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2023年3月16日木曜日

備忘:マーラーの音楽における「老い」についての論考に向けての準備作業 (13)

 「リズム」と「老化」。「リズム」で「老化」を定義できるか?「リズム」がジンメル的なゲーテ把握において果たしている役割から老化を測ることができるか?そこから、逆にゲーテの「現象から身を退く」を定義できるか?チェズーア(一時停止。ここではヘルダーリンとツェランを念頭におきつつ)と「老い」。尤もヘルダーリンの「老い」とは「寂静」とホイサーマンの名付けた精神的薄明への移行であったし、ツェランは世間的には老いることなくセーヌ川に身を投じたということになるのだろうが、前者にはスカルダネリという別の固有名による署名と脱臼したクロノロジーを持つ、絶頂期の自由律の長大な讃歌とはあまりに異なって、韻律を持ち、繰り返しさえ厭わない定型的な題名を持つ短い一連の詩編があるし、後者における、まさにチェズーアを題名そのものとして戴いた Atemwende(『息のめぐらし』)を転回点として以降、『絲の太陽たち』『光の強迫』と、ますます圧縮されて短くなってゆき、暗号のように謎めいていく詩篇こそは、あまりに早く訪れた「老い」を、まさに強迫されるようにして駆け抜けたのだと考えることはできないだろうか…

* * *

 山崎正和『リズムの哲学ノート』。世阿弥『風姿花伝』における「老年の初心」。初心とはつまり、やり直さなくてはならない、ということではなかろうか?そしてやり直さなくてはならないという言葉の連想は、マーラーの、これもまた早すぎる「晩年」に書かれた、余りに有名な書簡を呼び起しはしないだろうか?勿論、これが世阿弥の「老年の初心」なのだということが言いたいのではない。その点の当否については、いっそ「否」と答えることさえ躊躇わない。そうではなくて、「老い」ということには、或る種のチェズーアが、「息のめぐらし(Atemwende)」が必要とされるということ、そこから先は、最早今までのようではなく、新たな条件の下で「やり直さなくてはならない」のだということを、世阿弥は能役者の芸のステージとして述べ、マーラーは『大地の歌』を書くことを、そのように(自覚に、明示的に認識したということではないにしても)了解したということをワルターに向けて問わず語りに語ってみせたということではないかということが言いたいだけである。

ブルノ・ヴァルター宛1908年7月18日トーブラッハ発の書簡にあるマーラーの言葉(1924年版書簡集原書378番, p.410。1979年版のマルトナーによる英語版では375番, p.324, 1996年版書簡集邦訳:ヘルタ・ブラウコップフ編『マーラー書簡集』, 須永恒雄訳, 法政大学出版局, 2008 では396番, p.360)

(...) Aber zu mir selbst zu kommen und meiner mir bewußt zu werden, könnte ich nur hier in der Einsamkeit. -- Denn seit jenem panischen Schrecken, dem ich damals verfiel, habe ich nichts anderes gesucht, als wegzusehen und wegzuhören. -- Sollte ich wieder zu meinem Selbst den Weg finden, so muß ich mich den Schrecknissen der Einsamkeit überliefern. Aber in Grunde genommen spreche ich doch nur in Rätseln, denn was in mir vorging und vorgeht, wissen Sie nicht; keinesfalls aber ist es jene hypochondrische Furcht von dem Tode, wie Sie vermuten. Daß ich sterben muß, habe ich schon vorher auch gewußt. -- Aber ohne daß ich Ihnen hier etwas zu erklären oder zu schildern versuche, wofür es vielleicht überhaupt keine Worte gibt, will ich Ihnen nur sagen, daß ich einfach mit einem Schlage alles an Klarheit und Beruhigung verloren habe, was ich mir je errungen; und daß ich vis-à-vis de rien stand und nun am Ende eines Lebens als Anfänger wieder gehen und stehen lernen muß. (...)

(…)でも自分自身に立ち戻り、自分自身を意識すること、それは当地の孤独の中でしかかなわないことなのです。――というのも、当時陥ったあのパニック状態以来、私はひたすら目をそむけ、耳を塞ぐしかなかったのです。――ふたたび自分自身へ戻る道を見つけなければならないとすれば、孤独の恐ろしさに身を委ねるほかはないのです。しかし一体全体、私はまったくのところ謎めいた話し方ばかりしていますね。だって君は私の身に何が起こったのか、ご存じないのですから。想像しておられるような死に対するヒポコンデリー的な畏怖などでは、よもやありませんでした。自分が死ななければならないことなど、最初からわかっていることでしたから。――ともあれ、君にここで何か説明したり、語って聞かせたりするよりは、だってそんなことはいかなる言葉をもってしてもできっこないことだから、ただ一言こう申し上げておきたい、つまり私はただの一瞬にしてこれまでに戦い獲ってきたあらゆる明察と平静とを失ってしまったのです。そして私は無に直面して(ヴィ・ア・ヴィ・ド・リアン(訳文ルビママ))立ち、人生の終わりになっていまからふたたび初心者として歩行や起立を学ばねばならなくなったのです。(…)

  丁度マーラーが「大地の歌」に取り組んでいる時期に、ヴァルターに宛てて書いた手紙の一部だが、これもまた、ヴァルターの「マーラー」伝を始めとして色々な ところで引用されてきた有名な部分であろう。この文章には、まさに「大地の歌」に結晶する「受容」の過程が、その傷の深さとともにはっきりと刻印されている。 「そんなことはとっくの前にわかっていたことだ」という言葉は、若き日のマーラーを思えばいつわりは微塵も含まれていないが、にも関わらず、その言い方には 逆説的にマーラーの蒙った傷の深さを窺い知ることができるように感じられて痛ましい。ウィーンの宮廷歌劇場に40歳にならずして君臨し、すでに第8交響曲までの 作品を書き上げた天才が、一からやり直さなければならない、と書いているのを見るのは信じ難くさえ思える。

 と同時に、この手紙を読めば「大地の歌」が何を語っているのかについての手がかりを得ることができるのではないか。それは「受容」の過程の結晶なのだ。 「とっくの前にわかっていたこと」のために一からやり直さなければならないという状況を受容して、再び仕事を続けられるようになる過程の反映なのだと思う。

 ところでこの件に関連しては、既に記事「大地の歌」における"Erde"を巡る検討のための覚書 ―甲斐貴也訳「大地の歌」によせて―において、『大地の歌』を「死の受容」のプロセスの反映であるという大谷さんの説を紹介して検討したことがある (大谷正人, 『音楽のパトグラフィー, 危機的状況における大音楽家』, 大学教育出版, 2002 の 第6章「マーラーの晩年の作品における死の受容をめぐって」, 初出は病跡誌No.49, 1995, pp.39-49)。大谷さんによれば「大地の歌」の曲の配列が、絶望(悲しみと怒り)、虚脱、受容、見直し(再起)という死や障害の 受容過程に関する死生学におけるモデル(平山正実「悲嘆の構造とその病理」現代のエスプリ248, 1988, pp.39-51)に類似しているという。

 ただし改めてそのプロセスと楽章排列を対照してみると、その類似は、大まかなアウトラインレベルのものであって、正確にプロセスの各段階が各楽章に対応づいているといったレベルのものではないのでここでは再掲しない(詳細は上記の元記事を参照。)一方で、「受容」の対象が「死」であるということよりも、それが「受容」のプロセスの反映であるという点に重点を置いた以下のコメントについては、基本的には現時点でも大きな修正の必要は感じていない。

ここで重要なのは、その音楽が「死」そのものの「描写」であるのではなくて、その「受容」の過程の、凡人には為しえない天才的な仕方での昇華で あるということで、それゆえに聴き手もまた、音楽を聴くことでそのプロセスを自分なりに反復することができる可能性があるのだ。 (大谷さんも述べているように、「受容」そのものについてマーラーの能力が際立っていたということではなくて、偉大なのはその過程の作品化の方なのだが、 そこにある経験の深み、作品と経験との他には見られないほどに密接な関係がマーラーの特徴なのだと思う。)

とりわけ「大地の歌」について言えば、その構成が死の受容過程に類似しているという指摘は大変に興味深いもので、この「大地の歌」を 含めた様々な優れた芸術作品が持っている「力」、多くの人が感じ取ることができる力の正体を考える上で示唆的だと思うし、病跡学とはいっても、 いわゆるマーラーその人の気質類型論の類にはあまり関心はないとはいえ、この説については、私の自分の経験に照らして、深い共感を覚える。 

さらにまたこの大谷さんの見方は、マイケル・ケネディの「マーラーは死ではなく、生に対する熱烈な憧れを表現」したのだという意見、その作品が聴き手の 「新陳代謝の一部になる」という表現と強く響きあうものがあるように思われる。 そして何より、私がマーラーに関して強く感じていること、マーラーの音楽が有限の主体の、儚い意識の擁護であること、取るに足らないものであっても、 それが還元不可能なものであり、様々な価値の源泉であるという感じ方とも一致しているように思われるのである。私にはヴェーベルンが気質の違いを 超えてマーラーに見出したかけがえのないものとは、こうした認識ではなかったかと思えてならないのだ。

 そして、ここでいう「受容」が必ずしも「死」のそれでなくても上記の了解は成立することは明らかなことに思われる。そもそも大谷さんが参照している平山論文のそれは「死や障害の受容過程」であって「死」に限定されているものではない。だからそれを「死」に限定してしまったのは、それをマーラーに適用するにあたり、大谷さんがマーラーの晩年についての通説のドクサに影響されたという見方さえ成り立ちうるのだ。飽くまでも重点は何らかの「苦」の「受容」の側にあるのであり、そうした「受容」のプロセスは、寧ろ「老い」中でより普通に見出すことができる或る種の「超越」と言うべきなのではなかろうか?

 ここでトルンスタムが「老年的超越」の実証的な調査の結果の検討の過程で見出したような、「危機」の経験が「超越」を促す働きをすることがありうる一方で、「超越」は「危機」の経験のみによって引き起こされるわけではなく、寧ろ「老い」の中で、加齢に伴って「危機」が「超越」に与える影響は小さくなっていくという解釈を思い浮かべるべきだろうか? (ラーシュ・トーンスタム, 『老年的超越 ―歳を重ねる幸福感の世界―』, 冨澤公子・タカハシマサミ訳, 晃洋書房, 2017, 特にその「第4章 量的な実証研究」の中の「人生の危機と老年的超越」の節 pp.126-138 を参照。)勿論、トルンスタムの解釈は、老年社会学における量的調査を統計的に分析した結果に対するものであり、或る特定の個人の経験についてのものではない。だからそれに基づいてマーラーの場合という特殊なケースについて述べることは論理的誤謬に過ぎない。そしてマーラーの場合における長女の死の経験(ジャンケレヴィッチ風には、「第二人称の死」ということになるだろうか)を軽視することは勿論できないだろう。だがそれとて、自分の病の宣告、宮廷=王室歌劇場監督辞任とニューヨークでの新たな仕事といった立て続けに起きた一連の出来事の一つであって、それのみが「危機」と呼ぶに値する問題で他はそうではない等ということはできまい。自分の病の宣告にしても(それが後年、客観的には誤診であったということを言い立てる近年の主張は、マーラー自身の主観的経験の水準とは無関係である点は措くとしても)それが「第一人称の死」に関わる経験であるという解釈を否定するような事実が明らかになったわけではなく、それは依然として有効な解釈であろう。但しその重点は、アドルノが揶揄したような「死が私に語ること」ではなく、寧ろ「老年的超越」における「宇宙的なつながりの次元」の獲得のプロセスにあると捉えるべきだということが言いたいのである。

