お知らせ

アマチュア・オーケストラ演奏頻度を2025年の公演の集計を追加して更新しました。(2025.12.25)
ラベル マーラー祝祭オーケストラ の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル マーラー祝祭オーケストラ の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2026年1月2日金曜日

[お知らせ] マーラー祝祭オーケストラ(音楽監督・井上喜惟)第26回定期演奏会(2026年4月11日)

  マーラー祝祭オーケストラ(音楽監督・井上喜惟)第26回定期演奏会が2026年4月11日にミューザ川崎 シンフォニーホールにて開催されます(12:45開場、13:30開演)。以下のマーラー祝祭オーケストラの公式ページもご覧ください。

Mahler Festival Orchestra Offcial Site (https://www.mahlerfestivalorchestra.com/)

プログラムは、リトアニアの作曲家・画家であるチュルリョーニスの交響詩「森の中で」、バルトークのヴァイオリン協奏曲第2番に加え、アントニー・ボーモンによる新校訂版を使用したツェムリンスキ―の大管弦楽のための幻想曲「人魚姫」より構成されるという極めて意欲的な企画です。




(2026.1.2公開)

2025年10月13日月曜日

マーラー祝祭オーケストラ第25回定期演奏会を聴いて(2025年10月11日 ミューザ川崎シンフォニーホール)

 マーラー祝祭オーケストラ第25回定期演奏会

2025年10月11日 ミューザ川崎シンフォニーホール

ベルク 初期の7つの歌
マーラー 第9交響曲

井上喜惟(指揮)
日野祐希(ソプラノ)
マーラー祝祭オーケストラ

*   *   *

井上喜惟さんとマーラー祝祭オーケストラによる第25回定期演奏会に立ち会うべく、雨が降りしきる中、午前中、所用あって訪問した先から直接ミューザ川崎を訪れました。以下、演奏に接した感想を書き留めて置きたく思います。演奏に圧倒されてしまえばどんな言葉も無力に感じられてしまうもので、今の私はまさにそれを痛感している状態なのですが、その一方で、このような経験をしたからには、それを証言することは立ち会った者の義務の如きものとも感じられ、如何に拙いものであったとしてもその義務を最低限果たすべく、一先ずは感じたままを記すことにします。

今回のプログラムは最初に日野祐希さんのソプラノ歌唱でのベルクの初期の7つの歌が置かれ、休憩を挟んでマーラーの第9交響曲という構成でした。普段ベルクの作品をほとんど聴かない私にとっては初めて接する作品ということもあり、その演奏の素晴らしさは充分に感じ取れたものの、その演奏が備えていた価値に相応しい仕方で受け止めることができずに、忸怩たる思いに囚われざるを得ませんでした。それ故、適切に演奏を語ることが私にはできず、言いうるのはごく皮相な印象にしかならないことから、これまでも多くのそのような作品の演奏についてそうしてきたように、客席におられた他の有識の方々にお任せすることにして、ここでは専ら休憩後のマーラーの第9交響曲に限定して感想を記すことにします。

今回の演奏会の印象を一言で言えば、「圧倒的」という言葉に尽きるでしょう。マーラーの作品には数えきれない程接してきていますし、私の場合には様々な制約もあって実演に接する機会は限られるものの、それでも作品によっては複数の実演に接しているものもあり、今回の第9交響曲の場合もそうですが、その中には(前身のジャパン・グスタフマーラー・オーケストラの時代も含め)同じ指揮者・オーケストラで複数の実演に接することができている作品もあります。

実際、前回私が接した第23回の定期演奏会では、今回の第9交響曲同様10年程の歳月を隔てて第10交響曲のクック版の再演に接し、とみに最近井上喜惟さんとマーラー祝祭オーケストラの演奏の解釈の徹底と演奏の集中力・燃焼度が増し、接する度に圧倒されるようになってきていることをそこでも再認したのでしたが、今回の演奏は、その解釈、リアライズともにこれまでのそのような蓄積を経た、頂点に位置づけられるような素晴らしいものだったと思います。

*   *   *

特に今回強く感じたのは、他に比較すべき対象が思い当たらない、井上喜惟さんの全くユニークな解釈が画期的な達成に至り、この上ない説得力を以て実現されたことです。私が初めてその実演に接して以来、常にはっきりと感じ取れ、また遡っては録音等でも確認できる、井上喜惟さんの解釈における一貫したアプローチは、敢えて単純化を懼れずに一言で要約するならば、基本的には流れの重視というように一先ずは特徴づけうるだろうと思います。私がこの点について思い浮かべるのは、井上喜惟さんがチェリビダッケに師事していることであり、そのチェリビダッケが、現象学的な音楽的時間について述べ、それを実演において実践している点です。とは言っても、それは井上喜惟さんの演奏がチェリビダッケのそれに似ていると言う意味では全くありません。そもそもチェリビダッケはマーラーをレパートリーとしておらず、チェリビダッケにおけるその考えの中心的な実践の場であったブルックナーとマーラーとでは音楽的経過の実質が全く異なるが故に、その解釈はマーラーのあの錯綜とした総譜を徹底的に読み込むことにより、井上喜惟さんがオリジナルに一から築き上げて来たものに他なりません。

そしてマーラーの、特に交響曲作品において音楽的時間の流れを重視するというのは、伝統的な楽式の図式論に囚われず、音楽自体が生み出す時間性を重視するということに他なりません。それは寧ろアドルノがマーラー・モノグラフ(アドルノ『マーラー 音楽観相学』)で述べたカテゴリの如きものを音楽から読み取り、唯名論的に形式を編み上げていく作業に他ならず、音楽が自ら形式を生み出していく現場に接するという稀有な経験を可能にしているものなのです。

流れの重視はまた、結果的に、音楽が止まる「息継ぎ」、ヘルダーリンの「休止」(チェズーア)、パウル・ツェランの「息の転回」の箇所を浮かび上がらせることにも通じます。それは単なる休符ではなく、音楽の流れが自己創発的に編み上げる構造を浮かび上がらせるものとなるのです。

今回演奏された第9交響曲の場合であれば、例えば、第1楽章練習番号13の直前のフェルマータ、そしてその後の「影のように(Schattenhaft)」音楽が進みだす手前の2度の「息継ぎ」がそれで、それまでダイナミクスの点からも表情やニュアンスの点からも長くて複雑な経路を辿り、だが途絶えることなく連綿と続いて来た音楽の流れは、ここに至って一時中断するのですが、楽譜をそのつもりで追えばごく当たり前のことを、けれども構造的な仕方でかくも明晰に感じ取ることができ、のみならず、それがアドルノが言語的に言い当てようとしたことを実現したものであるということに思い当たったのは、恥かしながら今回が初めてでした。

練習番号13から再開し、2度の休止を経て「影のような」領域を経た音楽が、「だんだんと音調が内側から広がっていっ(Allmälich an Ton gewinnend)」た果てに決定的な複縦線で区切られて辿り着くのは、Tempo I Andanteと明記された冒頭の再現であり、ここで音楽が冒頭に回帰する、その折り返し点を告げるのが、くだんの「息継ぎ」に他ならない訳ですが、今回の演奏では、その音楽的な移ろいがごく自然な流れで、それでいてこの上ない説得力を以て実現するのを聴くことができ、圧倒的な印象が残った箇所でした。

ちなみにこの楽章の基本的構造をソナタ形式と捉える伝統的な楽式論に従った形式分析においては、上記の部分は単なる展開部の途中に過ぎません。展開部の後続部分で「崩壊」が起き、鐘を伴う葬送行進曲を経た後、ようやく347小節に至って「始めのように(Wie  von Anfang)」再現部が始まることになります。そのような理解に基づけば、この日演奏された解釈は稍々もすれば構造的な把握を欠いたものと見做され兼ねません。しかしながらエルヴィン・ラッツが夙に指摘しているように、この楽章の構造は単純な伝統的な楽式論的分類を寄せ付けないものであり、既存の形式は、それを謂わば換骨奪胎してオリジナルな形式を実現するために鋳型のようなものに過ぎないのであれば、この日の演奏ではっきりとした形で実現された流れこそが、作品自身の持つ力学に忠実なものだと考えることができるでしょう。或る意味では安直で与しやすい伝統的楽式に従った解釈を離れ、アドルノの言うところの下から上へ向かう唯名論的な性格に忠実な演奏は、言うに易く行うに難いものであり、斯く言う私自身、今回の演奏に接して漸く井上喜惟さんがチェリビダッケから汲みとったアプローチを全く独自のやり方でマーラーの音楽に適用して音楽的に実現しようとしていたものが、まさにアドルノが指摘し、私自身、追及してきたものに他ならないことを遅ればせながら明確に自覚し、驚嘆するとともに自らの不明を愧じたような次第です。

*   *   *

その後の音楽はまたしても複雑で変化に富んだ経過を経て、「ここで全く遅くなって(Schon ganz langsamer)」いよいよ終結に達する訳ですが、胸が締め付けられるようなホルンによる歌が「非常に躊躇い(Sehr zögend)」がちな木管の対話で引き取られ、フルートがたゆとうように高音域で「宙に浮いた(Schwebend)」ままになると、再び音楽は停止する。再開する度に下降して音楽が着地するのは、またしても、何度目かの冒頭の回帰なのですが、楽章冒頭に持っていた先に向かって歩む(Andante)力は最早なく、最後はフルートとハープ、弦のフラジオレットで停止し、もう再開することはありません。

しばしばここは音楽は「解体」していくプロセスとして記述され、時として「死」の形象化とされることもありますが、今回の演奏では、長く、途中では苦痛に満ちたプロセスを経て、音楽的主体が再び出発点に立ち戻り、音の消え去った虚空を眺めているのに立ち会い、その眼差しを共にしているかのように感じられました。風景の中には最早主体はいないが、その風景を眺める眼差しが残っている、ここでは主体は最早ドラマの主人公ではなく、そこから身を退いて眺める存在であるという確固とした印象が残ったのでした。

勿論これらは全て楽譜に書かれていることであり、それを楽曲解説よろしく辿るだけならば、改めて私が今ここで繰り返す迄もないことでしょう。けれどもそうした音楽の流れが、今回の演奏において、この上もない自然さと自在さを以て、絶えず移ろいゆき、変化していく情動の動きを伴って流れていくのに立ち会って、まるで音楽がその場で生成するのを初めて経験するような新鮮さに満ちた体験をすることができたように感じたことを書き留めて置きたく思ったのでした。

この交響曲の第1楽章に、今回のような演奏によって接すると、所詮は音響の継起に過ぎない音楽にこんな事迄可能なのかという驚きを改めて感じ、マーラーの天才に圧倒される思いがします。特にその調性の変容のプロセスは単なる調的スキーマ内の遍歴に留まらず、調性自体が不安定になり、ほぼ無調に近づいたかと思えば安定した調的領域に回帰するというその精妙にして無限のニュアンスを孕んだプロセスは空前にして絶後のもので、西洋の音楽がその長い歴史の果てに到達した、意識の流れの音楽化の最高の達成の一つであることを再認識させられた次第です。

*   *   *

第2楽章は伝統的楽式では舞曲的な性格の「中間楽章」ということになりますが、このような舞曲的な楽章でのリズム処理の冴えは、井上喜惟さんのいわば「十八番」のようなもので、身体的、生理的なドライブはこの日の演奏でも健在でした。ただしこの楽章には三部形式のような静的な性格はなく、所謂「展開するスケルツォ」としての構造を持っていますし、その内実は一筋縄ではいかない屈折を孕んでいます。始まりではくっきりと対比的な性格を持つ主部の朴訥としたレントラー、イロニカルな表情を持ち、最後には野卑にさえ近づく急速なワルツ、非常にゆったりとして夢見るような2つ目のレントラーの3つの異なるテンポが切り替わって、再開される度に表情を変えてゆく有り様が、これもまた自然な経過としてリアライズされ、交替によって前の部分が後の部分に影響を与えていく具体的な経過の実質に重きが置かれていることが手に取るように感じ取れます。

ここでも特に印象的なのは冒頭のレントラーのブロックへの何度かの突然の回帰で、それがここでは構造的な句読点を与えるのですが、ブロックが賽の目に区切られたように切り替わるのではなく、それまでに経てきた音楽的脈絡がもたらす経験によりニュアンスがその都度異なったものになる音楽の一貫した流れがごく自然に感得されるものとなっていました。

しばしばこの楽章は、第9交響曲の中では比較的「弱い」楽章として問題になることがあり、ともすれば些か冗長であるとされたり、テンポも性格も異なる3つの舞曲のブロックの順列組み合わせ的な機械的なモンタージュといったメタ音楽的名人芸として説明が為されることもあるようですが、この日の演奏はそうした方向性とは無縁であり、これもしばしばそのように解釈されがちな、第1楽章に対する「息抜き」のようなものではなく、第1楽章で展開されたドラマと同じ主体の経験であり、その生の現実の異なった側面の音楽化であると感じられました。

第3楽章は「ロンド・ブルレスケ」と題され、「とても反抗的に」という些かエキセントリックな発想表示を持つことで有名なロンド形式の楽章で、対位法的アクロバットが主体を否応なく巻き込んで押し流してゆく「世の成り行き」の容赦なさを示すものとなっていますが、この日の演奏解釈でこの楽章に関して特筆されるのは、そのユニークでありながら実は楽譜に忠実な解釈が、オーケストラの凄まじい集中力によって十全にリアライズされたことが圧倒的な効果もたらしていた事です。

井上喜惟さんのこの楽章の解釈において特に重要なのは、中間部後半とコーダのテンポ設定です。まず中間部後半のテンポ設定について言えば、多くの演奏では練習番号39あたりから突然ギアチェンジし、音価を半分に切り詰め、譜面上からは恰も倍の速度になったかのような解釈が採られることが多いようです。しかし実際には楽譜にはそのような指示はなく、この日の演奏におけるように、逆にそうした恣意的な変化を持ち込まないことによってこそ、522小節からのロンド主部回帰の箇所のTempo I subitoが意味を持つのであり、急に再び「世の成り行き」の奔流の最中に立ち戻ったかのような突然の変化がもたらされることになるのです。ちなみにこの点に関して同様な解釈が為された例としては、個人的には井上さんが師事したベルティーニの演奏が思い浮かびます。

コーダについて言えば、こちらは最後のPresto(641小節)からはっきりとギアチェンジが行われ、その後の9小節間、恰も1小節1拍、3小節で3拍子のひとまとまりが3回繰り返され、その後それが途中で3拍子には1拍足らず2拍子には1拍多い5拍子のフレーズを経て(ちなみにこうした不均等なフレーズの処理に秘められた合理性はシェーンベルクがプラハ講演で第6交響曲のアンダンテの旋律の分析を通じて示したものを思わせます)、1小節1拍の2拍子に変化して最後まで辿り着くという楽節構造の把握が卓越しており、ここでもその解釈が徹底されたリアライズにより、それまでの奔流に更に加わる突然の変化が眩暈のような効果を惹き起こし、恰も突風に巻き込まれ、翻弄されたまま末尾に至る、凄まじいドライブに聴き手は打ちのめされたかのような印象を受けることになります。だがしかし、これも井上さんの指摘する通り、マーラー自身が楽譜に書き込んだ指示(3 taktig)の忠実なリアライズなのです。

第4楽章として全曲の最後に置かれたアダージョは、作品全体の冒頭の調性であるニ長調から半音下降した変二長調を基調としており、大きくフラットに偏って赤味がかった色合いの中、調性格論的にも穏やかで退いた薄明の仄かな光に充たされた音楽であり、全体が回顧的な色合いを帯びて響きます。

この日の演奏では、ここでもまた音楽の流れは淀んで停滞することなく、終わり近くに至るまで音楽が止まることはありません。特に鮮明な記憶として残っているのは、常に同じ色合いを帯びて回帰する主部に対して、11-12小節で仄めかされ、28小節に至って本来の姿を現す、音域的に大きく乖離した二声の対位法が印象的な対比部分の変化です。ここは主部の変二長調に対して異名同音の短調である嬰ハ短調(この作品冒頭のニ長調との対照という点では、末尾に二長調で終結する第5交響曲の冒頭がこの調性であったことが思い出されます)の領域なのですが、その後再現する時にはそれまでの音楽的経験の結果として蒙る変容により、最初の提示の無表情なたどたどしさと打って変わって、既に主部から流れ込む時から俄かに温もりを帯び、ひととき「大地の歌」のフィナーレの小川の情景がフラッシュバックしたかのような印象を与えます。

その後大きく高潮した音楽がようやく歩みを止めるのはコーダに至ってからで、何度も立ち止まっては再開する音楽は、だが最後に至って再び流れを取り戻してフェードアウトしていきます。これは第1楽章の末尾と照応したものですが、この日の演奏から受けた印象は、第1楽章の末尾に似て否なる効果を生み出しているように私には感じられました。ここでも第1楽章と同じで、主体は出来事から身を退いて、それを外から眺める視線としてのみ残っているのですが、そうした主体の位置は、第4楽章では始めから一貫したものであり、第1楽章におけるように遍歴の過程を経て最後に獲得されるものではありません。そして第4楽章の音楽の経過の全体は寧ろ、近づいてくる夜明けの予感であり、寧ろ主体はこの音楽を通じて蘇生の歩みを辿り、勿論、己の行く末をはっきりと認識しつつ(有名な「子供の死の歌」の引用)、だがそのことも含め「一切をかくも新たな光の中にみる」境地へと到達するように私には感じられてならないのです。従って第4楽章末尾のersterbendは「死」を示唆するものではありません。寧ろ或る種の「超越」であり、開けであるという揺るぎない印象こそが、聴いていて私が感じ取ったものでした。

*   *   *

そしてこのこともまた、この第9交響曲という作品全体についての井上喜惟さんの解釈が十全にリアライズされた結果なのかも知れません。曽雌さんによる、いつもにも増して詳細を極めたプログラムノートに記されているように、井上喜惟さんは今回、この曲の再演にあたっての楽譜の読み直しの過程で、この曲にファウスト的なものを感じ取り、この第9交響曲全体を、第8交響曲第2部でその構造上も尽くすことができなかったファウストについての語り直しと捉えておられるようなのですが、そのことは、音楽の一貫した流れを重視し、その中から自ずと形式が浮かび上がる様子を開示した今回の演奏解釈に通じるものであり、巨視的にも第一楽章を残りの三楽章が取り囲む遠心的な構造という通常受ける印象ではなく、四つの楽章が四枚続きのタブローとなり、ファウストの生の経験の異なる相を音楽化したものとして、対等な重みを持ちつつ、一貫した流れを形づくることに繋がり、それがここまで述べてきた音楽的流れについての実際の聴体験の印象とも一致するように感じられるからです。例えば第4楽章のあの有名な「子供の死の歌」の引用も、既に第8交響曲において第1部でも第2部でも繰り返し参照されていることを、その引用箇所とともに歌われる言葉(Virtute firmans perpeti / Der ewige Liebe nur Vermag’s in scheiden)も併せて思い浮かべても良いでしょう。

実は井上喜惟さんが示唆している第8交響曲第2部との繋がりについては今回の演奏会に因んでプログラムに寄稿させて頂いた小文「一切をかくも新しい光の中にみる」にも記載した通り、第4楽章のMolto Agadio subitoから7小節目(55小節)のヴィオラの下降音型が第8交響曲の第2部の練習番号170から171にかけて、かつてグレートヒェンと呼ばれた女が歌う部分の結びを強く連想させるものであり、ここがまさにファウストの蘇りが述べられる決定的な部分で、更にこの音型には "neue Tag"という言葉があてられていることが指摘できます。

拙文のタイトルはマーラー自身のワルター宛の書簡に記された言葉に由来するものですが、そのマーラーの言葉もまた、意識的なものであれ無意識的なものであれ、ファウストの蘇りとの関連を感じさせ、第8交響曲第2部の位置づけの見直しと、第9交響曲の読み直しを促すものと思っていたのですが、この日の演奏はそうした私の漠然として印象を、確たる認識にまで高めてくれるものであったと思います。

*   *   *

ここまで、この日の演奏を通じて明確に感じ取れた井上喜惟さんの解釈について述べてきました。この日の演奏ではっきりとした形で実現された流れこそが、作品自身の持つ力学に忠実なものであり、それ故に全く自然に淀みなく音楽的時間が展開していくことを聴き手は経験することになるのですが、既に述べたように、或る意味では安直で与しやすい、伝統的楽式に従った解釈を離れ、アドルノの言うところの下から上へ向かう唯名論的な音楽の在り方に忠実な今回のような演奏は、言うに易く行うに難いもので、全くオリジナルな達成としてマーラーの作品の演奏解釈の画期を為すものではないかとさえ感じました。

そうした解釈も繰り返されるリハーサルによる徹底的な共同作業によってオーケストラによって共有されなければ、既に述べてきたような充分なリアライズが達成できないことは明らかなことでしょう。特に今回強く感じたのは、解釈もまたそうであるように、そのリアライズもこれまで以上に自在さを増し、音楽が自らの論理に従って発展していく力動を強く感じ取る事ができたことでした。

そしてそれは、これまでの他の作品の演奏でも感じ取れ、今回もはっきりと感じ取ることができた、マーラー祝祭オーケストラの個性とでも言うべき独特の手応えのある響きについても同様に言えることだと思います。私見では、演奏が録音を通じて拡散され、共有されることが普通になってから以降、このような響きは録音向きではないものとして寧ろ排除されてきたもののように感じられてなりません。私の乏しい聴経験の範囲で、強いて似たような印象を持つものを挙げるとするならば、世代を遥かに遡って、丁度アドルノと前後する世代の、一例のみ挙げるならば、例えばホーレンシュタインの演奏に聴きとれるようなものに通じるものを感じます。

それは音色についても言えて、とりわけマーラーおいて頻発する、特に金管においてミュートした楽器を強奏することの効果も、近年の多くの演奏でそうであるような、角が取れて鮮明でありつつ美的な調和を損なわない音色のパラメータの一つとしてではなく、寧ろ、美的な面からは醜さも厭わない、邦楽で言うところの「さわり」を持った、強い表出力と緊張感を備えたものであり、音楽の実質に適ったものに思えます。これは打楽器の騒音的な音響についても同様の事が言えて、特に今回は鐘(舞台上ではなく、舞台裏で鳴らされたようです)についてそのような印象を受けました。

そのことはパートのバランスについても同様で、これもマーラー祝祭オーケストラの常でマーラー自身が想定していた両翼配置が採用されているのですが、今回はそのことにより特に第2ヴァイオリンの重要性が際立っていたように思います。そもそもこの第9交響曲の第1楽章冒頭で旋律を弾きだすのは第2ヴァイオリンなのです。それ以降も左右のヴァイオリンパートの掛け合いの効果も鮮やかで、マーラー自身が意図した空間性についても申し分のないものだったと感じます。

更に特筆すべきは中・低声部の充実であり、例えばヴィオラならば第1楽章展開部の129小節からなど重要な旋律がしばしば割り当てられていますし、チェロとコントラバスには、余りに有名な第1楽章コーダにおけるフルート、ホルンとの協奏的なアクロバティックなパッセージがあります。また協奏的ということで言えば、頻出するソロ、パートソロも重要で、特にホルン、木管、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロにはここぞいう部分でのソロの旋律が割当てられていますが、それらの悉くが集中力と大きな表現意欲を伴って十全に実現されていることに感銘を受けました。

もう一点、楽器のバランスに関連して今回特に強く印象に残ったこととして特記しておきたいのが、この第9交響曲のスコアに特徴的な線の錯綜のリアライズに関してです。この作品のスコアを開いて見たことのある方は良くご存じのように、この作品における対位法的な線の重畳とその絡み合いの複雑さは例外的で、或る種極限的なものと言って良く、しかもそれは、例えば後年のミクロフォニーのようなマスとしての効果ではなく、あくまでも線がびっしり絡みあって蠢く様子が聴き取れるように書かれています。その重層と複雑さは臨界的な領域にあって、人間の認知機構の制約を超えるもので、ここでは各声部は同時に聴き取れはするけれども全てを対等にという訳にはもはや行かず、全てを受け止めきれないという認知的な飽和状態の如きものが生じることになります。認知実験等の結果によれば、ゲシュタルト的な図として同時にパラレルに把握できるのは3声部くらいが限界であるとのことで、通常の演奏ではメインのラインのようなものを設定して聞きやすくしてしまうことが多いですし、特に録音で聴く場合には結果的にそのような聴取になるのが普通ですが、実際には楽譜ではそういう指定はなく、今回のような素晴らしい音響を持ったホールでの楽譜に忠実な徹底的なリアライズに接することによって初めて、マーラーが意図していたことが十全に了解できたように感じました。

それが特に顕著に感じられたのは、例えば第1楽章展開部前半の「激しい怒りを込めて(Mit Wut)」奏される音楽が崩壊した後、211小節からの「苦悩に満ちた(Leidenschaftlich)」箇所であり、デネットの多元草稿モデルのように(但し、デネットのような情報処理モデルでは抜け落ちてしまう強く複雑な情動を常に伴うものであるということは幾ら強調しても足らないのですが)、人間の心はもともとポリフォニックなものであって、それを意識が辛うじて統制しているかのように感じられるに過ぎず、時としてそれは破綻するということさえ感じる取ることができ、常には「情熱的な」といった訳され方をするLeidenschaftlichという言葉のニュアンスを十全に感じ取れたように思いました。

