お詫びとお断り

2020年春以降、2024年3月現在、新型コロナウィルス感染症等の各種感染症の流行下での遠隔介護のため、マーラー祝祭オーケストラ第22回定期演奏会への訪問を例外として、公演への訪問を控えさせて頂いています。長期間に亘りご迷惑をおかけしていることにお詫びするとともに、何卒ご了承の程、宜しくお願い申し上げます。

2009年12月19日土曜日

ナターリエ・バウアー=レヒナーの回想録:音楽についてのマーラーの言葉

ナターリエ・バウアー=レヒナーの回想録:音楽についてのマーラーの言葉(1984年版原書p.138, 1923年版原書p.119, 邦訳pp.301-2)
(...)"Die Musik muß immer ein Sehen enthalten, ein Sehen über die Dinge dieser Welt hinaus. Schon als Kind war sie mir etwas so Geheimnisvoll-Emporttragendes, doch legte ich damals mit meiner Phantasie auch Unbedeutendes hinein, was gar nicht darinnen war." (...)

この言葉はナターリエ・バウアー=レヒナーの回想録のSommer 1899 8. Juni - 29. Juli の章、Auf Bergeshöh の節に含まれる。(1923年版には 22. Juli という日付の記載があるのだが、 1983年版では削除されており、1983年版に基づく邦訳にも当然日付の記載はない。削除の理由は詳らかでない。)この日、彼らはPfeiferalmに登り、その頂きにある小屋のヴェランダでの 言葉として記録されている。よくあることで、マーラーは突然こうした言葉を語ったのであろう、バウアー=レヒナーはどうしてそこでこうしたことをマーラーが語ったのかわからないと付記している。
 
だが私がこの言葉に初めて接したのは、実はナターリエ・バウアー=レヒナーの回想録ではなく、アドルノのマーラー論の中での引用によってではなかったかと思う。ただしアドルノが引用したのは 最初の一文のみであるが(I. Vorhang und Fanfareの最後のパラグラフ、Taschenbuch版全集第13巻p.165,邦訳(龍村訳)では p.23)。アドルノがこの言葉を引用した文脈はそれは それで興味深く、そうした憧れの表現が、世の成り行き(Weltlauf)を正当化する装飾と化す事無く、他なるものの他性を損なうことなく、見失われたもののうちに見つけるのでなければならないというように続く。 (このあたりをレヴィナスの超越論・他者論と突き合わせる作業は、そのいずれもがヘーゲルの現象学に対する読解なのであってみれば、非常に興味深いものとなるであろう。) 日曜作曲家、休暇の作曲家であり、世間的には歌劇場の監督であったマーラーは単純に世の成り行きを拒絶したのではない。実際の動機は何であれ、彼は日々の糧を得るべく、 身をすり減らし、自分の時間のほとんどを費やしたけれど、その最中、合間を縫うようにして音楽を書き続けた。意地悪な見方をすれば、実は件の憧れは「私はこの世に忘れられ」という 題名がいみじくも告げているように、そうした日常からの逃避だったのではないか、結局のところマーラーの音楽とて、本人にとっては楽長殿のはた迷惑な道楽であり、所詮は娯楽に 過ぎないのでないかと疑ってみることもできよう。実際、アドルノの発言を裏返したように、例えばハンス・マイヤーは(多少異なった文脈でだけれども)、マーラーの音楽は日曜宗教みたいな もので、装飾品ではないかという発言をしていたりもする。(Rainer Wunderlich刊行のマーラー論集に収められた"Musik und Literatur"の特にp.152以下。邦訳は酒田訳「マーラー頌」p.361以下。) マーラーがこの言葉を発した状況は、私には例えば第6交響曲第1楽章展開部後半の、アドルノのカテゴリーではSuspensionにあたるブロックを思い起こさせるが、マイヤーの手にかかれば 自然に対するマーラーの態度も同断であって、ディレッタント的な簒奪者ということになってしまう。だが、一見したところ対立するように見えるマイヤーの主張の結論はアドルノのそれと、少なくとも 決定的に背馳するものではない。マイヤーは「大地の歌」が「第2交響曲」の撤回であり、カフカやシャガールを引き合いに出しつつ、マーラーの芸術には救済が拒まれていると述べているのだから。
 
しかしここではアドルノやマイヤーの所説を検討するのは控えることにしたい。それよりも私にとって気になることは、マーラーの音楽を1世紀後に「消費」している私は、それでは一体何なのだ という点である。かつて中学生であった私がそう思ったように、私もまたディレッタント、簒奪者ではないのか。そうでないような立場が可能なのかは、現在の私にも未だ判然としないのだ。 お前に一体何がわかるんだと問い詰められれば、私には返す言葉がないのははっきりしている。まるで(これまたアドルノがマーラー論で引用した)カフカの「審判」のヨーゼフ・Kのように、 マーラーの角笛歌曲に歌われる「ひかれもの」のように。
 
けれども実は、寧ろそうであるからこそ上記のマーラーの言葉に、そしてその言葉を決して裏切らないマーラーの音楽に私は強い共感を覚えるのかも知れない。悟った人から見れば、こうした私のスタンスは 悪あがきに映るだろうし、そうした人にとってはもしかしたらマーラーの音楽さえ、そうした悪あがきのサンプルということになるのかも知れない。だがそれならそれで、ここでコミットメントが生じているのだ。 きっとマーラー自身がそうであったように、かの如き憧れなしに「世の成り行き」に身を浸すのは耐え難いことだけれども、だからといってそれは単なる息抜き、娯楽であるわけではない。 再びマーラー自身がそうであったように、それがある種の目的論的転倒であるにせよ、「神の生ける衣を織る」こと、為し能うかどうかは定かでなくとも、そのように努めることをせずには いられないのだ。マーラーの没後、「マーラーが何から救われたいと思っていたのかわからない」、と冷静で怜悧なリヒャルト・シュトラウスは語ったといわれるが、是非はおくとして、とにかく 私がマーラーとともに愚かさの側にいるのは確かなことのようだ。
 
そうした私にとって、上に掲げたマーラーの言葉はある種の「モットー」のような重みを持っている。勿論、音楽家ならぬ 私にとって主語は音楽には限定されない。でも序列の違いはあれ、マーラーだってそうだったろうし、私の側ではマーラーの音楽が上記のモットーに合致したものの一つであることは確かだ。 否、逆にそうした志向を子供だった私に与えたのはマーラーの音楽の方なのかも知れない。音楽を聴くのは気晴らしなどでは決してなく、ある種の感受の、認識の様態を感受することに よって自らの裡に受容し、刻印することに他ならない。そうしたプロセスの結果として、比喩でなく文字通り、私は少しだけマーラー「である」のだ。かくして アドルノの印象的な言い方を借りれば

"So mag ein Halbwüchsiger um fünf Uhr in der Früh geweckt werden von der Audition eines überwältgend niederfahrenden Lauts, auf dessen Wiederkunft zu warten der, welcher ihn eine Sekunde zwischen Wachen und Schlaf gewahrte, niemals mehr verlernt."(Taschenbuch版全集第13巻p.153,邦訳(龍村訳)では p.6)

ということになる。否、それは単にジェインズの言う「別の部屋」からの声に 過ぎないのかも知れない。だが例えばラマヌジャンが公式を見出したのはそうした声に導かれてではなかったのか。マーラーが「書き取らされた」のはそうした声に導かれててではなかったのか。 「全世界が映し出されるような巨大な作品においては、人は宇宙が奏でる1つの楽器に過ぎない」という言葉もまた同様に、マーラーの時代においてすら過去のものとなっていたロマン主義的な 意味合いではなく、そうした意味合いで文字通りに受け取られるべきなのだ。マーラーの音楽をそれが出てきた背景に還元して理解するが如き姿勢は、マーラーが上掲の言葉で語ったような 志向に対する背馳ではないか。そうした姿勢が「今こそマーラーの時代が来た」などという厚かましい呼号と対になっているのは、そこに存在する遠近法的錯誤の甚だしさを証言するものだろう。 マーラーが「音楽によって世界を構築する」、と発言したのを、その言葉のみではなく、実際に彼が為し得たことによって測ろうとするならば、比喩ではなく、文字通りに、だが肥大したロマン主義的 主体の妄想としてではなく、主体の背後にあって主体を構成している動的な構造を含めた上での環境と有機体の相互作用のあり方として、実践的な仕方での「世界」(だが、ここでいう世界は 一体どこから始まるのだろうか?)との関わり、解釈学的過程としての音楽のあり方を述べたものとして捉えるべきなのだ。生誕100年の時点でアドルノは、マーラーの音楽は形式的な楽曲分析に よっても標題によっても充分には解明されえないと述べたが、寧ろマーラーの音楽を分析し、その構造を記述するためのデバイスは半世紀後の今日においても未だ準備されておらず、 今後の脳神経科学や意識の科学の発展とともに、ようやく少しずつ的確な記述が可能になっていくのではないのか。本格的なマーラーの音楽の観相学はまだ可能になっていないのではなかろうか。
 
勿論そうした観点から帰結するところもまた、結局のところ人間は自分の行動様式という監獄からは自由になれない、ということに過ぎないのかも知れない。 賽を投げるのも、スピノザの自由意志についての議論よろしく、自分がそちらに向けて投げているのではなく、そう投げるように仕向けられ、馴化されてしまっただけなのかも知れない。 (もっともそうした意識の受動性に対する認識が、意識下で行われている活動についての意識が存在するという事実に基づく違いは残るし、マーラーの音楽はとりわけてもそうした 意識の構造のある種の反映となっている点で際立っていると思われるのだが。)それでもともかく、ein Sehen über die Dinge dieser Welt hinausが自然主義的な 展望の下で「どこ」に位置づけられるにせよ、あるいはマーラーの音楽の本格的な観相学のため準備が未だ整っていないとしても、そうした志向を共有するものにとって、 マーラーの音楽はこの上ない同伴者であるには変わりはないと私には思われる。(2009.12.19)

2009年12月5日土曜日

妻のアルマ宛1904年2月1日付け書簡にある進化論に由来するマーラーの言葉

妻のアルマ宛1904年2月1日付け書簡にあるマーラーの言葉(アルマの「回想と手紙」、1940年版原書p.226, 白水社版邦訳pp.276-7)
"Mein Geliebtes!
Also gestern im "Liebesgarten". Die Aufführung war sehr gut und durchaus eine Bestätigung meiner Eindrücke bei der Lecture. Ich habe keinen neuen Gesichtspunkt gewonnen. Meine Ansicht über Pfitzner ist die gleiche geblieben. Große Stimmungskraft und sehr interessant in Kolorit. Aber zu gestaltlos und verschwommen. Gallert und Urschleim, immer zum Leben drängend, aber in der Entwicklung gehemmt. Die Schöpfung gedeiht höchstens bis zu den Weichtieren. Wirbelthiere können nicht entstehen."(...)

ここで話題になっているプフィッツナーの歌劇「愛の花園の薔薇」は、アルマがマーラーに働きかけて宮廷歌劇場でのウィーン初演を実現したという経緯が「回想」の方で語られている。 1902年のクレーフェルトでの第3交響曲初演の折にプフィッツナーがマーラーを訪れ上演を懇願したのが発端で、その後1904年2月にマンハイムとハイデルベルクをマーラーが訪れた折に 1月31日にマンハイムで行われた上演を聴いた感想を翌日ハイデルベルクからアルマに書き送ったのが上掲の書簡である。ここでの評価は否定的だが、アルマの働きかけにより1905年4月に マーラーがこの歌劇のウィーン初演を行うことになる経緯は「回想」の1905年の章に詳しい。

だがここで私がこの書簡を採り上げるのはプフィッツナーの歌劇を話題にしたいからではない。そうではなくてマーラーが評価をする際に用いた進化論に由来するレトリックの方が 興味深く思われたからである。進化論は21世紀の今日でもキリスト教圏では未だ議論の対象のようで、極東の島国から眺めるとそれはそれで些か意外な感を抱くのだが、 ダーウィンの「種の起源」出版からまだそんなに時を隔てていない1904年の時点で、よりによって音楽を評するのに進化論の比喩を用いるのはマーラーが持っていた思想的背景の 反映に違いない。今日の視点からすれば何でもないような言い回しかも知れず、私自身、子供の頃にこの書簡を読んだ時にも特に気を留めることもなく通り過ぎてしまったのだが、 例えば上掲の書簡の続きで言及される第3交響曲を肴にマーラーの世界観を論じようとするのであれば、1世紀の年月がもたらす遠近法的な歪みに無頓着でいることはできないだろう。 マーラーが読んだとされるフェヒナーやロッツェ、ハルトマン等は当時勃興しつつあった実証的な自然科学の知見と観念論的な思弁との折り合いをつけようと試みたが、それはその時代が 要請したものであって、今日それに当時と同等の意義を認めるのは困難だろう。マーラーも彼なりの仕方で共有し、その音楽にも刻印されているそうした思考のベクトルは 今日でもなお喪われた訳ではないだろう(実際、同じベクトルを持つ主張が今日的な文脈で繰り返されるのをそこかしこで見ることができるだろう)が、展望は自ずと変わっている筈だし、 それに対して無自覚でいるのは当時のマーラーが抱いていた関心のベクトル性の深さとは相容れないことだろう。

21世紀の今日に生きる人間が1世紀も前の立ち位置に無媒介に立てる筈がないというのに、その音楽についてはコンサートホールやCDでいとも容易くアクセスできるが故に、 実際には「幽霊」でしかないかも知れないものをまるで生きているかのように錯視してしまうことが、そうしたことの原因になっているのかも知れない。 実際そのようにして子供であった私もまたマーラーの音楽に出会い、その人を知っていったのである。 だが厄介なのはそのこと自体ではない。マーラーは紛れもなく過去の人であり、その音楽はどのようにしても今日書かれる音楽ではあり得ないにも関わらず、マーラーが生き、その音楽が 産み出された「圏」は、寧ろ現在とあからさまに地続きなのだ。文脈から切り離して接することができる程は遠くはなくて、それゆえに寧ろ遠近法的な倒錯が厄介さを増しているのだ。 ウィーン宮廷歌劇場監督であったマーラーは当時の文化的な風景の中においても中心に位置づけることができることもあり、19世紀末ウィーンの文化の中に彼とその音楽を位置づけようと いう試みが為されてきたが、それがマーラーと今日の距離を適切に測るのに必ずしも資した訳ではないのは、それがマーラーの音楽同様、ある種の流行現象となり、まるでそれが 自分達の時代のものであるかのように喧伝されると距離感は喪われてしまった経緯に明らかだろう。

その厄介さは時間の次元だけにとどまらない。アウトサイダーであったマーラーの音楽を、更に外側の極東の島国から眺めた時の展望は単なる外部からの視点であるとは言い切れない。 端的な例が「大地の歌」であって、この場合には李白や孟浩然、王維の詩に対する日本人の距離感が更に加わるから一層ややこしいことになる。例えばアドルノの視点と同じ位置に 立つことは、少なくとも私にはできない程度に漢詩は自分の中に埋め込まれてしまっている。件の世紀末ウィーン文化史にしてもそうだが、漢詩が極東の島国において持ちうる意義は、 かの黄昏の地におけるそれと同じである筈はない。だがそれでは相変わらずマーラーを理解できていないのは一体どちらの側なのかということになれば、あちらとこちらで誤解の様相は 異なるとはいえ、誤解の程度はお互い様なのではないか。お互い様といえば、漢詩について西欧人以上に今日の日本人がわかっているというのだって甚だ怪しいかも知れないのだ。 最初に採り上げた進化論の受容に関しても恐らく例外ではなく、マーラーも含めた彼の地の人々の躓きがかえって腑に落ちない程抵抗感なく受け入れることができているのだろう。 だがこうなるともう、自分独自の展望があるのだとしか言えない気にもなってくる。距離を測る作業、自分の立ち位置を確認する作業などいいから、自分なりの聴き方、 受け止め方をすればいいではないか。そもそもこのことに気付く以前にお前はマーラーの音楽にどっぷりつかってしまったではないか、というわけだ。勿論、年季の入ったマーラー・フリークを 誇るのも考えものだ。遠ければ細部は判別できないが、近ければ今度は全体が見渡せない。結局のところ、存在するのはそれぞれの立ち位置に応じた展望の違いだけで、 それらに優劣をつけることなど出来はしないのではなかろうか。存在するのは関心の深さ、共感の深さ、衝動の大きさだけなのではないか。

確かにそうなのかも知れない。そもそもが、一体何を根拠に同時代に生きる他の誰と私が視点を共有しうるというのか。程度の問題をなかったことにしてしまうのは明らかに極論だが、 過去の異郷に生きたマーラーと私との距離が、同時代の誰かと私との距離以下に原理的になりえないというのは一体どのような抽象的な空間なり場なりを想定してのことなのだろう。 ある相空間においてはマーラーは私の隣人なのだ、とどうして言えないのだろうか。例えばプフィッツナーはマーラーの音楽との接点を見出せないとアルマに対して語ったらしいが、 私は、それが思い込みや視界狭窄に基づくものであったにしても、マーラーの音楽との接点が見出せずに困った経験はない。だが同時代に同じ文化圏に生きた同業者プフィッツナーと マーラーとの距離と私とマーラーとの距離とはそもそも同じ尺度でなど測れないし、比較することにも意味はないだろう。結局、どのような空間を設定するかに依るのだし、 実はマーラーについて語ることとは、そうした空間の定義の作業そのものの一部なのではないか。「私にはこのような風景が見えます」と語ること。語りの衝動は、 その人が見た風景の素晴らしさや不思議さに由来する。それはまた「自分に与えられた素材と手段を駆使して世界を構築すること」に他ならない。 マーラーなら同意してくれることと思うが、世界は認識されるのではなく、構築されるものなのだ。もっと言えば純粋な認識というのは言葉の上の抽象に過ぎず、 それは構築と切り離してはあり得ない、つまり認識と構築は同じことなのだ。そしてそれは勝手気儘な仕方によってではなく「ある声」に従うことによって、 その世界の法則を明らかにすることによってしか為しえないのだ。

なお、この書簡は1995年に出版された"Ein Glück ohne Ruh' : Die Briefe Gustav Mahlers an Alma"ではpp.182-3に収められていて、上掲の1940年版とは若干の異同があるが、 ここで採り上げた主旨の上からは大きな問題はないので、ここでは初出の1940年版に従った。(2009.12.5)

2009年10月13日火曜日

マーラーの楽曲における調的配置

  • イ短調
    • VI-1開始、VI-3開始・終結、VI-4終結
    • 嘆きの歌-初稿1開始、嘆きの歌-初稿3終結
    • IX-3
    • V-2開始・終結
  • ハ長調
    • VII-2, VII-5
    • IX-2
    • 大地の歌-6終結
  • ホ短調
    • X-4開始
  • ト長調
    • IV-1冒頭主題
    • IV-3開始
    • IV-4開始
    • 大地の歌-4開始・終結
  • ロ短調
  • ニ長調
    • I-1開始
    • I-4終結
    • III-6開始・終結
    • V-3開始・終結
    • V-5開始・終結
  • 嬰へ短調
    • III-2トリオ
    • X-2開始
  • イ長調
    • 大地の歌-5開始・終結
    • VI-1終結
    • I-2主部
    • III-2開始・終結
  • 嬰ハ短調
    • V-1開始
  • ホ長調
    • VII-1終結
    • IV-4終結
  • 嬰ト短調
  • ロ長調
  • 変ホ短調
    • VIII-2開始
  • 嬰ヘ長調
    • X-1終結
    • X-2終結
    • X-5終結
  • 変ロ短調
    • X-3開始・終結
  • 変ニ長調
    • IX-4開始・終結
    • II-4開始・終結
  • ヘ短調
    • I-4開始
  • 変イ長調
    • II-2開始・終結
  • ハ短調
    • 嘆きの歌-初稿2開始
    • II-1開始・終結
    • II-3開始・終結
    • II-5開始
    • III-3開始・終結
    • IV-2開始・終結
  • 変ホ長調
    • VIII-1開始・終結、VIII-2終結
    • II-5終結
  • ト短調
  • 変ロ長調
    • 大地の歌-3開始・終結
  • ニ短調
    • III-1開始
    • I-3主部
    • VII-3開始・終結
    • 大地の歌-2開始・終結
    • X-5開始
  • ヘ長調
    • V-4開始・終結
    • VII-4開始・終結
    • III-5開始・終結
(最終更新2009.10.13:作成中)