 ちなみに、アルマの回想の影響で第6交響曲フィナーレのハンマーに関連付けられた「三つの運命の打撃」として人口に膾炙してしまったが故に、「脱神話化」の傾向の中で批判の対象になった上記の三つの経験が、いずれも老年学における「危機」に含まれることは興味深い(それぞれ一般化して、親しい他人の死、自己の死への恐怖、失職や定年の危機に概ね相当するものと思われる)。勿論トルンスタムの言うように「危機」とは第一義的には主観的な認識の問題であって、客観的な事象の外側からの把握が即、「危機」の客観的存在を確証するのではなかろう。そして個別の被験者の体験については、老年学では質的研究と呼ばれる手法の対象となるのだろうが、ここでマーラーのケースを(既に物故しているが故に、インタビューのような調査手法が取れないので、その代替として)病跡学に対応するようなアプローチで検討するだけの準備はまだないので示唆に留めざるを得ないが、それでも様々な資料から窺えるマーラーの主観的認識を推測するならば、くだんの三つの体験についての反応は、「親しい他人の死」は危機として受容、「自己の死への恐怖」はマーラーが病気に対してそれまでそうであった延長線上で捉えることも可能かも知れない生活習慣の変更による受容、「失職や定年の危機」もまた、それまで常にマーラーがこの点については抜かりない駆け引きを行ってきたのと同様の仕方での対応でウィーンでの辞任に先立って事前にニューヨークとの交渉を済ませており、最後のものはそもそも「超越」の契機となるようなレベルの「危機」として捉えられていたかを問いに付す向きがあっても不思議はないと思える。

 上記のワルター宛書簡で「一からやり直さなければならない」と書いているからには、そこに「危機」が存在していたことは主観的には疑いのない事実であろう。だがアルマのしばしば恣意的な描写のバイアスを除いてなお、それぞれの要因を分離して独立にその影響を測ることは既に事実を離れた抽象に陥ることを避け難い。否、アルマの回想にしても、それが後年の合理化による歪曲を含んでいたとして、どこまでがそうで、どこまでがアルマにとっての主観的真実であったかは測り難い。そしてアルマの証言を疑う客観的妥当性を認めてなお、彼女がマーラーにとって最も身近な存在であったことは疑いなく、彼女の認識とマーラーの認識をどこまで分離できるかについて懐疑的な姿勢もまた必要ではなかろうか。かてて加えて、マーラーその人の主観について仮に真実に到達できたとして、そのことと作品が私たちに語ることとは更に別であろう。勿論、作品を取り巻く過去の言説は作品の解釈にとって外的なものではなく、寧ろそうした言説の空間の中でしか解釈はあり得ないだろうが、mathesis univsersalisとしてそうであったとしても、それはマーラーの音楽が私に語ることの固有性に拘るmathesis singularisの立場からは、可能な限りそれらを一旦括弧入れして、作品から何か聴き取りうるかを見つめ直す必要があるのではなかろうか。そしてそうしたやり方を採ろうと試みた時に、こと『大地の歌』に聴き取りうるものは、「老年的超越」に近い存在様式に到達するプロセスである、というのがここでの仮説になるのだろう。

(2022.12.7-8 公開, 2023.3.16改稿)

2023年2月9日木曜日

備忘:mathesis singularisとしての「マーラー学」?―アドルノのモノグラフを手掛かりにして―(2023.2.9更新)

 私がマーラーと出会って間もない子供の頃のとりとめのない、ぼんやりとした夢想の一つに、マーラーに纏わる情報を集約したアーカイブのようなものを作りたいというものがあった。マーラーがまだ今日のようにコンサートのプログラムの主要作品となる以前の、学校の音楽の教科書にも名前の載っていない、未だ評価の定まらない、否、寧ろどちらかといえば批判がついてまわる作曲家であった頃のこと、生誕百年が過ぎて相次いで出版されるようになった文献の邦訳が出始め、ポレミックな存在として取り上げられることも増えてきた折で、地方都市に住む平凡な子供がアクセスできる情報は、書籍にせよ、楽譜にせよ、演奏の記録にせよ限られたものであった一方で、数が限られているだけに徐々に増えていくこともまた感じ取れ、初めて自分が全面的に傾倒できる対象を見出した子供の性急さが、マーラーに関する全てを知りたいという衝動を引き起こしたといったところだろうか。だがそうした夢想というものは多くの場合恐らくそういうものなのだろうが、年を経て曖昧なものとなり、そのうちにそうした夢想を抱いたことがあったことを自分でも忘れてしまうことになる。一時期マーラーから離れた折には一旦手元にある資料を手放すといった紆余曲折を経て後、再び資料の類が手元に集積するようになると、今度はかつて手放した経験があるが故に、他はともかくマーラーだけは手元に残しておこうという意識が働いた結果として、単調にそれは増加を続けることになった。最初はその当時自分が親しんでいた演奏家の録音に限定していたCDについても、自分がマーラーから離れるきっかけとなったバブル期以降のものについてはともかく―それらは熱心なコレクターの方々が、今度は誰、次はまた別の誰というように追いかけていたから、自分のような一旦落伍した者の出る幕ではないように感じられた―、特に自分が(若干の遅れを伴ってであれ)概ね同時代的に接した録音より以前の、マーラーの同時代との繋がりを濃厚に湛えた時代から、所謂「マーラー・ルネサンス」が到来する生誕100年に至る迄の約半世紀の演奏記録については手元に集めておくこと自体に意義があるとの思いが増した結果、あるタイミングで方針変換を行って、とはいえ予算の制約もあって、気づいたものは可能な範囲で耳にしてアーカイブに加えるようになったりもした。それと並行してWeb上にマーラーに纏わる様々な情報を整理して公開できることを知ると、あてもなく折に触れ綴って引き出しの中に溜め込んでいた備忘も一緒に保管すべく、紙に手書きで記していたものをファイルに打ち込み直す作業を少しずつ続けて行くことになる。

 そうした営為がかつての夢想の或る種の実現と看做しうることに気付いたのは、三輪眞弘さんの作品がサントリーホールで演奏されたのに立ち会うべく訪れた折、三輪さんと同じ「方法」の同人でもあり、大学での同僚でもある詩人の松井茂さんが、何の話のついでだったか、上記のような経緯で当時私がWebで公開していた(但し、Googleのbloggerを利用している現在と違って当時は手書きのhtmlで、メールのサービスを利用していたプロバイダのドメインで公開していたと記憶するが)マーラーと三輪さんに関するアーカイブについて言及されたことがきっかけであったように記憶している。尤も記憶する限りでは、ことマーラーのアーカイブについて言えば、松井さんは半ばあきれたような感じでその量の膨大さを指摘されたに過ぎず、あっと言う間に別の話題に話は移ってしまったのであり、そのコメントを受けた後にふと曾ての夢想を思い出したのは、その後も量だけは膨らみ続けるアーカイブをどうしたものかと独り言ちていた時のことに過ぎない。松井さんは大学での研究としては美術・建築等の遺産のアーカイブ化をご専門の一つとされておられるから、アカデミックな研究者としての立場から何か思うところあってのコメントだったかも知れないが、迂闊にもその時にはそうしたことに思いが及ばなかった。その理由は偏に、アーカイブと自称こそしていても私のマーラーに関するそれは学問的な批判的手続きを経た方法論に基づくものではなく、単なる個人的な備忘の集積に過ぎないからであって、それを研究者としての松井先生が取り組まれているものと比較するということなど、そもそも考えもしなかったということに尽きる。そのことに対する開き直りという訳ではないのだが、音楽学者であればマーラーの同時代の音楽や文化的・社会的背景、影響史や受容史といった領域それぞれについて、客観的、体系的に調査を行い、論述を行うであろうところ、客観性が要求され、一般性があることが価値であるべき学問的研究が行われるような場所で、私はといえば、市井の愛好家に過ぎないことをいいことに、他ならぬその対象に自分が惹き付けられる「個別的なもの(singuralis)」を把握したいという気持ちだけに導かれてここまで来たこと、そして「個別的なもの(singuralis)」への強い拘りについて言えば、40年前の子供の頃以来変わることがないようであることに、かくして思い当たったのである。そうした私にとって、この文章でこの後、導きの糸とするアドルノのマーラーに関するモノグラフ(アドルノ『マーラー 音楽的観相学』, 龍村あや子訳, 法政大学出版局, 1999)の冒頭、「天幕とファンファーレ」と題された章での第一交響曲冒頭のあの一度聴いたら忘れることのできない序奏部分について述べた以下の文章は、私がマーラーの作品に初めて出会ったときの経験―40年前の或る日、当時中学生であった私は、他ならぬこの作品によってマーラーと出会ったのだが―そのものについても、その後今日に至る迄の拘りについても、ともども的確に示してくれているように思われるのである。(厳密を期するならば、私が聴いたのは朝の五時ではなく、暑い夏の日の午後だったし、降ってきたのはFM放送のラジオから聞えてきたマーラーの作品におけるファンファーレだったのであり、尚且つこれらの差異は決して些末なものではなく、一つ一つ掘り下げて検討することで明らかになるであろう重要な論点を含むが、その検討は別の機会に果たすべき宿題としたい。)

「(…)このように、十代半ばの子供は人を圧するように打ち降りてくる音を耳にして朝五時にただき起こされるのかもしれない。その音を夢うつつにほんの一瞬耳にした者は、それがもう一度やってくるのでは、と期待するのを決して忘れはしない。その音の感覚的実体性を前にしては、形而上学的思考も色あせ、無力である。この形象の中であの瞬間は果たして成功したのかそれとも単に意図されただけだったのか、と問いかけるだけの美学もまた同様である。あの瞬間にとって、それ固有の亀裂は本質的であり、それが成功した作品という見かけに反乱を企てるのだ。」(アドルノ『マーラー 音楽的観相学』, 龍村あや子訳, 法政大学出版局, 1999, p.6)

 但しここでいう「個別的なもの(singuralis)」は私の「自己」=「我」ではない。私は、こと個別の私の「我」について言えば、そんなものはどうでもいいと思っている。自己の一貫性とか統合性に拘りがないわけではなく、首尾よくいかないことを認識しつつも、寧ろそれには強い拘りをもっているのだが、それとは別に、それが一貫して統合したものであったとしても、寧ろ「自己」は、自分が遭遇してきた「他者」によって形成された場のようなものであり、私にとって重要なのは対象たる「他者」の側であり、対象が自分にだけでなく他にも開かれたものである限りにおいて、対象に対する了解に唯一の正解があるとは思っていないし、世界に関する眺望のうちの一つの視点に過ぎない「自己」からの「見え方」に特権的な何かがあるとも思っていない。勿論これはあくまで私の「我」についてであり、例外はある。というより、自分が惹き付けられる「個別的なもの(singuralis)」である「他者」には、自分が惹き付けられるだけの理由があるわけだから、対象たる「他者」の「我」の方は、こちらはどうでもいいということはありえないだろう。逆にこういう言い方をするわけだから、ここでいう「対象」というのは第一義的には、自分が惹き付けられる「個別的なもの(singuralis)」そのものである個別の一つ一つの「作品」というオブジェクトであるけれど、実際にはそうした作品を生み出し、遺した「特定の個人」=「他者」という「個別的なもの(singuralis)」のことを指していることになる。

 もう一点、この前提から導かれることとして述べるならば、ここでいう「個別的なもの(singuralis)」は、一般概念の内包的定義である「何性」(quidditas)では捉えられないウニカート(unicate)な存在を指向するが、さりとてしばしば「何性」(quidditas)と対比される「これ性」(haecceitas)に結びつけられる存在の事実性とは異なった点にその重点があるということである。例えばジャンケレヴィッチはその浩瀚な著書『死』の末尾の章で、「事実性は滅びることはない」と章題の一部で語り、著作全体の最後を「存在した、生きた、愛した」と題した節で閉じるが、存在するものは存在したという事実そのものに価値があるのであって、それぞれの価値の間に差異はないという立場は、個別の存在の特殊性をもって、個別の存在が別の個別の存在に対して持つ固有の価値の次元を縮減させてしまう。ここでの「個別的なもの(singuralis)」はまさにこの個別の存在が別の個別の存在に対して持つ固有の価値の次元に関して言われているのであって、それこそが、それのみに独自の仕方によって、他ならぬ自分を惹き付けるという点で特殊である点に懸かっているのだから、ジャンケレヴィッチのような立場とは相容れないということになる。

