お詫びとお断り

2020年春以降、2024年3月現在、新型コロナウィルス感染症等の各種感染症の流行下での遠隔介護のため、マーラー祝祭オーケストラ第22回定期演奏会への訪問を例外として、公演への訪問を控えさせて頂いています。長期間に亘りご迷惑をおかけしていることにお詫びするとともに、何卒ご了承の程、宜しくお願い申し上げます。

2003年9月20日土曜日

ヘルベルト・ケーゲルのこと

ケーゲルとの出会いは鮮烈なものだった。ウェーベルンの作品集のLPである。ブーレーズを中心とした全集があるとも知らず(もっとも知っていても高くて買えなかっただろうが)、とにかくウェーベルンを聴きたくて買ったレコードが ケーゲルの演奏だった。そして多分、CDが出たときに最初に買いなおしたのは、このウェーベルンの作品集だったと記憶している。3,200円もする高価なCDで、今や5000円程度の15枚組のセット物の1枚に、しかもベルクの作品と一緒に収録されていることを知るにつけ隔世の感を禁じえない。しかし実際、それだけの価値のある演奏なのだ。
ケーゲルがここで録音している作品については、ブーレーズの2度の全集を含め、他のどの演奏を聴いてもその印象が凌駕されることは決してなかった。ロンドン交響楽団やベルリン・フィルが技術的に劣るということはないだろうから、これはオーケストラの技術の問題ではありえない。もっぱらこの演奏の持っている純度と透明感、そしてウェーベルン演奏になくてはならない繊細で親密な叙情性に拠っているに違いない。実際、作品1のパッサカリアがどんなに荒々しい部分までも徹底して、こんなに瑞々しく歌われているのは奇跡のようだし、作品10の響きの純粋さはヨーロッパの音楽が辿り着いた極限に相応しいものに感じられる。

