2008年10月5日日曜日

作品覚書(6)第6交響曲

第6交響曲は、幾重もの意味で逆説的な作品である。先ず何よりも、この作品は今日、マーラーの全ての作品の中でも 最も評価の安定した作品の筆頭であろう。傑作であることは間違いないのだが、それでいて個別の論点になると話題に事欠かない、 そういった作品なのだ。勿論全てを網羅することなど出来ないけれど、そうした個別な逆説的状況を幾つか思いつくままに先ずは 取り上げてみよう。
まずはいわゆる形式的な問題。あれほど従来の交響曲の形式に対して自由に振舞ったマーラーが最も伝統的な形式に忠実であり、 そうであることによって形式的な可能性を汲み尽し、更には、ベートーヴェン以来、「内的プログラム」を持つようになった交響曲の 宿命となった「フィナーレ問題」について、「崩壊の論理」を持って応じるという決着の付け方を示したことが挙げられるだろう。 ハープやチェレスタを含む大規模な管弦楽、とりわけ調律されていないカウベルや鐘、ムチに加え、創作楽器といってもよい ハンマーを含む極端に拡張された打楽器群による音響効果の斬新さが、そうした古典的なスキームと同居している点も特筆されるべきだろう。
それとともに急いで付け加えるべき問題は、揺ぎ無い両端楽章に比べて、その位置が揺れ動く中間楽章の順序にまつわる問題である。 最近国際マーラー協会が出したアナウンスは、全集版におけるラッツの編集の恣意を認める内容で、全集版の出現以来慣例となっていた 第2楽章スケルツォ、第3楽章アンダンテを否定し、逆の順序にオーセンティシティを認めるものだが、それを認めたところで、少なくとも 初期の段階では楽章の順序が逆転していた可能性は否定されていないわけだし、アドルノが主張し、ラッツの判断を支持する根拠となった 調的配置の合理性は、事実問題とは別に、いわば権利問題のような形では今後も議論され続けていくことになるだろう。
そうした形式の問題は直ちに、いわゆる音楽の「内容」にも関わってくる。「悲劇的」というタイトルは、ここでは作曲者自身が示唆したという オーセンティシティが主張されるようだし、それはマーラーの交響曲の中で、曲の開始の調性と終結の調性が一致し、 かつその両方が短調であるという特異性と照応するが、それでいてその音楽は異様なほどの力に満ち溢れている。力が累積した 頂点でハンマーの打撃がその力を解放し、崩壊への導く過程は、蓄積される力の膨大さ、行進曲の持つ異様な活力によって 一層そのベクトル性を深めている。
更にもう一歩内容に踏み込み、マーラーではお約束のいわゆる「標題音楽」の問題について言えば、中期のいわゆる「絶対音楽」的な 交響曲の中で、最も形式的に保守的なこの曲が最も色濃く、個人的、伝記的な参照を持っているという点が特徴的だろう。 第1楽章第2主題は妻のポートレートらしいし、展開部後半やアンダンテ楽章に響くカウベルも具体的な作曲の環境を連想させる (勿論、マーラーは総譜の注釈でそうした具体性を拒絶しているが)。あるいはスケルツォ楽章のトリオが子供の歩みを表している、 などといった妻のアルマが伝えるエピソードは、それを信じるかどうかはおくとして、少なくともこの曲の持つ主観的な性格には見合っている だろう。世界観・宇宙観の表明ととるかどうかはともかく、あるいはそれ自体をどこまで主観的な展望と決め付けるかはともかく、 他の曲では世界の様相の記述をしてきたマーラーが、ここでは個人的、主観的な位相にいつになく接近しているようだ。この曲の 持つ凄まじい力は、そうした主観の極の強さの反映であるという見方もできるだろう。ともあれ最も個人的であり、にも関わらず、 あるいはそれゆえに最も普遍的な作品、という傑作の持つ図式を、この曲もまた見事なまでに備えているかに見える。
*   *   *
第6交響曲のトピックの一つに終楽章のハンマーに纏わる問題がある。これは音楽の実質から考えても必ずしも不当なこととは 言えない。例えば初演時の回想おいて、回数を重ねるに従って弱く打たれるハンマーの「効果」に対するシュトラウスの批判的なコメントを 「わかっていない」とアルマはコメントしているが、報告の信憑性についてはここでも疑ってみる必要がある一方で、スコアを確認してみれば それが明確に指示されていて、しかも回数が2度に減った全集版でもそうであることからして、一時の気の迷いなどではなく、あるいはまた 初演が「うまく行かなかった」からでもなく、一貫した判断であったことがわかってみれば、この点について拘るのは瑣事拘泥とも言えないだろう。 だがこの点で一層興味深いのは、ハンマーが決して単独で打たれるのではなく、同時にタムタムも鳴らされて、そのバランスが変化すること、 そしてもう一度、そのバランスが慎重にマーラー自身によって指示されていることであろう。