お詫びとお断り

2020年春以降、2024年3月現在、新型コロナウィルス感染症等の各種感染症の流行下での遠隔介護のため、マーラー祝祭オーケストラ第22回定期演奏会への訪問を例外として、公演への訪問を控えさせて頂いています。長期間に亘りご迷惑をおかけしていることにお詫びするとともに、何卒ご了承の程、宜しくお願い申し上げます。

2010年11月23日火曜日

ナターリエ・バウアー=レヒナーの回想録:第3交響曲についての言葉に含まれるヘルダーリンへの言及

ナターリエ・バウアー=レヒナーの回想録:第3交響曲についての言葉に含まれるヘルダーリンへの言及(1984年版原書p.56, 邦訳pp.113-4)
Auch die Einleitung zum ersten Satz der Dritten entwurf er und erzählte mir davon: "Das ist schon beinahe keine Musik mehr, das sind fast nur Naturlaute. Und schaurig ist, wie sich aus der unbeseelten, starren Materie heraus - ich hätte den Satz auch nennen können: 'Was mir das Felsbebirge erzählt' - allmählich das Leben losringt, bis es sich von Stufe zu Stufe in immer höhere Entwicklungsfromen differenziert: Blumen, Tiere, Mensche, bis ins Reich der Geister, zu den 'Engeln'. Über der Einleitung zu diesem Satz liegt wieder jene Stimmung der brütenden Sommermittagsglut, in der kein Hauch sich regt, alles Leben angehalten ist, die sonngetränkten Lüfte zittern und flimmern. Ich hör' es im geistigen Ohr tönen, aber wie die leiblichen Töne dafür finden? Dazwischen jammert, um Erlösung ringend, der Jüngling, das gefesselte Leben, aus dem Abgrund der noch leblos-starren Natur (wie in Hölderlins 'Rhein'), bis er zum Durchburch und Siege kommt - im ersten Satz, der attacca auf die Einleitung folgt."
マーラーがヘルダーリンを好んでいたのはアドラーの言及(Guido Adler "Gustav Mahler", 1916のp.43)から始まって、ヴァルターの回想 (邦訳第2編「反省」第3章「個性」p.192参照)やアルマの回想と手紙に含まれる書簡(1901年12月16日)でも証言されているが、 彼自身の証言として具体的な作品に言及しているのは、上に掲げた1896年夏のアッター湖畔シュタインバッハでの第3交響曲についての言葉と、 同じくバウアー=レヒナーの回想にある1893年7,8月のアッター湖畔シュタインバッハでの 「ワグナーの偉大さ」についての言葉のようである。言及されている作品はいずれも讃歌「ライン」で、「ワグナーの偉大さ」の方は第4節の'Das meiste nämlich vermag die Geburt, und der Lichtstrahl, der dem Neugeborenen begegnet'「つまり、生まれと生まれたばかりのときに出会った光線が、大部分を決めてしまうのである」が実際に 引用されている(1984年版原書p.33, 邦訳p.57)。
実を言えば、上に掲げた箇所は1923年版においては(wie in Hölderlins 'Rhein')という括弧に括られた補足の部分が欠けていることがわかる(1923年版原書p.40)。 この欠落の理由は定かではない。一方Dike Newlinによる英訳版の注ではマルトナーがここの部分で参照されているのは第2節の「冷気みなぎる淵より、 /救いを請い求める声を聞く。/大声でわめき、母なる大地に訴えるは、/ひとりの若者、、、」'Im kältesten Abgrund hört / Ich um Erlösung jammern / Den Jüngling, ... ' であることを述べている。ヴァルターの証言によれば、「ライン」は「パトモス」と並んでマーラーが特に好んだとのことだから、バウアー=レヒナーの回想で2度までも「ライン」に 言及するのはヴァルターの証言を裏づけていることになろう。特に上掲の部分は自作の第3交響曲第1楽章にちなんでの言及であるだけに、非常に興味深い。 第3交響曲におけるニーチェの影響は、第4楽章においてツァラトゥストラに含まれる詩が用いられていることもあって頻繁に言及されるが、ヘルダーリンの圏の中に それを置くことは、一層興味深いように感じられる。第3交響曲の音調が全体としてヘルダーリン的であるかどうかはおくとして、アルニム・ブレンターノとニーチェを、 デュオニソスとキリストを結ぶ不可視の結び目としてヘルダーリンを考えるのはそれほど突飛なこととは思われない。なお、フローロスのマーラー論第1巻では マーラーの精神世界を体系的に提示することが目論まれていて、ヘルダーリンについても手際よくまとめられている(II.Bildung のpp.58-9)。