2009年9月27日日曜日

楽章順序について、および歌曲の調性についてのメモ―梅丘歌曲会館の藤井さんに―

別のところにも書いたが、私見ではマーラーの管弦楽作品、とりわけ 多楽章形式の作品において調性の持つ機能を無視することはできない。 多楽章形式の管弦楽作品という言い方をしたのは、(「大地の歌」を 含めて)交響曲に分類される作品の他に、「嘆きの歌」と連作歌曲集である 「さすらう若者の歌」「子供の死の歌」を含めたいからである。

歌劇場の指揮者として、後にはコンサート指揮者としてオーケストラと ともに仕事をし、しかも今日は当然のように受け止められているコンサート という制度が確立し、音楽史的なパースペクティブをもってプログラムを 構成するようになる時期に活動したマーラーは、バロック音楽以来の伝統を 自分で演奏することによって振り返ることができたこともあり、また 典型的な平均律楽器であるピアノを媒体としなかったこともあって、それぞれ の調性の持つ「性格」のようなものに対する意識があったことは疑いない。 どちらが原因でどちらが結果かはともかく、ワグナー的なクロマティズムが 流行した時代にあって、反動的に見えかねないほどに全音階的な音楽を 書いたこともあり、他の作曲家における事情はともかく、ことマーラーの 場合に限っていえば、調性にまつわる議論は避けて通ることができない テーマである。 それを象徴的な意味合いを調性に投影させるかどうかとは別に論じることも 可能だろうが、一般には悲劇の調性であるイ短調 (「嘆きの歌」、第6交響曲)や、天上の調性であるホ長調 (第4交響曲や第8交響曲における用法)といったように、ある種の 象徴的な意味合いを持たせて論じるのが一般的だろう。

一方で、単独の調性の象徴的な意味ではなく、多楽章形式における 楽章間の調的な関係が話題になることも多い。著名なのはダイカ・ニューリン 以来のいわゆる「発展的調性」で、決まって引き合いに出されるのは 第5交響曲の嬰ハ短調→ニ長調の例であろう。第9交響曲がニ長調で始まり、 今度は半音低い変ニ長調のアダージョで終わるのもよく引き合いに出される だろうか。一方で、第2交響曲のように開始と終了が平行調の関係にあるもの (ハ短調→変ホ長調)、第3交響曲のように同主調の関係にあるもの (ニ短調→ニ長調)もあるし、第6交響曲や第8交響曲、あるいは第1交響曲も 含めてもいいだろうが、開始の調性と終曲の調性が同じものもあり、 といったようにその関係は多様であるとともに内容との間に対応がある点が 注目される。

開始と終結だけを論じるのは認知的、心理学的な裏付けに乏しいという 批判もあるかも知れないが、調的な遍歴はどんどんミクロに見ていくことが 可能であって、私見ではそれをどう意味付けるか、どのような象徴づけを 想定するかについてを仮に捨象したとしても、音楽を聴取するときに そうした調的な遍歴を辿ることによって得られる効果については (もちろんこれとて西洋のある時期の音楽の規則の枠内限定であるとは いいながら)それなりの実質を備えていると言い得るだろうと思われる。

例えばマーラーの交響曲では楽章の上部構造として、部(Teil)が設定 されることがしばしばあるが、第3交響曲ではニ短調で開始した第1楽章は へ長調(!)に到達して第1部を終える。第2部冒頭は遠隔調のイ長調だが、 終わりはニ長調である。大地の歌は明確に部が示されているわけではないが、 前半の5楽章が1まとまりを構成して、それに第6楽章が対応するといった、 あたかも第3交響曲の構成を逆転したような構造を持つのは明らかだろうが、 そう思って調性を確認すれば、イ短調で始まる第1楽章に対して、第5楽章は 同主調のイ長調で終わり、第6楽章はハ短調で始まるがその終わりは 冒頭の平行調であるハ長調(ただし付加6の和音なのでいわば宙に吊られた まま終わる)であるといった具合である。

こうして見ると、調的は配置は多楽章形式の作品の構成と密接な関係に あることが伺えるが、それが別の現れ方をしたのが、楽章の順序にまつわる 揺れの問題であろう。 この点については何と言っても第6交響曲の中間楽章の順序の問題が 有名だし、近年、永らく「真正」と見なされて来たエルヴィン・ラッツの 見解を反映したマーラー協会版の順序(第2楽章スケルツォ、第3楽章 アンダンテ)に異論が投げかけられ、マーラー協会が今度は逆の順序が 正しいという声明を出すといったことも起き、その結果、最近では 逆の順序を採用した演奏が増えて来ているのは良く知られているだろう。 だが、「真正性」の基準はどこにおくのが妥当かといった議論を措いて しまって音楽自体の論理を追った時、アドルノが盟友でもあったラッツの 立場を擁護した際の主張にも正当性はあるように思えるし、マーラー自身、 迷ったという事実が残ってしまうという状況が告げているように、 もともとどちらの順序も可能だという、マーラーならではの事情が あること自体は否定しがたいだろう。

こうした例は別にもあって、その中でも未完成に終わった第10交響曲 の楽章順序の問題は、これまた有名だろう。第10交響曲の補筆にまつわる 歴史は色々なところで紹介されているし、ここでの本題ではないので 割愛するが、補筆版の第2楽章に位置するスケルツォの草稿には、 「スケルツォ-フィナーレ」と記載した跡があるし、第4楽章の スケルツォにも、「フィナーレ」「第2楽章」「第1スケルツォ(第1楽章)」 といった記載の跡があって、未完成であるが故に、マーラーが創作の 過程で楽章構成について幾つもの選択肢を検討した様子が窺える。 それだけではなく、第5楽章のフィナーレ終結部の草稿には、 デリック・クックが採用した嬰へ長調のバージョンとともに、 変ロ長調のバージョンが存在するらしい。クックの作業についての 批判はかつても存在したし、今でもあるのだろうが、例えばここでの クックの選択が音楽の論理に適っていることは認めざるを得ないのでは なかろうか。第10交響曲の冒頭のヴィオラのパート・ソロは限りなく 無調的であることで有名だが、それでもアダージョ主部の主題は嬰ヘ調で あり、フィナーレが嬰へ長調をとるのは、調的に見れば自然な選択なのだ。 (勿論、誰かが変ロ長調版を採用した説得力のある別解を提示する可能性 を否定するわけではないけれど。)

だが、ここで触れておきたいのは、マーラーの交響曲創作の出発点で あった第2交響曲(なぜなら第1交響曲は、まだその時点では2部5楽章 よりなる交響詩だったから)の楽章順序に関する経緯である。 第2交響曲が複雑で長期にわたる生成史を持つこと、途中の段階では 第1楽章を単独の交響詩「葬礼」とするプランがあったことなどは 今日良く知られるようになり、交響詩「葬礼」の録音も存在すれば、 実演でも取り上げられることがある(日本でもすでに初演されていて、 私はそれに立ち会うことができた)。そしてまた、最終的に辿り着いた 形態が必ずしもコヒーレンスが高いとは言えないものであること、 マーラー自身、自分で指揮した経験からそれに気付いていて、その結果 第1楽章と第2楽章の間に5分間の休憩を入れる指示を書き加えたことも 人口に膾炙しているだろう。(もっとも、もっと緩やかな多楽章形式の 交響曲が幾らでも存在するせいか、今日ではマーラーの指示が文字通り 忠実に守られているわけではないようだが。)

しかし、その長期にわたる生成過程において楽章の順序がどういった 検討を経たのかについての議論はあまり為されていないように思われる。 この点についてはドナルド・ミッチェルが既に1975年の時点で興味深い 検討をしていて邦訳もされているのだが、それに対する言及を見かけること はあまりないので、ここで簡単に紹介しておきたい。 (第3交響曲と第4交響曲の関係に纏わる議論はそれに比べれば遥かに 良く知られていて、あちらこちらで触れられているのは、今日聴くことが できる形態上その連関があからさまで、説明の必要を感じるためだろうか。)

まず確認しておくべきことは、今日第2交響曲と呼ばれる作品の第1楽章に 相当する音楽が最初に(既に良く知られているように最終形とは異なった 形態で)成立したのは1888年9月、つまり今日第1交響曲と呼ばれる作品の完成後 間もなくであった。対して第2交響曲の完成は1894年の年末であり、その完成には ハンス・フォン・ビューローの葬儀への参列の際に聴いたクロップシュトックの 復活の賛歌が決定的な役割を果たしたことの方は良く知られている。

第2楽章と第3楽章の完成は1893年の夏のこととされる。この頃マーラーは 子供の魔法の角笛歌曲集の管弦楽化をしていて、第3楽章のスケルツォは その副産物とでも言えるべきものであったようだ。スケルツォのスコア完成は7月16日、 歌曲の管弦楽版の完成は8月1日という日付を持つ。第2楽章となったアンダンテも同じ夏に 余勢を駆るようにして作曲されている(スコア完成7月30日、ただしスケッチは それに先立って6月21日頃完成)。第4楽章である歌曲「原光」の管弦楽版の完成も 1893年7月19日付けであり、第2楽章や第3楽章、「魚に説教するパドヴァの 聖アントニウス」の管弦楽版と同時期に完成していたらしい。フィナーレは恐らく 進捗していたとしてもまだ素材をスケッチしている段階だったが、 それ以外の楽章は一応、既にこの時点で揃っていた。だが、ここで注意すべきは、 スケルツォの器楽楽章は明確に交響曲の一部とする意図をもって書かれていた一方で、 「原光」の方はそれを交響曲の楽章として用いるという着想はこの時点ではなかったかも 知れないことだ。楽章間の順序もまだ未定であり、アンダンテをスケルツォの後に 置くことも検討されたらしい。結局、楽章構成が確定したのは、くだんの追悼式の 参列以降のことで、ミッチェルもそういっているが、それ以前には多楽章形式の交響曲を 書くという構想の下、いわば泥縄式に出来上がった楽章を組合せようとしたものの 思うような結果が得られなかったというのが実態らしい。

これに関連して思い浮かぶのは、第5交響曲ではアダージェットが後から追加された らしいことや第7交響曲では先に2曲の夜曲ができていて、残りの3つの楽章は後から 翌年になって追加されたことである。一方で、第1交響曲や「嘆きの歌」のように、 後から楽章を1つ削除してしまうということも行われている。その結果、第1交響曲は 終楽章に主題連関のリファレントが宙に浮いたエピソードが残ってしまったし、 「嘆きの歌」は、当初の調的な構想がすっかり姿を変えてしまうことになる。

要するに、マーラーの多楽章形式の作品における楽章間のコヒーレンスは 概してあまり高いものではない。しかしその具体的な様相は多様であって、 個別に記述していくしかなさそうである。であってみればコヒーレンスの不足をもって 非難するのはマーラーの場合にはあまり生産的なやり方ではない。マーラーの形式が 唯名論的なものである、とアドルノが言うとき、それは事前に用意された図式に 従って個別の楽曲の構造が決定されるのではなく、寧ろ各楽章が描き出す星座 (コンステラチオーン)こそを読み取るべきなのだ、ということを言っているに 違いない。そしてそうした多様性こそがマーラーの音楽の認知的・心理的な リアリティの源泉となっていることに留意すべきなのであろう。

ところで、そうしたことは交響曲の場合には例外なく該当するだろうが、 マーラーの作曲したジャンルのもう一方の極である歌曲の方はどうかと考えたとき、 ただちに気付くのは、歌曲については少なくとも連作歌曲集と出版上の都合で 組まれたアンソロジーとを区別する必要があることだろう。「さすらう若者の歌」 「子供の死の歌」は明らかに連作歌曲集として構想されており、少なくとも 交響曲の楽章と同程度のコヒーレンスが存在する。もちろん「さすらう若者の歌」が 4曲で終わっているのはある種の偶然の産物かも知れないし、「子供の死の歌」は 生成史的に見た場合には分裂が見られるから、ここでも交響曲で起きているような 泥縄式の辻褄合わせといった側面がないことはないだろうが、その結果はそうした ネガティブな言い方が不適切に感じられるほど見事なものである。

興味深いのは交響曲において言及される発展的調性は、寧ろ歌曲の方にその萌芽があるかも 知れないことで、実際、歌曲においては1曲のうちの最初と終わりで異なる 調性で終わることは初期作品から珍しくない。1880年の3つの歌曲(リート)の 「春に」や「冬の歌」、「リートと歌第1集」の「思い出」がそうだし、「さすらう 若者の歌」を構成する歌曲に到っては、すべての曲が該当するのだ。この点については ミッチェルが「リートと歌」について論じる際に詳論しているが、マーラーにおける 交響曲と歌曲というジャンルの関係を考える上で、調性の遍歴の問題は非常に重要な 視点であることは間違いない。

その一方で、連作歌曲集に含まれない歌曲における個別の曲の調性の問題は、歌曲の 楽譜が出版される際の実用上の問題、即ち、声の高さに合わせて移調した幾つかの バージョンが出版されるという事情があるゆえに複雑なものとなる。しかもマーラーの場合、 典型的な平均律楽器であるピアノによる伴奏によるものばかりか、管弦楽伴奏のものも あるため事態は一層錯綜としたものになる。つまり曲によっては同じ楽器での伴奏が 音域の問題やら移調楽器の性質から不可能になり、管弦楽法上の調整が行われる場合が あるのだ。リュッケルトによる歌曲のうち「美しさゆえに愛するなら」の管弦楽版が マーラー自身によるものではなく、マックス・プットマンの手になるものであることは 最近は良く知られるようになってきたが、他の曲においても移調された版では管弦楽伴奏に 細かい違いが見られ、それがすべてマーラーによるものなのかは定かでないのである。

そこで最後に歌曲における移調の状況を、分析は控えてまとめておきたい。例えば マーラーのオリジナルの調性と出版譜の調性が異なる場合に、それがどのような理由に よるものなのか、マーラー自身の意図がどの程度反映されているのかといった問題は 個別に検証されるべきだし、調性による象徴法の議論を連作歌曲集に含まれない 歌曲に対して適用することの可否もまたそうした検証の上でようやく可能になるだろう。 他の作曲家の場合には、もしかしたらこうした移調の問題は取るに足らないものかも 知れないが、マーラーの場合にはそうとは言えないだろうから、まずは事実を整理しておく ことにも何某かの意味があるものと思う。

  • 3つの歌(リート):手稿の調性と出版譜の調性は同一。
    • 春に:へ長調→ヘ短調(変イ長調)→ハ長調
    • 冬の歌:イ長調→ハ短調
    • 緑の野の五月の踊り:ニ長調
  • リートと歌第1集:高声版・低声版が存在。以下は手稿の調性。
    • 春の朝:へ長調(低声版が原調)
    • 思い出:ト短調→イ短調(高声版が原調)
    • ハンスとグレーテ:原調はニ長調(出版譜はへ長調)
    • ドン・ファンのセレナーデ:変ニ長調(出版譜はニ長調、ハ長調)
    • ドン・ファンのファンタジー:ロ短調(高声版が原調)
  • リートと歌第2,3集:高声版・低声版が存在。以下は手稿の調性。
    • いたずらな子をしつけるためには:ホ長調(高声版が原調)
    • 私は緑の森を楽しく歩いた:ニ長調(高声版が原調)
    • おしまい、おしまい:変ニ長調(出版譜は変ホ長調、ハ長調)
    • たくましい想像力:変ロ長調(出版譜はハ長調、イ長調)
    • シュトラスブルクの保塁で:嬰ヘ短調(出版譜はト短調、ヘ短調)
    • 夏の交替:変ロ短調(高声版が原調)
    • 別離と忌避:ヘ長調(低声版が原調)
    • もう会えない:ハ短調(高声版が原調)
    • うぬぼれ:ヘ長調(低声版が原調)
  • 子供の魔法の角笛:高声版・低声版が存在し前者を長二度低く移調したのが後者である。
    • 歩哨の夜の歌:変ロ長調(低声版が原調)
    • 無駄な骨折り:イ長調(高声版が原調)
    • 不幸なときの慰め:イ長調(高声版が原調)
    • この歌をひねりだしたのは誰:へ長調(高声版が原調)
    • 地上の生活:変ロ長調(フリギア旋法)(高声版が原調)
    • 魚に説教するパドヴァの聖アントニウス:ハ短調(低声版が原調)
    • ラインの小伝説:イ長調(高声版が原調)
    • 塔の中に囚われた者の歌:ニ短調(高声版が原調)
    • 美しいトランペットの鳴りひびく所:ニ短調(高声版が原調)
    • 高い知性への賛美:ニ長調(高声版が原調)
    • 3人の天使がやさしい歌を歌う:へ長調(高声版が原調)
    • 原光:変ニ長調(低声版が原調)
    • 起床合図:ニ短調またはハ短調
    • 少年鼓手:ニ短調(低声版が原調)
  • リュッケルトの詩による歌曲:中声用が原調。短三度または長二度異なる高声版・低声版が存在。
    • 私の歌を覗き見しないで:へ長調
    • 私は快い香りを吸いこんだ:ニ長調
    • 私はこの世に忘れられ:変ホ長調またはへ長調、初演時は変ホ長調。
    • 真夜中に:イ短調、ピアノ稿はロ短調、管弦楽稿は変ロ短調。
    • 美しさゆえに愛するなら:ハ長調、ピアノ版のみ。管弦楽版はマックス・プットマンによる

(2009.9.27,28)

2009年9月22日火曜日

作品覚書(11)大地の歌

マーラーを代表する作品として「大地の歌」が挙げられることは別段珍しいことではないだろう。 ただし、マーラー・ブームこのかたの演奏会レパートリーや受容の傾向からすれば、「大地の歌」が マーラーを代表する作品と見做されているとは最早言い難いというのが現実ではなかろうか。

それには幾つかの理由が考えられるが、それぞれがこの「大地の歌」という作品の持つ問題を 浮び上がらせるもののように感じられる。まずは、巨大な管弦楽だけではなく、歌手を2人必要と する特殊な編成が、興行する側にとってはレパートリーとしては不利に働くという点。歌手にとっても、 大規模な管弦楽の大音響の中で歌うこの曲は厄介な作品だろうし、それにはこの曲が マーラー自身によって初演することのなかったという事情も関わっているかも知れない。アルマの 主張とは食い違うことになるが、マーラーがもしこの曲を自分で一度でも演奏したら、果たして 管弦楽法に手を入れなかったと言い切れるものか。最近、シェーンベルク=リーン編曲版という 室内管弦楽伴奏版が注目を浴びているのは、耳が肥え、新しいもの、珍しいものにしか 感動しなくなった聴き手側のニーズに応えるというマーケティングの問題もさることながら、 演奏する側の事情も介在している可能性だってあるだろう。

