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2009年9月27日日曜日

楽章順序について、および歌曲の調性についてのメモ―梅丘歌曲会館の藤井さんに―

別のところにも書いたが、私見ではマーラーの管弦楽作品、とりわけ 多楽章形式の作品において調性の持つ機能を無視することはできない。 多楽章形式の管弦楽作品という言い方をしたのは、(「大地の歌」を 含めて)交響曲に分類される作品の他に、「嘆きの歌」と連作歌曲集である 「さすらう若者の歌」「子供の死の歌」を含めたいからである。

歌劇場の指揮者として、後にはコンサート指揮者としてオーケストラと ともに仕事をし、しかも今日は当然のように受け止められているコンサート という制度が確立し、音楽史的なパースペクティブをもってプログラムを 構成するようになる時期に活動したマーラーは、バロック音楽以来の伝統を 自分で演奏することによって振り返ることができたこともあり、また 典型的な平均律楽器であるピアノを媒体としなかったこともあって、それぞれ の調性の持つ「性格」のようなものに対する意識があったことは疑いない。 どちらが原因でどちらが結果かはともかく、ワグナー的なクロマティズムが 流行した時代にあって、反動的に見えかねないほどに全音階的な音楽を 書いたこともあり、他の作曲家における事情はともかく、ことマーラーの 場合に限っていえば、調性にまつわる議論は避けて通ることができない テーマである。 それを象徴的な意味合いを調性に投影させるかどうかとは別に論じることも 可能だろうが、一般には悲劇の調性であるイ短調 (「嘆きの歌」、第6交響曲)や、天上の調性であるホ長調 (第4交響曲や第8交響曲における用法)といったように、ある種の 象徴的な意味合いを持たせて論じるのが一般的だろう。

一方で、単独の調性の象徴的な意味ではなく、多楽章形式における 楽章間の調的な関係が話題になることも多い。著名なのはダイカ・ニューリン 以来のいわゆる「発展的調性」で、決まって引き合いに出されるのは 第5交響曲の嬰ハ短調→ニ長調の例であろう。第9交響曲がニ長調で始まり、 今度は半音低い変ニ長調のアダージョで終わるのもよく引き合いに出される だろうか。一方で、第2交響曲のように開始と終了が平行調の関係にあるもの (ハ短調→変ホ長調)、第3交響曲のように同主調の関係にあるもの (ニ短調→ニ長調)もあるし、第6交響曲や第8交響曲、あるいは第1交響曲も 含めてもいいだろうが、開始の調性と終曲の調性が同じものもあり、 といったようにその関係は多様であるとともに内容との間に対応がある点が 注目される。

開始と終結だけを論じるのは認知的、心理学的な裏付けに乏しいという 批判もあるかも知れないが、調的な遍歴はどんどんミクロに見ていくことが 可能であって、私見ではそれをどう意味付けるか、どのような象徴づけを 想定するかについてを仮に捨象したとしても、音楽を聴取するときに そうした調的な遍歴を辿ることによって得られる効果については (もちろんこれとて西洋のある時期の音楽の規則の枠内限定であるとは いいながら)それなりの実質を備えていると言い得るだろうと思われる。

例えばマーラーの交響曲では楽章の上部構造として、部(Teil)が設定 されることがしばしばあるが、第3交響曲ではニ短調で開始した第1楽章は へ長調(!)に到達して第1部を終える。第2部冒頭は遠隔調のイ長調だが、 終わりはニ長調である。大地の歌は明確に部が示されているわけではないが、 前半の5楽章が1まとまりを構成して、それに第6楽章が対応するといった、 あたかも第3交響曲の構成を逆転したような構造を持つのは明らかだろうが、 そう思って調性を確認すれば、イ短調で始まる第1楽章に対して、第5楽章は 同主調のイ長調で終わり、第6楽章はハ短調で始まるがその終わりは 冒頭の平行調であるハ長調(ただし付加6の和音なのでいわば宙に吊られた まま終わる)であるといった具合である。

