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2026年9月10日木曜日

五度圏重心分析の方法論的基礎 第6部:データの信頼性と限界

 

第6部:データの信頼性と限界

6.1 MIDI出典管理と信頼性差

MIDIデータの制作経路に起因する信頼性の問題、およびそれに対する対策(前後幅を持たせたサンプリング、複数ソースの比較による採用データの選定)については、第2部6節で詳述した。要点のみ再掲すると、本研究のコーパスは作曲家ごとに信頼性の水準が異なり(マーラーは加藤隆太郎氏コレクションにより最高水準、ペッテションは信頼できる単一ソース、ブルックナーはソースによって信頼性に差があり、シベリウスは部分的クロスバリデーション済み)、この非一様性は作曲家間比較を行う際の留保事項として常に意識される必要がある。特にショスタコーヴィチ(n=2)のような小標本の作曲家については、個別の傾向を安易に一般化しないよう注意を要する。

6.2 非原点における偶発的衝突の可能性

第1部1.4節で導出した通り、五度圏重心(f5係数)の原点への収束は、回転対称性を持つ和音について理論的に保証された必然である。しかし、原点以外の点においても、和音の構成が厳密に一致する——すなわち異なる和音が同一の重心座標を持つ——事態が理論上排除できないことが、検証の過程で明らかになった。

具体的には、12ピッチクラスの全ての空でない部分集合(4095通り)を網羅的に計算した結果、重心が一致する点(4桁丸め後)は1705点存在し、そのうち49点で異なる同時発音数の和音が同一の重心を共有していた。ただし、この49点はいずれも、少なくとも一方が6音以上の密集和音(hexachord以上)であることを条件としている。実務上想定される同時発音数の範囲(2〜5音程度、大半の調的〜後期ロマン派音楽をカバーする範囲)に限定すると、この種の衝突は原点においてのみ生じ、それ以外の点では生じないことが確認されている。

この事実は、密集した同時発音(6音以上)を伴う作品——後期ペッテションの厚いオーケストレーションや、マーラーの大規模な総奏部分など——については、原点以外の点についても、重心の一致が複数の異なる和声内容に由来する可能性を完全には排除できないことを意味する。現状の分析では、この種の非原点衝突について、原点で実施したような体系的なpc集合細分化(レポートI第2.3節)は行っていない。今後、同時発音数6以上の頻度が高い楽章・区間を対象に、同様の細分化検証を行う余地がある。

6.3 方法論的限界のまとめ

以上の各部で述べてきた内容を踏まえ、本研究全体が抱える方法論的限界を以下にまとめる。

分析単位の粒度に起因する限界:9指標体系は楽章・作品単位の集計統計量であり、軌道の時間発展そのもの(どの小節で、どの方向に、どれだけ急激に重心が動いたか)を保持しない。これにより、カタストロフィー理論が本来対象とするような、楽章内部の急激な転換点の検出(第4部4.2節)は、現行の指標体系では直接には行えない。

理論的解釈枠組みの性格:FEP三層構造、カスプカタストロフィーモデル、「交響曲的主体」類型(第4部)は、いずれも証明された事実ではなく、本研究が採用する作業仮説としての解釈的枠組みである。これらの枠組みが提供する説明力は、定量指標との整合性という形で検証可能ではあるが、対立仮説を排除する意味での反証可能性を十分に備えているとは言い切れない点には留意が必要である。

比較対象の選択:Krumhansl-Schmuckler、Chewのスパイラル・アレイに対する五度圏重心の優位性(第5部)は、本研究の目的(複数作曲家を横断する理論負荷最小の軌道追跡)に照らした相対的な優位性であり、これら既存手法が全ての目的において劣るという主張ではない。特にK-S型の手法は、本研究が意図的に避けた「機能和声的な調性推定」を必要とする分析には、依然として有効でありうる。

コーパスの代表性:8作曲家・55楽章というコーパスは、19世紀後半から20世紀にかけての交響曲的伝統の一部を代表するに過ぎず、より広い時代・地域・様式への一般化には慎重を要する。

6.4 今後の課題

以下の課題は、現行の分析設計の延長線上にありながら、追加のデータ処理・分析手法の導入を要するため、今後の検討課題として位置づける。

カタストロフィー的不連続点の時系列検出:第4部4.2節で述べた限界に対応する課題として、和声的緊張度・テクスチュア密度・Tonal_Focus等の小節単位時系列に対し、変化点検出アルゴリズム(PELT法またはベイズ的変化点検出)を適用し、不連続点(潜在的カタストロフィー点)の数・強度・分布を定量化することが考えられる。これにより、例えばマーラー第6交響曲終楽章(少数の大きな不連続点によるfold型カタストロフィーが予測される)と第9交響曲第1楽章(多数の小さな不連続点の反復によるcusp型の連鎖が予測される)のような、fold型・cusp型の形式的区別を定量的に検証できる可能性がある。

ソナタ形式における自己相似性の計量:提示部と再現部の対応区間について、動的時間伸縮法(DTW)またはピッチクラスベクトルのコサイン類似度を用いた類似度計量により、「形式の緩さ」(再現部が提示部からどれだけ変容しているか)を定量化する課題。

調的推定の時系列変化率:Krumhansl-Kesslerのキープロファイルを小節単位で適用した調性推定の時系列を別途生成し、その変化率(フレーム間距離の分布)および調的曖昧性スコア(主要調との相関が全体的に低い区間の割合)を、既存の五度圏重心軌道と比較検証する課題。これは第5部で述べたK-S不採用の理由(カテゴリカルな出力形式が調的曖昧さを表現しにくいこと)を踏まえつつ、両手法を補完的に併用する可能性を探るものである。

非原点における密集和音衝突の系統的検証:6.2節で述べた限界に対応し、同時発音数6以上が高頻度で出現する楽章・作曲家(後期ペッテション、マーラーの総奏部等)を対象に、原点細分化と同様の手法でpc集合の系統的な照合を行う課題。

レポートIが挙げる今後の課題:方向性指標・原点細分化指標に関する今後の課題(ブルックナー第9番の質的断絶の検証、マーラーにおける楽章類型パターンの検討、DSCHコーパスの拡張、新旧指標体系対応関係の精査、DFT係数への理論的拡張)については、レポートI第7章に詳述されているため、本稿では重複を避け参照に留める。

(2026.9.10 公開)

五度圏重心分析の方法論的基礎 第5部:比較対象・代替手法・方法選択の根拠

 

第5部:比較対象・代替手法・方法選択の根拠

五度圏重心という設計は、理論的な比較検討のみから最初に選ばれたものではなく、実際に他のアプローチを試みたうえで、それぞれに固有の理由で退けた結果として採用されたものである。本稿ではその経緯と根拠を記録するとともに、同じくDFTに基づく既存研究(Wavescapes)との異同を整理する。なお、5.1節で参照する検証はマーラー単独コーパス(全50楽章)の段階で実施されたものであり、第2部で述べた現行の8作曲家・55楽章フルコーパスとは異なる、研究の初期段階のコーパスである点に注意されたい。

5.1 Krumhansl-Schmuckler不採用の理由

クラムハンスル=シュムックラー(K-S)の調的階層モデルによる調性推定を、初期段階でマーラー全10交響曲+《大地の歌》の全50楽章(現行の8作曲家・55楽章フルコーパスとは異なる、当初のマーラー単独コーパス)に対して実際に行い、結果を公開した(「MIDIファイルを入力とした分析の準備(2):クラムハンスルの『調的階層』を用いた調性推定と和音のラベリング」)。この方法は各時点について24の調(長調12・短調12)それぞれに対する尤度を与える。ここで得られる出力は24次元の尤度ベクトルであり、これをそのまま一本の連続的な軌道として扱うことはできない。最尤の調を選んで時系列を構成することは可能だが、これは複数の調に対する尤度が拮抗している「調的に曖昧な」瞬間について、その曖昧さの度合いを消去して単一のラベルを強制的に割り当てることを意味する。本研究が捉えようとする調的溶解——複数の調的可能性の間で重心が定まらなくなっていく過程——を、K-Sのカテゴリカルな出力形式は原理的に表現しにくい。