ちなみにマーラーのヘルダーリンへの傾倒、とりわけ後期讃歌に対する評価が、ディルタイの「体験と詩作」(1905)やいわゆるゲオルゲ派による「再発見」、 更にはヘリングラート版の刊行(1913~1923)に先立つことは注目されて良いだろう。勿論「子供の魔法の角笛」の編者でもあるブレンターノやアルニムをはじめとする ロマン派の作家によるヘルダーリンの評価は 既になされていたし、シュヴァープ等による詩集の刊行は1826年(第2版は1842年)であるから、そうした流れの中でマーラーがヘルダーリンを発見したとしても 不思議はないのだろうが。実際、ド・ラ・グランジュのマーラー伝の1894-1895年の項(フランス語版第1巻p.495, 英語版第1巻p.303)には、フリッツ・レーアに対して、 アルニムとブレンターノの全集とともにヘルダーリンの作品集を送るよう依頼したという記述があるし、アルマの遺品の蔵書には1895年9月30日付けの序文を持つ 2巻本のヘルダーリン全詩集(コッタ社刊)が含まれている。(Perspective on Gustav Mahler 所収のJeremy Barham, "Mahler the Thinker : The Book of the Alma Mahler-Werfel Collection", p.85参照。ただし後者は序文の年月日からみて、前者とは別にアルマ自身が持っていて、マーラーがアルマへの書簡で言及したものと 考えるのが妥当だろう。)マーラーのヘルダーリンとの出会いがどこまで遡るかは最早はっきりしないのであろうが、少なくとも第2交響曲を完成させ、第3交響曲を 手がける時期にはマーラーはヘルダーリンに親しんでいたようだ。ド・ラ・グランジュの記述によれば、上記のレーアへの依頼は丁度第2交響曲のフィナーレに取り組んで いた時期にあたる。なおアルマ宛の書簡ではもう1回、1907年7月18日付け書簡でヘルダーリンの名前が、 今度はモムゼン、ベートーヴェンの書簡、ゲーテやリュッケルトとともに現れる("Ein Glück ohne Ruh'", Nr.212, p.325)。
ところで第2交響曲のフィナーレの歌詞がクロップシュトックの詩にマーラーが大幅な追補をしたものであることは良く知られているし、マーラー自身、それを「自作」のものであると 作品を仕上げている最中のベルリナー宛書簡(1894年7月10日)で述べているほどだが、その中の有名な一節"sterben werd'ich um zu leben"に関してヘルダーリンに ちなんで些か気になることがあるので書きとめておくことにする。マーラーは第2交響曲について後に1897年2月17日付けのアルトゥール・ザイドル宛の書簡において、 聖書を含むあらゆる文学書を渉猟しつくした挙句、ビューロウの葬儀で歌われたクロップシュトックに霊感を受けて終楽章を書き上げたと語っている。これだけ 読めば、その渉猟はビューロウの葬儀でクロップシュトックの詩に触れる以前となりそうだが、「自作」の詩が、つまりクロップシュトックの詩への追補が行われたのは、 まさに上に触れたレーアへのヘルダーリン作品集の送付依頼があった時期と考えるのが妥当であろう。以下の指摘において、マーラーがヘルダーリンを無意識的に 引用したとまで主張するつもりはないのだが、それにしても時期的な一致もあり、ザイドルの書簡における「渉猟」、ただしここではクロップシュトックの詩にいわば 導かれて「自作」の詩を書き上げる過程における読書の対象のうちにヘルダーリンが含まれていた可能性を示唆するように思われるのである。
「ヒュペーリオン」第2巻第2部のあの「運命の歌」を含むベラルミンに宛てた長大な書簡にはディオティーマからヒュペーリオンに宛てられた最後の手紙の長大な 引用が含まれるが、その中に「わたしたちは生きるために死ぬのです」(Wir sterben, um zu leben.)という言葉がある。続けて神々の世界では「すべてが平等」で 「主人も奴隷もいない」と語られ、その少し後にはヨハネの黙示録への暗示もあるこのくだりは、第2交響曲のフィナーレとぴったりと重なるわけではないが、 マーラーが色々な人に対して語ったと伝えられるプログラムの内容と呼応するところが少なくないように思われる。この程度の類似は他にもあるかも知れないし、 いわゆる実証的な裏づけはないわけで、これらをもってヘルダーリンのマーラーに対する影響を云々しようとは思わないが、マーラーにおける「復活」「再生」に ついての考え方、のちにはゲーテの「ファウスト」第2部を用いて再び展開される考え方の、控えめに言っても地平を形成しているとは言えるだろう。否、ヒュペーリオンの 結末、更にはそれが遠くまだ幽かに予見する1806年以降の、スカルダネリの署名を持つものを含んだヘルダーリンの後期詩篇の風景は、こちらもまた 第8交響曲を超えたマーラーの後期を、とりわけシェーンベルクが(フローロスの指摘によれば、マーラーがヘルダーリンに対して用いた言い回し"Ganz-Großen"を シェーンベルクが今度はマーラーに対して用いている)プラハ講演で「われわれがまだ知ってはならないような、われわれがまだそれを受けとめるところまでには 熟していないようななにごとかがわれわれに語られているかにみえる」(酒田健一訳、「マーラー頌」p.124)と述べた第10交響曲の世界を寧ろ示唆しているとさえ 言えるかも知れないと私には感じられるのだ。(2010.11.23)

