お詫びとお断り

2020年春以降、2024年3月現在、新型コロナウィルス感染症等の各種感染症の流行下での遠隔介護のため、マーラー祝祭オーケストラ第22回定期演奏会への訪問を例外として、公演への訪問を控えさせて頂いています。長期間に亘りご迷惑をおかけしていることにお詫びするとともに、何卒ご了承の程、宜しくお願い申し上げます。

2009年4月30日木曜日

ナターリエ・バウアー=レヒナーの回想録:歌劇場での仕事についてのマーラーの言葉

ナターリエ・バウアー=レヒナーの回想録:歌劇場での仕事についてのマーラーの言葉(1984年版原書pp.101-102, 1923年版原書pp.89-90, 邦訳pp.215-216)
(...)"Du wirst sehen, ich halte diesen greulichen Zustand nicht einmal so lange aus, daß ich die Pension anständigerweise annehmen kann. Am liebsten möchte ich gleich auf und davon gehen. Ja, wenn das ein Absehen hätte : (...) Aber bei der Einrichtung unseres Theaters, wo täglich gespielt werden muß, wo ich der ärgsten Verlotterung und tief eingewurzelten Fehlern auf Schritt und Tritt bei dem ganzen Körper, mit dem ich's zu tun habe, begegne, und oft erst im Momente der Aufführung und im ärgsten Kampfe alles umstürzen und neu aufbauen muß; wo ich ein Repertoire habe, welches das Gemeine neben dem Höchesten enthält; wo die Stumpfheit und Beschränktheit von Ausführenden und Aufnehmenden mir meist wie eine Wand entgegensteht : da ist es eine Sisyphusarbeit, die ich leisten soll, die meine besten Kräfte, ja mein Leben aufzehren, aber zu keinem Ziel und Gelingen führen kann! Und daß ich vor tausenderlei Sorgen nie mit selbst angehöre, ist das Ärgste dran."
(...)
これはマーラーがウィーン宮廷歌劇場の監督に任命された折のナターリエ・バウアー=レヒナーの回想に含まれるマーラーの言葉である。指揮者、劇場の 管理者としても間違いなく有能であったマーラーがこうした言葉を残すことに或る種の訝しさを覚える向きがあるのは承知しているし、こうは言いながら、 数多の成功とそれに見合った名声をマーラー自身が楽しむ瞬間がなかったわけではないのは当然のことであろう。だが、そんなに目くじらを立てる程の 話でもないという見方もできるだろう。ウィーンの歌劇場の監督の発言、 大作曲家マーラーの発言だから読む人に立場によって様々な反応をもたらすのだろうが、内容を多少置き換えてしまえば、今日のありふれた 管理職の愚痴と大きく変わることはないのだから。随分いい気なものだとも言えるし、有能だけれども独断的な、部下になってしまえば一将功成りて万骨枯るタイプの 嫌な上司だったのではと思う人がいても仕方ないかも知れない。その一方で、程度の差はあれ、組織を任されて結果を出すことを求められる 同じような立場の人間であれば、このようなことを思うのはそんなに特殊なことではないという見方もあるだろう。誰もが自分の能力をそれなりに恃んで 努力するしかないし、結果の方はうまく行くこともあれば、失敗に終わることもあるという点は別に変わるところはない。そう思えばこうした述懐は、 天才神話に彩られているマーラーの普通の人間にとって最も親しみやすくわかりやすい 側面であるとさえ言えるかも知れないのだ。仕事から逃れた先が非生産的な余暇ではなく、そちらこそが神の衣を織る営みとなった作曲であったから結果的には 事情は異なるものの、そうでなければそれすらありがちな趣味への逃避に過ぎず、それなら凡人にも理解できないことはなさそうである。実際に生前の マーラーに対しては、作曲は些か度を越していて、それゆえ傍迷惑な楽長の道楽という評価もあったらしいのである。
 
