お詫びとお断り

2020年春以降、2024年3月現在、新型コロナウィルス感染症等の各種感染症の流行下での遠隔介護のため、マーラー祝祭オーケストラ第22回定期演奏会への訪問を例外として、公演への訪問を控えさせて頂いています。長期間に亘りご迷惑をおかけしていることにお詫びするとともに、何卒ご了承の程、宜しくお願い申し上げます。

2008年5月27日火曜日

身辺雑記(5)

IV.

マーラーを考える上での主題系

  • 意識/無意識、進化論、不滅性、懐疑と矛盾、自然、イロニー
  • 意識・自己・心 : 現象学、認知科学、プロセス哲学、脳科学、神経生理学、進化論(ミーム含む)
  • 批判理論、初期のハイデッガー
  • 意識「からの」眺め、倫理や価値
  • 標題性―内的プログラム―作品の聴取におけるクオリアの問題
  • 「書き取らされている」という感じについてのジェインズの2院制の心による説明
  • 内的プログラム、リスト的な意味でのプログラムの否定(ただし、撤回されたものの、最初には存在した)―作者の「意図」を論じることの限界。
  • 意図の上での「異稿」問題―ナンセンス
  • 歌詞の存在、交響曲と歌曲との関係

「人工知能」がマーラーの問題になりうるか、検討の余地はある。 だが「意識」と「人工知能」がそうであるように、今日の問題としてマーラーを引き受けたときの展望というのはあるはずだし、あるべきだろう。 一見関係ないことが自明だが、具体的に距離を測るべきなのだ。

一方「意識」の領域は現象学以外については余り広げるべきではないかも知れない。 進化論をどう扱うかも考えどころだ。まずもって、進化論のマーラーの受容の問題がある。それは今日のものとはかなり距離があって、 その距離を正確に測り、記述するのは容易ではない。(当時の思潮を取り上げれば済むというのはあまりに安直で、マーラーの音楽の 説明になりえていないのは勿論、マーラーの人の説明にさえなっていないが、研究ではなくて一般に流布している「マーラー論」のレベルは そういった水準を超えていないように思える。)一方で、そうしたマーラーの音楽を、今受容するという受容側の問題がある。 上述の、当時の思潮を取り上げてマーラーの音楽の「解説」をした気になる度し難いお目出度さには、今日の問題意識にマーラーを 突き合わせるという視点を全く欠いている。マーラー自身は物理学、心理学をはじめとする当時の先端の自然科学のトレンドにさえ 関心を示す人であったのに比べれば、マーラーを骨董品として受容するようなそのような姿勢は、マーラーが持っていたはすの、従って、 マーラーの音楽が持っているはずのベクトル性をあまりに軽んじている。もしマーラーの(例えば第3交響曲における)「世界観」を今日 問題にするなら、今日の進化論の展開、さらには遺伝的アルゴリズム他の進化論的方法や人工生命の方向性、あるいは 進化論の文化的な平面へのアナロジーとしてのミームの問題などを無視することはできないように感じられる。そうした「主題」の領域を 抜きにしても、進化論的ではなくても動態的な視点は必須だ。従って、横断時に出現することになるに違いない。

マーラーにおける自然の問題をヴェーベルンやシベリウス、あるいはクセナキスの場合と対比させること。 同時に主体の立ち位置の問題でもある。 19世紀末的な「自然」にマーラーとヴェーベルンは含まれる。シベリウスは少し違う? 実際には、その様態においてはヴェーべルンとシベリウス(と恐らくブルックナー)の方が近いのにも関わらず。 一方でそのような意味合いでの「自然」は、ラヴェルやフランクにはない。これは何故? 都市の音楽だから?当時のフランス音楽が都市のものだったから? 「自然」に対する態度の違い?風土や文化?音楽の「機能」の問題? ロシアにおける例外的とも言いうるショスタコーヴィチにおける自然の欠如。 ショスタコーヴィチはロシアではなく、ソ連の文化的・政治的文脈が優った音楽であることは否定できまい。 とにかく、彼は人間に関わらざるを得なかった。告発するために、呪詛するために、記憶するために。

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あるタイプの作曲家―演奏家の倫理性は、作曲家―演奏家という自分の立場の外には出ようとしない。 それは音楽家の己のための倫理だ。 それを中途半端なアマチュアが批判すれば恐らくははぐらかされてしまうのがおちだろう。 勿論、それが間違っているわけではない。 だが結局、音楽家でない私にはそれは「どうでもいい」ことだ。 そしてそうした倫理性は、作品の享受の関心の担保にはならない。 多分演奏家にとっては興味深いかも知れないその作品も私の心には響かない。 寧ろ行為ではなく、音楽そのものに向き合う類の音楽の方が 一見自閉的に見えて作品としての豊かさを備えている。 無論、作品は開かれている(いる「べき」かどうかの問題ではない、事実 としてそうなのだ)し、豊かさは演奏家が与えるものだ、という立場は間違っていない。 だが、私はそれにもあまり関心がないのだろう。 作品を固定した、死んだものとして「鑑賞する」美学に対する反撥には大いに共感するが、 それに対する彼らの答には私は共感できない。

作品が完成品でないのは、作品を作曲家―演奏家―まさに彼らがそうである、 特権的にそうであるような―の中間領域に常に「手を加える」必要のある 状態に宙吊りにしておくことでなくてはならないとは限らないだろう。 それは彼ら固有の条件への自閉ではないのか? 作曲者―演奏家本人にしか実現不可能な作品―他者が再演することのない 作品とは一体何なのか?一見開かれた、伝統芸能で言う「手」の集積は、 しかし、芸の伝達のシステムが機能しない場合には、イデオレクトに 過ぎないのではないか?自分のための、自分のためだけの作品。 自分の行為のみを正当化する作品。その正当化は確かに無欠かも知れない。 そして聴き手を忘れて、音楽家の固有のモデルに閉じてしまう。 そのスタンスは、外に対して他者に対して一体何でありうるというのか? だから、(特に20世紀以降に顕著な言説の形態での)批判の鋭さは認めても、豊かさを見つけることはできない。 その倫理性には高い感銘を受けるが、それでいて自分の中にははっきりと今や形をなした違和感がある。 彼らは正しいのかも知れない。多分そうなのだが、それは「選ばれた者」の論理なのだ。 彼はそのように為すべく選ばれた者なのだ。 その選ばれた者の自分の立場の表明した書籍を、実践を、そうでない人間が 書籍の形や、あるいは演奏会のチケットの形で消費するというのは、一体どういうことなのか? 弁の立つ名人芸的ピアニストへのファン心理と何が違うのか? 音楽家が音楽について考え、実践するのは正当なことだろう。 でも、それは私にとって一体何の関係がある?私は音楽家ではない。

演奏家―作曲家の特権性だけではない。 例えば、音自体に拘り、あるいは音と音との抽象的な関係という次元に 己を限定する音楽についての緻密な思考は、だが、音楽家でない私にとって何なのか? 彼らは、その人並み優れた自分の能力に応じて、自分の問題を解いている。 だが、それは私には結局関係がない。 問題意識は結局共有できない。 それはきっと私は音楽家ではないからだ。 彼らは音楽家の「音楽家としての」問題意識の圏内で動き、結果を生み出す。 だが、私が音楽に聞きだすのは、最後の部分では、音楽家固有の問題に 対する技術的な対応ではない。

私はそうではない。私にとっては、自分も含めて、自分の身近にいる人間の心の傷や不安、怖れの方が問題だ。病や老い、そして死。 それは自分自身の問題でもある。 勿論、個人の次元では解決はない。 社会的次元にこそその手がかりがある、というのは正しいのだろう(だからこそ、私は「他者論」に関心を持ったわけだ)。 だが、それでもクオリアの私性を何かでごまかすことはできない。 個人の次元は純化する必要もないし、そうすべきではないのだが、だからといって解消されてはならない。それは残るべきなのだ。 自分に行動すべき何かの動機があるとしたら、そうした私性の、私性ゆえの、だが結局のところ私性の「ための」戦い以外にはない。 私は親密さなどいらないが、私性、個別のこの生命、この痛みの価値は擁護したい。 意識の問題を消去するのには、意識を消去すれば良い。だが、私はつまるところその問題含みの意識そのものなのだ。 消去は私「にとって」何の解決にもなっていない。 意識は頼りなく、少なくとも有限なものだ。世代の交代は意識という現象にとっては何の救いにもならない。私はそこで行き止まりなのだ。

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支配するのは怒りではなく、寧ろ無力感だ。怒りがあれば、それは何かを生み出すだろう。 そしてそれが不滅へと通じる途なのかも知れない。丁度ショスタコーヴィチのop.145が証言するように。 自然への帰依の感情、法則性、Nomosへの信頼からもまた、遠い。 だからシベリウスやヴェーベルンのあの自然の即自性は勿論、マーラーのあの憧憬からも遠ざかってしまったのだ。 単なる観点の、立場の問題かも知れないとはいえ、遺伝子の、あるいはミームの媒体に 過ぎない個体の有限性を、自分の営みの虚しさを確認することは意志を喪失させる。 何という陰惨な展望であることか。 何というところに辿り着いてしまったことか。 自然が一体何の救いになるのか? (全く風景は異なるが、no hay caminos, hay que caminar / viae inviae の対比が アナロジーとして思い浮かぶ。途がないのは同じでも、何という認識の違いがあることか。)

その法則は、何か安らぎを与えるものではありえない。 寧ろ、クセナキスの様な人間の認識の有限性への絶望と、運命の仮借なさに対する反抗の方が共感できる。 或いはショスタコーヴィチの認識の方が。 またいずれ神ならぬ盲目の進化の(Schopenhauerならそれを意志と呼んだだろう)巧みさも ひらめきもない作業の産物である自然の造化の精妙さに感動することがあるのだろうか? それでもその法則の「偉大さ」(?)に畏怖の念を覚えることがあるのだろうか?

何かを作ること、産み出すことの行く末を見定めること、それはまだ残っている。 残念なことに己の産み出すものの価値については全く信じられなくなっているが、それでも、ラヴェルの職人意識の方が、自然よりも、 人工物を信じるその懐疑とイロニーとその背後にある悲しみと諦観の方が、今の自分には信頼がおける。 裏切られた、傷ついた子供の心をどこかにしまってありながら、表面上は冷淡に、理性的に振舞うその「知性」を、 その意図された、意志的な冷たさの方に私はより多く共感できる。 自分の為し遂げたこと、自分の使命に対する信頼など、持てようがない。 それでもマーラーを否定し去ることはできないのだが、、、

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かつて親しくしていた友人の夢を見た。理由はわからない。 だが、こうしてまた、あの日のマーラーの第9交響曲第1楽章をきっかけにした対話に戻ってゆく。 不滅性とあとかたもなく消えること。 あの頃の素朴な信念はもうない。けれど、マーラーの音楽がなくなったわけではない。 どんな写真よりも文章よりも生々しい経験の定着。 勿論、マーラーの見た風景が見えると、といった私は間違っている。 そんなものは音楽のどこにもしまわれていない。風景は私のでっちあげた虚像に過ぎない。 けれども、経験の質は?「伝達」としては不十分だとして、この「変換」の結果は?

もし個人が、そして個人の生産物が、完全に社会に拘束されたものであるとすれば、ミームの伝播というものが意味を持つことはない。 もし正解を生成された社会的文脈に置いて、その解釈の地平をその「過去の側」に制限するならば、未来にいる聴き手、 異境で、異なる文化的伝統の裡にある聴き手は正しい解釈から排除されてしまう。 もしミームが伝播しうるなら、そうした文脈から離れた仕方でしかない。 しかもそうしたミームを受容するものが、聴き手の裡に存在していなくてはならない。 ミームを扱うとき、都市伝説や流言のような寿命の短いもの、伝播が空間的には広くて速度は早いが、存続しないものを中心に考えるのは面白くない。 マーラーの作品やショスタコーヴィチの作品のように存続する、世代を超えるものでなくては意義が薄い。 Holbrookがマーラーとショスタコーヴィチの文化的文脈の違いを超えた共通性について論じているのは(p.239)正しい。 そして多分―勿論「了解」の問題はあるだろうが―生死の問題が相対的により普遍的であり、 文化や社会といった構造よりも一般性が高い点に、共通性が可能になる地盤を求めているのも正しいだろう。 無論、「了解」の問題はある。生死は生物学的事実ではない。 寧ろ生死についての了解が問題で、その了解に接点がなければ共通性は存在しない。だがそれは「了解」の共有を求めているわけではない。 了解は社会的・文化的な制約を受けるし、必ずしも「一致する」わけではない。 個別の了解を成立させる地盤の共通性があれば良い。 多分それは、生物学的事実と社会・文化的相対性の中間くらいにあるのだ。 それは、社会・文化が閉じていないこと、ミームの伝播が「可能」であること、そして当のミームの伝播自体が辺縁を生じさせ、 そうした共通の地盤の生成を促進するのだろう。(2008.5.27)

身辺雑記(4)

III.

解決すべき問題、オブセッションとして纏わりついている問題が何であるかは分かっている。 回り道の余裕は もうない。

身体は死すとも、、、 しかし、精神も、心も同じだ。 それは身体に付随している事象に過ぎない。 だからそうした考え方、不滅性は或る種の転倒だ。 もし不滅性を考えるなら、別の形態を考える必要がある。 心、意識は、現象に過ぎないのだ。

私は結局、意識の問題にしか興味がない。 音楽もAIも時間論も他者論も、意識の問題の変形に過ぎない。 作曲家の生でもなく、音そのものでもない。 作曲の跡に見られる意識についての、認識というか、ある立場、ある存在の様態こそが気になるのだ。 音の向こう、あるいはこちらに、音をつむぐ手が、その手を制御する意識(あるいは無意識)がある。 機能的現象のみを説明すれば、意識の説明は終わったとする立場は誤っている。 少なくとも意識はそうした機能を果たすこと「のみ」をしている訳ではなかろう。何故か―しかじかの「ために」という説明は、誤用 (なぜなら現実に「本来の目的」から逸脱してる」)の説明にはなっていない。 つまりは意識を十全には説明しきれていない。 それが誤用であったとしても、あまりに多くの蓄積がありすぎる。

不滅性に頼ることなく、けれども意識を「まともに」扱うようなそうした思考が必要なのだ。後半生を生きるために。 私の意識が自分の為に、自己を正当化するために、自己の存在を正当化するために、それは虚しいと分かった上で。 いつか自分自身も崩壊してゆく。

生は死に取り囲まれている。死は決して例外的な現象ではない。このような認識は例えば時が経てばまた変わるのか? そうでもない様に思えてならないのだが、、、

(かつてそのように勘違いしたのとは違って)時間ではなく、意識の問題。 意識の問題である限りでの時間性の問題。 例えば宇宙論的な時間への関心は、結局副次的なものに過ぎない。 勿論、それが不滅性の問題を介して、実存の次元と関われば別だが。 (ホワイトヘッドの体系の中でなら、それは連続している。) 不滅性の問題。 価値ないし意味の問題。 人工知能に関与したのは無駄ではない。 そして、最初の動機を忘れてはならない。 結局、それ以外は自分にとっては副次的な問題なのだ。 ゴーレムXIVとデネットの解明された意識。 そして、その中心に時代錯誤を伴ってマーラーの音楽がある。 そのアナクロニーそのものもまた解かれるべき問題の一部を為しているのだろう。

しかし、本当にそれがお前の問題なのか? それについてお前が考えることに何の意味がある? お前にはどうせ解けやしない問題なのに。

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イヴァンとアリョーシャの会話。 神はいるか? 不死はあるか? それは未だ、多分自分の問題でもある。

進化論的な陰鬱な展望を受け入れながら、私の心のどこかには、神に呼びかける部分が残っている。 他人はそれを心理的仮構物と分析し、自問自答や自己暗示の一種と見做すだろう。 否、多分そうに違いない。でも、だからといって、神と不滅性の問題が消えてなくなることはない。

意識を持ってしまったことの厄介さ。 自分の死を待たなくてはならない。 二人称の死もまた。何と過酷なことか。

生の領域にあって己の欲しているのはモラルだ。モラルなのか倫理なのか、恐らくその何れもだ。 いくら醜く、不完全であるといっても、それだけではない。それで終わりとは考えたくない。 私はドーキンス程楽観的になれないが、でも、どんなに頼りなくとも取るに足らぬものでも、人間の築いた「良いもの」を否定したくない。 絶望的なプロテストや声に出して訴えることも知らぬ、謙虚な心のために。

何かを残すというよりは、そうした気持ちを何かに振り向けるべきかも知れない。 倫理もモラルも必要なのだ。 根拠などの問題ではない。根拠が無くて、必然性がなくても、ある「べき」なのだ。 おや、これはVoltaire? Il faut l'inventerという訳か?

Symphonie heißt mir eben : mit allen Mitteln der vorhandenen Technik eine Welt aufbauen. と語り、 あるいは交響曲は全てを包括しなくてはならない、と述べたマーラーの気持ち。 私のみた風景。みること、書くことによって形作られる風景。私ではなく、私のなかの何者かが 私に見せ、私に書き取らせる風景。誰のためでもなく、だが誰かに向かって書かれ、構築される風景。 私はそれらを書き留めることができるだろうか?そうすることによって神の衣を織ることができるだろうか?

自分の考えていることを自分が納得のいく仕方で誰かに伝えること、それ自体が大変な難事だ。 不可能事と言っても良い。ある時以来、それをはっきりと認めざるを得なくなった。 だから最近は、現実には妥協をする。 自分が納得いかずとも、相手が行いにおいて自分の望まないことをしなければ良い、という様に。 モナドには窓がない、私の思いは私の闇の裡にとどまる。 だから他人への通路を、媒体を作り出す作業は消してtrivialではない。けれどもそれと私の痕跡とは?

恐らく皮肉なことに、チャーマーズ風の二元論の、実用上の有効性に思い至った。(チャーマーズの意図とは異なる。) ようするに、意識があるが故に、その意識の「ために」クオリアにこだわる必要があるのだ。 生物学的、物理的な「事実」以外に何も無い、というのは意識に「対しては」誤っている。 それは確かにあまりにもろくはかない。意識は、そして生命は、生物学的(医学的)、物理・化学的にはちょっとしたトラブルで壊れてしまう。 だが、意識「にとって」は、意識「のために」は、そうした説明は何にもなりはしない。物理的には取るに足りない違いであっても、意識の有無は、決定的な違いだ。 だからといって唯心論には決してならないが、少なくともショスタコーヴィチの見方は、意識の立場からすれば、一つの(かなり悲観的な)アイデアに過ぎない。

勿論、私の意識がなくなれば(いずれそうなるのは確かだ)それは、私にとって消えてしまうが、だからといってそれは無意味ではない。 全く交わらない別の次元が存在する。 そして意識にとって「死」は単なる無以上のものだろう。あくまで意識にとって、単なる己の消滅以上のものだろう。 ただしそれはHeidegger風のSein zum Todeでは全く無い。 決意や投企とも全く無関係だ。 (それらは、あらゆる宗教的な言い訳と同じく、錯誤を錯誤と思っていない点で受け入れられない。) 二元論は残り、そのうちの圧倒的にもろい一方だ、ということを忘れてはならない。もう一方を消去したり否定したり、従属的、副次的なものと 見做してはならない。

意識にとって、意識が有限の基盤のものであるなら、その死はその有限性そのものであると同時に、その有限性に対する解釈でもある??? 意識の有限性を、その物質的な基盤を認めること、意識の消滅、そして死について認めること。その上で、意識にとっての、意味なり価値なりの領野を認めること。 それは独立していて、物質的な基盤を持たない。抽象的であろうと、そうした信念なり価値なりの空間は存在するし、別の仕方で(Dawkins風/Denett風には) 継承されもする。そうした価値の空間はチャーマーズ風の二元論の一方の領域、つまりクオリアの領域と関係を持つに違いない。

物質的な基盤を認めない信仰同様、この領域を認めない唯物論も同じくらい誤っている。唯物論とて、意識の自分自身に関する解釈に過ぎない。 還元不可能だが随伴的、意識「にとって」そうなのだろう。 だが、それ以外ではありえない、こうした分析じたい、意識の産物なのだ。

現象から身を引き離すこと。 アドルノの批判にも関わらず、(けれどもそれは多分に正鵠を射ている)フッサールのあの徹底ゆえの不徹底(意識にとらわれすぎたのだ。本当は意識からも身を引き離すべきだったのに)。

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~のように見える。~のように感じられる。という「私」の身の丈に合った記述、世界の描像。 二元論の「私」向けの是認。場の量子論的な描像に対する「私」の反抗。 それは井の中の蛙、裸の王様の反抗だ。だが、その蛙は、王様は、己が井の中に裸でいることを知っている。

カントの「慎ましい」理性批判の度し難い傲慢さ。自分の限界を自分で知ることができるという前提に立てるお目出度さ。 フッサールの「厳密さ」の自己中心性。だがそうした企ての「気持ち」はわかる。あるいは進化論を、場の量子論を否定したがる人間の気持ちも。 勿論彼等のルサンチマンの行き場は誤っている。だが、クオリアに、クオリアの齎す効果に、ミームに逃避して何が悪い? 勿論、それは倫理―逆説的にAutreではなく、Autruiでなくてはならない。 でも良いのかもしれない。「私」の不完全さ、醜さの代償として。そして、それは「必要」だ。「私」が生きていくのには。 だがクオリアに、美的なものに拘るのは、そうした醜さとは別の可能性がある界面には存在するということだ。 それが「私」の夢、幻想の如きものであっても。(そもそも「私」自体が、同じレベルでfictionなのだから。)fictionの側に専ら実感があるという皮肉。 それはつまり、人間(私)にとっては、fictionこそが現実たるべく条件付けされ設計されてしまっているということに過ぎない。

意識と時間―予期記憶、過去―未来という認知様式の発生。記憶を持つこと、先読みをすることと意識の関係。 (考えてみれば、当然のことだ。)

一方でカントの設定した理性の限界は、カントが想像していた程手前にはない。 人間は自ら自分の「生活世界」における実感と異なる世界認識の道具を開発し、 そのことによって、(カントの思弁とは異なって、経験的な反証という仕方で)自分の素朴な信念の限界と相対性を明らかにしてきた。

要するに、私がうんざりしているそうした理論も、私―ただしこの私ではなくて、人間一般―の営みに過ぎない。 ただしそれは他者から、社会から与えられるものなので、私にとっては「自分のもの」になり切れていない? いずれにせよ、倫理や美学以外は哲学の役割は限定される。 哲学が、神の衣を織ることになるようには私には思えない。(だがWhiteheadの様な場合もあることはある。 それにしてもそういった哲学的思弁は、今や寧ろ物理学者にのみ許されるのではないか、、、 Whiteheadが数学者でも理論物理学者でもあった点を考えれば良い。)

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二院制の心によって、内なる神との対話もまた、説明されてしまった。 あるいはフロイトの超自我でも良かったかも知れないが。 今や意識の問題は、第一に脳(と身体)の問題、つまり神経科学の問題である。 私は神経科学者ではないから、それに寄与することはできない。

偉大な作曲家たちの跡を辿ることに一体何の意味があるのか? 自分の脳の中に情報を溜め込むことになど意味はない。 (私的な意味など価値はない。) 死んでしまえば、それは喪われてしまう。 それがいやなら、何らかのかたちで表現することだ。 だが、それに何の価値があるのか?

