お詫びとお断り

2020年春以降、2024年3月現在、新型コロナウィルス感染症等の各種感染症の流行下での遠隔介護のため、マーラー祝祭オーケストラ第22回定期演奏会への訪問を例外として、公演への訪問を控えさせて頂いています。長期間に亘りご迷惑をおかけしていることにお詫びするとともに、何卒ご了承の程、宜しくお願い申し上げます。

2014年11月29日土曜日

Google Street Viewによるヴァーチャル・ツアー(2):マーラー少年時代の居住地イーグラウ(チェコ共和国イフラバ)



マーラーが暮らした家(プレートが嵌め込まれている)


イフラバ中心の広場


チェコ共和国イフラバ

Google Street Viewによるヴァーチャルツアー(3):マーラーが晩年を過ごしたトーブラッハ(イタリア共和国ドービアッコ)



トーブラッハのマーラーの別荘近くの風景


アルト・シュルダーバッハのマーラーの別荘(トレンカー・ホーフ)


ドービアッコ近郊の地図

Google Street Viewによるヴァーチャルツアー(4):マーラーが訪れたホテル・ドロミテンホーフ(ドロミテ渓谷)


マーラーが訪れたホテル・ドロミテンホーフの現在の姿


マーラーが歩いたVal di Fiscalina(Fischleintal)への入り口
正面の山はCroda Rossa di sesto(Sextener Rotwandt)


ホテル・ドロミテンホーフ近郊の地図

Google Street Viewによるヴァーチャルツアー(5):マーラーが晩年に訪れたシュルダーバッハ(イタリア共和国カルボニン)



マーラーが晩年に訪れたシュルダーバッハ(現在のカルボニン)の現在の風景
奥に見える山は、Croda Rossa d'Ampezzo

カルボニン近くにあるランドロ湖

カルボニン周辺の地図

Google Street Viewによるヴァーチャルツアー(1):マーラー生誕の地:カリシュト(チェコ共和国カリシチェ)


マーラーが生まれた家(プレートが嵌め込まれている)


