お詫びとお断り

2020年春以降、2024年3月現在、新型コロナウィルス感染症等の各種感染症の流行下での遠隔介護のため、マーラー祝祭オーケストラ第22回定期演奏会への訪問を例外として、公演への訪問を控えさせて頂いています。長期間に亘りご迷惑をおかけしていることにお詫びするとともに、何卒ご了承の程、宜しくお願い申し上げます。

2016年3月6日日曜日

マーラー祝祭オーケストラ特別演奏会を聴いて(2016年2月28日 ミューザ川崎シンフォニーホール)

マーラー祝祭オーケストラ特別演奏会
2016年2月28日 ミューザ川崎シンフォニーホール

マーラー 交響曲第8番
井上喜惟(指揮)
森朱美(第1ソプラノ)
三谷結子(第2ソプラノ)
日比野景(第3ソプラノ)
蔵野蘭子(第1アルト)
小林由佳(アルト)
又吉秀樹(テノール)
大井哲也(バリトン)
長谷川顕(バス)
マーラー祝祭オーケストラ
マーラー祝祭特別合唱団(合唱指揮:高橋勇太)
成城学園初等学校合唱部・中央区プリエールジュニアコーラス・カントルム井の頭(合唱指揮:古橋富士雄)


マーラー祝祭オーケストラが第8交響曲を演奏する特別演奏会を聴きにミューザ川崎を訪れた。このコンサートは、 前身であるジャパン・グスタフ・マーラー・オーケストラの演奏会も含めたマーラーの交響曲全曲演奏企画の掉尾を 飾るものであるが、オルガン、ハーモニウム、チェレスタ、ピアノ、そしてマンドリンを含む大管弦楽に加えて、 8人の独唱者と児童合唱、2群の混声合唱を必要とするこの作品の上演は、マーラーの他の交響曲に比しても 際立って困難なものであることは明らかであろう。まずはこの演奏会の企画、準備、そして当日の演奏に関わられた、 音楽監督・指揮者の井上喜惟さんをはじめとする演奏者の方々、準備や当日の会場の運営に携わられた方々全てに対して、 敬意を表したい。

奇しくももうすぐ、東日本大震災以降、5度目の3月11日を迎える。震災直後にはコンサート自粛も相次ぎ、 演奏会の意義、ひいては音楽そのものの意義が問われもした。そうした中、ジャパン・グスタフ・マーラー・ オーケストラの全曲演奏の企画も、演奏会場となったミューザ川崎の被災による公演延期という形で その影響を受けたのだったが、その結果として一度きり、場所を替えて演奏された第9交響曲の演奏が、 千年に一度の大地震と津波に加えて原子力発電所の災害という未曾有の出来事の経験と切り離すことができない、 通常のコンサートという制度の枠組みを超えたものとなったのを、ついこの間の事のように思い出す。

今回のコンサートもまた、他の人であれば通常のプロのオーケストラの定期演奏会と同じように聴き、 演奏会評を記すことも可能だろうが、こと私個人に限ってはそのような姿勢で演奏に接することは そもそも不可能である。のみならず、いわば一から手づくりでマーラーの作品の演奏会を作り上げるという 企画のあり方の総体こそが、日常は音楽とは無縁の職業に携わっている自分が敢てコンサートホールに足を運んで 音楽を聴くにあたっての必要な契機となっているが故に、公演がこのように無事実現したこと自体に対しても 心を動かさずにはいられない。そして勿論のこと、当日の演奏もまた、そうした企画を可能にした思いが 篭められていることを感じずにはいられない、感動的なものであったことを最初に記しておきたい。

以下、当日の演奏を聴いての感想を記しておくが、作品そのものについて、そしてこの作品を今、極東の島で 上演すること、その演奏を聴取することの持つ意味についてはプログラムに寄稿させて頂いた文章に記したし、 幸いにして、その内容と実際の聴取の経験の間に齟齬が生じることはなかったので、ここで繰り返すことはしない。 このことを敢て記載するのは、一つには以下の感想が、客観的な演奏会評ではないことをお断りするためでもあるが、 それよりも、私のような単なる愛好家にも門戸を開き、このような企画に微力ながらお手伝いする機会を 頂けたことに対する感謝の気持ちを表明したいからである。

