お詫びとお断り

2020年春以降、2024年3月現在、新型コロナウィルス感染症等の各種感染症の流行下での遠隔介護のため、マーラー祝祭オーケストラ第22回定期演奏会への訪問を例外として、公演への訪問を控えさせて頂いています。長期間に亘りご迷惑をおかけしていることにお詫びするとともに、何卒ご了承の程、宜しくお願い申し上げます。

2008年10月31日金曜日

歌曲の調性と声部指定について―梅丘歌曲会館の藤井さんに―

マーラーの楽曲における調性配置を気にしだすと、マーラーの作品におけるジャンルの問題が奇妙な仕方で 出現することに気付いたことがある。組曲形式における調性配置はマーラーにとっては重要な 視点であり、また時代遅れと揶揄されるほど全音階主義的なマーラーは、古典期までは 普通であった特定の調性と曲の性格の対応のようなものすら意識していたようで、実際例えば イ短調がマーラーにおける「悲劇の調性」ということになっていたり、それほど明確ではなくても ハ短調やニ短調あるいは変ホ長調、ホ長調という調性と音楽との間にある一定の 傾向のようなものを見出すことはそんなに無理なことでもないだろう。典型的な平均律楽器である ピアノではなく、主としてオーケストラを媒体として用いたこともあり、それらは伝統の単なる残滓である わけではなく、実際に現場で経験できる音響上の傾向の裏づけをもったものであったに違いない。

こうした事情は歌曲においても、とりわけそれが管弦楽伴奏の連作歌曲集である場合には基本的には 変わるところはない筈である。 だが歌曲の場合にはピアノ伴奏によるバージョンが存在することを無視してはならない。管弦楽伴奏と 連作歌曲集という2つの条件が両方とも当て嵌まる場合にはそうでもないが、どちらかの条件が外れる 場合、とりわけピアノ伴奏版では移調が許容されているのである。(管弦楽伴奏でも個別の歌手の 声域の制約などから移調しての演奏が行われる場合は稀ではないが。)だから移調の問題は 決して取るに足らない問題ではないはずである。

更に言えばマーラーにおける歌曲というジャンルの無視できない特徴は、声部指定のないことなのでは ないかと私は考えている。特に男声・女声の指定がなく、結果的にほとんどの作品で両方の録音が 存在することが挙げられるだろう。この点に注目すると、「大地の歌」は声部指定があること、 ただしアルトの替わりにバリトンでも可という選択肢が示されていること、そして移調しての歌唱に ついては少なくとも管弦楽伴奏においてはまず考えられないという点で、これはまさに連作歌曲集よりは 交響曲の側により近づいた作品であると言える。一方でこの作品にはピアノ伴奏版が存在すること、 その成立過程のある時期までは寧ろ連作歌曲集のそれに近いことは近年良く知られるようになった。 するとピアノ伴奏版については、これを移調した上で、全楽章を女声で、例えばソプラノで歌うなどと いったことが考えられるか、という思考実験をしてみれば良いことになる。曲毎に移調するのは連作歌曲に おいても既に不可だろうが、ピアノ伴奏版なら恐らく女声のみで通すのは可能で、場合によっては、 平均率で調律されたピアノは移調に対してニュートラルだから、全体を(つまり内部の相対的な 調的関係は保存したまま平行移動を行うような要領で)移調して演奏することも許容されるのかもしれない。後者についてはともかく、前者の、女声のみで通す例として、実際にソプラノが全曲を歌ったピアノ伴奏による「大地の歌」の録音が存在するの(ソプラノの平松英子さんが野平一郎さんのピアノ伴奏で演奏したもの)をご存知の方も多いだろう。

その一方で交響曲の中で使用される声楽は強く制約されている。第2交響曲の第4楽章を男声が歌うことは 行われないだろうし、第3交響曲の第4楽章や第5楽章も同様であろう。第8交響曲第2部に至っては 役割まで与えられていて、その点では「嘆きの歌」などと変わることなく、従って自由度はほとんど全く存在しないのだ。 (もっとも「嘆きの歌」の方は改訂にあたって声部の割当に若干の変更が生じているのはこれはこれで興味深いし、 検討をしてみる価値はあるだろう。)

ところで歌曲集における声部指定の自由度は、その曲を男声で歌うか女声で歌うかについての選択肢を 可能にする。結果として生じるのは、歌詞内容から想定される性別とは異なる性別での演奏の可能性で、 例えば「さすらう若者の歌」であれば、この曲集は連作歌曲集でもあり、しかも歌詞の内容上は明らかに男声が 想定されているわけだから、女声で聴くのは直感的にはどうかと思われるのだが、 実際にはこの曲は女声でも頻繁に取り上げられるし、優れた演奏も多い。私の嗜好でいけば もっとも印象深く、繰り返し聴くのは、ベイカーの歌唱をバルビローリが伴奏したものなのである。 この曲集や「子供の死の歌」を女声が歌うことがどういう効果をもたらすかというのは興味深い 問題である。そして、私見ではそれはマーラーの場合についていえば許容されるべきだと思う。

というのも、そうした性別の交代によって或る種の異化作用、距離感、客観化が生じることは確かだが、そうした 効果は、交響曲楽章において声部を明示的に指定した場合には既に明らかに意図されているようにうかがえるからである。 例えば「大地の歌」の偶数楽章においてマーラー自身がアルトを選択したとき、にも関わらず第2楽章の題名の性別をあえて ベトゥゲの原詩の女性から男性に変えていることを思い起こすべきだろう。 否、そもそも角笛交響曲群のソロはすべて女声だが、「原光」の「私」は勿論、旧訳聖書に描かれたヤコブだし、 「三人の天使が優しい歌を歌う」の「私」には新訳聖書のあのペテロの姿が揺曳しているのは明らかなのだ。 だがだからといって、これらをバリトンで歌うというのは「大地の歌」における代替案の場合とは異なって、 音楽的にはあり得そうにない選択肢ではなかろうか。(だから私は第4交響曲のフィナーレの歌曲をボーイ・ソプラノで 歌わせるという選択は不可能ではないにせよ、どことなくマーラーの音楽には似つかわしくない選択であるように思えてならないのだ。 この曲は子供のような純真さでというマーラーの注意書きに従って、大人が歌うからこそ本来の機能を発揮するのではないのか。 この曲には第3交響曲第5楽章とモチーフを共有する部分も含まれ、そちらはアルトで歌われるということをもう一度思い起こしても 良いだろう。)

要するに一方では明確な声部指定があり、そこでは歌詞の内容から推定されているのとは異なった性別が マーラー自身によって選択されているし、その一方で、声部の指定がない歌曲においても、やはり同様に歌詞の内容から 推定されるのとは異なる性別の選択がしばしば行われもし、不自然さも違和感も生じないという事態が起きているのだ。 「さすらう若者の歌」を例にとれば、晩年のマーラーがアメリカでこの曲を演奏した時には女声が用いられたという事実もあるし、 マーラー自身は選択しなかったようだが、「子供の死の歌」の名演奏の幾つかはフェリアー、ベイカーといった女声による ものである。「大地の歌」については好みが分かれるようだが、初演者ヴァルターの下で歌ったのは、かつてマーラー自身が ウィーンに呼んだアルト歌手、シャルル=カイエであったし、ディスコグラフィーを見れば圧倒的にアルトでの歌唱が多いのは 動かしようがない。

もっとも歌詞内容が事実上ほとんど性別を決めてしまう場合が歌曲にも存在することも注意を払うべきだろう。 「起床合図」や「少年鼓手」といった子供の魔法の角笛による長大なバラード的な作品は、まず間違いなく専ら男声のための ものに違いない。同様に子供の魔法の角笛による歌曲の幾つかに見られる男女の掛け合いは、男声の歌手によって 一人で歌うことも可能だけれども、しばしばここでは性別に忠実に、男声と女声の掛け合いで演奏されることがしばしば 行われるということにも留意しておこう。してみれば演劇的な発想というのが皆無かといえばそういうわけでもないのだ。大規模 作品であれば「嘆きの歌」と第8交響曲第2部がそうした方向性を示している。

だがそうした多様性があるとはいえ、そこに一定の傾向を見出すことは不可能ではあるまい。要するにマーラーは民謡調を模倣したり、あるいは民話やファウスト劇といった伝承に拠って楽曲を編む場合には、素材との距離感やその態度の客観性故に(それはアドルノが「仮晶」という言葉で言い当てようとした側面そのものであり、民謡への擬態、「ありえたかも知れない民謡」という性格を帯びることになるのだが) 、その内容に従った歌唱を割り当てるのに対して、より抽象的で実存的とでもいうべき主観性の領域を動くときには、 あえて性別をずらすことにより、その音楽が専ら主観的な感情や情緒の表現となってしまうことを拒絶しているように 見えるのである。その作品に自伝的な性格を見出したり、控えめに言っても非常に強い主観的な性格を見出す解釈が 飛びつきたがる領域が、表面的な分類では「絶対音楽」であったり、古典的な図式に忠実に見えたりするのと軌を一にする かのように、そこには屈折が、距離感が存在するといった具合なのである。ここには解かれるべき謎とは言わなくとも、 控えめに言っても解釈されるべき徴候というものが確実に存在していると私には思われる。

だがそれは一見したところそのように見えたとしても決してパラドクスなどではなく、寧ろマーラーの音楽が「意識の音楽」であることの 自然な表れであると私には思われる。 作曲した主体の意識の痕跡を読み取れるという場合、実現された音楽がいわゆる典型的な「ロマン主義的」 と見做されるような、作曲者の思想、感情、感受性などなどを聴衆に伝えるためのもの、という定義からは逸脱するのだ。 それは単なる主観の音楽でも、単なる世界の記述でもない。主観と客観は相関しているが、その両者の相関の様相が読み取れること、 更に進んで、主観の客観に対する反応の様相が読み取れること、そして、そうした様相に対する主観のリフレクションが読み取れることこそが、 「意識の音楽」の要件であって、ここで述べた性別の交代はそうした要件の成立に寄与していると感じられるのである。

結局のところ、マーラーの作品の「私」はマーラー自身ではない。作品の「私」は語られる物語の主人公なのだ。だが演劇とは異なって そうした役割を演じることが問題なのではない。寧ろそれは民話や伝承の類がそうであるような「語り物」に近い性格を持っていて、 ここではそうした形態を模倣しつつ、架空の伝承を語ることが問題なのだといってもいいのかも知れない。マーラーが作曲を世界の構築に 喩えたのは誇大妄想でもなんでもなく、実際に起きていることをありのままに語っただけなのだ。つまり、作品の「私」とは楽曲の表現内容、 標題の水準における主人公などではない。固有の性格を持ち、遍歴を重ね変容を繰り返し、だが同一のものである主題やら動機やらが マーラーの作品における「私」なのである。ある旋律が提示される調性はその旋律の性格を形作るし、楽曲が辿る調的なプロセスは 「私」の超空間における遍歴を辿る際の重要な手がかりの一つなのだ。複数の楽章の継起は層が複数存在することを可能にする。 かくしてマーラーの音楽は「意識の音楽」と呼ぶに相応しい相貌を備えることになるのである。(2008.10初稿, 2009.7.27,29改稿)

2008年10月21日火曜日

作品覚書(16)子供の魔法の角笛

マーラーの音楽は主観的であり、自己の感情、世界観、死生観その他もろもろのある時は誇大妄想的な、 ある時は感傷的で自己憐憫に溺れた表明である、というのはしばしばマーラーの音楽が鼻持ちならない ナルシスティックなものとして拒絶されるときの決まり文句に近い。そしてそれは勿論、一面において全く 間違っているというわけでもなかろう。音楽には色々あるから、マーラーの音楽とはおよそ懸け離れた、 ある次元において対極にあるような音楽は幾らでもあるだろうし、それらと比較した時に、マーラーの 音楽が上記のように規定されるのは致し方ない。幾ら強がって否定してみようとしたところで、 それには限界というものがある。どんなに逆立ちしたところで超えることの出来ない閾が存在する。

だがその一方で、マーラーの作品の中でも「子供の魔法の角笛」に作曲された歌曲を聴くとき、 人は些かはぐらかされたような、取り留めのない印象を覚えるのではなかろうか。それは、 「子供の死の歌」や「大地の歌」とは異なって、ほとんど主観的な色合いを欠いている。 様式的には歌詞もろとも「子供の魔法の角笛」の世界に近接する「さすらう若者の歌」ですら、 ぐっと主観的で個人的なドラマであり、そこには「私」がいるのは確かなことに感じられる。

それに比べて、「子供の魔法の角笛」の世界は何と客観的なことか。勿論、歌詞の上で 「私」が語り、歌う音楽はあるけれど、それは作者との同一視を拒む距離感をはっきりと 感じさせる。「少年鼓手」のような作品すら、作者ならぬ「私」への作者の眼差しが 感じられる。明らかにそこには客観性があるし、醒めた視線、意識の存在がある。

主題にしてもそうだ。「子供の魔法の角笛」にはしばしば軍隊が、兵士が登場するが、 マーラーは少年時代に兵営を間近にした生活を送ったに違いないとはいうものの、 総じてマーラーが生きた時代は大きな戦争のない、平和な時代だった。してみれば 戦争を知らない作曲家が書いた戦争を素材とした音楽を戦争を知らない聞き手が 受け取るという奇妙な状況が存在していることになる。例えばクセナキスとショスタコーヴィチは 勿論、ヴェーベルンもラヴェルも戦争とは無縁ではあり得なかったし、その作品には 様々な仕方で戦争の影が映り込んでいるのを感じずにはいられないが、マーラーの 場合にはそうした事情は見受けられない。要するに「子供の魔法の角笛」の歌詞は、 マーラーがある時はっきりと語ったと伝えられる通り、そこに彫刻が掘り出される原石、 素材の方に近く、決して作品の内容、主題といったものではないのだ。

だが、「子供の魔法の角笛」の性格に関しては、100年後の日本人は愚か、同じ文化的 伝統に属する、更に言えばマーラーに遙かに近い世代の人間ですら、ややもすれば見解が 分裂するようだ。それを証言する事例を一つだけあげれば、アドルノのマーラー論の第3章で Gebrochenheitについて論じるところ(p.195)で、In den Gedichten, mit denen Mahlers Musik sich durchtränkte, denen des Wunderhorns, waren Mittelalter und deutsche Renaissance selber schon Derivate (...)と述べたり、あるいはよりはっきりと第4章で歌曲について言及するところ(p.223)で、 リヒャルト・シュペヒトの「子供の魔法の角笛」の管弦楽伴奏版に対するコメントを引き合いに出しつつ、 以下のように述べていることが挙げられよう。

Er (=Richard Specht) schreckt nicht vor der Behauptung zurück: » In frühren Jahrhunderten mag man in Marktflecken, unter Soldaten, Hirten, Landleuten so gesungen haben « , (...) während doch jene Künste nicht nur die Wiedergabe auf Messen und Märkten ausschließen, die es ohnehin nichr mehr gibt, sondern dem Begriff des Volkslieds ins Gesicht schlagen.

