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2026年7月14日火曜日

「意識の音楽」としてのマーラーの交響曲を再考する──「共感指差し」から落伍者に手を差し伸べる「絶対的な小説交響曲」へ

 これまで「意識の音楽」という概念を用いてマーラーの音楽を考えてきたが、その意味するところは必ずしも十分に明確ではなかった。「意識の音楽」がマーラー固有の概念なのか、それとも近代音楽一般のある傾向を指す概念なのかについても、なお整理の余地が残されていた。

しかし近年取り組んできた交響曲的主体論、とりわけ自由エネルギー原理(FEP)を参照した主体類型の検討を経ることによって、この問題に対して一つの明確な見通しが得られたように思われる。

重要なのは、「意識の音楽」とは単に近代主体を表現した音楽ではないということである。近代以降の多くの作曲家は、程度の差こそあれ、自律的主体を音楽の中に実現している。しかし、そのことだけではマーラーを特徴づけることはできない。

ここでいう「意識」とは、ダマシオの意味での延長意識、すなわち自伝的自己を備えた自己意識である。それは身体感覚や情動に基づく現在の自己だけではなく、保持された過去と予期される未来とを統合し、一つの物語として自己を構成する主体である。このような理解は、これまで検討してきた意識の階層モデル、亡霊性と情動に関する議論、「二分心崩壊以後、シンギュラリティ以前の〈意識の時代〉」論などによって既に理論的基盤が整えられている。

したがって、本稿において改めてジェインズ、フッサール、ダマシオ、スティグレール、FEPを個別に積み上げ直す必要はない。むしろ、それらを統合した意識論を前提として、「そのような意識はいかなる音楽形式として実現されるのか」という問いから出発することが適切である。

そのとき、「意識の音楽」とは、「自伝的自己を形式化した音楽」と定義することができる。しかし、この定義もなお十分ではない。自伝的自己とは本質的に物語的自己であり、物語とは他者に向かって語られることによって初めて成立するからである。

この点でアドルノのマーラー論における「ねえ、よく聞いて」という指摘は、単なる比喩ではなく、マーラーの主体形式そのものを言い当てているように思われる。マーラーの交響曲には、聴き手に対して世界を「説明する」のではなく、「ともに経験しよう」と呼びかける語りの衝動がある。

このことは、やまだようこの発達心理学における「共感指差し」の概念と深い構造的類似を示している。共感指差しとは、「これが何であるか」を教える行為ではなく、「ねえ、見て」と他者と世界を共有しようとする行為である。それは共同注意の成立であり、自伝的自己や物語主体の発生以前に存在する、他者との世界共有の原初的形式である。アドルノのいう「ねえ、よく聞いて」は、まさに音楽における共感指差しなのである。

この視点から見れば、「絶対的な小説交響曲」というアドルノの規定も、新しい意味を帯びる。小説的であるとは、単に物語的な展開を持つということではない。そこには語る主体が存在している。そしてその主体は、出来上がった内容を語るのではなく、「語りながら次を語ろうとする衝動」の中で生成し続ける主体である。

アドルノが詩は対話であるという詩論を展開したパウル・ツェランのほぼ唯一の散文「山中の対話」への返礼として書き送った書簡で自己引用した、上記の「絶対的な小説交響曲」に関連した、第九交響曲第一楽章終結部についての「主題労作と物語性の統合」に関する記述、或いは「あたかも音楽が語りながら先へと語る衝動をはじめて受け取るように主題が湧き出てくる」というルジツカが自作のヴィオラ協奏曲の銘として引用する記述も、この観点から理解されるべきであろう。ここでは主題が変形するから物語が生じるのではなく、語ろうとする衝動そのものが主題を生成し続けている。

その意味で、マーラーに頻出する expressivo という指示も、単なる奏法上の「表情豊かに」という意味を超えている。それは旋律が、あたかも誰かに向かって語りかけようとする衝動を帯びているかのように演奏されるべきことを意味しているのではないか。

このように考えると、マーラーにおける「表現」の概念そのものも変化する。従来の表現概念は、主体の内面を音楽によって外化するものとして理解されてきた。しかしマーラーでは、表現とは世界を他者と共有する行為であり、共有可能な世界そのものを音楽の中で生成することである。

マーラー自身が「交響曲とは世界のようでなければならない」と述べたとされる言葉も、百科事典的な世界像の提示ではなく、自伝的自己が生きる世界を他者と共有可能なものとして構築するという意味に理解し直すことができる。それは世界の描写ではなく、「世界の共有」である。このような共有への志向は、アドルノがマーラー論の結びで述べる、「落伍者に向かって手を差し伸べる音楽」という特徴とも深く結びついている。それは倫理的付加価値ではなく、主体形式そのものから導かれる帰結である。マーラーの主体は、本質的に他者へ向かって開かれている。作品は自己完結した表現ではなく、他者を自己の世界へ招き入れる行為として成立している。