率直に言えば、予め書き留めておいた内容とは別に、実演に接して受け止めたものそのものを言語化しようとしても、 井上さんがプログラムに寄せた文章の中でお書きになられているように、ほとんど不可能に感じられる。 私自身、ことこの作品においては実演に接することが極めて重要であることはわかっていたつもりであり、実際そのような ことを書きもしたが、にも関わらず、実際に演奏に接してしまえば、事前に用意して連ねた言葉が色褪せたものにしか感じられず、 さりとてそれに何かを付け加えようとしても、それは最早言語化を拒むような類のものでしかないように思えるのである。 不可能事であることが予め明らかであるのに敢てそれを試みるのは愚かなことだろうが、にも関わらずそうするのは、 如何に不十分で拙いものであったとしても、演奏を聴いた経験を記録しておくことによってしか、かくも大きな「贈与」を してくれた方々(その中には、作曲者のマーラーも含まれることだろう)に対して、応答することができないからであり、 そうすることが自分の義務にさえ感じられるからなのだ。

それゆえ、客観的な演奏会の評を読みたい方にとっては以下の記述は全く無価値なものであろうが、それはきっと、 そうする資格と能力がある別の方がしてくださるであろうから、そちらをお読み頂きたく思う。私にできるのは、 自分が自分固有の文脈の中で受け止めたものを、その価値を考えた時に極めて不十分なものと評価されるような 仕方であれ、その場で自分に可能な仕方で記録しておくことでしかない。結果として以下の文章は、 このコンサートを聴いて、こんなことを感じた人間が居たという事実の記録以上のものではありえないだろうが、 それでもそうした事実を記録し、公開することが、全くの無意味ということはないと考え筆を執る次第である。

*   *   *

開演の15分程前に会場であるミューザ川崎に到着し、着席したのは約10分程前。 ミューザ川崎は、ステージを取り囲むようにして客席が配置されているが、後に2群の混声合唱が着席することになる 正面から見てオーケストラの背後から左よりにかけての席と、児童合唱が着席することになるステージの左側の席以外は 概ね埋まっている。離れたところに置くよう指示されたバンダはステージに向かって右側のオルガンのすぐ脇の 最上階の客席に陣取り、第1部で重要な役割を果す鐘もまた、バンダの隣で奏された。第2部で栄光の聖母のパートを 受け持つ第3ソプラノは慣習上オフステージの高い位置で歌われることが多いが、こちらも同様にバンダの隣で歌われた。 8人の独唱者は第1部第2部を通じて正面から見るとオーケストラの背後、ステージの最上段で混声合唱が占める客席の すぐ下に位置し、独唱、合唱とも、自分のパートが近付くと立ち上がり、パート以外のところは基本的には着席する かたちで演奏が行われた。管弦楽はこれまでの他の作品の演奏会と同様の両翼配置、マンドリン(4丁)は弦楽器の奥の 正面で演奏された。第1部と第2部の間でのチューニングもまた、これまでの他の作品におけるのと同様である。

私が過去に第8交響曲の実演に接したのは1回だけ、もう四半世紀以前のサントリーホールの杮落としのコンサートだったが、 その時はやはりオーケストラの背後の客席を占めた混声合唱の直ぐ隣という、音響的なバランスの面では 不利と思われそうな席で聴いたのだった。にも関わらず、記憶している限り、その時でさえ聴取にあたって 決定的な制約とは感じられなかった。私の聴き方がいい加減なだけなのかも知れないが、偶々どちらも客席がステージを 取り囲む形式の、音響的には申し分のないホールであったからか、第8交響曲のような大編成の作品の場合、 自分の直ぐ近くの客席で合唱が歌われることによる奏者との一体感こそ感じられても、音響バランス上、 不満に感じられることというのは今回もなく、寧ろ録音では取捨選択が行われて聴き取れない細部が、 視覚的に確認できることの効果の寄与もあって殆ど全て耳に届くという点では、今回の演奏は申し分なかったように思える。

だが、楽譜に記載されている音がどれだけ聴こえるか自体は、演奏から受ける印象の、しかも主要部分ではなく、 周辺の一部に過ぎないし、大きな事故でも起きない限りは技術的な巧拙や演奏の精度すら印象を決定づける主たる 要因にはなり得ないのだということは、ジャパン・グスタフ・マーラー・オーケストラの時代以来の聴き手に とっては自明のことであろう。今回の演奏もまた、マーラーの音楽に対する共感と演奏への集中という点において これまでの演奏会と比して勝るとも劣らない、素晴らしい演奏であったことは既に述べた通りである。