ケーゲルの演奏様式は、基本的にロマンティックなものだと思う。ただしその感覚は、まさに、言われるところの「新音楽」後のもの、20世紀のものなのだと思う。あくまでも譬えに過ぎないが、ヨッフムにとってのブルックナー、バルビローリにとってのエルガーに相当するものは、ケーゲルの場合には無調にさしかかった辺りから12音音楽に到達するまでの、新ウィーン楽派の音楽なのではなかろうか。勿論、これには伝記上の事実に基づく異論があるだろう。まずもって作曲の師であったブラッハーの音楽はどうなのか、あるいは人によってはヒンデミットやオルフの水際立った演奏を引き合いに出して、新即物主義やその後の様々な傾向との親和性の方を強調するかも知れない。私は文化史の研究者ではなく、ケーゲルの演奏を歴史的な文脈で聴くだけの知識もない。調べれば調べられるだろうが、そうした事実関係の検証をしてみようと思うほど熱心な聴き手でもないし、そもそもそういう聴取の仕方にはあまり関心が無い。従ってこの点については、あくまでも自分の聴取の印象に過ぎず、それ以上の正当性を主張するつもりはない。そもそも、ある演奏家の解釈の方向性は一般に幾つかのベクトルの合成であることを考えれば、そのうちの一つだけを強調するのはバランスを欠いているかも知れないのである。だが私には、最初に聴いたのがウェーベルンだから、というのを差し引いて考えても、もしかしたらケーゲル自身にとって最早過去のものとなりつつあったかもしれない新ウィーン楽派的な感性のようなものが、最も親和していると感じられるのである。
ただし少なくとも、アドルノに見られる、結果としては否定しがたく恣意的な「新音楽」の特権化からは、演奏家ケーゲルは幸運にも、そして賢明にも自由である。その最上の成果はアドルノがあれほど嫌ったシベリウスの第4交響曲の演奏だろう。勿論、既述のヒンデミット、あるいはバルトークやストラヴィンスキーの演奏をあげても良いだろうが。また、新ウィーン楽派の持つある意味では偏狭な地域性、世紀末ウィーン的な側面はケーゲルにおいては感じ取れない。要するに、ここで親和的だというのは、文脈として無意識的に埋め込まれていたというよりは、もう少し意識的に探り当てられたものであっても構わないのである。
ケーゲルの演奏は、それ以前の世代(その中には、例えば指揮者ウェーベルンも含まれる)に比べて「モダン」である。いわゆる表現主義的な演奏様式は、それ以前の世代が担っていたもので、ケーゲルの時代にはそれは過去のものになりつつあった筈である。けれども一方で、分析的で怜悧なブーレーズやウェーベルンを媒介にしてシューベルトを読み直すツェンダー、あるいは逆にシューベルトのようにウェーベルンで歌うことのできるアバドでも良いが、新ウィーン楽派の音楽をごく「自然に」演奏する後続する世代とも、あるいはあからさまに歴史的な文脈に入れてしまって、むしろ退嬰的に、退廃的に演奏してしまうような解釈とも違って、そこにはそのモダンさの背後にある、ロマンティックな衝動のようなものが息づいているように感じられるのである。その視点自体の当否はおくとして、どこまで到達したのか、という視点で考えれば、現時点ではすでに新ウィーン楽派の音楽も決定的に過去の音楽に違いない。しかしケーゲルの場合には、新ウィーン楽派の音楽に対する態度はある意味では過渡期のもつ二律背反性のようなものを感じさせる。もしかしたらそれを「過渡期」に帰するのは誤りで、単純にケーゲルの個人的な資質に因るものだとしてしまえばいいのかも知れないが。 ウェーベルンもそうだが、例えばケーゲル晩年の成果である、シェーンベルクの調性期の決算であるグレの歌や、ベルク晩年の十二音技法によるヴァイオリン協奏曲については、実を言えばケーゲルの演奏を聴いて初めて、その音楽が「わかった」ような気がしたのだった。とりわけ後者の音楽が胸を締め付けるような、ほとんど甘美な感傷に近い情調を持つことが感覚的に感じ取れたのは、ケーゲルの死の前年の演奏によってである。要するに音楽に対する共感の深さと解釈上の踏み込みの徹底ぶり、そしてもしかしたら作曲者の意に反して音楽が持ってしまったかも知れない、どこか冷たく醒めてしまっている肌触りも含めて、これ以上ぴったりくる感じのする演奏はない。身もふたもない言い方をしてしまえば、要するに、私が新ウィーン楽派の音楽をそのように聴きたいと思っているタイプの演奏だ、ということに過ぎないのかも知れないのだが。
そしてそれゆえか、マーラー以前の音楽に対するケーゲルの解釈は、あからさまに回顧的で、ある種のマニエリズムが介在するように感じられる。その完成度の高さは疑問の余地はないが、親密さには欠けている。(正確には、ごく稀にしか「共感」に達することができない、というべきかも知れないが。)一見して素朴な肌触りでありながら、その曲作りにはどこか人工臭があって、まるで自分のもしかしたら地であるはずの素朴さを、自分で信じられないといった風情の音楽なのだ。人によっては、そこに素朴さへの憧れの純度の高さを見出し、高く評価するであろうし、こうした屈折はマーラーのイロニーの表出にはもってこいなのかも知れないが、ケーゲルの場合には最後に残るのが、寧ろマーラーの時代すらすでに過去のものであり、それを我が物とすることは最早できないのだ、という認識―マーラーその人は、そうした認識を、例えばシューベルトに対して持っていたように感じられる―であるような気がして、その音楽を素直に聴くことができないのである。
一方で同時代の音楽に及ぶレパートリーの側については、その演奏のもつ説得力は疑うべくもないが(何しろ、面白いかどうかと言われれば、 面白く聴けるのである)、こちらは私の個人的な資質の限界で、どのような音楽でも無条件に聴くには至らない。
ショスタコービッチの音楽に対する姿勢もまた個性的だと思う。その特徴は、何よりも「美しさ」にある。ケーゲルの演奏を聴くことを通して逆説的に気付かされることなのだが、ショスタコービッチの音楽に、人はしばしば「真実」や、「正義」すら求めるのに、美しさがそこにあることを求めていないかもしれないのだ。一方で、単に美しい演奏であれば、より高精度な演奏技術に支えられた、機能的な演奏だってあるではないかという意見もあるだろう。けれども、ここにある美しさは、そうした音響としてのそれに留まらない。それには聴く人をどこか畏怖させ、目覚めさせるものがある。それは自律的な音響の運動でも、標題内容の「表現」でもない。こうした音楽の境位は、またもや、マーラーから新ウィーン楽派にかけてのそれに通じるものがあると思われる。ザンデルリンクの(後期)マーラーが、彼の言う「詩的な」ショスタコービッチから折り返されたものなら、ケーゲルのショスタコービッチには逆にマーラーから、それもどちらかといえば初期のマーラーの世界から延びた影が射しているかのようなのだ。もしかしたら音楽自体が望み始めているかもしれない、そして同様に聴き手も望んでいるかもしれない、攻撃者との同一化による客観の暴力はここでは予感されているに留まっている。そうした予感に怯えつつも、ユートピアを夢見ることはまだ、禁じられていないのだ。だから例えば、ライヴゆえの傷の多い第2交響曲の演奏の記録は、そうした傷を軽々と超えてかけがえのないものになりえている。社会主義政権下で「復活」の讃歌が一体どのように受容されたかについて考えれば不思議な感じもするのだが、常の感動を表に出さない抑制をここではさすがに感動が上回って、会場の高揚した雰囲気すらありありと伝わってくる。そして、遥かな異郷で粗末な再生装置でその記録を聴く日本人の一人は、実演では一度ならず「とりのこされて」白けた経験すらもっている自分にとって問題のある音楽であるにも関わらず(何しろ、一層問題のありそうな第8交響曲の方は実演の方が説得力があったのだから始末におえない)、この演奏記録に限っては、それを聴くと決まって感極まって涙を流さんばかりになるのである。(一度、夢でこの曲のフィナーレが最後まで鳴り響いたことがあったが、その演奏―もしかしたら夢の裡では自分が指揮をしていたのかも知れないのだが―はケーゲルのこの演奏に大変に似たものであったように記憶している。要するに私にとってこの演奏は、内的な緊張や間合いが、自分の奥底のどこかで共鳴するようなタイプのものなのだろう。)ここまで歌われている言葉がはっきりと聴き手に飛び込んでくる演奏も珍しい(もっとも、それはこの演奏に限らず、ケーゲルの演奏の一般的な特徴の一つだと思う)が、その言葉と音楽との結びつきが、このような説得力を持つ瞬間が優れた演奏でさえあれば常に保証されているわけではないのだ。総体としてみればあからさまにマニエリスティックで人工的でありつつ、ある瞬間にふと素朴さが文字通りの「突破」を実現してしまうといった事態がここでは起きている。そうしてみれば、新ウィーン楽派がマーラーに聴き取ったかけがえのないものは、確かにここでもしっかりと捉えられているのではないかと思う。