このような「世界の共有」という契機は、交響曲的主体の類型論から見ても重要な意味を持つ。マーラー的主体は、自由エネルギー原理(FEP)の観点から見れば、世界を予測し、その予測誤差を不断に更新し続ける主体の典型である。しかし同時に、それは動物型FEP主体が最も徹底したかたちで展開され、その内部に潜む限界が露呈する地点でもある。

従来、この主体の「裂開」は、主体内部における予測誤差の累積や自己更新の危機として理解されてきた。しかし、本稿の立場からすれば、その裂開は主体内部の出来事ではない。主体が裂開しているように見えるのは、その主体が本質的に他者との世界共有を志向しているにもかかわらず、その共有の条件そのものが近代において危機に瀕しているからである。したがって、裂開しているのは主体というよりも、主体と他者とを媒介してきた共同世界そのものである。

このことは、「ねえ、よく聞いて」というアドルノの指摘や、「絶対的な小説交響曲」という規定とも一致する。マーラーの語りの衝動は、安定した共同世界の内部で語る衝動ではなく、共有可能な世界そのものが失われつつある時代において、それでもなお他者と世界を共有しようとする衝動なのである。この意味で、マーラーの音楽における「語る」という契機は、単なる自己表現ではない。それは共同世界を再び成立させようとする実践であり、世界共有の再構築へ向けた行為なのである。

このことは、自由エネルギー原理そのものの理解にも修正を迫る。

自由エネルギー原理はしばしば、外界との境界を維持しながら自己保存を図る閉鎖的主体の理論として理解される。しかし、人間の自己は、そのような閉鎖系として理解することはできない。人間の自己は、他者との相互作用を通じて予測誤差を共有し、共生成的に自由エネルギーを最小化する方向へと開かれている。

したがって、マルコフ境界とは、自己を世界から隔てる壁ではなく、他者との触発と共鳴を可能にする膜として理解されなければならない。マーラーの交響曲が聴き手を世界へと招き入れようとする形式をもつのは、このような開かれた主体構造が音楽形式として実現されているからである。

このような主体理解は、主体の存在様式だけでなく、その主体がいかに世界を語るかという表現様式にも帰結する。 結果としてこのことは、交響曲という形式そのものの意味をも変化させる。

ここで問題となっているのは、主体はいかに成立するかという発生論でも、主体はいかなる存在様式をとるかという存在論でもない。そのような主体が、いかに世界について他者へ語るのかという表現論である。 

ロマン派音楽一般にも自己表現や世界表現は存在する。しかし、多くの場合、音楽は主体が表現する内容を担うのであって、主体の語り方そのものを形式化しているわけではない。 マーラーにおいて特異なのは、主体がいかなる存在様式において世界と関わるか、その語り方そのものが交響曲の時間構造へと転化している点である。

交響曲は、主体が世界について語るための器ではない。マーラーにおいて交響曲とは、主体の語り方そのものが音楽形式として実現したものである。作品は主体の思想や感情を表現する媒体ではなく、主体が保持・予持・回想・予測を繰り返しながら世界を他者へ語る、その時間構造そのものを形式化している。

したがって、マーラーにとって交響曲とは選択されたジャンルではない。世界を他者と共有しようとするマーラー的主体の存在様式は、必然的に交響曲という時間形式を要求したのである。

マーラーの交響曲は、自伝的自己が世界について語る音楽ではない。自伝的自己が世界と関わり、他者へ向かって世界を共有しようとする、その〈語り方=生き方〉そのものが交響曲形式として実現した音楽なのである。 

私は以前から、マーラーの音楽には、聴き手の背中をそっと押し、一歩前へ踏み出せるよう支えてくれるような性格があると感じていた。その感覚も、この主体論によって説明できるように思われる。マーラーの音楽は、単に世界を共有するだけではない。そこには、生きることそのものへの「いざない」がある。

このように考えるならば、マーラーは単に近代主体を音楽化した作曲家ではない。むしろ彼は、「意識の時代」において形成された主体が、その極限において自己の条件を問い返し始めた地点を代表している。主体は世界を予測し続ける。しかし、その予測が成立するためには、他者との共同世界が維持されていなければならない。

ところが近代において、その共同世界そのものが揺らぎ始める。マーラーの交響曲は、この危機を描写する音楽ではない。むしろ、失われつつある共同世界をなお他者と共有しようとする音楽である。アドルノのいう「ねえ、よく聞いて」という呼びかけ、「絶対的な小説交響曲」という規定、「落伍者に向かって手を差し伸べる音楽」という評価は、いずれもこの構造を異なる角度から捉えたものと理解することができる。その意味で、「意識の音楽」とは、自伝的自己を形式化した音楽であるだけではない。それは、自伝的自己が他者と共同世界を生成しようとして語る、その語りの行為そのものを音楽形式として実現した音楽である。

マーラーは、「意識の時代」が到達した最も自己反省的な主体を代表する作曲家である。マーラーの主体は、共同世界の危機のなかでなお他者へ向かって語り続けるという存在様式をもち、その語り方そのものが交響曲という時間形式のうちに最も明瞭に実現されている。 この意味において、マーラーは「意識の時代」の極限を代表する作曲家なのであり、「意識の音楽」のプロトタイプなのである。