彼が後に歌劇場を去る時に残した「手紙」を知るものは、この言葉がその内容に微妙にこだましているのに気づくだろう。 実際、マーラーはこの言葉の通り、ウィーン宮廷歌劇場の監督の仕事に見切りをつけて「おさらば」することになるのだ。年金の方は交渉の結果、 支給の権利を得たのであったが、それでも彼は文字通り「命まで消耗し」ながらも更にアメリカに渡り、創作活動に戻るための資金を稼がねばならなかった。 その結果、計画の途中で病に倒れて生涯を終えることになり、引退の夢は果たされなかったのは気の毒なことだと思う。だがそれとて、スケールこそ 違え良くある顛末ではある。寧ろそれだけに一層身に詰まされると感じる向きも少なくないだろう。
 
私が上記の言葉で個人的に印象的だったのは、それが単なる愚痴ではなく、自分の仕事が持つ制度上の問題についての認識が述べられていること(これは 彼の一貫した主張であったらしく、後に辞任の折にも繰り返されることになる)、そして更に、どんなに熱心に取り組んでも結局は「目的も成功もない」類の 仕事があるのだという、これまた冷静な認識が語られていることであった。 マーラーは凄まじい集中力と能力を持って、人並み以上のことを成し遂げることができたというのに、一方ではそうした営みを客観視する視線を備えていた。 もちろんそうした冷静な認識の中には、己の能力が如何ほどのものであるかについてのそれも含まれていて、彼は自分の能力を自惚れて過信することもなかったし、 その一方で過小評価することもなかったのだろう。作曲についてもまた然りで、その価値を信じ続けることができたのは、冷静な自己評価があればこそ だったに違いないのだ。
 
そしてそうした二重性はその音楽に刻印されているものと本質的には同じものに思われるのである。反省する意識の介在、メタレベルの存在というのは マーラーの音楽の持つ際立って重要な特徴の一つだと思うのだが、それはマーラーその人のあり方、物事の受け止め方と非常に密接に結びついたもので あったように感じられるのだ。そして更に、そうした複眼的で反省的な物の見方が、驚くべき素朴で純真な心のあり方と共存しているのもまた、マーラーの 特徴なのだが、ナターリエ・バウアー=レヒナーの回想のこの件を読んだ人は、その最後のところでそうした側面、マーラーの音楽を聴くとふと出会う、あの 表情を見出して胸を突かれることになる。最後にナターリエは、彼女がマーラーと連れ立って歌劇場の前を通り過ぎようとしたときに彼が以下のように 言ったのを記録しているのである。そう、これがマーラーなのだ。(2009.4.30)
"Daß ich da als Haupt und König herrsche, ist doch wie ein Traum !"

事実はどうであったのか?―楽譜の改訂経緯について調べてみて

この半年間の身辺の環境変化の激しさのあまり、昨年末には予定していた幾つかの重要なプランが実行できなかったりして、 自分の処理能力の不足にすっかり嫌気がさしてしまい、所詮は余暇の趣味に過ぎない事柄について優先度づけを改めて行って 絞込みを行う一方で、資料やCD類の処分を行い、Webページについても今後保守ができなさそうな部分を少しずつ整理・縮小したりして いるうちに5月も間近になってしまった。何たることか、何もしないでいるうちにもう1年の3分の1は終わってしまったというのだ。

音楽関連で言えば、同時代に、身近な環境に生きる人間としてのコミットメントに自分勝手な義務感を感じている三輪眞弘さんを除けば、 後は程度の問題だという気持ちを抑えられない。CDも資料も蒐集が自己目的化することの無意味さは明らかだが、そうでなくても自分が受け取った分を 「返す」ことができないのであれば単なる消費に過ぎない。返すためにはまずは一定の蓄積が必要だろうが、返す作業自体にも時間がかかる。私の様な 能力が不足した人間に贅沢は許されない。三輪さん以外については、とにかくマーラーについては仕掛り作業の山があるのでそれを崩していくことに 専念しようというのが直近の方針である。今の私を見て、昨年の私はほくそえんでいるに違いない。何しろ、仕掛りの山を作っておけばそれが済むまでは 続けるだろうと思って、意図して仕組んだ側面もあるのだから。