2010年11月6日土曜日

 かつてパウル・ツェランはブレーメン講演において、マンデリシュタムが「対話者について」で述べた「投壜通信」を引用して、 詩を、必ずしも希望に満ちてはいなくても、いつかどこか、心の岸辺に打ち寄せると信じ、流される投壜通信であるとした。 航海者が遭難の危機に臨み壜に封じて海原に投じた、己れ名と運命を記した手紙。誰も聞いてくれないのに 小声で語られる末期の言葉は、だが、彼が去ったのちに、どこかの砂浜に打ち上げられ、砂に埋もれた壜に偶然気づいた人に 拾い上げられて読まれることはないのだろうか。
 
 マンデリシュタムはやはり「対話者について」において、そうした手紙を読むことが 自分の権利であると言っている。壜を見つけたものこそが手紙の名宛人なのだと。 かくしてある時には人の一生を超える時間の隔たりと、地球を半周の場所の隔たりを乗り越えて、 だが、実際にはそうした距離の測定を無効にする印刷技術が可能にした記譜法のシステムと 録音・再生のテクノロジーに支えられて、ふとした偶然によって耳にすることによって、詩のみならず、 ある音楽が拾い上げられ、読まれる。それらは事後的に差出人を指示するが、それは常に痕跡としてでしかない。 私の裡にこだまするのは常に既に幽霊の声なのだ。
 
 ある作品の持つ「深さ」はどのようにして測る事ができるのか。伝記主義的な実証はそれが生み出された背景をなす 環境を指し示しはするが、作品を、作品から受け取ることができるものを何ら明らかにしない一方で、形式的な分析もまた、 それ自体「痕跡」であるメッセージの、情報伝達の形態のみを問題にし、ノーレットランダーシュの言うところのexformation、 メッセージが生み出される際に処分され、捨てられた情報(更にはベネットの「論理深度」とか、 セス・ロイドの「熱力学深度としての複雑性」もまた思い浮かべていただきたい)を扱うことができない。 勿論、形態の美しさ自体が、その深さと密接に関係するということもあるだろう。マックスウェル方程式にたいしてボルツマンが 発したことば、ゲーテのファウストの引用、更にはマクスウェル自身の言葉「私自身と呼ばれているものによって成されたことは、 私の中の私自身よりも大いなる何者かによって成されたような気がする」ということばを思い浮かべるべきだろう。 そのとき差出人たる幽霊とは一体何者だろうか。ダイモーンの声、ジュリアン・ジェインズの二院制の心の「別の部屋」からの声。 情報を捨てるプロセスそのものを事後的に物象化したものを幽霊と呼んでいるのだろうか。「抜け殻」としての作品。 そして捨てられた情報の大きさは、受け取るものがそこから引き出すことができる情報の豊かさに対応しているに違いない。
 
