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GMW(Gustav Mahler Werke, グスタフ・マーラー作品番号:国際グスタフ・マーラー協会による)を公開しました。(2025.4.20)
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2025年5月14日水曜日

備忘:マーラーの音楽における「老い」についての論考に向けての準備作業 (18):ジンメルの「老齢藝術」を巡って

 (承前)

 勿論、こうした問いに対して一度にすべて答えを出すことはまだできないけれども、未だ漠然としたものでありながら、朧気に浮かび上がって来ている構造の輪郭を素描する事はできるだろう。それは3つの水準から構成されるものだろう。即ち、「老い」のシステム論的定義が対象とする生物学的・生理学的な水準、「老い」についての意識を対象とする現象学的な水準、更にその2つ目の構造が産出する「作品」の水準を区別することができるだろう。そしてこれまで本論で取り上げてきた様々な見解は、それぞれどの水準を対象にしているかにより分類することも可能だろう。就中、本稿で取り上げているアドルノやジンメルのそれは、「作品」の水準を対象としたものだが、それは当然作品を生み出す「意識」の在り様と無関係ではありえないから、自ずと両者の関係を問うものになる一方で、「老い」の意識が対象としている「老い」そのものを問い直すという視点は希薄のように思われる。ところがマーラー自身は老いにフォーカスしている訳ではないが、その替わりに、当時の科学的知見を背景にした有機体論的な発想から、3つの水準を横断するような把握をしていて、それ故に、マーラーの作品において「老い」を問うについても3つの水準を横断することを求められているということなのではなかろうか。

 だが、ここではそうした整理を踏まえ、性急にその3つの水準を一度に捉えるのではなく、今一度アドルノやジンメルの視点に立ち戻り、「老い」そのものへの問い直しが始まる地点を見極めておくことにしよう。その手がかりとして、ここではまず、アドルノが依拠しているとされるジンメルの「老齢藝術」(上で引用した木村訳の『ゲエテ』の訳語による)についてもう少し細かく見てみたい。

 ジンメルが「老齢様式」について集約的に述べているのは、『ゲエテ』第八章 発展のp.381の「予は今や、遂に色々の方面から暗示せられた点に到着した。」で始まる段落以降ということになろうが、その前後の記述を確認すれば、実はジンメルにおいても「老齢藝術」に主観と客観の破綻を見ていないわけではないことが確認できる。「形式とは常に客観の原理の謂」という点を踏まえるならば、「強い波動をなして高まる主観と綜合的統体形式の破裂」という表現は、まさに主観の客観の破綻について述べていることになるし、「形式原理の断絶克服」や形式に対する「一種の無頓着、否恐らく拒否と反撥」を指摘してもいる。

 またジンメルがゲーテ以外に「老齢藝術」の例として挙げる中には後期ベートーヴェン、具体的には弦楽四重奏曲とチェロソナタが含まれるが、ゲーテにおける「決定的徴候」として指摘されるのは、「ファウスト第二部に於て殊に現れる用語上の合成の無理」であったり、「これよりも一層決定的なのは、個々の表出が脈絡なく投出された様に見える句」であり、これもまたアドルノの後期ベートーヴェンについての先に引用した記述と共鳴するものであろう。(なおこの指摘はアドルノのヘルダーリン論におけるパラタクシスへ補助線を引くことが考えられるものだと思うが、この点を論じることは別に機会に譲らざるを得ない。)

 そうした分裂を議論の余地がない事実として確認しつつ、ジンメルは、「歴史的に鋳造された形式に対して形式原理の拒否をその主権内に蔵する老齢藝術が、何故に単純なる主観に堕する様に見えるかという理由」を問うているのである。そしてそれを「恰も一の統体を統一構成する力が老人に失われ、主観の域を脱しない個々の契機の頂点を示し得るに過ぎないかの如く考へ、その理由としては、老人は、個々の衝動、思想、見解が中断なく相互に働き合う連続としてのみ現るる独自の形式には到達し得ない」というような、或る種の衰頽によるとする見方を「皮相的」として退け、その上で既に引用した「現象からの漸次の退去」に関連付けた説明を行っているのである。そしてそこでは「絶対的内面化が存在し、それに依つて主観が純粋な客観的精神上の存在となり、従つて彼には外存相が謂はば全く存在せぬ結果になる。」かくして「全対立の克服」が実現されるというのである。(但しジンメルは「恐らく」という留保をつけて、それが完全に実現されているについては留保を行っているが。)

 そして「現象からの退去」は、作品のみならず老齢の人間の生そのものを「象徴的」なものにするという。高齢者の生そのものが物象に対する「記号」であり「代理比喩」であり、「象徴」であるというのである。

「併し、かかる高齢の人間から世界の個々相と外存相とが如何に遠ざかっても、やはり此の世界に生活し、芸術家として此の世界並に世界に存する物象に就いて述べねばならぬから、彼の陳述、否彼の全精神的存在は象徴的となる事、換言すれば彼の物象を最早その直接性、その独自存在のままに掴み述べる事はせずして、唯彼自身とのみ生き、彼自らの世界である内面の脈拍が物象に対する記号であり得る限り、乃至脈拍そのものが物象の代理比喩である限り、物象を掴みこれを表現し得る事は理解が出来る。」(ジムメル『ゲエテ』, 木村訳, p.385。引用に当たっては原訳書の旧字旧かなを適宜改めた。)

 この点についてジンメルは、高齢のゲーテが「凡ての自己の活動、成業を常に象徴的にのみ見ていた」という言葉を引いて傍証とする。そして更にジンメルはゲーテが、自分自身に関係づけて「静寂観」と「神秘」とが老齢の特質であると言ったことに触れ、ここでの「神秘」を上述の「象徴」と見做し、『ファウスト』第2部の末尾の神秘の合唱の「一切の無常相は一の比喩に過ぎない」に結びつけつつ、「ゲーテは、老齢期の要素が特に彼の早期の存在様式と異れる限りに於て、明確に、かの二性質を以て老齢期を説明した。」とするのである。かくしてジンメルの結論は以下のようなものとなる。

「此の「静寂観」はかの「現象よりの退去」に他ならず、主観が自己と対立する客観を有する場合とは全く異れる意味、即ち相対的の意味を持たない主観の自性的存在に他ならぬ。今やゲーテ自身世界の一切であり、世界に関して知り得る一切である。従って所謂世界に対しては、「象徴」の関係を有するに止まる。それで、此の主観と客観的「形式」との間には全対立が消滅する。蓋し、曾ては或る仕方で先在し、主観自らの所産内であるにしても、主観の彼方に存在した形式を主観に齎し来った客観化は、今や主観の自己開放と自性帰還との結果、主観の直接なる生活と自己表現裡に現るる事になった。」(同書,pp.385~6)

 このジンメルの結論については、幾つもの角度からコメントすることが可能だろうが、何よりもまず、『ファウスト』第2部末尾の「神秘の合唱」を、「老齢期」を特徴づけるものとしている点が挙げられるだろう。勿論、『ファウスト』を「晩年様式」の作品であるとすることに異論はなく、また、「一切の無常相は一の比喩に過ぎない」がゲーテがその晩年にようやく到達した認識であるということであれば、それもまた問題にはならないだろう。だがこの「一切の無常相は一の比喩に過ぎない」という余りに有名な章句は、通常はどちらかといえば普遍的、一般的な真理を捉えたものと考えられているのに対して、それが「老齢期」の特質であり、「老齢期」固有のものであるとするとなれば、これは些か別の話になる。寧ろ例えばトルンスタムの「老年的超越」のような、「老い」に固有のものとの突き合わせをすることが相応しいものであることになる。

 一方でここでジンメルが語るような事態、「ゲーテ自身世界の一切であり、世界に関して知り得る一切」であるといったことが現実に生じうるものなのかを疑問視する向きもあるだろう。この点について言えば、既に述べたようにジンメルは、「老齢に於ては、偉大な創造的人物は―予は茲で勿論純粋の原理、理想に就いて述べるが―自己内に、自己自らに形式を具へてゐる。即ち、今や<絶対に彼自らのものである形式>を所有する。」(p.383)というように或る種の原理的な極限形態である理想であると断っているし、ゲーテにおいてすら「無形式、結合の分裂は、彼の偉大なる生涯の努力、即ち主観の客観化が彼の最高齢に於て、新しい、神秘絶対的完成段階に達したとは云わぬ迄も、その直前に来ていた徴候であると言えよう。」(p.386)というように、完成については留保はつけている。だがそれが現実には完全な形では到達し難い理念的なものであったとしても、そうした傾向を現実に認めることについては可能だろうし、寧ろそうした認識を「悟り」の如き到達点、ゴールとして捉えるのではなく、寧ろ漸近的な絶えざる運動として捉えるという、本稿では特に道元を参照しつつ述べた「老年的超越」の捉え方と親和的なものとして考えることも可能であるから、現実の「老い」の説明として一定の有効性を認めることができるように思われる。

 またここでの主観と客観的「形式」との対立の消滅は、主観が絶対的内面化によって客観化することによって可能となるとされるのであるが、少なくともマーラーにおいてこれを可能にするものとして、アドルノが指摘している「唯名論的」な性格、ボトムアップにその都度素材から形式が作り出されるという点が思い浮かぶ。実際、マーラーの後期作品の形式は極めてユニークであり、伝統的な楽式論を単純に適用してその構造を説明することができないことは、例えばエルヴィン・ラッツが具体的に第9交響曲の第1楽章を取り上げて分析することによって明らかにしている。片や「老齢」によって実現されるものとされ、片やその作品全体を通じての傾向として述べられているという違いはあるけれど、実際にはアドルノの指摘する「唯名論的」性格は、とりわけ後期作品において著しいものであることは、例えばラッツが分析の対象としたもう一つの楽章である第6交響曲の第4楽章との比較において第9交響曲が既存の形式から隔たっている度合いを確認すれば明らかであろう。従ってマーラーの作品の「唯名論的」な性格については、「老年的超越」が必ずしも老年期のみに限定されるものではなく、「基本的に、青年期以降の老年的超越へと向かうプロセスは、一生涯連綿と続いていくものであると仮定することができる(トルンスタム,『老年的超越』,冨澤・タカハシ訳, 晃洋書房, p.41)という点に通じていると考えるべきなのかも知れない。更に言えば、マーラーの作品に「唯名論的」性格が備わっていることが、マーラーを発展的な作曲家たらしめ、ひいては「マーラーだけに、アルバン・ベルクの言葉によれば、作曲家の威厳の高さを決定するところのあの最高の品位の後期様式というものが与えられる」(アドルノ『マーラー 音楽観相学』, 龍村あや子訳, 法政大学出版局, 1999, p.112)ことを可能にしているのだという見方もまた、可能ではなかろうか。

 一方でこれを文字通りにとるならば、最早「作品」を創ることもまた相対化されてしまい兼ねず、トルンスタムの「老年的超越」のような「老年期」の生き方そのものとの突き合わせは出来たとしても、こと「芸術作品」の様式の説明として考えた場合には、それを逸脱してしまうことはないのかという疑念が湧いてくる。寧ろここで思い浮かべるのは中島敦の『名人伝』の弓の扱いを忘れた弓の名人であり、或はまた或る種の断筆こそが相応しいのではないか。

 だがここまで辿り着いた時に直ちに思い浮かぶのは、まさにマーラーが「作品」は「抜け殻」に過ぎず、作品を生み出す人間の生以上のものではないと述べていたことである。一見したところ謎めいたマーラーのこの言葉は、寧ろゲーテ=ジンメルの「老齢様式」を念頭におくことで了解可能なものになるではなかろうか。しかもマーラーの発言の文脈を捉えるならば、まさにゲーテの『ファウスト』を、就中その第2部末尾の「神秘の合唱」の「うつろいゆくものは比喩に過ぎない」を恐らくは念頭において語っていることとも対応するようにさえ見える。つまりくだんのマーラーの「作品」(および「作品」を生み出す人間の生)についての認識は、マーラー自身はそれを「老い」や「後期様式」と結びつけているわけではないにせよ、上記のようなジンメル的に解釈されたゲーテの「老齢期」についての考え方、「老齢藝術」の考え方に極めて親和的であり、こちらもまた一般的な「作品」観としてではなく(勿論、『ファウスト』第2部末尾の章句がそうであるように、その次元で論じることも可能なのだが、とりわけここでは)、マーラー自身の「後期作品」についての認識として捉え直すことも可能なのではなかろうか。要するにマーラーの作品観は彼のゲーテ理解と、更にはマーラーがベートーヴェンの作品の中でも後期作品を評価していたという点と緊密に関わり合った、一貫したものであるということが言えるように思われるのである。

 勿論ジンメルのこの著作はあくまでも第一義的にはゲーテ論であり、従ってここでの「老齢様式」もまた、第一義的にはゲーテのそれについてであるし、ジンメルが傍証として持ち出すのもゲーテ自身の「老い」についての認識であり、作品である。ジンメル自身はそれをベートーヴェン、レンブラント、更にはワグナーの「パルジファル」といった対象に拡張しているが、それを安易に一般化して良いかについては少なくとも検証を要する事柄であって、無条件に首肯できるものではないとする向きもあるだろう。またこれをもう一度アドルノの「晩年様式」と突き合わせた時に、やはりそこに依然として存在する懸隔について、その距離を測る作業は別途必要であろう。マーラーに関して言えば、マーラーの作品観については上記のように、ゲーテ=ジンメルのそれと親和的であったとして、その作品そのものにについてどうかは、独立ではないにしても、また別の事柄であろう。

 それにしても、それではジンメルの言うところの「絶対的内面化」による「全対立の克服」はどのような機序により可能になるのだろうか?更に、ここでの問に即して言えば、それが他ならぬ「老齢」において可能になるのは、「老い」のどのような点に基づいているのだろうか?既に述べたように、ここまで具体的に検討はしてこなかったが、ジンメルやアドルノの議論の枠組みにおいては「老い」の意識と「作品」との関わりについては論じられても、「老い」そのものについて主題的に論じられることはない。そのためこちらの問いについては、未だその答えが得られた訳ではなく、依然として問は開かれたままということになる。既に見たように、ジンメルは「破綻」を説明するについて老人の力の衰頽を以てすることを退けたのであったが、「破綻」の理由としてではなく、例えば「現象からの退去」を或る種の力の衰頽によるバランスの変化と捉え、その原因を生物学的・生理学的な「老い」とそれを意識することに求めることは果たして不当なのだろうか?

 そしてマーラーに関してもまたアドルノにより、「すでにベッカーは、五十歳を過ぎたばかりのこの作曲家の最後の諸作品がすぐれた意味での後期作品である、ということを見逃さなかった。そこでは非官能的な内面のものが外へと表出されているというのだ。」(アドルノ『マーラー 音楽観相学』, 龍村あや子訳, 法政大学出版局, 1999, p.112)と言われているのであれば、「非官能的な内面のものが外へと表出され」うるための条件への「老い」の関与は、マーラーの作品における「老い」について考える上で極めて重要な位置を占めているに違いない。

 従って、ゲーテ=ジンメルの「老齢期」観、「老齢藝術」観は、恐らくは暗黙裡に含意されているように、結果としてそれが「老い」によって得られたものであり、かつ「老い」なくして得られないものであるとして、具体的に「老い」がどのように関わっているのかについて考えようとすれば、いよいよ「老い」と「老いの意識」と「後期作品」の3つの水準からなる構造を素描することを試みることになるだろう。即ち、生物学的・生理学的な「老い」のシステム論的定義とこの水準の構造がもたらす時間性、現象学的な「老い」の意識とそれがもたらす時間性、更にその2つが「作品」にどのように影響するのかといった3つのレベルを区別しつつ、そのレベル間の関わり合いを明らかにすることによって、未だ漠然としたものでありながら朧気に浮かび上がって来ている構造の輪郭を辿ることがマーラーの音楽における「老い」についての論考に向けての準備作業としての本論に残された課題となるだろう。そしてその構造は、シェーンベルクがプラハ講演において第9交響曲に関して語った以下の指摘を説明しうるものでなくてはならないであろう。

「そこ(=第9交響曲)では作曲者はほとんどもはや発言の主体ではありません。まるでこの作品にはもうひとりの隠れた作曲者がいて、マーラーをたんにメガフォンとして使っているとしか思えないほどです。この作品を支えているのは、もはや一人称的音調ではありません。この作品がもたらすものは、動物的なぬくもりを断念することができ、精神的な冷気のなかで快感をおぼえるような人間のもとにしかみられない美についての、いわば客観的な、ほとんど情熱というものを欠いた証言です。」(シェーンベルク「プラハ講演」, 酒田健一編,『マーラー頌』, 白水社, 1980 所収, p.124)

(2025.5.14)


2025年5月6日火曜日

備忘:マーラーの音楽における「老い」についての論考に向けての準備作業 (17):アドルノの「晩年様式」を巡って

 既に確認した通り、「晩年様式」についてアドルノは、マーラーに先立ってベートーヴェンのそれを取り上げている。『楽興の時』,所収の「ベートーヴェンの晩年様式」(初出はチェコスロヴァキア共和国のための双紙『アウフタクト』第17巻第5/6号, 1937)

 そこでの指摘は必ずしもマーラーの場合とぴったり重なる訳ではないようで、「老シュティフター」と並んで「老ゲーテ」への言及が含まれているにも関わらず、マーラーの場合に全面に出てくる「現象から身を退く」、更に基本的な部分では共通しているものの(ちなみにジンメルもまた、「晩年様式」の例として、まさにベートーヴェンを挙げているのだが)、ジンメルのゲーテ論における「老い」の把握との間の懸隔もまた少なからずあるように見受けられる。その懸隔の由縁が、どこまでベートーヴェンという個別のケースを扱ったことに拠るのかどうか。

「大芸術家の晩年の作品に見られる成熟は、果実のそれには似ていない。それらは一般に円熟しているというより、切り刻まれ、引き裂かれてさえいる。おおむね甘みを欠き、渋く、棘があるために、ただ賞味さえすればよいというわけにはいかない。そこには古典主義の美学がつねづね芸術作品に要求している調和がすべて欠けており、成長のそれより、歴史の痕跡がより多くそこににじみ出ている。世上の見解は、通例この点を説明して、これらの作品がおおっぴらに示現された主観の産物であるためだという。主観というよりはむしろ≪人格≫と呼ぶべきものが、ここで自らを表現するために形式の円満を打ち破り、協和音を苦悩の不協和音に変え、自由放免された精神の専断によって、感覚的な魅力をなおざりにしているのである、と。つまり、晩年の作品は芸術の圏外に押しやられ、記録に類したものと見なされるわけだ。」(アドルノ, 『楽興の時』, 三光長治・川村二郎訳, 白水社, 新装版1994, p.15)

 ところがここで持ち出されるのは「死」であって「晩年」そのものではないらしい。

「まるで、人間の死という厳粛な事実を前にしては、芸術理論も自らの権利を放棄し、現実を前に引きさがるほかはないといったありさまである。」(ibid.)

 だが、かくいうアドルノもまた、結局、「老い」そのものではなく、「死の想念」に言及するには違いない。

「ところで、この形式法則は、まさに死の想念において、明らかとなる。死の現実を前にしては、芸術の権利も影がうすれるとすれば、死が芸術作品の対象としていきなりその中に入り込めぬことも確かである。死は作られたものにではなく、生けるもの「にのみ帰せられているのであって、であればこそあらゆる芸術作品において、屈折した、アレゴリーというかたちで表されてきたのであった。」(同書, p.18)

 そこで批判されるのは心理的な解釈である。

「この肝心な点を心理的な解釈は見のがしている。それは死すべき個人性を晩年作品の実体と見なしてしまえば、あとははてもなく芸術作品のうちに死を見いだすことができると思っているらしい。これが彼らの形而上学の、まやかしの精髄だ。たしかにこうした解釈も、晩年の芸術作品において個人性が帯びる爆発的な力に気づいている。ただそれを、この力そのものが向かっているのと反対の方向に見いだそうとしている。つまる個人性自体の表現のなかに見いだそうとしているわけだ。ところがこの個人性なるものは、死すべきものとして、また死の名において、実際には芸術作品のなかから姿を消しているのである。晩年の芸術作品に見られる個人性の威力は、それが芸術作品をあとに、この世に訣別しようとして見せる身ぶりにほかならない。それが作品を爆破するのは、自己を表現するためでなく、表現をころし、芸術が見かけをかなぐり捨てるためだ。作品については残骸だけをのこし、自らの消息についても、自分が抜け出したあとの抜けがらをいわば符丁として、あとにとどめるだけだ。」(ibid.)

 なお、ここの部分を読んで思い起こされるのは、マーラー・モノグラフの冒頭、パウル・クレツキのカットを含む第9交響曲の録音につけられた解説に登場する「死が私に語ること」という標題に対してのアドルノの批判であって、まさにここで指摘される「反対の方向」を向いた解釈の批判ということになるのだろう。(アドルノ『マーラー 音楽観相学』, 龍村あや子訳, 法政大学出版局, 1999, p.4 を参照のこと。) 

 もう一つ、こちらは『楽興の時』の掉尾を飾る「異化された大作-『ミサ・ソレムニス』によせて―」の末尾近くにも「晩年様式」への言及が確認できる。

「『ミサ・ソレムニス』の美的に破綻をきたしているところ、一般にいまなお何が可能であるかという、ほとんどカント的にきびしい問いのために、明確な造形を断念しているところなどは、見た目に完結した外容のかげに口をひらいた裂け目と対応しているのであり、そうした裂け目を、後期の四重奏曲の構成はあらわに見せている点だけがちがうのである。しかし、ここではまだ抑制されていると言ってよい擬古ふうへの傾向を、『ミサ』は、バッハからシェーンベルクにいたるほとんどあらゆる大作曲家の晩年様式と分け合っている。」(p.240)

 こちらは1959年執筆だから、マーラー・モノグラフに寧ろ時期的には近接する。「バッハからシェーンベルクにいたるほとんどあらゆる大作曲家」の中にマーラーは恐らく間違いなく含まれるであろう。

 最後にウィーン講演(『幻想曲風に』所収、邦訳は「『アドルノ音楽論集 幻想曲風に』, 岡田暁生・藤井俊之訳, 法政大学出版局, 2018)。ここでも晩年様式はベートヴェンのそれを参照しつつ、『大地の歌』に関して述べられている。

「時として≪大地の歌≫では、極端に簡潔なイディオムや定式が充実した内容で満たされきっているが、それまるで、経験を積んで年を重ねた人物の日常の言葉が、字義通りの意味の向こうに、その人の全生涯を隠しているかのようである。まだ五十に手の届かない人物によって書かれたこの作品は、内的形式という点で断片的であり、(ベートーヴェンの)最後の弦楽四重奏以来の音楽の晩年様式の最も偉大な証言の一つである。ひょっとするとこれをさらに上回っているかもしれないのは、第9交響曲の第1楽章である。」(上掲書, p,123)

 ここでの「極端な簡潔なイディオムや定式」は、ベートーヴェンの晩年様式における「慣用」であり、と同時に、ぴったりと重なることはなくとも、少なくとも一面において柴田南雄が指摘する「歯の浮くようなセンチメンタリズムに堕しかねない」「ユーゲント様式」(柴田南雄『グスタフ・マーラー ー現代音楽への道ー』, 岩波新書, 1984, p.160)を含んでいるのだろう。マーラー・モノグラフにおいてはハンス・ベトゥゲの「工芸品的な詩」への言及はあっても、アドルノが様式化の方向性として指摘するのは「時代のもつ異国趣味」の方なのだが(アドルノ『マーラー 音楽観相学』, 龍村あや子訳, 法政大学出版局, 1999, p.189)。

*  *  *

 ところで「ベートーヴェンの晩年様式」に戻って、上で引用した最後のくだり、「作品については残骸だけをのこし、自らの消息についても、自分が抜け出したあとの抜けがらをいわば符丁として、あとにとどめるだけだ。」という部分について、マーラーに関して思い浮かぶのは、1909年6月27日、トーブラッハ発アルマ宛書簡に出てくる、人生と作品の関わりについてのコメント、更にその中で述べられる、作品は「抜け殻」に過ぎないという認識だろうか。(アルマ・マーラー, 『グスタフ・マーラー 回想と手紙』, 酒田健一訳, 白水社, 1973, pp.398~399。なお下記引用箇所ではないが、関連した箇所について、過去に以下の記事で取り上げたことがある。妻のアルマ宛1909年6月27日の書簡にある「作品」に関するマーラーの言葉)

「――ところできみはすでに私が人間の≪作品≫についてどう考えているか知っていると思う。少なくとも推察はできるだろう。それはかりそめの姿、”滅ぶべき部分”(原文傍点強調、以下同様)にすぎない。しかし人間がみずからをたたきあげて築いたもの、たゆまぬ努力によって”生まれ出た”彼の姿は、不滅のものだ。」

 この書簡のテーマが、芸術創造についてではなく、妻アルマの人間的な「成長」であることには留意し、一応念頭においておいくべきだろうが、「作品」観として読もうとした時に重要なのは、そのことよりも、この作品についての見解に先立って、生命の進化についてマーラーが語っている点であり、当然、生命観と作品観との関わりを考える必要があるだろう。(同じく原文は、過去の記事「妻のアルマ宛1909年6月27日(20日?)付書簡にある「エンテレケイア」に関するマーラーの言葉」を参照。)

「人間は―そしてたぶんどんな生物も―たえずなにかを生み出してゆくものだ。このことは進化のあらゆる段階にわたって生命の本質と切り離しては考えられない。生産力が尽きると、『エンテレケイア』は死滅する。すなわちそれは新しい肉体を獲得しなければならない。高度に進化した人間の位置するあの段階では生産(大部分の人間には再生産のかたちでそなわっているが)には自覚の働きがつきまとっていて、そのため一面において創造力は高められるが、その反面、道徳的秩序にたいする”挑戦”として発現する。これこそ創造的人間のあらゆる”煩悶”の源泉にほかならない。天才の生涯にあっては、こうした挑戦が報いられるわずかな時間をのぞいて、あとは満たされることのない長い生存の空白が、彼の意識に苦しい試練といやされぬ憧憬を負わせる。そしてまさにこの苦悩に満ちた不断の闘争がこれら少数の人間の生涯にそのしるしを打刻するのだ。」

 マーラーの場合、第8交響曲第2部の素材になったという以上に、伝記的事実として知られている限りでも彼自身が筋金入りのゲーテの愛読者であり、客観的には些か自己流という評価になるにしても、寧ろそれだけ一層、単なる教養の如きものとしてではなく、自己の生き方を方向づけるものとしてゲーテの思想を我がものとしていたという点が特筆される。そしてこの点を以て、その作品の様式を論じる時、ゲーテの考え方に依拠することは、他の場合とは質的に異なった意味合いを持っていることになる。(更に言えば、上記引用で登場する「エンテレケイア」への言及が、同じ1909年6月に、やはりアルマ宛にトーブラッハで書かれた書簡に含まれる『ファウスト』第2部の「神秘の合唱」をめぐってのマーラーの説明の中に登場していて、当然、両者を関連付け、一貫した展望の下で理解すべきことを追記しておくべきだろう。)

 勿論、作曲者がゲーテを愛読したからといってそのことが直ちに論理的に必然としてその音楽作品のあり方を規定する訳ではないのは当然だが、ことマーラーの場合に限って言えば、その繋がりをあえて無視した議論は重要な何かを見落とすことになるだろう。こうした事情はどの作曲家にも成り立つというものではないが、ことマーラーの場合には、それをどう評価するかどうかは措いて、そうした繋がりがあること自体は確実であると思われる。否、最終審級ではそれがゲーテに由来するかどうかも最早問題でなくて、マーラー自身がそのような考え方を抱いていたことと、生み出された作品との関係が問題であり、ことマーラーの場合に限って言えば、両者は無関係ではありえない、それどころか密接な関係を持つということだ。その際、その関りの具体的な様相は、アドルノが「晩年様式」を論じる時に指摘するように、単純な伝記主義でも、心理的なものでも、標題としての関わりでもない。

*  *  *

 もう一点、備忘を。

 マーラーがベートーヴェンの後期をより高く評価していることは、アルマの回想録の中の「結婚と共同生活 1902年」の章の末尾のベートーヴェンを巡ってのシュトラウスとの対話において確認したが、それを踏まえた上で、アルマが回想の「第八交響曲 1910年9月12日」の章に書き残している以下のマーラーの言葉をどう受け止めたものか?