その他個別に印象に残った所を逐次挙げて行けば際限なく、それだけで紙数が尽きてしまうことからそれは割愛させて頂き、最後に全般的な印象を記してこの感想を終えたく思います。

*   *   *

これは繰り返しになりますが、楽譜の徹底的な読み直しによって井上喜惟さんが把握し、音楽自体が持つ時間性の流れに逆らうことなくその自発性に従って構築したものは、通常この第9交響曲の解釈として宛がわれる伝統的な楽式論をベースにし、せいぜいがそこからの逸脱を測るような解釈とは無縁ですし、多く伝記的事実との単純な重ね合わせに由来する標題音楽的、図像学的解釈とも異なっており、それらを拒絶するものでした。それは第8交響曲第2部のファウストの蘇りの語り直しとして、マーラー自身が「一切を新しい光の中にみる」と述べたような心性の蘇生の歩みの音楽化ではなかったかと思えます。しかもそれは、交響曲という伝統的な形式に依拠した単なる主観的心情の告白ではありません。この作品の手前において認識態度の変更があり、この作品は、これもまたアドルノが的確に指摘しているように、ゲーテ=ジンメル的な晩年の音楽なのであり、主観的なあり方がそのまま形式となるというジンメルの「老齢芸術」の理念の最上の実現の一つであるということが、この日の演奏を通じて確認できたように思います。そしてそれはそのまま、シェーンベルクのプラハ講演の言葉にある、作曲家をメガホン替わりにして語る存在の示唆にも通じ、この作品の「客観性」と彼が呼んだものにも通じているのではないでしょうか。

そして改めて、ある面では音響の継起に過ぎない音楽においてこのような精神的なものに到達することができたマーラーの天才には只々圧倒される他ないように感じます。勿論、このようなあり方が音楽の唯一の在り方である訳では決してありませんが、それでも尚、シュトックハウゼンが指摘した通り、「人間」というものが解体し断片化する手前で、二分心崩壊以降の意識の歴史の蓄積の末に到達された「意識の時代」の最高の達成の一つであり、その後はもうこのような形での達成は不可能になったのだという認識を新たにしました。マーラーはどんなに偉大な芸術作品とて「抜け殻」に過ぎないと述べたことがありますが、その言葉もまた、この音楽にファウスト的なものを読み取ろうとする井上喜惟さんの見方と響き合うものがあります。作品が「抜け殻」であるというのは「たゆまぬ努力によって生れ出た彼の姿は、不滅のものだ」という考え方と対のものとして理解されるべきだからです。

そのような解釈の投影という面もあるのかも知れませんが、今回の演奏は自分がそこに価値を見出した何かを音響としてリアライズしようという指揮者・音楽監督の井上喜惟さんの確固たる意志をいつになく強く感じさせるもので、オーケストラはそれに対して、驚異的な集中力と共感を以て十全なリアライズを成し遂げたものと感じられました。演奏が終わった後の、得難い何者かが達成され、成就されたというはっきりとした感じがかけがえのないものに感じられ、そうした場に聴き手の1人として立ち会うことができた幸運を噛み締めずにはいませんでした。更に加えて、改めて最近の演奏の充実を振り返り、その上でそれらの蓄積が可能にした一層の自在さをもって達成された今回のような演奏を目の当たりにした時、ふとした偶然によるきっかけから、微力ながらかれこれ10年以上に亙ってお手伝いさせて頂くことができている幸運についても感謝したい気持ちになりました。

到底言葉で尽くすことは叶わぬにせよ、結局のところ言葉で伝えるしかない最高度の感謝を井上喜惟さんとマーラー祝祭オーケストラの皆さん、また今回のコンサートの企画に携わられた皆さんにお伝えして、この拙い感想の結びとさせて頂きたく思います。(2025.10.13初稿, 11.16加筆・修正)


「一切をかくも新しい光の中にみる」—第9交響曲と「老い」について(2025.10.11 マーラー祝祭オーケストラ第25回定期演奏会によせて)

 マーラーの第9交響曲はしばしば「大地の歌」と一括りにされ、「死」と「告別」という内的プログラムを持つものとして語られる。パウル・ベッカーは「死が私に語ること」を第9交響曲の暗黙の標題とし、メンゲルベルクは自分のスコアに「愛する者たちからの告別」(第1楽章)「白鳥の歌」(第4楽章)と書き込んだ。前作の「大地の歌」のみならず、ベートーヴェンの「告別」ソナタの引用、終楽章における「原光」や「子供の死の歌」第4曲の引用も「死」や「告別」と作品との結び付きを裏付けるかに見える。

 その一方で、素材に過ぎないものを作品のイデーとしての「標題」と見做す立場に対する批判があり、伝記的事実との作品の安易な結びつけを戒め「人生と芸術」の関係を相対化する立場も存在する。しかし心の状態ではなく、現実性に対する態度が問題であるならば、例えば「大地の歌」のマクロな構成が「死の受容」のプロセスと類比的であるとする説にも妥当性を認められようし、その傍証としてならば、長女の死、自身の病の宣告という伝記的事実を持ち出すのは構わないだろう。その一方で音楽を「死のイメージ」の表現と見做し、或いは「死との対決」というプログラムに縛り付けておきながら、その創作の時期にマーラーが既に「危機」を克服していたという事実をもって「人生と芸術」との関係を相対化する主張には一抹の違和感が残る。

 確かにマーラーは既に「大地の歌」と第9交響曲の作曲の間の時期にあたる1909年初頭のワルター宛ニューヨーク発の書簡で「一切をかくも新しい光の中にみている(Ich sehe alles in einem so neue Lichts)」と語り、自分が第8交響曲第2部で音楽化した『ファウスト』第2部終末のファウストの蘇りにさえ言及している。だがだとしたら寧ろ第9交響曲は「死」と無関係ではないにせよ、「死」そのもののイメージとも「死の受容」とも異なった、現実的なものの経験において生じる別の反応形態と関わるのではないか?

 この問いに答えるにあたっては、マーラーの作品における「後期様式」についての議論が手がかりとなるだろう。マーラー論においてアドルノは「後期様式」に関してゲーテの「現象からの退去」を参照するが、これはジンメルの『ゲーテ』での「老齢芸術」論に基づいたものとされる。ジンメルは「老い」によって外部世界から内なる経験へ焦点が移行し、既存の形式に依拠した全体的統合に無頓着になり、作品や作者の世界との関係が象徴的なものとなると指摘している。アドルノはジンメルの見解を継承しつつ、調和や有機的統合性の放棄を強調しているが、そのアドルノの衣鉢を継いだサイードもまた伝記的事実への安易な照会を戒めているとはいえ、五十歳にも満たないマーラーが「後期様式」を獲得したことは、二人称的な死との直面や一人称的な死の予告としての病の宣告、社会的水準で「老い」との関りが深い「退職」といった出来事との対峙により自らの有限性を意識し、「老い」を意識することにより現実への態度を更新したことと無関係ではあるまい。

 今井眞一郎によれば「老い」のシステム論的定義は「生物が持つロバストネスの変移と崩壊」であり、単なる「崩壊」=「死」ではないことが強調されるが、それを踏まえるとすれば、「後期様式」とは、端的に「老い」と「老いの意識」の様式であり、それを通じて「一切をかくも新しい光の中にみる」試みではないだろうか。

 斯くして実現した音楽は、シェーンベルクが「プラハ講演」で指摘する、「恰も作曲家が隠れた作者のメガホン替わりであるかの如き」、「美についての客観的で、ほとんど情熱を欠いた証言」となる。アドルノの指摘する「間接話法」での語りも、シェーンベルクの指摘も「現象からの退去」と関連づけることが可能であり、第9交響曲は「大地の歌」の「死の受容」のプロセスに続く「老い」の時間性の音楽化と捉えることができる。

 従ってその徴候は音楽の形式的、構造的側面においてこそ明らかなものとなる。全曲のニ長調→変ニ長調という下降する調的プラン、ニ長調・ニ短調の対比を構成原理とし、ソナタ形式を基本としながら変形の技法の限りを尽くして絶えず主題が変容しつつ回帰する第1楽章の独自の構造、通常の意味合いでの解決が絶えず宙吊りにされ、時として調性の感覚が曖昧になりさえする独特の和声進行や、規範に囚われない斬新な音響に富んだ器楽法は「後期様式」の特徴を典型的に体現している。その第1楽章を後続の楽章が遠心的に取り囲む、アンバランスで統合性に欠くと見做されるかもしれない破格な楽章配置もまた然りだし、各楽章におけるアイロニー、反抗と諦観も、ハ長調-イ短調-変ニ長調という調性格論に拠る基本的性格に基づきつつ、現実に対する「老い」固有の反応の様態を色濃く反映したものとなっている。更に第9交響曲に関して指摘される「崩壊」や「溶解」といった局所的な構造的性格も、「老い」のシステム論的定義に照らせば、「死」そのものではなく、寧ろ「死」へのベクトル性を帯びた「老い」の時間性を反映していると見るのが妥当ではなかろうか。長調と短調の二元論にせよ、変形の技法、形式の唯名論的性格、或いは「仮晶」にせよ、それら自体としてはマーラーの作品全体を通して指摘でき、必ずしも「後期様式」固有のものではないけれども、それらが「老い」の意識を通じて機能することによって「後期様式」の実現に本質的に寄与していることは間違いないだろう。

 それを思えば「大地への未聞の愛の表現」というベルクの言葉も、第1楽章におけるシュトラウスの「楽しめ、人生を」の引用とともに「死の受容」を経た老境の生に対する態度の反映と捉えられるだろう。更にファウストの蘇りへのマーラーの言及について言えば、「子供の死の歌」第4曲の引用とされる音型が既に第8交響曲にも確認できること、第4楽章のMolto adagio subitoから7小節目(55小節)のヴィオラの下降音型が第8交響曲第2部で、かつてグレートヒェンと呼ばれた女がファウストの蘇りを歌う部分の結びの引用であり、"neue Tag"という言葉が充てられていたことを思えば、常には対照的なものと位置づけられることが専らの第8交響曲第2部を、寧ろ「後期様式」の予告として位置づけ直し、翻って第9交響曲を読み直すことが求められているのではなかろうか。

 「老い」を前面に立てたとて、その内実が「死」との関わり、生からの「告別」であるとするならば結局は同じことであり、殊更異を唱える迄もないという見方もあるかも知れない。だが私見によれば「老い」についての言い落しはマーラーの「後期作品」の捉え方に無視できぬ歪みをもたらしている。そのことは西欧的主体観にとっては「死」への覚悟よりも、主体自体の衰頽・崩壊の過程である「老い」の方が厄介なものであり、それは「死」についてならかくも饒舌に多くが語られるのに対し、寧ろ「老い」を取り上げることの方がタブーであり、スキャンダルですらあることと関わっていよう。しかし東洋の伝統では事情が異なる。思いつく限りでも、例えば能の老女物における「老い」の受容もそうだし、世阿弥の「老年の初心」を思い浮かべることもできよう。西欧でもその周縁からなら、トルンスタムの「老年的超越」といった、禅を参照するなど東洋的な考え方に親和的な概念が提唱されている。ゲーテの「現象からの退去」も、静寂観と神秘に重きをおく老年観についても東洋的なものとの親和性を指摘することができようし、それはまたゲーテのみならず、ショーペンハウアー、東洋学者でもあったリュッケルト、更にはフェヒナーの自然哲学に親炙し、漢詩の翻案に惹き付けられたマーラー自身のものでもあろう。「一切をかくも新しい光の中にみる」という言葉は、例えば世阿弥の「老年の初心」の表明ではないだろうか?こうした点を踏まえてマーラーの音楽に虚心坦懐に向き合うことは、西欧的な主体観や能力主義に相当程度侵蝕されている今日の日本の我々にとって、寧ろ自己の奥底に潜む伝統を再認識する契機にすらなり得るのではなかろうか。

 今日であれば、生成AIがマーラーの「後期様式」を論じ、第9交響曲の分析レポートを作成することすら可能になっている。だが生成AIは問われた対象についての言説の空間の内部を情動的反応なしで動き回り、「他人の噂」に基づいて回答を返すことしかできない。AIは「老い」を感じず、音楽を聴くことで引き起こされる反応とは無縁で、第9交響曲を聴いて共感することもない。井上喜惟さんとマーラー祝祭オーケストラにとって第9交響曲は2012年以来の再演になるが、前回の演奏が東日本大震災のために延期され、会場を変更して翌年実現したこともまた、その事実を指摘することなら可能であっても、公演がおかれた未聞の状況、演奏においてこれ一度きり実現した、異様とも言える雰囲気から受ける「感じ」を10年以上隔てて今なお生々しく想起するといったことは、少なくとも現在の生成AIにとっては無縁の事柄なのである。既に生成AIが自己の「死」を認識し、それを避けようとするという報告があるが、どこまで行っても「老い」とは原理的に無関係である以上、AIが「一切をかくも新しい光の中にみる」ことはないだろう。

 今や現実味を帯びて来たシンギュラリティ(技術的特異点)の彼方では、人間もまた「老い」から解放されるのかも知れず、もしかしたら私たちはジュリアン・ジェインズの「二分心」崩壊以降、シンギュラリティ以前のエポックを生き、単に生物として「老い」を生きるのみならず、「老い」を意識し、経験する最後の世代なのかも知れない。そしてシンギュラリティの彼方でマーラーの音楽は、今から半世紀以上も前にシュトックハウゼンが想定した、地球を訪れた宇宙人にとってのように、かつて「人間」と呼ばれた種族を知るための考古学的な手がかりに過ぎなくなるかも知れない。しかしシンギュラリティの手前に生きて老いてゆく私たちにとってマーラーの第9交響曲を聴くことは、自らもまた自己の有限性を自覚しつつ、まさにそのことによって「一切をかくも新しい光の中にみる」ことに誘われるかけがえのない経験であり続けるだろう。(2025.6.18初稿, 7.2最終稿, 10.13公開)


2025年10月1日水曜日

[お知らせ] マーラー祝祭オーケストラ(音楽監督・井上喜惟)第25回定期演奏会(2025年10月11日)

  マーラー祝祭オーケストラ(音楽監督・井上喜惟)第25回定期演奏会が2025年10月11日にミューザ川崎 シンフォニーホールにて開催されます(12:45開場、13:30開演)。以下のマーラー祝祭オーケストラの公式ページもご覧ください。

Mahler Festival Orchestra Offcial Site (https://www.mahlerfestivalorchestra.com/)

チラシのpdf版は以下のリンクからダウンロードできます。

マーラー祝祭オーケストラ第25回定期演奏会.pdf




プログラムはベルクの7つの初期の歌とマーラーの第9交響曲より構成されます。第9交響曲はマーラー祝祭オーケストラがまだジャパン・グスタフマーラー・オーケストラという名称であった2012年6月24日に、文京シビックホール大ホールで行われた第9回定期演奏会で取り上げられており、今回は13年ぶりの再演となります。13年前の公演に接した本ブログ管理人の感想は、ジャパン・グスタフ・マーラー・オーケストラ第9回定期演奏会を聴いてという記事として本ブログで公開しています。第9回定期演奏会は本来、2011年に行われる予定でしたが、東日本大震災被災により当初予定されていたミューザ川崎シンフォニーホールでの公演ができなくなったこともあり、1年延期の上、会場を変更しての公演となりました。今回は改めて、ミューザ川崎シンフォニーホールでの公演となります。

第9交響曲について、これまでの公演で取り上げられてきた交響曲同様、プログラムノートに寄稿させて頂いておりますので、是非ともご一読頂ければ幸いです。

また本ブログでは、上記の公演の感想以外にも、第9交響曲に関連して以下のような記事を執筆・公開していますので、併せてご覧頂ければ幸いです。

(2025.5.31 公開, 6.18 更新)


2024年6月6日木曜日

マーラー祝祭オーケストラ第23回定期演奏会を聴いて(2024年5月26日 ミューザ川崎シンフォニーホール)

マーラー祝祭オーケストラ第23回定期演奏会
2024年5月26日 ミューザ川崎シンフォニーホール

プフィッツナー 音楽的伝説『パレストリーナ』第1幕への前奏曲
マーラー リュッケルトによる5つの歌曲(私の歌をのぞき見しないで, 私はやわらかな香りをかいだ, 真夜中に, 美しさゆえに愛するなら, 私はこの世に忘れられ)
マーラー 第10交響曲(デリック・クックの補筆による演奏用バージョン)

井上喜惟(指揮)
蔵野蘭子(アルト)
マーラー祝祭オーケストラ

*   *   *

 半年前に井上喜惟さんとマーラー祝祭オーケストラによる「嘆きの歌」のコンサートに立ち会うべく、2020年の新型コロナウィルス感染症の流行以降初めてコンサートホールに出かけた時に、既に感染症法上の分類が変更されて半年が過ぎていて、ホールに向かう途上の鉄道の混雑と駅の雑踏は旧に復していたように記憶していますが、今回、半年ぶりに再びコンサートに赴くべく土曜日の昼頃にミューザ川崎のある駅に向かいました。インバウンドの旅行客の増加のせいか、一層激しくなったように感じられた混雑に狼狽し、そちらこちらで聞かれる咳の音に心を驚かされつつ、普段その中に逼塞している環境との余りの違いに対する戸惑いの儘にコンサートホールに到着し、携帯電話に着信がないことを確認してから電源を切り、自分の座席を確認して開演を待つ間、自分がその場に相応しくない存在のように感じられるとともに、自分の現在の精神的・身体的状態が、これから接することになる演奏を、それに相応しく受け止めることができるかどうか、耐えきれなくなって途中で席を立ちたくなってしまうのではという思いに囚われていたことが鮮明に、生々しい感覚とともに思い起こされます。

 この日のプログラムには冒頭にプフィッツナーの「パレストリーナ」前奏曲が含まれていましたが、そもそもプフィッツナーの作品といえば、数十年前に1曲だけ、FM放送で確か若杉弘さんの指揮で「キリストの小さな妖精」の序曲を聞いたことがあるだけ、「パレストリーナ」についてもそれがブルーノ・ヴァルターやトーマス・マンに支持された「代表作」であるという断片的な知識のみしかない状態で接したので、何かをコメントする資格などなく、いつもの通りに有識の方に委ねることとして、以下ではマーラーの作品についてのみ感想を記しておきたく、まずは最初の曲の後、休憩を挟むことなく引き続いて演奏された「リュッケルト歌曲集」について記したく思います。

*   *   *

 実は私は、実質はソロ・カンタータとも連作歌曲集とも見做されうる交響曲「大地の歌」を別にすれば、マーラーの「歌曲」の実演に接したことがこれまで一度もありませんでした。私の場合にはそもそもコンサートに赴く機会自体がほとんどないため、接する機会がない理由にはなりようがありませんが、それでもなお交響曲に比べて管弦楽伴奏の歌曲の演奏頻度は、その価値を思えば不当と感じられる程低いことを感じます。勿論そこには恐らくそうならざるを得ない様々な理由があるわけで、まず演奏会を企画する側からすれば歌手を招かなくてはならないという問題がありますが、同じソリストを招くにしても、それなりのスケールとポピュラリティのあるレパートリーを多数擁し、大向こうを唸らせるような名人芸の披露によって集客の効果さえ期待できる協奏曲とは異なって、歌曲は基本的にはピアノ伴奏でリサイタルで演奏されるスタイルが標準であり、管弦楽伴奏版は或る種例外的な位置づけになってしまうのは避け難く、数多あるレパートリーの中から管弦楽伴奏歌曲が数の限られた公演プログラムの中の一曲として選択される機会はどうしても限定的なものにならざるを得ません。また歌曲には当然ながら歌詞があり、歌詞が聴きとれて理解できることが聴取の前提となる点も敬遠される理由になっているかも知れません。管弦楽伴奏歌曲に対して西洋音楽史上の或る時期のコンサート需要に応じて生産された製品であるという見方を採れば、一世紀の後、そのニーズは最早極めて限られたものになっている上に、文化的伝統が異なる地球の裏側では、そもそも「歌曲」というジャンルを受け入れる素地が極めて限定されたものでしかないというのが実情なのかも知れません。必ずしも「歌」が駄目というわけではないのは、ポピュラー音楽の分野を見れは明らかですし、クラシック音楽においても、例えば「オペラ」については稍々違った状況のように感じられますが、ここでは、歌曲と交響曲の作曲家であるマーラーの作品において、その交響曲の受容の度合いを思えば甚だしくバランスを欠くと思えるほどに歌曲が取り上げられないこと、それを考えれば、前回のカンタータ「嘆きの歌」の上演同様、今回の「リュッケルト歌曲集」についても、マーラーの名を冠するオーケストラの矜持を示す、意義深い企画であることを一言記しておきたいように思います。私個人について言えば、この「リュッケルト歌曲集」は、交響曲を含めても、マーラーの作品の中で最も身近に感じられ、演奏の録音を通じて、或いは楽譜を通じて、更にはMIDIデータの分析といった仕方も含めて、繰り返し接し、親しんできた作品であり、聴く頻度だけ取れば、歌曲集の中でも飛びぬけて高いだけではなく、交響曲と比してさえ勝るとも劣らない作品でしたから、まずこの作品の実演にようやく接することができたことに対し、更にそれが自分が居る同じ空間の中でリアライズされるのに立ち会うという経験そのものに対し、喜びもひとしおのものがありました。

 「リュッケルト歌曲集」は「さすらう若者の歌」や「子供の死の歌」、或いは「大地の歌」とは異なって連作歌曲集ではなく、「子供の魔法の角笛」に基づく歌曲がそうであるように、個別の歌曲を一まとめにしただけなので、曲順が決まっているわけではないし、そもそもが5曲まとめて演奏しないといけないわけでもありません。更に言えば、マーラー自身が管弦楽伴奏版を作成したのは4曲だけ、作曲の経緯からしても他の作品とは区別される「美しさゆえに愛するなら」は、その経緯に相応しくピアノ伴奏版のみで、管弦楽伴奏版は他の編曲者による後補になることから、この歌曲集を取り上げるにあたっては、非常に多様な選択肢がありえることになります。例えばマーラーが1905年1月29日にこの歌曲集の管弦楽版の初演を行った時には、(当然ながら)「美しさゆえに愛するなら」を除いた4曲が、「私はやわらかな香りをかいだ」、「私の歌をのぞき見しないで」、「私はこの世に忘れられ」、「真夜中に」の順番で演奏されています。それに対してこの日のプログラムでは、マックス・プットマンが管弦楽版を作成した「美しさゆえに愛するなら」を含めた5曲全てが取り上げられ、「私の歌をのぞき見しないで」 「私はやわらかな香りをかいだ」、「真夜中に」、 「美しさゆえに愛するなら」、 「私はこの世に忘れられ」の順番で演奏されました。当然のことながら演奏の順番というのは作品解釈の一部であって、正直に言えば、私個人が選択するであろう順序と、この日の演奏順序は異なるものでしたが、接してみると調的配置の面でも、物語的・心理的な流れからも自然な排列であり、しかも後述するような印象が残ったのは、偏にこの順序によるものではないかと考えられ、蒙を開かれる思いがしました。

 「リュッケルト歌曲集」の管弦楽は交響曲に比べれば遥かに規模の限られたもので、寧ろ室内管弦楽の嚆矢と見るべきで、その書法は中期の交響曲よりは寧ろ「大地の歌」の中間楽章に繋がるような、時として工芸品を思わせるような、繊細で微妙に移ろう色彩を備え、管弦楽伴奏であるにも関わらず、外に向かって広がっていくよりは内面に沈潜していく傾向が強いと感じますが、ーー岡田暁生先生は、この「リュッケルト歌曲集」を「ユーゲントシュティール・リート」というジャンルを開拓した作品と規定されていますが、これは卓見であると考えます(「ユーゲントシュティールと世紀末の作曲家たち」参照、『キーワード事典 作曲家再発見シリーズ マーラー』, 洋泉社, 1993, 所収)ーー、この日の演奏は、豊かな色彩感はそのままに、移ろいゆく響きの流れの豊かさが印象的で、隅々まで良く歌って非常に雄弁でさえあり、それがしばしば歌曲というジャンルをはみ出て寧ろオペラの一場面を思わせるようなスケールの大きな劇的な盛り上がりを示す点でユニークな演奏であったと感じました。そうした管弦楽の動きは勿論、歌手の歌唱スタイルに反応したものであって、一つ一つの言葉に込められた感情、ニュアンスも驚く程に多彩であり、通常の歌曲の歌唱であれば、或る種の抑制の中でフォルムを崩さないことを優先して表現されるものが、この日の蔵野さんの歌唱においては、呟きや囁きに近い弱音から、大きなコンサートホールに響き渡るような強靭な節回しに至る迄、驚くべき多彩な幅を持ったものであった点が強く印象に残りました。またこれは色聴という私個人の体質に固有のものなので一般性はないかも知れませんが、管弦楽ならではの調性の変化に対応した色彩の変化が録音で聴いた時に比べて、比較にならない程鮮やかなのには驚かされました。具体的に記述すれば、透明感のある、柔らかな光がたゆとう第1曲、曲頭の零れ落ちるような緑色が中間部分で第5曲を思わせる暖色系に変化した後、末尾でふっと元の色に戻るコントラストも鮮やかな第2曲、色彩よりも明度の変化に勝り、闇の暗さから眩い蒼天の輝きに至る第3曲、同じく色彩の点ではニュートラルで、途中に微妙な陰影を交えて、だが全体としては一貫して晴朗な第4曲、そして、聴き手を包み込むような暖色系の穏やかな光の中で中間部の色彩の微妙な変化が美しい第5曲というのがそのアウトラインになるでしょうが、実際の細部の色彩と輝きの移ろいの微妙さは文字通り筆舌に尽くし難いものがありました。