だがそれならば、あのシェーンベルクの手になるものとは言いながら、所詮は他人の手になる 編曲よりも、これまた完成稿とは言い難いとはいいながら、マーラー自身の手による ピアノ伴奏版があるではないか。だが、交響曲よりは連作歌曲としての性格が強くでる ピアノ伴奏版の分は更に悪い。歌曲というジャンル自体の聴き手が限定される上に、 マーラーの歌曲は、ドイツ歌曲の流れからすれば明らかに傍流、異端であることもあり、 一方でマーラーの聴き手のほとんどは専ら交響曲にしか関心がないという事情もあり、 マーラーの歌曲が取り上げられる機会は限定される。仮に取り上げられたとしても、 交響曲としてのスケールを備えた「大地の歌」は、ピアノ伴奏版であっても、歌曲の リサイタルのプログラムには馴染まないだろう。

しかしその一方で、初期に例外はあるにせよ、基本的に交響曲と歌曲という ジャンルのみで創作を続けたマーラーの作品の中で、「大地の歌」が占める位置は やはり特別なものであるに違いない。交響曲にして連作歌曲、というどっちつかずは、 コンサートやCD販売といった興行や流通の制度からすれば厄介者扱いされかねないが、 マーラーの創作の文脈においては、こうした形態の作品がその創作の到達点の一つとして 産み出されたことこそが、その創作の特異性を浮び上がらせる。たかが管弦楽伴奏の ソロ・カンタータを「交響曲」と名づけただけの話ではないか、という醒めた見方もあろうし、 私にはそれに抗弁するだけの音楽史的な知識もないが、ツェムリンスキー、ブリテン、 ショスタコーヴィチの類似の作品は、マーラーの「大地の歌」の強い影響下にあるわけだし、 逆にマーラーがこの作品を産み出すにあたってモデルになった先行作というのも 杳として知らない。事実関係としてそうであるわけだし、そもそもマーラーの創作の論理に したがったとき、それはやはり交響曲にして連作歌曲と呼ぶほか無いもの、最初は 連作歌曲であったものが、交響曲の構造を具備するような発展がその創作過程で 生じた作品なのである。(2008.10.7 この項続く。)

*   *   *

形式の概略(長木「グスタフ・マーラー全作品解説事典」所収のもの)
第1楽章(ソナタ形式) 呈示部(第1節)オーケストラ導入部「アレグロ・ペザンテ」115a
主部(1~2行)(力いっぱいに)1632
経過部(3行)「テンポI」3352d-g
副次部(4~5行)「同じテンポで」5380
リフレイン(6行)「とても落ち着いて」8188
呈示部展開反復(第2節)オーケストラ導入「テンポI スビト」89111
主部(1~2行)112125
経過部(3~4行)125152a-B-Ces
副次部(5~7行)153182es
リフレイン(8行)「ア・テンポ とても落ち着いて」183202as/As
展開部(第3節)オーケストラ導入(主部・副次部展開)「ア・テンポ」203260f
第1部分(1~2行)261284
第2部分(3~5行)285325
再現部(第4節)主部(1~3行)326352a
経過部(3~5行)353368
リフレイン(5~7行)369392A/a
後奏393405
第2楽章 オーケストラ前奏 「いくらかひそかにけだるく」124d
A(第1節)「いくらか遅くして」2549-g
A'(第2節)5077d-g
B(第3節)78101d-D
A''(第4節)~「流れるように」~「高揚して」102137d-Es-d
オーケストラ後奏138154
第3楽章 オーケストラ前奏 「くつろいで快活に」112B
A(第1~2節)1334-G
B(第3~4節)3569
C(第5節)7096g
A'B'(第6~7節)「テンポI スビト」97118B
第4楽章 A導入(z)「コモド・ドルチッシモ」16G
x(第1節1~2行)「少し流れるように713
y(第1節3~5行)「より落ち着いて」1323
x'(第2節1~2行)2429
z(第2節3~8行)「ア・テンポ(より落ち着いて)」3042E-H
B導入4352G-C
行進曲「ピウ・モッソ・スビト(行進曲のように)」5361
(第3節)「さらに放縦に」6274
疾駆「アレグロ」7587c
(第4節)8895F
A'z-x(第2節1~2行)「テンポI 、スビト(アンダンテ)」96103B
z(第5節1~3行)104114G y(第5節4~6行)「とても落ち着いて」114124 後奏124144 第5楽章 第1節「アレグロ はしゃいで、しかし速すぎずに」115A-B-F シグナル(1)(3) 第2節「ア・テンポ」1529A-B-F シグナル(15)(17) 第3節「ア・テンポ」2945A-A/a シグナル(29)(32) 第4節「テンポI スビト」4564F-B-Des シグナル(45)(46) 第5節「テンポI スビト」6572C 第6節7287A-B-F シグナル(72)(74) シグナル「アレグロ」8789A 第6楽章 主部(第1節)オーケストラ導入「重く」118c 1~3行「流れるように、イン・テンポで」1926 オーケストラ間奏「テンポI」2731 4~6行3254 副次部1(第2節)オーケストラ導入「とても中庸に」5570a 1~2行7180 オーケストラ間奏「少し動きをもって」81100 3~9行101149 オーケストラ間奏「遅く」150157 レシタティーヴォ10~12行「一様に速まることなく」158165 副次部1(第2節)オーケストラ導入「流れるように」166198B 1~4行「とても落ち着いた拍節で」199246 5~6行「再びとても落ち着いて」247287 小結尾「中庸に」288302a 主部変奏(第4節)オーケストラ導入「重く」303375c 1~3行「速まることなく」375381 オーケストラ間奏「ア・テンポ」381389 4~6行389405 第5節1~2行405429 副次部第I変奏(第5節3~5行)430459a 副次部第II変奏(第6節)1~3行460489C 3~4行490508 コーダ509572

*   *   *

形式の概略:Henry Louis de la Grange, Mahler vol.3 (フランス語版) pp.1136,1142,1145,1150,1153,1165所収。(譜例は略。なお大地の歌についてはフランス語版と英語版の分析に相違が見られる)
1.地上の苦しみについての乾杯の歌第1節A115前奏Allegro pesante/A tempo sostenutoa, A/a
1652第1セクションSchon winkt der Wein
5388第2セクションとリフレインWenn der Kummer nahtSempre l'istesso tempo, とても静かにd, G/g
第2節A89111間奏Tempo I subitog, c, D, a
112152第1セクションHerr dieses Hauses!B, Ges, Es, es, Aes, aes
153192第2セクションとリフレインEin voller Becher- A tempo, とても静かに
第3節(展開)B203263間奏f, B, c
264325詩節Das Firmament/ Du aber Mensche情熱的に
第4節A1326329詩節とリフレインSeht dort hinab!抑えてa, c, B, aes, A, a, A, A, a
後奏393405
2.秋に孤独な人前奏124少しひきずって、疲れてd
第1節2532A1Herbstnebel wallen少し抑えてd(B), g
3338B1流れるように
第2節3959A2Man meintTempo I subito (少し引きずって)d/D, g, d
6062B2流れるように
第3節6369A3Bald werdenTempo I subitoB
7077B3優しく動いて、再び抑えて
第4節7891A4Mein Herz ist müdeTempo I:急がずにd, Es, B, D
92101B4Ich komm'zu dir引きずらずに
第5節102120A5Ich weine vielTempo Id, g
121135B5Der Herbst流れるように/大きく飛躍してEs
後奏136154Tempo I subitod
3.若さについて134A1-2Mitten in dem kleinen気楽に、活気を持ってB
3569B3-4In dem Häuschen同上G
7096C5Auf des kleinen Teichenより静かにg
97116A';B'6-7Alles auf der Köpfeゆっくりと/Tempo I subitoB
4.美について16導入Comodo. DolcissimoG
727A1-2Junge Mädchen幾らか流れるように
2832間奏より静かに
3242Sonne spiegeltA tempo(より静かに)E
4349間奏少しずつ活気付いてG,D
5061前奏Più mosso subito行進するように中庸にC
6271B3-4O sieh, was tummeln更にいっそう速く
7287間奏常により流れるように/Allegro-C
8895Das Ross des einen更に流れるように/更にいっそう急いでF/D
9697前奏Tempo I subitoB
98101A15Goldne Sonne(Andante)
102106間奏
106124Und die Schönste全く静かにG
124144コーダ
5.春に酔える者13導入(繰返し)AllegroA
48A+1Wenn nur ein TraumPesante... A tempoB
815BIch trinke, bisF
1517繰返しA
1821A+2Und wenn ich nichtPesante... A tempoB
2225導入F
2628BSo tauml'ich bis
2932繰返し
3237A+3was hör'ichA tempo... より静かに/更に静かにB
3744BIch frag'ihnRitenuto. ゆっくりとA
4546繰返しTempo I subitoF
4750A+4Der Vogel zwitschertB
5164BDer Lenz ist daためらって/全くゆっくりと/いくらか流れるようにDes/Aes
65715Ich fülle mirTempo IF, C/c
7274繰返しA
7579A+6Und wenn ich nichtB
8087BUnd wenn ich nichtF
8789繰返しAllegroA
6.別れA119導入4/4-5/4重くc
2026レシタティーヴォno.1Die Sonne scheidet自由流れるように。拍子をとって
2732間奏Tempo I
3239O sieh! wie eine SilberbarkeC/c
3954Ich spüref
B 第1リート5570前奏Alla breve非常に中庸にF
7180Der Bach singt少し活気付いてd,a
81101間奏Pesante
102110Die Erde atmetA TempoF
111118間奏流れるように
118128Die müde Menschen2/2-3/2急がずにcis/Des
128136間奏Alla breve
137147Die Vöegel hocken stilla
148149Die Welt schläft einゆっくりと
150157間奏6/4-4/4-5/4
158165レシタティーヴォno.2Es wehnt kühl自由非常に均等に、急がずに
C 第2リート166198前奏3/4流れるようにB
199229Ich sehne mich気付かれずに一つ振りに移行する
229236間奏非常に流れるように
237287Ich wandle再び非常に静かに、急がずに
288302間奏(鳥)Alla breve中庸にa
A'303375第2部の前奏4/4重くc
375381レシタティーヴォno.3Er stieg vom Pferd急がずに
381389間奏
390394Er sprach
第3リート394409Du mein FreundC
410419Wohin ich geh'?6/4(3/2)-4/4Rit. ゆっくりとc/C
B'420449Ich wandleAlla breveとても中庸にF
450459後奏
C'460527Die liebe Erde3/4ゆっくりとC
527572Ewig, ewigクレシェンドせずに!
(2009.9.22)

2009年9月21日月曜日

作品覚書(10)第10交響曲(2021.5.9更新)

よく知られているように、第10交響曲は未完成のまま遺された。しかもそれは第9交響曲のように、 フル・スコアの形態にまで至らなかったため、遺された草稿からその構想を窺うことは可能でも、 最終的な音響的な実現は望むべくも無い。アドルノが倣岸に言い放ったように、それはそうした ファクシミリにアクセスでき、それを読み取って未完の部分を補完する機会と能力に恵まれた人間に のみ許される特権と化するところであった。
だが、この第10交響曲は幾多の未完成作品と比べても、際立って恵まれた状況にあると言えるだろう。 イギリスの音楽学者デリック・クックを中心とした演奏用バージョンの補筆作業によって、私のような 市井の愛好家、しかも年端も行かぬ子供ですらその全体像に近づくことが可能になっているのだ。
ところで、この作品を聴いた人は、シェーンベルクがプラハ講演において第9交響曲について述べた言葉を 反芻しつつ、この音楽が一体「どこ」で鳴っているのか、不思議な思いに捉われるではなかろうか。 あるいはそんなことはなく、他のマーラーの作品と何ら違いなく聴ける人もいるかも知れないが、私個人の場合には 初めて聴いて以来、今日までそういった聴き方はずっとできないでいる。別に敬して遠ざけたり、あるいは忌避 したりしているということはなく、実際には例えば第8交響曲は勿論、第5交響曲のように自分にとって比較的 距離感のある作品に比して、第10交響曲を聴く頻度は遙かに高いというのに、それでもなお、その音楽を聴くたびに、 一体音楽が鳴っているこの「場所」がどこなのかを言い当てる適当な言葉を見つかられないでいるのだ。
そうした私にとっての最大の近似値は以下に示す、ヘルダーリン晩年の断片が語られている場所である。
 
Wenn aus der Ferne, da wir geschieden sind,
 Ich dir noch kennbar bin, dir Vergangenheit,
  O du Theilhaber meiner Leiden!
   Einiges Gute bezeichnen dir kann,

So sage, wie erwartet die Freundin dich,
 In jenen Gärten, da nach entawlicher
  Und dunker Zeit wir uns gefunden?
   Hier an den Strömen der heiligen Urwelt.

Da muß ich sagen, einiges Gutes war
 In deinen Bliken, als in den Fernen du
  Dich einmal fröhlich umgesehen
   Immer verschlossener Mensch mit finstrem

Aussehn. Wie flossen die Stunden dahin, wie still
 War meine Seele über der Wahrheit ...

In meinen Armen lebte der Jüngling auf,
 Der, noch verlassen, aus den Gefilden kam,
  Die er mir wies, mit einer Schwermuth,
   Aber dir Nahmen der seltnen Orte

Und alles Schöne hatt' er behalten, das
 An seeligen Gestaden, auch mir sehr werth
  In heimatlichen Lande blühet,
   Oder verborgen, aus hoher Aussicht,

Allwo das Meer auch einer beschauen kann,
 Doch keiner seyn will. Nehme vorlieb, und denk
  An die, die noch vergnügt ist, darum,
   Weil der entzükende Tag uns anschien ...

この詩断片の語りの場というのもまた異様で、まるで世の成り行きから超絶した、 異世界のほとりで、かつて自分がその只中を彷徨った世の成り行きを遙かに望みながら 語っているかのようだ。そして、ほとんど同じ印象を、私はマーラーの第10交響曲についても 抱かずにはいられないのである。単に過去を振り返っているのではない。その過去の出来事の 生起したのとは別の場所にいるような感じがしてならない。要するに、シェーンベルクの言っていた あの一線を、やはりこの曲は越えてしまっているのでは、という感覚を否定し難いのだ。 (2008.10.5 この項続く。)
*   *   *
形式の概略(長木「グスタフ・マーラー全作品解説事典」所収のもの。第1楽章全集版、第2~第5楽章クック版)
第1楽章(ソナタ形式)呈示部導入部「アンダンテ」115?
主部「アダージョ」1627Fis
副次部2839fis
呈示部変奏反復導入部「アンダンテ・コメ・プリマ」4048?
主部「テンポ・アダージョ」4980Fis
副次部「ア・テンポ(流れるように)」81104fis
展開部導入部105111?
副次部(導入部)展開112121a
主部・副次部展開122140Es-fis-A-fis-dis-F
展開再現部主部展開再現141152Fis(-G-H)
副次部展開再現153177fis
(展開部118~125)(172)(175)
主部反復展開再現178183Fis
導入部「いくらか躊躇うように」184193?
カタストロフ的絶頂発現194198as
主部・副次部挿入199202
コーダ213275Fis
第2楽章(スケルツォ)スケルツォ主部「速い4分音符で」122fis
主部展開2359
移行句6075
副次部「より荘重に」76130F
主部展開(「テンポI」)131164fis
トリオI第1部分「すぐに非常により遅く ゆったりとしたレントラーのテンポで」165185Es
第2部分186201g
第3部分(第1部分展開)202234Es-H-Es
第4部分(第2部分展開)「ひきずることなく」235245es
スケルツォ主部展開「テンポIスビト」246255fis
副次部展開256269Es
主部展開270278fis
副次部展開「再び留めるように」279299D
トリオIIトリオI第1部分展開「センプレ・アレグロ しかしいくらかより幅広く」300319D
同第2部分展開「いくらか落ち着いて」320330C
同第1部分展開331347D
同第2部分展開「ひきずることなく」348365
スケルツォ主部・副次部展開「ひきずることなく」366415F-C-F
スケルツォ・トリオ展開「すぐに控え目に、非常に表出的に」416477Fis-B-Fis-D
コーダ「いくらか荘重に~いくらか切迫して」478522
第3楽章(3部形式)A導入「アレグレット・モデラート」16b
第1部分「速すぎず」724
第2部分「少し流れるように」2534B
第3部分3541
第4部分4252b
第5部分5363
B第1部分「切迫して」6483d
第2部分(溜め息1)「いくらか控え目に」8491
第3部分(溜め息2)「再び控え目に」9295
第4部分「あわてずに」96106
第5部分(溜め息3,4)「控え目に」107114
第6部分「落ち着いて」115121
A(ダ・カーポ)導入「テンポI」122125b
第1部分「速すぎず」126142
第2部分144153
第3部分154160b/B
コーダ161170b
第4楽章(スケルツォ)スケルツォ導入「アレグロ・ペザンテ、速すぎず」14e
主部564
副次部65106E/e
主部展開107122e
トリオI「ゆったりと」123165C
スケルツォ主部展開「ペザンテ、冒頭のように」166247e
(トリオ挿入‐ダンス)(196)(225)c
(溜め息)(210)(217)
トリオII「ゆったりと」248379A
スケルツォ主部展開「アレグロ・ペザンテ」380409e
トリオIII「ゆったりと」410443H
(クライマックス(溜め息)「モルト・ペザンテ」)(432)(443)
スケルツォ副次部展開「ソステヌート」444520h
(トリオ挿入「急ぐことなく」)(478)(504)c
(溜め息)(486)(493)
コーダ「明らかにより遅くして、影のように」521578
第5楽章(3部形式)導入部葬送音楽「遅く、重く」129d
第1部分「いくらか流れるように、しかし常に遅く」3044d/D
第2部分4557h
第1部分展開5877D/d
葬送音楽「テンポI」7883d
主部第1部分(プルガトリオ・モティーフ)「アレグロ・モデラート」84144
第2部分(溜め息)「燃えるように」145190D/d
(クライマックス)(179)(190)
第3部分(導入部第1部分展開)「ソステヌート」191224F
第4部分(導入部第1部分展開)「非常に落ち着いて」225244H
第5部分(主部第1,2部分展開)「すぐにいきいきと~アレグロ」245266d
第1楽章回想I/188~193「すぐに非常に幅広く」267274fis
I/203~208「第1楽章の同じ箇所のように」275283
I/1~15「アンダンテ(交響曲の冒頭のテンポで)」284298
導入部回想第1部分展開「非常に落ち着いて」299314B
第2部分展開「アダージョ」315322Fis
第1,2部分展開323346-G
第2,1部分展開347372Fis
コーダ373400