中心の教会


チェコ共和国カリシチェ

Google mapの航空写真によるヴァーチャル・ツアー(6):マーラーの墓があるグリンツィンク墓地

マーラーの墓があるグリンツィンク墓地

Google mapの航空写真によるヴァーチャル・ツアー(5):マーラーが生涯を終えたレーヴのサナトリウム

マーラーが生涯を終えたレーヴのサナトリウム

Google mapの航空写真によるヴァーチャル・ツアー(4):アルマの実家のあったホーエ・ヴァルテ

アルマの実家のあったホーエ・ヴァルテ
マーラーと出会った頃の家、ヨーゼフ・ホフマン設計

1908年以降転居した場所

Google mapの航空写真によるヴァーチャル・ツアー(3):宮廷歌劇場監督時代にマーラーが住んでいたアウエンブルグ通りの家

宮廷歌劇場監督時代(1898/11/19~1909/10/7)にマーラーが住んでいたアウエンブルグ通り2番地のアパート

Google mapの航空写真によるヴァーチャル・ツアー(2):アッター湖畔のシュタインバッハのマーラーの作曲小屋

アッター湖畔のシュタインバッハのマーラーの作曲小屋

Google mapの航空写真によるヴァーチャル・ツアー(1):ヴェルター湖畔のマイアーニクのマーラーの別荘


ヴェルター湖畔のマイアーニクのマーラーの別荘

2014年11月2日日曜日

アドルノのマーラー論末尾の引用 "Nacht ist jetzt schon bald."について

アドルノ「マーラー」の末尾の引用(Taschenbuch版全集第13巻p.309,邦訳新版(龍村訳), p.215, 第8章訳注23)
Ohne Verheißung sind seine Symphonien Balladen des Unterliegens, denn »Nacht ist jetzt schon bald«.
アドルノのマーラー論の末尾は、Nacht ist jetzt schon bald.という言葉が引用されて終わる。 これに対する新しい邦訳(龍村訳)に付せられた訳注が、あまり適当とは思えないので、 備忘のため私見を記載して置くことにしよう。ちなみに古い竹内・橋本訳はそもそも訳注を付けていない。 これはJephcottの英訳、Leleu/Leydenbachの仏訳も同じであり、些か不親切な感じがしなくもない。 とりわけ書かれて半世紀後の日本で読まれることを考えた場合、訳注を付けようとする新訳の姿勢自体は 適切だと思うのだが、専門のアドルノ研究者の手になる注に対して、時間的余裕においても、取得できる情報量 においても大人と子供のようなハンディキャップを負っているはずの市井の一マーラー愛好家がこのような コメントを付することについては、いつもながら複雑な気持ちにならざるを得ない。
ただし、インターネットが 普及した今日では、かつてに比べて、このような疑問を持った時の調査は遥かに容易になっており、 今回も私見の傍証となる情報がないか調べてみれば、瞬く間に入手することができた。玉石混淆、必ずしも 信頼できる情報ばかりとは言い切れず、その点の確認も求められるから、そんなに簡単ではないとはいえ、 学術論文を書くわけではなく、自分の疑問をプライベートに解消することに限れば、今後は寧ろ読み手が 自分で自己の疑問を調べて解明して行くような姿勢が求められているのだろう。

まず手短に事実を述べると、"Nacht ist jetzt schon bald."は、ベルトルト・ブレヒトの "Das Lied vom achten Elefanten"のルフランにあたる部分であり、アドルノの引用は恐らく間違いなく、 このブレヒトの詩の引用だろう。 この歌はブレヒトの『セチュアンの善人』という劇の中で歌われるソング・ナンバーの一つとして 作られた。初演は第二次世界大戦下の1943年2月、スイスのチューリヒ。ドイツの初演は戦後、1952年になって フランクフルトで行われ、パウル・デッサウが曲を付けている。(アドルノが評価していたブレヒト・ワイルの 組み合わせは事情あって実現しなかった由。)なお、この詩は日本でも別段未知なものではなく、 長谷川四郎さんの訳に林光さんが曲を付けた「八匹目の象の歌」という歌がある。

詩の内容、さらには劇についての情報はインターネットでも得られるし、デッサウ版の歌も林光版の歌も聴くことが できるようだからここでは詳細は割愛しよう。『セチュアンの善人』にせよ、「八匹目の象の歌」にせよ、 アドルノのこのマーラー論の結末の文章に語られている内容に応じたものであることは間違いなく、 半世紀後の21世紀の今日において、それをどのように読むにせよ、ひとまずはアドルノの「引用」を、 恐らくは本来あったであろう位置に置き直してみることには、訳者の言う「まともな理解」のためにも一定の 意義があると信じたい。

そんなことは些事拘泥ではないかとする向きには、アドルノがここで言い当てようとしたのとは別の何かとして マーラーの音楽が響いているに違いない。 Der muß vor Nacht gerodet sein / Und Nacht ist jetzt schon bald! と嗾けられ、その挙句に落伍し、 踏みつけにされ、見捨てられ、あまつさえ断罪され、有責とさえされかねない状況、真理がファンタズマゴリー としてしか経験できない状況は過去のものであるどころか、今日、他人事とも感じられない。研究の対象でもなく、 趣味の対象でもなく、まさに生きるための糧としてマーラーの音楽を必要としている、私と同じような境遇の Unterliegen、アドルノの別の講演によれば「レヴェルゲ」達のために、上記の事実を記しておきたい。(2014.11.02)

マーラーの音楽の「風景」

音楽を聴くとき、「想像上の風景」(イマジナリー・ランドスケープ)が頭の中に思い浮かぶことがある。それはその音楽が風景を描写した標題音楽であるか否かとは関係がないし、「想像上の」(イマジナリー)と書いたように、自分の知っている具体的な場所の記憶との連想でもない。もっと言えば、それは具体的な細部を欠いていて、実質を突き詰めていけば、音楽が惹き起こす幾つかのモーダルな質の複合に過ぎないのかも知れない場合もあるし、もう少し具体的な地形、季節、天候、時間帯といったものを備えていることもある。とりわけマーラーの交響曲のように叙事的な広がりを備えた音楽の場合、音楽の経過に応じて風景の上でも時間が流れ、変化が生じることになる。それは静的な絵画ではなく、風景の中を逍遥する経験の記録の如きものなのだ。