(2026.7.14 公開)

2026年6月8日月曜日

マーラー交響曲の調性力学——自由エネルギー原理による解釈(2026.5.20 更新)

 

1. 分析枠組み

1.1 分析手法

本稿はマーラーの交響曲主要楽章11点(基本的には第1楽章、ただしSym5は第2楽章、Sym8は第1部、「大地の歌」は第1楽章)を対象として、MIDIデータから抽出した調性構造指標に基づく主成分分析(PCA)を行い、その結果を自由エネルギー原理(FEP)の枠組みによって解釈するものである。分析単位は楽章とし、各楽章の小節頭の和音をサンプリングして指標を算出した(三和音以上、ピッチクラス数3以上の和音を対象)。なお本稿の理論的枠組みと問題設定は、「交響曲的思考における音楽的主体の存在様式についての覚書」において詳細に展開されており、本稿はその計量的照合・検証・拡張の一環として位置づけられる。理論的背景の詳細については覚書を参照されたい。また、本稿の続編として、上記覚書の内容全般の検証は、別稿「交響曲的思考における音楽的主体の存在様式——調性構造のPCA分析によるFEP的解釈」にて行っているので、併せて参照されたい。


1.2 指標定義

各指標は五度圏重心の軌跡から算出される。12のピッチクラスを単位円上に五度圏順に30度ずつ配置し、各時点の和音のピッチクラスセットの重心座標(x, y)を求めることで、楽章内の調性的運動を連続的な軌跡として記述する。

指標

定義

Avg_r

重心半径 r = √(x²+y²) の楽章内平均値。調性的安定度。鳴っているピッチクラスが五度圏上の特定領域に集中するほど(例:長三和音)大きく、分散するほど(例:減七和音)小さい。

SD_r

r の標準偏差。調性的安定度の時間的揺らぎ。

Tonal_Focus

全軌跡の平均座標の原点からの距離。楽章全体を通じた調性中心の一貫性。

Avg_Step

隣接データ点間の位相角変化量の平均。転調の歩幅。

Step_Rate_100

100小節あたりの累積移動距離(弧長)。和声的活動量。

Spatial_Dispersion

重心位置の時系列的な分散。五度圏上での活動領域の広さ。

PC_Density

各小節で使用されるピッチクラス数の平均(三和音以上)。和声の複雑さ。

Harmonic_Coverage

(三和音以上の有効小節数)/(楽譜上の全小節数)。テクスチャの厚み。

Texture_Volatility

各小節で使用されるピッチクラス数の標準偏差。テクスチャの流動性。


補助指標(PCA非採用)Winding_Rate_100(五度圏上の正味回転速度)およびTerz_Ratio(三度進行比率)は算出したが、PCA入力には含めず補助的指標として扱う。

2. 指標のFEP的解釈

FEPは生物的・認知的システムが予測誤差(自由エネルギー)を最小化することで存在を維持するという原理であるが、本稿ではこれを音楽的主体の分析的装置として用いる。以下では9指標をFEP的観点から三層に整理する。

第1層——生成モデルの安定性:Avg_r、SD_r、Tonal_Focus

この層は主体がどれだけ一貫した調性的生成モデルを保持しているかを記述する。

Avg_rはFEPにおける知覚精度(precision)に対応する。rが高い状態は調性中心が明確で生成モデルが強固な予測を維持している状態であり、低い状態は「予測誤差を精度を下げることで吸収する」という受動的戦略に対応する。SD_rは精度の時間的変動性を示す。精度が時間的に揺れることは主体が予測誤差への感受性を動的に再調整していることを意味し、高いSD_rは生成モデルの能動的な自己修正として読める。Tonal_Focusはその安定性の大局的指標であり、楽章全体を通じた「自己モデルの錨」の堅固さを示す。高いTonal_Focusは主体が調性空間との交渉においても自己の中心を動かさないことを意味する。

第2層——状態空間の行動様式:Avg_Step、Step_Rate_100、Spatial_Dispersion

この層は主体が調性空間をどのように動き回るかを記述し、FEPにおける能動的推論(active inference)の様態に対応する。

FEPでは主体は自由エネルギーを下げるために「行動によって環境を探索する(エピステミック・フォレージング)」か「信念を更新する」かを選択する。Avg_StepとStep_Rate_100が大きいほど、五度圏という状態空間を広く・速く移動することで予測誤差を能動的に処理する戦略を採っていると解釈できる。Spatial_Dispersionは探索の「幅」を示し、五度圏上での活動領域の広さとして現れる。

第3層——感覚入力の複雑度:PC_Density、Harmonic_Coverage、Texture_Volatility

この層は主体が処理する感覚的入力の構造を記述し、生成モデルの入力側の性質を規定する。

Harmonic_Coverageは「和声進行の密度」——生成モデルが常に駆動されている状態にあるかどうか——を示す。高い被覆率は主体の予測機構が途切れなく機能している状態に対応する。Texture_Volatilityはその揺らぎであり、感覚入力の予測可能性の変動を示す。PC_Densityは各時点での和声的複雑さの平均であり、生成モデルが処理すべき情報量の密度として解釈できる。

