以下に記載するのは、私のマーラーの聴体験である。私のような平凡な人間がこうした個人の経験を 残すことに客観的な価値があるとすれば、それは受容史の資料体としての役割に限定されるだろう。 受容史研究のアプローチは色々とあるだろうし、マクロで統計的な処理が必要となるような アプローチもあるだろうが、歴史学で言えばアナール派のようなアプローチもまた可能だろう。 勿論日記でもつけていれば、そちらの方が資料体としては貴重かも知れないが、こうした回想も 全く無価値というわけではなかろう。1970年代後半の日本の地方都市で、中学生になったばかりの 子供がFM放送で初めてマーラーを聴いたというのは、膨大な資料体の一部としてなら、マーラーの 受容史を編む上では役に立つこともあるだろう。
あるいはその一方で、出会いを語る衝動を抱くというのがマーラーの音楽の持つ特性の一つであるなら、 精神分析学か何かの資料体として使うこともできるのかも知れない。最初に聴いた瞬間を覚えている 音楽というのは確かにそんなに多くはないし、単に何を聴いたかだけではなく、そのときの状況も 覚えているというのは確かに、音楽の側にある何かを告げているのかも知れない。実際、出会った瞬間の 鮮明さに関してはマーラー以上に鮮明に「物語」を持つ作曲家はいないのだ。しかも最初の出会いだけではなく、 ほとんど全ての曲について、それぞれを最初に聴いた時のことを覚えているというのは、勿論 例外的なケースで、他の作曲家については起きない。
個別の作品について、どのように出会ったかとその後の印象に残る経験、そして現時点での主観的な感じ方と 現時点で良く聴く演奏について書くことにする。各演奏、あるいは演奏家についての感想は別のページにまとめる。 なお、「現時点」というのが動いていく以上、私的な受容に関するこのページは、少なくとも私が記事の更新を やめるまでは常にワーク・イン・プログレスの状態にある。
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