歌詞を備えた音楽であれば、その歌詞の内容がそうした風景の中に映り込むことはほとんど避け難く、だけれども歌詞自体が喚起する風景もまた、ほとんどの場合そうであるように、具体的な地名を欠いていれば、「想像上の」(イマジナリー)風景であるには違いない。

一方で音楽外的な知識によって、作品が特定の地名と結びつくようなこともある。私が現実には訪れたことのないザルツカンマーグートの山塊(もっとも今日なら写真や映像で仮想的に見ることは幾らでもできるのだが)は、マーラーが見たことのない極東の風景と鏡像的な関係にあって、だから私はマーラーがワルターに語った言葉を文字通りに受け止め、現実のザルツカンマーグートではなく、第3交響曲の作品が内包している世界のヴァーチャルな山をこそ見るべきだし、「大地の歌」に極東の風景(それが中国なら、訪れたことがないという点では私にとってはマーラーが作曲をした場所と変わるところはないのだが)を見るのではなく、まさに音楽が描き出す、現実の何処でもない仮想の風景を見るべきなのだろう。

とはいうものの、風景が具体的なものである場合、例えば川が流れている場合、自分が現実に見た川そのものではなくても、それが抽象され、変形されたものによって「想像上の」(イマジナリー)風景が形成されることもまた、避け難い。川面に映る月、空を仰ぐと銀色の小舟のように漂う月もまた、所詮は同じ月を見ているのではあっても、ある日ある刻にある場所で見た月の印象の重畳が、音楽と歌詞とか呼び起こす風景の素材となっているはずである。そしてその風景は、変形されてはいても、或る日現実に出会う可能性がないともいえない現実性を帯びたものである場合もあるだろうし、或る種の幻視に近い、現実との接点が希薄な、生々しくはあっても抽象的な心的空間における像であることもあるだろう。

では同じ音楽を繰り返し聴くことによって、いつも同じ風景に辿り着くものだろうか?同じ演奏の録音であれば、恐らくそれはYesだろう。最初は共感覚的な基盤によって生じたそれは、少しずつ連想に近いものになっていき、細部が明確になったり、別の視野がひらけたりはしても、その風景は矛盾なく一貫したものであるだろう。だが同じ作品の異なる演奏の場合はどうだろうか。この場合には、同じ風景の少し異なる時間、異なる年の、異なる日の表情の違いに似た場合もあるだろうし、異なる風景が浮かぶこともあるだろう。

音楽が呼び起こすこうした「想像上の」(イマジナリー)風景が明確であればあるほど、同じ音楽が或る具体的な映像との組合せで提示されるような場合に当惑を惹き起こすことになる。拒絶反応とまではいかなくても、何か居心地の悪い感覚に囚われることは避け難い。

こうした風景は、実演を通して作品に接する頻度が低く、録音媒体による反復聴取が聴体験のほとんどを形成しているが故のものかも知れない。音が産み出される現場に居合わせることなく、まるで異なる時空から届くかのように音を受け止める聴き方が、その音が響いている異なる時空の風景を浮かび上がらせているという側面は否定し難いだろう。コンサートホールで、奏者が音を産み出す現場を目の当たりにしつつ、それとは異なる時空を目前にあるかの如くに思い浮かべるのは決して容易ではない。勿論コンサートホールであっても、眼を閉じてしまえばそれは可能かも知れないし、録音を聴く場合でも(幾つかの記念碑的な実況録音ではしばしば起きることだが)、演奏が行われている場の雰囲気の濃密さに風景の方が後景に退くこともあるだろう。だが、ではそれが録音再生テクノロジーの産物であり、作品自体とは無縁のものであるかと言えば、決してそんなことはない。少なくとも或る種の音楽は、それ自体が確実に、そうした風景を呼び起こす力を、私に対しては備えているということができる。

