お詫びとお断り

2020年春以降、2024年3月現在、新型コロナウィルス感染症等の各種感染症の流行下での遠隔介護のため、マーラー祝祭オーケストラ第22回定期演奏会への訪問を例外として、公演への訪問を控えさせて頂いています。長期間に亘りご迷惑をおかけしていることにお詫びするとともに、何卒ご了承の程、宜しくお願い申し上げます。

2002年4月30日火曜日

クルト・ザンデルリンクのこと

クルト・ザンデルリンクの聴き始めはショスタコーヴィチだと思う。第6交響曲と第8交響曲のCDをずっと持っていて聴いていた。この2つは際立って優れた演奏で、聴く頻度からいけばムラヴィンスキーより高いと思う。
ザンデルリンクはショスタコーヴィチの交響曲のうち一定の曲のみをレパートリーにしているが、これが私が聴きたい曲と一致しているのがうれしい。(海外のWebサイトで読むことのできる あるインタビューで、 poeticな曲の方がepicな曲よりも共感でき、印象的だと言っているが、その通り。)
遅れて聴くことになったショスタコーヴィチの第1,5,10,15番もまた、いずれをとっても素晴らしい演奏だ。特に5,15番が良い。ただし第15番の演奏は聴くのがかなりしんどいタイプの演奏。一方で今まで聴いてきた他の演奏が「手緩い」という評価もこれならやむを得ない気がする。

マーラーの第10交響曲のクック版も以前から持っていたCDで、これは録音自体が少なかったので貴重だった。 ザンデルリンクの演奏スタイルは、マーラー演奏としては少し異質な気がする。よく聴いていた時期には、演奏自体の良さよりも、クック版に加えられた変更が気になっていたのだが。今聴けば、ショスタコーヴィチにつながっていく流れを感じることができる。ただしそれはショスタコーヴィチから折り返された印象が強い。マーラーが大地の歌、第9,10交響曲だけ、というのはレパートリーとして興味深いが、このこともやはり、その折り返しの感じを強める。
そして、叙事詩的な側面よりも、詩的な側面をより重視するというショスタコーヴィッチでの傾向は、マーラーにもそのまま延長されているように思われる。標題性が強く、世界に向かって絶えずはみ出していこうとする初期の作品や、世界と主観との拮抗がいわばむき出しになっている中期の作品を取り上げないのも、極めて一貫した姿勢のように思われる。少なくとも、後期作品のみを取り上げることによって可能になってくる解釈というのが存在し、それが際立って説得力の高いものであることを ザンデルリンクの演奏は告げているようだ。
第10交響曲はクック版の他の演奏が少なかったこともありかなり有名だが、大地の歌および第9交響曲も演奏は極めて優れていると思う。第9交響曲は、例によって作為のない、淡泊な演奏なので、一般的なマーラー像からすれば、平板で単調、と感じる人も多いと思うが、初期や中期の交響曲ではなく、第9交響曲であれば、こうした演奏スタイルを私は首肯できる。(少し突飛かもしれないが、バルビローリがこの曲において選択した解釈を連想させるようなところもある。ただし勿論、似た演奏だと言っているのではない。)
また、何種類かの録音のある第9交響曲に比べて更に注目されることのない大地の歌は、私が今まで聴いた幾つかの演奏の中では、最も優れた演奏だと思う。音楽の流れの自然さが、この曲の場合には理想的に働いて、他の演奏では、交響曲として構築してしまうか、連作歌曲として解体してしまうかのいずれかになりがちなこの厄介な作品のまさに理想的なスタイルの演奏になりえていると思う。こうした演奏を聴くと、いわゆるマーラー指揮者として、初期や中期の交響曲を得意とする指揮者が、9番、10番はともかくも、こと大地の歌については、本当に的確な演奏が可能なのかと問い返してみたくなってしまう。逆説的なことだが、世界の現象の多様性の模倣からも、主観の、場合によっては自己陶酔的にもなる情態の表出からも遠ざかり、まるで、あの交響曲に関するシベリウスとマーラーの見解の不一致が解消されたかのように、音の有機的な秩序に自然に従うこと、ただし全体性を構築しようという志向はもともと希薄で、音の流れに対して介入し、整理しようとするよりはその流れを尊重し、それに従うことによって、大地の歌の詩的な内実の実現が可能になったかに思える。音楽の持つある側面をことさら強調する(こうしたやり方は、ことにマーラーには多いように思われるが)のではなく、何よりも自然な呼吸によって音楽が語ろうとすることを無理なく語らせているのが印象的である。

ザンデルリンクという人は、極めてドイツ的な演奏をする人という評価が多いようだが、私の聴いた感じは随分異なる。いわゆるドイツ的な演奏に比べずっと湿度が低く、空気が冷たい感じの演奏で、音楽の構成の仕方もずっと作為が少ない。繰り返しになるが、構築的であるよりは、音の有機的な組織の生成・展開の流れを重んじた演奏だと思う。それゆえブルックナーからシベリウス、そしてショスタコーヴィチへと伸びていくレパートリーが非常に自然なものに思われるのだと思う。
端的に一例をあげるなら、ブラームスの第3交響曲のフレーズのちょっとした切れ目に生じる間の豊かさは、むしろブルックナーのゲネラルパウゼや、マーラーの第9交響曲のあの漠とした空間を感じさせる経過部を思わせるような質を担っているように感じられる。こうした空間は、重厚か否かを問わず、歌に満ちた演奏においても、構築性に富んだ演奏においても生じる余地のない類のものであろう。そして同時に、意識して音の有機的な組織を構成し、流れを作り出そうとする、実際には主知的である意味では賢しらな態度からも遠く隔たっているというべきだろう。
ザンデルリンクの音楽の持つ、或る意味では「素朴」といってよい肌触りは、そうした抜け目のない知性の監視下で生じる完全な音響バランスの人工的な息苦しさの対極にあるのだ。もちろんここには執拗なまでの響きに対するこだわりがあるに違いないのだが、にも関わらず生成した音楽の呼吸が自然であることは驚異的だ。そしてその自然さは、音楽が孕む葛藤や矛盾を取り繕ったりすることはない。勿論、ことさらにそうした側面を暴き立てる露悪趣味の対極にはあるのだが、外から理念を持ち込むことによって、楽曲を整形しようしているようには見えない。寧ろ、多少ぎこちなくなっても音楽が自然に呼吸することを優先するのだ。ザンデルリンクはかなり管弦楽のパートを改変して演奏に臨んだようだが、その改変は、一般的な(したがってその音楽にとっては外的な)規範に照らしてその音楽に欠けているものを補うというよりは、個別の楽曲の流れに照らして、技術的な次元でうまく響かない部分を調整するという側面が強いように思える。 またそうした楽曲の生理を重んじる姿勢が、シベリウス、ショスタコービッチ、マーラーのような周縁的で、多かれ少なかれ、そして意識的であれ、半ば無意識にであれ、同時代の音楽の規範から逸脱する傾向のある作品をレパートリーとして持つことを可能にしているように思われる。私見ではブラームスですら、ブラームス本人の「意図」においては古典的、規範的たらんとしているのがあれほど明白だというのに、例外ではない。ザンデルリンクの姿勢はブラームスの音楽がもしかしたら意に反して持ってしまった余剰を決して整除しない。繰り返すが、勿論決して暴きたてもしない。そういうものとしてごく自然に提示するのだ。それは周縁的であるというより、寧ろ個別的なものに対する寛容さ、(不完全さも含めた人間的なものに対する)優しさのようなものとすらいえるかも知れない。そしてザンデルリンクの音楽のかけがえの無さは、この優しさにあるように思える。
そして、こうした意味で興味深いのはブルックナーの演奏、特に最近の第7交響曲の演奏で、これはいわゆるドイツ的な演奏からは遠く離れた、シベリウスが夢見たようなタイプの音楽ではなかろうか、と思えるのである。
またシベリウスの初期(特に第1)交響曲とチャイコフスキーの交響曲の演奏については、それらに関してしばしば言及される連続性をはっきりと感じさせる演奏だと思う。そして同様に、ブラームスの演奏との連続性もまた、際立っている。すべてを伝記主義的に生まれ育った風土に還元するつもりはないのだが、それにしても、 ザンデルリンクの出生地である東プロシアの地政学的な位置づけが思い起こされる。(上述の周縁的なものへの開かれた態度をこれに関連付けることも勿論可能だろう。あるいは方言周縁論との類比によって、周縁的であればこそ、今日ではもう困難になりつつある音楽に向き合うある態度のようなものが「残っている」のだ、という見方もできるかもしれない。)ここで鳴り響く音楽は主観的な情緒や個別的な感情の表出ではなく、世界への向き合い方、ある種の存在の様態そのものではないだろうか。あるいは病的なまでに強調されることすらある感傷的な情緒の氾濫はないが、それに対するしばしば強引なまでの拒絶にも陥っていないという、絶妙のバランスがごく当たり前のように実現されているのは驚くばかりである。