5.2 Chew Spiral Array不採用の理由

三度関係(長三度・短三度の隣接性)を五度関係と同時に組み込む、Chewのスパイラル・アレイのようなモデルも検討した。三度関係がロマン派の和声、とりわけマーラーにおいて重要な役割を果たすことは認識しているが、この方向は採用しなかった。三度関係を空間の構成要素として明示的に組み込むことは、それ自体が「三度関係は音楽的に重要である」という音楽理論的主張を空間の定義に埋め込むことになり、機能和声とは異なるが、それによく似た理論的バイアスを持ち込むことになると判断したためである。本研究が最終的に目指すのは、マーラー後期からペッテションに至るまでを同一の枠組みで扱うことであり、古典的な三度堆積の和声語法自体が前提として成立しにくい書法(ペッテション)に対しては、三度関係を軸の一つとして組み込んだ空間は適合しない危険がある。

五度圏重心は、この2つの試行を経たうえで採用された、単一の関係軸のみを用いる最も単純な幾何学的写像である。この単純さは、より精緻な方法を知らなかった結果ではなく、複数作曲家を横断する連続的な調的溶解の軌道を、理論負荷を最小化した形で追跡するという目的に照らして、消去法的に選択された設計である。

5.3 Wavescapesとの関係

Viaccoz, Harasim, Moss & Rohrmeier (2022)による”Wavescapes: A visual hierarchical analysis of tonality using the discrete Fourier transform”(Musicae Scientiae, 27(2), 390–427)は、本研究と同じくLewin–Quinn–Amiotの系譜にあるDFT基盤のピッチクラス集合分析を用いるが、問いの立て方が本質的に異なる。

同論文は、既存のkeyscape(Sapp 2001, 2005)——楽曲の任意の入れ子区間について最良適合する長短調を推定し、三角形状に色分けして可視化する手法——が、Krumhansl-Schmuckler型の調推定アルゴリズムに依存するために拡張的調性(後期ロマン派以降の作品)には適用困難であるという問題意識から出発する。これは本稿5.1節で述べたK-S不採用の理由と同型の問題意識であり、リストの《ファウスト交響曲》冒頭のkeyscapeが「ヘ短調→嬰ハ短調→イ短調」という、実際の和声内容(増三和音ベースの構造)と乖離した調推定を返す例(同論文Figure 2)は、本研究のコーパスが抱える問題と直接対応する外部証拠として参照できる。

Wavescapesはこの問題を、keyscapeの階層的な三角形表示という形式は保持したまま、色分けの基準を「K-S調推定」から「DFT係数(f1f6)の位相・大きさ」に置き換えることで解決する。すなわち、楽曲のあらゆる入れ子区間(1小節から全曲まで)についてピッチクラスベクトルのDFTを計算し、位相を色相に、正規化された大きさを不透明度に写像することで、どの階層(時間スケール)でどのフーリエ成分(=どの和声的性質)が支配的かを、決定論的かつ連続的に可視化する。

方法論上の異同:本研究とWavescapesは、DFTという共通の数学的基盤に立ちながら、以下の点で設計思想を異にする。


本研究

Wavescapes

サンプリング

拍頭ごとの点サンプリング(時間軸に沿った離散点列)

曲を任意の長さの区間に分割し、あらゆる入れ子区間を網羅的に評価

捉える対象

五度圏上の軌道(時間発展・力学系的視点)

ある時間範囲における階層的構造(どの時間スケールでどの和声的性質が支配的か)

統計量

Avg_r・SD_r・PCA等、軌道の集約統計量

位相→色相、大きさ→不透明度への写像による視覚的表現

出力の性質

定量的指標+クラスタリング(統計的検定が可能)

決定論的な可視化(解釈は分析者に委ねられる)

対象とする係数

専らf5(五度圏)、原点収束の分析では和音種の内訳も参照

f1f6全てを対象とし、作品ごとに最も特徴的な係数を選択

Wavescapesは「この曲のどの階層(1小節か、楽章全体か)でどの和声的性質が優勢か」を問う静的・階層的分析であり、本研究は「この曲の調的重心が時間とともにどう動くか」を問う動的・軌道的分析である。両者は同じDFT基盤を共有しつつ、問いの次元が異なる相補的な関係にある。第2部で述べたFEPの三層構造(特に層2:状態空間における行動パターン)は本質的に軌道・力学系志向であり、本研究が階層的分割ではなく時系列軌道を分析単位として選んだことは、この理論的立場と整合的である。

Wavescapesからの示唆:Wavescapes論文のFigure 6(和音・音階の種類ごとの正規化された大きさの一覧表)は、本研究が独自に確認した対称和音の分類(増三和音・減七・全音音階・三全音ダイアド等がf5で原点に収束する現象、第1部1.3節)を、より広い和音種のカタログとして裏付ける独立した確認になっている。また同論文が典拠とするClough & Douthett (1991) “Maximally Even Sets”(Journal of Music Theory)は、本稿が「回転対称性を持つ和音」と呼んできた概念に対する、確立された音楽理論上の呼称(最大均等分割集合)を与えるものであり、第1部の参照文献として追加する価値がある。

参照文献:Viaccoz, C., Harasim, D., Moss, F. C., & Rohrmeier, M. (2022). Wavescapes: A visual hierarchical analysis of tonality using the discrete Fourier transform. Musicae Scientiae, 27(2), 390–427. Clough, J., & Douthett, J. (1991). Maximally even sets. Journal of Music Theory, 35(1), 93–173. Sapp, C. S. (2005). Visual hierarchical key analysis. Computers in Entertainment, 3(4).

(2026.9.10 公開)

五度圏重心分析の方法論的基礎 第4部:理論的解釈枠組み

 

第4部:理論的解釈枠組み

第1部が五度圏重心分析の数理的正当性を、第2・3部がその具体的な運用設計を扱ったのに対し、本稿は、そこから得られる定量的指標を音楽学的・哲学的にどう読み替えるかという、解釈の理論的枠組みを扱う。ここで導入される自由エネルギー原理(FEP)・カスプカタストロフィーモデル・「交響曲的主体」類型は、いずれも作業仮説としての解釈的枠組みであり、証明された事実ではない。本稿はその要点のみを述べ、詳細な理論的展開・実証的検討は、末尾に挙げる別稿に委ねる。

4.1 自由エネルギー原理(FEP)三層構造の応用

本研究では、MIDIデータから算出される定量的指標を解釈するにあたり、自由エネルギー原理における三層構造——生成モデルの安定性(層1)、状態空間における行動パターン(層2)、感覚入力の複雑性(層3)——を援用する。この枠組みは、調的な指標が捉えている現象を、単なる音響的特徴の記述としてではなく、音楽的主体が世界(音空間)をどのように予測し、その予測をどこまで維持できているかという観点から読み替えることを可能にする。

この読み替えが可能になるのは、五度圏上の重心が、ある瞬間に「どの調的仮説が最も支持されているか」を近似的に表現していると見なせるためである。ある瞬間に鳴っている音の集合が五度圏の特定の領域に強く偏っていること(重心の半径rが大きいこと)は、その瞬間、特定の調的領域を中心とする一つの調的仮説——言い換えれば一つの生成モデル——が、他の可能性を排して優勢に立っていることに対応する。逆に重心が中心(r0)に近づくということは、単一の調的仮説では説明のつかない、複数の調的可能性が拮抗している状態、すなわち生成モデルが特定の仮説にコミットできず、予測の確信度(精度)が低下している状態に対応すると読み替えられる。