個別の作品に対する解釈を、ということではなく、ケーゲルその人の様式を跡付けようと試みる人は、その変遷に驚かされることになるだろう。私は偶々、丁度過渡期にあたる 1977年のウェーベルンから聴き始め、その後、1980年代後半の回顧的とでも言うべき透明な哀切さを湛えたロマンティックな演奏を聴き、最後に1960年代から70年代前半の、ぞっとするような冷たい鋭さを備えた、ほとんど身体的といっていい衝迫に突き動かされた演奏を聴くことになった。一般に流布している些かエキセントリックなイメージは、恐らく寧ろ初期の演奏から受ける異様な印象に由来すると思われ、それはそれで正鵠を射ている部分もあるだろうし、例えばマーラーであれば第2交響曲の、ショスタコービッチであれば第4交響曲や第11交響曲のような演奏が余人では成し得ない成果であることを認めるに吝かではないものの、個人的には、行き場を喪ってしまったかのように佇む感のある晩年の演奏もまた、かけがえのないものに思われる。
レパートリーという点では、合唱指揮者としての経験からか、声楽入りの大規模な作品の演奏(その中にはオペラの演奏会形式での演奏も含まれるが)への拘りを感じる。ハイドンの四季からはじまって、モーツァルトやシューベルトも声楽による宗教曲が取り上げられているし、ブラームスではドイツレクイエムが特別視されているのは明らかだろう。 また、そうした声楽入りの作品への嗜好は、叙事的なもの、具体的なものへの嗜好と通底しているかもしれない。例えばシェーンベルクなら、ワルシャワの生き残り、モーセとアロン、グレの歌。あるいはデーメルの詩を背景として持つ浄夜であって、 5つの管弦楽曲や変奏曲、室内交響曲ではないのだ。
マーラーもまた、声楽付の作品が多い作曲家であるが、嘆きの歌や第8交響曲、大地の歌も含め、声楽を伴う作品が多く取り上げられている印象は否定できない。これは単に、現にリリースされているのが初期作品と「大地の歌」に限定されているという事実によるのではなく、むしろ既述した初期のマーラーのケーゲルにとっての位置づけの特殊性と、それらにおける声楽の重要性との関係が寧ろ問題にされるべきなのだろうと思う。
ショスタコービッチにおける曲の選択も興味深い。例えばザンデルリンクの「詩的」「叙事的」という分類であれば、ザンデルリンクとは相補的に叙事的な曲が選択されているようだ。一方で、第14番が取り上げられるのは声への拘りという点からも違和感はないだろう。(ただし現在録音で聴くことができるレパートリーは、そのまま実演のそれではないようだ。例えば第8交響曲は取り上げられているらしい。従って曲目の選択に関してどこまで意識的であったかについての判断は慎重であるべきだろうが。)
テキスト、声楽への傾斜というのは、言い古されたことではあるが、無調期から十二音技法へ移行する新ウィーン楽派が、楽曲を構成する際の支えとして必要としたという「解説」を思い起こさせる。勿論、安直にそれと結び付けようというのではないが、しかし、ケーゲルの演奏様式を支えているものが何であるのか、 60年代から70年代前半にかけて感じ取れる、あの生理的な怒りともとれるような強烈な緊迫感から、80年代後半のその場に立ち尽くしてしまったような脆く儚げな行き場を喪った叙情までを貫く基調をなす在り方を探る上で、こうしたレパートリーに現れた嗜好が手がかりを与えてくれるのではないかと思う。自律的で自己完結的な音楽美学とは相容れない志向が、確かにそこには流れているように思えるのだ。ケーゲルの演奏にはしばしば、音楽がもともともっているもの以上のものが結晶しているような過剰が孕まれているように感じられるのと、それが関係しているのではと思わずにはいられない。(勿論、こうした事情は、マーラーの交響曲における声楽の導入に関しても言えることと思われる。)