というわけで、やっとできた空き時間に、まずは所蔵楽譜の整理をやろうと思い立った。所蔵楽譜などといっても大したものではなく、マーラー・ファンなら 必須アイテムであろう、マーラー協会全集版もなければ、自筆譜のファクシミリがあるわけでもない。全集補巻である「葬礼」やピアノ四重奏曲、 嘆きの歌の1880年稿、大地の歌のピアノ伴奏版やらがあるわけでもない。(2021.5.11追記:その後10年以上の長い時間をかけて、全集補巻については手元で確認できるようになった。ファクシミリについては第7交響曲のみ手元にあるが、IMSLPでpdf版が手に入るようになってきており、そもそも手元に置く必要性が薄れてきている。)音楽之友社から出ているポケットスコアのうち交響曲10曲とDoverから出ている 全集以前の版のリプリント、第10交響曲のクック版、リートと歌第1集、幾つかの交響曲のピアノ編曲、Webで入手できるIMSLPで公開されている楽譜で全てである。 だが、私程度の関わりしかマーラーに対して持っていない人間には、それらですら十分過ぎるほどであって、使いこなせているとは到底言い難い。 例えばの話、各曲の出版の経緯、改訂の経過などが頭に入っているわけではないし、ある曲について複数の版を持っている場合でも、その異同を 逐一把握できているわけではない。有名な改訂箇所の幾つかを確認するのに用いた程度で、実証性が重視される今日の学問の世界では、こんなことは 許容されるはずがない。全くもって趣味とは気楽なものだと自嘲するほかないのだ。

だがともあれ、複数の版を持っている曲についての整理をしてみようと思って始めてみると、これが思ったより遙かに厄介なのに気づいた。そもそもが楽譜の 出版についての情報が乏しく、あっても不完全なのである。初版の出版年すら資料によってまちまちで、どれが正しいのかわからない。ましてやその後の 改訂版の出版の情報を探すのはかなり骨が折れる。調べた結果は別のページに記載したのでここでは繰り返さないが、事典的な性格の資料ですら、 情報の網羅性については全くお話にならず、各作品についてのモノグラフ的な研究書で実証的なアプローチを採用しているものにあたらなければならなかった。 しかも結果は驚くべきもので、Doverの楽譜にあるソースの説明は第5交響曲までの初期の交響曲については極めて疑わしい、控え目に言っても、 出版の状況を考えればあまりに曖昧で情報としては不十分であるというのが結論である。

私見では、これは随分な状況だと言わざるを得ない。自身が時代を代表する大指揮者で、当然、初演を含む自作の指揮を何度と無く手がけた マーラーが初演後も改訂を繰り返したという話は非常に有名ではないか。死後出版の大地の歌と第9交響曲はともかく、第6交響曲の中間楽章の 順序やハンマー打ちの回数から始まって、呈示部反復の有無のような楽式論上の把握に関わる異同も含めて、おしなべて異稿の問題はマーラーに おいては主要なトピックの一つであるように見えるのに、出版譜についての情報がかくも乏しいのは或る種異様な感じがするほどである。

勿論、異稿の問題は第一義的には自筆譜の問題であり、特に初期の作品では出版前ではなく寧ろ初演前の創作プロセスにおける紆余曲折に 関心の中心があるわけで、だから出版譜の問題など副次的だという考え方もあるかも知れない。ブルックナーの場合とは異なって、マーラーは マクロな構造に関わるような改訂を初版出版後に行うことはあまりなかったから、出版譜の違いは主として器楽法上の問題になるのもまた 事実である。原典至上主義というのが現場の作業を軽視した空想の産物であるのも事実だし、マーラー自身、状況に応じて器楽法の 改変を許容していたという証言もある。だがマーラーがしばしば出版譜に書き込むことで行った改訂作業には、様々な理由の、様々なレベルの ものが含まれていたと考えるのが自然ではないか。実際に演奏してみたらうまく行かなかったので変えたというのが、作品の理念そのものの 不変性を常に前提としていたとは限らない。そもそもマーラーにとって器楽法は決して副次的なパラメータとは言えないだろうし、理念そのものが 動いていった可能性だって否定できない。否、こうした状況を把握するための基本的な情報として出版譜の状況、改訂経緯などをまず 押さえる必要があるというのは、実証主義的な発想からしたら当然のことなのではないかと思うのだが、、、

