一度聴いて魅了されて、今なお最も好きな曲の1つであるが、聴いた時期も非常に早く、 恐らく第1交響曲と「大地の歌」の直後に3番目に聴いたように記憶している。 クーベリック・バイエルン放送交響楽団のレコードをFMのエアチェックで聴いたのが最初で、 この曲の第1楽章に相応しく、天気が非常に悪かったため、電波の状態が悪かったこともあり、 カセットテープに録音したものの、最初の数分についてはその細部を十分に聞き取ることが困難であった思い出がある。
この曲も第6交響曲同様、FM放送で優れた演奏に幾つか出会う幸運に恵まれていて、 これまで聴いたこの曲のすべての演奏中最も優れていると思うのは、FMで聴いたベルティーニ・ ベルリンフィルの演奏(1981.3.28)である。また恐らく1980年に聴いた ミヒャエル・ギーレンのオーストリア放送交響楽団との 演奏もまた劣らず素晴らしいものだった。だが、何といってもバルビローリのライブ(BBCからリリースされたハレ管・ BBCノーザン響の合同演奏の記録)がリリースされたのが大きく、現時点ではこの演奏で充分だと思っている。 思いつく限りでもクレンペラーの演奏やツェンダーの演奏など、他にも色々なアプローチの優れた演奏はあると思うが、 それでいて全曲を通して説得力のある演奏というのはなかなかなく、結局、上記のベルティーニの演奏か、 さもなくば(意外に思われるかも知れないが)バルビローリの演奏がその点では最も納得がいくものだと思う。 (ベルティーニについてはそういう経緯もあって、その後リリースされたケルン放送交響楽団とのCDも聴いたのだが、個人的な印象では ベルリン・フィルの演奏には遠く及ばないものでひどくがっかりしたのを覚えている。)
だが第6交響曲の場合と対照的に、この曲は専ら上記のFM放送のエアチェックテープで満足していて、 LPレコードは結局買わなかった。交響曲でLPの時代に持っていなかったのはこの曲と9番と10番のクック版だが、 この曲に関してはアバドのレコードでの全集のリリースの順序とタイミングが関係していて、シカゴ交響楽団との 演奏がリリースされた時期にはすでにCDの時代が始まっていたのではないだろうか。その後CDでアバドと シカゴ交響楽団との演奏を聴いたが、私には第5交響曲の場合と同様、アバドの解釈はこの曲に私が 聴き取っていたものと方向性がずれているように感じられる一方で、その時点では既に聴き込んで馴染んでいた インバルとフランクフルト放送交響楽団の演奏の素晴らしさは際立っていて、結局アバドの録音を聴くのはLP 時代に聴いた6曲で終わりになってしまった。
音楽之友社からポケットスコアが出たときに第6、第9とともに真っ先に買った曲の1つで、楽譜でも馴染んでいた だけに、実演で聴くのが楽しみであったが、その唯一の機会であった若杉・東京都交響楽団の 1989年のサントリーホールでの演奏(*1)は、残念ながら全くといっていいほど入り込めない惨めな経験となった。 このときはヴェーベルンの作品6(勿論オリジナルの4管編成版)との組み合わせで、当時の自分にとっては ほとんど最高のプログラムであったにも関わらず、マーラーだけでなく、ヴェーベルンの演奏も全く感動できず、 悄然としてサントリーホールを後にした記憶がある。若杉・東京都交響楽団のツィクルスはその後、 第1交響曲のハンブルク稿(交響詩「巨人」)の日本初演、交響詩「葬礼」の日本初演と足を運んだが、 どちらも全くといっていいほど感動できず、むしろツェムリンスキーの作品の方が良かったくらいで、 結局、最初の第6交響曲を除くと、私個人としてはフィアスコと呼ぶような壊滅的な経験となった。 それゆえ、その後の演奏に足を運ぶこともなく、その後リリースされた公演を記録したCDも入手することも なかったのは勿論だが、それだけではなく、そもそもマーラー自体を聴かなくなり、その一方でCDでは 聴き続けた他の作曲家の作品についてもコンサートホールで聴くこと自体をほとんどしなくなってしまった。
(*1)若杉弘指揮:東京都交響楽団特別演奏会3:ヴェーベルン、管弦楽のための6章(1909年オリジナル版)、マーラー第7交響曲、指揮:若杉弘、東京都交響楽団、1989年6月7日、サントリーホール
この曲はマーラーの交響曲の中でもリニアなストーリー性が最も希薄で、組曲のような遠心的な構造を持った 曲だと思うが、それゆえ個別の楽章を取り出して聴くことはあるが、そうでなければ全曲通して聴くことが多い。 良く問題にされる第4楽章までと第5楽章との分裂というのは私にはよく分からないので、 第4楽章で終わりで、第5楽章を聴かないというのは私の場合にはないのである。早い時期から親しんで 来たこともあり、特に好きな曲の一つといっても良く、マーラー・ファンの中には第7交響曲の熱烈なファンが いるようだが、個人的には共感できる。一方で、アドルノ以来のフィナーレの解釈にはずっと疑問を感じていて、 それは今でも変わらない。上で述べた「全曲を通して説得力のある演奏」というのも、従ってここでは アドルノ的な解釈に対抗できるような演奏ということで、こうした観点では、最高の演奏は恐らくバルビローリの 演奏ということになるのではないかと思っている。
バルビローリ以外では、この曲もまた、非常に速いテンポを採用しているコンドラーシンの演奏が素晴らしい。 レニングラード・フィルを指揮したセッション録音と、コンセルトヘボウを指揮した演奏会の記録の2種があるが、 解釈は一貫している。演奏の精度や個性の点では、レニングラード・フィルの演奏の方がより印象的で、 第1楽章の後半など、あまりに素晴らしさに言葉を喪ってしまうほどである。また、問題視されることの多い 第5楽章の説得力という点でもコンドラーシンの演奏は比類ない。
[追記]その後、以下の実演に接している。前者の演奏会記録はこちら。
ジャパン・グスタフ・マーラー・オーケストラ第8回定期演奏会:マーラー第7交響曲、指揮:井上喜惟、ジャパン・グスタフ・マーラー・オーケストラ、2010年6月13日、ミューザ川崎シンフォニーホール
ミューザ川崎市民交響楽祭2018:ヴェーベルン「夏風の中で」、マーラー第7交響曲、指揮:長田雅人、かわさき市民オーケストラ2018、2018年8月26日、ミューザ川崎シンフォニーホール
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