「そのころ彼はよくこんなことを言った。「テーブルの下につばを吐いてみたって、ベートーヴェンになれるわけのもんじゃないさ!」」(アルマ・マーラー, 『グスタフ・マーラー 回想と手紙』, 酒田健一訳, 白水社, 1973, p.211)

これをアルマは、1910年11月のアメリカ渡航を記す箇所で、航海中にマーラーの最後のものとなった写真を撮ったことに続けて、さりげなく、そういえば、という感じで記している。何の注釈もないこの言葉は、子供の頃に接した私にとっては、ごく当たり前のように、ベートーヴェンになろうと思ってもなれるものではなく、自分は自分でやれることをやるしかない、という創作についてのマーラーの態度表明と受け取ったのであったが、しばしば極めて疑わしいアルマの記憶を信じるならば、これは上で参照した書簡よりも更に1年後のこと、しかも第8交響曲の初演という畢生の大プロジェクトを成功裡に成し遂げた後の発言であることに留意すべきだろうか。子供の私は、シェーンベルクがマーラーのネクタイの結び方の方が音楽理論の学習よりも大切だと言ったというアネクドットを念頭に、もしかしてベートーヴェンに、テーブルの下につばを吐くことに関するアネクドットがあるのかしらと思いつつ、そちらの確認は遂に行わないまま今日に至っているのだが、問題はそのことの事実関係よりも、こう言いながら『第九交響曲』も『ファウスト』さえも、「抜け殻」に過ぎないと断言するような認識に、この発言を結び付けて了解することの方にあるという点についてであるという考えについても、かつての子供の頃から変わらない。要するに、「すべて移ろいゆくものは比喩に過ぎない」からこそ、それは「抜け殻」なのだろう。作品は自分の死後にも残るとはいえ、『ファウスト』第2部終幕のようなパースペクティブの下では、所詮は「移ろいゆくもの」に属するのだ、ということなのだろう。そしてマーラーはこの時期、やっと50歳に達するといった年齢であるにも関わらず、そうした認識を己れのものとしていたということなのだろう。

 そしてこのマーラーの認識から導かれることの一つとして、「抜け殻」に過ぎないからといって、作品を遺すことに意味がないと考えているわけではない、ということがある。そもそもマーラーは、例えば既にブラームスやドヴォルザークがそうであったような、作品を出版することで食べていける職業的な作曲家ではなかった。指揮者としての生業の余暇に書かれたそれは、注文とか委嘱に基づくものではなく、世間的には楽長の道楽に過ぎなかった。最近はセットにして論じることの是非が議論のネタになるということがそもそもなくなってきている感のあるブルックナーとの比較において、実は「交響曲」というフォーマットを敢えて選択して、頼まれてもいないのに次から次へとそれを作り続けたという点だけは共通しているのであって、その営みが世間的な意味合いでは「無為」のものであることへの認識もあったに違いない。そして再びブルックナーがそうであったように、マーラーにとってもまた、作品を書き続けることが問題であったに違いない。作品が「抜け殻」に過ぎないとして、だからといって、作品を作ること自体からさえ離脱することは、そもそも問題にならなかったに違いない。既に書くことそのものへの断念に関して、デュパルクの断筆やシベリウスの晩年の沈黙についてかつて記したことを確認したのだったが、ことマーラーに関して言えば、そうしたことは全く問題にならないだろう。実際にはゲーテの「老い」についての認識と、それについてのジンメルの解釈には「東洋的諦観」が関わっているとはいうものの、同じく東洋的な無為に対する評価の姿勢を明らかに持っている「老年的超越」が「生み出すこと」への固執からの離脱という契機を内包しているのとは異なって、例えば中島敦の「名人伝」に描かれるような東洋的な「無為の境地」はゲーテ=ジンメルにも、ゲーテ=マーラーにも無縁のものであったに違いない。(己が名人であること自体から脱出してしまった「名人伝」の弓使いは、「現象から身を退く」ことを、「抜け殻」さえ残さないという徹底的な仕方で、まさに東洋的に実践したとは言えないだろうか?或いはまた、これこそが、自分はそれを実践できなかったかに見えるペルトの言う「偉大な芸術家にとって、もう芸術を創造しようとしたり、創造したりする必要のないとき」を迎えた一例なのではないだろうか?)

 言ってみれば、それが「抜け殻」であるとの認識の下でさえ、作り続けることに価値や意味が賭けられているという構造は変わらない。そしてその根底には「動作し続ける」ことによって自らを維持するという、今ならオートポイエティックと言われもするだろう「生命」についての認識が存在する、というのが引用した書簡の告げる消息なのであろう。そして(これは個人的なことだが)私自身もそうした点に関してマーラーの姿勢の方により多く共感するということなのだろう。子供の頃の私は、マーラーと自分の間に横たわる能力の差を半ばは意識して、けれども実際にはその程度を正確に測ることなく、「テーブルの下につばを吐いてみたって、マーラーになれるわけのものでもない!」と一人ごちたのだったが、それが子供ならではの傍若無人であることを認識している今の私も、かつての共感そのものを自己に無縁のものとして断ち切れているわけではない。寧ろ同じ中島敦なら「山月記」の李徴に対して年端もゆかぬ子供がそれなりの切実さをもって抱き、数十年の年月を経て今なお抱き続けている同情と共感の方がまだしも身分相応であり、いずれ自分もまた虎となって、「生み出すこと」への固執から、それを超越するのではなく、単に忘却してしまうという望まぬかたちで離脱することになる可能性をさえ認識すべきであるとは思いつつも。

 いずれにしても、マーラーにおける「抜け殻としての作品」という認識は、寧ろその後ボーヴォワールが「老い」についての大著の中で述べた「私は、私が為した(作った)ところのもの、しかもただちに私から逃れ去って私を他者として構成するところのもの、である」(ボーヴォワール『老い』、第六章 時間・活動・歴史, 邦訳下巻, p.441)という作品の定義に通じていて、だが「老い」と「作品」の関わりということであれば、それは(ボーヴォワールがそう捉えたがっているように見える)単なる技術的な円熟、名人が到達する自在の境地への到達という観点ではなく、「作品」がもともと備えているはずの、だが若き日には必ずしも認識されるわけではない、或いは、それが意識されるときには常に克服されるべきものと認識されがちである「他性」の持つ意味合いが、己の「老い」についての認識とともに変容していく、その具体的な様相こそが問題にすべき点に違いない。シェーンベルクがマーラーの第9交響曲について述べる「非人称性」、作曲家が、背後の誰かの「メガホン」代わりになっているという指摘は、まさに作品が、まだわからぬ先の何時かに、ではなく、もう間もなく自分がそこから退去することが決定づけられている(それが事後的には誤診であったとしても、診断によってそのような認識をマーラーが抱いたことはどのみち厳然たる事実であって、それを覆そうとする類の後知恵は、こと「作品」について言えば何も語ることはないだろう)という意味合いで既に疎遠なものとなりつつある「世界」との関わりのシミュレーションである限りで、他性を帯びているという消息を告げているのではないだろうか。「老い」によって、作曲する主体の側から見て「作品」がもはや己に属するものであるよりは、己から逃れ去れ、己を他者として構成するような異物として、事後的に「抜け殻」として認識されるといった状況が生じる。マーラーのくだんの発言が、第8交響曲を作曲している最中のものではなく、「大地の歌」の完成を間近に控え、それと並行して第9交響曲の作曲に取り掛かっていた時期のものであることにも留意すべきだろうか。勿論、マーラーが「作品」を「抜け殻」という時、それは別に晩年の作品に限ってそうであると言っている訳ではない。その時点で振り返ってみれば、作品は常に、その都度の自己の行いの「抜け殻」に過ぎないということなのだろうが、そうした認識が作品自体に染み透っているのが後期作品であり、アドルノのいう「晩年様式」なのだろう。要するに今やそれは、私がもうじきそこから居なくなる、別れを告げる相手である限りの世界についてのシミュレーションなのだ。だからもし「老年的超越」を、或る種の悟りの境地の如きもの、解脱として捉えるならばマーラーの晩年の作品は、それには該当しないことになるだろうが、「老年的超越」をまさに「老い」がもたらした世界との関わりの変容(とはいえ、それは何も日常の経験を絶した特殊な経験などでは決してなく、寧ろ日常的なあり方自体がそのように変容するということなのだが)として捉えるならば、マーラーの晩年の作品はまさに「老い」の時間性が刻み込まれたものであり、そこにこそ「老年的超越」を見てとることができると言い得るだろう。(更に、この立場に立つならば、例えばDavid B. Greene, Mahler : Consciousness and Temporalityにおける第9交響曲の時間性に関する分析はどのように評価されることになるか、ここでは詳述できないので、これは別の機会に果たすべき宿題としておきたく思う。まずもって分析対象となった第1楽章、第4楽章それぞれを「通常の意識の時間プロセスの変形」なるものとして把握するという基本的なアウトラインが既にこの分析の限界を示している点については既に別のところで述べているので繰り返さないし、予め分析者が用意した図式をあてがうようにして、これほど複雑なプロセスを持つ音楽に対するには余りに単純で杜撰な、持って回ってはいるがその内実は貧困な言い回しによって各々のブロックの「意味」を説明するだけの偽装された標題音楽的解釈の一種に過ぎない点は一先ず措くとして、それでもなお具体的な楽曲の分析によって取り出されたものの中に、ここで「晩年様式」に固有のものとされる「老い」の時間性の把握として首肯できるものが含まれていることはないかを改めて確認してみたい。)

*  *  *

 上記を踏まえた上で、アドルノ自身「晩年様式」についての言及の中での対象に応じたずれだけではなく、アドルノの「後期様式」と、ゲーテ=ジンメルの「老い」の理解の関連のあり方の方もきちんと確認する必要があるだろう。

 まず「形式を打破し、根源的に形式を生み出していく、まさにカント的な意味における」主観性は、ここではベートーヴェンの中期について言われているように思われる。他方でアドルノは、既に若い頃から現れていたようにも見える、形式をボトムアップに生成させていく唯名論的な傾向を、マーラーの作品全般の特性として捉えている。一方ジンメルの方は、他方外部の形式を借りるのではなく、他に形式を求めずとも、それ自体形式を備えている点を老齢の特徴であると述べており、そのことが「現象から身を退く」ことを可能にすると述べている。

「青年期にあつては主観的無形式は、歴史的乃至理念的に豫存する形式内に収容さるゝ必要がある。主観的無形式は此の形式に依って一客観相たるべく発展されるのである。けれども、老齢に於ては、偉大な創造的人物は―予は茲で勿論純粋の原理、理想に就いて述べるが―自己内に、自己自らに形式を具へてゐる。即ち、今や<絶対に彼自らのものである形式>を所有する。彼の主観は、時間空間に於ける規定が内外共に我々に添加する一切を無視すると共に、謂はゞ彼の主観性を離脱し了つたのである。-即ち、已に述べたゲーテの老齢の定義にいふ「現象からの漸次の退去」である。」(ジムメル『ゲーテ』, 木村謹治訳, 1949, 桜井書店, 第8章 発展 p.383~384)

 ここにはアドルノの「晩年様式」が備えている裂け目とか破綻、形式の破壊といった側面は見られず、寧ろ壮年期の「円熟」に近い印象さえ感じさせる(別途論じるべきだろうが、ここで上記引用のすぐ後の箇所で、ジンメルが「老齢の象徴意義の神秘的性格」について述べるところで、ゲーテ自身が「静寂観」と「神秘」とは老齢の特質であると言ったことを引き、ゲーテの言う「神秘」がジンメルの言う「象徴」に他ならないことを述べた後、「一切の所與世界の象徴的性格を、「一切の無常相は一の比喩に過ぎない」と宣布する「神秘合唱團」」に言及していることに目配せしておこう。言うまでもなく、これは第8交響曲第2部で用いられた『ファウスト』第2部の最後の「神秘の合唱」のことに他ならない。であるとしたならば、そのことはマーラーの「老い」との関係については何を物語ることになるのだろうか?)。それはジンメルがここで或る種の原理的な極限形態である理想を述べているが故に破綻は生じず、だが現実の人間においてはその理想は到達不能であるが故に、円熟に至ったと思った次の瞬間には破綻を避けることができないという力学が存在するということなのだろうか?

 一方で、少なくともアドルノいうところの「方向」に関しては、アドルノとジンメルは同じ方向を向いていると言えるだろう。つまり作品は、主観が退去した後に遺される「痕跡」だという点で両者は見解を同じくしている。そしてそれは恐らくマーラー自身の「抜殻」としての「作品」観とも共通していると言い得るだろう。

 そうだとして、それはシステム論的な老化の定義である「生物がもつロバストネスの変移と崩壊」と同型の構造が異なる階層において生じたものと見做すことができるのだろうか?勿論、そもそも「主観」が成り立つためにシステムが備えていなくてはならない構造的な条件があり、「現象からの退去」はそうした構造的な条件を前提とした「人間」固有のものであり、他の生物では起こらないことだろう。だがマーラー自身の語るところでは、そうした人間固有の「作品」の創造にしても、「進化のあらゆる段階にわたって生命の本質と切り離しては考えられない」のであれば、マーラーが未だ萌芽的なレベルであったとはいえ、当時最新の生命論・有機体論を参照した顰に倣って、ジンメルやアドルノの述べるところを、今日のシステム論的な枠組みにおいて捉え直すべきなのではなかろうか?

 ところで、マーラーのエンテレケイアについての言及には興味深い特徴がある。エンテレケイアはもともとはアリストテレスの用語だが、マーラーの時代であれば、有機体の哲学、就中ドリーシュの新生気論における「エンテレヒー」を思い起こさせる。だがここでやりたいのは思想史的な跡付けや影響関係の実証ではなく、当時、そのような枠組みと言葉で語られた内容を今日の言葉で言い直すとしたら、どのようになるかの方だ。マーラーの時代にエンテレケイアないしエンテレヒーという言葉で捉えようと試みられた生物個体の秩序形成のための情報は、今日なら(例えばゲアリー・マーカスの言うように)アルゴリズムとしての遺伝子が担っているということになるのだろうか。「新しい肉体の獲得」というのを遺伝子の側から見たとき、生物はそれを運搬する乗り物の如きものであるというドーキンスの「利己的な遺伝子」のような見方に通じはしないだろうか。更に、そうであるとしたら「抜け殻」としての作品は、それを「ミーム」として捉える見方もあるだろうが、それよりも寧ろ、これまたドーキンスの「拡張された表現型」に通じると考えるべきなのだろうか?「抜け殻」としての作品が、退去した主体の符丁=「痕跡」(レヴィナスの「他者の痕跡」を思い浮かべるべきだろうか?)であるとして、ここで「老い」が、「生との別れ」が本質的に関わるのであれば、それに留まらず、作品をスティグレールの言う第三次過去把持を可能にする媒体として、更にはパウル・ツェランがマンデリシュタムに依拠して述べる「投壜通信」と捉える見方へと接続すべきではないだろうか?更にそれはユク・ホイの言う第三次予持とどう関わるのだろうか?彼はそれが一方では(定義上、「老い」を知らない)「組織化する無機的なもの」によって可能になると捉えているようだが、他方では芸術に、より一般的に技芸に可能性を見いだそうとしてもいる点に対して、こちらは「成長」と「老い」とを本質的な契機として持つ「抜け殻」としての「作品」、「投壜通信」としての「作品」がどのように関わりうるのだろうか?

(2023.6.9公開、6.10-13,16,23,25, 7.6加筆, 2025.5.6 旧稿の後半を独立させ、改題して再公開)

備忘:マーラーの音楽における「老い」についての論考に向けての準備作業 (16):ここまでの振り返りと補足 (最終更新2025.5.6)

 まず、マーラーの生涯に関するクロノロジカルな資料の確認と検討。

  • 「一からやり直す」:ブルノ・ヴァルター宛1908年7月18日トーブラッハ発の書簡にあるマーラーの言葉(1924年版書簡集原書378番, p.410。1979年版のマルトナーによる英語版では375番, p.324)
  • 老後への準備・死後への準備としての退職一時金・年金:1907年夏のマーラーより宮内卿モンテヌオーヴォ侯への書簡と、それに対する返信である1907年8月10日ゼメリング発の宮内卿モンテヌオーヴォ侯よりマーラーへの書簡
  • 後期ベートーヴェンへの評価:アルマの回想録の中の「結婚と共同生活 1902年」の章の末尾のベートーヴェンを巡ってのシュトラウスとの対話→アドルノ「ベートーヴェンの晩年様式」へ
  • 「老グストル」:アルマの回想の「出会い(1901年)」の章および書簡 

 ついで、公開済の自己の過去の記事で関連したものを確認(第9や第10についての過去の記事については再確認必要)。

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 幾つかの個別作品に関するモノグラフ。

  • 「大地の歌」
    • Hefling, Stephan E., Mahler : Das Lied von der Erde, Cambridge University Press, 2000
    • Danuser, Hermann,Meisterwerke der Musik : Gustav Mahler, Das Lied von der Erde, Wilhelm Fink, 1986
  • 第9交響曲
    • Holbrook, David, Gustav Mahler and the courage to be, Vision Press, 1975
    • Andraschke, Peter, Gustav Mahlers IX. Symphonie, Kompositionsprozess und Analyse, Franz Steiner, 1976
    • Lewis, Christopher Orlo, Tonal Coherence in Mahler's Ninth Symphony, UMI Research Press, 1983
    • Pensa, Martin, ≫Ich sehe alles in einem so neuen Lichte≪ Gustav Mahlers Neunte Sinfonie, edition text+kritik, 2021
    • Wreford, Kathleen Elizabeth, A critical examination of expressive content in Mahler's ninth symphony, MaxMaster University, 1992:この論文では分析として、Diether, Holbrook, Lewis, Greene, Micznikのものが取り上げられているようだ。
  • 第10交響曲
    • Rothkamm, Jörg, Gustav Mahlers Zehnte Symphonie : Entstehung, Analyse, Rezeption, Peter Lang, 2003
モノグラフではないが、例えば以下の中に含まれる後期作品についての章も確認しておくべきだろうか。
  • Newlin, Dika, Bruckner Mahler Schoenberg, 1947, revised edition, W. W. Norton, 1978:「大地の歌」、第9交響曲。第10はアダージョのみ。
  • Greene, David B., Mahler, Consciousness and Temporality, Gordon and Breach Science Publishers, 1984:第9交響曲
  • Downes, Graeme Alexander , An Axial System of Tonality Applied to Progressive Tonality in the Works of Gustav Mahler and Nineteenth-Century Antecedents , University of Otago, Dunedin, New Zealand, 1994:主として第9交響曲だが、「大地の歌」、第10交響曲も。
  • Micznik, Vera, Music and Narrative Revisited: Degrees of Narrativity in Beethoven and Mahler, in Journal of the Royal Musical Association, 126, 2001 :第9交響曲第1楽章
  • Pinto, Angelo, Mahler's Search for Lost Time : a "Genetic" Perspective on Musical Narrativity, Gli spazi musica, vol.6 n.2, 2017:第10交響曲
  • Pinto, Angelo, On this side of the compositing hut. Narrativity and compositional process in the fifth movement of Mahler’s Tenth Symphony, De Musica, 2019 – XXIII (1):第10交響曲第5楽章

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 既に一度振り返ってみたがもう一度、2008年より前に遡る、だが日付は最早確定できなくなってしまっている以下の「後期」に関する備忘の元の意図と志向とを確認しなおすべきかも知れない。結局、今、ここで問おうとしていることは、そこでの疑問のヴァリアンテに過ぎない。

後期様式
眼差しのあり様。「現象から身を引き離す」というのがことマーラーの場合に限れば最も適切。しかし、人により「後期」は様々だ(cf.ショスタコーヴィチ)。
ヴェーベルンの晩年とマーラーの晩年のアドルノの評価の違い。いずれも「現象から身をひく」仕方の一つではないのか? こちら(マーラー)では顕揚されるそれと、あちら(ヴェーベルン)の晩年にどういう違いがあるのか?

作曲年代の確認
「大地の歌」1907~?1908~?:実は異説があるようだ。
「大地の歌」第1楽章については、かつては違和があった。今のほうがよくわかる。こうした感情の存在することが。そういう(多分にnegative―そうだろう?)な意味でこれは成年の、否、後期の(晩年、ではないにしても)音楽なのだ。

マーラーに関するシェーンベルクの誤り
いわゆる「第9神話」にとらわれたこと。マイケル・ケネディの方が正しい。第10、第11交響曲を考える方が正しい。
マーラーは本当に発展的な作曲家だった。
だから第9交響曲は行き止まり等ではない。
確かに第10交響曲は「向こう側」の音楽かも知れない(これを第9交響曲より現世的と考える方向には与しない。) けれどもマーラーは途中で倒れたのだ。マーラーの死は突然だったから本当に途中で死んでしまったことになる。

マーラーの第10交響曲こそが最も近しく感じられる。
この不思議なトポス、だけれども、これは存在する、そうした場所はあるのだ。少なくとも残された者の裡においては。それ自体、何れ喪われるものであっても、それは存在する。全くのおしまい、無というわけではない。
それは「喪」そのものかも知れないが、喪のプロセスは残された者の裡には存在する。
マーラーがこの曲を、特に第1楽章以降を書いたのは、不思議だ。彼は確かに危機にはあったし、己の死を意識してはいただろうが、でも死に接していたわけではない。

この曲の、少なくともAdagioに、早くから惹きつけられた。
14歳になるかならぬかの折、最初に私がマーラーについて書いた中で引用したのは、まさにこの曲だった。他ならぬこの曲だった。
それを子供時代に聴くというのはどういう事だったのか?
否、「現象から身を引き離す」ことは、いつだって可能だ。ただし有限性の意識はあっても、クオリアは異なる。かつての宇宙論的な絶望と、今の生物学的な絶望との間には深い淵が存在する。

回想という位相。(かつての)新しさの経験。異化の運命。後期様式による乗り越え。
風景の在り処。現実感は希薄。回想裡にある。かつて現実だった?「だったはずの」?