 ここでの「個別的なもの(singuralis)」は、ロラン・バルトの用語を借用したものであり、比較と差異化による理論的な「普遍学(mathesis universalis)」との対比という点も含めてバルトの考え方に親近感を覚えることから、リスペクトの意味合いも込めての借用である。なお、上記の叙述から自ずと明らかであると思われるが、従ってここでの「何性」(quidditas)、「これ性」(haecceitas)を中心とする諸概念の定義は、中世スコラ哲学、就中ドンス・スコトゥスの議論よりも寧ろ後世の理解の方に近いが、さりとて具体的に誰かの図式を借りているわけではない。この図式の規定は「個別的なもの(singuralis)」をどう了解するかそのものに他ならず、従って本来は精緻な議論が必要なところだが、ここでは備忘という性質上、その点の示唆に留めて後日を期することにしたい。

 とはいえバルトのmathesis singularisをどのように捉えるかについては、管見でもかなりの幅があるようにも窺える。ここはバルトのmathesis singularisそのものの検討を目的とする場ではないし、バルトのそれに厳密に依拠しているというより、その或る側面のみを切り出して借用しているに過ぎないが、それでも説明のための参照点としている限りで、バルトの概念とここでのmathesis singularisとの間でずれていると思われる点については目配せをしておくべきだろう。

*  *  * 

 バルトがmathesis singularisについて述べるのは、結果的に遺著となった『明るい部屋』においてである。まず第一義的に『明るい部屋』は写真論であること、そして母親との死別という彼の私的な経験を踏まえているが故に、mathesis singularisの探求は、その具体的な実践の相において「写真」というメディアの固有性に無頓着ではいられない(その端的な規定が「それは-かつて-あった」だろう)と同時に、或る種の「喪の作業」としての性格を帯びてしまうことが避け難い。つまりmathesis singularisの実践の唯一の例として示されているのが「喪の作業」における写真を対象としたものであるというのは紛れもない事実であり、その点を最初に押さえておくべきだろうが、その一方で、それが写真の固有性の上に立脚しつつ、かつ「喪の作業」を特権的なものとしてしか成立しえないかどうかはまた別の問題であることにも留意すべきだろう。

 更にmathesis singularisの実践に関連する概念としてstudium/punctumの対立が『明るい部屋』において導入されるが、これもまた写真を対象とした記号論的分析のための概念であり、社会的・文化的背景を持つ一般性・客観性(厳密には相互主観性と呼ぶべきかも知れないが)のある文化的なコードというべきものであるstudiumに対して、写真を眺めている時に写真の側から不意に到来して見る者に「痛み」をもたらすものがpunctumであって、前者がmathesis universalisとしての記号論に関わるのに対して、後者はmathesis singularisに関わりを持つとされる。文脈に忠実たろうとする限りでは、それは見る者の「喪」の経験という個別的なものに由来して、見る者に「痛み」を感じさせる写真に関わるものであって、それ以外の領域への拡張が可能な条件がどのようなものであるか、具体的には「写真」以外の対象に適用できるのか、punctumは「喪」の経験以外に由来しうるものなのかといった点は明らかではないというべきなのだろう。専門の研究者ではないためアクセスできる情報に限りがあるのだが、その範囲に限って言えば、そもそもmathesis singularisについて論じたものは数える程しか確認できておらず、そのほとんどは「写真論」であるか「喪」の経験に関わるものであるかのいずれかか、或いはその両方のようであり、『明るい部屋』における具体的な実践の文脈から離れてmathesis singularisを論じたものはソルボンヌ大学に提出された博士課程論文 Sachi Kobayashi, "Mathesis singularis" : lecture et subjectivité dans l'oeuvre de Roland Barthes, 2007が確認できたのみである。繰り返しになるが、ここではバルトのmathesis singularisそれ自体がどのような射程と広がりを備えたものであるかを検討することを目的としているわけではないから、そうした先行文献の見解を検討することはせず、私のマーラーに関する拘りをまたmathesis singularisと呼ぶとした場合、それがどういった点でバルトのそれと共通性を持ち、どういった点で差異があるのかについての検討を行うことに終始せざるを得ない。

 まず明らかなのは、それが「写真」を対象としている訳でもなく、特定の写真から見る者にpunctumが到来したとして、それを引き起こすものを「喪」の個人的な体験に限定している訳でもないことだろう。「それは-かつて-あった」という「写真のノエマ」は「喪」の個人的な体験によって偶然的にpunctumになるのだが、mathesis singularisはそうしたpunctumの発生過程に纏わる機序を問題にしているのであって、そのここでの中味(ここでは「それは-かつて-あった」と「喪の体験」)は他のものであっても良い筈であるということが前提となっている。ここで問題になっているのはひとまずはマーラーの一連の音楽作品だし、ある作品をある時に聴いた時に、当時の自分の個人的体験故にpunctumの到来を経験したということの有無については、そうした経験は一度ならずあったし、そのうちの一つは「喪」の体験でありさえしたし、それに因んだ文章を示すことさえ可能ではあるのだが(ある日、第8交響曲第2部を聴いて)、そうであるにしても、マーラーの人と作品に対する私の拘りは、『明るい部屋』で提示された具体的なバルトの実践例そのものとは一致しない。私はマーラーの作品が或る種のpunctumを私にとってもらたすと感じているが、それは私固有のものであるにしても、特定の個別の経験を背景にして生じるものではないし、マーラーの作品の中の特定の作品なり部分なりが対象であるわけではない。勿論、マーラーの作品全てが等しくそうであるとは言えず、濃淡は存在するし、マーラー以外の作品がpunctumを持たない訳でもない。

 寧ろ最後の点に関してはこう言うべきだろう。或る時、或る作品から、私個人の個別の体験を背景としてpunctumが到来するという出来事は、マーラーの作品に限らず起きることであるが、それは基本的には一回性の個別的、偶然的な事象であり、対象となった作品から繰り返し、常にpunctumを受け取るわけではない。だが私が、他ならぬマーラーの作品が或る種のpunctumを私にもらたすという事態がマーラーの作品と私との間に生じると言っているのは、それとは異なる水準でのことである。そしてこのことは一見そう見えたとしても、バルトがpunctumを「私を突き刺す偶然」(ロラン・バルト『明るい部屋―写真についての覚え書』, 花輪光訳, みすず書房, 1985, p.39)と規定する経験と対立してもいないが、一致しているわけでもない。バルトがここで「偶然」というのは、「私」の体験する出来事の一回性、偶然性を言っているのではなく、対象の側について、何故他ならぬそれ(ここでは彼が探求の出発点とした数枚の写真)でなければならないかに関する偶然性を言っていると思われるからである。それにしてもその偶然性が「それは-かつて-あった」という「写真のノエマ」(こちらはそれ自体は「写真」一般が備えていると考えられる)に、或る種例外的なパトスを付与するについて、彼自身の固有の「喪の作業」に由来するのであってみれば、更にはバルトが「個別的なもの(singuralis)」を実現するための手段として「小説」(roman)を考えていたことを思えば、その限りにおいて個別的、偶然的な体験についての「学」を企図しているのだという言い方はできるだろう。だが『明るい部屋』での実践例に限っても、そこで対象となっている一枚の写真は、偶然の出来事のせいで彼に一時的な情緒的反応、パトスを伴った反応を、だが恐らくは繰り返し引き起こすと言うべきであって、そこで問題にされているのは特殊かつ固有ではあるが、純粋に一回性の経験、つまり世上「奇跡」と呼ばれるようなそれであるとは考えにくいように私には思えるのである。

 まず「喪」の体験というのがその構造上、一時的なものではありえず、しばしば長期に亘るプロセスであることを考えれば、そのプロセスの中において特定の(一枚の、ないし一連の)写真がpuctumをもたらすようになったと考えるべきではないか。(そもそも「奇跡」と呼ばれるような出来事は、それを孤立した点的なものとして捉えられる限りにおいて、自伝的自己を備えた人間の具体的な経験にあっては常に虚偽であり、「瞬間と永遠」の如き抽象を弄び、剰えそれを賞揚するが如き言説は詐術の如きものであって注意すべきであるという点もまたここでの議論と無関係ではないと考えるが、この点はここでは一先ず措くこととしよう。)そこの特定の「写真」という対象に対する或る種のフェティシズムの如きものを見るかどうかは措いて、また、そんなものがそもそも成立し得るのかという問題は措いて、mathesis singularisは、一度切りの個別の体験についての学ではなく、結局のところ、偶然の出来事によって選択「された」(その限りで「私」が選択したのではなく、私はそれに対して受動的であると言うべきである限りで、ここでの「された」は中動態的なニュアンスを持つと考えるべきだろうが)特定の対象についての学であるのではなかろうか。それは特定の対象、つまりそれに繰り返し対峙し、その都度少しずう異なった、だが一貫性を備え、一時的な情緒的反応に留まらない、より構造的でかつ持続的な影響、認識の仕方の変容のようなものにさえ至るようなラディカルな影響を与える存在を対象としているのではなかろうか。もしそうであるとした場合には、私にとってマーラーの作品というのは、まさにそのような対象であるというように言い得るように思えるのである。

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 だが私のマーラーの人と作品に対する拘りを規定するのにmathesis singularisを援用するについては、より根本的な問題があるのではなかろうか?バルトは世上「作者の死」を宣告したことで著名であり、伝記主義や作者の心理の投影をテキストに対して行うような姿勢を批判し、テキストを作者とは独立の存在として扱い、読者のテキストへの関わり方において作者の意図の正確な理解を追及する姿勢を否定したことは良く知られている。作者とは独立したテキストの他のテキストとの相互作用の水準を重視し、読解の創造性を主張した結果、「作者」という概念は問いに付されることになるというのに、ここで私は、よりによってマーラーという「作者」を持つ一連の作品群を一纏まりとして、それらを他の作品群と区別し、それらに対するmathesis singularisを主張しようしていることになるから、そもそもの対象の定義の地点でバルトの考えと背馳していることになるのではないかという問いは当然思い浮かぶであろう。

 それに対する私の主張は、些か迂回的な性質のものとならざるを得ないのだが、まず思い浮ぶのはmathesis universalisにおけるマーラーの作品の扱いと、私がmathesis singularisと呼ぼうとする態度におけるそれとの差異である。通常マーラーの音楽は「音楽学」というmathesis universalisの対象の一つであろう。そこではマーラーは後期ロマン派に属する作曲家であり、影響を受けた存在として、例えばワグナーやベルリオーズなどの名前が真っ先に挙げられ、逆に影響を与えた存在としては何より新ウィーン楽派が挙げられ、マーラーの音楽の特質を取り出すのには同時代の作曲家、例えばライバルと看做されたシュトラウスとの比較が為されることであろう。かつてマーラーが今日のように「大作曲家」の一人に列せられる前でも管弦楽法の大家という評価はあったし、その後、ハプスブルク帝国の宮廷=王室歌劇場監督として君臨し、妻アルマを介したものも含めた様々な領域の文化人と交流をもったことなどから、19世紀末のウィーンの文化を象徴するアイコンに迄なって、音楽学に留まらず、社会学的・歴史学的な研究の対象にもなったし、その結果としてマーラーを論じる時、決まってそうした文化的背景に関する教養・知識を披歴することが或る種の紋切型に迄なった。時として、人によっては興味をそそられるものであるらしい過去の時代の空気を描き出す作業の中で彼は欠かせぬ存在となり、マーラーの音楽そのものはそっちのけで、専ら文化的教養としてそれは消費されることになるから、当然のこととしてそうしたマーラーの人と音楽への関心は、studium/punctumの対立においては前者の側に分類されることは間違いなかろう。一方で私がマーラーの作品を対象としたい理由は、そうした文化的教養とは無関係の地点で成り立っていて、寧ろstudiumをかき乱す側にあることは間違いないのである。