同様に、この重心が時間とともにどれだけ・どのように移動するかという軌道の性質は、その生成モデルが自らの仮説をどれだけ、どのように更新し続けているかに対応する。重心の移動が小さく緩やかであれば、既存の調的仮説の範囲内での微修正(局所的な予測誤差の解消)と見なせるが、重心が大きく、あるいは繰り返し遠方へ跳躍するのであれば、それはより根本的な仮説の書き換え——精度の低い予測を維持するコストが、仮説そのものを放棄し新たな生成モデルへ乗り換えるコストを上回った結果としての転換——に相当すると解釈できる。

このように、五度圏上の重心とその軌道という幾何学的に定義された量は、それ自体としては単なる音響的事実の要約にすぎない。しかし、これを「ある行為主体が、自らの置かれた音空間について抱く予測とその確信度が、時間とともにどのように維持され、あるいは崩れていくか」を表す代理指標として読み替えることで、初めてFEPという理論的語彙で意味づけることが可能になる。第3部で述べた9指標のFEP三層構造への割り当て(層1:Avg_r・SD_r・Tonal_Focus、層2:Avg_Step・Step_Rate_100・Spatial_Dispersion、層3:PC_Density・Texture_Volatility・Harmonic_Coverage)は、この読み替えを指標設計に反映したものである。

なお、この読み替えの妥当性そのものは証明された事実ではなく、本研究が採用する解釈的枠組み(作業仮説)である点には留意されたい。この枠組みの哲学的基礎(変分自由エネルギー・精度付与・階層的生成モデル等の詳細)については、別稿「自由エネルギー原理による老化と後期様式の統合的理解に向けて」第1.3節・第2章を参照されたい。

4.2 カスプカタストロフィーモデル

本研究の指標が捉える調的変化のうち、連続的な微修正では説明のつかない急激な質的転換(例:ペッテション第9〜10番付近でのAvg_r・Rbar_fullの同時崩壊)については、カタストロフィー理論、とりわけカスプモデルによる不連続的転換として記述する。

ここで重要なのは、カタストロフィー理論を、音楽的時間の進行そのものを説明する因果的図式として用いるのではなく、聴取主体(あるいは分析者)の推論が破綻する形式的条件を記述する道具として位置づけることである。すなわち、楽曲中に検出される不連続点は、生物学的・心理学的な意味での「崩壊」を直接指示するものではなく、生成モデルが特定の仮説にコミットし続けるコストが、仮説を放棄し新たな生成モデルへ移行するコストを上回った——という形式的条件が満たされた地点として解釈される。この位置づけの詳細な理論的正当化(fold型カタストロフィーとcusp型カタストロフィーの区別、非出来事的な「老化過程」と出来事的な「老いの意識」の形式的区別を含む)は、別稿「老いの意識の形式」第3〜4章に委ねる。

現時点で、本研究の定量指標(楽章・作品単位の集計統計量)は、このカタストロフィー的な不連続点を楽章内部の時間発展として直接検出する設計にはなっていない。この点は本研究の限界であり、今後の課題として第6部(データの信頼性と限界)で改めて述べる。

4.3 「交響曲的主体」類型

本研究が対象とする作曲家群は、FEP的な主体の存在様式に関する類型論に基づき、それぞれ異なる型として位置づけられる。以下は、既存9指標のPCAスコア(8作曲家・45楽章)を用いた計量的照合と一定程度整合的な、解釈上の類型の一覧であり、詳細な数値的根拠と解釈は別稿「交響曲的思考における音楽的主体の存在様式——調性構造のPCA分析によるFEP的解釈」を参照されたい。

作曲家

類型

要点

Haydn・Mozart

規範的生成モデルの極

高いAvg_r・高いTonal_Focus・高いHarmonic_Coverageにより、階層的生成モデルが安定して機能する参照点

Brahms

主体が問題化されない安定形

「健全な動物型主体」としての安定——FEP的脱構築が問題化される以前の位相の計量的参照点

Bruckner

前主体的力学系(多孔質的自己)

高いAvg_rを維持しつつ、後期に向けてTonal_Focusが低下し空間的拡張(Spatial_Dispersion)が進む——「解決」ではなく「持続的な場の維持」

Mahler

裂開する動物型FEP主体

全作曲家中最大のPC1散布幅——境界の外在化(初期)、緩衝された自己の確立(中期)、声による一時的較正(第8番)、過剰化・破綻(後期)という時系列的軌跡

Sibelius

環境内在的・植物型主体

非線形的・非目的論的な展開。動物型主体(戦略的行為による誤差解消)とは構造的に異なる、誤差を形態変化として吸収する植物型主体

Shostakovich

外部化された主体

Brucknerとは異なる経路でPC2正値に至る——境界の性質そのものが異なる質的差異

Pettersson

損傷した主体の持続

後期(第9〜10番以降)での調的求心力の構造的崩壊とその後の部分的回復——「損傷」を抱えたまま持続する主体

これらの類型は、9指標PCAという単一の計量的基盤の上に構築されている点で、本研究の拡張指標群(レポートI・第1部で扱う方向性指標・原点細分化指標)による今後の再検討・精緻化の対象となりうる。特にPettersson・Sibelius《タピオラ》における原点収束の機構的差異(減七和音への収斂 対 全音音階性)は、「損傷した主体」「植物型主体」というそれぞれの類型を、より高い解像度で特徴づける材料になると考えられる。

4.4 本稿の理論的深化を委ねる別稿

本節で要約した理論的枠組みの詳細な展開は、以下の別稿に委ねる。


(2026.9.10 公開)

五度圏重心分析の方法論的基礎 第3部:指標体系

 

第3部:指標体系

本稿は、小節ごとの重心座標という一次データ(軌道)から、実際に算出・使用している指標群の定義と、それぞれの採否の根拠を記述する。第1部で述べた数理的基盤(五度圏重心のDFT的位置づけ)、第2部で述べた分析設計(サンプリング単位・コーパス構成)を前提とし、その上でどのような統計量を、どのような理論的動機に基づいて構成したかを扱う。

3.1 既存9指標の定義と相互関係

各分析単位(楽章または作品)について、以下の9つの指標を算出する。これらはいずれも、小節ごとの重心座標という一次データ(軌道)を、平均・標準偏差・角度差の平均といった形に要約した二次的な統計量である。これらは軌道の「形状の特徴」を数値化したものであり、軌道そのもの——すなわち、どの小節で、どの方向に、どれだけ急激に重心が動いたかという時間発展の具体的な経路——を保持していない。

ここで選択された9つの統計量は、軌道の要約統計量として一般的なもの(平均・分散・変化量の平均等)を機械的に採用したものではなく、自由エネルギー原理(FEP)の三層構造という理論的な問いに対応させる形で、各層に最低3つずつ、意味の異なる統計量を配置している。

層1:生成モデルの安定性(その曲は、自らの調的仮説にどれだけ確信を持ち続けているか)

  • Avg_r(平均重心半径):全小節を通じた重心半径の平均。生成モデルが平均してどれだけ強くコミットした予測(=特定の調的領域)を維持しているかの、いわば「デフォルトの確信度」に対応する。

  • SD_r(重心半径の標準偏差):Avg_rが曲内でどれだけ揺れ動くか。同じAvg_rでも、終始一定の精度水準を保ちながら予測を維持する曲と、精度を動的に上下させながら予測誤差に対する感受性を能動的に再調整する曲とは、FEP的には全く異なる主体のあり方を意味する。SD_rはこの精度変動の大きさそのものを測る。

  • Tonal_Focus(調的集中度):実装上の定義は、五度圏平面(xy座標)を10×10のグリッドに分割した2次元ヒストグラムにおいて、最も出現頻度の高いビンが全サンプル中に占める比率(最大ビン占有率)である。したがって厳密には、Tonal_Focusは「原点近傍への集中度」そのものを測る指標ではなく、軌道上で重心が最も頻繁に訪れる局所領域への集中度を測る指標である。多くの調性音楽では、重心が最も頻繁に滞在する領域は主調に対応する非原点の一点になるため、この局所集中は経験的に「調的な収束」と対応するが、両者が概念として同一ではない点には注意を要する。層1の中では、Avg_r・SD_rが軌道全体にわたる平均的な水準とその変動を捉えるのに対し、Tonal_Focusはこれらとは独立に、軌道が特定の一領域にどれだけ偏って滞留するかという、空間的な集中の程度を捉える指標として機能する。