というわけで、私はザンデルリンクの熱心な聴き手というわけではなく、したがってその音楽の特質をバランス良く、包括的に紹介することなどできないのだが、上記のようなレパートリーの作品を聴いた限りで感じるのは、結局ザンデルリンクの音楽の「自然さ」はそれが等身大の、人間的(ヒューマニスティックではない)と呼ぶほかないような音楽の捉え方に由るのではないかということだ。それは何か超越的な規範を目がけることはないし、さりとて個人的な感傷に低徊するこもなく、淡々と、しかし過たずに音楽が語っているものを探り当てるのだ。そして生じる音楽も、自己耽溺的な主体のドラマでないのは勿論だが、それでいて確かな手ごたえと手触りのあるもので、スタイリッシュに外から音響を磨き上げた豪奢さが如何に完璧を極めようと持ってしまうあのまがいものめいた光沢とは徹底して無縁だ。
音の有機的な展開の運動を重んじる一見無作為にすら感じられる態度の背後には、主体の確からしさがあるのだ。もしかしたらその確からしさには、些か頑固な即自性がつきまとっているかもしれないのだが、寧ろかけがえの無いものかもしれない故、それを批判することはできないだろう。というのもpoeticなものを慈しむその音楽の包容力の大きさは、そのようにして確保された主体の確からしさから発しているもののように思えるからだ。
それゆえ、音楽が世界の模倣になりきってしまうことはない。その結果、もしかしたら人がシベリウスに期待する凍てつくような、眺めるものすらいない無人の地はここにはないし、あるいはブルックナーに期待される、宗教的な荘厳さや超越的、天国的と呼ばれるかもしれないある種の情緒とも無縁だ。そしてまた、後期のマーラーやショスタコービッチが、よりによってマーラー的、ショスタコービッチ的だとしてもてはやされることすらあるように見受けられるあの忌まわしい攻撃者との同一化によって客観の暴力の巷と化すこともないのだ。(2002.4初稿, 2007.7.9改稿)

バルビローリのマーラー:略歴

1899年12月2日 ロンドンのホルボーンにて誕生。洗礼名ジョバンニ・バッティスタ。 父のロレンツォはイタリア人。母ルイーズ・マリーはフランス人でピレネー山脈に 近いアルカションの生まれ。父と祖父のアントニオはミラノ・スカラ座管弦楽団のメンバーであり、「オテロ」の初演を演奏している。
1916年 ヘンリー・ウッド率いるクイーンズ・ホール管弦楽団の最年少のチェロ奏者となる。
1917年 最初のソロ・リサイタル(ロンドン)。
1921年 エルガーのチェロ協奏曲のソロを弾く。
1924年 弦楽四重奏団のチェリストとして活動。
1925年 室内管弦楽団を組織。指揮者として活動を開始。指揮者としての最初の録音はこの室内管弦楽団とのパーセルとディーリアス。
1926年 BNOC(ブリティッシュ・ナショナル・オペラ・カンパニー)の指揮者。 最初に指揮したのは、グノー「ロメオとジュリエット」、プッチーニ「蝶々夫人」、ヴェルディ「アイーダ」。(1926年9月)
1926年12月 ビーチャムの代役でロンドン交響楽団を指揮。曲目はエルガーの第2交響曲とハイドンのチェロ協奏曲(ソロはカザルス)。
1926年~1932年 BNOCおよびコヴェント・ガーデンのオペラを指揮。
1927年 HMVのクライスラー、ルビンシュタインなどの協奏曲演奏録音の伴奏指揮をこのころより始める。
1930年4月 オスカー・フリートの指揮するマーラーの第4交響曲のリハーサルに出席。
1931年 ロイヤル・フィルハーモニーのコンサートでマーラーの「子供の死の歌」を指揮、エレーナ・ゲルハルトの歌唱。記録の残っているバルビローリの最初のマーラー演奏。
1933年 スコティッシュ管弦楽団の指揮者。
1936年~1943 トスカニーニの後任、フルトヴェングラーの代役としてニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団の常任指揮者。
1939年10月26,27日, 12月16,17日 カーネギー・ホールでニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団を指揮してマーラーの第5交響曲第4楽章(アダージェット)を演奏。
1942年 イギリスに帰国。
1943年6月2日 ハレ管弦楽団の指揮者としてマンチェスターに着任。
1943年7月5日 ハレ管弦楽団を指揮しての最初の演奏会(ブラッドフォード)。
1943年~1958年 ハレ管弦楽団の常任指揮者。
1945年 マーラーの「大地の歌」を指揮。
1952年 ネヴィル・カーダスにマーラーを指揮するように薦められる。
1953年 ヴォーン・ウィリアムズ「第7交響曲」初演を指揮。
1952年4月2日 ハレ管弦楽団とのマーラーの「大地の歌」がラジオ放送される。
1954年2月 マーラーの第9交響曲を初めて指揮。バルビローリによるマーラーの交響曲の最初の演奏(第5番の「アダージェット」のみの抜粋演奏は除く)。
1955年11月 マーラーの第1交響曲を初めて指揮。
1956年5月2日 献呈を受けたヴォーン・ウィリアムズ「第8交響曲」初演を指揮。(同6月録音。CDSJB1021)
1957年6月 マンチェスターでハレ管弦楽団とマーラーの第1交響曲をPyeに録音。
1958年5月 マーラーの第2交響曲を初めて指揮。
1958年~1968年 ハレ管弦楽団の主席指揮者。
1959年1月8,9,10,11日 カーネギー・ホールでニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団を指揮してマーラーの第1交響曲を演奏。(1月10日の演奏会の記録あり。)
1960年 はじめてベルリン・フィルハーモニーを指揮。
1960年10月 マンチェスターでBBCノーザン交響楽団・ハレ管弦楽団を指揮してマーラーの第7交響曲を演奏。
1961年~1967年 ヒューストン交響楽団の主席指揮者。
1961年11月 マーラーの第10交響曲の第1,3楽章を指揮。
1962年12月6,7,8,9日 フィルハーモニック・ホールでニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団を指揮してマーラーの第9交響曲を演奏。(12月8日の演奏会の記録あり。)
1963年4月 マーラーの第4交響曲を初めて指揮。
1964年1月 ベルリンのイエス・キリスト教会でベルリン・フィルハーモニー管弦楽団とマーラーの第9交響曲をEMIに録音。
1965年 ベルリンでベルリン・フィルハーモニーを指揮してマーラーの第2交響曲を演奏。
1965年1月 マーラーの第6交響曲を初めて指揮。
1966年1月13日 ベルリンでベルリン・フィルハーモニーを指揮してマーラーの第6交響曲を演奏。
1966年3月 マーラーの第5交響曲を初めて指揮。
1967年1月3日 プラハでBBC交響楽団を指揮してマーラーの第4交響曲を演奏。
1967年 ロンドンでフィルハーモニア管弦楽団とマーラーの第6交響曲をEMIに録音。
1967年8月16日 ロンドンのロイヤル・アルバート・ホールでのヘンリー・ウッド・プロムスでフィルハーモニア管弦楽団とマーラーの第6交響曲を演奏。
1967年4月 マーラーの第3交響曲を初めて指揮。
1968年~1970年 ハレ管弦楽団の終身桂冠指揮者。
1969年 ロンドンでフィルハーモニア管弦楽団とマーラーの第5交響曲をEMIに録音。
1969年3月8日 ベルリンでベルリン・フィルハーモニーを指揮してマーラーの第3交響曲を演奏。
1969年5月3日 マンチェスターでハレ管弦楽団とマーラーの第3交響曲を放送用に演奏。
1970年4月 シュトゥットガルトでシュトゥットガルト放送交響楽団を指揮してマーラーの第2交響曲を演奏。
1970年7月 EMIに最後の録音。曲目はディーリアスの「アパラチア」「ブリッグの定期市」。オーケストラはハレ管弦楽団。
1970年7月24日 最後のライブ録音となったキングズ・リン・フェスティバルでのハレ管弦楽団との演奏会。エルガー「序奏とアレグロ」「第1交響曲」(BBCL4106-2)。
1970年7月25日 キングズ・リン・フェスティバルで最後の演奏会。最後の曲はベートーヴェン「第7交響曲」。
1970年7月27日 ニュー・フィルハーモニア管弦楽団との日本公演のためのリハーサル初日。マーラー「さすらう若人の歌」「亡き子を偲ぶ歌」。ソロはジャネット・ベーカー。
1970年7月28日 日本公演のためのリハーサル第2日。ブリテン「シンフォニア・ダ・レクィエム」、ベートーヴェン「第3交響曲」。
1970年7月29日 心臓発作にてロンドンで死去。