別に私は何か新規性のある説を求めているわけでもないし、そうした水準で批判を行う資格が自分にあるとも思わない。研究の最先端からすれば 周回遅れの愛好家が単純に「事実はどうであったのか」を知りたいだけなのだ。しかもことは創作のプロセスのように実証性が本質的に限界に つきあたる可能性があるような事柄ではない。 だが、私をとりまいているのは非常に乏しく、しかもそれでいてお互いに矛盾する情報なのである。もう一度、マーラー自身の作曲の経過や 改訂の経過そのものではないのだから、楽譜の出版や改訂版の出版は重要でない事柄なのだろうか。多くのマーラーについての著作や翻訳に それでも一応ついてはいる資料のうちの一項目に過ぎないのは確かだが、でもだからといってそうした書籍の校正の際にもきちんとしたチェックが 行われなくてもいいような瑣末な情報なのだろうか。私のこのWebページのような一介のアマチュアが勝手に書いている文章ではないのだ。 音楽学者、音楽評論家という肩書きの著者を持ち、正規の流通経路を辿る書籍における「事実」に関する情報なのである。

最後に何となく私が感じたことを書いておきたい。かつて日本でマーラーが社会的流行現象になった時期があり、それ以降今日に至るまで、 コンサートレパートリーとしても、CDなどの録音媒体のコンテンツとしてもマーラーは決して周縁的な存在とは言えないだろうと思う。 けれども今なお、ここではマーラーは所詮は余所者なのかも知れない、クラシック音楽の受容というのは一介の市井の愛好家の素朴な疑問すら 解消できない程度のものなのかも知れないという感覚を私は拭えない。マーラーの音楽が、マーラーの人が好きで、あるいは心からの尊敬の念を 持ってマーラーを研究したり、マーラーを論じたりしている人はこの国にどれくらいいるのかしら、という疑問が頭をもたげるのを防ぐことができない。 否、そうした人はいるけれど、それはおまえのような市井の愛好家とは関係がない、お前のような人間にはそうした情報にアクセスする資格も 価値もないのだ、ということなのか。海外の研究者のものも含めて、色々な文献をあたってみて実際には出版譜の問題というのはマーラーの場合、 少なくとも「解決済み」の問題というのは程遠いらしい、というのは感じられる。だけれどもそのことが日本国内における情報の偏在を許容する 理由にはならないだろう。再び、研究の最先端にいる人間にとっては、こうした「周回遅れ」の人間の不満などどうでもいいことなのは、自分が 職業として実務を行っている領域の事情を考えれば理解できないことはない。だが、その領域の状況と比べても、情報の流通のタイムラグや 質の落差があまりに著しいのでは、という感覚は拭えない。研究のことは良く分からないけど、少なくとも消費にかけては日本は世界的に 見ても一大消費地ではないのか。

私がそもそもWebページでマーラーの情報を取り上げるきっかけとなったのは、アドルノのマーラー論の翻訳をはじめとしたマーラーについての文章の 翻訳について疑問に思うことがあまりに多かったからだし、それが一時的なものでなく、継続、拡大することになったのは、「証言」「語録」の整理をしようと 思ったときに自分が経験した煩わしさを他の方がショートカットできたら随分と時間と労力、そして率直に言えば資料を蒐集するコストの節約に なるだろうと思ったことが大きく作用している。そして今回は出版譜の状況をちょっと調べようと思ったら、またしても、大した量でもないとはいえ、資料の中を 彷徨うことになって、こうした文章を書かずにはいられない気分になっている。要するに、マーラーについて何かちょっとしたことを知ろうとしたときに、 一体何を信じれば良いのか戸惑いを覚えることがあまりに多すぎるのだ。Web上には一体何が根拠の新説かと訝しがる他ないような疑わしい情報が あたかも「事実」であるような体裁で流布していたりもして、これらにもがっかりさせられる。もっともWeb上の情報は誰かがいつか訂正する可能性はある。 書籍は一旦流通したらそうした修正が容易に利かないので厄介なのだ。