これについていえば、そもそも「子供の魔法の角笛」というアンソロジーそのものが、これはしばしばあることだが、 アルニム=ブレンターノによる介入を受け、変形された「まがいもの」めいたところがあるらしいことも併せて 考えるべきだろうが、いずれにしても、マーラーの態度が、一方では自分が属していた世界、ドイツロマン派の 主観的な抒情詩系譜からみれば外部であるボヘミヤの民俗的世界に根ざしつつ、他方でそれに対する 距離感をはっきりと意識することにより、叙事的な語りとそれに対する注釈、世界と主体の関係の様相 そのものたりえていることは確かなことに思われる。してみれば、「子供の魔法の角笛」歌曲集は、マーラーを ドイツロマン派の末裔と見做す不当な単純化に対して異議申し立てを行う位置にあることになろう。

こうした微妙な距離感が、100年後の異邦の地に住む人間にどうしてわかるのか、それはそうした知識から 逆に音楽の聴き方を決める倒錯ではないか、という批判が考えられるが、実際「子供の魔法の角笛」 歌曲集に親しめば、少なくともこの歌曲集の民謡調は、いわゆるロマン派の主観的叙情とは懸け離れている こと(だから、ロマン派歌曲が好きな人の多くにとって、マーラーは寧ろとっつきにくい存在なのだ)、そして 他方では理由は何であれ、民謡に対してもはっきりとした距離感があり、民謡への擬態のような側面があることは はっきりとしてくる。その頂点は恐らく、「子供の魔法の角笛」への付曲の掉尾を飾る「起床合図」や「少年鼓手」と いった、もはや民謡調からは懸け離れた作品だろう。単純に旋律や動機が交響曲と連関しているという 以上に、これらの歌曲はその「語り物」的な性格により、その客観性により交響曲に限りなく接近するのである。 「無言歌」というのが、主観的・叙情的な歌曲とのアナロジーによって成り立っているとしたら、マーラーの 純粋器楽による「交響曲」は、「子供の魔法の角笛」歌曲集のような「語り物」とのアナロジーで成り立っている と言いうるかも知れない。 (2008.10.21 この項続く。)

形式の概略(長木「グスタフ・マーラー全作品解説事典」所収のもの。管弦楽版による。)
歩哨の夜の歌第1節「行進曲風に」112B
第2節「少しよりゆっくりと」1330
第3節「テンポI」3145
第4節「少しよりゆっくりと」4662
第5節「テンポI」6391-g-B
第6節「ゆっくりと、ひきずることなく」92107
骨折り損のくたびれ儲け前奏「ゆったりと、陽気に」16A
第1の対話739
第2の対話「テンポI」4073
第3の対話「テンポI」74112
運の悪いときの慰めっこ前奏「大胆に、常にもっとも含蓄あるリズムで」112A
第1節1323fis
リフレイン2435e-h
第2節3645f-
間奏4653A
第3節「嘆くように(パロディを伴って)」5461C
第4節6269
リフレイン7077
間奏7885-fis
第5節86102D-A
この歌をこしらえたの だあれ前奏「陽気に楽しく」112F
第1節A1346
第2節B「ゆったりと」4768A-Des
第3節A6997F
この世の生前奏「不気味な動きで」16es
第1節741-B-b
第2節4274es-B-b
第3節75136es-B-es-b
魚に説教するパドヴァの聖アントニウス前奏「のんびりと、ユーモアを伴って」18c
第1節928
第2節2948
間奏「ユーモアを伴って」4963
第3,4節6487-C
間奏「パロディを伴って」88108-c-F
第5,6節109132
第7節133148c-G
間奏「ユーモアを伴って」149158c
第8節159176
第9節177197
ラインの伝説前奏「ゆったりと」116A
第1,2節1732-E
間奏3339
第3節4049A
第4節5057
間奏5870-D-F
第5,6節7190a-E
間奏9194-A
第7節95106
第8節107114
後奏115120
塔に囚われ迫害うけるものの歌第1節「激しく、強情に110d
第2節1128G
第3節2938d
第4節3964B
第5節6577C
第6節7898F
第7節99110d
美しい喇叭の鳴り響くところ前奏「夢見るように、静かに」120d
第1節前半2139
第1節後半、第2節4071D
第3節「冒頭のように」~「落ち着いて」721222d-Ges-h
間奏123129
第4節130162D
第5節163186d
後奏187192
お高い良識 褒める歌前奏「大胆に」19D
第1節1025
間奏2635
第2節3656
第3節5787d-D
第4節88103
第5節104129
レヴェルゲ(死んだ鼓手)前奏「行進して、連綿と」17d
第1節817
第2節1829
第3節「表情を伴って」3047B
間奏4856G
第4節「表情を伴って」5772
第5節7289D-d
間奏8994-es
第6節「非常に強く」95108
第7節109127-fis
間奏~「はっきりと抑えて」~「冒頭より少し荘重に」128153-d
第8節154171
少年鼓笛兵前奏「荘重に、虚ろに」18d
第1節932
第2節3358-g
第3節5977d-g
間奏~「はっきりと遅くして」78110-c
第4節111126C/c
第5節127161
後奏162171c

2008年10月19日日曜日

1906年8月18日付ウィレム・メンゲルベルク宛書簡に出てくる第8交響曲に関するマーラーの言葉

1906年8月18日付ウィレム・メンゲルベルク宛書簡に出てくる第8交響曲に関するマーラーの言葉(1924年版書簡集原書306番, pp.331-2。1979年版のマルトナーによる英語版では338番, pp.293-4)
(...) Ich habe eben meine VIII. vollendet - es ist das Größte, was ich bin jetzt gemacht. Und so eigenartig in Inhalt und Form, daß sich darüber gar nicht schreiben läßt. - Denken Sie sich, daß das Universum zu tönen und zu klingen beginnt. Es sind nicht mehr menschliche Stimmen, sondern Planeten und Sonnen, welche krisen. (...)
第8交響曲について語る時、決まって引かれるこの文章は、確かに第8交響曲の音楽に相応しいに違いない。そしてマーラーの作品の中で「最大」のものである ことは事実だろうし(ただしこれは単純な演奏時間の長さについては当て嵌まらないが、ここでマーラー自身が言いたいのがそんなことではないことくらい、 明らかなことだろう)、内容的にも形式的にも全く独自であるということもあながち誇大な主張ともいえまい。確かにこれは交響曲としては異形の作品だろう。
だが第8交響曲の価値について疑念を抱くものにとっては、「宇宙そのものが轟き、響く」やら、「もはや人間の声ではない」やら、「惑星や太陽が回転する」など といった言葉は、そのまま第8交響曲の疑わしさを証するものになりかねない。第8交響曲自体がそうであるのと同じように、作曲者の意識の上でも、 後期ロマン派の肥大した自己の誇大妄想がここに極まったと見做すことさえありえるに違いないのである。音楽は所詮は仮象に過ぎない。 音楽において何かが成就されたからといって、現実の何が変わるというのか、思い違いも甚だしい、という訳だ。クロノロジカルにも後続する、ヘルシンキでの シベリウスとの会見での交響曲に対する見方の「対立」なるもののマーラーの側の立場が、この書簡の言葉の延長線上にあるのは確かなことだ。マーラーの 拡大とシベリウスの圧縮という図式は、確かに見取り図として決して不当なものではないだろう。
第8交響曲は時代の産物であった、賞味期限の限定つきの作品であり、今や骨董品、博物館に陳列されるのが適切な文化財に過ぎない、今日の 日本に、聖霊降臨祭の賛歌とゲーテを歌詞にもつ100年前の作品が一体どう関係するのか、という疑問には妥当性を認めねばなるまい。だが、それでは すっかり展望の変わってしまった進化論のもとで第3交響曲がどういう今日的意義を持つのか、東洋趣味を反対側から眺めざるを得ない日本人に とって大地の歌はどういう作品なのか、という具合に、その音楽の「内容」を問題にした途端、幾らでも問いを続けることができるだろう。十年一日どころか 百年前と何も変わっていないかの如く、マーラーの音楽の「標題」を、その「内容」としての「世界観」を議論すれば事たれりという姿勢は、 自分の立ち位置の、展望の相対性に関しては全く無批判で、実は自分の身の丈に対象を合わせて歪めていることはないのだろうか。一方で この曲の価値に関する留保が、コンサートホールでの経験に裏打ちされているものであるならば、それには一定の批判力が担保されているだろうが、 いくら録音・再生の技術が発達したとはいえ、この作品を実演を介さずして議論することに疑問を呈するのは正当な見識であろう。
だがそれでも、この音楽の持つ力に触れた人の幾ばくかは、時代と場所の、つまりは文化的・社会的な展望の相違を超えて、この音楽から何かを 受け取るだろう。そしてそれは、上掲のマーラーの言葉を比喩であったり、誇張を伴った修辞であると見做すことなく、それをありのままに受け止める ことを選ぶであろう。仮象であることを認めつつも、音楽の力を全くの無ではないと、自らの経験に照らして断言するであろう。マーラーが全曲を通じて 人間の声を徹底して用いた異形の交響曲であるにも関わらず、よりによってその曲に限って「もはや人間の声ではない」と言い、まるでピタゴラス派の 天球の音楽よろしく「惑星や太陽が回転する」と述べた逆説は、時代の中に奇妙な形態で埋め込まれた、だがそれ自体は恐らくは時代を超えた 音楽のありようを示唆しているに違いない。情報の伝達、転記という言葉から「心から心へ」のメッセージ伝達の言語としての音楽を考えるのは そうしたマーラーのスタンスに相応しくないし、当時最先端の物理学や生物学にすら強い関心を示したマーラーを、過去の文化史の文脈に 位置づけ、今日の座標に変換する作業はそっちのけで済ませることが適当だとは思えない。聴き手が本来は自分が生きている時空とは別の 過去の文脈に自らが居ると勘違いすることに何の意義があるのか。しかもそれは選び取られたアナクロニスムですらなく、そうすることがモードの先端で あると喧伝されることすらあるのだ。だが今日、これと同じことが企てられたら、それは疑わしいものではないか。同じ意図を実現は、時代と場所が 違えば異なった形態をとらざるを得ないのではないか。現在に引き付けて聴くということは、横たわる距離を無かったことにすることではなく、逆に これをどうしようもなく距離あるものとして、だが、その距離を超えて伝わってくるものを聴き取ることではないか。そんな面倒なことをするなら、 過去のものなど相手にしなければ良いという批判があるかも知れないが、そこにしかない何かを認めてしまえば、それがどこにでもあるような ものではないということを知るにつけ、それがかつてあったということの重みが単純な同時代性を凌駕するのは明らかだ。
音楽を創るとき、音楽を聴くとき、主体は一体どこにいるのだろうか。情報が変換され、別の媒体に転記されるプロセスは確かに 「主体」を巻き込んで生じているが、「主体」はそれを遅れて観察するのがせいぜいだ。勿論そこにはそうした「主体」の活動の痕跡も また書きこまれていることだろう。デコードを行う私は、一体それをどうしようというのか。一体何を読み取り、どのように加工・変換して、 最終的に情報をどう処理しようというのか。そもそもこれらの過程において聴く「主体」たる私は一体どういう役割を果たしているのか。 終状態はどのようなものなのか。そのプロセスの「価値」は一体何によって測られるのか。
こうして考えてみると、音楽を聴くことが「消費」の同義語になっている事態が異様なことに思えてくる。 それでは一体「消費」とは何なのだろうか。それは単純に受け取ったものを全て捨てることなのか。捨てた後の状態は一体どのような ものなのか。またもや「主体」は「消費」にどう関わるのか。財(CDや楽譜など)の購入や蓄積、サービス(例えばコンサート)の購入という観点で 消費を記述することは可能だろうが、それは「私」におきたこと、「私」が経験したことと無関係ではありえない一方で、 その関係はごく間接的なものでしかない。それでは私の脳内に形成されたあるパターンが問題だというのか。そのパターンは私を利用する 遺伝子の搬体の生命維持機構の停止とともに消滅する。否、それ以前に私というユーティリティ・プログラムが機能しなくなれば、 アクセス不可能になってしまう。楽譜として書き留められた情報、CDに記録された情報の末路として、それはあまりにinertではないか。 「消費」とはそうした情報のinertiaに至るプロセスを指し示しているのだろうか。
第8交響曲は確かに色々な意味で躓きの石なのかも知れないが、それは両義的な存在なのではないか。少なくともそれを素通りして事足れりと することは私にはできそうにない。Veni Creator, Spiritusに対して、「ところでそれが来なければ」という冷静で意地悪なまぜかえしによって マーラーの熱狂を批判するのにも確かに一理はあるのだろう。だが、私個人についていえばそんなことはしたくない。そんなことをする「権利」が 私にあるとも思えない。否、その熱狂の根拠こそがかけがえのないものではないか。この音楽がマーラーの作品中の特異点であることは 間違いないだろう。だが、この特異点を無視した記述が十全なものであることはないだろう。この特異点を取り扱うことのできる記述こそが 自分の必要としているものであることを、上掲の書簡の言葉を読み返して改めて認識せざるをえないのだ。(2008.10.19)

2008年10月11日土曜日

生涯についての覚書

マーラーの場合、その人の生涯の軌跡を辿ることには、他の作曲家の場合とは些か異なった事情があるようだ。 作品と作曲者の生の軌跡との関係は、時代により、人によりまちまちだが、マーラーの場合にはその間に密接な 関係があるのは明らかであるように思われるからだ。勿論、狭義に解された意味合いでの「伝記主義」、その作品の 「内容」を、作曲者の人生のある出来事に還元しようとする姿勢は、マーラーの場合においてすら妥当ではないだろう。 マーラーの場合は、そうした短絡がしばしば起き勝ちであるためか、作品と作曲者の関係については、他の作曲家の 場合に比しても随分と慎重で繊細な取り扱いがなされる場合が増えているように思えるが、結局のところそれもこれも 作品と作曲者との関係の密接さを物語っているのだろう。

だが、その一方でマーラーその人の生きていた時代は遠くなりつつある。ましてや極東の僻遠の地に住むものにとって、 マーラーその人の生きた環境を思い浮かべるのには困難が伴う。幸いマーラーの場合には、ド・ラ・グランジュの浩瀚な 伝記をはじめとして、伝記、評伝の類は数多くあるし、邦訳が存在するものもあるし、日本人の手による伝記・評伝も 存在する。それらを読むことで、このような音楽を書いた人間がどのような人で、どのような時代に生きたのかを間接的では あるが知ることができる。写真・図録の類も少なからずあるから、それらによって視覚的な情報を補うこともできるだろう。

従って、ここでマーラーの生涯についてまとめることが、そうした数多い評伝に伍する意図から発しているのであるとすれば、 私がマーラーの研究者でも、歴史学者でもない以上、まずもってその資格無しの烙印を押されておしまいになってしまうだろう。 所詮は直接一次資料にあたることができず、所蔵している幾つかの文献を元に、「自分の目に映ったマーラー」を描き出すのが せいぜいなのだ。文献に誤りがあれば、「私のマーラー像」はその誤りの上に作り上げられるのだ。

その一方でWebで簡単に入手できる情報には、思いのほか間違いや、控えめに言っても誤解を招くような記述が少なくない。 比較的正確な情報があっても、それが日本語でなければその情報を利用できない場合もあるだろう。 勿論それはマーラーに限ったことではなく、一部の「恵まれた」作曲家を除けば、Webで入手できる情報は、多くの場合には 断片的だ。寧ろマーラーは量的にも質的にも恵まれた方であると言っていいかも知れない。問題は、客観性を装った 記述の中に、筆者の予断が入り込んでいたり、古い文献では事実として書かれていても、少なくとも現時点では信憑性を 疑われている内容がそのまま、注釈もなしに記述されていることがあることだろう。勿論、学問的に正確で厳密な記述は、 専門家の領分であり、Webで私のようなマーラーの音楽の一享受者が云々することではないのは確かだが、素人目に見ても 首を捻るようなケースもあるので厄介なのだ。もっとも、そうしたケースでも「私のマーラー像」との懸隔に苛立ちを感じているだけではないか、 という批判の前には沈黙せざるを得ない。せいぜいがある文献に従えば、それは事実ではないというのが関の山なのであって、 真偽の判定をする最終的な材料を私が持っているわけではないのだ。その点をはっきりさせるべき、記述にあたっては、 私自身が伝記作者を僭称することなく、自分が参照可能な伝記やドキュメントなどの文献に語らせる方法を採用すべきだろう。 実際そうでしかありえないのであれば、伝記やドキュメント類の引用の集積たる「メタ伝記」とでも言うべき体裁が、実質に 見合ったありように思われるからである。そして、それが不可能なのであれば、これを伝記と呼ぶのを止めるべきだろう。 せいぜいがそうした伝記的資料を渉猟していて自分が気になった点を断片的に記すといってレベルの備忘、覚書というのが 実質に見合っているのだ。