いわゆる楽器法の図像学における意味を 考えれば、ハンマーが強くなるのはおかしく、タムタムが強くなるほうが正しいのは明らかに思われるからだ。そして勿論、音楽の形式的な 脈絡とも完璧に整合しているのである。してみれば、3度目のハンマーが打たれるかどうかは、修辞法上の意味に拘る限りはどうでもいいとまでは 言えなくても、形式が要求する論理性の観点からは、どちらでもあまり大きくは変わらないということになろう。実際、音楽はその後はもはや 前には進まず、その場で立ち尽くして、最後には「おやすみ」の言葉を連想の網の目のどこかに反響させつつ倒壊するのだから。
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形式の概略(長木「グスタフ・マーラー全作品解説事典」所収のもの、ただし第2楽章、第3楽章の順序は引用者により入れ換え)
第1楽章(ソナタ形式) 呈示部導入「アレグロ・エネルジコ・マ・ノン・トロッポ 激しく、しかし気骨をもって」15a
主部656
示導リズム・示導和音5760
コラール風推移動機「同じテンポで」6176
副次部「躍動して」(アルマのテーマ)77115F
(行進曲挿入)(91)(98)
コデッタ115122
展開部主部展開「テンポI」123b177a-e-a
副次部・主部展開178196F
エピソード(副次部・主部展開、推移動機)「徐々に少し遅めて」(遠くの音)196250-G-Es
主部・推移部展開「ただちにテンポI 非常に精力的に」251285H-g
再現部主部展開再現286333A-a
示導リズム・示導和音334335
推移部展開再現336347
経過部「ソステヌート」348351
副次部展開再現「わずかに切迫して」352366D
コデッタ366373
コーダ主部動機展開374428-e
(382「ピウ・モッソ(荒れ狂って駆け込むように」)-es
エピソード(主部・副次部展開)429443C
副次部・推移部・主部動機対位444481A
第2楽章(エピソードを含む二重変奏) 主部A「アンダンテ・モデラート」120Es
主部B2127g
変奏A12855Es
変奏B15671e
経過句I7283-d
エピソードI(遠くの音)8499E
変奏A2100114Es
エピソードII(ミステリオーソ)114123C
変奏B2124145
変奏B3(エピソードIII)(遠くの音)146159cis
変奏A3160172H
経過句II(Iの展開)173190Es
コーダ191201
第3楽章(ふたつのトリオを含むスケルツォ) 主部I第1部分A「重々しく」133a
第2部分B(トリオ先取)3461-d-F-es-a
第3部分A'(87~91示導和音)6297
トリオI第1部分(緩→急)「古風に(はっきりと遅く)グラツィオーソ」98113F
第2部分(緩→急)114127
第3部分(緩→急)128145
第4部分(緩→急)146172
経過部I第1部分(主部動機展開1)173182a
第2部分(主部動機展開2)183198f
主部II第1部分「テンポI スビト」1991231a
第2部分B「より遅く」232258d-c
縮小第3部分A''(261~265示導和音)259272a
トリオII第1部分(緩→急)「はっきりと遅く」273290D
第2部分(緩→急)291306
第3部分(緩→急)307319
第4部分(緩→急)320345
経過部II第1部分(主部動機展開1)346354a
第2部分(主部動機展開2)355371es
主部III372411
縮小第2部分(401)(404)
コーダ(主部・トリオ動機・示導和音)412446
第4楽章(ソナタ形式) 導入部開幕「アレグロ・モデラート〔ソステヌート〕」(示導和音・示導リズム)115c
動機暗示1/エピソード(第1楽章の引用 遠くの音)1648
動機暗示2(コラール)「重く、マルカート(ほぼ同じテンポで)」4964
動機暗示3「少し速めて」(65~66,96~97示導和音・示導リズム)6597
呈示部経過部「アレグロ・モデラート」98113
主部「アレグロ・エネルジコ」114140a
主部対位句「ペザンテ」141175
主部結部176190
副次部「同じテンポで」191228D
展開部導入部展開229287d
エピソード(第1楽章引用 遠くの音)(237)(270)
第1展開部(副次部展開)「ソステヌート」288335D
◆ハンマー〔336〕
第2展開部(コラール、副次部展開)「同じテンポで」336396d-A-f