それでもなお客観的な演奏の出来を問題にするならば、勿論のこと実演ならではの傷も散見されたし、 この演奏会のために公募により編成されたアマチュアの混成合唱は、管弦楽とのバランスの上でやや 非力に感じられる瞬間が無くは無かったとは言え、仮に全てプロであってもバランス上は至難であったであろう 約200人程という規模を考えれば止むを得ないし、この複雑極まりない長大な楽曲を大きな破綻なく演奏したこと自体、 驚嘆に値することであろう。8人の独唱陣もまた、既述の配置の制約はあれ、一部を除けばオーケストラとのバランスも 申し分なかったが、その中でも特に印象的だったのは第1部末尾のようなマッシブな箇所では管弦楽と合唱の響きの中で 存在感を発揮する一方で、叙情的な部分での表情もしなやかであった第1、第2ソプラノの歌唱 (とりわけても第2部後半でファウストの復活を第1部Impre supernaの旋律で歌う、かつてのグレートヒェンの 第2ソプラノの歌唱は鮮明に記憶に残っている)、そして勿論、第2部でDoctor Marianusという中心的な役回りの テノールの、特に第2部コーダにおける高揚である。

特筆すべきは児童合唱で、こちらもまた100人程度の編成でありながら、 この作品の決定的な幾つかの瞬間(2つだけ例を挙げれば、第1部末尾の"sit Gloria Patri..."、 第2部の"Er überwächst uns schon..."など)の全てについて十全な歌唱が実現されており、素晴らしいの一語に尽きる。 管弦楽については、「大地の歌」の時もそうだったが、その響きは有機的で充実しており、巨大な編成が可能にする 繊細な音色の変化も鮮明に感じ取れる演奏であったと思う。勿論それには何よりもまず指揮者の音響バランスの設計があり、 長期に渉るプローベと実演における指揮者とオーケストラの共同作業の蓄積があって実現可能となったものに違いなく、 特にオーケストラがのった時の響きの固有性は、寧ろ均質化したプロの楽団では聴けないものでさえあるだろう。 この作品のユニークな調的設計がもたらす、共感覚的な色彩や明るさの変化の鮮明さもまた印象的で、 金色に輝く変ホ長調の"Veni"と青白く眩い光に充ちたホ長調の"Accende"の目も眩むような対比(私は共感覚があるので、 実際に目を瞑ってしまったほどである)、更には変ホ短調の神秘的な山峡の闇から出発して、 ホ長調による栄光の聖母の顕現を経て、曲頭の変ホ長調の光の氾濫のうちに終結する第2部のプロセスは圧倒的な ものであった。

だが、指揮者の解釈という点では、この演奏でユニークであったのは、そのテンポであったのではなかろうか。 実演にせよ、録音記録によってにせよ、この作品を聴き慣れた聴き巧者の耳には、恐らくそれは何か異質なものに聞こえた のではないかとさえ思われる。勿論、常にない大編成(しかもそれは単純に人数で図ることができるものではなく、 それ自体巨大な管弦楽のみならず、8人の独唱者、2群の混声合唱、児童合唱、空間的に離れた場所にいるオルガニストや バンダといったパートの膨大さをも考慮すべきであろう)の演奏者を混乱無く纏め上げることを思えば、 テンポの変化は入念なリハーサルで準備されねばならず、恣意的なテンポの切替や即興的な緩急の急激な変化の ようなものが入り込む余地は狭められたものになるに違いないのだが、この演奏において際立っていたのは、 事前に設計され、準備されたものの実現の側面以上に、その場で生み出されていく、現象学的な意味合い での音楽的時間の有機性、即ち、音楽が進むにつれ、音が次々と現実化するその様相が、あたかもそれ自体で 固有の生命を持ち、固有のリズムを備えている有機体の活動を目の当たりにするかのような、自律的、自発的なものに 感じられたことであった。

たとえ演奏者ではない単なる受容者、聴き手に過ぎなくても、音楽の内側に入り込んだ人間は、細部の完成度を 云々することなどとは別の水準で、その音楽的時間の経験が、最初の一撃の後、末尾に至るまで、ある種の必然性に 従ったものであったと感じたのではないかと思えてならないのである。ちなみに言えば、こうした時間の流れ方は、 やはりマーラーの音楽の中では特異なものであって、推移する流れという通常の時間了解の下では 一瞬の出来事としてしか捉えようのない創造の瞬間を、いわば内側から眺めた時の「時の逆流」の相を捉えた この作品ならではのもののように思われる。