バルビローリのマーラー:「ジャクリーヌ・デュプレの思い出」の中のバルビローリ


サー・ジョン・バルビローリの演奏に接したのは、まだ子供の頃、シベリウスの交響曲 (EMIの第5,6番のカップリングおよび第1,7番のカップリングの2枚)がはじめで、 この4曲については、今にいたるまでずっとこの演奏がスタンダードである。
最近故あって、バルビローリを映像で見る機会があった。
一つは、奥さんがソロのハイドンのオーボエ協奏曲のバンクーバー交響楽団との リハーサル風景を撮ったもの。もう一つは「ジャクリーヌ・デュプレの思い出」。 全体としては前者の方が面白かった(これはもともとバルビローリに関心がある 訳だから当然。)が、ここでは後者のことを書きたい。
とは言っても後者ではほんの2回、時間にして1分あるかないかしか登場しない。 別にデュプレとの共演があるわけでもなく、完全な脇役としてまさに思い出を 語っているだけなのだが、その表情と言葉が印象的で心に残る。
バルビローリ自身がもともとチェリストであったこともあり、デュプレの才能に 早くから気付いた(コンクールの審査員をやっていたようだ)。2回目に出てきた ときに、バルビローリは、デュプレの演奏を「やり過ぎ」とする立場に対して、 自分にはそのやり過ぎが好ましい、若いうちはやり過ぎてもいいのだ、 そうでなければ齢を重ねていく意味がない、といったことを言っている。
そう語るバルビローリはそうした齢の積み重ねの末の円熟の極みにあった。 しかし、そうして擁護されたデュプレはバルビローリが円熟の最中で没して わずか3年の後、病のためにチェロを弾けなってしまうのだ。勿論、語っている時の バルビローリはそれを知る由もないのだが、、、そうしたことがほんのわずかな 瞬間に駆け巡った。ほんのわずかな時間だがかけがえのない、貴重な記録だと思う。

バルビローリのマーラー:バルビローリを聴くことをめぐる幾つかの視点

私がバルビローリを聴く際の前提となる環境については上述した通りであるが、ここから、 聴取をめぐって幾つかの視点が思い浮かぶ。それを以下に記しておきたい。 それぞれの視点は、更に展開することができる(あるいは展開しなければ意味がない) だろうが、とりあえずは視点の提示のみにとどめる。

最大のポイントは実演を聴いたことがないこと、レコードないしCDを通した聴取に限定 されていることだろう。間接的とはいえ間違いなく同時代性に支えられたラジオ放送の 聴取すらない。例えば、日本では既にながらく、そして恐らく今後も実演を聴けない アーノンクールも放送を通じてなら、同時代の空気の中で聴取することは可能だが、 バルビローリについては、実演もラジオ放送もクロノロジカルに不可能だったからだ。
近年、いわゆる「真正な」ライブ録音がリリースされるようになって環境は 大きく変わってきたし、インタビューの記録やリハーサルの映像記録などを通して、 実演以外の側面を知ることでより立体的な把握ができるようにもなってきているが、 それらは「歴史的」記録であり、同時代のものではない。また、そうした 歴史的録音を聴いた上で、例えば1964年にあのデリック・クックが書いたバルビローリに ついての文章を読むと、かえって実演に接していないことの限界を感じずにはいられない。
そこで実演の「アウラ」なしに論ずることにどれだけの意味があるか?という疑問が 浮かぶ。録音の記録のみの享受は、人によっては致命的と考える条件かも知れないが、 それでは、アウラは全く消滅してしまうのか?
同一の記録を何回も繰り返し聴くことは、確かに1回性の実演の享受とは異なる とはいえ、しかし、聴取自体はその都度異なるのである。 演奏者の立場から言っても、演奏会場でのその都度の演奏を決定する要因が、 その場にいなければ歪められてしまう、録音記録では、意図が致命的なほどに 損なわれるという立場もあれば、スタジオでのテイクの繰り返しによって、 己の欲する音の姿を追求する立場だってあるだろう。 つまるところ、実演に優るものはない、という前提は認めた上で、後は その演奏家自身の立場、更には(演奏家の意図なり立場なりは、実現された ものとは別であるという考えには説得力があるので)実際に実現されたもの によって、録音の記録にも一定の意義は認めるべきだろう。
救い出す必要があるのは、1回性のアウラそれだけではない。そして 録音の記録により救い出せるものがない、と断言することができるかどうかは 少なくとも問うてみる価値はあるだろう。
つまるところ私は、それが全く無意味というようには考えない。なにより バルビローリ自身がキャリアの非常に早期から録音に積極的に取り組んでいるし、 バルビローリの演奏像を考える際に、当時のスタジオでの録音の環境というのは 無視できないと思うからだ。つまりバルビローリ自身が、録音を通じた演奏行為という 演奏の在りかたに対して、積極的に関与しているという点は見逃せないと思うのである。

いずれにせよ、私にとっては録音記録を通してしかバルビローリは知りえないのだが、 これに関連して、更により一般的に、時間的・空間的な隔たりの実感についても 無視することはできないように感じている。
これまた無いものねだりには違いないが、まずは埋めがたい生活空間の違いの感覚だ。 例えばVWのロンドン交響曲への、或いはエルガーの中ならコケイン序曲への 疎遠感は、そこに起因しているような気がする。
私はバルビローリの音楽には「ニュートラルな」側面があると考えているが、それは レコードやCDのみで、空間的に遠くはなれた日本で、時間的にも過去の音楽として聴いて いることに由来しているかも知れない、という感じは拭えない。勿論、それだけではないと 考えているが、そうした状況の寄与をどれだけ分離できるかは定かではない。
時間的な懸隔については、記録を通してしか知りえないということに関連して、 そうした聴取の様態を含めた上で、更に、「終わったもの」を聴いているのか、という 問題もあると思う。ただしこの命題は寧ろ検討の対象だろう。実のところ、アドルノがあれほど 生理的に嫌悪した、そして、例えばチェリビダッケが挑発的に、ツェンダーが控えめに、 けれども何れも断固とした調子で語った嫌悪の対象である録音によって支えられた「文化産業」 そのものが終焉しようとしているかも知れないのだ。今や立場は転倒する。
それが商品として流通するにしても、かつて可能であった入念なスタジオでの作業の方が、 今や稀になった良心を証言するものになっているかのようなのだ。もっと言えば僻遠の地あっては コンサートホールでの実演とて、録音と変わるところはない、否、選択の余地がない分、(もしそれを 拒むのなら)ある種の操作の介在は、コンサートホールにおいてこそあからさまかも知れない。 かつては過去の創作が演奏会場で現実の演奏によって消費されていたというのに、 今や実演を含め、同時代のものよりもより多く過去の歴史的録音が消費されつつある。 かつての私にとってはそうでなかったといえ、今やバルビローリもそうした過去の記録の一部を なすことは否定しがたい。というわけで、何重もの意味合いにおいて明らかに過去となったものに 向き合うことの意味は何だろうか?
演奏の記録を「無自覚的な歴史記述」として捉えてしまっていいのかに ついては疑問が残る。勿論、そういった側面がない、というのではない。 それどころか、特に厳密な意味での同時代性が成立しないような事象について、 そこに時代的なものがどうしようもなく感受されるというのは寧ろ「自然」な 態度であろう。問題は「歴史記述」として捉えるその態度そのものが、 経験をある種の図式に当て嵌めてしまい、経験の「収まりの悪さ」を切り捨てて しまうことになりかねないことである。そうはいっても歴史的文脈を離れた 非時間的な議論など架構に過ぎないのではあるが。