そうした問い自体が滑稽なことだろうか。 それは普遍的な価値の序列があって、その中での位置づけを気にしているかのようだ。 だが、現実には、そんな普遍的な価値の序列はない。 であれば、気に病むことはないのだ。

多分、どんなに偉大な人間であっても、自分の生が無意味であるかもしれない、という疑念から逃れることはできないだろう。 そうした疑念から逃れることができるかどうかは、何を為したか、ではなく、どう見做すか、という志向的姿勢、信念による部分が多いのだ。 だから成し遂げたことがミームとして引き継がれることのないような存在であっても、それ自身としては充足して、 上記の疑念に囚われずに生を全うすることも可能だろう。

どんな存在でも多様な価値(遺伝子の観点での、あるいはミームの観点での)のプールの一角を占めるに過ぎない、という制約を逃れることはできない。 あなたの信念は相対的で、ある人にとっては無に等しいのだ、という可能性を否定することはできない。

意識が儚い存在であること、その認識能力には限界があることは明らかだ。 一方で、いかに意識の成り立ちを説明しようと、意識からの視点を解消することはできない。 意識の成り立ちの説明ということでいけば、まだ端緒についたばかりとはいいながら、例えば100年前と比べれば状況は全くといっていいほど変わっている。 そうした状況の変化を考慮せずに100年前の思想を追うのは、哲学史家の課題であって、それを自分の生活の糧にしている人間以外には意味がないことだ。 (一般に哲学史研究については、そうしたことが言えるだろう。 結局「本当はどうだったのか」という、生成のコンテクストを辿る作業は、不完全さを予め運命付けられているし、 大抵の場合、そうした作業はどこかでこっそりと二股をかけている。 誤読の批判を受ければ、「今日的意義」とやらを持ち出して逃げを打つのだ。) だが、実はそちらの側は問題の半分に過ぎない。 還元できない、解消できない意識からの視点、幾らその限界を認識しても、 結局そこから逃れ出ることはできない(クセナキスの「言い方」はとても的確だと思う)視点をどうすれば良いのか。

そうしたものは余計なものとして、滅却すべし、というのが1つの立場であることは明らかだ。 そしてそれが強力な解決方法であることも理解できる。 だが、それは結局、意識にとっては解決にならない。 生命についての議論との並行性があるが、ないものねだりではあるけれど、存在することを強いられている意識が、 何とかその存在の居心地の悪さをやり過ごすことができるような、ある倫理が欲しいのかも知れない。

せっせと音楽を、書物を溜め込む人間。だが、死んでしまえば脳の中に溜め込まれた知識は失われてしまう。 脳の中の知識は「私」しかアクセスできない。 一体、そんな蓄積に何の価値があるのか? 他人にアクセス可能なように、変換をすること。出力をすること。 そうしなければ意味はない。意味とは、そのようにして生まれていくのだ。 勘違いしてはならないのは、ある作品が作者の経験のある消息を伝えていたとして、 価値はその消息の側にではなく、結局作品の側にあるのだ。寧ろ、取るに足らない消息を作品の方が価値付ける。

だが生産しなくてはならない、という強迫は、結局、経済の原理に支配されているのではないか? 確かにそうだ。結局は一種のプラグマティスムが潜んでいるのだ。publish or perishと、本質は あまり変わるところがない。 だが、ここではそれでもいいのではないか? 勿論、意識を否定する、という解決の仕方があるように、不毛を選択すること、経済性の原理の向こうにある、かの共通の原則に対して、 そのように反抗することも選択肢ではありうる。 けれども、ここでも私は、そうした立場はとりたくない。 意識を抱え込んだまま、どうにかやっていこうと思うのと同様、ここでは、そうした作品の価値を否定したくないのだ。 ただし単純な多産性が(多作)が価値の基準ではないし、同時代的な評価もまたそうではない。

ごく素直に言えば、自分が出会った、価値あると感じられるものを擁護し、自分もまた、そうしたものを生み出すことで作品によって記憶されたい、ということなのだろう。

身辺雑記(3)

II.

Vorbei.

何かが壊れてしまう?止めることはできない。壊れてしまったものは修復できない。逆らってはいけない。区切りというものはある。 立ち止まってみる、という事なのか、但し、後ろを振り返ることなく、、、 私はどこへ行くのか?何をすれば良いのか?何をすべきかは、待ってみるべきなのか?自分で選ぼうとはせずに。

たくさんの文章、公開されているたくさんの文章。 何故公開できるのか?確信を己に抱けるもののみが遺すことができる、のだ。

無理をして背伸びをするのは少し控えるべきかもしれない。 周囲の動きの中で、気配を消すように、努めるべきかも知れない。 もう5年もやっているのだ。区切りというのはあるだろう。 現象から身をひくこと。我が王国はこの世のものならず。 世の成り行きに接していた面がひとつひとつはがれてゆく。 5年間の企ては結果的に貧乏くじをひくことにしかならなかった。 そして、それ以外の面でも、自分が作ったものの一つがその役割を終え、小鳥達、父、そして自分に価値を見出してくれた人たちの何人かが逝った。 だとしたら、ここで一息つくのもいいかも知れない。 まだしばらくは生き続けなくてはならない。 「知の人」の装いのもとに。そのためにも、一旦、休むべきかも知れない。

盗むものは盗むが良い。あるいは使えるものがあれば使うが良い。 それは、私のものではない、あなた方のものだ。 私は何も持たずに、何も残さずに、立ち去るだろう。

たくさんの誤解と無理解によって「歴史」は塗り固められてゆく。 Webernの傷は「歴史」によっては購われない。それどころか想像力の欠如した音楽学者達が批評をする材料にされてしまっている。 結局、「誰か」の視点しかない。そして声が大きい者が勝つのだ。言葉でなくても、音でも画布でも、何でも。 そして素材(媒体)と格闘しない純粋な思惟というのは、あり得ないのだ。あるいは素材の、道具の、記号の往還の無い思惟というのは。 多くの人が、一体記憶はどこに行ってしまうのか、と問う。 しかしそれは、脳が活動を停止してしまえばなくなってしまうのだ。 記憶もまた、他のものと同じく、物理的な基盤上に成立している。 H/Wの故障により、その上のファイルに格納された情報が読み出せなくなることと、ほとんど変わることはない。 記憶だけを神秘的に考えるのはおかしい。

つまるところ、外化して残さなければ如何に偉大な思想も無に等しい。価値は流通によってしか生じない。 価値は他者が与えるものだ。産み出すこと。 何を考えていたのか、書き残されたもの、遺された書物の示す緩やかで曖昧な布置以外に知る術がない。

お前がその脳の中にたっぷりと詰め込んでいるものがあるのなら、それらを吐き出して書き付けることだ。 お前が死ぬのを待つことなく、おまえ自身、その思考へのアクセスを喪ってしまうかも知れないのだ。

かつてある人に、(そのときの文脈は、むしろ言語の「不完全性」だったかも知れない)自分の頭の中にある思惟をそのまま伝えることができるなら、 言語等という不完全な手段に頼ることはない、と語ったことがある。 けれども言葉にして伝えなければ、脳の中の思惟は消え去ってしまう。

*       *       *

また一つ「世の成り行き」との接点が喪われる。 けれども歴史には勝者と敗者しかいない。敗者は忘れ去られる。細部は喪われる。脈絡も背景も前提も忘れ去られ、評価のみが残る。 全てを喪ってしまったこの5年間はただ、盗み取られ、己を喪うためにのみ在ったかのようだ。 まるで何かを残すことを禁じられたかのように、そこはお前の場所ではないとでも言われているかのように。

こうやって日々、楽観と悲観を彷徨う。あまりにあてどがなさ過ぎて、どこかに辿り着くかも定かでない。しかし、道は歩んだ跡にしかできない。 決定的な何かはその瞬間にそうと知られることはない。必ず、後からそうであったと追検証されるものなのだ。 だから自分のやることについて、思い煩うのは程度の問題だ。自己批判を欠くと言われようが、破棄されたものは残らない。 想念のうちに抹消してしまい、形にしなければ何も残らない。 批判の対象にすらなりえない。一方で、残すとなれば、恥をさらすことを覚悟せねばならない。 残らないことを懼れるでもなく、残ることに恥らうでもなく。ある種の愚かさ、愚鈍さが必要なのだろう。 すべてを相対化して価値を見失う聡明さよりも、己を恃む融通の利かない、尊大、傲慢と受け取られかねない頑固さの方が、まだまし、というわけか。 もう一つ。他人と接すること、外に対して開かれることが多分必要だ。少なくともある時期に、誰と接したかは、決定的に重要なのだ。 隠棲なり象牙の塔なりはその後なのだ。誰かの友人であったり、弟子であったりすることがどんなにか重要なことか。

~について考えること、は、それを眺めること、それをある形式の裡に結晶させることとは異なる。 大抵の場合、無意識の備給の方が価値を帯びていて、「~について」という意識的な部分については価値はない。つまり反省は邪魔なのだ。 ~について考えること、分析し、組み立てること、内なる声に耳を澄まして書きとるのではなく、作り上げること、それは作品を生み出すことではない。 知の人、頭の良さ、というのは実際には役になどたたない。もっともそうしたイメージとは異なって、自分はさほど論理的に物事を捉えてはいない。 知的な印象、冷たさは仕方ない。だが実際にはもっと感覚的、そして直感的だ。 そうした例というのは、例えばWebernやXenakisの場合がそうだが、無い訳ではない。だが、彼らはどうなのか? ノモスを探求しようという態度、それは役に立たないのか?

自分から多分最も遠い音楽、Mahlerの様な音楽(私はそういうものを作ることだけは出来ないだろう。 Mahlerの最良の部分は私に無い部分なのだ。それが今の私には良く分かる)は、一体何を提示しているのか?その魅力の源泉は何なのか? 私が書くものは、全て、主観的なものだ。その魅力とは、私にとってのそれだ。それを書くためには、どこから前提を既述すれば足りるだろう。

何が幸いするかはわからない。抽象的に考えることが出来るのか、出来ないのか?論理的に考えることができるのか? 大きな見地に立って考えることが出来るのか? だが、どのようにparameterを設定してみても、何かを産み出せるかどうかを計算することはできない。 それは神か、あるいは統計的な事象なのだ。 ただし、どのような媒体によってか、というのは多分、重要なことだ。 なぜなら、やはり技術的な次元は存在して、だから、何かに習熟すること、というのはどうしても必要だからだ。 何かを続けること、ある対象に没頭し、熟知すること、はどうしても必要なのだ。 それよりも必要なのは、過剰な適応から距離をおいて、自分が本当に何をしたいのかを見極めることだ。 探す必要があるなら探すしかない。自分の身の丈に合った対象を見つけるか、身の丈が合うのを待つか。 あせっても仕方ない。すべての時間をそのことに向けられるほど合理的に無駄なくはできていないのだ。 休むことも、時には必要かも知れない。無駄な寄り道よりは何もしない方がいいのかも知れない。 寄り道が無駄かどうかすら、知る術はないのだが、、、

これで終わりなのかどうかは、神のみぞ知る。仮にこの鬱状態が一時的なものであるとしたら、しばらくすればまた何かを始めるだろう。 だが一体、いつから始まったと考えるべきなのか?かつても、いわゆる収縮し、縮小することで自分を維持しようとすることはあった。 但し30より前では、否、つい5年前も、それは「変わる」、つまり別に何かに「なる」ということを目がけていた。 今回のそれは違う―違うかどうかはわからないが―いずれにせよ、「変わる」ために抑圧したものをもう一度評価しなおして、ある意味では中性化してしまった。 勿論、過去の自分に戻ることはできない。過去を振り返る自分は過去の向こう見ずな自分ではそもそも無い。 過去に評価したものが全て復活した訳でもない。けれども「変わること」に疲れたのかもしれないとは思う。

いずれにせよ、これでおしまいなのかどうかは神のみぞ知る。 今はじっとしているしかないのかも知れない。色々なものを、結果を出すことをあまり考えずに蓄積させるタイミングなのかも知れない。 多分、まだ、多少は力が残っている。結局まだ、諦め切れていない。 だが、何をすればよいのか、拡散し、散らばってしまった、どれも中途半端な断片のどれを拾い上げて、どれを捨ててしまっていいのかがわからない。 もう時間が無く、残されたリソースを考えれば、選択は必要だ。だが、自分で選ぶことはできない。選ぼうとして動き回れば、ますます混乱してしまうようだ。 自分にとって必要なもの、欠かせぬものを見極めること、この年齢(「不惑」も近いというのに)になって、何たること! けれども仕方が無い。あちらこちら道草をした報いというべきか。 いずれにせよ、これが続く―最後まで続く―のか、いつか終わりが来るのかはわからないが、しばらくは沈黙するしかない。

*       *       *

志向的対象の有無、感情と気分(Stimmung)気分は人間と世界の合一(ボルノー)cf.レヴィナスの享受 そして気分と雰囲気―後者の非人称性 感情―気分―雰囲気 Adornoにも「雰囲気」というのは出現していたことに注意。

詩もまたある認識の様態を伝達する。ジャム、ツェラン、そしてヘルダーリン。 とりわけジャムの詩の風景や感受の様式は、多分、かつての自分を強く捉えたものだった。 けれどもヘルダーリンの詩同様、ジャムの詩の世界もまた、随分と遠ざかってしまったようだ。 ある種の純粋さ、それを保つのは難しい。しかもその輝きは私の存在とは関係がない。 そして私はと言えば、信仰も持てず、神の衣を織る事あたわず、友もなく、沈黙するのみ。 信仰なき沈黙とは何か?それは日常だ。だが、それも仕方あるまい。

Jammes的な光景、風景への懐疑?光の調子、それは現実なのか? 否、現実とは、享受の様態により決まる。Jammesの輝きはWebernの後期作品等と同じものかも知れない。 或る種のdetachement。 それは幻影ではないかという思いと、それを否定しきれない気持ち。 一つには信仰の問題がある。現実の認識の変容。けれどもそれは自分の態度が変わったからだ。それは確実にいえる。どのようなスタンスをとるかによって、立ち現れる現実の様相はある程度変わる。

ではかつての態度の方が良かったというのか? ―恐らく、ある意味では。お前の「強さ」は、今や喪われてしまったかも知れない。 だが、かつての態度は「非現実的」―或る種の超然的な独我論ではないか? ―そうだ。それを批判するのは必ずしも誤りではない。だが、それにも価値はある。 今でも何かに没入したらお前はそうなるだろう。要は選択の問題なのだ。 かつても断念はあった。否、断念と妥協の繰り返しではなかったか。

かつての私には「他者」がいなかったのだ。強い観念的な世界の中で他者を見ていた。 実践的な働きかけの対象ではなかった。私は私の独我論の世界に居た。 祖母も、祖母の死後後を追うようにして息を引きとった犬も―それは大いに悔やむべきことだ。

音楽のなかった時代、光景のみが残っている。記憶のうちに。 これらは現実にはもう存在しない。街は変わり、風景は変わる。 私の見たもの、あの確かであった筈の現実は、今や私の脳の中に、不完全な記憶としてしか残っていない。

本を読み、音楽を聴く。 それは構わない。だが脳に蓄えられた写像は死んでしまえば喪われてしまう。 喪われることを拒むのであれば、更に変換を行うことで別の媒体に残すことだ。 いくら読む本を選び、聴く音楽を選んでも、死がその秩序を散逸させる。 形を与えることだ。それが残るかどうか、存続するかどうかは神様に委ねれば良い。 翻訳であっても良いかもしれない。或いは紹介記事であっても。いずれにせよ、己の外に出すこと、表現すること。

外への働きかけ、他者への働きかけ。行為の次元。「~のために」というLévinas的には倫理的な次元。 Lévinasの他者論を読んでいたときには、そうした事に心から納得しなかったことは皮肉だ。 しばしば論理的な一貫性というのは、何かを見えなくしてしまう。 とりわけ、哲学的な問題は、良く定義されている訳ではないから、論理的に一貫していると見えることが、単なる短絡に過ぎない、ということが良く起こるのだろう。

身辺雑記(2)

I.

... , wo der Obstbaum blühend darüber steht
  Und Duft an wilden Hecken weilet,
   Wo die verborgenen Veilchen sprossen;

Gewässer aber rieseln herab, und sanft
 Ist hörbar dort ein Rauschen den ganzen Tag;
  Die Orte aber in der Gegend
   Ruhen und schweigen den Nachmittag durch.

aus : Friedrich Hölderlin, Wenn aus dem Himmel

「・・・果物の樹は花咲きながらその上をおおい
 甘いかおりが野生のまがきのほとりに漂う、
  ひそやかな菫の花が咲き出でる、

 だが、水はしずかに流れくだり
  ひねもすおだやかにせせらぎが聞こえる、
   しかし、あたりの村々は
    安らかに憩い、午後の時を黙し続ける。」(ヘルダリン「天から」野村一郎訳)

だが、例えばHölderlinの詩集を手にして、「それでもこうして、200年前の人間の遺したものを私は手にしている。」 と思うとき、寧ろ感じるのは、「私は跡形も無く消えていくしかないのだろうな。」という思いだ。 自分にはそれだけの価値がないから、跡を残すべきではない、という感覚に近い。 これはかなり絶望的な認識だ。何も成し遂げていない。理由とか経緯は一番最初に消えてなくなる。結果が全て。 そしてその結果は、いかなる観点からも(勿論「残す価値」という基準に照らしてだが)無に等しい。

中間点というのは数学的な意味での点ではない。それ自体がエポックなのだ。そもそも、中間点を過ぎたのか、まだその中にいるのかすら定かでない。

小鳥たちの死について。 永遠性に関する感じ方が変わったように思える。小鳥たちは聖書に書かれているように、何も遺さなかった。 けれども、彼らの存在は無ではない。もし残るべき何かがあるとすれば、それは私の生の行路の足跡などではなく、 小鳥たちが存在したことではないか、という思いに抗うことはできない。 その一方で、小鳥たちが何も遺さずに逝ってしまったことが、「私は跡形も無く消えていくしかないのだろうな。」 という感覚を抱くようになった契機になっているのだろう。

*       *       *

自分の世界が拡がることは、価値の相対化を生み出す。 今やレヴィナスを、ホワイトヘッドを尊重する人間も、ヘルダーリンを尊重する人間も、カラマーゾフの兄弟を尊重する人間も、周囲にはいない。 自分が「永遠性」に値すると考えているものも、所詮は相対的なものに過ぎない。 それは事実として認めるに吝かではないが、しかし、では生の価値は、何に見出せば良いのか。それとも、随分と希薄になったとはいえ、まだ執拗に残っている厄介な観念的な性向の残滓として、こうした問い自体を消去するようにすべきなのか。

哲学は不毛だと感じられる。 私が哲学を断念したとき、それが所詮は有限な人間の営みに過ぎない、という理由を持ち出したのだったが、その理由は全く誤っていないと感じられる。 モードとしての哲学、生活する手段としての哲学を私は見てきた。 私のかつての研究分野の脇で、モードとしての哲学が(正当にも)断罪されるのを見たし、ゴーレムXIVの哲学者への軽蔑もまた、正当であると感じられる。 人工知能への通路が、人間の営みの有限性に最も強く拘束された不毛な方法論を持つ現象学であったことは皮肉だ。 それにしても、この点については、私は哲学を断念するという行為を延々続けていくようにも感じられる。

時間がない、限られている。 にも関わらず何という関心の拡散。飽き易い、というのは何かを成し遂げる為には致命的な欠陥だ。 変な言い方だが、オブセッションに頼るほかない。それが病的なものであるかどうかなど分析しても始まらない。 とにかく自分のオブセッションに従うしかない。自分の中の他者の声。ジェインズの二院制の心。 それは(日常的な性質なものであっても)窮地に陥った時に聞こえているあの「声」と同じものなのだろうか? 超自我やエスといった精神分析的概念もジェインズの二院制の心と同じものを探っているのだろうか? 内なる「神」との対話、内なる「神」からの語りかけも、自分(要するに私=意識)を背後から動かす力もまだ健在なようだ。 オブセッションもまた。

多分器用過ぎて、かつ飽きっぽくて同じことを愚直に続けることができないのだ。 適応過剰でそれなりに状況にあわせてこなしていけるけど、その結果は純粋な消耗で、何かかたちあるものは残せない。 そのくせ自己批判ばかりは一人前で、気分が弱っているときには過去の自分のしたことに自信が持てなくなり、破棄してしまう。 あとで破棄したことを後悔するということの繰り返し。 そうやって時間を浪費していって、結局何も残さずに終わるのだろうか?