それは恐らくは、例えば寧ろブルックナーの音楽の或る種の解釈によって経験可能となる時間性のうちに類似のものが 見出せるかも知れないような類のもののように思えるのだ(但しこれは、この作品がブルックナー的であると いうことでは全くない)が、ことこの作品に限って言えば、そうした行き方を正当なものたらしめる側面が 備わっているのであれば、この演奏は、マーラーが「天体の運行」に喩えたこの作品の理念に相応しいものであったのでは なかろうか。 (更に付け加えて言えば、このようなリアリゼーションが可能になったことの根拠を事実の中に探ろうとする人は、 井上喜惟さんがチェリビダッケに師事したという経歴を思い浮かべるかも知れない。なお、ここでは表面的な演奏様式の 水準ではなく、音楽的時間の把握といった水準が問題になっているのだから、例えばチェリビダッケがマーラーを 演奏しなかったことなどは問題にはならない。)

勿論、他の優れた演奏で行われているように個々の部分のテンポの設定を恣意的に行うことは可能だろうし、 幾つもの実演に立ち会った経験を踏まえて演奏を評するような立場の人がそうしたことを表面的に論うことも可能だろうが、特にこの作品の場合、たとえそれが自分のこれまでの聴経験に基づいた対比に基づくものであったとしても、 そうしたことには意味がないように私には思えてならない。寧ろそうではなくて、内的な必然性のようなもの、 まさにマーラーが述べた天体の運行がそうであるような法則性の如きものに支えられたプロセスに従うことが 専ら問題なのだし、このコンサートでの演奏は、そうした意味合いにおいて比類ないものであったと私は考えている。

そしてそれは、恐らくは間違いなく、その場に居合わせた全員が、つまり演奏者と聴き手の両方が感じ取ったことに 違いない。「もしかしたら」ではなく、恐らくは疑いなく、その場で聴き取れたものは、 現象としての音響だけではないのだ。「現実」には聴き取ることのできない響きを、その場に居た人間は演奏者であると 聴き手であるとを問わず、更にそのことに対して意識的であるか否かを問わず聴き取ったに違いない。

終演後の拍手はどれくらい続いただろうか。私はと言えば、終演後直ぐに湧き起こった拍手の中で しばし茫然自失する外なかったことを、こうして文章を書いている一週間後でもありありと思い出すことができる。 音響的には音楽は既に鳴り止んでいるけれど、音楽が生み出した時空は、それが仮象に過ぎないものであるとしても、 しばらくは「現実」と呼ばれる時空を押しのけて存続する。いやそれは、しばらくたって指揮者がようやく客席を 向いたくらいのタイミングでようやく我に返り、拍手を始めた後も、否、演奏会場を離れた後も、一週間の日常を 隔てた今でさえ、私の中では存続しているように感じられる程なのである。

終演後の光景で私にとって一番印象的だったのは、上述のように際立った演奏をした児童合唱の子供達の反応で、 思わず私は、アルマが記録したミュンヘンでのマーラー自身の指揮による初演の時の児童合唱の反応を思い起こさずには いられなかった。恐らく、約1世紀前のミュンヘンにおいてもそうであったように、このような例外的な演奏の経験は、 とりわけても若い子供達のためのものに違いない。私のような人生の半ばをとうに過ぎてしまった人間は、自分が 受け取りきれない程のものを受け取って置きながら、最早なすすべもなく、恐らくはそれを自分の中で朽ちるがままにするしか能が ないのに対して、若い彼らこそは、多くは今のところは無意識的に、だが全身をもって、この演奏を通じて 受け止めたものを、未来に継承して行くに違いないのである。

*   *   *

そのような時間の流れをもたらした演奏は、二時間近い演奏時間を、あたかもそれが夢の中での経過であり、 更にその夢の中では二時間の間に永遠にも比すべき時間が経過したかのように感じさせる一方で、夢から目覚めてみると ほんの一瞬の時間が経過しただけであるかのような錯覚を、目眩のような感覚と共にもたらす。