確かにマーラーは何か違う。
consolationなのか、カタルシスなのか。Courage to Be(ホルブルック)という言い方に相応しい。それを「神を信じている」という一言で済ませるのは何の説明にもなっていない。その「肯定性」―それはショスタコーヴィチとも異なるし、例えばペッティションとも異なる― について明らかにすべきだ。
救済は第8交響曲にのみしかない訳ではないだろう。マーラーは規範や理論に従って「約束で」長調の終結を選んだわけではない。強いられたわけでもない。
とりわけ第10交響曲の終結がそれを強烈に証言する。
一体何故、このような肯定が可能なのか―ハンス・マイヤーの言うとおり、これは「狭義」の信仰の問題ではない筈だ。
懐疑と肯定と。

アドルノのベートーヴェンの後期様式についてのコメントをマーラーの後期様式と対比させること。案に相違してベートーヴェンの閉塞と解体に対して、マーラーは異なった可能性を示したのかも知れない。アドルノのことばは、その消息についてははっきりと語らない。
一見したところ、両者の身振りは極めて近いものがある。だが、並行は最後まで続くのか?
寧ろ一見したところ厭世的に受け取られることの多いマーラーの方が「他者のいない」ベートーヴェンよりも、 異なった可能性に対して開かれていたのでは、という想定は成り立つ。(これは同じくベートーヴェンとマーラーについてのモノグラフを持つGreeneの立場とも対比できるだろう。)

アドルノのles moments musicauxの邦訳のうち、ベートーヴェンの後期様式やミサ・ソレムニスについてマーラーの「大地の歌」, 第9交響曲, 第10交響曲そして第8交響曲と対照させつつ検討する。

ホルブルックのCourage to Be(第9交響曲)と大谷の「喪の仕事」(「大地の歌」に関して)を組み合わせて考える。
「個人的な「大地の歌」―第9交響曲における普遍化」というのは成立するのだろうか?

ところで、ホルブルックの「結論」(p.213)はどうか?
多分正しいのだろうか―これは私の求めている答ではない。 では答はどこにあるのか? そもそもマーラーにあるのか? 勝手読みは(ハンス・マイヤーの心配とは別に)必ず無理が来る 「感じ」が抵抗し、裏切るのだ。 頭で作り上げた「説明」は、どこかで対象からそれてゆく。 一見、ディレッタンティズムに見える―衝動に支えられた―探求の方が、より対象に踏み込めるに違いない。
あるいは、「実感」が追いつかない―忘れてしまった―否、そんなことはない。 まだ「わかっていない」だけかも知れない。 ここに「何かがある」のは確かなことだ。 自分が求めているものとぴったり同じではない可能性も否定できないにせよ自分にとって限りなく 重要な何かあがあるのは確かだ。
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 だが、それよりもマーラーの(作品ではなく本人の)「晩年」を規定することは、既に以前、マーラーの生涯についての覚書を認めた時に試みていた。以下にその晩年についての記述を、当時の認識を確認するために再掲しておく。

晩年
マーラーの晩年は、歌劇場監督を辞任しウィーンを去る頃より始まると考えて良いだろう。 長女の猩紅熱とジフテリアの合併症による死、自分自身に対する心臓病の診断という、 アルマの回想録で語られて以来、第6交響曲のハンマー打撃とのアナロジーで「3点セット」で 語られてきた出来事は、それを創作された音楽に単純に重ね合わせる類の素朴な 伝記主義からはじまって、これも幾つものバージョンが存在する生涯と作品との関係をひとまずおいて、 専ら生涯の側から眺めれば、確かに人生の転機となる出来事だったと言えるだろう。 これを理解するのには別に特別な能力や技術どいらない。各人が自分の人生行路と重ね合わせ、 自分の場合にそれに対応するような類の出来事が起きたら、自分にとってどういう重みを持つものか、 あるいはマーラーの生涯を眺めて、マーラーの立場に想像上立ってみて、上記の出来事の重みを 想像してみさえすれば良いのだ。それが音楽家でなくても、後世に名を残す人物ではなくてもいいのである。 逆にこうした接点がなければ、私のような凡人がマーラーの人と音楽のどこに接点を見出し、どのように 共感すれば良いのかわからなくなる。

だが、その一方で、マーラーがそれを転機と捉えていたのは確かにせよ、己が「晩年」に 差し掛かったという認識を抱いていたかについては、後から振り返る者は自分の持っている 情報による視点のずれに注意する必要はあるだろう。マーラー自身、自分の将来に控える 地平線をはっきりと認識したのは間違いないが、それがどの程度先の話なのか、それが あんなにもすぐに到来すると考えていたのかについては慎重であるべきで、この最後の 設問に関しては、答は「否」であったかも知れないのである。もしマーラーがその後4年を 経ずして没することがなかったら、という問いをたてても仕方ないのだが、もしそうした 想定を認めてしまえば、今日の認識では「晩年」の始まりであったものが、深刻なものでは あっても、乗り越えられた危機、転機の一つになったかもしれないのである。丁度30歳を 前にしたマーラーが経験したそれのように。だとしたら現実は、そうした転機の危機的状況から 抜け出さんとする途上にマーラーはあったと考えるのが妥当ではないかという気がする。

要するに、ここで「晩年」として扱う時期は、その全体がブダペスト時代や、ウィーンの前期のような移行期、「相転移」の時代であったかもしれず、この時期を過ぎれば新しいフェーズが 待ち受けていたかも知れないのだ。だが、実際には次のフェーズはマーラーには用意されて おらず、移行の只中で、それを完了することなくマーラーは生涯を終えてしまったように 私には感じられる。第1交響曲(当時は5楽章の交響詩)、第5交響曲がそれぞれ 移行の、相転移の終わりを告げる作品であったように、第10交響曲がその終わりを告げる 作品であったかも知れないが、第10交響曲は遂に完成されることはなかった。

この最後の部分の第10交響曲についての見解は、再検討するに値する。というのも、もし次のフェーズが準備されていたものが、偶発事によって断ち切られてしまったという認識に立つならば、アドルノが述べるところの「後期・晩年様式」やシェーンベルクの「プラハ講演」での第9交響曲や第10交響曲についての了解は、少なくとも作曲者側の「老年・晩年」とは別のものであり、事によったら、そこに「後期・晩年様式」を見いだしたり、乗り越え難い一線を見いだすのは後知恵の産物であるということにもなりかねないからである。(ただし、上でのアドルノの「後期・晩年様式」とシェーンベルクの「プラハ講演」での第9交響曲や第10交響曲へのコメントの並置はアドルノの側から拒絶されるかも知れない。というのも、マーラー・モノグラフの第2章「音調」におけるシェーンベルクへの言及(アドルノ『マーラー 音楽観相学』, 龍村あや子訳, 法政大学出版局, 1999, p.40~41 参照)を確認する限り、アドルノはシェーンベルクの「プラハ講演」での第9交響曲についてのコメントを、「後期・晩年様式」の作品としての第9交響曲についてのものとは考えていなかったように受け取れるからである。だがそうしたアドルノの姿勢はそれとして、ではシェーンベルクの側はどうであったかを確認すると、こちらはこちらで、文脈からしてもシェーンベルクはそれをマーラーの作品一般に成り立つこととして述べたというよりは第9交響曲の特徴として述べたように見えるし、それがマーラーが晩年に到達した境地であると考えていたと捉えるのが自然であると私には感じられる。この点に限って言えばアドルノのくだんの参照の仕方はやや我田引水の観無きにしもあらずで、従って、アドルノの姿勢を確認した上でなお、敢えて上記の併置を撤回することはしない。尤も、シェーンベルクが第9交響曲について指摘するような事態を可能にするような構造がマーラーの作品一般に備わっているという点についてはアドルノの見解に対して異論があるわけではないことも、併せて記しておくことにする。 

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 以下の、様々な文献の参照のうち、「老い」一般ではなく、マーラーという個別のケースに関わるもののうち、「晩年」という規定が事後的なものに過ぎず、実際には「相転移」の只中にいたという見解と矛盾することなく両立しうるものは、唯一マイケル・ケネディの見解であるということになろうか。

  • ジャンケレヴィッチ『死』における『大地の歌』についての言及、「別れ」について
  • ゲーテ=ジンメルにおける「老年」:ジンメル『ゲーテ』
  • アドルノにおける「後期様式」
  • マイケル・ケネディのマーラーは創造力の絶頂で没したという見方
  • 吉田秀和のマーラーの後期作品、特に「大地の歌」に対するコメント
  • アドルノのカテゴリにおける「崩壊」「解離」からReversの言う「溶解」へ:Revers Gustav Mahler Untersuchungen zu den spaeten Sinfonien はタイトルが示す通り、枠組みとして「後期」にフォーカスしている点で特に注目される。対象は『大地の歌』、第9交響曲、第10交響曲。
 更に旋法性に関するピッチクラスセットの拍頭における出現頻度の分析。アドルノ、柴田南雄、バーフォードを参照しつつ、付加六から五音音階へ、更に全音音階へ:五音音階性の優位は少なくとも中期から顕著になり、おおまかな傾向としては時期を追う毎に強まる傾向にあって、マーラーの様式の推移を測る手がかりたりえている。更に全音音階性は後期作品に見られる固有の特徴と言って良い。勿論、それが全てではないのは当然のことながら、全音階性から、五音音階へ、更に全音音階へということで、マーラーの様式変遷を跡付けることは可能だろう。

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 結局のところ、残された作品について言えば、「大地の歌」や第9交響曲に間違えようなく存在する、この世からの「別れ」の思い、自己の生命の有限性に対する、可能性としての理性的な認識とは異なる、現実にじきに訪れるものとしての了解を否定することはできまい。その生涯についても、アルマの回想が自己正当化を目的とした歪みに満ちたものであるとして、書簡に残されたマーラーの姿は、医学的水準では「誤診」であったという事実をもってその「診断」がマーラーその人の意識に与えた不可逆でかつ痛ましい影響を無かったことにすることの行き過ぎを咎めているようにしか思えない。我々にとってマーラーの「晩年」が事後的なものに見えたとしても、マーラー本人にとって「晩年」は疑いなく存在していたと言うべきではないのか?

 これはほんの一例だが、マーラー同様、フレンケルが治療に当たったからという訳でもないのだが、例えばシベリウスが第4交響曲を作曲していた時期を比較対象として思い浮かべてみたらどうなるか?だがこの比較は不完全なものにならざるを得ない。シベリウスの第4交響曲は、病から癒えた後に構想され、着手された作品だからだ。それではショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲第8番はどうだろうか?この作品が自らの墓碑銘として書かれたのは事実であり、ことによったら本当にその後自殺をしたかも知れないとしたら?だが、マーラーの場合とは異なってここでは「老い」は問題にならないし、それに応じて「別れ」の持つ意味も違ったものとならざるを得ない。ショスタコーヴィチならば寧ろ(交響曲第14番ではなく)、交響曲第15番、ミケランジェロ組曲、弦楽四重奏曲第15番、或いはヴィオラ・ソナタを思い浮かべるべきだろう。

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 こうして見ると、個人的にはそうした見方には与しないものの、「芸術が人生を先取りする」といった類の言葉がマーラーについて語られるのは、それなりに理由がない訳ではないことの方は認めざるを得ないような気持ちにさえ囚われてしまうことを避け難く感じる。そこに「死」を見い出すことの方は確かに後知恵かも知れなくとも、そこに「老い」と「別れ」を見い出すことは寧ろ避け難いのではないか?そうだとしたら、もう一度、アドルノの「後期様式」の指摘は、第9交響曲に関する「死が私に語ること」に対する拒絶ともども正当であるということになるだろう。

 だが、それでもなお、剰余が存在する。アドルノが拒絶した、5楽章の構成を持つものとしての第10交響曲の問題が残る。あのフィナーレの音調をどう受け止めるべきかの問題が。否、それはアドルノの立場では、端的に「存在しない」のだろう。だが「存在しない」ものについて語っても仕方ないということになるのだろうか?だが、最大限譲歩しても、スケッチは完全な形で遺された。アルマに破棄を命じたかどうかはともかく、シベリウスが第8交響曲に対して行ったアウト・ダ・フェは、マーラーの第10交響曲には生じなかったが故に、我々はそれがどんなものであり得たかについて知ることができる。そしてその限りにおいて、「大地の歌」と第9交響曲に対して、第10交響曲とそれらとの間には断絶が存在したのだろうか?ここで、こちらについては存在「しえたか?」ではなく存在「したか?」であることに注意。だがそれを判断しようとした時、アドルノが拒絶した理由が回帰することを認めざるを得ない。それが水平的にも垂直的にも未確定であるとしたら、その状態での分析の結果には一体どのような意味があるのだろうか?ましてやクックによる補作に基づく分析にどのような意味があるのだろうか?以下の補足では、マーラーが作品を「抜け殻」であると述べたことについて言及するが、それを先取りして、だが第10交響曲に関しては別の問題があることに留意しておくべきだろう。第10交響曲は「抜け殻」なのか?未完成の「抜け殻」とは一体どういうものなのか?

 とはいえ実際には、そうした問いに一旦頬被りを決め込んで、クック版に基づいた分析を私は既に行い、公開さえしている。そしてその結果は、「大地の歌」、第9交響曲との或る種の連続性を示しているように思われる。しかもそれはアドルノの指摘に導かれてデザインされた分析の結果なのだが…その時、マーラーの生涯の動力学的把握において、「晩年」が総体として、移行期、「相転移」の時代であったかもしれず、この時期を過ぎれば新しいフェーズが待ち受けていたかも知れないのに対応して、第10交響曲は、交響詩「巨人」や第5交響曲がそれぞれ移行の、相転移の終わりを告げる作品であったように、「相転移」の終わりを告げる作品であったかも知れないが、遂に完成されることはなかったと認識されたことが思い浮かぶ。それが「晩年様式」であるかどうかは措いて、第10交響曲は、もし次があったとするならば、いわゆる折り返し点、過渡的な作品であったように見えるということだ。15年も前の、データ分析の着手からさえも遥かに先行する時期の直観に過ぎないが、現時点でもその直観は基本的に正しいと私は考えているし、現時点でのデータ分析の結果は、少なくともそれと矛盾はしていないようだ。もしそうであるならば、具体的な生涯における「老い」や「晩年」との関係さえ一旦括弧入れした上で、「大地の歌」と第9、第10交響曲に見られる特徴を抽出する作業を進めるべきなのかも知れない。
 
(2023.6.9公開、6.10-13,16,23,25, 7.6加筆, 2025.5.6 前半を分離し、改題の上再公開)

2025年5月4日日曜日

備忘:マーラーの音楽における「老い」についての論考に向けての準備作業 (7・補遺)

  ジャンケレヴィッチの『死』の中の「老化」についての章(ジャンケレヴィッチ『死』, 仲澤紀雄訳, みすず書房, 1978, 第1部 死のこちら側の死, 第4章 老化)について読解を試みた結果については、既に備忘:マーラーの音楽における「老い」についての論考に向けての準備作業(7)にて報告しています。そこでは章のタイトルにも関わらず、だが死を扱った本の一部であることを考えれば仕方ないことながら、「死」とは異なった「老い」の固有性についてはきちんと扱われていない印象がありました。

 しかしながら、上記はあくまでも「老化」についての章に範囲を限定してのものであって、実際には――ジャンケレヴィッチの叙述スタイルからすればありがちなことですが――「老化」について語られているのは「老化」の章だけではありません。もともとが『死』という著作における「老化」の扱いを検討することを目的としていた訳ではなかったため、他にどれくらい「老化」について語られ、どのように語られているかを逐一検証することはしませんでしたし、ここでそれを行うつもりもありませんが、ふとしたきっかけで「老化」について、その「固有性」を捉えた記述が為されている箇所があることを確認したので、補遺としてその個所を報告するとともに、些かの覚えを記すことにします。

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 まずは端的に、「老化」(vieillissement) についての言及を含む該当の箇所を示します。それは、第3部 死のむこう側の死 , 第3章 虚無化の不条理さ, 2 連続の当然さと停止の非道さ に含まれていました。邦訳では445ページです。該当箇所を含め、少し広い範囲を引用します。

「ところが、死すべき存在の停止が連続の当然さに皮肉なことにも――説明のつかないことだが――挑戦するのは、一つの事実だ。限りなく延ばすことができ、本質的には避けることができる停止の偶発的性格についてわれわれは語った。なぜ他の瞬間ではなくて、ある瞬間におこるというのだろう。状況と偶然がこれを決定する。だが、連続はいわばその体質をなくしている一種の欠陥と呪いとを蒙っていなかったならば、状況のほしいままにはならないことだろう。持続の作用のもとに、連続は質の悪化、老化と呼ばれる衰頽をこうむる。生きた存在にとって、存在するとは、変わらずに時の外で存在し続けることではない。存在するとは変化することだ。その根源的なもろさが連続を傷つけやすく、脆弱なものとし、連続を数多くの危険にさらして、それらの危険がたえず生きた存在を狙い、生きた存在を僥倖に依存せしめる。ある状況のもとでの連続とは、つまり、脅かされている連続だ。連続に課せられ、その未来を危うくする根源的欠陥、先験的ハンディキャップをただ単に有限性と呼ぼう。こうして、あらゆる連続にとって、有限性とは停止の可能性を表象する。存在の連続は当然のことだが、身体の生存は(というのは、実際には測れないことが問題なのだから)射幸的連続だ。」

 文脈としては、節のタイトルに示されている通り、そして前後の部分でも述べられている通り、「連続の当然さ」というのが生きた存在については成り立たない由縁を述べるところで、変化していく生きた存在においては、「老化」によって連続の「当然さ」が成り立たず、傷つきやすく、脆弱なものであって、常に停止の可能性に脅かされていることを述べているのが確認できます。そしてここでの「老化」の定義は、「老化」の章の読解においても参照した、以下のような「老化」のシステム論的定義と極めて親和性が高く、「死」とは(勿論、密接に関わっていはしますが)区別される「老化」の固有性を捉えたものとなっていることに留意しておきたく思います。

「老化」は、ロバストネスが変移して、最終的に崩壊する」過程であるというものでした。つまり老化の定義は、「生物がもつロバストネスの変移と崩壊」だと。単なる崩壊ではなく、「変移と崩壊」というところに注目してください。歳を取っても人の体はロバストなのです。(…)ロバストであることに変わりはありませんが、定常の位置が推移していきます。だんだんずれていって、最後に全体としてシステムのロバストネスを保つことができなくなるとついにシステムが崩壊する、つまり「死」に至る、ということになります。」(今井眞一郎『開かれれたパンドラの箱 老化・寿命研究の最前線』, 朝日新聞出版, 2021, pp.230)

 従って「老化」の章に限れば、「死」を論じるにあたっての補助線のようなものとして触れられているに留まっているとはいえ、著作全体を通してみれば「老化」の定義として妥当と思われる記述が含まれていることに触れなければ公平を欠くことになるため、ここで補遺として報告することにした次第です。

 但し注意すべきは、「老化」について述べた後の部分で更にジャンケレヴィッチが「連続に課せられ、その未来を危うくする根源的欠陥、先験的ハンディキャップ」を「有限性」としているのは、これは文字通り「生きた存在」は有限な存在であり、だから常に停止する可能性を孕んだ存在であるということですが、有限性そのものは、それが「死」と密接に結びつくものである一方で、「老い」とは独立に論じうるという点です。それは「停止」たる「死」が、必ずしも「老化」を介さずにも(例えば突発的な事故とか、病気とかによって)起きうることを考えれば明らかでしょう。

 更に一つ手前に戻って、「根源的なもろさが連続を傷つけやすく、脆弱なものとする」点においても、それが存在することが変化することであるということに由来する限りにおいて、その由来を「老い」のみに限定することはできないことにも注意すべきでしょうか。変化もまた、「老化」がそれであるとされる衰頽、質の悪化という方向性のみに限られるわけではありません。勿論「根源的なもろさ」や「傷つきやすさ」という言葉で書き手が想定していたのは、第一義的には「老化」の持つベクトルなのかも知れませんが、ジャンケレヴィッチの思惑はそれとして、ここでもまた何らかの怪我とか病気による変化を思い浮かべれば、「もろさ」「傷つきやすさ」に繋がる変化には、ベクトルの向きは同じ方向を向いているとはいえ、必ずしも「老化」には由来しないものが含まれうることに容易に思い当たるでしょう。逆に「根源的なもろさ」や「傷つきやすさ」をあまりに安易に「老化」に結びつけてしまうと、比喩としては有効であったとしても、「老化」の固有性を見誤るだけではなく、「老化」以外の側面が見えなくなってしまう危険があるのではないでしょうか。

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 実は、上で引用した記述があることに気づいたのは、特に後期レヴィナスにおいて「老い」についての言及が存在することを思い出し、レヴィナスの著作を読み返しながら、レヴィナスの思想における「老い」を扱った研究がないかとWebを検索して行き当った、古怒田望人さんの論文「 老化の時間的構造 : レヴィナスの老いの現象学の解明を通して」を通してでした(当該論文は、浜渦辰二編『傷つきやすさの現象学』に第6章として所収)。この論文はタイトルが示す通り、まさにレヴィナスの思想における「老い」を論じたものですが、その中で、「『死』(1966)においてジャンケレヴィッチは老化を「傷つきやすさ」の経験とみなして」いる」(同書, p.114)として、上に引用した箇所が参照されているのです。そしてこの指摘をいわば補助線として、この論文では、それ以降、思想史的な影響関係を踏まえた上で、レヴィナスの著作における「老化」についての記述をジャンケレヴィッチにおける老化を通じて解明していきます。その道筋を私なりに要約するならば、概ね以下のようになります。

 まず、私もまた『死』の「老化」の章の読解で参照した

「老化は漸進的なものだが、老化の意識はそうではない。」(ジャンケレヴィッチ, 『死』,,仲澤紀雄訳,みすず書房,  p.231)

に言及し、

「通常は潜在的である「時間」が、身体(「人体」)の断続的な変化を通して意識させられる現象が、老化なのである。」(古怒田望人「 老化の時間的構造 : レヴィナスの老いの現象学の解明を通して」,  浜渦辰二編『傷つきやすさの現象学』所収, p.115)

という指摘を行った上で、だがその後は専ら、そうした「老化」の意識ではなく、「老化が関わる「時間」の本質」(同書、同頁)の側が分析されていきます。私が限定的に些事拘泥的に読解を試みた『死』の「老化」の章は勿論のこと、『死』以外のジャンケレヴィッチの様々な著作やジャンケレヴィッチに関する研究文献が縦横無尽に参照され、まず時間の本質として「不可逆性」が取り出され、ついで「過去の実在そのもの、「過去全体」、つまりその「事実=コト(fait)」は時間の不可逆性において反復不可能であるがゆえに、唯一かつ永遠のものとなる」(同書, p.117)という現象を通じて「コト性(quoddité)」が取り出され、「老化の時間性」について以下のように分析されることになります。

「老化の時間性、ひいては時間の本質である不可逆的時間性は、抗いがたく消えゆく存在者の有限性の悲劇であると同時に、その構造において、死によって消し去られない過去の実在そのものの唯一性と消失不可能性を当の存在者に残す時間性なのである。有限的な時間は、老化という不可逆的時間性として現実化することで、その有限性に抗した肯定的な過去の水準を残すものとなるのだ。 」(同書, p.119)

 そして上記のような分析に基づき、「後期レヴィナスはジャンケレヴィッチの老化の解釈を経由することで、老化の不可逆性の過去の意義を見出すことができたのだ。」(同書, pp.119-120)と結論づけられるのです。

 この論文は、――タイトルからは予想しづらいのですが――そもそもの構想として、レヴィナスの著作における「老化」についての記述を、思想史的な影響関係を踏まえた上で、ジャンケレヴィッチにおける老化を通じて解明するという仕立てのものですから、特にレヴィナスに対するジャンケレヴィッチの影響の事実関係について教えられる点は多いですし、ジャンケレヴィッチの時間論については、様々な著作やジャンケレヴィッチに関する研究文献が縦横無尽に参照された周到なもので、勿論その当否について、専門の哲学研究者ならぬ私が判断することなど出来ないですが、そうした私にもわかりやすく説得力のあるものに感じられます。

 しかしその一方で、ジャンケレヴィッチの思想の紹介としては要を得た、申し分ないものであったとしても、それが実際にレヴィナスの思想の組み立ての細部にわたってそのまま適用できるかどうかについては、直ちに幾つかの疑問が思い浮かびますし、レヴィナスがどう言っているのかという点の是非は、これもまた専門の哲学研究者の領分であって、素人が異議を挿し挟むものではなく、素朴な疑問を提示する以上のことは控えるべきとしても、「老化」という事象そのものの分析としてみた場合、自分が実生活で経験し、直面することを余儀なくされた事柄に即した時にも、直ちに幾つかの違和感が湧き上がってくることを禁じ得ません。

 その疑問点、違和感の由来を突きとめることは、マーラーの音楽における「老い」についての論考に向けての準備作業という本稿にとって密接な関わりを持つものとは思うものの、哲学の専門的な文献を扱うだけの資格も時間も今の私にはなく、ここでは備忘として、極めてシンプルな仕方で疑問点、違和感を列挙した覚えをしたためるに留める他ありません。そこで以下では、ラフでインフォーマルなかたちではありますが、疑問点・違和感を記しておくことにします。

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1.ジャンケレヴィッチの老化の時間論において、「傷つきやすさ」というのは結局どのような位置づけを持つのでしょうか?