死を、有限性を怖れているのではなく、寧ろ、己の生が充実して意味のあるものでないことに対する絶望。 何も成し遂げずに無になることへの絶望だ。 その一方で、意味あるものでなければ、無に帰してもよい、寧ろ無に帰するべきだという考え。 神の衣は永遠性を獲得すべきだが、それを織れないなら、痕跡も何もなく、無に帰したほうが良い。 有限性の意識とは、無意識に無頓着にやっていても、何事か成し遂げうるだろう、という楽観の否定だ。 実際には、自分はそんなに大層な能力はなく、せいぜい、何をするか良く考えて、寄り道を避けなければ何も成し遂げられないだろう。 あるいは、それでも足りないかもしれないのだ、ということに突然気がつくことだ。

そこで、かつてはあんなに拘ったハエッケイタス、ジャンケレヴィッチの事実性は、ほとんど何の慰めにもならない。 かつて拾い読みしかしなかったときにはそれなりに価値をおいていたものが、ようやく通読できたときには慰めにならないというのは皮肉なことだが。 単なる事実性では、(傲慢なことにも)不足なのだ。 単なる事実性が永遠なのは寧ろ困る。 無価値なものまで、それが存在したという事実性が存続するから。無価値なら、事実性は不要。 価値があれば事実性では不足なのではないか。 そう、「実存もせず、実質もないものの永遠を拒否する」側に私はいるのだ。 「どのような生涯を生きてきたかとは無関係」な価値など、私に言わせれば価値ではない。 事実性を重視するのはレトリックでなければ、哲学者のおめでたさがなせるわざではないのか。

*       *       *

自分の能力を測ることの困難さについて。 生活の糧を得るための仕事は自分にとってなんであるか? それ以外のものに、それに勝る価値が見出せないのであれば、結局文句を言うべきではないのか。 このような仕事に、最終的な価値など認めることはできない。ある人は、それを己の成果として誇りもするだろうが、私は最終的な署名は拒絶するだろう。 それが自分の成果であるのは、糧を得るためのCVの裡でしかない。 それが自分なら、それしか自分の遺物がないのなら、私は何も遺さずに、忘れ去られてしまってよい。そんなものに意味はない。 少なくとも、この数年で、この世界がどんなに不完全で、理想というのがどんなに視点依存のもので相対的なものであるか、よくわかった。 そして別に私の周りだけがそうなのではない。 いつもいつも、世界とはこういうものなのだ。 マーラーですらそうだった。 彼の成し遂げたことの価値の大きさたるや、全く明らかなことであるように思われるにも関わらず。 彼がウィーン宮廷歌劇場監督を辞任するときに残したメッセージがどのような目にあったか。

人間の不完全さに対する苛立ち。 大人の世界は、かつて子供の自分にそうと半ば信じ込まされていたようには完全ではなかった。 寧ろ絶望的なほどに不完全なのだ。 人間たちが集まって何かをする、たとえば企業というのはなんと不可思議な組織か。 この数年で見たことは、この絶望に、そして絶望しながらも逃れ得ない現実として受け入れざるを得ないという諦念に繋がっている。 (子供の頃の、集団に対する反応。学級委員の思い出。 だが、別に大人の世界が、子供の世界以上に立派であることは、ついになかった。 レベルは変わらない。かつても今も、結局同じではないか。)

しかし、自分の能力もまた、大したものではなさそうだ、という予感。 もうここまで来てしまった。何も成し遂げずに来てしまったということへの焦燥。 きちんとした訓練すらしてこなかったが故に、これから何をしようとしても、成し遂げるのはもはや絶望的ではないのか? わからない。我儘になるべきなのか?

かつては私は人間を基本的に信頼しようとしていた。人間の世界は基本的に「良い」ものであると思おうとしていた。 その思い込みがどんなに観念的なものであったとしても。 でも実際には、人間はどうやらそんなに立派な存在ではないようだ。 ここ数年で、いやというほどそれを思い知らされた。 ある価値の尺度からしたら、私が未だに抱えている価値観など笑止の沙汰であろう。 「誰が私をここに連れてきたのだ」というマーラーの言葉は、比較するのも馬鹿馬鹿しいほど卑小な私のものでもある。 私がまだ捨てきれずにいる価値観は、今や場違いなものなのだろう。 物差し自体が限りなくあって、己の物差しの優位性を暢気に信じることはできない。 物差し自体が、或る種のミームとして生存競争を繰り広げていると考えるべきなのだ。 要するに、自分が正しいと思ったもの、自分にとってかけがえのないものは、 他者にとってはそうではなく、そしてそれに腹を立てるのは筋違いで不当なことですらあるのだ。 (ところで、レヴィナスの言う他者は、まさにそうしたものであるはずではなかったのか。)

まあ、簡単に言って、誰しも自分に一分でも理があると思っていなければ、到底生き抜くことはできないだろう。 だからといって、自分の物差しの優位を声高に主張することに何の意味があるだろうか? 混乱した論旨もそっちのけで、他人の論を曲解して批判し、それを踏み台にして自分の論の独創性を叫ぶことに、何の意味があるだろう。 でも多分そちらの方が正しい。 ミームの競争であれば、「声が大きい者が勝つ」のだ。 彼らは勿論、自分の物差しが正しいと思っている。 相対性を感じ、自分の物差しの正当性を懐疑したりはしない。 そんなことをするのは、彼等の物差しからすれば、間違いなのだ。 おまけにこうしたことは別に特別に例外的な光景でもなんでもない。 実にありふれた日常的な風景なのだ。

価値は多様であり、誰からも批判されない人間はいない。 マーラーでさえ。ヴェーベルンでさえ。 あるいは、ある価値にのっとってではなく、批判のための批判だってありうる。だから、他人の評価を気にするべきではない。 Marcus Aurelius?ストア派か?

苦い認識の記述。 愚行の記録。 漠然とした運命への、だけでなく、「人間」に対する。 他者は暴力を与えるものかも知れない。 それを前提しない倫理は「ほとんど」無力だ。 そこにいる弱者を救うことは出来ない。 どこかにある高貴さは、そこにはないかも知れない。 けれども「私のモラル」は残る。愚かさを愚かさと呼び、不完全であるという認識は、ある価値に基づく。 つまり、進化論と唯物論に包囲されても尚、何か、それに抗するものを持ち続けたいのだ。 それ自体がナンセンスに思えようとも、人間の認識の限界を超えられなくても。

才能がある人間なら、唐の詩人のようにそれを嘆く詩を詠み、あるいはショスタコーヴィチのように引き出しの中の作品で憂さ晴らしをすることができただろう。 才能のある人間は、それを嘆く「権利」があるのだ。 ヴェーベルンの嘆きと憤りは、その才能によって正当化される。 マーラーがあちらこちらの歌劇場で成し遂げたことは、彼の能力と、成果によって、十二分に正当化される。 でも、それがない人間は? 自分に対する自信のなさ、自分のした事の価値に対する懐疑というのは、結局才能の欠如の表れではないだろうか? 相対主義は何かを為そうとするにあたっては危険だ。 自分のやることの価値を始めから切り下げてしまい、成し遂げることへの執着を喪わせてしまう。 何かをするには、愚かである必要がある。少なくとも価値についてその場のみであっても<括弧入れ>判断停止が起こる 必要がある。自己批判からは何も生じない。自己への傲慢までの自信が必要なのだ。

何故分業が嫌いなのか? それが進化論的に「正しい」から。 「個」の「私」の地位が危ういから。

けれども、嫌であっても、それは正しく、有効であって、天才ならぬ個に抵抗の術はない。 アドルノの主観―客観図式にはもう関心があまりない。「自然」の優位、圧倒的な優位からくるニヒリズムが問題なのだ。

あまりの自己過信、選択の誤り? 否、選択は誤っていない。もし誤りがあれば、もっと前、自分が世界と拮抗しうるとの思い込みと、 諦念との間の振幅のうちにあった。いずれにしても途はなく、もっと愚直であるべきだった。 どちらにしても、傲慢であったのだ。 頭で決め付けたことには変わりはない。 気付いてみれば、神の衣を織る術はない。 自分が「何によって」「いかにして」神の衣を織れるのかわからない。

*       *       *

祝福と呪い、ではない。どちらも無意味であることこそ、耐え難いことなのだ。 寧ろ一貫性の方が稀である。不器用、奇人とみられたかも知れない一貫性によって、生き延びたのかも知れない。 大抵の営みには一貫性などない。

我が王国はこの世のものならず。 自分の中にあるものを破壊すべきではない。 折り合いをつけるという点では、自分の中にあるものも、例外ではない。

奇妙なあり方、呼びかける相手はある。それは自分を超えた何者か。 自分の内に在り、けれども、それを単なる幻影とは呼んでしまえない外性。 心理学的-生物学的には単なる投射ということなのか? けれども、それに還元できない何かがまだ残っている。

思いのほか変わらない、という見方もある。 かつてだってそうだった、、、孤立、外から来る知らせ、、、

自分の内側に何もない、遺すべきものはない、と感じられれば為すべきことはない。 もし、何かを表出する、刻みつける衝動を感じたら、それに素直に従うことだ、その価値を云々しても仕方ない。

そして、やすやすと成し遂げることができる人たちへの羨望。 自分の状況への苛立ち。仮に自分に能力がなく、我儘が単なる我儘であったとしたら、そのときは? 一体、何のために生きるのか?神の衣は?私には手が届かないのか?

自分の作品が匿名であることを望むことができる高貴さ、強靭さへの驚き。 何ということだろう。 確かに、自分にも、無に帰するという認識はある。 それは己の痕跡を消し去りたいという欲求と結びつく。 だが、それは何も遺さないということで、遺したものが無名のものになって欲しいというのとは同じでない。 何という寛容さだろう。 私は、そうであれば痕跡を、「私」のそれを残したいか、さもなくば無でありたいと願っているのに。 この件に関しては、私は寧ろ、苛立ちを感じる人間の心情の方がよくわかる。そこにある種の謙虚さのポーズを、 (無意識のものかも知れないが)欺瞞を感じ取ることだってできる。

我を離れた態度というべきか。 神の衣を織ることとは、そういうことかも知れない。 神の衣を織れぬ者は、ただ消え去るしかないのか?

ジッドの狭き門。多分読み方は異なっている。 そして、アリサの心持ちに多分に曲解に近い共感を覚える。 「私は年老いたのだ。」というアリサのことばの重み(これはその場を取り繕ったことばではない、と今では思える)があまりに直裁に胸をつく。 書棚を整理し、キリストにならいてを読む、という心情にも、ずっと身近なものを感じる。 書棚を、CDを、楽譜を処分して、一旦自分の周りに気づき上げた世界を崩して、その価値を自明のものとは見做さない姿勢をとること。 アリサがパスカルの偉大さに対して感じる苛立ちが、今の私には我がことのように思えてならない。 マーラーの音楽の偉大さは、今や私を苛立たせるのだ。

こうして他が何も残らない、廃墟のような状態だとよくわかる。 「神ならぬ者は、、、」

多分、神の衣を探しても見つかりはしない。 それは事後的にしかわからないのだ。 手に出来るかどうかは、わからない。 どこにあるかもわからない。 それはわかっているのだが、、、


私は結局立ち尽くしてしまう。 何も生み出すことができない自分に愕然として。 あの「知性」とやらは、対して役に立たなかったようだ。 神の衣を織るためには用いられず、取るに足らない営みに浪費されていく。 そこで多少うまくいっても、誰かの金ぴかの自己像の補強に役立つのが関の山のようだ。 またしても「私の生涯は紙くず同然だった。それは盗まれていた」というマーラーの抗議が身近に響く。 勿論彼のようにそれを言う権利は私にはないのだが。

一体、生きていることに何の意味があるのか? 彼らのとの価値観の競争など、私はしたくない。 邪魔をしてくれなければそれでいい。 目障りだから、どこか他所で自分の好きなようにやってくれれば最も良い。 でも、私自身には一体何の価値がある? 私の価値観には一体どういう意義があるのだ? 何かを生み出すことの無い人間が読んだ本、聴いた音楽は、どんなに立派な反応をその個体の内部でしていたと言い張ろうと、 その個体が消滅すれば、何の痕跡も無く消えてしまう。本をそろえ、CDを集めることになど意味は無い。 何が残せるかがすべてなのだ。 復讐のためにも、何かを残すことが必要だ。

だが今や己の歌の円熟に如何程の意味があるのか? 「歌」の領分はいよいよ狭まり、そして「歌」の価値を最早自らが信じられないでいる。 遺された本、楽譜が一体何を意味するか? それはとても不完全な仕方で、とても間接的に、ある人間の生を、その主観の眺めた星座を描き出す。 そこにはほとんど事実性以上の意味などありはしない。 そして事実性はJankelevitchがそう思ったほどには価値のあるものではない。 もしそうであれば、それは「記憶の人フネス」の認識したような世界の裡でであろう。 だが、そのようなことは現実にはない。 自分で抽象すること、自分で語ることが必要なのだろう。その抽象が個性なのだ。事実性は個性を救えない。事実性はすべてを平等に救うかに見えて、 まさにそれゆえに、何も救い出さない。Jankelevitchは間違っている。そして、自分のやっていることだって、事実性にすべてを委ねることからは程遠い。 あの際限の無いおしゃべり。物事を整理し、論理を通すことを蔑むペダントリー。折角の思惟を台無しにしてしまう。 それでいて、モラルについて諄々と説くわけだ、、、

まだ、諦められない。 そうして私は、神に問いかける。 問いかけることをやめることは少なくともまだできそうにない。 私は神に祈らずにいられない。 私を導き、何かを生み出す力を、あなたの衣を織ることに寄与することをお許しください。 私の生を不滅性に寄与することのできる、意義あるものにしてください。

私はまだ諦めることができないのだ。 歳をとり体力も気力も衰え、ますます時間の余裕はなくなり、不毛な時間の経過が早くなっていて、 絶望的になったりすることはあっても、完全に諦めることはできない。

身辺雑記(1)

Nel mezzo del cammin di nostra vita
Mi ritrovai per una selva oscura,
Ché la diritta via era smarrita.

人生の半ば、私は暗い森のただなかにいた。
 有徳の正道は、もはや見失われて。(ダンテ「神曲」)

まさにそのような感覚を持つ。多分それは普遍的な感覚なのだ。生きる力と衰えの均衡点に居ることの齎す停滞感なのではないか。

人生の半ばを過ぎたことは確かだ。書き留めておくべきであったかも知れないが、今から1,2年程前のある時期に、はっきりとそのような感覚を持った。 そして、自分には何も残すものはなさそうであること、未だ神の衣を織ることあたわず、夢のまま終わるのかもしれないという漠とした感覚。 実際には、そうあっさりと思い切れるものでもない。だってまだ半分残っているのだから。 けれども、それが「どこ」にあるのか、わからなくなっている。

それと前後して、ある種の整理をする欲求。けれども、それは既になにものかを成し遂げた人間の、あの転回ではない。 そうではなくて、寧ろ、これまでの自分の跡を消し去りたいという欲求に近い。 かつてそうした欲求をある友人が語ったとき、自分はそれとは正反対のこと、永遠性を希求していた。 (事実は逆でそういう私の希求に対する異論として、友人はそう語ったのだ。) それは私の前半生のオブセッションであったと言ってよい。 整理をする欲求の一部は、自分が出会った価値あるものをきちんと確認しておきたいというそれに違いない。 大量に本とCDを処分したのも半分はそのためだ。 ことにCDは結果的に、多分この数十年で初めて一旦100枚を切るか切らないかまで減らしてしまった。 勿論、かつてはこの上なく重要であったのに、処分されてしまったものも多くある。 棚卸をして再吟味の末、否定したものも多い。

けれども自分はそれらに及ぶべくも無い、自分には何も無い。 或る日、それに近いことを突然感じた。

けれどもその時には寧ろ、そうした価値ある営みも含めて、結局永遠性というのは観念のうちにしかない、という感覚に支配されていたのだった。 私が哲学を断念したとき、それが所詮は有限な人間の営みに過ぎない、という理由を持ち出したのだったが、 その時には寧ろ過剰な自信に支えられていた筈のその理由は、今もそのまま、ただし別のニュアンスで有効であり続けている。 「どんなに立派であっても」「ましてや私は」なのだ。それは寧ろ人間の営み「一般」に対する絶望に由来していた。 知性という点では、そもそも人間を絶対視するという事に対する懐疑がある。 これはAIを齧った人間にとっては当然だ。 例えばレムのゴーレムXIVの展望は違和感の無いものだ。 人間はあまりに不完全なのだ。(そしてこれはXenakisの展望とも一致する。だがMahlerもまた、ゲーテを通じて、もしかしたらゲーテ=ニーチェの 奇妙な混交を通じて、そこからの脱出を希求するという仕方で認識してはいなかったか?ファウストはある仕方で超人ではないのか?)

2008年5月24日土曜日

私のマーラー受容:リュッケルトの詩による歌曲

歌曲はLPレコードではなくカセットテープで聴いていたものが多いのだが、この曲集もその例に漏れず、 子供の死の歌と併録されたフィッシャー・ディースカウ、ベームのものをずっと聴いていた。 カセットはレコードに比べて遙かに手軽なこともあり、レコードよりはFMをエアチェックした交響曲と並んで、 カセットで入手した歌曲集を聴く頻度の方が高かったように思える。ただしこの曲集は、いわゆるフィルアップの 事情でアバド・シカゴ交響楽団の第5交響曲のフィルアップに収められたシュヴァルツの歌唱のものを 持っていて、このLPについては第5交響曲より、この歌曲集を聴くことの方がはるかに多かった。

だが、これも他の歌曲と共通しているが、この曲集もまた、そうした録音よりも楽譜を弾いて見つけた作品と いった感覚が強い。さすがに交響曲を連弾で弾くというのは、そもそも楽譜も入手できなかったことも あってやらなかったけれど、ピアノ伴奏版のある歌曲集は、こちらは録音の入手の困難さ(地方都市のレコード屋 にはそもそも歌曲集のレコードなどほとんど置いていなかったのだ)に比べれば楽譜の入手は遙かに容易で、 それゆえ歌曲限定ではあるけれど、ブラウコップフが言う、楽譜からマーラーを知るような受容のあり方についても、 実感として理解できる部分があるのである。その薄く線的な書法、そしてこの曲集に特に顕著な繊細な和声の 移ろいをピアノで自分で弾いて確かめるのは、実に魅惑的な作業だった。

というわけで今も昔も親しみのある曲集で、親密さという点ではもしかしたら一番かも知れない程である。 非常に強い情緒的なインパクトを持つ他の曲集や交響曲と異なり、この曲集の作品はマーラーの作品の中でも その繊細な感覚が最も強く出たものだし、それは決して小品とは言い難い「真夜中に」や「私はこの世に忘れられ」に おいても基本的には言えるだろう。連作歌曲集ですらないことから、気軽に1曲、2曲と取り出して聴けるのも 身近さを増すのに貢献しているに違いない。

その顕著な例は「私はこの世に忘れられ」であり、この曲はウィーン宮廷歌劇場でマーラーの下で歌い、ミュンヘンでの「大地の歌」の初演を歌ったシャルル=カイエ、1936年のワルター・ウィーンフィルの「大地の歌」のアルトであったトールボリ、 1952年のワルター・ウィーンフィルの「大地の歌」のアルトであるフェリアー、そしてバルビローリのバックで歌うベイカーと、 忘れ難い演奏を残した歌手による演奏を聴くことができる。こうしたことは他の曲では起きないことだし、この曲の マーラーの作品中における位置づけというのを良く物語っていると私には感じられる。


私のマーラー受容:リートと歌第2,3集・子供の魔法の角笛

「子供の魔法の角笛」歌曲集も「子供の死の歌」同様、最初はLPレコードではなくカセットテープで、 シャーリー=カーク、ノーマン、ハイティンク・コンセルトヘボウのものをずっと聴いていた。 リートと歌第2,3集は音源にめぐり合えないかわりに楽譜を持っていて、これまた 自分で楽譜を読んで発見した感じが強い。個別の曲について言えば、「私は緑の森を歩いた」はマーラーがピアノロールに残した 演奏を聴いていたこともあり、また「夏の交代」は、第3交響曲第3楽章との関係のせいで印象が特に強い。 「子供の魔法の角笛」歌曲集もピアノ伴奏版の楽譜を手に入れた。(ただし全曲ではなかったと思う。)

「角笛歌曲集」については、昔よりも今のほうが一層、色々なニュアンスが感じ取れるように なったと思う。昔から親しんでいたけれど、少なくともそのうちの幾つかはどちらかといえば大人の音楽だろう。 まだまだきちんと聴けていないように感じていて、寧ろこれからじっくり聴いていきたいと思っている。 その独特の醒めた感じやイロニー、そして意識的なアナクロニスムといった、角笛歌曲集に顕著な特性は マーラーを「意識の音楽」と捉える上で鍵となるものであり、また、マーラーによる歌詞の改変の様相が 最も顕著な形で観察できるのもこの曲集で、色々な意味でマーラーの持っている一面を窺い知る 格好の場であることは疑いないだろう。

私のマーラー受容:3つの歌・リートと歌第1集

これは恐らくCDの時代まで聞いていない。ベーカー・パーソンズが最初だろう。 楽譜も私がもっているものにはさすがにこれらの初期作品は含まれていなかった。

では取るに足らない、つまらない作品と思っているかといえばそうでもない。 さすがに後の傑作と同列に置こうとは思わないが、私はこれらの曲を実に良く聴く。 寧ろ、まだマーラー固有の語法が充分に展開されていないということもあり、 ある意味では気楽に聴けるし、なじみが薄い分を取り戻そうという気持ちが 働くこともあり、実はしょっちゅう聴いている気がする。しかも「嘆きの歌」との素材の共有などもあり、 第1交響曲との関係も示唆されたりと、マーラーの作品中における位置づけに関しても 決して軽視できない作品が含まれていて、興味が尽きない。