 これはstudium/punctumの対立と直接対応する事柄ではないのだが、現在は汗牛充棟の感あって最早私のような市井の愛好家が追跡することが到底できない程マーラーに関する研究文献はその数を増しているとはいえ、私がマーラーに出会った40年前には、最初にも述べた通り、主だった書籍に範囲を限れば、その数は指折り数えることができる程度のものだった。その中で、アドルノのモノグラフを除けば質・量とも際立っていたのは、アンリ・ルイ・ド・ラ・グランジュの伝記(但し第1巻が出たばかりだったが)、ドナルド・ミッチェルの作品研究(これも初期作品を中心とした最初の2冊だけ)、コンスタンティン・フローロスの3巻本の研究書(これも最初の2巻だけで第3巻は未刊だったが、現在、邦訳が英訳からの重訳で読めるものとは異なって、計画では「マーラーと文学」に関するものになる筈であったらしい)だった。この最後の研究は、公刊済の第1巻が Die geistige Welt Gustav Mahlers in Systematischer Darstellung(体系的叙述によるマーラーの精神的世界)、第2巻が Mahler und die Symphonik des 19 Jahrhunderts in neuer Deutung(新たな意味づけをしたマーラーと19世紀交響曲) というもので、その「標題性」に拘るアプローチも相俟ってまさに文化教養としてのstudiumの側面を徹底したような内容であるし、ドナルド・ミッチェルの作品研究もまた、特にその第1巻はド・ラ・グランジュの「伝記」の刊行前に企画されたこともあって実質的にマーラーが初期作品に至るまでの生涯についての言及も多いが、第2巻は影響を受けた作曲家との比較対象、スケッチ帳の調査に加え、アイヴズとの比較のような未来への視点も含んでおり、mathesis universalisと呼ぶに相応しい。そしてド・ラ・グランジュの伝記について言えば、「作者の死」を唱えたバルトにとって、作者の伝記的事実というのは、テキストを読むに際して排除されるべきであって、伝記主義はバルトの批判の対象であり続けたことを考慮に入れると、こちらも伝統的なmathesis universalisの側に属するものにひとまずは分類されそうである。 

 そうした中でstudium的なものが主導的なmathesis universalis的なアプローチに対して辛辣なまでに批判的で、かつマーラーの音楽が持っているpunctum的なものについての指摘に満ち溢れたものとしては、冒頭いきなり、絶対音楽的アプローチ、標題音楽的アプローチのいずれもがマーラーの交響曲の内実を明らかにするには不十分であるという批判から始まるアドルノのモノグラフを何よりもまず挙げるべきだろう。それはいわば従来のmathesis universalisでのアプローチの限界の指摘であるとともに、ロラン・バルトのアプローチとは全く独立に、だが内実において多くの共通点を持った仕方で、マーラーという特定の対象の固有性に迫ろうとするアプローチとしてまさにmathesis singularisの実践例と言えるように私には思われるのである。アドルノのミクロロギー的思考とバルトのmathesis singularisの親和性については、管見でも例えば多賀健太郎『突き刺す喪 : 写真・アウシュヴィッツ・自然史』(年報人間科学 24-1 pp.17-32, 大阪大学, 2003)にて指摘されているが、そこでのバルトのpunctumからアドルノの「句読点」への架橋(これは寧ろ「チェズーア」や「パラタクシス」との布置=星座の中で独立に検討するべき重要な視点ではあるが、さしあたりはそれ)よりもアドルノのmateriale Formenlehreのような「唯名論的」なアプローチの方が個別的なものの固有の論理を浮かび上がらせる方法として、mathesis singularisの方向性に添ったものに私には感じられた。唯名論的な志向はマーラーの音楽自体の持つ特性でもあり、当然アドルノはそのことを

 「音楽的概念は下から、いわば経験上の事実から動きを開始する。それは、形式の存在論によって上から作曲されるのではなく、事実を連続する統一体の中で媒介し、最後には事実を越えて燃え出すような火花を全体から発するためである。」(アドルノ『マーラー 音楽的観相学』, p.83)

というように指摘しているが、それを踏まえるならば、アドルノのマーラーへの対峙の仕方の方もまた、対象がどのような音楽であっても採用し得るわけではなく、対象であるマーラーの音楽の特性に寄り添った対マーラー固有の戦略として選択されたものということになろう。更に言えば、そもそも「モノグラフ」という形態そのものが、アドルノのミクロロギ―においては戦略的な意味を担っていると考えることもできるだろう。師匠のベルクについてのものを措けば、アドルノの常で両義的ではあるものの、基本的には寧ろ「敵」であるワグナーの楽劇についての批判的「試論」はあるものの、ベートーヴェンについては遂にモノグラフを上梓することなく断片が遺されたに留まった中で、端的にミクロロギ―の実践形態である「音楽観相学」という副題を備え、対象の固有名を標題として掲げたたモノグラフが他ならぬマーラーについて書かれたことは、アドルノのmathesis singularis的な思考とマーラーの音楽との或る種特権的とも言える親和性を告げているのではなかろうか。(ちなみにロラン・バルトの側でも「ミシュレ」に関するモノグラフがある訳で、ミシュレのエクリチュールに注目して、ミシュレという歴史家が、過去の確定した事実や既に没した人物の心理を記述の対象とするよりは、その時代に戻って死者たちの生を生き直すというアプローチを採ったことが語られることを思えば、バルトにとってのモノグラフも構造的に並行した関係を持っているとは言えないだろうか?)

 一方、そうしたことからマーラーの音楽自体が広義でのmathesis singularisの実践例であると捉え得るならば、更にはマーラーの音楽をマーラーその人によって生きられた時間性のシミュレータとして捉え、その認識の様態や存在の様態が作品の形式的構造に刻印されているとするならば、私のpunctumへの拘りはそれ自体、そのようにしてマーラーの交響曲の全体から発せられる「事実を越えて燃え出すような火花」(これはpunctumの言い換えでなくて何であろう)を受け取った私が、そのマーラーの音楽の様態、ひいてはそこに刻印されたマーラーその人の在り方の様態を同調的に「感受」(ここでは、これはホワイトヘッドのプロセス哲学的な意味合いを込めて用いる)した結果であって、mathesis singularisへの拘りの方も同様に、実はマーラーの音楽に刻印された存在様態が私に伝播した結果であるという見方が成り立つかも知れない。ここで注意すべきは、マーラーの音楽をマーラーその人によって生きられた時間性のシミュレータであり、その認識の様態や存在の様態がそこに刻印されているとする立場は、こちらもまた、アドルノの絶対音楽的アプローチ、標題音楽的アプローチのいずれもがマーラーの交響曲の内実を明らかにするには不十分であるという批判の対象となるものではなく、寧ろアドルノの批判に与するものであるということだ。

 マーラーの音楽については、その自伝的側面が強調されるあまり、彼の生涯の出来事を知ることがその音楽の内実を正確に理解するための条件であるかの如き主張が為されやすいが、マーラーの音楽は主観的な独白で満たされた日記ではないし、自己の経験した出来事についての描写音楽や標題音楽の類でもない。第3交響曲はマーラーのザルツカンマーグート滞在に取材した描写音楽などではなく、マーラー自身が言ったとされる通り、「手持ちのありとあらゆる手段を用いて構築」された一つの別の世界なのであり、そこに刻印されたものがあるとすれば、それはマーラーその人の世界との関り方とそれに応じた体験の内的な時間の流れ方の様態であって、しかもそれは寧ろ音楽の形式をボトムアップにその都度作り上げる働きをしているのである。その音楽は経験したこと「について」の描写などではなく、経験そのものの「音楽によるシミュレーション」なのだ。マーラー自身が後程撤回することになる稚拙ともとれる標題が、それでも「~が私に語ること」であって、語りの主体が「私」ではないことがその辺りの消息を告げている。これが第3交響曲においてのみ起きた偶発事などではないことの傍証は個別の作品に関してそれぞれ挙げることができようが、もう一つだけ、今度はマーラーその人のものではない証言を挙げるならば、シェーンベルクがプラハ講演において第9交響曲に関してどのように述べていたかを思い起こせばいいだろう。そこでシェーンベルクはこのように語っているのではなかったか。

「この作品の中では、作者はもうほとんど個人として語ってはいない。まるで、この作品にはかくれた作者がいて、彼がマーラーを単なる自分の代弁人として使役しているかのように思われかねないのである。この交響曲はもはや個人的な表現の行われたものではないのである。」(『シェーンベルク音楽論集 様式と思想』, 上田昭訳, 三一書房, 1973; ちくま学芸文庫, 2019ではp.160)

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 ところでマーラーの音楽自体の持つ唯名論的な志向によって導かれたのがマーラーの音楽の「小説」のような形式であるというアドルノの指摘は、バルトのmathesis singularisの側の極めて重要な側面に共鳴を引き起こす。バルトの側でも「個別的なもの(singuralis)」を実現するための手段として「小説」(Roman)を考えていたのであり、この点の共鳴もまた、偶然のものではないだろう。

 私のmathesis singularisとしての「マーラー学」は小説という形を取らないけれど(そう、マーラーについての「小説」を書くという可能性を具体的に思い描くことすらできない。マーラーに関する文献の中には、マーラーの生涯の一部を素材とした小説が幾つもあるのを知ってはいるが、寧ろそれ故に、それを私の方法としては採らないけれど)、例えば10年前に考えたことと現時点での認識や見解が同じなら同じで更に深めていくけれども、仮に違いがあったとして、それが事実に関する間違いを含んでいたり、明らかに論理的に誤謬を含んでいて意味をなさないと判断されるのでなければ前の認識や見解を撤回しようとは必ずしも思わない。それには私の見ている「対象」の姿は、そのほんの一面に過ぎなくて、私は、私にどう見えているしか所詮、書けないのだという感覚があるように思う。

 そうだからこそ、私は「小説」を書くことができる人が羨ましく感じられることも多々ある。私の採用するやり方は、せいぜいが「かつて私には対象がこのように見えていた、今はこう見える」という点を確認した上で、その違いの所以を問うことで、「対象」の側の相貌がより色々な角度で明らかに浮かび上がっていくことに寄与しうるに過ぎない。とても平易な言い方になるけれど「私にはこうも見えたし、今はこう見えています。こういう見方もできるのではと思います。」という証言をすることで「対象」についての展望を豊かにすることが出来たらそれでいい、そしてある意味これは果てしない作業なので、残された時間が限られてきたとするならば「対象」を絞り込む(これは老年学で言われるところのSOC(selective optimization with compensation : 補償を伴う選択的最適化)の方略の一つであるらしいが)べきと思っているということである。

 (だが、であるとするならば、「私」の方については虚構が成り立つ余地があるのではなかろうか?別の可能世界にいる「私」がマーラーにどのように対面し得るか、或いはマーラーと同郷人であり、或いはマーラーと同業者であり、或いは…という多岐性は、これもまた「対象」についての展望を豊かにすることに寄与することができはすまいか?それにしても、そもそも「私=自己」は、常に軌道を描いて移動していく重心のようなものであり、それ故「自己=我」についての「本物らしさ」に拘ることは愚かしいが、その都度その都度の対象との関りは全く恣意的なものではありえない。)

 なお、心理学的な意味での「作者」とアナロジーの形式による「本物らしさ」の効果に対する批判から、バルトがブルジョワ演劇の「写実主義」に対して、ブレヒト劇への関わりを根拠に、演者と作品上の役割・観客の同一化としてのカタルシスを重視したことについて言えば、そのアナロジー批判を擁護しつつ、発見や理論構築の過程でのアナロジー(その顕著な例を一つだけ挙げれば、南部陽一郎先生の自発的対称性の破れを提唱した論文、Y. Nambu and G. Jona-Lasinio, "Dynamical model of elementary particles based on an analogy with superconductivity. I, II"におけるそれがまず思い浮かぶ)を擁護することを試みるべきであると考える。後者は「本物らしさ」とは関係ない。寧ろ異なった領域に共通する構造的同型性に着目することで新たな理論構築を可能にする広義のアブダクションの一種と捉えることができよう。他方私が「小説」に疑問を感じるのは、それがまさにバルトが批判した筈だった「写実主義」と「本物らしさ」に依拠する側面がないとは言えず、ことマーラーに関して言えば、寧ろその批判される側面ばかりが目立つ印象を覚えるからということもあるだろう。