*   *   *

形式の概略:Henry Louis de la Grange, Mahler vol.3 (フランス語版) pp.1242,1248,1251,1253,1256所収。(譜例は略。なお第10交響曲についてはフランス語版と英語版で異なる分析が示されている。)
第1楽章はTyll Rohland, Zum Adagio aus der X. Symphonie von Gustav Mahler, in Musik und Bildung, 1973/11に基づく。
第2楽章~第5楽章はDeryck Coockeによる。テンポ指定のうち括弧内のものはCoockeによる。
1. Adagio第1部分115導入(ヴィオラのレシタティーヴォ)AndanteGis? Eis?
1627A(Aの転回:第24小節)AdagioFis
2831I''(I'の予告)引きずらずに
3238I'/B流れるようにfis
3948I(第1の変形)Andante come primaGis? Eis?
4980A2(Aの第1の変形)Tempo AdagioFis
第2部分81104I'/B(変形)A Tempo(流れるように)fis, b
105111I(第2の変形、ここに挿入される)(Andante come prima)b?
112121I''(Iの要素とともに)(少し早めて)a, d/D, e?
122140A, I'', A, I'/B, I''(少し抑えて)H, fis, cis, fis, dis, F
141152A3(Aの変形)(Tempo Adagio. 冒頭ほど幅広くなく)Fis, G, H
153177I'/B(変奏された)(A Tempo. 流れるように)fis, b
第3部分178183A4(展開)(Tempo Adagio. 以前のように流れるように)Fis
184193I(2声での回想)少しためらってA/Eis
194199コラール(全奏)aes
199202A(断片)とI'/B(断片)(引きずらずに)
203212《カタストロフ》(再び幅広く)aes, C, H
コーダあるいはエピローグ213227I'A Tempo, etc.Fis/fis, D
227267A(I:247-252; I'/B:258/9)Fis, Eis?, Cis
267275終止和音Fis
2. Scherzo(no.1)スケルツォ14導入早い四分音符(3/4拍を保って-4/4 Alla breve)cis
522Afis
2342A(再現)
4360展開とクライマックス(急がずに)B, E, G
6075移行(気付かれないようにより中庸に)B
トリオ17696B(さらにより中庸に)F
97110B(変奏された再現)
111116A(短縮された再現)
117130移行
スケルツォ131141A(再現)(Tempo I subito)Aes, D
142151A(展開)D
152162A(再現とクライマックス)fis
トリオ2165186C1(突然ずっとゆっくりと)中庸のレントラーのテンポでEs
187202C2g
203234C1(変奏と展開)Es, H
235245C2(変奏された再現)Es/es
スケルツォ246254A3(Tempo I subito)fis
255269B(展開)(気付かれないように遅くして)Es, C
270278A(Tempo I 速く)fis
279295D
296299C(再現とクライマックス)
トリオ2300346C1(Sempre Allegro 拍を保って、しかしやや幅広く)D,C
347358C2(少し静かに)(引きずらずに)
359365移行Es, H
トリオ1(と2)366375BとC(展開)(A tempo:引きずらずに)F, C
376385C(より速く)C
386407CとAF
408415A(移行とクライマックス)
スケルツォとトリオ2416422A(突然抑えて)(非常に感情を込めて)Fis
423443C(拡大された)とクライマックス(全く静かに、4拍子で振る)
スケルツォとトリオ1,2444457AとC(Tempo I subito、速く)B
458468CFis
469477C(少し抑えて)D
478491AA tempo しかし幾らか急いで
コーダ(トリオ1と2)492502C(拡大された)(Tempo I)Fis
503510B(Pesante)-(急いで)
511522BとC(速く)
3. Purgatorio提示16導入Allegro Moderatob
614A急ぎ過ぎずに
1422A(再現)
2224Aの冒頭(リフレイン)
2532B1幾らか流れるようにB
3334リフレイン
3440B2+リフレイン
4152B3(バス)+リフレイン
展開6481A+B1(前進)d/D
8183リフレイン
8491新しい主題:C1(少し抑えて/a tempo)(F)
9195C2(Cの再現)(再び抑えて)d
96106A(展開)緩めて/(急いで)
106114C(展開とクライマックス)抑えて
115121A(デクレシェンド)(A tempo)(だんだん静かになる)d
再現122125導入(短縮された)(Tempo primo)b
125143A(とリフレイン)(急ぎ過ぎずに)
143151B(とリフレイン)(幾らか流れるように)
153167C(縮小された)とB2(Senza rit. al fine)B/b
167170バスにリフレインを伴った結尾(カタストロフ)
4. Scherzo(no.2)スケルツォ14導入(和音とRa)(Allegro Pesante 速くなく)e
525A1(クライマックスまで展開)
2441A1
4156A1(クライマックスまで)
5664移行e/E
6472A2E
7382A2'g
8398A(新たな終結)e
99114A3 リフレインとクライマックス+導入(A tempo, しかし急かずに)
115122移行(導入とR)
トリオ123137B1(シンコペーションを伴うワルツ)(A tempo. 中庸に)C
137144B1(変奏された再現)
145152B2
152166B3
スケルツォ166184A1(Pesante. 冒頭のように)e
184201B1(Rとともに)(非常に嘆いて)d
202210A3(リフレインとR)
210218クライマックス(A tempo)a
219225B1
226243A1(展開)C
243247移行(およびR)(抑えて)e
248260B1(A tempo. 中庸に)A
261268B2(Rとともに)
268277クライマックス(Pesante)
278286B2(A tempo. 抑えて)
287290移行1A,C
291311移行2(A tempo, しかしとても静かに)A
トリオ311380C(B3の展開)(A tempo. 躍動するように)
スケルツォ380387A1(A tempo. Allegro pesante)e
388409移行
トリオ410423B1(A tempo. 中庸に)H
424431B2
432443クライマックス(Molto pesante)
444451移行(Rとともに)(A tempo sostenuto)h
スケルツォ452461A2
462477A(新たな終結)
478485リフレイン
トリオ486494B1:クライマックス(A tempo)D
495504B2
コーダ505516クライマックス(Rとともに)(Pesante)d
517520B2(変奏された)とR
521548B2(ディミヌエンド)とR(はっきりとゆっくりとして。幽霊のように)
5. Finale導入第1セクション1293(Purgatorio)のモチーフ:3g, Rbと3C(ゆっくりと、重々しく)d
第2セクション3045フルートのソロ:I1(と3C)、和音のモチーフ s/Rc少し流れるように、しかし常にゆっくりとd/D
4458Raを伴ったI2(ヴァイオリン)とI3(和音のモチーフ)H,Es
5866フルートのソロ(ヴァイオリンでの再現)急ぎ過ぎずにD/H
6672クライマックス(Raとともに)
第3セクション7284省略された再提示(Rb, 3g-3b)(Tempo I)h/d
アレグロ第1セクション84/td>98A(Rb, 3gと3C)Allergo moderato(ひきずらずに)d
98104B(3C)の転調(引きずらずに)
104120A
120127B(Purgatorioの引用:第107~111小節)
127145Aの展開とクライマックス
145161変形されたB(火のように)D/d
161176AとBの展開およびクライマックス(急いで)
176186クライマックス:4のリフレイン。Ra(A tempo)d/F
第2セクション186190Rb, 2C, I2(フルート)
190225Rbで中断されるI2など(Sostenuto)F/H
226236I2(中断なし)(全く静かに)
236243I2(拡大、Rcとともに)H/Aes
243245移行(3C)g
245260A(再提示:Rb, 3g, etc.)(突然活気付いて)d
261267B(とRb)、クライマックスまで
267274I1の終わり、クライマックス(Rbとともに)(突然非常に幅広く)(ゆっくりとした2拍子)fis
275283不協和音(Rbとともに)Fis
284298I1(冒頭)の二声での回帰(Andante)(交響曲の最初のテンポで)
299315I2(3Cとともに)(とても静かに)B
315322I2AdagioFis
323340I1
340352I2Fis/G
353372I1(導入の再現)とI2まだAdagioで(急かずに)Fis
コーダ373/td>393I2とI3
394400I1の最初と3
(2009.9.21)

2009年9月19日土曜日

作品覚書(8)第8交響曲

第8交響曲は、第6交響曲とは逆の意味で、今日における評価の定まった作品なのだろうか。この曲に関しては例えば第7交響曲に おけるような議論というのもあまり見られない。日本でいけばバブル期以降、コンサートホールの杮落としを始めとする何かの記念のための プログラムとしてこの曲が取り上げられることは珍しくないが、だからといってこの作品が華々しい復権を遂げたようには見えない。 人はこの曲がそもそもミュンヘンの博覧会のコンサートで初演されたという経緯を思い浮かべるかも知れない。勿論、それは単なる 社交的なイベントではなかった。寧ろ、それは文化的にその時代(と、事後的に見ればその終焉)を象徴するイベントであった。 そして指揮者、歌劇場監督としての名声を誇ったマーラーが短いその生涯の晩年に、それに先立つ悲劇的な出来事の後、ようやく 手に入れた作曲家としての掛け値なしの成功は、この第8交響曲がもたらしたものだった。カトリックの賛歌とゲーテのファウストの終結部という 素材やら、興行主によってある意味では巧みに名づけられ、そして誇大広告でも何でもなかった「千人の交響曲」というコピーをいわば 裏付ける巨大な管弦楽と声楽パートやらも、作品の壮大さを醸し出す。それらは一世紀後の極東の地でバブルを演出するのに 一役買ったのかもしれないが、一体誰がカトリックの賛歌を、ゲーテの戯曲をまともに受け止めたのかを考えれば、今日の文脈では それが「箔をつける」ために利用されるだけの過去の遺物、文化財でしかないという評言の説得力を否定するのは難しいだろう。

一方で、もしかしたらマーラーが、少なくともある時期にはそう希望したかも知れないように、この交響曲をマーラーの創作活動の 頂点に置こうとする試みもないことはない。何しろ、実演の効果は抜群であり、実演に接したものが抱く印象には強烈なものがある。 こうした作品は、その是非は置くとして、一度実演に接した上で評価をすべきではないかという気はする。そうした実演での強烈な 印象に或る種の危険やまやかしの類を嗅ぎ付けて否定するのは結構だが、それは実演に接した上での拒絶であるべきではなかろうか。 ましてここでの文脈では、マーラーを全体として否定するという話ではなく、他の作品の価値を、そして総体としてのマーラーの創作の 価値を、まずは疑いの余地のないものとして捉えた上で、この作品についての留保を行おうという話なのだから。

だが、そうした実演の印象の強度を認めた上で、この作品をマーラーの作品の頂点に置くことに躊躇いを感じる人はやはり 少なくないだろうし、上述の擁護の論調は結局のところ説得力を持つものになり得ていないように感じられる。何よりも、 マーラーの作品を総体として捉えようとしたときの展望が、この作品の特異性を浮び上がらせるのだ。端的に言って 一体この曲をどのように位置づけたら良いものなのか、途方に暮れる人が居たとしても不思議は無い。第7交響曲までを この作品のための準備、前置きとして捉えよ、という(何しろ作曲者本人が言ったわけだから)オーセンティシティさえ認められる 主張に従ったところで、それでは後続する作品群との繋がりをどのように理解したらよいのか、杳として知れないということになりかねない。勿論、 すべての作品が矛盾ない展望の下に位置づけられなくてはならないなどという話は始めからありはしないのだが、 ことマーラーの場合については、得てしてそういった展望の下で語られる傾向が強いだけに、一層具合が悪いには 違いないのである。途方に暮れた挙句に、なかったことにしてしまい、作品としての価値よりも、マーラーの生涯に おけるイベント、文化史における事件としての価値のみ触れておしまいにしてしまおうと考えた人がいても 無理からぬところはあるし、現実にそうしたことは作品解説を標榜するような書籍においてすら起きていもするのだ。

その一方で、この作品自体の持っている構造を、これまでさんざん行われてきた歌詞に由来する表現内容の問題とはとりあえず別の レヴェルで検討したときに得られる展望がどのようなものであるかを考えようとしたとき、思いのほかそうしたレヴェルでの議論が為されていないのでは という思いに囚われるのは、私だけだろうか。肯定するにせよ否定するにせよ、歌詞に由来する表現内容を抜きにした議論というのは困難なのか、 あまり思い当たるものもないのだが、その中で私が真っ先に思いつくのは、シェーンベルクのあのプラハ講演の中で、よりによってこの第8交響曲に 言及するくだりである。

シェーンベルクのマーラーへの評価には、直接その人を知る人間にありがちな人間性に関する或る種の「聖化」の傾向をおくとしても、 純粋に作曲技法上の平面でのそれにおいてですら、孫弟子であったはずのアドルノを戸惑わせるような側面があって、例えば物議をかもす第7交響曲のフィナーレを よりによって高く評価したりといった点についてはアドルノが半ばあきれたように言及しているほどなのだが、これまた巷では評判の悪いこの第8交響曲についてもまた、 プラハ講演で、マーラーの旋律構成の芸術性の著しさの証として(あの有名な第6交響曲アンダンテの主題の分析に先立って)言及しているのである。 シェーンベルクによれば、マーラーの旋律の異様なほどの息の長さは和音の反復を招来することになるが、それは他の人の場合と異なって、消耗してしまう どころかますます燃えさかり、最高度の刺激にまで高まるという。その例としてシェーンベルクは第8交響曲第1部に頻出する変ホ長調のIの四六の和音に 注目する。

Wie oft kommt dieser Satz nach Es-Dur, zum Beispiel auf einen Quartsextakkord! Jedem Schüler würde ich das wegstreichen und ihm empfehlen, eine andere Tonart aufzusuchen. Und unglaublich : hier ist es richtig! Hier stimmt es! Hier dürfte es gar nichts anders sein. Was sagen die Gesetze dazu? Man muß eben die Gesetze ändern!

実際には私はシェーンベルクに命じられて別解を探すだけの訓練を受けてきていないから、実はこの文章がレトリックに過ぎないのかどうかを自ら判断する 資格はないということになるだろう。だが多分、他の人が見つけてくるかも知れない別解を実際に聴けば、きっとシェーンベルクの主張の正しさを都度確認 することになりそうだという感触を持つくらいにはマーラーの音楽を自分の中に埋め込んでいるとは主張できるだろうと思う。

第8交響曲への懐疑派が 頼りにしているらしいアドルノも、実際に彼の文章を読むと、確かに揶揄交じりの評言を見つけることはできるけれども、そこに奇妙な躊躇いがあるのを 感じずにはいられない。アドルノは少なくとも自分が聴いたヴェーベルンが指揮した第8交響曲の実演の経験には忠実であろうとしているように見える。 そこで私は、上記のシェーンベルクの発言とアドルノがヴェーベルンの演奏で聴いたAccende lumen sensibusに見出したものとを、アドルノ自身が マーラーの観相学のために用意したカテゴリーを使って橋渡ししてみようと思う。つまるところ私には、第8交響曲全曲が1つの「突破」Durchbruchなのでは ないかという気がしてならないのである。こうしたことはヴェーベルンのような時間の圧縮においては当然に考えうるだろうが、よりによって水平・垂直次元のみならず、 セカンダリー・パラメータに関しても、西欧音楽の極限とまで言われるほどに拡大したこの第8交響曲全体が1つの「突破」であるというのは、拡大解釈もいいところかも知れない。 だが、Durchbruchを脱心理学化して、例えばホワイトヘッドのプロセス哲学的な時間論に移殖したとしたら、それは「時の逆流」という解釈が問題になるような相と 比較することが可能なものではなかろうか。

要するに第8交響曲は「瞬間」の拡大、現在のある相を極限まで押し拡げる実験であるように思える。実際、この音楽はある意味ではどこへも向かわない。 この音楽が展開される時間というのは、日常的な時間の中に出来た裂け目のようなものであって、それゆえある意味では、この世の営みにおいてはほとんど「無益」な ものに違いない。マーラー自身はそう思わなかったかも知れないし、彼の時代には不可能であったのだが、例えば今日、自室のPCでこの音楽を聴くことが 如何に滑稽で場違いなことかを思えば、その「無益さ」は明らかであろう。その音楽が終わったあと、あなたは何をするだろう。その後の生活はこの音楽によって どう変化するだろうか。かつてマーラー自身が第2交響曲においては或る意味では先回りをして予見していたとおり「魚に説教するパドヴァの聖アントニウス」よろしく、 元の木阿弥ということはないだろうか。だが、長い成立史を持つ第2交響曲と異なって、第8交響曲は或る意味では一気に書きあげられたという成立史上の事情も あって(そしてそれは実際、決して無関係ではないと思われる)、ここではそうやって侵入してきた「何か」がいわば無媒介に晒されているかのようである。勿論その「何か」の 異様さ、力の例外的な激しさは作品に見事に定着されているから、聴く人がそれに気付かないということは恐らくありえないのだが、今度は音楽が自ら歌詞によってそう 注釈しているとおり、所詮は「移りろいゆくもの」、「仮象」に過ぎないのであれば、全くの無ではないとはいっても、日常の時間性の流れにその瞬間もまた押し流されて いってしまうのだろう。この場合、この曲が傑作であるかどうかといった審美的な評価などどうでもいいことで、この音楽はある基準に従って評価される何者か ではなく、寧ろそうした美的な判断の手前にある経験を捉えようとする試みなのである。アドルノが珍しくカバラの用語さえ引用し、更には「救い主の危険」といった 言い回しを用いるだけの力がこの作品には宿っているのだ。 (2009.6.29 この項続く)

*   *   *

形式の概略(長木「グスタフ・マーラー全作品解説事典」所収のもの。)
第I部(ソナタ形式) 呈示部第1主題呈示(第1節前半)「アレグロ・インペトゥオーソ」120Es
第1主題後半(同上)2130
経過部(同上)3145
第2主題呈示(第1節後半)「ア・テンポ 少し(しかし分からぬくらい)抑えて、それでも流れるように」4679Des-As
第2主題後半(第2節)80107
経過部(第1主題、第1節)108123Es
オーケストラ間奏「テンポI」124140-d
小結尾(第3節前半)「少し抑えて」141168-Es
展開部オーケストラ間奏「テンポI(アレグロ、少し慌てて)」(第1主題展開1)169216(-as)
第1主題展開2(第3節)「再び非常にゆっくりとひきずることなく」217257cis-F-D
経過部「ただちに非常に幅広く、情熱的な表現で」258261
第1主題展開3(第3節後半)「ただちに躍動して」262289E
第1主題展開4(第4節前半)290311e
第1主題展開5(二重フーガ)(第4節後半、第5,6節)312365Es-A-Des
第1主題展開6(第3節後半)366412E-Es
再現部第1主題前半再現(第1節第1行)413431
第2主題後半再現(第2節後半)432440
第1、第2主題対置(第7節、第4節第2行)「もとのテンポで」441487
オーケストラ後奏488503As-E
コーダ(第8節)504580Es-Des-B-Es
第II部 オーケストラ前奏「ポコ・アダージョ」196es
「ピウ・モッソ(アレグロ・モデラート)」97146
『まだ天使になりきれていない天使たち』予示147162
小結尾163166
聖なる隠者たち『聖なる隠者たちの合唱と谺』「再びゆっくりと」167218
『法悦の教父』「モデラート」219260Es
accende動機「アレグロ」261265
『瞑想する教父』「ただちに以前より少しゆっくりと(アレグロ・アパッショナート)」266362es
小結尾363384
天使たち、少年たち『天使たちの合唱』「アレグロ・デチーゾ」(I/262~,366~)385440H
『早逝した童児たちの合唱』予示「アレグロ・モッソ」(II/613~,1187~)418435
経過部「モルト・レジェッロ」436442G
『まだ天使になりきれていない天使たち(バラの合唱)』「スケルツァンド」443519Es
オーケストラ間奏(accende動機)520539
オーケストラ間奏「少しゆっくりと、そして少し中庸に」(I/135~)540551d
『まだ天使になりきれていない天使たち』「最初は少し抑えて」581(612)
マリア崇拝の博士と女性たち『マリア崇拝の博士と昇天した童児たち』「アレグロ・デチーゾ」604638G-H
『マリア崇拝の博士』「同じテンポで」639757
(accende動機)(704)(723)Es
オーケストラ間奏(accende動機)「ポコ・ピウ・モッソ」758779Es/E
栄光の聖母飛来『マリア崇拝の合唱』「かなりゆっくりと、アダージッシモ」780844E
『贖罪の女性たちの合唱』「流れるように」844867H
『罪いとふかき女』「流れるように」868905-Es
『サマリアの女』「同じテンポで」906956es-Es
オーケストラ間奏956967
『エジプトのマリア』「流れるように」(II/474~82)9681016g-Es
『3人の重唱』「とても流れるように、ほとんど飛ぶように」(II/436~バラの合唱)10171093C-A-a-F
『懺悔する女性のひとり』(栄光の聖母動機10931141D
『昇天した童児たちの合唱』11411185
『昇天した童児たちの合唱』「アレグロ」11861212B
『懺悔する女性のひとり』(I/第1,2主題)「再びもとのテンポで(第1部の同所よりも新鮮に)」12071248
(accende動機)(1243)(1248)Es
『栄光の聖母』「とてもゆっくりと」12491276Es
『マリア崇拝の博士』と合唱「賛歌のように」12771383-E-Es
オーケストラ間奏「流れるように」13841420
神秘の合唱オーケストラ前奏(ゆっくりと)14211448
『神秘の合唱』「とてもゆっくりと始まり」14491528
第I部冒頭主題回帰「流れるように」15281572