「より重々しく、すべて生の力で」(385)(396)
◆タムタム〔395〕
第3展開部(主部展開)「力強く、しかしいくらかきっぱりと」397478c-C-G-A
◆ハンマー〔479〕
第4展開部(コラール展開)「ペザンテ」479519g
◆タムタム〔520〕
再現部導入部再現「再び少し遅めて」(示導和音・示導リズム)520574c
エピソード(遠くの音)(537)(574)
副次部再現575641B-A
主部展開再現「テンポI(アレグロ・エネルジコ)」(668~669,686~687示導和音・示導リズム)642669a
主部対位句展開再現670727
再現部結部「より動いて、しかし急がずに」728772A
◆タムタム〔773〕
コーダ導入部再現(示導和音・示導リズム)773789a
◆ハンマー(抹消)〔783〕
終結部「明らかに遅くして」790815
突発的終結部(短調のみの示導和音・示導リズム)816822
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形式の概略:アンダンテとフィナーレのみ(de La Grange フランス語版伝記第2巻Oeuvres composées entre 1900 et 1906)
アンダンテ楽章のシェマはTheodor Schmitt, Der langsame Symphoniesatz Gustav Mahlers, Willhelm Fink, München, 1983, p.144による
3. Andante moderato主題A110第1節Es
1014第2節
1420第3節
主題B2027g
主題A'2836第1節Es
3642第2節
4253第3節
5455移行
主題B'5665e/d
展開16471第1部分e
7277第2部分g-e
7883第3部分e
エピソード18389第1部分E
8993第2部分
主題A''99108第1節Es
108111第2節
112114第3節
エピソード2115123第1部分115-123, 第2部分124-138)C
124138第2部分D
139145主題B''d
展開2146159第1部分:Bの変形cis-Fis
160172第2部分:A1の変形H
173184第3部分:展開1の第1,2,3部分の変形Es
185190第4部分:アプゲザング
コーダ191201

フィナーレのシェマはBernd Sponheuer, Logik des Zufalls : Untersuchungen zum zum Finalproblem in den Symphonien Gustav Mahlers, Schneider, Tutzing, 1978による
4. Finale導入115第1部分(主題I モットー)c
1648第2部分(AとBの生成、循環モチーフ)d
4964第3部分(コラール、ブリッジ素材の告知)c
6597第4部分(クレッシェンド)
98113第5部分(Aの生成)
提示114138主要主題(A)a
139190移行あるいはブリッジ(コラール、オクターブ跳躍、IおよびAのモチーフ)
191216第2主題(B)(アプゲザング 205小節以降)D
217228終結主題(Bのモチーフ、オクターブ跳躍、Aのモチーフとともに)
展開229287導入2(短縮された:I、Bのモチーフ、第1楽章との親近、カウベル、Aのモチーフ)d-fis
288335展開第1部分(Bのアプゲザングに基づく、I、コラール)D
336396展開第2部分(オクターブ跳躍に基づく)。336小節:1回目のハンマー、364-384小節:挿入されたカンタービレ(バスにB、コラール、A)d-A-f
397478展開中心部、行進曲による(コラールを伴うAに基づく)。458-468小節:挿入されたカンタービレ(I、コラールおよびB)c-Es-C-G-A
479519展開第4部分(オクターブ跳躍主題に基づく)。479小節:2回目のハンマーd-c-d
再現520574導入3 A音を根音とするハ短調c
575641Bの再現(Aのモチーフやだんだんと支配的になるコラールとともに)H-A
642667Aの再現a
668727ブリッジに基づく変形再現(B,A,オクターブ跳躍、コラールとともに)
728772圧縮された終結主題(I、オクターブ跳躍、コラール、BとAの変形、リズム・モットー)A
コーダ773789導入4 (モットー、I)a
790822エピローグ(オクターブ跳躍、コラール)
(2008.10.5, 11.30この項続く)

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