第1部:数理的基礎
1.1 五度圏埋め込みの定式化
本研究の全分析は、各拍頭(あるいは分析対象の時間単位)で鳴っているピッチクラス集合を、五度圏上の単位円周上の点として埋め込むことから出発する。ピッチクラス $p \in \mathbb{Z}_{12}$ を、五度圏上での配列順序に従って角度
$$\theta(p)=\frac{2\pi}{12}\,\operatorname{ord}_5(p)$$
に対応する単位ベクトル$v(p)=\bigl(\cos\theta(p),\sin\theta(p)\bigr)\in \mathbb{R}^2
$に写す($\mathrm{ord}_5(p)$ は五度圏上でのpの配列順位)。ある時間単位で活性化しているピッチクラス集合を $X \subseteq \mathbb{Z}_{12}$($|X|=n$)とするとき、その重心を
$$
c(X)
=
\frac{1}{n}
\sum_{p\in X} v(p)
$$
と定義する。以降の全指標(Avg_r、Tonal_Focus、Centroid_Dist、方向性指標群、および本稿で扱う三和音占有度・原点細分化指標)は、この$c(X)$ の軌跡・分布・統計量として構成されている。
重要な点として、五度圏上での配列順序 $\mathrm{ord}_5$ は、通常の半音階順序に対して「5を乗じる」という$\mathbb{Z}_{12}$上の自己同型(あるいは同値な7を用いた自己同型)に対応する。すなわち、半音階順に並んだピッチクラス $p$ を $5p \bmod 12$ に送る操作が、半音階順を五度圏順へと並べ替える操作そのものである。この事実が、次節で述べるDFTとの同値性の根拠になる。
1.2 DFT第5係数との同値性
ピッチクラス集合 $X$ の指示関数 $\mathbf{1}_X: \mathbb{Z}_{12} \to \{0,1\}$ に対して、標準的な離散フーリエ変換(DFT)係数を
$$ f_k(X) = \sum_{p \in \mathbb{Z}_{12}} \mathbf{1}_X(p)\, e^{-2\pi i kp/12} = \sum_{p \in X} e^{-2\pi i kp/12} \qquad (k = 0,1,\dots,11) $$
と定義する(Lewin 1959, 1987; Quinn 2006の「PCセットのフーリエ変換」の枠組み)。1.1節で述べた自己同型 $p \mapsto 5p$ により半音階順を五度圏順に並べ替える操作は、DFTにおいては周波数インデックスの並べ替え($k=1$ を $k=5$ に対応させる操作)に等しい。したがって、
$$ c(X) = \frac{1}{n}\, \overline{f_5(X)} \quad \text{(適切な回転・共役を除いて)} $$
という関係が成り立つ。すなわち**五度圏重心とは、正規化されたDFT第5係数(の複素共役、あるいは同値な$k=7$係数)に他ならない**。これは本研究独自の幾何学的発明ではなく、既存の音楽理論的フーリエ解析(Quinn 2006の「調的忠実度(diatonicity)」を測る係数)の一具体化である。この事実は、五度圏重心分析が恣意的な幾何学的選択ではなく、確立された形式的枠組みの中に位置づけられることを示す。
1.3 Lewin–Quinnの移調対称性定理と原点収束の完全な特徴づけ
DFT係数と移調対称性の間には、次の古典的定理が成り立つ(Lewin 1959; 一般形はQuinn 2006)。
定理(移調対称性とDFT係数の消滅):ピッチクラス集合 $X$ が、ある $t \in \{1,\dots,11\}$ について移調 $T_t$($T_t(X) = X$)で不変であるとき、
$$
f_k(X) = 0 \quad \text{for all } k \text{ such that } k \text{ is not a multiple of } \frac{12}{\gcd(12,t)}.