他の作曲家の場合についてはマーラー以上に知っているとは言えないので比較することはできないし、もし同じようなことがあっても もっとそれを語るに相応しい他の方に委ねたいが、浅からぬ因縁によって、もはや支払いきれないほどのものをかつて受け取ってしまい、遺された時間を 少しでも収支の均衡に向けざるを得ない状況にあるマーラーについては、こうした気持ちをどこかに書いておかずにはいられない。たとえ自分には そうする「資格」がなくても、自分の中にとどめておくことに躊躇いを覚えるのだ。私は1世紀の時間と生きている文化的環境の違い、自分が 音楽家でも音楽学者でも音楽評論家でも、音楽を職業としている人間ではない、単なる愛好家に過ぎないという点には 頬かむりを決め込んで、マーラーに対してこう言ってみたいのである。 「あなたの作品の出版譜について疑問に思って調べてみたんですけど、事実がどうであったか、よくわからないんです。この国でもあなたに 関する本はたくさん出ていますし、情報はたくさんあるように見えるんですが、、、」かくしてさっぱり収支が改善される見通しがたたず、容赦なく 休日は過ぎ、途方にくれることになるのである。多忙を極める職業人であったマーラーなら、そういう気分を少しはわかってくれるのでは ないかしら、と思うのだけれども。(2009.4.30)

2009年4月12日日曜日

第7交響曲の内的プログラムは破綻しているか?

本当に久しぶりに出来た「使い途の決まっていない時間」に、ふとしたきっかけでバルビローリが指揮したマーラーの第7交響曲の録音を聴き始める。 1960年10月20日だから私が生まれる前に、マンチェスターで行われた演奏会のライブ録音である。客席のざわめき、咳の音も生々しいし、 このコンサートのために編成されたのであろう、BBCノーザン交響楽団とハレ管弦楽団の混成オーケストラの一期一会の演奏の緊張感も きっちりと伝わってくる。1960年といえばマーラー生誕100年のアニヴァーサリーの年だ。今日ではすっかり古典となっているアドルノの音楽観相学を 名乗るマーラーに関するモノグラフの出版もこの年だ。オーケストラにとってこの曲は今日のように馴染みのある作品ではなかったろう。今日の 演奏でなら起こりえないような事故もあって、演奏には傷は多いが、解釈は隅々まで行き届いているし、管弦楽のための協奏曲のようなこの作品に あって欠かすことのできない各声部の「歌」がこの演奏にはぎっしりと詰まっている。実は第7交響曲にはそれぞれ個性的な名演が数多あって、 その数は他の交響曲に決してひけを取らない。そのことのみをもってさえ、この曲を失敗作と見なすことの不当さは明らかだと若い頃の私は 憤慨交じりに思っていたものだが、私見ではその中に数えいれることに些かの躊躇も感じない。バルビローリは10年後の1970年に没しているが、 もう1年彼に時間があれば、後世の我々の手元にはベルリン・フィルとの演奏の記録が残った筈であったらしい。だが、気心の知れたマンチェスターの オーケストラを率いてのこの演奏には、第3交響曲のデリック・クックの場合と同様、マイケル・ケネディにあれほどまでに確信に満ちた文章を書かせる だけの、あるいはこの曲に対して懐疑的であったデリック・クックをすら納得させるだけの圧倒的な説得力が備わっているのだから、 この演奏が2000年にBBCからCDとしてリリースされたことに感謝すべきなのだろう。

「問題作」であるらしい第7交響曲に関しては、上で触れたアドルノのモノグラフを筆頭に多くのことが語られてきたし、恐らくは今後もそうだろう。 そうした発言に触れてみて私が感じるのは、自分は恐らくその最も外縁にいるに違いない、いわゆる「伝統」というものの影だ。嵐のような天候の ある日の夜、電波状態の悪い中、しかも放送が始まって少ししてからFM放送でこの曲を聴き始めたのがこの曲との最初の出会いであった 中学生の子供にとって、その「伝統」は、極めて皮相なかたちでしか自分の中に根付いていなかったのだろう。勿論、第1楽章の4度の堆積が もたらす独特の沸騰するような緊張は、彼にとってはそれまでに聴いた音楽にはない新鮮で魅惑的なものであり、そうした印象は彼が少ないなりに それまで持っていた音楽経験の文脈あってのことだったろうが、彼は愚かにも、識者の言うような「パロディ的」「メタ音楽的」な側面に全く気づくことは なかった。同じ人間が30年後、バルビローリが半世紀前に遺した演奏を聴いて感じるのは、自分がこの曲に対して抱いてきた印象が、 強められることこそあれ、決して弱まったり、疑いが生じることはないということだ。内的プログラムの破綻を証する惨澹たる失敗作であるらしい、 茶番の内部告発であり、不可能性の証明であることによってこそ価値があるのだとされる第5楽章のフィナーレを聴いて、ちっともそのようには響かないことを 再び確認するだけである。