 それと同時に、数十年の長きに亘り聴き続けて親しんできたにも関わらず、この実演に接して初めて思い至ったこともあります。それは特にこの曲集の中では、特に第5曲(「私はこの世に忘れられ」)が体現している「孤立」のことで、それは一面において第3曲(「真夜中に」)のような、実存的な単独者性と隣り合わせでもあるのですが、それでもそこでの「真夜中」は、例えば第3交響曲第4楽章の「夜」とは異なって、虚無に陥っていく傾向のものではなく、それは寧ろ交響曲の世界では猛威を振るう「世の成り行き」の最中に穿たれた異空間であって、特に第5曲では外部からは遮断されたその内部は親密さと安らぎに満たされているのですが(丁度、第6交響曲の世界を裏側から眺めているような感覚もあります)、それが望まれていはしても実際には実現しないがゆえに夢想され、希求されるものではなく、たとえ儚く仮初のものであるにせよ現実のものであって、確かにその中に主体が住まって安らっているというリアリティが今回の演奏を通じて強く感じられたのが印象的でした。

 それでふと思い浮かんだのが、アルマの回想録の1903年から1906年までの期間が「輝かしい孤立」と名付けられていたことで、マーラー自身がアルマとの生活をこのように呼んだことに由来するとアルマは一連の章の冒頭に記しています。アルマとの生活が必ずしも穏やかで安らぎに満ちたものではなかったことは既に良く知られていて、くだんのアルマの回想もまた、その背後に数多くの言い落しがあることが明らかにされており、そしてその葛藤の最大のものが第10交響曲の創作の背景の一部を為しているというのは余りに有名なことですし、実は「リュッケルト歌曲集」のうち、アルマへの私信としての性格を持つ「美しさゆえに愛するなら」以外の4曲は、1901年11月のアルマとの出会いに遡って、その年の夏に書かれたものなので、伝的的事実に符合を見つけようとする類の試みはここでもあっさり頓挫することになるのですが、それでもなお、「輝かしい孤立」の中で、自分の出生や生い立ちに纏わる様々なしがらみから離れ、職場のいざこざや人間関係の軋轢からも離れて、ひとときであっても自分の価値観の中で生きることができることがもたらす深い慰藉と静かな喜びの気持ちが極めて直截な形で伝わってくるように感じられ、強く心を打たれたのでした。

 「輝かしい孤立」という言葉は、これは邦訳だけ見ていると気付かないかも知れませんが、原文は英語でSplendid Isolationであり、それが英語であるからには、直接には当時の大英帝国の外交政策を「栄光ある孤立」と呼んだことに由来するのでしょうが、その由来の側の政策の後日の歴史的評価が割れることも、マーラーのアルマとの生活についての後世の評価が割れることも、ここでは主要な問題ではないと考えます。また同様に、この歌曲集の持つ雰囲気にユーゲントシュティル的な自閉への傾きを感じ取り、そのあざといまでの人工的で工芸的な繊細さに或る種の閉塞や自己中毒の危険を嗅ぎ付けるといった方向性の指摘にも首肯できる面があるとは思います(例えば、典型的なユーゲントシュティル様式によるツェムリンスキ―の傑作「メーテルリンク歌曲集」についてであれば、躊躇することなく私も同意することでしょう)が、それでもなお、そうした「孤立」抜きで「世の成り行き」をやり過ごすことなどできないし、マーラーの創作においては、若き日には微睡みの夢の中にしかなく、そしてその後の作品においては、「大地の歌」、第9交響曲においてそうであるように、再び、最早それが現実のものではないという(否、ことによったら、一度も現実のものとなったことはないという)認識を伴った苦々しい回顧という形をとる他ないにせよ、ここでは(錯覚のようなものであれ)一時それが現実のものであると感じられたということ、そしてそのことが作品に刻印されているということ(とはいえ、それは自伝的作品ということではなく、寧ろ世界との関わりの様態、認識の仕方の反映と考えるべきなのですが)の方に一層の重きをおきたいように思うのです。何よりも実感として、この日の「リュッケルト歌曲集」の演奏に接した時に、「世の成り行き」に翻弄され、弱りきって疲労困憊し、乾ききっていた自分の心の中にどっと暖かなものが流れ込んできたように感じられ、自分が長らく離れ、忘れかかっていた大切な何かがふと姿を現したのに接したような、救われたような気持ちになったというのは紛れもない事実ですし、その効果は音楽を聴いている瞬間だけ錯覚を引き起こすような刹那的・一時的なものではなく、或る種のモードの切り替えを駆動し、「この世の成り行き」に立ち返った後においても知らぬ間に別の軌道に乗り移っているというようなものなのです。こうしたことを私が感じたことがこの日の演奏の客観的な質にどれだけ関わるかは判断がつきかねる部分もありますが、事実として書き留めて置きたく思います。更に付言するならば、「真夜中に」を挟んで、後半に「美しさゆえに愛するなら」を持ってきて「私はこの世に忘れられ」で結ぶというこの日の演奏の排列がそうした感じ方に影響したのは間違いないことで、これが先に、排列の物語的・心理的な合理性と述べたことの実質に他なりません。かくして井上さんの解釈の下、このコンサートにおいてマーラーの音楽が自分に手を差し伸べてくれるのを経験したということを、感謝の気持ちとともに証言しておきたく思います。

*   *   *

 15分の休憩を挟んで、後半はデリック・クック補筆による5楽章版の第10交響曲。別のところでも述べたように、第10交響曲のクック版はマーラー祝祭オーケストラがまだジャパン・グスタフマーラー・オーケストラという名称であった2014年6月15日に同じミューザ川崎シンフォニーホールで行われた第11回定期演奏会で取り上げられており、今回は10年ぶりの再演だったのですが、私自身、この10年前の演奏に接しており(その感想は、ジャパン・グスタフ・マーラー・オーケストラ第11回定期演奏会を聴いてという記事として公開)、今回は2回目となります。初めて実演に接した「リュッケルト歌曲集」に比べると、その点については遥かにリラックスした気持ちで演奏に接することができた一方、冒頭記した、自分の精神的・身体的コンディションが作品を受け止めるに十分なであるかどうかについては全く自信がなく、恐る恐るという感じで、第1楽章アダージョ冒頭のあの有名なヴィオラのパート・ソロを聴き始めることになりました。結論から言えば、演奏者の凄まじい集中力に引き込まれて、一気に最後まで聴き通してしまったというのが実態で、演奏の充実は、終演後のオーケストラの皆さんの感極まったような、それでいてどこか晴れ晴れとした表情に尽くされていると感じられ、こうした素晴らしい演奏に立ち会えたことの幸運を強く感じつつ拍手をしました。その一方で、そうした達成を目の当たりにして、自分がプログラムに寄稿した文章が色褪せたものに感じられ、自分の文章が如何に非力で無力であるかを痛感せずにはいられませんでした。そうしたこともあって、公演プログラムに寄稿させて頂いた文章も含め、第10交響曲について既に記事として公開している内容を繰り返す愚を犯すことは避け、拙いものになることは承知の上で、とりあえずは今回の公演の印象のみを書き留めておきたいと思います。更には、印象に残った細部については列挙に暇がないとは言うものの、今回の演奏について言えばそうした細部を取り上げることの必要性を強く感じないことから、そうすることは必要で相応しい別の機会に譲ることとして、全体的な印象だけを記して感想に替えさせて頂きます。また同一指揮者・同一オーケストラにより同一曲の再演ということであれば、前回の演奏との比較というのが関心事の一つになると思いますが、前回が10年前のことであり、その公演の記録はyoutubeでも公開されていて、いつでも何度でも接することができるとはいえ、当日に演奏会場で受けた印象や感じたことをもひっくるめての比較を行うことには困難が伴うことから、基本的には今回の公演の演奏から受けた印象に絞って記すことにさせて頂きます。(前回との比較ということでは一つだけ、第4楽章末尾から第5楽章冒頭にかけて連打されるバスドラムは、今回もまた前回と同様にステージ上のパイプオルガンのパイプに程近い客席の高いところに置かれ、丁度マジェスティック・ホテルの高層階から通りで行われた葬儀を眺め、大太鼓の音を聞いたマーラーやアルマとは上下関係が入れ替わって、その音はどこか遠くの上の方から降ってきてステージの上空の空間自体が振動しているかのように客席に降りてきて、会場全体に響き渡ったことを備忘のために記しておきます。)

 今回の演奏の全体的な印象を一言で言えば、聴き手を圧倒する、演奏者の凄まじいばかりの集中力と、細部に拘って響きのバランスや音色を磨き上げるよりは音楽の流れを重視し、恣意性を排した自然なテンポ設定で作品の大きな構造を浮かび上がらせるとともに、各パートが表情豊かに歌いきるといった点にその特徴があったように感じます。勿論、第10交響曲のような長大な作品の場合、集中が疲労との応酬の関係にあることは避け難く、この公演においても特に作品の終わりに近づくにつれて傷が目立つことがなかったとは言えませんが、そうした点を指摘すること自体が場違いでナンセンスなことであると感じられる程に、まさに一期一会と形容するに相応しい、燃焼力の高い演奏であり、何者かが降りて来たかのような奇跡的な瞬間も幾度となくありました。10年前の演奏では個別の細部に立ち入れば、まだ些か手探りのようなところがないとは言えなかったのに対して、今回は完全に曲が手の内に入ったかのような、自在で表現意欲が迸る生気に富んだ演奏で、全体を俯瞰してのコヒーレンスの高さが際立っていたように思います。

 前回同様、今回の演奏でも使用された演奏用バージョンを作成したデリック・クックは自分の作成したバージョンを(他の一部の補筆版作成者のように)決定的で、改変の余地のないものとはせずに、自分のバージョンに基づいて更に独自の改変を施したオリジナルなバージョンを作成することに対しても否定的ではなかったようですし、実際に既にそうした実例も幾つか存在しますが、今回の演奏は基本的にクック版のスコアをそのまま忠実に実現する形で行われました。そしてそのことを踏まえると、より自由に加筆を行っている他の補筆バージョンに比べてしまうと控えめで、稍々もすれば禁欲的で響きが薄いという印象を受ける瞬間がないとは言えないクック版を楽譜通りにリアライズしているにも関わらず、特に近年のマーラー祝祭オーケストラの備えている、芯のあるずっしりとした手応えを感じさせる響きによって、輝きに満ちて雄弁とさえ感じられるものになっていることに驚き、圧倒されました。管弦楽の全てのパートが凄まじいばかりの集中力をもって演奏された結果として、マーラー固有の対位法的な線の絡み合いが鮮やかに浮かび上がり、普段より聴きなれている筈のディティールのそこかしこで、こんなにも雄弁で意味深い表情が込められていたのかと気付かされ、驚くこともしばしばでした。またこのことにはステージの上での対抗配置の採用、すなわち第1ヴァイオリンの反対側に配置された第2ヴァイオリンやヴィオラといった中声部の充実が音響的な幅をもたらし、第1ヴァイオリンのすぐ向こう側に配置されたチェロやバスのパートの安定が奥行に豊かさをもたらしていたことも大きく与っていたと思います。

 テンポの設定が他の解釈に比べた時にユニークな印象を受けるのはいつものことですが、今回特に感じたのは、各楽章に含まれる複数のテンポ間の相対的な関係の設定が、オーケストラの各パートが歌いきるという観点からみても合理的であるということで、更にそれに加えてテンポが常に流動し、時として渦を巻いてうねるような効果を生みだしており、リズムの有機性が際立ち、頻繁に生じる変拍子の交替によって音楽にドライブがかかって聴き手をも引き込んでいくような強い身体性を帯びたものとなっていました。

 総じて指揮者の井上喜惟さんがクック版のスコアから読み取った第10交響曲という作品の持つ複雑さ、豊かさが余すところなく提示され、しばしばクック版に物足りなさを感じてか楽器法に手を加えるようなことが行われ、或いはクック版とは別に、より雄弁で饒舌なバージョンが作成される例も今や数多くありますが、そうした改変や異稿を不要とするような説得力に満ち、クック版の持つポテンシャルが(狭い私の聴取経験からすればこれまでに経験したことのない程に)発揮された稀有な演奏であったと考えます。そしてその結果として、現実には未完成のまま遺されたにせよ、マーラーの全作品の頂点に立つことになったであろう、この第10交響曲のありうべき姿が、デリック・クックと彼を助けたゴルトシュミット、マシューズ兄弟の補筆作業と、井上喜惟さん率いるマーラー祝祭オーケストラのリアリゼーションとの時と場所を隔てた共同作業によって十全に提示された演奏であったと認識しています。

*   *   *

 コンサートに出かけることは、人によっては日常生活の一部であるかも知れないし、非日常的な例外的な出来事かも知れません。それはその人がコンサートに出かける頻度や、個別の公演が持つ意味合いに依って変わるでしょうし、公演の持つ意味合いというのは、演奏される曲目、出演する演奏者から始まって、公演の日時(平日の夜か、休日の昼間か)、公演会場となるコンサートホール、或いは例えばそのホールと自宅との位置関係といった、一見したところ些末に至る迄の様々な条件を介した、その公演とその人との関わりの様相に応じて様々でありうるし、それらの条件に応じて、そもそもそのコンサートに出かけるかどうかの取捨選択がまず行われるに違いありません。そしてそうして選択されたコンサートから受け取るものについても、上述のような聴き手一人一人が持っている諸条件に加え、例えば座席の位置、客席の埋まり具合といったものがその場で鳴り響く音響を受け取るのに少なからぬ影響を及ぼすでしょうし、その時の聴き手の心理的な状態、体調といったものに聴取の経験は容易く影響されてしまいます。聴き手は演奏を評価し、ことによったら点数付けをさえする神のごとき評価者ではありません(それは「音楽の聴取」とは別の何かで、その別の何かであればAIで置き換えることも可能でしょう)。聴き手は限りなく多様なパースペクティブのうちの一つに過ぎず、背後にある自分が受取るものの由来を知ることはできないし、聴取の脈絡もまたコンサートが行われるその場所と時間に限られるわけではなく、その外に果てしなく広がっているのであり、聴き手はそうした中で自分の能力の限界の範囲で出来事に立ち会う他ないのです。

 このような自明のことを延々と書くのも、まずは私にとってこのコンサートの持つ意味が事実として例外的なものであったからで、更には、このコンサートから自分が受取ったものが特殊個別的な自分の状況に強く拘束されたものであることをまず何よりも感じずにはいられなかったからに他なりません。例えばこの公演が平日の夜だったり、土曜日であれば現在の私が出かけることは叶わなかったでしょうが、それだけではなく、このコンサートの前日、当日の午前中にトラブルがあって、その経過によっては出かけることを断念せざるを得なかった可能性もあり、幸いにしてコンサートに出かけてから戻る迄の時間は平穏であったものの、その後もコンサートで受け取ったものに向き合う余裕がないまま、こうして10日程の日々が過ぎ去ってしまいました。私を「忘れて」はくれない「世の成り行き」との関わり合いの中で断片的された空き時間を縫うようにして、こうして感想を書い継いでいる今も尚、自分が遭遇した出来事の例外性を記録し、証言するのに相応しい状況とは率直に言って言えないと感じ、今や自分がその場で垣間見たものから場違いな程にまで隔たって、自分のキャパシティを超えたものを抱え込んで了っているという感覚から逃れられずにいます。未だそれを受け取るに相応しい程には熟していないばかりか、そもそも自分はそれを受け取る資格を始めから持っていない、無縁な存在なのではという疑念から逃れることも困難なようです。そうであれば、いっそのこと向き合うことそのものを断念してしまえば良いという考え方もあるでしょうし、実際にそうした思いが去来しない訳ではなくとも、今度は自分が受取ったものの重みがそれを受け取った事実を証言しないで済ませることを許しません。とりわけてもマーラーの音楽は、「世の成り行き」の中で落伍し、打ち捨てられた人々に対して手を差し伸べる音楽であり、その投壜通信を拾う名宛人としての権利が私には確かにあると思うことができる稀有な存在なのです。しかも第10交響曲が私が彷徨う岸辺に辿り着くには、他の作品にはない紆余曲折があり、仮に私が投壜された手紙そのものを拾っても、判じ絵か暗号文字の如きそこに自分宛のメッセージを読み取ることなどできなかったでしょう。そうした事情もあって、どんなに拙い仕方であっても、受け取ったものの価値に比して取るに足らないものであっても、それが起きたことを証言するのは、或る種の出来事の経験に関して言えば、立ち会った者に課された義務なのだということを常々感じてきましたが、そのことを今回のコンサートについて程強く感じたことはなかったように思います。私が消え去っても、私が受取った作品は私を超えて存続するし、恐らくは前回同様、今回の演奏記録も収録され、いずれは前回同様youtube等で公開されて共有の財産となり、或る種の永続性を獲得することになるであろうとは思いますが、それに留まらず、当日会場に居たて、私を含めた聴き手の一人一人が異なるパースペクティブの下で経験したこともまた損なわれることなく何らかの形で存続して欲しいと願わずにはいられません。なぜならば、それらの総体が「音楽」に他ならないからです。

 前回の「嘆きの歌」の公演もそうでしたし、今回の公演でも改めて、私にとってそれは、娯楽としての消費であれ、所謂教養としての「音楽鑑賞」であれ、そうしたことを目的として演奏会場に赴くというよりは寧ろ、例えば現代日本の作曲家・メディアアーティストの三輪眞弘さんが仮構する、消え去った何者かを追悼し、記憶するための儀礼により近いようだということをはっきりと感じました。そしてそのことが、私にとっては、アドルノがヘーゲルを参照していうところの「世の成り行き」をやり過ごすためのほぼ唯一の「抵抗」の拠点であるということもまた、強く認識しました。我々はミームの存続のための媒体に過ぎず、シェーンベルクは第9交響曲に関して作曲者を「メガフォン」に喩えましたが、作曲家のみならず、演奏者、聴き手もひっくるめて、「音楽」に関わる我々全てを通して他の何者かが語るという点が重要なのであって、マーラーが「音楽」を世界のようにすべてを包括するものでなくてはならないと語ったことの少なくとも一面は、こうした認識に繋がっているものと思います。マーラーは自分の営為を、愛読したゲーテ『ファウスト』第1部の地霊の科白を引用しつつ「神の生きた衣を織ること」であると述べたことがありますが(1896年11月18日にハンブルクからリヒャルト・バトカに宛てた書簡)、マーラーが遺した作品がそうであるように、このコンサートにおけるその作品の演奏もまた、「神の生きた衣を織ること」と喩えるに相応しく、語り継がれるべき出来事であったと確信しています。そのことをここに証言するとともに、そうした達成を実現した、まずはマーラーその人と、とりわけても第10交響曲についてはデリック・クックと彼の補作を支援した人々(更にもう一度、「輝かしい孤立」をマーラーその人とともに生き、没する直前に、まるで遺言のようにクックの作業に対する支持を表明したアルマのことも今一度思い起こしましょう)、そして井上喜惟さんのもとに集った演奏者の皆さんに対して感謝の言葉を記してこの稿を終えたいと思います。(2024.6.6公開, 6.7加筆)

2024年5月27日月曜日

音楽の鳴り響く「場所」を求めて――第10交響曲クック版の再演に寄せて(2024.5.26 マーラー祝祭オーケストラ第23回定期演奏会によせて)

 マーラーの早すぎる逝去の後、未完成で遺された第10交響曲の受容の歴史は、ドラフトを演奏可能な形態にまで補筆する企ての歴史でもあった点で他の作品とは一線を画する。モノグラフ第二版へのあとがき(1963)、更には「グラフィックとしてのフラグメント」(1969)において表明された補作に否定的なアドルノの姿勢は、ブルノ・ヴァルター、エルヴィン・ラッツといった有力なマーラー擁護者とも共有され、国際マーラー協会の全集版では第1楽章のアダージョのみが出版され、演奏や録音においてもアダージョのみが取り上げられることが多かった一方で、ドラフトの一部のファクシミリの出版(1924)以降、様々な補作の試みが為されてきたことは、永らく実演においても録音においても頻繁に取り上げられてきたデリック・クックによる全五楽章からなる演奏用版に加え、新旧を問わず様々な補作版が演奏、録音されるようになった今日では最早人口に膾炙した事柄に属するだろう。更には近年のAIブームの最中にあって、2019年にはメディア・アートの分野で著名なArs ElectronicaにおいてAIによる補作が発表されたかと思えば、かつては特定の限られた人にしかアクセスできない、謂わば「秘教的存在」であったドラフトもパブリック・ドメインとなり、ネットワークを介して誰もがアクセス可能であることを思えば、第10交響曲の全貌は今や我々にとって明らかなものであるかの如くに感じられても不思議はなかろう。

一方で第10交響曲を巡っては、未完成作品であることも手伝って、他の作品にも増して多くのことが作品の周囲で語られてきた。その多くはドラフトに書き込まれた言葉や作曲当時の伝記的出来事を手掛かりにした標題に関する問いであったり、自伝的側面が強調されるマーラーの作品の中でもその度合いが著しいこの作品の成立と伝記的事実との関係の詮索であるが、それらは遂に作品そのものに辿り着かない感が拭えず、この曲が聴き手に与える印象の破格の強さ、その質の特異性を証言するものとしては、強い情動を伴う音楽の聴取経験に関する心理学実験における、この曲についての聴き手の証言の方が寧ろ勝っているようにさえ見える。

かつて私は第10交響曲のクック版を聴いて、ヘルダーリンの最後期の断片(Wenn aus der Ferne...「遠くから…」)を思い浮かべつつ、そうした「遠く」、人間が生きたまま到達できるとは到底思えない、辛うじて垣間見ることしかできない「場所」で鳴り響く音楽であると感じたのだったが、その感覚は数十年の後の今も変わることはない。シェーンベルクのプラハ講演(1912)の末尾は第10交響曲への言及で結ばれるが、そこではこの曲について「未だにわれわれが知る由もなく、未だに迎える覚悟もできていない何かがわれわれに授けられでもしそう」(アーノルド・シェーンベルク「グスタフ・マーラー」,『シェーンベルク音楽論選 様式と思想』, 上田昭訳, ちくま学芸文庫, 2019 所収, p.160)だと述べられている。そのシェーンベルクの顰に倣えば、 私は自分がまだそれを受け止めるところまでに熟しておらず、それを知ってはならないような気持ちに捉われてならない。そしてこの信じられない程の強度を持つフィナーレに圧倒されながら、自分が一体何を受け取っているのかをきちんと語ることが未だにできない。それが第9交響曲の先にあり、この作品によって第9交響曲や「大地の歌」に関する或る種の捉え方が否定されるのは確実だと思うのだが、さりとて音楽の鳴り響く場所がどこなのかを私はきちんと言えないのである。だがそういう場所があることを指し示す音楽の力は物凄いものだし、それを産み出すことが出来た人間が確かに居たということは、本当に感動的な、 それを思うだけでも胸が一杯になるようなことだし、音楽が示す風景を、所詮は音楽が終われば消え去る仮象として片付けてしまうことが、 この音楽について私は出来ない。どんなに大袈裟に響こうとも、知ってしまえば生き方が変わってしまう類の音楽であるという言い方はこの第10交響曲に関して、私個人に限って言えば誇張でも比喩でもない端的な事実なのである。

そうした例外的な音調をもたらすのに嬰へ長調という調性が寄与していることは疑いないだろう。それはオーケストラの楽器にとっては「鳴らない」調性であり、実現される音響にどこか朧気な雰囲気を与えているに違いない。一時は第1楽章のアダージョと対を為すフィナーレとして企図されたこともあったらしい第2楽章のスケルツォは決然とした嬰へ長調で終わるが、最終構想ではそこ迄を第1部とし、その後に「この世の営み」を示唆する変ロ短調の短い「プルガトリオ」によって開始され、スケルツォとフィナーレが続く第2部が置かれ、全体で二部五楽章制をとることによってマーラー固有のポリフォニックな多層性が実現することになる。フィナーレ末尾には調性の異なる二種の構想が存在するようだが、クックが選択したのは嬰へ長調の方であり、是非は措くとして、それによって音楽が持つことになる意味は決定的である。それはその帰結として生じる、この作品におけるニ長調の風景の特異性(フィナーレの30小節目から始まる、あの忘れ難いフルートソロの箇所を思い起こして頂きたい)からも明らかであろう。そしてその意味は第1楽章のアダージョのみではなく、全五楽章を聴きとおすことによって初めて確認可能となるのであって、このことを以てしてクックの補筆の意義は明らかなことと私には思われるのである。

客観的に見ればシェーンベルクの言葉は当時の状況に依存したものとして相対化してしまえるのかも知れないが、第10交響曲の全貌が明らかになったというのは思い上がりに過ぎず、未だそれが啓示されていないという認識は、一世紀後の今日も尚、有効であると私には思えてならない。シュトックハウゼンはド・ラグランジュのマーラー伝第1巻に寄せた文章において、宇宙人が人間を理解するという仮定におけるマーラーの音楽の卓越性を述べたが、二分心崩壊以後・シンギュラリティ以前の同じ「神の不在」のエポックの終端にあって、AIが補作を行うのを目の当たりにするようになった我々にとって、「人間の解体」の後に一歩踏み出しかかりつつも未完に終わった第10交響曲こそ、シンギュラリティの向こう側におけるポスト・ヒューマンにとっての音楽に関する重要な予感を告げる預言的な存在なのではなかろうか? 