あえて言うまでもないことだが、ケーゲルは今は消滅した旧東ドイツの音楽家であった。これは単に書類上帰属する国籍の問題ではなく、恐らくその音楽の特徴を構成する諸契機のうち重要なものの一つだろう。この話題になると決まって言及される、その音楽との関連自体必ずしも自明でない(ただし勿論、無関係ということはないだろうが)、その生涯の最期についてはひとまず措いても、それは確かなことに違いない。この点について主題的に論じることは私には到底しかねるが、それでも、ケーゲルについて書く以上、この点に関連して印象的に感じられる点を幾つか取り上げないのは、それはそれで不当なことのように思われる。

多くの海外公演をこなしたにも関わらず、そしてとりわけ晩年における日本のオーケストラへの度重なる客演にも関わらず、ケーゲルは一部のスター指揮者(ケーゲルが自己紹介の時に引き合いに出したと伝えられる、もう一人のヘルベルト、カラヤンがその典型であろう)が意識的にであれ、無意識的にであれ体現した「国際性」とは無縁であり続けたように思われる。結局、彼の表現媒体はライプチヒの中部ドイツ放送交響楽団とドレスデンのフィルハーモニーの2つであった。そこでのオーケストラの違いは、確かに部分的にはあるだろうが、部分的に留まる。普遍的であるが故の均質性ではなく、寧ろ、ほぼ無媒介に局所的であるがゆえに、そのようにしかありえなかったようなのだ。従って、ドレスデンのオーケストラの方が音色がやわらかく、特に弦楽器の響きに中欧的な温もりのようなものがよりはっきりと感じ取れるかもしれないとはいえ、そして演奏様式の変遷上、その2つのオーケストラの違いは契機の一つとしてはあったかもしれないが、寧ろケーゲル自身の内的な変遷の論理の方が優越しているように感じられる。
ただし、ここでいう局所性というのは、土着のもの、風土的なものへの還元を意味することでは全くない。少し前の世代であればまだ可能であったそうした沈殿物からの備給からも、無国籍性と民族性の不思議な同居(3人目のヘルベルト、ブロムシュテットを想像しても良い)といった、その後の世代にしばしば生じる事態とも異なって、ここでは一旦そうしたものが遮断されているかのようなのだ。それを社会的な環境(1933年を、あるいは1945年を少年期から青年期に迎えた世代にとって、それらを何歳で迎えたかというのは、その近傍以外では可能な粗雑な世代論での括りが捉えそこなう細かい差異を孕んでいる、というのはありそうなことではある)に単純に還元しようというわけではないが、兵役を挟んでその音楽的なキャリアを戦後に東ドイツで開始したという事実は、そうした遮断に与っていると思われる。
一方で、その遮断は遮断の前の記憶を消してしまうことにはならない。ワイマール期に生まれ、戦前に育ち、音楽教育を受けて形成を行った記憶は、無からの出発に抵抗する。だから戦後むしろ中心的であったより軽めの響き、臨機応変で柔軟な適応性、中性化される分豊かになる色彩のパレットとは、本質的に異質のものであり続けたのではなかろうか。すべてを伝記主義的に説明することはできないだろうが、少なくとも、そうした記憶の揺曳が、戦後のアヴァンギャルドの些か挑発的ですらあった擁護者の基層に感じられるのである。仮にそうした歴史的な説明を否定してもなお、ここで「記憶」と呼んだものが基調として存在するという感じは残る。

原的信憑に近い、後から振り返って考えれば根拠があるとも思えない、けれども振り払って全く否定し去ることもできない信頼のようなものがあって、その根強さに応じた分だけ、絶望感なり幻滅なりもまた深いのだ、ということを感じさせる。最後の局面では、あたかも次の瞬間には懐疑に根こそぎさらわれてしまうことがわかっていて、尚も無理に信じずにはいられないといった状況での諦念の影が差した眼差しがあるように思われる。