一方で、こうしてバルビローリに「ついて」書く、というスタンス自体についての 疑問もある。演奏(再生産)にフォーカスし、更にその際に指揮者という「特殊な」演奏者に 焦点をあてて、その演奏を享受する立場に限定して言えることは何なのか? 勿論、批評をするつもりはなく、聴取の感想を書いているに過ぎないという前提をおいた上で、 その感想とは一体どういうものなのか、ということである。 この問題は、明らかにトリヴィアルな享受の極の貧弱さ(なぜなら、その貧弱さは「私」と いう個別の問題だから)と、恐らく本質的な、指揮者という何重にも間接的な存在に フォーカスをあてる、しかも、一般論としてのファシズム的な指導者原理との近縁性などと いった次元ではなく、こちらもまた個別的にバルビローリという個人にフォーカスをあてるという 立場が齎している困難との2つの複合である。
創作の極は措くとして、演奏についても私のように貧弱な実践の経験しかない私のような人間に 語れることは何なのか? 一方で、創作の極と演奏家の「個性」とはどういう関係にあるのか?おまけに指揮者というのは 自分は奏でない。楽譜というのが手がかりに過ぎない、不完全な媒体であるのは 明らかだが、そうした不完全なものを媒介した再現にとって「個性」とはどのように位置付ける べきなのだろうか。
これに関連して、ではバルビローリの音楽ならそのすべてを無差別に、自分にとって疎遠な音楽も 含めてすべて聴くのか、という問題もある。個人的には実際にはこの問いに対する答えは初めから 出ていて、どう抗おうと、自分が聞かない音楽についてその演奏を論じることはできないのだが、 そのことはここに書かれたことの意義に疑問を突きつける。創作の極なら、ありとあらゆる演奏を、 演奏の曲なら、ありとあらゆる音楽を扱わずして可能なことは何なのだろうか、というわけだ。

このような状況下において近年、まるでかつて流行した「タイムカプセル」のような記録が 「発掘」され、市場に流通することになった。キャスリン・フェリアがアルト・ソロを歌う、 バルビローリ指揮のハレ管弦楽団によるマーラーの「大地の歌」1952年4月2日の記録である。 個人がラジオ放送を偶々エアチェックして録音したものらしく、第1曲の冒頭7小節が欠落している ものだが、もしかしたらこの記録こそ現在置かれている状況を端的に物語っているかも知れない。 私ははじめ、これを単なる記録としてのみ考えていた。しかし、実際に演奏を聴いてみると、 その立場は途端に怪しいものになった。それではバルビローリを聴くために更に過去を遡ったり、 自分の普段は聴かないレパートリーに手を広げるべきなのか?出所も怪しく、場合によっては真偽 すら定かでない録音まで聴くべきなのか?残念ながら、私はそこまで熱心な聴き手になれそうにない。 すでにCDで50枚を超える演奏記録を前にして、かつて始めて聴いたあのシベリウスの交響曲の LPに向かったときの思い入れを、それら全てに対して抱くことはできそうにない、と嘆息する のが現実なのである。要するに、バルビローリ「について」語る、というのはやはり僭越な 言い方に違いないのだ。

ここで結論めいたことは到底書けないが、以下のことは確実にいえると思う。
最終的にはクオリアが全てに優越する。これを言えば後に何も言うことはなくなってしまう。 けれども、最後の拠り所、否、それ無しには最初の一歩すら 存在しないという意味での「根源」は、儚い束の間のクオリア以外にはありはしない。その経験は、 結局のところいかなるものにも還元することはできない。音楽はそうした経験の特権的な様態である という立場に私は与する。そして私の意見ではとりわけバルビローリの音楽はより一層、そうなのだ。
そしてまた、ミームの産出によってしか不滅性へ向かうことはできない。それがどんなに取るに 足らないものであっても。
勿論、どんなにうまくいっても、つまるところ(価値についてはここでは疑いようのない) バルビローリの演奏すら、それは理念としての不滅性になど届きはしない。けれども、そのように しか神の衣を織ることに与ることはできない。取るに足らぬものであれば、それに相応しく、 淘汰によりそれは消し去られるであろう。
録音を貶める立場があってもいいだろうが、けれども遺された録音が聴かれ続けること、 そしてそれに触発される人間が僻遠の地にいることが、ミームとしての卓越性の証であると思う。 私の印象の記録など、それ自体はミームとして粗悪で拙劣なものだが、それでもそうした複製を 生み出したという事実が、バルビローリの演奏の記録の卓越性を証することになればと願っている。

バルビローリのマーラー:バルビローリの演奏スタイルについてのコメント

一方で、そうした豊かさが聴取の経験としては、当たり前のように、ごく自然なものとして 感じられるとしても、それはバルビローリの解釈が無意識的な、感性だけで音楽を捉える類の ものであるということを意味しはしない。
バルビローリの音楽を一言で言えば、それは意識の音楽ということだと思う。意識の音楽と いうのは、自我の音楽でも世界の音楽でもない、自我と世界の関係の音楽だということだ。 そしてバルビローリにおいては、その関係は緊張することはあっても破綻することはない。
また、垂直軸の欠如というのもバルビローリの特徴の一つだと言えるかもしれない。 立ち上がって水平線を見やることはあっても、天から何かが降りてきたり、空中を浮遊したり することのない、足が地に付いた音楽、「人間」の音楽のように思える。勿論、これは バルビローリの限界でもある。バルビローリの音楽は常にわかりやすく、そしてそのわかり やすさは稀有のことではあるのだが、一方で、もしかしたらわかりやすすぎるかもしれない、 と思える瞬間もなくはない。エルガーがそうであるように。
それゆえシベリウスの演奏においても風景の中にいる私が消滅することはないし、ブルックナーの 音楽が所与として天から降り注ぐこともない。音画のような音楽であっても単なる静止した客観の 模倣になることはなく、主観の極が残っている。マーラーの場合には世界と主観との関係は一様ではなく、 それは関係を時折損なうほどまでに緊張を帯び、結果として世界が遠のく、主観の没落の瞬間が あるのだが、バルビローリのマーラー演奏にとって世界との間には緊張はあっても、決定的に 虚無と向かい合うような瞬間はないように思える。第9交響曲の第4楽章の結末においてすら、 眼差しを投げかける主観が残っているのだ。その一方で逆に、それは主観の情緒なり感傷なりの 表現になりきってしまうこともない。 寧ろここでの主観は、個別の経験に翻弄される存在、外部に開かれて傷つく儚い存在なのだ。

その音楽の経過は物語の経過、「意識の流れ」なのだが、それを直接的で無媒介に「自然なもの」と して装ったりはしない。それは「自然な」演奏ではあるが実際には作為的で、意識的に歌われる ものなのだ。そこにはジュリーニにおけるような到達されるべき均整もないし、ザンデルリンクに おけるような音の自発的な生成展開もなく、出来事に満ちており、予定調和的な結末はありえない。 ただし調和が否定されるのではなく、それはその都度、本気で追及されるのである。
バルビローリの演奏は、演奏というのが常に媒介されたものであり、作曲者の意図に対しても、 実現された作品に対しても演奏者が透明になることはないのだ、と告げる。不完全な備忘に 過ぎない楽譜への忠実さを担保とするような客観的解釈は虚偽である。そして客観的でなければ 必ず恣意的であるということには勿論ならない。バルビローリの演奏は作曲者の意図と実現された 作品の間の一致、あるいは齟齬もひっくるめて、それらを自明のものとはしない。もう一度、 自覚的に引き受けなおされ、媒介されるのだ。大抵の場合に情緒的に聴かれる(そしてそれ自体は 別に誤りではない)にも関わらず、そしていつも成功しているわけではないとはいえ、そうした 姿勢こそ際立っているように思われる。

それゆえか、バルビローリの場合には、作品自体が(つまり創作の極において既に)媒介されている、 直接性が虚偽であることに気付いている作品において、その解釈は遺憾なく発揮されるようだ。 その端的な例はマーラーであろうし、逆に作品が無意識的な証人であるようなブルックナーの ような場合には、そうした自明性への(「批判哲学」というときの批判の意味合いでの)批判の 立場が顕わになり、聴く人を驚かすことになるのだ。
いわゆる「知性派」的なクールさをトレードマークとする指揮者達とは異なり、バルビローリは 情緒的で、寧ろムーディな聴かれ方をされがちだが、実際には「表現」によって、我々に現象する 物象とそこに生きる我々の自明性を批判し、自明性のうちに生きる理性を覚醒させ、それに 責任をとらせる、そうした現象学的ともいえるようなような姿勢があるように感じられる。 その姿勢が時代遅れに感じられる分だけ、今や批判的な機能を持っているかも知れないのだ。
一方、バルビローリの音楽は抜け目のない知性の監視下にあっても、完全な音響バランスの 人工的な息苦しさからは逃れている。もちろんここには執拗なまでの響きに対する こだわりがあるに違いないのだが、にも関わらず生成した音楽の呼吸が自然であることは驚異的だ。 そしてその自然さは、音楽が孕む葛藤や矛盾を取り繕ったりすることはない。 外から理念を持ち込むことによって、楽曲を整形しようしているようには見えない。 寧ろ、多少ぎこちなくなっても音楽が自然に呼吸することを優先するのだ。 矛盾を矛盾と呼ぶことがバルビローリにおける自然さなのである。