私のマーラー受容:「子供の死の歌」

歌曲はなぜかレコードではなくテープで聴いていた。否、理由は簡単で、私の住んでいた地方都市の レコード屋にはマーラーの歌曲のレコードを置くだけの余地がなかったということなのだろう。 そのかわりカセット・テープが売られていて、私が入手したのは「子供の死の歌」についてはフィッシャー・ディースカウとベームのものだった。

だが、この曲集の場合も他の歌曲同様、印象は自分でピアノ伴奏版の楽譜を読んだものの方が強い。 特にこの曲はピアノ伴奏版のピアノパートを良く弾いたものだ。第1曲の対位法や第2曲の和声など、 ピアノで弾いては感心した記憶がある。そういう意味では5つのリュッケルト歌曲集とならんで、 楽譜を読むことで親しむようになった曲集だと言えるだろう。

そしてこの曲は今も昔も非常に好きな曲で、その程度たるや交響曲にひけをとらないどころか、 マーラーの全作品の中でも最も好きな曲であると言える。だけれどもそれだけに聴いた時に 感情のコントロールができなくなる危険がとても高くて、だからなかなか聴けない。 これだけ交響曲が演奏されるマーラーも、歌曲となれば実演に接する機会は滅多にないが、 実演を聴くのも怖くて、いざチャンスに恵まれても躊躇するのは目に見えているが、その一方で 交響曲以上に聴いてみたいという気持ちも強い。間違いなく、マーラーに限らず、すべての音楽の中でも 自分にとって大切な曲の1つである。

現在所蔵している録音では、この曲もまた、ベイカー・バルビローリのものが決定的だと思うが この曲にも男声・女声の選択の問題があって、男声による歌唱を聴きたくなる事もある。 また、上述のような受容の経緯もあって、ピアノ伴奏版も固有の価値があるとは思うが、この曲集の場合は 管弦楽版があまりに素晴らしいせいか、ピアノ伴奏版の録音というのは非常に数が少ないのではないか。 私は前者はヘンシェル(Br.) / ナガノ, ハレ管弦楽団の演奏を、後者はゲンツ(Br.) / ヴィニョルズ(Pf.)の演奏を 所蔵しており、結果的にこれらの演奏を頻繁に聴くことになっている。 女声でピアノ伴奏のものとしては シュレッケンバッハ(A.)/モル(Pf.)の演奏があるが、ピアノ伴奏版の演奏がしばしばそうであるように、 この演奏もまた、ピアノ伴奏の雄弁さは特筆に価する。

だが歴史的録音まで範囲を広げれば、男声による録音のベストはもしかしたら1928年に録音された レーケンパーとホーレンシュタインによる演奏かも知れない。勿論、録音の質の制約はあるけれど、 CDに復刻されたその記録を聴けば、そうした制約を超えて、更には一般には時代とともに移りゆくものとされる 様式の違いを超えて響いてくるものがあることを感じずにはいられない。否、その様式がマーラーの生きていた 時代と地続きであるものゆえ、寧ろ、こちらの方が説得力があるのではないかと感じることも一再ではない。 マーラー生誕の1世紀後に生まれた私のような世代の聴き手にとってそれはノスタルジーでも懐古趣味でもありえない。バルビローリとベイカーの ものがそうであったのと同様、レーケンパーとホーレンシュタインの演奏も私にとっては「後から」発見したものなのだ。

私のマーラー受容:「さすらう若者の歌」

この曲だけは、最初に聴いた演奏の記憶が曖昧である。恐らくFMをエアチェックして録音したのが 最初だろう。フィッシャー・ディースカウ歌唱の管弦楽版が最初の気もするが、その場合、 フルトヴェングラーの伴奏のものだったか、クーベリックのものであったか、これがまたあやふやに なっている。多分、フルトヴェングラーのものだったと思うのだが、、、 一方で第2曲は第1交響曲の第1楽章の主題に転用されて有名だが、マーラーがピアノロールに 残した演奏があって、それをずっと聴いていた。

この曲に限らず歌曲はピアノ伴奏版の楽譜を持っていて、かつてLPレコードが普及するまでは 交響曲ですらピアノ連弾への編曲を通じて「発見」されていたように、自分で楽譜で見つけた感覚が強い。 逆にそれがあったからこそ、私にとってマーラーは交響曲と歌曲が対等の重要性を持つ 作曲家なのだと思う。そしてまた、歌曲に関してはピアノ伴奏版を管弦楽伴奏版のヴォーカル・スコアではなく、 独立の形態として捉える傾向の由来も、そうした享受の仕方の影響によるのかも知れない。

もっとも現時点ではさすがにこの曲はちょっと聴くのがしんどい。正確に言えば、聴き始めてしまえば 寧ろ4曲通して聴いてしまうのだが、なかなか聴いてみようとする気が起きない作品なのだ。 いわゆる「若き日の歌」に含まれる歌曲であれば、子供の魔法の角笛による第2,3集ばかりか 第1集もわりとよく聴くのに比べると、この曲集は多少敬遠しているのを否定することはできない。 恐らく理由は単純で、色々な理由でマーラー初期の歌曲はどれも「主観との距離のある」性質を 持っているのに対して、この曲集は一見したところ子供の魔法の角笛的な民謡調を装いながら、 その実質はあまりに主観的で、感情が直裁で生々しすぎるように思えるからなのだと思う。 それは肯定・否定のいずれの捉え方もできるだろうが。少しナイーブ過ぎると思う一方で、 その力の凄まじさには瞠目させられるのは確かで、要するにこの曲集が「傑作」であるが故に 敬遠しているという皮肉な捉え方すら可能かも知れない。

私のマーラー受容:「大地の歌」 (2021.9.19更新)

最も早い時期に聴いた曲で、とにかく第6楽章に強い印象を受けた。 恐らくヨッフム・コンセルトヘボウのレコードが最初。この曲はFMで聴いた機会もないし、 実演で聴いたこともない。だがこのレコードは本当に良く聴いた。 スコアも、フィルハーモニア版の輸入版のポケットスコアを買って、早い時期から親しんでいた。

マーラーの作品の中で1つを選ぶという無茶な想定をした時に、結局私が選ぶのはこの曲か、 あるいは第6交響曲になるだろう。ただ、交響曲と歌曲の作曲家マーラーのあり方を体現する という意味では、大地の歌の方に分があるように思える。連作歌曲と交響曲が融合した、 ユニークな作品だし、聴けば必ず感動する。しかも、かつては第6楽章が圧倒的に好きで、 前半の5楽章はそれほどでもなかったのだが、最近は寧ろ通して聴いたときのメンタルな変容 プロセスに強く惹かれるものを感じる。これは比喩でもなんでもなく、死の受容の音楽なのだ。 実演も一度は聴いてみたいと思っている。多分がっかりするんだろうとは思いつつも。 否、がっかりしなければ、それはそれで怖ろしいことだ。もしコンサートホールで感動してしまったら、 私は自分が制御できる自信がない。不遜なことかも知れないが、こうした想像をすると決まって、 マーラー自身が第6交響曲の初演の時に自分自身の感情のコントロールができなくなることを 怖れた挙句、うまく指揮出来なかったという逸話を思い出す。バルビローリが言うとおり、 演奏者はどこかで冷静でなくてはならないのだが、時代を代表する大指揮者マーラーにも それが出来ない瞬間があったということなのだろう。あるいは バルビローリ追悼の「ゲロンティアスの夢」の演奏の結末で、天使を歌った大歌手ベイカーは故人への 追想の故に、涙を抑えることが出来ず、Farewellという詞で結ばれるその歌は途切れてしまったと いう逸話がある。だが恐らく、バルビローリはあのジョークを飛ばしまくる陽気で知的なベイカーの 涙を咎めたりはしないだろう。私がバルビローリのマーラー演奏に見出すのは、まさにそうした側面であって、 そうした側面がないのだとしたら、私はそもそもこうした音楽を必要としないのだ。

だが、コンサートホールという制度にあっては聴き手もまた、或る種の冷静さというのを暗黙の裡に要求されている。 否、そればかりではなく、そこには私のような聴き手にとっては耐え難い様々な見えない「決まり」がそこにはある。 他の作曲家と違って、マーラーの音楽は、まさにそのために書かれたというのに、そしてかつては楽長音楽という廉で 謗られた一方で、今日ではコンサートホールのレパートリーの主役であるにも関わらず、 コンサートホールという制度と馴染まない側面があるように感じられる。マーラー普及に寄与するところが 大きかったとされるLPレコードやCDといった録音メディアの効用は、実はマーラーの場合には、コンサートホールという 制度との錯綜とした関係による部分もあるように思える。もっとも冷静で知的な音楽社会学者の視点からは、 こうした私こそ、そうしたLPレコードやCDの時代の典型的な「症例」ということになるのが落ちなのだろうが。

「大地の歌」も早くから親しんだ作品だけに様々な演奏を聴いて来たし、優れた演奏が多いと思う。 ワルターの1936年と1952年のウィーン・フィルの演奏は勿論だが、古い録音ではシューリヒトが1939年に コンセルトヘボウでメンゲルベルクの代役で指揮した記録が素晴らしい。この録音は第6楽章で起きるハプニングで 有名なのだが、それよりも演奏自体が圧倒的で、私見ではこの曲の最高の演奏の一つだと思う。 またザンデルリンクがレニングラードに居た時代のロシア語歌唱の大地の歌の録音も、スタイルの違いはあれ、 非常に優れたものだと思う。

ステレオ録音の時代に入ってからの演奏では、ザンデルリンクのもの、ジュリーニのものが全く個性は違いながら、 マーラーの晩年の様式の把握という点でそれぞれ高い説得力を備えている。忘れてはならないのは ピアノ伴奏版の演奏で、初録音となったカツァリス・ファスベンダー・モーザーもいいが、私は平松・野平の演奏が この曲の音楽的な読みという点では(管弦楽版も含めても)最も優れていると思う。フレーズ一つ、和声の 垂直方向のバランス、水平方向の推移一つ一つとっても、これほどまでに構造を読み取り、そしてそれを 磨きぬかれた技術により実現した例を私は知らない。ソプラノの歌唱で全楽章通すのは、テノールと アルト(ないしバリトン)の指定を思えばオーセンティシティに欠けるように見えるかも知れないが、草稿には 一応「交響曲」と題されている管弦楽版はともかく、ピアノ伴奏版はシンフォニックな構造を備えた 連作歌曲集であり、従って他の連作歌曲集がそうであるように、声部の選択は色々な可能性があっても良い はずである。だが、そうした原則などどうでもいい。そうして記録された演奏の卓越がそうした議論を色褪せさせてしまう。

[追記]その後、以下の公演で実演に接している。演奏会記録はこちら

マーラー祝祭オーケストラ特別演奏会(第12回定期演奏会):ハチャトリアン、ピアノ協奏曲、マーラー「大地の歌」、指揮:井上喜惟、ピアノ:カレン・ハコビヤン、アルト:蔵野蘭子、テノール:今尾滋、マーラー祝祭オーケストラ、2015年8月22日、ミューザ川崎シンフォニーホール


私のマーラー受容:第10交響曲 (2021.9.19更新)

非常に早くから親しんだ。いわゆるマーラー協会全集では第1楽章のアダージョが出版されているが、 これはクーベリック・バイエルン放送交響楽団の演奏が6番のフィルアップに入っていて、繰り返し聴いた。 クック版はレヴァイン・フィラデルフィア管弦楽団のレコード(1978, 80年録音で第1楽章は協会全集版のアダージョであり、第2楽章以降が第3稿第1版による。) をFMで諸井誠さんの解説で聴いた。

一時期はマーラーのすべての作品で最もよく聴く曲だったし、1曲選べといわれたらこの曲を選んだほど。 その後ザンデルリンク・ベルリン交響楽団、インバル・フランクフルト放送交響楽団と、CDでクック版を ずっと聴いていて、私にとってはこの曲は未完成だけど5楽章の交響曲である。 例えば第9交響曲に比べてもこの曲の構成は私にとっては自然で、5楽章版で聴くのが 極めて自然に思える。スコアについても、クック版は早くから入手して持っていたのに、全集版の アダージョは未だに未入手の状態。(手元にあるクック版は正確には1989年の第3稿第2版である。) もし完成したら、マーラーの作品の頂点の1つとなったことを私は疑っていない。 例えば中間楽章については第9交響曲よりこの曲の方が私には遙かに面白く聴ける。 クック版でも、その素晴らしさは充分に感じ取れる。昔も今も最も好きな曲の1つ。 残念ながら実演は聴いたことがないが、これも機会があれば一度は聴いてみたい曲の一つである。

ちなみにこの曲ではシャイーの演奏の評判が高く、私も、ツェムリンスキーなどの演奏で注目して いたこともあり大きな期待を持って聴いたのだが、何故か感動できなかった。 たっぷりとしてよく歌う、美しく演奏なのだが、波長が合わないのだろう。(第10交響曲に限らず全般に、 私はシャイーの演奏するマーラーには違和感を覚えることが多かった。)

ザンデルリンクの演奏はクック版をベースにしてはいるが、かなり管弦楽法に手を入れて、 響きの上で厚みのあるものになっている。これはクック版があくまでも補筆ではなく、演奏可能な 形態にすることを目的としたものであることを考えれば、寧ろ妥当な姿勢と言うべきで、しかも ザンデルリンクの追加は、バルシャイ版などがマーラーの音楽ではなくなっていると感じられるのに比べれば 私にとっては遙かに違和感が少ない。

一方で、クック版以外の補筆版については、 一度スラットキンが録音したマゼッティの第1版(これはのちにロペス=コボスが録音した第2版とは別の 版である)を聴いたのみ。これは単なる私の嗜好なのだが、マゼッティ第1版は私には違和感が大きく、 繰り返し聴く気が起きなかった。ザンデルリンク版はそんなことはないのだし、私は別にクック版原典至上主義では ないのだが、それもあってより饒舌で編曲者の恣意が強く反映されているという噂の他の版を聴く気は 起きないでいる。金子さんが言うようにマゼッティが「マーラー的な語法を逸脱しない範囲で、より雄弁な スコア化を目指した」と言いうるか、私には判断しかねるが、素直な気持ちを言えば、それは否であると いう他なかった。もし金子さんの言うとおりならば、自身半ば認めているように、第2版でマゼッティの作業は 実質的にそうしたアプローチの自己否定に近いものがあるに違いなく、だが私はそのマゼッティの逡巡が わかるような気がするのである。

[追記]その後、以下の公演で実演に接している。演奏会記録はこちら

ジャパン・グスタフ・マーラー・オーケストラ第11回定期演奏会:マーラー第10交響曲(デリック・クックによる演奏用補筆版)、指揮:井上喜惟、ジャパン・グスタフ・マーラー・オーケストラ、2014年6月15日、ミューザ川崎シンフォニーホール

私のマーラー受容:第8交響曲 (2021.9.19更新)

この曲はさすがに実演の機会がそんなにあるわけではなく、従って海外でのコンサートを放送する FMでこの曲を耳にする機会はなかったということもあって、この曲との出会いはショルティ・シカゴ交響楽団の かの有名なレコードを通してである。これはいわゆる廉価盤ではなく、正規盤を奮発して買った初めてのLPレコード だったと思う。

一方でこの曲については、楽譜についても奮発してUniversal Editionの学習用のスコア(赤い表紙の、 ポケットスコアよりは大きな版型のもの)を買って持っていたので、楽譜にも早くから親しんでいた。 何より規模が大きく、しかも歌付きであるため、歌われている内容を確認するためにも、繊細な 管弦楽法に親しむためにも、総譜は非常に役に立った。

実演は一度だけ。サントリーホールのこけら落としの1986年10月18日(2回公演の2日目)の若杉弘指揮東京都交響楽団の演奏(*1)、独唱は ルチア・ポップ、豊田喜代美、佐藤しのぶ、白井光子、伊原直子、ベルンハルト・ヴァイクル、フランツ・マイヤー、 ペーター・ザイフェルト。一見したところ良く似た作品だと見做されることの多い2番とは正反対で、 この曲は実演の印象がすこぶる良く、これは圧倒的な経験だった。普段、マーラーを聴きなれない聴き手が 多かったゆえか、第1部のコーダが鳴り止んだ後、拍手が響いたが、それは全く場違いな感じがしなかった ばかりか、極めて自然な反応に思われたのを今なお鮮明に思い出す。この曲は編成の大きさと、器楽法の 繊細さの両方の理由で実際にコンサートホールで聴かないとわからない側面が特に大きいように感じられる。 私にとって、この音楽は決してこけおどしの空疎な音楽などではない。寧ろマーラーが恐らくそう願ったとおり、 情緒や感性といったレベルを超えて、人間の心の奥底に光を投げかけ、人間の存在の有限性と儚さを、 その営為の限界を強く感じさせる力を持った音楽だと思われる。勿論、己の経験が普遍的で、客観的に 正当であるとして、他人にそれを押し付ける気は全くない。第2交響曲の実演に関して私がそうであるように、 この曲の実演に接して「置いてきぼり」を食うことは如何にも起こりそうなことではあると思う。それもまた、 この曲の持つ或る種の危うさに対する正しい反応なのかも知れないのだ。

(*1)サントリーホール開館記念コンサート:マーラー第8交響曲、指揮:若杉弘、ルチア・ポップ、豊田喜代美、佐藤しのぶ、白井光子、伊原直子、ベルンハルト・ヴァイクル、フランツ・マイヤー、 ペーター・ザイフェルト、東京芸術大学合唱団、東京放送児童合唱団、1986年10月18日、サントリーホール

実はかつては非常に好きな曲だったのに、今では私にとっての最大の躓きの石となっていて、その程度たるや 第2交響曲の比ではない。だが私はこの曲全体がアドルノのいう「突破」の瞬間に等しいものだという認識を かなり前から抱いていて、この考えは今なお確かなものだと思うが、その一方で「突破」の契機が比較的素直に 具体的な音楽に具現していた初期の交響曲にはあった媒介をこの曲だけは欠いていて、それゆえ 受け入れるのは一層難しいように感じられる。他方において、かつての実演の経験からもこの曲が持っている 凄まじい力を否定することもできないでいる。この曲の批判者の代表格のように言われるアドルノも 実際にその論調を読めば、思いのほか微妙なためらいを見せていることがわかる。ベンヤミンならいざ知らず、 アドルノがカバラ的な用語を持ち出すといった異様な光景が見られるのも、この曲を論じた末尾の部分だし、 「救い主の危険」という言い回しさえ出てくるのである。そしてそうした両義的な姿勢に、私は共感を覚えずには 居られない。ぎりぎりのところで否定できない、勿論なかったことにするわけにはいかない、厄介な存在。 あるいはそこにマーラーが好み、そしてアドルノもまた「パラタクシス」によって結びつくヘルダリンの詩篇 「パトモス島」の一節、「危険のあるところ、救いの力もまた育つ」という詩句を突き合わせることもできるかも知れない。 ともあれ、この曲こそは私にとって決着をつけるべき最大の問題の一つであることは確かなことなのである。

この曲に関してはほとんど聴くことがないので、ミュンヘン初演を聴き、アメリカ初演を成し遂げたストコフスキーの演奏と インバルの全集に含まれる演奏の2種があれば私は充分である。前者の歴史的意義は疑問の余地はないが、 それ以上にこの曲がかつて持っていたアウラ、単に祝祭的なだけではない、そしてマイヤーの批判にも関わらず 決して装飾に縮退することのない、アナクロニックといっても良いような或る種の「姿勢」のようなものに支えられた 雰囲気を感じ取ることができるように思える点の方が私にとっては貴重に感じられる。インバルの演奏は あまり評価されることがないようだが、私が実演で聴いた印象に最も近いということ、歌詞を踏まえて考えたときに、 管弦楽と合唱のバランス、両者を併せた上での各声部間のバランスが卓越していると感じられること (特に混沌としやすい第1部のコーダ、Gloria Patriより後、末尾に至るまで)が私には大変好ましい。 第2部もこの曲の備えている独特の時間性を的確に実現している点で理想的な演奏だと思う。

[追記]その後、以下の公演で実演に接している。前者の演奏会記録はこちら

マーラー祝祭オーケストラ特別演奏会(第13回定期演奏会):マーラー第8交響曲、指揮:井上喜惟、マーラー祝祭オーケストラ、ソプラノ:森朱美、三谷結子、日比野景、アルト:蔵野蘭子、小林由佳、テノール:又吉秀樹、バリトン:大井哲也、バス:長谷川顕、合唱:マーラー祝祭特別合唱団、中央区・プリエールジュニアコラール、成城学園初等学校合唱部、カントルム井の頭、2016年02月28日、ミューザ川崎シンフォニーホール

東京ユヴェントス・フィルハーモニー創立10周年記念演奏会:マーラー第8交響曲、指揮:坂入健司郎、東京ユヴェントス・フィルハーモニー、ソプラノ:森谷真理、中江早希、中山 美紀、アルト:谷地畝晶子、中島郁子、テノール:宮里直樹、バリトン:今井俊輔、バス:清水那由太、合唱:東京ユヴェントス・フィルハーモニー合唱団、NHK東京児童合唱団、2018年9月16日、ミューザ川崎シンフォニーホール

私のマーラー受容:第6交響曲 (2021.9.19更新)

