マーラーを理解するための文献ガイドという企図には、すぐさま幾つかの反論が考えられるでしょう。その最右翼は、音楽作品を理解するために言語情報は基本的に不要であって、楽譜に書かれていることが全てであり、それでも例えば、歴史的録音記録のようなものを解釈の歴史を跡付ける目的で示すことには意義があるが、文献ガイドは不要であるとする立場でしょう。ここで私が「マーラーの音楽を理解する」と言わずに「マーラーを理解する」としているもその点に関わって、残された作品が全てであり、作者がどんな人であるかは副次的だとする立場からすれば、倒錯した企てということになるのでしょう。ところが、私の場合には、勿論その音楽を前提、媒介としてというのは間違いないことで認めるとして、その関心は、スコアとそのリアリゼーションに限られず、そうした作品の遺したマーラーその人に向かっていて、作品はその人と不可分の一部であり、その総体を理解したいという止み難い欲求に突き動かされて半世紀近くに及んでいて、そうした関心のあり方を、「個別的なものの学 (Mathesis Singularis)」としての「マーラー学」と名付けることにしたというのが端的な事実なのです。シェーンベルクのようにマーラーのネクタイの結び方の方が重要だと迄いうつもりはないですが、音楽に纏わる「人と作品」という捉え方が孕んでいる様々な「神話的」な予断を括弧に入れた上で、でも問いは「このような音響の系列の生成をプログラムしたのはどのような機械なのか?」というような形をとっていて、この問いに様々な側面から、様々なアプローチで応えようとする企てのことを「マーラー学」と言うことができるでしょう。そこで分析や考察を行う対象・媒体としては、スコア、録音記録は勿論、スコアをMIDIデータ化、或いは自分が実演に接したコンサートもまたその対象となるでしょうし、楽曲分析、作品の生成や受容に関する文献も勿論含まれますが、マーラーその人が遺した書簡を始めとする所謂「語録」やその言行を記録した「証言」、マーラーが生活した場所、マーラーその人に影響を与えた書籍といったものにまで及ぶことになり、マーラーのように、評価が定まらなかった時期においても、少なくともポレミックな存在であり、そして今や評価が定まった感のある作曲家については、そうした資料・文献の類は、まさに汗牛充棟の様相を呈することになっていて、その一旦は本ブログの主として資料系のコンテンツからも窺うことができるのではないかと思います。
ところが「マーラーを理解する」ことを企てた時、それが何か客観的・中立的で絶対的な視点から行われることはあり得ませんから、その理解の場と、その場を形作る様々な前了解についても意識的にならざるを得ません。特にマーラーは1世紀以上前の、地球の反対側の異郷に生まれ育ち、生きた人ですから、その距離を意識しないでマーラーその人の側の文脈を幾ら辿ってみたところで、そしてそうした作業自体が学問的研究の対象になりうることは認めた上でなお、「今、ここ」での了解として有効なものにならないと考えます。マーラーは「音楽」活動を通じて「世界を構築する」ことを企てた人、ゲーテの『ファウスト 第1部』の地霊の台詞を借りて「神の生きた衣を織る」ことを企てた人であり、その作品は「世界のようにすべてを包含しなくてはならない」訳ですから、その企てに「今、ここ」で応答しようとした時、マーラー自身が彼の生きた環境で受け取ったものが、了解を企図する「今、ここ」においてはどうなっているのかを跡付けることをせずに、了解が可能であるとは私には思えないのです。言い替えれば、了解のためにこちらの諸条件、前提について無意識でいることはできず、その都度必要に応じて調達したり、準備をしたりすることになるわけですが、それらは既に本ブログで公開している様々な資料には原則として含まれておらず、記事の中でその都度言及される形で分散されて埋まっていることになります。勿論、今度はそちら側だけで、後は素手でマーラーの人と作品に向き合うというのは盲人象に怖じずの喩えの通りの無謀であって、そうした企ては得てして夜郎自大に陥ることになりがちで、両輪あって初めてようやく理解が前に進む前提条件が整う訳ですが、了解の対象となるマーラーその人とその作品の側が既に過去に属して、あくまで基本的にであれ、その総体が確定しているがゆえにそちら側については確定しやすく、異論の余地が相対的には小さいのに対して、了解する側については、それこそ無限に存在しうるパースペクティブの中の一つに過ぎないので、権利上の優越を主張することはできませんし、展望の数だけ異なったヴァージョンが存在するうちの特定の一つを示すことにしかなりません。