$$
この定理を $k=5$ の場合に適用すると、5と12が互いに素($\gcd(5,12)=1$)であることから、次の系が直ちに得られる。
系(f5の対称性盲目性):$\mathbb{Z}_{12}$上のいかなる非自明な巡回対称性(位数2・3・4・6のいずれについての回転対称性)を持つピッチクラス集合も、必ず $f_5(X)=0$、すなわち五度圏重心は原点に収束する。
これにより、本研究のコーパスで実際に原点収束が確認された和音種——増三和音(T4対称、位数3)、減七の和音(T3対称、位数4)、全音音階六和音(T2対称、位数6)、三全音ダイアド(T6対称、位数2)、フランスの六(T6対称、位数2)——が漏れなく、かつこれら以外の対称性クラスが存在しないことも含めて、完全に演繹的に説明される。個々の和音について経験的に「重心がゼロになる」ことを確認する必要はなく、上記の定理からアプリオリに保証される。
逆に、長三和音・短三和音・減三和音・属七・4度堆積和音のように非自明な巡回対称性を持たない和音種は、12種の移調がすべて相異なる点に写ることも同じ論理から保証される(対称性がなければ定理の前提を満たさないため、f5が消滅する理由がない)。
$f_5$の盲目性は、$f_1$と共有された性質である。 ここで注意すべき点がある。5が12と互いに素であるという性質は、$k=1$(半音階順に並べたDFT係数)にもそのまま当てはまる。すなわち、上記の対称和音(増三和音・減七・全音音階・三全音ダイアド・フランスの六)は、$f_5$だけでなく$f_1$においても等しくゼロになる。実際に数値で確認すると、これらの和音はいずれも$|f_1|=0$であり、これは偶然の一致ではなく、1もまた12と互いに素であることから同じ定理により保証される。
したがって正確には、「12と互いに素な添字を持つ係数(f1,f5、およびそれぞれの複素共役に相当するf11,f7)」は、ひとまとめにしてあらゆる非自明な回転対称性に対して盲目であり、これはf5固有の性質ではない。f1とf5の違いは「どの対称性を見逃すか」ではなく、見逃さずに残る非対称な情報を、どちらの幾何学的秩序(半音階の隣接関係か、五度圏上の隣接関係か)に沿って組織化するかという点にある。f1は半音階的なクラスター性を、f5は五度圏上の方向的偏り(調的忠実度)を、それぞれ検出する。
一方、12と非自明な公約数を持つ$f_2, f_3, f_4, f_6$は、$f_1, f_5$が盲目となる対称和音を相補的に検出する専用チャンネルとして機能する。定理における位数$d$($d=12/\gcd(12,t)$)と添字$k$の関係から、$d|k$を満たす場合にのみ非ゼロが許されるため、三全音ダイアド(位数2)は$k=2,4,6$のいずれでも非ゼロになりうる一方、増三和音(位数3)は$k=3,6$、減七(位数4)は$k=4$、全音音階(位数6)は$k=6$でのみ非ゼロになりうる。実際に数値で確認すると、この対応は次のように整理できる。
和音(対称性の位数) | f1 | f2 | f3 | f4 | f5 | f6 |
|---|
増三和音(位数3) | 0 | 0 | 3.00 | 0 | 0 | 3.00 |
減七(位数4) | 0 | 0 | 0 | 4.00 | 0 | 0 |
全音音階(位数6) | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 6.00 |
三全音ダイアド(位数2) | 0 | 2.00 | 0 | 2.00 | 0 | 2.00 |
長三和音(対称性なし) | 0.52 | 1.00 | 2.24 | 1.73 | 1.93 | 1.00 |
この表が示す通り、$f_2, f_3, f_4, f_6$の4係数は、それぞれ位数2・3・4・6の対称和音に特化した検出器であり(Quinn 2006–2007の枠組みでは、これらはそれぞれ「三全音的半音階性」「増三和音/六音性」「減七」「全音音階」の"prototype"に対応する)、$f_1, f_5$が共通して見逃す対称性を相補的に拾い上げている。したがって本節冒頭の系は、「$f_5$が特別だから原点収束が起こる」のではなく、「$f_5$は$f_1$と並んで対称性一般に盲目な係数の一つであり、たまたま本研究の分析目的(調的方向性の追跡)に適した幾何学的秩序(五度圏順)を採用しているにすぎない」という、より正確な位置づけに修正されるべきである。
1.4 補集合定理
DFTの線形性から、$X$ とその補集合 $X^c = \mathbb{Z}_{12}\setminus X$ について
$$
f_k(X) + f_k(X^c) = f_k(\mathbb{Z}_{12}) = 0 \qquad (k \neq 0)
$$
が常に成り立つ($\mathbb{Z}_{12}$全体、すなわち全12音の定数関数のDFTは、$k=0$を除いて恒等的にゼロになるため)。ゆえに
$$
f_5(X^c) = -f_5(X)
$$
であり、これを重心の言葉に翻訳すると、$n=|X|$、$m=|X^c|=12-n$ として
$$
c(X^c) = -\frac{n}{12-n}\, c(X)