この演奏の終演後の拍手はほとんど熱狂的といっていいものだが、それはこの曲の、言われるところの「前衛性」、脱構築的な あり方を聴衆が理解できた故のものなのか。多分そうではないだろう。では彼らは「勘違い」していたのか。もしそうだとしたら、私もまた、そうした 「勘違い」組の一員なのだろう。否、私は積極的にその一員たろうとするだろう。デリック・クックがこの演奏に見出したものは、彼の作品への懐疑を 覆すものだったようだが、それは今日の識者のような理解に達したからだということではない筈だ。何よりも彼は、コヒーレンスという言葉を使っているのである。 そう、この曲は伝統が命じる「内的プログラム」とやらとは別の水準でコヒーレンスを備えているし、第5楽章はそのまま受け止めていいのだと私には 感じられてならない。確かにそれは「伝統」の中でこの作品を聴いた人達の顰蹙を買いはしただろうが、(20世紀の前衛によくあった本末転倒よろしく) 顰蹙を買うことが「目的」でも「意図」でもなかったのではないか。「目的」や「意図」とは無関係に、作品が持つ社会的な機能がそうなのだ、と 言われれば、それはそうなのかも知れないが、その社会とは、いつの時代のどの社会のことを指すのか、はっきりさせて欲しいものだと思うし、実の ところ、そんな社会的な機能など、私にとってはどうでもいいことなのだと白状せざるを得ない。識者にすれば、控え目に言っても憐みを買う、嘲笑される ような言い草なのだろうが、私にはそういう「伝統」がないのだから仕方がない。

それを言えば、後に第1交響曲となる2部5楽章の交響詩を身銭を切って演奏したマーラーは、その作品が顰蹙を買ったことに戸惑い、傷ついたようだ。 私見では、マーラーには他意はなく、彼はごく素直に自分の中に響いている音楽を書きとっただけなのだと思う。それは第4交響曲のときもそうだったし、 この第7交響曲の場合もそうだったのだと思う。アドルノはシェーンベルクがこの第7交響曲に対してとった態度を、些かの驚きをもって記しているが、そういうアドルノの 評言よりも、アルマの回想に続く書簡集に含まれるシェーンベルクの第7交響曲に対するコメントの方が私にとっては自分の感じたままに遙かに近い。 当時の子供だった私にもそうだったし、現在の私にもそのように感じられるのだ。勿論、ありのままの聴取というのは虚構であって、あるのは異なった文脈の中での 様々な聴取だけなのだろう。だが、もしそうだとしたら、その「文脈」は音楽の伝統やら、啓蒙のプログラムやらといった範囲を超えて広がっているのだと思う。 私に言わせれば、第7交響曲が破綻しているとすれば、それは作品の内部とか、作品の文脈の側にあるのではない。破綻は聴いている私の側にある。 恐らくそれと同じように、マーラーその人にもその破綻はあったのだろうと思う。だが、彼はそれを作品の中に持ち込んだわけでもないし、窓のないモナドよろしく、 その作品がマーラーの破綻を映しているとも思わない。第7交響曲のフィナーレを文字通りに受け取れないのは、受け取れない側の責任で、音楽の責任ではない、失敗の原因を音楽に押し付けるのは責任転嫁ではないかと私は思っているのだ。それは第8交響曲を滅多に聴けないのと本質的には同じだと思っている。