寧ろ、それを示すことは、その了解が立っている場所を表示して、そこから眺めることができる限りの展望に過ぎないという限界を提示することで、その相対性についてエクスキューズするだけなのかも知れませんが、仮にそうだとしても、そうしたエクスキューズを行うことに一定の意味は認められると考えます。更に言えば、了解が立つ場所は固定的なものではなく、時を経るにつれ、徐々に移動していくものですから、その前提・背景もまた絶えざる流動の下にあると考えるべきでしょう。
ということで以下の文献リストは、謂わばここで企てられている「マーラー学」の解釈をする側の前提を示すものとしての基本文献リストということになろうかと思います。公開済の、マーラーその人と作品の側に属するもののうち、別途公開済の所蔵文献リストに含まれるものは、重複を避ける意味から原則として割愛しています。但し、解釈をする側の前提を示すことを目的とした場合、除外することが著しくバランスを崩すことになってしまう、ごく基本的な文献については重複を厭わず、重複していることを明記の上で含めることにします。本ブログで「固有名」のラベルを付けたもの、「証言」のラベルを付けたものののうち、マーラーの同時代のものは除外され、その後の受容の側に属するものの多くが含まれる一方で、「証言」や「語録」の中でマーラーに影響を与えた過去や同時代の文献についても、それらが解釈する私の側のパースペクティブの一部となる時に生じる継承・再解釈・展開をもたらす文献に置き換えられることなります。更に既述の理由から、このリストは確定的なものではあり得ず、常に、とりあえずの「今、ここ」の地点を示す暫定的なものに過ぎず、絶えざる流動に晒されている私の「マーラー学」の或る一点でのものに過ぎないことをお断りしつつ、そのようなものであっても尚、マーラーの人と作品とを焦点とした多様なパースペクティブの一つを示すことが何某か役に立つことを願って提示することとさせて頂きます。(2024.6.10)
(凡例)冒頭に*が付されているものは、別途公開済の所蔵文献リストに含まれるものであることを示します。邦訳があるものは、原則として邦訳のみを示しました。
- *テオドール・W・アドルノ『マーラー 音楽観相学』、龍村あや子訳、法政大学出版局、1999年
- 尾野正晴『松本陽子の絵画』(光琳社, 1990)
- 飯吉光夫(編・訳), 『パウル・ツェラン詩文集』, 白水社, 2012
- 関口裕昭, 『パウル・ツェランとユダヤの傷』, 慶應義塾大学出版会, 2011
- *テオドール・W・アドルノ, 「ウィーン講演」, 「エピレゴメナ」(『アドルノ音楽論集 幻想曲風に』, 岡田暁生・藤井俊之訳, 法政大学出版局, 2018 所収)
- *シェーンベルク, 「プラハ講演(1912年3月25日)」(『シェーンベルク音楽論選 様式と思想』, 上田昭訳, ちくま学芸文庫, 2019 所収)
- *渡辺裕, 『文化史のなかのマーラー』, 筑摩書房, 1990
- 岡田暁生, 『西洋音楽史―「クラシック」の黄昏』, 中公新書, 2005
- 三輪眞弘, 『三輪眞弘音楽藝術 全思考 一九九八-二〇一〇』, アルテスパブリッシング, 2010
- *フィリップ・バーフォード, 『BBC・ミュージック・ガイド・シリーズ19 マーラー/交響曲・歌曲』砂田力訳・河村譲二補訳, 東芝EMI音楽出版・日音プロモーション, 1987
- *柴田南雄, 『グスタフ・マーラー:現代音楽への道』 (岩波新書), 岩波書店, 1984
- Carol L. Krumhansl, Cognitive Foundations of Musical Pitch, 1990, Oxford University Press