私にとってマーラーがかけがえのない存在になったのは、この曲を聴いたことによるのだと今でも思っている。 最初に聴いたのは比較的早く、インバル・フランクフルト放送交響楽団の1979年の演奏のFM放送。 その後もギーレン・ベルリン放送交響楽団の1982年の演奏やコンドラシン・南西ドイツ放送交響楽団の 1981年1月18日の演奏など、素晴らしい演奏にFMで接することが出来たし、LPレコードもクーベリック・ バイエルン放送交響楽団、アバド・シカゴ交響楽団の演奏を聴き比べることができた。 アバド・シカゴ交響楽団の演奏は優れたもので、CDの時代になってあまり評判が良くないのが腑に落ちない。 一方で、それゆえインバルの全集が出て、その後あっという間に代表的なマーラー指揮者と見做される ようになったのには感慨深いものがあった。 音楽之友社からポケットスコアが出たときに真っ先に買った曲の1つでもあり、楽譜に馴染んでいるという 点でもマーラーの作品中でトップクラスの作品となっている。

実演も複数回聴いている。最初はサントリー・ホールで行われた若杉・東京都交響楽団のツィクルス の1回(1989年1月26日)(*1)で、2回目はマーラーを聴くのを止めたあと、友人に譲ってもらったチケットで、 メータ・イスラエルフィルの演奏を東京芸術劇場で聴いたことがある(1991年11月23日)(*2)。 実は実演で複数回聴いている唯一の曲である。(2番も2回という見方もできるが、 うち1回は交響詩「葬礼」のみ聴いてコンサートホールを出たので、私自身としては「別の曲」 と見做しているので。)

(*1)若杉弘指揮:東京都交響楽団特別演奏会2:シェーンベルク、管弦楽のための5章、マーラー第6交響曲、指揮:若杉弘、東京都交響楽団、1989年1月26日、サントリーホール

(*2)マーラー第6交響曲、指揮:ズビン・メータ、イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団、 1991年11月23日、東京芸術劇場

ということで最も親しんでいる曲ということはできると思う。そればかりでなく若杉・都響の演奏は、 実演のマーラーで最も感動した演奏だった。(もっともこのときは、一緒に演奏されたシェーンベルクの 5つの管弦楽曲の方も素晴らしい演奏だったが。)メータの解釈は個人的にはあまり共感しない タイプのもので、従ってイスラエル・フィルとの演奏も最初はあまりにゴージャスなサウンドに白けていたのだが、 さすがにフィナーレなどは自分にとっては疎遠な解釈であっても感動的なものだった。

この曲に関しては、現時点では3種類あるバルビローリの演奏があれば充分である。いずれも素晴らしい演奏だが、 フィルハーモニア管弦楽団との演奏では、スタジオ録音よりもプロムス・ライヴの方がバルビローリの演奏の特徴である、 見通しの良さが感じられる。ベルリンフィルとのライブも印象的。明らかにオーケストラが曲に馴染んでいないのがわかるし、 傷も多い演奏で、おまけにモノラル録音だが、第2楽章にアンダンテが置かれた演奏として圧倒的な説得力を持つ。

バルビローリ以外ではコンドラーシンがレニングラード・フィルを指揮した録音が素晴らしい。既述のとおり、 私はコンドラーシンが南西ドイツ放送交響楽団を指揮した演奏をかつてFM放送で聴いたが、ここでは レニングラード・フィルの信じがたいほどの演奏技術の高さ、合奏能力の高さもあって、その非常に早いテンポが 無類の説得力を生み出している。インバルの録音もまた、かつて聴いたそれを思わせるこの曲の理想的な演奏の 一つだと思う。

マーラーの交響曲の中で最も求心的で緊密な作品。ある意味ではマーラーらしい破天荒さを自分で封印した 感じもあるが、その結果伝統的な形式の持っているポテンシャルを極限まで解き放った、例外的な傑作となったと 私は考えている。個人的な嗜好の観点から言っても、恐らくマーラーの作品中で最も馴染み深い作品で、 無茶な想定だが、1曲選べといわれたら多分この曲を選ぶのだろうと思う。実演で聴いた限りでも最も外れがなく、 色々な意味でマーラーの作品中、最も優れた作品であると思うし、かつまた最も好きな作品でもある。

従って現在でも聴く頻度からすれば第9交響曲や大地の歌、第10交響曲と並んで最も多い方に属する。 かつての実演での印象が例外的に良かったこともあって、機会があればまた聴いてみたいようにも思っている。 もっとも恐らく起きるであろう情緒的な反応をコンサート会場でコントロールすることを考えると、躊躇いを感じないでもない。 何しろ、ふとした折に楽譜を取り出して、音楽を追っているうちに涙がぼろぼろこぼれてしまうことすらあるのだ。 特に第4楽章の再現部は私が聴いた音楽の中で最も自分の心を強く揺すぶるもので、ジャンルを問わず、自分の 狭く貧しい経験の中で、幸運にも出会うことのできた最高の価値を持った存在のひとつにこのマーラーの第6交響曲を あげることに些かの躊躇いを感じることがない。楽譜を読み、音楽を聴くたびに、こんなにも素晴らしい作品を 創り上げることのできた人間がかつていたこと、そして様々な偶然によってその存在を100年後の異郷に居ながらに して知ることの出来たことそのものが、自分自身にはたいした価値がない私にとっては何か貴重なものに、僥倖とすら 呼びたいようなことに思えるほどなのだ。マーラーがアルマにこの曲をまずピアノで聴かせ、二人してその音楽に圧倒された というエピソード、あるいはマーラー自身が初演を指揮するにあたって自分の感情をコントロールできなくなることを 怖れたというエピソードすら、時間と空間の隔たりを超えて、気質や能力の絶望的なまでの隔たりをすら超えて、 自分の経験とどこかで響きあうものであると思えてならない。こうした感じ方は大袈裟で品のないものであるばかりか、 更に悪いことには度し難いお目出度さを伴った勘違いによる錯覚によるのだ、という批判があればそれは甘受せざるを 得ない。無価値な存在にとって価値ある経験というのはナンセンスだ、お前のような存在にとって貴重な経験である といってそれが一体何の意味があるのだという問いに対して返す言葉を私は持たない。だが、だからこそ私は、自分が 経験したことを自分の中に抱えたまま、自らとともに荼毘に付され、墓の中でともに朽ちるに任せるのに耐えられない。 こうした文章を書いているのは、私と私の経験自体は無価値でも、ここではジャンケレヴィッチの気休めを 甘受することさえ厭わずに、ただ事実性のみが頼りでもいいから、マーラーの作品の価値について自分の外部に 何かを残したいという止むに止まれぬ衝動にかられてのことなのだ。

私のマーラー受容:第7交響曲 (2021.9.19更新)

一度聴いて魅了されて、今なお最も好きな曲の1つであるが、聴いた時期も非常に早く、 恐らく第1交響曲と「大地の歌」の直後に3番目に聴いたように記憶している。 クーベリック・バイエルン放送交響楽団のレコードをFMのエアチェックで聴いたのが最初で、 この曲の第1楽章に相応しく、天気が非常に悪かったため、電波の状態が悪かったこともあり、 カセットテープに録音したものの、最初の数分についてはその細部を十分に聞き取ることが困難であった思い出がある。

この曲も第6交響曲同様、FM放送で優れた演奏に幾つか出会う幸運に恵まれていて、 これまで聴いたこの曲のすべての演奏中最も優れていると思うのは、FMで聴いたベルティーニ・ ベルリンフィルの演奏(1981.3.28)である。また恐らく1980年に聴いた ミヒャエル・ギーレンのオーストリア放送交響楽団との 演奏もまた劣らず素晴らしいものだった。だが、何といってもバルビローリのライブ(BBCからリリースされたハレ管・ BBCノーザン響の合同演奏の記録)がリリースされたのが大きく、現時点ではこの演奏で充分だと思っている。 思いつく限りでもクレンペラーの演奏やツェンダーの演奏など、他にも色々なアプローチの優れた演奏はあると思うが、 それでいて全曲を通して説得力のある演奏というのはなかなかなく、結局、上記のベルティーニの演奏か、 さもなくば(意外に思われるかも知れないが)バルビローリの演奏がその点では最も納得がいくものだと思う。 (ベルティーニについてはそういう経緯もあって、その後リリースされたケルン放送交響楽団とのCDも聴いたのだが、個人的な印象では ベルリン・フィルの演奏には遠く及ばないものでひどくがっかりしたのを覚えている。)

だが第6交響曲の場合と対照的に、この曲は専ら上記のFM放送のエアチェックテープで満足していて、 LPレコードは結局買わなかった。交響曲でLPの時代に持っていなかったのはこの曲と9番と10番のクック版だが、 この曲に関してはアバドのレコードでの全集のリリースの順序とタイミングが関係していて、シカゴ交響楽団との 演奏がリリースされた時期にはすでにCDの時代が始まっていたのではないだろうか。その後CDでアバドと シカゴ交響楽団との演奏を聴いたが、私には第5交響曲の場合と同様、アバドの解釈はこの曲に私が 聴き取っていたものと方向性がずれているように感じられる一方で、その時点では既に聴き込んで馴染んでいた インバルとフランクフルト放送交響楽団の演奏の素晴らしさは際立っていて、結局アバドの録音を聴くのはLP 時代に聴いた6曲で終わりになってしまった。

音楽之友社からポケットスコアが出たときに第6、第9とともに真っ先に買った曲の1つで、楽譜でも馴染んでいた だけに、実演で聴くのが楽しみであったが、その唯一の機会であった若杉・東京都交響楽団の 1989年のサントリーホールでの演奏(*1)は、残念ながら全くといっていいほど入り込めない惨めな経験となった。 このときはヴェーベルンの作品6(勿論オリジナルの4管編成版)との組み合わせで、当時の自分にとっては ほとんど最高のプログラムであったにも関わらず、マーラーだけでなく、ヴェーベルンの演奏も全く感動できず、 悄然としてサントリーホールを後にした記憶がある。若杉・東京都交響楽団のツィクルスはその後、 第1交響曲のハンブルク稿(交響詩「巨人」)の日本初演、交響詩「葬礼」の日本初演と足を運んだが、 どちらも全くといっていいほど感動できず、むしろツェムリンスキーの作品の方が良かったくらいで、 結局、最初の第6交響曲を除くと、私個人としてはフィアスコと呼ぶような壊滅的な経験となった。 それゆえ、その後の演奏に足を運ぶこともなく、その後リリースされた公演を記録したCDも入手することも なかったのは勿論だが、それだけではなく、そもそもマーラー自体を聴かなくなり、その一方でCDでは 聴き続けた他の作曲家の作品についてもコンサートホールで聴くこと自体をほとんどしなくなってしまった。

(*1)若杉弘指揮:東京都交響楽団特別演奏会3:ヴェーベルン、管弦楽のための6章(1909年オリジナル版)、マーラー第7交響曲、指揮:若杉弘、東京都交響楽団、1989年6月7日、サントリーホール

この曲はマーラーの交響曲の中でもリニアなストーリー性が最も希薄で、組曲のような遠心的な構造を持った 曲だと思うが、それゆえ個別の楽章を取り出して聴くことはあるが、そうでなければ全曲通して聴くことが多い。 良く問題にされる第4楽章までと第5楽章との分裂というのは私にはよく分からないので、 第4楽章で終わりで、第5楽章を聴かないというのは私の場合にはないのである。早い時期から親しんで 来たこともあり、特に好きな曲の一つといっても良く、マーラー・ファンの中には第7交響曲の熱烈なファンが いるようだが、個人的には共感できる。一方で、アドルノ以来のフィナーレの解釈にはずっと疑問を感じていて、 それは今でも変わらない。上で述べた「全曲を通して説得力のある演奏」というのも、従ってここでは アドルノ的な解釈に対抗できるような演奏ということで、こうした観点では、最高の演奏は恐らくバルビローリの 演奏ということになるのではないかと思っている。

バルビローリ以外では、この曲もまた、非常に速いテンポを採用しているコンドラーシンの演奏が素晴らしい。 レニングラード・フィルを指揮したセッション録音と、コンセルトヘボウを指揮した演奏会の記録の2種があるが、 解釈は一貫している。演奏の精度や個性の点では、レニングラード・フィルの演奏の方がより印象的で、 第1楽章の後半など、あまりに素晴らしさに言葉を喪ってしまうほどである。また、問題視されることの多い 第5楽章の説得力という点でもコンドラーシンの演奏は比類ない。

[追記]その後、以下の実演に接している。前者の演奏会記録はこちら

ジャパン・グスタフ・マーラー・オーケストラ第8回定期演奏会:マーラー第7交響曲、指揮:井上喜惟、ジャパン・グスタフ・マーラー・オーケストラ、2010年6月13日、ミューザ川崎シンフォニーホール

ミューザ川崎市民交響楽祭2018:ヴェーベルン「夏風の中で」、マーラー第7交響曲、指揮:長田雅人、かわさき市民オーケストラ2018、2018年8月26日、ミューザ川崎シンフォニーホール

私のマーラー受容:第4交響曲 (2021.9.19更新)

この曲は何回かすれ違いを経験している。 最初に友人の家でFMでこの曲をやっている時間に無理にお願いして聞かせてもらったことがあるが、 勿論そういう状況ではじっくりと曲に没入することはできなかった。 次は、ある年のクリスマスに迷った挙句に買ったショルティのLP。これを自宅の貧弱な再生装置で 再生すると音とびがしてしまうため、買ったお店に相談して、返品させてもらってかわりにショルティの あの第8交響曲の名盤を購入することになったという思い出がある。勿論差額は払ったのだが、 音とびの原因の少なくとも半分は私の持っていた貧弱なプレイヤーとかなり劣化していた 針のせいであったに違いないことを思えば、対応してくださった店員さんの寛容さには今尚、頭が下がる。 シベリウスやマーラーのLP(今ならCDだが)をなけなしの小遣いをはたいて買っていく中学生の数は 今も昔も、恐らくそんなに少なくはないと思うが、当時の私が住んでいた地方都市では、 きっと同情を買う程度には珍しかったのだろう。

そんなこんなで聴けずにいた作品だが、最初のレコードは、そのレコード屋にあったスワロフスキー・ チェコフィルの廉価盤だった。この曲はなぜかFMでも実演でも接する機会がなく、私が良く聴いたのはその後買った アバド・ウィーンフィルのLPである。一方で、この曲の終楽章はマーラーがピアノロールに残していて、寧ろ それを聴いて親しんだ感じがある。その後の歴史的な経緯もあってヒストリカルな録音に恵まれた曲であるが ゆえに、例えばメンゲルベルクの戦前の演奏や、近衛の演奏などさえ耳にする機会があったにも関わらず、 この曲については結局、楽譜を入手するまでは疎遠な音楽であり続けたように記憶している。 ただし、世界初という事実以上のものを聴き取ることのできない近衛の録音と生前のマーラーの信頼厚く、 マーラーと演奏解釈や楽器法についてのやりとりも頻繁にあったメンゲルベルクの演奏を同列に置くことはできないだろう。 メンゲルベルクの演奏は確かに時代がかった様式のものだが、実はその解釈は情緒的というよりは、際立って明晰な 形式的把握に基づくもので、寧ろ曲の構造の理解においては、細部拘泥の傾向のある近年の演奏よりも 遙かに説得力が感じられると私は思っている。

そして他の曲とは些か異なって、この曲は寧ろ現時点の方が遥かに親近感を持って聴ける 数少ないマーラーの交響曲である。(例えば第5交響曲はかつても疎遠だったが、その後、いくつもの 優れた演奏に出会ったにも関わらず、現在に至るまで距離感が埋まったわけではない。) 第4交響曲については、マーラー自身のピアノ・ロールによる「天上の生活」とメンゲルベルクの1939年の録音という ヒストリカルな記録を除けば、インバルとバルビローリの演奏がそれぞれ秀逸であると思う。 それぞれやり方は違うのだが、この曲のちょっと捻った、醒めた側面と、にも関わらず根底には 信じがたいほどの(にわかには信じられなくて、謀られていると感じた人間の顰蹙を買うほどの、 と言い換えても良い)素朴で純粋な感情の奇妙な共存を浮かび上がらせることに成功しているように 思える。

実演でも結局聴く機会がないままなのだが、そういうわけで現時点ではかつてよりも興味が増している曲 なので、一度実演で聴いてみたいように思っていて、もし今後マーラーを実演で聴くことになるとすれば 最有力の候補の一つである。

[追記]その後、以下の公演において実演にようやく接することができた(演奏会記録はこちら)。
ジャパン・グスタフ・マーラー・オーケストラ 第10回定期演奏会、マーラー第4交響曲、指揮:井上喜惟, ジャパン・グスタフ・マーラー・オーケストラ 、ソプラノ:蔵野蘭子,  2013年7月13日,  ミューザ川崎シンフォニーホール 

私のマーラー受容:第5交響曲 (2021.9.19更新)

この曲も第4交響曲同様になかなか聴く機会がなく、おまけにLPレコードでも廉価版すら手に 入れる機会がなく、アバド・シカゴ交響楽団のものが最初だから、ほとんど最後にLPを 入手した曲であることになる。(アバドの演奏は、結局第7番以降は入手せずにCDの時代になり、 結局、あの「懐かしい」インバルがあっという間に完成させたCDによる全集が、私が入手した唯一の 交響曲全集なのである。)FMで聴く機会も少なく、強いて言えばベルティーニ・ウィーン交響楽団の演奏 (1983.4.12)が記憶に残っているくらいか。

実演も聴き損なってしまっている。とにかく私にとっては馴染みの薄い曲で、第4交響曲同様、 寧ろマーラーが残したピアノ・ロールの演奏で第1楽章だけは早くから親しんだほどである。 上述のアバドの演奏は、技術的な精度も高く、実に明快な演奏なのだが、正直なところピンと 来ずに、皮肉にもフィルアップのリュッケルト歌曲集ばかりを聴くLPレコードになってしまったほどで、 この曲が、マーラーブームの中でまるで代表曲であるかのように次々と取り上げられていくのを 怪訝な気持ちで眺めていた。

長いことこの曲は演奏よりも楽譜の方が印象が強く、そういう点でも交響曲としては例外的だったのだが、 この曲の場合には何といってもバルビローリ・フィルハーモニア管弦楽団を聴いたことが決定的であった。 特に第2楽章のコラール以降、後半の演奏の説得力では随一で、特に第3部を構成するアダージエットと ロンド・フィナーレは、この演奏でやっと音楽の実質に触れることができたように感じられた。 もっとも初めて聴いたときには、アンサンブルが危なっかしく感じられてはらはらしたのを覚えているのだが。

というわけで、あえて距離感を測れば、私にとっては最も疎遠なマーラーの交響曲だということになる。 バルビローリの解釈を除けば、第7交響曲以上にこの曲のフィナーレが説得的であるとは私にはどうしても思えないし、 第1部は非常に好きであるにも関わらず、3部構成のまとまりも第7交響曲以上に良いとは思えないのだ。 もっとも、疎遠な感じというのはあくまでもマーラーの交響曲の中での比較に過ぎず、この曲を、 例えば他の私が聴かない作曲家の作品同様に考えているということではない。実際、では聴かないかというと、 決してそんなことはなく、他の作曲家の音楽に比べれば、頻度が低いとは言えないのであるし。

バルビローリ以外の演奏では、コンドラーシンがソヴィエト国立交響楽団を指揮した録音が素晴らしい。 とりわけ第2楽章末のコラールの解釈は卓越していて、この作品の備えている質、ベクトル性を把握していると 感じられる。インバルの演奏もまた特に第2楽章の音楽を紡ぐ呼吸の深さにおいて比類ない。 個別の部分のみを取り出すのは演奏について述べるときに適切でない場合が多いが、この演奏に関しては、 特に再現部の練習番号22に至るまでの音楽の持つ呼吸に聴くたびに圧倒されることをどうしても書き留めて おきたくなる。

[追記]その後、以下の公演で実演に接することができた。このうち、初めての第5交響曲の実演となった前者の演奏会の記録はこちらを参照されたい。ジャパン・グスタフ・マーラー演奏会第14回定期演奏会については、プログラムに文章を寄せたにも関わらず、急な発熱のために演奏に立ち会うことができなかった。

川口市民オーケストラ創立40周年記念演奏会:第27回サマーコンサート、モーツァルト「魔笛」K.620より抜粋、マーラー第5交響曲、指揮:高橋勇太、ソプラノ:見角悠代、バリトン:佐藤望、川口市民オーケストラ、2018年7月15日、川口総合文化センター・リリア メインホール

横浜フィルハーモニー管弦楽団:第80回記念定期演奏会:モーツァルト交響曲第41番「寿ジュピター」、マーラー第5交響曲、指揮:田尻真高、 横浜フィルハーモニー管弦楽団、2018年11月4日、ミューザ川崎シンフォニーホール


私のマーラー受容:第2交響曲/交響詩「葬礼」(2021.9.19更新)

実演は2回。一度は1986年7月16日、東京文化会館での朝比奈・新星日本交響楽団第93回定期公演(*1)、二度目は「葬礼」のみ若杉・都響で。1990年3月30日のサントリーホール のこと(*2)で、これは「葬礼」の日本初演であったはずである。ただし第2交響曲の第1楽章として演奏された筈だ。 もっとも私は「葬礼」のみ聴いて会場を後にしたので、第2楽章までに5分間の休憩を置くマーラーの指示が 遵守されたかどうかすら知らない。このあと、友人が譲ってくれたチケットで図らずも聴くことになった メータ/イスラエル・フィルの第6交響曲を除けば、自分からマーラーのコンサートに赴いたのはこれが最後になった。 この曲は、第1交響曲同様、実演の印象が頗る悪い。第2交響曲についても、上記の どちらも曲に入り込めずがっかり。特に一度目は全曲聴いたのに、置いてきぼりを食らってショックだった。 思うにこの曲の内容はあまりに個人の内面に関わるもので、皮肉にもコンサートホールでの演奏の 持つ公共性との間に齟齬を来たしているように感じられてならない。あるいは管弦楽法上明らかにナイーブな 初期稿を聴いたというのもあるかも知れないが、これだと朝比奈の演奏に白けた理由については説明になっていない。

(*1)新星日本交響楽団第93回定期公演、マーラー第2交響曲、指揮:朝比奈隆、ソプラノ:大倉由紀枝、アルト:辻宥子、合唱:三多摩市民コーラス、1986年7月16日、東京文化会館

