりも記憶装置として捉えて、その能力を分析する方が違和感がない。

  • ーラーもどきの楽曲生成には興味がない(原理的な限界が見えている)。

  • 寧ろプロトタイプのようなものの抽出をしたい(cf. 『分離抽出物N次体』in スタニスワフ・レム「ビット文学の歴史」)

  • 未完成作品の補筆完成:AIによる補作の可能性と限界の検討:(参考)スタニスワフ・レム「ビット文学の歴史」(『虚数』所収, 長谷見一雄・沼野充義・西成彦訳, 国書刊行会, 1998)


参考文献


三輪眞弘,「《虹機械》作曲ノート」(三輪眞弘, 『三輪眞弘音楽藝術 全思考 一九九八-二〇一〇』, アルテスパブリッシング, 2010所収)

岡田暁生,「「話したい人」と「見せたい人」と「やってみたい人」と―人文工学としてのアートの可能性を考える」(京都大学人文科学研究所共同研究プロジェクト「「システム内存在としての世界」についてのアートを媒介とする文理融合的研究」, 第1回研究会,  2019年4月7日)


1.音楽情報処理関連


S. ケルシュ, 音楽と脳科学, 佐藤正之編訳, 2016, 北大路書房

ボブ・スナイダー, 音楽と記憶, 須藤貢明, 杵鞭広美訳, 2003, 音楽之友社

リタ・アイエロ編, 音楽の認知心理学, 大串健吾編訳, 1996, 誠信書房

柴田南雄, 音楽の骸骨のはなし, 1977, 音楽之友社

Walter B. Hewlett, Elenanor Seldridge-Field, Edmund Conrreia, Jr.(Eds.), Tonal Theory for the Digital Age, Computing in Musicology 15 (2007-08), 2007, Center for Computer Assisted  Research in the Humanities, Stanford University

Stephan M. Schwanauer, David A. Levitt, Machine Models of Music, 1993, MIT Press

Fred Lerdahl, Tonal Pitch Space, 2001, Oxford University Press

Dmitri Tymoczko, The Generalized Tonnetz, 2012, Journal of Music Theory, 56.1. Spring 2012

Carol L. Krumhansl, Cognitive Foundations of Musical Pitch, 1990, Oxford University Press

Dmitri Tymoczko, A Geometry of Music, 2011, Oxford University Press

Eliane Chew, Towards a Mathematical Model of Tonality, 2000, MIT 


2.マーラーの作品の分類関連


Graeme Alexander Downes, An Axial System of Tonality Applied to Progressive Tonality in the Works of Gustav Mahler and Nineteenth-Century Antecedents, 1994, University of Otago, Dunedin, New Zealand

Barford, Philip, Mahler Symphonies and Songs, (BBC Music Guides, 1970), University of Washington Press, 1971

Kennedy, Michael, Mahler (The Master Musicians), J.M.Dent, 1975

Redlich, Hans F., Bruckner and Mahler, J. M. Dent, 1955, rev. ed.,1963

Bekker, Paul, Gustav Mahlers Sinfonien, Schuster & Loeffler, 1-3 Tausend, 1921

Schreiber, Wolfgang, Gustav Mahler, Rowohlt Taschenbuch, 1971

Specht, Richard, Gustav Mahler, Schuster & Loeffler, 1-4 Auflage Mit 90 Bildern, 1913

石倉小三郎,『グスターフ・マーラー』, 音楽之友社, 1952

柴田南雄『 グスタフ・マーラー:現代音楽への道』, 岩波書店, 1984


3.音楽を対象とした機械学習関連


Nicolas Boulanger-Lewandowski, Yoshua Bengio, Pascal Vincent,  Modeling Temporal Dependencies in High-Dimensional Sequences Application to Polyphonic Music Generation and Transcription, 2012, Proceedings of the 19th International Conference on Machine Learning

Feymann Liang, et al. Automatic stylistic composition of Bach chorales with Deep LSTM, 2017, Proceedings of the 18th ISMIR Conference

Graham E. Poliner and Daniel R. W. Ellis, A Discriminative Model for Polyphonic Piano Transcription, 2007, EURASP Journal on Advances in Signal Processing

巣籠悠輔, 詳解ディープラーニング 第2版, 2019, マイナビ出版

斎藤 喜寛, Magentaで開発 AI作曲, 2021, オーム社

スタニスワフ・レム『虚数』, 長谷見一雄・沼野充義・西成彦訳, 1998, 国書刊行会,


4.関連記事


総論



分析結果報告

資料


[補記]上記は2021年12月23日に行った私的な発表「MIDIファイルを用いたデータ分析について」のために用意した報告メモに基づき、発表対象となったマーラーの作品分析の部分に限定の上、公開に必要な修正を施した上で公開するものです。発表の機会を与えて下さった三輪眞弘先生(情報科学芸術大学院大学教授)、御忙しい中、拙い発表を辛抱強く聴いて下さり、貴重なコメントを頂いた三輪先生、岡田暁生先生(京都大学人文科学研究所教授)、浅井佑太先生(お茶の水大学基幹研究院人文科学系助教)に遅ればせながら、この場を借りて御礼申し上げます。なお、当然のことながら、上記内容に関する文責は全て作成者である山崎与次兵衛にあります。(2023.3.15)