かつて私は、第10交響曲は、第5交響曲にも比せられる転換を告げる作品なのではないかという仮説を提示したことがある。偶々この作品の生成の最中でマーラーの生涯が断ち切られたことによる行き止まり、終着点の印象とは裏腹に、それは次のエポックの開始を告げる音楽ではなかったか。その無調への接近に伴う和音の拡張に関して言えば、MIDIファイルを入力とした和音に関するデータ分析の結果もまた、マーラーが「発展的」な作曲家であることを裏付け、第10交響曲が未来に向かっての発展の途上にあることを証言している。この曲をある種の行き止まり、乗り越え不可能な限界とし、そこに西洋音楽の終焉を見る立場にも歴史的な正当性があるのだろうが、かつての「人間」の解体の後、シンギュラリティが現実味を帯び、機械が有機体と区別がつかなくなるポスト・ヒューマンの予感の最中、『再帰性と必然性』(原島大輔訳,青土社,2022)においてユク・ホイが試みるように、「非人間のなごり」を見出し、ありうべき「宇宙技芸」を思い描くことに共感する私は寧ろ、第10交響曲を通過点として第11交響曲がどのようなものになりえたかを問うマイケル・ケネディの姿勢に与したいように思うのである。第10交響曲を完成させ、更にその先にあるものを確認すること――それは過去のデータに基づく近似と汎化に基づき、例外的な「新しさ」をどうすることもできない現在のAI技術によっては到達困難であろうし、そもそも第10交響曲が垣間見せてくれる「遠く」の「場所」は遂にAIには無縁のものであろう――は、同じエポックの終焉を生きる「人間」ならぬ我々の責務なのではなかろうかと思えてならないのである。

演奏され、再演されることが音楽作品の成立に不可欠の条件であり、アドルノが傲慢にも言い放ったようにドラフトをファイルに入れて一人眺めることは、作品を奇妙な幽霊的な状態のまま辺土に幽閉するが如き仕打ちであることを思えば、演奏用バージョンを作成し、解説付きの放送により聴き手に届けようと企てた(一度きりの筈のその記録もまた、今やCD化されて我々の手元に届くようになっている)クックの功績の大きさは測り知れないし、その企てに接し、それまでの態度を翻して支援を行ったアルマの判断に我々は感謝すべきであろう。

そして第10交響曲が、同じ演奏者によって10年越しに再演されることの意義もまた明らかであろう。演奏の一回性に留まらず、指揮者が年を経るに応じて解釈は異なったものとなり、演奏もまた更新される。完成作と同様の資格では存在していない第10交響曲にとって、そうした地道な作業の繰り返しの積み重ねこそが、そもそもこの世に存在するための条件に他ならず、その行為によってのみ作品は都度新たに生を享け、未来に向けて新しい姿を浮かび上がらせ、それを受け止める準備が出来ているかを聴き手に問うのだということを、再演に接する一人一人が身を以て経験することになるだろう。そしてそれはプラハ講演の末尾のシェーンベルクの以下の言葉に対して、我々一人一人が応答することに他ならない。

「しかしながら、『第十』がまだわれわれに啓示されていない以上、われわれは闘いつづけなければならない。」 (2024.3.4初稿, 2024.5.27本ブログにて公開)


2024年5月26日日曜日

[お知らせ] マーラー祝祭オーケストラ(音楽監督・井上喜惟)第23回定期演奏会(2024年5月26日)

 マーラー祝祭オーケストラ(音楽監督・井上喜惟)第23回定期演奏会が本日、2024年5月26日にミューザ川崎 シンフォニーホールにて開催されます(12:45開場、13:30開演)。詳細は以下のマーラー祝祭オーケストラの公式ページをご覧ください。(当日券が発売されるようです。)

Mahler Festival Orchestra Offcial Site (https://www.mahlerfestivalorchestra.com/)



プログラムには、マーラーの第10交響曲のデリック・クックの補筆による演奏会用バージョン(全五楽章版よりなる、所謂「クック版」)及びリュッケルトによる5つの歌曲がプフィッツナーの「パレストリーナ」前奏曲とともに含まれます。第10交響曲のクック版はマーラー祝祭オーケストラがまだジャパン・グスタフマーラー・オーケストラという名称であった2014年6月15日に同じミューザ川崎シンフォニーホールで取り上げられており、今回は10年ぶりの再演となります。10年前の公演に接した本ブログ管理人の感想は、ジャパン・グスタフ・マーラー・オーケストラ第11回定期演奏会を聴いてという記事として本ブログで公開しています。

今回の公演における第10交響曲クック版の再演に際してプログラムノートに寄稿させて頂いておりますので、是非ともご一読頂ければ幸いです。

また本ブログでは、上記の公演の感想以外にも、第10交響曲に関連して以下のような記事を執筆・公開していますので、併せてご覧頂ければ幸いです。

また、リュッケルト歌曲集の管弦楽伴奏版の演奏に接する機会は、こと日本国内では稀であり、大変貴重な機会となります。リュッケルト歌曲集に関連した本ブログの記事としては以下のようなものがありますので、こちらも目を通して頂ければ幸いです。

(2024.3.29公開, 5.26更新)

2024年3月8日金曜日

「歌う骨」が私に語ること―「嘆きの歌」上演によせて―(2023.12.24 マーラー祝祭オーケストラ第22回定期演奏会によせて)(2024.3.8更新)

※お詫びと訂正:マーラー祝祭オーケストラ第22回定期演奏会の公演プログラム掲載の文章「「歌う骨」が私に語ること―「嘆きの歌」上演によせて―」の中に誤記がありましたので、お詫びして訂正致します。以下の文章では修正されていますが、「嘆きの歌」と旋律の相互参照がある同時期に書かれた歌曲は、リートと歌第1集に含まれる「春の朝」ではなく、それに先行する最初期の3つの歌曲のうちの一つである「春に」です。関係者およびプログラムをお読み頂いた方には、校正不足のためにご迷惑をおかけして大変申し訳ありません。(2024.3.8)

 「嘆きの歌」は作曲者本人が自分の「作品1」であると語ったにも関わらず、他の交響曲がすっかりコンサートのレパートリーに定着した今日でも上演の頻度は低く、所謂「稀曲」「秘曲」の類であることは否み難いようだ。実演のみならず、マーラーの交響的作品の中では圧倒的に録音記録の数が少ない作品でもあり、マーラーの交響曲全集を完成させるような、所謂「マーラー指揮者」と呼ばれる人でも、「嘆きの歌」をレパートリーとし、録音記録があるのはごく一部に限られる。その理由として、物語的な性格が強く歌詞の理解が求められること、内容が陰惨で悲劇的であること、遠隔オーケストラを含む大規模な管弦楽に加え、独唱、混成合唱が必要とされ、上演が困難であること、更には複雑な改訂の経緯を持ち、版の選択の問題があるといったことが直ちに思い浮かぶが、そのいずれも単独では他の作品にも当て嵌まることであり、寧ろ「若書き」で「未熟」であるという評価に加え、後にマーラーが到達した交響曲という形式に拠らない異質の作品であるという点に拠る面が大きいのだろうか。

作品の完成を告げる1880年11月1日付の書簡で「次になすべきこと」として語った「考えうるあらゆる手段を用いてこの曲を上演すること」に対するマーラーの拘りは、20年以上後の1901年に王室・宮廷歌劇場監督に昇り詰めたマーラー自身の指揮でようやく初演に漕ぎ着ける迄絶えることなく続いた。この作品を語る時に決まって言及されるベートーヴェン賞への応募と落選の逸話の細部には実はマーラー自身による記憶の錯誤が含まれ、意識的・無意識的に依らず脚色があるようだが、その後1883年に当時全ドイツ音楽協会の会長であったリストに楽譜を送って評価を請うたが色よい返事が得られなかったことや、1893年に初期稿の第1部をカットし、遠隔オーケストラも削除して本体のオーケストラに組み込むといった改訂を行っていることが明らかになっている。結局初演時には遠隔オーケストラは復活したものの第1部はカットされたまま2部構成となり、残された部分も標題を削除され、少なからぬ改訂を経た形態となった。出版もされたこの形態が永らく「嘆きの歌」の確定版とされてきたが、削除された第1部「森のメルヒェン」を含む全3部の初期稿も喪われたわけではなく、ようやく1997年になって初演が実現し、全集の補巻IVとして楽譜の出版が行われたことは今や良く知られていることだろう。

「嘆きの歌」のテキストはルートヴィヒ・ベヒシュタインの採集した民話「嘆きの歌」とグリム童話にある「歌う骨」に基づいてマーラー自身が書いたものだが、そうした編集作業の背後に潜む動機については村井翔さんがジャック・ディーサーの精神分析学的な解釈を紹介しつつ興味深い解説をされている(村井翔『マーラー』, 音楽之友社, 2004, 172頁以降参照)。フロイト的な兄弟殺しの機制がこれほどあからさまな作品をマーラーが書くことはこの後二度となかったが、この作品を「作品1」として「聖別」し、まるで「祭祀」を執り行うこと自体が問題であるかのように20年もの間その上演に拘り続け、剰えコンサートという制度の中に受け容れられ易くする改変を施しさえして上演に漕ぎ着けたことは、ディーサーによれば無意識的な罪の意識からの「行為化」(アクティング・アウト)による解放と解釈されるようだ。更に「嘆きの歌」の物語の登場人物の中でマーラーが自己同一化した対象について、ディーサーの解釈では「王」となった兄であるのに対し, 村井さんは「死者」の恨みを代弁する「辻音楽師」こそがマーラーの代弁者であるとし、作曲家は一種の媒体であって、彼なしでは声を持たぬものがこの媒体を通して語るという音楽観が「嘆きの歌」においても既にはっきりと表明されていることを指摘されておられるが、これもまた至当と思われる。

だがここで指摘しておきたいのは、作品創作や改訂の心理的な要因よりも、マーラーの創作にあって首尾一貫している幾つかの傾向が「嘆きの歌」においても明確に現れている点である。

同時期に書かれた歌曲(ここでは「春に」(※お詫びと訂正参照))との旋律の相互参照と並んで、テキストの選択に関し、他人の手になる素材をそのまま利用せず、編集・改変によりオリジナルな版を構成するのは、第2交響曲でのクロップシュトックの「復活」の讃歌から「大地の歌」の「告別」に至る迄続くマーラーの「方法」の最初期の例と看做すことができるだろう。

それ以上に興味深く思われるのは「歌う骨」という「楽器」の存在である。「辻音楽師」が「死者の無念を晴らす」ための媒体として機能しているのは確かだが、彼自身の声で代弁するのではなく、拾った死者の骨を笛に仕立てることによって死者の声の語りが可能になっているという構造に注意しよう。歌うのは他の誰かであって音楽家自身ではない。更にここでは「歌う骨」とそれを吹く人間の役割は通常と逆転し、骨=笛は人が歌うための楽器=メディアではなく、逆に人間は息を吹き込んで骨=笛が歌うことを可能にしているに過ぎない。「辻音楽師」は第一義的にはこの世にただ一つしか存在しない楽器の製作者であり、息を吹き入れることによって「死者」に声を与え「幽霊」を蘇らせる役割を果たしているに過ぎないのである。

更に付け加えて言えば、楽器の発する(単なる音響ならぬ)「声」は「嘆きの歌」という音楽作品において人間の声によって代弁される。語りも嘆きのルフランも3人の独唱と合唱とが受け渡すようにして繰り広げていくのであり、独唱者が舞台作品におけるような固定的な役割を担うことはない。初期稿では少年の声が充てられていたパートは、改訂によって女声(アルト)に置き替えられるが、これもまた「原光」から「告別」へと至る、マーラー特有の異化の操作の一つと捉えることができる。同様に改訂における標題の削除についても第1交響曲や第3交響曲の例が直ちに思い浮かぶが、一連の改訂が具体性・標題性を剥ぎ取って抽象化していく方向性を一貫して持つのは、時系列的にこれらの作品の創作・改訂時期が重なっており、「嘆きの歌」改訂版の初演はそうした作業の最後を告げ、句読点を打つ出来事であったことを思えば当然であり、そもそもマーラーが「嘆きの歌」を「作品1」であると語ったのもそうした一連の改訂作業を通して獲得した認識に拠るものに他ならないことに留意すべきだろう。

ナターリエ・バウアー=レヒナーが記録している少年期のマーラーのエピソードの一つに、アコーディオンを与えられた少年マーラーが耳にした音楽を片端から記憶してアコーディオンで再現してしまったというものがあるが、ここでもマーラーが自分の声で歌うのではなく、アコーディオンという楽器を媒介として、まるで自らは再生装置のように他人の音楽を再現した点が興味深い。ピアニストとしても相当の腕前であったらしいマーラーは、だが長じては指揮者となり、自分の声で歌うはおろか自分で楽器を演奏することすらなく、他者を通じてその場には不在の他者の声を語らせることを選んだが、思えばこれもまた自己の内面を歌うのではなく誰かの声のメガホン替わりになるという作曲者としての姿勢と一貫していることに気付く。

更にマーラーの作品が常に持っている、そのそれぞれが仮構された一つの世界であり「夢」の如きものであるという構造が、既に出発点である「嘆きの歌」において明確であることにも注目したい。後にそのための媒体としてマーラーは交響曲というジャンルに辿り着くことになるが、そこに至るまでには更なる紆余曲折があり、次には2部5楽章からなる交響詩「巨人」に対して「嘆きの歌」と同様のカットを施して第1交響曲とするといった歩みが繰り返されることを念頭に置くならば、結果的にカンタータというジャンルに属することになった「嘆きの歌」は、マーラーが「交響曲」を再発見する段階に先行する、未成の「交響曲」であると考えることもできるだろう。

かくして「嘆きの歌」は、マーラーが兄として弟に対して負っている心理的な負い目を音楽化するとともに、自らが音楽家になって他者の歌を媒介することを引き受けることでその負い目を償うことを選択したという原点の証言であるとともに、作曲家としてのマーラーの様々な志向が最初に発現した特異点として、まさに「作品1」に相応しい実質を備えていることが浮かび上がってくるのである。

ところで骨で笛を作ることに関しては、考古学的遺物として世界の各地で確認されている様々な「骨笛」が思い浮かぶ。スティーブン・ミズンが『歌うネアンデルタール』で紹介している5万~3万5千年前のものと推定される正円の穴が開いた熊の大腿骨は、肉食獣が犬歯で噛んだ跡が偶々笛の穴に似たということのようだが、中国の河南で7千~8千年前に作られた鶴の骨のそれやタジク族や中南米に見られる鷹の骨のそれは疑いなく「笛」として用いられたようであるし、チベットでは法具として人間の骨でできた笛が用いられると聞く。

道具の制作も高度な共感も、或いは死を悼むことすら人間固有の能力ではなく、他の動物にも共通する生物学的な基盤を持つ可能性があるが、「幽霊」を見ることができるのは人間のみであり、「今ここ」には存在しないものを追憶し、「死者」に語らせるために骨で笛を作るのもまた、「現実」とは別に「虚構」を共有できる人間のみの営みであろう。そしてまた「死者」の追悼は、単なるその場限りの同期、同調、一体感ではなく、場所を変え、時を変えて記憶し、反復し、継承するという側面を必須なものとして含んでいる。更に儀礼によって「物語」が空間的な拡がりをもって共有され、時間的な拡がりをもって伝承されるためには、それが記録され、伝承されることが必要条件であり、予め反復可能でなくてはならないことを思えば、マーラー本人によって初演されてから100年以上の歳月を隔てた地球の反対側で、未だに演奏の伝統が稀薄で演奏に困難が伴う作品、けれどもその後の全ての作品の原点にあたる「作品1」を有志の手によって再演することの持つ測り知れない意義と価値の重みは自ずと了解されるのではなかろうか。それは他のどの作品にも増して長い20年もの間忘れることなく、「儀礼」としての上演を果たしたマーラー自身の行為を、場所を変え、時を変えて記憶し、反復し、継承することによってマーラーその人に応答することに他ならない。(2023.10.5, 2023.12.28本ブログにて公開)

2023年12月30日土曜日

マーラー祝祭オーケストラ第22回定期演奏会を聴いて(2023年12月24日 ミューザ川崎シンフォニーホール)

マーラー祝祭オーケストラ第22回定期演奏会
2023年12月24日 ミューザ川崎シンフォニーホール

ヤナーチェク シンフォニエッタ

マーラー カンタータ「嘆きの歌」(第1部:初期稿、第2部,第3部:最終稿)

井上喜惟(指揮)
日野祐希(ソプラノ)
蔵野蘭子(アルト)
西山詩苑(テノール)
原田光(バリトン)
東京オラトリオ研究会(合唱指揮:郡司博)
マーラー祝祭オーケストラ(ゲストコンサートマスター:岩切雅彦)

*     *     *

この公演は私個人にとって特別な意味を持っていました。今回の公演のプログラムには、マーラーの作品の中でも滅多に上演されることのないカンタータ「嘆きの歌」が含まれており、私はその企図に賛同するとともに、その意義について公演プログラムへの寄稿文に自分の思うところを書かせて頂きましたので、公演を見届けることが自分にとって或る種の義務の如きものに感じられていたというのがまず最初にあります。それ故、これまでも基本的にはそうであったとはいえ、とりわけても今回は、中立的、客観的な立場で公演に接することはできませんでした。第三者的には大げさで滑稽ですらあるように映るかも知れなくとも(それは仕方ないこととして受容する他ありません)、演奏会場を訪れること自体が自分のコミットメントの確認であり、公演の最中に会場で私が経験したことの意味は、そうした文脈に強く条件づけられつつ構成されるものでしかありえません。自分の思いを述べた寄稿文は公演後、別途本ブログにて公開しています(「歌う骨」が私に語ること―「嘆きの歌」上演によせて―(2023.12.24 マーラー祝祭オーケストラ第22回定期演奏会によせて))ので、その中で述べたことを繰り返すことはせず、以下では基本的に公演会場を訪れて感じたことのみについて記録しておきたいと思います。

とはいうものの今回の公演が2020年の新型コロナウィルス感染症の流行以降、初めてコンサートホールに足を運ぶ機会であったことについてはやはり触れておくべきかと思います。既に今年(2023年)のゴールデンウィークを境に(正確には5月8日以降)、新型コロナウィルス感染症の感染症法(正式には「感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律」)上の分類は5類に変更され、コンサートの開催についても既に制限がなくなって久しいとはいえ、そのことは新型コロナウィルス感染症の流行が収束したことを意味せず、実際その後も職場や教育の現場では少なからぬ、否、時として感染対策に万全を期していた時期と比べて寧ろ多くの感染が確認されましたし、少なくとも私が知る限り、医療や介護の現場では分類変更以前と変わらない対応を継続したところも少なくありませんでした。そのうちにインフルエンザ等の新型コロナウィルス感染症以外の感染症が流行の中心となり、結果として今回の公演は様々な感染症の流行に対する警戒が続く中での開催となりました。そうした状況を踏まえるならば、これまでであれば慎重を期して訪問を控えることを検討するところで、実際過去には、新型コロナウィルス感染症の流行によって幾度か公演が延期された後、ようやく流行の合間での公演が実現した2021年5月8日の第18回定期演奏会における第3交響曲の演奏だけではなく、既にポスト・コロナ禍の状況下での、いわば再出発の公演となった2022年9月11日の第20回定期演奏会での第2交響曲の演奏についても再び、直前まで訪問を予定していながら、間際になって避け難い事情により演奏会場に赴くことを断念せざるを得なくなったりということもありました。これら両公演についても企画に賛同し、公演プログラムに寄稿させて頂いた点は同じで、公演に立ち会うことを或る種の義務の如きものと感じていた点も変わらず、それ故に已む無く欠席せざるを得なかったことは少なからぬショックでした。幸いにして、避けがたい用件に割り込まれ、またしても公演に立ち会うことができなくなるのではという懸念は今回について杞憂に終わり、結果として、もしかしたら今後二度と経験することができないかも知れない「嘆きの歌」の実演という稀有な機会に立ち会うことができたことの幸運を噛みしめています。寄稿文の末尾で記したように「マーラー自身の行為を、場所を変え、時を変えて記憶し、反復し、継承することによってマーラーその人に応答すること」が、このように実現されたのを目の当たりにして深く感動するとともに、演奏したことのない作品、一般に演奏頻度の低い作品を取り上げられることに伴う苦労は、いわゆる定番の作品を演奏する場合と比較にならず、様々な困難を伴うことを思えば、公演に接した感想を記すにあたってまず最初に、この日の公演での達成に対して、公演に携わった全ての方に対して敬意を表したく思います。

*     *     *

今回の定期公演のプログラムはヤナーチェクのシンフォニエッタとマーラーの「嘆きの歌」で構成されています。既によく知られているように「嘆きの歌」にはマーラーが20歳の時に完成した3部からなる初期稿と、それから20年以上の歳月を経てマーラー自身が初演を行った際の形態で、初演に先立って出版もされた改訂稿があり、大まかには改訂稿が初期稿の第1部をカットして第2部・第3部を残したという関係にあることから、20世紀も終わり近くになって初期稿の全貌が明らかになるまでは初期稿の第1部と改訂稿を組み合わせる形態での演奏が普通でした。現時点では1880年版もマーラー協会全集の補巻として出版されていることから、上演する形態の選択がまず問題になるところですが、今回の公演で最終的に採用された形態は初期稿の第1部と改訂稿を組み合わせたものでした。

一方ヤナーチェクとマーラーの組み合わせについて言えば、一般的にマーラーはオーストリアの交響曲創作の伝統の中に位置づけられるが故に等閑視されがちではありますが、生誕の地はボヘミアであり、生後間もなく移住した街はドイツ語の「言語島」である一方でボヘミアとモラヴィアの境にあったことから、少年期のマーラーはモラヴィアの民謡を日常的に耳にしていたであろうことを思い起こすならば、そうした作品が生まれる土壌の如きものに関して自然なものに感じられます。実際マーラーの音楽の特徴の一つとして、拍節が自在で所謂変拍子が頻出することが挙げられるのではないかと思いますが、それはボヘミア系の音楽よりも寧ろモラヴィア系の音楽の特徴に通じるものと考えられますし、実際「嘆きの歌」にもモラヴィア風のメリスマを伴った変拍子の旋律が要所で登場し、その抑揚は聴き手に鮮烈な印象を与えずには置きません。

更にそうした音楽の基層にあたる部分での繋がりに関連して言えば、指揮者・音楽監督の井上喜惟さんの正式デビューがモラヴィアの中心都市であるブルノでの1992年のチェコ国立ブルノ・フィルハーモニー管弦楽団の定期演奏会だったことも思い起こされます。以前、第10交響曲のクック版の演奏に接した際に、特に第2楽章に現れる変拍子の扱いが非常に自然なものに感じられたことを記したことがありますし、マーラーを離れれば、アルメニアのオーケストラとの共同作業に長きに亘って取り組まれていることも思い浮かびますが、今回の演奏においても、そうした拍節の自在さが、ヤナーチェクとマーラーの両方に共通して、何よりもまず身体的な感覚のような水準で自然に達成されているように私には感じられたことを述べておきたいと思います。(勿論、シンフォニエッタも「嘆きの歌」も編成上、バンダが用いられ、それぞれ重要や役割を果たすという共通点があることで、プログラム構成上合理性があるという現場の事情も当然考慮されている訳ですが。)