だからこそその音楽は、決して退廃的になることはないし、自分の無力さを棚にあげて、客観の暴力に荷担することもない。襲いかかるものの理不尽さに応じて、反応もまた、場合によっては嘲笑を買うかもしれないほどエキセントリックな過激さを帯びることもあるだろう。勿論、そうした様相を軽視することは不当であるけれど、だからといって、その様相のみを切り出してレッテルを貼ることに対する抗議にも同様に分があるのだ。何よりもその音楽が見せるすがすがしい透明感、よく練られた解釈の背後に見え隠れする寧ろ素朴といってもいい率直さが抵抗する。
勿論、そうした素朴さは、それに対する深刻な懐疑、素朴さ自体を毀損しかねない絶望と同居している。
聴き取りうるのはそのベクトル性の深さ、陰影の濃さであって、どこか局所的に取り出しうる特徴的な効果は、そうした連関抜きには喧伝されるその壮絶な効果を持ちえないに違いないのである。

ケーゲルについて思うことはかなりあるのだが、その多くは今のところ疑問文のかたちをしたものばかりだし、それを考えるにはケーゲルの未聴の音源を聴く必要とともに、やはり歴史的な文脈についての考慮も欠かせないように思える。従ってそれらについては、もう少し時間がたってから、ある程度見通しがたってから書いてみたいと思っている。 (2003年9月20日初稿,29日追加,2005年1月16日改稿,18,19,22日追加,9月9日改稿, 2007.7.9, 19, 8.16改稿)

2003年9月1日月曜日

カルロ・マリア・ジュリーニのこと(2020.5.24 加筆)

 実際にその演奏の記録に接するまでのジュリーニに対する印象は希薄なもので、何よりもマーラーの第9交響曲の演奏の評判の印象ばかりが強かった思う。LP時代からその存在と評判は耳にしていたのだが、高価なLPはそんなに手軽に買えるものではなく、迷っているうちにとうとうLPでは第9交響曲の演奏を入手することなくCDの時代になってしまった。

 そうしたわけで、このジュリーニの演奏も永らく未聴で、録音されてから20年以上経過してようやく聴く機会を得たのであるが、それは全く「マーラー的」でない演奏と感じられ、率直に言って、衝撃的だった。誤解を恐れずに言えば、あまりに(若干強引なまでに)「普通の」音楽として演奏されていたことに驚いたのだ。未だに似た演奏は思い浮かばない、特異で例外的な演奏だと思う。場合によってはいらいらするほど均整が取れていて、表現主義的な表出性とは全く縁がなく、従ってここには没落の不安に怯える主観はいない。(シェーンベルクがこの曲を「非人称的」だと言ったのは、勿論、ジュリーニの演奏が実現しているような意味では断じてない。)そうした表現主義的で、ある意味では音楽外の文脈を切り離し、更に場合によっては単なる演奏上の技術的な指示ばかりではない総譜上の指示、あるいは音楽の経過が内包するプログラム(標題をつけるを止めたとはいえ、マーラーの場合にはそれは別段「秘められている」わけではなく、明らかであると思うが)を無視した上で、どのような音楽を作れるかという実験とすら言えるかもしれない。ジュリーニの演奏では、その第3楽章は、世界を買おうとして破産した主観の末期の心象ではないのだ。「極めて反抗的に」というマーラーの指示は、ここでは全く別の水準で達成されている。

 勿論、この演奏もやはりマーラールネサンスの時代精神に忠実な演奏ではないか、例えば、2つほど例を挙げれば、レヴァインやカラヤンのような場合とどう違うのか、という問いはあるかも知れない。マーラールネサンスの時代には「純音楽的な」演奏がもてはやされたものだった。曰く「健康な」「神経症的でない」マーラー、、、あるいはまた、今日のブーレーズのような「客観的な」解釈と比べたら?否、この演奏はやはり特殊なのだ。デジタルなわけではないし、分析的でもない。その音楽は純粋な音響体と呼ぶにはあまりに人間的で、それでいて個別性は拒絶したような演奏なのだ。いずれにせよ、これがマーラーの第9交響曲の代表的な演奏であったというのは信じ難い。演奏としての完成度はともかく、音楽の捉え方では間違いなく、例外に属すると思われるのだが。

* * *

 こうして書くと、この演奏に対して私が否定的な印象を持っている、というように受け取られるかも知れないが、勿論実際は逆で、ようやく、この演奏をもって、(もしそう呼ぶとしたら)「純音楽的」でありながら説得力のある解釈に行き当たったのだ。「純音楽的」であるがゆえに何かが決定的に欠落した感じを抱くこともなければ、「純音楽的」でありながら一方で、というバランスの良さでもなく、徹底して「純音楽的」であるが故に説得力のある演奏なのだ。