ここにまとめるのは、従ってあくまでも「自分の目に映ったマーラー」像である。ド・ラ・グランジュの伝記に含まれる情報量は 膨大だが、それを全て等しく記憶してマーラー像を作り上げている訳ではない。結局、伝記の類というのは、事実の選択と 系統付けの作業の結果であって、書く人の数だけマーラー像というのは存在するのだ。そして、ここに記載されたマーラー像が、 Webの他所で入手できる情報に比べて真正なものである保証はない。その点では、Web上に存在する他の情報に比べて 優位を主張するつもりはない。私はただ単に、「自分の目に映ったマーラー」がどんな人であったかを書きとめておきたいだけである。 勿論、主観的に判断した限りでは虚構を書くつもりはないが、それでもなお、間違いや、間違いではなくても、事実の取捨選択や 出来事の解釈に恣意が入り込むのを避けることができる自信が私には全く無い。従って、ここでのマーラー像は、寧ろフィクションだと 思って読んでいただいた方が誤解がないかも知れない。あったことを無かったこと同然に言いくるめる相対主義は危険であり、 強い反撥を覚えるし、ここでもそうした相対主義を主張しているわけではない。ことマーラーの生涯については、私は所詮、 あっとことと無かったことを厳密に判定する基準を自分の中には持っていないということと、自分の作り上げるマーラー像が、 今日の日本に住み、音楽を専門とせずに、マーラーの音楽をそれなりに聴いている私を形作る様々な文脈、環境に拘束された 一つの展望、星座に過ぎないのだということを言いたいだけである。

率直に言えば、かつて熱中していた頃にはその人にも夢中になったものだが、現時点では、その人に対して距離感を感じずには いられない部分も多いし、何よりも、時代と場所の隔たりの大きさを感じずにはいられない。そして、そうした感覚が記述に 反映するのは避け難いことだし、あえて言えば、避けようとも思っていない。寧ろそうした距離感と共感のない交ぜとなった感じを 書き残して置きたい、というのが本音なのだ。マーラーの音楽を享受することに関しては、それが紛れもなく自分の固有の経験 だが(勿論、そうした「自分」が、様々な環境、文脈に拘束された、不安定なものであること、そして自分には己の全てが 見えているわけではないことは当然だが)、マーラーその人については決してそうではない。かつての私は、そこの部分の遠近感に ついて明らかに錯視を起こしていた。音楽から人を眺める倒錯が、外挿する過誤がそこには確実に含まれていた。マーラーが 自分にとって、「他者」であること、これは恐らくはほとんどの人にとっては、はじめから明らかなことなのだろうが、私にとっては 必ずしもそうではない、それは苦々しい感覚を伴う、後成的な認識だったのであって、もしかしたら、今なおそれを意識的に 確認せずにはいられない心的なメカニズムが私の自己の、私からは見えないどこかで働いているようなのだ。恐らく実のところ、 ここで行うのはその確認作業に違いないのである。私の場合には、興味がある作品を書いた人に対する関心は必ずつきまとう (作品と作曲者を切り離して、作品を自律的なものとして捉えることがどうしてもできない)のだが、それでも他の作曲家については、 その人の生涯を自分の手で確認するような、このような作業をしたいという欲求そのものをほとんど感じないのだ。結局のところ、 私にとってマーラーは、その音楽もだが、その人そのものも、未解決の問題なのだろう。

誕生からブダペスト時代まで

マーラーが誕生したのは1860年7月7日、没したのは1911年5月18日であることは周知の事実であるが、 ではマーラーが生きた時代がどんな時代であったかを想像することができるかといえば、それは 実際には容易なことではないだろう。とりわけ19世紀末のウィーンに関しては色々な書物によって 情報を入手することが可能であって、そうした知識の集積により自分の中に一定のイメージを作り出すことは 可能だが、そうした情報にはどうしても偏りがあって、その歪みが、例えばマーラー自身が眺めていた 風景の持つ歪みと一致することを期待することは望み薄である。否、そういう意味ではマーラーの音楽を 聴き、それと同化することによっての方が確実ではないかとさえ思える。だが、そうしたアプローチは 時間と空間を越えた「近さ」を感じさせはしても、現実は画然として存在しているはずの距離感を 測るには適さない。そういう点では(強烈なバイアスによって歪められてはいても)生き生きとした アルマの回想に現れるマーラーのイメージもまた同様で、そらんじる程にその内容に親しんでしまった 子供は、自分が頭の中に作り上げたイメージが如何に身勝手な空想であるかに気付くのが困難になる。

距離感の測りがたさの一因は、逆説的にもそれが想像を絶するほど異なった過去ではない、という点にあるの かもしれない。しばしば当たり前のことだと思っているが、マーラーの姿を定着させた数多くの写真、 マーラー自身が書いた夥しい量の書簡、そしてアルマのエピソードに出てくる鉄道、自転車、電話、電報、 そして自動車といった輸送・通信手段は勿論、自明のものではない。同じことは例えばもう100年前の モーツァルトには全く当て嵌まらないことを考えれば、マーラーの生きた時代との距離感の微妙さを 大まかではあっても測ることができるだろうか。今日のスター指揮者であれば、大西洋を往来するのには 船ではなく、飛行機が使われるだろうが、とはいえ、発達しつつある交通網を利用して、客演を定期的に 行うというスタイルは今日と大きくは変わらない。ウィーンが再開発によって近代都市に生まれ変わったのは、 マーラーがウィーンの音楽院に在籍した時期(1875年~1878年)と重なっており、アルマの回想録に 生き生きと描き出されている壮年期のマーラーが闊歩したウィーンの街の景観は、まさにマーラーの時代に 出来上がって、その後基本的には現在まで引き継がれているのである。またウィーン以外の、マーラーが キャリアを積み重ねていった各都市の歌劇場もまた、まさにマーラーの活躍した時代にそのあり方を 変えつつあり、まさにマーラーのような能力の持ち主が何時になく嘱望されていた時期なのである。 ウィーンの宮廷歌劇場こそその典型であって、宮廷歌劇場の新築はウィーンの都市改造の目玉の一つであった。 今日のウィーン国立歌劇場にはロダン作のマーラーの像が置かれているようだが、第2次世界大戦の惨禍に 巻き込まれ、現在の建物は戦後再建されたものではあるが、デザインが踏襲されたこともあって、基本的には 場所も含めて、マーラーが仕事をした歌劇場と今日のそれとの連続性を認めることは可能だろうし、 しかもその建物はマーラーが生まれる前には存在しなかったのである。同様のことはブダペストについても ハンブルクについても言えて、ブダペストの王立歌劇場の開場はマーラーの赴任の4年前の1884年、1991年に マーラーが赴任したハンブルクの市立劇場は1874年に大改造を経て新規に開場している。もっともハンブルクの 歌劇場は第2次世界大戦で破壊されて戦後に再建される際にデザインも一新されたため、往時の姿を 知るには過去の写真などによる他ないのだが。

マーラーは職業という観点から見れば何よりもまず時代を代表する歌劇場の監督・あるいはコンサート 指揮者であり、作曲は専ら余暇に無償で行った。ところで、歌劇場という施設やコンサートという制度は それを支える経済的な側面も含めて、上述のようにまさにマーラーの時代に確立し、その後若干の変遷はあったものの、 基本は大きく変わらずに今日に至っているのであるし、マーラーが音楽教育を受けたのはウィーンの音楽院であるが、 そうした音楽教育の制度の面でも、まさにマーラーの時代に今日まで続く仕組みが確立していったのである。 そういう意味ではマーラーの時代と今日の間には大きな断絶はないと言っても良いかもしれない。 ちなみに音楽院という教育機関による教育の開始は、フランス革命が契機であり、パリの音楽院を嚆矢とする。 ウィーンの音楽院は楽友協会により1810年代に設立され、公立になったのはマーラーの晩年1909年の ことである。従って音楽院自体はマーラーの時代の成立ではないのだが、カリキュラムや学科の確立、 教授陣の充実、それによる優秀な人材の輩出によって、音楽院の名声と権威が確かになるには当然それなりの 時間が必要であり、それはマーラーが入学する頃には確かなものになっていたと言いうるようである。

それだけではなく、上述したウィーン市の大規模な改造計画に伴って、歌劇場近くの現在の所在地に移転したのは、 マーラーが入学する直前の1870年だった。 例えばバロック期や古典期、更にはロマン派前期の音楽は今日でもよく聴かれるにも関わらず、それが受容された 環境、演奏の前提となる設備や演奏家を養成する教育の制度の面では何某かの断絶があったのに比べれば、 マーラーの音楽を取り囲む環境との連続性は明らかであろう。勿論、その後の音楽の大衆化の進展の大きさや、 あるいは演奏を記録する技術の急速な進展などを考えれば、第1次世界大戦前に没したマーラーは、いわば 「少し前の時代」を生きたというようにもいえるだろうが、マーラーの同時代の演奏家の録音記録もわずかながら 残されており、マーラー自身のピアノ演奏の記録さえ残っていることを考えると、この点についても状況の変化を 過大視することはできないだろう。確かにLPレコードの普及以降のマーラー受容の質的な変化には留意する 必要があるだろう。けれどもマーラー時代と基本的には変わらない仕方で、演奏会場で実演に接することも 依然として可能だし、寧ろ頻度だけを問題にすればその機会は拡大しているといっても良いかも知れないのである。

*  *  *

マーラーが生まれたのは、オーストリア・ハンガリー帝国領、現在のチェコ共和国内のカリシュトという村であった。 その後ただちに、マーラーの一家は近くのイーグラウという街に引っ越すことになる。イーグラウもまた、現在の チェコ共和国の領内にある街である。マーラーは、チェコの作曲家ではなく、オーストリアの作曲家ということに なっているようだし、それには勿論妥当性があるのだが、それでもマーラーがチェコでもボヘミアと呼ばれる 地域に生まれ、育った点は留意されて良い。マーラーがユダヤ人であることを知らぬ人はいないが、それに 加えて、ボヘミヤの生まれであること、更にイーグラウという街の性格、すなわちそれが帝国直轄都市であり、 街ではドイツ語が話され、街を取り囲むチェコ語が話される地域の中の「言語島」であったことが、 マーラーが幼少期を過ごした環境に幾重もの複合性をもたらしているからである。後年マーラーが言ったとされる アルマの回想に書き留められた有名な言葉「オーストリアの中のボヘミヤ人、、、」という言葉、「異邦人性」、或いは 社会学で言う「マージナル・マン」といった性格付けは、このような環境が前提となっているのだ。ついでに言えば、カリシュト、 イーグラウという都市名はドイツ語のものであり、チェコ語での名と同じわけではない。同様の書き方を 敷衍すると、スロヴァキアのブラチスラヴァはプレスブルクと呼ばなくてはならないし、後にマーラーが指揮者として 赴く、スロヴェニアのリュブリャナもライバッハと呼ばなくてはならない、といったことが果てしなく続くのだ。

これに関連して興味深いテーマとして、マーラーの言語的アイデンティティの問題がある。後年の書簡などから わかるように、マーラーの「母語」がドイツ語であったのは間違いなく、それはドイツ語圏の教養を身につけようと 努めた同化ユダヤ人であった父の用意した環境でもあった。イーグラウという街の性格は既述の通りだが、 マーラーが通ったイーグラウのギムナジウムではドイツ語で授業が行われたし、読書の虫であったマーラーが 読みふけった書物もドイツ語で書かれたものであったに違いない。だが、マーラーが生まれた直後の1860年10月に 皇帝が出した声明により、ユダヤ人にもようやく国内移住の自由が認められたのに乗じて、12月に直ちに イーグラウに移住した父ベルンハルト・マーラーも、ユダヤ人としての信仰を放棄することは無く、シナゴーグには 通っていたし、マーラーにも引き継がれた勤勉さもあって経済的に成功するとイーグラウのユダヤ人社会の 名士になるわけで、ドイツ人相手の商売をしてはいても、ユダヤ人としてのアイデンティティは保ち続けていた。 ボヘミヤのユダヤ人の言語については、イディッシュ語のような独自の言語が存在していたわけではなかろうが、 ユダヤ教の礼拝ではヘブライ語が用いられたに違いない。そしてイーグラウを取り囲む地域からやってくる人びとはチェコ語を 話しただろう。マーラーが幼少期に憶えたボヘミヤ民謡の歌詞はもちろんチェコ語であっただろう。

これらのうち、シナゴーグの中で使われていたであろうヘブライ語については、マーラーが幼少期より、 シナゴーグではなく、教会聖歌隊に参加するというかたちで寧ろカトリックの教会を訪れていたらしいことを 考えると、マーラーが日常的に接していたと考えるのは無理があろうが、ドイツ語、チェコ語に ついては、恐らく身近に接する機会が多かったに違いない。積極的に習得しないまでも、聞けば何となくわかる 程度には知っていた可能性は充分にあるだろう。言葉だけではない。その後のマーラーの音楽の基本となった ドイツ・オーストリアの音楽の伝統の基層に、ボヘミヤやユダヤ人の歌や踊りが、それらが用いられる行事など とともに存在しているに違いないのである。

ハンブルク時代からウィーン時代前期

マーラーにとって20歳代後半のブダペスト時代は色々な意味での転機だった。ハンブルク市立劇場に 就任するのは1891年3月26日だが、ハンブルクに移ってから、マーラーの歩みは或る種の確固とした リズムと音調を持つようになる。

ハンブルク時代の最大の出来事は、やはり1894年のハ短調交響曲、 こんにち2番の番号が与えられている交響曲の完成だろう。この、最初に完成した「交響曲」は そのまま翌年12月13日にマーラー自身の手によりベルリンで初演され、最初に演奏された「交響曲」になる。 翌年3月16日には、永らく5楽章の交響詩「巨人」であった、創作時期としてはハ短調交響曲に先行する 作品が4楽章の「交響曲」として同じベルリンで初演される。

一方で、ハ短調交響曲の初演に先立つ1895年の夏は第3交響曲第2部の作曲にあてられており、 翌年に第1部となる第1楽章を完成したマーラーは、1897年にはカトリックに改宗し、ハイネに倣うように 「入場券」を手にして、ウィーン王室・宮廷歌劇場に「凱旋」するのだ。夏の作曲家マーラーの作曲小屋での 創作というパターンはハンブルク時代に確立する。

ウィーンに移ったマーラーは夏の作曲の場をシュタインバッハからマイヤーニッヒに移し、そこで第4交響曲を 作曲すると、別荘を構えることを決める。すると今度はアルマ・マリア・シントラーが現われ、マイヤーニッヒの 別荘で第5交響曲の完成に立ち会うのは、妻となったアルマになる。ウィーンへの進出は勿論、 生涯の大事件、マーラーにとってはもしかしたら最大の快挙であったかも知れない。だが、ここではそれより 少し遅れて起きた、作曲の場の移動と、それに呼応するようにして起きたプライヴェートなパートナーの 交替の完了までを「ウィーン前期」と便宜的に呼ぶことにして、両者をあわせて一区切りとしたい。

実際にはマーラーの生涯に対する適切な展望は、このように幾つかの時点でそれを分割することではなく、 或る種の相転移のようなものが起きる領域・時期があって、それを経て次のフェーズに移行する、という ものであろう。ここで扱うフェーズについていえば、その前の移行の領域が1888年末から1891年初頭の ブダペスト時代であり、ここで扱うウィーン前期、即ち1897年から1901年までがそうした移行の時期にあたる。 分割をそうした移行期の後に設定してみたわけである。ただし、このやり方は、次の移行期には 当て嵌まらなくなるのだが。

ウィーン時代後期

ここでいうウィーン時代後期というのは、ウィーン時代前期の作曲パターンや プライヴェートなパートナーの交替といった移行が済み、アルマを妻として マイアーニッヒで交響曲を立て続けに作曲した時期を指す便宜的な呼び名である。 これまでの分割の仕方に倣えば、1907年以降の「晩年」は、それ自体が一つの 移行期を形成する可能性があり、移行期における「相転移」の後を次フェーズの 始まりとするならば、ここで晩年についても併せて扱うべきなのだろうが、 そうするには最後の「移行期」はあまりに色々なことが起きたし、事実としてマーラーには 次のフェーズはもう無かったのであるから、最後の移行期=晩年は別に扱うことにしたい。