 作者としてのマーラーに関する「伝記」は、そちらはそちらで「作者の死」の立場から拒絶の身振りを以て遇されそうだが、そうした拒絶を免れそうにないものもあるとは言え、少なくともド・ラ・グランジュの手になるそれ、生涯に亘って何度となく改訂され続け(最初の英語版は第1巻で中断し、替わってフランス語による全体で3000ページ近い分量の3巻本として一旦完結した後、今度は英語版で第1巻の続きにあたる部分の増補が行われてそれだけで仏語版の分量を超える3冊本となり、最後に第1巻の増補改訂作業を行って英語版が4巻本として完成する途上でド・ラ・グランジュが没したため、第1巻は遺著として他人の編集の下で公刊された)、マーラーの交響曲のように巨大なそれ(最後の英語版改訂版4巻本は合計で4600ページにも及ぶ)だけは確実に、その徹底ぶりに或る種のpunctumさえ感じさせるものになっているというのが私の率直な印象である。否、その点ではその分量において相対的には(あくまでも相対的に、であって、それ自体としては量的にも十分なのだが)簡潔にさえ感じられるクルト・ブラウコプフの伝記さえ30年近い歳月の蓄積の中で生み出されたもので、そのための蒐集された資料の膨大さもまた伝記の後に公刊された資料集からも窺えるものであり、やはり一生涯をかけてマーラーと関わった記録であることには間違いない。その最終章はまさに「マーラーの伝記を書くことの冒険」(Das Abenteuer einer Mahler-Biographie)と題されていて、その伝記が完成するまでの労苦と紆余曲折を偲ばせる内容になっていて、それを読んだときの印象をクルト・ブラウコプフのマーラー伝の最終章「マーラーの伝記を書くことの冒険(Das Abenteuer einer Mahler-Biographie)」よりという小文に記したことがあったが、私がそこで受け取ったものもまた、音楽社会学者としての彼のmathesis universalisの成果としてのstudiumとは異なったもの、punctumに他ないものであったと記憶する。恐らくはそうした伝記的な業績に(直接ではなくても、間接に)依拠して成立したであろうマーラーに纏わるフィクションの類は、その貧弱で劣化したコピーに過ぎず、寧ろ「本物らしさ」と見てきたかのような「写実」的な描写に対する安直な寄りかかりの弊を免れないし、アドルノがマーラーの交響曲を「小説」として捉える要件を満たしておらず、少なくとも私にとっては「特殊なものという期待を贈り物として呼び覚ます」(アドルノ『マーラー 音楽観相学』邦訳, pp.82~83)ものではないのである。それよりは寧ろ「伝記」の方が、マーラーという個別で特殊なもののその特殊性を浮かび上がらせ、マーラーの人と作品に関するパトスを呼び覚ますものたりえているように感じられるのだ。

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 だが私がマーラーの人と作品の個別性、特殊性について考える時に真っ先に思い浮かべるのは、結局のところ、例えば先にも参照したシェーンベルクが「プラハ講演」での語りなのである。そこで彼は人と作品との関りについてどう述べているか?彼は講演をこのように始めているのである。

「多言を費やすことをやめ、マーラーこそはもっとも偉大な人間にしてかつもっとも優れた芸術家の一人であると信じて疑わない、と素直に言ってしまうのが最良の方法ではないかと考える。」(『シェーンベルク音楽論集 様式と思想』, ちくま学芸文庫版, p.115)

 シェーンベルクには、マーラーのネクタイの結び方に纏わる有名なアネクドットもあるけれど、些か極端に感じられ、今なら「個人崇拝」「聖化」の如きものとして冷静に拒絶されることもあろうその熱狂的な姿勢はだが、彼がマーラーその人と実際に会って少なくない時間を共有したこと、サウロがパウロになったと自ら語ったように、最初は反撥していたマーラーの作品を高く評価し、傾倒するようにさえなったことと無関係ではあるまい。マーラー自身の音楽が「自伝的」であると言われるかどうかとは一先ず関係なく、ここでは人とその作品は分かち難く結びついているが、それはバルトの批判した作者と作品との間にある心理学的な関係とは全く無縁であろう。その関係はそもそも、生産ー演奏ー消費という記号論的三分法が暗黙裡に前提として疑わない、「ものを生産する」こと、それを「使用」したり「交換」したりすることを範例とするパラダイムでは捉えられないものなのであって、mathesis singularisは一見そう見えたとしても、単に生産の側から消費の側に重点を移し、後者により多くの自由度を付与しただけのものではない。「喪の体験」もそうしたパラダイムから逃れでるものの一つであるだろうが、それは「喪の体験」だけで尽くされるものではないだろう。

 そもそも単に使用価値とか交換価値では捉えきれない独自の価値ということであれば、商品の物神的性格に関して指摘される物象化に伴って現象するファンタズマゴリーもまたそうではなかったか。そうした状況に対して、バルトの方は記号論的分析によって「神話作用」を告発し、アドルノはまさにモノグラフの一つである「ワグナー試論」において、ワグナーの楽劇がファンタズマゴリーに他ならないことを指摘して見せたのではなかったか。更に技術的特異点(シンギュラリティ)が具体的なものとして議論されるようになった今日の状況を踏まえつつ、ディズニーランドこそがファンタズマゴリーの現代的形態の典型的事例であることを三輪眞弘さんが指摘している。

「確認しよう・・ディズニー映画からディズニーランドが生み出されたように、現代社会は「あの世」から多大な影響を受け、20世紀「この世」は「テーマパーク」のようになった。つまり、不道徳なものは除いた上で、このテーマパークの中では誰もが、もはや人間ではなく、平等で笑顔で楽しく清潔な「お客様」でなくてはならない。それはアニメ映画のような幼児的世界の模倣である。」(三輪眞弘「魔法の鏡 または、三浦基氏に宛てた「光のない」の私的パラフレーズ」より一部を引用, 初出はF/Tジャーナル創刊号)

だがだからといって、使用価値とか交換価値では捉えきれない独自の価値が問題であることは確かなのであって、その価値がファンタズマゴリー的なものとは異なるための条件なり、それを見分けるための徴候なりを突き止めることが求められているのではなかったか。そしてpunctumこそがその徴候であり、「喪の体験」こそがそうした実例の一つなのであり、mathesis singularisは使用価値とか交換価値でもなく、さりとてファンタズマゴリー的なものとは異なる価値を擁護するための方法なのではなかろうか。(とはいえその擁護がますます困難になっていることにも留意する必要があるだろう。上に引用した三輪さんの文章での「あの世」という言葉の用法が物語っているように、全てを特徴量に還元し、徹底的に数量化し、特殊性を統計分布上の外れ値として除外する統計処理が支える緻密なマーケティングと、感性的なものを制御し、現実の拡張や仮想的なものとの融合さえ実現しつつあるテクノロジーの圧倒的な力に浸蝕され、パトス的なものすら制御され回収されかねず、punctumが拠り立つべき地盤がどこにあるかすら危うくなってきている中で、ファンタズマゴリーはしっかりと使用価値と交換価値の回路に回収され、管理と支配の道具となっている現実に、更にはシンギュラリティの向こう側では、「あの世」すらかつてのようではなくなり、「喪の体験」すら徹底的な変容を受けたり、ことによったら消滅したりする可能性があるのだ。そうした展望を踏まえるならば、具体的な相に関わる部分については再解釈が必要になってくるだろうが、それは単に自分のアーカイブ化への拘りを振り返るだけに過ぎなかった筈の本稿のもともとの目的を大きく逸脱する作業となるため、後日を期することにしたい。一言だけ付言するならば、使用価値でも交換価値でもない価値というのは、三輪さんの実践する「音楽藝術」と「人文学」とが関わる領域であると同時に芸術の姿を借りた「ファンタズマゴリー」の支配によって浸蝕されつつある領域であり、感情までが支配され、制御され、搾取される危険に対して、尚も「音楽藝術」と「人文学」は批判力を有するものであることを示すことが、mathesis singularisの役割であるというのがラフなスケッチになるだろう。)

 mathesis singularisは「喪の体験」を含めた「対象」なり「出来事」なりとの異なった関り方に依拠し、かつそうした異なった関わり方自体を対象としたものなのである。ここでは示唆に留めるしかないが、元々のバルトの文脈においてもまた、そこには特定の、個別の「他者」との関りが存在していたこと、否、そればかりがその関りにこそ全てが賭けられ、それ故に「写真のノエマ」たる「それは-かつて-あった」が特別なパトスを偶然に帯びることになったという消息が思い起こされる。寧ろここではmathesis singularisによって、(mathesis universalisにおいてのように「他者」を客観的な分析対象とするのではなく、「他者」として迎接し、歓待することが前提となっており、そうした「他者」ーpunctumをもたらす存在ーへの応答こそがmathesis singularisを成立させる必須の契機なのではないかと私には思われてならない。

 ところでシェーンベルクは、また同じ講演で以下のように述べている。

 「或る芸術家の偉大さを相手に理解させるには方法は二つしかない。その一つは―この方法がもちろん最良なのだがーその芸術家の作品を上演することであり、もう一つの方法は―私もこの方法によらざるを得ないのだが―書物を通じて読者にその芸術家の偉大さに関して自己の所信を述べる、という方法である。」(『シェーンベルク音楽論集 様式と思想』, ちくま学芸文庫版, p.115)

シェーンベルクはマーラーその人と異なって職業的な指揮者ではなかったし、当時の文化の中心に君臨するハプスブルク帝国の王室=宮廷歌劇場監督にして時代を代表する天才指揮者としてのマーラーを知っていただけに、寧ろ音楽の専門家であるが故に一層、その作品を自ら指揮する第一の方法を採ろうとは思わなかっただろうが(私の知る限り、シェーンベルクがマーラーの作品を指揮した記録は、1934年4月8日に放送された、ナチスを逃れて亡命したアメリカで、キャディラック交響楽団を指揮した第2交響曲第2楽章の演奏のみのようだ)、実際には一見したところでは誰にでも可能に見える二つ目の方法についても、実はシェーンベルクが自分も作曲家であり、音楽理論の専門家でもあったという前提を見落として、mathesis universalisの専門家でもない市井の愛好家に過ぎない人間が安易に、そちらなら自分でもできるなどと勘違いするのは夜郎自大というものだろう。私個人の身近ですら、一つ目についてはジャパン・グスタフマーラー・オーケストラ及びマーラー祝祭オーケストラの音楽監督である井上喜惟先生のような方が間近に居るし、二つ目についても音楽学者の岡田暁生先生のような方が居られて、結果としてはどちらにしても私の出る幕などないということになるのかも知れない。そして勿論、冒頭にも述べたことだが、私の「アーカイブ」は松井先生(アーカイブ学の専門家としての松井茂さん)を前にして、そう名乗るのも烏滸がましい、取るに足らないものであるけれど、この文章の中で触れた以外にも数多いる巨人たちの、マーラーの人と作品に関わる業績のstuduim的な側面から自分が受けた測り知れない恩恵とともに、そこから蒙ったpunctumなしには成り立っていないことは事実で、せめてその一部でも(例えば、21世紀ならではのGoogle MapsやGoogle Street Viewによるヴァーチャル・ツアーや、日本国内のアマチュア・オーケストラの演奏記録の統計、自筆譜に比べると圧倒的に乏しいように見える出版された楽譜の異同に関して手元にあるものについて調べた結果の報告や、ジャパン・グスタフマーラー・オーケストラ及びマーラー祝祭オーケストラの演奏に関する記録、そしてMIDIデータを用いた分析や作品の構造の可視化の試みなど)studuim的な側面においてもオリジナルな貢献たりえればと思う一方で、マーラーの人と作品という、個別、特殊に関するmathesis singularisとしてもまた、そこから受け取ったpunctumに「応答」できていることを願うばかりである。(2023.2.6公開, 2.8,9更新)