3層とPCA軸の対応

この3層整理はPCA結果と以下のように対応する。PC1は第1層の安定性指標(Avg_r: −0.965、Tonal_Focus: −0.657)と第2層の行動様式指標(Avg_Step: +1.015、Step_Rate_100: +1.015)に強く引かれており、「生成モデルの安定性(負方向)↔ 状態空間の行動的活性(正方向)」を実質的に表している。すなわちPC1は生成モデルの安定性と能動的推論の強度のトレードオフ軸として解釈される。PC2は第3層のHarmonic_Coverage(+0.984)とTexture_Volatility(−0.758)に強く規定されており、「和声被覆の密度(正方向)↔ テクスチャ揺らぎの大きさ(負方向)」の軸、すなわち感覚入力の構造的安定性の軸として解釈される。


3. 主成分分析結果

主成分負荷(PCAローディング)

指標

PC1

PC2

Avg_r

−0.965

−0.162

Avg_Step

+1.015

+0.082

SD_r

+0.701

+0.042

Step_Rate_100

+1.015

+0.086

PC_Density

+0.817

−0.056

Tonal_Focus

−0.657

−0.038

Spatial_Dispersion

−0.438

−0.583

Harmonic_Coverage

−0.058

+0.984

Texture_Volatility

+0.625

−0.758

注:本PCAはマーラー12楽章単独で算出したものであり、PC1正方向は「高運動量・低調性重力」(高Avg_Step・低Avg_r)を示す。複数作曲家を対象とした比較分析PCAとは軸の符号方向が逆転しているため、他の分析との数値的比較には注意を要する。

作品別主成分得点

作品

PC1

PC2

段階

Sym1-1

−4.478

−0.711

第I段階

Sym2-1

−1.044

−2.138

第I段階

Sym3-1

−1.737

−0.797

第I段階

Sym4-1

−1.384

+0.874

第I段階

Sym5-2

+1.307

+0.095

第II段階

Sym6-1

+0.974

+1.308

第II段階

Sym7-1

+2.143

+1.565

第II段階

Sym8-1

−0.103

+1.564

第III段階

Erde-1

−1.271

+1.256

第III段階

Sym9-1

+2.062

−1.439

第IV段階

Sym10-1

+3.531

−1.538

第IV段階

時系列的軌道としてPC空間上に現れる「ℓ字型」軌跡は、第I段階(左下)→ 第II段階(右上)→ 第III段階(PC1の逆行)→ 第IV段階(右下への急落)という折れ曲がりとして理解される。(図1)


図1:PCA空間上でのマーラー交響曲の時系列的軌道



4. FEPによる段階的解釈

第I段階(Sym1〜4):安定した生成モデルと広い探索空間

PC1が大きく負(Sym1: −4.478、Sym3: −1.737)であり、Avg_rが高く(0.562〜0.616)、転調運動量が低い。第1層の安定性指標が全段階中最も良好な状態にある。FEP的には主体の生成モデルが外界との予測誤差を低コストで処理できる状態にあり、誤差は調性的な「重力の場」に吸収されながら、広い状態空間を緩やかに移動しつつ探索が行われる。

PC2の推移に注目すると、Sym1(−0.711)・Sym2(−2.138)・Sym3(−0.797)のHarmonic_Coverageは0.676〜0.743と相対的に低く、テクスチャの揺らぎも大きい。これに対しSym4ではHarmonic_Coverageが0.791まで上昇し、PC2が+0.874と正方向に転じる。「角笛」との連続性を経て声楽的書法から器楽的凝集へと移行する過程が、感覚入力の構造的安定化(PC2上昇)として計量的に現れている。

第II段階(Sym5〜7):能動的推論の最大化

PC1が正方向に移行し(+0.974〜+2.143)、かつPC2も正を維持する(+0.095〜+1.565)。Avg_Stepは48.7〜57.6、Step_Rate_100は4,862〜5,745と上昇し、転調運動量が増大する。Sym7はPC1・PC2ともに全12作品中最高水準(+2.143、+1.565)に達し、Harmonic_Coverage 0.910と高い被覆率を同時に達成している。

FEP的には能動的推論の最大化段階として解釈される。主体は第2層の行動的活性(高い転調運動量)を強化しながら、第3層の感覚入力の安定性(高いHarmonic_Coverage)を同時に高い水準で維持している。予測誤差は高速の転調運動によって積極的に処理されつつ、その処理を支える和声的基盤もまた充実している。PC1正・PC2正という組み合わせはこの「二重の充実」の計量的表現である。

第III段階(Sym8・Erde):声楽テクストによる精度管理の外部化と逆行

この2作品は時系列的に第II段階(Sym5〜7)の後に位置しながら、PC1が負方向に逆行する(−0.103、−1.271)という特徴的な軌道を示す。これがPC空間上の「ℓ字型」軌跡における折れ返りの実質であり、時系列的軌道として捉えた場合にのみ正確に理解される。