 唯一、音楽外的な連想として感じ取れるのは、マーラーが作曲を行ったチロル地方を ジュリーニは知っている(バルレッタの生まれだが、幼少時に南チロル地方で生活したことがあるらしい)という伝記的な事実だ。かつてこの曲を頻繁に聴いていたころ(その頃最もよく聴いていたのはインバルの演奏で、この演奏こそこの曲の代表的な演奏だと思うが)、特に第1楽章に、その生活圏の風景が見えるように強く感じられた。一方例えば、これもまた代表的な演奏であり、かつ同様にその頃聴いていたバーンスタインの2種の演奏、つまりベルリン・フィルとのライブとコンセルトヘボウとの演奏は、いずれもそうした風景を喚起させるような演奏ではなかったと記憶している。ところで、このジュリーニの演奏を初めて聴いたときまず感じたのは、その風景が見えるということだった、しかもそれはインバルの演奏のように、あるいはその後聴いたバルビローリの演奏においてよりはっきりとそうであるように回想する意識の裡にあるのではなく、今、そこに見えているものに感じられたのである。風景が現前していて、主体はその風景のうちにいるのだ。こうした直接性、そしてある意味では逆説的といえるかもしれない具体性は、この曲の演奏にあっては極めて例外的な印象であると私は考えている。そうした感覚的ともいえるような直接性こそ、ジュリーニの演奏の特徴なのだろう。

 「大地の歌」についても、基本的な印象は変わらない。より室内楽的で色彩的な管弦楽法を持つこの曲の方が、直接性や克明さという点ではより明確かもしれない。歌つきにもかかわらず、あるいは歌つきだからこそ、楽音は主観的な情緒のフィルターや回想する意識を通さずに、すぐそこで鳴っている。ユーゲントシュティル様式や東洋趣味といった歴史的な文脈とも無関係に、いつぞやにも聴いた音、かつて眺めた風景を今一度耳にし、目前にする、といった風情なのだ。懐旧の念に囚われた感傷はなく、その音は繊細だが、決してくすまず、くっきりと聞こえるし、風景も涙にかすむことはなく、色彩に富んでいる。いくら性急な聴き手であってもこれほど直接に現前する音楽を自己耽溺的な主観の哀傷のドラマに取り違える事はないだろう。その楽音は繊細ではあってもきっちりとした実質を備えていて、感傷からも、表現主義からも程遠く、かつまた陶磁器のような人工的な儚さとは無縁なのだ。

 もっと直接的な言い方をすれば、「私は山に行こう。故郷を、住処を求めて彷徨おう、けれども遠くにはいくまい」と歌った私は、ここでは故郷の山に辿り着いたのだ。最後の一節は、憧憬の裡に接続法的にではなく、今そこに広がる風景の美しさに対して歌われているのではないだろうか。そして更に、これは恐らく牽強付会だろうし、 ジュリーニほど伝記主義に相応しからぬ人はいないとは思うが、その「故郷の山」は子供時代を過ごしたドロミテの山々なのだ、という連想を禁じることができない。逆にそれゆえにこの音楽を感覚的に「感じる」ことができるジュリーニでなければ、この曲をこのように演奏することはできないのではないか、と思わせる絶対的な説得力がこの演奏にはあるように思え
る。

* * *

 ジュリーニの演奏は、ヴィオラを弾いていたせいか、内声が非常に重要視され、響きが厚くなっていること、旋律線が隅々まで緊張感を保っており、その立ち上がりから消滅まで、曖昧さがないことが最もすぐに気がつく点であろう。その明晰さと充溢は、ルネサンス的であるといいたいような性格のものだと思う。 ジュリーニおいて明晰さは、歌う自由を束縛しない。それはまた、透明感やマニエリスティックな細部の透かし彫り、一糸乱れぬ精密さアンサンブルを意味することもない。特に異様と感じられるほど極端なのは、フレーズや音響バランスの「プロポーション」への拘泥で、あたかもきちんと歌えきれないことを拒絶するかのようだ。

 ジュリーニの指揮の技術的な側面から言っても、そのタクトはリズムの正確さや、アンサンブルの精密さを要求するものではない。それは人間的な呼吸の生理に忠実で、寧ろ完全なプロポーションとバランスで歌えることが優先されているように思われる。

 テンポの変化や強弱法も、旋律線や音響バランスのプロポーションを損なわないことを前提に設計されているようで、無理はないが、それは自然というのとは少し異なる、極めて綿密な計算を感じさせるものだ。歌うことの自発性を求める一方で、完全主義とマニエリスムが存在するのも確かであり、しかもその造形法は、削る、縮める、せきたてるのではなく、加える、引き伸ばす、ためることが中心であるように思える。

 テンポの極端な揺れ、極端な強弱のコントラストは歌のプロポーションを損なうが故に拒絶されるのであって、実際にはその演奏を「インテンポ」というのは些か抵抗がある。カンタービレに由来する微細なテンポの揺れが其処彼処にある。息をつげないようなインテンポ、息をひけないような間合いはジュリーニの演奏には存在しない。そうした意味でジュリーニの音楽は極めて感覚的・身体的・人間的であって、その晴朗で均整の取れた様式はウマニスモ、ルネサンス的なヨーロッパ、啓蒙主義の典型(極限ではない。極限はもはや啓蒙主義ではないかもしれないから。)を思わせる。