*   *   *

形式の概略:Henri Louis de La Grange, Mahler vol.3(フランス語版), pp.1100--1, 1105--7所収のもの(英語版第3巻pp.914-5, pp.919-921と照合して一部修正)
ローマ数字や英字は譜例のIDを表す(譜例は略)
第I部提示145主題A1(2-5); A'(5-7); A1とA''(8); A2(22-25), 《Veni creator》Allegro impetuosoEs, B, Es
46107主題B1(A',A2とともに); B2(あるいはA'':第80小節); B', 《Imple superna gratia》いくらか中庸に、常に非常に流れるようにDes, Aes, B
107122主題A1(B1とともに), 《Veni creator》Sempre a tempo / PesanteEs
122134間奏/管弦楽(A',A1,A'',D)Tempo primo
135141前奏/管弦楽(A',A'',D)新たにもう一度遅くd
141168主題C(A',B, A', B1), 《Infirma nostri corporis》少し抑えて/とても静かにEs
展開第1セクション169216前奏/管弦楽(A1,A'の転回)Tempo I. Allegro, 少し急いでAes, cis, F, D, C, H
217261主題D(A'の変奏)(A1, B1), 《Infirma nostri corporis》以前のように再びまた遅くcis, F, D, C, E
第2セクション262311主題E(A'の変形)(A', A1, A2およびIV/3), 《Accende lumen》突然躍動してE, D, E, e
第3セクション312412二重フーガ(A', A2, E, ついでB1, 第385小節以降), 《Praevio te Ductore》Es, A, Aes, E
再現(省略された)413441主題A1(A', A'', A2, B2=A''), 《Veni creator》‐より抑えてEs, B
441474A', A'', B1, 《Da gaudiorum premia》再び元のテンポでAes
474493A', A2, 《Ductore praevio》
コーダ494518主題C(A', D, 拡大されたD), 《Gloris Patri》より幅広く/再び早く/PesanteE, Es, Des, b, B
519540主題A (B', C, A2), 《Gloria sit Domino》Tempo primoB, Es
541580(A, A', E, A2)流れるように/気付かれないように二拍子に移行する
第II部導入(管弦楽)136IV/2a(オスティナート), V/1A, V/1a(最初の合唱の予告)Poco Adagioes
5796V/1a, V/1b, V/1A(法悦の教父の独唱の予告)いくらか動きをもって
97146V/3, V/1aとIV/2A, V/3とV/1b, V/1aとV/1b (瞑想する教父の独唱と天使の行進主題《Nebelnd um Felsenhöh》)Più mosso
147166コーダ:V/1C(IV/3の変奏), V/1b
提示第1部分167218V/1Aと1a, IV/2a, 合唱:《Waldung, sie schwankt》再びゆっくりとes/Es
219265V/1aと1b, バリトン:法悦の教父 《Ewige Wonnnebrand》Moderato
266362V/3とIV/2a, バス:瞑想する教父 《Wie Felsenabgrund》Allegro appassionatoes(Ces)
362384後奏(管弦楽) V/3, V/1A
第2部分385436EまたはIV/2A, IV/2, IV/3b, 女声合唱:《Geretet ist》 児童合唱《Hände verschlinget》Allegro decisoH, G, Es
436520VI/1, VI/2, VI/3, VI/1a, VI/4, 女声合唱 《Jene Rosen》Scherzando, Molto leggieroEs
520539後奏(管弦楽) E(IV/2), VI/1, VI/2aAllegro appassionato
第3部分540552前奏(管弦楽)=I/1aとI/2, III/2A (I/1a, 2a)既に少しゆっくりとd, Es
552579主題C(I/1a), ついでI/2a, 合唱 《Uns bleibt》とアルト独唱第1部の同じ場所のように
展開第1セクション580604V/3, V/1c, IV/3b 合唱:《Ich spür'soeben》最初はまた少し抑えてEs
604638IV/3b, 女声合唱、ついで児童合唱とテノール独唱 《Hier ist die Aussicht》再び少し速めてG, H
639723IV/2a, IV/1, f, テノール独唱 《Höchste Herrin》Sempre l'istesso tempoE, Es
724757V/2, IV/2a, E, f, テノールおよび合唱 《Jungfrau rein》とてもゆっくりとEs
758779間奏 IV/2a, V/2Poco più mossoEs-E
第2セクション780803前奏(管弦楽) V/2(A''と類似)極度にゆっくりと AdagissimoE
804824V/2, 男声合唱 《Dir, der Unberührbaren》
825844V/4, 混声合唱 《Wer zerreist》ゆっくりと、ただようように
844867V/2, ソプラノ/合唱IIとソプラノ独唱II 《Du schwebst zu Höhen》流れるようにH
868905V/2a, VI/1, ソプラノI:罪深き女《Bei der Liebe》h, gis, Es
906956VI/1, アルトI:サマリアの女《Bei der Bronn》常に同じテンポでb, Es
957967後奏(管弦楽) VI/1
9681016VI/3とVI/1, V/2a, アルトII:エジプトのマリア 《Bei der Hochgeweihten》常に流れるようにg
10171093VI/1, VI/2, V/2a, 上記3人の重唱 《Die du grossen》とても流れるように、ほとんど急くようにC, A, F
10931103VI/1a, VI/4, V/2とともに、前奏(管弦楽)やや中庸にしてD
11041129V/2, E(IV/2) ソプラノII:懺悔する女 《Neige, neige》
11301137後奏(管弦楽) V/2, VI/1a
11381185V/2, V/2a, b, 児童合唱 《Er überwächst uns》気付かれないように早くして
11851212VI/1, S, f, 児童合唱:同上、ソプラノII:懺悔する女 《Von edlen Geisterchor》AllegroB
12131248B, III/1, III/2, I/1, I/2 ソプラノII:懺悔する女 《Er ahnet kaum》 《Imple》の引用第1部の対応する部分のように
第3セクション12491276V/2, IV/2a, E ソプラノIIIと合唱:栄光の聖母 《Komm》とてもゆっくりと DolcissimoEs
12771383V/AとV/2A, V/1a, V/A, V/2, V/4, V/2 テノールと合唱、マリア崇拝の博士:《Blicket auf》賛歌のようにC, E
13841420後奏(管弦楽) V/A, IV/2a, IV/1流れるようにEs
エピローグ14211448前奏(管弦楽)IV/2, IV/1ゆっくりと
14481528V/1a, V/2(拡大された), V/Ia 合唱と独唱群 《Alles Vergängliche》とてもゆっくりと始めて/すでに動きをもってetc.
15281572後奏(管弦楽) A'(I/2), I/2a流れるように
(2009.9.19/2012.5.4)

2009年8月9日日曜日

マーラーの楽曲を考える場合の3つのトピックについて

マーラーの交響曲がいわゆる「古典的」な定型から逸脱していることは広く知られているし、例えば楽章構成のような レヴェルであれば、一瞥すればそれは明らかなことに見えるかもしれない。だがそれだけでは単なる規範からの逸脱の 指摘に過ぎず、何故そうしたことが生じたかの説明にもならなければ、その結果何が起きるかの説明にもならない。 否、マーラー以前、以後を問わず、そうした逸脱は別に例が無い訳ではなく、だからマーラーの場合を識別するためには そうしたレヴェルの特徴の指摘だけでは不十分なのである。
 
そうしたみた場合に、それではそうした複数の楽章がどのように繋がっているのかが問題になるだろう。この問題はそれ自体 独立して取り上げる意味のあるものだと思うがここではそこは通り過ぎることにして、もう一歩先にある楽章の中の構造に 焦点をあててみたいのだが、それを考える際に手ががりとなる調的配置については別にメモしたので、ここでは私が楽章内の 構造を考える上で興味深いと思っている3つのトピックについて簡単に一瞥してみたい。勿論それぞれについては個別に具体的に 議論する必要があり、こうした議論なしには「マーラーの場合」について語ることはできないと考える。自然の音やファンファーレ、 引用の問題など、マーラーならではのテマティスムには意義もあれば魅力もあることは認めた上で、だがそれらが音楽の脈絡の 中でどのように登場するのかの方がより一層重要なはずである。これは例えばRedlichが挙げている「特徴」characteristicsに 対して形式分析に基づく様式的な裏付けが必要であるとAgawuが述べているのと方向性としては並行しているだろう。そしてまたそれは アドルノが1960年のマーラーに関するモノグラフの冒頭で述べた方向性とも背馳しないだろう。

つまるところアドルノの長編小説形式のアナロジーはマーラーの音楽の総体を捉えている点でより多くを語っているし、私が考えている「意識の音楽」の要件ともそれは深く関係している。 外的な参照は実際の聴取の場面でも程度の差はあれ生じるには違いないから無視することはできないだろうが、 特に引用のような文化的な文脈への依存性の高いものについては、そうした文脈を持たずとも音楽が端的に持つ構造の力の 方にまずは注目したい。一例を挙げれば「ファンファーレ」「シグナル」は確かにマーラーの音楽を聴けばそこかしこで聴くことができ、 その音楽の特徴の一つであろうが、このファンファーレについての伝記主義的な詮索(当時のオーストリアの軍楽隊について、 あるいはマーラーが幼少期を過したイーグラウにあった兵営についてetc.)やその記号学的な意味の詮索に直ちに向かうよりは、 ファンファーレが楽曲の展開のさなかで担う機能について踏まえた上で、それが音楽の内容(あえて「意味」とは呼ばないでおこう)に どのように寄与しているのかを考える方がより一層興味深いことに思われるのである。アドルノがマーラーについてのモノグラフの 冒頭で第1交響曲第1楽章の序奏を思い浮かべつつ、最初の章のタイトルを「カーテンとファンファーレ」としたことや、 第4交響曲第1楽章の展開部末尾に出現するファンファーレについて述べるくだりで、ファンファーレというのが音楽の「展開」に 寄与しない静的な性質を持つことに触れたりするのは、そうした観点からすれば非常に興味深い。実際第1交響曲においても、 あるいは第4交響曲のかの部分で予告された第5交響曲の冒頭楽章においても、ファンファーレは導入部という静的な部分の 構成要素として出現している。レートリヒのように第5交響曲において伝統的な交響曲における第1楽章が2つに分割されて、 第1部を構成する2つの楽章となったとする立場を敷衍すれば、第1楽章である葬送行進曲は序奏が拡大された挙句、 楽章として独立してしまったという見方が可能で、第1交響曲第1楽章や第3交響曲第1楽章で既にそうであったように、 そして更に第6交響曲のフィナーレで徹底してその可能性を汲みつくされるように、本来はソナタ形式の外側にあった序奏が その主要部との動機的な連関によって内部に入り込んでしまう中で、ファンファーレのみは主要楽章である第2楽章で 扱われないことが注目される。それはファンファーレが静的で展開も(マーラー独特の)変形も拒む素材であることに由来するのだ。 そうした静的な性質は、それが出現する脈絡とは異質のものであるという性質をまた備えている。それゆえ第1交響曲第1楽章の あの「突破」を始めとして、音楽を進める動力が枯渇して楽曲が停滞するのを外側から賦活するような役割を果たすことにもなる。 ファンファーレはマーラーの音楽に層が複数あること、「外部」が存在し、その外部に対する系の反応過程であること、しかも その外部との境界面で起きている事象をいわば「その場」で捕まえようとする試みであることに対して際立って重要な働きをして おり、そうした機能を個別に見ていくことの方が一層興味深いのではなかろうか。それゆえ音楽外のものであることが明らかな 標題など、脇において置いてしまうべきなのだ。マーラー自身が後からとはいえ気付いて捨てたものを拾い上げることが、 マーラーの「音楽」を捉えることにどれだけ寄与するのか、私には判然としないのである。
 
その一方で歌詞がついたものについては、歌詞が理解できない状況はさすがに除外していいように思えるが、同じ歌詞に別の音楽を つけることが可能であることを思えば、結局のところ音楽自体の論理なりプロセスなりが問題なのは言うまでもない。 歌詞に対する音楽のあり方には事実上無限の選択肢があるから、音楽の水準でどのような選択が為されたかこそが第一義的な 問題なのは当然である。思考実験としてであれば、歌詞つきの楽曲であってさえ、意味の水準を一旦遮蔽してしまって何が 起きるか(マーラーがピアノロールに歌曲をピアノで弾いて記録したようなケースがわかりやすいだろうか)を問うてみてもいいだろう。 その場合、例えば別の言語を話す聴き手にとって歌詞が理解できないとしても演奏者の側は、ほとんどの場合(音声合成によるような場合を除いて)歌詞の意味を理解せずに歌うことはあり得ないという事実は残るのだが、そこも捨象してしまう立場すらあり得るだろうし、そうしてしまっても何も残らないわけではないのは明らかだから、そうした還元の後に残るものを対象とするやり方があってもいいように私には思われる。要するに原理原則などはどうでもよくて、そうしたことが現実に起きうるのであれば、 それを問題にしたらよいのだ。これもまた一つの立場であって、中立的な立場などないことは認めた上で、私が採用するのはこのような立場なのである。
 
まずは3つのトピックを列挙しよう。1つめはファンファーレに関連して既に少し触れた序奏の位置づけの問題であって、 特にソナタ形式の楽章におけるそれが問題になるのは明らかだが、それだけではなく、それ以外の形式や楽章間をまたいだ序奏の 再現といった点についても注目すべきかと思われる。 もう1つはいわゆる舞曲形式における発展・展開の問題であり、最後の1つは歌曲と交響曲との両方に関わる 有節的な歌曲形式や通作的な歌曲形式と交響曲形式との融合の問題である。序奏がつくのはいわゆるソナタ形式の楽章である 場合が多いのに対して、舞曲においてはいわゆる3部形式やロンド形式へのソナタ的な発展・展開の契機の侵入のありさまが 問題になる。マーラーの場合にはこの両者が独立の問題と言えるわけではないこと、にも関わらず、それらが区別できない 訳ではなく、出発点となっている形式のもともとの姿から遠ざかってはいても、いわば楽曲の持つ固有の時間性の水準で、質的な 違いが与えられているように思われるのだ。単純な一元化、形式の還元や均質化のかわりに、もともとの形式が潜勢的には 備えていた力を活用して、それらを様々な仕方で組み合わせて緊張を生じさせることによって、その都度固有の世界を形作る 試みがなされているのである。
 
文字通りの反復を嫌ったマーラーは、3部形式の舞曲においてもDa Capoを書かなかった。 唯一の例外は第10交響曲のプルガトリオ楽章で、このDa Capoがあることを根拠に草稿の水平方向における完成度に疑義が 提示されるといったことが起きるほどなのである。だがそれは、「すっかり元のままではない」というだけであって、やはり元のレヴェルへの 還帰はなされるのだ。一方でソナタ形式の再現部はそれとは異なり、別のレヴェルに到達する。そこはかつていた場所とは異なった 場所で、もう元には戻らないという非可逆性の認識が再現部なのであり、従って再現部においても展開のプロセスは続くのである。 その一方で序奏はソナタ形式に静的な要素を持ち込むように見える。しかもその機能は拡大され、その楽章のみならず全曲を 通じて機能する主要な素材を提供することもあるし、序奏自体がソナタの経過の途中で再現されもして、ソナタ形式の図式の 中に侵入してしまう。規模の点でも著しく拡張され、しばしば主部よりも長いことすらある。序奏というのは言ってみれば地平を 形成しているわけで、その性格は基本的には静的なものだから、序奏の再現はそれがソナタ形式の只中であったとしても あたかも元のレヴェルに戻ってしまったかのような時間性をもたらすことになる。かくしてマーラーにおいては静的なものと動的なものが 相互に嵌入しあい、複数の異なった時間性を備えた層が重なって、それらの間を運動していくのだ。複数の層の間の往還を 可能にするのが多楽章形式なのであってみれば、それはもともとは交響曲という楽曲の形式に由来するものであったとしても 最早古典派における図式から遠く離れて、別の機能を果たす素材となっているのである。attaccaや第2交響曲第1楽章後の 5分間の休み指定のような楽章間のつながり方、上位構造としてのTeil(部)構成の導入というのも、そうした層の間の関係の 複雑さを反映しているに違いない。要するに最早ここでは単純な持続の中でのリニアな楽曲の継起では扱いきれない何かが 問題になっているのだ。
 
歌詞の持つ節と楽曲の構造の対応の問題は、ハンス・マイヤーをして「簒奪者」と呼ばしめるような歌詞に対するスタンスを マーラーに採らせることになる。要するに、イダ・デーメルの証言にあるマーラーの言葉とおり、歌詞もまた楽曲の素材なのであって、 しかもそれは意味内容の水準においてのみそうなのではなく、テキストの持つ構造のレヴェルも含めてそうなのだ。そしてマーラーは これらの問題について、第8交響曲と大地の歌という、内容上は一見したところいかなる接点もなさそうな2つの作品によって、 一応の結論に到達したかに見える。
 
そしてここでは詳述できないものの、最後のこの問題もまた、前の2つと単独で分離して 扱うよりは、寧ろ前の2つのトピックとどのように複合し、相互に関係し合っているかの様相を具体的な作品について 見ていくべきなのだ。アドルノはマーラーの形式の扱いに唯名論的な側面を見出しているが、そうであればこそ尚更 幾つかの断面を定義してそこに現れてくるものを個別に見ていくようなアプローチが必要で、その断面の切断の与え方を 方向付けるものとして、これら3つのトピックは手がかりを与えてくれるものに私には思われる。アドルノが形式分析の限界を 見出すのは、既存の枠組みの中でしか動き回れないような類の形式分析には自らに予め課された枠を意識し、 その外側に出ることができないからなのだが、マーラーが創作を通じて行った作業はまさにそうした限界を乗り越える試み そのものであり、そうした試みは各々が一回性の徴をどうしても帯びることになる。
 
例えばここでのマーラーの手つきは例えば第8交響曲の中でもその第1部と第2部とでは やや異なっているようだ。というのも第1部では聖霊降臨祭の賛歌をマーラーはかなり自由に組み換え、更に再現部では 自作の節を挿入しさえして、賛歌のもともと持っていた有節的な構造を、7という数象徴と関連づけられた 節数もろともソナタ形式の論理に合せて変形させているかのようなのに対し、第2部ではマクロな構造に限ればゲーテの 詩句を概ねそのまま使っていて、それが故に交響曲的な多楽章形式ではなく、巨大な50分以上もかかる単一の楽章に よる通作形式を採っているように見えるからだ。それは楽章というよりは例えば「「嘆きの歌」におけるTeilに近い単位であって、 マーラー自身も他の曲でしばしばそうしたようなTeilの下に幾つかの楽章をまとめることをここではせずに、Teilのみを 単位として遺しているのである。第2部の中に、Bekkerやde la Grangeの報告している当初の構想の対応物を見出そうとする試みも Specht以来確かにあるものの、寧ろここではそうした対応付け自体よりも、この脈絡でマーラーが巨大な楽曲の内部にどのような 構造を与えたかを個別に問うべきだろう。実際、対応づけをしたところでattaccaで繋がれた3つの楽章の連続とは明らかに 異なっているわけで、寧ろ私見では、音楽の経過と歌詞との対応づけをミクロに見ながら、第2部の内容の経過が如何なる 音楽的プロセスに対応するのか、更にはこれまたマイヤー以来しばしば疑問視されてきた第1部と第2部との連関を、音楽とは 別の水準で聖霊降臨祭の賛歌とゲーテのファウスト自体を突き合せて論難するのではなく、第1部と第2部が音楽的に どのように関連付けられ、音楽によって第1部のどの節が第2部のどの語りに対応付けられているかを確認することによって 闡明するすることの方が有意義に思われてならない。
 