晩年

マーラーの晩年は、歌劇場監督を辞任しウィーンを去る頃より始まると考えて良いだろう。 長女の猩紅熱とジフテリアの合併症による死、自分自身に対する心臓病の診断という、 アルマの回想録で語られて以来、第6交響曲のハンマー打撃とのアナロジーで「3点セット」で 語られてきた出来事は、それを創作された音楽に単純に重ね合わせる類の素朴な 伝記主義からはじまって、これも幾つものバージョンが存在する生涯と作品との関係をひとまずおいて、 専ら生涯の側から眺めれば、確かに人生の転機となる出来事だったと言えるだろう。 これを理解するのには別に特別な能力や技術どいらない。各人が自分の人生行路と重ね合わせ、 自分の場合にそれに対応するような類の出来事が起きたら、自分にとってどういう重みを持つものか、 あるいはマーラーの生涯を眺めて、マーラーの立場に想像上立ってみて、上記の出来事の重みを 想像してみさえすれば良いのだ。それが音楽家でなくても、後世に名を残す人物ではなくてもいいのである。 逆にこうした接点がなければ、私のような凡人がマーラーの人と音楽のどこに接点を見出し、どのように 共感すれば良いのかわからなくなる。

だが、その一方で、マーラーがそれを転機と捉えていたのは確かにせよ、己が「晩年」に 差し掛かったという認識を抱いていたかについては、後から振り返る者は自分の持っている 情報による視点のずれに注意する必要はあるだろう。マーラー自身、自分の将来に控える 地平線をはっきりと認識したのは間違いないが、それがどの程度先の話なのか、それが あんなにもすぐに到来すると考えていたのかについては慎重であるべきで、この最後の 設問に関しては、答は「否」であったかも知れないのである。もしマーラーがその後4年を 経ずして没することがなかったら、という問いをたてても仕方ないのだが、もしそうした 想定を認めてしまえば、今日の認識では「晩年」の始まりであったものが、深刻なものでは あっても、乗り越えられた危機、転機の一つになったかもしれないのである。丁度30歳を 前にしたマーラーが経験したそれのように。だとしたら現実は、そうした転機の危機的状況から 抜け出さんとする途上にマーラーはあったと考えるのが妥当ではないかという気がする。

要するに、ここで「晩年」として扱う時期は、その全体がブダペスト時代や、ウィーンの前期の ような移行期、「相転移」の時代であったかもしれず、この時期を過ぎれば新しいフェーズが 待ち受けていたかも知れないのだ。だが、実際には次のフェーズはマーラーには用意されて おらず、移行の只中で、それを完了することなくマーラーは生涯を終えてしまったように 私には感じられる。第1交響曲(当時は5楽章の交響詩)、第5交響曲がそれぞれ 移行の、相転移の終わりを告げる作品であったように、第10交響曲がその終わりを告げる 作品であったかも知れないが、第10交響曲は遂に完成されることはなかった。 (2008.10.11)

2008年10月8日水曜日

作品覚書(14)さすらう若者の歌

「さすらう若者の歌」は、幾つかの点でマーラーの原点と言える作品だろう。まずは歌曲自体の 構成の観点から、管弦楽伴奏の連作歌曲集として最初の作品である。「子供の死の歌」を 経て「大地の歌」に至るルートの出発点がこの「さすらう若者の歌」なのだ。次には、有名な 第1交響曲との素材の共通性。歌曲集第2曲と交響曲の第1楽章の主要主題、 そして歌曲集の終曲と第3楽章の中間部。その後のマーラーにおいても繰り返し見られる 歌曲の旋律が交響曲の素材でもあるという状況がはっきりと姿を取るのは、この「さすらう若者の 歌」からである。勿論、素材の共通性という点なら、すでに「嘆きの歌」と最初期の歌曲との 間にも見られたが、ここでは、後にそうであるように、単なる純音楽的な旋律素材の共通性だけ ではなく、マーラーにおいては特徴的な音楽の「意味」の水準での関係が問題になっているのだ。

その一方で、これまた第1交響曲がそうであるように、この歌曲集の持つ信じ難いほどの ナイーヴさは、今日における受容を寧ろ困難にしているかも知れない。そこに込められた 感情の真正さを疑う者は恐らくいないだろうが、その音楽の表現の、ほとんど反動的といって 良いほどの素朴さ、感傷性は、後年のマーラーに親しんだ聴き手にとっては寧ろ当惑の 種ですらありうるほどで、「芸術歌曲」というものに確固とした公準を設定している人にとっては、 この曲の存在は許容し難いものに映るかもしれない。

ところで、マーラーにおける歌曲というジャンルの無視できない特徴は、声部指定のないことなのでは ないかと私は考えている。一つには男声・女声の指定がなく、結果的にほとんどの作品で両方の 録音が存在することが挙げられる。更に言えば、管弦楽版でありかつ連作歌曲集であるという ような条件が加わるとそうでもなくなるが、連作歌曲集に含まれない曲のピアノ伴奏版では 移調も許容されているのである。組曲形式における調性配置はマーラーにとっては重要な 視点であり、また時代遅れと揶揄されるほど全音階主義的なマーラーは、古典期までは 普通であった特定の調性と曲の性格の対応のようなものすら意識していたようで、だから 移調の問題は決して取るに足らない問題ではないはずである。例えば大地の歌を移調した 上で、すべて女声で歌うなどといったことが考えられるか、という思考実験をしてみれば良いのだ。 移調は不可だろうが、ピアノ伴奏版なら恐らく女声のみで通すのは可能で、実際にそうした 録音も存在するのをご存知の方も多いだろう。その一方で交響曲の中で使用される声楽は 強く制約されている。第2交響曲の第4楽章を男声が歌うことは行われないだろうし、 第8交響曲第2部に至っては役割まで与えられていて、その点では「嘆きの歌」などと 変わることなく、従って自由度はほとんど全く存在しないのだ。

というわけで、この曲集は連作歌曲集でもあり、しかも歌詞の内容上は明らかに男声が 想定されているわけだから、女声で聴くのは直感的にはどうかと思われるのだが、 実際にはこの曲は女声でも頻繁に取り上げられるし、優れた演奏も多い。私の嗜好でいけば もっとも印象深く、繰り返し聴くのは、ベイカー・バルビローリのものなのである。 この曲集や「子供の死の歌」を女声が歌うことがどういう効果をもたらすかというのは興味深い 問題である。そして、私見ではそれはマーラーの場合についていえば許容されるべきだと思う。 或る種の異化作用、距離感、客観化がそこには働くことは確かだが、「大地の歌」の偶数楽章に おいてマーラー自身がアルトを選択したとき、にも関わらず第2楽章の題名の性別をあえてベトゥゲの 原詩の女性から男性に変えていることなどを思い合わせるべきなのだ。否、角笛交響曲群のソロは すべて女声だが、「原光」の「私」は勿論、旧訳聖書に描かれたヤコブだし、「三人の天使が優しい歌を 歌う」の「私」には新訳聖書のあのペテロの姿が揺曳しているのは明らかなのだ。だがだからといって、 これらをバリトンで歌うというのは、大地の歌の場合とは異なって、音楽的にはあり得そうにない選択肢 ではなかろうか。ここには解かれるべき謎とは言わなくとも、控えめに言っても解釈されるべき徴候というものが 確実に存在していると私には思われる。

その一方で、連作歌曲としての調的な配置について管弦楽版に拠って確認をすると、この歌曲集が後年の「子供の死の歌」や 「大地の歌」以上に非因習的なプランを持っていることに驚かされる。この曲集が一見したところ備えている 素朴さ、感傷性にも関わらず、ある種のクリシェと化することから逃れえている要因の一つとして、この大胆な調性配置が 機能しているのは疑いないように思われる。それは破格とまでは言えなくても少なくとも独特ではある。

最初の曲はニ短調で開始し中間に変ホ長調の部分を挟むがニ短調に回帰する。ところが第2曲はニ長調からロ長調に転調し、更に嬰へ長調に 至って終わってしまう。 3曲目は再びニ短調に始まるが、音楽的な「崩壊」の最初の事例である末尾では変ホ音で終止する。終曲はホ短調で始まり、ヘ長調に転じて、 最初に同主短調で終止してしまう。長調と短調の同主調間での頻繁な交代は、後に第6交響曲のモットーとして蒸留されるマーラーの音楽の 特徴の一つではあるが、それが全曲の末尾に現れるのだ。だがより興味深いのは第1曲以外はいずれも曲の始まりの調性と終わりの調性が 一致しないことである。その効果はあからさまであり、第2曲と第4曲ではまるで途中で音楽が歩みを止めてしまったかのような印象を与える。 第3曲は冒頭の調性の基音から半音上がった音で終止し、更にその終止音が第4曲の冒頭の基音に対する導音であることに留意しよう。 このようにこの作品の調性配置には如何にもマーラー的な特徴が良く現れているのだが、それだけではなく、そうした調性の機能が音楽の内容、 この場合には歌曲であるから歌詞の内容に対応している点が印象的である。終止がホ長調であれば冒頭の調性に対して丁度ソナタの提示部の 末尾の調性で停止することになる。そこをマーラーは更に同主短調に変化させることで3度関係の近親調に「上がったまま」で終わらせてしまう。 到達した場所は一体どこだろうか。それが冒頭とは全く異なった場所であることは確かである。第1交響曲第3楽章でも引用されるヘ長調の 部分を通過した後は最早それまでと同じではない。そう歌詞も告げているように。(2008.10初稿, 2008.12.13, 2009.7.27/28加筆)


形式の概略(長木「グスタフ・マーラー全作品解説事典」所収のもの。管弦楽版による)
1.愛しいひとが婚礼を迎える日は第1節「より速く~ゆるやかに動いて」143d
第2節「モデラート」4463Es
第3節「冒頭と同じく」6496d
2.けさ野辺をよぎったのは第1節「ゆったりと(急ぐことなく)」130D
第2節3163
第3節「もう少しゆっくりと」64102H
第4節「非常に静かに、ゆっくりと」103127
3.ぼくの胸には灼熱の刃が前半「嵐のように、野性的に」132d
間奏「非常に速く」3340g
後半「もっとゆっくりと」4180-es
4.愛しきひとの碧きふたつの瞳第1節「秘密めいて、憂鬱な表現で」117e
第2節前半1838C/c
第2節後半3945F
第3節4667-f

2008年10月7日火曜日

作品覚書(18)リュッケルトの詩による歌曲

リュッケルトの詩による歌曲は、1901年の夏に「子供の死の歌」の第1,3,4曲とともに作曲され、 管弦楽伴奏も作られた4曲と、翌年にピアノ伴奏版のみ書かれた「美しさゆえに愛するなら」に 分かれる。「最近の7つの歌」として「起床合図」「少年鼓手」とともに出版された際に、 「美しさゆえに愛するなら」についてはマックス・プットマンが管弦楽伴奏編曲を行ったものが 組み込まれたが、マーラー自身は管弦楽伴奏版を作成しなかった。

ところで、上記の作曲時期のずれは、「美しさゆえに愛するなら」という歌曲の成立事情を 考えた場合、決定的な意味を持つ。他の4曲は妻となったアルマ・マリア・シントラーと出会う 前に作曲されたのに対し、「美しさゆえに愛するなら」はアルマとの結婚後の最初の夏、8月に 書かれたのである。アルマの回想録にもこの曲に関するエピソードが登場するが、要するに、 この曲についてはアルマ宛に認められた手紙のような性質の作曲であったようなのである。 他の4曲とて、それぞれが独立の作品であり、連作歌曲であるわけではないのだが、 それでもなお、こうした成立事情を確認することは意味のないことではないだろう。

マーラーの創作を区分するとき、「子供の死の歌」とこのリュッケルトの詩による 歌曲は、交響曲であれば中期の第5,6,7交響曲とセットにされることが多い。初期の 交響曲を「角笛交響曲」と称するのに対応させてか、中期の交響曲の方を「リュッケルト交響曲」と 呼ぶ人もいるようだ。これはまずもって創作時期の近接、それから素材としての参照関係に基づく 区分なのだろうが、厳密には「少年鼓手」は1901年の作曲だから、時期的にリュッケルトの詩への 付曲と少なくとも重なるし、「少年鼓手」と並んで、1899年作曲の「起床合図」の中期交響曲との 関連もまた明らかであろう。従って、「角笛」の世界から遠ざかってしまった、と見るのは 些か単純化し過ぎた見方なのだが、それでもなお、リュッケルトの詩への付曲に見られる主観的で 現実的な側面が、中期の交響曲のそれ、特に第5,6交響曲と対応しているのは確かなことであろう。 ある意味ではパラドクシカルなことに、純器楽による交響曲において、マーラーの場合には主観的で 個人的な側面がより強く現われることになる。大規模な管弦楽を動員する交響曲と、切り詰めた 室内管弦楽によるリュッケルト歌曲を単純に同一視はできないものの、交響曲に素材を提供する とともに、交響曲を注釈し、解釈する(この場合主語は曲自体である)存在として、リュッケルトの 詩に対する付曲の持つ意味は決して小さくない。歌詞の有無や媒体の違い、交響曲という 形式の意義を測るのに、ミニアチュアのような繊細な、だが確固たる広がりを持つ歌曲を参照点に してこそ見えてくるものがあるに違いないのである。(2008.10.7 この項続く)

形式の概略(長木「グスタフ・マーラー全作品解説事典」所収のもの。<美しさめあてに愛するなら>以外は管弦楽版による)
<ぼくの歌を見つめたりしないで>第1節「非常にいきいきと」134F
第2節3566
<やわらかな芳香をぼくは吸いこんだ>第1節「非常に優しく、内面的に、ゆったりと」117D
第2節1836-Es-D
<この世間からぼくは消えたのだ>前奏「非常にゆっくりと、控えめに」19Es
第1節1027
第2節「少し流れるように、しかし急ぐことなく」2843
第3節「再び控えめに」4467
<真夜中に>第1節「落ち着いて、一様に」120a
第2節「流れるように」2135A
第3節3648a
第4節4970
第5節「~一転して力強く」7194A
<美しさめあてに愛するなら>第1節「内面的に」18C
第2節916c
第3節1722C
第4節2334

作品覚書(15)リートと歌第2,3集

リートと歌と題された3集よりなるマーラーのピアノ伴奏歌曲集は、内容上は、第1集と 第2,3集の2つに分かれる。第2,3集は出版の便宜上分けられてはいるものの、 いずれも「子供の魔法の角笛」に付曲した作品のみからなっており、しかも、それぞれが 独立の作品であるから、順序にしても第2,3集のいずれに帰属するかについても、 別段の意図はないことになる。第2,3集については出版も1892年に同時に行われており、 ひとまとめとして扱うのであれば、ピアノ伴奏版のみが存在する「魔法の子供の角笛」 歌曲群として9曲をひとまとめにするのが適当だろう。

マーラーは管弦楽法の大家ということになっていて、歌曲においても管弦楽伴奏であることが 特色として挙げられることが多い。そうした中で、このピアノ伴奏の9曲は、同じ「角笛」歌曲でも 管弦楽伴奏を持つ他の作品に比べて、注目される機会は決して高くはないというのが実情かも知れない。

そこで問題になるのは、マーラーの創作の中でこのピアノ伴奏歌曲が占める位置である。 なぜマーラーはこれらの曲に管弦楽伴奏をつけなかったのか。時期の問題というのはありえない。 先行する「さすらう若者の歌」の管弦楽伴奏版の成立過程ははっきりとしない部分があるようだが、 それでも1891年から1893年くらいのことと考えられていて、1888年から1890年くらいに作曲された と考えられているこの「角笛」の9曲だって、その気になれば「後から」管弦楽伴奏版を作ることは 可能だったはずなのだ。マーラーはこれらの9曲については管弦楽伴奏版を作る価値を認めなかったの だろうか。この後、マーラーはアルマへの「私信」の性格があると考えられる「美しさゆえに愛するなら」を 除いて、全ての歌曲について管弦楽伴奏版を作っていて、そういう意味ではこの9曲は寧ろ「例外」の 側に属するといっても良いのである。この点で興味深いのは「夏の交替」で、第3交響曲第3楽章に 素材を提供したにも関わらず、この歌曲自体は管弦楽伴奏版が作られることはなかったようだ。 (2008.10.7 この項続く)