 まず最初は、事柄そのものに即したというよりは、議論の組み立てに関わる点なのですが、何よりも一読者として当惑させられるのは、(こちらの読み落としがないとして、)「「傷つきやすさ」から事象の記述を試みた後期レヴィナスと呼応する」(同書, p.114)ものとして、『死』の邦訳p.445(上に引用した、第3部 死のむこう側の死 , 第3章 虚無化の不条理さ, 2 連続の当然さと停止の非道さ の中の記述)を指摘しつつも、その後のジャンケレヴィッチの議論の紹介・分析において、ついに「傷つきやすさ」について言及されることがないという点です。

 上にも述べた通り、「老化」の章の読解を通して、ジャンケレヴィッチが「死」との関わりにおいてしか「老化」を扱っていないと感じた私にとっては、寧ろ、指摘の箇所こそが「老化」の固有性を捉え得たものと感じられたのでしたが、論文ではその後、指摘箇所の記述に触れられることはありません。専門的な見地からは、そもそもが当該箇所の「傷つきやすさ」が、確かに単語としては同じであるとしても、レヴィナスの思想における「可傷性=傷つきやすさ」と単純に同一視できるものなのかと言う点についての議論もあるでしょう(素人目には、ことこの点に限っては、寧ろジャンケレヴィッチの方が「老化」固有の相を捉えており、レヴィナスの「可傷性」は、必ずしも「老化」に限定されない幅広い含意を持つものに思われます)し、それとは別に、事柄に即して考えた場合に、「傷つきやすさ」を専ら「老化」という点から捉えたものと見做すことについては既に留保を記した通りでありますが、「老化」が「傷つきやすさ」と関わるという点については何ら異存はなく、繰り返しになりますが、寧ろジャンケレヴィッチの当該箇所はその点を極めて的確な仕方で指摘したものに思われただけに、はぐらかされた感じが否めないというのが率直な感想です。逆にジャンケレヴィッチの「老化」に関する「傷づきやすさ」への言及が当該箇所に留まり、概念的な広がりを持たないものだとするならば、今度は、それを梃にしてジャンケレヴィッチを通してレヴィナスを読み込むことの妥当性の方が問われるようにも思えます。

 その一方で、レヴィナスの側の文脈からすれば、「老化」の時間論的構造としてまず思い浮かぶのは「隔時性」と呼ばれる構造です。但し、「隔時性」は「老化」固有の構造という訳ではなく、寧ろ「隔時性」の構造を持つ一例として「老化」が例示されています。そこで思い浮かぶのは、隔時性」の特徴である自己に遅れるという時間論的構造が、『実存から実存者』におけるような初期のレヴィナスにおいては専ら「疲労」や「怠惰」といった事象を通じて分析されていたということです。そして「疲労」と言えば、ジャンケレヴィッチも「老化」を論じるにあたり、「疲労」を比較の材料として取り上げていましたし、近年の「老化」研究においては「炎症」を介して「疲労」と「老化」の関係が問われていたりもします。そして「炎症」は、当然「傷つきやすさ」と密接に関わりを持ちます。こうした事情を踏まえるのであれば、(なぜ後期に至って「疲労」や「怠惰」に代わって「老化」が取り上げらるようになったのか、という思想史的な興味は一先ず措くとして、)「隔時性」と「傷つきやすさ」との関係がどうなっているのかについても気になるところではありますが、その点についても論じられることはありません。「隔時性」についても、専ら倫理的次元への通路として言及されるだけで、その時間論的構造の面、特に「老化」固有のものを取り出そうと考えれば当然問題になるであろう、「疲労」「怠惰」等との違いについて論じられることもまたありません。勿論、この点について古怒田さんの論文に答えを求めるのは無いものねだりで筋違いであるとしても、「老化」の時間性の解明という問題一般としては依然として疑問のまま残されているように思います。この点は実は、そもそもレヴィナスが「老化」固有の時間性の分析を行っているのか?という疑問にも繋がっていくのですが、本稿で扱うには大きすぎる問題ですので、ここでは問題の提起に留め、最後の点についての私なりの見通しのみ、後で再度簡単に触れたいと思います。

2.「コト性」「事実性」へ依拠して、「老化」に「人間性を確保する」ような側面を見出そうとするのは「老化」の固有性を損なうことにならないでしょうか(2a)。また「老化」との関わりとは独立に、「コト性」「事実性」へ依拠して「人間性を確保する」ことはレヴィナスの思想の枠組みの中において妥当なのでしょうか(2b)。 更に、レヴィナスがどう言っているかとも独立に、事象そのものの分析としてどうでしょうか(2c)。

 こちらの問いは厳密にはa,b,cの3つの異なった問に分けられ、それぞれを区別して論じるべきでしょうが、ここでは厳密な議論による論証は意図しておらず、単なる疑問の提示に留まることから、3つの問いの絡み合いを示すという意味合いでも、敢えて一体のものとして述べることにします。

 「コト性」「事実性」への依拠というのは、『死』という著作においてもジャンケレヴィッチの「結論」であり、ジャンケレヴィッチの思想の重要なポイントなのだとは思いますが、「何性」と区別される限りでの「コト性」として「事実性」を捉えて、そこに価値を見出すというのは、私には哲学者ならではの極めて抽象的な発想のように感じられ、実際に生きている人間の経験や実感とはずれているように感じられます。仮にその点は譲ったとしても、それは「死」に対する態度の拠り所とはなりえたとして、「老化」に結びつけるのには飛躍があるように感じます。

 この論文は、その結論部分において「老化」というのは否定的なものであるけれど、その構造には「人間性を確保する」ような側面があるのだとして、それを人が生きてきた過去「全体」、生きてきたという事実の「こと性」そのものに基づけようとしています。そして死を目の前にした臨床現場の分析を通した村上靖彦さんの以下のような議論を引用しています。

「死が近づくなかで自己を支えるのが、過去を思い出して肯定することなのである。過去の対人関係が、かすかに残っている現在の自分を支える。目の前の世界が身体の衰弱によって縮小していったとしても、過去の地平は縮小することがないからだろうか。あるいは行為が不可能になったときに、対人関係こそが自己性の核であることが浮かび上がるからであろうか。」(村上靖彦,『摘便とお花見: 看護の語りの現象学』, 医学書院, p.233)

「「死が近づくなかで自己を支えるのが、過去を思い出して肯定すること」「過去の対人関係が、かすかに残っている現在の自分を支える」というのは、分析というよりは臨床的な次元での事実に属することなのだと思いますし、特に「対人関係こそが自己性の核である」という点については全くその通りで、それまで身体の衰えとともに交流範囲が狭まって、孤独感が強まり、更に独力でできていた身の回りのことができなくなっていって、独居が困難となり施設に入居するようになると、その結果として、それでもそれまで維持されていた交流関係さえも断たれてしまうことが避け難く、それまで自明であった自己性の維持が困難となるというのは私の経験に即しても事実だと思います。

 しかしまずそれが「過去全体」の「こと性」への依拠であるという点には疑問を感じます。生きてきたことそのものを肯定する、というのは頭の良い哲学者が思いつく抽象で、多くの人はそんな風には考えないし、寧ろ支えとなるのは豊かな情動に彩られた具体的な対人関係の記憶なのではないでしょうか。だからこそ具体的な個々の対人関係の断絶に苦しむのであって、それはその後、施設の中で構築される対人関係である程度補われるものであるにしても、決して代替が効くものではありません。いや、事実性とはまさにその代替不可能性なのだ、ということなのかも知れませんが、それでも「過去全体」、「事実性」そのものへの依拠ではなく、あくまでも個々の事実が持つ情動的な側面こそが支えになっているのでは、というのが私の素朴な感覚です。勿論これは感じ方の問題かも知れず、であれば論証によりどちらが正しいという次元のものではないので、あくまでも違和感を述べているだけであって、誤りの指摘ではないことは強調しておきたく思います。

(この点に関連してもう一言付け加えるならば、村上さんの引用における「過去の地平は縮小することがない」という言い方を理解するにあたっては、幾つかの留保が必要ではないかと思います。特にここで言う「過去の地平」というのが「過去全体」の「コト性」を指しているのかどうかについては議論があるのではないでしょうか。少なくともここでの「地平」概念は、通常の現象学におけるそれとは異質のものであって、2004年に現象学年報に掲載された村上さんの論文「方法としてのレヴィナス―情動性の現象学における自己の地平構造―」で素描されたそれを踏まえたものでしょうし、この論文でも確かに「事実性」という用語は出て来ますが、寧ろ極限値として、空虚な空想として作動しているものとされる「事実性」が果たしてベルクソン=ジャンケレヴィッチ的な「過去全体」と同じものなのかについては、疑念の余地なしとはしません。しかしながら、村上さんの上記論文の重要性については疑う余地がなく、自分なりに理解できた限りにおいて、その主張に賛同するが故に、その理路を明らかにしたいものと思いつつも、この点を論証するのは(遥か昔にごく短期間、期限付きで哲学研究に携わったことはあっても、事情あってその後継続すること能わず、何十年の歳月の隔たりを経て今や素人に過ぎない)現在の私の手に余ることなので、この点についてもここでは疑問の提示に留めざるを得ません。また同時に、レヴィナスのいう絶対的過去というのが、形而上の抽象ではない事実の次元においては生理学的基盤を持つ記憶に関わらざるを得ない想起可能な過去に対応しうるのかもまた確認が必要なことに思えます。「地平」の定義次第の感じはありますが、寧ろそれは現象学における一般的な「地平」すら形成することのない「地平」の向こう側、だけれどもそれによって主体が形成された根拠(そうした領域があることは何か神秘のようなものでは全くなく、ごく普通に、意識主体が経験できる領域の外側(ここでは手前)で起きた出来事のうち、主体の形成に関与したものということに過ぎません)であると考えるのが普通の受け止め方ではないでしょうか。一方では一般には個人の前史に関わるものと了解されるフロイト的な「エス」「超自我」や、前意識、無意識的な水準との関わり、他方ではフッサールであれば『幾何学の起源』等で問われているような個人を超えた共同体的な地平も含め、一般に潜在性というのをどこまで認めるかについて、村上さんの論文で提起されている情動性の現象学における「地平」や「事実性」は極めて広大な問題領域を覆うものであることが素人目にも容易に想像され、私の手には余るので、これについても指摘に留めざるを得ませんが。)

 しかしここでの議論においてより本質的なのは、「過去全体」の「こと性」というのが、果たして「老い」固有のものなのかという点に対する疑念です。論文の結論では、「老化は、その時間的構造においてはそのような消滅に抗う意味、そして倫理すらも基づける現象なのである。」(同書, p.123)と述べられるのですが、そこには重大な錯誤、でなければすり替えがあるのではないでしょうか。

 レヴィナスが言う「老い」の時間論的構造が、倫理的なものに通じるという点は、実際にレヴィナスがそう言っているので間違いはありませんが、 それは「消滅に抗う意味」ではないと私は考えます。寧ろ意味の手前にあって、主体が能動的に意味付けできないもの、寧ろそれこそが主体を意味づける当のものとしての倫理的なものである筈ではなかったでしょうか。主体は他者との関わりによってしか確立されません。予め返すことのできない負債を負っているようなもので、レヴィナスが言っているのは、そうした主体の生成に纏わる構造のことではないでしょうか。そしてそれが「老化」とか「疲労」とか「怠惰」のような主体にとって受動的、自分自身に対する「遅れ」を伴うような事象を通して垣間見られるということが述べられているに過ぎないのではないでしょうか。

 ここで詳細に述べることはできませんが、私見では時間論的構造としては、「老化」の時間性は、全き受動として、寧ろ意味の「消滅」であると端的に言うべきでしょう。それは構造的に主体が受動的でしかない点において「疲労」とか「怠惰」と類比可能ですが、だからといって「老化」は「疲労」でも「怠惰」でもありません。寧ろ「老化」固有の時間性は、実はレヴィナスの分析によっても汲み尽くせていないと言うべきではないか、具体的に如何なる点で「老化」が他の受動的な事象と区別されるかについては述べられていないのではないかと思います。(それはレヴィナスが「他者」や「倫理」を語るゆきずりに「老化」について語っているのであって、「老化」を主題として語っているのではないことを思えば仕方ないことで、無いものねだりなのだと思いますが。)

 いわば、ここで問題にされている抽象的な構造は、それが「老化」にも当て嵌まるとしても、必要条件であるだけで十分条件ではないのです。「老化」のある面が「疲労」や「怠惰」と同型の時間的構造をもたらしているだけで、「老化」固有の時間性は別の次元にあるのだと思います。村上さんの文章にある「目の前の世界が身体の衰弱によって縮小していったとしても、過去の地平は縮小することがない」というのは、それ自体の適否については措いたとしても、こと「老化」には直接関わらないものではないでしょうか。「死」に向かう際の拠り所となる筈の記憶さえ喪われ、認知的に過去の地平もまた縮小していくのが、「老化」の現実ではないでしょうか?だからその意味では「老化」は「死」に立ち向かうことそのものを困難に、否、もっと言えば無意味なものにしていくという点で、人間性を確保しようとする立場にとって限りなく苛酷なものなのではないでしょうか。「人間的」な「主体」が本質的に社会的な存在で、他者との関わりにおいてしか維持できないものだとしたら、「老化」によって「私ができる」の範囲が縮小していくだけでなく、他者との関わりもまた、身体的にも認知的にも限定されていくことによって、「人間性が確保」できなくなるというのが寧ろ「老化」の実質ではないでしょうか。(記憶が損なわれ、地平が損なわれるのは、病の結果であり「老い」とは区別されるべきだ、という見解もあるかもしれませんが、記憶の障害の原因の判別は現実には困難で、従って認知症は事実上、原因に基づくものではなく、症状に基づくものであることを踏まえれば、様々な認知的な障碍に見舞われて、過去へのアクセスが困難になるというのは「老い」という事象に関わるものと見なすのが妥当だという立場を私は採りたく思います。)仮に、「老化」が過去へのアクセスを困難にすると同時に、にも関わらず、その過去を価値あるものにする当のものなのだというパラドクスが言いたいのだとして、現実に「老化」によって、「老化」が価値を担保している筈の過去へのアクセスが困難になってしまうのだとしたら、そのパラドクスは一体誰にとってどのような意味を持つのでしょうか?理論上はどうであれ、事実としては「老化」は自らが担保している価値すら破壊してしまうような厄介なものであると寧ろ言うべきなのではないでしょうか?

 更に言えば、「老化という不可逆的時間性として現実化すること」により確保され、「死によって消し去られない過去の実在そのものの唯一性と消失不可能性」により担保されるものとされる「その有限性に抗した肯定的な過去の水準」は本当にその有限性を乗り越えられるのだろうか、という疑問も浮かびます。形而上学的な「過去全体」ならぬ、有限性に限定づけられた生きた存在の「過去の全体」は、本当に「死によって消し去られない」のでしょうか?素朴に考えれば、その個体が死んでしまえば、唯一のものであり取り換えの効かない、その個体の「過去の全体」は、寧ろその唯一性故に消滅するのではないでしょうか?そして普通の人間の感覚では、まさにそのことこそが危惧されているのではないでしょうか?そしてもしそれが個体の有限性を超えて存続しうるとしたら、それはまさにその個体にとっては「他者」である「私」に対してその事実を語り、それを受け止めた「私」がその個体が生きたことを証言することによる他ないのではないでしょうか?「過去全体」の事実性の存続は、それ自体によって可能になるのではなく、寧ろ「証言」こそが存続の、ひいては「人間性の確保」の必須の要件であり、「証言」はその構造上、「他者」を必須のものとして必要としている、従って寧ろ(その場にいるかどうかは措いて、可能性としてであれ)「他者」こそが事実性の条件であるということはないのでしょうか?ツェランが述べたように、時間を乗り越えることなどできない、時間を通って、他者のもとに届くことによって、他者がそれを拾い上げて解読することによってしか可能ではないように私には思えてなりません。更に「老い」の現場に即して言うならば、当の「過去」を生きた本人は、記憶も損なわれ、認知機能が損なわれ、最早「語る」ことができない状況におかれているとしたらどうでしょうか?その「過去」は、「他者」である「私」が証言しないことには永久に、決定的に喪われてしまう。事実性はそれ自体の構造により保証された自足的なものなどではなく、常に「他者」の支えを必要としているのではないでしょうか?逆にだからこそ多くの「私」が「証言」を残す止み難い衝動に駆られて言葉を綴るのではないでしょうか?

 話を「老化」に関わる論点に戻しましょう。まぜっかえすようですが、仮に「過去の全体」の「コト性」に価値があるのなら、哲学的な抽象の水準(そこでは権利上、アプリオリに保障されるので、実際にある個別の人間の「過去の全体」がどうであるかは問題にならない)ではなく、実際の生の経験の場面においては、それが喪われず、もしかしたら更に増大していくことに価値があることになるのであって、その価値の最大化は、寧ろ「不老不死」によって実現することになってしまわないでしょうか?「老人の智慧」が長く生きたことの累積によって生じるものだとすれば、端的に長く生きることに価値の淵源があるのであって、「老化」にあるのではありません。同様に、「事実性」は不可逆性、反復不可能性に基づくものであるという時、実は不可逆性も、反復不可能性も、生きられた時間の様態ではあっても、「老化」そのものとは一先ず別であることに気づきます。勿論、「老化」の過程が持つ「衰頽」のベクトル性が巨視的に見て不可逆なものであることは(少なくとも今生きている人間に関しては)確かですが、不可逆性、反復不可能性自体は「老化」ではなく、例えば「誕生」の、或いは「成長」の相についても同様に当て嵌まる筈ではないでしょうか。従って、生きられた時間一般についての議論としては妥当でも、「老化」という事象の分析としては不適切なのではないか、「老化」固有の時間性を特徴づけるものは、もっと他の側面に存するのではないか、というのが素人なりの素朴な反応ということになるでしょうか。

 最後に今一度「老化」とは離れて、「何性」を持たない純粋な「コト性」を単なる抽象的な思弁の産物としてではなく、具体的な経験として、なおかつレヴィナスの思想の文脈に位置づけてみたらどうなるかについて、素人なりに考えたことを記しておきます。私が思いつくのは寧ろ初期レヴィナスにおいて重要な位置づけを占める「ある(il y a)」です。この点については、例えば斎藤慶典さんの『レヴィナス 無起源からの思考』の第1章 糧と享受の第1節 端的な存在―空 における記述が興味深く、かつ私の捉え方に親和的であるように思われます。更に同書第2節 存在に走る亀裂-ー無 の節においては、「何性」をもたらすものは「空」とは区別される「無」であるとされます(これはレヴィナスの文脈では「位相転換」(hypostase)と呼ばれる相に相当するのではないかと思います)。それを踏まえて言うならば、ジャンケレヴィッチの文脈においてどうかは措いて、レヴィナスの思想の枠組みにおいては、倫理的な次元というのは、斎藤さんの記述における「空」(=レヴィナスにおける「ある(il y a)」)ではなく「無」に、起源の向こう側にある無起源に由来するものではないかと私には思えるのです。(「他者」はその「無」をもたらすもので、時間論的には主体が辿り着くことが原理的に不可能な「絶対的な過去」なのだと思います。そしてそれは「過去全体」とは異なるもの、寧ろ次元を異にするものなのではないかと思います。)斎藤さんは「何かが無い」という可能性の開けが「意識」の成立であると述べています(同書, p.52)が、私もその捉え方には全面的に同意しますし、「意識」の覚醒を錯誤の可能性に見る点も、それを言い替えて「幽霊を見てしまう可能性が「意識」の覚醒なのだ」(同書, p.53)というのも全くその通りだと思います。(「幽霊」と「意識」の関わりについては、『配信芸術論』に寄稿した論考でも触れたことがありますが、そこで述べた事柄とここでの斎藤さんの議論とは共鳴関係にあると感じます。)そして更に言えば、村上さんが「方法としてのレヴィナス」で取り出した地平構造は、寧ろこちらの文脈に置くのが適切と感じられたが故に、上に記したような違和感が生じたのではないかと思うのです。「事実性」が地平を形成するのだとして、それが他ならぬ情動的な意味を持つ根拠を問うならば、それは「こと性」に帰着するのではなく、寧ろ自己の(自己にとっては存在せず、遡行不可能な)手前に「別の仕方で」遡行することになるのではないでしょうか?情動は、「感じ」は、「他者」(ただし私個人としては、これを「人間」に限定したくはなく、この点では恐らくレヴィナスの思想から逸脱していくことになるのですが)の触発によって、そしてそれによってのみ主体に到来するのではないでしょうか?直接的には「老い」についての議論からは外れますし、論証抜きの素人の印象ですが、この点は恐らく議論の要点に繋がるもののように感じられることもあり、追記しておくことにします。

 以上、思いつくままに記しましたが、それでもなお、厳密には区別されるべき3つの問い、即ち、(a)「コト性」「事実性」へ依拠して、「老化」に「人間性を確保する」ような側面を見出そうとするのは「老化」の固有性を損なうことにならないか。(b)「老化」との関わりとは独立に、「コト性」「事実性」へ依拠して「人間性を確保する」ことはレヴィナスの思想の枠組みの中において妥当か。 (c)レヴィナスがどう言っているかとも独立に、事象そのものの分析としてどうか。のそれぞれについて、私が疑問に感じている点を示すことはできたと思います。

*     *     *

 以上、インフォーマルな仕方ではありますが、率直な仕方で疑問や違和感を書き綴ってみました。これらが哲学的な議論に資することはなくても、本稿で課題としている、マーラーの音楽における「老い」の時間性について考える上では決して回り道ではなかったというのがここ迄辿り着いての感想です。「老い」の時間性とは、時間性一般の持つ特徴の一つではないし、一般的構造から直接導かれるものではなく、より実質的・具体的なベクトル性を備えたものであり、寧ろそれは従来、マーラーの音楽の構造を捉えるべく用意されたカテゴリに近いものであるのではないでしょうか。但し、既に提出された具体的なカテゴリにぴったり該当するものがあるという訳ではなく、寧ろこれからそうしたカテゴリを構成しなくてはならないように思います。例えばアドルノが否定的充足のカテゴリとして挙げる「崩壊(Einsturz / Zerfall)」、或いは形式原理として取り出される「崩壊(Zerfall)」(Sponhauer)や「融解(Liquidation)」(Revers)のような概念はその候補になりうるように見えるかも知れませんが、実際にはそれは「老い」と接点はあっても、別のもので、単なる物理的な「融解」「崩壊」とは異なる、「老い」固有の性格づけが如何にして可能かを検討すべきなのだと思います。従って取り組むべきは、そうしたカテゴリを分類のための「ラベル」の如きものとして扱うのではなく、そのカテゴリの時間論的構造をより具体的に記述することにあり、それについてのヒントが今回の検討を通じて幾つか得られたように感じます。

 その一方で、ゲーテ=ジンメル=アドルノの「現象からの退去」としての「老い」についても、例えばレヴィナスの「隔時性」を手がかりにして、だが「老い」の固有性を踏まえつつ、(準)現象学的時間論的な記述を試みたらどうかというようにも思います。「後期様式」というのは、そうした時間性が作品に反映されたものとして、カテゴリを取り出すことができるのではないでしょうか?或いはまた、トルンスタムの「老年的超越」の時間性について同様な問いを立てることもできそうです。時間論的な構造を比較することで、「後期様式」を可能にする「現象からの退去」と「老年的超越」との関係についての示唆が得られることも期待できそうです。「現象からの退去」にしても、「老年的超越」にしても、それが単なる時間経過の蓄積としての「加齢」と関わるものではないのは自明なことであり、「老化」の進行が人により異なるのに対し、「現象からの退去」や「老年的超越」は「加齢」に伴って必ず生じるものではないけれど、だが「老化」と完全に独立のものと捉えられているわけでもなく、「老化」の時間性の或る側面がその基盤となっている、「老い」の時間性のうちの或るタイプとして考えるのが自然であるように思われます。そしてそうした時間性の反映を音楽作品の時間論的構造に見出すことができれば、それがすなわち「後期様式」に固有のカテゴリということになるのではないでしょうか?

 ここまでの検討で既に明らかなこととして予想されるのは、そうした時間性は、生理的な「老化」そのものの時間性ではなく、それを意識することを含めた「老い」の意識の時間性であり、複合的なものであるということです。それは「幽霊を見る能力」としての「意識」を必要条件として要求するのみならず、自伝的自己を備えた高度な意識に固有の構造であり、言ってみれば「時間性に関する意識の時間性」とでも言うような複合的で重層的なものということになるように思われます。一体、そのような複合的・重層的な時間論的構造が、音楽作品の持つ時間論的構造に反映しうるものかという疑問が生じる向きもあるでしょうが、私見では、水平的にも垂直的にも極めて複雑で、複合的・重層的な構造を備えたマーラーの音楽には、そうした時間性を容れる余地があるものと私は考えます。例えば第9交響曲の多楽章の複合体全体は勿論、第1楽章の内部構造に限定してさえ、そこには「意識の音楽」と呼ぶに相応しい、極めて複雑で精妙な時間の流れがあることが感じ取れるように私には思えます。そしたその第1楽章と後続の3楽章の関係、一見したところアンバランスに感じられる全体の構成もまた、どこかで「老い」の意識の重層的で複合的な性格と、その構造が変容していくプロセスの反映であったり、或いはまた、(準)現象学的な「地平」構造に基づく、別の角度からの捉え直しであったりを作品として定着させてものであり、マーラーが「交響曲」という多楽章形式を必要とし続けたのも、そうした構造の複雑さとそれがもたらすプロセスの精妙さに応じたものであったのだと考えたいように思うのです。そしてこうしてみた時、「崩壊」なり「融解」なりのカテゴリを単独で取り出して論じることが、「老い」の時間性を捉える上では不十分であることもまた明らかになるのではないかと考えます。それは(レヴェルの違いはありますが)本稿前半の議論において、「老い」の意識を捨象して、意識の対象となる時間論的構造のみを取り上げることの抽象性や、「隔時性」のみをもって「老い」の時間論的構造を捉えようとすることが困難であることに通じるものがあるのではないでしょうか?