例えば、第1部では変イ長調をとる第2主題(Imple sperna gratia)が、 第2部でファウストのよみがえりをグレートヒェンが歌うところで再現するのは極めて印象的だが、そうした歌詞上の対応を 支えるものとして、この第2主題が実は第1部のあの圧縮された再現部では実は出現していないこと、そして第2部での再現に おいては変ロ長調をとること(主調が変ホ長調であることに注意し、また第1部の再現部の前にも長大な変ロのペダルが 出現していたことを思い起こそう)に気付けば、実はこの第2主題はようやく第2部も終わり近くになってようやく文字通り「再現」するのだ、 そしてそれは今度こそ決定的な変ホ長調(Mater gloriosaによる「来たれ」Komm!)を「より新鮮」な姿で準備するのだということが明らかになる。 だが驚くべきことは実際に、こうしたことに気付かずに聴いて受けた印象をそれは実に正確に説明しているように感じられることだ。 それは単純に同じ動機なり旋律なりにどの歌詞が割り当てられているかという単純な対応付けを超えて、マーラーが音楽によって実現しようと 試みたものに照明をあてることになるだろう。
 
同様に、主調の変ホ長調に対して半音高いホ長調が持っている機能にも注意しよう。 ただちに思い当たるのが、第1部のあのAccende lumen sensibusの箇所(練習番号55)がホ長調で出現することだが、 ヴェーベルンの指摘しているようにこのAccendeの動機は第1部と第2部を橋渡しする役割を担っており、第2部においても 何度も繰り返し出現する。そして第2部ではMater gloriosaが出現する部分(練習番号106)がホ長調なのである。 私はいわゆる音から色彩への共感覚を持っているが、変ホ長調とホ長調は金色から青白い光への強いコントラストの変化を 備えていて、だからホ長調は変ホ長調に対して単純にクロマティックな関係にあるだけに留まらない。トリスタン以来、ブルックナーの 第7交響曲や第9交響曲の例もあるようにホ長調というのは独特の価値を帯びた調性なのだろうが、マーラーの作品の中でも 例えば第7交響曲の第1楽章がここでは導入部のロ短調の和音への付加音が予告している同主短調との明暗法の帰結として ホ長調で終わっているし、何よりも第4交響曲のフィナーレが緩徐楽章が準備した主調であるト長調で出発しながら、 最後になってホ長調に転じてそのまま終わってしまうなど、固有の機能を持っていることは間違いないだろう。そしてこうした点を考慮に 入れずにこの作品の「内容」について議論することにさほどの意義があるとは私には思えないのだ。
 
一方の「大地の歌」でも、第1楽章では有節形式をソナタ形式と融合させるために原詩の第3節を変形していたり、 終楽章で2つの詩を接木するために真ん中に巨大な器楽のみによる間奏を置いてみたりと、その反応はやはり一様ではない。 興味深いのはいわゆる歌詞の内容の水準における大きな違いにも関わらず、そうした歌詞の構造の扱い方については第8交響曲と 「大地の歌」には共通する操作を見つけることができそうな点である。(もっとも別の所にすでに書いたとおり、私には内容の水準に おいてもこの2曲の間には接点があるように感じられるのだが。)ただし「大地の歌」は(今度はその歌詞の内容に相応しくというべき だろうか)複数の楽章を組み合わせるようにして、いわば「下から」2つのTeilを構成する。その様相は例えば第3交響曲の裏返しの ようにも見えるが、そうした特性は調的な配置からも窺うことが可能であり、第3交響曲では長大な序奏を持ち、単独で第1部を 構成する第1楽章が、いわば提示部と再現部を裏返すような調的配置を採ることで第2部へと繋がっていくのに対し、「大地の歌」 では冒頭のイ短調の同主長調で華々しく終わる第5楽章で一旦区切りがつけられ、一旦そこで句読点が入ったのちに ハ短調の短い序奏で開始される終楽章が続くのである。それは今度は第6交響曲の冒頭楽章がイ長調で終わることや フィナーレがハ短調で始まることとの対比を呼び起こさずにはいないだろう。ただし「大地の歌」の終楽章はイ短調に回帰する 第6交響曲とは異なった歩みを見せる。再び同主調のハ長調で終結するが、付加6度が追加され、イ短調とハ長調の 間で宙吊りになったまま終わってしまうのだ。(これを変ホ長調で始まり、第2部の開始では同主短調を取るものの最後は 変ホ長調で終わる第8交響曲と更に比較したらどうだろうか。)そして勿論、このような調的配置は、「大地の歌」においては 歌詞の内容や、楽章間の層的な関係と密接に関連している。(気付いた点については既に別にまとめているので、ここでは 繰り返さない。)では第8交響曲ではどうなのか、特に、一見したところテキストの論理が楽曲の論理に優越している 唯一の例であるかに見える第2部ではどうなのか、こうした問いのリストはまだまだ幾らでも続けることができようが、 いずれにしても、このようにして上述の3つのトピックとそれらの間の関連を個別の楽曲について見ていき、その都度の 様相を捉えるような「個別的なものの観相学」こそがマーラーの場合全般の「個別性」をもまた明らかにするに違いないのである。 (2009.8.9-12 この項続く。)

2009年7月26日日曜日

マーラーにおける調性についての覚書(2023.1.16更新)

マーラーの音楽そのものについて語ろうとするときに重要なパラメータが、その音楽が辿る調的な遍歴のプロセス(力学系における軌道)にあることについては 異論の余地はないだろう。それは交響曲や連作歌曲集というフォーマットが選択された個別の楽曲の中で起きるその変容のプロセスについても 言いうるし、ワグナーの音楽が席巻した時代にあって彼自身もその影響を受けなかったわけではないにも関わらず、アナクロニスムかと思われかねないほどに 全音階的な初期の語法から、新ウィーン楽派との近接を無視できない後期作品の語法への通時的なプロセスについても言いうると思われる。 未完成に終わった第10交響曲においてすら、部分的には調性の限界に近づくことはあっても全体としては調性のシステムの中にいるマーラーの 音楽は、調性の遍歴のプロセスを巡る実験であったという見方すらできるだろう。もちろんそれはマーラーの音楽をある一面から眺めて記述しているに 過ぎず、それで全てが言い尽くせるわけではない。だが現象の記述を行う際に、その挙動を的確に記述できるパラメータを選択することの重要性は 明らかなことだ。マーラーを語ろうとする時、音楽そのものに決して辿り着くことがない標題にまつわる議論や、伝記的な事実の詮索、あるいは 文化史的な渉猟などよりも、音楽そのものについての記述方法を確立することの方が余程重要なのは明らかなことに思われる。そしてそうした水準での 語彙の貧困は明らかなようで、ニーチェの思想との連想から第3交響曲を「円環的」としてみるかと思えば、「大地の歌」の終曲の付加6の和音を 「調性からの告別」と呼んでみるといった類の言説は、だがそうした語彙の使用の根拠を尋ねてみればあまりに粗末で粗雑なアナロジーであったり、 不正確な修辞に過ぎないことがわかってしまう。結局のところ一見すると楽曲そのものの特徴を捉えた言辞に見えるそうした発言も、実のところ 楽曲を分析することから帰納されたわけではなく、外から文学的な想像力やら文化史的な展望とやらによって押し付けられたもので、かえって 音楽自体を見えにくくし、あるいはかえって歪めて聴取することを誘発していないだろうかという疑念にかられてしまうのである。

一方で例えば伝統的な形式からの逸脱をもってマーラーの創意工夫を測ろうとする主張が日本でなされることもないではないが、 その主張そのものには首肯できてもその実質を見ればこちらもまた首を捻るケースの頻出に困惑することになる。一つにはそこで言われている 「伝統的な形式」の方の定義が少しも明確でなく、だからそこで意図されている筈の差異のあぶり出しが鮮明に浮かび上がってこないことになるのではという 感じが拭い難いのである。例えばこの点では邦語文献中最も網羅的な長木による全作品解説はまさに(序文にてそのように述べられている通り) 上述のようなアプローチによるもので、その価値は極めて高い(否、網羅性の観点に限れば、管見ではこれに匹敵するのはラ・グランジュの伝記の補遺として 収められたそれがあるだけで、世界に誇っても良いと思われるのである)が、その一方で調性の変容の具体的な例示に関していえば、「原則としてスコアの調号に従」うという 方針もあって中途半端なものになってしまっているし、恐らくは色々な文献をあたって様々な分析を比較した結果なのだろうが、巨視的な構造の 把握についても疑念を抱く箇所が少なくない。問題は個別の分析そのものではなくて、全体としての整合性にあって、そこで想定されているはずの 「形式的な定型」の側が一貫していないような気がするのである。一貫していなくても、それを断ってくれれば構わないのだが、そうでもないし、 「逸脱」の方は自分で考えろといわんばかりに分析者がどう「逸脱」していると考えるかについては全く言及がないのも(もともとが演奏会プログラム の解説であることを考えれば仕方ないのかも知れないが)期待はずれの感が大きい。確かにマーラーの楽曲の分析はマーラーの音楽を自らの伝統とする 彼の地においてもなかなか意見の一致を見ないようだし、だからそれは今日のこの国固有の問題ではないのかも知れない。 だが市井の一享受者に過ぎない私にとって学問の世界がどうであるかなど所詮は他人事で、要するに自らの経験と背馳しないような仕方で 「マーラーの場合」を記述することが出来さえすれば良いのだ。

そうした視点に立つことを前提とした場合に、では調的な遍歴の過程に注目することの妥当性はどうだろうか。例えばニューリンの指摘以来、 これは定着した感じのある「発展的調性」という見方は聴取の経験と関係があるのか、それともそうした分析はいわば机上の議論なのか。 学問的にはこれはこれで一つの問題なのだろうが、素人である私にとっては自分の主観的な経験からそれに対して、聴取の経験と無関係とは 思えないと言えれば充分である。私は絶対音感についてはあまり自信はないが、それでもマーラーの楽曲間の調的な関係の認知ははっきりとある らしい。また始点と終点だけを取り出すことに心理的に疑義を抱く向きも、ミクロな転調のプロセスの認知についてはまさか否定はすまい。何より 楽譜を見ずにいわば身体で覚えた楽曲のマクロな構造の認知やら、動力学的な印象、アドルノに由来する例のカテゴリ( 突破 / 停滞 / 充足の3つに更に 崩壊を加えたものが用いられることが多いだろう)の説得力の源泉を訪ねてみた時に、調的な配置の設計がそれらに無関係であるとは私には思えないのである。 (なお私はこれを「音楽一般」に敷衍することには興味がない。ここではマーラーの楽曲だけを問題にしている。)

勿論、それらをきちんと記述しようとしたら個別の楽曲について詳細に跡付ける作業が必要で、それはそれで仕掛り作業として今後やっていかなくては と思っているのだが、ここでは今後の作業の準備の意味合いも込めて、特に印象的な楽曲や部分について思いつくままに書き留めておこう。 (大地の歌についてだけは別に少し具体的に採り上げたことがあるのでここでは言及しない。)

第1交響曲ではまず、第1楽章が問題だろう。ニ長調の、しかも調的に極めて静的な性質を帯びた長大な序奏、歌曲旋律による主題の提示に ついては問題ないのだが、これをソナタと見れば、調的な緊張の構成については全く非因習的なことがわかる。別のところではマーラー自身も用いる 2主題の対比によるやり方はここでは採用されず、主要主題が変容していくなかで転調が起きて、結局(マーラー自身が「後から」追加した提示部 反復のための複縦線のある練習番号12では)確かに属調で終止するのである。(84小節以降を第二主題とする分析もあるが、これはソナタ形式に おける調的な機能を考えれば些か無理があるだろう)。しかも展開部では(これまた後のマーラーの楽曲で繰り返し起きることだが) 序奏がもう一度戻ってきてしまう。展開部と再現部の境界でいわゆる「突破」が発生するのだが、この再現は文字通りのものではなく、 寧ろ別の段階に移行したような感じが強い。結局、ソナタ形式が下敷きにあるとは言いながら、何か別のパラメータが支配的である印象が既に強いのである。「突破」による再現部の開始を告知する素材は、実は提示部の複縦線の後、回帰した序奏の中から浮かび上がるホルンが吹き鳴らす新しい素材であることにも注意しよう。そういう言い方をするならば、展開部で初めて導入される主題が、順序を変えて先に再現し、逆行するようにして主要主題が後から再現されるという、回文的な構成法が採られているという見方も可能だろう。再現部において主題の再現の順序が提示の時のそれとは入れ替わって、アーチ状の対称的な構造を形成するという構成法は、例えば第6交響曲のフィナーレでも見られるが、その点だけを取り出して共通性を言うことの意義は限定的なものだろう。それは第1交響曲の第1楽章における「突破」と第6交響曲のフィナーレにおけるハンマー打ちという伝統的な図式に介入する要素の介入の場所とその様相の違いの方が、アドルノのいう「唯名論的」なあり方を示すマーラーの楽曲の場合にはより重要かも知れないからである。

第2交響曲では、もともと冒頭楽章と同一の楽曲を構成する予定ではなかったらしい(それゆえマーラーは冒頭楽章を単独の交響詩と見做そうとさえした) 第2楽章アンダンテが「浮いてしまう」のに対して、第1楽章を第1部に、後続の楽章を 第2部とするかのような長大な楽章間休止指示がある一方で、第3楽章以降はアッタッカで演奏されるという全体の構想がある。第2楽章が持つ対比の 効果は調的な配置によっても強調される。マーラーは多楽章形式の作品に拘り続けたが、それはこのような異なる視点、異なる意識のレベルを 同一の曲の中で併置して重層化させる効果を求めていたからに違いない。単一楽章の中での転調では同じ効果は決して得られないだろうが、 例えば第1楽章の第2主題がホ長調という遠隔調で登場する部分などは、こちらは単一楽章の中での重層化が生じているし、前後の楽章と アッタッカで繋がれているにも関わらず第4楽章の調性もまた前後の文脈に対して「島」を形成するかのようだ。聴く人が聴けばとりとめない、しっかりと した構造のないものと聞えるかも知れないが、楽章間の長さの極端なアンバランスとともに、こうした多層的な構造がマーラーの楽曲の特性であることは 確かだし、彼が交響曲を選んだのは理にかなっていると言えるように思われる。

第3交響曲第1楽章では提示部の終わり、展開部の終わりは誰の眼から見ても明らかなのだが、各部分の内部構造の方は一見混沌として見える。 一つには冒頭のホルン斉奏による序的主題により開始される一見したところ序奏に見える部分が展開部でも再現部でも幅を利かせていて、しかも次から次へと 動機が出現し、しかもそれらのあるものは相互に連関しているので、そもそも一体どれがソナタ形式でいう「主要主題」なのか自体が判然しないという 有様なのだ。長大でかつ素材として重要な序奏の問題は第1交響曲第1楽章や第2楽章の第1楽章、そして第6交響曲のフィナーレ、第7交響曲第1楽章、 第10交響曲第1楽章などでも見られ、マーラーの楽曲構造の特徴の一つといって良いだろう。要するに序奏はソナタ形式の外部にあるのではなく、 内部にあるのだ。ただしその様相は個別の楽章で異なっている。第3交響曲の第1楽章で顕著なのは提示部の機能と再現部の機能が入れ替わって しまっているかに聴こえるという点だろう。つまり提示部は冒頭の調性(ニ短調)の同主調であるニ長調で終わるのに対して、再現部は平行調である ヘ長調で終わるのだ。勿論、ニ短調の部分をそっくり序奏と見做して、本来のソナタ提示部はヘ長調で開始されるのだとして、だからヘ長調で終わるのは 別に驚くことではないという意見も予想されるところではあるが、その場合には、第1交響曲第1楽章同様、第二主題に相当するものがないことはおくとしても、 提示部終結の「充足」の部分がニ長調をとる理由の説明がつかなくなる。これを瑣事と見做すのであれば一体ソナタ形式とは何なのかの方を今度は 問い返すべきだということになろう。一貫性というのは例えばこうしたレヴェルで問われているのである。

第4交響曲では一見したところ(あくまでもそれまでの作品と比較しての相対的なレベルではあるけれど)保守的なソナタ形式を採用しているように 見える第1楽章のあちこちにある仕掛けも気になるが、それよりはト長調で開始される(もっとも序奏はロ短調と見做すべきだろうが)この交響曲の フィナーレが歌曲であり、しかも第3楽章が属調のニ長調で終わって準備しているのに対して、注文どおりト長調で始まるフィナーレが最後はホ長調で 終結することに注目すべきだろう。ちなみにホ長調は第3楽章にあるあの「突破」の部分のとる調性でもある。冒頭の鈴の動機がフィナーレにおいても、 いつも律儀にロ短調で回帰することにも注意しよう。ホ長調は確かにト長調と3度関係にあるから近親調ではあるが、異なる調性になったまま、 戻らずに終わるという聴いて感じる印象が緩和されることはない。

第5交響曲こそは発展的調性の範例として採り上げられてきた作品であり、古典的な枠組みからの逸脱の典型であるかのような扱いを 受けてきた。だが確かに嬰ハ短調で開始するとはいえ、それはいわば序奏にあたる葬送行進曲の調に過ぎず、実質的な主要楽章である 第2楽章はイ短調であることを軽視してはならないだろう。そして最後に辿り着く調性であるニ長調には、第2楽章の再現部の末尾で 一旦辿り着いているし、単独で第2部を構成する巨大なスケルツォが既にニ長調で始まり、ニ長調で終わることにも注目しよう。この曲の 「内的プログラム」と通常考えられているベートーヴェン的な図式というのは一体どこにその実体があるのだろうと疑ってみるのは不当でもなければ 無意味でもあるまい。

第6交響曲については4楽章の構成をとり、イ短調で始まり、イ短調で終わるその「古典的な」佇まいが注目される一方で、中間のアンダンテと スケルツォの順序の問題やらフィナーレのハンマー打ちの回数が話題になることが多いようだが、それらもまた調的な配置や楽式との関連の 中で検討されるべき性質のものであるように私には思われる。中間楽章の順序の問題は簡単ではあるが別に触れたこともあり、ここでは 特にフィナーレの構造とハンマー打ちが起きる場所の関係に注目しておきたい。ハンマーの打点ではなく、タムタムが鳴らされる場所にも 同時に注目しよう。このフィナーレもまた序奏部が執拗に回帰し、聴感上は大きな構造上の句読点の役割を果たしている。その序奏部が 回帰するときの調性、ハンマーの打点の調性はこの楽曲のスキームを事実上大まかに決めてしまう。ハ短調で開始されるこの曲は、最後には 全曲の冒頭の調性であるイ短調で終止するが、最後に序奏が回帰したときにすでにそれは定まっている。だが、それはすでに遡って、主題の 再現の順序が入れ替わって、アーチ状の対称的な構造を形成し、まずは同主調で副主題が再現したあとイ短調の主要主題の再現となる というプロセスが準備しているとも言えるのだ。こうして調的な配置のみを書けば如何にも恣意的に映りかねないが、この楽章に関してはそうした プロセスが見事に音楽的内容と対応していて、恣意どころか或る種の必然性をすら思わせるような説得力を生み出している。