層2:状態空間における行動パターン(重心はどう動き回るか)

  • Avg_Step(平均ステップ幅):隣接小節間の重心移動角度の平均。FEP的には、一歩ごとにどれだけ予測を更新しているかに対応する。値が大きいほど、調的な文脈の書き換えが頻繁であることを意味する。

  • Step_Rate_100(100小節あたりステップ量):Avg_Stepの曲長正規化版。作品によって長さが数倍異なる場合、正規化を行わないと総移動量が単に曲の長さに比例してしまい、作品固有の「動きの烈しさ」ではなく単なる長さの効果を測ることになる。この正規化は、作品間比較を可能にするための必須の設計である。

  • Spatial_Dispersion(空間分散度):重心が実際に訪れた領域の広がり(分散)。Avg_Stepとは独立の情報である。転調の歩幅(Avg_Step)が同程度であっても、五度圏上の特定領域を集中的に往復する動きと、広域にわたって分散しながら移動する動きとでは、Spatial_Dispersionの値は大きく異なる。FEP的には、前者は同一の調的仮説の周辺で予測誤差を局所的に微修正し続ける状態に、後者は生成モデルそのものが想定する調的仮説の範囲が広く、より根本的な書き換え(遠い調的領域への探索的飛躍)が生じやすい状態に対応すると解釈できる。

層3:感覚入力の複雑性(拍頭で実際に何が鳴っているか)

  • PC_Density(ピッチクラス密度):拍頭で同時に鳴っているピッチクラス数の平均。瞬間ごとの感覚入力そのものの複雑さを表す、最も直接的な指標である。

  • Texture_Volatility(テクスチュア揺らぎ):PC_Densityが小節ごとにどれだけ変動するか。同じ平均密度でも、常に一定の厚みで鳴り続ける曲と、薄い瞬間と厚い瞬間が激しく交代する曲とでは、感覚入力として与えられる「驚き」の量が異なる。これはPC_Densityの平均だけでは失われる情報である。

  • Harmonic_Coverage(和声被覆率):楽曲全体を通じて、三和音以上の有効和声が成立している小節の比率(=有効小節数/全小節数)。PC_Densityが「ある拍頭で何声部鳴っているか」という瞬間の密度を測るのに対し、Harmonic_Coverageは「そのような有効な和声が楽曲全体の何割の時間にわたって途切れずに存在しているか」という被覆の持続性を測る。FEP的には、生成モデルへの感覚入力が供給され続けている時間的割合に対応する。

まとめると、9指標は「平均・分散・広がり」という統計的操作を無差別に適用したものではなく、各層について「平均的な水準」「その水準の一貫性」「探索・変動の広がり」という異なる情報を最低限セットで揃えるという設計方針のもとに選ばれている。これにより、同じ平均値を持つ2曲でも、変動の仕方や探索範囲の違いによって、PCA空間上では異なる位置に配置されうるという分解能が確保されている。

3.2 9指標体系の冗長性・寄与度に関する検証

9指標のうち、寄与度が低い、ないし他指標と冗長な指標が存在しないかを検証するため、全拍サンプリングとの比較で得られたローディングの角度安定性・他指標との相関・PCA構造への寄与という3つの診断軸により、SD_r・Spatial_Dispersion・PC_Density・Texture_Volatilityの4指標を除外候補の初期スクリーニング対象として抽出した。

初期スクリーニングの結果:ローディングベクトルの角度(PC1軸寄りかPC2軸寄りか)が分析条件間でどれだけ安定しているかを見ると、Spatial_Dispersionが最も不安定であり(角度の標準偏差36.9°、PC1との相関の符号が分析条件によって反転する)、SD_rがこれに次いだ(22.3°)。一方、他の8指標との相関を見ると、SD_rはAvg_r(|r|=0.740.80)・Tonal_Focus(|r|=0.610.74)・Avg_Step/Step_Rate_100(|r|=0.560.62)と高く相関しており、既存指標と情報が重複している可能性が示唆された。対照的にSpatial_Dispersionは他のどの指標とも弱い相関(|r|0.52)しか持たず、冗長性ではなく信号の弱さが問題である可能性が高いと判断された。

ブートストラップ安定性分析による追加検証:しかし、この結論はPC1・PC2という2次元へ射影した後の構造にのみ基づくものである。指標の除外がPCAによる射影を経る前の段階で分類結果そのものにどの程度影響するかを確認するため、標準化された9指標(または候補指標を除いた8指標)を直接クラスタリングに用いる検証を追加で行った。全50楽章データを用い、各候補指標を除いた8指標セットについて、既存の9指標セットと同一の手順(200回のリサンプリングによるブートストラップ安定性分析)でk=3の安定性を再計算したところ、以下の結果を得た。

除外した指標

k=3平均ARI

frac(ARI>0.75)

baselineとの差

(baseline・9指標)

0.699

52%

SD_r

0.608

18%

−0.091(最も悪化)

Spatial_Dispersion

0.675

43%

−0.024(やや悪化)

Texture_Volatility

0.733

54%

+0.034(微改善)

PC_Density

0.745

63%

+0.046(改善)

SD_rを除いた場合にk=3の安定性が最も大きく悪化することが明らかになった。9指標によるk=3クラスタリングとSD_r除外後の8指標によるk=3クラスタリングを直接比較すると、両者の一致度はARI=0.784にとどまり、全50楽章中4楽章が異なるクラスタへ再配置された。

結論:PCA的な冗長性とクラスタリング上の寄与度は必ずしも一致しない。SD_rは、PC1・PC2という2次元の連続的構造に対しては他指標と重複した情報しか提供していないように見えたが、9次元(8次元)空間全体を用いる離散的なクラスタリング構造に対しては、無視できない固有の寄与を果たしていることが判明した。これは、相関の高さのみに基づいて指標の冗長性を判断することの危うさを示す一例であり、この検証結果自体は「相関構造に基づく指標の一見した冗長性」と「クラスタリングという離散的な分類課題における実際の寄与度」とが乖離しうるという方法論的知見として、それ自体価値を持つと判断する。以上より、現行の9指標セットをそのまま維持する。

3.3 採用しなかった指標:Winding_Rate_100

9指標とは別に、Winding_Rate_100(五度圏上での回転方向を考慮した累積移動量)という指標も試作したが、複数楽章を連結した際に楽章境界での人為的な接続が値を歪めやすいという性質があるため、9指標体系には含めていない。

この除外判断は、拍頭サンプリングと全拍サンプリングの比較検証によっても独立に裏付けられている。他の9指標のPC1・PC2相関がいずれも高水準(0.8〜0.99)を維持したのに対し、Winding_Rate_100の相関は全楽章分析で0.500、全曲分析で0.564にとどまり、主要楽章分析に至っては−0.305と符号そのものが逆転した。これは、この指標がサンプリング単位の変更に対して極めて脆弱であることを独立に裏付けており、9指標から除外した判断の妥当性を補強するものである。