形式の概略(長木「グスタフ・マーラー全作品解説事典」所収のもの)
悪い子たちをおとなしくさせるには前奏「快活に」13E
前半(第1,2節)419
間奏2022
後半(第3,4節)2338
後奏3941
緑の森を愉快な気分で歩いていったら第1節「夢見るように、総じて優しく」128D
第2節2957
第3節「少しより遅くして」5880G
第4節「テンポI」81108D
終わっては!終わっては!第1節「大胆な行進曲のテンポで」110Des
第2節1118B
第3節1928Des
第4節2940A
第5節4148Des
第6節「嘆くように(パロディを伴って)」4966B
第7節6779Des
たくましい想像力前奏「非常にゆったりと、ユーモラスな表現で」12B
第1節311
第2節1220
シュトラスブルクの城塁に立つと前奏「民謡の調子で(感傷なしに、非常にリズミカルに)」14fis
第1節516
第2節1726
第3節2738
第4節3961H-h
夏の歌い手交代前半「ユーモアを伴って」131b
後半3258B
後奏5967b
別れさせられ遠ざけられるのは第1節「快活に」145F-F/f
第2節4681f-F
もう会えない!第1節「憂鬱に」116c
第2節1726
第3節2740
第4節4151
第5節5268C-c
自惚れごころ前半「不機嫌な調子で」126F
後半2757

作品覚書(13)3つの歌・リートと歌第1集

マーラーによほど親しんだ人でも、そしてその中でもとりわけ歌曲に特別の意義を認めるような人でも、 初期の歌曲作品に関心を抱くことは少ないかも知れない。マーラーの個性というのは非常に早い時期 からあわられているとはいうものの、さすがにこれらの歌曲においては、もちろん、その片鱗は随所に 窺えるとはいうものの、さほど顕著なものではなく、結局のところ、マーラーの出発点を証言する資料の ような扱いを受けることが多いのかも知れない。

更に注意すべきは、出版されたリートと歌第1巻の5曲はともかく、3つの歌については、マーラー自身は 出版されることも、もしかしたら演奏されることも想定していなかったかも知れないという点である。 当世では、作者の意図はすっかり覇権を喪い、聴き手・読み手の解釈がこの世の春を謳歌している 感があるが、マーラー自身の意志を尊重すれば、少なくとも3つの歌を、それ以降の出版を認めた 作品と単純に同列に並べることについては一定の配慮がなされてしかるべきだろうと思われる。 (もっとも、これについては「嘆きの歌」の初稿についても言える。結局のところ、これらはマーラーが 破棄しなかったのだから、恐らく破棄されたであろう、青年期の創作の数々とはやはり違うのかも 知れない。)

だが、そうであるにしても、マーラーの創作を総体として捉えようとしたときには、これらの歌曲集も 一定の役どころを得ることになる。一つは「嘆きの歌」との関係であり、もう一つには、こちらはやや 間接的ではあるものの第1交響曲との関係において、幾つかの注目すべき点を見出すことができる。

「嘆きの歌」の方は、旋律素材の共通性のような関係で、3つの歌の第1曲「春に」との共通性が 指摘される。「第1交響曲」の方は3つの歌の「五月の緑の野の踊り」、リートと歌第1巻での 「ハンスとグレーテ」と、スケルツォ楽章主部との相関である。なおリートと歌第1巻の「ハンスとグレーテ」は 3つの歌の「五月の緑の野の踊り」の異稿と考えることができ、こうした参照関係についていえば 両者はほぼ同じ作品と見做して良いだろう。更に、ティルソ・デ・モリーナの「ドン・ファン」の独訳に 基づく2曲は、いわゆる劇伴との関連が想定され、第1交響曲の初期形態に含まれていた 「花の章」が「ゼッキンゲンの喇叭手」の活人画のための音楽と関係していたことと関連して、 当時のマーラーの創作活動のあり方を告げる記録と言える。(2008.10.7 この稿続く。)

形式の概略(長木「グスタフ・マーラー全作品解説事典」所収のもの)

3つの歌
春に第1節「非常にいきいきと」113F
第2節「もう一度とてもゆっくりと」1428As
第3節2942C
第4節「もう一度とてもゆっくりと」4353
冬の歌第1節「軽やかに動いて」117A
第2節1829
第3節「真面目に、しかし落ち着いて」3044c
第4節4574
草原の5月の歌前半「快活に大胆に、レントラーのテンポで」140D
後半4189

リートと歌第1巻
春の朝前奏「ゆったりと、軽やかに動いて」15F
第1,2節「モデラート」616
第3,4節「冒頭と同じく」1735
思い出第1節「ゆっくりと、憧れに満ちて」111g
第2節「内面的に」1221
第3節「次第に動いて(しかしそれとなく)」2240
第4節「テンポI」4153
ハンスとグレーテ前半「ゆったりとしたワルツのテンポで」140F
後半「少しゆっくりと」4189
セレナーデ第1節「軽やかに流れるように」114Des
第2節1526
第3節2738
ファンタジー第1節「夢見るように」118h
第2節「少しゆっくりと」1934

作品覚書(4)第4交響曲

第4交響曲の成立史は幾つかの理由により些か特殊である。最初の一つは、最終的にはフィナーレの位置を占めることになった歌曲の 成立が1892年のハンブルク(2月10日ピアノ伴奏版、3月12日管弦楽伴奏版)まで遡れるのに、残りの3つの楽章はようやく1899年の夏に、 既に第3交響曲以来「夏の作曲家」としての生活パターンを確立しつつあったマーラーが、その夏の休暇の終わり間際にスケッチするまでは 少なくとも今ある形を為していなかったという点。実際に聴いた人の多くが感じるように、この作品はフィナーレの歌曲の前に3幅対の絵を 並べたような、些か特殊な構造になっているのだが、それを裏付けるような作曲年代の分裂を持っているということ。

次もまた、フィナーレの歌曲の辿った遍歴に関わることなのだが、第4交響曲は1899年の夏の終わり間際に今ある形態をとる以前の 構想では、第3交響曲の構想と渾然一体となっていた可能性があるという点である。フィナーレの歌曲は、第3交響曲のフィナーレを なす第7楽章に置かれる計画があったのである。勿論、単純に今日聴かれる形態の第3交響曲の後に、「天国の生活」を付加して みたところで、マーラーの構想を想像するには不十分なのだが、とにかく、第4交響曲は、言ってみれば第3交響曲の補遺のような 性格を持っているというのが、成立史からは窺えるのである。世上、「角笛交響曲」として第2,3,4交響曲をまとめたり、あるいは さらに第1交響曲を加えて1グループにしたり、といった区分が為されてきたが、第1交響曲、第2交響曲が、それぞれ紆余曲折に 満ちた独自の成立史を持っていたのに対し、第3交響曲、第4交響曲の方もまた幾多の構想の変遷を経たとはいいながら、 こちらは少なくとも第3交響曲が完成する時期までは一つの構想の中に包含されていて、不可分のものだったのだ。であれば、 同じく「子供の魔法の角笛」歌曲との関連があるとはいえ、第2交響曲と第3交響曲の間にははっきりとした句読点が打たれている と考えるべきなのに対し、第3交響曲と第4交響曲との間には、双生児のような関連があると考えるべきなのだろう。実際、 パウル・ベッカーが報告している第4交響曲の早期の構想は6楽章構成で、第1,3,5楽章が器楽のみにより、第2,4,6楽章は 歌曲という組み合わせで、全体は「フモレスケ」という副題を持っているのである。ここでもフィナーレの第6楽章が「天上の生活」であり、 第4楽章は、恐らく現在の第3交響曲第5楽章の「三人の天使がこころよい歌を歌っていた」、そして第2楽章に「地上の生活」が 予定されていたらしいのである。

このようにして、第4交響曲のフィナーレに収まることになった「天上の生活」という歌曲は、マーラーの作品構想上のジョーカーの ような機能を果たしていることがわかる。ついでにいえばベッカーの報告する「フモレスケ」の第3楽章は「カリタス」と題されていたが、 実現されなかったこの構想は、後の第8交響曲の最初のスケッチに引き継がれることになる。「地上の生活」の方は未完成に 終わった第10交響曲の煉獄(プルガトリオ)、即ち第3楽章に繋がっていることは、よく知られている通りである。人によっては、 マーラーが第9交響曲について述べる際に、第4交響曲を引き合いに出したことを思い起こすかもしれない。ともあれ、 読みようによっては物騒とも言える民謡を歌詞に持つ「天上の生活」はマーラーの創作の中で特異点の如きものであり、 第4交響曲の成立史は、そうした事情を端的に物語っていると言えるのではなかろうか。

*   *   *

第3楽章のコーダ近くの楽節の「雰囲気」がひどく日常的な安らぎに近く感じられることがある。 超越的な何かに撃たれたわけでもなく、感情を揺さぶる出来事に遭遇したわけではない、ある日の陽だまりの風景。それはこの 曲を作曲しているある一日に、マーラーが見たときの情態をそのまま保存しているようにさえ感じられる。 この曲のいわゆる「突破」の瞬間は、しかしこちらからの力はほとんどなく、主体は受動的に感じられる。 突破は向こうからやってきて、勝手に天が開く。それを待っていたわけではなく、不意打ちのように訪れる。 だがそれは主体を脅かすことはない。私にとってより印象的なのは音楽が静まって後、コーダに至るまでの和声進行のプロセスだ。 まるで一旦、回り道をしてからようやくゆっくり、ゆっくりと状態を元に戻すような感覚。 でも実はそこは出発点ではない。元には戻らない。そこはすでに異なる相であり、最後は何とニ長調に到達するのだ。 そしてそれは確かに、後続する歌曲のト長調を用意する。

天国の生活というのは、ここでは恐らく、この世ならぬどこかでいつか実現されるものではない。日常のすぐ隣にあって、だけれども 気づかずにいる世界といった感じのものではないか。morendoという言葉に引きずられて、ここで生物学的な死を持ち出すのは 滑稽に感じられる。だが一方で、第9交響曲の世界と全く異質のものであるとも思えない。第9交響曲が「死」を「描写」したもの だというのがむしろ疑わしいのだ。マーラーの音楽にはどこかひどく受動的な、虚ろな時間の経過する瞬間がある。無意識という のではないし、眠りでもないが、意識がひどく不活発になる瞬間がある。何かが到来するのはきまってそういうときなのだ。 もちろん、ここで述べていることを殊更、神秘的に、形而上的に捉える必要はない。マーラー自身の言葉による説明を 探し求める必要もない。寧ろ自然主義的に意識の「外部」を問うべきなのだ。「子供の魔法の角笛」のある意味では物騒な 歌詞によってアイロニカルに暗示される「天国」もまた、第4交響曲においては自然主義的に解釈されるべき地点まで接近しているのでは なかろうか。マーラーのもともとの構想は、「天国の生活」を取り囲む器楽楽章をあらためて(というのは、第3交響曲からいわば 「はみ出して」しまったので)用意することにあったのだろう。だが出来上がった作品においては音楽と言葉のどちらがどちらの注釈なのだろうか。 こうした関係を前にして「標題音楽」か否かといった議論をすることに一体どういう意味があるのだろう。更に言えば、ここで第4楽章の 音楽は、この第3楽章のコーダに対してどのような関係に立っているのか。

第1楽章で予告される第5交響曲の葬送行進曲、第2楽章でスコルダトゥーラによって示される「背後の世界」、第3楽章の二重変奏が 持つ両義性、特に副主題の変奏部分が示す、しかも曲の経過に従って深まっていく闇は「天国の生活」とどのように関係するのだろうか。 そこに突然到来する転換は、その後のたゆといは本当に第4楽章への途、第4楽章を準備するものなのだろうか。 それらを経て「天国の生活」に「到達する」という説明は、音楽の経過を歪めた言い回しによって、その関係を捉え損なっている。 そう、第3楽章がニ長調で閉じたあと、再びト長調で始まるこの歌曲は、結局のところ現実のある相を示しているのではないか。 物騒さもイロニーも、それが現実であるとすれば納得がいかなくもない。勿論それは第6交響曲の現実とは異なった相の下にあるには 違いない。だが、この終楽章は超越とはおよそ無縁ではないか。確かにこの世の営み、世の成り行きはこの音楽の外にあると言えるだろう。 だが、この音楽はそれが外にあることを恐らく知っている。

こうしてみると、「天国の生活」がなぜ、前作からいわばはみ出てしまったのかを第4交響曲自体が端的に告げているように見える。 そこでは主体の位置の移動が、座標系の変換が起きているのだ。第1交響曲から第3交響曲までの作品の語りの空間の 原点の位置、楽曲の構成と叙述の構造の対応関係の要請が、「天上の生活」を位置づけ不可能なものとして追い出してしまったように見える。 詳細は各交響曲毎に記述されなくてはならないが、交響曲におけるフィナーレの問題を解こうとしたとき、遍歴の具体的な様相はそれぞれ 異なったとしても、遍歴した主体(マーラー自身である必要は全くないが)の現在をフィナーレの近傍に置かざるを得ない。実際、どこで語りの レベルが終わり、主体の場に着地するかは、各作品毎に違うものの、どの作品においても終楽章はそこから己の辿ってきた軌道を、 非可逆的な過程によって隔てられた絶対的な過去として顧みる。そうした時間性と「天国の生活」は相容れないのだ。もしかしたら 第3交響曲の構想の時点においてマーラーは、それを未来として構想したかも知れないし、それは論理的には必ずしも間違いではないのだが、 ただちにそれが不適切な構想、実現不可能であることに気づいたに違いない。ここでは未来は決して到達しないもの、極限であって、 仮象としてであれ、それを作品の最後に置くことは構想上不可能なのだ。

第4交響曲のあからさまな擬古典主義は、主体の移動、座標系の変換のための媒介として必要だったに違いない。そして第4交響曲と 第5交響曲とを比べた時、両者があたかも同一の点に向かって逆方向から辿っているような印象を覚える。第5交響曲が回顧的なのは、 逆向きに眺めているから眺望は大きく異なるものの、その結論が実は第4交響曲のそれと同じ場所であること、そこが主体の現在の場では ないことの現われなのだ。マーラーは第6交響曲において今度は第5交響曲の過程の出発点を座標の原点に取る。「この世の生活」が、 世の成り行きが、今度は語りのレベルでの回顧としてではなく、主体の現在の場となる。第4交響曲ではあるタイプの聴衆を困惑させ、 あるいは神経を逆撫でしつつ、擬古典主義の装いのもと、「天国の生活」の非-場所を正しく定位してみせたマーラーは、 第5交響曲ではまるで交響曲の歴史をパロディ化するかのように、今度は「苦悩から栄光へ」という図式を借りつつ、現在の場から非-場所を もう一度振り返ってみせる。もうマーラーは「天国の生活」を語ることはない。ひたすら語りの水準にのみあって、交響曲にはなれなかった 「嘆きの歌」の対蹠点として「第6交響曲」はひたすら現在の、主体の場であり、従ってこれが最も主観的であり、同時に交響曲的な 構想を持った作品になる。同様に第1交響曲のプロセスのネガが第7交響曲であり、それらの後では、第2交響曲は最早、第8交響曲の ような「突破」の瞬間の拡大としてしかありえない。一見すると二番煎じの嫌疑をかけられる第2部は、だが、第2交響曲のフィナーレとは 全く異なった時間性の下にある。「死」の捉え方は、そこではほとんど正反対といっても良く、これまた一見すると矛盾・対立しか 見出せそうにない第8交響曲と大地の歌の間には実は連関があるのだ。そしてその連関の下、第3交響曲の進化論は大地の歌の個人史に 転化してしまい、結局「天国」は第9交響曲のフィナーレで、今度は「音楽」そのものの彼方にしかないものとして示唆されることになるのである。