ただしそれは、今日あるタイプの演奏がそういわれるような、矛盾する要素をそのまま放置 するような挙措とは異なる。矛盾を矛盾として音楽が感じて、調停が志向されるのであれば、 まさに調停を志向するのだ。ただしその調停が成功し、矛盾が解消されたふりをすることは ないのである。
またそうした楽曲の生理を重んじる姿勢が、シベリウス、マーラー、あるいはエルガーのような 周縁的で、多かれ少なかれ、そして意識的であれ、半ば無意識にであれ、同時代の音楽の規範から 逸脱する傾向のある作品をレパートリーとして持つことを可能にしているように思われる。 ブルックナーの交響曲してもそうだし、私見ではブラームスですら、ブラームス本人の 「意図」においては古典的、規範的たらんとしているのがあれほど明白だ というのに、例外ではない。バルビローリの姿勢はブラームスの音楽がもしかしたら意に反して持って しまった余剰をそのようなものとしてはっきりと提示するのだ。 それは周縁的であるというより、寧ろ個別的なものに対する寛容さ、(不完全さも含めた 人間的なものに対する)優しさのようなものとすらいえるかも知れない。
個別的な経験へのこだわりは、その経験の深さと現象への接近の程度の点で、「かつての」 新ロマン主義よりも寧ろ、印象主義を思わせる徹底ぶりである。実際、特に壮年期の演奏において バルビローリの演奏は、より多く印象主義的であるように思われる。
ただしバルビローリの演奏はそれが媒介されていることを忘れない。その認識が深まる 晩年の特にスタジオでの演奏においては、それゆえ寧ろ表現主義的と言いたくなるような緊張が 支配するようになる。ここで私が緊張を見出す同じ演奏に、ある種の弛緩を見出す人がいることは ある意味では驚きだが、けれども実はそうした感じ取り方にも一理あるのだ。なぜなら、 そこには反省が、それゆえの「遅れ」が介在しており、それが音楽を、何か統一された 主張を行う主観的表出という捉えかたからすれば、何か既に脆さを、解体に瀕した危うさを 感じさせるものにしてしまっているからである。緊張は、声高に主張する主観のそれではなく、 主観が世界に対してとる関係のそれなのである。バルビローリの演奏においては「表現」の 内容というよりは、「表現」とは何かの定義そのものが問われているように思われる。

バルビローリの演奏は、チェロを弾いていたせいか、弦楽器の扱いが徹底している。新しい曲を 準備するにあたって、弦楽器のパートの奏法をすべて記入しながら進めていったそうだが、 そうした技術的な細部が、特に弦楽器に特徴的なサウンド、そして独特のフレージングの実現を 支えているのである。
旋律線は生き生きとしていて歌う自由を優先する。一糸乱れぬアンサンブルは志向されない。 フレーズや音響バランスの「プロポーション」よりは、その時点時点での音響事象が要求する 質の変化を実現することに注意が払われている。
構築的な演奏でも、音の有機的な生成・展開の流れを重んじた演奏のいずれでもない。 そこには音楽の構成の仕方に対する作為があるが、ただしそれは構築性に行かない。 つまり、音楽を音響素材による時間上の建築として捉える方向性には行かない。
バルビローリの指揮の技術的な側面から言っても、そのタクトはリズムの正確さや、 アンサンブルの精密さを要求するものではない。それは人間的な呼吸の生理に忠実で、 限りなく繊細なニュアンスの変化を表現することが優先されているように思われる。 テンポの変化や強弱法も、そうしたニュアンスを殺すことなく、掬い上げること を前提に設計されているようで、無理はないが、それは自然というのとは少し異なる、 極めて綿密な計算を感じさせるものだ。歌うことの自発性を求める一方で、醒めた 反省的な知性を感じさせることもまた、確かなのだ
テンポの極端な揺れ、極端な強弱のコントラストも、音楽がそれを要求していると 感じられる場合には、思い切って採用される。それは恣意的な「ルバート」ではなく、 音楽自身が欲する微細なテンポの揺れが其処彼処にあるのだ。 息をつげないようなインテンポ、息をひけないような間合いはバルビローリの演奏には 存在しない。そうした意味でその音楽は極めて感覚的・身体的・人間的だ。古典的な 均整からは程遠いにも関わらず、主体抜きの音楽というのは、ここではありえない。
人間中心主義的なスタンスは、怜悧な聴き手にとって場合によっては中途半端で詰めの 甘いものと映るかもしれない。あるいは人によってはこれを中庸と呼ぶかも知れない。 実際、その演奏は何か刺激的なハプニングを志向しているわけではない。また、宗教的な 感じも希薄で、その音楽には超越はないが、さりとて自己充足的でも内在的でもない。それは 予め措定されたものとしての別の場所を持たないゆえ、垂直軸を欠いているのだ。時間論的には、 過去とも未来とも密接で、生成の瞬間の拡大にも、持続する現在の充溢にも関心はない。 音の向こう側や手前にあるかもしれないもの何かを求めて眼差しが彷徨う。 今、ここに鳴り響く音楽の直接性では不十分なのだ。バルビローリの演奏は世界という 契機を内在化することがなく、外部への意識が常にどこかにあるのだ。それは決して そういうものとして実現しない。常に現在において予感される、あるいは実現されたかも 知れないものとして回想されるばかりである。
バルビローリの音楽には其処此処に空虚が存在する。 歌は自発性を帯びて、ぎっしりと犇き合うにも関わらず、空間を隙間無くポリフォニーで 埋め尽くすことはない。ここでは静寂、音と音との合間は歌によってコントロールされることなく、 あのぞっとするような感触を留めている。その音楽は経過毎に自足することなく、 常に今ここにないものを求める動的な性格を帯びるため、コントラストには事欠かない。 場合によってはあまりに歪な印象や、客観性の欠如を感じると言われるのはそのせいだろう。
人間中心主義はイタリア系の指揮者の生理という側面があるかも知れないが、 イギリスに生まれたバルビローリは、例えばジュリーニと比較したとき、同じように 人間的であっても、同じように歌に満ちていても、周縁的なものやバロックなものへの開かれた態度に よってはっきりと区別されるのである。
あえて言えば、不自然であることを肯定する態度、音楽自体が歪であっても、それをあえて 「あるべき」姿に矯正してしまうことなく、ありのままで提示しようとする姿勢が バルビローリにはあるのではないか。個別の音楽という仮象を超えて、寧ろア・プリオリにあるべき 理念的な秩序というのが想定されることはなく、あくまで個別のものから出発して、そのまま 概念になろうとするのである。それはあくまでも人間の経験に忠実で、外的な規範を捏造することは ない。望まれはしても達成できていないものを、達成できたかのように取り繕うことはしないのだ。
結局バルビローリの音楽はそれが等身大の、人間的(ヒューマニスティックではない)と呼ぶほか ないような、ただし徹底的に反省的な姿勢に貫かれているように思われる。 それは何か超越的な規範を目がけることはないし、さりとて個人的な 感傷に低徊することもなく、音楽が語っているものを捜し求めるのだ。
しかもバルビローリにおいては主体は遍歴した結果変容して帰還するのである。 つまるところバルビローリの場合、主体=人間の極は消え去らないが、それは出来事により 非可逆的な変容を蒙るのだ。体験の極の受動性は主体を堅固にすることなく、寧ろ主体の 傷つきやすさを明らかにする。
そしてそれは聴取のプロセスについても言えるようだ。聴き手もまた、揮発してしまうことなく、 最後まで聴きとおさなくてはならない。 バルビローリの演奏を聴くことは、音の半ば自律的な運動に身を委ねるということにはならない。 聴き手は音楽を通して、外へと向かわされる。出来事の生々しさを体験するのである。