こうして見ると、調的は配置は多楽章形式の作品の構成と密接な関係に あることが伺えるが、それが別の現れ方をしたのが、楽章の順序にまつわる 揺れの問題であろう。 この点については何と言っても第6交響曲の中間楽章の順序の問題が 有名だし、近年、永らく「真正」と見なされて来たエルヴィン・ラッツの 見解を反映したマーラー協会版の順序(第2楽章スケルツォ、第3楽章 アンダンテ)に異論が投げかけられ、マーラー協会が今度は逆の順序が 正しいという声明を出すといったことも起き、その結果、最近では 逆の順序を採用した演奏が増えて来ているのは良く知られているだろう。 だが、「真正性」の基準はどこにおくのが妥当かといった議論を措いて しまって音楽自体の論理を追った時、アドルノが盟友でもあったラッツの 立場を擁護した際の主張にも正当性はあるように思えるし、マーラー自身、 迷ったという事実が残ってしまうという状況が告げているように、 もともとどちらの順序も可能だという、マーラーならではの事情が あること自体は否定しがたいだろう。

こうした例は別にもあって、その中でも未完成に終わった第10交響曲 の楽章順序の問題は、これまた有名だろう。第10交響曲の補筆にまつわる 歴史は色々なところで紹介されているし、ここでの本題ではないので 割愛するが、補筆版の第2楽章に位置するスケルツォの草稿には、 「スケルツォ-フィナーレ」と記載した跡があるし、第4楽章の スケルツォにも、「フィナーレ」「第2楽章」「第1スケルツォ(第1楽章)」 といった記載の跡があって、未完成であるが故に、マーラーが創作の 過程で楽章構成について幾つもの選択肢を検討した様子が窺える。 それだけではなく、第5楽章のフィナーレ終結部の草稿には、 デリック・クックが採用した嬰へ長調のバージョンとともに、 変ロ長調のバージョンが存在するらしい。クックの作業についての 批判はかつても存在したし、今でもあるのだろうが、例えばここでの クックの選択が音楽の論理に適っていることは認めざるを得ないのでは なかろうか。第10交響曲の冒頭のヴィオラのパート・ソロは限りなく 無調的であることで有名だが、それでもアダージョ主部の主題は嬰ヘ調で あり、フィナーレが嬰へ長調をとるのは、調的に見れば自然な選択なのだ。 (勿論、誰かが変ロ長調版を採用した説得力のある別解を提示する可能性 を否定するわけではないけれど。)

だが、ここで触れておきたいのは、マーラーの交響曲創作の出発点で あった第2交響曲(なぜなら第1交響曲は、まだその時点では2部5楽章 よりなる交響詩だったから)の楽章順序に関する経緯である。 第2交響曲が複雑で長期にわたる生成史を持つこと、途中の段階では 第1楽章を単独の交響詩「葬礼」とするプランがあったことなどは 今日良く知られるようになり、交響詩「葬礼」の録音も存在すれば、 実演でも取り上げられることがある(日本でもすでに初演されていて、 私はそれに立ち会うことができた)。そしてまた、最終的に辿り着いた 形態が必ずしもコヒーレンスが高いとは言えないものであること、 マーラー自身、自分で指揮した経験からそれに気付いていて、その結果 第1楽章と第2楽章の間に5分間の休憩を入れる指示を書き加えたことも 人口に膾炙しているだろう。(もっとも、もっと緩やかな多楽章形式の 交響曲が幾らでも存在するせいか、今日ではマーラーの指示が文字通り 忠実に守られているわけではないようだが。)

しかし、その長期にわたる生成過程において楽章の順序がどういった 検討を経たのかについての議論はあまり為されていないように思われる。 この点についてはドナルド・ミッチェルが既に1975年の時点で興味深い 検討をしていて邦訳もされているのだが、それに対する言及を見かけること はあまりないので、ここで簡単に紹介しておきたい。 (第3交響曲と第4交響曲の関係に纏わる議論はそれに比べれば遥かに 良く知られていて、あちらこちらで触れられているのは、今日聴くことが できる形態上その連関があからさまで、説明の必要を感じるためだろうか。)

まず確認しておくべきことは、今日第2交響曲と呼ばれる作品の第1楽章に 相当する音楽が最初に(既に良く知られているように最終形とは異なった 形態で)成立したのは1888年9月、つまり今日第1交響曲と呼ばれる作品の完成後 間もなくであった。対して第2交響曲の完成は1894年の年末であり、その完成には ハンス・フォン・ビューローの葬儀への参列の際に聴いたクロップシュトックの 復活の賛歌が決定的な役割を果たしたことの方は良く知られている。