ちなみに1934年に「嘆きの歌」の初稿第1部の初演が行われたのがまさにブルノであり、しかもそれはチェコ語で行われたこと、更にその初演の翌年のウィーンでの放送のための「全曲演奏」が今回同様の初期稿第1部+改訂稿という形態で行われたことも指摘しておくに値することかも知れません。勿論、今回の稿態の選択にあたっては、とりわけこの極東の地での演奏の伝統がほとんどない作品を取り上げることに伴う様々な技術的な困難をクリアするといった側面が第一義的であったかも知れませんが、理由はどうであれ、結果的にそうしたこの作品の持つ来歴に今回の公演が関連づけられることは興味深く、既に述べたように、実際の演奏において、ヤナーチェクにしてもマーラーにしても、その自在な拍節感が、エッジの効いたスリリングでアクロバティックな名人芸の如きものとしてではなく、ごく自然な間合いと抑揚をもってリアライズされたことは決して偶然ではないと思われます。とはいうものの、私はヤナーチェクの作品については、その演奏について語ることができる程には知識も経験もないため、シンフォニエッタの演奏に関してはその資格をお持ちの方々に委ねることとして、以下では専ら「嘆きの歌」の演奏に限定して述べさせて頂きます。

*     *     *

録音によってでさえ「嘆きの歌」を聴いて驚かされるのは、若書きのナイーブさの応酬としての表現のストレートさとその雰囲気の濃密さですが、演奏が始まって直ちに「森のメルヒェン」に相応しく、まずホルンが呼び交わし、弦のトレモロが高潮するとともにハープが煌めくと、会場があっという間に物語の世界の神秘的な森の中に変貌してしまうとともに、今から繰り広げられる物語が恐怖と戦慄にいろどられた悲劇であることが直ちに明らかになります。オーケストラの響きはいつものマーラー祝祭オーケストラの中身の詰まったしっかりとした手応えのある響きで、その響きに数年の空白を経て接してなお、記憶していたものが思い起こされるような思いがします。その一方で、今回の演奏は全体として、いつもの「既に手の内に入った」他の有名なマーラーの交響曲作品の場合とは稍々異なって、じっくりと音の立ち上がりを確かめるようなゆったりとした経過よりも寧ろ推進力に勝った、それだけに一層切迫して緊張感の高い演奏で、特に他の作品にも増して直接的な効果を備えた頂点の盛り上がりでは、常になく会場の聴き手を興奮させ、圧倒する力に満ちたものであったように思います。

勿論、演奏に傷があったことは否定できませんし、特に木管楽器にはっきりとわかる事故があって聴いている私もひやっとした瞬間があったことは事実で、結果として奏者にとって、もう一度演奏することができればというような心残りの部分があったとすれば、それは残念なことではありますが、マーラーの管弦楽作品の中で最も上演機会に恵まれないこの作品を取り上げ、並外れた集中力をもって強い緊張感を備えた演奏が行われ、聴き手を圧倒したことの価値は測り知れず、実現された音楽の持つ比類のない充実感からすれば、多少の傷は大きな問題ではないと感じられました。また特に今回の形態では第3部で重要な役割を果たすオフステージのバンダ(今回の上演では舞台裏の楽屋で演奏され、楽屋に通じる扉の開閉を調節してホールに聴こえてくるようにリアライズされました)も素晴らしく、意図された通りのものであったと感じました。

上演に会場で接して特に強く感じたのは、オーケストラは勿論なのですが、マーラーの他の声楽を伴う作品にも増して、「嘆きの歌」は合唱、独唱の声楽パートが重要であるということで、独唱、合唱のいずれも素晴らしく、感動的な歌唱であったと思います。特に合唱の効果は素晴らしく、合唱が歌い始めた瞬間に忽ちのうちに緊張感が高まって聴き手を物語の世界に引きずり込む場面に事欠かず、一再ならず感極まるものがあり、その印象は、名手を地頭とする能の地謡を思わせるものがあったように感じます。独唱も皆さん好調で、集中力に富んだ雄弁な歌唱であったと思いますが、特に個別に印象深かったところとなると、どうしても作品の核心の部分を担うアルトの深い感情に満ちた声がまず印象に残ります。特に「歌う骨」の声を代理する、変拍子で歌われる箇所には鬼気迫るものさえ感じました。ソプラノは何といっても特に第3部の最後のクライマックスの殺された弟の告発の語りの部分、マーラーにおいて「嘆き」の形象そのものであるメリスマの節回しが深く印象に残っています。一方でいわば物語の地の語りの役割を果たすことの多いテノールは、能楽でのワキの位置づけに相当すると感じられたのですが、まさにワキの名手の謡が場の雰囲気を見事に設定するのを目の当たりにするような印象を受けました。バリトンは第1部だけの登場で、これまた能楽ではワキツレのような役割を担いますが、テノールとの重唱も素晴らしく第1部の濃密な雰囲気を醸成していたと感じました。

能楽を引き合いに出すことは聊か突飛なものに思われるかも知れませんが、「嘆きの歌」は内容的にも、古作の能に見られるような、素朴ではあるけれど激しくて深い悲しみに貫かれた作品に内容・雰囲気ともども通じるものがあり、その上演は娯楽や教養としてのコンサートのレパートリーであるよりも、寧ろ祭祀における追悼や鎮魂のための奉納に近いものがあると私には感じられます。西洋の伝統に則せば、寧ろギリシア悲劇を先に思い浮かべるべきなのでしょうが(実際、後で参照するナターリエ・バウアー=レヒナーの回想における「嘆きの歌」の初演に関する節ではギリシア悲劇への言及がなされます)、私の乏しい経験の中で近い印象のものを探した時に真っ先に思い浮かぶのは外ならぬ能楽なのです。更に言えば、「嘆きの歌」の歌唱パートの配分は通常のより演劇的な作品(例えば受難曲やオラトリオを思い浮かべて頂ければと思います)で良くあるような、各独唱者に原則として固定的に登場人物を割り当て、合唱が集団の声を代弁するように劇の進行を注釈したり、場面を補足説明したりするといった形態からはかなり外れており、こちらも能楽において、ワキの謡やシテの謡を地謡が途中から引き継いだり、シテが主人公の役割を逸脱して、第三者的な描写をしたかと思えば、ひととき他の登場人物になりかわるといったことが起きるのに近い印象が私にはあります。「嘆き」のルフランもまた、合唱が場面を注釈するように歌うだけではなく、独唱や重唱が担うこともあれば、独唱から合唱へと受け渡されることもあったりしますし、常に固定的な旋律で歌われるわけでもなくて融通無碍なところがあるのは寄稿文でも指摘したところですが、それだけに独唱と合唱が一体となった今回の上演は、作品のそうした特質に適い、その効果を遺憾なく発揮したものと感じられました。

この曲は、特に改訂稿の部分は実演で目覚ましい効果をもたらすべく、巧みにデザインされた部分もあるとはいえ、全般としては20歳になるかならないかのマーラーの、ナイーブと言っても良いようなストレートな感情に満たされていて(質的に近いのは、やはり「さすらう若者の歌」と第1交響曲)、そのまどろみの中で夢見るような箇所(実際それは「さすらう若者の歌」の終曲の中間部、第1交響曲のあの「森の葬式」のカノンに挟まれた中間部で聴かれるものと同じです)と、身を切るような強烈な感情に満たされた悲劇的な箇所との強烈なコントラストは、聴き手の心を掻き乱し心の底から聴き手を揺さぶる、鬼気迫るような側面がありますが、そうした点についてこの公演での演奏は申し分ないどころか、あまり数の多いとはいえない他の演奏に勝る、この作品の本質を闡明する「真正な」という形容が相応しい質を湛えていたと感じられました。

*     *     *

「嘆きの歌」の上演を巡っては、ナターリエ・バウアー=レヒナーの回想録の「音楽シーズン 1900年ー1901年」の章の「≪嘆きの歌≫ 1901年2月17日の演奏」と題された節があり、そこでは上演に纏わる紆余曲折が記録されています(高野茂訳・音楽之友社刊の邦訳『グスタフ・マーラーの思い出』ではpp.406~8)。それを読むと、作品に対する献身という点で今回の上演が如何に恵まれた理想的なものであったかが却って確認できるわけですが、作品そのものについてのバウアー=レヒナーの印象は書き留められても、マーラー自身の作品に対する思いというのは直接には記録されていないようです。一方でマーラーはその早すぎる晩年に(だが、まさに晩年と呼ぶに相応しい状況下にあって)、ニューヨークからのワルター宛の書簡(1996年版書簡集では429番、1909年12月18日ないし19日に書かれたと推測される日付のない書簡、以下に引用させて頂く、須永恒雄訳・法政大学出版局刊の邦訳『マーラー書簡集』ではpp.389~392)で、自分の第1交響曲を演奏したときに感じたことを以下のように記しています。

「(…)おとといはここで私の≪第一≫をやりました。みたところ、さしたる反応なし、それにひきかえ私はこの若書きに心から満足しました。こうした作品はどれも、指揮するといつでも、妙な気分になる。燃えるような痛切な感情を結晶化している。すなわち、こんな響きと形姿を鏡像として投げかけるとは、これはいったいなんという世界なのか。葬送行進曲とそれにつづいて勃発する嵐のようなものが、私には、あたかも造物主への嘆願のように立ち現れるのです。そして私が新作を作るたびごとに(少なくともある時期までは)この嘆願の叫びが毎回湧き起こるのです――「汝は彼らの父に非ず、汝は彼らの暴君なり!」――(…)」

勿論これはあくまでも第一交響曲についての言及であって、「嘆きの歌」についてのものではありません。ではありますが、同時により広く自分の若書きの作品について述べたものでもあって、私には、それに先立って作曲され、だが上演の方は遥かに遅れて、そのキャリアの絶頂にあってようやく実現に漕ぎ着けた「嘆きの歌」についても、マーラーは同じようなことを感じたのでは、それが故にマーラーは「嘆きの歌」を「作品1」としたのでは、というようなことを、今回の演奏に接することで思わずにはいられませんでした。要するにそれは今回の上演が、「マーラーは、これを音にしたかったのだ」というかけがえのない「何か」が伝わって来る演奏であったということなのだと思います。それはあまりに強烈で、特にその頂点では感情の強烈な波が次々と押し寄せてくるので、少なくとも私に関しては、聴き手としてそれを充分に受け止められたかどうかについては、甚だ心許無いのですが。

そしてそれは単に演奏会場で演奏された作品を、その場で聴取するという条件では尽くせない、ライブ・パフォーマンスの可能性を明らかにするような経験であったと確かに言えると思います。かつてジャパン・グスタフマーラー・オーケストラと名乗っていたオーケストラは現在はその名称に「祝祭」という語を冠していますが、この語はまさに今回のような公演にこそ相応しいと感じられます。このような静謐で悲しみに満たされた、悲劇的で陰惨でさえある作品が祝祭とは、という反応は祝祭という言葉の意味を取り違えているのであって、それならば古代ギリシアの悲劇の上演はどうであったか、否、地球の反対側のことを持ち出さずとも、我々自身の伝統の中にあって、やはり静謐でありながら強い悲劇的な感情に満たされた数多くの作品を持つ能楽の上演はどうなのかに思いを致せば、それこそが「ライブ」の可能性そのものとまでは言わないまでも、その可能性の中心にあるものだということが得心されるのでは、と思います。マーラーの作品であれば、第6交響曲や第9交響曲、「大地の歌」や第10交響曲、更には連作歌曲集といったものも、その上演は単なる娯楽・教養のための消費の場ではなく、まさに「祝祭」の場で上演されるべきものではないかと考えます。

そうした、まさに「ライブ」ならではの経験をさせて頂いたことに対して、演奏者全てに重ねて御礼申し上げたく思います。そしてさまざまな制約から、もう一度というのは大きな困難を伴うことは重々承知しているものの、今回のような機会が再度繰り返して実現し、奏者が十全と感じられる演奏が行われたら、ということを思わずにはいられません。少なくとも今回の上演がそうした「伝統」を形作る、後世に向けての一歩であればということを願わずにはいられません。

*     *     *

冒頭述べたように、新型コロナウィルス感染症の影響が終息しつつあり、コンサートも含めて世の中が「正常化」する一方で、私は相変わらず自分の身の回りの卑近なことで手一杯な状況ですが、それ故にか「ポスト・コロナ」の世の中が、旧に復するどころか、寧ろ一層、どこか逼塞している雰囲気が強まっていることは否応なく感じ取れるように思います。そうした中、マーラー祝祭オーケストラの活動に接して、不十分な仕方でしかなくとも微力ながらお手伝いできたことは、そうした状況を何とかやり過ごすための心の拠り所のように感じられます。とりわけでも今回、その実現に大きな困難が伴う「嘆きの歌」の上演に身近に接することで、私個人の感慨としては自分の卑小な存在を超えて、世の中に働きかけられたという実感のようなものがあります。このような経験をさせて頂けたことに対して、井上喜惟さんを始めとする公演に携わられた全ての方に改めて御礼申し上げて、この拙い感想の結びとさせて頂きます。(2023.12.30初稿公開)

2023年12月17日日曜日

[お知らせ] マーラー祝祭オーケストラ(音楽監督・井上喜惟)第22回定期演奏会(2023年12月24日)

マーラー祝祭オーケストラ(音楽監督・井上喜惟)第22回定期演奏会が2023年12月24日にミューザ川崎 シンフォニーホールにて開催されます。詳細は以下の、マーラー祝祭オーケストラの公式ページをご覧ください。

Mahler Festival Orchestra Offcial Site (https://www.mahlerfestivalorchestra.com/)




プログラムには、マーラーのカンタータ『嘆きの歌』がヤナーチェクのシンフォニエッタとともに含まれます。『嘆きの歌』は、マーラーが自ら作品1と位置付けた作品ですが、洋の東西、プロ・アマ問わず上演機会に恵まれているとは言い難く、特に日本でその上演に接する機会は限られており、今回の演奏会は貴重な機会だと思います。

本ブログの管理人も、その企図に賛同し、当日会場で配布されるプログラムノートに寄稿させて頂いております。是非ともご一読頂ければ幸いです。また、本ブログでは『嘆きの歌』に関連して以下のような記事を執筆・公開していますので、併せてご覧頂ければ幸いです。

[追記] マーラー祝祭オーケストラ第22回定期演奏会は無事終演しました。稀曲である「嘆きの歌」の上演にあたっては多くのご苦労があったことと推察致します。井上喜惟先生をはじめとする、公演に携わって来られた全ての方々に敬意と感謝の意を表します。公演プログラムノートへの寄稿文と、公演に接した感想は別途記事として公開の予定です。

(2023.12.17 公開, 12.18 公演のフライヤー画像を追加, 2023.12.28 追記)

2023年7月31日月曜日

私のマーラー受容:「嘆きの歌」(2023.7.31更新)

 「嘆きの歌」は聴く機会がずっとなかったし、あまり印象にも残っていなかった。 この曲の素晴らしさに気づいたのは最近(ここの部分の執筆当時で、改稿している2023年現在では近年とすべきだろうが)になってからで、恐らくナガノ・ハレ管弦楽団の初期稿全曲の CDを聴いたことが大きい。これは単に初稿の初めての録音だというにとどまらず、際立って優れた演奏だと思う。

 だがしかし、「嘆きの歌」の受容史一般からすれば、私の上記のような受容の経緯は、マーラー演奏の中心から隔たった極東の、更に地方都市に住んで、最新の情報に接することができなかったという情報格差の結果であるというべきなのだろう。今日ではよく知られていることだが、「嘆きの歌」は20歳になるかならないかの若きマーラーの野心作であり、マーラー自ら「作品1」と呼んでその上演に拘りを持ち続けたにも関わらず、その実現は、マーラーが功成り名遂げたウィーン宮廷歌劇場監督の時代になってからようやくであるのみならず、上演にあたっては第1部をカットして、初期稿では第2部、第3部にあたる部分のみとし、更に声楽や管弦楽の配置にも大幅に手を入れ、上演に纏わるさまざまな困難に関して大幅に軽減されるような改訂を加えた上での上演であり、程なくして出版され、永らく流布したのもこの改訂稿であった。それに対しオリジナルの形態は、まずカットされた第1部のみが1934年11月28日にブルノで放送初演(アルフレート・ロゼ指揮、チェコ語歌唱)されたが、その後は専ら改訂版での演奏が行われ、再び初期稿が陽の目を見るのは、生誕100年を経てマーラー・ルネサンスが到来して、主要な交響曲や歌曲が人口に膾炙するようになった後の1970年近くになってからのことであった。恐らくその先駆けとなったのが、イギリスで指揮活動を活発化させていたブーレーズであり、1969年に初稿第1部を、続けて1970年に改訂稿を用いて第2部・第3部を録音したレコードをリリースし、これがその後しばらく続いた、初稿第1部+改訂稿という折衷形態での上演が一般的になる契機となったものと想像される。なお、私がマーラーに出会った時期の私のリファレンスであったマイケル・ケネディの評伝の本文(邦訳p.138)および資料編(邦訳資料編p.6)では、初稿第1部のブルノでの放送初演に引き続き、初稿全曲(本文では「オリジナル版」)の演奏が翌年の1935年4月8日にウィーンで同じ指揮者により、やはり放送初演の形態で行われたとの記載があるが、その後のブーレーズの録音について、やはり「オリジナル版」と記述していることから、初稿第1部+改訂稿での全曲演奏を指して「オリジナル版=初稿全曲」としたもののように思われる。従ってこれは、初稿第1部+改訂稿という折衷形態での上演の嚆矢となるものだった一方で、編成もオーケストレーションも大きく異なる初稿第2部・第3部と併せた文字通りの初稿全曲の初演は、冒頭で言及したナガノとハレ管弦楽団のそれまで待たねばならなかった。ポスト・セリエルの前衛作曲家であったブーレーズが、指揮者としての活動を活発化させると、新ウィーン楽派やストラヴィンスキー、バルトークあるいはドビュッシーやラヴェルといったレパートリーのみならず、セリエリズムの原点であるベルクやシェーンベルクのオペラはともかくも、バイロイトでワグナーの楽劇を指揮するようになるとともに、マーラーについても再評価の文章を執筆したかと思えば、次々と交響曲を演奏していくことになるのだが、そのブーレーズのいわば「名刺代わり」となったのは「嘆きの歌」であったということができるのではなかろうか。

 のみならず日本でも、戦前のプリングスハイム、近衛秀麿、ローゼンシュトックといったパイオニアによるマーラー紹介からの中断を経て、1970年の大阪万博あたりを転機として、遅れてマーラー・ルネサンスが始まったのであるが、「嘆きの歌」はその最中の1970年に、まず改訂稿の日本初演が、その後も日本における「嘆きの歌」の受容を牽引する、秋山和慶指揮東京交響楽団のコンピにより実現しており、私がマーラーを聴くようになった1970年代の後半において未知の作品であったわけではない。山田一雄、渡邉暁雄、若杉弘といった、その後日本国内でのマーラー演奏を牽引する指揮者が次々とマーラーの交響曲をコンサートのプログラムに載せていくのもこの時期のことであり、地方都市に住み、特段音楽的でもなければ、そうした先端の情報に接する環境にあったわけでもない、平凡な子供であった私は、そうしたトレンドの先端を知ることなく、取り残されていたい過ぎないというのが客観的な展望の中での位置づけということになるだろう。

 だが客観的にどうであれ、私のマーラー受容において、最初に作品に接したのがいつで、どの演奏であったのかの記憶が曖昧な点に関して「嘆きの歌」は残念ながら唯一の例外的な作品であることは認めざるを得ない。ドナルド・ミッチェルの『さすらう若者の時代』の邦訳刊行は少し先のことになるから未読であったとはいえ、上掲のマイケル・ケネディの評伝では、作品篇第2章「歌曲と交響曲第一番」で、かなり詳細に「嘆きの歌」を取り上げられており、初期稿・改訂稿の問題から、演奏や出版の経緯といった事実関係もさることながら、作品自体についても要を得た説明がなされていて、最初期の歌曲「春に」との連関にまで言及されており、情報としては申し分ないものが手元にあった筈である。だが、そこでもきちんと触れられているブーレーズの演奏の録音に接したのは、遥かに後年、それがCD化されて以降であるのは確実である一方で、それでは当時、マーラーの音楽に接する最も手近な手段であったFM放送で接したことがあっただろうかと自問してみても、当時の番組表でも見ることができれば、或いはこれに違いないというのを思い出すかも知れないが、そもそも放送で接したという記憶がないのだ。とはいえ初期稿第1部+改訂稿の形態での演奏には確かに接していて、冒頭で触れたナガノ・ハレ管弦楽団による初期稿全曲の演奏が初めてでなかったのは(思い込みでなければ)間違いないと思うのだが…

 とはいうものの、マーラーの交響曲がコンサートのレパートリーとしてすっかり当たり前になった現時点においても、この作品は依然として稀曲の類と言って良く、実演に接する機会が限られているのもまた事実であろう。日本初演こそ1970年に行われたとはいえ(1970年9月16日、秋山和慶指揮・東京交響楽団、大川隆子、石光佐千子、砂川稔、東京アカデミー合唱団、改訂稿)、その後上演は途絶え、ようやく1980年代になって再演の機会に恵まれ、今後は初稿第1部と改訂稿による第2部、第3部という、この作品の上演史において永らく採用されてきた形態による演奏(1982年4月7日、小林研一郎指揮・東京交響楽団)が行われることになる。シノポリが残した「嘆きの歌」の録音は、フィルハーモニア管弦楽団とともに来日してのマーラー・チクルスの一環として取り上げた折のものだが、稀曲の日本初演を数多く手がけている若杉さんが同時期にサントリーホールで行っていたマーラー・ツィクルスでは「嘆きの歌」はついに取り上げられることがなかった。(ツィクルス完結の翌年(1992年11月19日)に落穂拾いのように東京都交響楽団と取り上げているが。)なお初稿版全3部の日本初演は1998年5月の秋山和慶指揮・東京交響楽団による演奏で、秋山さんはその後2013年3月24日にも東京交響楽団と初稿版を取り上げており、「嘆きの歌」のスペシャリストの面目躍如といった感がある。

 近年、交響曲の演奏についてはプロよりも寧ろ頻度が高いかも知れないアマチュアのオーケストラによる演奏も、「嘆きの歌」となるとその上演記録は極めて稀なものになってしまう。本ブログでも利用させて頂いているクラシックの演奏会情報サイト「i-amabile(アマービレ)」の記録によれば、何と2回だけ。改訂稿ですら、長田雅人指揮・東京アカデミッシェカペレの第32回演奏会(2006年11月19日)で取り上げられたのが唯一なのだが、何と初期稿全曲の演奏は既に行われていて、三澤洋史指揮・愛知祝祭管弦楽団 が「嘆きの歌」特別演奏会を2015年7月26日に愛知県芸術劇場コンサートホールで開催している。

 そうした事情もあって、交響曲ですらやっと全曲の演奏に接したというレベルの私のコンサートでの聴取の経験に「嘆きの歌」が含まれていないのは寧ろ当然というべきだろうが、願ってもないことに、マーラー祝祭オーケストラ(音楽監督・指揮:井上喜惟)が来る2023年12月24日の第22回定期演奏会で、ヤナーチェクのシンフォニエッタとともに「嘆きの歌」を取り上げるという情報に接した。初期稿第1部+改訂稿という形態の演奏のようだが、印象深いモラヴィア風の変拍子の旋律を含む「嘆きの歌」とヤナーチェクの組み合わせも興味深く(初稿第1部の初演が、ブルノで、しかもチェコ語で行われたこと、更に翌年のウィーンでの放送のための「全曲演奏」が初期稿第1部+改訂稿という形態で行われ、長らくこの形態で「嘆きの歌」が受容されてきたことを改めて思い起こすべきだろうか?)、是非ともこの貴重な機会に足を運ぼうと思っている次第である。(2023.7.31大幅加筆して再公開)

2022年10月10日月曜日

ポスト・コロナ禍における第2交響曲演奏の意義(2022.9.11 マーラー祝祭オーケストラ第20回定期演奏会によせて:2022.7.27 最終稿)

 「復活」というタイトルで親しまれ、マーラーの作品の中で最も人口に膾炙した作品であろう第2交響曲について、既に色褪せたものとする主張が半世紀以上前にアドルノによって為されている。国内でも柴田南雄がフィナーレの器楽部分への批判を述べているし、最近では村井翔の評伝の作品篇には第8交響曲同様、第2交響曲の解説もまた存在しない。こうした識者の評価に対し、第2交響曲の意義を擁護することは今日如何にして可能だろうか?