2009年8月9日日曜日

マーラーの楽曲を考える場合の3つのトピックについて

マーラーの交響曲がいわゆる「古典的」な定型から逸脱していることは広く知られているし、例えば楽章構成のような レヴェルであれば、一瞥すればそれは明らかなことに見えるかもしれない。だがそれだけでは単なる規範からの逸脱の 指摘に過ぎず、何故そうしたことが生じたかの説明にもならなければ、その結果何が起きるかの説明にもならない。 否、マーラー以前、以後を問わず、そうした逸脱は別に例が無い訳ではなく、だからマーラーの場合を識別するためには そうしたレヴェルの特徴の指摘だけでは不十分なのである。
 
そうしたみた場合に、それではそうした複数の楽章がどのように繋がっているのかが問題になるだろう。この問題はそれ自体 独立して取り上げる意味のあるものだと思うがここではそこは通り過ぎることにして、もう一歩先にある楽章の中の構造に 焦点をあててみたいのだが、それを考える際に手ががりとなる調的配置については別にメモしたので、ここでは私が楽章内の 構造を考える上で興味深いと思っている3つのトピックについて簡単に一瞥してみたい。勿論それぞれについては個別に具体的に 議論する必要があり、こうした議論なしには「マーラーの場合」について語ることはできないと考える。自然の音やファンファーレ、 引用の問題など、マーラーならではのテマティスムには意義もあれば魅力もあることは認めた上で、だがそれらが音楽の脈絡の 中でどのように登場するのかの方がより一層重要なはずである。これは例えばRedlichが挙げている「特徴」characteristicsに 対して形式分析に基づく様式的な裏付けが必要であるとAgawuが述べているのと方向性としては並行しているだろう。そしてまたそれは アドルノが1960年のマーラーに関するモノグラフの冒頭で述べた方向性とも背馳しないだろう。

つまるところアドルノの長編小説形式のアナロジーはマーラーの音楽の総体を捉えている点でより多くを語っているし、私が考えている「意識の音楽」の要件ともそれは深く関係している。 外的な参照は実際の聴取の場面でも程度の差はあれ生じるには違いないから無視することはできないだろうが、 特に引用のような文化的な文脈への依存性の高いものについては、そうした文脈を持たずとも音楽が端的に持つ構造の力の 方にまずは注目したい。一例を挙げれば「ファンファーレ」「シグナル」は確かにマーラーの音楽を聴けばそこかしこで聴くことができ、 その音楽の特徴の一つであろうが、このファンファーレについての伝記主義的な詮索(当時のオーストリアの軍楽隊について、 あるいはマーラーが幼少期を過したイーグラウにあった兵営についてetc.)やその記号学的な意味の詮索に直ちに向かうよりは、 ファンファーレが楽曲の展開のさなかで担う機能について踏まえた上で、それが音楽の内容(あえて「意味」とは呼ばないでおこう)に どのように寄与しているのかを考える方がより一層興味深いことに思われるのである。アドルノがマーラーについてのモノグラフの 冒頭で第1交響曲第1楽章の序奏を思い浮かべつつ、最初の章のタイトルを「カーテンとファンファーレ」としたことや、 第4交響曲第1楽章の展開部末尾に出現するファンファーレについて述べるくだりで、ファンファーレというのが音楽の「展開」に 寄与しない静的な性質を持つことに触れたりするのは、そうした観点からすれば非常に興味深い。実際第1交響曲においても、 あるいは第4交響曲のかの部分で予告された第5交響曲の冒頭楽章においても、ファンファーレは導入部という静的な部分の 構成要素として出現している。レートリヒのように第5交響曲において伝統的な交響曲における第1楽章が2つに分割されて、 第1部を構成する2つの楽章となったとする立場を敷衍すれば、第1楽章である葬送行進曲は序奏が拡大された挙句、 楽章として独立してしまったという見方が可能で、第1交響曲第1楽章や第3交響曲第1楽章で既にそうであったように、 そして更に第6交響曲のフィナーレで徹底してその可能性を汲みつくされるように、本来はソナタ形式の外側にあった序奏が その主要部との動機的な連関によって内部に入り込んでしまう中で、ファンファーレのみは主要楽章である第2楽章で 扱われないことが注目される。それはファンファーレが静的で展開も(マーラー独特の)変形も拒む素材であることに由来するのだ。 そうした静的な性質は、それが出現する脈絡とは異質のものであるという性質をまた備えている。それゆえ第1交響曲第1楽章の あの「突破」を始めとして、音楽を進める動力が枯渇して楽曲が停滞するのを外側から賦活するような役割を果たすことにもなる。 ファンファーレはマーラーの音楽に層が複数あること、「外部」が存在し、その外部に対する系の反応過程であること、しかも その外部との境界面で起きている事象をいわば「その場」で捕まえようとする試みであることに対して際立って重要な働きをして おり、そうした機能を個別に見ていくことの方が一層興味深いのではなかろうか。それゆえ音楽外のものであることが明らかな 標題など、脇において置いてしまうべきなのだ。マーラー自身が後からとはいえ気付いて捨てたものを拾い上げることが、 マーラーの「音楽」を捉えることにどれだけ寄与するのか、私には判然としないのである。
 
その一方で歌詞がついたものについては、歌詞が理解できない状況はさすがに除外していいように思えるが、同じ歌詞に別の音楽を つけることが可能であることを思えば、結局のところ音楽自体の論理なりプロセスなりが問題なのは言うまでもない。 歌詞に対する音楽のあり方には事実上無限の選択肢があるから、音楽の水準でどのような選択が為されたかこそが第一義的な 問題なのは当然である。思考実験としてであれば、歌詞つきの楽曲であってさえ、意味の水準を一旦遮蔽してしまって何が 起きるか(マーラーがピアノロールに歌曲をピアノで弾いて記録したようなケースがわかりやすいだろうか)を問うてみてもいいだろう。 その場合、例えば別の言語を話す聴き手にとって歌詞が理解できないとしても演奏者の側は、ほとんどの場合(音声合成によるような場合を除いて)歌詞の意味を理解せずに歌うことはあり得ないという事実は残るのだが、そこも捨象してしまう立場すらあり得るだろうし、そうしてしまっても何も残らないわけではないのは明らかだから、そうした還元の後に残るものを対象とするやり方があってもいいように私には思われる。要するに原理原則などはどうでもよくて、そうしたことが現実に起きうるのであれば、 それを問題にしたらよいのだ。これもまた一つの立場であって、中立的な立場などないことは認めた上で、私が採用するのはこのような立場なのである。
 
まずは3つのトピックを列挙しよう。1つめはファンファーレに関連して既に少し触れた序奏の位置づけの問題であって、 特にソナタ形式の楽章におけるそれが問題になるのは明らかだが、それだけではなく、それ以外の形式や楽章間をまたいだ序奏の 再現といった点についても注目すべきかと思われる。 もう1つはいわゆる舞曲形式における発展・展開の問題であり、最後の1つは歌曲と交響曲との両方に関わる 有節的な歌曲形式や通作的な歌曲形式と交響曲形式との融合の問題である。序奏がつくのはいわゆるソナタ形式の楽章である 場合が多いのに対して、舞曲においてはいわゆる3部形式やロンド形式へのソナタ的な発展・展開の契機の侵入のありさまが 問題になる。マーラーの場合にはこの両者が独立の問題と言えるわけではないこと、にも関わらず、それらが区別できない 訳ではなく、出発点となっている形式のもともとの姿から遠ざかってはいても、いわば楽曲の持つ固有の時間性の水準で、質的な 違いが与えられているように思われるのだ。単純な一元化、形式の還元や均質化のかわりに、もともとの形式が潜勢的には 備えていた力を活用して、それらを様々な仕方で組み合わせて緊張を生じさせることによって、その都度固有の世界を形作る 試みがなされているのである。
 
文字通りの反復を嫌ったマーラーは、3部形式の舞曲においてもDa Capoを書かなかった。 唯一の例外は第10交響曲のプルガトリオ楽章で、このDa Capoがあることを根拠に草稿の水平方向における完成度に疑義が 提示されるといったことが起きるほどなのである。だがそれは、「すっかり元のままではない」というだけであって、やはり元のレヴェルへの 還帰はなされるのだ。一方でソナタ形式の再現部はそれとは異なり、別のレヴェルに到達する。そこはかつていた場所とは異なった 場所で、もう元には戻らないという非可逆性の認識が再現部なのであり、従って再現部においても展開のプロセスは続くのである。 その一方で序奏はソナタ形式に静的な要素を持ち込むように見える。しかもその機能は拡大され、その楽章のみならず全曲を 通じて機能する主要な素材を提供することもあるし、序奏自体がソナタの経過の途中で再現されもして、ソナタ形式の図式の 中に侵入してしまう。規模の点でも著しく拡張され、しばしば主部よりも長いことすらある。序奏というのは言ってみれば地平を 形成しているわけで、その性格は基本的には静的なものだから、序奏の再現はそれがソナタ形式の只中であったとしても あたかも元のレヴェルに戻ってしまったかのような時間性をもたらすことになる。かくしてマーラーにおいては静的なものと動的なものが 相互に嵌入しあい、複数の異なった時間性を備えた層が重なって、それらの間を運動していくのだ。複数の層の間の往還を 可能にするのが多楽章形式なのであってみれば、それはもともとは交響曲という楽曲の形式に由来するものであったとしても 最早古典派における図式から遠く離れて、別の機能を果たす素材となっているのである。attaccaや第2交響曲第1楽章後の 5分間の休み指定のような楽章間のつながり方、上位構造としてのTeil(部)構成の導入というのも、そうした層の間の関係の 複雑さを反映しているに違いない。要するに最早ここでは単純な持続の中でのリニアな楽曲の継起では扱いきれない何かが 問題になっているのだ。
 
歌詞の持つ節と楽曲の構造の対応の問題は、ハンス・マイヤーをして「簒奪者」と呼ばしめるような歌詞に対するスタンスを マーラーに採らせることになる。要するに、イダ・デーメルの証言にあるマーラーの言葉とおり、歌詞もまた楽曲の素材なのであって、 しかもそれは意味内容の水準においてのみそうなのではなく、テキストの持つ構造のレヴェルも含めてそうなのだ。そしてマーラーは これらの問題について、第8交響曲と大地の歌という、内容上は一見したところいかなる接点もなさそうな2つの作品によって、 一応の結論に到達したかに見える。
 
そしてここでは詳述できないものの、最後のこの問題もまた、前の2つと単独で分離して 扱うよりは、寧ろ前の2つのトピックとどのように複合し、相互に関係し合っているかの様相を具体的な作品について 見ていくべきなのだ。アドルノはマーラーの形式の扱いに唯名論的な側面を見出しているが、そうであればこそ尚更 幾つかの断面を定義してそこに現れてくるものを個別に見ていくようなアプローチが必要で、その断面の切断の与え方を 方向付けるものとして、これら3つのトピックは手がかりを与えてくれるものに私には思われる。アドルノが形式分析の限界を 見出すのは、既存の枠組みの中でしか動き回れないような類の形式分析には自らに予め課された枠を意識し、 その外側に出ることができないからなのだが、マーラーが創作を通じて行った作業はまさにそうした限界を乗り越える試み そのものであり、そうした試みは各々が一回性の徴をどうしても帯びることになる。
 