(*2)若杉弘指揮:東京都交響楽団特別演奏会5:ツェムリンスキー「詩篇23番」、マーラー交響曲第2番(第1楽章は「葬礼」:日本初演)、指揮:若杉弘、ソプラノ:佐藤しのぶ、アルト:伊原直子、晋友会合唱団、1990年3月30日、サントリーホール

LPは最初に聴いたバーンスタインの1度目の全集に含まれるものと、アバド・シカゴ交響楽団のものを持っていた。 後者は良い演奏だと思う。例によって最初に買ったバーンスタインのLPには主体的な選択は働いていない。 レコード屋にそれしかなかったのを買ったのだから。

ちなみにラトルの名前を知ったのはFMで第2交響曲の演奏を聴いたのが最初で、今思えばいかにもラトルらしい、 才気走った解釈に驚きと若干の疑問を感じたのを良く覚えている。 この曲については何故かスコア(全音版)を非常に早い時期に買って持っていて、舐めるようにして 読んでいたのを思い出す。第1楽章はほとんど覚えてしまったくらいである。

近年になってバルビローリの2種類のライブの記録をCDで聴けるようになったが、特にシュトゥットガルト 放送局の管弦楽団との演奏は傷が多すぎて、さすがの私も気になる。一方、ベルリン・フィルとの 演奏の方は、モノラルで音質には限界はあるけれど、こちらは圧倒的な演奏だと思う。 また1948年のワルターのウィーンへの里帰り公演の記録は、記録としての価値もさることながら、 その音楽に込められた感情の深さに圧倒される。更にシューリヒトが残した演奏記録もまた忘れることができないだろう。

この曲はある意味ではアドルノの預言どおり、最近ではかつて程の人気がないように思える。少なくとも 熱心なマーラー・ファンにとっては、寧ろ作風が確立する前の、こなれていない作品という見方すらあるようだ。 だが、私の場合には、他のほとんどの作曲家の場合と異なって、若書きの作品を一段下に置くことができない。 この曲は実演でも印象が良くないし、色々な演奏を聴いているわけでもないが、それでも私の身体のどこかに、 この曲に強く共鳴する部分があるのだと思う。例えば一度だけ自分がマーラーの交響曲を指揮している夢を見たのを 今でもはっきりと覚えているが、その時の曲は何故か第2交響曲だった。終楽章のあの行進曲の部分あたりから 以降最後までは確実に含まれていた。私は時折音楽が鳴り響く夢を見ることがあって、 一度など、あまりの美しさに起きてから書き留めようと思ったのに、書き留めようと思うと夢の中での恍惚には 程遠いものしか書き留められず、ひどくがっかりしたことすらあるのだが、他人の作品がここまで明確に 長い部分、夢の中で再現されたのは一度きりである。

私のマーラー受容:第3交響曲 (2021.9.19更新)

クーベリック・バイエルン放送交響楽団のLPが最初のレコード。その後アバド・ウィーンフィルのLPを入手した。 後者は勿論精度も申し分なく、磨きぬかれた素晴らしい演奏だが、決して平均的な演奏ではなく、 特に中間楽章ではアバド独特の管弦楽のバランスが顕著で、些か作り物めいた感触のある演奏。 (アバドはこうしたバランス感覚を、例えばショスタコーヴィチにも適用する。その結果は、予想もしないような 意外な音響によるリアリゼーションで、これに抵抗感を示す人は恐らく多いに違いないのだが、実際には マーラーにおいてもあまり違いはない。マーラーの場合には様式的に違和感が少ないだけである。)

FMで聴いた演奏では、ツェンダー・ベルリン放送交響楽団、ベルティーニ・ウィーン交響楽団(1982.6.5)、 そしてハイティンク・アムステルダムコンセルトヘボウ管弦楽団のものが記憶に残っている。特に 1981年8月21日にNHK FM で放送されたツェンダーの演奏(自由ベルリン放送大スダジオでの1980年10月6日 の演奏とのこと。アルトはキルブルー、合唱は聖ヘドヴィヒ教会の聖歌隊)は95分17秒という演奏時間から予想されるように、 特に第1楽章のテンポ設定が独特で、場所によってはカオティックにすら聞こえる、超現実主義的な「夢の論理」を強く感じさせる 圧倒的な演奏だったと記憶している。

実演は1度だけでベルティーニ・NHK交響楽団(*1)。すでにFMで素晴らしい演奏を 何度か聴いていたベルティーニの指揮ということでとても期待して行ったのだが、 NHKホールの席が悪かったせいか、遠くで鳴っている音を呆然と聴く100分で、 その後NHKホールには行っていないし、今後も恐らく行かないだろう。 場所によるのかも知れない(もっともそんなに安い席ではなかった筈だ)が、 こんなホールでクラシックのコンサートをやるというのに些か呆れてしまった記憶がある。 NHK交響楽団も最近はさすがにその後はより音響の良い他所のホールでも定期公演を するようになったが、未だにこのホールを中心に公演も続けているようで、これが放送受信料を 徴収している公共放送のオーケストラ、日本を代表するオーケストラであることを思い合わせると 全くもって感心する他ない。まあ、クラシック音楽なぞ所詮は他所事に過ぎないからどうでも いいのかも知れないし、私には直接は関係ないからどうでもいいのだが。 勿論、この経験はコンサートから足を遠のかせる大きな動機の一つになった。

(*1)NHK交響楽団第1014回定期演奏会:マーラー第3交響曲、指揮:ガリ・ベルティーニ、NHK交響楽団、アルト:伊原直子 合唱:国立音楽大学 国立音楽大学付属小学校、1987年2月12日、NHKホール

この曲についてはスタジオ録音が残されていないバルビローリに優れた演奏録音があることを、ケネディの著作によって 早くから知っていたのだが、それを聴けるようになったのはごく最近のことである。だが現時点では バルビローリ・ハレ管弦楽団の一種独特の感触をもった演奏を最も良く聴く。ちょっと聴くと アンサンブルの精度が悪く、はらはらするばかりで落ち着いて聴けないのではと思われるかも知れないが、 マーラーにおける「対位法」というのがどれだけ伝統的なそれと懸け離れたものであったか(伝統的な 技法の熟達という視点では恐らくシュトラウスの方がよほど上手だろうし、シェーンベルクもまた マーラーより遥かに秀でていて、こうした面ではシェーンベルクとマーラーの音楽の間にはほとんど関連を 見出すことはできないだろう)を考えてみると、寧ろこの演奏こそ、マーラー的ポリフォニーの理想的な 実現ではないか、という気さえする。バルビローリの意図がオーケストラに浸透しているという点でも ベルリン・フィルの演奏と比較しても遥かに勝っているように私には聞こえる。デリック・クックの評価は 私には留保なしに同意できるものだと感じている。

この曲は現時点では一般的に非常に評価の高い作品で演奏頻度も、録音頻度も決して低くないようだが、 私は寧ろ昔のほうが良く聴いた。とりわけ終楽章の主題が最後に再現される部分では自分の時間意識が ある種の変容を起こしているように思えて、一体そこで起きているのは何なのか、なぜそのようなことが可能なのか、 どうしてもそれなりに納得の行く説明が欲しくてあれこれ考えていた。勿論それは現時点でも課題であり続けている。 一方で、この曲に関して必ず問題になる世界観の表明などの標題に纏わる問題が私にはひどく 煩わしいものに思えて、それもあってこの曲に対する距離感が生じているのかも知れない。 例えばこの曲に「円環的」な構造を見出そうとする意見があって、それを支持する日本人によるコメントを 読んだことがあるが、具体的にどこに「円環的」な構造を見出しているのかをあたってみれば絶句してしまう。 ソナタの再現部、舞曲のような3部形式、第6楽章における第1楽章の素材の侵入などをもって「円環的」と 呼べるのであれば、それは第3交響曲固有の特徴ではないだろう。少なくとも構想の時点では言語的な 形態をとっていたこの音楽の標題から出発して、ある種の世界観がこの音楽の構造にも反映していると 言いたげであるが、その根拠が上述のもの程度では少なくとも私には何の説得力も感じられない。 かえってそのような「言いがかり」に近い議論によって、第3交響曲をある種の世界観のある仕方での 反映とする、それ自体は別段誤りというわけではない見解自体を、そうした説を吹聴する人間同様 胡散臭いものと感じさせかねないのではなかろうか。きっとあるに違いない内容と形式の密接な 連関を見出そうという努力が、そのような皮相な観察が書物のかたちで流布することで大手をふって 撒き散らされることによって妨げられることを懸念すべきではないかとさえ思われる。

[追記]この作品については、新型コロナウィルス感染症の蔓延が原因で、1年延期の上実施されたマーラー祝祭オーケストラ(音楽監督・井上喜惟)第18回定期演奏会(2021年5月9日)に接する機会があったのだが、諸般の事情から、コンサートホールを訪れるのを自粛せざるを得ず、実演に接する機会を得られらずにいる。



私のマーラー受容:第1交響曲/交響詩「巨人」(2021.9.19更新)

春の自然の目覚めの音楽であるはずの第1交響曲の導入部分が、私にとっては、この曲を初めて聴いた、 と同時に、マーラーの音楽に初めて接した、あの夏の日の記憶と今なお結びついている。夏の早朝の、 まだ色々なものが目覚めて動き出す前の静けさが持つ、確固とした「広がり」の感覚が、この序奏の 持っている空間性に結びついてしまったのだと思う。もっとも聴いたのは夏休みの宿題であるポスターを 描いているときに偶々付けたラジオから流れてきた午後のFM放送でだったと記憶しているけれど。 

今日では良く知られていることだが、実はこの曲の現在演奏されているヴァージョンは、若きマーラーが 書いたそのままの姿ではない。かつて初稿に近いハンブルク稿の日本初演を聴いたことがあったが、 ――不慣れなヴァージョンを弾くオーケストラの戸惑いもあったのかも知れないし、一緒に日本初演された ツェムリンスキーの「人魚姫」の管弦楽法の巧みさとの対照もあったのかも知れないが――、あまりに 「鳴らない」音楽にひどく驚いたのを記憶している。

だが、FM放送で初めて聴いたその音楽は、それまでに聴いたことのない透明で清澄な管弦楽法、線的書法の優位、そして自然そのものの音(実はこれが「佯りのもの」であることがヴィニャル等によって指摘されていることを後に知ることになるのだが)が響きわたる確かな空間性、何よりも意識の流れのような音楽の脈絡に よって私を魅了した。 最初に聴いたFMのエア・チェックで流れてきたのは小澤・ボストン交響楽団の1回目の1977年の録音だった筈である。 この録音はその後「花の章」を挿入した形態で流布したが、その時に聴いたのは4楽章形態のものだったと 記憶している。

最初のレコードはラインスドルフとロイヤル・フィルもの(一般にはこちらの方が知られているであろうボストン交響楽団との演奏ではない)。住んでいた街のレコード屋にあった唯一の廉価盤が これだったという理由なのだが、決して悪い演奏でなく、それどころか話題になることがないことが不思議なくらいの高水準の演奏ではなかったかと思う。 ただしその後入手したアバド・シカゴ交響楽団のLPが素晴らしい演奏で、私のスタンダードは長らくこれであった。

実演は上述のハンブルク稿を若杉・都響で聴いただけ。1989年10月20日、サントリーホール(*1)で、 これはCDにもなったツィクルスの一環で、個人的には間もなくマーラーを聴かなくなる間際のことだった。 永らく疎遠であったこの曲の持つ力を久しぶりに感じたのは、ようやく近年になってCDで復刻された バルビローリ・ハレ管弦楽団の演奏の特にフィナーレを聴いた折だった。 更にバルビローリが1959年に「古巣」のニューヨーク・フィルハーモニックを指揮した演奏は、その半世紀前にマーラー自身が アメリカ初演をした演奏を聴いたアルマがリハーサルと演奏会に立会い、賛辞を述べているというエピソードをアネクドットの 類として片付けるのを躊躇わせるような力を持った演奏であり、マーラーがまさにその初演の際に若書きの 自作に感じ取った何かをバルビローリが掴んでいるのは確かだと思う。

(*1)若杉弘指揮:東京都交響楽団特別演奏会4:ツェムリンスキー交響詩「人魚姫」、マーラー交響詩「巨人」(ワイマール/ハンブルク稿)、指揮:若杉弘、東京都交響楽団、1989年10月20日、サントリーホール

また、この曲に関しては1939年に亡命直前のワルターがNBC交響楽団を演奏した記録を無視することはできないだろう。(一つには、ワルターの演奏のイメージを決定づけてしまっている後のコロンビア交響楽団との演奏との余りのスタイルの違いのためであり、ワルターのような長いキャリアの指揮者の演奏を評価するにあたり、そのある時期の演奏のみをもってすることの持つ危うさをはっきりと示していると私には感じられる。) コンドラーシンがその突然の死の直前にテンシュテットの代役で北ドイツ放送交響楽団を指揮したアムステルダム・ コンセルトヘボウでの演奏会の記録もまた、そうした事後的な文脈を偶然と感じさせないような瞠目すべき力を 備えていて貴重なものだと思う。