第4交響曲の「天国の生活」をイロニーとして受け止めていながら、一体どうすれば第9交響曲のフィナーレを「死の描写」とみなし、 「昇天」の音楽化などとして捉えることができるのだろうか。一見、説得力があるようでいて、第4交響曲の「天国の生活」をある意味では 「単純に」イロニー「としてしか」捉えない見方は、その背後にある屈折を無視している点では、それが批判しているはずの見方と同じレベルにある ということはないだろうか。第4交響曲の「天国の生活」が「子供が私に語ること」でありえなかったように、第9交響曲のフィナーレもまた 「死が私に語ること」などではないのだ。いずれもそうしたありきたりの「死」なり「天国」なりのイメージを拒絶しつつ、それぞれ異なってはいるものの、 いずれも彼方への視線の時間性を音楽として定着させているのだ。「標題性」の否定は決して表面的な事柄ではない。 内的なプログラム=標題が存在するという言葉を担保に、そうした「標題性」をもう一度正当化することは、音楽の具体的な様相をわざと陳腐で 平板な抽象によって図式化してマーラーの音楽の実質を損なっているに過ぎない。第4交響曲はそれ自身身をもって、そうした誤った抽象を 告発しているように私には思われる。

*   *   *

形式の概略(Philharmonia版ミニアチュア・スコア所収のもの)
第1楽章 提示部主要主題部137
副主題部3857
第1終結部5871
主要主題部の変形された再現(再現部ふう)7290
第2終結部91101
展開部102238
再現部239297
コーダ298349
第2楽章 スケルツォ主要主題部133
副主題部3445
主要主題部4668
トリオ69109
スケルツォ109200
トリオ201280
スケルツォ281329
コーダ330364
第3楽章 ロンド形式と変奏曲形式の混合 主要主題部161
副主題部62106
主要主題部の第1再現部と変奏107178
副主題部の第1再現部と変奏179221
主要主題の第2再現部(主題と変奏曲ふう)222314
コーダ315353
第4楽章 第1部139
第2部4075
第3部76114
第4部とコーダ115184

*   *   *

形式の概略(長木「グスタフ・マーラー全作品解説事典」所収のもの)
第1楽章(ソナタ形式) 呈示部鈴の動機「落ち着いて」13h
主題I「適度にゆったりと」47G
主題II817
主題I確保1821
主題III「新鮮に」2237-D
主題IV「幅広く歌って」3846
主題V4757
主題VI「突然ゆっくりと、落ち着いて(モルト・メノ・モッソ)」5872
鈴の動機7276h
主題I擬似再現「テンポI」7780G
主題II擬似再現8090G
主題VII「再び非常に落ち着いて、少し控えて」91101
展開部主題I・II展開「テンポI」102124h-e-C
<夢のオカリナ>「流れるように、しかし慌てることなく」125154A-e
主題I・II展開155166es
鈴の動機、主題I・II展開167184f
主題I・II展開185208b
主題II・III・<夢のオカリナ>によるクライマックス209220C
<小さな呼び声>(第5交響曲予示)221238
再現部主題I展開再現「再び冒頭のように、非常にゆったりと、くつろいで」239240G
主題II展開再現241251
<夢のオカリナ>、主題III並列251262
主題IV展開再現263271
主題V展開再現「大きな音調で」272282
主題VI展開再現「再び急にゆっくりと、落ち着いて」283297
主題I・II擬似再現298322
主題VII展開再現「落ち着いて、さらに落ち着いて」323339
コーダ340349
第2楽章(スケルツォ) スケルツォ部I導入「ゆったりとした動きで、慌てることなく」16c
A733
B3445C
A'4663c
後奏6468
トリオ部I第1部分「急がずに」6993F
第2部分94109
移行句109114c
スケルツォ部II導入「テンポI」115117
A118144
B145156C
A'157184c
B'185200C
トリオ部II第1部分「再びよりゆったりと」201253F
第2部分254275D
移行句「急がずに」276280c
スケルツォ部III導入「音を保持して(ソステヌート)」281282
A283313
B「テンポI」314329C
A'330341c
コーダ342364
第3楽章(二重変奏) 主題部A主題「静かに」116G
主題変奏確保1736
後奏3750
結部(永遠の動機)「控えて(リタルダンド)」5161
主題部B第1部分「よりゆっくりと」6275e
第2部分「流れるように」7692-d
後奏「再びもとのテンポで」93106
A変奏I主題変奏1「優雅な動きで」107122G
主題変奏2123142
主題変奏3143170
移行句171178
B変奏第1部分変奏「再び以前のように」179191g
第2部分変奏「流れるように」192211cis-fis
後奏212221
A変奏II主題変奏1「アンダンテ」222237G
主題変奏2「アレグレット・スビト(急がずに)」238262
主題変奏3「アレグロ・スビト」253277E
主題変奏4「アレグロ・モルト」278287G
「アンダンテ・スビト(まったく突然変奏の始めのテンポで)」(283)(287)
後奏「ポコ・アダージョ」288306
結部307314
突発的絶頂(第4楽章予示)「ポコ・ピウ・モッソ」315325E
コーダ326353-D
第4楽章序奏「非常にくつろいで」111G
歌詞第1節1239-a
間奏(鈴の動機)「突然新鮮な動きで」4056h-e
歌詞第2節「少し控えて」5775
間奏(鈴の動機)「再びいきいきと速く」7679h
歌詞第3,4節「テンポI」80114G-d
間奏(鈴の動機)「再びいきいきと速く」115121h
牧歌的間奏「テンポI」122141E
歌詞第5節141174
後奏175184

*   *   *

形式の概略:de La Grange フランス語版伝記第1巻Appendice No.1
1. Bedächtig. Nicht eilen くつろいで、急がずに提示13 導入(I) 3つのモチーフよりなる(フルートとクラリネット)e (h?)
431「適度にゆったりと」 3部分よりなる主題A (A:1-7, A':8-17, 将来のコーダの主要モチーフと展開部主題を伴うAの模倣:18-21, A'':22-31)G
3237「新鮮に」移行G-D
3857「幅広く歌って」 3部分よりなる主題BD
5871「いくらか流れるように」 主題C (終結)D
7276主題 1e
7790Tempo primo:非常に変形された主題A(擬似再提示)G
91101コデッタ「再びとても静かに」
展開102108Tempo primo:主題I /TD>e
109116主題A'e
117124主題Aa
125154「流れるように、しかし慌てることなく」新しい主題(Aのモチーフ(20小節)を用いており、フィナーレの主要主題を告げる)
155166主題IとA''の22小節の派生モチーフなどaes
167208主題I, モチーフA'',C,Aなどf-c-d
209220フォルティッシモのクライマックス:モチーフA''と移行句C
221238モチーフA'',I,トランペットのシグナル(マーラー自身が「小さな叫び」と名づけた)、Aの開始に戻るFis-C
再提示239253「最初と同様に」Aの再提示(A''の拡大モチーフとともに) がA''自体の1小節前から始まるG
254262移行G
263282「躍動して」:弦楽器のみによる主題BG
283297「突然再びゆっくりと」:主題C
298322モチーフI, A'',A,A'の断片
コーダ323340「静かに、さらに静かになる」 Aと展開部の新しい主題
341349「とてもゆっくりと、poco a poco stringendo」Aと移行句

2. In gemächlicher Bewegung. Ohne hast ゆったりとした動きで、慌てずにスケルツォ133 導入(ホルンで、4小節、後に各エピソード間の移行に用いられる)とAc
3445BC
4663Ac
トリオ641094小節のホルンの移行句(スケルツォの後奏であると同時にトリオの導入)、ついでCF
スケルツォ110144移行(ホルン:6小節)とAc
145156BC
157184A(1小節の導入の後)c
185200BC
トリオ2012532小節の移行、ついでC(変奏された)F
254275Cの展開D
スケルツォ2763135小節の移行、ついでAc
314329BC
3303646小節の移行、ついでA(半音階的転調)と導入モチーフから派生したコーダ

3. Ruhevoll 安らぎにみちて (Poco Adagio)124A(3部分の第1区分)G
2550A(第2区分)(ホルンとファゴットによる間奏を伴う)
5161A(最終区分)
6275B 「よりゆっくりと」(縮小された最初のバスのモチーフの断片とともに)e
7691変奏されたB(同じバス上で)(80小節は「子供の死の歌」第2曲「何故そのような暗い眼差しで」を先取りしたモチーフ)
92106B:主題のバスを変奏する第3セクション(コーダ)d
107130A「優雅な動きで」Aの第1区分の変奏(バスのモチーフが上声に現われる)
131150第2区分の冒頭の変奏、ホルンとファゴットからクラリネットへ、さらにファゴットに引き継がれる間奏とともにG
151178「非常に流れるように」Aの終りの自由な変奏
179191B「再び以前のように」:B(バッソ・オスティナートなし)g
192204「流れるように」:B、第2区分(フォルティッシモのクライマックス)cis
205221「情熱的に、やや急いで」:B、最終区分(コーダ)fis/Fis
222237A. Andante 3/4 :Aの第1変奏G
238262Allegretto subito 3/8:第2変奏G
263277Allegro subito 2/4:第3変奏E
278286Allegro molto 2/4:第4変奏、第1区分のホルンの間奏によって突然中断される(Andante subito)G
287314Poco Adagio : Aの終り(37小節から61小節)の変奏G
315325Poco piu mosso : fff :フィナーレの主要主題の金管での告知(Pesante)(すでに第1楽章の 展開部の主題中で部分的には聴かれたもの)E
326353コーダ: 上昇していく主題(AとBのモチーフに基づく)ト長調のドミナントで終止E-C-G

4. Sehr behanglich 非常に気楽に111最初の主題を提示する管弦楽の導入
1235主要セクションA、2つの部分(A,A')よりなる
3639「突然抑えて」:コラールe
4056「突然新鮮な動きで」:リフレイン(第1楽章ですでに用いられているものの展開)e
5771「少し抑えて」:対照的なパッセージBe
7275「再び抑えて」:コラールe
7679「再び生き生きと」:リフレインe
80105Tempo primo :セクションA(短縮された)とA'(展開された)G
106114「再び突然抑えて」:コラールd
115121「再び生き生きと」:リフレインh
コーダ122141Tempo primo :「終りまでとても優美で神秘的に」:Aに基づく新たな主題を提示する管弦楽の導入
142168主題A(変奏された)E
169174コラール(平行和音による和声付けなし)E
175184管弦楽による結び:ピアニッシモ
(2008.10.7~25, 11.16, 11.30, 2009.8.14 この項続く)

2008年10月6日月曜日

作品覚書(17)子供の死の歌

子供の死の歌は、その成立史にも関わらず、連作歌曲集として構想されている。時期的に近接する 同じリュッケルトによる歌曲が基本的にそれぞれ独立で、それゆえ選択も組み合わせも排列も自由で あるのと対照的に、子供の死の歌は、その中のある曲を単独で演奏することは原則として想定されていない のである。

ただし子供の死の歌の成立は、そんなに単純ではない。単純に成立順と排列が一致しないということではなく、 そもそも成立時期に分裂が見られるのである。一般には第1,3,4曲が1901年、第2,5曲が1904年の成立である とされるが、この年代を注意深く眺めれば、夏の作曲家マーラーにとって1901年の夏は独身最後の年であり、 要するに子供がいないのは勿論、結婚すらしていないという事実に思い至ることになる。他方の1904年の経緯 についてはアルマの回想が残っていて、アルマにより第6交響曲同様、預言的な作品と見做されることになる。 預言的というのは、1902年に誕生した長女マリア・アンナが1907年に猩紅熱とジフテリアの合併症で没して しまうことを指しているのだが、いずれにしても1901年に、それまでの「子供の魔法の角笛」による作曲のうちの 最後のもの(「少年鼓手」)とともにリュッケルトの詩に作曲しようとした理由のうちに、後の1907年の出来事に 繋がる何かを読み取るのは難しそうだ。リュッケルト自身は実際に子供の死を経験して400篇にもなる詩を 書き、それらを詩集「子供の死の歌」として1872年に出版したのだったが、マーラーがその詩を取り上げたのは 自分がかつて喪った弟エルンストの名がリュッケルトが喪った子供の一人と同じであったから、という理由づけは、 勿論否定しさることはできないにしても、控えめに言っても様々な動機付けの一部であった可能性がある、 といった程度のものと考えるのが穏当なところだろう。この夏にマーラーは、子供の死の歌に含まれる3曲だけではなく、 リュッケルトによる歌曲のうち「美しさゆえに愛するなら」を除く4曲もまた作曲しているのである。

だが更に問題になると思われるのが、3年の空白を経て2曲が追加され、最終的に連作歌曲集として 編まれることになったこの作品の内的なコヒーレンスの方である。この後マーラーは、実際の子供の死を経たのち、 最後の連作歌曲集「大地の歌」に取り組むことになるのだが、「大地の歌」の楽章排列には、単に楽曲形式の 水準のみならず、死の受容という心理的なプロセスとしてのリアリティが備わっているのに対し、この 「子供の死の歌」の排列はどうなのか、というのがここでいうコヒーレンスの問題の在処である。例えば調的 配置を確認してみれば、ニ短調で開始される第1曲に対して長大な第5曲もまたニ短調で開始され、 終曲の子守歌は同主調のニ長調で全曲を閉じることになる。中間の3曲はハ短調、ハ短調、変ホ長調であり、 4曲目は2,3曲目の並行調であることになる。もっとも第4曲の調性感は不安定で、長調と短調の間を 揺れ動く印象が強い。詩の内容上の様々な「光」の移ろい、地上と天上、屋外と室内の対比は 一層興味深いし、そこにはプロセスが読み取れるように感じられるが、その質は「大地の歌」のそれとは 随分と異なるもののように思われるのである。(2008.10.6 この項続く)


形式の概略(長木「グスタフ・マーラー全作品解説事典」所収のもの)
1.今や太陽はああも晴れやかに第1節前半「ゆっくりと、憂鬱に、ひきずることなく」124d
第1節後半、第2節前半2547
間奏4858
「少しより動いて」5967
第2節後半「テンポIに戻って」6884
2.いまにしてよくわかる第1節「落ち着いて、ひきずることなく」121c
第2節2237Es
第3節「テンポI」3853D
第4節5474Ges
3.おまえのやさしい母さんが第1節「重く、虚ろに」132c
第2節「冒頭のように」3370
4.よく思うのだが第1節「落ち着いた動きで、急ぐことなく」123Es/es
第2節2446es
第3節4771
5.こんな天気になるのなら前奏「落ち着きなく、痛々しい表現で」117d
第1節1832
第2節3351
第3節5274g
第4節75100
第5節「ゆっくりと、子守歌のように」101139D

2008年10月5日日曜日

作品覚書(9)第9交響曲

第9交響曲の第1楽章の形式は非常に不思議なものだ。少しでも文献を渉猟したことがある人なら、 それが専門家の間でも議論の的であり、様々な分析がなされてきたことを知っているだろう。 ここに至って、ソナタ形式は単なる形式構想上の出発点でしかなくなる。勿論、結果的に形作られた 音楽にソナタ形式の痕跡を認めることはさほど困難ではない。今を遡ることもう30年近く前に初めて この音楽を聴いた時、勿論スコアもまだ見ることはなかったけれど、それでも、108小節の複縦線(ここは ソナタ形式であれば提示部の末尾に相当する)ははっきりと聴き取れたし、練習番号15番から あの葬送行進曲の部分を経て347小節に至る再現プロセスも聴き取ることができた。 主題と副主題の性格的な対比は伝統的なソナタのそれとは随分と異なるものではあるけれど、 いわゆる二元論的な相克が音楽を進めていく原理は感じ取ることができた。だから、私にとって、 この楽章は聴きはじめからソナタ形式の拡張として把握されていたことになる。

だが、その一方で、この音楽を或る種の意識の流れとして聴く姿勢もまた並行して存在する。 そして一層興味深いのはこちらの展望の方だろう。というのも、この楽章に関して言えば、 無定形で脈絡のない意識の流れが、ソナタ形式という枠組みに押し込まれることによって 芸術作品としての美を備えるに至った、というような単純な図式は成立していないように思われたからだ。 ここで私が連想したのは、第6交響曲のフィナーレだった。後で、よりによってかのエルヴィン・ラッツが この2つの楽章を特に形式分析の対象として取り上げたこと知って些か面食らいはしたものの、 そうした事情とは関係なく、形式分析というよりは、音楽の経過に素直に(そう、アドルノではないが、 小説でも読むように、という言い方が適切だろうが)従って聴いたときの経過の様相に、どことなく 接点があるように感じられたのである。