- Walter B. Hewlett, Elenanor Seldridge-Field, Edmund Conrreia, Jr.(Eds.), Tonal Theory for the Digital Age, Computing in Musicology 15 (2007-08), 2007, Center for Computer Assisted Research in the Humanities, Stanford University
- デイヴィッド・コープ『人工知能が音楽を創る 創造性のコンピュータモデル』、平田圭二監訳/今井慎太郎/大村英史/東条敏訳、音楽之友社、2019年
- 大黒達也『音楽する脳』(朝日新書, 2022)
- *吉田秀和, 決定版マーラー (河出文庫), 河出書房新社, 2019
- *丸山桂介「隠れたる神 第九交響曲の「アダージョ」に寄せて」(音楽の手帖 マーラー, 青土社, 1980 所収)
- 手塚富雄(編・訳), 浅井真男(訳), ヘルダーリン全集(全4巻), 河出書房新社, 1966,67,69
- ロラン・バルト, 『明るい部屋』, みずず書房, 1997
- ロマン・インガルデン, 『音楽作品とその同一性の問題』, 安川堅(訳), 関西大学出版部, 2000
- ネルソン・グッドマン, 『世界制作の方法』, 菅野 盾樹, 中村 雅之 (訳), みすず書房, 1987
- ネルソン・グッドマン, 『芸術の言語』, 戸澤 義夫, 松永 伸司 (訳), 慶應義塾大学出版会, 2017
- アンソニー・ストー, 『音楽する精神 人はなぜ音楽を聴くのか?』, 佐藤由紀・大沢忠雄・黒川孝文(訳), 白揚社, 1994
- ジョーゼフ・ジョルダーニア『人間はなぜ歌うのか? 人間の進化における「うた」の起源』、森田稔訳、アルク出版、2017年
- スティーブン・ミズン『歌うネアンデルタール―音楽と言語から見るヒトの進化』、 熊谷淳子訳、早川書房、2006年
- *大谷正人「マーラーの晩年の作品における死の受容をめぐって」, (大谷正人『音楽のパトグラフィー 危機的状況における大音楽家』, 大学教育出版, 2002 所収)
- *Snyder, John A., with Nancy Steffen-Fluhr, Overcoming depression without drugs : Mahler's Polka with Introductory Funeral March, Author House, 2012
- *Holbrook, David, Gustav Mahler and the courage to be, Vision Press, 1975
- *Greene, David B., Mahler, Consciousness and Temporality, Gordon and Breach Science Publishers, 1984
- アルフ・ガブリエルソン「強烈な音楽経験による情動」(P.N.ジュスリン・J.A.スロボダ編『音楽と感情の心理学』, 監訳:大串健吾、星野悦子、山田真司, 誠信書房, 2008 所収)
- *カールハインツ・シュトックハウゼン, ド・ラ・グランジュのマーラー伝第1巻序文( 酒田健一編『マーラー頌』、白水社、1980年, 所収)
- 三輪眞弘(監修), 岡田暁生(編), 配信芸術論, アルテスパブリッシング, 2023
- ジュリアン・ジェインズ『神々の沈黙―意識の誕生と文明の興亡』、柴田裕之訳、 紀伊國屋書店、2005年
- レイ・カーツワイル『ポスト・ヒューマン誕生 コンピューターが人類の知性を超えるとき』、井上健訳、 NHK出版、2007年
- ユヴァル・ノア・ハラリ, 『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』, 『ホモ・デウス: テクノロジーとサピエンスの未来』, 柴田裕之 (訳), 河出書房新社, 2016, 2018
- ジョゼフ・ヘンリック, 『文化がヒトを進化させた 人類の繁栄と<文化-遺伝子革命>』, 今西康子 (訳), 白揚社, 2019
- グレゴリー・ベイトソン『精神の生態学 改訂第2版』、佐藤良明訳、新思索社、2000
- グレゴリー・ベイトソン『改訂版 精神と自然 生きた世界の認識論』, 佐藤良明訳、新思索社、2001