 だが、読まれたことは如何にして知られるのか、事実性の水準での認識の問題としてではなく(なぜなら既に差出人はいないから、 配達証明は無意味なのだ)、投壜通信が読まれることと読まれないことの価値論的な差はどこにあるのか。拾った主が拾ったことを 更なる(ということは差出人と受取人以外の)他者に伝えることなくして、投壜通信が読まれたことにはならない。 拾った者の個別的な有限性の中で受け取ったものを朽ちさせてはならないのだ。だがそれではどのようにして受信を証することが可能になるのか。 お前もまた「作品」を生み出すことができるのであればともかく、受け取るばかりの者はじきに支払うことができなくなり、 破産する他なくなるだろう。だが、そうした贈与の経済は「世の成り行き」とは異なる時空間に場を持つ 遭難者の論理にそぐわないのではないか。自分自身の力では打ち勝つことのできない悲しみゆえ、壜は投じられ、 あるいは果て無き砂浜を彷徨いつつ、己れ宛の壜を探し求めるのだというのに。
 
 「作品」の存在論が必要なのだろうか。広義での人工物に属し、記譜法のシステム、演奏されたものを記録する 様々な方式や媒体といったものを質料的な基盤として備えた、だが道具連関には回収しきれない存在。 そしてここにまた、普通にはコミュニケーションの道具と見做されながら、「世の成り行き」における規範に抗いつつ、 口ごもり、何度となく言い直され、但し書きが付けられ、何重にもモダリティを担わせられたことば。あえて「とおまわり」を、 迂回をすることを選んだことば。過去化し、存在化した沈殿物としての「作品」、抜け殻としての「作品」を連関から 切り離し、抽象して扱うのではなく、それ自体、何者かに向かっての語りかけとして、何者かに促されての構築としての、 「世の成り行き」の目的連関から逸脱した、経済的には単なる蕩尽であるような無為の営み。深さの次元として、 exformationとして、捨てられた情報としてしか事後的には観測できない豊饒。
 
 ことばは、私のそれであるはずのことばが発しているはずの私に対してこのように語りかける。他人からみれば不毛な独語に 見えるだろうが私にとってそれは独語であろう筈はなく、むしろ私を通して語ろうとしていることばが私を諭すかのようだ。 お前は水路、通り道、拡声器に過ぎない。おまえのことばなどないし、お前の作品の固有性などありはしない。
 
 例えばどの音楽を己の裡に埋め込み、どの音楽を拒絶するかは、その人の特殊性の一部である。 もっと言えばそうすることそのものが都度、個体化の過程であり、個体化はその脈絡によって制約されるだけでなく、 常に既に、選択であり排除である。そしてそうした過程の描き出す軌道を事後的に観察するとき、やっとそこに 「主体」が過去化の結果として、存在する。個性とは、そうした選択のもたらす特殊性の沈殿した結果に過ぎない。 (ホワイトヘッドの抱握の理論を思い浮かべていただければよい。)
 
 勿論「主体」は己の来歴のある部分を否定し、抑圧することもありうる。 抑圧されたものが何であるかは、事後的に推測することもある程度は可能だろうが、潜在性のまま現勢化することなく 去ったものがそうであるように、実際にそれを言い当てることは困難だろうし、そうした作業が意味を持つのは、その 「主体」が否定しなかったもの、「作品」として遺したものの裡に沈殿したもの価値如何だろう。大抵の場合、 そんなことに関心を持つものはいない。個体化がありふれた事象であるように、個性の多様性の海の中で、 ある特殊性が価値を持つことは稀である。そしてそれが特異点であるかどうかは、事後的にしか、巨視的な 観測によってしかわからない。
 