* * *

 ジュリーニの音楽は、マージナルではないが、しかし中心でも極限でもなく、典型なのだ。そしてそこにいつも人間がいる。人間中心主義はイタリア系の指揮者の生理という側面もあるかもしれない。けれども、例えばイギリスに生まれたバルビローリは同じように叙情的であっても、同じように歌に満ちていても、周縁的なものやバロックなものへの開かれた態度によって、 ジュリーニとは区別される。そしてまた、ジュリーニのそれは、新ロマン主義の先駆けではなく、むしろ古典主義(これは20世紀前半の新古典主義とは全く関係がない)的である。ただし秩序と規律を重んじるフランスの古典主義ではなく、あくまでもイタリアのそれだが。こういうスタンスは、怜悧な聴き手にとって、場合によっては中途半端で詰めの甘いものと移るかも知れない。あるいは人によってはこれを中庸と呼ぶかも知れない。実際、その演奏に何か刺激的なハプニングが起きるようなことはない。また、宗教的な感じはなく、その音楽には超越はない。それは自己充足的、内在的で垂直軸を欠いている。奥行きすら怪しいのでは?と思えるほどである。時間論的にも、過去とも未来とも縁遠い、けれども生成の瞬間の拡大(チェリビダッケ)ではなく、持続する現在の充溢とでも呼ぶべきものだ。音の向こう側にも手前にも何もない、何かを求めて眼差しがさまようこともない。今、ここに鳴り響く音楽の直接性で十分なのだ。しかも ジュリーニの音楽は、スピノザ的にそれ自体が世界であろうとするチェリビダッケのそれとは異なって、主体性を喪失しないまま、世界という契機を内在化しているようだ。

 その音楽には静けさがないのではないが、空虚はない。叙情的だが情緒的ではなく、主観的な音楽ではない。これはバルビローリと異なって、意識の音楽ではないのだ。その音楽は、ある意味では経過毎に自足しているため、静的な性格を帯びる。コントラストが不足しているか、あるいは拒否しているのでは?と感じる瞬間すらある。場合によっては一面的な印象や奥行きの欠如を感じると言われるのはそのせいだろう。

 例えばザンデルリンクのマーラーの第9交響曲はしばしば「平板」だと言われるが、実際にはその演奏は「自然」であって、その経過はそっけないほど淡泊なだけで、決して平板なわけではない。寧ろ「平板」というのはジュリーニの演奏にこそ相応しい。充溢する歌、隙間無くポリフォニーで埋め尽くされる空間。ここでは静寂、音と音との合間すら歌によってコントロールされているかのようだ、まさにここでは沈黙は歌の構成要素、一部なのだ。そしてまた、完璧を目指す歌は、即興性のようなものを喪ってしまう。その音楽の経過は物語の展開でも「意識の流れ」でもない。「作為的」ではないが、いわゆる「自然な」演奏ではなく、意識的に歌うのだ。そこにはザンデルリンクにおけるような音の自発的な生成展開はないし、ましてやハプニングはなく、フレーズは予定調和的に閉じられるのだ。

 あえて言えば、不自然であることを意志的に拒絶する態度、実際には音楽自体が歪かもしれなくとも、それをあえて認めずに「あるべき」姿にプロポーションを矯正してしまう姿勢がジュリーニにはあるのではないか。ただしここでいう「あるべき姿」というのは、音自体の秩序が潜在的に欲している形態(ザンデルリンクはそのために総譜やパート譜をしばしば書き換えたらしい)、というのよりもっと強い意味合いをもっていて、個別の音楽という仮象を超えて、寧ろア・プリオリにあるべき理念的な秩序というのが想定されているようなのだ。しかし、ジュリーニの特異性はこうしたプラトニズムが、感覚的で身体的な直接性と結びついている点にある。プラトニズムとはいうものの、音は向こうからやってくるのではなく、あくまでも人間が歌うものなのだ。

 結果として、隅々まで音楽はコントロールされ理想的な姿を纏うための追求がなされる。こうした意味でジュリーニの音楽はとことん主体による作為の音楽で、そこには主体の充溢がある。ジュリーニの音楽は演奏家の「個性」、演奏の個別性は主張しないが、音楽自体は客観的な音響体ではなく、スピノザ的な自己完結性(チェリビダッケ)を帯びることは無いし、一方でザンデルリンクの演奏のように音の自然な流れに身を委ねているうちにどこかに運び去られてしまうこともなく、フレーズの終わりまで正確に歌いきらなくてはならない。そしてそれは聴取のプロセスについても言えるようだ。聴き手もまた、揮発してしまうことなく、最後まで聴きとおさなくてはならない。