 この作品の構成が緊密とは言い難いことは様々な論者により繰り返し指摘されてきたが、7年にも及ぶ錯綜を極めた成立史もまた、最終形態に至るまでの構成上の紆余曲折を物語って余りある。この作品の最初の構想は第1交響曲の初期稿が完成した1888年迄遡るが、最初に完成したのは最終形態の第1楽章で、草稿のタイトルは番号なしの「交響曲ハ短調」であった。当時、後に第1交響曲となる作品はまだ2部からなる交響詩「巨人」であり、その状況は第2交響曲が完成した1894年においても同様であったから、この作品はマーラーが「交響曲」として構想した最初の作品であるのみならず、「交響曲」として最初に完成した作品でもあったことになる。

 その最初に完成した部分が一時期、交響詩「葬礼」として独立した作品として扱われていたことは良く知られているが、他方で交響曲としての構想において楽章順序の揺らぎが存在したこともまた、ナターリエ・バウアー=レヒナーの回想や遺品によって確認できる。最終形態で第2楽章となるアンダンテが書かれたのが第1楽章の完成に近い時期であるにも関わらず、当初マーラーはこの楽章を第1楽章に後続させることを考えておらず、アンダンテを第1楽章、スケルツォ、「原光」に続く第4楽章に置く I-III-IV-IIという順序を構想したスケッチが遺されている。更に1895年1月に行われた最初の3楽章の試演では最終形態と同じI-II-IIIの順序で演奏されたようであるが、その折に作成された写譜における楽章順はI-III-IIであり、スコアの練習番号がスケルツォのみ、第1楽章が27番で終わるのを受けて28から始まる点にその名残が見られる。最終稿における第1楽章と第2楽章との間の5分間の休憩の指定は、構成上の弱点が最後まで解消されなかったことについてのマーラー本人の自覚を告げていよう。

 交響詩「巨人」や第3交響曲と異なり、各楽章のタイトルこそ付されなかった替わりに、この曲にはプログラムが遺されており、作品紹介の定番アイテムの一つとなっているようだが、本人の手になるとはいえ、当時の環境下での或る種の方便として後付けで用意された、それこそとっくに賞味期限切れに違いないものを、時代と文化的環境の隔たりが恰も存在しないかの如くに文字通りに受け取り、内容を論じることに意義があるとは思えない。マーラーの「復活」「再生」についての考え方は書簡や回想によって確認することができるが、作品そのものの今日的意義を測る上でより重要なのは、寧ろフィナーレの歌詞に対するマーラーの介入であろう。クロップシュトックの「復活」の讃歌は歌詞の冒頭部分のみに過ぎず、その後の追補は「自作」のものであると、作品を仕上げている最中の1894年7月のベルリナー宛書簡でマーラー自身が述べている通りで、全体としては後年の「大地の歌」終楽章でも見られる「追創作」の先駆と見るのが妥当だろう。

 この点はハンス・マイヤーがマーラーを「簒奪者」と断じる理由に他ならないが、同時に彼は、それを同時代の芸術的代理宗教に属するもので、信仰の衰退の証言としてではなく、新しい宗教感情の芸術として受け止めてもいて、岡田暁生がマーラーの音楽を「神なき時代の宗教音楽」と規定し、フランス革命後の市民社会が産み出した制度であるコンサートのためのジャンルであるにも関わらず、その交響曲が聴衆から拍手喝采を浴びるための音楽ではなく、祈りの音楽であることを指摘する点に通じていよう。更にマイヤーは「大地の歌」が第2交響曲の撤回を意味するとも述べているが、この指摘は第2交響曲末尾の変ホ長調の主和音(それは第8交響曲にも共通する)と比べて「大地の歌」末尾の付加六の和音を「不協和」と見做すことに構造的に対応しており、かつまた第2交響曲におけるハ短調⇒変ホ長調という並行長調での解決の図式を共有する唯一の作品が「大地の歌」(イ短調⇒ハ長調)であり、だが前者での長調の主和音の解決に替えて後者では付加六の和音で解決が宙吊りされていることに対応している。柴田南雄は第8交響曲以降の後期作品を指して「背後の世界の音楽」と名付けたが、それはまた第2交響曲にも相応しく、第8交響曲第2部と同様、第2交響曲も死の影に覆われている点で「大地の歌」に通じることの方が重要ではなかろうか。

 マーラーがピアノで第1楽章を弾くのを聞いたハンス・フォン・ビューローの拒絶反応と並んで、そのビューローの葬儀で歌われたクロップシュトックの「復活」の讃歌に霊感を受けて終楽章を書き上げたという経緯もまた有名だが、そこに精神分析的な「父親殺し」を見出そうとするテオドール・ライクの主張よりも、クロップシュトックの讃歌という「他者からの呼び掛け」に触発されてようやくマーラーが自らの語りへの衝動を掴み取ったことに寧ろ注目すべきだろう。後者については1897年2月17日付のアルトゥール・ザイドル宛書簡で「聖書を含むあらゆる文学書を渉猟しつくした挙句」のことだと回顧しているが、例えばド・ラ・グランジュに拠れば、終楽章に取り組んでいる時期にマーラーがフリッツ・レーアへ作品集の送付を依頼したとされるヘルダーリンの「ヒュペーリオン」第2巻第2部に「わたしたちは生きるために死ぬのです」(Wir sterben, um zu leben.)というディオティーマの言葉が見出せるのは偶然だろうか。続けて神々の世界では「すべてが平等」で 「主人も奴隷もいない」と語られるのが第2交響曲のプログラムの内容と呼応するように感じられるのはどうか?実証的な裏付けは不可能にせよ、他者達とのやりとりが半ば無意識の裡に作品中に仮想的な風景として定着された結果、作品を介して他者達が語っていること、更に時空の隔たりを通じて我々もまたそれを「投壜通信」のように拾い上げ、更に継承していくことが重要なのではなかろうか?

 「簒奪」に見えたものは、実は「他者からの呼び掛け」に対する「応答」に他ならなかったのだ。またしても第8交響曲も含め、敬虔さや超越者との対話といった変ホ長調の調性格論的な規定を考えれば、それが「他なるものへの応答」であることが確認できよう。そしてそれに見合うように、この作品は構成上の困難を埋め合わせるに足る決定的な瞬間に事欠かず、彼を通して他者の声が響きわたる瞬間の持つ圧倒的な力が色褪せることはなさそうに見える。

 コンサートホールが祈りを追放し、チケットの代金と引き換えに動員された聴衆が演奏者と一体となる高揚感の挙句に拍手喝采を惹き起こす場所であるのに対して、しばしばこの作品のモデルとして引き合いに出されるベートーヴェンの第9交響曲とは明らかに異なって、この第2交響曲は一見そうした熱狂を惹き起こす企図を共有するかに見えて、それに反するベクトルをも含み持っているのだ。今日のコンサートにおいて確実に集客が見込める「主力商品」である一方で、しばしば第2交響曲が特定の出来事を「記念」するための音楽でもあるのも、そのことを物語るように思われる。コンサートホールの杮落しや演奏者のアニヴァーサリーを「記念」することも勿論だが、それにもましてこの曲が、その場にいない者への「追悼」や「追憶」のための音楽であることは、数多いこの曲の演奏記録の中でも圧倒的な第二次世界大戦後のワルターのウィーンへの里帰りコンサート―それはナチスにより禁じられたマーラーの音楽の「里帰り」という意味合いもあっただろう―やケネディ大統領追悼の放送のためのバーンスタイン指揮のニューヨークフィルハーモニックによる演奏のような例を思い起せば十分だろう。

 翻って今回の演奏が、新型コロナウィルス感染症の蔓延とそれに伴うコンサートの延期・中止といった出来事を追憶し、そこからの甦りの祈念という意味合いを持つことは、ステージにあふれんばかりの巨大な管弦楽と独唱・合唱を必要とし、それを聴くために集まる満場の聴衆を必要としているこの作品のような音楽を演奏し、継承していくことが一時的とはいえ不可能となったことに照らした時、決して偶然ではないだろう。それが故に今回のコンサートの意義を噛み締めることは、時代を通り抜けて継承されるべき価値をマーラーの音楽に見出す人間にとって一つの責務であるように思われるのである。(2022.5.18-9初稿, 5.22改稿)

 [後記]上掲の文章は 2022年9月11日のマーラー祝祭オーケストラ第20回定期演奏会のプログラムに寄稿させて頂いた文章の最終稿(プログラムノートに掲載される直前の稿態)です。直前迄、公演に立ち会う予定であったものの、事情により叶わず大変に残念でしたが、そのことのお詫びとともに公演へのコミットメントへの記録して公開させて頂きます。(2022.7.27脱稿, 2022.10.10公開)

2021年5月9日日曜日

第3交響曲が私に語ること(2021.5.9 マーラー祝祭オーケストラ第18回定期演奏会によせて:初期稿)

第3交響曲はマーラーの音楽の特徴が様々な側面で最も顕著に表れた作品であるといって良いだろう。この作品に限れば後付けの説明ではなく、複雑な変遷を経て1902年のクレーフェルトでの初演のプログラムにその最終形が掲載された標題のみならず、マーラー自身の書簡、ナターリエ・バウアー=レヒナーやブルノ・ワルターの回想等に残された証言も豊富であるが故に、この作品は、マーラーの作品を巡ってしばしば生じる、音楽の実質から遊離した言説の最大の被害者であると同時に、音響外の要素を一切捨象して最終的な音響態のみを自律的、自足的なものとして取り出そうとする姿勢の抽象性を暴き立てるという点で最も雄弁な証言者でもあろう。更にマーラーの交響曲の形式的な面での伝統的な交響曲形式からの逸脱の具体的な様相として思い浮かぶ、作品の長大化、楽章数の拡大、「部」(Teil)という階層の導入、楽章間の長さのコントラストの拡大、管弦楽編成の拡大、特殊楽器の使用や声楽の導入、そして空間的な次元の導入(舞台裏や「高いところから」といった指示)といった特徴の悉くが当て嵌まるこの作品は、それが生まれた時代にほぼ今日の姿になった巨大なコンサートホールでの演奏会という制度の中で、その可能性を極限まで追求した試みという見方もできるだろう。2部6楽章からなる重層的な全体構想における楽章間の調的な配置、そして各楽章の構造、中でも巨大で複雑な第1楽章の構造については、規範からの逸脱という見方ではその独創性を汲み尽くし難く、安易な分析を受け付けない。

調的な構想について見ると、「夏の朝の夢」という標題とともにヘ長調という調性を記された草稿が遺されているかと思えば、ニ短調としているオスカー・フリート宛書簡もあり、全体の調性がニ短調かヘ長調に関して諸家の意見は分かれるようだ。実際、第1楽章はニ短調で始まりヘ長調で終わり、イ長調の第2楽章の後、第3楽章はハ短調だがポストホルンの長大なエピソードはヘ長調、続く第4楽章はニ長調、第5楽章はニ短調のエピソードを持つヘ長調であり、第6楽章に至ってニ長調となるのであり、ヘ長調とニ長調の葛藤・対立があって、フィナーレではニ長調が主調として確証されるという構想が読み取れる。そこから逆算するように第1楽章は提示部末尾で一旦ニ長調に到達しながら、末尾のみならず楽章全体としてもヘ長調が優位であり、最初にトニックとして確立されたかに見える調性が実はドミナントであったというサブドミナント方向への三度関係の動力学が読み取れよう。

作品の成立過程については、構想上の紆余曲折を経て、フィナーレとして、アドルノの言う「充足」カテゴリのアダージョを持ってくることにより、いわゆる「フィナーレ問題」に回答を与える見通しがついた地点に至って、それまでに書かれていた楽章すべてを第2部とし、第1部として、それと釣り合う破格の規模を持ち、当初は2つの別々の部分として構想された序奏とソナタ楽章本体を一つに融合した第1楽章を持ってくるという構想が定まったと考えることができるようだ。そして「フィナーレ問題」の解決とともに、当初の構想の要石であった歌曲「天上の生活」がはみだしてしまい、そちらは第4交響曲として別に作品化されることになる。マーラー自身が弄り回した挙句、昇ったら不要になった梯子のように 最後には放棄してしまったとはいえ、様々なバージョンが遺されている標題の変遷過程は、完成した狭義での第3交響曲についてのそれではなく、こうした動的で流動的な創作過程の軌道の痕跡であり、最終的な2部6楽章の形態を、結果として第4交響曲のフィナーレに収まった歌曲をフィナーレとする構想のような幾つかの疑似的なアトラクタを経て辿り着いた不動点と捉えることを要求しているようだ。

第1楽章はその調的プロセスから、序奏が埋め込まれ、行進曲を主部とするソナタと捉えることができるが、それは、やはり第1部としてこちらは強い素材連関を持つ独立の2つの楽章を擁する第5交響曲、序奏が埋め込まれ、行進曲を主部とするソナタという構想をフィナーレに適用した第6交響曲を経て、序奏が回帰しつつ2つの対比的な主要主題が変形を繰り返す側面がソナタ形式を内側から圧倒してしまう第7交響曲の第1楽章を通って、第10交響曲のあの無比の構造を持つアダージョに至るマーラーの絶えざる試行の最初の一里塚ともいうべき成果であり、創作の巨大な過程の一部として捉えることができるであろう。

更に書簡や回想等に遺された言葉から窺えるのは、マーラーが音楽によって「ひとつの世界を構築」しようとしたことと同時に、何物かに命じられて書きとらされるかのような姿勢をもっていたことである。ここで注意すべきはベクトルの向きで、 稚拙な標題にしてからが「~が私に語ること」であり、作曲する「私」が聴き手の立場になっていることである。 マーラーの音楽を単純に主観的な独白と見做すのは、それを世界観なり思想なりの表明と見做すのと同様、実質を損なう捉え方で、作曲する主体と作品との関係についてロマン主義的な単純化した見方をしている点では共犯関係にある。際立って意識的な人間だったマーラーは、そうした点に自覚的だったようだし、作品が常に 自分をはみ出していくことについても充分に意識的であったようだ。であってみれば、大言壮語の類として片付けられがちな「君はもう何も見る必要はないのだ。僕が音楽に皆、使い尽くし、又、描き尽くしてしまったのだから」というワルターに向けた言葉についても、そこに自然に対する芸術の優位を主張する芸術至上主義的な傲慢さよりも、音楽作品の在り方の不思議さこそを見るべきなのではないか。作曲はマーラーにとって「神の衣を織ること」であったが、だとしたら音楽作品は「神の衣」であり、「ひとつの世界」は閉じた自足的な全体ではなく多世界の中の「ひとつ」であり、複数の可能世界の中の一つのバージョンと考えるべきだろう。

マーラーの作品群はしばしば連作として捉えられるが、第3交響曲は、それ自身には含まれない集積点の如きものとして、自らの外部に第4交響曲のフィナーレである歌曲「天上の生活」を持っている。独立した作品でありながら単純な作品の内側と外側という図式に収まらない内部構造を持ち、かつそれが作品の外部にも繋がっているというクラインの壺のようなトポロジーによって、「作品」を箱庭の如きものとして外部から眺めるのではなく、「世界」に対してそうであるように「作品」の中に棲み、内側から眺めることを求めているかのようだ。第3交響曲のような多元的・重層的な作品はそれ自体多重の時間の流れを含み持っているが、聴く「私」もまた別の時間の流れの一つであり、聴取によって複数の層の間の干渉・同調・引き込みが起きる。「作品」は仮想現実であり、「世界」のシミュレータなのである。聴取の行為は「世界」の経験のシミュレーションに他ならず、そうすることにより我々もまた、マーラーがそうしたように「世界=作品」の「語ること」に耳を傾けるのである。そしてそれは、マーラーがそう意図したように、世界の構築に、「神の衣を織る」ことに通じるのである。演奏者も聴き手も、交響曲という「世界」の多元性を、事後的な結果としてではなく、まさに今・ここで生じている「出来事」として経験すべきなのだ。作品は、それが生み出された時代の文脈から逃れられないけれど、時代を通じて継承されることにより存続する。そのためには新たな聴き方を可能にする新たな文脈を聴き手が用意する必要があるのではなかろうか?

だとしたら、今、第3交響曲が我々に語ることは何だろうか?

それを考える上で、マックス・テグマークが汎用人工知能について語るフレームとして提示したLife3.0を取り上げてみよう。するとマーラーの時代は、まずもってLife1.0に関する今日的な認識の基本が形成された時代であることに気づく。例えば伝染病の流行が珍しいことではなかったことはマーラーの伝記を紐解けばすぐにわかることだ。コッホによるコレラ菌の発見は1884年であり、今日当然のこととされる、細菌が伝染病の原因であるという認識すらまだその確立の途上にあった。その一方でLife2.0は生物学的な「ヒト」ではなく、ジュリアン・ジェインズのいう「二分心」の崩壊以降、レイ・カーツワイルの言う「シンギュラリティ」以前のエポックの存在様態を指していると解釈するならば、それは「ニーチェ」が「神の死」という形で言い当てた「隠れたる神」の時代に生きる存在ということになろう。

勿論そのことがマーラーの創作に直接影を落としているわけではないが、第3交響曲のフィナーレが「私の傷を見てください」というモットーを持つことを思えば関連は明らかだし、のちに長女を亡くす原因やマーラー本人の死因にしても今日ならペニシリンで治療可能であることも含め、一世紀経って進歩はしたとはいえ、今まさに新型コロナウィルスの猛威に晒されていることを思えば、相変わらず状況には変わりなく、二分心以降・シンギュラリティ以前という同時代にマーラーも我々も生きていることを再認させられずにはいられない。

してみれば第3交響曲はLife1.0の誕生からLife2.0の先までの展望―そこではLife3.0は、Life2.0の人間に続くものとして天使や神として形象化され、子供や超人もまた含まれている―を示したものであり、今ならLife2.0が産み出したシミュレーション・ソフトウェアの設計図と見做すことができるだろう。それを思えば、マーラーの作品の中でも優れて第3交響曲は、自分の生きる世界にどう向き合うか、どのように認識し、感じ、行動し、変わっていくのかについて示唆を与えてくれる存在ではなかろうか。

新型コロナウィルス禍において、ウィルスというLife1.0の手前にある存在が、Life3.0への越境へと向かいつつあるLife2.0たる人間の持つ基本的な性向である社会性、模倣し共感し協力する性向に襲いかかり、集い、役割分担することで新たな「現実」を生み出し、今・ここで生じている「出来事」として共有することを妨げ、未来を目がけて構築したもう一つの現実としての「作品」の上演と継承を困難にしてしまった。とりわけてもこの第3交響曲の上演には、巨大なコンサートホールの舞台に溢れんばかりの大編成の管弦楽に加え、独唱と児童合唱、女声合唱が必要であり、更にまた客席を満たす聴き手が必要であることを思えば、公演の度重なる延期は、まさに我々が置かれた状況を最も雄弁に証言するものであり、無作為ではなく、存続に向けての抵抗の一つのかたちであろう。であればこそ、今、ここで第3交響曲が上演されることの意義は大きい。第3交響曲は、このような状況の下で聴き手の一人ひとりがそれぞれ「~が私に語ること」に耳を傾け、自分が受け止めたものを語り、行動することへと私たちを誘っているように私には思われるのである。(2021.3.17)

[後記]上掲の文章は 2021年5月9日のマーラー祝祭オーケストラ第18回定期演奏会のプログラムに寄稿させて頂いた文章の初期稿です。諸般の事情により公演に立ち会うことが叶わず大変に残念でしたが、そのことのお詫びとともに、初期稿の掲載を以て、書き記すことができなかった演奏会の記録のせめてもの替わりとし、今回の公演が目下の困難な状況の下で実施されたことに対する敬意の表明とさせて頂きたく思います。(2021.5.9)

マーラー祝祭オーケストラ(音楽監督・井上喜惟)第18回定期演奏会(2021年5月9日)

 



2020年4月4日土曜日

1892年、ハンブルクで…:マーラー祝祭オーケストラの公演延期に接して(2020.4.7追記)

 未知のウィルスが原因の伝染病の猛威の前には、深層学習によるAI技術のブレイクスルーがあり、シンギュラリティが論じられるようになっても尚、その実現には程遠い今の時点では、人間の営みの基本は歴史が証言する、これまで繰り返してきたものと大きくは変わらず、そこで一人ひとりが直面せざる得ない剣呑な状況や運命もまた、1世紀前と変わらないように感じられる。

 そういう状況の中でマーラーの伝記を紐解くとすぐに目に入るのは、マーラーがハンブルク市立劇場の指揮者を勤めていた時期にコレラの大流行に直面したという出来事であろう。1891年3月26日にハンブルク市立劇場の指揮者に就任したマーラーは、3月29日から5月末までの公演を指揮した後、1892年にはロンドンでのいわゆる「引っ越し公演」を大成功させている。休暇に入ったマーラーが8月16日から再開される劇場に戻ろうとしたまさにその矢先、ハンブルクはコレラの流行に襲われ、それは10月まで猛威を振るうことになるのだ。
 市立劇場の方は新しいシーズンを開始したものの、マーラーはコレラを避けるために休暇を延長し、流行が収束し始めた後、10月初旬になってようやくハンブルクに戻り、シーズン最初の指揮をしている。コレラの流行を知った時のマーラーの反応とその後の行動は、遺されたフリードリヒ・レーア宛の1892年8月の書簡およびアルノルト・ベルリーナー宛の8月から9月にかけての書簡によって窺い知ることができる。(邦訳のあるヘルタ・プラウコプフ編の1996年版書簡集では115番から118番まで、須永恒雄訳の邦訳では107~109頁を参照。)
 コッホによるコレラ菌の発見が1884年であり、今日当然のこととされる細菌が伝染病の原因であるという認識すら当時は未だその確立の途上にあった。衛生学的にも水道設備の近代化の途上であり、エルベ川から取水していた水道設備においては沈殿処理のみが行われ、緩速濾過処理が行われていなかったことがコレラ流行の原因であったようだ。今も残るハンブルク市庁舎の中庭にある女神ヒュギエイアの噴水は1892年のコレラ流行の犠牲者の追悼のためのものであるが、それは今日まで受け継がれている都市衛生の基本がそれによって確立する、衛生学上の画期をもたらす出来事だったようなのである。ちなみに北里柴三郎によるペスト菌の発見は1894年。北里柴三郎は1886年から1891年にかけてベルリンのコッホ研究所に留学し、そこでジフテリアと破傷風の抗血清を開発し、世界で初めて血清療法を発見するという成果を上げている。
 欧州を襲ったコレラの流行というのは勿論これ一度ではない。マーラーの時代に近いところでは1831年にベルリンを襲ったコレラの流行が思い起こされるだろう。一旦は避難をしたヘーゲルが、新学期の開始に合わせて未だ流行の収束していないベルリンに戻り、講義を再開して程なくコレラに罹患し病没したことは余りに有名であろう。既に弱冠31歳にして主著『意志と表象としての世界』を上梓したものの殆ど反響がなく、ベルリンで私講師として行った講義においても当時名声の絶頂にあったヘーゲルの講義に対抗して同じ時間に行ったこともあり、聴講者を獲得することに失敗したショーペンハウアーは、イタリア旅行を経てミュンヘンで病を得て療養のためにガシュタインに滞在した後、ドレスデンを経て1825年にはベルリンに戻り再び講義を行うが、1831年のコレラの流行に遭うと罹患を警戒してフランクフルトに移り、以後遂にベルリンには戻らなかった。そのショーペンハウアーの愛読者であったマーラーは、或いはショーペンハウアーの行動に倣ったものか、その行動は慎重であったように見える。
 1892年夏のコレラ流行当時のマーラーは今日第2交響曲として知られる作品の作曲の途上にあった。紆余曲折を経た第2交響曲が最終的に現在の姿をとるに至ったきっかけが1894年に療養先のカイロで没したハンス・フォン・ビューローの葬儀―ハンブルクのミヒャエリス教会で同年3月29日に行われれた―に参列した折、クロップシュトックの復活の賛歌が歌われたのに接したことであるのはあまりに有名な話だろうが、そのフォン・ビューローに第1楽章の初期稿である交響詩「葬礼」(Totenfeier)をピアノで聴かせたのは1891年11月のことであった。その時のフォン・ビューローの否定的な反応とコメントもまた人口に膾炙しているのでここでは繰り返すまい。

 コレラの流行がマーラーの創作に直接影響しているということは言えないだろう。だが、我々に遺されたその作品が、どのような状況で生み出されてきたかを知ることはその作品を理解する上で決して些末なことではあるまい。そうした背景の詮索は、えてして文学的・思想的な領域、稍々広くとっても美術や都市計画といった文化的側面を持つ領域に限定されがちだが、マーラーが、まさに上述の書簡の相手であるベルリーナー(彼は物理学者であり、アインシュタインの知己でもあった)のような友人を通じて当時の最先端の自然科学の知見についても豊富な知識を持ち、フェヒナーやヴントといった現代の心理学の先駆者の著作にも親しんでいたことは軽視さるべきではなかろう。
 既述の書簡のうちベルリーナー宛のものを読めば、ここでフォーカスしているコロナ禍への対応についてもマーラーはベルリーナーの助言を仰いで行動していることが確認できるし、一旦9月12日にハンブルクに戻ろうとしながら、ハンブルクでの流行が収まっていないなら、ハンブルクの北東、ウーレンホルストにあったベルリーナーの居宅に留まりたいと伝えている。(ちなみに1892年にコレラが流行したのは旧ハンブルク市街であり、アルスター川の対岸、エルベ川に沿って下流側にあるアルトナ市では水道設備に逸早く緩速濾過処理が導入されたことから流行を免れている。ベルリーナーの居宅のあったウーレンホルストは旧ハンブルク市街からアルスター湖を挟んで北東側、現在の大ハンブルク市では北地区に属しており、1842年のハンブルク大火の結果、アルスター湖の堤防の水位が下げられたことにより居住可能になった新しい街区であり、コレラの流行があった旧市街とは離れた場所にある。)マーラーの音楽の背後にある世界に対する認識は、それが一世紀前のものであることは確かだが、それでも今日我々が想像するよりは遥かに科学的な知性に裏打ちされたものかも知れないのだ。