第7交響曲もまた発展的調性の例として引き合いに出されることが多いものの、この作品の場合にはとりわけ冒頭楽章の調性につきまとう 或る種の曖昧さ、一つの調性に留まらずに絶えず別の調性を示唆するような余剰を孕んだ響きが、調性の辿るプロセスを単純化して 図式化することを拒んでいる。第1楽章は結局のところずっとホ長調に辿り着こうとして曲頭の既に付加音を持つロ短調から出発して 遍歴を続ける。新ウィーン楽派を思わせるような四度の累積も常に偏差を孕んでいるかのような調的な遍歴に独特の輝きを添える。 問題視されるフィナーレのハ長調は、だが1番目の夜曲の調性でもあることに注意しよう。ただしそこでは第6交響曲のあのモットーと同じ 動きによってそれはハ短調に常に傾斜するような動きが与えられているのだが。ともあれ調的なプロセスだけ見れば、第7交響曲と第5交響曲には 冒頭の調性が終結の調性に対して導音の関係にあり、短調から長調への移行が行われるという点を除けば殆ど共通点を見出すことができない。 更に言えば、冒頭和音の付加音が既に告げているように、ここでは調性は寧ろ色彩や明暗の変化と結びついていて、そうした側面を捨象した整理は意味がないだろう。 なおフィナーレのハ長調は、その影が第9交響曲の第2楽章に伸びているように私には感じられてならない。この音楽を肯定的にとるか否かに 関わらず、これはこれで「現実」への回帰であり、「世の成り行き」の音楽なのだ。

第8交響曲では変ホ長調への固執が顕わだ。まるで全曲が1つの突破、この世の中に何かのはずみで生じた裂け目であるかのように、その音楽の 辿るプロセスは他の交響曲のような「世の成り行き」とは無縁であるかのようだ。だがそれだけでは事態の半分をしかとらえたことにならないだろう。 変ホ長調の中に出現するホ長調の領域は、更に一段と照明が変わったかのような特異点を形作る。暖色系の金色の光の中に、寒色系の青白い 光点が出現するといった具合なのである。だからこの曲を単純に全音階的であると断定するのは単純化の謗りを免れないだろう。確かにここには 例えば前の第7交響曲が持っていたような微妙な濃淡の変化、明暗の移ろいはないけれど、ここにもクロマティックな運動は存在するし、それが 聴き手に与える印象は明確なものだと私には思われる。

第9交響曲ではまず、第1楽章の調的な配置が問題になるだろう。この楽章をソナタ形式と捉えるか二重変奏と捉えるかについての論争は 夙に有名であるが、ソナタ形式と見做した場合に異様なのは、展開部の最中においても、いわゆる主要主題が回帰するたびにニ長調が回帰してしまう という調的なプロセスである。通常のソナタ形式とは異なって、ここではニ長調は或る種のアトラクターであって、常にそこに回帰する基層を形成しているかの ようで、そこに様々な外乱が介入することによって風景が変容していくのだが、結局のところ全ては回想の裡にあるかのようで第1楽章が終わった時の完結感は 非常に強い。それゆえ第2楽章は全く別の層、つまり「世の成り行き」を無媒介に提示することしかできない。第3楽章もまた第2楽章と層を同じくしている (ハ長調に対してイ短調)。留意すべきは素材上は第4楽章に関連するエピソードの部分が第1楽章の調性であるニ長調をとっていることだ。素材は同じだが、 ベクトルは寧ろ第1楽章同様、過去を向いているのだ。それに対して終曲のアダージョが半音低い基音を持つ変ニ長調であることは、 それが冒頭楽章と同様に「現実」から身を引いたものであることを告げると同時に、その時間性が第1楽章とは異なることを告げているように私には思われる。 それは夜明けを待つ音楽なのだ。夜明けは(少なくとも音楽上の「私」には)やって来ないのだが、それは予感されている。

第10交響曲は未完成であるけれど、全5楽章の調的な配置をクック版によって確認する意味は小さくないだろう。この曲の冒頭のヴィオラの旋律は ほとんど調性について語るのが無意味なものであり、新ウィーン楽派の無調に限りなく近接する。一方で主要部は嬰へ調というマーラーにおいても 比較的珍しい基音上で長調と短調の間を揺れ動く。中間楽章を経てフィナーレに到達するところではニ短調をとり、しばらくニ短調とニ長調(更にロ長調)の間を 揺れ動きながら音楽が進むが、第1楽章が回想されるときには調性もまた嬰へ調に回帰する。なおパルティチェルではこのフィナーレのコーダには調性の異なる 2つのバージョンが遺されているようだ。クックが選択しているのは嬰へ調のヴァージョンであり、その選択は全く自然なものであると思われるが、もしもう一方の 案を採用したら一体どういうことが起きたのかを考えるのは無意味ではあるまい。だが私にとって特に印象的なのは、嬰へ調による部分よりも寧ろ フィナーレでニ長調で出てくる主題の性格の方だ。この文脈ではニ長調という調性が何とも不思議な光を持って響いてくるように私には感じられる。 ニ長調がこんなふうに響く場所、この交響曲の「ここ」がどこであるかは、未だに私には謎であり続けている。もしかしたらシェーンベルクも言っているように、 それはまだ私が聴く資格を持たないような、そんな音楽なのかも知れない。聴き始めて30年、幾度となく聴いてきた音楽であるにも関わらず、私はこうした 印象から逃れることが未だに出来ずにいるのである。

「大地の歌」については別のところで触れたので、ここでは終曲の調性であるハ長調がマーラーの他の作品で用いられる文脈(第7交響曲のフィナーレ、 第9交響曲の第2楽章、第7交響曲の第2楽章、あるいは第4交響曲第2楽章や第3交響曲第3楽章、第2交響曲第3楽章、更には第10交響曲 第4楽章といったスケルツォ楽章の途中で出現するハ長調の対比要素を想起せよ)を考えたときに、 この終曲が「この世」からの「離脱」の音楽であるという、よくなされる解釈の根拠は何なのか、それは楽曲自体に従ったコメントではなく、 それこそ聴き手の主観的な「思い込み」ではないか、楽曲を離れて文化史的な背景を動員して、マーラーの音楽を時代の風潮の中に 還元してしまうことがマーラーの場合の個別性とその音楽の持つ時代を超えた力を捉え損なっていないか疑問に感じられることのみ触れておこう。 その替わりに、ここでは最後に「嘆きの歌」と2つの連作歌曲集について一瞥しておこう。

「嘆きの歌」について言及する場合には、マーラーが後に削除することになった「森のメルヘン」を含めて考えたほうが一層興味深い。これを 改訂版で、即ち初稿の第2部から聴きはじめるのは、喩えて言えば第6交響曲のフィナーレだけを聴くようなもので、それはそれで説得力があるけれど、 調的なプロセスの観点からは、途中から聴きはじめるような感覚を拭い難い。マーラーの「悲劇の調」であるイ短調で始まり、イ短調で終わるこの作品は だがその調的な変容のプロセスから見れば、短調と長調の頻繁な交代、それを媒介にした3度関係の近親調間の往還といったその後のマーラーの 特徴が既にみられるだけではなく、複調的な層の重ね合わせなどにも事欠かず、その後の作品よりも寧ろ大胆ですらある。ともあれマーラーが 自ら作品1と呼んだ作品がイ短調の主和音で終結するという事実は、マーラーの作品全体を眺望したときに極めて示唆的である。

「さすらう若者の歌」の調性配置もまた、破格とまでは言えなくても少なくとも独特ではある。 最初の曲はニ短調で開始し中間に変ホ長調の部分を挟むがニ短調に回帰する。ところが第2曲はニ長調からロ長調に転調して更に嬰ヘ長調に至って 終わってしまう。 3曲目は再びニ短調に始まるが、音楽的な「崩壊」の最初の事例である末尾では変ホ音で終止する。終曲はホ短調で始まり、ヘ長調に転じて、 最初に同主短調で終止してしまう。一見したところナイーブな音調を持った作品でありながら、調的な遍歴から見ればこれはかなり大胆なプロセスを 備えていて、それが作品を感傷一方の通俗性から救っているのは疑いないだろう。

一方で「子供の死の歌」は巨視的にはニ短調で開始しニ長調で 終わるというオーソドックスなスキームに基づいている。中間の3曲は両端の曲とは対照的に、ハ短調・変ホ長調とその同主短調という領域を動き回る。 ここでは「さすらう若者の歌」の遍歴はないけれど、そのかわり意識の層がはっきりと重ね合わせられていて、その間を往還する運動が見られるのである。 同じ「喪の音楽」であるにも関わらず、ここでのプロセスは「大地の歌」のそれとは異なっていて、それを比較することは非常に興味深いトピックだろう。

以上、駆け足で多楽章形式の作品について、いわば「印付け」をしてみたが、これらはそれぞれ細部にわたった検討が必要なものばかりであり、 ここではそれらに対して大急ぎで目配せをしたに過ぎない。いずれにせよ、マーラーの楽曲を調的なプロセスを切断面に調べてみることはその楽曲の内容に 近づくために不可欠であることは確かなことのように思われる。とりわけマーラーの音楽を「意識の音楽」として捉える時に、それは「意識の音楽」が 備えているべき複数の層の存在を明らかにし、更にそれらの間で生じている運動、つまりは意識の変容の過程を記述する有力なパラメータであると 思われるのである。(2009.7.26/27, 2023.1.16 第1交響曲に関して追記。)

2009年5月31日日曜日

戦前のマーラー演奏の記録を聴く

マーラーの音楽が今日かくも普及することについてLPレコードやCDといった録音媒体の発達の寄与があったという主張が、とりわけ音楽社会学といった 研究領域の研究者からよく聞かれるのは周知のことであろう。だがマーラーその人は1911年に没しているため自作自演といえば、ピアノロールに遺された 歌曲3曲(うち1曲は第4交響曲のフィナーレである「天上の生活」)と第5交響曲の第1楽章のピアノ演奏しかない。否、時代を代表する指揮者でありながら、 自作自演のみならず、一般に指揮者としての演奏記録は残されていないようだ。

その一方で生前のマーラーを知る人による演奏記録は少なからず遺されている。その代表は恐らくヴァルターとクレンペラーということになるのだろうが、 それは第二次世界大戦後、録音技術が飛躍的に向上して以降も彼等が演奏活動を続け、今日でも特に「歴史的録音」としてでなく、多くの選択肢の中の 一つとして彼等の演奏が聞かれ続けていることに拠る部分が大きいだろう。その一方で、マーラーの生前からマーラーの作品を取り上げ、程度の差はあれ マーラー自身からも評価されていたメンゲルベルクやフリートの方は、理由こそ違え第二次世界大戦後は活動しなかったから、その記録は限定されてしまう。 フリートであれば、世界初のマーラーの交響曲の録音となった1924年の第2交響曲の演奏が、メンゲルベルクであれば1939年9月の第4交響曲の演奏が 記録として残っていて現在でも聞くことができる。それらは録音技術の制約もあって今日の録音と同等の聴き方はできないだろうが、その一方で、「時代の記録」と いった資料体、晩年にニューヨークに住むアルマを訪れたインタビューや、ニューヨーク時代のマーラーについての楽員の思い出を録音した記録などと同様の ドキュメントであると考えれば、また少し違った聞き方が可能だろう。そしてそうした立場に立てば、ヴァルターにしても1936年5月の「大地の歌」、 1939年の「第9交響曲」の録音は、ドキュメントとしての価値は計り知れないものがある。

否、そうした交響曲の著名な録音に限らなければ、そうしたドキュメントのリストはまだ続けられるし、もう少し遡ることすら可能なようだ。レーケンパーが ホーレンシュタインの伴奏で歌った「子供の死の歌」の1928年の演奏はあまりに有名だが、それ以外にもやはり時代を画する歌手であったシュルスヌスの 「ラインの伝説」「少年鼓手」の1931年の録音があるし、ソプラノのシュテュックゴルトの歌唱には少なくとも1921年迄遡るものがある。(もしNaxos盤記載の通り、 15年頃まで遡るとしたら、これは大戦間ですらなく、第1次世界大戦前、マーラーが没してからもまだ数年という時期のものということになるが、彼女の キャリアなどを考えると1915年説には疑いがあるようだ。)また時期は1930年とやや下り、年齢的にも最盛期は過ぎた時期の録音で、 演奏そのものに対する世評は一般には高くないものの、シャルル=カイエが歌った 「原光」「私はこの世に忘れられ」は、彼女が1907年にマーラー自身によってウィーン宮廷歌劇場に招かれ、短期間ではあるがマーラーの下で歌った ことや、1911年11月20日のミュンヘンでの大地の歌初演をワルターの下で歌ったことを思えば、その記録の意義は計り知れないものがあろう。 ワルターのピアノ伴奏での歌曲やワルター指揮のニューヨーク・フィルとの第4交響曲の歌唱の録音があるデジ・ハルバンが、これまたマーラーが宮廷歌劇場に 呼び寄せたあのゼルマ・クルツの娘であることも付記すべきだろうか。

だが、それらの録音を聴くと、音質の制約の壁を超えてこちらに届くものが確かにあることに否応無く気づかされる。否、もっと端的に、それらの記録の幾つかを 聴くことによって得られる感動は、ドキュメントとしてのそれを超えたものがあることを認めざるを得なくなる。例えば「私はこの世に忘れられ」を、「大地の歌」の 初演者であるシャルル=カイエの1930年の歌唱、1936年にワルターの下で歌ったトールボリ、そして1952年にやはりワルターの下で歌ったフェリアーと聴いていくと、 それぞれの歌唱の素晴らしさに圧倒されてしまう。その感動の深さは、ずっと自分の生きている時代に近い他の録音に劣らないばかりか、もしかしたら それに優るのではとさえ思えてくるほどなのだ。

とはいえ、トールボリの歌唱を含め、ワルターのアンシュルス間際の演奏は、戦前の日本にも輸入されたSPレコードによって知られており、レーケンパーの「子供の死の歌」も またそうであったようだから、それらを知っていた人にとっては格別の思い入れがあるに違いなくとも、私にはそうした思い入れは持ちようがない。1980年代の マーラーブームの頃には、戦前・戦中の日本におけるマーラー受容の様子が知られるようになったり、近衛秀麿の第4交響曲の録音が復刻されたりしたが、 自分がその末梢に位置することは否定しようのない事実であったとしても、だからといってそうした過去と自分が、マーラーを経験することにおいて繋がっている とは思えなかったし、今でもそうは思っていない。日本マーラー協会の会員だったのだからそうしようと思えばもう少しそうしたルーツ探しだってできた筈なのだろうが、 当時の私は全くそうしたことに興味がもてなかった。近衛秀麿の演奏に世界初という記録以上のものを聴き取ることはできなかったし、あるいは例えば戦前・戦中の マーラー演奏と接点のあった日本マーラー協会会長の山田一雄さんの演奏を聴くこともなかった。現在私の手元には1938年3月と1941年1月、 それぞれローゼンシュトック指揮による第3交響曲と「大地の歌」の定期演奏会の時の新交響楽団の会報「フィルハーモニー」があるが、 それらが資料として持つ意味合いを超えるものは何ひとつとしてなく、懐古趣味の対象になどなりようがない。そこに自分が 連なる伝統を見出すことなど、少なくとも私にはできない。そう、寧ろ端的に、それは私が聴いた、私が今聴いているマーラーではないと言いたい気がする。 しかも2つの異なった意味合いで。一つには、現在私がいる時点からの時間的な隔たりにおいて。もう一つには、当時の日本におけるマーラー受容のあり方に対する 奇妙な違和感、つまりそちらの方には逆向きの(つまりもっと自分に近い時点との比較において)デジャ・ヴュが伴うように思えるという点において。要するに同時代性が 文化的な距離を無効にすることはなく、寧ろその点では時代による変化というのがあまりないように感じられるという点において。

だがその一方で、あるいはそうであるだけに、例えばレーケンパーの「子供の死の歌」から受け取ることができるものは、私にとって時代の隔たりを超えて 伝わってくるものなのだ。ワルターの戦前の演奏、特に「第9交響曲」のそれについては当時の時代の危機的状況の記録といった側面が強調されることが多いが、 寧ろ私が思うのは、その時の演奏者の中にはマーラーの指揮の下で演奏した経験のある人が少なからず含まれたに違いないし、その録音から辛うじて聴き取れると 私が感じるものには(あるいはそれは勘違いや思い込みだと言われるかもしれないが)、マーラーの作品が産み出された時代と地続きであるが故の、半ばは演奏様式と いった形で伝統として定着した、だが残りは蓄積された記憶に基づいたほとんど無意識的な親和性があるように思えてならないのである。それは現在の私とはとりあえず全く 隔たった時代と場所の記憶であり、私にとってはマーラーが如何に自分から遠い存在かを否応無く確認させられることになる。演奏技術は向上し、録音の技術も 向上したかも知れないが、「マーラーの時代が来た」などといったキャッチフレーズが如何にお目出度い遠近法的倒錯に基づくものであるかを私は感じずには いられない。寧ろマーラーの時代はとっくに過ぎているというべきなのではないのか。

その点に関連して、もう一つ思い当たったことがある。ワルターの第9交響曲やフェリアーの「私はこの世に忘れられ」を聴いて、私は何となく、バルビローリが ベルリンフィルを指揮した1964年の第9交響曲やベイカーがバルビローリの伴奏で歌った「私はこの世に忘れられ」(これには1967年のハレ管弦楽団のものと、 1969年のニュー・フィルハーモニア管弦楽団のものがあるが)を思い浮かべたのだ。バルビローリは1899年生まれといいながら、イギリスの指揮者であり、 大陸のマーラー演奏の伝統とは直接関係がない。強いて言えばフルトヴェングラーのいわば代役のような形で引き受けたニューヨーク・フィルハーモニックとの関係に 寧ろ接点があるかも知れないくらいなのだが、それではそのバルビローリの指揮で第9交響曲を演奏したときに当時のベルリン・フィルの奏者をあれほどまでに感動させたものは 何だったのか。当時のベルリンには聴き手のうちにも奏者のうちにも戦前の記憶をもつ人がいた筈であり、1960年代にもなって、しかもドーバー海峡の向こうから やってきたイタリア系の指揮者が、そうした記憶に繋がるような演奏をしたことに驚いたといった側面が必ずやあったに違いないと私は思う。勿論、バルビローリと ベルリン・フィルの演奏を戦前の伝統なり記憶なりの継承であるということはできないだろうが、しかし更に半世紀近く後の現在から眺めれば、バルビローリの 演奏もまた過去のものとなってしまったという感覚は拭い難い。結局のところマーラーと現在との距離はちっとも縮まっていかない。寧ろ、ある時期にマーラーの 受容が一気に進んだことによって、逆説的に今度こそマーラーは決定的に過去の存在になってしまったとさえ言いうる気がしてならない。

そしてそうした展望において、三輪眞弘さんの言う「録楽」としてのマーラーの演奏記録を聴くことに、或る種の逆転が生じているように私には感じられる。 戦前の演奏を「録楽」で聴いたからそこに「幽霊」を見出したのではないかという論理の筋道はここでも正しいのだが、その一方でそれは私にとって 予め「幽霊」でしかありえないものなのだ。現代の演奏を遙かに優れた録音・再生技術によって「録楽」として享受するのと、そうした経験の間には 無視できない差があるように思えてならない。権利問題としては確かにそれもまた「代補」なのだが、事実問題としては「代補」としてしか最早存在し得ない。 そして時代の隔たりを感じつつ、にも関わらず、その隔たりを超えてやってくるものは、今日のコンサートホールで繰り広げられる技術的精度においては遙かに優れた 演奏では、或いは今日の遙かに進んだテクノロジーに支えられた録音で聴ける演奏では替わりが利かないもののようなのだ。やってくるものが或る意味で時代を 超えているのだとしたら、一体どちらを「幽霊」と呼ぶのが相応しいのだろう。勿論私は「歴史的録音以外には価値が無い」とは思っていない。作品を把握するには 歴史的録音では限界があるのははっきりしている。歴史的録音の裡にのみ本物があるといった言い方を私は断固として拒絶する。私が言いたいのはそういうことでは ないのだ。そうではなくて、マーラーのような過去の音楽の場合、しかもその音楽が産み出された時代やその時代に陸続きの時代の「録楽」が遺されているような 場合には、それらを現代における「録楽」と同じように聴くことがとても難しいことになるということが言いたいに過ぎない。