- ルードウィッヒ・フォン・ベルタランフィ, 『生命―有機体論の考察』, 長野 敬, 飯島 衛(訳), みすず書房, 1974
- フランシスコ・J・ヴァレラ, 「現在‐時間意識」(現代思想2001年10月号 特集=オートポイエーシスの源流 -F・ヴァレラの思想圏- 所収), 齋藤暢人(訳), 青土社, 2001
- マトゥラーナ, ヴァレラ, 『オートポイエーシス―生命システムとはなにか』, 河本 英夫 (訳), 国文社, 1991
- アンリ・アトラン, 『結晶と煙のあいだ―生物体の組織化について』 , 阪上 脩(訳), 法政大学出版局, 1992
- ジル・ドゥルーズ, フェリックス・ガタリ, 『千のプラトー 資本主義と分裂病』, 宇野邦一・小沢秋広・田中敏彦・豊崎光一・宮林寛・守中高明(訳), 河出書房新社、1994
- ユク・ホイ, 『中国における技術への問い 宇宙技芸試論』, 伊勢康平 (訳), ゲンロン, 2022
- ユク・ホイ, 『再帰性と偶然性』, 原島大輔 (訳), 青土社, 2022
- ユク・ホイ, 『芸術と宇宙技芸』, 伊勢康平 (訳), 春秋社, 2024
- 互盛央, 『エスの系譜 沈黙の西洋思想史』, 講談社, 2010
- アンディ・クラーク『生まれながらのサイボーグ:心・テクノロジー・知能の未来』、呉羽真/久木田水生/西尾香苗訳、 春秋社、2015年
- ベルナール・スティグレール, 『技術と時間 1 エピメテウスの過失, 2 方向喪失-ディスオリエンテーション, 3 映画の時間と〈難 ― 存在〉の問題』 , 石田 英敬 (監修), 西 兼志 (訳), 法政大学出版局, 2009, 2010, 2013
- 渡辺正峰, 『脳の意識 機械の意識 脳神経科学の挑戦』, 中公新書, 2017
- 田口善弘, 『知能とはなにか ヒトとAIとのあいだ』, 講談社現代新書, 2025
- 喜多村直, 『ロボットは心を持つか―サイバー意識論序説』, 共立出版, 2000
- 前野 隆司, 『脳はなぜ「心」を作ったのか「私」の謎を解く受動意識仮説』, 筑摩書房, 2004
- ヴァレンティ―ノ・ブライテンベルク, 『模型は心を持ちうるか』, 加地大介(訳), 哲学書房, 1987
- ジョン・ブロックマン(編), 『ディープ・シンキング』, 日暮雅通(訳), 青土社, 2020
- マックス・テグマーク, 『LIFE3.0 人工知能時代に人間であるということ』, 水谷 淳 (訳), 紀伊國屋書店, 2020
- スタニスワフ・レム, 『虚数』, 長谷見 一雄, 西 成彦, 沼野 充義 (訳), 国書刊行会, 1998
- 久保田晃弘, 『遙かなる他者のためのデザイン ─久保田晃弘の思索と実装』, ビー・エヌ・エヌ新社, 2017
- シモーナ・ギンズバーグ/エヴァ・ヤブロンカ. 『動物意識の誕生』、鈴木大地訳、勁草書房、2021年
- ゲアリー・マーカス, 『心を生みだす遺伝子』, 大隅典子(訳), 岩波書店, 2005
- エルンスト・ペッペル 『意識のなかの時間』, 田山 忠行, 尾形 敬次 (訳), 岩波書店, 1995
- トッド・E・ファインバーグ/ジョン・M・マラット『意識の進化的起源 カンブリア爆発で心は生まれた』、鈴木大地訳、勁草書房、2017年
- トーマス・パー, ジョバンニ・ペッツーロ, カール・フリストン, 『能動的推論』, 乾 敏郎(訳), ミネルヴァ書房, 2002
- 乾 敏郎, 阪口 豊, 『脳の大統一理論 自由エネルギー原理とはなにか』, 岩波書店, 2020
- マーク・ソームズ, 『意識はどこから生まれてくるのか』, 岸本寛史・佐渡忠洋(訳), 青土社, 2021
- ニコラス・ハンフリー, 『ソウルダスト―〈意識〉という魅惑の幻想』, 柴田裕之 (訳), 紀伊國屋書店, 2012
- ジェラルド・M・エーデルマン, 『脳は空より広いか 「私」という現象を考える』, 豊嶋良一(監修), 冬樹純子(訳), 草思社, 2006
- ダニエル・C. デネット , 『解明される意識』, 山口 泰司 (訳), 青土社, 1997
- ダニエル・C・デネット, 『心の進化を解明する ―バクテリアからバッハへ―』, 木島泰三 (訳), 青土社, 2018
