2002年4月30日火曜日

バルビローリのマーラー:第9交響曲・トリノ・イタリア放送管弦楽団(1960.11)

既述のように、バルビローリがマーラーを取り上げるようになったのは第二次世界大戦後のことだが、最初に取り上げた交響曲が 第9交響曲(1954年2月)であったことは銘記されて良いだろう。バルビローリはある作品を取り上げるにあたって場合によっては 数年前から念入りに準備をして臨んだだけに、どのような経緯がそこにあったにせよ、第9交響曲を他の作品に先駆けて研究し、 まさに己の血肉となるまで消化したという事実は確認されて良い。そしてその第9交響曲の演奏記録のうち最も時代的に早いのが このトリノのイタリア国営放送(RAI)のオーケストラを演奏したライブの記録である。

この演奏はライブなのだが、放送用に収録されたものが残っている。丁度モノラルとステレオの過渡期であったせいか、 最初の3楽章はステレオ、終楽章のみモノラルという些か変則的な形態で記録が残っている。ステレオで収録された部分は やや分離や定位が人工的な感じがしたり、あるいはバランスが不自然であったりする感じもあるが、聴きにくいという程でもない。

演奏は勿論、申し分ない。後2種類ある第9交響曲の演奏記録と比べたとき、時代的な隔たりがないせいもあって、 バルビローリの解釈そのものは基本的に変わっておらず一貫したものであることが窺える。勿論、全く同一の演奏ということではなく、 一つにはオーケストラの個性による違いが確実に存在するし、マーラーの音楽に対する慣れ具合の差のようなものも聴き取れるように 思える。更にはバルビローリとの共同作業の経験の長さの違いというのもあるのかも知れない。トリノの放送オーケストラとバルビローリの 付き合いがどの程度のものであるかは詳らかにしないが、私の聴いた感じでは、バルビローリの解釈の徹底という点では、特に 弦楽器パートを中心に見事な実現だと思うが、その一方で作品への慣れはそれほどでもなく、恐らくはそれに起因すると思われる 事故も何箇所かで起きている。(最も大きな事故は終楽章のStets sehr gehalten以降の「大地の歌」の「告別」の回想のような エピソードの部分の98小節あたり以降、フルートが出遅れたまま数小節演奏が続くため、対位法的な絡みが滅茶苦茶になっている ところだろうか。ここはバルビローリのいつもの解釈で、テンポも雰囲気もはっきりと切り替わり、全く異なる時間の層が析出する部分で あり、この演奏もそうした雰囲気の鮮明さにおいては際立っているだけに、このミスは惜しまれる。その他にもところどころ あるパートがごっそり聞こえない箇所があるが、バランスのせいではなくで本当に演奏の事故で「落ちて」いる部分もあるのかも知れない。)

だが、そうした傷を論ってみても、大した意味があるわけではない。全体としてこれはバルビローリらしい丁寧で徹底したフレージングによる 歌に満ちた感動的な演奏であって、後にベルリン・フィルにバルビローリを呼ぶことをシュトレーゼマンに決意させたというイタリアで聴いた 演奏というのがまさにこの演奏であったとしても充分に納得が行く。とりわけ終楽章の弦楽合奏の感情に満ちた歌は圧倒的で、 精度としては恐らく優る残りの2つの演奏よりもこの演奏を好む人がいても不思議はない。バルビローリが随所に要求するポルタメントも ここでは極めて有機的に「歌」となっていて、その音色の特性もあって、この終楽章がアドルノがマーラー論で(だが、私見では的外れな ことに「大地の歌」に関して)言及したドロミテの茜色に染まった時の裡にあることを実感させられる。変ニ長調という調性は、或る種の 共感覚の持ち主(かくいう私がそうなのだが)には、明度も彩度も低い暖色系の色を思い浮かべさせることがあるかも知れない。 特に末尾のたそがれた薄明の光の感じは圧倒的だ。手元は闇の中だけれども彼方の山は鮮やかな茜色に染まっていて、 空は紫色から藍色、そして闇へのグラデーションを為している。音楽の持つ意識の流れに完全に同化した、楽音の向こう側の 客席のしんとした気配まで伝わってくる感動的な演奏記録である。

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