第2楽章と第3楽章の完成は1893年の夏のこととされる。この頃マーラーは 子供の魔法の角笛歌曲集の管弦楽化をしていて、第3楽章のスケルツォは その副産物とでも言えるべきものであったようだ。スケルツォのスコア完成は7月16日、 歌曲の管弦楽版の完成は8月1日という日付を持つ。第2楽章となったアンダンテも同じ夏に 余勢を駆るようにして作曲されている(スコア完成7月30日、ただしスケッチは それに先立って6月21日頃完成)。第4楽章である歌曲「原光」の管弦楽版の完成も 1893年7月19日付けであり、第2楽章や第3楽章、「魚に説教するパドヴァの 聖アントニウス」の管弦楽版と同時期に完成していたらしい。フィナーレは恐らく 進捗していたとしてもまだ素材をスケッチしている段階だったが、 それ以外の楽章は一応、既にこの時点で揃っていた。だが、ここで注意すべきは、 スケルツォの器楽楽章は明確に交響曲の一部とする意図をもって書かれていた一方で、 「原光」の方はそれを交響曲の楽章として用いるという着想はこの時点ではなかったかも 知れないことだ。楽章間の順序もまだ未定であり、アンダンテをスケルツォの後に 置くことも検討されたらしい。結局、楽章構成が確定したのは、くだんの追悼式の 参列以降のことで、ミッチェルもそういっているが、それ以前には多楽章形式の交響曲を 書くという構想の下、いわば泥縄式に出来上がった楽章を組合せようとしたものの 思うような結果が得られなかったというのが実態らしい。

これに関連して思い浮かぶのは、第5交響曲ではアダージェットが後から追加された らしいことや第7交響曲では先に2曲の夜曲ができていて、残りの3つの楽章は後から 翌年になって追加されたことである。一方で、第1交響曲や「嘆きの歌」のように、 後から楽章を1つ削除してしまうということも行われている。その結果、第1交響曲は 終楽章に主題連関のリファレントが宙に浮いたエピソードが残ってしまったし、 「嘆きの歌」は、当初の調的な構想がすっかり姿を変えてしまうことになる。

要するに、マーラーの多楽章形式の作品における楽章間のコヒーレンスは 概してあまり高いものではない。しかしその具体的な様相は多様であって、 個別に記述していくしかなさそうである。であってみればコヒーレンスの不足をもって 非難するのはマーラーの場合にはあまり生産的なやり方ではない。マーラーの形式が 唯名論的なものである、とアドルノが言うとき、それは事前に用意された図式に 従って個別の楽曲の構造が決定されるのではなく、寧ろ各楽章が描き出す星座 (コンステラチオーン)こそを読み取るべきなのだ、ということを言っているに 違いない。そしてそうした多様性こそがマーラーの音楽の認知的・心理的な リアリティの源泉となっていることに留意すべきなのであろう。

ところで、そうしたことは交響曲の場合には例外なく該当するだろうが、 マーラーの作曲したジャンルのもう一方の極である歌曲の方はどうかと考えたとき、 ただちに気付くのは、歌曲については少なくとも連作歌曲集と出版上の都合で 組まれたアンソロジーとを区別する必要があることだろう。「さすらう若者の歌」 「子供の死の歌」は明らかに連作歌曲集として構想されており、少なくとも 交響曲の楽章と同程度のコヒーレンスが存在する。もちろん「さすらう若者の歌」が 4曲で終わっているのはある種の偶然の産物かも知れないし、「子供の死の歌」は 生成史的に見た場合には分裂が見られるから、ここでも交響曲で起きているような 泥縄式の辻褄合わせといった側面がないことはないだろうが、その結果はそうした ネガティブな言い方が不適切に感じられるほど見事なものである。

興味深いのは交響曲において言及される発展的調性は、寧ろ歌曲の方にその萌芽があるかも 知れないことで、実際、歌曲においては1曲のうちの最初と終わりで異なる 調性で終わることは初期作品から珍しくない。1880年の3つの歌曲(リート)の 「春に」や「冬の歌」、「リートと歌第1集」の「思い出」がそうだし、「さすらう 若者の歌」を構成する歌曲に到っては、すべての曲が該当するのだ。この点については ミッチェルが「リートと歌」について論じる際に詳論しているが、マーラーにおける 交響曲と歌曲というジャンルの関係を考える上で、調性の遍歴の問題は非常に重要な 視点であることは間違いない。

