BBCがリリースした、1967年のプラハでのライヴ録音。
1970年の第2交響曲とは異なって、ここではバルビローリの演奏の持つ考え抜かれた緻密さを
窺い知ることができる。第4楽章に置かれた歌曲のために前に3幅対の絵を備えたような構成を
持つこの作品は、意図的に軽く設定された管弦楽編成もあって、室内管弦楽的な書法が目立つ。
そのためもあってかフレージングや音色の重なりや交代にバルビローリの繊細な配慮を感じ
させるものになっている。
この曲はその(あくまで相対的に、だが)簡素な見かけと異なって、謎めいた部分の多い曲で、
どうやら一筋縄ではいかないようだ。第3交響曲のフィナーレが拡大され独立したものであると
いう構想上の経緯は有名だが、確かに、叙事的な広がりを志向してきたそれまでの曲と異なり、
丁度象嵌細工のように、その一部に嵌め込まれてしまうような自らを外に対して限定しようと
する動きと、そのかわりにその内側に重層的な構造を持たせて、驚くほどの奥行きを示す
動きとが相まって、思いのほか複雑な様相を呈しているせいか、なかなか説得力のある演奏に
いきあたらない。勿論、凝ろうと思えば幾らでも凝れるし、ごく素直にあっさりやることだって
できるのだが、いずれにしても音楽と演奏の間に不思議な距離感のようなものが生じてしまう
ことが多いように思える。
バルビローリの演奏は、その個性的な演奏様式のせいで、ここでもスタンダードとは言いがたい
かもしれないが、この曲の不思議な曖昧さを、分析して提示して聴き手に理解させるのではなく、
「感じ」として経験させてしまうという点では水際立った演奏だと思う。
一言で言って、この音楽の持つ陰影をはっきりと浮び上がらせた演奏と感じられる。
第2楽章がアイロニーに陥らない代償であるかのように、第4楽章のコーダは、ここでは隈なく
晴れ上がった天空の下にはないかのようだ。この音楽は、一体「どこで」鳴っているのだろうか。
日本人の私はついつい忘れてしまいがちなのだが、バルビローリの音楽は、マージナルなものに
対する豊かなキャパシティがある代わりに、無国籍的で根無し草的な側面も併せ持っているように
思える。その奇妙にニュートラルな「所在無さ」が、例えばブルックナーの場合とは異なって、
音楽の実質と一致し、ここでは違和感の無さに寄与しているのかも知れない。
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