それはごくおおざっぱな言い方をすれば、音楽の心理的な緊張と弛緩の交代の図式と、 緊張が解放される仕方についての印象に基づくと言えるだろう。いわゆる形式分析から離れて、 音楽が崩壊していく瞬間ということであれば、第9交響曲の第1楽章なら、まずは既述の 2箇所、即ち108小節に至る箇所、そしてベルクの評言でも有名な314小節に至る箇所、 そしてそれに加えて、練習番号11番の202小節の部分を挙げることができるだろう。

*   *   *

式の概略(長木「グスタフ・マーラー全作品解説事典」所収のもの)
第1楽章(ソナタ形式)導入部16D
呈示部第1主題呈示726
第2主題呈示2746d
(第3主題呈示)(39)(46)
第1主題呈示展開反復4779D
第2主題呈示展開反復「ややいっそう新鮮に」80107B
「流れるように」(86)(91)
(第3主題呈示展開)「アレグロ・モデラート」(92)(107)
展開部前半導入「テンポI スビト」108147
第1主題展開「テンポI」148173D-B-Es
第3主題展開「凶暴に アレグロ・リゾルート(速すぎずに)」174210g-G-Es
第2主題展開「情熱的に」211233b
第2主題展開「突如よりゆっくりと(必要なかぎりゆったりと)」234253D
(《告別》引用)(245~)
展開部後半導入「影のように」254266
第1主題展開「テンポI アンダンテ」267284
第2主題展開「より動きをもって(クワジ・アレグロ)」285308H-As
第3主題展開「ペザンテ(非常に力強く)」308316H
結部(重々しい葬列)(絶大な威力をもって)314336
再現部導入337346D
第1主題展開再現347371
第2主題展開再現372397d
カデンツ挿入「突如はっきりと遅くして(レント) 静かに ミステリオーソ」(376)(390)
第3・第2主題展開再現「よりいきいきと」398408D
コーダ(消え入るように)409454
第2楽章(ロンド風の舞曲)レントラーI 「ゆったりとしたレントラーのテンポで(テンポI )いくぶんぎこちなく非常にぶっきらぼうに」189C
ワルツ90217E-Es
(レントラーI 挿入「同じテンポで」)(168)(217)
レントラーII「テンポIII(レントラー、きわめてゆっくりと)」218260F
(レントラーI 挿入「ア・テンポ・ピウ・モッソ・スビト(テンポI )」)(230)(251)
ワルツ「テンポII(しかし始めよりいくぶん速めて)」261332D-C
レントラーII「テンポIII(レントラー、きわめてゆっくりと)」333368F
レントラーI 「テンポI(始めのように)」369403C
ワルツ「次第にテンポII(ワルツ)へ」404552
「テンポII」(423~)Es
「さらに少しより新鮮に」(486~)B-C
レントラーI 「テンポI スビト(始めのようなレントラー)」523621C
ワルツ(578~)
第3楽章(ロンド形式)導入部 「アレグロ・アッサイ きわめて反抗的に」16a
主部I7108E-Es
(対位的展開〔3声〕)(79~)d
副次部「そのままのテンポで」109179F
(対位的展開〔主部動機介入〕)(157~)
主部II 「やはりそのままのテンポで(急がずに)」180261as-a
(対位的展開〔二重フガート〕)(209~)
副次部II (対位的)「そのままのテンポで」262310A
主部III (対位的)「やはりそのままのテンポで」311346cis-As
エピソード(少し落として)347521D
(諧謔的)(446~)
主部IV 「テンポI スビト」522616a-D-a
(対位的展開)(584~)
コーダ「ピウ・ストレット」617667C
「プレスト」(641~)
第4楽章(二重変奏)第1部分導入部「非常にゆっくりと、そしてさらに控えめに」12Des
主部「モルト・アダージョ」327
副次部「突如再び非常にゆっくりと(始めのように)そして少し控えめに」2848cis
第2部分主部変奏「突如モルト・アダージョ」4987Des
第3楽章引用(394~409)「再びかつてのテンポで」(73)(76)
副次部変奏「常に非常に抑えて」88107cis
第3部分主部変奏「より流れるように、しかし急がずに」107125-Des
第1楽章リズム引用(122)(124)
導入部(124)(125)
第4部分主部変奏「テンポI、モルト・アダージョ(始めよりさらに幅広く)」126147
(消え入るように)148158
コーダ159185

*   *   *

形式の概略(de La Grange 英語版伝記第4巻Appendix 1Bb/フランス語版伝記第3巻Appendice)
1. Andande Comodo導入16Motifs i1,i2,i3,i4,aAndante ComodoD
呈示726Theme A(A1 i2, a, A2)
2746Theme B(B1, B2, f)d
4779Theme A'(A2', i2', i3 A3, A2'', i2', s, a)D(B)
80107Theme B'(B1', f, i3, B2', f')Etwas frischer / Flissend / Allegro moderato / AllegroB
展開108129Introduction Motifs i1, i2, i2', f, sTempo I subitoGis
130147i2, i2', A3', a, Fragments of APlötzlich mässig und zurückhaltendg
148173Var. of A2, A3, i2', f''Tempo I / Allmählich fliessenderD, B, G
174210Var. of f, B1, B2', s, i2Mit Wut / Allegro risolutoc, d, g, d
211233B1, B2, f (devel. polyphon., strings)Leidenschaftlichb
234253Transition (var. of f, B2, B1, a)Plötzlich langsamerD
254267Fragments, i4', a'Schattenhaftes/D
268284Var. of A2, i2', i3, s, B2'Tempo I, Andante / Etwas fliessenderD, B
285311Dev. of B1, f, B2'Bewegter / Pesante (Höchste Kraft) / SchattenhaftB
312336Retransition i1, i2, a, s' / Funeral march I2, f, sStringendo / Wie ein schwerer Kondukt
337346Var. of Introduction : i2, i2', s, i3, aD
再現347371Theme A'' (Var. of A1, A2, A3, i2', s, a)Wie von AnfangD
372397Theme B (Var. of B1) / B1 and f material treated soloisticallyNaturlaut / Plötzlich bedeutend langsamer (lento) und leised
398405Var. of f, B1Etwas belebter / GehaltenD
コーダ406433Var. of B2', f, i3, a, ASchon ganz langsam / sehr zögend, etc. / SchwebendD
434454Fragm. of A, i4, aWieder a tempo (aber viel langsamer als zu Anfang / Zögend
2. Im Tempo eines gemächlichen LändlersSection A19Introduction Motifs a1, a2Im Tempo eines gemächlichen Ländlers. Etwas täppisch und sehr derbC
1079Main Part Theme A (a1, variants of a2, A)SchwerfälligC
8089Codetta Fragments, variants of A, a1, a2C
Section B90147First Part B, b1, b2Poco più mosso subito (Tempo II)E
148167Second Part B1, b3Es
168217Third Part a1, a2, b1, B1, b2Immer dasselbe Tempo (II)Es, modulating
Section C218229First Part C, variant of ATempo III (Ländler, ganz langsam)F
230251Second Part A, variants of a2 and Ca tempo più mosso subitoA
252260First Part returns C, variant of Aa tempo, (langsam wie vorher) / FließendF
Section B'261312First Part B', and variations, b3A tempo II (aber etwas schneller als das erstemal) / FließendD
313332Second Part b1, b2Noch etwas lebhafterC
Section C'333368C, variants of A and CTempo III (Ländler, ganz langsam) (with two major rit. and one stringendo)F
Section A'369383Introduction a1, a2Tempo I (wie zu Anfang)C
384404Main Part A, b3, a1, a2
404422Transition b1, b2Allmählich in Tempo II (Walzer) übergehenmodulating
Section B''423444Second Part B1, b3, b1Tempo IIf, Es
445486Devlopment b1, B1Ges, Es
487515First Part B' and variationsNoch etwas flischer / Allmählich etwas eilend, doch nie überhetztB
516522Codetta C and a2 variantsC
Section A''523577a1, a2, A variants b2, b3Tempo I, Subito (Ländler wie zu Anfang)C, c
Coda578621b3, A, fragment from B1, a1, a2Nicht eilen nis zum Schluß etc.c, C
3. Rondo BurleskeIntroduction16a1, fragment of a3Allegro assai. Sehr trotzig 2/2ces
Refrain IStrophe 1722A1 (a1, a2)a
2343Interlude, developmental (fragments of a1)C
Strophe 24463A1/1 (a1, a2, quote of b1)a
Strophe 36478A2 (a3, with fragments of a1 and b1)a
79103A1/2 (a1, a2, fragments)a
103108Transitiond
Episode IStrophe 1109146B1, B1/1 (b1)L'istesso tempo 2/4, Crochet = previous MinimF
Strophe 2147157B1/2 (b1)F
158179B2 (b2, b1)D
Refrain IIStrophe 1180197A1/3 (a1', fragment of a2)Sempre l'istesso tempo 2/2; Minim = previous Crochet : Nicht eilenaes
Strophe 2198208A2/2 (a1, a2)a
Strophe 3209226A1/4, A1/5 (a1, a2 and its inversion)d, a
Strophe 4227251A1/6, A1/7, A1/8 (a1, a2)d, a
252261Transition
Episode I'Strophe 1262286B1/3, B1/4 (b1)L'istesso tempo 2/4, Crochet = previous MinimA
Strophe 2287310B2/2 (b1)A
Refrain III311346A1/9, A1/10, A1/11, A1/12 (a2', a1 material, quote of c)Sempre l'istesso tempo 2/2; Minim = previous Crochet : Nicht eilencis, aes, es, b
Episode IIStrophe 1347351Transition (a2')d
352371C1 (c, a2')Etwas gehalten 2/2D
372391C1/2 (c)d/D
392441C1/3, C1/4 (c)Mit grosser EmpfindungD
Strophe 2442457c, a1, a2' fragmentsd/D
458468c, a2'Nicht eileng/G
469479c, a1, a2h
480505c elementsH
596521a1, a2, a3 fragments, trantitionalC modulating
Refrain IVStrophe 1552541A1/13 (a1, a2, b1 quote)Tempo I subito 2/2a
Strophe 2542560A2/3, A2/4 (a3)a, e
561583Interlude, developmental, a fragmentsC modulating
584616A1/14 (a2, a1 and development)d modulating
Coda617640A1/15, A1/16 (a1, a2 fragments)Più strettoa
641667A1/17 (a1, a2 fragments)Presto (3-taktig)a
4. AdagioFirst Part12IntroductionSehr langsam und noch zurückhaltendDes
Theme A3101st strophe, A1A tempo (Molto Adagio)Des
1112Motif b1Des
13162nd strophe, A2Straffer im TempoDes
17231st strophe variant, A1/1Fliessend
2427CodettaEtwas drängend
Theme B2848b1, b2, b3Plötzlich wieder sehr langsam (wie zu Anfang) und etwas zögendcis
Second PartTheme A49551st strophe, variant A1/2Molto adagio subitoDes
56632nd strophe, variant A2/1Pesante
64721st strophe variant, A1/3A tempo (Molto adagio) / Etwas drängend
7387Codetta 2 (Fragment of A in B's polyphonic styleWieder altes Tempo
Theme B288107b1, b2, b3Stet seht gehaltencis
Third PartTheme A1071132nd strophe, variant A2/2Fliessender, doch durchaus nicht eilendFis
114117A1 elementsNun etwas drängendH
1181222nd strophe variant, A2/3Sehr fliessend / PesanteDes
123125Variant of IntroductionWieder zurückhaltend
Fourth PartTheme A1261321st strophe variant A1/4Tempo I. Molto Adagio (noch breiter als zu Anfang)Des
133137Codetta variant
1381471st strophe variant A1/5
148158Codetta variant A1 and A2 elements
Coda159161fragments of b1 and A2AdagissimoDes
162178A1 and A2 fragments and of 4th KindertotenliedLangsam und ppp bis zum Schluss
179185Mostly gruppettoÄusserst langsam

(2008.10.5, 11.30 / 2009.4.29この項続く。)


作品覚書(7)第7交響曲(2024.1.1 更新)

第7交響曲についてはいつもあの悪名高い第5楽章、ロンド・フィナーレが話題になる。最近ようやく、例えばバロック様式の組曲のように、 あるいは多楽章よりなる器楽的ディヴェルティメントとして聴けばよいではないか、「苦悩から歓喜」へ的な心理的な線形的発展が どうして金科玉条のように価値判断の基準になるのか、という異論が提示されるようになり、ようやく第7交響曲の独自性を捉えた位置づけが 行われるようになってきたかに見えるが、寧ろそうした意見は専門の研究者ではなく市井の愛好家からよりはっきりと聞こえてくるように 見えるのは気のせいだろうか。パロディか否かとか、メタ音楽であるとか、果ては「最も悲劇的なハ長調交響曲」だのといった アプローチは、一方で標題音楽としてこの曲を扱うことを拒絶しつつ、暗黙の裡に想定された規範に対する逸脱、意図された失敗に よる規範への死亡宣告といった、同工異曲のレトリックで溢れかえっている。挙句の果ては、そうしたレトリックを外から(そう、私には 外からにしか見えない)作品に押し付けることで、己の解釈の説得力の無さを正当化するような演奏がもてはやされるといったことが、 この作品に対しては平気でまかり通っているようなのだ。

他の専門家の評価に従えば「出来の良い」らしい作品に馴染む前に、この曲に虚心坦懐に接し、第7交響曲の他ならぬ全体に 魅惑された子供は、そうした風景を訝しく思うだろう。そうした子供が30年を経て、いまだにその懐疑を抱懐し続けているのは、その かつての子供が年甲斐も無く愚か者だからなのだろうか。もしあなたが、その通りとお思いなら、この文章を読み続けるのはお止めに なるのが良かろう。この文章はまさにそうした愚か者の一人が書いているのだから。

まずもって、マーラーが意図したことの水準でそうした事態が想定されていたか、それはまず「意図」に対する裏切りではないか、 という疑問を持つ「素朴な」愛好家がいても不思議はない。だが昨今、作者の意図はすっかり権威を喪い、作品は二重の 意味合いで死亡宣告を受けた作者の手から自由になり、後世の人間が勝手に「誤読」して差し支えないものになっているらしいので、 今時、マーラーの気持ちなど慮る奴は馬鹿だということになるのだろう。そうなればあとは「机の叩き合い」である。マーラーも 意識していたように、音楽作品は解釈されることなく実現されることはない。言語コミュニケーションの理論としては随分と大胆な デイヴィッドソンの根源的解釈も、ここではコミュニケーションについての古典的なモデルを背景にしているという廉で中途半端なものと して指弾されんばかりの状況が音楽の解釈には存在する。当座理論すら不要の、解釈内部での整合性ならまだしも、レトリックの 切れ味や外部の社会的・文化的・政治的などなどの状況への気の利いた参照によって解釈の評価がなされているようにすら見える。 結構。フィナーレの末尾の終止は、その後のハリウッドのクリシェになったのは事実かも知れない。だが、だからどうしたというのか。 この作品を聴くためにはハリウッドで量産された映画とその音楽を聴かないといけないのか。それは音楽業界にいる「あなた」の 展望であって、私のそれではないと言ってみたくもなる。そうした言説を権威付けするのは、発言者が市井の愛好家、素人ではなく、 聴取のエキスパートでもある音楽の専門家だからなのだろう。であれば、そうした権威はこの世のどこか他所のもので私には (幸いにも)関わりのないものなのだろう。件の発言をした専門家がどのようにマーラーを聴いているかは詳らかにしないが、別に 知りたいとも思わない。彼はもしかしたら、自分に関わりのある音楽が置かれた「悲劇的」状況について言及しているのかも 知れないが、失礼ながらそれは私には関係がないことだ。少なくとも私の狭くてちっぽけな音楽の空間、脳の中には、 そうした言説を受け容れるだけの容量がないのだけは確かなようだ。そんなことに関わるより、自分が解かなくてはならない問題、 謎は幾らでもあるのだし、時間も(特に)自分の能力も限られているのだから。