その一方で、連作歌曲集に含まれない歌曲における個別の曲の調性の問題は、歌曲の 楽譜が出版される際の実用上の問題、即ち、声の高さに合わせて移調した幾つかの バージョンが出版されるという事情があるゆえに複雑なものとなる。しかもマーラーの場合、 典型的な平均律楽器であるピアノによる伴奏によるものばかりか、管弦楽伴奏のものも あるため事態は一層錯綜としたものになる。つまり曲によっては同じ楽器での伴奏が 音域の問題やら移調楽器の性質から不可能になり、管弦楽法上の調整が行われる場合が あるのだ。リュッケルトによる歌曲のうち「美しさゆえに愛するなら」の管弦楽版が マーラー自身によるものではなく、マックス・プットマンの手になるものであることは 最近は良く知られるようになってきたが、他の曲においても移調された版では管弦楽伴奏に 細かい違いが見られ、それがすべてマーラーによるものなのかは定かでないのである。

そこで最後に歌曲における移調の状況を、分析は控えてまとめておきたい。例えば マーラーのオリジナルの調性と出版譜の調性が異なる場合に、それがどのような理由に よるものなのか、マーラー自身の意図がどの程度反映されているのかといった問題は 個別に検証されるべきだし、調性による象徴法の議論を連作歌曲集に含まれない 歌曲に対して適用することの可否もまたそうした検証の上でようやく可能になるだろう。 他の作曲家の場合には、もしかしたらこうした移調の問題は取るに足らないものかも 知れないが、マーラーの場合にはそうとは言えないだろうから、まずは事実を整理しておく ことにも何某かの意味があるものと思う。

  • 3つの歌(リート):手稿の調性と出版譜の調性は同一。
    • 春に:へ長調→ヘ短調(変イ長調)→ハ長調
    • 冬の歌:イ長調→ハ短調
    • 緑の野の五月の踊り:ニ長調
  • リートと歌第1集:高声版・低声版が存在。以下は手稿の調性。
    • 春の朝:へ長調(低声版が原調)
    • 思い出:ト短調→イ短調(高声版が原調)
    • ハンスとグレーテ:原調はニ長調(出版譜はへ長調)
    • ドン・ファンのセレナーデ:変ニ長調(出版譜はニ長調、ハ長調)
    • ドン・ファンのファンタジー:ロ短調(高声版が原調)
  • リートと歌第2,3集:高声版・低声版が存在。以下は手稿の調性。
    • いたずらな子をしつけるためには:ホ長調(高声版が原調)
    • 私は緑の森を楽しく歩いた:ニ長調(高声版が原調)
    • おしまい、おしまい:変ニ長調(出版譜は変ホ長調、ハ長調)
    • たくましい想像力:変ロ長調(出版譜はハ長調、イ長調)
    • シュトラスブルクの保塁で:嬰ヘ短調(出版譜はト短調、ヘ短調)
    • 夏の交替:変ロ短調(高声版が原調)
    • 別離と忌避:ヘ長調(低声版が原調)
    • もう会えない:ハ短調(高声版が原調)
    • うぬぼれ:ヘ長調(低声版が原調)
  • 子供の魔法の角笛:高声版・低声版が存在し前者を長二度低く移調したのが後者である。
    • 歩哨の夜の歌:変ロ長調(低声版が原調)
    • 無駄な骨折り:イ長調(高声版が原調)
    • 不幸なときの慰め:イ長調(高声版が原調)
    • この歌をひねりだしたのは誰:へ長調(高声版が原調)
    • 地上の生活:変ロ長調(フリギア旋法)(高声版が原調)
    • 魚に説教するパドヴァの聖アントニウス:ハ短調(低声版が原調)
    • ラインの小伝説:イ長調(高声版が原調)
    • 塔の中に囚われた者の歌:ニ短調(高声版が原調)
    • 美しいトランペットの鳴りひびく所:ニ短調(高声版が原調)
    • 高い知性への賛美:ニ長調(高声版が原調)
    • 3人の天使がやさしい歌を歌う:へ長調(高声版が原調)
    • 原光:変ニ長調(低声版が原調)
    • 起床合図:ニ短調またはハ短調
    • 少年鼓手:ニ短調(低声版が原調)
  • リュッケルトの詩による歌曲:中声用が原調。短三度または長二度異なる高声版・低声版が存在。
    • 私の歌を覗き見しないで:へ長調
    • 私は快い香りを吸いこんだ:ニ長調
    • 私はこの世に忘れられ:変ホ長調またはへ長調、初演時は変ホ長調。
    • 真夜中に:イ短調、ピアノ稿はロ短調、管弦楽稿は変ロ短調。
    • 美しさゆえに愛するなら:ハ長調、ピアノ版のみ。管弦楽版はマックス・プットマンによる

(2009.9.27,28)

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