例えばここでのマーラーの手つきは例えば第8交響曲の中でもその第1部と第2部とでは やや異なっているようだ。というのも第1部では聖霊降臨祭の賛歌をマーラーはかなり自由に組み換え、更に再現部では 自作の節を挿入しさえして、賛歌のもともと持っていた有節的な構造を、7という数象徴と関連づけられた 節数もろともソナタ形式の論理に合せて変形させているかのようなのに対し、第2部ではマクロな構造に限ればゲーテの 詩句を概ねそのまま使っていて、それが故に交響曲的な多楽章形式ではなく、巨大な50分以上もかかる単一の楽章に よる通作形式を採っているように見えるからだ。それは楽章というよりは例えば「「嘆きの歌」におけるTeilに近い単位であって、 マーラー自身も他の曲でしばしばそうしたようなTeilの下に幾つかの楽章をまとめることをここではせずに、Teilのみを 単位として遺しているのである。第2部の中に、Bekkerやde la Grangeの報告している当初の構想の対応物を見出そうとする試みも Specht以来確かにあるものの、寧ろここではそうした対応付け自体よりも、この脈絡でマーラーが巨大な楽曲の内部にどのような 構造を与えたかを個別に問うべきだろう。実際、対応づけをしたところでattaccaで繋がれた3つの楽章の連続とは明らかに 異なっているわけで、寧ろ私見では、音楽の経過と歌詞との対応づけをミクロに見ながら、第2部の内容の経過が如何なる 音楽的プロセスに対応するのか、更にはこれまたマイヤー以来しばしば疑問視されてきた第1部と第2部との連関を、音楽とは 別の水準で聖霊降臨祭の賛歌とゲーテのファウスト自体を突き合せて論難するのではなく、第1部と第2部が音楽的に どのように関連付けられ、音楽によって第1部のどの節が第2部のどの語りに対応付けられているかを確認することによって 闡明するすることの方が有意義に思われてならない。
 
例えば、第1部では変イ長調をとる第2主題(Imple sperna gratia)が、 第2部でファウストのよみがえりをグレートヒェンが歌うところで再現するのは極めて印象的だが、そうした歌詞上の対応を 支えるものとして、この第2主題が実は第1部のあの圧縮された再現部では実は出現していないこと、そして第2部での再現に おいては変ロ長調をとること(主調が変ホ長調であることに注意し、また第1部の再現部の前にも長大な変ロのペダルが 出現していたことを思い起こそう)に気付けば、実はこの第2主題はようやく第2部も終わり近くになってようやく文字通り「再現」するのだ、 そしてそれは今度こそ決定的な変ホ長調(Mater gloriosaによる「来たれ」Komm!)を「より新鮮」な姿で準備するのだということが明らかになる。 だが驚くべきことは実際に、こうしたことに気付かずに聴いて受けた印象をそれは実に正確に説明しているように感じられることだ。 それは単純に同じ動機なり旋律なりにどの歌詞が割り当てられているかという単純な対応付けを超えて、マーラーが音楽によって実現しようと 試みたものに照明をあてることになるだろう。
 
同様に、主調の変ホ長調に対して半音高いホ長調が持っている機能にも注意しよう。 ただちに思い当たるのが、第1部のあのAccende lumen sensibusの箇所(練習番号55)がホ長調で出現することだが、 ヴェーベルンの指摘しているようにこのAccendeの動機は第1部と第2部を橋渡しする役割を担っており、第2部においても 何度も繰り返し出現する。そして第2部ではMater gloriosaが出現する部分(練習番号106)がホ長調なのである。 私はいわゆる音から色彩への共感覚を持っているが、変ホ長調とホ長調は金色から青白い光への強いコントラストの変化を 備えていて、だからホ長調は変ホ長調に対して単純にクロマティックな関係にあるだけに留まらない。トリスタン以来、ブルックナーの 第7交響曲や第9交響曲の例もあるようにホ長調というのは独特の価値を帯びた調性なのだろうが、マーラーの作品の中でも 例えば第7交響曲の第1楽章がここでは導入部のロ短調の和音への付加音が予告している同主短調との明暗法の帰結として ホ長調で終わっているし、何よりも第4交響曲のフィナーレが緩徐楽章が準備した主調であるト長調で出発しながら、 最後になってホ長調に転じてそのまま終わってしまうなど、固有の機能を持っていることは間違いないだろう。そしてこうした点を考慮に 入れずにこの作品の「内容」について議論することにさほどの意義があるとは私には思えないのだ。
 
一方の「大地の歌」でも、第1楽章では有節形式をソナタ形式と融合させるために原詩の第3節を変形していたり、 終楽章で2つの詩を接木するために真ん中に巨大な器楽のみによる間奏を置いてみたりと、その反応はやはり一様ではない。 興味深いのはいわゆる歌詞の内容の水準における大きな違いにも関わらず、そうした歌詞の構造の扱い方については第8交響曲と 「大地の歌」には共通する操作を見つけることができそうな点である。(もっとも別の所にすでに書いたとおり、私には内容の水準に おいてもこの2曲の間には接点があるように感じられるのだが。)ただし「大地の歌」は(今度はその歌詞の内容に相応しくというべき だろうか)複数の楽章を組み合わせるようにして、いわば「下から」2つのTeilを構成する。その様相は例えば第3交響曲の裏返しの ようにも見えるが、そうした特性は調的な配置からも窺うことが可能であり、第3交響曲では長大な序奏を持ち、単独で第1部を 構成する第1楽章が、いわば提示部と再現部を裏返すような調的配置を採ることで第2部へと繋がっていくのに対し、「大地の歌」 では冒頭のイ短調の同主長調で華々しく終わる第5楽章で一旦区切りがつけられ、一旦そこで句読点が入ったのちに ハ短調の短い序奏で開始される終楽章が続くのである。それは今度は第6交響曲の冒頭楽章がイ長調で終わることや フィナーレがハ短調で始まることとの対比を呼び起こさずにはいないだろう。ただし「大地の歌」の終楽章はイ短調に回帰する 第6交響曲とは異なった歩みを見せる。再び同主調のハ長調で終結するが、付加6度が追加され、イ短調とハ長調の 間で宙吊りになったまま終わってしまうのだ。(これを変ホ長調で始まり、第2部の開始では同主短調を取るものの最後は 変ホ長調で終わる第8交響曲と更に比較したらどうだろうか。)そして勿論、このような調的配置は、「大地の歌」においては 歌詞の内容や、楽章間の層的な関係と密接に関連している。(気付いた点については既に別にまとめているので、ここでは 繰り返さない。)では第8交響曲ではどうなのか、特に、一見したところテキストの論理が楽曲の論理に優越している 唯一の例であるかに見える第2部ではどうなのか、こうした問いのリストはまだまだ幾らでも続けることができようが、 いずれにしても、このようにして上述の3つのトピックとそれらの間の関連を個別の楽曲について見ていき、その都度の 様相を捉えるような「個別的なものの観相学」こそがマーラーの場合全般の「個別性」をもまた明らかにするに違いないのである。 (2009.8.9-12 この項続く。)

2007年4月30日月曜日

はじめに:マーラーについて、私は一体何をしようというのか?(後半)

承前)―やれやれ、また話が逸れた。結局、マーラーについて一体何をしたいのか、そうやって撒き散らすものに対して、どう責任をとる つもりなのか、答える気はないんだな? そもそも、何でマーラーじゃなくちゃいけないんだね。100年も前の、全く異なる環境に生きた 人間のした事が、お前の問題とやらにどう関わるというんだ。気質も能力も違えば、世界観だって違うだろう。せめて時代がもっと 近ければ、問題意識の共有とかもありうるだろうに、それをわざわざ自分の問題に引きつけるなんて、どこかですり替えでもしない限り 無理なんじゃないのか?

―確かに、マーラーの時代と現代では意識について得られている知識の量も違えば、見方も異なっているのは確かだ。進化論にしても 同じ事で、マーラーの時代には許されていた空想の入り込む余地はずっと少なくなっている。意識の問題は、もはや哲学の問題では なくなっているんだ。恐らくは幸いなことにね。やっと机の叩き合い以上の議論ができるようになってきた。(それでも、屁理屈をひねり 出しては話をまぜっかえそうという、哲学者はいるみたいだけどね。)でも、意識の成立の機構がわかったとしても、意識「からの」展望は なくならないし、意識「にとっての」問題は残るんだよ。クオリアはなくならないんだ。自分がどんなに儚く、しかも制限されたものだとしても、 それをまるまる幻想だと言うべきではないんだ。フッサールの現象学が、意識が自分の背中を、自分の基盤を覗き込むことができると 考えていたとしたら、その思い込み自体は幻想だと言って良い。意識は「ほぼ」おまけみたいなものだろうよ。でも、意識は現にある。 だいいち、こうした議論をやっているのはまさに意識じゃないか。自分の権能について幻想を抱くべきじゃないけど、でもまるまる なかったことにするわけにはいかない。或る種の宗教はこうした考え方自体を問題視するのかも知れないけど、僕はそうは思わない。 マーラーの音楽は、それが如何に大きく暗黙のものとなった技能や、無意識的な様々な活動に依拠しているとしても、それでも 意識なしには産み出されなかったと思うよ。意識は極めて受動的に「書きとった」のかも知れないけど、マーラーの音楽には、 書きとらされた意識がはっきりと読み取れると思うんだ。しかもマーラーは、自我の全能性に対する懐疑を持ち合わせていた。 うまくいえないけど、マーラーの場合に限って言えば、こうした問題は、音楽のいわゆる標題、単なる素材じゃない。音楽の構造 自体がこうした問題の構造をある仕方で写し取っているんだと思うよ。
勿論、そうした事態が唯一マーラーだけにおきていると考えているわけではないし、問題意識としてはもっと今日的な仕方で 向き合っていると思える音楽もある。例えば三輪眞弘、クセナキスの方が意識というものに対する距離のとり方としては 現代的だし、いわゆるパラダイムみたいな部分で暗黙のうちに共有している部分が大きいんだろうと思う。あるいは晩年の ショスタコーヴィチの方がマーラーより遥かに醒めていて徹底しているかも知れない。個人的な気質みたいな部分だったら、 ヴェーベルンの方が遥かに身近だと思ってる。
でも、事実として僕にはマーラーの音楽がすっかり染み付いている。今更脱ぎ捨てるわけにはいかないくらい、それは言ってみれば 身体化されているんだ。出遭った時期のせいもあるかも知れない。それは結局偶然の為せる業かも知れないけど、いずれにしても マーラーの音楽は、僕の中に埋め込まれちゃっているんだ。音楽を聴くことは単なる娯楽なんかじゃない。一方で意識的な知識や 習得、教養の涵養にも留まらない。単なる感覚的な刺激の受容でもない。それは世界に対する反応の様式を、認識の方法を学ぶこと、 自分の回路のなかに引き込んでマップするといった側面があるんだよ。ある抽象的な水準での身体の様態の(変換を伴う、でも何か同型性を 保っているはずの)伝達、「感受の伝達」のものすごく複雑なバージョンが音楽を聴くことで起きているんだ。すべての音楽がそうだとは言わないし、 音楽一般になんか僕は興味ない。でもマーラーの場合には、自分の経験に照らして、そうなのだと言えると思うよ。
確かに何で今更マーラーなんだって、僕だって思わないでもないよ。今やCDだって単純に枚数を計算しても50枚と持っていない。 それでも作曲家別に考えたら、まだ1,2を争う量だ。僕は出不精なんで実演はもうほとんど聴かないけど、それでも交響曲は過半の曲の 実演を聴いている。第1交響曲ハンブルク稿の日本初演にだって立ち会った(ひどく「鳴らない」演奏で、あんまり楽しめなかったけどね)。 ひどい劣等比較だけどね。楽譜だって全ての作品のものを持っているわけじゃないけど、それでも被覆率は圧倒的に高い。 専門の研究者なら必ず読んでいるであろう文献だって、全然読めていないだろうけど、それでも既読文献の数や、 手元にある文献の数からいけば、他とは比較にならないくらい多い。要するに、他の人たちと比較してどうかはおくとして、 自分の持ち札のなかでの相対的な比較では、それが劣等比較にすぎなくても、マーラーが一番「まし」なんだよ。
ほとんど全ての作品を満遍なく聴いているし、繰り返し聴くし、思い浮かべることもできる。これまた被覆率は圧倒的だ。まあマーラーは 作品数が少ないから、というのもあるけど、でもマーラーなら交響曲だけじゃなく、歌曲だって同じように接している。もっとも編曲の類には 関心がないけれど。引用されている譜例を読んだときに、それがどの曲の何処の部分なのか同定して、頭の中でその部分を流すことが できるといった程度のことさえ、それなりの確実さと網羅度をもってできると言える自信があるのは辛うじてマーラーだけなんだよ。 あるいはまた、作品の成立史、伝記的な事実、そればかりか真偽の怪しいエピソードの類に至るまで、 マーラーの場合ほど頭にきちんと叩き込まれているケースは他にはないし、いわゆる作曲家論、作品論の類にしても、あくまでも相対的にまし、 というだけにせよ、マーラー以上に知っているといえるのはないんだ。
今時点での「意識的な」距離感からいけば、マーラーは決して一番身近な存在じゃない。寧ろ距離感を感じているのも確かだ。 けれど、その音楽が、人物が自分の「身についている」度合いからいえば、マーラーはやはり特別なんだ。だからこそ「番外」扱いにしているんだ。
主観的な価値、というのはそういうことをひっくるめてのことなんだ。自分の脳の中にしまいこまれているものを、外に引っ張り出して形にするとして、 一番意味がありそうなのは、結局、マーラーにまつわる経験なんだということだと思う。何度も言うけど、それ以上の理由はないんだ。客観的に見て どうであろうと、今の自分にとってそれが必ずしも無条件に具合がいいことではなくても、結局、それが自分にとっての問題なんだ。 どういう結論になるのか、そもそも結論が出るのかもわからないけど、でも、決着をつけなくてはと思っている事柄なんだよ。あるいは或る日、突然、 どうでもよくなってしまう瞬間が訪れるかも知れない。でもまあ、その日が来るまでは少しずつやっていくつもりでいるよ。少なくとも今の時点ではね。 それ以前に、どれだけ時間がとれるのか怪しいものではあるけれど、、、