久しぶりにある作品を聴く行為は、私的で内面的な「想像上の」(イマジナリー)風景の空間における「帰郷」に近いものになる。見慣れた風景、あるべきところあるべきものが存在する或る種の確からしさの感覚。それはだが、懐旧の故郷などではない。その風景は、もともと私がその中に埋め込まれていた風景ではなく、それはもともと私の風景ではなかったところのもの、自らが迎え入れ、そこに自らを埋め込むことを選択した風景、そこに己の希望を托した未来としての風景、北村透谷の意味での「幻境」なのだ。

その風景は儚いものであり、それ自体遺しておかなければ喪われてしまう性格を帯びたもの、しかもそれは音楽が鳴り響く瞬間の、しかも音響が響く空間にではなく、それを聴取する私の裡にしかないものではあるけれど、人が生きるための糧を得る場所、そこに希望を見出しうる場所というのは、常にそういう性質のもの、「想像的」(イマジナリー)でしかありえないものではなかっただろうか?「私」の住処という点において、リアリティとヴァーチャリティの位相は逆転する。もっとも「私」というのがそもそもヴァーチャルな存在であり、それは構造的にはごく当たり前のことなのだろうが。

その風景は向こう岸を垣間見たものであったろうか。確実なことはその風景が、ある署名を備えた音楽作品によって喚び起こされるものであって、決して孤立した主観の中での幻想などではないということだ。勿論、現実の風景であってもそうであるように、各人の展望に応じて、そこに見出すものには差異があるだろう。けれどもそれは一旦作品としていわばデジタル化、量子化され、アーカイブされることによって、一つの世界を閉じ込めたものになる。どこか別の時と場所においても、私のような子供が或る日、流れ着いた壜を拾い、それを開けて、同じ風景に眺め入ることだろう。その時、風景は同時的ではなく、通常の意味合いでのコミュニケーションは成立せず、幽霊的なものでしかなくとも、なお共同主観的なものであり、受け取り手はそのことを(私がそうであるように)知っている。


表面的には絶望と厭世に彩られ、この世からの告別である音楽は、だが、トラウマを抱えているが故に、それ自体を語ることができず、己の苦しみを他の界面の投影することでようやく自己を維持しえている人間、そのようなかたちで語る以外の言葉を奪われ、それでもなお己の住まう岸から、誰かに届くことを願って壜に言葉を詰めて投じる他に、生き延びる術もなき人間にとっては、それ自体が「希望」に他ならない。「私はこの世で幸運に恵まれなかった」という呟きを我がものとする人間は、どこにもない、音楽が鳴り響く瞬間にしか存続しないかも知れない「永遠の大地」(何たる矛盾か!)を己れの「希望」の故郷とするのだ。

それは現実には最早ない「希望」ではあるけれど、丁度、作品の提示する風景の中に自らを置く瞬間だけ、想像の上でであれ、己を其処に託すことができる「希望」なのであり、それは貧しい心の持ち主が、己の一生を全うすべく、己にとっては何らの「希望」なき現実を歩むための糧なのである。聴き始めてから35年以上の歳月を経て、再び聴く「大地の歌」という作品は、少なくとも私にとっては、かつての子供であった私にとってそうであったように、だが、その後の世の成り行きに抗いようもなく翻弄され、今なおしばらくの間はその中で生き続けなくてはならない私にとってはより一層切実に、そうした「希望」に他ならないのだ。その風景の中に立つことが、ささやかなものであっても 或る価値へのコミットメントであり、そうすることを通じて私もまた、世の成り行きの勝者達にとっては存在しない風景の住人、幽霊(レヴェルゲ)達の行進に加わるのである。そして私は小声で証言する。「確かに私はその音楽を聴き、その風景を見た」、と。仮令客観的にはデブリの如きものであったとしても、証言することによって私は辛うじて、私自身をも超えて生き延びる。現実の私は沈黙を保ったとしても、「想像上の」(イマジナリー)風景に住む私が語り、私を離れた言葉が、私をではなく、私が見たもの、体験した出来事を、「想像上の」(イマジナリー)風景の中を通って漂流を続ける。私にはそれを見届けることができないことが、ここでは最大の慰めとなる。(2014.11.02)