その結果私は、現実に自宅からコンサートホールまで移動し、そこで二時間弱を過した筈の自分の聴体験が、 最後の音が消え去ったのち、日常的な時間の中に戻り、しばらくその中を潜り抜けてみると、今や何か 非現実的なものであるかのような感覚に苦しめられることになった。 勿論それは、演奏の印象が希薄なものであったということではなく、 寧ろ逆に、自分の身体にそれはスティグマのように刻み付けられているのだが、 それがいつ、どこでのものなのかを改めて考えてみると、日常の時間の どこにもそんなことが起きたような痕跡が認められず、寧ろそれが、自分が 経験できない過去に起きたことのように感じられたり、自分が現実に 経験することがないであろう別の時空の出来事のように感じられたりする、ということなのだ。

更に加えていえば、これも偽らざる自分の反応として、終演後しばらくの間、自分がこのコンサートのために 記した文章が、全く色褪せた、つまらないものに感じられたことを事実として書き記しておきたい。 そうした気持ちはかなり長いこと続いたが、その後、会場で受け取ったプログラムに載せられた自分の文章を改めて 読み返してみて、そうした感覚は尚、ぬぐい難いものであるにしても、それでも辛うじて、 自分が経験したことに排反するようなことは書いておらず、極めて不十分ながら、 それを何とか言い当てようとしたものとして受け止めてもらえるかもしれないということを確認できて、 わずかばかりの気休めを感じることはできた。しかしそれでも尚、井上喜惟さんをはじめとする演奏者の方々が 達成したことに比して、自分に為し得ることの如何に卑小なものであるかを、今尚感じずにはいられない。 最初にも述べたように、今、このようにして感想を記していても、無力感のようなものを感じることなくして 文章を書くことが出来ずにいるのである。

マーラーは「ファウスト」の中の、こちらは第1部の地霊の科白を引いて、自分の作曲の営みについて、 「神の衣を織る」ということを或る書簡で言っているが、私は、まさにそうした「神の衣」に他ならないと 思えるものに実際に接してみて、自分がそうしたことに与る資格なり権利をそもそも欠いているようにさえ 感じるのである。永遠に与れない、比喩でしかない、移り行くものの側に属しているという点では違いはなくとも、 移り行くものの彼方を仮象として定着させたマーラーの「贈物」は、自分が担うにはあまりに重いものではなかろうか、 その「謎」は自分に解くにはあまりに難しいものではなかろうかという懐疑から遁れることはできそうにない。

だが、それでもなお、そうした私の思いに関係なく、演奏を聴いたという経験は私の中に刻印されて残っている。 東日本大震災の経験の傷が無くならないように、演奏を聴く事を通じて触れた何かは、楽音が消えてもなくならない。 そして自分の経験したことが、自分を超えた価値を有するものであるという認識に立つならば、 その経験を自己の個体としての有限性の中に閉じ込め朽ちて行くにまかせることは耐え難いことだし、それを 放置しておきながら、自分の経験が商業的なコンサートにおける消費者としてのそれとは異なると主張したところで、 結局のところ情報を捨てているという点で変るところはないということになってしまう。 それに対してせめてもの抵抗を試みようとすれば、自らを自分に優った価値を有するミームの搬体と見做し、 自分が、ではなく、ミームが卑小な自分を媒体にして、自分を超えて、恐らくは無限に向けて存続しようと することに対して辛うじて関わりうることに価値を見出すしかない。寧ろ私はそうしたものの通路に過ぎないと 考えるべきなのかも知れない。 それゆえ一旦は自分の記したものの価値を問うことは止め、私が忘れ去られても、或はこの拙い文章がいずれ 喪われてしまうことになっても、どこか別のところで、別の仕方でこの演奏会の記憶が継承され、 存続することを願って筆を擱くことにしたい。(2016.3.6初稿暫定公開)

2016年2月28日日曜日

第8交響曲という「謎」 (2016.2.28 マーラー祝祭オーケストラ特別演奏会によせて)

肯定的であれ、否定的であれ、第8交響曲がマーラーの交響曲作品における或る種の特異点であることに異論はないであろう。更には最大の「謎」であることもまた。

第1部では聖霊降臨祭の賛歌が、第2部では『ファウスト』第2部の終幕の場が、オルガンを伴う4管編成の大管弦楽と共に8人の独唱者、2群の混声合唱と児童合唱により全曲通して歌われ、作曲者自身により「惑星や太陽の運行」に喩えられたこの曲が、もう一方の極である『大地の歌』と共にマーラーの声楽作品の到達点の一つであることは疑いない。