3.4 方向性指標群・原点細分化指標群

既存9指標体系を拡張する形で開発された、方向性・滞留性・原点細分化に関わる指標群(Anisotropy_Ratio、Rbar_full、Attractor_Number、Origin_PCSet_Ratio、Exact_Triadic_Ratio等、計16指標)については、その開発経緯(3段階の探索プロセス)・数学的背景・検証手続きを、別稿「五度圏ピッチクラスセット重心の方向性指標拡張——方法論編(レポートI)」に詳述している。この16指標は既存9指標を置き換えるものではなく、両者は同一の一次データ(小節ごとの重心座標)に対する異なる要約統計量として並立する拡張体系である。9指標は軌道の基礎的な記述(水準・変動・広がり、および3.1節で述べたFEP三層構造への対応)を担う基盤体系として維持され、16指標はこれに、9指標では捉えられない別の幾何学的情報——重心が原点からどの方向に偏っているか(方向性)、特定の領域にどれだけ滞留するか(滞留性)、原点収束の内実がどの対称和音に由来するか(原点細分化)——を追加する。レポートI第2章は新指標群の開発経緯を、第3章はその妥当性・新規性・限界の検証方法論(新旧指標体系の整合性検証を含む)を扱っており、本稿と合わせて参照されたい。特に、新指標群のうち原点収束現象に関わる部分(レポートI第2.3節)の数理的基盤——なぜ回転対称性を持つ和音が必然的に原点に収束するか——については、本稿とは独立した基礎文書である「五度圏重心分析の方法論的基礎」第1部で、Lewin–Quinnの移調対称性定理に基づく完全な演繹的説明を与えている。

なお、レポートI第3.1〜3.4節で示されている通り、新指標群のうち複数(特に第1段階の異方性・方向集中指標群)は、既存のPC1・PC2(9指標体系のPCA平面)に対して高い相関を示すものが多く、真に新規の情報を持つのはOrigin_PCSet_Ratioを中心とする一部の指標に限られることが確認されている。この点も含めた詳細な検証結果は、レポートI第3章を参照されたい。

3.5 概念的独立性と経験的相関の区別という視座

新指標の検証にあたり、ある新指標が既存軸と強い相関を示した場合であっても、それは「その指標が測定する概念そのものが既存指標と同一である」ことを意味しない、という区別を方法論上の前提として採用している。たとえば方向集中度(Rbar_full)と調的集中度(Tonal_Focus)は、数学的には独立に振る舞いうる量である(半径方向に凝集しつつ全方位に均等に散らばる、あるいはその逆の組み合わせも原理上ありうる)。したがって、経験的に強い相関が観察されたこと自体が、両者が概念上偶然一致しているのではなく実質的な音楽的規則性を反映している可能性がある、という解釈上の余地を残す形で報告する方針を取っている。この視座は、3.2節で確認した「PCA的な冗長性とクラスタリング上の寄与度の乖離」という知見とも整合的であり、単一の統計的基準だけで指標の要否を機械的に判定することの危うさに対する、本研究全体を貫く一貫した警戒である。

(2026.9.10 公開)

五度圏重心分析の方法論的基礎 第2部:分析設計の哲学

 

第2部:分析設計の哲学

本稿は、五度圏重心分析という手法を実際のコーパスに適用するにあたって行われた、一連の設計判断とその根拠を記述する。第1部が「なぜ五度圏埋め込みという手法自体が数理的に正当か」を扱ったのに対し、本稿が扱うのは「その手法を、具体的にどの単位で、どう区切って、どう適用するか」という運用レベルの設計である。

2.1 サンプリングの単位と対象範囲

分析はMIDIデータから小節単位で行う。各小節の先頭拍(拍頭)で実際に鳴っている音(ピッチクラス)の集合を五度圏上に投影し、重心とその関連量を計算する。小節内部で生じる経過音・倚音・刺繍音等の非和声音、および四六の和音を含む転回形の違いは、この計算には反映されない(転回形はピッチクラス集合として同一であるため、五度圏上の重心も同一の位置になる)。

2.2 PC≥3フィルタの理論的根拠

単一の音や2音のみで構成される小節は、和声的な情報量が乏しく、テクスチュアの薄さそのものが調的指標を歪めるノイズ源となりうるため、3音以上(PC≥3)を含む小節のみを分析対象とするフィルタを適用している。単音・二音の小節が持つテクスチュア上の特徴は、別途Harmonic_Coverage等の指標で捕捉される。

このフィルタには、和声的情報量の乏しさとは別に、五度圏重心という計算の定義そのものに起因する、より根本的な理由がある。単一のピッチクラスのみが鳴っている瞬間、その「重心」は当該ピッチクラス自身の単位円上の点と一致するため、r(原点からの距離)は常に1という最大値を取る。これはどの音が鳴っていようと、その音がどのような文脈に置かれていようと機械的に成立する等式であり、複数の音が特定の調的中心へと収束しているという実質的な意味での「調的集中」を何ら反映しない。同様に、2音のみが鳴っている小節では、重心のrはもっぱらその2音の五度圏上での隔たり(音程関係)のみによって決定される。たとえば完全五度の関係にある2音はr0.97ときわめて高い値を取り、増四度(三全音)の関係にある2音はr=0(五度圏上で正反対の位置にあるため相殺)となる。すなわち2音小節のrは、複数声部が和声的に収束する度合いではなく、単にどの音程が選ばれたかを言い換えているに過ぎない。これらの小節を分析に含めると、テクスチュアが薄い箇所ほどAvg_r・Tonal_Focusが不自然に高騰し、両指標が測定しようとしている「和声的収束」という概念そのものが変質してしまう。

したがって本フィルタは、単なるノイズ除去という消極的な理由だけでなく、重心という幾何学的量が定義上意味を持つための最小条件——複数の独立した音による収束・分散が観測できること——を確保するという、より積極的な理由に基づいている。

なお、テクスチュアの薄さに起因する情報不足という問題自体は、本研究に固有のものではなく、他の調性推定手法においても等しく生じる。たとえばクラムハンスル=シュムックラーの調的階層モデルでは、単一時点のピッチクラスだけで24の調プロファイルとの相関を取ろうとすると同様に不安定な推定になるため、実務上は前後の一定区間(ウィンドウ)にわたるピッチクラス分布を集計してから相関を計算することで、この問題を緩和している。しかし、この種の時間窓による平滑化は、本研究が採用する瞬間ごとのサンプリング設計とは相容れない。本研究の五度圏重心分析は、拍頭(または各拍)という特定の時点における瞬間的な調的重心を、小節・楽章を通じて高い時間分解能で追跡することを目的としており、前後の文脈を参照して各時点の推定値を補強するという操作は、この時間分解能そのものを損なってしまう。したがって本研究では、クラムハンスル型の手法のようにウィンドウ処理で情報不足を補うのではなく、情報量が一定の閾値に満たない時点(PC<3の小節)を測定対象から除外するという、より単純な対処を選択している。

2.3 拍頭サンプリングの統計的正当性

本研究は、和声音/非和声音の判定という機能和声的な規範的操作を経由しない。小節先頭拍という拍節構造上の一点のみを機械的にサンプリングするのは、作曲慣習上、拍頭が和声的に最も安定した瞬間になりやすいという統計的傾向に依拠している。経過音・倚音・刺繍音の類は、定義上、拍の弱部や非アクセント位置に置かれる頻度が高く、逆に拍頭には和声の支えとなる音が置かれる頻度が高い。この傾向は例外のない規則ではなく確率的な傾向にとどまるため、個々の小節について見れば、拍頭サンプリングが非和声音を拾ってしまう誤差を含みうる。しかし本研究が対象とするのは数百から数千小節に及ぶ集計値であり、この規模においては、こうした誤差はある程度打ち消し合うと考えられる。

したがって本手法が主張できるのは、個々の小節の重心が和声学的に厳密に正確であることではなく、小節単位で一貫した規則に基づき機械的にサンプリングした値を、交響曲全曲・全楽章にわたって同一基準で集計することで、意味のある巨視的パターン(軌道の形状、収束・拡散の推移)が浮かび上がる、という点である。本研究における「調的重心」は、機能和声における調性中心(トニック、和声進行の目的地としての調)とは別の構成概念であり、ある瞬間に拍頭で同時に鳴っているピッチクラスの集合が、五度圏という調的近接性を表現する空間上のどこに位置するかを示す、より即物的で局所的な指標である。