 こうしてプログラムの輪郭を書き出しただけで、その解明の困難さは容易に想像でき、それは私の能力では及ばないものにも思えてきますが、どこまで到達できるについて問うことは一旦止めて、とにかくこうしたことが今後の課題であることを確認して、一旦ここで本稿を閉じたいと思います。

(2025.5.2-4)


2025年2月7日金曜日

備忘:マーラーの音楽における「老い」についての論考に向けての準備作業 (11) (2025.2.7.更新)

 ところでマーラーの晩年はいつから始まったのかという問いについては、作品における「後期様式」と対応付ける答え方が一般的だろう。(それは結局、アルマの「3つの運命の打撃」の前と後という見解を受け入れることになる。)だが、「老い」の始まりは?彼が「老グストル」になったのはアルマと結婚して以降だ。すると第5交響曲を分水嶺として、第6交響曲以降は「老い」の意識の裡で書かれたという見方が成り立つことになる。そこにはまだ「後期」の死の影はないけれど、「老い」の意識は確実に存在するとは言えないだろうか?だがそれはアドルノ=ジンメルの言う「現象から身を退く」こととイコールではないだろう。その意味合いでは作品における「後期様式」を第8交響曲を分水嶺にして、『大地の歌』以降におくことは間違いではない。寧ろそれらを「死」とあまりにも性急に結びつけることが問題なのだ。そこにあるのは第一義的には「老い」であり、一人称的な「死」についての認識は、寧ろ前提・背景、せいぜいが素材に過ぎず、実質ではない。ましてや「死」一般ということならば、マーラーにおいてそれは作品1たる『嘆きの歌』以来、ずっと扱われてきたのではなかったか?それを考えるならば、「老い」を主題化して取り上げることでマーラーの後期に関する誤解や矛盾の幾つかは解消するのではないか?

 もう一つの伝記的・実証的な資料。1907年夏のマーラーより宮内卿モンテヌオーヴォ侯への書簡と、それに対する返信である1907年8月10日ゼメリング発の宮内卿モンテヌオーヴォ侯よりマーラーへの書簡。アルマの言うところの「三つの運命の打撃」の一つであるウィーン王室=宮廷歌劇場監督辞任に関わる書簡で、後者は、後任者ヴァインガルトナーの前任地であるプロイセン劇場総監督によるヴァインガルトナー解任により、ヴァインガルトナーが1908年1月1日よりマーラーの後任となることが確定したことを告げるとともに、前者の中でマーラーが当初契約上の任期満了前の辞職に伴い希望していた幾つかの案件につき、皇帝から許しが出たことを告げる手紙であり、アルマが回想録に付した書簡集の中で過半を占めるマーラーからアルマ宛の手紙とともに幾つか収められているマーラーとアルマ以外の人間との間で交わされた書簡の遣り取りの一つである。

 マーラーからモンテヌオーヴォ侯への書簡は以下の3点についての希望を伝えるものであった。
  1. 任期満了前の辞職につき、退職時の年金額についての交渉
  2. 任期満了前の辞職につき、俸給の未払い分の請求
  3. 自分が死んだ時の、妻および子供への手当の支給
 そしてモンテヌオーヴォ侯からの返信は、上記のいずれの点についても。マーラーの希望通りに解決されたことを告げている。

 この書簡の往復によって、マーラーがウィーン王室=宮廷歌劇場監督を辞して後、老後の備えとともに、自分の死後の準備についても怠りなかったことを窺い知ることができる。特に前者のマーラーの書簡は、マーラーが冷静で現実的な交渉者であったことを如実に窺わせるに足る。尤もマーラーが劇場とのやりとりにおいて、人によっては「策士」「策略家」という形容をする程に、職を辞するにあたっても衝動的に辞めてから次を探すなどもっての外(とはいえ、そうしようと思えばそうできる程の稼ぎはあった筈なのだが)、常に事前に次の契約を獲得していたのは若き日からの常であって、だからその点について特殊な訳ではない。特にこの遣り取りの中での2点目の補償について等であれば、例えばハンガリー国立歌劇場を辞する際にも、残された契約期間に受け取れたであろう額が支給されることを求めて認められたりした経緯もあるわけだが、ここでは第3点目として自身の死後についての項目が挙がっている点でマーラーが「老後」「死後」を見据えていたこと、ということは即ち、マーラーの「老い」についての意識に基づく行動を、はっきりと、かつ客観的な事実として告げている。

(2022.12.7-8 公開, 2023.3.16改稿, 2025.2.7 補筆)

2025年2月2日日曜日

備忘:マーラーの音楽における「老い」についての論考に向けての準備作業(7)(2025.2.2 更新)

 以前、通常ならそこにマーラーの名前を見出すことを人が期待することがなさそうな2つの重要な著作、即ちジャンケレヴィッチ『死』とドゥルーズ=ガタリ『千のプラトー』の中に、マーラーの名前が見出され、更にそのいずれもが『大地の歌』への参照を持つことに気づき、備忘として書き留めたことがある。ここで取り上げるジャンケレヴィッチの『死』の方は、高校生の時から知っていたこともあって以前より手元にはあって通読したこともあり、実は『大地の歌』への言及があることも当然認識はしていたのだが、これも別の雑記めいた文章に書き留めたことがあるけれど、その終わり近くに結論めいた形で語られる事実性に依拠するような発想に対して、最初こそ期待できる拠点として検討をしたものの、検討を経るに従って次第に反撥を覚えるようになったという経緯を持つ。更に言えばまずその文体に耐え難さを感じてしまうこともあって、それ自体を主題として論じうるような読解ができず、上述の備忘を記すのが精一杯なのが正直なところであるし、辛うじて読み取れた範囲でも、その見解については直ちに幾つもの疑問が浮かんでしまうような対象ではあるとはいえ、マーラーについて流布する言説の多くが前提としている或る点に対する留保を感じているような場合には、その論点について考える上で貴重な参照点となりうるため、上記指摘に留まらず、もう少し詳細な検討をしたいと考えてきた。 

 マーラーの後期作品を「老い」という観点から理解するというここでの企図の着眼点は、マーラーの長くはないけれどそれでももう1世紀を超える受容史の中にあって、マーラーの後期作品が常に「死」との関りにおいて論じられてきたのに対し、「死」ではなく「老い」との関りにおいて論じるのがより適切であるという仮説に集約される。従って従来のマーラーに関する言説においては周縁的な位置づけを持ち、だが『大地の歌』への言及を含み、かつ「死」について扱った著作であるジャンケレヴィッチの『死』は恰好の出発点といえるのではなかろうか。実際、ジャンケレヴィッチの『死』は死そのものと同様、その手前と向こう側についても延々と語っており、その中で勿論「老い」についても「死の手前」の中の一つとして論じている(ジャンケレヴィッチ『死』, 仲澤紀雄訳, みすず書房, 1978, 第1部 死のこちら側の死, 第4章 老化)。

 だが結論から言えば、あくまでもそこでは「死」が主題であることを思えば無い物ねだりとは言い乍ら、やはり「老い」そのものについて論じているとは言い難く、勿論こうした次元での「老い」は直接には「現象から身を退く」ことをその定義とする「後期様式」とは無関係であるということになろうし、こうした次元の「老い」と切り離してそれらを論じることは、こちらはこちらでもともとのゲーテの言葉を軽んじていることになりかねない。従ってそれは自ずと、ジャンケレヴィッチの「死」についての思索に基づき、それを踏まえ、継承・展開するかたちでマーラーと「老い」について考えるということにはなり得ず、ジャンケレヴィッチの言明に対する異議申し立てを含まざるを得ないから、寧ろそれを反面教師として、マーラーと「老い」の関係についての視座を獲得することを目的としたものにならざるを得ない。ここで企図しうるおとは、あくまでもジャンケレヴィッチに対する批判ではなく、ジャンケレヴィッチの『死』における「老化」に関する叙述を細かく検討することを通じて、マーラーの後期作品、アドルノがジンメルを参照しつつ、ゲーテの箴言にある「現象から身を退く」という言葉によって定義づける作品(その中には、『死』で言及される『大地の歌』も含まれるわけだが)について適切な視座を得る手がかりとすることであろう。

 実際後述の通り、ジャンケレヴィッチの『死』の中には「老い」についての章さえ存在するのだが、「別れ」というテーマに関する部分での『大地の歌』への参照とは一見して無関係であるように見え、その限りでは寧ろこれまでの「死」と結び付けて捉える発想の一例として扱うことさえできるかも知れない。「別れ」というテーマに関する部分でのみ『大地の歌』が参照されていることは決して偶然などではなく、「老い」ではなく「死」に関連づけて捉えるという発想との必然的な連関の中で捉えられうるに違いのであれば、マーラーの後期作品が常に「死」との関りにおいてのみ論じられ、「別れ」のモチーフも専ら「死」に関連づけられてきたことに対する批判を、ジャンケレヴィッチの著作の批判的読解を通して試みることが可能であろう。

 そこでここでのアプロ―チとして、一旦『大地の歌』への言及がある箇所から離れ、まず「老い」についてのジャンケレヴィッチの扱い方、特に「老化」をこの著作全体の主題である「死」にどう関係づけるかの具体的様相について、些か些事拘泥的と受け止められるかも知れないような祖述的な(だが同時に批判的な)読解を試みる。多分に主観的に私の場合にはそうせざるを得ないという面を否定する気はないが、彼のトレードマークであり、人によってはそれに魅了されることもあるらしく、「交響曲」に喩えられることすらあるらしい、その華麗なレトリックと重厚な論述のスタイルについては、敢えてそれに逆らった読解を行って、その修辞に埋もれがちな「老い」の扱い方を最大限批判的に整理し、その確認結果を踏まえて、『大地の歌』への言及の部分の理解を試みるというやり方を取ることにする。

*  *  *

「老化の中に死すべき運命の徴候と死そのものの前駆症を読み取ろうという誘惑に人は駆られる。」(ジャンケレヴィッチ, 『死』, 仲澤紀夫訳, みすず書房, 1978, p.202)

 とジャンケレヴィッチは「老化」の章を始める。この「老化」の章は彼の「死」についての浩瀚な著作の中で、第1部 死のこちら側の死 の末尾に当たる第4章に位置している。そして直ちに「老化は、一種の稀薄にされた死、引き延され、間隙の次元にまで拡大された瞬間ではなかろうか。」(同)と言い替えて見せる。例によってジャンケレヴィッチのこの問いは多分に修辞的なものであり、従って直ちに矛盾なるものが指摘され、結局は否定されることになるのだが、そこで指摘される矛盾とは、半分はレトリカルで「ためにする」もの、つまり逆説を提示してみせようとする身振りそのものが生み出したものに過ぎないように見える。従って当然、ジャンケレヴィッチ自身はそれを逆説と言い、矛盾と言うのを止めようとはしないのだが、実際にはそれは矛盾などではなく、生の時間の把握におけるミクロとマクロのレベル、より正確には論理のオーダーの差に拠るものと考える方が事象に即した捉え方なのではなかろうかという疑問が直ちに湧いてくる。

「(…)各瞬間ごとにわれわれを実現するものは、各瞬間ごとにわれわれをすこし死に近づける。それは衰頽が人生の第一の段階に続く第二段階として生長に続くからではない。可能性が現存と化することが、すでにそれ自体において、一つの衰頽というべき到来なのだ。」(同)

 従ってそのレトリックは措いて結論だけとれば、そして更にここでは「老化」でなく「死」こそが主題なのであって、その限りで「老化」の側について過大な要求することが無い物ねだりであるという点を一旦措いてしまえば、「老化」と「死」とが区別され、異なったものとして捉えられるという点自体に問題があるわけではない。

 とはいえオーダーの問題は取るに足らないというわけではなく、既に述べたとおり、「老化」が(「死」がどうであるかについての吟味は一先ず措いて)セカンドオーダーの、複合的・雑種的な側面をもった事象である点を踏まえるのは重要で、ジャンケレヴィッチの記述を文字通りに受け取るならば、

「衰えの眼には見えない前駆症、ごく遠い先の老衰に前駆する予兆は、原則として、ごく初期の幼年時代においてさえ読み取れるものであろう。」(ジャンケレヴィッチ, 『死』, 邦訳, p.203)

というコメントは、一旦は区別した筈のオーダーの違いを自ら無視してしまっていることになっていて読み手の困惑を誘う。ジャンケレヴィッチの記述を文字通りに受け取るならば、例えばホワイトヘッド的なプロセス時間論の文脈での以下の指摘に対応するような水準での検討が必要となる筈ではないか?レトリックのレベルとは別に、ジャンケレヴィッチの議論はしばしば形而上学的な水準の議論と、具体的な生物学的・生理学的水準の議論との間を余りに融通無碍に行き来する感じを否めない。

「(…)われわれは実体・対・属性という永遠的客体に関わる論理を事象の論理と混同し、ここにおいて対象の生成を考えてはならない。常識が陥りやすいかかる考想は、確定的な部分事象の連なりの中で生成を考えることになるから、一事象の生成の時間をとらえることはできない。事象連鎖を通じての生成は、いわば事象の生成にもとづく生成であり、これについての問は論理学的に第二次(セカンドオーダー)の問いなのである。」(遠藤弘, 「時の逆流について(『フィロソフィア』72 所収)」,早稲田大学哲学会, 1984 )

それは「老化」に関する以下の説明からも読み取れる。

「老化した組織が損失を償うのがしだいしだいに難しくなり、損傷を補うのがますます遅くなるように、同様に、(…)」(ジャンケレヴィッチ, 『死』, 邦訳, p.204)

そもそもここでは転倒が起きていて、にも関わらずその転倒した状態で論理を組み立てようとするからこのようになるのであって、本来ない問題を作って、そこにアポリアがあり、パラドクスがあるかの如き議論をしようとしているように感じられてしまうのではないか。

実際には「老化」は、例えばシステム論な立場からは、以下に見るように「生物がもつロバストネスの変移と崩壊」と定義されるのである。

「(…)以上のように、老化という現象には、「階層構造」と「時間」のファクターが組み合わさり、時間軸方向には決定論的にふるまうが、ある時間の断面では確率論的である、という複雑な性質があります。このような複雑な現象を示すシステムとして生物をみた場合に、老化の本質はいったいどのようなものと考えられるのでしょうか。(…)システムの特徴の一つに、「ロバストネス」(頑健性)」という工学用語で表されるものがあります。生物学的な用語でいえば「ホメオスタシス(恒常性)」となるでしょう。(…)システム全体に負荷がかかった場合でも、それを元の状態に戻そうとする能力、それが「ロバストネス」なのです。(…)こうした議論をとおして北野所長とたどり着いた考えは、「老化」は、ロバストネスが変移して、最終的に崩壊する」過程であるというものでした。つまり老化の定義は、「生物がもつロバストネスの変移と崩壊」だと。単なる崩壊ではなく、「変移と崩壊」というところに注目してください。歳を取っても人の体はロバストなのです。(…)ロバストであることに変わりはありませんが、定常の位置が推移していきます。だんだんずれていって、最後に全体としてシステムのロバストネスを保つことができなくなるとついにシステムが崩壊する、つまり「死」に至る、ということになります。」(今井眞一郎『開かれれたパンドラの箱 老化・寿命研究の最前線』, 朝日新聞出版, 2021, pp.229-30)

 後に見るように、ラプソディックなジャンケレヴィッチの言明を辿っていくと、実際には彼もこれに近い考え方をしているのではと思わせる箇所にも行き当たるのだが、それを踏まえればここで「…のように」の部分で持ち出された事柄の方が定義の本体なのであって、その点の履き違えを元にレトリックを弄しているだけという感覚を否み難く持つことになる。(勿論、ジャンケレヴィッチに与する人は、それは立場の違いに基づくもので、言いがかりの類であるとして退けるのであろうが。)

 だが恐らくはシステム論的な理解とは別の了解に基づいているらしいジャンケレヴィッチはこのようにコメントする。

「生物学上の疲労と生命の躍動の衰頽だけでは、これを説明するのにかならずしも十分ではない。」(ジャンケレヴィッチ, 『死』, 邦訳, p.206)

「かならずしも十分ではない」のは文字通りにはその通りであり、別に間違っているわけではない。しかしことこの文脈に即した限りでは、それはそもそも倦怠の経験と「老い」をジャンケレヴィッチが不適切な仕方で結びつけたからに過ぎない。更に

「生物学上の若返りの秘密が発見されたとしても、わたしはなお老化することだろう。諸器官の老化が抑制されあるいは遅らされても、年月と記憶の重さはわれわれをいっそう老化することだろう。」(同)

というのはいただけない。ここでは永遠的客体と事象のオーダーの差ではなくても、「疲労」とか「倦怠」の分析が適用可能な時間性のレベルと、「老い」を論じることが適切な時間性のレベルの不当な混同がまずある。確かに、個々の器官の水準と、全体としての個体の水準のレベルの違うというのはあって、疲労が主として前者の水準で論じるのが適切なのはその通りだろう。だがだからといって個体の老化が諸器官の老化と独立のものであろうはずがない。一体ジャンケレヴィッチは「われわれ」がどんな基盤の上に立っていると思っているのかを問いたくなってしまう。レベルが違えばそこには断絶があって無関係であるという論理の独り歩きが自ら問題を正しく捉える途を閉ざしてしまうのだ。(もう一つ言えば、この言及は、主観的で一人称的な体験を含むはずの「疲労」の経験を、客観的、科学的な水準の話にすり替えているのでなければ、いつの間にか横滑りしている点でもいただけない。これがジャンケレヴィッチのオリジナリティであるレトリックに由来するものだと言い募るであれば、そのオリジナリティは議論をまともに行えなくする原因であるとして、その価値に留保を付けざるを得なくなるのではなかろうか?)

 結局のところジャンケレヴィッチは「死」のみならず「老化」についても形而上学的に取り扱おうとする。それは以下のテーゼにおいて明瞭となる。

「われわれを老化させるのは、純粋状態の”時”だからだ。」(同)

 私は「時」は常に具体的な相を持つものであり、純粋状態というのは抽象だという立場なので、そもそもこのテーゼとは相容れないが、ジャンケレヴィッチがそのような手つきで「老化」に見ようとしているものを可能な限り救い出すように努めてみよう。では「純粋な時」の内実は何か?

「純粋の時、つまり漸進的な感覚の荒廃、あらゆる面での新鮮さの枯渇、あらゆる躍動、情熱、確信の鈍化、純潔さの消耗だ。」(同)

ということで、一般的ではあるけれど、寧ろ極めて具体的な意識の状態が列挙されている。そしてそれを是認するように

「なるほど、意識の経験は、一つの恒常的な経験だ。」(同)

だがその続きは「たそがれ」と「秋」とが「憂愁にたえず素材を供給更新する。」となって「恒常性」というのは(意識の存続の期間をその中に含んでしまうような長期に亙る)絶えざる反復であるとされる。そしてその果てには(さっきはそれで尽くされることはないと言ったばかりなのに)再び「疲労」が参照される。

「疲労の曲線には上昇下降の間に最高潮があるが、器官の老衰の図式あるいは縮図もそのようなものではないだろうか。」(同)

 だが(またしても、だが結論だけ見れば正当に思われることに)結局、この繰り返し・反復への依拠もまた放棄される。結局「老年」は一回切りの経験とされるのである。これが「われわれを老化させるのは、純粋状態の”時”だからだ。」というテーゼとどういうふうに接続されるのかが気になるところではあるが、それは一旦措いて更に彼の論理を追ってみよう。

「自然における衰頽は、悲しいかな、まことに真剣で、まったく詩情に欠けている。この衰頽は、ただ単に逆行不可能なだけではなく、その上決定的なものであり、とくに一回限りのものだ。」(同書, p.207)

要するに「疲労からは回復するが、老いからの回復はない」と一言言ってしまえば済む話なのだ。だがここにもスケールの、レベルの混同がある。「漸進的な感覚の荒廃、あらゆる面での新鮮さの枯渇、あらゆる躍動、情熱、確信の鈍化」という意識の経験の水準では、一時的にそれが中断し、或いは恢復することすらあり得るだろう。老いが一回性で、不可逆であるとするならば、そうした認識は別のスケールで行われているというべきなのだ。従ってジャンケレヴィッチの議論は、その指摘のある部分の妥当性にも関わらず、論理的には破綻していると言わざるを得ないだろう。

 繰り返しになるが、ジャンケレヴィッチの「老年」に関する主張そのものは、実際にはシステム論的な定義に対立するものではないし、それは器官レベルとは異なるレベルで把握されるものであるというのも間違いではないし、一回切りというのも間違っているわけではない。だがそれは器官レベルと無関係ではなく、寧ろそれに基づくものでなくてはならないし、また「意識の経験」なるものをそれと独立のものとして特別扱いするのはおかしい。「意識の経験」は実際には、それがダマシオの言う中核意識ー中核自己、現象学的な第i一次把持に関わるレベルであれば、器官レベルと同じ水準で捉えられるようなものであり、寧ろ「老化」はそれを超えたダマシオの延長意識ー自伝的自己、現象学的には想起と予期の水準である第二次把持、更にはスティグレール(およびユク・ホイ)の言う第三次把持が関わるような、技術的・文化的・社会的に規定される水準に関わるのである。そして「一回性」というのは、このレベルで言いうるものであって、そのレベルが、生物学的システム論的には、器官のレベルとは異なるレベルでの「生物がもつロバストネスの変移と崩壊」に対応する筈なのである。私の立場からは、実際には「生物がもつロバストネスの変移と崩壊」という捉え方の方が、一回性という意識の経験、意識にとっての見えを生じさせる根拠であって、「純粋な時」など不要だし「意識の経験」を根拠におくのは、(勿論、それを「意識」することができるのは、少なくとも延長意識を備えた生物に限られるという点はあるにせよ、あくまでも「意識の経験」は結果であって)遠近法的倒錯の産物に過ぎない。

 一方で「老化」の不可逆性について(実は厳密に言えば、その不可逆性は確率的なものであって、一時的な回復だって一定の確率で起こりうる筈なのだが)の具体的な例示については問題はない。だが「疲労」と「老化」の違いを述べながら「疲労というちいさな老年」「老年という大きな疲労」というようなレトリックを振り回すのに何の益があるのかは判然としない。「老化は時間性の病」という定義も直ちに「正常であると同時に病的なものだ」というほとんど空虚な言明に引き継がれ、「死が健康な人びとの病気であるのと同じ意味で」という比較もそうした比較に何の意味があるのか杳として知れないまま第1節は閉じられる。

*  *  *

 そして第2節が始まると「老化はわれわれにすこしずつ死をあかすというのだろうか。」と述べられているのを見て、多くの人は絶句するのではなかろうか。一体第1節のゆきつもどりつの議論は何だったのだろう?ただしこの著作は、老化についてではなく、「死」についてのものであることを思えば、老化はそれ自体が議論の対象というよりも、それを「死」に引き寄せて見たり、対比させてみたりといった気儘な操作の対象に過ぎないのかも知れないが。かくしてこの冒頭から窺えるように、第2節はほとんど「老化」に関して言えば無意味な節ということになってしまう。唯一末尾近くの

「時の展開は、存在と事物に毀損作用を働くのだから。時は分解の次元とも言えよう。」(同書, p.212)

という箇所のみが意味ある発言であるように見える。但しこれはエントロピーの増大が時間の向きであるという言明に過ぎないのだが。だがジャンケレヴィッチはこれを彼が「おおざっぱな隠喩」と呼ぶ「骸骨が老人の痩せた肉の下にしだいに見えるようになる」という表象に結びつけてしまう。そんな隠喩に勝手に結びつけるのがいけないのであって、そんな隠喩よりも「時は分解の次元」の方がよほど「老い」に関しては実質的な言明であるのだから、ここでも論理の向きが本来とは逆になっているのだ。

 だがそんなことはお構いなく、ジャンケレヴィッチはくだんの隠喩に拘って、それを延々引き摺り回した挙句、末尾の

「老化がしだいしだいに老衰する組織の中に死をますます明白なものとはしないだろう。」(同)

と、その隠喩の不適切さを論じて節を結ぶ。自分から隠喩を持ち出しておいてそれを不適切だと断じるのであれば、初めからそんな隠喩を引き摺り回す必要などないのだ。老化は、生物という物理システムの定常状態の変移と崩壊を指すのだから、死はその変移の帰着点に過ぎず、単に彼が引き摺り回す言明の言い回しが事象に即した時に不正確なだけであろう。

*  *  *

 ところが、第3節の冒頭でもまた、その不正確な言い回しを引っ張り出して批判をして見せる。そこから彼の言葉によれば「弁証法的」で「非一義的」ということになるらしい、正しい定義にようやく取り掛かる。まずは「老化は死にわれわれを近づける。」これは定常状態の変移の向きが最後に崩壊に至るものであることの言い換えに過ぎない。

「組織と血管の硬化、骨の漸進的脆弱化、心臓の疲労、そして老眼は(…)無気力の侵入の前駆兆候だ。」(同書, p.213)

 違う。それらは前駆兆候ではなくて、無気力をもたらす原因だろう。

「生命の機能が徐行し始める。」(同)

 これは定常状態の変化の向きを述べているのだとすれば彼のお好みであるらしい「隠喩」としては妥当だろう。

「細胞が老化し、動脈が老化して、毒素や毒性が長い間に毎日すこしずつ体液の科学的構成をそこねる。」(同)