 そしてまた引用の織物そのものが、ある星座を描き出すかもしれない。主体が黙しても、他者の声の重なりが、 交響が、沈黙を引き受ける。誰もいない空間、現象から身を引き、「世の成り行き」から退いた空間の中を、 だが己に埋め込まれた他者達の声が交わる。お前は無だが、お前の裡に響き渡る他者の声はそうではない。 お前はあるベクトルを備えた軌道を寄せ集めるアトラクターなのだ。
 
 その一方で、それと同時に自分の中にあるもの、逆説的に、抑圧によって破壊されず護られた空間が、 ふとしたきっかけで顕れる。今なお恐らく呼びかける相手はある。それは自分を超えた何者か。 自分の内に在り、けれども、それを単なる幻影とは呼んでしまえない外性。
 
 心理学的-生物学的には単なる投射ということなのか?(例えば臨死経験の報告例の間に見られる類似性は、 その時に置かれた脳の状態の共通性に由来するだろう。差異の方はといえば、各人が埋め込まれた文化的・ 宗教的脈略に応じて、具体的なイメージとして把握されたものには違いが生じるのだ。結局のところ 生理的・生物学的基盤の共通性が、異なる文化的伝統に属する対象の享受の同型性を保証するということは 確認されるべきだろう。ことさら共役不可能性を言挙げするのは控えめに言ってもバランスを欠いている。) けれども、それに還元できない何かがまだ残っている。
 
 心の中には、どこか懐かしい、だが徹底した闇に包まれた、それでいて同時にその裡に光を閉じ込めた満天の星降る夜、 あるいは慈しみに満ちた雨の夜が封じ込められてはいないだろうか。自ら選択して抑圧し、その結果二重・三重にも隔離された空間。 きっと誰もが心のどこかに潜ませていて、だから決して未知ではなく、けれども常には安全に閉じ込めておける感情、 けれどもそれゆえに祈りが、救済が必要とされる動因となるような心の動き。その向こうには明るい夜が開けている。
 
 意識は明るい夜の裡に睡み、夢見ることで、だが私の中の誰かは目覚めている。 「世の成り行き」とは別の何かの幻影の裡でその誰かは涙し、安らう。 そして雨の夜は奥底の別の部屋(ここで私はまたしても、ジェインズの二院制の心を思い浮かべている) に繋がっているに違いない。覚醒し続け、外の暴力に抗い続け、告発を続けること、 現実を見つめるシビアな姿勢は顕揚さるべきだろうが、それはまずもって自ら「世の成り行き」と 化すことに繋がりはしないかという懸念もあれば、それ以上に、意識の賢しらさが嘲笑される瞬間に ふと垣間見える深淵、意識の手前にある領域の存在を私は知っているゆえ、 そうした「別の部屋」への通路を持たない音楽は、それが非人間的で超越的な秩序の反映だろうが、 人間の愚行と野蛮の歴史の告発であろうが、結局のところ、自分の外で響くものでしかない。
 
 「別の部屋」からの展望は、「世の成り行き」からすれば非-場所であるだろう。 それが「世の成り行き」に対する退行であるとしても否定はすまい。病理学的な標本でも結構である。私は 己が抑圧したその空間を、結局のところ否定しきれないようなのだ。それは「世の成り行き」と直接触れれば、 炉心融解によって水蒸気爆発が惹き起こされるような崩壊が起きるだろう。だからそれは何重にも閉じ込めて おかねばならない。だが、愚かな意識は、己に課された監視の務めを良く全うし得えずして、時おり、そうした 崩壊が生じ、その後には長い麻痺状態が続き、「世の成り行き」から落伍する。
 
 だがその別の部屋に住まうのは私ではない。寧ろ私という部屋に辿り着いた音楽やことばがそこで響きあい、 わたしに命じておりふしに、外に向かって溢れ出る。その流れを私が調整することはできない。自分の心の中の ある地層が大規模な落盤を起こし、その影響を「世の成り行き」に晒さずに措くために、何重もの無感動の ヴェールで覆い、凍りつかせることによって界面を辛うじて保護しようとする過程において、一緒に堰き止められたと 思われた、あるいは今度こそ涸れ果てたと思われた泉は、だが断層によって思いもよらぬ方向に浸透し、しばらくの 沈黙の時を経て、その浸透がある瞬間に相転移を惹き起こし、外に溢れ出ようとする。 その水圧は私の心の中の地形を元のままにはしておかない。変形によって生じた空間の歪みが、 今までとは異なった反響を惹き起こし、音楽やことばの交響もまた変容する。
 