- アントニオ・R. ダマシオ, 『自己が心にやってくる』, 山形 浩生 (訳), 早川書房, 2013
- アントニオ・R・ダマシオ, 『無意識の脳・自己意識の脳』, 田中 三彦 (訳), 講談社, 2003
- ヤッコ・ヒンティッカ, 「志向性と内包性 : 現象学と可能世界意味論」,(H.ロムバッハ他, 新田義弘, 村田純一(編), 『現象学の展望』所収) 村田純一(訳), 国文社, 1986
- ショーン・ギャラガー, ダン・ザハヴィ, 『現象学的な心: 心の哲学と認知科学入門』, 石原孝二, 宮原克典, 池田喬, 朴嵩哲 (訳), 勁草書房, 2011
- 津田一郎『心はすべて数学である』、文藝春秋、2015年
- 津田 一郎, 『臨時別冊・数理科学2002年2月「複雑系脳理論」~ 「動的脳観」による脳の理解 ~』, サイエンス社, 2002
- ウォルター J.フリーマン, 『脳はいかにして心を創るのか―神経回路網のカオスが生み出す志向性・意味・自由意志』, 浅野孝雄 (訳), 産業図書, 2011
- トール・ノーレットランダーシュ, 『ユーザーイリュージョン―意識という幻想』, 柴田 裕之 (訳), 紀伊國屋書店, 2002
- ピーター・バスティアン, 『音楽の霊性―ニューエイジ・ミュージックの彼方に』, 沢西 康史 (訳), 工作舎, 1995
- 岩崎秀雄, 『〈生命〉とは何だろうか 表現する生物学、思考する芸術』, 講談社, 2013
- やまだようこ『ことばの前のことば (ことばが生まれるすじみち1)』、新曜社、1987年
- 兼本浩祐, 『なぜ私は一続きの私であるのか ベルクソン・ドゥルーズ・精神病理』, 講談社, 2018
- 兼本浩祐, 『脳を通って私が生まれるとき』, 日本評論社, 2016
- 石原 孝二, 斎藤 環 (編), 『オープンダイアローグ 思想と哲学』, 東京大学出版会, 2022
- フランス・ド・ヴァール『共感の時代へ』、柴田裕之訳、紀伊國屋書店、2010年
- パコ・カルボ, ナタリー・ローレンス, 『プランタ・サピエンス 知的生命体としての植物』, 山田美明(訳), KADOKAWA, 2023
- エマヌエーレ・コッチャ, 『植物の生の哲学 混合の形而上学』, 嶋崎正樹(訳), 勁草書房, 2019
- 藤原辰史, 『分解の哲学 ―腐敗と発酵をめぐる思考―』, 青土社, 2019
- 藤原辰史『植物考』,生きのびるブックス, 2022
- 小林 憲正, 『アストロバイオロジー―宇宙が語る“生命の起源”』 , 岩波書店, 2008
- デイヴィッド・ドイッチュ, 『無限の始まり : ひとはなぜ限りない可能性をもつのか』, 熊谷 玲美, 田沢 恭子, 松井 信彦, インターシフト, 2013
- セス・ロイド, 『宇宙をプログラムする宇宙 いかにして「計算する宇宙」は複雑な世界を創ったか?』, 水谷淳(訳), 早川書房, 2007
- リー・スモーリン, 『宇宙は自ら進化した―ダーウィンから量子重力理論へ』, 野本 陽代 (訳), 日本放送出版協会, 2000
- 内井惣七, 『ライプニッツの情報物理学 - 実体と現象をコードでつなぐ』, 中央公論新社, 2016
- カルロ・ロヴェッリ, 『時間は存在しない』, 冨長 星(訳), NHK出版, 2019
- 遠藤弘, 「時の逆流について」(『フィロソフィア』72 所収),早稲田大学哲学会, 1984
- エマニュエル・レヴィナス, 『全体性と無限 外部性についての試論』, 合田正人(訳), 国文社, 1989
- ジャン=ピエール・デュピュイ, 『ありえないことが現実になるとき―賢明な破局論にむけて』, 桑田 光平, 本田 貴久 (訳), 筑摩書房, 2012
- 今井眞一郎『開かれれたパンドラの箱 老化・寿命研究の最前線』, 朝日新聞出版, 2021,
- アントニオ・ザドラ, ロバート・スティックゴールド, 『夢を見るとき脳は 睡眠と夢の謎に迫る科学』, 藤井留美(訳), 紀伊国屋書店, 2021
- デヴィッド・A・シンクレア, マシュー・D・ラプラント, 『ライフスパン 老いなき世界』, 東洋経済新報社, 2020
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