徹底的な音楽への無私の奉仕の姿勢が、とてつもなく個性的な音楽を生み出す。 そしてもしかしたら本当はありはしないところにまで、物語を、主体の遍歴を読み出そうとする、 そうした音楽に対する反省的な姿勢が、すこぶる個性的な身振りでもって、個別性を取り出す ために個別性を乗り越えようとするのである。
音楽は直接的で感覚的な身体性の位相で達成されていて、思弁的であったり、両義性を装ったりは しないが、その身体性は、外界の事象を感受する感覚器の発達という人間のもつ生物学的な条件に 敏感でいながら、出来事によって変容を蒙った内部状態を忘れることなく、変容を惹き起こした外部のみを 志向せずに、その接点で発生している出来事、経験を語ろうとしているのだ。それは優れた意味で 意識の音楽であり、内部事象への沈潜や、出来事を感受する界面へのこだわりがあるのだ。ここでは 音楽の感覚的な位相は、そうした出来事の質を、クオリアを表現するための媒体として、不可欠な ものではあるが、自己目的化されることはない。それは現在の豊かさを損なうまいとする。 それは時間性の淵源である出来事の豊かさを、つまりはベクトル性の深さを表現しようとする。 音楽そのものになる手前で主体はとどまる。緊張は解消されず、全体性はここでは実現されない。 それゆえ、音楽が世界の模倣になりきってしまうことはないのである。
経験をできるだけ飼い馴らすことなく語る、まさにそのために、隅々まで音楽が コントロールされることになる。こうした意味でバルビローリの音楽はとことん主体による 作為の音楽だ。そこには主体の操作がある。そしてそれゆえ意図を裏切って、あまりに人間的な 限界に到達するのである。
その結果、もしかしたら人がシベリウスに期待する凍てつくような、眺めるものすらいない 無人の地はここにはないし、あるいはブルックナーに期待される、宗教的な荘厳さや超越的、 天国的と呼ばれるかもしれないある種の情緒とも無縁だ。 そしてまた、マーラーの音楽が、よりによってマーラー的だとしてもてはやされることすらあるように 見受けられるあの忌まわしい攻撃者との同一化によって客観の暴力の巷と化すこともないのだ。
ちなみにベルクの音楽のイギリス初演をしたり、シェーンベルクの前「新音楽」時代の作品である ペレアスとメリザンドの録音が残っていたりするが、アドルノ言うところの「新音楽」に対して バルビローリは明らかに否定的だったし、ショスタコービッチの音楽に対しては関心がなかった ようである。(1963年の第5交響曲の演奏の録音がBBCからリリースされたので、全く演奏しなかった わけではないようだが。)推測ではあるが、そこにも、音楽のありように対する 立場に由来する、積極的な選択があった筈だと思う。いわゆる啓蒙主義の極限であるモダニズムにも、 マーラーを反対側から辿りなおそうとするかのような企てにもバルビローリの音楽は疎遠である。
人によっては、バルビローリは手前で立ち止まってしまったという廉で批判があるかも知れない。 けれども、進歩を測る根拠をなす歴史的な視点は、それ自体、自分に合致せぬ類の経験を 自分の寸法に合わせて切り捨ててしまったのではないかという疑念もまた拭い難い。 一見手前で立ち止まったバルビローリの方が、媒介されたものと経験の緊張関係に対して、より 忠実ではなかったかと問うことはできないだろうか。勿論、音楽は哲学的な叙述に対して 個別的な経験の質について優位にある。更に加えて、すでに出発点であからさまに媒介されたものである 演奏は、概念化しようとする叙述を常に超え出ているのだ。
経験の質の移ろいをくまなく捉えようとするその態度の背後には、感受性に富んだ主体がある。 もしかしたらその感受性は、野暮ったい程堂々と意識のざわめきを表出しようとして、音楽を 「上品な」ものにしたい人々の顰蹙をかうかもしれないが、寧ろかけがえの無いものかもしれない故、 それを批判することはできないだろう。バルビローリの限界は、その演奏の価値を損なうことはない。 寧ろ私は、そこに主観性の擁護を見出したいように感じている。

バルビローリのマーラー:バルビローリとの出会い

バルビローリとの出会いは2枚のレコード。シベリウスの第5,6交響曲、第1,7交響曲のLPである。 恐らく1978年くらいのことで、まだバルビローリが没してから10年は経過せず、そして録音が 行われた時期から数えてもやっと10年が経つか経たないかといった頃合いのこと、まあ、 同時代の演奏であったといって良い。例えばフルトヴェングラーは過去の人という意識が あったが、バルビローリは既に没していたのを知っていたにも関わらず、過去の人という 感じはしなかったように思える。
地方都市の子供にとって1枚のLPの持つ価値は大変なもので、特にシベリウスの後期の交響曲に すっかり魅惑されたため、この2枚は宝物であった。本当だったら残りの3曲もバルビローリの 演奏が欲しかったのに、私の住む町のレコード屋には、それきりバルビローリのシベリウスの LPは入らなかったため、例えば有名な第2交響曲の演奏(1966)を聴くのはその後10年以上も 後のことになる。いずれにせよ、バルビローリは私にとってシベリウスの演奏者であった。
その後はブラームスの交響曲の録音や変わったところではチェコ・フィルを振ったフランクの 交響曲などもあったが、エルガーの交響曲の録音を聴いたのをきっかけに様々な曲の演奏を 聴くようになった。丁度1999年が生誕100年にあたっていたこともあり、古い録音が復刻され たり、今まで埋もれていた音源がリリースされたりして、今ではかなりの曲をバルビローリの 演奏で聴くことができる。
その中で、私にとってのバルビローリの演奏の「核」はエルガーである。 シベリウスもマーラーも、プッチーニもR・シュトラウスも、ブルックナーもブラームスも、 エルガーを軸にして考えると、その演奏の有り様が理解できるように思えるのだ。
私は残念なことにバルビローリの実演に接することはできなかったし、そもそもバルビローリの 演奏を聴き始めたのは彼の死後であって、厳密に言えば、遅れてきたものになるが、それでもなお 既述の通り、聴き始めた時にはそれは同時代の音楽であったと思う。
しかし現在、バルビローリは確実に過去の指揮者の一人になってしまったように見受けられる。 もしかしたら、もはやバルビローリにおけるような世界の感受のありようは、現代においては 少しばかり時代錯誤なのかもしれないとも思う。バルビローリの音楽には現在の豊かさが 当たり前のように、ごく自然に息づいているが、こうした豊かさはもしかしたら現代では もっと遠回りをしなくては、もっとずっと知的な操作を経た上でなければ獲得できないのでは ないかという気がする。勿論、ここで言っている豊かさの有無は音楽の価値とは何の関係もない。 むしろ、現代において豊かさが当たり前に得られると考えたり、そうであることを装ったりする ことには、何か懐疑的になってしまうということなのであるが。(そして、ここでもエルガー との並行性が見られるように思う。)

バルビローリのマーラー:大地の歌・ルイス(Tn)、フェリアー(A)、ハレ管弦楽団

1952年4月2日のラジオ放送のエアチェックのCD化。放送音源のCD化ではない。また第1楽章冒頭の 7小節ばかりを欠く。「買ったばかりのテープデッキを試してみようと偶々エアチェックしたのが この放送であった」という「いわく」もあって、CDのリリース時には大変に話題になったようである。
私は歴史的な記録としての価値によりCDを収集しているわけではないので、そうした経緯から 当然の事として推測される音質への不安と、何より冒頭の欠如のため、記録以上の価値はない ものとして聴くのを永らく控えていた。しかし実際にはバルビローリ協会編集の生誕100年CDが その原則を既に破ってしまっている(その証拠にこのCDを聴くことはない)し、この曲目と 演奏者の組み合わせであれば、記録としてであれ持っている価値があるものと考え、入手して 聴いてみることにしたのである。
結果的には、それは私にとっては「単なる記録」を超えるものであった。確かにノイズもあれば 音とびと思われる箇所もあり、音質的には内容を判断するのに慎重にならざるを得ない程度の ものだろうし、とりわけ極端に狭められたダイナミックスは、本来演奏が持っていたであろう ニュアンスを大きく損なっている。 しかし、演奏は「子供の死の歌」に続く連作歌曲集としてのアプローチでは 際立って説得力のあるものであるに違いないと想像させるだけのものがある。バルビローリ・ ベイカー(バルビローリの「夢」におけるフェリアーの後継者である)による後年の 「子供の死の歌」から受ける感触に極めて近い、というのが私の印象である。(勿論、 この「近さ」は例えば歌唱の質について言われているのではない。音楽に対する姿勢や、 聴こえてくる音の成り立ちに、構造的な同型性のようなものを感じる、といった程度の意味である。)
ここでは東洋趣味は影を潜め、楽音はきっちりとした実質を備えていて、感傷からは程遠く、かつまた 陶磁器のような人工的な儚さとは無縁である。また、多くこの曲に期待される世界観や人生観 「というもの」、恐らく西欧のフィロゾフィーの訳語としてではない語義で日本語でしばしば 「哲学」とか「思想」とか呼ばれるものを読み取ることもできない。従ってこの音楽に、ユーゲント シュティル的な異国趣味といった時代的な要素を欲したり、あるいはまた、自己耽溺的な主観の哀傷の ドラマや、ある種の世界観の表明を読み取ることを望むなら、この演奏はその期待にはそぐわない だろう。