―お前の個別の事情なんかどうでもいいんだよ。一体そんなものに誰が興味を持つんだ。そんなものは公共性を持ち得ないし、どうあがいても 学問には辿り着かないぞ。お前の様な態度は、結局のところ消費者の問題に過ぎないものへの居直りじゃないか。お前は150年も前にヘーゲルが 美学講義で、お前みたいな姿勢に対してどう言っていたか知らないのか?

ーそれは、「... しかしそうした研究が進展することはない。なぜなら感受というものは不確かでぼんやりとした精神領域だからである。感受されるものは、 もっとも抽象的な個々の主観性という形につつみこまれたままなのであり、したがって感受の相違もまたまったく抽象的で、事柄自体の相違ではない。  ... 感受の省察は、主観的な情動とその特殊性の観察で満足するのであって、単なる主観性やその状態をほうりだしてまで、事柄に、つまり 芸術作品に沈潜・没頭することはないのである。」というやつのことだろう? いや、ヘーゲルの言っていることにまるまる同意できないわけじゃないよ。 寧ろ、ヘーゲルの言ったことは認めた上で、それでもそうした感受抜きに、一体音楽について語ることができるのか、音楽の持つ力について証言できるのか、 と聞いてみたいんだよ。丁度アドルノは、この部分を「新音楽の哲学」の中で反主知主義をチャイコフスキー―アドルノではいつも悪役扱いだが―をだしにして 揶揄している部分で引用しているね(邦訳、渡辺健訳、p.22、上掲の引用も邦訳に従った)。アドルノはそれとは別に聴取の類型論―これまた「エリート主義」の廉で 批難を浴びることの多い、問題あるものだが―も提示していて、その中でまたもやチャイコフスキーを引き合いに出しながら、「自分の本能を解き放って くれるのが音楽なのだ」というような「情緒的聴取者」を分類している。勿論否定的な価値付けとともにね。「教養消費者」「良き聴取者」「エキスパート」というふうに 続くこの類型の価値のスペクトルを眺めていてふと思い浮かぶのが、その「エキスパート」に関してアドルノは、今度はヘーゲルの見解に誤認を認め、―この2つの議論を 単純に重ね合わせていいのかどうかには議論があるかもしれないけど―必ずしも手放しで上述の類型論での価値のスペクトルを是認しているわけでは なさそうだということだ。(アドルノが嫌いな人なら、またいつものやり口か、と腹を立てることだろう。)  結局アドルノは、そもそも享受美学というのに―それが「趣味」という主観的、あるいは間主観的なものに依拠するようなものである限りは― 懐疑的だったんじゃないかと思えるけど、でもアドルノの個別的なもの、主観的な経験に対する態度や、彼が芸術に見出していた働きなり、 力なりを考えた場合、アドルノの創作の極への偏重には疑問が残ると思うんだ。つまりアドルノの周囲にあった享受美学が抱える限界を、 享受そのものの限界と混同すべきでないし、それが理論的には途方も無く厄介なことは明らかでも、やはり享受の極でおきていることに 一定の―通常の社会学の概念では測りきれない―価値を認めるべきなんだと思う。実際アドルノもまた、そのように考えていたふしはあるようだしね。
結局のところ作品は読み解かれることを欲してはいないだろうか? 壜に手紙を封じて海に投じるのは、それが何時か誰かに拾われて読まれることを期待してのことだろう。(マーラーその人の、作品の価値に対する自信と それが理解されないことへの不安を思い浮かべてもいい。彼はやはり、自分ではない他者の誰かが理解してくれることを望んでいたのではないか。 更にはマーラーの場合には、一方で、作品は作者の成長の過程の抜け殻に過ぎないという主旨のことも言っている。いまここでは作品に限定して 話をするけど、この発言もまた最後にはきちんと取り上げる必要があると思っている。マーラーは作品創造について十分に意識的・反省的でもありえた ―自分が創作している最中はそうではなくとも―し、そのことは考慮に入れるべきだろう。) 作品の価値を決定する必須の契機として、理論に受容者を招じ入れることの危険とは裏腹に、作品は受容者を待ち望んでいるんじゃないか。 作品それ自身が生き残り、引き継がれ、再生産されることを望んでいるのではないか?要するに「星座」は解釈者の視点を前提としているんだ。 ならばなぜ作品において創作の極のみが偏重されるんだい?勿論、解釈者を固定してしまうことはいわば論点先取であり、その意味で受容者を「前提とする」 ことへの抵抗は首肯できる。でも星座は解釈者の立つ位置によって、そのすがたを変えるんだよ。否、時が経てば、元の星座の見分けすらつかなるなるだろうよ。 そもそも解釈者の視点なしに星座というのを考えることはできないんだ。所詮は理念の関係とて、プラトン的なイデアの世界の住人ではありえない。 だからアドルノのテルミノロギーで星座というのは言いえて妙であって、アドルノの立場はその意味で、自分の立っている歴史的文脈に自覚的なものには 違いないんだよ。しかし、そうであってみれば、創作の歴史的文脈への理解なしには作品の正しい理解がありえないとする立場において、創作の極への偏重は、 結局のところ作品の自律性を、解釈の恣意性への危険への予防線と引き換えに損なってしまうことになってしまうんじゃないだろうか。
勿論、だからといって一気に何でもありになると言いたいんじゃないよ。ヘーゲルの批判はそれでもなお有効だ。極端な言い方をすれば、例えば、 マーラーの音楽を聴くことで僕の脳内のニューロンの初期状態がこうであったものが、このように変化しました、というのを一度限り記述することになんか、 勿論意味は無いさ。結局はニューロンの活動だとしても、ここでの主題は心理学実験ではないのだから、「神経美学」とでもいうべき水準まで還元するのが 適切な記述レベルだとも思わないしね。ヘーゲルの時代に比べれば、ヘーゲルの時代には知られていなかったレベルがはっきりとしてきた今日においては、 感受はヘーゲルが言うほど不確かでぼんやりとした精神領域というわけではないだろう。だけど、ここでの適切な記述レベルに関して言えば、 事態は多分そう進展はしていないだろうね。 つまり君の言うとおり、僕のやりたいことは、今の手持ちの道具立てでは公共性を持ち得ないし、どうあがいても恐らく学問には辿り着かない。 「個別的なものについての学」というのは不可能なんだ。それは認めるよ。そしてそれでいいと思っている。学問の見かけのもとに趣味の押し売りをやったり、 結局は事柄には辿り着かないどころか、それをかえって見えにくくさえし兼ねない知識を、消息通ぶりを発揮して振り回したりするよりはましだと思うよ。
そもそも、僕のことはおいても、マーラーの研究の進展には「素人くささ」が付き纏ってきた、というのが客観的な評価なのだろう。 アドルノなんか専門の音楽家、音楽学者、音楽社会学者などからしたら、赦し難い越権行為の連続だろうし、 ド・ラ・グランジュの伝記研究も、ミッチェルの生成史研究も、「学問的には」手続き上必ずしも厳密とは言えない、という話を聞いたことがあるよ。 僕個人としては、彼らの研究に垣間見えるマーラーに対する気持ちを感じ取るのは決していやな経験ではないけどね。あのクルト・ブラウコプフですら、 後書きで個人的な述懐をしているけど、それを読んだとき僕は胸が一杯になった。そもそも、彼らがどれだけの年月をかけて著作を産み出していることか。 それは確かにきちんとした計画に沿って整然と、効率よく、採算性を考慮して進められる学問研究じゃないだろう。手際よく数週間で1冊の本を書き上げる のにも能力と蓄積は必要だろうけど、その人の半生をかけて書き上げられたものにも、かけがえのない重みを感じるよ。
そうした第一線の研究はおいても、マーラーを語るときには皆、自分のマーラー経験を語る衝動を抑え難く、それが或る種の儀式―多分、精神分析的な説明が つきそうな―になるというのは良く言われているし、実際、本当に皆、第一線の研究者も、市井の愛好家も、そうした衝動には忠実に見える。 これこそ、ちょっとした驚異じゃないかな。まるでアウトサイダー・アートみたいじゃないか。多分そこには何かがある。少なくとも、マーラーの音楽には、個別的なもの、 主観的な経験のかけがえのなさを救い出そうとする何かが含まれているんじゃないかな? そうしたことの方が、まるでこの100年の進化論をはじめとする自然科学の 進展とそれによる世界認識の変化なんか存在しないかの如くの、黴の生えたような、それこそ「不確かでぼんやりとした」世界観や宇宙観にマーラーを縛り付けて おこうとせんばかりの、標題についての議論なんかより、僕にははるかに重要に思えるんだよ。勿論、マーラーの音楽はアウトサイダー・アートではないし、その音楽が アウシュビッツ、ヒロシマ、ナガサキを予言している、などというような立場は、これまた受け容れ難い。マーラーが預言者である、とか現代社会のある側面を先取り している、という言い方もされるけど、これまた首肯しがたいものを感じるんだ。結局それは、ある時代という文脈の限定性を、マーラーが生きた同時代から、 論者の語る時代に移動させているだけで、論法は大して変わっていないような気がする。結局、マーラーを持論を述べる題材にしているだけで、マーラーの 音楽そのものについて語っているとは思えない。
そうではなくて、もっとマーラーの音楽そのものに寄り添った経験、最初は個別の、取るに足らない、ヘーゲル的には「抽象的な」経験の方が大事だし、そして、僕もまた、そうした経験を語りたいという衝動に逆らおうとは思わない。そしてその上で、時間が許す限り、 自分の経験から作品と人の両方に向けて進んでいきたいんだ。方法論があるわけでもなし、まあ、大した成果は自分でも 期待していないけど、止めてしまうわけにはいかないんだ。繰り返しになるけど、そのようにマーラーの音楽が誘っているんだよ。

―まあ勝手にすればいいさ。どれだけ時間がとれるかだって、動機付けの強さ次第だろうに。最初からそんな予防線を張っているところを みると、先行きは期待できそうにないな。せいぜい優先順位をつけて、あちこち寄り道せずにやることだ。お前みたいにキャパシティのない奴の場合にはことさら、「強さは狭さの応酬」なんだろうから、、、

(2007.4.30初稿, 5.1, 15加筆, 6.30, 7.1加筆修正, 8.14修正)