PC2は正値を保持しており(+1.564、+1.266)、中期純器楽群との連続性を示しながらも、そのPC2正値の機制は根本的に異なる。Harmonic_CoverageはSym8で0.910、Erde-1で0.909と全12作品中最高水準にある。この高い被覆率は声楽テクストの存在が和声進行を「被覆」し続けることを構造的に強制することによる。FEP的に言えば、声楽テクストが生成モデルへの外部制約(precision weighting source)として機能しており、主体が内的に予測誤差を処理するのではなく、テクストという外部構造に精度管理を委ねている状態である。Texture_Volatilityが1.019〜0.988と全段階中最も低い点もこれと整合する——外部制約によって感覚入力の揺らぎが抑制された状態として読める。

第II段階で達成された「内的充実」としての能動的推論の最大化とは異なり、第III段階のPC2正値は「外部依存」による見かけ上の安定である。この区別こそが、第III段階をℓ字型軌道の折れ返りとして、単なる後退ではなく独自の機制を持つ位相として位置づける根拠となる。

第IV段階(Sym9・Sym10):生成モデルの分解

Sym9でPC1は+2.062と第II段階水準に戻るが、PC2が−1.439へと急落する。Harmonic_CoverageはSym9で0.688、Sym10で0.630まで低下し、Texture_Volatilityが1.377・1.639と急増する。PC2の急落は第3層における感覚入力の構造的安定性の喪失——和声の「被覆」が薄くなり、テクスチャの揺らぎが増大した状態——を示す。

Sym10ではPC1が+3.531と全12作品中最大に達し、PC2は−1.588と低下したままである。Avg_Step 63.5、Step_Rate_100 6,308という転調運動量の極値は第2層の行動的活性が限界まで高まった状態を示す。と同時にAvg_rは0.493と全段階中最低である。

PC1の急騰は、主体が予測誤差を転調運動によって処理し続けようとするが、その速度・密度がもはや既存の調性構造では支えきれないところに達したことを示す——能動的推論の暴走、あるいは環境モデルの限界への到達として読める。PC2の崩落は第3層の構造的安定性(Harmonic_Coverageによる「場」)が失われたことを示す——生成モデルそのものが分解しつつある状態であり、予測誤差を吸収するはずの和声的基盤が瓦解し、誤差が直接露出する。

マーラーの交響曲的主体は、生存可能な環境を再構築することなく、予測誤差の処理速度を極限まで高めることで「限界に向かって疾走したまま」終幕する。


5. 補足:ℓ字型軌道のFEP的意味

PCA空間上に現れる「ℓ字型」軌跡は、時系列的軌道として追った場合にのみ正確に読み取れる構造であり、FEP的には以下の三段階の転換として解釈される。

第一移行(左下→右上:第I段階→第II段階)

能動的推論の漸進的強化。調性重力(生成モデルの安定性)を保ちながら、転調運動量と和声被覆率を同時に高めていく段階。第1層の安定性を消費しながら第2層・第3層の充実を図る過程として読める。

折れ返り(右上→中央左:第II段階→第III段階)

声楽テクストによる精度の外部化。PC1が負方向に逆行し、能動的推論の内的充実が外部依存の安定へと置き換えられる。この折れ返りがℓ字型軌道の要であり、マーラーの創作史において純器楽的自律の達成が声楽への回帰によって中断されることの計量的痕跡である。

第二移行(中央左→右下:第III段階→第IV段階)

和声被覆機構の崩壊。外部依存による安定が失われた後、転調運動量のみが増大し、感覚入力の構造的安定性を支える第3層の基盤が瓦解する。PC2の急落がこの転換の計量的指標であり、PC1の極限的急騰がそれに伴う能動的推論の暴走を示す。



(付録)

PCA分析の入力を含む全指標の計算結果

(2026.5.5 公開, 5.20 再計算結果で差し替え

MIDIデータに基づく五度圏重心軌道の定量分析——マーラー交響曲の様式的変遷と後期ロマン派作曲家との比較(詳報)(2026.5.20更新)

 本稿は公開済みの概要紹介記事(マーラー編比較編)の技術的補足として、指標の定義・PCA成分負荷・主要数値結果を詳述する。


1. 分析対象と方針

分析は二段階で構成した。第一段階はMahler交響曲11作品を対象とした単独分析であり、第二段階はBruckner・Sibelius・Brahms・Shostakovich・古典派参照点を加えた全25作品・26楽章への拡張比較分析である。第二段階はMahlerの指標的特性が作曲家間の分散構造の中でどのように位置づけられるかを検討することを目的とし、第一段階の結果を前提として解釈する。