一体、ここでいう毒素・毒性というのは具体的には何なのか?実は「老化」の機序は現時点でも明らかになったとは言い難く、解明が困難な問題であり続けている。それを前提にすれば、一見おおまかな把握としては妥当そうに見えるが、この「毒素」の説明が妥当だとするならばフロギストンによる燃焼の説明だって妥当だということになる。否、実際にはそんな毒素などなく、毒素が増えて行った結果死に至るという事実は確認されていないようだし(勿論、間接的に死に至る症状を引き起こす原因となりうる変化はあるし、その変化を引き起こす化学物質は幾つも知られているが、それは死の直接的な原因ではない、一義的に老化を引き起こす遺伝子というのは存在せず、個別には関与する遺伝子が突き止められているものもある様々な促進作用と阻害作用の合力の結果なのだ)、今後そのような毒素が発見される可能性も限りなく低そうだから、寧ろこの説明は端的に出鱈目だと言うべきか、百歩譲っても現時点では不要な程にまで不正確だと言うべきなのだろう。

この辺りのジャンケレヴィッチの言い回しのことごとくが、そうした歪みを持った文学的修辞に過ぎず、要するに、ジャンケレヴィッチの関心事は、老化自体ではなく、老化に纏わるレトリックの方に専ら存するのではないかという疑いが生じてくるのは避け難い。

「あたかも死の向地性とでもいうものがすでに墓へと引き寄せるかのように、あたかも自分自身の重みでもう冥界へ、大地の奥深くへと傾いてゆくように、身体自身が曲がってくる。」(同)

老化で腰が曲がり、背骨が曲がるのは、死の向地性のような文学的表現とは関係がない。それなら直立歩行に至る前のホモ属は、より死に近かったとでも言うのか?このような、読んでいて当惑を感じる他ないような記述を延々読まされると、思わずソーカルとブリクモンによる『知の欺瞞』において、判読可能な文章は一握りで、あるものは陳腐で、あるものは間違いと断定されてしまっているドゥルーズの無限小解析についての長大な記述(ソーカル、ブリクモン『知の欺瞞』, 田崎晴明, 大野克嗣, 堀茂樹訳, 岩波書店, 2000, 岩波現代文庫版, 2012, p.239~247参照)を思い起こし、それに付き合わされるのと同様に時間の無駄でしかないように感じられてしまう。勿論こちらは科学の濫用ではないけれども、その華麗な修辞に埋もれた論理を追うことがしばしば困難である点では共通性があるように感じられる。文学的な比喩表現を不要視する訳でも、否定する訳でもなく、それが適切な場面もあるだろうが、「死」との関りにおいて「老化」を把握するのに文学的な表現を幾ら尽くしても、「老化」が主観的な経験のみで尽くせる訳ではなく、客観的な事実を無視することができないことは勿論、主観的な経験にしても現象学的な水準での記述や分析の対象であって、純粋に論理的な操作や形而上学的な直観のみで扱う対象ではない以上、それによって何かが明らかになることはあるまい。言葉の上でだけ、見せかけの対立を作り出して逆説を弄び、概念を厳密に操作する替わりに横滑りさせることを繰り返したところで、それは「老い」そのものとも、「老いの経験」とも無関係な戯れに過ぎず、そこから何かが得られることはない。「死」が彼のお気に入りのテーマであり、更には彼の修辞にとって恰好の題材であるのとは対照的に、「老い」は散文的で現実的に過ぎて、「何だかわからないもの」や「ほとんど無」の、或いは「筆舌に尽くしがたいもの」についての哲学者であるジャンケレヴィッチ好みの高尚な形而上学的な直観の対象にはふさわしくないのかも知れない。

*  *  *

 そして「老化」についてのジャンケレヴィッチの議論の行き着く先は、章題にも関わらず(だが、案の定と言うべきか)「老化」についての分析ではないようだ。最終節である第4節が、「死刑囚」についての議論で開始されることがそれを端的に物語っている。「死刑囚」は勿論「老い」とは何の関係もない。そして「死刑囚」について論じることは、「老い」固有の問題ではなく、寧ろ端的に「死」について論じることにならざるを得ない。であってみれば、それを「老い」の章の最中で、しかもその末尾の節の冒頭に据えるのであれば、そもそもジャンケレヴィッチは「老い」についてなど議論する気がないのだろうと考えざるを得ない。但しここで、死刑囚が獲得する「二重の視点」「共観的」「回顧的」「第三人称的」な視点が問題であって、それを可能にする意識の構造が「老い」の認識に関わるということに限れば、これは主張として問題ないが、もしそうであるとしても「老化」とは無関係な「死刑囚」をわざわざ持ち出す必要などない筈である。だがその点は一先ずおいて先に進もう。

「老化は、限られた可能性の貯えが徐々に消耗していくことに還元されよう。」(同書, p.220)

この観点を取ることを可能にするものをジャンケレヴィッチは「超意識」(同)と呼ぶが、その定義の「生成の全体を俯瞰する」(同)というのも曖昧さに満ちた言い方で、「生成の全体」なるものが何であるかを考えれば不正確でさえあるだろう。ここでも問題はマクロとミクロのレベルの違いなのだが、「継続する出来事の後を追って地上をはい回る」(同)だけであれば、意識の中断を挟んだ過去の想起と未来の予期を可能とする第二次把持のメカニズムすらいらない。そしてここでいう「生成の全体」の生成は、例えばプロセス哲学的にファーストオーダーである無時間的「生成」でなく、事象の論理のレベルであることは、「生涯」といった言葉が論述に紛れ込んでいることからも明らかだろう。そればかりか(システム論的に定義可能な「老いそのもの」ではなく)「老い」の意識は、自伝的自己の持つ延長意識を俟って初めて可能なのだ。だがジャンケレヴィッチは結局、老年というのは生命の「色調」とやらの「質」の違いということにしてしまう。

「老年は生命力の衰頽の一つの形だが、この衰頽した生命力はそれでも一つの生きている生命力だ。そこで、老人の生命力はその量的な濃厚さ、つまり、存在の質と重さでは成人の生命力と変わらない。ただ、質が、生命の色調の特徴が異なるのだ。」(同書, p.224)

これを隠喩であると言わず、かつ「色調」がどのように定義され、計測されるかが示されることなく、「青春と老年とは、生命の色調の変形であり、質を異にする実存の様態」(p.225)と繰り返されても読み手は困惑させられるばかりである。ここで「質」を持ち出すについてはジャンケレヴィッチの独創というわけではなく、彼が依拠するベルクソンのそれに従ったものであるらしいが、結局のところ言われるのは、実際には「老化そのもの」と「老いの意識」の区別に過ぎず、ボーヴォワールなら、外から見た老いと内側から見た老いと区別するところを以下のような言い回しで述べているに過ぎない。

「老年について語るとき、客観的な系列と生きた系列を混同することは避けねばならない。前者は、たとえば癒着の時間あるいは反応の時間の延長、条件反射の緩慢化のように、数あるいは量で表されるいくつかの原因の尺度上の進展によって特徴づけられ、後者は、生きた経験の質の変化に存する。」(同書, p.225)

確かにある尺度によって測定される生体の生理的な状態と、意識によって経験されるものは異なるが、だからといって両者は無関係ではないだろう。後者は前者の影響を逃れることができない一方で、確かに後者が(つまり或る種の思い込みが)前者に影響する(体調を悪くする)ということも起きうるであろうが、老化というのは、その両方に亘る事象、複合的な出来事と寧ろ言うべきであって、ジャンケレヴィッチの区別への拘りは単なる不毛にしか通じないように感じられる。

「≪変質≫は、意識が”他者”—であって少なくではないーとなる過程だ。」(同)

というのは、他性についての定義を欠いている以上、それ固有の歪みを持った比喩に過ぎない。更に言えば、まさか老いることが文字通りに「他者になる」ことであろう筈はなく、寧ろ意識の中断を挟んだ自己同一性があること、自伝的自己を備えていることが老いの経験にとっては不可欠なのだから、ジャンケレヴィッチの比喩は寧ろ不適切な歪みを持ち込む弊害の方が大きいのではないか?

 だがそうしたことに目を瞑って、ジャンケレヴィッチの言わんとすることを捉えようとするならば、結局、彼にとって「老いとは老いの経験のことだ」ということに尽きていて、それを言うために延々と繰り言を述べているに過ぎないように見える。

 例えばシェーラーが、「年齢と戸籍とは無関係な一種の≪形而上学的≫老化」(同書, p.226)を信じていたというようなことを傍証として持ち出すが、これは老いの体験というのが、個体により、或いは同一の個体であってもその折々の心的な状態に応じてさまざまであって、前者であれば、これは老年学という社会学の分野においては「老い」の進行は確率的な事象であって、年齢に正確に対応した事象ではなく、その発現と進展には統計的な揺らぎがあるということを酷く曖昧な仕方で述べているに過ぎないと一方では思われるし、更に別の話として、生理的な老いとそれについての意識の経験とは別に、自伝的自己が持つ老いについての認識(だからそれは老いに纏わる様々な身体的・心理的事象の経験とも別のものである)というものがあって、それは年齢を問わないということであるとするならば、こちらはこちらで、これまでジャンケレヴィッチがさんざんそうしてきたように、本来区別されるべき事柄について不当に混同をすることによって可能になったレトリックに過ぎず、言葉の上のことに過ぎない。

 そしてそうした自己のレトリックに起因する混乱を脇に置いて

「老年はいつも死の逼迫接近によって測られるわけではない。近接と距離とは空間上の映像であり、社会の概念ではないだろうか。」(同)

といって、それを社会に押し付けるのは不当に思われるし、そのことを

「老年は暦の上の一つの日付にも道路の距離にも還元されないのだ。」(同)

と結論づけるのも筋違いにしか感じられない。勿論、複合的な事象である「老い」には社会的な側面が存在するのは確かなことであり、だからジャンケレヴィッチがそれを「社会的」測定から引き離そうとするのはそもそも無理筋というものだ。確かに「老い」が暦という人間の生理的なリズムとは異なった、天文学的な基準によって定義された尺度と無関係なのもそれ自体は正しいし、更に言えば、そうした暦が社会的なものであるということもまた正しく、その限りでは妥当であるが、だからといって、そのことから「老年」が社会的なものでないということは導かれない。ここの言明の間を結びつける論理については、ジャンケレヴィッチのそれは曖昧なレトリックに凭れ掛かった言葉の上だけの遊びであって、事象に即して言えば出鱈目であり、ナンセンスであり、全く間違っているという他ない。恐らくここで言いたいのは、要するに「老いの経験」は主観的な経験なんだから、外からは測定できないのだという、如何にも亜流ベルクソン的な発想に基づく主張なのだろうが、これだけ贅言を尽くしてなお、それで結局「老い」とは何に基づく経験であって、結局のところこの浩瀚な著作の主題である「死」とどのような関係にあるのかについての議論は、さっぱり深まっていないように思われるのは錯覚なのだろうか?

 実際には彼の、およそ適切とは思えない用語法では「超意識」と呼ばれるもの、現象学的には第一次把持に相当するダマシオの言う「中核自己」のレベルを超え、「自伝的自己」による俯瞰を可能にするのは、一方で彼が「共観的」「第三者的」という言い方をしていることから窺えるように、まさにそちらの方が社会的であり、現象学的には第二次把持のみならず、スティグレールやユク・ホイが言う、第三次把持がテクノロジーに基礎づけられているという事実、或いはアンディ・クラークが言うように、今日の人間は生まれながらのサイボーグであって、言語も含めた技術的補綴によって成り立っているという事実に基づいているのだし、そうしたテクノロジーの侵入を措いたとしても、「超意識」はそれ自体の発生において、そもそも社会的に基礎づけられたものなのだから、ジャンケレヴィッチの主張は支離滅裂にしか映らない。それは自分の背中を見ることができず、自己が成立する以前の、自己が如何にして成立したかの機序について「知りえない」とする(スティグレールやユク・ホイ、クラークの名誉のために付け加えれば「かつての」)哲学者の野郎自大が齎した歪みが露呈しているに過ぎないのだ。

 だがなおも「老いの意識的経験」に拘るジャンケレヴィッチは「動物は衰頽するが、自分自身の衰頽には立ち会わない。」(同書, p.229)といった主張をしてみたりもするが、これは事実の問題として、動物学の領域では今や人間の側の傲慢さに基づく先入観に侵された不当な断定として問いに付される主張だろう。動物の方はあくまでも話の枕で、人間が「超意識」を持っていて、その「超意識」が老いにとって重要だというのなら、それは別に構わないのだが、だからと言って、今度はその意識について

「老いるという意識は、したがって、厳密に言えば、直接の経験にも推論にも由来するものではない。」(同書, p.230)

などと主張されると、一見当たり前の事を言っているように見えるこの主張の真意を測りかねるということになる。実際にここで言われているのは、老いの徴候とされる、様々な観察・観測の結果は、それが老いの徴候であるという解釈が先行的にあって、観察結果について判断し解釈する主体(老人自身であれ、医師であれ、或いは介護レベルの認定をおこなう行政の担当者であれ)があってのものであるという、ごく常識的なこと以上のものではなさそうにしか見えない。そして一般的にはそうした水準で、推論に基づいて要介護度の認定が行われ、認知症の診断が行われているのである。私はその場に立ち会った当事者の一人だから、その経験に基づいて言えば、勿論、主体に対するインタビューも欠かさず行われていて、主体の証言も記録はされるが、それを文字通りに受け取ることが、主体の内側で起きていることを正しく判断することに繋がらないこともまた、現場では常識レベルのことであって、結局のところ解釈や推論抜きで「主体」についての真実を見出しうるというのは、本質的に関主観的で対話的な存在である筈の主体自身にとっても幻想に過ぎないのだ。にもかかわらずジャンケレヴィッチが以下のように言うとき

「(…)居眠りが繰り返されることや、固有名詞の忘却、視力の減退、階段を昇るさいの困難の増加などを老化の徴候と解釈する主体を無視した推論については、象徴にもとづいて意味を結論するそのような抽象的推論は、それだけではわれわれを説得にするのには十分ではない。」(同)

彼は「われわれ」の中に自分自身以外の誰を含めて想定しているのだろうか?権利上、それが自分が理性的存在者の代表であり、理性的存在者は皆自分のように考えるという哲学者のお目出たい傲慢さでないとしたら、彼の恣意で決定できるような誰かが彼以外に他にいるのだろうか?この言明は、「いや、私にとっては十分に説得的ですよ。」という反論にどう答えようとしているのか?いや、これは哲学であって実証的な科学ではないから、事実水準の話ではなく、権利水準の話をしているというなら、それならそれでつまるところ、この言明によってジャンケレヴィッチは何を表明したいのか?

 だがここでは「老い」を取り上げるのが最終目的であって、ジャンケレヴィッチの著作を吟味すること自体が最終目的であるわけではないから、その点について目くじらを立てるのは程々にしよう。

「衰頽は誠実な直接の経験というよりは、むしろ一つの解釈であり、一つの判断なのだ。」(同)

と、この言明自体は全く問題ない。そう、繰り返し述べているように、「老い」というのは複合的で雑種的な事象なので、それを直接測定できる指標が存在するようなものではないから、その限りで解釈や判断の結果であるという主張自体には特に問題はない。そして恐らくその点において「老い」は「死」とはやや性格を異にするのであろう。勿論、生死の判定に纏わる様々な困難は、それらもまた「老い」のように解釈や判断に委ねられる側面を持つことを示唆しているけれども、だからといって「老い」がそうであるのと同様にそうであるとは言い難い。「老い」の厄介さは、そのシステム論的定義を改めて確認し直せばわかることだが、それが非常に複雑なシステムの「定常状態」の変移という非常に巨視的な仕方でしか定義できないという点にあり、なおかつ、その変移について、系自体が崩壊する方向に向けての変化という仕方で定義されるのであって、崩壊そのものの程度(こちらは「老い」でなく「死」への接近の度合いという意味合いを持つだろうが)で測られるものではないことに存する。なおかつその過程は現実の個々の事例について言えば確率的な揺らぎの中にあって、必ずしも単調な変化ではなく、複雑な軌道を持ちつつも、最終的には系自体が崩壊するに至るように方向づけられた過程なのである。

 ジャンケレヴィッチも勿論そうした複合を無視しているわけではないから、「老い」を複合的な原因を持つものとして捉える言明と解釈できそうな言明が登場しはする。

「正常な状態では分離されているこのような経験とこのような観点とが互いに干渉し合う時、老いるという意識が生ずる。」(同)

ここで「このような」とは、「客観的観点は生きるべき期間の有限性を認めることができるが、その有限性をただ他人にとってのみ有効な真実とみなしたがる。生きた経験は、自分にとって有効だが、死を受け入れない。」(同)という観点と経験の謂いである。

 だがこれもまたごく平凡に、既述の老いの定義に纏わる厄介さについての言明の言い換えの類に過ぎない。生とは散逸系である生物学的なシステムが存続する「定常状態」のことであり、動的不均衡の中で、準安定的な状態というのが維持されているわけだが、ここでいう客観的観点の側は、その安定状態が、軌道を描いて変化しつつ、最後は崩壊する過程の外部からの観測であり、ここでいう生きた経験の方は、そうした系自体の内部からの観測のことを言っているのだから、結局この言明も構造的には何ら新しいことを言っている訳ではなく、「生理的な老いの過程」と「老いの経験」の複合が「老いの意識」を生み出すと言っているのであって、その限りでは構図は問題ないが、だがジャンケレヴィッチの文脈におけるその実質は、またしても疑わしい。外部からの観測と内部からの観測における差異が問題であるとしてなぜそれが「生の有限性」についてでなくてはならないのか?確かに老いの認識は生の有限性の認識でもあろうが、それだけではないし、寧ろ生の有限性という「死」に関わる側面以外の部分こそが「老い」固有のものなのではないのか?だとしたら、そこにはここででっち上げられたような観点と経験の干渉などありはしない。寧ろ単純に両者が相俟って「老いの意識」が生じるというだけで十分ではないか。

 実際にはその後しばらくのジャンケレヴィッチの叙述はようやく「まともな」ものになるかに見える。まずはベルクソンを参照し、

「感覚の質の変化が刺激の増大の尺度に度合いも進展度もすこしも反映しない」(同書, p.231)

点を述べる。これは特に問題ないし、

「記憶は大脳におおまかに依存するが、回想は大脳皮質のそれぞれの場所に文字どおり位置づけられているということはなく」(同)

というのも、或るタイプの記憶の想起を支える機構の説明として問題ない。(なぜそれが併置されるのかの論理、或る種の記憶と想起のメカニズムの非局在性が、この際どういう関係があって言及されているのかについては目を瞑ってしまえば。それはベルクソンの元々の言明とも関係なければ、老いとも関係ないから、これは奇妙にしか映らないのだが…)そして、

「人の質的老化が毎日詳細にわたって人生途上の進展をそのま訳出しているというのも真実ではない。詳細にわたってというのは真実ではないが、おおまかに、間接的にというのは真実だ。」(同)

というのも問題ないだろう。老いという定常状態の軌道は(数学的な意味で)単調に崩壊に向かうわけではなく、揺らぎをもって、確率的に動いていて、その軌道というのは粗視的に見た時に浮かび上がってくるものなのだから。

 一方で、「老い」の自覚は、そうした連続的な過程の非連続的な感受に基づくものであるというのもまた、それ自体は正しいだろう。それゆえ、ボーヴォワールの『老い』においても印象的な仕方で繰り返し語られるように、「老い」とは或る日突然に自覚されるものでありうるわけだ。

「身体の連続的変貌は時を隔てて、つまり、間歇的、不規則に意識に現われる。老化は漸進的なものだが、老化の意識はそうではない。」(同)

その通り。但し、老化自体が確率的な過程であることと、老いの自覚が突然に生じることは、厳密には区別されるべきだろう。前者によれば、若返りの自覚というのも時として可能ということが帰結し、実際にしばしばそのような経験は生じるであろう。寧ろ逆に、揺らぎを孕みつつ、エントロピーの増大という熱力学的過程に従うかのように巨視的には崩壊に向いた過程であるということが、間歇的・不規則な内部観測における老いの自覚に繋がっているのだから、ここにも避けるべきレベルの混同の嫌疑が生じるような書き方に眉を顰めざるを得ない。とはいえ、言明自体はここについては適切である。

 だがもう良いだろう。ジャンケレヴィッチの「老化」の章の結論部分においては、「感得」がキーワードであり、その点について確認することでジャンケレヴィッチの議論の要点を確認することができるだろう。そしてまた、この「感得」こそが、ジャンケレヴィッチにおいて死と老化を関連付けて論じることを可能にするポイントでもあるだろう。

「”真に受けること”にほかならないこの自意識、男も女もはじめて時の消滅に気づく老化の意識をわれわれは≪感得≫と呼んだ。感得は生きた時と鳥瞰した時の最初の出会いだ。」(同書, p.233)

ということは、基本的には内部観測の結果と、外部観測の結果の突合こそが老化だということで、これは数ページ前に述べられていたことの繰り返しに≪感得≫というラベルを付けたということになる。そして≪感得≫についての3つの相というのが再び確認される。ところがここでの言い回しからわかるように≪感得≫はもともと「老化」について導入されたのではなく、まさに本題である「死」について導入されたのだ。それを事も無げに、断りもなく「老化」に適用してしまって構わないのだろうか?

 その是非を措けば、そうした挙措はジャンケレヴィッチが「死」と「老化」の関係をどのように捉えているかを問わず語りに告げているということになるのだろう。そして実際、そこでは「老いてゆく人間」が主語の場合でも、「老い」ではなく「死」との関係が論じられてしまう。曰く、

「老いてゆく人間は、感得することによって、予告と自分自身の死の結びつきを把えないならば…」(同書, p.234)

或いは、 

「年老いてゆくものが、自分自身の死の日(時計上の時・分、暦上の何日)を文字どおり知るのではなく、死の近いことを強烈に経験するのだ。」(同)

従って

「≪感得≫のこれらの三つの相は、老化の経験においては、もちろん互いに切り離すことができない。」(同)

という言明の当否に依らず、ここでは「老い」そのものではなく、「老い」における「死」が問題になっていて、最早「老化」そのものについての議論は終わっているということに読者は気付かされることになるのだ。この言明以降、この節の末尾まで、ということは「老化」と題された章の末尾まで、ということでもあるのだが、とうとう「老い」という言葉は全く出て来なくなり、ひたすら「死」の≪感得≫について語られるばかりである。だが、その末尾までの言明を見て、一体それが「老化」とどう関わるのか、訝しく思う人がいても不思議はない。そこに書かれているのは、この節の冒頭の「死刑囚」の話がそうであったのと同様に、「老いてゆく人間」にのみ専ら関わることでもなく、「老い」と独立に論じることができることなのである。振り返ってみれば、「老い」についての議論の末尾で客観的な知識なり認識なりと、生きられた経験の相互干渉が「老いの意識」を生み出すとされたのであったが、結局のところそうした知識を一人称的に”真に受けること”が「死」についてと同様「老い」についても重要なのだということがジャンケレヴィッチの謂わんとすることなのかも知れない。

 だがもし仮にそうであったとして、「死」とは異なった「老い」の経験自体、「死」に対する「老いてゆく人間」ではなく「老いてゆく人間」が「老い」そのものにどう対するのか、「老い」固有の悲劇性がそこにあるのではないかという疑問についてジャンケレヴィッチが答えてくれることは期待すべきでないだろう。それは自ら引き受けて、自ら答えていくべき問題なのだろう。ボーヴォワールの『老い』は例外的に老いそのものに正面から立ち向かった試みであるが、その中でアンガージュマンの人らしくボーヴォワールが告発するように西洋の文化や社会は「老い」について正面から取り組むことを避けてきたのではないか?「死」についてはあれほど饒舌で、「死」についての著作なら古今を問わず汗牛充棟の状態であるのに対して、「死」そのものでもなく、「死」の前駆でもなく、直面することを強いられる「老い」そのものについて語られることが何と少なく、「老い」の議論がいとも容易に「死」についての議論にすり替えられてしまうことか…そしてそのすり替えの、まさに典型的な例をジャンケレヴィッチのこの著作に見出したような気がする。

*  *  *

 ここからは急ぎ足で、これまでの「老化」についてのジャンケレヴィッチの記述の追跡の結果を踏まえて、改めて『大地の歌』への参照箇所についての検討を行ってみたい。『大地の歌』への参照は、第2部 死の瞬間における死 の第3章 逆行できないもの の掉尾を飾る第9節 訣別。そして短い出会いについて で行われる。ここで直ちに気になる点は、第2部がその看板が示す通り、死の瞬間のみについて語るのだとすれば、逆行できないものというのはそもそもナンセンスということになることである。実際、それは先行する第2章で、ほとんど無 について語る時、既に、厳密な意味合いで瞬間に属さないものが密輸されているところから破綻していて、第3章は更に大胆に、実質的には再び「老い」について語り直しているようなものだ。

 そもそも「老い」について語った時、老いこそが一回性で、不可逆であると言っていたのではなかったか?だとすれば、その構成上の位置づけにも関わらず、『大地の歌』への参照は、実際には「死」そのものよりも寧ろ「老い」について語る文脈において行われているとさえ言い得るのではなかろうか?そして実際、第9節 訣別。そして短い出会いについて は冒頭でいきなり

「だが、この償われない喪失が人を慰められないままに残すとしても、老いてゆく人間がまったく補償に欠けているというのではない。」(同書, p.351)

と、老いにおける「補償」について語りだすのを見ると、それは確信に近いものになる。

「別離という数多くのちいさな死が、死という大きな別離の楕円を形作っているからだ。」(同書, p.352)

というレトリックも既視感のあるものだ。果たして老化について語っていた時には「疲労というちいさな老年」「老年という大きな疲労」というようなレトリックを振り回していたのである。しかもここでの「告別」は、火星探査を引き合いに出して語られるのである。この点は決して取るに足らないことではない。アドルノが宇宙飛行士の見る「地球」についてまさに『大地の歌』に関連して述べていたことを思い起こし、火星への植民をビジネスにしようというイーロン・マスクが使い捨てのロケットではなく、帰還して再利用ができるロケットの開発をしていることを思い起こしてみるがいい。ここでのジャンケレヴィッチの主張のポイントは、「死」は一回性のもの、不可逆なもので、死の瞬間の近傍のトポロジーは、彼自身の著作の構成を裏切っていて、死のこちら側と死の向こう側は対称ではなく、(そういう言い方をするならば)「死出の旅」は片道であることが「告別」の持つ意味合いを、一時的な別れとは全く異なるものにするという点に存する筈である。寧ろ、死のこちら側というのは、死の「手前」というのが適切であって、かつそのトポロジーを決めているのが「老化」である筈なのだ。当然だが、「告別」は死の手前で為される。であるからには、一回性の、一度限りのそれは寧ろ「老い」に固有のもの、寧ろ「老い」に帰属させるのが妥当なものではなかろうか。

 そして悲劇性についても、ここでは「不在に先行した別離は悲劇性そのもの」(同書, p.353)と言われているが、「老化」に関しては、

「≪悲劇的なもの≫とは、人を突然≪老化した≫状態に置く一連の状況の名だ。」(同書, p.217)

と言われていたことを思い起こすべきだろうか。ジャンケレヴィッチお得意のレトリックを剥がしてしまえば、これはボーヴォワールが『老い』の第2部 世界内存在 で扱う、老いの認識に関わるのであり、老化を突然自覚することに関わる筈である。勿論、老いの自覚は「告別」によってもたらされるとは限らない。というより寧ろ、「老い」の自覚に導かれて人は「告別」をするのではなかろうか。「告別」が人を「老化」させるのではないが、「告別」は老化の自覚なしにはありえない。老いの自覚は、「自己」というある種の「定常状態」の行き着く先が「自己」の崩壊であるということの自覚、自分が下り坂、梯子の降りる側にいるということの自覚なのであって、その不可逆な過程の先にあるものこそ「死」なのであり、それゆえに「告別」は悲劇的なものになるのだという常識的な見方の方が、告別の悲劇性の拠って来るところを正しく捉えているのではなかろうか?