 だが、それよりも今、新型コロナウィルスとの戦いのさなかにある我々にとって切実な接点は、ジュリアン・ジェインズの言う「二分心」以降、レイ・カーツワイルの言う「シンギュラリティ」以前の同じ「神なき時代」「隠れたる神」の時代を生きる同時代者としての、有限の寿命に限界づけられ、かつそのことを意識することを宿命づけられた存在としての共感ではなかろうか。
 コレラ禍を免れたマーラーも、後には猩紅熱が最愛の長女の命をあまりに早く断ち切ってしまう運命に直面し、更に自身もまた連鎖球菌による感染性心内膜炎により命を奪われることになる。それを思えば、第6交響曲のハンマーによる「運命の打撃」のうち残された二つは、二度の世界大戦でも二回の原爆投下でもなく、実は細菌との戦いとその敗北を予言したものであるという主張を誰かがしないとも限らないといった冗談はさておき、いずれも当時は不治の病であったものが、マーラーの没後間もない1928年に発見されたペニシリンをはじめとする抗生物質の開発で治癒可能な病気となったことはよく知られている。だが一世紀経って進歩はしたとはいえ、近年の例に限って思い出すままに挙げてもエイズ、新型インフルエンザ、SARS、そして新型コロナウィルスといった未知の病原菌との戦いは相変わらず繰り返されており、マーラールネサンスの時代には「治癒可能」と説明されることの多かった連鎖球菌による感染症についても、却って今日では耐性菌の出現による新たな脅威にさらされていることを思えば、相変わらず状況に変わりはなく、やはり「二分心」以降「シンギュラリティ」以前という同じ時代にマーラーも我々も生きているのだと感じずにはいられない。
 そして、細胞を持たず、自己複製の能力を持たない「生命」以前の存在であるウィルスが、マックス・テグマークの『Life3.0』によれば「自らのハードウェアを設計する能力」を持った結果、進化の軛を逃れた存在であるLife3.0への橋渡し役としての、謂わば「最後の生命」たる「人間」を脅かしているということを踏まえれば、それは「生命」以前と「生命」以後の抗争として捉えることさえできるのではないだろうか。

 日本では、西浦先生の疫学的数理モデルに基づくクラスタ―の早期発見と抑え込みという方策が、これまで素晴らしい成果をあげてきており、私も微力ながら、例えば「新型コロナウィルス感染症に関する専門家有志の会」(https://note.stopcovid19.jp/ )の活動に賛同したり、自分が置かれた条件の下で、医療関係者、医薬品販売などの生活インフラを担う方々の活動(それは仮に非常事態宣言が出ても、―日本では起きないようだが―ロックダウンが起きても止まることはない、否、止めることができないものであることを認識すべきであろう)を支援しているが、時々刻々と深刻さを増す感染者数の増加状況や各種記者会見などでお話を伺う限り、一刻の猶予を許さない状況に見える。
 例えば「新型コロナクラスター対策課専門家」(https://twitter.com/ClusterJapan)のtwitterでの西浦先生の説明によれば、2割が外出自粛するのではなく、8割が外出自粛して、必要最低限の2割だけが外出するようにならないと感染爆発が防げないと数理モデルは語っている。数理に対するフィーリングがあれば、今起きていることではなく、例えば2週間後におきるであろうことに基づいて今の行動を決めないといけないことは感覚で了解されることと思われる。求められているのは、そのことを感じとる知性であり、それに加えて今、自分からは見えないところで起きていることに対する想像力、更には未だ潜在的な状態にあって2週間後に起きることが想定されることに対する想像力なのではなかろうか。

 マーラーの音楽は、そうした我々の同伴者であり、「生命」以後への道行きから途中で落伍し脱落していく者に手を差し伸べてくれる存在のように感じられる。東日本大震災に遭遇した折、私の頭の中で鳴り響いていた音楽が聞こえなくなり、と同時に外界との間に膜ができたかのような無感覚な状態にしばらく陥ったことを思い出す。そこから抜け出すきっかけ、最初に再び私の頭の中に音楽が鳴り響いたのは、「計画停電」のさなか、自分が勤務するオフィスに向かうべく早朝の渋谷の街を歩いていた時だった。その直後に予定されていたジャパン・グスタフマーラー・オーケストラ(現マーラー祝祭オーケストラ)の第9交響曲の公演が、演奏会場として予定されていたミューザ川崎の被災により延期され、場所を変えて行われたことを思い出す。
 だが、今回の災厄における日常と非日常の切れ目というのはその時とは異なるように思われる。頭の中の音楽が絶えることはなく、あの時に沈黙を破って頭の中に突如として鳴り響いた第9交響曲第1楽章、練習番号8番の手前、Noch etwas zögernd, allmählich übergehen zu ... Tempo Iのところ、より正確には更にその5小節前あたり、ホルンのシグナルが途切れて、ヴィオラに導かれてヴァイオリンが入ってくるところ以降の、逍遥するうちに幾度か回帰することになる、あの清々しい水の流れを思い起こさせる楽節は、「生き延びる」ため、「存続する」ために強いられる、時々刻々の変化への対応が引き起こす長時間の緊張から解き放たれたふとした合い間に心の中で密かに響き出す。そしてその時私は、マーラーの音楽が自分のかけがえのない「同伴者」であること、一世紀前の異郷の地から流れ着いた「投壜通信」が、マンデリシュタムが言ったように、それを偶々拾い上げたかつての子供であった私宛のものであることを確認するのだ。

 来たる5月9日に予定されていたマーラー祝祭オーケストラの第3交響曲の演奏会を9月13日に延期することになったと音楽監督の井上喜惟先生からご連絡頂いたのは去る4月1日のことであった。専門家会議の定義する「感染拡大警戒地域」では、10人以上の集まりを控えることが要請されており、「生き延びる」ためにその要請に応じるならば、オーケストラにとっては公演は勿論、プローベも含めた組織としての活動を全面的に停止することを意味する。或る一つのオーケストラの公演中止に留まらず、全世界でこの状況が続く限り、マーラーの交響曲がその本来の姿でコンサートホールで鳴り響くことはないのだということの持つ意味を、マーラーファンは噛み締めなくてはならないのではなかろうか。だがそれはマーラーの音楽の「死」を意味するのではない。井上先生へは、有識者の見解を取り入れ、ますます深刻になりつつある状況の未来を冷静に見極められての決断に対する深い敬意をお返事としてお伝えしたが、ここで改めてその知性と想像力に対して敬意を表明したく思うとともに、来るべき公演が、こちらはあの感動的な震災後の第9交響曲の演奏会と同じく、マーラーの音楽が生き続けていること、そしてマーラーが今、ここで生きる我々の「同伴者」であることを力強く証明することを信じて疑わない。(2020.4.4初稿, 4.5補筆, 4.6加筆)

[追記] 公開後、岡田暁生先生より、農業思想史・農業技術史がご専門の歴史学者である藤原辰史先生の「パンデミックを生きる指針——歴史研究のアプローチ」(https://www.iwanamishinsho80.com/post/pandemic)をご教示頂きました。藤原先生は、文中で「クリオの審判」を引き合いに出され、現下の状況で問われているのは「いかに、人間価値の値切りと切り捨てに抗うか」「いかに、感情に曇らされて、フラストレーションを「魔女」狩りや「弱いもの」への攻撃で晴らすような野蛮に打ち勝つか、である」と述べられていますが、これはまさに、藤原先生の文章をご紹介くださった岡田先生が訳された「ウィーン講演」の末尾においてアドルノが「生涯を通じて彼の音楽が味方したのは貧しい鼓手の若者、命を落とした歩哨、死者になってもまだ太鼓を叩かねばならない兵士であった。(…)彼の交響曲と行進曲は、あらゆる個別とあらゆる個人とをその下に跪かせる調教の類ではなく、不自由の最中にあっては亡霊の行列のようにしか響き得ない解放された人々の行列の仲間へと、彼らを次々に引き入れてやろうとするものだ」(アドルノ音楽論集『幻想曲風に』、岡田・藤井訳、128~9頁)と述べていることと呼応しており、マーラーの作品が担い、コミットする価値に通じるものがあると考えます。ご教示くださった岡田先生に感謝するとともに、素晴らしいテキストを発信してくださった藤原先生に、感謝の気持ちと敬意を表したく思います。(2020.4.7)

2018年7月8日日曜日

マーラーの音楽の聴取様式

マーラーに関する文献の中で、私がマーラーを聴き始めて間もなくのうちに入手したものに、青土社が1980年に出版した「音楽の手帖」のマーラーの巻がある。既に手元にあったマイケル・ケネディのモノグラフ(中河原理訳、1978年、芸術現代社)、アルマの手になる回想と手紙(私が接したのは白水社版の酒田健一先生の訳のものでこれも1978年)と並び、私が住んでいた地方都市の書店でほぼ新刊として入荷したものに偶々接したそれらは、中学生であった私の文字通り座右の書であった。(一方、先行して翻訳が刊行されていた筈の、ブラウコップフやヴィニャルのモノグラフを読むのは、そうした微妙な刊行時期のずれのために、少し後のことになったと記憶する。)

「音楽の手帖」は、巻末資料として年表、ディスコグラフィー、ビブリオグラフィーが備わり、外盤や翻訳のない文献も網羅されたものだが、その後40年になろうかという歳月の重畳を通して改めて眺めれば、寧ろ当時の状況を証言する資料として貴重なものに感じられる。何しろ、ド・ラ・グランジュのあの浩瀚な評伝の第1巻が最初は英語で出版されて間もない時期なのだ。

だが、既に交響曲全集としてクーベリック、ショルティ、バーンスタイン、ハイティンクの4種が国内で販売されたことがあり、所収の記事の多くでも言及されているように、LPレコードによってマーラーの作品に比較的容易に接することが日本国内でも可能になり、アバドやテンシュテット、レヴァインやメータが、「現代的な」マーラーを提示し始めた時期でもある。(とはいえ、この本に収録された幾つかの文章における「現代的」という言葉の内実を問題にすれば、テンシュテットの演奏は、必ずしも他の3人と同じような意味合いでそう言われているわけではなく、そういう意味合いでは、テンシュテットの替りにカラヤンを持ってくるべきなのだろう。)

記事の中では、L'Arc 67号(1976)のマーラー特集所収の論文の翻訳が収録され、アドルノのモノグラフの一部、シェーンベルク、ブーレーズ、バーンスタイン、ライク、ブロッホの文章の翻訳に伍するように、日本語でも錚々たる顔ぶれによる文章が集められたもので、その後マーラーに関するムックのようなスタイルの本というのは幾つか出ているが、それらの嚆矢であり、かつ、今日に至ってなお、最も充実したものではないかと思われる。

だが、ここでそれを取り上げるのは、そうした書籍に見られるマーラー受容に対する回顧のためではない。あくまでもそれは出発点に過ぎず、寧ろ関心は、そうした書籍にいわばドキュメントとして記録されているマーラーの音楽の受容の在り方の方に存する。上述のように、私のマーラー受容のほぼ最初の時期の書籍を取り上げたのは、自分がそうした環境の中で、初めは概ね無意識的に、その後徐々に意識的に影響を受け、その後のある時期にはあからさまに反発をしつつ(その結果、マーラーそのものから遠ざかった時期もあった)マーラーを聴いてきた自分の「聴取」の在り方というのを確認するがためである。

そうした観点では、「音楽の手帖」記事の中の柴田南雄さんの「マーラー演奏のディスコロジー」という文章が特に印象的である。のみならずこの文章は、この頃以降しばらくの私のマーラーの聴き方にそれなりに影響力を持ったという意味でも、再検討に値すると感じられるのである。ディスコロジーというからには当時はLPレコードであった録音を主な対象としているのだが、実際にはFM放送で聴いた海外の演奏のライブ録音あり、コンサートホールでの実演ありと、言及される対象はより幅広く、かつ扱われている範囲も、柴田さんのマーラー受容史をなぞるように、戦前のクラウス・プリングスハイムによるマーラー作品の日本初演が出てくるかと思えば、やはり戦前のSPで聴けた演奏への言及があり、その一方では執筆と時期的に極めて近接した直近の録音や実演にも語り及ぶといった具合で、後年、岩波新書から出版された柴田さんのマーラーについてのモノグラフで語られる内容の幾つかは、既にここで読むことができる。

現時点での私の視点から見たときに特に興味深いのは、アマチュアの演奏に対する言及で、しかもそれは、1939年に撮影された、ヴェーベルン指揮の当時の勤労者オーケストラによるマーラー演奏のリハーサルの写真の話から始まって、既述のプリングスハイムが今日の芸大であるところの東京音楽学校の学生オーケストラを指揮した第6交響曲の日本初演の演奏から、1978年1月の東京大学の学生オーケストラによる同曲の演奏にまで及んでいる点で、まさに柴田さん自身の受容史と重なり、ひいては柴田さんのマーラー演奏様式の変遷についての歴史的な展望に直結しているのである。そしてその展望の方はと言えば、これもまた、ホーレンシュタインの指揮する管弦楽伴奏でレーケンパーが歌った「子供の死の歌」を範例とするマーラーと同時代の名残を留めたロマン主義的な演奏から、戦前の日本においてマーラーの作品を定期演奏会で取り上げたローゼンストックが範例となる「新古典主義的」な演奏、それから生誕100年を契機としたいわゆる「マーラー・ルネサンス」の時代を経て、執筆と同時期のアバド、レヴァイン、テンシュテットやメータの「今日的な」様式に至るといった把握が示されているのだが、大筋でそれが正しいと認めるにせよ、当然ながら色々な意味で限界もあり、現時点での私の認識では、首肯できない点も少なくない。

実を言えば、ここで特に書き留めて置きたい要点はそうした展望の是非自体にはないのだが、認識にギャップを感じる点を一点挙げておけば、「マーラー・ルネサンス」前の時期の展望は些か単純化し過ぎではないか、というのが、その後私が自分の耳で確認した上での私見である。例えば「新古典主義」という枠に押し込められて片付けられてしまっている観のあるホーレンシュタインの幾つかの録音は、現在の私の耳には、その新古典主義的な側面より、レーケンパーの伴奏をして以来の過去との繋がりの方が強く感じられるし、(しかもその印象は、ここでは言及されていない、より後の、彼の最晩年の演奏のライブ録音に及ぶのだが、)一つにはこの文章が「ディスコグラフィー」だからかも知れず、或は単に当時はアクセスできなかったからかも知れないが、それでもなお、ホーレンシュタインのみならず、アドラーやシェルヒェン、ロスバウト、ミトロプーロス、ラインスドルフ、或はシューリヒト、ファン・ベイヌム、バルビローリ、更にはコンドラーシンといった、それぞれがユニークな個性を備えた存在(更に、フリプセ、モリス、オーマンディ、ストコフスキー、、、とこのリストは追加していくことができよう)が等閑視されているのは、バランスを著しく欠いていると私には感じられる。この中では、バルビローリについてのみは辛うじて、ケネディのモノグラフのお蔭で誤認をせず済んだが、ことホーレンシュタインに関しては、この柴田さんの文章がもたらした負の影響を感じずにはいられない。

その一方で、ワルターが典型だが、戦前の幾つかの、異様な緊張感を湛えたライブ録音(戦後のウィーンでの「里帰り」の第2交響曲の演奏も、寧ろその系列に含めたい気がする)の一方で、戦後間もない時期の、いわば新古典主義的なスタイルの演奏があり、更にはそうした時代様式では括り難い、最晩年のコロンビア交響楽団との一連の録音もありといったようなケースを、時代による様式の変遷の一言で片付けるのもまた、乱暴すぎるであろう。勿論、一般的に見て時代による様式の変遷がないといいたいのではなく、ホーレンシュタインの場合にも共通することだが、それがライブであるのか、スタジオ録音であるのか、或はそのどちらの場合にしても、それがどういう文脈で行われた演奏なのかといった、録音された音響そのものから見れば外的な側面、更には長大なキャリアの中でそうした時代の変遷を生き抜いた音楽家が築いた唯一不二の個性といった個別的なものを無視した抽象は、結局のところ「音楽作品」のような対象を語る際に適切とは言えないのではないかといったことを感じずにはいられないのである。

かくして回り道をしながら、けれども結果的には、ここに至ってようやく、この文章において特に考えてみたいことを述べる準備ができたように思えるのだが、それは一言で言えば、マーラー受容において決定的な貢献をしたこと自体は否定しがたい、そして自分自身がその受益者の最たるものであることを否定し難い、録音された演奏の再生を通しての聴取という聴取のあり方に対する反省ということに尽きる。ただしそれは、単純にコンサートでの実演が「本来的」で、レコード、ラジオ(CDやDVDを経て、今ならネットワークを介したストリーミングによる聴取さえをも念頭に置く必要があろうが)といったメディアを介した聴取が、それの頽落態であり、色褪せたコピーであるといった二分法のような図式的な捉え方の水準の議論では全くない。

それよりは寧ろ、大量の録音記録に容易にアクセス出来るという、一見したところメリット以外見いだせそうにない点に潜む、聴取に対する影響のようなものを問題にしたいのである。しかもそうした環境の影響の度合いたるや、私のような単なる市井のアマチュアに対して決定的な影響を及ぼしているだけではなく、上述の柴田さんのような、ご自身も作曲家であり、聴取についても最高ランクのプロフェッショナルなスペシャリスト(アドルノの聴取の類型論を思い浮かべていただければ良い)でさえもまた、その影響から自由ではありえないのではないかと思われるのだ。従ってそれは(ナティエ的な三分法でいけば)聴取の極だけに留まる問題ではなく、そうした聴取が可能な時代に生きる演奏者の演奏の方にも決定的な影響を与えている筈なのである。(更には創作の極についても勿論同じことが言えるだろうが、これはマーラー作品そのものからは離れることになるので、ここでは扱わない。だが、三輪眞弘さんのような人を除けば、この点について、自分がおかれた同時代のメディア論的状況に対して徹底して意識的、かつ批判的なスタンスで対峙しつつ、その姿勢が、自分の「音楽」の創作そのものと矛盾や誤魔化しなく一貫し、更にその上で実現された音楽の豊穣さに繋がるというケースは稀であるように思われる。)

だがここでは、自分自身の経験に依拠できるという単純な理由から、第一義的にはアマチュアの聴取にフォーカスすることにしよう。例えば、これはマーラーに限らず熱心な愛好家であれば、多くの場合、かつてはSP・LPレコードを、少し前ならCDやDVDを蒐集し、それらを「聞き比べる」というのはごく普通に、自然にやることで、その結果として、各個人の嗜好や価値判断基準に応じた評価が為されることも少なくないだろう。そしてその評価が、しばしばランキングのような形態をとることも珍しくない。もちろん、複数の演奏の比較そのものについて言えば、論理的には、実演に限定してもなお不可能ではないだろうが、実質的には、一回性のものである実演について詳細な比較をすることができるのは、優れた能力を持った人間が自分の能力を十全に発揮するような集中的な聴取を行った場合に限られるだろう。更に付け加えるならば、結局のところ、そうした比較を支えているのは、同じ録音を何度でも聴きかえすことができ、特定の楽章、更には特定の部分のみに絞った聴取が行えるという、録音媒体ならではの聴き方に依存する部分が大きいとせねばなるまい。愛好家の主観的なランキングではなくても、これもしばしば見受けられるようになってきて久しい、同一曲の複数の録音を比較するような研究を、録音媒体なしでやることの困難を考えれば容易に想像がつくであろう。

そしてそうした繰り返し聴取することが出来る可能性は、演奏する側にも影響を与えずにはおかない。例えば原理的に実演に立ち会うことが不可能な、自分の誕生前の演奏すら、録音を通じてアクセス可能であるという状況は、自分の前の世代の演奏様式を跨ぎ越した「先祖がえり」のような様式での演奏といった企てをも可能にする。演奏の精度の問題について言えば、演奏不安の問題は、寧ろ一回性の実演ならではのものかも知れないし、名人芸というのも録音媒体が発達する前からあって、寧ろ、かつてのコンサートの方が今日よりもより多くそうした側面が重視されていたかもしれないことを思えば、録音はそうした観点のみで優劣を判断してしまう傾向の持つデメリットを解消するメリットの方が強調されてもおかしくないのだろう。近年は技術の向上だけではなく、予算上の制約といった消極的な理由でライブ録音が主流になっているが、かつてのスタジオでの収録であれば、納得がいくまでやり直すことが原理的には可能になっている。楽章単位で、場合によっては日を変えての演奏を継ぎ合わせ、更には、微細な演奏上の瑕疵については事後的な編集作業によって、見かけ上の正確さを向上させることは可能であろう。だが、それによって得られる演奏を、コンサートホールでの実演と同一視できるだろうか?ことマーラーに関して言えば、例えば第6交響曲の中間楽章の順序の問題がある。聴取の側に限れば、例えば録音されたものであれば、順序を入れ替えて聴くことも不可能ではないが、コンサートの中である順序で演奏されたものを逆転することと、そもそも別々に収録されたものについてどちらかの順序を選択することは同じと言えるだろうか?仮に指揮者が、ある順序を前提とした解釈を採用したとしても、実際にその順序で演奏するのと、あたかもその順序で演奏されたかのように演奏するのとでは少なからぬ相違が生じると考えるべきではなかろうか。

しかも、何回もやり直せれるのは演奏を録音するフェーズだけに留まらない。聴く方もまた、同じ録音を、何回も繰り返し聴くことが前提となってしまえば、それに合わせるように演奏者側が適応的な調整をしてしまうことが避けがたい。実際、レコード録音がようやく盛んになり始めた頃、指揮者・演奏者は録音されたものが何度も繰り返し聴くに耐えることに優先順位をおいて、解釈までひっくるめて実演とは異なった優先度づけで収録に取りくんだという話も聞く。だが、そうなってしまえば、仮に瑕疵の見当たらない、高精度の演奏であったとしても、録音された演奏というのはコンサートホールでの一度きりの実演とは全く異なる性質のもの、三輪眞弘さんが「録楽」という独自の言葉をあてて区別すべきことを指摘されているように、端的に異なるものと見做した方が良いことになりはしないだろうか。演奏不安は、コンサートでの方がよりシビアかも知れないが、記録された演奏に限れば、破綻のない、手堅い演奏が多くなるという逆向きの影響の方も考慮に入れるべきなのではなかろうか。のみならず、演奏精度の如きものは、一旦ドライブがかかってしまえば切りはなく、本来それが妥当であるかという問いが最早立てられることもなく、ある指揮者・オーケストラによる録音と別の録音を単純に比較して、技術的な優劣を論じてみたり、実演では初めからそこに意識を向けていない限りは気付くことすらおぼつかないかも知れないような細部について是非を議論することになる。それが例えば音響のバランスであれば、それが演奏の解釈の問題なのか録音の問題なのかの見分けさえ一般にはつかないにも関わらずである。そして更にそうした比較して優劣を論じる傾向は、演奏から受ける印象にさえ及ぶ。実演であれば、様々な文脈に規定され(私の場合には、聴き手たる自分のコンディションの影響が聴取の印象を変えてしまうことは避けがたい)、比較することに意味があるかどうかすら疑わしい実演における「感動」をも比較することが当たり前になってしまう。

もっともこの状況は、演奏会のライブ収録が増え、スタジオ録音がされなくなった昨今では変わってきており、録音された演奏に対しても、実演の緊張感や会場の雰囲気のようなものもひっくるめて、ドキュメントとして捉える聴き方が増えているような感じがする。ではあるものの、一度起きてしまったことはその影響が簡単になくなるわけでもなく、寧ろ、録音技術が発達した今日では、寧ろ様々な前提の違いがますます曖昧になった状態で、実演の経験も録音された音響を聴いた経験も一緒くたに、だが、技術的な精度に過度の重みづけがされた状態で、演奏の「出来」なるものを比較して、同じ空間の中でランキングをするということになっているように思われるのである。ドキュメントとして捉える場合について言えば、演奏会場に居て聞こえるのとは基本的に異なった条件、しかもそれは演奏毎にそれぞれ異なる筈なのだが、そうした条件の差異も押しなべて無視して、結果的に録音されたもののみを手掛かりにした作業となることは避けがたい。だが、であるとするならば、一体それは何を比較していることになるのか?