各作品の第一楽章(または相当する代表楽章)のMIDIデータを使用した。分析にはピッチクラス情報のみを用い、ダイナミクス・テンポ情報は含めない。

各作品から取り上げる楽章については、ソナタ楽章ないしそれに準拠した構造を持つ主要楽章(Hauptsatz)を原則として選択した。これは方法論上の消極的な制約ではなく積極的な選択である。中間楽章には性格・構造を異にする楽章(スケルツォ・緩徐楽章・行進曲など)が含まれる一方、Mahlerの場合は楽章数も作品ごとに大きく異なり、各作品の楽章構成の個別性が高い。様式変遷の縦断的把握および作曲家間の横断的比較においては、同一の構造的役割を担う楽章を揃える方が指標の比較可能性が高いと判断した。なお第5番はI楽章は実質序奏が独立した葬送行進曲であり、主要楽章はII楽章であるためII楽章を、第6番はI楽章のみならず、マーラー的なソナタ形式の典型とされるIV楽章も含め、双方を対象とした。

分析対象一覧

作曲家

対象

n

備考

Mahler

Sym. 1〜10・大地の歌

11

第5はII楽章、マーラー単独では大地の歌I楽章を含め、比較分析では大地の歌の替わりに第6のIV楽章を追加

Brahms

Sym. 1〜4(各I楽章)

4

比較分析用

Bruckner

Sym. 7〜9(各I楽章)

3

比較分析用

Sibelius

Sym. 6(I・IV楽章)・7・Tapiola

4

比較分析用

Shostakovich

Sym. 9・10(各I楽章)

2

比較分析用・参考

Haydn

Sym. 104-I

1

比較分析用・古典派参照点

Mozart

Sym. 41-I

1

比較分析用・古典派参照点


2. 指標の定義

MIDIデータを小節単位で集計し、各小節頭の発音音符からピッチクラス分布を算出した。三和音以上の部分のみを対象として、五度圏上の座標に投影し、重心位置 $\mathbf{c}(t)$ を求めた。この重心時系列から以下の9指標を算出しPCAに入力した。

Avg_r(平均重心半径):重心径 $r = \sqrt{x^2 + y^2}$ の平均値。調性的安定度(重力)

Avg_Step(平均ステップ幅):隣接データ点間の位相角の変化量(角速度 $\omega$)の平均。転調の歩幅

Step_Rate_100(100小節あたりステップ量):100小節あたりの累積移動距離(弧長)。和声的活動量

SD_r(重心半径の標準偏差):$r$ の標準偏差。重力の揺らぎ

Tonal_Focus(調的集中度):全軌跡の平均座標の原点からの距離。調性的焦点

Harmonic_Coverage(和音被覆率):(三和音以上の有効小節数) / (楽譜上の全小節数)。テクスチュアの厚み。

Spatial_Dispersion(空間分散):重心位置の時系列的な分散。五度圏上での活動領域の広さ。空間的分散度

Texture_Volatility(テクスチュア揺らぎ):各小節で使用されるPitch Class(PC)数の標準偏差テクスチャの流動性

PC_Density(ピッチクラス密度):各小節で使用されるPitch Class(PC)数の平均(三和音以上)和声の複雑さ

なおWinding_Rate_100(五度圏上の正味回転速度)およびTerz_Ratio(三度進行比率)も算出したが、PCA入力には含めず補助的指標として扱う。


3. Mahler単独分析

3.1 指標の計算結果

3.2 寄与率および成分負荷

Mahler 11作品のみのPCAでは、PC1の寄与率52.2%・PC2が19.5%(累積71.7%)であった。



指標

PC1

PC2

Avg_Step

+1.015

+0.082

Step_Rate_100

+1.015

+0.086

PC_Density

+0.817

−0.056

SD_r

+0.701

-0.042

Texture_Volatility

+0.625

−0.758

Avg_r

−0.965

−0.162

Tonal_Focus

−0.657

−0.038

Spatial_Dispersion

−0.438

−0.583

Harmonic_Coverage

−0.058

+0.984


PC1はAvg_Step・Step_Rate_100・PC_Densityが強い正の負荷、Avg_r・Tonal_Focusが強い負の負荷を持ち、「調性的求心力の高い静的な場(負方向)——高速・高密度で駆動する動的な場(正方向)」の軸として解釈できる。

PC2はHarmonic_Coverage(+0.984)とTexture_Volatility(−0.758)が主要な負荷を担う。正方向は「音高クラスを広く被覆しながらテクスチュアの厚みが安定している」状態、負方向は「音高被覆が狭くテクスチュア揺らぎが大きい」状態に対応する。