ここにあるのは、過ぎ去ったもの、あるいはかつて起こり得たかもしれないものに対する眼差しで あり、それが過ぎ去ったものであり、今や(子供の死の歌についでまたもや)「もはやかつての ようではない」という認識の感受なのだ。最終曲の管弦楽の間奏はその断絶の意識そのもの であるかのようだ。そして、断定は控えたいが、この演奏の終結部は、感覚的に聴き手を どこか余所の場所に連れて行かないように感じられる。どこかに還りつくこともない。 (もう一度第9交響曲においてそうであるように)もう自分が何処にいるかもわからず、 でも最後まで主観は「ここ」にあって、もともと永遠であるはずのないもの、はかなく、とるに 足らないもの、かつて確かに見た、もの言わぬきらきら輝く眼差しに対して、そのもう戻らない 経験に対して、それでもなお永遠たれ、と願うのではなかろうか。

バルビローリのマーラー:歌曲集・ベイカー(MS)、ニュー・フィルハーモニア管弦楽団・ハレ管弦楽団

エルガーでも海の絵がそうであるように、否、それ以上にマーラー演奏における歌曲集の 価値は大きいだろう。他のどんな演奏にもまして、親密で気持ちの隅々まで行き届いた この演奏は、マーラーの細密画のような管弦楽伴奏歌曲集に相応しい。
「子供の死の歌」「リュッケルト歌曲集」「さすらう若者の歌」という収録された音楽に 通底するのは孤独感だろう。その孤独の持つ質は驚くほど多様なのだが、その多様性もひっくるめて その孤独感をここまでくっきりと表現した演奏を私は他に知らない。勿論これらの名曲に他の名演が あることを知らないではないのだが、その表現の深さと純度、演奏の徹底ぶりにおいて、この演奏は 群を抜いていると思われる。
とりわけ「私はこの世に忘れられ」を含む中期のリュッケルト歌曲集の響きは細やかさと濃密さとを 兼ね備えた驚異的なもので、こんなに雰囲気のある演奏を他に知らない。

リュッケルト歌曲集のうちのある曲を聴くと、そのありようがバルビローリにとって 憧憬の対象だったに違いないディーリアスの演奏を思わせるようなものであることを感じる。 バルビローリの管弦楽伴奏の特徴は、むせ返るような、耽美的なまでの美しさだ。 バルビローリのマーラーの録音は、その晩年に集中しているが、同じマーラーの交響曲や、 例えばエルガーに見られるような表現主義的ともいえるような緊張感は、 この演奏にはない。意識の音楽という基本はここでも変わることはないが、 ここでの主観は、自分の外へ降り立たんばかりに世界の表情の感受に耽っているようだ。 こうした直接性はバルビローリにおいても例外的ではなかろうか。至福に満ちているのは そうした主観の在り様そのものであって、決して描出される対象ではない。そして ここには交響曲演奏では垣間見ることができた永遠はなく、刹那的といってもよいような 現在があるばかりだ。勿論そうした様態は、時間の経過の中で結局は移ろい行き、 主観はいずれは目覚めるには違いない。そうした有限性の意識があればこその憧憬 なのであって、それゆえバルビローリのリュッケルト歌曲集の演奏は、単なる音画であることが できない。そうした感受を特別なものとして味わいつくそうとする負荷こそが バルビローリの演奏のまごうかたなき徴であって、それを鬱陶しいと感じるかどうかで、 この演奏の評価は分かれるのではないかと思われる。個人的には勿論、そうした負荷が ないマーラーには何か物足らないものを感じているので、結果的にはバルビローリの演奏が もっとも納得の行く演奏ということになっているのである。

より透明で痛々しいまでに繊細な初期の「さすらう若者の歌」においても、室内管弦楽的な書法を 扱うその手つきはこれ以上望むべくもない、徹底したものだ。とはいえ、それはしばしば 今日のマーラー演奏が陥る、解剖さながらの顕微鏡的な精密さの持つ露悪趣味の対極にある。 多分それには音楽と演奏者の距離感のようなものが影響しているのではないかと思う。
第1交響曲がそうであるように、「さすらう若者の歌」のあまりのナイーブさは、そのむき出しの 凶暴さもろとも、ここでは些かも損なわれることなく表現されている。些かの人工臭もなく、 今、その場で生まれたかのように生き生きとした表情を持った音楽は、しかし実際には 極めて知的でよく抑制されたベイカーの歌唱と、いつものように極めて周到な事前のプランに 基づくバルビローリの徹底した解釈により成し遂げられているのだ。 最初の一音符から最後の音が鳴り終えるまで、聴き手は息をこらして聴き入るしかない。 まさに時の経つのを忘れて、「この世に忘れられ」て音楽に聴き入るしかない。

バルビローリの管弦楽伴奏による連作歌曲集はおかしな喩だが、浄瑠璃に似ていて、音楽が澱みなく 流れていくうちに語り手の心情と、いわゆる「模様」とが描き出されていくように思う。 風景が語り手の中に入り込み、そして心理状態によって風景が変容するのが、 余すところなく実現されている。魔法のような春の野辺がそこに出現する。 空気のもつほどよい湿度、ときおりそよぐ、ややもすると肌寒さを感じるような爽やかな風、 透明な光のなかの風景が音楽によって描き出されていくのだ。
勿論、これは描写音楽ではない。 それは例えば能の囃子や謡が風景と心情とを何もない舞台に表出してみせるのに似ていると思う。 幸か不幸か、この録音には映像が残されていないので、丁度素浄瑠璃を聴くような感じで 物語を追うことになる。バルビローリの演奏では 優れた名人の浄瑠璃や謡を聴くのと同じように、ただ聴き入りさえすれば、そこに心象と風景が 立ち現れ、それを眺めているうちに一気に全曲を聴いてしまうことになる。風景といっても、 ここで外付けで映像をつけることなど考えられない(そもそもが音楽のもともとの文脈に忠実であること など眼中にないヴィスコンティはともかく、ラッセルのあの醜く、音楽に対して不当というほかない 惨憺たる映画、あるいはこれまた音楽を裏切ることにしかなっていないように見えるバレエの振り付け などの例を思い浮かべても良い。)そうではなくて、演奏会の、あるいは録音セッションの模様を伝える 画像つきのメディアも最近は珍しくないが、バルビローリを聴くのであれば、 そしてベイカーの歌唱を聴くのであれば、音だけの方が良いかもしれないくらいだ。
ベイカーの声の質も、バルビローリの紡ぎ出す音楽の持つ雰囲気とあっており、過度の官能性や 感情表現のくどさからは程遠い。その知的で温かみのある歌唱は、逆説的に作品の背後にある むき出しの傷を浮かび上がらせるゆえに、その歌を聴くのが逆につらくなりもするだろう。
能や浄瑠璃でもしばしばそうであるように、歌詞の陳腐さは取るに足りない。演奏がそれを 真正なものにしてしまうからだ。思弁をさそうような含意も、語り手の心理を分析してみせる 怜悧さも、フィクションを対象化する醒めた視線によって描き出される官能性もここにはない。 一つ一つの音が耐え難いまでの緊張と溢れんばかりの感情の負荷を帯びて、音楽は劇的な頂点で 荒々しいまでの力で聴き手の息を奪い、突き抜けて行く。

「子供の死の歌」について語ることは私にとっては不可能だ。これは聴いてみてくださいと 言う他ない。そこに込められた感情の深さが、かえって中心にある空虚を剥き出しにしてしまう、 ほとんど残酷と形容したくなるような凄みがこの演奏にはある。丁寧で気品に満ちた歌唱なのに、 優しく温かみのある血の通った管弦楽伴奏なのに、あるいは、それゆえに。
例えば「こんな嵐に」は嵐の激しさをそのまま写しとりはしない。その嵐の前に立ち尽くす人間、 嵐の中でなす術もなく、かけがえのないものを喪ってしまう経験こそが表現されるのだ。 終曲、第1曲でも響いたグロッケンシュピールの響きとともに音楽が静まっていき、ついに音楽が ニ長調に転じて始まる子守歌の部分では、音楽はそこで鳴っているのに、ずっと遠くから聴こえるように思われる。
私の主観的な見方かも知れないが、この曲の悲しみは、実にこの子守歌で頂点に達するのだ。 この子守歌には、喪失の受容と諦観が伴っている。意識は天国にはない。 意識は地上にあって、いなくなってしまった子供が神様に守られている天国のことを思うのだ。 安らぎはここにはない。喪ったものはもう、元には戻らないから。 嵐が過ぎた後というのは、その前と同じではない。もはや全てが前とは異なっているのだ。
演奏時間にしてたった30分足らずの5曲よりなる歌曲集だが、この演奏を聴き終えると何かが すっかり変わってしまったような気持ちになる。