マーラーの作品の受容に大きく貢献したとされる録音技術の発達の恩恵という点でも、この作品は特殊な地位を占めているかに見える。実演に接する機会の制限を補うのみならず、バランス調整は勿論、離れた場所で別々に収録されたパートの合成さえ可能にするマルチマイク技術は、実演では聞き取りにくい細部を明らかにすると喧伝されたし、同一の演奏録音の繰り返しの聴取のみならず、ヘッドフォンを用いて自宅で一人で、あるいは移動中に、更には何かをしながらBGM的に、または一部だけ選択してといった断片的な聴取さえ可能にしたことが、功罪はあれ作品を身近にするのに寄与したことは確実であろう。

だが一方で、例えばハンス・マイヤーが提起した、この作品を含めたマーラーのテキストの扱いに関する痛烈な批判のみならず、それに対しては擁護の論陣を張ったアドルノを初めとするマーラー音楽の擁護者の少なからぬ人々もまた、ことこの作品に対しては否定的な評価や留保の姿勢を示している事実がある。大成功を収めた1910年9月12,13日の作曲者自身の指揮による初演が、列席した著名人の顔ぶれなどもあって、しばしば文化史的なイヴェントと見做されさえするこの作品は、ダーウィンの進化論、ニーチェの「神の死」、フロイトの精神分析などに代表される、自然科学の急速な発展を背景とした、既存の宗教が備えていた力の喪失過程を背景としており、かつては典礼と不可分であった音楽が、特にフランス革命後、世俗化の傾向を強めた果てに、例えばワグナーの『パルジファル』やスクリャービンの『プロメテ』のように、今度はその上演がいわば疑似宗教として、かつての典礼の代理をすることが企図されるようになった時代の潮流の産物としてしばしば位置づけられるが、常には時代に批判的であったマーラーが、この作品においては無批判に「肯定的」であり、そうした時代の潮流に服従していると見做されるのである。

作品自体についても、第1部ではソナタ形式の図式に合わせて聖歌を裁断し尽くす一方で、ゲーテのテキストへの付曲である第2部は、仮にそこにアダージョ、スケルツォ、フィナーレという区分を認め得たとしても、交響曲と呼ぶには構成的にあまりに弛緩しているし、同時期の他の作品に比して全音階的な和声法における主和音への固執が、この巨大な作品を、わかりやすくはあっても単調なものにしているという批判が存在する。

そして21世紀の日本において改めて振り返ってみた時、この作品がどこまで理解され、どのような意義を持ちうるかを問えば、直ちに幾つもの疑念に取り囲まれることになる。西欧においてすら保護の対象である文化財と見做されかねない今日、日本において多大な困難に立ち向い、この作品を上演する意義に対して疑念を抱く人が居ても不思議ではない。

しかしながら強い留保を示すアドルノの判断が最後のところで奇妙な躊躇いを示すのは、ヴェーベルンが指揮した第8交響曲の実演での経験に彼が忠実であり続けたからに違いない。その躊躇いが自分の理論に合せて対象を扱う愚から彼を救い、その発言を信ずるにたるものとしているように思われるのだが、他方でそこから、論理の力に屈することなきこの曲の並外れた力を読み取ることも可能ではなかろうか。この作品に対する批判が注意深いスコアの分析や、録音技術の発達が可能にした、繰り返しての聴取に基づくものであることを思えば、実演という契機は、ここでは他の作品にも増して極めて本質的なのであろう。勿論それはアドルノが批判する集団性の魔力、疑似宗教的なまやかしと紙一重であり、アドルノがこの曲の際どさを「救い主の危険」と述べたのは正当なことではあるが、それでも尚、性急な「失敗作」という判断は留保さるべきではなかったのかという疑問は残る。

この作品の持つ謎は、それが孕む危険ともども、創作後1世紀を経た、「技術的特異点」の直前の時代にありながら、相変わらず個体としての有限性に束縛されたままの今日の人間にも無縁なものではありえない。作品を過去の異国の文化的コンテクストに埋め戻して事足れりとせず、危険を引き受けつつもその「謎」に向き合うことは、マーラーと同じエポックの末裔たる我々にとっても喫緊の課題であり続けているし、なおかつそうした探究にあたっては、実演に接することが必須の契機を為すように思われるのである。