*  *  *

 おまけとして、当該の節のタイトルの末尾に付加された「短い出会い」についてはどうか?『大地の歌』の「告別」について言えば、確かにそこでの告別は、短い出会いにおいて為されているように見える。一緒にいるわけではない友人に別れを告げるために、わざわざ出会いが設定されるという構図は、だから『大地の歌』でも成立していることになる。だが、その内実はここでジャンケレヴィッチの言う通りだろうか?「告別」のテキストが、マーラー自身が2つの詩を継ぎ合わせたものであることにまず注意しよう。ベトゲの元の詩のみならず、さらにベトゲのNachdichtungの典拠である王維と孟浩然の詩もまた、「告別」の設定そのものでなくて、なおかつそちらであればそれぞれにジャンケレヴィッチ風の「短い出会い」が適用できたかも知れない。だが、マーラーの作品のテキスト自体はどうか?ここで思い浮かぶのは、友人に関するドゥルーズ=ガタリの奇妙なコメントだろう。寧ろドゥルーズ=ガタリの方が、マーラーが「告別」の楽章に施した錯綜とした操作の帰結を捉えている可能性すらあるだろう。更に言えば、元々の孟浩然の詩、王維の詩の「別れ」は「死別」なのだろうか?「別れ」のための「短い出会い」については認めたとして、それはジャンケレヴィッチがこの節で述べているような「死」を前にしたものだったのだろうか?そしてそれとは別に、ベトゥゲのNachdichtungを素材に更に編集を施したマーラーの歌詞においてはどうなのか?

 勿論、そこに死の影を見ず、それをマーラーの受けた診断は誤診だったし、マーラー自身も健康そのものであったということを論拠に通説を批難する近年の論調は、ジャンケレヴィッチ風には、マーラー自身の第一人称的な≪感得≫を蔑ろにしていて、それが「客観的」に「事実」に基づいていることを認めたとして、マーラーその人とその作品について語る時にそのことがどこまで意味を持つかについては甚だ疑問だろう。何しろマーラーは『大地の歌』を聴いた人間が自殺をするのでは、とさえ言ったらしいではないか?それともこのアネクドットにしても、弟子が「神話」を創作するために脚色したフィクションであるという証拠でもあるのだろうか?そもそも第一人称的な死を仮に措いたとして、幼少期から兄弟の早逝に繰り返し直面し、その後も兄弟や友人の自殺にも遭遇しているし、余りに有名な長女の死についてのアルマの証言に偽りが含まれているとして、それがマーラー本人にとって耐え難い経験であったことは想像に難くない。所謂「誤診」以前にも、まさにそのキャリアのピークにおいて痔による大量出血が原因で瀕死の状態を経験していて、別にそれを題材とした標題音楽を作曲しなかったからといって、そのことがその後の彼の人と作品に影響していないとか、大した影響はなかったという論拠にはなり得まい。それゆえ私が通説に疑問を感じるのは、異論のための異論の如きものが依拠するものとは全く無関係な理由によるのであって、このような異論ならば、通説との「あれかこれか」で私が迷うことはなく、通説の方が余程「真実」の近くを射貫ていると考える。だがそれもまた程度の問題で、比較をした結果に過ぎず、だからといって通説が的を射ているとは考えていないのである。 

*  *  *

 ここでこの読解の当初の目的を再確認しよう。この読解は、ジャンケレヴィッチの『死』の「老化」の章と「別れ」の節の読解を通して、必ずしもジャンケレヴィッチの思索を継承・展開するかたちではなく、寧ろ反面教師としてであれ、マーラーと「老い」の関係についての視座を獲得することを目的としていた。そして実際に、大著の別々の箇所(「老化」は「死のこちら側」、「別れ」は「死の瞬間」に位置づけられていた)に存在する両者の読解を通して確認できたこととして、以下の点が挙げられるように思う。

 一見したところ「老化」についての考察は、「別れ」に関する部分での『大地の歌』への参照とは一見して無関係であるように見えるし、「老化」と「死」との区別を指摘していることから、『大地の歌』の参照に関して言えば。従来の「死」と結び付けて捉える通説と共通した発想(アドルノが批判した、第9交響曲の解説における「死が私を語ること」という後付けの標題の類のそれ)の一例として扱うことさえできるかも知れない。一方で、「老化」についての叙述は、一方では「死」についてのものとされる叙述と入り混じってしばしば区別ができず、寧ろそれは端的に「老化」についてのものとして区別するのが妥当に思われる箇所を含み、他方では「老化」が主題である筈の箇所で≪感得≫について語る時、実際には「老化」固有のそれではなく、「死」について語ったことを繰り返すことしかしていないといった箇所もあり、総じて「老化」を「死」から引き離そうとしつつも、その試みは不十分にしか達成されていない一方で、「死」についての叙述の中には、本来「老化」についてのものでしかないものが密輸されているように見える。「死」について斯くも饒舌たろうとし、実際に饒舌である一方で、この著作が『死』についてのものであるという前提を踏まえてなお、西洋の思考は「老化」について、それを正面から取り上げることを避けるというボーヴォワールの批判は当たっていると言わざるを得ないように感じられたというのは偽らざる感想である。

 翻って『大地の歌』の「別れ」について言えば、それが「死」の観点からのみ論じられるのは適切でないとしても、それでは「老い」の観点から論じるのは妥当なのかは独立の問題であろう。「死」でも「老い」でもなく、端的に「別れ」そのものであって何故いけないのか?歌詞は素材に過ぎず、作者の心理の投影を安直に作品に対してするべきでないとしたら、「老い」を持ち込むこともまた、人と作品に関する既成の発想に捉われたものではないのかという問いには、別に答える必要があるだろう。だが、ここでは一旦論証抜きで見通しだけ述べれば、「老い」を持ち込むのは心理学的な作者ー作品観に基づく密輸などではない。歌詞は素材だろうが、作品の一部であるには違いなく、あたかも歌詞など存在しないかの如く『大地の歌』を受容するのは(そうした姿勢を全面的に拒否しないまでも)妥当とは言えないとするならば、そして標題的・描写的な形態ではないにせよ、歌詞内容に触発されて作品が生成したのであれば、そこには「生の有限性」の認識があり、「疲労」の感受があり、「老い」の認識があることは明らかなことではなかろうか。「疲労」は「眠り」を誘うのだが、ここでの「疲労」は、ではそれによって「疲労」からの恢復が達成されるような類のものなのか?若き日の回想を呼び起こすようなその「疲労」は寧ろ、生体のロバストネスの変移としてのホメオスタシスの定常位置の変化としての「老い」の感受そのものなのではないか?ジャンケレヴィッチの「老い」の捉え方も、ダマシオの言う中核意識ー中核自己のレベルではなく、従って現象学的には単なる意識の中断を乗り越えた想起や予期が可能な第二次把持のレベルを前提とはしても、それに留まるレベルではなく、スティグレールやユク・ホイの第三次把持のレベルに対応する延長意識ー自伝的自己のレベルに関わるとする把握に通じており、システム論的な「ロバストネスの変移と崩壊」に通じている側面を見出すことができたし、「老い」を外側から観察できる事象としてのみ捉えるのではなく、主観的な認識を必須とする立場は正当なものであるが、そうした点を踏まえた時、『大地の歌』の「別れ」は「老い」の認識に立ったそれであるという把握には一定の妥当性があると主張しうるという見通しは、ここでの読解・検討を通じて確保できたのではないかと考える。

(2023.1.30初稿公開, 2.3更新, 2024.12.18 備忘:マーラーの音楽における「老い」についての論考に向けての準備作業の一部として再編集。改題の上再公開。2025.1.31, 2.2 誤記修正・表現の調整を行い更新。)


2025年1月13日月曜日

備忘:マーラーの音楽における「老い」についての論考に向けての準備作業 (1)(2025.1.13更新)

  かつて私は、その年齢相応の仕方ではあったが「老い」について幾つかの対象を媒介にして考えたことがあった。それは生物学的・生理的な老いそのものではなく、アドルノとは別の仕方によって「後期様式」とは別の選択肢に辿り着くというような認識の様態を巡ってであった。

 それらの起点はと言えば、或る日自分に訪れた「折り返し点」の感覚ではなかったか?この折り返し点という感覚は、様々な「老い」についてのドキュメントのアンソロジーでもあるボーヴォワールの『老い』の中でしばしば現れるから、その時にそう思って以下にも書き付けた通り(そしてその時には、ダンテの『神曲』の冒頭が思い浮かんだのだったが)、それは普遍的な感覚なのだろう。そしてその時には気づかなかったけれど、つまるところこれは「老い」についての自己認識だったのだろう。ボーヴォワールの『老い』の第五章は「老いの発見の受容―身体の経験ー」と題されているが、そこには、ルウ・アンドレアス=サロメが病気のあとで髪の毛がたくさん脱けたのをきっかけに、「それまで自分に「年齢がない」と感じていたのだが、そのとき彼女は自分が「梯子の悪い側」(下り坂)に差しかかかったのを認めたと告白している。」(ボーヴォワール『老い』(上), 人文書院, 1972, 下巻, p.338)というくだりがある。ボーヴォワールはこのケースを急激な変化が老いの自覚を促すケースとして挙げているのだが、私の場合には、病などの急激な変化がきっかけという訳ではなく、寧ろ、同じ章の冒頭のボーヴォワール自身の回想である「早くも四〇歳のとき、鏡の前に立ちつくして、「私は四〇歳なのだ」と自分に向かってつぶやいたとき、私はとうてい信じられなかった。」(同書下巻, p.333)というのに寧ろ近いのだろう。だがしかし、そもそも私の老いの自覚は身体の経験に根差したものではなかったのだ。したがってそれよりも寧ろ、同じ『老い』の中にボーヴォワールが参照するダンテの『饗宴』における老いについての考察―「彼(ダンテ:引用者注)は人生の道を、大地から天に昇って頂点に達し、そこからふたたび加下降する弧に比較している。天頂の位置は三十五歳である。それから人間はゆっくりと衰えてゆく。四十五歳から七〇歳までが、老年の時期である。」(同書上巻, p.264)を確認した時(かつての「折り返し点」に事後的に気づいた私は『饗宴』の方は知らなかった訳だが)、それが自分のその時の認識の在り方に即したものであったことに驚き、更にその時の私が他ならぬダンテの『神曲』の冒頭を思い浮かべたことの方にもまた、今頃になって驚いたのであった。

Nel mezzo del cammin di nostra vita
Mi ritrovai per una selva oscura,
Ché la diritta via era smarrita.

人生の半ば、私は暗い森のただなかにいた。
有徳の正道は、もはや見失われて。(ダンテ『神曲』)

 まさにそのような感覚を持つ。多分それは普遍的な感覚なのだ。生きる力と衰えの均衡点に居ることの齎す停滞感なのではないか。

 人生の半ばを過ぎたことは確かだ。書き留めておくべきであったかも知れないが、今から1,2年程前のある時期に、はっきりとそのような感覚を持った。 そして、自分には何も残すものはなさそうであること、未だ「神の衣」を織ることあたわず、夢のまま終わるのかもしれないという漠とした感覚。 実際には、そうあっさりと思い切れるものでもない。だってまだ半分残っているのだから。 けれども、それが「どこ」にあるのか、わからなくなっている。(「身辺雑記(1)」の冒頭部分)

* * *

 『狭き門』のアリサにおける「老い」。アリサとジェロームの関係における「老い」。相転移の向こう側。不可逆性(「もうページはめくられてしまった」)。不連続性。その移行のプロセスに注目すること。事後的に気づくのか?「老い」はアリサの側にあって、ジェロームにはない。だが、最後の場面における「年を経た=齢をとった」ジェロームにはないか?ジュリエットにはないか?

 アリサはもう、後には引き返さない。迷いはあるし、絶ち難い心の動きはあるけれど、 それらを寧ろ利用して反発力を得るかのように、パスカルを捨て、ピアノの練習を捨て、遂には家を出てしまうに至る。「私は年老いたのだ。」という 第8章のアリサの決定的なことばの重みは、一見するとそのように読めるにも関わらず、そしてその時のジェロームがまさにそう誤解してしまったように、 その場を取り繕ったことばであるわけではない。この言葉は、誰よりもアリサ自身にとって、ありのままの風景、展望であったろう。 彼女は相転移の向こう側の領域にいるのだ。だからジェロームの見ているのは、文字通り「幻」なのである。

 裏返せば、アリサは初めから相転移の「向こう側」に居たわけではない。「私は年老いたのだ。」という言葉を文字通りに受け止めるとどうなるか。 まず年老いる、とは以前のようではない、以前とは変わってしまった、相転移が生じて、 以前とは別の相に既にいるのだ、ということに他ならない。アリサの日記は、その異なる相から響いてくるのだ。アリサはある一線を越えてしまった。ヴァルザーの描く、 ブレンターノが入っていったというあの門が思い浮かぶ。(それはカトリックへの帰依に関するものだったから、寧ろ10年後の「田園交響楽」のジェルトリュードに こそ相応しかったのかも知れないが。)

 勿論、アリサもまた、正統的なキリスト教の教義からすれば、逸脱した恣意的な理解に陥っているのだろう。 ジッドはニーチェをプロテスタンティズムの極限点と見做していたらしいが、ニーチェの歩みをアリサの歩みと類比的に見る見方(山内義雄が紹介している)は 必ずしも的外れではないと感じられる。極限点は、向こう側なのだ。ただしそこでは何も許されない。「狭き門」はそれ自身閉ざされる。二人で通れないのではない。 門は常に、その人のものだ(ここからカフカの「掟の門前」に、そして「審判」に補助線を引くことができるだろう)。門をアリサは自ら閉ざした、という人がいても 不思議はない。

* * *

 ヴァルザーがブレンターノを主人公にして書いた散文にあらわれるあの薄暗い大きな門、その向こう側には沈黙が広がる、相転移の地点のほんの手前についての思考、それは「掟の門前」(カフカ)や「狭き門」(アリサの「老い」)とどう関わるのか?門の通過。クリプトへの下降。ランプ。扉。待機。仮面をつけた一人の男。カトリック…

Ein Jahr oder auch zwei Jahre vergehen. Er mag nicht mehr leben, und so entschließt er sich denn, sich selber gleichsam das Leben, das ihm lästig ist, zu nehmen, und er begibt sich dorthin, wo er weiß, daß sich eine tiefe Höhle befindet. Freilich schaudert er davor zurück, hinunterzugehen, aber er besinnt sich mit einer Art von Entzücken, daß er nichts mehr zu hoffen hat, und daß es für ihn keinen Besitz und keine Sehnsucht, etwas zu besitzen, mehr gibt, und er tritt durch das finstere große Tor und steigt Stufe um Stufe hinunter, immer tiefer, ihm ist nach den ersten Schritten, als wandere er schon tagelang, und kommt endlich unten, ganz zu unterst, in der stillen kühlen tiefverborgenen Gruft an. Eine Lampe brennt hier, und Brentano klopft an eine Türe. Hier muß er lange, lange warten, bis endlich, nach so langer, langer Zeit des Harrens und Bangens, ihm der Bescheid und der grausige Befehl erteilt wird, einzutreten, und er tritt mit einer Schüchternheit, die ihn an seine Kindheit erinnert, ein, und da steht er vor einem Mann, und dieser Mann, dessen Gesicht mit einer Maske verhüllt ist, ersucht ihn schroff, ihm zu folgen. »Du willst ein Diener der katholischen Kirche werden? Hier durch geht es.« So spricht die düstere Gestalt. Und von da an weiß man nichts mehr von Brentano. (Robert Walser, Brentano)

一年また二年が過ぎ去った。彼はもはや生きつづけたいとは思わなくなった。それでこのわずらわしい生命をわれとわが手で断ちたいと思った。こうして彼は、深い洞窟があることを知っている場所にやって来た。もちろん洞窟を下に降りていくことはためらわれた。しかし彼は、一種の喜悦をもって、自分にはもはや望むべき何もないこと、自分にはもはや何の所有物も、何かを所有したいという願望もないことを思った。こうして彼は真暗な、大きな門を通り抜け、一段一段と下に降り始めた。最初の数段を降りるうちに、もう何日間も歩きつづけているような気がした。こうして最後に一番下に、静かでひんやりとした墓所が地下深くひろがる所に来た。ランプが一灯、燃えていた。彼は扉を叩いた。その前で彼は長いこと長いこと待たなければならなかった。ついに、おびえつつ待ちつづけた長い長い時間の後に、入っていいという決定と命令が下された。彼は子ども時代を思わせるおずおずとした態度で入っていった。一人の男が待っていた。マスクで顔を覆ったこの男はブレンターノにぶっきらぼうに、自分の後について来い、と言った。「カトリック教会の僕になると言うのだな?それはここを通って叶えられる」。暗鬱なその影はそう言った。そして、この時以来、ブレンターノの消息は断たれたままである。(飯吉光夫編訳, 『ヴァルザーの詩と小品』, みすず書房, 2003, pp.101-2)

* * *

 老いと断念・断筆。

 デュパルクの断筆。

 デュパルクのことを考えていて、ふとアルヴォ・ペルトが修道僧に会った時のエピソードを想い出した。ペルトは祈りのために音楽を書いていると言ったのに対し、修道僧は、祈りのことばはもう用意されているから新たに何も付け加えることはない、と言ったらしい。だがペルトは作品を書くことを止めなかった。私はその話を読んだときにペルトの態度の方を不可解に感じたのだった。そう、デュパルクの態度の方が遥かに一貫していないだろうか?もっとも、あえてそうしたエピソードを明かしたからにはペルトは多分答えを持っているのだろうが。だが、私思うに件の修道僧はそのペルトの答えを決して認めないだろう。もう一つ。ジッドの「狭き門」で、アリサがパスカルを批判する件がある。数学者をやめたことを惜しむどころか、「パンセ」を遺したことすら問いに付されうる、というわけだ。「私は年をとってしまった」というアリサのジェロームへの言葉の意味は、要するに相転移の臨界のこちら側に来てしまった、という意味なのではないか。「ルサルカ」を破棄したデュパルクと同じ側にいる、ということなのではないか。)

* * *

 後に何も残さないこと。シベリウスの沈黙。密かに為されたアウト・ダ・フェ。

 シベリウスは主観を(もっと言えばそれ自体啓蒙の産物たる「人間」を)超えたところにノモスのあることを確信していたに違いない(もう一度、ヘルシンキでのマーラーとの有名な対話を思い起こせばよい)が、しかしそのノモスを己の音楽の素材とは考えることができなかった。そのノモスに忠実であろうとするあまりに、曲を組み立てる恣意、手癖のように入り込む己の主観の働きに苛立つようになったのではないだろうか?

 シベリウスの沈黙は、ある種の完璧主義、強すぎる自己批判のなせる業だと考えられているようだし、第8交響曲に対するプレッシャーや戦乱、はたまた国家から終身年金が保証されたことによる経済的安定に至るまで、外面的な理由は様々に考えられているようで、それぞれその通りなのかもしれないが、晩年の音楽を聴くと外面的な理由以前に、音楽自体のうちに沈黙に至る方向性があるように感じられてならないのだ。

 それ故、第6交響曲、第7交響曲、そしてタピオラという3作品については、沈黙ではなく、撤回でもなく、作品が公表され、遺されたことを感謝すべきなのであろう。それらはある種の臨界の音楽、一歩間違えれば作品のかわりに沈黙が残されただけかも知れないような相転移の領域の音楽なのだと思う。シベリウスの歩みが止まるのが作品番号にして100を超える作品を産み出した後であって、その途上や、その出発点でなかったことは色々な意味で幸いなことだったのではなかろうか。それがペルトの言う、「偉大な芸術家にとって、もう芸術を創造しようとしたり、創造したりする必要のないとき」を迎えたという一例なのかどうかはわからない。そもそもシベリウスの音楽は、狭義では宗教的なものではない。典礼的な意味合いでの祈祷の音楽ではない。だが私には、その音楽の辿った沈黙への道筋、森の中へ消えていく足跡の方が、ペルトが選び取った貧しさ(ティンティナブリ)による祈りの形をした音楽の産出(それは本当に無名性を目指しているだろうか?)よりも、ペルトが会ったというあの修道僧の言葉に忠実ではなかったかと思えるのだ。

* * *

 これらはその時期の私なりの「老い」についての思考であった。それは実は最初から「老い」に、アルフレッド・シュッツの指摘をうけてより正確に言うならば、「老い」ていくという事実よりもより多く「老いの意識」に関わっていたし、今よりのち、ますますそうなっていくのだということを自覚せざるを得なくなったのである。(老いの経験と老いの意識の区別については、シュッツ『社会的世界の意味構成』の第2章 自己自身の持続のおける有意味的な体験の構成 を参照のこと。邦訳:佐藤嘉一訳, 木鐸社, 1982, p.63参照。なおシュッツについては後程、更に触れることになるだろう。)

 かつては寧ろ、相転移の向こう側の沈黙の方にフォーカスしていたので、恐らくはその手間に位置づけられる「後期様式」についての思考との両方を「老い」を媒介とした一つのパースペクティブの下で捉えるという発想を持つことはなかったのだが、今やそれにこそ取り組むべきなのだと感じている。そのことはパスカルに関して数学者をやめたことを惜しむのか、「沈黙」の替わりに『パンセ』を遺したことすら問いに付すのかとの間の二者択一を意味しない。寧ろ相転移の向こう側でなお、何が可能なのかが問われているのかも知れない。更に言えば「老い」の意識は暦年に基づく年齢とも生理的な年齢とも関わりなく、寧ろ病とか身体的な衰えや、そうしたことに媒介された死への意識とともに主体に到来するものなのだろうが、さりとて暦年に基づく年齢や生理的な年齢に伴う老化自体を無視することなど出来はすまい。

 マーラーの音楽における「老い」について考えるということは、従って二重の課題を抱え込むことになる。一方では作品そのものの中に「後期様式」なるものの特徴を探り当てなくてはならないだろう。確かに「老い」を感じさせる音楽というのはあり得るだろうし、マーラーの作品の中にそれを見出すことは寧ろ容易なことにさえ感じられる。だが世上、それは「老い」そのものとしてではなく、寧ろ「死」とか「別れ」とかと関連づけられて語られてきたものではなかったか?そもそも一体「老い」を感じさせる「音楽」というのは、それが伝記的事実についての知識の後付けの投影でないとしたら、一体どのような構造を備えたものなのか?他方では、「自伝的」作曲家と言われることがあるマーラーにおいては一見したところ自明なこと、他の作曲家に比べれば遥かに見て取りやすいものと一般には了解されているであろう作品と作者との関わりの問い直しにつながるだろう。その作品における「発展」を認め(これもまた自明のことにさえ思われる)、「後期様式」の存在を認めたとして、それがマーラー自身の「老い」、あるいは「老いの意識」とどのように関わるというのだろうか?そもそも私がかつて拘っていた「相転移の向こう側」は、だが他ならぬマーラーの生涯という個別のケースについては当て嵌まらないのではないか?という問いにまず答える必要があるだろう。その上で、マーラーの「老いの意識」がマーラー固有の「晩年様式」にどのように反映されているか、マーラーの後期作品は「老いの意識の音楽」たりうるのか?それは「老いの時間の感じのシミュレータ」たりうるのかが問われていることになろう。今のところそれは予感めいたものに過ぎないが、こうした一連の問いは、例えば「第8交響曲」と「大地の歌」や第9交響曲の間に広がるかに見える深淵についての問い直しにつながっていくだろうし、更には第9交響曲と未完に終わった第10交響曲との間に指摘されることがある断絶、或いは第10交響曲の位置づけそのものについての問い直しにつながっていくだろう。一体、マーラーの作品においてそもそも「老い」は存在するのか?存在するとしたら「老い」は何時から始まっているのか?マーラーの作品系列における亀裂・断絶に見えるものは、「老い」に纏わるこの節で取り上げたような相転移と同じものなのか、異なるものなのか?具体的などの作品の何処の部分にマーラーの音楽における「老い」を見出すことができるのか?