頑健性チェック:全拍サンプリングとの比較

拍頭サンプリングという設計上の選択が結果の頑健性を損なっていないかを検証するため、同一のMIDIデータに対し、各小節の先頭拍のみではなく各拍で実際に鳴っている音を単位とするサンプリング(全拍サンプリング)を別途実施し、3つの分析粒度(全楽章・全曲・主要楽章)それぞれで比較した。PC1・PC2スコアの相関(PCAの符号不定性を考慮した絶対値)はいずれの粒度でも高水準を維持し(全楽章:|r|=0.946r=0.812、全曲:r=0.9930.983、主要楽章:r=0.9860.962)、ローディングベクトルのコサイン類似度も同様に高く(PC1:0.984〜0.997、PC2:0.812〜0.986)、9指標が各主成分に寄与する構造そのものはサンプリング単位に依存しないことが確認された。

一方で、全拍サンプリングへの切り替えにより、Tonal_Focus(軌道上で重心が最も頻繁に訪れる局所領域への集中度。定義の詳細は第3部3.1節)は全粒度で一貫して13〜17%低下した。この低下は単なる測定誤差ではなく、「拍頭は和声的に最も安定した瞬間になりやすく、非和声音は拍の弱部に生じる頻度が高い」という拍頭サンプリングの前提と整合的な経験的結果として読み替えられる。全拍サンプリングでは弱拍上の非和声的な音が新たに分析対象に加わり、重心が特定の一領域に滞留する度合いが弱まった結果としてTonal_Focusが体系的に低下したと考えられる。すなわち、拍頭サンプリングを外すと調的集中度の指標が予測通りに悪化するという事実そのものが、拍頭という選択が和声的に安定した瞬間を選択的に捉えていたという前提と整合的な結果を与えている。

2.4 Hauptsatz単位の選択

分析対象となる楽章・作品の範囲は、目的に応じて複数設定する。全楽章分析では個々の楽章を、作品分析では各曲の全楽章を連結したものを、主要楽章分析では各曲のHauptsatz(多くは第1楽章。ただしマーラー第5番は第2楽章Stürmisch bewegtを採用)のみを、それぞれサンプリング単位とする。

主要楽章分析は、単なる中間的な粒度として理解されるべきではない。Hauptsatzは交響曲的思考の構成原理であるソナタ形式——提示・展開・再現という弁証法的プロセス——が直接に担われる場であり、この原理の継承と同時に、作曲家ごとの独自の構造的変容(主題群の拡張、展開部の異形化、再現の非定型化等)が最も集中的に刻印される楽章でもある。したがって主要楽章分析が捉えているのは、単なる「代表サンプル」ではなく、音楽的主体が形式原理そのものと直接対峙する場における調的溶解の様態である。

異なる粒度で同一の音楽内容を分析することには、単なる方法論的な厳密性の確保にとどまらない意義がある。音楽的主体そのものが、観測のスケールに応じて異なる相貌を見せる階層的な存在様式を持つという理論的主張と、この複数粒度による検証は直接結びついている。

2.5 コーパス構成

分析対象は8作曲家・55楽章(単一楽章形式の作品を含む)である。

作曲家

楽章数

信頼性

マーラー

11(交響曲第1〜10番+《大地の歌》)

最高信頼性

ペッテション

11(交響曲第6〜16番)

信頼できる単一ソース

ブルックナー

8

ソースによって信頼性に差あり

シベリウス

9

部分的クロスバリデーション済み

ハイドン

8

比較参照群

ブラームス

4

比較参照群

モーツァルト

4

比較参照群

ショスタコーヴィチ

2

比較参照群(n=2、解釈に注意)

各作品の重心データは、MIDIデータから抽出した各小節拍頭のピッチクラスセットを、PC≥3フィルタを適用のうえ単位円上の座標として表現し算術平均を取ったものである。マーラーを中核(全50楽章の個別分析が可能な唯一の作曲家)としつつ、他の作曲家群は主に主要楽章・作品単位での比較対象として位置づけられる。

2.6 MIDIデータの信頼性に関する留意点

MIDIデータの制作経路は、大別すると(a)MIDIシーケンサ等を用いて楽譜情報を手入力したものと、(b)MIDIインタフェースを備えた楽器での演奏を収録し、MIDIフォーマットに変換して保存したものの2種類に分けられる。(b)については、演奏を収録したMIDIデータには拍節(小節・拍)に関する情報がそもそも含まれておらず、拍頭サンプリングを行うために不可欠な拍節情報を事後的に推定する必要が生じるが、この推定を高精度に行うことは現時点の技術水準でも依然として困難である。

一方、(a)の手入力データであっても、再生・鑑賞を目的として制作されたものである場合、必ずしも小節・拍の情報が正確に、あるいはそもそも付与されているとは限らない。また、拍節情報が存在する場合であっても、手入力に起因する入力誤りや音価の揺れが混入する可能性は排除できない。さらに、拍頭サンプリングにおいて小節先頭拍のtick位置に厳密に鳴っている音のみをサンプリングした場合、人間の聴覚では十分に「その拍で鳴っている」と知覚されるにもかかわらず、ごくわずかな発音タイミングの遅れ(ヒューマナイズや演奏由来のずれ等)によってサンプリングから漏れてしまう音が生じうる。

これらの構造的制約に対し、本研究は主として以下の2点の対策を講じている。第一に、拍頭tickの一点のみをサンプリングするのではなく、その前後に一定の幅を持たせた区間内で鳴っている音をサンプリングする方式を採用した(幅は、経過音等を誤って拾わないよう必要最小限の短さに設定している)。第二に、同一作品について複数のMIDIファイルが公開されている場合には、それらの信頼性を比較評価した上で、相対的に信頼性が高いと判断される制作者のデータを一貫して採用することとし、分析全体を通じたデータの一貫性を確保している。マーラーの場合、加藤隆太郎氏による第1〜9交響曲および《大地の歌》の全集が、複数ファイルの比較検討の結果、相対的に信頼性が高いと確認されたため、第10交響曲(クックの補筆による全曲版、別作者による唯一のバージョン)を除きこれを採用している。

(2026.9.10 公開)

五度圏重心分析の方法論的基礎 第1部:数理的基礎

 

第1部:数理的基礎

1.1 五度圏埋め込みの定式化

本研究の全分析は、各拍頭(あるいは分析対象の時間単位)で鳴っているピッチクラス集合を、五度圏上の単位円周上の点として埋め込むことから出発する。ピッチクラス $p \in \mathbb{Z}_{12}$ を、五度圏上での配列順序に従って角度

$$\theta(p)=\frac{2\pi}{12}\,\operatorname{ord}_5(p)$$

に対応する単位ベクトル$v(p)=\bigl(\cos\theta(p),\sin\theta(p)\bigr)\in \mathbb{R}^2 $に写す($\mathrm{ord}_5(p)$ は五度圏上でのpの配列順位)。ある時間単位で活性化しているピッチクラス集合を $X \subseteq \mathbb{Z}_{12}$($|X|=n$)とするとき、その重心

$$ c(X) = \frac{1}{n} \sum_{p\in X} v(p) $$

と定義する。以降の全指標(Avg_r、Tonal_Focus、Centroid_Dist、方向性指標群、および本稿で扱う三和音占有度・原点細分化指標)は、この$c(X)$ の軌跡・分布・統計量として構成されている。

重要な点として、五度圏上での配列順序 $\mathrm{ord}_5$ は、通常の半音階順序に対して「5を乗じる」という$\mathbb{Z}_{12}$上の自己同型(あるいは同値な7を用いた自己同型)に対応する。すなわち、半音階順に並んだピッチクラス $p$ を $5p \bmod 12$ に送る操作が、半音階順を五度圏順へと並べ替える操作そのものである。この事実が、次節で述べるDFTとの同値性の根拠になる。

1.2 DFT第5係数との同値性

ピッチクラス集合 $X$ の指示関数 $\mathbf{1}_X: \mathbb{Z}_{12} \to \{0,1\}$ に対して、標準的な離散フーリエ変換(DFT)係数を

$$ f_k(X) = \sum_{p \in \mathbb{Z}_{12}} \mathbf{1}_X(p)\, e^{-2\pi i kp/12} = \sum_{p \in X} e^{-2\pi i kp/12} \qquad (k = 0,1,\dots,11) $$

