2008年5月24日土曜日

私のマーラー受容:「さすらう若者の歌」

この曲だけは、最初に聴いた演奏の記憶が曖昧である。恐らくFMをエアチェックして録音したのが 最初だろう。フィッシャー・ディースカウ歌唱の管弦楽版が最初の気もするが、その場合、 フルトヴェングラーの伴奏のものだったか、クーベリックのものであったか、これがまたあやふやに なっている。多分、フルトヴェングラーのものだったと思うのだが、、、 一方で第2曲は第1交響曲の第1楽章の主題に転用されて有名だが、マーラーがピアノロールに 残した演奏があって、それをずっと聴いていた。

この曲に限らず歌曲はピアノ伴奏版の楽譜を持っていて、かつてLPレコードが普及するまでは 交響曲ですらピアノ連弾への編曲を通じて「発見」されていたように、自分で楽譜で見つけた感覚が強い。 逆にそれがあったからこそ、私にとってマーラーは交響曲と歌曲が対等の重要性を持つ 作曲家なのだと思う。そしてまた、歌曲に関してはピアノ伴奏版を管弦楽伴奏版のヴォーカル・スコアではなく、 独立の形態として捉える傾向の由来も、そうした享受の仕方の影響によるのかも知れない。

もっとも現時点ではさすがにこの曲はちょっと聴くのがしんどい。正確に言えば、聴き始めてしまえば 寧ろ4曲通して聴いてしまうのだが、なかなか聴いてみようとする気が起きない作品なのだ。 いわゆる「若き日の歌」に含まれる歌曲であれば、子供の魔法の角笛による第2,3集ばかりか 第1集もわりとよく聴くのに比べると、この曲集は多少敬遠しているのを否定することはできない。 恐らく理由は単純で、色々な理由でマーラー初期の歌曲はどれも「主観との距離のある」性質を 持っているのに対して、この曲集は一見したところ子供の魔法の角笛的な民謡調を装いながら、 その実質はあまりに主観的で、感情が直裁で生々しすぎるように思えるからなのだと思う。 それは肯定・否定のいずれの捉え方もできるだろうが。少しナイーブ過ぎると思う一方で、 その力の凄まじさには瞠目させられるのは確かで、要するにこの曲集が「傑作」であるが故に 敬遠しているという皮肉な捉え方すら可能かも知れない。

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