3.3 時系列的変化


作品

作曲年

PC1

PC2

Avg_Step

Harm_Cov

Avg_r

Tex_Vol

Sym. 1-I

1888

−4.478

−0.711

25.04

0.693

0.616

1.009

Sym. 2-I

1894

−1.044

−2.138

39.27

0.676

0.562

1.268

Sym. 3-I

1896

−1.737

−0.797

38.59

0.743

0.566

1.177

Sym. 4-I

1900

−1.384

+0.874

40.34

0.791

0.571

0.964

Sym. 5-II

1902

+1.307

+0.095

48.92

0.741

0.488

1.068

Sym. 6-I

1904

+0.974

+1.308

55.24

0.866

0.535

1.115

Sym. 7-I

1905

+2.143

+1.565

57.57

0.869

0.497

1.050

Sym. 8-I

1906

−0.103

+1.564

48.71

0.910

0.539

1.019

大地の歌-I

1909

−1.271

+1.266

34.81

0.909

0.537

0.988

Sym. 9-I

1910

+2.062

−1.439

53.44

0.688

0.526

1.377

Sym. 10-I

1910

+3.531

−1.588

63.45

0.630

0.493

1.639

PC1は作曲年代とほぼ単調増加の傾向を示す(Sym. 1: −4.478 → Sym. 10: +3.531)。主要な寄与因子はAvg_Stepの増大(25.04→63.45)とAvg_rの減少(0.616→0.493)である。

PC2は山型の推移を示す。初期作品(Sym. 1〜3)は負方向(Harmonic_Coverage低・Texture_Volatility高)に位置し、中期純器楽作品(Sym. 5〜7)および声楽付き作品(Sym. 8・大地の歌)がHarmonic_Coverageの増大とTexture_Volatilityの安定に伴い正方向へ移行する。後期(Sym. 9・10)では再び負方向に転じ(各−1.439・−1.588)、Harmonic_Coverageの低下(0.688・0.630)とTexture_Volatilityの急増(1.377・1.639)が組み合わさる。PC1とPC2を重ね合わせると、PCA空間上での軌跡はℓ字型(初期:左下 → 中期:右上 → 後期:右下)を描く。


4. 比較分析(全24作品・26楽章)

4.1 指標の計算結果


4.2 寄与率および成分負荷

全24作品・26楽章のPCAでは、第一主成分(PC1)の寄与率45.5%・第二主成分(PC2)が24.0%(累積69.5%)であった。


指標

PC1

PC2

Avg_Step

+0.856

+0.401

Step_Rate_100

+0.857

+0.398

SD_r

+0.777

−0.204

Texture_Volatility

+0.654

−0.176

PC_Density

+0.658

−0.622

Avg_r

−0.826

+0.506

Tonal_Focus

−0.775

−0.266

Spatial_Dispersion

+0.192

+0.778

Harmonic_Coverage

−0.084

−0.732


PC1の負荷構造はMahler単独分析と概ね一致しており(Avg_Step・Step_Rate_100の強正負荷、Avg_r・Tonal_Focusの強負負荷)、「調性的求心力——拡散」の次元がMahler内部においても作曲家間比較においても安定して第一の変動軸として現れることを示している。

PC2の負荷構造は単独分析と大きく異なる。Mahler単独ではHarmonic_Coverage(+0.984)とTexture_Volatility(−0.758)がPC2を主導したのに対し、全体分析ではSpatial_Dispersion(+0.778)とHarmonic_Coverage(−0.732)が主要負荷となる。特にHarmonic_CoverageとSpatial_Dispersionの符号が逆転している点が注目される。以下にPC2負荷の対照を示す。

指標

Mahler単独 PC2

全体版 PC2

Harmonic_Coverage

+0.984

−0.732

Texture_Volatility

−0.758

−0.176

Spatial_Dispersion

−0.583

+0.778

PC_Density

−0.056

−0.622

Avg_r

−0.162

+0.506

Avg_Step

+0.082

+0.401

Step_Rate_100

+0.086

+0.398

Tonal_Focus

−0.038

−0.266

SD_r

+0.042

−0.204

この負荷構造の変化は、Mahler内部での第二の変動軸(音高被覆の広さとテクスチュア安定性の対比)と、作曲家間比較での第二の弁別軸(五度圏上の空間的分散様式)とが異なる音楽的次元を捉えていることを示す。前者はMahlerの様式的発展の内部的な変容パターンを、後者はBrucknerとSibeliusという対照的な様式(広域分散 vs 高密度被覆)の間でMahlerを位置づける軸として機能している。両者を同一視することなく別個に解釈することが必要である。

4.3 グループ別PCAスコアと指標平均





作曲家

n

PC1

PC2

Avg_Step

Tonal_Focus

Harm_Cov

Sp_Disp

Tex_Vol

Haydn

1

−4.098

−1.089

27.56

0.201

0.767

0.149

0.856

Mozart

1

−4.510

−0.291

31.96    

0.277

0.724

0.176

0.879

Brahms

4

−0.054

−0.085

49.68

0.118

0.83

0.271

1.007

Bruckner

3

+0.048

+1.458

52.24

0.094

0.707

0.335

1.114

Mahler

12

+0.376

−0.113

47.72

0.104

0.776

0.286

1.153

Sibelius

4

+0.233

−1.977

42.64

0.179

0.808

0.224

1.271

Shostakovich

2

+1.590

+3.250

68.75

0.085

0.432

0.325

1.145

(PC1・PC2はグループ内スコア平均。指標値は生データのグループ内平均。)

Haydn・MozartはTonal_Focusが全グループ最高(0.201・0.277)かつAvg_Stepが最小(27.56・31.96)であり、PC1の極端な負方向配置の根拠となっている。