破綻は私の側にある、とはこういうことだ。私はいつでも第7交響曲のフィナーレの肯定性をそのまま受け取れるわけでは決してない。だがその原因は、専ら 私の側にあるのだ。破綻しているのは私の生の方であり、だからこそ私にとってマーラーの音楽は必要なものなのだ。マーラーの作品群が、あるいは個別の 作品がその中に持つ大きな振幅こそ、自分にとっては自然に感じられる。もう一度シェーンベルクの言葉を引けば、彼がマーラーの第3交響曲に見て取った 「幻影を追い求める戦い」「幻想を打ち砕かれた人間の苦悩」「内面の調和を求めて努力する姿」を、私もまたマーラーの音楽に感じることができる。 勿論、それは音楽の「内容」そのものではない。シェーンベルクにとっては第3交響曲の標題などどうでもいいことだったようだが、それも含めて私はシェーンベルクの 感じ方に共感を覚える。マーラーの音楽に「肯定」の要素があること、少なくとも「肯定」への探求があることは、私がマーラーを聴く理由の根底にあるのだと思う。 かつての子供もそうであったし、(ちっとも成長も成熟もしないという批判は甘受することとして)今の私もまたそうなのだ。そうした私にとって、 「第7交響曲の内的プログラムは破綻している」といったような言い方は、単なる詭弁にしか感じられない。

確かに第7交響曲には、苦悩から歓喜へというような内的プログラムなどない。だが、それはそうであろうとして破綻したわけではなく、 きっとそんなものは始めからなかったのだ。第2、第4楽章から先に着想され、 1年後の休暇も終わりになった頃、ボートの一漕ぎで第1楽章の着想を得てようやく全曲の構想が定まったという経緯を持つこの音楽には、もっと遠心的で 万華鏡のような構造が存在する。フィナーレは何かのリニアな過程の結論なのだろうか。そうではあるまい。外部から恣意的に尺度を押し付けて、その尺度からの 背馳をもって測られたものが語るのは、測られる作品ではなく、測る人間のありようではないと言い切れるだろうか。一体それは何の観相学なのだ。 第3交響曲に「円環的」構造を見出しうるという、あきれるほど粗雑な議論同様、第7交響曲に単純な図式を当てがうことは、その作品の持つ豊かさ、 非常に入り組んで、見えにくくはなっていても、このバルビローリの演奏のような説得力のある解釈においては的確に把握されている巨視的な秩序を 損なうだけのように思えてならない。「基本法則は単純だが、世界は退屈ではない」とは物性論における超伝導とのアナロジーによって、質量の起源たる 対称性の破れが自発的に生じる動力学を提示した南部陽一郎博士の言だが、顰蹙を買うことはあっても決して退屈することはないと揶揄交じりに 言われたこともあるマーラーの音楽の持つ多様性、豊かさは、粗雑な文学的な修辞で飾り立てることではなく、マーラーの音楽そのものの構造を 記述し、説明しようとする試みによってより良く理解できるに違いない。優れた演奏解釈は、言語化することなくそうした勘所を押さえているのだろうが、 だとしたらある解釈の卓越を証することについてもまた、同様のことが言いうるのだろう。実はアドルノは、一方ではそのための手がかりをもまた 遺しているのだ。例えば「音調」の章における調的配置についての言及や、「ヴァリアンテ」の章に見られる超-長調についての言及や、マーラーにおける 「唯名論」についてなどによって、同じアドルノがフィナーレに下した判断に疑念を挟むことが可能ではないだろうか。

否、私のような単なる享受者、音楽学者でも哲学者でもない一介の非専門家に過ぎない聴衆にしてみれば、自分が音楽から受け取ったものを反故にしたくないだけなのだ。教養ある知的な聴き手にとっては嘲笑の対象となるのかも知れないが、それでもなお、例えばこのバルビローリの演奏から 受け取ることのできる或る種の質について、擁護したいだけなのだ。それなくしては音楽を聴くことそのものが意義を喪ってしまい、その音楽について書くことの動機そのものが喪失するようなものが、バルビローリの演奏には間違いなく備わっている。私にとって第7交響曲が持っている或る種の質を 擁護することは、実のところ30年前からのテーマだった。