 わたしの中に潜んだあなたがた、わたしの中から時おりこみ上げ、立ち尽くすわたしを、だが、そうして支え 生かしている、それゆえに辛うじてわたしが生きている所以である「あなたがた」にとっては私は楽器なのだ。 沈黙の中、あるいは饒舌の支配するなか、私は「あなたがた」を担い、運び、溶け合わせ、響かせ、 流れ出させる、固有の方向づけをもって、永遠には辿り着かずとも、あたかもそれを希求するかのように、 時を通って、だれかのもとに届けられることを希って。私は「あなたがた」の記憶であり、私の歩み、たどたどしく、 覚束無い、時には蹲ることもある歩みのその方角、それは「あなたがた」の定める力学によっている。 声の複数性、複数の声の反響、共鳴の場である私は、「あなたがた」の示す方角に歩むほかない。 こうして語ること、ことばを紡ぐことは、別の部屋に住まう「あなたがた」が、まだ私という搬体を捨てず、 私のなかで結晶し、析出しようとすることの現象でなくてなんであろう。
 
 私はそうした「あなたがた」の運動の痕跡、私が発したと思いなされたことばは「あなたがた」の軌跡、 「私の作品」は「あなたがた」の抜け殻に過ぎない。私という意識は、そうした空間を照らし出す照明に 過ぎない。擁護されるべきは意識そのものではなく、意識が照らし出すわたしではないのに、外からは わたしと見做されるところの、だがむしろ「あなたがた」の相貌であるところの結晶の構造、結晶が形成される 空間の地形そのものなのだろう。
 
 もちろん慧眼な人たちはここに或る種の自家中毒の危険、自己正当化の匂いを嗅ぎつけることだろう。 おまえの無価値を、おまえの無能を、営為の麻痺を「他者達」の価値によって代償させることは許されることでは ないという告発に対して、私は否認のことばを持たない。そればかりか、私が無であること、無価値であることを 認めよう。だが、私を形作っている「他者達」についての判断を、それゆえに誤らないで欲しい。「他者達」が 流れ出し、あるいは結晶として析出することを妨げて欲しくない。私の意識は、「別の部屋」の声に耳を澄ます。 いつしか「別の部屋」が空となり、もはや誰も棲まない場所となるかも知れない。だがそのときは恐らく、 私もまた、このように語ることもないだろう。いつしか相転移の起きる臨界の領域を、豊饒なカオスの縁から 軌道は離れ、あるいは沈黙の支配する冷たい秩序に、あるいはカオスのざわめきの中に落ち込んでしまうかも 知れないが、そのときにはそもそも「私」そのものが最早存続していないだろう。
 
 そう、これは私の「投壜通信」である。だが、より正確には、私の奥底の誰かが私を介して投じたものと言うべきだろう。 それは私の内なる「別の部屋」に響く他者達の声を「外に」伝えるために為される必要がある。そしてそれは己が 投壜通信の受信者であることを証することでもある。このようにして時間のなかを他者達の声は伝わっていく。 私のたどたどしいことばは、勝りたるものの仮晶、私の個性そのものが、あるいはまた個別性そのものもまた、 そうした他者達の声の交響が浮かび上がらせるホログラムなのだ。意識である私はそうした他者達に耳を傾け、 それを書き留めることでしか存在し得ない。かくしてことばを綴ること、誰に宛ててでもなく、だが、決して独語ではなく、 誰かにあてて自分が聴き取ったものを書き記すことこそ、崩壊した私の修復の営みに等しく、そうやって ばらばらになった断片が拾い集められ、貼り合わされて私が恢復されるのだ。そう、私とは他者達の幽霊に他ならない。 かつまた他者達にとって私は私ではない私のうちなる他者達のことばから事後的に構成されるほかない(まずもって 私自身に対してもそうなのだ)という意味合いでも幽霊でしかありえない。(2010.11.6/10, 2011.9.12)