と定義する(Lewin 1959, 1987; Quinn 2006の「PCセットのフーリエ変換」の枠組み)。1.1節で述べた自己同型 $p \mapsto 5p$ により半音階順を五度圏順に並べ替える操作は、DFTにおいては周波数インデックスの並べ替え($k=1$ を $k=5$ に対応させる操作)に等しい。したがって、

$$ c(X) = \frac{1}{n}\, \overline{f_5(X)} \quad \text{(適切な回転・共役を除いて)} $$

という関係が成り立つ。すなわち**五度圏重心とは、正規化されたDFT第5係数(の複素共役、あるいは同値な$k=7$係数)に他ならない**。これは本研究独自の幾何学的発明ではなく、既存の音楽理論的フーリエ解析(Quinn 2006の「調的忠実度(diatonicity)」を測る係数)の一具体化である。この事実は、五度圏重心分析が恣意的な幾何学的選択ではなく、確立された形式的枠組みの中に位置づけられることを示す。

1.3 Lewin–Quinnの移調対称性定理と原点収束の完全な特徴づけ

DFT係数と移調対称性の間には、次の古典的定理が成り立つ(Lewin 1959; 一般形はQuinn 2006)。

定理(移調対称性とDFT係数の消滅)ピッチクラス集合 $X$ が、ある $t \in \{1,\dots,11\}$ について移調 $T_t$($T_t(X) = X$)で不変であるとき、

$$ f_k(X) = 0 \quad \text{for all } k \text{ such that } k \text{ is not a multiple of } \frac{12}{\gcd(12,t)}. $$

この定理を $k=5$ の場合に適用すると、5と12が互いに素($\gcd(5,12)=1$)であることから、次の系が直ちに得られる。

系(f5の対称性盲目性)$\mathbb{Z}_{12}$上のいかなる非自明な巡回対称性(位数2・3・4・6のいずれについての回転対称性)を持つピッチクラス集合も、必ず $f_5(X)=0$、すなわち五度圏重心は原点に収束する。

これにより、本研究のコーパスで実際に原点収束が確認された和音種——増三和音(T4対称、位数3)、減七の和音(T3対称、位数4)、全音音階六和音(T2対称、位数6)、三全音ダイアド(T6対称、位数2)、フランスの六(T6対称、位数2)——が漏れなく、かつこれら以外の対称性クラスが存在しないことも含めて、完全に演繹的に説明される。個々の和音について経験的に「重心がゼロになる」ことを確認する必要はなく、上記の定理からアプリオリに保証される。

逆に、長三和音・短三和音・減三和音・属七・4度堆積和音のように非自明な巡回対称性を持たない和音種は、12種の移調がすべて相異なる点に写ることも同じ論理から保証される(対称性がなければ定理の前提を満たさないため、f5が消滅する理由がない)。

$f_5$の盲目性は、$f_1$と共有された性質である。 ここで注意すべき点がある。5が12と互いに素であるという性質は、$k=1$(半音階順に並べたDFT係数)にもそのまま当てはまる。すなわち、上記の対称和音(増三和音・減七・全音音階・三全音ダイアド・フランスの六)は、$f_5$だけでなく$f_1$においても等しくゼロになる。実際に数値で確認すると、これらの和音はいずれも$|f_1|=0$であり、これは偶然の一致ではなく、1もまた12と互いに素であることから同じ定理により保証される。

したがって正確には、「12と互いに素な添字を持つ係数(f1,f5、およびそれぞれの複素共役に相当するf11,f7)」は、ひとまとめにしてあらゆる非自明な回転対称性に対して盲目であり、これはf5固有の性質ではない。f1f5の違いは「どの対称性を見逃すか」ではなく、見逃さずに残る非対称な情報を、どちらの幾何学的秩序(半音階の隣接関係か、五度圏上の隣接関係か)に沿って組織化するかという点にある。f1は半音階的なクラスター性を、f5は五度圏上の方向的偏り(調的忠実度)を、それぞれ検出する。

一方、12と非自明な公約数を持つ$f_2, f_3, f_4, f_6$は、$f_1, f_5$が盲目となる対称和音を相補的に検出する専用チャンネルとして機能する。定理における位数$d$($d=12/\gcd(12,t)$)と添字$k$の関係から、$d|k$を満たす場合にのみ非ゼロが許されるため、三全音ダイアド(位数2)は$k=2,4,6$のいずれでも非ゼロになりうる一方、増三和音(位数3)は$k=3,6$、減七(位数4)は$k=4$、全音音階(位数6)は$k=6$でのみ非ゼロになりうる。実際に数値で確認すると、この対応は次のように整理できる。

和音(対称性の位数)

f1

f2

f3

f4

f5

f6

増三和音(位数3)

0

0

3.00

0

0

3.00

減七(位数4)

0

0

0

4.00

0

0

全音音階(位数6)

0

0

0

0

0

6.00

三全音ダイアド(位数2)

0

2.00

0

2.00

0

2.00

長三和音(対称性なし)

0.52

1.00

2.24

1.73

1.93

1.00

この表が示す通り、$f_2, f_3, f_4, f_6$の4係数は、それぞれ位数2・3・4・6の対称和音に特化した検出器であり(Quinn 2006–2007の枠組みでは、これらはそれぞれ「三全音的半音階性」「増三和音/六音性」「減七」「全音音階」の"prototype"に対応する)、$f_1, f_5$が共通して見逃す対称性を相補的に拾い上げている。したがって本節冒頭の系は、「$f_5$が特別だから原点収束が起こる」のではなく、「$f_5$は$f_1$と並んで対称性一般に盲目な係数の一つであり、たまたま本研究の分析目的(調的方向性の追跡)に適した幾何学的秩序(五度圏順)を採用しているにすぎない」という、より正確な位置づけに修正されるべきである。

1.4 補集合定理

DFTの線形性から、$X$ とその補集合 $X^c = \mathbb{Z}_{12}\setminus X$ について

$$ f_k(X) + f_k(X^c) = f_k(\mathbb{Z}_{12}) = 0 \qquad (k \neq 0) $$

が常に成り立つ($\mathbb{Z}_{12}$全体、すなわち全12音の定数関数のDFTは、$k=0$を除いて恒等的にゼロになるため)。ゆえに

$$ f_5(X^c) = -f_5(X) $$

であり、これを重心の言葉に翻訳すると、$n=|X|$、$m=|X^c|=12-n$ として

$$ c(X^c) = -\frac{n}{12-n}\, c(X) $$

という関係式が得られる。すなわちある和音の重心と、その和音に含まれない残りの音全体の重心は、原点を挟んで正反対の方向にあり、その大きさは音数比 $n:(12-n)$ に反比例してスケールされる。1.3節の原点収束定理は、この一般定理において $c(X)=0$ となる特殊ケースに他ならない($c(X)=0 \Leftrightarrow c(X^c)=0$)。

1.5 音程クラス自己相関とDFT係数の大きさの関係(Wiener–Khinchinの定理の離散版)

1.3節の対称性定理は、$f_k(X)$がいつゼロになるかという消滅条件を扱うものだった。ここではこれとは異なる種類の関係——$|f_k(X)|$の大きさそのものが、ピッチクラス分布の内部にある音程構造からどのように決まるかを述べる。

一般に、ピッチクラス上の重み分布 $h:\mathbb{Z}_{12}\to\mathbb{R}_{\ge 0}$($h$は指示関数$\mathbf{1}_X$であってもよいし、頻度分布であってもよい)に対して、そのDFT係数を

$$ F_k(h) = \sum_{c\in\mathbb{Z}_{12}} h(c)\, e^{-2\pi i kc/12} $$

とする。このとき、大きさの2乗は

$$ |F_k(h)|^2 = F_k(h)\,\overline{F_k(h)} = \sum_{c,c'} h(c)h(c')\, e^{-2\pi i k(c-c')/12} $$