BrucknerはPC2 +1.504と全グループ最高で、Spatial_Dispersion(0.335)の高さとHarmonic_Coverage(0.707)の低さの組み合わせがPC2負荷構造と整合する。SibeliusはPC2 −1.977と最低で、Harmonic_Coverage(0.808)の高さとSpatial_Dispersion(0.224)の低さが対応する。この両グループの対称的配置は全体分析のPC2が「五度圏上の空間的分散様式」を弁別する軸として機能していることの具体的な根拠となる。

ShostakovichはAvg_Step(68.75)が全グループ最大である一方、Harmonic_Coverage(0.462)は最低値であり、高頻度の跳躍と音高被覆の狭さの共存という特異な指標プロファイルを示す。BrahmsはPC1・PC2ともに原点近傍(各−0.054・−0.085)に収束し、突出した極性を示さない。

4.4 比較分析におけるMahlerの位置づけ

比較分析においてMahler 11作品・12楽章は他の作曲家グループのほぼ中央に位置する。PC1上の年代的配置は単独分析の結果と対応して保存されており、全体尺度においても調性的求心力の漸進的減退という縦断的傾向が確認できる。

一方PC2については、Mahler単独分析で有意であったHarmonic_CoverageとTexture_Volatilityの対比(山型の推移)が、全体比較の尺度ではBruckner(上方・Spatial_Dispersion優位)とSibelius(下方・Harmonic_Coverage優位)に挟まれる形でMahlerの変動幅が相対的に圧縮されて見える。これはMahler内部での第二変動軸と作曲家間の第二弁別軸とが異なる次元を捉えていることの、スコア分布上の反映でもある。

4.5 軸の解釈

PC1(Mahler単独52.2% / 全体45.5%)は両分析を通じて「調性中心への凝集——拡散」軸として一貫して解釈できる。Mahler内部ではこの軸が作曲年代と高く対応することが確認され、調性の求心力の漸進的減退の量的裏付けとなる。全体比較ではHaydn・Mozartが負方向極、Mahler Sym. 10・Shostakovichが正方向極を占め、後期ロマン派から20世紀初頭にかけての調性崩壊の方向性を一軸上に配置する。

PC2は両分析で異なる軸を捉えている。Mahler単独分析(寄与率19.5%)ではHarmonic_Coverage(+0.984)とTexture_Volatility(−0.758)を主要負荷とし、「音高的充填度とテクスチュア安定性の対比」軸として機能する。これはMahlerの様式的発展において初期・後期の疎な音高被覆・不安定なテクスチュアと、中期および声楽付き作品の豊かな音高被覆・安定したテクスチュアとを対比する内部的な変容パターンを捉えている。全体比較分析(寄与率24.0%)ではSpatial_Dispersion(+0.778)とHarmonic_Coverage(−0.732)を主要負荷とし、Bruckner的な「広域分散様式」とSibelius的な「高密度被覆様式」を両極とする「調性運動の空間的様態」軸として機能する。

この二つのPC2を「交響曲的主体」の概念に接続するならば、前者はMahler内部における主体の「充填——空洞化」の軸、後者は作曲家間における主体の「持続的推進(Sibelius)——断続的広域変容(Bruckner)」の対比軸として読み替えることができる。ただしこれらは指標から直接導かれる記述ではなく、様式論的な補助的解釈として位置づける。


付記:方法論上の留意点

本分析の主な制約として以下を挙げる。

第一に、MIDIデータの品質依存性である。使用したMIDIファイルについては、同一作品の複数ファイルが入手可能な場合には相互比較を行い、信頼性の高いと判断されるものを選択した。ピッチクラス分析の観点からは、声楽パートと器楽パートは同一の処理で扱われるため、声楽付き楽章(Sym. 8-I・大地の歌-I)であっても方法論上の特別な問題は生じない。ただし、MIDIの書き起こし精度そのものはファイルによって異なりうるため、この点は残存する不確実性として認識しておく必要がある。

第二に、ShostakovichはN=2であり、グループとしての統計的安定性は他の作曲家と比較して低い。比較分析における同グループの配置は参考値として扱うことが適切である。


[謝辞]本分析は、加藤隆太郎さんが作成したMIDI版マーラー交響曲全集(第1~第9交響曲+「大地の歌」)に基づき実施しました。(第10交響曲クック版については海外サイトで公開されているデータを用いています。)加藤さんのデータは本分析のようなデータ分析の観点からは信頼性が高く、大きな価値を有するもので、信頼できる同一作者によるデータをほとんどの作品で利用できることの意義は測り知れません。残念ながらMIDIデータを公開していたサイトは既に閉鎖されておりますが、この場で御礼を申し上げるとともに、海外でも先例のない、MIDI版マーラー交響曲全集が日本人の手によって完成されていることをこの場を借りて顕彰させて頂くものです。

(2026.3.27 公開, 4.12 誤記を訂正し、謝辞を追記, 5.20 誤記修正・再計算結果で差し替え)