私のマーラー受容:マーラーとの出会い

マーラーを初めて聴いた時のことは比較的はっきり覚えている。何を聴いたかだけではなく、聴いたときの状況や、 視覚的な情景まではっきりと記憶している。 中学生になった最初の夏の夏休みの恐らくは午後、確か、夏休みの宿題であった火災予防か何かのポスターを 作っている最中に、たまたまポータブルのラジカセをつけたら流れてきたFM放送で第1交響曲を聴いたのが最初であった。 その時に放送されたのは、小澤征爾指揮のボストン交響楽団の録音で通常の4楽章形態であった。
当時の私は既にフランクの晩年の作品を聴いて強くひきつけられ、更には何枚かのLPレコードでシベリウスの 音楽には親しんでいたものの、マーラーの音楽は全く未知の存在だった。音楽の教科書や、学校の音楽室の音楽史の年表の 上では、まだマーラーというのは「省略」されていたのだ。いわゆる「国民楽派」の作曲家としての シベリウスの方が「有名」な存在で、音楽の「現場」ではすでにマーラー・ルネサンスが始まっていた とはいえ、極東の地の地方都市においては、マーラーは今日のようなポピュラリティを獲得する前だったのだ。
フランクは父のテープ・ライブラリに交響曲、ヴァイオリン・ソナタ、ピアノ五重奏曲の3曲が含まれていたのを聴いていたが、グリーグは あってもシベリウスは確かなかったから、シベリウスが自分でLPレコードを買って発見した最初の作曲家ということになる。同様に バルトークやヤナーチェク、ストラヴィンスキーはあってもマーラーはなかったし、父がマーラーについて積極的に語ることはなかったから、 マーラーは本当に一から発見したことになる。
その頃音楽を聴く安上がりな方法は、FM放送を聴くことだったが、そのようにしてマーラーの音楽を 次々と聴くことになる。第1交響曲の次は、第7交響曲。クーベリックとバイエルン放送交響楽団の録音を FMで聴いたのだと思う。途中からの録音。天気が悪くて、ノイズがひどかった。 その後も特に第1楽章は、台風などの荒天、嵐のイメージと結びつきを持つ。 特にその第1楽章の響きの鋭さ、4度進行の累積がもたらす緊張感、音楽が「沸騰する」ような感じに強く魅せられた。 その音楽はそれまでに聴いたどの音楽よりも「前衛的」で、少し遅れて接した第10交響曲ともども、 その後新ウィーン楽派やアイヴズ、そしてクセナキスのような現代音楽を抵抗無く聴くことの準備になったと思う。
最初に買ったレコードは、大地の歌。ヨッフムが指揮するコンセルトヘボウ管弦楽団の演奏、ヘフリガーとメリマンのソロ。 理由は単純で、それが一番安かったからだろうと思う。聴き始めの時期に比較的まとめて聴いたのはクーベリックと バイエルン放送交響楽団の演奏で、LPで第3番、第6番、第10番のアダージョ、そして既に述べたFMで聴いた 第7番の4曲を聴いていた。
FMで印象に残る演奏は多くて、第6番ならインバル・フランクフルト放送交響楽団、ギーレン・ベルリン放送交響楽団、 コンドラシン・南西ドイツ放送交響楽団、第7番ならベルティーニ・ベルリンフィル、第9番ならバーンスタイン・ベルリンフィル、 第3番ならツェンダー・ベルリン放送交響楽団といったところを聴くことができたのは今思えばなんとも贅沢な 経験だった。ポータブルのラジカセで、カセットテープに録音しながらという音響的には貧しいものでは あったけれど。テープレコーダーといえば、マーラーの交響曲は長大なのでカセットテープの片面には収まらない。 演奏時間を調べて適当な長さのカセットテープを用意し、楽章間の切れ目でテープを急いで入れ替えながら聴いたのを良く覚えている。 レコードの録音をFMで聴く機会もあって、上述のクーベリック・バイエルン放送交響楽団の第7交響曲や、 レヴァイン・フィラデルフィア管弦楽団の第10交響曲のクック版などが特に印象深い。これらの曲はレコードの 入手が遅れたこともあり、私にとってはFM放送を録音した音質的には極めて貧弱なカセットテープが長いこと唯一の音源だったのだ。 その結果、概ねFMで聴くことができた曲(第6番、第7番、第3番、第10番など)は早くから馴染むことが出来た一方で、 そのチャンスがなかった作品は自分でレコードを早い時期に買った大地の歌などを除くと、親しむのが遅れた。 またクーベリックを除けば、レコードの全集盤を完成させていた指揮者(バーンスタイン・ショルティあるいはハイティンクなど)よりも、 インバル、ギーレン、ベルティーニ、ツェンダー、コンドラシンといった指揮者の方が私には馴染みが深い。
FMで聴いたものとしてはマーラー自身の演奏を記録したピアノロールもまた忘れることができない。 これも擦り切れるほど聴いたと思う。第5交響曲については何故かFMでも聴く機会がなかなかなく、 LPレコードを買うのも遅かったため、第1楽章についてはマーラーのピアノでの演奏が最も馴染み深い 解釈であった時期があったほどである。
地方都市で、自分のお小遣いを貯めて買うせいで廉価盤を買うことが多かったこともあるし、 またそもそも選択可能なレコードの種類が限られていて、結果として 今思えばかなりレアな演奏のレコードを聴いていたりする(第1番のラインスドルフ・ロイヤルフィルとか、第4番のスワロフスキー・チェコフィル、 もしかしたら、上述のヨッフム・コンセルトヘボウ管の「大地の歌」の演奏もそれに含まれるかも知れない)。 その後、アバドの演奏のLPを途中からはリリースされた順に6,2,4,1,5,3と聴いているうちに、CDの時代になって、 結局第7番以降は買わなかった。 LPレコードからCDへの媒体の変化の結果、結局、いわゆる全集として聴いたのはインバル・フランクフルト 放送交響楽団のものが最初で最後となった。その後、レコードの時代には全く接することのできなかった バルビローリの演奏を聴くようになるが、それまではアバドやインバルなどのすっきりとした造形の、しかも マーラー演奏に馴染んだオーケストラによる緻密で高精度の演奏を聴いてきた耳には、その演奏の良さと いうのはすぐにはわからなかった。名盤として知られているベルリン・フィルとの第9交響曲の録音すら、 最初は明確な印象を持つに至らなかったのである。勿論現時点では異なる見方をしているし、 こうして再びマーラーを聴くようになったのには、バルビローリの演奏を受容していく過程が非常に重要だったのだが。
クルト・ブラウコップフがそのマーラー評伝でマーラーの音楽の普及におけるLPレコードというメディアの重要性を述べているが、 その一方でそれ以前の世代―そこにはブラウコップフ自身も含まれる―のマーラー受容のあり方、限られた 実演を聴くチャンスを除けば、主として楽譜を通しての受容の仕方の独自の意義についても語っている。 我が身を振り返ってみると、地方都市の子供ゆえ実演に接する機会は全くなかったこともあって上述のようにLPや FM放送による受容が中心であったとはいえ、自分の場合に関して言えば楽譜の持つ意義は決して小さくなかったように 思われる。特にそれはLPやFMで接する機会が相対的には制限され、その一方でピアノ伴奏の形態が 存在する歌曲においては決定的であったように思える。つまり歌曲はピアノ伴奏版の楽譜で知っていった側面が強いのである。 特に子供の死の歌、リュッケルト歌曲集などは寧ろ、ピアノ伴奏版の楽譜を弾くことによってまず親しんで、 その後管弦楽伴奏版の演奏を聴く順序であったと思う。 一方、交響曲についてはどうかといえば、実はマーラーの交響曲にはピアノ連弾版があるのだが、 それらの存在を知らなかったこともあり、こちらは専らレコードとFM放送が中心だった。
交響曲の楽譜は全音から出ていたもののうち何故か第2番だけ、Universal版の第8番の赤い表紙のスコア、そして Philharmonia版の大地の歌のポケットスコアは時期的に早く持っていた。それらはやはり住んでいた地方都市の 楽器屋に偶々あったものを入手したのだった。マーラーの場合には楽譜を読むことでわかることが非常に多く、 有名な詳細を極める演奏指示もそうだが、それよりも、例えば拍子の変化の多さや、デリケートな音色の 変化を追及した管弦楽法、線的な書法(その結果、いわゆる「譜面づら」が大変に複雑なものになる。) を視覚的に確認できたことは、演奏を聴く時の聴き方に確実に影響を与えたと思う。
そのうち、いわゆるブームの到来と前後して音楽之友社から協会全集版を含むポケットスコアが出て、 それで持っていないものを補っていった。特に熱心に読んだのは第9交響曲、第6交響曲そして第7交響曲 であったと思う。とりわけ第9交響曲の第1楽章や第6交響曲の第4楽章、第7交響曲の第1楽章などの 譜面を読むのはそれ自体が魅惑的な経験だった。また、早い時期にクック版を聴いていたこともあり、 第10交響曲はクック版のスコアを持っていた。その一方で全集版のアダージョの楽譜には縁がなく、 結局現在に至るまで見たことがないままである。(その後入手して今は手元にある。)
私のマーラー受容はその音楽とともにマーラーという人間への関心を伴っていたので、早くから 評伝の類については読んでいた。とはいっても実際にはこれまた街の書店の棚に偶々あるものとの 出会いから始まる。当時のマーラーの知名度からすれば高校ならともかく中学の図書室に マーラーの伝記を期待するのは無理だったのだ。とはいっても、ブームの前に出版されていた マーラーの文献は限定されていたし、そのうちの先駆的なものは戦後間もなくの出版であったから、 逆に当時は手に入らなかった。というわけで書店の店頭に私が見つけたのは、折りよく出版された ばかりであったマイケル・ケネディのものの邦訳、アルマ・マーラーの回想と手紙、そして青土社の音楽の手帖の マーラーの巻だったと思う。それらは勿論、愛読書となり、文字通り擦り切れるまで読んだ。 そのせいもあってケネディの評伝はほとんど内容を覚えてしまったし、アルマの回想の主要な エピソードについてもほとんど記憶してしまったくらいである。
それ以外のものは買わずに、本屋で立ち読みした。ヴィニャルの評伝、クシェネクの伝記とレートリヒの 解説などが該当する。ブラウコップフの著作とアドルノのマーラー論はなぜかずっと目にするチャンスがなく、大学の図書館で ようやく見ることができた。ワルターの回想はこれも大学に入学してから古書店で入手したように記憶している。 その後もマーラーに関連する書籍を目にするたびに極力目を通すようにしていた。もともと私は自分が興味を持った音楽が あれば、それを書いた人がどんな人で、どんな背景があるのか、その音楽がどのような力を持ち、どのように私に働きかけるのかを 詮索しないではいられない性質で、マーラーに関してはそれはまさにお誂え向けのものだったと言って良いのであろう。 一方で、マーラーと出会うことでマーラーの聴取にとっては自然な聴き方が自分の中では標準になってしまい、 他の作品でも同じような聴き方をするようになったという側面はあるかも知れない。聞こえてくる音自体ではなく、 音楽そのもの(だが、それを境界づけることは本当にできるだろうか)だけではなく、音楽を取り囲むさまざまな事象に 拘る私の聴き方はしばしば奇異の眼で見られ、あるいは半ば呆れられていたのだが、未だにそうした聴き方を脱することが できずに居る。その結果が所蔵CDの枚数より多い所蔵文献の数で、そういう点では私のマーラーの受容の仕方は あまり変わっていない。(所蔵文献とCDのそれぞれの絶対数と両者の割合、そして所蔵楽譜と所蔵CDによる その作曲家の作品の被覆率を組み合わせれば、その作曲家の音楽に対する接し方の傾向のようなものが測れるかも知れない。)
まともなコンサートホールのない地方都市では有名なオーケストラの地方公演の機会もなく、ましてやマーラーの実演に接する機会は 皆無だったが、大学が都心にあったこともあって、ようやく大学時代になって実演に接するようになった。 とはいっても片道2時間をかけて4年間通学したので、大学時代に聴けた演奏はほとんどなく、ほとんどは就職後になるのだが。 就職後も自由にコンサートに通えるような環境にはなく、その後実演を聴くのを止めてしまうまでに接した実演の回数は10回にも 満たない。事前に買ったチケットをふいにすることもあったし、体調が思わしくなくて音楽に没入できないこともあり、コンサートは 当時の私には全く割に合わないものだった。その一方でマーラー演奏はいわゆるブームになってしまい、いわゆるマーラー・ツィクルスが 幾つも行われるような状況となって、かえってコンサートから足が遠のく結果になった。
実演を聴くのを止めてしまったのは時間が自由にならないせいも勿論あったのだが、実演で感動できたのが寧ろ少なかったことが 大きい。実演で説得されたのは記憶している限りではわずかに2回、曲目は6番と8番だった。6番は2度聴く機会があった唯一の曲だが、 2度目に聴いた、基本的には自分の嗜好からは遠いスタイルのメータ・イスラエルフィルでもそれなりに感動した。 コンサートという場は私にとっては幾つも厄介な側面を備えている。もともとコンサートホールで聴くために作曲された音楽であるにも関わらず、 こうした反応が出てくるのは、LPレコードによってマーラーを受容した世代ならではの「倒錯」と考えるべきなのだろうが、 とにかく実際問題として、感情のコントロールの難しさや「独りで」聴くことができないことや、終演後の拍手、特にブームの時期の マーラーのコンサートゆえに一層耐え難いものに感じられたのかも知れないが、時折居たたまれない気分になる演奏会場の雰囲気など、 コンサートの公共性との背馳があまりに大きく、未だにコンサートに行くには非常な決断が必要なのだ。
マーラーブームという言い方が適切かどうかはわからないが、1990年前後の期間に、マーラーの交響曲のツィクルスが幾つも行われ、 テレビのCMにマーラーの音楽が使用され、それに応じてマーラーに関連する書籍やCDが急激に増えたことは確かだろう。 コンサートの盛況に関しては、当時はいわゆるバブルの最盛期でコンサートホールの新設ラッシュが相次ぎ、また海外のオーケストラの 来日も大掛かりなものになっていたという背景があるのだろう。だが私にとっては、流行は疎ましく感じられたし、その理由などどうでも いいことで、とにかく自分にとっては今なお思い出すのも忌まわしい時期だった。
実際には1974年に製作されたケン・ラッセルのマーラーに関する映画が日本で上映されたのもその時期、1987年のことだったらしい。 私も一度は見たものの、もともと映画にほとんど関心がないこともあり、これまた一度だけ見て辟易したヴィスコンティの「ヴェニスに死す」 同様、ラッセルの作品に対しても強い違和感と拒絶反応しか覚えなかった。もっとも私は、マーラーにちなむ作品(思いつくままに挙げれば、 上記映画やドキュメンタリー、ベジャールのバレー、ベリオのシンフォニア、ルジツカの幾つかの作品など、、、)には関心もないし、 感銘を受けたこともないのだが。私にとってはそうしたあからさまな主題化、引用よりも、例えばヴェーベルンの作品6の方が、あるいは ショスタコーヴィチの作品のうちの幾つかの方が、遙かにマーラーその人の精神との連続性が感じられ、好ましいものに思えてならない。
ブームを目の敵にする態度は、自分のマーラー受容に とってそれなりに重要な意味を持つ経験、つまりインバルのCDによる交響曲全集と若杉・東京都交響楽団のツィクルスがその当時の ものであることを思えば、自分が受益者たることを忘れたお目出度い態度であるとの糾弾を免れないかも知れない。だが、今なお 聴き続けているインバルの演奏はともかく、若杉・東京都交響楽団のツィクルスは、一方で自分が聴いたマーラーの実演のうち 最高のもの(第6交響曲)が含まれているけれど、他方では、自分がコンサートという場で得られるものが如何に少ないか、 コンサートにチケットを買うことが自分にとって如何に非効率なことであるかを確認する機会でもあった。全く鳴らないオーケストラに 驚いた第1交響曲のハンブルク稿初演の後、第2交響曲の第1楽章として演奏された交響詩「葬礼」の日本初演を最後に この企画に足を運ぶことも止めた。第2交響曲の第2楽章が始まる前にサントリーホールの客席を後にした私は、だからその後の 演奏がマーラーの指示の通り5分間の休憩の後に開始されたのかどうかも知らないのである。現在の私にとっては、これも素晴らしい 演奏だったシェーンベルクの5つの管弦楽曲を聴けたことや、期待したヴェーベルンの作品6の演奏が、マーラー同様、失望しか もたらさなかった苦い思い出、そして今でこそ始めから疎遠であったベルクと同様の距離感を感じる作曲家になってしまったものの、 実演に接した経験では間違いなく卓越した技術を持った作曲家であるツェムリンスキーの人魚姫や詩篇23番の日本初演に 立ち会うことができたということの方が印象に残っているくらいである。
その当時のことを窺う格好の資料として、丁度その頃あいついで出版された桜井健二さんの著作がある。桜井健二さんは、当時の 私にとってはまず、短期間ではあるけれど自分も会員であった日本マーラー協会の事務局長だった。私が会員であったのは ほんの数年のことに過ぎず、しかも会員証も会報もその後すべて処分してしまったため、手元には何も残っていないのだが、 それでも、その後間もなく会長であった山田一雄さんが亡くなられ、桜井さんが事務局長を辞められ(これらの前後関係は 詳らかではないし、現在の私には確認する手段すらない)、あっというまに協会の活動が麻痺してしまったのを記憶している。 地方都市に住み、会費と引き換えに会員証を受け取り、時折届く会報を読むのが会員としての全活動であった私には、 どのような経緯があったのかなど知る由もなく、一度、会費の納入を忘れたことを詫びた手紙を事務局に送ったところ、 その返信で協会の活動が実質的に休止していることを知ったのは印象に残っている。桜井さんの著作のうち最初のものの後書きには 日本マーラー協会の活動が誇らしげに書かれているのに対し、3冊目の後書きには後から読めば事務局長辞任の予告と取れる ような文章を見出すことができるのを確認するたびに、当時の状況が思い出され、複雑な感慨に捉われる。 もっとも、私は桜井さんにお会いしたこともなければ、山田一雄さんの演奏を聴いたことがあるわけでもない。山田一雄さんに ついては、その若い時分のことをつぶさに知っている知人からさんざんアネクドットの類を聞かされてできあがった先入観に 災いされてか、書かれた文章を読んでも、桜井さんの著作に含まれる対談を読んでも、共感のようなものは感じない。 想像するに桜井さんが日本マーラー協会を「再興」して、私のようなものまでが会員になるまでにするには、とてつもない 熱意と実行力、そして時間が必要だったに違いないし、そうしたことは桜井さんの著作を通しても読み取れるのだが、 にも関わらず、会員として積極的に活動にコミットしたわけでもない私は、その著作を寧ろ時代の証言のようなものとしてしか 読むことができない。そしてその時代の空気を思い出すことは私にとって快い作業ではないのである。
だが、私がマーラーを聴かなくなったのは勿論、直接にはブームのせいではない。寧ろその頃の私にとってはマーラーは、かつての アイドルの位置から転落して、寧ろ謎めいて疎遠な存在に感じられるようになったのが一番の理由である。基本的には その謎は今でも未解決で、だからこそこうして文章を書き続けているのだが、当時の私は、その謎が自分にとってオブセッションで あるということに気づいてか気づかずか、一旦マーラーから遠ざかることにしたのだった。手持ちの全ての音源、楽譜、マーラーに 関する書籍、日本マーラー協会関連の資料などを処分して、マーラーなしの生活をすることにしたのである。 このあたりの経緯については別に雑文を草したことがあるので繰り返さない。マーラーを聴かない間、音楽を聴かなくなったわけではなく、 マーラーと同時代から現代に至るまでの、概ね決して著名とはいえない色々な作曲家の作品を渉猟していた、 というのが最も端的な要約になろうか。最初から親近感を抱いていたヴェーベルンや、その頃既に自分にとって重要な作曲家であった ショスタコーヴィチは並行して聴き続けていて、それは今日まで続いている。私はいわゆる現代音楽に全く抵抗がないが、その接し方は 原則的に、完全に同時代の、しかも文脈の共有部分の非常に大きな活動としてコミットしている三輪眞弘の場合も含め、 いわゆるクラシック音楽に対するそれと区別がない。三輪眞弘やラッヘンマンの音楽は「現代音楽」であり、クラシックではないだろうという 見方もあろうが、そういう言い方をすれば、寧ろ私は「クラシック」としてマーラーやらヴェーベルンやらを聴いていないのだ。 シベリウス、ショスタコーヴィチにしてもそうで、どこかその音楽は自分と精神的な地図の上で地続きであると感じられる限りにおいて 現在でも聴きつづけているのである。
マーラーを並行して、あるいはマーラーの替わりに聴いてきた作曲家のうち、特に集中して聴き、かつその音楽について 書くべき何かを自分の中に持つことになった何人かについては、雑記帳や過去の記事に記したが、それ以外にも、現在は時間の 制約があったり、そもそも関心の外になったりしたが、関心を抱いて聞いた作曲家は何人もいる。そうした作曲家達の音楽も勿論、 マーラーを聴くための地平を構成しているのであって、その影響は決して今でもなくなっているわけではないだろう。
そうした私がマーラーを再び聴き始める契機の一つとしては、バルビローリのマーラーとの出会いがある。私が読んだ最初のマーラー伝の 著者マイケル・ケネディはバルビローリやデリック・クックと親しく、それゆえ、バルビローリのマーラー演奏が優れたものであること、 スタジオ録音は一部しかないが、それ以外の曲にも優れたライブ演奏記録があることを早くから知識としては持っていたにも 関わらず、バルビローリのマーラーはなぜか聴く機会がなかったから、それは再会ではない。最初に聴いたのはあの有名な ベルリン・フィルとの第9交響曲なのだが、丁度バルビローリの生誕100年を迎えるというタイミングの不思議な巡りあわせもあって、 その後間もなくしてBBCを中心にバルビローリのライブ演奏が次々とCD化され、それらを耳にすることができるようになっていった。 バルビローリの演奏は私がマーラーに熱中していた頃に聴いた演奏よりも 前のもので、オーケストラはマーラーを弾きなれていないこともあって技術的には最高のものとは言えないが、そのかわり近年の演奏には ない、確かな手応え、独特の質を備えているように思われる。バルビローリだけがそれを具現しているとは言わないし、それ以外にも ケーゲルやコンドラシンといった指揮者の演奏や、戦前・戦後すぐの歴史的録音は今でも聴くのだが、それでもバルビローリの演奏から聴き取れる マーラーは、現時点での私のマーラーに対する姿勢からすると、非常に自然で、かつ核心を突いたものに感じられる。 (未定稿:2008.5.24,27, 2009.10.29, 12.20, 2010.10.3)

私のマーラー受容:はじめに―受容史のコーパスとして―

以下に記載するのは、私のマーラーの聴体験である。私のような平凡な人間がこうした個人の経験を 残すことに客観的な価値があるとすれば、それは受容史の資料体としての役割に限定されるだろう。 受容史研究のアプローチは色々とあるだろうし、マクロで統計的な処理が必要となるような アプローチもあるだろうが、歴史学で言えばアナール派のようなアプローチもまた可能だろう。 勿論日記でもつけていれば、そちらの方が資料体としては貴重かも知れないが、こうした回想も 全く無価値というわけではなかろう。1970年代後半の日本の地方都市で、中学生になったばかりの 子供がFM放送で初めてマーラーを聴いたというのは、膨大な資料体の一部としてなら、マーラーの 受容史を編む上では役に立つこともあるだろう。

あるいはその一方で、出会いを語る衝動を抱くというのがマーラーの音楽の持つ特性の一つであるなら、 精神分析学か何かの資料体として使うこともできるのかも知れない。最初に聴いた瞬間を覚えている 音楽というのは確かにそんなに多くはないし、単に何を聴いたかだけではなく、そのときの状況も 覚えているというのは確かに、音楽の側にある何かを告げているのかも知れない。実際、出会った瞬間の 鮮明さに関してはマーラー以上に鮮明に「物語」を持つ作曲家はいないのだ。しかも最初の出会いだけではなく、 ほとんど全ての曲について、それぞれを最初に聴いた時のことを覚えているというのは、勿論 例外的なケースで、他の作曲家については起きない。

個別の作品について、どのように出会ったかとその後の印象に残る経験、そして現時点での主観的な感じ方と 現時点で良く聴く演奏について書くことにする。各演奏、あるいは演奏家についての感想は別のページにまとめる。 なお、「現時点」というのが動いていく以上、私的な受容に関するこのページは、少なくとも私が記事の更新を やめるまでは常にワーク・イン・プログレスの状態にある。

2008年5月18日日曜日

マーラーの音楽の「非論理性」について

マーラーの音楽について語るとき、「古典的」な音楽からの逸脱としてその特徴を捉えるやり方はいわゆる「常套手段」の一つのようだ。 それはすでにマーラーの同時代におけるその音楽に対するコメントに見られるし、そうした捉え方が特定の価値判断と結びついている わけでもない。例えば有名なアドルノのマーラー論は、単純化していえばマーラーの「逸脱」に批判的な機能を見出すことによって その音楽の意義を測ろうとする試みである。楽曲分析のような水準でも、分析の道具立ての事情もあってか、やはり規範的な ソナタ形式などの図式を基準点として、そこからの偏倚を測ろうとするアプローチが採られることが多い。 とりわけ最後に述べた楽式論のような水準では、マーラー自身が実際に古典的な図式を参照していたことは間違いのないこと なのだろうし、そうであってみれば、「古典的」な音楽からの逸脱としてその特徴を捉えるやり方はマーラー自身の姿勢によっても その正当性の裏づけを持っているのだ、というように考えられもしよう。つまりそれは、言い方の問題である以前に、端的な現実なのだと 言ってもいいのかも知れない。

だがその一方で、そうした差分法的なアプローチと一緒に、その音楽が「変な音楽」であるとか「非論理的な音楽」であるとか いうような形容をされるようになると、現実の自分の受容のありようと比較した上で、些かの蟠りのようなものを感じずにはいられない のが正直な感覚なのだ。勿論直ちに、それらの形容は基準となる古典的な音楽との比較では、という限定つきで読まれるべき なのだ、という反論が考えられ、そしてそうであれば別にひっかかりを感じるようなことではないのかも知れないとは思いつつも、 だからといって蟠りが直ちに解消されるかといえば、決してそういうことはないのである。優れた多くマーラー論や、日本人によるマーラー 文献としては恐らく最も充実したものの一つである「事典」を執筆するとともに、H.A.リーの「異邦人マーラー」といった特色ある優れた 研究の翻訳もされている渡辺裕さんの「文化史のなかのマーラー」の「音楽の「論理」の解体」と題された文章を久しぶりに 再読して、そうした違和感が一層はっきりとしたかたちをとるのを感じずにはいられなかった。

渡辺さんの視点は、後書きにも記されているように歴史的なパースペクティブに関して幾つもの水準で頗る意識的なもので、 マーラーを論じる水準で伝統的な「人と作品」というスタイル自体の歴史性を踏まえ、そこでは暗黙裡に自律主義的な美学が 前提されていることを意識した上で、マーラーの音楽が生まれた環境、それが享受されてきた環境、そして今日の環境と音楽との 関わりを問い直す方向性にたったもので、「文化史のなかのマーラー」も(丁度私のような)一般向けに書かれたものでありながら、 周到な調査に裏付けられた興味深い内容を含んでいる。上述の「音楽の「論理」の解体」という文章の表題についても、 まずもって「論理」という言葉が括弧付きで用いられていることを見れば、そこでいう論理が或る文脈に限定されたものであることが当然のこととして想定されているのは明らかなのである。要するにそれは伝統的な図式を前提とした限りでの論理で、例えば アドルノが自身の素材的形式論で想定しているような内的な論理のことを指しているのではないだろう。そしてそれは本文を 読めば確認できることでもある。

従ってここで述べたいのは、そうした渡辺さんの議論に対する批判ではなく、寧ろ、その議論を追うことで自覚される私個人の マーラーの聴き方、ひいてはマーラー以外の音楽(といっても、Webページで言及している十数人の作曲家以外の音楽は ほとんど聴かないのだが)の聴き方の「非論理性」、「変さ加減」なのかも知れない。要するに私にとっては、マーラーの音楽は 30年近く前に最初に出会った時から、全く自然で抵抗感のないものであったし、そこに(それが、アドルノや渡辺さんのような 識者の言うものと同じものである保証は全くないけれど)或る種の論理性なり形式感なりを見出してきた。あくまでも私個人に 限っては、その実質は渡辺さんが比較のために掲げたサティやアルカンとは単純に併置できるようなものではなく、マーラーを 聴くことは、主観的には「何かヘンな経験」などでは全くなかったし、今でもないのである。 (そのかわり、マニャールやフランツ・シュミットなど、恐らく彼らよりも更に一層注目されることの少ない作曲家、しかも「変さ加減」 によって人の興味を惹く事については更に一層期待薄な作曲家に或る種の「近さ」を感じずにはいられないのであるが。) その一方で「現代的」なたたずまいという点でも私の遠近感はどうやら狂っているらしく、勿論、マーラーの音楽が同時代の 音楽でないことは明らかではあるけれど、その一方で単純により時代が近い音楽が、あるいは同時代の音楽が、 私にとって身近なものに感じられるわけではない。少なくとも私にとっては、マーラーの音楽の論理性や形式感は 単純な歴史的な遠近感で測ることができるものではなさそうなのだ。別のところにも書いたように、100年も前の異郷の地に 生きた、気質も能力も環境も異なる人間が一体自分に何の関係があるのだ、という疑念は、無心にその音楽と人に熱中した 30年前はともかく、今となってはさすがの私にも生じてはいるが、それでもなおその音楽の持つ力は圧倒的で例外的なものなのだ。

もしもマーラーの音楽の特質が、いわゆるSecondary Parameterと呼ばれる、古典的な図式では捨象されてしまった側面の 復権にあるというのであれば、そうした側面を徹底して追求して見せた例えばヴェーベルンやシェーンベルクのような音楽が 未だに多くの人に敬遠されているのは何故なのだろう。否、そもそも同時代性については自明で、問題意識や環境を 共有することが容易に思える「現代音楽」が一見したところ疎外されているようにさえ見えるのは何故なのか。それらが周辺的な 現象で、進化論的にはじきに淘汰されてしまうような行き止まりだからと言って片付けてしまうのは早計であろう。 何よりマーラーの音楽はその音楽が作曲された同時代にはやはり疎外されたのではなかったか。ミームとしてのマーラーが同時代の批評の意地悪な予想を覆して、皮肉にもそうした批評よりも遙かに長寿の存在となったことは紛れもない事実ではないか。