それは一般論としてはマーラーだけの問題ではないかも知れない。だが、私個人について言えば、恐らくそれはマーラー固有の側面が非常に色濃いのではないかと 思っている。勿論私がマーラーその人に興味があるのは、このような音楽を遺したからで、そこには逆転はない。だが私は結局のところ、そうした作品を産み出した マーラーその人を探しているのだと思う。作品はマーラーその人の「抜け殻」、それもまた「幽霊」ではないのか。だからといって書簡をはじめとするドキュメントの 方にこそ「本物」がいるとも思っていないし、やはり「本物」は「作品」を通してしか出会えないと思うのだが。 (2009.5.31/9.26)

2009年5月24日日曜日

今更、どうしてマーラーなのか

今更、どうしてマーラーなのか、という問いは二重の意味で現在の風景に馴染まない、アナクロニックなものに見えるかも知れない。 一方ではマーラーの音楽はコンサート・レパートリーの重要な部分を占めているし、マーラーの同時代の音楽は勿論、それ以後の過去の音楽 (20世紀に「現代音楽」と呼ばれたジャンルも含めて)も、逆にマーラーより前の音楽も、ある意味では分け隔てなく演奏が行われ、聴取が行われている。 アーノンクールが指摘するようにそうした風景が歴史的にみて異様なものであったとしても、「今更」という問いは、そうした展望の下では最早 相応しくないかのようだ。一方で、同時代性からの展望は全く異なるだろう。1世紀のうちに生じたパースペクティヴの変容によって、マーラーの音楽は 恐竜の如く、既に過去の遺物であるかのようだ。とりわけケージの名前に象徴される音楽の定義の見直しの後の風景の中で、マーラーの音楽は はっきりと過去の制度の制約をあまりに強く受けすぎていて、最早「使いみちのない」ものに見えるかも知れない。もっとも、断絶を強調するような こうした見方は寧ろかつて20世紀のある時期まで優勢であったもので、ポスト・モダンの今日は最早「何でもあり」なのだとすれば、最初の問いはもう一度、更に 三つ目の意味合いでナンセンスだということになるのかも知れないが。もっとも、上記の2つないし3つの「理由」は、一般論として思いつきはしても、 私にとって等しく説得力を持つものではない。私が特に関心があるのは、2つ目の立場、同時代性からの展望である。「マーラーの時代が来た」という声の 一部に恐らくは意識的に、あるいはまた無意識的に含まれるであろう、マーラーの音楽は最早時代を超越しているのだ、それは普遍的なのだというような 見方は私には到底受け容れ難いし、だからといって「何でもあり」の時代だからマーラー「もまた」いいではないかと思っているわけでもない。 クラシック音楽を自明とする立場にありがちな前者の考えこそ時代錯誤も甚だしくて、そうした距離感や自分の立ち位置の意識が欠落した評論、 解説の類にはいらいらさせられるし、その一方で私は基本的には偏狭な人間なので「何でもあり」の一つとしてマーラーに接しているわけではない。 寧ろ共感でき、戸惑い無く聴ける音楽は非常に限定されているといって良い。そもそも偏狭である以前に時間の制限や能力の限界もあって、そんなに色々なものを 相手にするのは無理なのだ。

私は音楽を職業としていないので、あくまでも自分の生業とのアナロジーによる想像に過ぎないが、例えば音楽の創作の現場に自分が居たとすれば、 マーラーの音楽に対して現実に今そのように接しているように接することはありえないだろうな、という気はする。端的な言い方をすれば、自分がもし 音楽を書くとしたら、マーラーのような音楽は書かないだろうということだ。マーラーは結局のところ過去の別の文化に属する他者であって、 同じ位置に自分を置くことはできない。だから、一見矛盾しているようではあっても、同時代の営みの中で私が関心を持つのは、マーラーの音楽とは 一見して全く関係の無い、寧ろ、そこからは最も遠く隔たっているかに見えるような類の試みなのである。自分でも何となく腑に落ちないのだが、 同時代の誰かがマーラーのような音楽を書くことに対しては明確な拒絶反応があるようなのだ。ほとんどナンセンスに等しい乱暴な仮定であることを 承知で言えば、もし現代にマーラーが生きていたら、彼が書いたのはあのような音楽ではなかっただろうとも思う。こんな仮定を積み重ねることに さしたる意味はないだろうけれど、今日マーラーのような音楽を書くことは、マーラー的なメンタリティに反するとさえ言えると思う。少なくともマーラーが 持っていて、その音楽として具現している或る種の志向、私にとって、そのためにマーラーを聴き続けている何かを現代の日本で展開しようとすれば、 全く異なった相貌の音楽になったに違いない。そういう意味では、時代の制約によって音楽が身に纏う意匠というのは、実は「抜け殻」(マーラー自身が 晩年のある書簡でこういう言い方をまさにしている)に過ぎないのではという気さえする。ありていに言えば、似たようなスタイルの全く異なった実質の 音楽が山とあるのは、多分いつの時代でも同じだろう。私には後期ロマン派の音楽が好きです式の括り方ができるというのが信じられないのだ。 (もっとも、現在からの距離感というのが存在しないわけではないから、後期ロマン派以前の音楽をどう聴いたらよいのかわからない、といったことは 起きるのだが、だからといって、後期ロマン派なら何でも良いことにはならないだろう。) 同様にアルゴリズミック・コンポジションなら何でもいい、あるいは力学系やオートマトンを使っていればいいというわけでもないのは当然のことである。 その結果、今度はミニマル系が好きですとか、ノイズ系がetc.の括り方に抵抗を覚えることになる。だがだからといって、意匠がどうでもいいかといえばそんなことはない。 与えられた環境、文脈に応じて、妥当な選択というのがある筈で、それが19世紀末のウィーンと21世紀の日本で同じであるわけがないだろう。

だが、だったらもう一度、今更、どうしてマーラーなのか、という問いに立ち戻らざるを得ない。今日の創作の現場ではありえない選択肢だと言っておきながら、 1世紀の時間と文化的な隔絶といった距離感を感じつつ、それでも何故マーラーの音楽がこのように力を持っているのか。今や、始まりと終わりがあること、 組曲形式、オーケストラという媒体を用いること、コンサートホールという場での演奏を前提としていることといった、ある領域の内部では自明と見なされている事柄すら、 より広い展望の下では最早とっくに自明ではなくなっているというのに。勿論、マーラーの音楽のプロセスはそれが下敷きにしている古典的な形式のそれではないし、 組曲形式の持つ意味もすっかり変容している。あるいはまた、今やそれはコンサートホールで演奏される「音楽」であるよりも多くCDのような媒体に収められた 「録楽」であるかも知れない(少なくとも私自身については)。最後の点に関連する点で最近よく思うのは、一時期よく言われた「マーラーの時代が来た」と言われた 時代の演奏よりも、それに先立つ時期の、演奏精度や慣れといった点では見劣りがするかも知れない演奏の方が、マーラーの音楽の持つ特性を (もしかしたら半ばは無意識にであれ)掴んでいるのでは、ということだ。勿論、例によってそれを時代による演奏様式の変遷のような議論に縮退させてはならない。 歌は世につれ、ということであれば、テクスチュアに徹底的に拘った今日の高精度な演奏こそ相応しいということになるのだろうし、そうした意見にも一理あることは 確かだろう。だが私個人にとってはそうした「現代的なマーラー」は 不要とまではいわないが、少なくとも「今更マーラーを聴く理由」に照らしたときに、興味を惹くものにはなりえない。歌は世につれならば、そもそも今更マーラーを 聴く理由など無いはずではないか、というわけである。だからといって懐古趣味やら刷り込みというわけでもない。そもそも自分が生まれる前の演奏、 自分が文脈の持ち合わせのない演奏に対してノスタルジーを抱くというのは矛盾だ。「伝統」のようなものが不可欠であるわけではないのはバルビローリの演奏を 聴けばわかる。だいたい20世紀後半の日本にいる一介の音楽愛好家が、自分の立ち位置を棚に上げてマーラーの音楽の演奏の「伝統」を云々するのは、 客観的に見て滑稽ですらあるだろう。そもそも私は文化史とか社会学的な興味でマーラーに関心を持っているわけではないから、マーラーの音楽をそうした 文脈とか背景に還元することには反撥こそ覚えることはあっても、納得することはない。一方で日本での洋楽受容史みたいな視点も最近はよく見かけるが、 今度は自分がその内側の末梢に位置しているのだろうとは思っても、そこに今更マーラーを聴く理由が見つかるとは思えない。近衛秀麿の第4交響曲録音が マーラー演奏の録音史上特筆されるべきことであると言われても、貧弱な音質のその録音に今更マーラーを聴く理由を見出すことは私にはできなかった。 歴史的録音の蒐集には関心がないから、例えばメンゲルベルクの1939年の第4交響曲の演奏記録と同列に論じることなど私には思いもよらないことなのだ。

だが、それでも今更マーラーを聴くことに理由がないわけではない。このように始まり、このようなプロセスを持ち、このように終わる音楽が他にないから。 主題があり、動機がある。それはイデーを拒否した音の並びの対極にあって、単なる音響であることができない。だがその一方でそれらが辿る履歴は 独特で、因習的な仕方でなく、変容し、解体していく。だが解体してもそれはただの音にはならない。断片に過ぎなくても、それは断片であることを 主張する。引用も、自己引用もそうした前提あってのことだ。プロセスもまた、因習的な構造を極限まで押しひろげながら、それを壊してしまうことは 決してしない。自己を消去し、一旦すべてをリセットしてやり直すラディカリズムはそこにはない。寧ろ矛盾しつつ、変容しつつ、彷徨う自己の遍歴そのもの なのだ。他者の声が介入したり、自らをエミュレートしたり、眠りにおけるように忽然と消滅して、また突如として生起したり、巨視的に見ればある法則に 従っていることはわかるが、微視的には隙間や穴がたくさんあって、挙動が予測できない。垂直的にも水平的にもその組織は複雑だ。多彩なテクスチュア があり、再帰的な構造があり、中間的なユニットが存在する。それらは蠢き、くっついたり離れたり、分解したり、別のものになったりして、 決して同じでいることがないが、全体としてのコヒーレンスは辛うじて保たれている。意識の挙動について語る時、神経系の挙動のレベルとは別の水準が適切なことが 多いように、その挙動もまた、一つ一つの音のパラメータの値とその変化の方向や大きさの記述をしただけでは適切に記述したことにはならないだろう。 そしてそのプロセスは自然現象よりも意識の流れに遙かに近いように思われる。もともとは踊りのための音楽の連鎖であった組曲も、 ここでは全く別のものになりはてている。ここでもマーラーは単一楽章への圧縮による論理の徹底という方向性はとらない。 彼の音楽は複数の異なる楽章の継起でなくてはならないのだ。多元性、複数の層の 存在がマーラーの音楽には欠かせない。複数の楽章が無ければ、異なる文脈での素材の引用といったことはそもそも起きようがない。逆算したわけではなくとも、 結果的に組曲形式はパースペクティヴの複数性を可能にし、筋書きを重層化し、ストーリー・テリングを厚みのある複眼的なものにしている。そしてその音楽の 背後には常に或る種の志向が働いていて、それは複数の作品を跨いでその音楽を単なる多様式主義の混沌と化すことを拒んでいる。世界がどのような 相貌を持っているかは、主体のありようと相関的なものだ。そしてその意味において、このような音楽を私は他には知らない。

その軌道は複雑で、簡単に記述することを拒むけれど、一例を挙げれば第3交響曲の終楽章の練習番号26番におけるような、あるいは第8交響曲第2部の 練習番号156番におけるようなマーラーの音楽のあの強烈な「再現」に匹敵するものを私は他の音楽に見つけることができない。 それは単純な反復ではないのだ。あるいはまた枚挙に暇がない、マーラーの音楽における「後戻りができないポイント」の存在。そしてそうしたかけがえの ない何かは、これまた一例に過ぎないが、1952年にヴァルターの指揮のもとフェリアーが歌った「大地の歌」の終楽章のコーダの始まりのような、 自分が生まれる遙かに前の演奏記録にはっきりと刻印されていることが多いのだ。今日のコンサートホールでそれが聴き取れるないと言い切ることは できないだろうけれども、時間的にも経済的にもそれは非常に効率の悪い投資に感じられてならない。ライヴかスタジオかといったことも取るに足らないことで、 決定的な瞬間はスタジオでだって起きる時には起きるのは当然のことである。注意しなくてはならないのは、マーラーの音楽においてテクスチュア、音自体の 質が重視され、セカンダリー・パラメータの機能が重要になるからといって、徒らにそこにフォーカスした演奏解釈が「正解」であるわけではないということだ。 そうした恣意によって喪われるものは少なくないだろう。今更標題についての詮索をしたところで、マーラーの音楽の出てきた背景を明らかにすることは可能でも マーラーの音楽に辿り着くことはない一方で、「純音楽的」と呼ばれるアプローチが、マーラーの音楽そのものが持っている質の把握を保証するわけでもない。演奏解釈に おける「音楽だけが問題だ」という立場は、それはそれで結局は人間の営みである音楽に対する或る種の態度決定で、その結果として現象する「音楽そのもの」の 実質に対してそうした態度が特権的な立場にあるわけではない。マーラーはフェルドマンやクセナキスではないけれど、ベートーヴェンでもない。なんなら人間の心の 外界との相互作用を力学系で記述することにしても良いのだ。標題的・文学的解釈でなければ物理的な音響がすべて、という二者択一は論じる側の記述言語や 語彙の貧困を対象に押し付けているに過ぎない。適切な記述レベルを探すのは論ずる側の仕事のはずである。まあ、もしかしたら「適切さ」についての 基準自体が動いていて、ある価値を最大化するには、そうした単純化をした方が都合がいいのかも知れないが。

(なお、私にとってマーラーの音楽がより多く三輪眞弘さんの言う「録楽」であることにもまた、もう少し別の見方がありえるかも知れないという気がしている。 確かにマーラーは、ミュンヘンでの第8交響曲初演をその一方の典型例と考えられるように、コンサートホールで演奏され、聴取されるためにその音楽を 作曲した。だが、100年後の今日、それが日本のコンサートホールで演奏されることの意味合いは同じものである保証はない。マーラーの音楽は、 しばしばそう思われているように、未来のコンサートホールの聴衆のために書かれたのだろうか。私にはそうは思えない。そして、それがはっきりと過去の遺物である という認識が「録楽」としてマーラーの作品を聴くこととどこかで繋がっているように思えてならない。そのとき「録楽」として聴くことによって、その音楽の現代的な意義が 見えなくなっているのではという嫌疑があることは認めるが、果たして作用の向きはそちらだけだろうか。マーラーに関してはかつて、コンサートホールでの演奏にも 何度か接して、交響曲については辛うじて過半の作品の実演には接しているのだけれど、その経験を踏まえてもなお、今更マーラーの音楽を聴きに、 時間の制約がきつくてコストばかりは決して小さくないコンサートに足を運ぶ気にはなかなかなれない。しかもそこでの演奏が、私が聴きとりたいと思っている志向を 捉えてくれているという保証はないのだ。否、もはやそうして志向を現在の日本のコンサートホールで確認することは望み薄で、寧ろ積極的にマーラーは 「幽霊」であって、それゆえ「録楽」こそが相応しいのでは、という気がしてならないのだ。ちなみに同時代の音楽だけでなく、ブルックナーやショスタコーヴィチと いった作曲家についても必ずしもそうは思っていないから、これは私のクラシック音楽の受け止め方一般の徴候ではなく、相手がマーラーの場合に固有の 問題である。卵が先か、鶏が先か、あるいはすでにループの内に落ち込んでしまっているから、今更どちらかを区別するのは実際上不可能なのかも知れないが、 マーラーと私の間に広がる100年の時間と、地球半周分の距離、そしてそうした量では捉えられない文脈の隔絶には、寧ろ「録楽」と、解読を待っている投壜通信の ようなスコアこそが相応しいのではという感じがしてならないことは書き留めておきたい。仮にコンサートホールに足を運んでも、そこで聞く実演の方が寧ろ「影」に 過ぎないのでは、という感覚すら私にはあるのだ。これまた「投壜通信」の媒体に他ならないCDに収められた過去の演奏記録に接する時の方が、 所詮は過去の異郷の音楽であるマーラーに接するには相応しくはないのか。どこかで否定したいとは思いながら、そうした考えを否定することができずにいるのである。)

その一方で、マーラーの音楽のそうした特徴を適切に記述する語彙はまだ確立されてはいないように思われてならない。マーラーの音楽は人間の意識活動も 含めた活動の結果であるだけでなく、その活動自体の或る種のモデルであるように思われる。それは活動そのものの複雑さ、多層性、多様性を備えている。 私が(不正確な言い方であることはある程度は承知で)「意識の音楽」と呼んでいるのは、音楽作品自体にその音楽作品を産み出す活動の影が映りこんでいる ような類の音楽を指していて、勿論、マーラーの音楽だけがそうであるわけではないし、連続主義的な立場をとれば、どんな音楽も何らかの形で、程度の差はあれ そうだということになるかも知れないけれども、マーラーの音楽こそが典型であると思っている。その特質は、静的な楽曲分析によっては記述できない一方で、 標題のような次元を幾ら渉猟しても言い当てることが出来るはずがないものだろう。あるいはもしかしたら、マーラーの音楽に刻印されたような意識のあり方自体が もはや現代では失われつつあるのだ、ジュリアン・ジェインズの言う通り、意識のあり方そのものが変化していくのだという見方が正しいのかも知れない。 だがもしそうだとしても、マーラーの音楽に刻印された意識の様態を過去の遺物だとは思いたくないのだ。それを普遍的なものであると主張することはできないし、 そうすることに興味があるわけでもないが、マーラーの音楽のようなものを生み出すことができるような生物の活動を私は価値のある、かけがえのないものだと 思っているのである。それを精神の営みと呼ぼうが、意識の営みと呼ぼうが、あるいはそういう言い方を拒絶して、ある非常に複雑な機械の活動と見なそうと 構わない。マーラーの音楽の(動的な側面も含めた上での)構造、そうした構造を産出することができる機構に私は関心があるのだ。

要するに、それを意識の音楽と呼ぶかどうかは一旦おいても良い。いずれにしてもマーラーの音楽のような複雑さと豊かさと、ある種の志向を備えた音楽を 私は他に知らないのだ。志向において通じる試みが今日為されていないとは思わないし、その達成にも端倪すべからざるものを認めることに吝かではないが、 マーラーの音楽の替わりを見つけることはどうやらできそうにない。今日の音楽がマーラーのそれのようでないのには必然性があるし、寧ろそうでなくてはならないのだろうが、 だとしたら喪われてしまったものは、少なくとも私にとっては無しで済ませられないほど大きなものなのだ。今更ではあるけれど、マーラーの音楽がなくては 私は困るのだ。それは或る種の価値の要石であり、そうした価値なくして私は到底やっていけないだろう。いきなり卑小な話になるが、休みの日の 数時間にこうしたことを書き付けることによって、やっと精神のバランスが保てているのだ。私というシステムを維持するのにそれは必要なのである。(2009.5.24)