 しかもバルビローリの場合と異なって、ジュリーニにおいては主体は遍歴した結果変容するということもなく、帰還するのである。つまるところジュリーニの場合、主体=人間の極は消え去らないし、本質的には変わらない。享受の極の受動性は、まさにその享受そのものによって補償され、主体は一層堅固になるかのようだ。聴くのが疲れると言われるのはその充溢のせいなのだろう。あるいはまた、曰く「立派過ぎる」演奏というのは、音の半ば自律的な運動に身を委ねるという、とりわけ享受の極では極普通に生じる態度を、ジュリーニの演奏が拒絶するが故に起きる息苦しさの表明に他ならない。聴き手は音楽を心から享受することはできても、圧倒され、どこかに連れ去られるようなことがあってはならないのだ。

 そのように考えるならば、今から遡ること半世紀前に柴田南雄さんが、当時リリースされて間もなかったジュリーニの第9交響曲の演奏を評して、「(…)わたくしも今のところではトップの座を占めることは認めるが、ちょっと堅さがある。緊張が見える。その力が抜ければもっとほんもの、という気がする。しかし、かけがえのない音楽的な厳しさが底に流れており、欲を言えばそれは失われずに、柔軟さがその上に加わればさぞかしすばらしいだろうと思うのだ」(柴田南雄「マーラー演奏のディスコロジー 前編(78年1月の記)」,『音楽の手帖 マーラー』(1980, 青土社)所収。ただし初出は『西洋音楽散歩』, 1979, 青土社とのこと。)と記しているのは、その音楽の質の見極めにおいては極めて的確である一方で、ここまで述べてきた、ジュリーニの演奏が持っていると思われる方向性とその根拠を考えるならば、或る種の無い物ねだりに陥っている感じを拭い難い。柴田さんの求めている柔軟さ、脱力は、柴田さんが的確に指摘するジュリーニの演奏の特質と本当に両立しうるのか、実は柴田さんが求めている理想(それはどちらかいえば、「東洋的」とでも形容する他ないものに私には感じられる)はジュリーニが規範とする理想と根本的なところで相容れないものではないのか、という疑問を禁じ得ないのである。

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 徹底的な作曲者への無私の奉仕の姿勢が、隙間無く埋め尽くされた歌の充溢をもたらす。コントラストを欠いた経過は経過としての意味を喪う。これは、別の位相でだが、晩年のチェリビダッケに生じた事態と、結果だけとればよく似ているように思える。ただし、それをもたらす音楽に対する姿勢は全く異なる。チェリビダッケが西洋の音楽の理念の極限に達しえたのが、その周縁性によるのに対して、ジュリーニの場合、(弁証法的なアーノンクールとは全く異なって、大変に静的な性格を帯びているが)それは典型的にヨーロッパ的な存在様態ではないかと思う。それは「音楽は美しくあるべきだ」という立場での最高の達成なのだ。しかもそれは人間には聴き取ることができないピタゴラス派の天球の音楽ではなく、直接的で感覚的な身体性の位相で達成されている。そしてその身体性は、外界の事象を感受する感覚器の発達という人間のもつ生物学的な条件に忠実であるかのように、出来事によって変容を蒙った内部状態ではなく、変容を惹き起こした外部へと開かれている。主体の音楽といっても、内部事象への沈潜や、出来事を感受する界面へのこだわりはなく、ベクトルは外へと、つまるところ音楽へと向かっていくように思われる。ここでは音楽はまず感覚的なものなのだ。音楽を自らの身体と化すること、自分が音楽と一致することをめがけるその様態は「享受」のそれであって、それは現在の豊かさを味わいつくそうとする。それは瞬間の中に永遠を見る形而上学とは無縁で、寧ろ、持続する現在のうちで、その時間性の淵源である出来事の豊かさを、つまりはベクトル性の深さを享受するのだ。主体は決して消えてしまうことはない。

 かくしてジュリーニの演奏に対する私の向き合い方はアンビヴァレントなものになる。強い抵抗感と、達成されたものに対する感嘆が相半ばするのだ。マーラーを聴くならバルビローリを聴くだろう。音の自然な流れに身を浸したければ、ザンデルリンクを聴くだろう。けれども時折、ジュリーニの演奏を聴いてみたくなることがあるのだ。 ジュリーニの演奏は私にとってはアンチテーゼとして万鈞の重みを持っているのだ。(勿論、実際には正統的なのはジュリーニの方であって、私が常には好む演奏の方が何らかの意味で周縁性を帯びているのだが。)そんなに頻繁に聴くことはないし、自分にとって親近感を覚えるタイプの演奏ではないのだが、こんなに完成度が高くて「典型的な」演奏は他にない。それは私にとってある種の規範であるといっても良い。そうした意味でジュリーニの演奏は特別であると思う。 (2003年9月1日初稿、2007.1.11修正, 7.9改稿、2020年5月24日追記)