総じてこの作品を、アドルノの「突破」(Durchbruch)の時間性を音楽化したものと捉えることが「謎」を解く鍵ではなかろうか。プラハ講演でシェーンベルクが述べた、第1部での変ホ長調の主和音第二転回形への頻繁な回帰(規則違反であっても「正しい」のだから寧ろ規則を変えるべきだと彼は言うのだが)を初めとする規範からの逸脱も、作品の特異な時間性故のものなのだ。ソナタ形式として、提示部が主調の変ホ長調で閉じられるのも異例なら、展開部の中央(練習番号38)でのAccende lumen sensibusの「侵入」(ヴェーベルンの指摘の通り第2部との橋渡しを担っており、そのホ長調は第4交響曲同様「天国」の調性であり、ここでは栄光の聖母の調性でもある)も、そのAccendeに挟まれる主要主題の複数の動機を重ね合せた二重フーガ(同46)が展開部の只中であるにも関わらず変ホ長調であることも異例であろう。本来は提示部で調的緊張をもたらし、再現部で解消する機能を果たすべき副主題(Imple superna gratia)はここでは寧ろ充足的な性質の変ニ長調で提示され(同7)、再現部では省略されてしまう代わりに遥か後になって、第2部においてファウストの復活をかつてのグレートヒェンが歌う箇所(同165)において、ようやく「本来の」ドミナント(変ロ長調)で「再現」し、第1部冒頭の「来たれ」(Veni)に対応する栄光の聖母の「来たれ」(Komm)の主調による提示(同172)を用意するのである。

全曲の終結が「天国」の調性であるホ長調ではなく変ホ長調であるのは、この作品が「神秘の合唱」が告げるかに見える成就の音楽化ではなく、作品を支える意識は寧ろ「過ぎゆくもの」の側に留まること、「成就」は意識ある主体にとっては仮象に過ぎず、そこに向かって漸近はできても決して到達はできないことを示唆しているのではないか。

この作品においても「離れて配置される」金管群による「空間性」は重要だが、第1部末尾でAccendeが遠くから響くのに呼応して、全曲の末尾では曲頭のVeniが遠くで響くのは、そこが人間の超越の運動としての「突破」の起源であることを告げているかのようだ。「突破」を時間論的に解釈すれば、あたかも未来が現在に目的を示して導くかのような「創発」の瞬間であり、通常の時間性から見れば「時の逆流」に他ならないのである。

更には『ファウスト』第2部終幕が、意識ある主体が到達できない「死後の世界」である点を忘れてはなるまい。第1部にも出現する「子供の死の歌」の引用の意味は、第2部において誤解しようのない迄に明確になる。第9交響曲の暗示もあり、一見して正反対で異質と捉えられがちであるにも関わらず、この曲の他の後期作品への隣接は明らかなのだが、それもまた「突破」の超越が意識ある主体の「消滅」と表裏の関係にあるが故なのだ。

Veni Creator, Spritusに対する「ところでそれが来なければ」という、一見したところ冷静で、一分の理があるかに見える混ぜ返しもまた、曲頭のVeniで露わなのがインスピレーションを受けた主体の受動性であり、それが「既に到来している」のであれば、妥当ではあるまい。作品自体が到来に対する応答なのであり、ここで音楽は、実際には実現していないことを恰も実現したかのように見せかける詐術では決してないのではないか。

個人的経験を超えて「客観的」たろうとしたマーラーからのこの「贈物」を、その価値に相応しく受け止め、「応答」する義務が我々にはあり、その義務を果たすためには、アドルノが留保として述べた言葉を寧ろ逆転させた上で、それに伴う様々な危険を引き受けつつ、この曲の実演によって一体何が達成できるのかを自ら問うべきなのではなかろうか。

時代と場所の隔たりを超え、現実的な数多くの困難を乗り越えてこの作品を上演することは、まさしく「応答」の、優れて具体的な実践であろう。音楽監督の井上喜惟さんを初めとするマーラー祝祭オーケストラ・合唱団の方々、上演を支えて下さる方々の「壮挙」に対し敬意を表するとともに、私は聴き手の一人として、単に演奏を消費(それは情報論的には情報を単に捨てることに他ならない)することなく、マーラーの遺した「謎」に向き合い、自らも何かを生み出すことによって自分なりに「応答」するよう努めたい。