己の音楽を未来に託したと解釈されているらしいマーラー自身の発言は、実際には妻宛の手紙に書かれた単なる強がりでは なかったかと私は考えているが、彼自身の意図と期待とは恐らく無関係に、彼の音楽のある部分は少なくとも100年後の 異郷の平凡な一人の子供にとっては自己の存在の様態を規定するような決定的な意味合いを持つこととなった。 有形のリソースについて言えば僅か70枚程度のCDと辛うじて主要作品を網羅する程度の楽譜、そしてやっと100冊を超える程度の文献程度のものではあっても、本人にとっては最大のものだし、その価値が無に等しいもので、ミームとしての運命について言えば 期待できるものはないとはいえ、ファイルサイズにして唯一1Mbyteを超える量のドキュメントを公開している対象、その生涯の主要なアネクドットはほぼ記憶し、その作品についてもかなりの範囲を記憶している唯一の対象であるという事実は残る。 (奇妙なことにその程度は、親や兄弟を含めた自分の周辺の人物を遙かに上回っていることを彼は認めざるを得ない。確かに彼はマーラーに直接会ったことはないけれど、ある意味では、同時代の誰よりもマーラーのことを良く知っているとさえ言えるかも 知れないのだ。)

ソナタ形式が近代的な時間意識のありように対応したものであったかの判断は少なくとも私には困難である。 そうした主張は渡辺さんだけではなく、例えばグリーンのように具体的にマーラーの幾つかの交響曲の分析を上梓した研究者も行っているようだが、 私見ではそれはマーラーの音楽を聴取したり、分析したりした結果というよりは、寧ろ予断の類のように感じられる。否、具体的な楽曲の分析に ついてはほぼ異論の余地がなさそうなアドルノの主張ですら、その社会批判的な側面については、それが音楽から出たものではなく、 外から音楽に押し付けられたものであるという印象を拭い難いのである。マーラーの音楽が、彼の生きた時代の環境を反映 しているのは間違いのないことだし、マーラーも含め、意識は孤立した自律的な存在ではなく、それが属する社会的な環境に 何重にも規定された存在であることに異論があるわけではない。いわゆる「個性」と呼ばれているものすら、そのうちの幾分かは 社会的なものの反映に違いないのである。また、いわゆる「伝統的な形式」なるものがどのように作曲をする個人なり音楽を 享受する個人に到来し、どのような力を及ぼすのかを考えれば、それは社会的な存在であることは確かなことだ。 だがそれは認めた上で、合理性・合目的性、直線的な時間進行、進歩的な歴史観を一方と結びつけ、ある作品なり作曲家なりを それから逸脱した存在であるという図式の個別的な適用をマーラーに対して行うことには違和感を感ぜずにはいられない。 ここでは歴史的な視点が明確であるとはいえ、そうした論法自体は結局のところ、例えばマーラーを否定した同時代の批評のそれと 変わるところがないように感じられる。こうした反応そのものが渡辺さんから見れば、ポストモダン的な聴取を無自覚に行うことにより 時代というものを結局のところ反映していることの証拠になるのかも知れないが、自己の聴体験に忠実な言い方をすれば、 寧ろマーラーの音楽の論理なり形式なりに違和感を感じるような聴取のあり方というのが私にはできないのである。私にとっては事情は 逆で、寧ろここでは「伝統」の側に分類されている音楽を聴くことがどんどん困難になってきているのを感じるほどなのだ。勿論それは そうした音楽が非論理的で非形式的だということではなく、あえて言えばそうした形式そのものが、もしかしたらそこに含まれている何かを私が受容することを反って妨げているような気さえするのである。もっとも、そうした何かが本当にそこにあるのか自体を懐疑してみることもできるだろう。いずれにしても私には能力的にも時間的にもキャパシティが不足していて、もうそうした問題を考えることすら自分には 許されていないように感じられてならない。マーラー一人ですら手におえかねている、そしてそうした感じは歳をとるごとに寧ろ強まっていて、 Webページで取り上げている十数人の作曲家に対して等しく対峙することが不可能なことは最早明らかで、辛うじて視界の縁に 入れておくのが精一杯のところなのだから、自分にとって疎遠なものについて考えているゆとりなどあるはずがないのだ。

その一方で、マーラーに対するそうした受け止め方が所謂時代の遠近法に忠実であるわけでもないことについては既に触れたとおりである。Webで言及している顔ぶれを一瞥すれば明らかな通り、マーラー以降の音楽に対する親近感は寧ろ先細りで、「現代音楽」に共感しているわけではないし、同時代性は私にとってごく稀な例外を除けばそうした距離感とは無関係であって、従って一般的な意味合いでの相関はない。そしてそれは狭義の「現代音楽」というジャンルが抱えている聴取の疎外といったような問題に由来しているわけではない。一般的な「現代音楽」の動向にも興味はないけれど、能楽や義太夫節といった日本の伝統音楽以外には他のジャンルの音楽を聴くことも全くないから、そういう観点では寧ろ私は同時代のものとしては「現代音楽」に分類されるほんの数人の作曲家の音楽を除けば、積極的に聴く意欲を全く感じないのである。

つまり歴史的なパースペクティブ自体、自分の聴取の傾向を裏切ってしまっているのだ。だいたいマーラーが流行しているかどうかとか、 マーラーの今日における意義のような一般的な視点には私は全く興味がないし、マーラーが「新しい」かどうかという論点自体、 私にはどうでもいいことなのだ。それならば渡辺さんのようなアプローチについて言及すること自体とんだ見当違いということに なるのかも知れないが、一方でかくも自然で違和感のないマーラーが過去の異郷の音楽であり、その人が自分とは幾重もの 意味合いでほとんど接点のない生き方をしたのも確かなことであり、その音楽が同時代の産物として受け止められるとは さすがに感じていない。自分が惹き付けられた音楽を完全に歴史的な視点に還元することには抵抗を感じる一方で、 音楽を単純に時代と文化を超えた普遍的なものであるなどと思い込むのもまた、到底できようはずがない。それゆえ距離感を測り、 自分にとってより適切な立ち位置を確認する上で、渡辺さんのような視点がまたとない重要な視点を与えてくれるのは確かなことに思えるのである。

それではマーラーの音楽を伝統からの逸脱といったそれ自体依然として歴史的な視点からではなく語ることはいかにして可能なのだろうか。 例えば第1交響曲の第1楽章、最終的にはマーラー自身がソナタ形式でいう提示部に相当する部分に繰り返しを指定することで マーラー自身がソナタ形式を下敷きにしていることは明らかであるにも関わらず、ソナタとして聴こうとすれば長すぎる序奏や 極端に圧縮された再現部といったバランスの悪さや、その再現部の手前にあるアドルノの言う「突破」の瞬間により、聞こえてくる音楽の 脈絡が図式を裏切っているように受け止められるといった事態を別の仕方で語ることは可能なのだろうか。 それは可能でなくてはならない。私がこの音楽を聴く時、バランスの観点からその序奏を長すぎると感じたことはないし、再現部の 圧縮に不均衡を感じたこともない。確かに「突破」は独特の強い印象をもたらすが、それが音楽を聴く時に妨げになることなどない。 マーラーの音楽がすっかり普及した近年では、寧ろこの曲はマーラーの熱心な聴き手からは距離感をもたれている感じすらあるが、 私にとっては最初にマーラーと出遭ったこの音楽が疎遠になることはないようだ。勿論30年前との間に聴き方の変化がないといえば嘘になるが、 少なくとも上記のような図式からの逸脱という視点から、その音楽に否定的な判断を下したり、逆にその点をもってこの音楽に意義を見出したり、 という聴き方は私にはとうとう無縁なままになりそうに思えてきた。私にとってマーラーの音楽はそうした知的な聴き方とは無縁のところで 強い魅力を持っているようなのである。

別の言い方を見出すことが私に出来たわけでもないし、いつか出来る見込みがあるわけでもない。そしてアドルノの内容形式論的な 意味あいでの論理なり形式なりが、その別の言い方と違ったものなのかも判然としない。実際、アドルノの指摘は音楽の具体的な実質に 関わる部分では納得できる、つまり自分の聴経験を裏切らないものも多いのである。一方で、他の作曲家と比べた場合にマーラーについての 際立った特徴を為すと思われる精神分析的なアプローチは、その具体的な個別の解釈を受け入れることは大抵の場合困難に思えても、 村井さんの言う「夢の論理」がマーラーの音楽の独特の論理なり形式なりにとって重要な意味合いを持っているという指摘の方は抵抗感がなく、「夢の論理」がくだんの「別の言い方」にとっての有力な手がかりになるのは確かに思える。少なくとも狭義の精神分析よりも 範囲を広めに考えれば、精神療法や心理学などの知見は、マーラーの音楽の独自性に迫るのに欠かせないように思える。その一方で「夢の論理」をもって 「意識の流れ」に置き換えることが可能になるとも思わない。そもそも「意識の流れ」においては意識は常に能動的なものとして捉えられている わけではないから、それが「夢の論理」に従うこともありえるだろうし、その一方で意識の働きを全く否定してしまうのはそれはそれで マーラーの音楽に限れば極論であると思える。他方において「意識」の能動的な働きを、伝統的な意味合いでの作品の構造や形式と短絡させるのは 既に述べたとおりあまりにも粗雑な見方だと思う。伝統的な意味合いでの作品の構造や形式は寧ろ、作品を編み上げる際の素材に近いのだ。 更に言えば、作品を編み上げる作業は、身体化された高度な技能の習得を前提としつつ、それ自体極めて自覚的で知的な側面を含んでいる。 霊感にまかせて一気に音楽を書き上げる天才のイメージによってそうした技能の習得と知的な作業の両方の側面を等閑視するのはあまりに現実から 乖離した聴き手の空想に過ぎない。ここでもアドルノの「小説」を書く作業とのアナロジーは、意識・無意識の全ての動員した極めて複雑な処理である 音楽作品の制作をあまりに単純化して考えることなく、マーラーの音楽の独自性を言い当てている点で説得力のある見方だと思う。 同様に楽曲分析における、二次的なパラメータの機能のマーラーの作品における重要性の指摘そのものは、別の言い方をするための重要でかつ 基本的な出発点に違いない。マーラーの音楽について「空間性」への言及が多いこともまた、それが比喩に過ぎないのかどうかよりも、仮にそれを 比喩と見做すなら見做すで、二次的なパラメータの重視がそのような比喩を可能にするのかとか、マーラー自身の空間的な比喩の使用や、これまた 際立って特徴的な歌詞の扱いとの関係の問題、こちらは比喩ではない作品演奏上の空間の利用とどのような関係にあるかの様相を 具体的に確認していくことの方がより興味深いのではないか。

結局のところ渡辺さんの言う括弧付きの「論理」に限って言えば、マーラーの音楽が非論理的であるという言い方に間違いがあるわけではない。 けれども、それを非論理的と形容してしまった瞬間に、視点に2つの拘束を抱え込んでしまうように思えてならないというのが、最初に述べた私の 蟠りの原因なのだろう。その2つとは、一方では展望は逆転し、更には自律美学の制約から自由に、社会的な環境と音楽との関係を視野に 含めたとしても、結局は歴史的な視点の裡にその音楽の独自性を還元してしまい、同時代の他の音楽ではなく、他ならぬマーラーの音楽が 持っている特質を見失ってしまう危険を冒すという制約であり、もう一方で、その音楽の持つ独自の論理(それを渡辺さんが否定していることは なく、寧ろ重視していることは強調しておくべきだろうが)を具体的に突き止めていくよりは、皮相な受容のあり方の説明に留まってしまうという 制約である。勿論、それで今日におけるマーラーの「流行」の一因を説明できれば渡辺さんの立場では充分であって、寧ろそれこそが狙いなのかも 知れないが、残念なことに私にとってはそれはマーラーの音楽そのものの魅力の説明たり得ない。「人と作品」パラダイムは確かに近代的な美学の 産物かも知れないが、マーラーの音楽はまさに同時代の音楽の多くがそうであるような、単純な構造しか持たなかったり、あるいは構造的なものを 否定するような類のものではない。渡辺さんの言い方では、それはマーラーが結局近代人であるからだということになるのかも知れないが、 現代に生きる私にとってマーラーが魅力的なのは、寧ろその独特の、「別の言い方」を見つけることそのものが困難な、際立って複雑な論理であり 構造故なのだ。「人と作品」で足らないのは確かだが、それはマーラーの音楽が複雑だからで、「人と作品」では説明できない部分だけを取り上げたのでは、 現代のマーラー受容の様相の側しか浮び上がってこない。マーラーブームの中で書かれたこの「文化史のなかのマーラー」という著作の中で、「現代人の 中のマーラー」と題された第2部が、(一見、客観的な分析の方法に基づいているように見える演奏史の分析を含めて)、20年近くが経過した現時点では それ自体過去の記録のように感じられるのが、果たしてその部分に集められた文章の成功を物語っているのか、あるいはその逆なのかを私は 判断することができないでいる。私がはっきりと言えるのは、とりわけその部分が私にとっては蟠りを生じさせるものであり、そして「今ようやくマーラーの 時代は来た」という後書きにおける宣言が、あの思い出したくもない異様なブームのある側面を後世に対して証言することに図らずもなっているように 感じられるということである。

否、非常に示唆的な情報を満載した第1部もまた、時代の中にマーラーその人を位置づけることには成功し、 その作品から人物に関するイメージを不当に外挿してしまいがちな私のような素朴なファンにとって、そうした臆断から距離を置くのに欠かせないものではあるけれど、 そこに現れるマーラーは、今度は時代にうまく収まり過ぎている感じもある。優秀な才能を持った人材を求めていた転換期の歌劇場の需要に 応えることができたマーラーは、間違いなく成功した当時の花形指揮者であり、ウィーン宮廷歌劇場監督としてのマーラーはどちらかといえば体制派側に 属するウィーンの名士であったことは事実だろうが、その事実を踏まえてなお、時代に対する個人のスタンスは決して一様ではなく、マーラーが 色々な側面でアウトサイダーであり、かつ或る種のアナクロニズムを抱えていたことが見失われてはならない。それは体制派側から前衛に 徐々に肩入れしていったという軌跡の問題とはまた別であって、かつては強調され過ぎた嫌いはあったものの、マーラーにおける時代に対する疎外を 今度は軽視することになれば、それはそれでバランスを欠くことになる。更に言えばそれによって作品の方が見えなくなってしまっては、少なくとも私にとっては 本末転倒ということになる。私がマーラーの人間に惹かれるのは、あのような音楽を作曲したからであって、決して逆ではないし、もっと言えば私は マーラーに関心があるのであって、マーラーが生きた時代そのものに関心があるわけではないし、そこに魅力を感じているわけではない。 そういう意味では渡辺さんの視点は、マーラーの受容のされ方も含めて今の時代に違和感を感じている私も、時代の寵児ではあっても疎外感を 抱き続けていたマーラーも素通りして、現代とマーラーの生きた時代を結び付けているようにさえ見える。個人に対する社会の拘束力の大きさを 重視し、ややもすれば作品を時代の鏡と見做し、作者の意図や個性の反映のような視点を軽視する嫌いさえあるアドルノでさえ、 マーラーの音楽に個人と社会との間の軋轢を、個体の疎外を読み取っているというのに、ここではそうした批判的な契機すら危ういものになっている。 アドルノがマーラーを取り上げたのはまさにそうした契機によってであり、アドルノは自己のマーラー経験に対しては最後で忠実であったように 思われる(それは例えば一見批判的に扱われているように見える第8交響曲に対するアドルノの奇妙な逡巡にはっきりと顕れていると思う)のに対し、 ここではマーラーは、マーラーを生み出した時代であれ、マーラーを受け入れ、消費する時代であれ、いずれにしても時代を特徴付ける徴候に 過ぎないかのようだ。大地の歌の中国趣味は、アドルノにおいてはかつての歌詞選択におけるアナクロニズムと同様、仮晶と見做されるが、 ここではそれは時代の最先端の流行ということになる。マーラーと同時代の他の作曲家との間の差異はどこかに行ってしまったかのようだが、 私見ではマーラーの魅力はその差異にこそあるのだ。CMに取り上げられるマーラーの通俗性は、それが存在することは事実だとしても、 マーラーの音楽の総体が通俗的であることと同じではないし、マーラーの魅力は通俗性そのものに存しているのではないだろう。勿論そうした 事情が等閑視されているとまでは思わないが、そこに今日まで繋がる力点の変化、或る種のすり替えのようなものを感じずにはいられない。

それではその後「マーラーの時代」は続いているのだろうか?あるいはブームとともに過ぎ去ったのだろうか? 今やそういう問いが発せされることすらなくなったようだ。恐らくは生誕150年、没後100年という節目の年には、またちょっとしたブームが 到来することになるのだろうし、その時にはまた何かコピーが流布するのかも知れないが、それらは結局、流行それ自身のために存在しているのだろう。 そしてそれもまたミームの存続の一つの戦略なのだろう。自分がその只中にいることを忘れてはならないだろうが、だからといって自分にとっての 謎なり課題なりは、結局自分なりの「別の言い方」を見出すことによってしか解決されない、という認識が変化するわけではない。 そして当のマーラーの音楽そのものが、彼自身のそうした実践の成果であるという見方も変わることはないだろう。その音楽が、その音楽の独自の論理を 言い当てることを通して、他ならぬ自分の論理を見つけ出すことへと誘っているように私は感じられる。それがどんなに稚拙なもので、他人からみたら 非論理的なものと思われようとも。(2008.5.18、マーラーの命日に、第10交響曲のクック版を聴きながら。)

2008年5月15日木曜日

作品覚書:概観

今日、マーラーは交響曲の作曲家であるというのが一般的な了解だろう。実際彼は、 未完成の第10交響曲と「大地の歌」を含めると11曲を数える交響曲を除けば、 あとはカンタータ「嘆きの歌」と歌曲以外の作品を、少なくとも自ら意図しては遺さなかった。 作品数の少なさは、彼が職業的な作曲家ではなく、時代を代表する名指揮者としての 多忙な生活の合間、主としてオフ・シーズンである夏のバカンスに集中して作曲が行われたことと 関係がある。それは同時に、作曲活動が生活の糧を得る手段ではなく、それゆえそれは注文に 応じた楽器編成に拘束されることもなく、ジャンルの選択、演奏時間の長さや歌詞の選択など、 様々な面において全く自由に作曲が行われたことを意味している。つまり彼は決して濫作する ことはなかったけれども、遅筆であった訳ではない。作品の成立年を確かめればわかることだが、 彼の創作活動はその初期においては間歇的なところがあり、特に第2交響曲の作曲が 非常に長い期間に渉っているのに対して、それ以降の、とりわけ第5交響曲以降の創作のテンポには 驚異的なものがある。

その一方で、若き日の作品の多くを破棄してしまったらしいところは、同時代にしばしば見られた 自己批判の厳しい寡作な作曲家像に近接する。そして公表の意図の有無についていえば、 第10交響曲の補筆にまつわる紆余曲折を無視することはできないだろう。第10交響曲が 如何なる意味においても未完成の作品であることは疑うべくもないが、一方で、国際マーラー協会の 批判版全集が採用した、第1楽章のアダージョのみを特別扱いする判断が妥当であるかについては 議論があってしかるべきだろう。その一方で、「嘆きの歌」や第1交響曲の改訂、第2交響曲第1楽章が 辿った紆余曲折など、特に初期の長期間に渉る複雑な成立史を持つ作品に存在する初期稿態に ついての考慮も必要だろう。

交響曲と並んでマーラーの創作ジャンルのもう一つの中心である歌曲については、既にその受容史の 早い時期から指摘されているように、交響曲と歌曲という、一見したところでは相反するジャンル間の マーラーならではの独特の関連に注目する必要があるだろう。「嘆きの歌」と同時期の3つの歌曲に 見られる素材の共有から始まって、第2,3,4交響曲では交響曲の楽章構成に歌曲が組み込まれるほか、 第1交響曲と「さすらう若者の歌」の旋律の共有を始めとして、交響曲と歌曲の素材の共有、あるいは 引用は晩年の第9交響曲、第10交響曲まで様々な形態で行われている。その一方で、「さすらう若者の歌」 「子供の死の歌」のような連作歌曲が交響曲的な構想と融合した「大地の歌」のようなユニークな 作品もある。その一方で単独の歌曲であっても管弦楽伴奏によるものがかなりの割合を占めているが、 これは同時代の他の作曲家にもしばしば見られる。

声楽の使用を歌曲に限定せずに広く捉えれば、初期のカンタータ「嘆きの歌」とともに、幾つかの 交響曲で合唱が用いられているのが指摘できる。そしてその形態はまたしても多様で、ベートーヴェン的な 構想に近い第2交響曲のようなケースもあれば、第3交響曲第5楽章のように管弦楽伴奏の歌曲に更に合唱が 加わるような場合もあり、更には第8交響曲のように、楽曲の構造上は交響曲的な構想を備えた カンタータないしオラトリオのような作品も存在する。

要するに、これは盛んに言われてきたことではあるが、交響曲とは言ってもマーラーの作品の場合には、 色々な面で古典派における交響曲のモデルからの逸脱が大きく、その特徴の一つがこれまで述べてきた 声楽的な要素の介入や歌曲との密接な関係に見られるのだが、それ以外にもマーラーの交響曲を 特徴づける要素は幾つか指摘されてきた。即ち、演奏時間の長さ、巨大な管弦楽編成の使用、 楽章構成の自由度の高さ、楽章間の長さの極端なアンバランスなどである。これらの特徴は マーラー以降の交響曲ではとりたてて珍しいものではなくなるし、個別的に見れば先駆的な例や 同時代に並行的な例が見られたりもするのだが、それでも尚、マーラーの作品の特徴として挙げることが できるだろう。(2008.5.15:続く)