(2022.12.7-8 公開, 2023.3.15改稿, 2024.12.8 加筆, 2025.1.13 邦訳追加)

2024年12月30日月曜日

備忘:マーラーの音楽における「老い」についての論考に向けての準備作業 (4) (2024.12.30 更新)

 だが、そうした社会的構造に根差した生成と推移のリズムが刻む単純な生死の対立の平面とは更に別の軸が存在することが、主として細胞老化のメカニズムに関する研究により明らかにされてきた。そこから出発して、成長ではない、癌のような分裂の暴走というのを時間的なプロセスとして考えることができるだろうか?エントロピーの概念?ここでは成長との二項対立は問題にならない。寧ろ老化は癌化に対する防衛という一面を持つらしいのだ。

 あるいはまた、遺伝子においても、従来は意味をもたないとされた膨大な領域が単に冗長性を確保するといった観点にとどまらず、より積極的な「機能」を担っている可能性が示唆されるようになったし、細胞老化の研究により、老化というのが細胞の複製・増殖の暴走である癌化への防衛反応の一つであるという見方が出されたことを始めとして、生命を維持するメカニズムは当初考えられたような単純なものではなく、非常に複雑で込み入ったものであることが解明されつつある。

 だが、この視点の素朴なバージョンなら、既にボーヴォワールの『老い』にも登場している。ただしそれは「いかなる体感の印象も、老齢による老化現象をわれわれに明確に知らせはしない」(邦訳同書下巻, p.334)ことの理由としてではあるが。曰く

「老いは、当人自身よりも周囲の人びとに、より明瞭にあらわれる。それは一つの生物学的均衡であり、適応が円滑に行われる場合は、老いゆく人間はそれに気づかない。無意識的調整操作によって、精神運動中枢の衰えが長いあいだ糊塗される可能性があるのだ。」(邦訳同書下巻, p.334)

だが、これは文脈上仕方ないことではあるけれど、事態の反面をしか捉えていない。つまり糊塗されている裏側で起きていることに対する観点が抜けていて、実はそちらこそ「老い」にとっては本質的な筈なのである。それを今日のシステム論的な議論に置き直せば、以下のようになるだろうか。

「(…)以上のように、老化という現象には、「階層構造」と「時間」のファクターが組み合わさり、時間軸方向には決定論的にふるまうが、ある時間の断面では確率論的である、という複雑な性質があります。このような複雑な現象を示すシステムとして生物をみた場合に、老化の本質はいったいどのようなものと考えられるのでしょうか。(…)システムの特徴の一つに、「ロバストネス」(頑健性)」という工学用語で表されるものがあります。生物学的な用語でいえば「ホメオスタシス(恒常性)」となるでしょう。(…)システム全体に負荷がかかった場合でも、それを元の状態に戻そうとする能力、それが「ロバストネス」なのです。(…)こうした議論をとおして北野所長とたどり着いた考えは、「老化」は、ロバストネスが変移して、最終的に崩壊する」過程であるというものでした。つまり老化の定義は、「生物がもつロバストネスの変移と崩壊」だと。単なる崩壊ではなく、「変移と崩壊」というところに注目してください。歳を取っても人の体はロバストなのです。(…)ロバストであることに変わりはありませんが、定常の位置が推移していきます。だんだんずれていって、最後に全体としてシステムのロバストネスを保つことができなくなるとついにシステムが崩壊する、つまり「死」に至る、ということになります。」(今井眞一郎『開かれれたパンドラの箱 老化・寿命研究の最前線』, 朝日新聞出版, 2021, pp.229-30)

  「老い」について語られることは、「死」について語られることの多いのに比べて余りに少なく、仮に語られても、それは「死」との関りにおいてのみ論じられることが常であるように感じられる。だが、ジュリアン・ジェインズの言う「二分心」崩壊以降、ダマシオの言う延長意識が立ち上がると「自伝的自己」が確立され、生涯に亘って維持されるようになったのだが、逆にそうなってみると生物学的な「死」の手前に、その前駆としてではない「自伝的自己」の消滅が、「老い」によってもたらされることになった。ダマシオの記述を参照するならば、認知症の代表的な原因であるアルツハイマー病では、

「初期では記憶喪失が支配的で、意識は完全だが、この破壊的な病が進むと、しばしば進行的な意識低下が見られる。(…)この意識低下はまず延長意識に影響し、事実上、自伝的自己の様相がすっかり消えてしまうまで延長意識の範囲を徐々に狭めていく。そして最終的には中核意識も低下し、もはや単純な自己感さえなくなる。」(ダマシオ『無意識の脳 自己意識の脳』, 田中三郎訳, 2003, 講談社, p.138)

* * *

 であるとするならば、要するに求められているのは、藤原辰史が『分解の哲学』において遂行したように「分解」「腐敗」を正面から取り上げること、そしてその顰に倣いつつ、だが、こと「老い」を扱うのであれば、『分解の哲学』が謂わば「死の向こう側」における「分解」に目を背けることなく取り上げたのに呼応して、「死の手間」における「分解」を取り上げることなのだと考える。

 『分解の哲学』第5章でも指摘されていることだが、分解者という捉え方は、そういう捉え方をすることで色々なものが見えてくる点で極めて生産的ではあるが、厳密に定義しようとすると、どこかで輪郭がぼやけてしまって、必ずしも安定的な概念ではない。それでも敢えて私なりの立ち位置から定位しようとすると、第一義的にはそれは(ジャンケレヴィッチではないが)「死の向こう側」ということになるように思う。「死」自体も、近年、研究と医療等の現場との両方の水準で、その定義が問題になっているように決して自明なものではないのだろうが、その点は一先ず措いて、それでも「死」は誰にとっても明らかな障壁であり、それがゆえにその向こう側、「死」の後で起きることについてはなかなか思いが及ばないところを「分解」の視点は探り当てているのだと思う。

 同じく第5章には生態学に経済学的な概念が密輸されているという指摘があり、これは首肯できる。私が子供の頃に「オダム生態学」を読み、生態学の研究者になることを思い描きつつも、結局生態学ではなく哲学に向かった理由とも関わるのだが、「生産」と「消費」という切り口では見えないものに拘りたく、「分解」という視点がそれを開示していることを心強く感じる一方で、分解が生態系のシステムの中で新たな「生産」に繋がっていく循環の重要な側面であるという捉え方は(そこにある違いを無視すべきではないとはいえ)、ヨハネ伝の「一粒の麦」がそうであるような、「死」が新たな「生」に繋がるという考え方、或いは個体の死は種としての存続のいわば「応酬」であるという捉え方と同じく、それ自体は全く妥当でありながら、結局のところ、そこで「きえさる」もの、「死の手前」にあった「個」を別の水準に回収するということに通じているように感じるのである。

 勿論それは目を背けたくなったとてなくなるわけではない厳然たる事実であり、だからこそ「メメント・モリ」であり、『分解の哲学』でも「九相図」への言及が為されているのだろう。その一方で「分解」は「生」のプロセスの最中にも埋め込まれているという捉え方も可能で、例えば『分解の哲学』でも参照されている昆虫の変態はそのモデルの一つ(まさにスクラップ・アンド・ビルド)なのだと思うが、他方でこれは(そこの記述がそうなっているように)「死」もまた「生」の中に埋まっていう見方に通じ、プロセス時間論などでの「自己超越=死」と「生成」がリズムを刻むという不連続的・エポック的な時間把握にも通じるように思うし、生物学的な水準では、個々の細胞は死んで新しいものに置き換わることで個体レベルの生が成り立っているという見方(岩崎秀雄先生の指摘される、種/個体のレベルでの生/死の対立の一つ下の階層で、個体/細胞のレベルで生/死が対立しているという、生と死を巡っての階層的・再帰的な構造を思い浮かべるべきだろう)に通じると思う。

 そうしたことを考えながら、ふと感じたことは、「分解」を「生」の最中ではなく、文字通り「死の手前」に置いてみることができないのか、ということであった。これは物凄く卑近なレベルに単純化してしまえば「老い」「老化」を「分解の哲学」の中で扱うことができないだろうかということである。

 『分解の哲学』でも取り上げられているチャペックは若くして逝去したからか、「老い」を扱っていないように思われる。例えば『マクロプーロスの処方箋』では、現在なら特異点論者のトピックである「不死」を扱っているが、そこでは「永遠の生」への懐疑はあっても「老い」は正面から扱われていないように感じる。寧ろ「不死」は「不老」でもあって、これは特異点論者の論点でもあるし、それが依拠している今日の「不死化」の研究のアプローチでもあって「老いを防ぐこと=死なないこと」となっているように見える。他方、上述の「個」というものにフォーカスするならば、「死」の手前には、事実上「生」の一部として、「自伝的自己」の崩壊・分解としての認知症があり、これは喫緊の社会問題でもあり、個人にとっても多くの場合、他人事ではなく最初は二人称的・三人称的に、最後には、もしかしたら一人称的にも直面せざるを得ない身近な問題でもあろう。それ故に「老い」には直結しない「分解」として、外傷的な損傷や精神疾患もあるが、それらよりも「死の手前」に存在する「分解」として「老い」を取り上げる方が一層興味深く思われるのであろうか。

 もう一つだけ付言するならば、「老い」としての「分解」には、再生とか復活に繋がる側面はなく、経済学的な循環からは零れ落ちてしまうもの、回収困難なものではないかというようにも思う。そしてだからこそ現実の社会の問題として解決し難い難問なのだろうか、というようにも思う。もう一度読み返してから言うべきだろうが、記憶する限り、『人新世の「資本論」』でも「老い」が主題的には扱われていた記憶はない。

 そもそも「持続可能性」にとって「老い」はどのように位置づけられるのか?アルタナティヴとして提示されているであろう『人新世の「資本論」』の「脱成長」において、「老い」という側面は(存在するであろう幾つかの水準のそれぞれにおいて)どのような意味を持つのだろうか?といったような疑問も湧いてきて、些か短絡的ながら、「老い」について論じない「脱成長」の議論は、何か本質的なところで底が抜けているということはないのか?というようなことさえ思う。

 一方、それを思えば、対立する資本主義の上に成り立っている特異点論者の「老い」に対する立場は明快であり、主張の是非を措けば、寧ろそれを正面から取り上げているとさえ言えるかも知れない。だからといって技術特異点論者の言うことに共感できるかどうかは、また別の問題であろう。例えばアンチエイジングを「ピンピンコロリ」の達成と言い換える如き風潮が見られるが、実際に介護に一人称的・二人称的に関わっている身にとって「ピンピンコロリ」そのものが本人にとっても周囲にとっても有難いということは認めたとて、それが一人の人間にとっての生きる意味などとは無縁の水準でしか発想されていないように感じられてしまうし、老化をコントロールすることが「ピンピンコロリ」を実現するために「も」有効であることを仮に認めたとしても、それがどうして健康寿命を限界まで引き延ばす話になるのか、若返りのテクノロジーの話になるのか、果ては(でもそれこそが本当の目標なのだろうが)寿命さえも乗り越えるという話に繋がるのがは杳として知れない。

 だが、アンチエイジングという言葉の濫用や、それに類する情況はボーヴォワールの時代にも既にあった、否、「二分心崩壊」以降、常にそういう志向を人間は持っているのかも知れなくとも、そして仮に医学的・工学的技術としての「アンチエイジング」が、現在既に巷間に流布し、まるで「老い」が「悪」であり、絶滅すべき対象であるというドクサとは独立のものであったとしても、そうしたドクサに乗っかろうとしているのであれば、それを許容することは私にはできない。

 結局のところ私は、マーラーの後期作品にはっきりと読み取ることができるとかつても思思ったし、今でもその点については同様に思っている、「現象から身を退く」ことで「老年」のみが達成できる認識、境地というものに子供の頃から憧れてきていて、たとえ自分にそうした境地が無縁のものであったとしても、その価値を信じ続けたいし、今更手放す気もないのだと思う。

(2022.12.7-8 公開, 2023.3.16改稿, 2024.12.18 全面改稿, 12.30更新)

2024年12月19日木曜日

備忘:マーラーの音楽における「老い」についての論考に向けての準備作業(6)(2024.12.19 更新)

 『大地の歌』を起点とした時、「現象から身を退く」に基づくアドルノの晩年様式の規定をマーラーの音楽のどのような構造の具体的な特性に関連づけて指摘できるかだろうか?例えば「仮晶」Pseudmorphism 概念はどうだろうか?それを、引用とかパロディのようなメタレベルの操作としてではなく定義できるだろうか?中国、五音音階が果たす機能ということであれば、これは文化的文脈に依存のものとなる。日本で聴く『大地の歌』は「仮晶」として機能するのだろうか?そうではなく、そうした文化依存のものではなく、もっと別のレベルに「現象から身を退く」を見いだせないのか? 文字通りの物理現象としての「仮晶」の対応物を、時間プロセスのシミュレーションとしての音楽作品の中に具体的に指摘できないのだろうか?

 だがこれはこの場で判断を下せる類の問いではなく、この点に関して別途、膨大な分析・検討を要するだろう。私見では「仮晶」とは、必ずしも「後期様式」に固有の現象ではなく、「根無し草」であったマーラーにおいては寧ろ、若き日から一貫したあり様であったと思われる。そもそもが紛い物めいた「子供の魔法の角笛」に対するマーラーのアプローチは、更にもう一段屈折したものとなる。それはマーラーにおいては「真正な」意味合いで「ありえたかも知れない民謡」と化してしまう。リュッケルトの詩に関しても同じような側面を指摘することは可能だろう。中国の詩ではなくベトゥゲの追創作(nachdicitung)としてみれば『中国の笛』は、まさにその延長線上に位置づけられるものであろう。それゆえ「仮晶」は「後期様式」の相関物ではなく、寧ろマーラーの生涯を通じての基本的な存在様態の相関物であったと見るのが適当に感じられるのである。

 おしなべてマーラーの音楽は、極東から見れば西洋音楽の或る種の極限に見えたとしても、どこか「借り物」めいたところがあって、寧ろそうであるが故に一層、極東の子供にとって「開かれた」存在であったということができはすまいか?とはいうものの、(妻の知己から貰った)一部は偶然によるものとはいえ、他ならぬ『中国の笛』が「仮晶」の核となったという事実は残るし、インド哲学に影響されたショーペンハウアー、東洋学者であったリュッケルト、晩年に至って東方(オリエント)への傾倒を深め、『西東詩集』をものしたゲーテ(第8交響曲の『ファウスト』の音楽にも五音音階が登場することがマーラーの側からの「応答」を証立てているとは言ええないだろうか?)の先で、ベトゥゲの「紛い物」の向こう側にある極東に至ったのであるとすれば、「仮晶」の核としてではなく、改めて「現象から身を退く」ことに関連づけて「東洋的なもの」を考えることはできるのではなかろうか。

 だがこの時、その東洋にいる、否、中国の更に東から逆向きに眺めている筈の日本人たる私にとって、それはどのように受け止められるべきものか。「老い」との直接的な関わりにおいては、何よりもまず直ちに思い浮かるのは、トルンスタムの「老年的超越」であろう。既に触れたようにトルンスタムはそこに非西洋的な認識の様態、存在の様態を見出そうとしている。更には、これもまた既に目くばせをしておいたが、近年、ユク・ホイが『中国における技術の問い』から『芸術と宇宙技芸』への歩みの中で試みているアプローチを「老い」や「現象から身を退く」というアスペクトに関して解釈・変換することが考えられるだろう。それらを通して眺めた時、マーラーという個別の場合がどのような相貌をもって出現うするのか、その具体的な様相を描き出すことが必要になるであろう。

*   *   *

 それでは同じアドルノの「性格的要素」、カテゴリの中にそれを求めるとしたらどうなのか?そうしてみると「崩壊」というカテゴリが「老い」と共鳴関係にあるものとして直ちに思い浮かぶ。あるいは更にアドルノのカテゴリでの「崩壊」ではなく、Reversの言う「溶解」は?だがここで問題にしたいのは、「別離」「告別」というテーマではない。寧ろ端的に「老い」なのだ。死の予感ではなく、現実の過程としての老い。「死の手前」での分解としての老い。それはだが、よく引き合いに出される「逆行」「退化」という捉え方とも異なる。細胞老化、個体老化のそれぞれにおいて起きていることはその基準になる。老化は成長の逆ではない。成長の暴走としてのガンは、老化を考える際に重要な役割を果たす。

 「意識の音楽」「時間の感受のシミュレータとしての音楽」という見方(これについては、記事「「意識の音楽」素描」および記事「MIDIファイルを入力としたマーラー作品の五度圏上での重心遷移計算について」の冒頭2節を参照のこと)に立ったとき、Peter Revers : Gustav Mahler Untersuchungen zu den spaten Sinfonien, Salzburg, 1986, S.185ff における音楽構造の融解化Liquidation はどのように捉えることができるのか?(但し、これは恐らくLiquidationに限らず、アドルノの「性格」におけるカテゴリ全般、つまりDurchburch, Suspension, ErfuhlungやSponheuerが主題的に取り上げたVerfallにしても同じ問いが生じうるであろう。)Reversが、それがマーラーの後期作品において、特に第9交響曲においては、音楽形成にとって唯一有効なカテゴリーとなると述べ、それが第9交響曲では各楽章の末尾、大地の歌では楽章群の終わりの部分について言えるとする。そして形式構造の融解化の手法を、別れと回顧という表現内容と結びつけるのであるが、それでは表現内容が「別れ」「回顧」のいずれかでもなく、第3のカテゴリがあるのでもないとどうして言えるのか?時間性の観点からは、そもそも「別れ」と「回顧」とが同じ時間性を持つということは到底言えないだろうが、にも関わらずそれが音楽構造の融解化にいずれも帰着するということがどうして言えるのだろうか?『大地の歌』において「別れ」と「回顧」は寧ろ異なった層に位置づけられるとするのが自然に思われる(この点については、以前に調的な構造の観点から検討した結果を公開したことがある。「大地の歌」第1楽章の詩の改変をめぐって ―甲斐貴也訳「大地の歌」によせて(2)―を参照。)のに対し、そこに形式的に同一の構造が見出せるとしたとき、その形式構造は、実は「別れ」「回顧」だけではなく、他の内容とも対応付けうるような一般的なものではないとどうして断言できるのだろうか?『大地の歌』の第6楽章の末尾の時間性は、そのタイトルにも関わらず、「別れ」の帰結とは異なるし、「回顧」の時間性とも相容れない時間性を持っているように思われる。この観点で興味深いのは寧ろ、「大地の歌」の曲の配列が絶望(悲しみと怒り)、虚脱、受容、見直し(再起)という死や障害の 受容過程であることを主張する大谷1995(病跡誌No.49 pp.39-49)の指摘だろう(こちらについても、以前に触れたことがある。「大地の歌」における"Erde"を巡る検討のための覚書 ―甲斐貴也訳「大地の歌」によせて― を参照)。Reversの指摘は興味深い点を多々含んでいるけれど、『大地の歌』の歌詞に基づいて(というか引き摺られて)そこに「回顧」と「別れ」をしか見なかったり、かと思えば第9交響曲の方は、これを専ら「死」と結び付けてみせる類の紋切型から自由になり切れていないように私には思えてならない。

 だとしたら、例えばここに「老い」を措いてみることはできないのか?単純に言って「老齢とは一段一段現象から退去する謂である」とするならば、「老い」はその中に「別れ」を含み持っているではないか。だがもしそうだとして、「意識の音楽」にそのことがどのように反映されるのか?「意識の」というからには、生物学的・生理学的な「老い」そのものではなく、文化的・社会的に規定された「老年期」でもなく、アルフレッド・シュッツが指摘するように「老いの意識」でなくてはなるまい。だが作曲の主体が「老い」を自覚することが一体「音楽」にどのように関わるというのか?伝記的事実を踏まえればほぼ自明のことに思われる作品と「老い」の関係は、だがそれを作品そのものから捉えようとした時には困難に直面するように思われる。それは音楽に伝記的事実を投影しているだけなのではないか?しかし、例えばアドルノの「後期様式」はそれが実質的なものであるという主張である筈だ。一方で「時間の感受のシミュレータ」として音楽作品を捉えようとした時、それが「老い」とどう関わるというのか?それは文字通り「老い」を生きる時間の感じをシミュレートするということなのだろうか?そのシミュレータ自体が「老い」を経験し、意識するようなタイプの機械、生物のような機械、「人間」のような機械であることなしにそれが可能なのかどうかは一先ず措くとしても、「死」の意識、「別れ」の意識ならぬ「老い」の意識は、音楽作品にどのように刻印されているものなのか?「現象からの退去」の音楽化とは?それはどのような時間的構造と関わるのだろうか?

 直ちに思い浮かぶのは、上でも触れたアドルノの「崩壊」、ReversのLiquidation(融解)といったカテゴリは、実は「死」や「回顧」ではなく、実は「老い」に関わる性格的カテゴリではないのかという問いだろう。それらが寧ろ「老い」に関わるということを主張しようとした時、一体どのような点をもってそれを支持する証拠とすることが可能だろうか?

 更にそれを解釈する言葉の水準ではなく、具体的な楽曲の構造的な特徴の水準で行おうとした時に、一体どのようなアプローチで楽曲を分析すれば良いかを問うた途端に、具体的な楽曲の構造そのものに「老い」を見出す作業は困難であり、直ちにそれに答えることはおろか、その作業を進めていく見通しすら現時点では立てていないことを認めざるを得ない。だが漠としたものではあるけれども、朧気に浮かんでいるアプローチの仕方について簡単に述べておくならば、ポイントはまず、意識が基本的に「感じ」についてのものであるというソームズやヤーク・パンクセップ、ダマシオの立場に依拠すること、更に「ホメオスタシス」という概念に注目し、ソームズ=フリストンの意識に関する自由エネルギー理論に依拠することに存する。これはマーラーの音楽を「意識の音楽」、「時間の感受のシミュレータとしての音楽」として捉えようとしているからには、ごく自然な選択であろう。いきなり作品そのものにアプローチするのではなく、一旦まず意識についての定量化可能な理論を出発点にとり、音楽作品を意識を備えた有機体に対する入力でもあり出力でもあるものとして位置づけることによって、単なる音響の連なりではない音楽に意識の様態がどのように映り込み、また音楽を聴くことで意識がどのような振舞をするのかを定量的に捉えるアプローチをしてみようということである。

 現時点で思い描くことのできる見取り図としては、「老い」についてのシステム論的な定義においてはホメオスタシスやエントロピーの観点から「老い」が捉えられていることから、ソームズ=フリストンの「自由エネルギー原理」に基づく「意識」の説明(これもホメオスタシスやエントロピーに深く関わっていることに思い起こされたい)をベースにし、上記のアドルノやReversのカテゴリの記述を意識にとっての「感じ」という観点から捉え直し、更には自由エネルギー原理的に翻訳することによってデータ処理可能な記述に変換し、楽曲の動力学的なプロセスの中にそれらを探っていくという道筋が浮かんではいる。楽曲のプロセスに「老い」や「老いの意識」を見出す以前に、まず「老い」の自由エネルギー理論的説明が必要であり、その上で「老いの意識」についても同様の説明があってようやく、それが音楽作品の構造や過程にどのように例示(examplify)――ネルソン・グッドマンの言う意味合いで――されうるかの検討に取り掛かることができるようになるだろう。そしてその時ようやく「晩年様式」の実質について語ることが出来る語彙が獲得できたと言いうるだろう。そして「晩年様式」の実質を語れるのであれば、「意識の音楽」、「時間の感受のシミュレータとしての音楽」としてマーラーの作品を分析する手段は既に手に入ったことになるだろう。ちなみに上記では単純化のためにホメオスタシスにのみ言及したが、フリストンの「自由エネルギー原理」の重要な帰結として、人間の脳はホメオスタシス的な動きだけではなく、アロスタシス的な振る舞いを行うことが示されている。またパンクセップによっていわゆるデフォルトモードの情動がSEEKING(探索)であることが指摘されている。ここから創造性や「憧れ」といったものについて語る可能性も開けているように思われる。だが、この道筋を具体的に展開して実際の分析にまで繋がるレベルに到達するのは前途悠遠の企てであり、その実現には程遠いというのが現状である。

 そこでこの最後の問いについては一旦、問いとして開いたままにしておかざるを得ないとして、その替りに、更に漠然としてトピックレベルでの指摘に過ぎないので、ここでの問題設定に対して直接寄与することははじめから期待できないものではあるとは言うものの、『大地の歌』について、あくまでも「死」と「別れ」が主題でありながら参照が為され、更に「死」との関わりにおいて「老い」についての分析が行われているという点では特筆できるジャンケレヴィッチ『死』の該当部分の批判的な読解を行うことをもって、その手がかりを得るための準備作業としたい。

(2022.12.7-8 公開, 2023.3.16改稿, 2024.12.1,8,12,19 改稿)