$$
という関係式が得られる。すなわちある和音の重心と、その和音に含まれない残りの音全体の重心は、原点を挟んで正反対の方向にあり、その大きさは音数比 $n:(12-n)$ に反比例してスケールされる。1.3節の原点収束定理は、この一般定理において $c(X)=0$ となる特殊ケースに他ならない($c(X)=0 \Leftrightarrow c(X^c)=0$)。
1.5 音程クラス自己相関とDFT係数の大きさの関係(Wiener–Khinchinの定理の離散版)
1.3節の対称性定理は、$f_k(X)$がいつゼロになるかという消滅条件を扱うものだった。ここではこれとは異なる種類の関係——$|f_k(X)|$の大きさそのものが、ピッチクラス分布の内部にある音程構造からどのように決まるかを述べる。
一般に、ピッチクラス上の重み分布 $h:\mathbb{Z}_{12}\to\mathbb{R}_{\ge 0}$($h$は指示関数$\mathbf{1}_X$であってもよいし、頻度分布であってもよい)に対して、そのDFT係数を
$$
F_k(h) = \sum_{c\in\mathbb{Z}_{12}} h(c)\, e^{-2\pi i kc/12}
$$
とする。このとき、大きさの2乗は
$$
|F_k(h)|^2 = F_k(h)\,\overline{F_k(h)} = \sum_{c,c'} h(c)h(c')\, e^{-2\pi i k(c-c')/12}
$$
と書ける。ここで $t = c-c' \bmod 12$ とおき、$h$の自己相関関数
$$
A(t) = \sum_{c\in\mathbb{Z}_{12}} h(c)\,h(c-t \bmod 12)
$$
を定義する($A(t)$は、分布$h$の中で音程$t$だけ離れた2点がどれだけ共起しているかを表す)。$A(t)=A(-t)$($h$が実数値であることによる対称性)に注意すると、
$$
|F_k(h)|^2 = A(0) + 2\sum_{t=1}^{5} A(t)\cos\!\left(\frac{2\pi kt}{12}\right) + A(6)\cos(\pi k)
$$
という関係が成り立つ。すなわち$|F_k|^2$は、分布$h$の自己相関関数$A(t)$のコサイン変換に等しい(離散版Wiener–Khinchinの定理)。
古典的な音程クラスベクトルとの関係:$h=\mathbf{1}_X$($X$は通常のピッチクラスセット)の場合、$t\neq 0$に対する$A(t)$は、Forte以来の音程クラス理論における音程クラスベクトル(interval-class vector, ic-vector)の各成分と(定数倍を除いて)一致する。したがって上式は、「音程クラスベクトルが、すべての$k$についての$|F_k|$を完全に決定する」という、Fourier的ピッチクラスセット理論では既知の事実(Lewin, Quinn)の一般化にあたる。逆に言えば、同一の音程クラスベクトルを持つが移調・反転で重ならない2つの集合(いわゆるZ関係にある集合対)は、すべての$k$について$|F_k|$が完全に一致する——これは、音程クラスベクトルだけからは集合の同一性を再構成できないという、古典的なZ関係の存在の、Fourier理論的な説明でもある。。
係数$\cos(2\pi kt/12)$の意味:この式は、各音程クラス$t$が各モード$k$に対してどれだけ正または負に寄与するかを、$\cos(2\pi kt/12)$という重みで与えている。この係数が$+1$に近い音程ほど、その音程の出現頻度が高いほど当該モードの大きさを増大させ、$-1$に近いほど減少させる。$t$と$12$の最大公約数が$1$である場合($t=1,5,7,11$)、この係数を最大化する$k$($1\le k\le6$の範囲)は一意に定まる($t=1\to k=1$、$t=5\to k=5$)。一方、$\gcd(t,12)>1$である場合($t=2,3,4,6$)、複数の$k$が同時に係数$+1$を達成しうる(例:$t=4$は$k=3,6$の両方、$t=6$は$k=2,4,6$のすべて)。これは1.3節で述べた対称性定理における「位数$d=12/\gcd(12,t)$の対称性が$d\mid k$を満たす$k$すべてに影響する」という構造の裏側にあたる——対称性の高い音程ほど、単一のモードに還元できず複数のモードに同時に寄与する、という点で、1.3節の消滅条件と1.5節の大きさの条件は同じ数論的構造($\gcd(t,12)$あるいは$\gcd(d,12)$)を共有している。
なお、この自己相関$A(t)$は分布$h$全体(すべての点対)についての共起を数えるものであり、時系列データにおいて実際に観測される「隣接する事象間の遷移頻度」(例えば、旋律における隣接音間の音程クラス分布)とは、一般には異なる量である。両者が強く相関するのは、分布$h$自体が隣接遷移の蓄積によって形成される場合——すなわち、直前の状態のみに依存して次の状態が決まるマルコフ的な生成過程によって音高列が生成される場合——であり、この場合に限り、隣接音程の経験分布を$A(t)$の近似的代理として用いることが正当化される。