更に言えば、そうした比較をすることの結果として、聴いてすぐわかるような特徴や癖のある演奏が高い評価を得やすくなることは避け難いだろう。それは演奏精度が非常に高いということであったり、解釈がエキセントリックであったり、そうでなくてもそれまでに聴いたことのないような特徴を持っていて新鮮に感じられれば評価を得やすくなることを意味する。実際、柴田さんの文章もそうした嫌疑を持たせるような箇所には事欠かない。自分の聴経験の原点にある歴史的録音でなければ、マーラー・ルネサンスの時期の演奏ですらなく、新しい時代の演奏を、というのもそうだし、ハイティンクの録音やクーベリックの録音に対する「特徴のない」とか「取ってつけたように加減速するのは当世風ではない」といったような評言は、まさにレコード録音が当時持っていた意味合いと、そこから出てくる演奏上の配慮といったものに対し無頓着で、ライブであれスタジオ録音であれ、録音された音響のみで(あたかも他は還元されるべきファクターで、そうすることで客観性なるものが得られると思っているかのように)評価するという点で、たかがメディアである筈のレコードがもたらした様々な弊害を逃れているとは言い難いだろう。

ともあれそれ以降、レコード評でお金を取るジャーナリズムというのが存在し、少なからぬ影響力を持ち、近年では莫大なコレクションの全てに寸評をつけたものが持て囃され、星幾つといったランキングが、時として権威を持ち、そうではなくても参考にされるというのは、だが、考えてみれば(ベンヤミン風に言えば)「複製芸術時代」の固有の現象ではないのかという問いが頭をもたげてくるのを押さえることができないのだ。当たり前に見えるそれらは、実は、複製芸術時代の非常に偏向した価値観の副産物であったりはしないのだろうか。勿論、マーラーの交響曲には、オーケストラの名人芸のための作品であるという側面は確かにあって、演奏技術の問題そのものについても、実際に彼の作品が、彼が指揮をしていた一流の奏者を想定していることは否定できないだろう。まただからこそ、再生装置の性能やら微細なチューニングが問題にされるような文脈において、例えばリヒャルト・シュトラウスやストラヴィンスキーのようにオーディオの性能を測定するためのサンプルみたいな扱いもされもしたのであろう。だがそれだけでなく、まさにその演奏技術の向上という点で録音が果たした役割もまた、恐らくは見かけ以上に大きなものがあるのではないかと思われる。幾らプロとはいっても、普段弾きなれないばかりか、演奏の伝統のない作品を演奏するのには困難が伴うだろうし、記録に残る過去の演奏記録の中にも、そうしたことを思わせるようなサンプルには事欠かない。今やアマチュア主体のオーケストラでさえ、マーラーをプログラムに載せること自体は決して珍しいことではないのは、例えばi-amabileのようなWebサイトに掲載される演奏会の予定をトレースすれば確認できることであろうが、そうした現象もまた、膨大なマーラー演奏の録音の蓄積があり、聴経験の堆積があればこそであるには違いあるまい。

あまりに拙く、演奏が続くかどうかはらはらしながら聴き、頻繁に起きる事故に驚くことの連続といったレベルでは作品の実現という点で大きなハンデを背負うことになるのは避けがたいのは確かであり、だから演奏の巧拙が評価の空間を構成する一次元を占めること自体を拒絶しようと考えているわけではない。いわゆるスター指揮者も含めた演奏者の価値観を否定しようというわけではないし、その実現が時として技術的に申し分ないだけではなく、ここで私が考えている「価値」の十全な体現となるケースがあることを否定するわけでもない。そしてその場合に技術的に高度な達成であることが、「価値」の発現に対して寄与する場合があることも否定しない。けれども、その上で、最も間違いの少ない演奏が、最も優れた演奏であるというのは成立しないし、もっと言えば聴き手が自分の中に構築した嗜好の回路は、(そうしたものが成り立つとして、「客観的な」)「価値」とは原則としては関係がないと考えるべきであるように思えてならないのである。評論家や学者が、客観性を隠れ蓑に自分の嗜好の押し売りをやることのもたらす害悪は極めて大きく、この1世紀のうちに、それが暗黙の価値の前提となってしまっていると捉えるべきではないのか?そしてそうした中で演奏技術の次元の客観性、それが価値判断を構成することの妥当性が恰も或る種自明であることとなってしまい、挙句の果てに、そうした価値の体系自体が、リコメンドシステムのような「感性分析」を可能にするようなものへと変質してしまっているのではないかと思えてならないのである。

しかしながら、一見したところ名人芸を要求するかに見えるマーラーの音楽は、これは従来しばしば指摘されてきたことではあるが、特にコンサートホールで聴くと思ったより「鳴らない」。というより、音響的に「良く鳴る」演奏が良い演奏であるということは絶対に言えないのである。彼の作品は、オーケストラの性能を極限まで引き出すものではあっても、その「効果」を最大限に発揮するようには書かれていない。マーラーの場合はシューマンと違って、それは拙さに起因するとは見做されず、寧ろ、現場を知りすぎたカペルマイスターの或る種行き過ぎた技巧の類と見做されたこともあったようだが、リゲティやラッヘンマンが指摘するように、それらは決して末梢ではなく、寧ろマーラーが「演奏」というものをどのような「人間の行為」と捉えていたかを端的に証言しているものであろう。

勿論、商品としての「価値」ということであれば、それは支払う金額に還元されることを拒みえず、コンサートにせよ、録音メディアにせよ、下手なら金を返せになるのは仕方がないことなのだろう。だが、それでもなお、マーラーの音楽を演奏を演奏精度や録音の良し悪しで評価するのは、どこかずれているように思えてならない。「世界を構築する」その音楽は、実演のそのたびごとに世界の創造であり、それは聴き手の娯楽を目的に書かれているのわけではないことを思えば、名人芸のイデオロギーを引き摺った、演奏の巧拙に最も大きな重みづけをおく評価が、基準として妥当でないのは寧ろ当然のことではなかろうか。

そしてそれは、柴田さんの言及する幾つかの例外的な過去の演奏記録に対する評価と無縁ではありえない。私見でも、例えば、アンシュルス直前、ワルター自身の亡命直前のウィーンフィルの第9交響曲と、そのワルターがいわば里帰りをした、1948年のウィーンフィルの第2交響曲の演奏の記録は精度の上で万全には程遠く、録音だって制約が大きいが、そうした制約を超えて聴き取れる音の実質というか、重みにおいてそれらを凌駕する演奏はちょっと思いつかない。それらについては技術的な演奏精度や録音の質とは別のところに価値があるという点は、柴田さんの主張からも読み取れるだろうが、一見そのように受け取られるとしても、それらの例外性は、いわゆる時代様式という観点に回収しきれるものではないと私は理解している。それがマーラーと同時代の様式「だから」価値があるわけではない。

他方で柴田さんは、例えばローゼンストックを引き合いに出してホーレンシュタインの演奏を、その時代の演奏様式に還元して論ずるけれど、そうすることで聴きとることができなくなってしまったものが実はあるのではないか、というのが、後年、ホーレンシュタインの様々な演奏(その中には柴田さんが論じた録音もあれば、論じなかったものもあるのだが)を聴いた私の偽らざる印象なのである。戦前のレーケンパーとの子供の死の歌との違いは、時代の違いに還元され、一方では時代の違い、年齢の、つまりは経験の、加齢の違いを超えたホーレンシュタインの個性の方は見落とされてしまう。私見によれば、ホーレンシュタインは彼がオーケストラから引き出すことのできた響きの姿の持つ、ごつごつとして実質的でずっしりとした手応えや、強靭で、シェーンベルクの指摘した、長くなればなるほど白熱するマーラーのフレージングの特質を十全に実現している点において、間違いなく最高のマーラー指揮者の一人であって、その価値は時代の変遷などものともしないし、後年のより技巧的に安定した、高度な録音技術に支えられた他の演奏に勝るとも劣ることは決してないのだが、柴田さんの評を読んでしまった故に、それに気付くのに、大変な遠回りをすることになってしまったのである。

だが、既述のワルターの2つの演奏記録に関して言えば、話はそれにとどまらない。それがワルターがウィーンにいられなくなり、結果的にアメリカに亡命することになる直前、と当時に、ナチスに支配され、マーラーは演奏することを禁じられる直前という時代と場所に固有の状況が、単なる演奏の一回性という一般的な認識を超えた色合いを付加するように見えるし、それと対を為す1948年の録音は、この時期のウィーンでこの作品が選ばれたことの意味、ワルター個人の里帰り、禁じられたマーラーの演奏の再開、更には戦禍による破壊を蒙ったウィーンでの音楽の復興といった多重の意味合いが、やはり同様な特殊な意味合いを与える。しかもそれは、そういうことを知識として知ってから演奏を聴く聴き手にとっての或る種のバイアスとなるという意味合いにおいてだけではない。私自身については、前者については、まさにこの柴田さんの文章によって、そのことを先に知ってから演奏を聴いたのだが、後者は逆だった。1948年のワルターの復活というのが柴田さんの文章にあったことは覚えていたものの、それ以外の事情は知らずに、かつ(鈍感なことに、と憤慨されることを覚悟で言えば)あまり深く考えることなく、結果として気付かずに聴いて、その異様な雰囲気に驚いたのであった。私はこの作品の実演については不幸な経験しか持っていないので、そちらからの刷り込みもなく、とりわけても合唱が入ってからの異様なテンションに、一体何が起きたのかと思って調べて、ようやく背景を知ると共に深く納得したのである。

かくして通常は「音楽外」のファクターということで、ランキングの際に優先的に考慮されることはなくとも、時として個別の音楽「外lの文脈の例外性が演奏に刻印されてしまうという偶然が、評価の「客観性」なり「普遍性」なりを主張する基準を凌駕してしまう。そしてそれは(三輪眞弘さんが、逆シミュレーション音楽の定義という形で示したように)「音楽」というものの寧ろ不可欠な要素として捉えるべきなのではなかろうか。

勿論、奏者の共感といった要素もまたそうした要因の一つであって、柴田さんはヴェーベルンの指揮する勤労者のオーケストラと東京大学の学生のオーケストラを対比させて、前者にはそれがあり、後者は「マーラーという個性が体験した心のドラマとはまず、非常に別物」という言い方をされていて、恐らくそれは時代の、文化的、社会的環境の、時間的・空間的な隔たりをその理由とされているのだろうが、仮にその演奏自体が、柴田さんのような専門家の耳にそのように聞こえたことが事実であったとしても、そのことをもって、時代の、文化的、社会的環境の、時間的・空間的な隔たりが、マーラーの音楽への共感を不可能にするアプリオリな条件であるという結論には決してならないと私は思うのである。(とはいえ、私の知る限り、バブル期の日本におけるマーラー演奏は、少なくとも受容サイドについて言えば、時代の、文化的、社会的環境の、時間的・空間的な隔たりを強く感じ、かつ深い拒絶反応を惹き起こしてしまい、その後一旦マーラーを聴かなくなるという状態にまで追い込まれたのだが。)

もしそうであるならば、(実際には柴田さんの口調にはそうした傾向が感じられなくもないのだが、)音楽を生み出した文脈に全て還元して事足れりとなり、マーラーのような過去の異郷の作品は、寧ろ博物館に陳列される遺品か骨董の類に過ぎない事になってしまうだろう。(そして勿論、実際には今日のほとんどの人間は寧ろそうした意見の方に与するであろうことは容易に想像できる。『音楽の手帖』の他の書き手の中には結局のところマーラーの音楽をそうしたものとして、例えば過去の文化研究の対象の一つとして扱っている人がいるかも知れない(というか、結局そういう接し方しかしていないと思われる人は少なからずいるように私には思える)のだが、少なくとも柴田さんはそのように考えていたわけではなかったのではないかと思われるのは、既に例として掲げたワルターの2つの演奏の記録に対する柴田さんのコメントから伺うことができるように思うのだが…)

仮に日本のバブル期のマーラー受容が、時代の、文化的、社会的環境の、時間的・空間的な隔たりを浮かび上がらせるものであったにせよ、それは個別の「外れ」のケースに過ぎず、そんなことが取るに足らないことであることは反例一つあれば十分で、実際に私のケースであれば、更に時代を隔てた日本における実演での、そうしたトラウマから逃れることを可能にするだけの強度をもった聴経験によって、既述したような見解に至ったのである。

もちろん、こうしたことについては客観的に論理的にどちらが正しいということはなく、最終的には机の叩き合いにしかならないのだろう。だが繰り返しを懼れずに言えば、FM放送やLPレコードでマーラーの音楽に接し、その後、幾つかの実演に接した後、その当時のマーラーの受容のされ方に耐えられなさを感じて、一旦マーラーを聴くこと自体を止め、その後再びマーラーを聴くようになって以降、結局のところコンサートのレパートリーの一つ(しかも確実に集客が見込める主力商品)としてマーラーを演奏する他ないコンサートではなく、マーラーを演奏するためにコンサートを企画するような取り組みに対象を限定して、再び実演に接することにしてから既に8年の歳月を経た現時点での認識として、現在において自明と考えられている聴取のあり方というものが、結局のところ幾重もの歴史的・文化的な拘束の下にある他無く、勿論、そこから完全に自由になるということは、それはそれで幻想でしかないけれど、だからといって、暗黙の前提としている聴き方を変えることは必ずしも不可能というわけではないという認識を、その事を感じさせられた経験とともに記しておきたく、一文を奏した次第である。

私がアマチュアオケの演奏なら実演を聴いてもいいかと思ったのは、既述の通り、コンサートホールでプロの演奏から得られるものの質に対する懐疑ゆえであった。(誤解のないように言っておくが、だからといって、それらが皆全てやっつけ仕事だったと言いたいわけではなく、或る時には会場の雰囲気によって、或る時には皮肉にも寧ろ、十分に歴史的なパースペクティヴを踏まえたプログラム構成が仇となって、或る時には柴田さんが記事で賞賛した指揮者の一人の解釈によって、或る時には、およそマーラーのような音楽を聴くのに相応しくないと思われるホールの音響によって、或る時には、技術的にいっぱいいっぱいであることと柴田さんの指摘するタイプの共感の欠如の奇妙な混淆によって、そうしたことが起きたのであって、一律に演奏者にその責を負わせることはできないものであったことは強調しておきたい。)それは多分、CDに録音された演奏記録を通じて、マーラー・ルネサンスとその寧ろ手前(それは即ち、柴田さんの文章で些かネガティブに評価された時期にあたる)においては、恐らくはマーラーを演奏することが自明のことではなかったが故に記録に残された演奏のそれぞれにおいて、単なる時代の様式には収まりきらない、それぞれに固有の響きがあることを確認する経験が増えたことと無関係ではないだろう。当時は恐らく、それがライブであろうが、スタジオ録音であろうが、マーラーの演奏に取り組み、それが記録に残るということ自体が、一つの「出来事」であったのではなかろうかと想像されるのである。それらの記録が、いわば忘れられた状態にあったこと、単純化して言えば、マーラーの弟子達とマーラー・ルネサンスの間にはまるで何もなかったかの如くの了解がいつの間にか出来てしまい、単なるマーラー受容史の記録としての価値以上のものがないとでもいうような扱いを受けていたことは、マーラールネサンスこの方、ようやく1970年台も後半に至って、マーラーの「本当の」受容が始まったかの如く、「いよいよマーラーの時代が来た」とさえ喧伝されたバブルの頃の空騒ぎとどこかで共犯関係にあったのではなかろうか。勿論、マーラーの音楽が普通のレパートリーになるにつれ、演奏のレベルは確実に底上げされはしたのだろう。けれども、そうしたコンサートを聴いたところで、あるいは陸続と現われ、その度に賑々しく喧伝される新しい録音を渉猟したところで、バブルの時期に完成されたシステムに従った、単なる商品やサービスの消費以上のものを見出すことができるようには思えなかったのである。

では一体何ができるかと考え、それなりのサーベイをしての結論は、まずもって自分がマーラーを演奏するという企図と行為とにコミットすることであった。要するにマーラーを演奏することを目的としたプロジェクトを支援するということで、今であればクラウド・ファンディングという用語も出来、そうした発想は当り前のものになったようであり、その先駆けのようなものと考え頂いていいと思うが、そうした発想の下でマーラーの実演に再び接することにしたのである。それから8年が経過し、その間、7番、9番、10番(クック版)、4番、大地の歌、8番、5番の7回のコンサートに関わり、病気で行けなかった最後の回以外の演奏には立ち会うことが出来たのだが、その結果は、ほぼフィアスコのような経験の繰り返しだったかつての実演とは異なって、確かな手応えのあるものであったと思う。(付記すれば、四半世紀以上も前に実演に接する機会を逸した後、再度の機会もまた逸してしまった第5についても、この文章を公開するとほぼ同時に、あるアマチュアオーケストラのアニヴァーサリーコンサートにて、ようやく実演に接することが叶ったのであった。)個別の演奏会の記録は別に記したので繰り返さないが、それが私にとっては貴重な経験であり、最初は試みに始めたそれが、そのような結果となっただけではなく、マーラー以外の音楽の聴き方にも、否、音楽を聴くこと以外の局面にさえも影響を与えることになったことは記しておきたい。

その上で、そうした経験を経た後の、マーラーを聴くことについての認識を述べれば、それは概ね以下のようになるだろう。

アマチュア主体のオーケストラの演奏はどうしても技術的には大きな制約を受ける。録音記録にしても、いわゆるお化粧は原則ないから、マイクに入ったそのままに近いものを聴くことになる。そうした演奏の記録には、例えばyoutube等に公開されているものもあるのだが、それには非常に低い評価のコメントがつくことがある。

ある人が、その記録だけを対象に、youtubeでの再生という制約の下で、それまでの聴経験によって築き上げた独自の価値尺度によって為す評価に対して異を唱えることはできないし、記録だけ聴けば耳に付く技術的な欠点があって、それが気になって普通の聴取が出来ないということもあるかも知れない。とはいうものの、それが自分が実際に立ち会った演奏に対してのものであれば、些か事情は異なってくる。具体的にここでは井上喜惟指揮、ジャパン・グスタフマーラー・オーケストラの演奏を念頭においているが、私は、実演に接した限りにおいて全く異なる印象を消し難く記憶していて、それゆえに、そうした評価に反論するつもりこそなくとも、何故、このようなギャップが生じるのかに思いを巡らせ、そうでない聴き方というのが可能でないかという問いかけをしてみたくなるのは避け難いのである。

そう思って改めて演奏記録に接してみると、まず感じられたのは、自分が会場で聴いたと思っていた記憶とは少なからず印象の違いがあることであった。だがこれは音楽的時間の質のレベルではなく、随分と色褪せたものになっているとはいえ、その点では会場で聴いたのと基本的には変わっていないように感じられた。違いは微細な音響バランスの問題がほとんどで、これは恐らくはマイクの位置と私が聴いた席の場所の違いもあり、どちらが正しいということでもないのだろう。ただし、繰り返しを厭わずに言えば、感じ取れる音楽的時間の「充実」の度合いについては比較にならない程の隔たりがあるのは否みがたく、例えばチェリビダッケのあの録音に対する姿勢がごく自然に首肯できるように思われたのである。

だが、にも関わらず、録音記録そのものというよりは、それをトリガーとして呼び起こされる印象の記憶をベースとした再構成をしてみれば、聴いて受け止めることができる聴経験の密度の濃密さには圧倒されるものがあった。わけでも第9交響曲の演奏は、これはあまたあるプロのオーケストラの演奏に伍して、寧ろ優ったものであるとさえ思われた。勿論、演奏精度を言い出せば、当然ながら難癖は幾らでも付けられるのだろうけれど、そんなことをして、その演奏だけに聴き取りうる無二の固有の質を受け止めることよりも演奏の正確さのチェックが優越してしまうような聴き方に意味があるとも思えない。世上、アマチュア主体のオーケストラの演奏には、技術的な限界というレッテルが残念ながらついて回るようだが、ことこの演奏に関しては、そうしたことが全く気にならず、そうした評価に対抗する力を際立って備えた記録であるように感じられた。

実を言えば、それには音楽外の要因、即ち東日本大震災の体験が関係していることは間違いなく、それが演奏に(そしてその演奏の聴取に)落とした影を否定するのは適切ではないだろう。寧ろ逆に、素直にそれを認めるべきで、かつ、そうした音楽外の要因を捨象して、「客観性」を装った態度で演奏の出来を云々してみても始まらないのではないかと思えてならない。

繰り返しになるが、例えばアンシュルス直前に一発録りされたワルターとウィーン・フィルの戦前の記録があって、これは録音の制約もあり、また演奏技術的にも満足のいくものではなく、ワルター自身はあまり評価していなかったという話も聞くけれど、にも関わらず、何度と無く言われてきた通り、この記録に残された音楽的時間の特異性は、空前絶後のものだろう。あるいは1948年のウィーンでの第2交響曲の演奏記録でもいい。ここで言いたいのは、戦前の演奏様式が、といった話ではなく、また、ワルターの戦前の録音一般に対する評価の一翼を担うものとしてではなく、それらの演奏会の都度限りの、一度きりのアウラ、比類ない、比較を拒むものの存在についてであり、そしてそれが時空を隔てた全く別の場所で別の演奏においてやはり生じたのを自分は確かに経験した、ということに他ならない。

このジャパン・グスタフマーラー・オーケストラの第9の演奏には、何者かが憑依したかのような凄味がある、というのが端的な表現になるのだろうか。勿論それは当日にも感じ、記録でも触れたのだが、でも改めて今回聴いて見て、単に「入った状態」というのでは足りずに、「何者かが憑依したかのような」凄みがある、否、更に「かのような」を取り除くべきなのかとさえ思ったのである。

勿論、こうした私の主観的な経験の記憶は、そうした文脈なしに、実演の退化したコピーをそれまでに聴いた他の演奏記録と比較しながら聞いたかのコメント記入者の判断と両立しうる。そのどちらかが間違っていて、どちらかが正しいというわけではない。何故なら、両者は多分厳密な意味で「同じ」演奏を聴いているのではないからだ。

だがそれにしても、色々な演奏をとっかえひっかえ聴けるような環境で、まるでスポーツの採点のように演奏の精度だけが独り歩きする「評価」なるものが正当なものであるのか、そうした聴取が、音楽外の文脈を纏い、主観的なバイアスがかかった聴取と比べて優越しているといえるのか、やはり疑問を感じずにはいられないのである。私はこの演奏を聴いた後、オーケストラの事務局に感想を伝えたのだが、それに対する返答は、その「演奏はすべてがあるべき事があるように行われたと感じてい」る、「なぜそうなったのかはわか」らないし、「わかる必要もないのかもしれ」ないという音楽監督の言葉であったのを、非常に印象深く記憶している。

それはまさに「何者かに憑依されたかのような」という言葉で私が表現しようとしたことと、実質について変わるところなく、シェーンベルクが第9交響曲について記した言葉、そのラディカルな非人称性を「誰かが作曲者をメガホン替わりに使っている」と言い当てたことが否でも思い起こされる。シェーンベルクが見抜いたように(あるいはマーラーとのやりとりがあって、それ踏まえての発言だった可能性もあるだろうが)、マーラー自身もまた、そのように感じ、それを1世紀後に異郷の地で演奏した人間もそのように感じ、私は受け止めるだけであるとはいえ、やはり私もそのように受け止めたというそのことに、一般的な演奏の評価基準で測ることができない、恐らくはそもそもそうしたものとは次元を異にする価値が存するのではないかと思うのである。

恐らくこの演奏会には、一般的に今日の日本でコンサートが果す機能として了解されているものよりも、寧ろ、或る種の「奉納」の儀礼に近いものがあったと考えるべきなのではなかろうか。勿論、奉納の儀礼にだって出来不出来を云々することは可能だろうが、定義上は、そもそも奉納には出来不出来や巧拙はない筈だ。(その替わりに、或る種の正確さ、決められた手順を守ることは求められる。)もしそれが「奉納」であるならば、そして「音楽」は、それが世俗化され、コンサートホールで演奏されたとしても、時として「奉納」として機能しうるのであるとするならば、その演奏に対して、聴き手が偉そうに、自分の価値判断を振りかざして序列づけするなど、「音楽」の本質から甚だしく懸隔のある暴力、「非音楽的」な暴力ではなかろうか。

既にそうした試みは現実に行われているようだが、いずれ機械がいくらでも正確な演奏を行えるようになった暁には、その反動のようなものとして、もう一度、「音楽」が人間のものとなり、「あるべきよう」に受容されるようになるのだろうか?それとも単に人間が機械に順応し、「人間」のものとしての「音楽」が本当の意味合いで死滅するのだろうか?(残念ながら、どちらかというと、後者の兆候の方がより多く私には感じられるが。)

いずれにしても既に現在、というかこの一世紀この方、「音楽」の価値の序列は簒奪され、歪なものになっているのに、それが当たり前になっていて、それについて疑いが持たれることすらほとんどなくなっていることは、「音楽」という領域に閉じた問題であるというよりは、寧ろより広く「人間」の側の問題なのではなかろうか。もしそうであるとするならば、マーラーの聴取の仕方を変えることは、単に音楽の聴き方に留まらない、非常にラディカルな態度変更に繋がるものとなるのだろう。

だが実は、この問題自体、既にマーラーの時代にも存在したものであり、マーラーの音楽はそれに対する応答の試みであって、それゆえそうした態度変更は、マーラーの音楽そのものに誘われたものかも知れないのである。そういう意味合いではマーラーの音楽は、こうした問題を考えるにあたって極めてユニークな位置を占めていることになるだろう。であってみれば、ことマーラーの聴取様式を問題にするにあたっては、まずはこの点を再認すべきなのではなかろうかということを述べてこの稿を終えたい。(2018.7.7/8 暫定稿 7.10, 14, 21加筆修正, 2021.1.29修正)