だがそれを職業とすることなく、音楽を聴くことを単なる消費としないでおくことは、時折非常に困難となる。まずもって物理的に時間がないのだ。 遺された時間で何を聴き、何について書くのか。自分に許された容量を考えれば選択と集中は避け難いが、時期によってはその限定された範囲すら 自分にとっては手が届かない領域にさえ思えてくる。膨大なCDのコレクションや文献を所有することは私にとっては意味がない。手持ちの貧弱な 蒐集ですら、最早己の容量を超えているように感じられることも一再ならずある。そうやってまた文献を処分し、CDを処分し、計画を縮小し、 という退却のプロセスを辿っていくのだ。

逆説的なことだが、私にとってマーラーの音楽は、それ自身がそうした縮小均衡への歯止めになっているようだ。マーラーが神の衣を織るという自覚を もって、歌劇場の監督の激務の合間を縫って遺した作品たちは、かつて初めて遭った時にすでにそう感じたように、それ自体が価値の源泉であり、 私のような貧しい人間にすら、何事かをすべきなのだといざなう力を持っていたし、その力は30年の歳月を経て、まだ辛うじて残っているらしい。 傍から見れば強迫観念に取り憑かれているだけの無意味な営みであったとしても、それは私に沈黙することを許さない。それは「応答」を要求するのだ。 お前に時間ができたなら、お前は受け取ったものに応じて、何かを返さなくてはならない。それが無益なものであっても「応答」せよ、、、

シェーンベルクにとってマーラーは同時代の人間だった。だから書簡に記された言葉は、自分が会って話ができる、その人に向けてのものだった。 幸運なことに、私にも同時代にそうした「応答」ができる貴重な対象が存在するけれど、マーラーはその中には勿論、含まれようがない。 1世紀後の異郷に居る私の場合、シェーンベルクとは状況が全く異なるのだ。なのに私は愚かにも、シェーンベルクが聴いたようにしか その音楽を聴けないと感じ、それに加えてあろうことか、そうした態度を正当化したいのだ。マーラーその人が音楽を介して、今そこに居るかのように、、、

だが、私は頬かむりをしてこう言いたい。それは仕方ないのだ。マーラーの音楽がそれを命じているのだから、と。その音楽を聴く時、私はマーラーその人を 身近に感じずには居られない。私は彼の見た同じ風景を見ることはできないけれど、彼の音楽を通して、風景の見方を自分のものとすることができる。 私なりに卑小化されたものであっても、彼の問題意識や或る種の「姿勢」を自分のものとすることができる。できる以前に、それは最早私の一部と なっていて、今更無かったことにするわけにはいかない。彼の音楽とは関係のない、生活の脈絡の中で、だけれども私は、そうとは自覚せずに彼から 受け取ったものに従って価値判断をし、行動しているのだ。極端だろうか?そうかも知れないが、だが私には(シェーンベルクがまたしてもそのように 語っているように)そのようにしかマーラーの音楽を聴くことはできなかったし、今でもできない。そういう聴き方をしないのであれば、この音楽を 聴くべきではないのだ。そのかわり、「ただで」それを受け取ってはならない。己の貧困を自覚しつつも、何かを返さなくてはならない。そうでなければ この音楽を聴くのを私は止めなくてはならないだろう。かつて一度はそうしようと思ったように。だが、こうして聴き続けている間は、何かを返すべく努めなくてはならないのだ。

私のような人間さえ、時折はそのフィナーレを聴き、その肯定性を自ら引き受けることができるような瞬間が、その生の成り行きに含まれることは、 私にとってかけがえのないことなのだ。生の成り行きのある断片の中であれ、肯定することなしにやっていくことなどできないだろう。音楽にとってそれが終わった 後の時間が、外部が存在するのと同様、そうした断片は断片でしかなく、新たな世の成り行きの中でそれは色褪せていくことになろうとも、 時折はこうして第7交響曲を聴くことができることは、翻ってそもそもこの音楽に出会えたことは、こうした音楽を書いた人間がかつていたということと同様に、 私にとってかけがえなく、貴重なことなのである。(2009.4.12)