と書ける。ここで $t = c-c' \bmod 12$ とおき、$h$の自己相関関数

$$ A(t) = \sum_{c\in\mathbb{Z}_{12}} h(c)\,h(c-t \bmod 12) $$

を定義する($A(t)$は、分布$h$の中で音程$t$だけ離れた2点がどれだけ共起しているかを表す)。$A(t)=A(-t)$($h$が実数値であることによる対称性)に注意すると、

$$ |F_k(h)|^2 = A(0) + 2\sum_{t=1}^{5} A(t)\cos\!\left(\frac{2\pi kt}{12}\right) + A(6)\cos(\pi k) $$

という関係が成り立つ。すなわち$|F_k|^2$は、分布$h$の自己相関関数$A(t)$のコサイン変換に等しい(離散版Wiener–Khinchinの定理)

古典的な音程クラスベクトルとの関係$h=\mathbf{1}_X$($X$は通常のピッチクラスセット)の場合、$t\neq 0$に対する$A(t)$は、Forte以来の音程クラス理論における音程クラスベクトル(interval-class vector, ic-vector)の各成分と(定数倍を除いて)一致する。したがって上式は、「音程クラスベクトルが、すべての$k$についての$|F_k|$を完全に決定する」という、Fourier的ピッチクラスセット理論では既知の事実(Lewin, Quinn)の一般化にあたる。逆に言えば、同一の音程クラスベクトルを持つが移調・反転で重ならない2つの集合(いわゆるZ関係にある集合対)は、すべての$k$について$|F_k|$が完全に一致する——これは、音程クラスベクトルだけからは集合の同一性を再構成できないという、古典的なZ関係の存在の、Fourier理論的な説明でもある。

係数$\cos(2\pi kt/12)$の意味この式は、各音程クラス$t$が各モード$k$に対してどれだけ正または負に寄与するかを、$\cos(2\pi kt/12)$という重みで与えている。この係数が$+1$に近い音程ほど、その音程の出現頻度が高いほど当該モードの大きさを増大させ、$-1$に近いほど減少させる。$t$と$12$の最大公約数が$1$である場合($t=1,5,7,11$)、この係数を最大化する$k$($1\le k\le6$の範囲)は一意に定まる($t=1\to k=1$、$t=5\to k=5$)。一方、$\gcd(t,12)>1$である場合($t=2,3,4,6$)、複数の$k$が同時に係数$+1$を達成しうる(例:$t=4$は$k=3,6$の両方、$t=6$は$k=2,4,6$のすべて)。これは1.3節で述べた対称性定理における「位数$d=12/\gcd(12,t)$の対称性が$d\mid k$を満たす$k$すべてに影響する」という構造の裏側にあたる——対称性の高い音程ほど、単一のモードに還元できず複数のモードに同時に寄与する、という点で、1.3節の消滅条件と1.5節の大きさの条件は同じ数論的構造($\gcd(t,12)$あるいは$\gcd(d,12)$)を共有している。

なお、この自己相関$A(t)$は分布$h$全体(すべての点対)についての共起を数えるものであり、時系列データにおいて実際に観測される「隣接する事象間の遷移頻度」(例えば、旋律における隣接音間の音程クラス分布)とは、一般には異なる量である。両者が強く相関するのは、分布$h$自体が隣接遷移の蓄積によって形成される場合——すなわち、直前の状態のみに依存して次の状態が決まるマルコフ的な生成過程によって音高列が生成される場合——であり、この場合に限り、隣接音程の経験分布を$A(t)$の近似的代理として用いることが正当化される。

1.6 方法論的含意のまとめ

以上の数理的基礎は、拡張分析(三和音占有度・原点細分化)の実施過程で必要に迫られて確認された事実を体系化したものだが、その射程は今回の拡張に留まらない。

  1. 五度圏埋め込みの妥当性の理論的根拠五度圏重心分析は、Lewin–Quinnのフーリエ的PCセット理論における「$k=5$係数」の具体化であり、独自の恣意的構成物ではない。

  2. 原点における多対一写像は方法論的欠陥ではなく定理的必然:5と12の互除性という数論的事実のみから、どのような回転対称性を持つ和音も原点に収束することが演繹され、これは経験的補正ではなく理論から要請される性質である。これにより、分析設計において「原点近傍のみ特別な細分化処理を要する」という判断が、アドホックな例外処理ではなく理論的に予見可能な帰結であることが正当化される。

  3. 他の点における衝突は理論上限定的でありながら排除できない:非原点における厳密な重心一致(例:三全音ダイアドとフランスの六が共に原点に写る現象の非原点版)は、対称性定理からは保証されないが、DFT係数空間の代数的構造(12個の12乗根の間の豊富な線形関係)により、可能性として排除できない。実務上は、想定される同時発音数の範囲(2〜5音程度)ではこの種の衝突は稀であることを確認済みだが、密集した同時発音(6音以上)を伴う作品(後期ペッテション等)については、この限りではない。

  4. 観測軸の原理的正当性と、観測値の意味論的十全性は独立である1.2〜1.3節が示したのは、$f_5$が恣意的な幾何学的選択ではなく、DFTという確立された枠組みの中で理論的に動機づけられた座標軸であるということだった。しかし、この正当性は「$f_5=0$という観測値が曖昧さなく特定の音楽内容を意味する」ことを何ら保証しない。むしろ、12次元のピッチクラス集合空間を1つの複素数へ射影する以上、座標軸の選択が恣意的であろうと理論的に必然であろうと、多対一写像は不可避である。実際、同じ$f_5=0$という現象が、機能和声の枠内での修辞的な対称和音の使用(例:モーツァルト39番、ブラームス第1、マーラー第5第2楽章)と、真の調性求心力の喪失(後期ペッテション、シベリウス《タピオラ》)という、音楽的に正反対の内実の両方から生じうることが確認されている。したがって、$f_5=0$という観測値そのものから直接「調的求心力の喪失」といった内容主張を導くことは避け、常に別チャンネル(例えば三和音との厳密な一致率、あるいは原点近傍に着地した具体的なピッチクラス集合の内訳)での照合を経てから内容を論じる、という手続き上の規律が必要になる。。

この規律を実際の分析パイプラインに実装した例として、別稿「五度圏ピッチクラスセット重心の方向性指標拡張——方法論編(レポートI)」第2.3節・第3.5節がある。同稿は、既存9指標体系を拡張する16の新指標(方向性・滞留性・原点細分化指標)の開発経緯と検証手続きを記述した、特定の分析プロジェクトに紐づく応用的な報告書である。本稿が五度圏重心分析という手法そのものの数理的正当性を扱う独立した基礎文書であるのに対し、レポートIはその手法を実際のコーパス分析に適用する過程で導入された具体的な指標体系(Origin_PCSet_Ratio、Exact_Triadic_Ratio、Origin_Collapse_Index等)とその検証方法を扱う——すなわち、本稿で述べた規律をレポートIが具体的な指標として実装している、という一方向的な参照関係にある。両稿は独立に読めるが、原点収束の数理的背景をより詳しく確認したい場合は本稿を、それが実際の指標設計にどう反映されているかを確認したい場合はレポートIを参照されたい。


参照:Lewin, D. (1959). “Re: Intervallic Relations between Two Collections of Notes.” Journal of Music Theory, 3(2). Lewin, D. (1987). Generalized Musical Intervals and Transformations. Quinn, I. (2006–2007). “General Equal-Tempered Pitch-Class Sets and Their Fourier Transforms.” Journal of Music Theory, 50(2)/51(2). Yust, J. (2016). “Special Collections: Renewing Set Theory.” Journal of Music Theory, 60(2), 213–262. Chandler, O. and Thorneycroft, I. (2024). “Phasic Dissonance, Timbral Contrast: Analysing 20th-Century Guitar Harmonies with Discrete Fourier Transform.” Music Analysis, 43(1), 77–113.

(2026.9.10 公開)