1.6 方法論的含意のまとめ
以上の数理的基礎は、拡張分析(三和音占有度・原点細分化)の実施過程で必要に迫られて確認された事実を体系化したものだが、その射程は今回の拡張に留まらない。
五度圏埋め込みの妥当性の理論的根拠:五度圏重心分析は、Lewin–Quinnのフーリエ的PCセット理論における「$k=5$係数」の具体化であり、独自の恣意的構成物ではない。
原点における多対一写像は方法論的欠陥ではなく定理的必然:5と12の互除性という数論的事実のみから、どのような回転対称性を持つ和音も原点に収束することが演繹され、これは経験的補正ではなく理論から要請される性質である。これにより、分析設計において「原点近傍のみ特別な細分化処理を要する」という判断が、アドホックな例外処理ではなく理論的に予見可能な帰結であることが正当化される。
他の点における衝突は理論上限定的でありながら排除できない:非原点における厳密な重心一致(例:三全音ダイアドとフランスの六が共に原点に写る現象の非原点版)は、対称性定理からは保証されないが、DFT係数空間の代数的構造(12個の12乗根の間の豊富な線形関係)により、可能性として排除できない。実務上は、想定される同時発音数の範囲(2〜5音程度)ではこの種の衝突は稀であることを確認済みだが、密集した同時発音(6音以上)を伴う作品(後期ペッテション等)については、この限りではない。
観測軸の原理的正当性と、観測値の意味論的十全性は独立である:1.2〜1.3節が示したのは、$f_5$が恣意的な幾何学的選択ではなく、DFTという確立された枠組みの中で理論的に動機づけられた座標軸であるということだった。しかし、この正当性は「$f_5=0$という観測値が曖昧さなく特定の音楽内容を意味する」ことを何ら保証しない。むしろ、12次元のピッチクラス集合空間を1つの複素数へ射影する以上、座標軸の選択が恣意的であろうと理論的に必然であろうと、多対一写像は不可避である。実際、同じ$f_5=0$という現象が、機能和声の枠内での修辞的な対称和音の使用(例:モーツァルト39番、ブラームス第1、マーラー第5第2楽章)と、真の調性求心力の喪失(後期ペッテション、シベリウス《タピオラ》)という、音楽的に正反対の内実の両方から生じうることが確認されている。したがって、$f_5=0$という観測値そのものから直接「調的求心力の喪失」といった内容主張を導くことは避け、常に別チャンネル(例えば三和音との厳密な一致率、あるいは原点近傍に着地した具体的なピッチクラス集合の内訳)での照合を経てから内容を論じる、という手続き上の規律が必要になる。。
この規律を実際の分析パイプラインに実装した例として、別稿「五度圏ピッチクラスセット重心の方向性指標拡張——方法論編(レポートI)」第2.3節・第3.5節がある。同稿は、既存9指標体系を拡張する16の新指標(方向性・滞留性・原点細分化指標)の開発経緯と検証手続きを記述した、特定の分析プロジェクトに紐づく応用的な報告書である。本稿が五度圏重心分析という手法そのものの数理的正当性を扱う独立した基礎文書であるのに対し、レポートIはその手法を実際のコーパス分析に適用する過程で導入された具体的な指標体系(Origin_PCSet_Ratio、Exact_Triadic_Ratio、Origin_Collapse_Index等)とその検証方法を扱う——すなわち、本稿で述べた規律をレポートIが具体的な指標として実装している、という一方向的な参照関係にある。両稿は独立に読めるが、原点収束の数理的背景をより詳しく確認したい場合は本稿を、それが実際の指標設計にどう反映されているかを確認したい場合はレポートIを参照されたい。
参照:Lewin, D. (1959). “Re: Intervallic Relations between Two Collections of Notes.” Journal of Music Theory, 3(2). Lewin, D. (1987). Generalized Musical Intervals and Transformations. Quinn, I. (2006–2007). “General Equal-Tempered Pitch-Class Sets and Their Fourier Transforms.” Journal of Music Theory, 50(2)/51(2). Yust, J. (2016). “Special Collections: Renewing Set Theory.” Journal of Music Theory, 60(2), 213–262. Chandler, O. and Thorneycroft, I. (2024). “Phasic Dissonance, Timbral Contrast: Analysing 20th-Century Guitar Harmonies with Discrete Fourier Transform.” Music Analysis, 43(1), 77–113.
(2026.9.10 公開)