だが、例えばこれまたパロディーの、メタ音楽の嫌疑が濃厚なはずの第5交響曲のフィナーレが物議を醸すことはずっと少ないのは どうしてなのか。第5交響曲については、あのクレンペラーのある意味痛快な罵倒を思い浮かべていただいてもいい。そのクレンペラーは 第7交響曲は取り上げていているし、第4交響曲すら取り上げているのだ。そしてその選択の結果がどうであったかは恐らく論を俟たない。 あるいはバルビローリの第5交響曲と第7交響曲の演奏を比較してみると良い。そこでは第5交響曲はほとんど退嬰的と言いたくなる ような、寧ろ停泊地のような印象の音楽になっているのに対して、第7交響曲では全体のコヒーレンスの強さが際立っている。 バルビローリは、いわゆるマーラー解釈の「伝統」からは比較的自由だったし、「血の共感」のような思い入れもなく、客観的にマーラーの 音楽を眺めることができたし、今日の優秀で頭脳明晰な指揮者のように、この曲を巡る膨大な言説に囲繞されつつ自分の解釈を 練り上げるといった「悲劇的な」状況にはなかった。このモノラルの一発取り、マーラーを弾きなれていない混成オーケストラによる ミスもあれば今日的には技術的には不満だらけに違いない演奏記録は、だが、私の最初の聴経験を裏切らない。この演奏記録を四半世紀の 後に聴いた私は、かつて読んだマイケル・ケネディの第7交響曲についての、とりようによっては能天気と思えるほど異様な評言が、 非常に具体的な聴体験に裏付けられたものであることを理解した。勿論この音楽は「闇から光へ」などといった言葉で要約できるような 単純なものではないし、あるいはまたフローロスのようなアプローチでプログラムを再構することの意義も疑わしいものだと思うが、その一方で アドルノ以来、この音楽に対して向けられ、この音楽についての言説の大きな領域を跋扈している様々なレトリックの方もまた、 まるまる間違いであるとはいえなくても、この音楽の実質に釣り合わないものであるのは確かなことに感じられるのだ。 (2008.10.5 この項続く)

私見では、第7交響曲に見られるこうした或る種「開けっ広げ」で冗談とも本気ともつかない手に負えない陽気さはマーラーその人の性格の一部なのだし、実際、ナターリエ・バウアー=レヒナーやアルマによる回想録の中にそれを彷彿とさせるエピソードの類を見出すことはそれほど困難ではなさそうに思われる。そしてそのようなマーラーが構築し、制作する「世界」は、まさにこの第7交響曲のような、万華鏡のような多様性に富んだものであるに違いなく、そういう意味では寧ろ一貫しているように感じられてならないのである。まさにカーニバル的と呼ぶに相応しい様相を呈するフィナーレを含み、 バロック的なフランス風序曲を下敷きにしながら、四度音程の積み重ねによって新ウィーン楽派にも通じる第1楽章、 谷間を隔てて呼び交わすホルンやカウベルが鳴り響く中、古風な夜の音楽の断片が交錯する第1夜曲、 バルトーク・ピチカートの先駆けさえ厭わないグロテスクで「影のような」中間のスケルツォ、ギターやマンドリンを コンサートホールに持ち込んでの第2夜曲でのセレナーデの追憶からなる遠心的な構成を備えた第7交響曲は、一見すると様々な文化に属するジャンルが無秩序に混淆しているようにさえ見えるが(そしてそれが批難や嫌悪の原因となるわけだが)、ポリフォニー性のみならずカーニバル性も含め総じてバフチンが小説というジャンルに見出す 「対話」的な構造とパラレルな構造を備えており、バフチン的な意味合いでの「対話的」な作品と見做すべきなのではないか?そして更にそれもまた、ヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハの「パルチヴァール」からはじまって、 スターンの「トリストラム・シャンディ」、セルバンテスの「ドン・キホーテ」、更にはスターンの流れのドイツにおける継承としてのジャン・パウルの作品(「巨人」 「生意気盛り」「ジーベンケース」など)、メタ小説的な趣向に事欠かないホフマン(「牡猫ムルの人生観」を思い浮かべて いただきたい)、更にはマーラーの読書の中核であったらしいゲーテの作品、そして掉尾を飾るのは何といってもバフチンがポリフォニックな 小説の典型と見做し、「ドストエフスキーの詩学の諸問題」で主題的に扱っているドストエフスキー(特に「カラマーゾフの兄弟」)と いった具合に、ポリフォニー性の高い作品が一貫して好まれているマーラーの読書傾向を思い浮かべてみるならば、マーラーその人の身体感覚に根差した、根源的で一貫したものであると考えるのが自然に思えるのである。(2024.1.1追記)

*   *   *

形式の概略(長木「グスタフ・マーラー全作品解説事典」所収のもの)
第1楽章(ソナタ形式)序奏7度動機呈示「ゆっくりと(アダージョ)」118h
行進曲主題呈示「少し速めて」1926gis
主部主題予示「ひきずることなく」2731es
冒頭回帰(主部主題)「テンポI」3238h
主部主題予示「(少しずつ)せきこんで」3944
経過句「より速くせきこんで」4549
呈示部主部「アレグロ・リソルート、マ・ノン・トロッポ」50109e-H-e
経過部110117
副次部118133C
結部134144G
展開部主部展開(反行で開始)「テンポI」145173e
主部・下降動機展開「モルト・ペザンテ・エ・ミズラート」174195
副次部展開「モデラート」196211-H
主部・副次部展開「再びテンポI」212227h
主部(反行)、行進曲228244C
主部、ファンファーレ導入245257G
ファンファーレ「少しゆっくり」258265Es
主部・副次部展開「ただちにアレグロI」266297G
ファンファーレ「いくらか荘重に」298316g-es
主部・副次部展開「非常に幅広く」317337H
再現部導入部再現・副次部主題「アダージョ(導入部のテンポで)」338372
主部再現「マエストーソ アレグロ・コメ・プリマ」373464e-H-G
副次部再現465486
結部487522e
コーダ523547e-E
第2楽章(ふたつのトリオを持つ行進曲)導入「アレグロ・モデラート」129C/c
主部IA「ただちにテンポI、モルト・モデラート(アンダンテ)」3047C/c
B「急がずに」4861c
A6282C/c
トリオI「同じテンポで」83121As
主部IIエピソード(遠くの音)122140C/c
A「控え目に」141160
トリオIIトリオ部「少しゆっくり」161178f
導入部挿入179188c
トリオ部189211
経過部(主題B)212222
主部IIIA223244C/c
B245261c
トリオI262294As
主部IV295317c
コーダ(導入部)318343
第3楽章(展開部を伴うスケルツォ)主部I導入部「影のように 流れるように、しかし急がずに」112d
第1部分1337
第2部分「嘆くように」3853
第3部分「いくらか軽快に」5471D/d
導入部(変形)7285d
第1部分(変形)86106
第2部分(変形)「嘆くように」107115
第3部分(変形)116159D/d
結部 移行句160178
トリオ第1部分179187D
第1部分(変形)188209d
第2部分210246D/d
第3部分247260
主部II第1部分(変形)「冒頭のように」261276
第2部分(変形)277292es
導入部「再び冒頭のように」293312d
第1部分(変形)313344
第2部分(変形)「嘆くように」345360
第3部分(変形)「より軽快に」361380D/d
展開部第1~第3部分展開381400b
導入部401404d
第1部分405416
第3部分「荒々しく」417423D/d
トリオ挿入 第1部分424444
第2部分445463
第3部分464/TD>473
(結部)474504
第4楽章(展開部を含む3部形式)主部反復音型呈示「アンダンテ・アモローソ」14F
伴奏型呈示47
第1部分A823F/f
反復音型+伴奏型2327F
第2部分B「控え目に」2835
反復音型+伴奏型3541
第3部分A13851
反復音型+伴奏型5155
第4部分C「グラツィオシッシモ」5675
第5部分A2+C7284
伴奏型8598
展開部第1部分(A2音型)99125
第2部分(A,C)126165As
第3部分「再びア・テンポ」166186Ges
(伴奏型)(170)(173)
トリオ第1部分187210B
第2部分211227Ges
第3部分228258F
再現部反復音型「テンポI」259263
第1部分(A)264283F/f
(伴奏型)(282)(283)F
第2部分(B)284292
反復音型+伴奏型292300
第3部分(A1)295310
第4部分(C)311331
第5部分(A2+C)332353
コーダ(A+伴奏型)354390
第5楽章(ロンド形式)主部Iリズム・音型呈示「テンポI(アレグロ・オルディナリオ)」16C
ロンド主題呈示a「マエストーソ」722
ロンド主題呈示b「ペザンテ」2352
エピソードA1「(テンポI・オルディナリオ)」5378As
主部IIa7986C
b「テンポII(アレグロ・モデラート・マ・エネルジコ)」8799
エピソードB1「グラツィオーソ」100119-D
挿入句「ペザンテ」(116)(119)
主部IIIa「テンポII(ペザンテ)」120135C
b「荘重に」136152
エピソードA2「少し控え目に」153156
B2「より荘重に」157188/TD>
挿入句「ペザンテ」(186)(188)
主部IVa「テンポI」189196Des
b「テンポII」197209C
エピソードA3「急がずに、適度に荘重に」210219
B3「グラツィオーソ」220268A-Des
挿入句〔ペザンテ〕の展開「流れるように」(249)(268)A
主部Va「テンポI」268290C
b「テンポII」291308A-Ges
エピソードA4309359
主部VIa「テンポI」360367B
挿入句〔ペザンテ〕の展開(テンポI)368402
エピソードB4402445-C
挿入句「ペザンテ」(443)(445)
主部VIIa(テンポIII)446454D
第1楽章回想「ひきずることなく」455516d-cis-c-b-Des
挿入句「ペザンテ」(486)(491)
主部b「幅広く」(500)(505)
エピソードB(506)(516)
エピソードB5517538C
主部VIIIa539553
b554557
結部a558590

*   *   *

形式の概略:第1,3,4,5楽章(Hans Swarowskyの分析に基づく):Henri Louis de La Grange, Mahler vol.2, pp.1188--9, 1195--6, 1198, 1202--4所収のもの
1. ゆっくりと、Allergo risoluto, ma non troppo導入セクション1119主題I、その最初の数小節の再提示が続くH/h
1926移行主題(I')
セクション22739主題I''(Aを予示)es
3949移行(Aの第2節とI'')h
提示5075主題Ae
7680移行(4度のファンファーレ、リズムとBの告知)D
8098主題A'H
99117移行(A,A')e
118133主題BC
134144終結主題(C:I'参照)G
展開セクション1(提示部の変形再現)145173(A)e
174185(A'+I)H
186195移行(A'+I,Aの転回)
196211(BとA'')
212227移行(A,A',I')
セクション2(組み合わせ)228244(I,A,B,I')C
245257(I,I',A',B,ファンファーレ)G
258283(I',A,A',B,ファンファーレ)Es,G
284297(A,I')
298316(I,A',I',ファンファーレ)es,A,h
317327(I,I',A,A',B)H
328337(I',A',B)
セクション3(移行としての導入の再現)338353セクション1(I,A,B)C
354372第2部分(B+I,I',A+A')h/H
再現373426主題Ae/E
427449主題A'H
450464移行(A,A')
465486主題BG
487494主題C(I')E
コーダ495511(I'',A)e
512522(A)
523547(A,A')e/E
3.影のように。流れるように、しかし早くなくスケルツォ71小節112導入
1323要素A
2437要素A'
3853要素B(Aとともに)
5465要素B'
6671B+B'
107小節7285導入
8696A
97107A'
108115B
116127B'
128159B+B'
160178移行
トリオ82小節179188T1
189209T2
210246T3
247260T4
スケルツォ再現140小節261292移行
293312導入
313333A
334344A'(Aとともに)
345360B
361372B+B'
71小節7285導入
8696A
97107B'+T4
108115T2
116127T3
128159T4
33小節160178コーダ
4.夜曲セクション113リフレイン
47伴奏
816主題A
1722A(変奏された再現)
2325リフレイン(終結)
2627伴奏
2834主題B
3537リフレイン
3850A
5253リフレイン
5455伴奏
5675主題C
7684A(+C)
8592A(変奏された再現)+C
9398伴奏(終結)
セクション2(新しい素材を伴う展開)99113主題D
114125展開されたA
126149(A+C)Aes
150157(A+C)f
158165(C)Aes
166169(A)Ges
170175伴奏(終結形)
176186主題D
187194E1B
195210E2h
211227E3Ges
228235E1F
236243E3
244251E2
252258再現への転調
セクション3(再現)264272A
273278A(変奏された再現)
279281リフレイン
282283伴奏
284291B
292294リフレイン
295306A(転回)
307310リフレイン(変奏、拡大)
311331C(変奏、クレッシェンド)
332340A
341353A(変奏、転回+C)
354362A(終結形)
5. Rondo-Finaleリフレイン116導入:I1(1~3), I2(2~4), I3(5,6)Tempo primo (Allegro ordinario)e
714主題A:要素A1MaestosoC
1522主題A:要素A2(弦とホルン)および要素A3(木管)
2337主題A:A'1(23~26), A'2(27~30)とA'3(31~34)よりなる
3852終結(I1,I2,I3,A2)
クープレI5378主題B(第3小節:I2)Sempre l'istesso tempo, 気楽にAes
リフレイン:変奏I7986(A2,A3)C
8799A' 組み合わせ1(A'1, A'2, A'3, I3)拍をとって、急がずにD
100105E/組み合わせ2(E1, A1)Grazioso 2/2D
106119A'/組み合わせ3(A'2, A'3, A'4, I1/1'3)急がずに
リフレインII120127A12/2C
128135A2
136142A'1, A4, A'3拍をとって
143152I3, A急がずに(しかしまだ2/2で)
クープレII153188B少し控えめにa
リフレイン:変奏II189196A2,A3(導入のように)4/4C
197209組み合わせ1a(A'1, A'2, A'3, A'4, I1)Tempo II. 3/2と2/2
210219A'/組み合わせ1b(A'1+B)急がずに、きちんと拍をとって、2/2
220230E/組み合わせ2a(E1)Grazioso 3/2D
231240E/組み合わせ2b(E2, B, E1/A3)きちんと拍をとって、Quasi Andante
241248E/組み合わせ2c(E2, B, A'1, E1, A'3)Grazioso 再び抑えてDes
249259A':組み合わせ3a(A'1, I1, A'2)流れるように、2/2と3/2D
260267A'/組み合わせ3b(移行)気付かれないように切迫して、3/2
リフレインIII:展開268277A1, E3, A'1, I1Tempo I(Tempo Iの4拍を2拍として)、2/2, 3/2, 4/2C
278290A2, A'1, E1, I1一層流れるように
291306A'/A1, E1, A'1, A'2, A'3, A'4, I1, I2Tempo Primo 4/4A
クープレIII307331B(A3, I2などとともに)Ges
332359Id
リフレイン:変奏III360367A1Tempo I subitoB
368389A'/組み合わせ1a(A', E4, A'2)Sempre l'istesso tempo. 2/2
390401A'/組み合わせ1b(移行)気付かれないように切迫して
402410E/組み合わせ2a(E1, E4, A'1)Poco piu mosso
411429E/組み合わせ2b(E1, A1, A'3, A1)Meno mosso, Tempo II, その後少し拍をとってC
430438A'/組み合わせ3a(E1, A'1, A'2)Andante しっかり拍をとって 3/2と2/2
439445A'/組み合わせ3b(A'1, A4)2/2
リフレイン:変奏IV446454A1再び以前のように、突然に4/4D
455461E/組み合わせ1(AA, E5, A'1)引きずらずにd
462475(E3, AA)流れるようにcis
476485(AA, A'1)Pesantec
486491A'/組み合わせ2(A'1, E5, AA, A'2)早く 3/2H
492505(E5, AA, A'1)2/2B
506516E/組み合わせ3a(E1, AA)厳かにDes
517538E/組み合わせ3b(E6, A'1, B, I1)突然再びTempoII 3/2C
リフレインIV539545A(とI1, I2, A1)Tempo primo 4/4
546553A2, A3
554557A'1Pesante
558565A1
566580組み合わせ(結尾, I1, A'3, A1)
581590組み合わせ(AA, A3, I1)A Tempo, 次いで「切迫して」