(些か恥ずかしい話だが、個人的には、とりわけ「子供の死の歌」をこの演奏で聴いて涙を堪えるのは 非常な難事で、だからこの曲をコンサート会場で聴くのはちょっと怖くてできないと 思っているほどである。能や文楽のようなものであれば演奏会場で涙を流しても咎める人は いないだろうが、そういう意味では、是非はともかくとして、事実として、私はマーラーの音楽をほとんど、 能や文楽のように聴いているのだという事になるのだろう。勿論クラシック音楽であっても、メンゲルベルクの あの「マタイ受難曲」ライブのようなケースもあるけれど、今の日本のコンサートホールの在り様を 考えると、やはり些かの違和感を感じずにはいられない。これは「子供の死の歌」に限ったことではなく、 マーラーの音楽全体に言えることで、ある時期以降、マーラーを聴くためにコンサートホールに足を 向けるのを躊躇っているのは、そうした要因が大きい。最後に聴いたマーラーは、もう15年以上前の 第6交響曲だが、このときもまた自分の情緒的な反応をコントロールするのにひどく苦労した、 否、完全にはコントロールできなかったのを覚えている。第6交響曲もまた、私にとってそういう意味で 「確実」な、外れのない音楽なのだ。「はしたない」「上品でない」と批難されるかも知れないが、 私はマーラーをそのようにしか聴けない。そしてバルビローリのマーラーはそうした私の聴き方を 咎めるようなタイプの演奏ではないように感じている。)

バルビローリのマーラー:第4交響曲・BBC交響楽団(1967)

BBCがリリースした、1967年のプラハでのライヴ録音。
1970年の第2交響曲とは異なって、ここではバルビローリの演奏の持つ考え抜かれた緻密さを 窺い知ることができる。第4楽章に置かれた歌曲のために前に3幅対の絵を備えたような構成を 持つこの作品は、意図的に軽く設定された管弦楽編成もあって、室内管弦楽的な書法が目立つ。 そのためもあってかフレージングや音色の重なりや交代にバルビローリの繊細な配慮を感じ させるものになっている。
この曲はその(あくまで相対的に、だが)簡素な見かけと異なって、謎めいた部分の多い曲で、 どうやら一筋縄ではいかないようだ。第3交響曲のフィナーレが拡大され独立したものであると いう構想上の経緯は有名だが、確かに、叙事的な広がりを志向してきたそれまでの曲と異なり、 丁度象嵌細工のように、その一部に嵌め込まれてしまうような自らを外に対して限定しようと する動きと、そのかわりにその内側に重層的な構造を持たせて、驚くほどの奥行きを示す 動きとが相まって、思いのほか複雑な様相を呈しているせいか、なかなか説得力のある演奏に いきあたらない。勿論、凝ろうと思えば幾らでも凝れるし、ごく素直にあっさりやることだって できるのだが、いずれにしても音楽と演奏の間に不思議な距離感のようなものが生じてしまう ことが多いように思える。
バルビローリの演奏は、その個性的な演奏様式のせいで、ここでもスタンダードとは言いがたい かもしれないが、この曲の不思議な曖昧さを、分析して提示して聴き手に理解させるのではなく、 「感じ」として経験させてしまうという点では水際立った演奏だと思う。 一言で言って、この音楽の持つ陰影をはっきりと浮び上がらせた演奏と感じられる。 第2楽章がアイロニーに陥らない代償であるかのように、第4楽章のコーダは、ここでは隈なく 晴れ上がった天空の下にはないかのようだ。この音楽は、一体「どこで」鳴っているのだろうか。
日本人の私はついつい忘れてしまいがちなのだが、バルビローリの音楽は、マージナルなものに 対する豊かなキャパシティがある代わりに、無国籍的で根無し草的な側面も併せ持っているように 思える。その奇妙にニュートラルな「所在無さ」が、例えばブルックナーの場合とは異なって、 音楽の実質と一致し、ここでは違和感の無さに寄与しているのかも知れない。

バルビローリのマーラー:第3交響曲・ハレ管弦楽団(1969.5.3)

この演奏もまた、第7交響曲の演奏と並んで大変な名演としてその存在を知られていながら ようやく最近になってBBCによりリリースされたもの。EMIがベルリン・フィルとの同曲の ライブの販売を検討したため、このハレ管弦楽団との演奏が日の目を見る機会を喪った というエピソードがリーフレットに記されている。実際にはベルリン・フィルとの 演奏もお蔵入りになり、結局はハレ管弦楽団とのこの演奏に些か遅れてCDになった ようであるが。
この曲はその異形ともいえる構成にも関わらず(もしかしたらそれゆえにか) 今日的な名演に恵まれた名曲ということになっている。 (ただし、数少ない実演を聴いた経験からすると、第2や第7もそうだが、こういう 「風呂敷を広げたような」曲の場合、実演で説得されるのはなかなか難しい。 マーラーなら第9ですら難しく、一番間違いのないのは第6交響曲ではないか。)
実際に聴いてみると、名演の噂というのは偽りでないことがすぐにわかる。
第1楽章は「マーラー的な」ポリフォニーの実現という点では、これまでに聴いた どの演奏にも勝る。技巧的にはよほど確実で危なげない整然とした今日の名演の数々と 比べて、自由に歌う各パートがぎっしりとひしめく様は些か異様ですらあるが、 その肌触りの確かさは格別のものだ。ここではバルビローリの運びの巧さは際立っていて、 もはや弁証法的な展開とは隔たって、かわるがわる立ち現れる音楽達が形作る緩やかな布置が これほど自然に、有機的に立ち現れる演奏を他に知らない。
中間楽章においても、その音楽の今そこで生まれたばかりのような瑞々しさと、 模様の移り変わりの巧みさが際立っている。個々の楽章の性格的な描き分けや、 微細な細部のバランスとかにおいて、今日の名演がより勝っているという見方もあるだろうが、 その響きの手応えという点で、これだけ実質的な演奏を思い浮かべるのは難しい。 どういうべきか、一つ一つの音の持つ次元が遥かに豊かな感じがするのだ。演奏の精度や 場面の描写の克明さにおいては一歩譲ることがあっても、ある種の経験の質の把握において 勝っているように思えるのである。
第5楽章においては、中間部の照明の変化が鮮やかである。解釈が同じベルリンでの ライブでもそうだが、単にテンポが変動するのはない。寧ろ、突然口をあけて広がる 深淵のような暗礁を目前にして、歌い方から響きの質まで変わってしまう、その変化の 図式の逸脱をものともしない鋭さは、よりクリアだったり、シャープだったりする 近年の演奏では、なかなか出会うことができない質を備えていると思う。
第6楽章のアダージョについても同じことが言えるだろう。感覚的な美しさにおいて 今日より優れた演奏は幾らでもあるし、アダージョという楽章の性格を踏まえてもっと ゆったりと、時間が停止してしまうように演奏をするのが普通であろう。 バルビローリの常で、決して停滞しない、しかも頻繁に変わるテンポは、しかし決して 「平安に満ちて、感動的に」というマーラーの指示を裏切らない。足早やなコーダの 歩みも平安と感動に満ちたものである。この演奏は、音楽の実質が決して感覚的な 平面「にのみとどまる」ものではないという、多分今やアナクロニックと呼ばれるで あろう「内面性」への確固とした信頼に満ちている。

バルビローリのマーラー:第3交響曲・ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(1969.3.8)

上述のハレ管の演奏と同じ年の約2ヶ月前のベルリンでのライヴ。これはステレオ録音で あり、第2番、第6番のライブと音響上の印象はやや異なる。
興味深いのは、ハレ管弦楽団との録音に比べてこちらの方がテンポがゆったりとしていることだ。 それでいて全体の印象としてはハレ管との演奏の方が「ゆらぎ」が大きい印象がある。 ただしこの曲についてはベルリン・フィルの演奏でもはっきりとわかる事故は起きているし、 私の印象ではハレ管の方が少なくともバルビローリの様式の表現という点では勝っている ように思われる。
けれどもそれと演奏から聴き手が受け取る感動はまた別の次元の問題だ。感動の度合いは ハレ管の演奏と甲乙つけ難いものがある。特に第6楽章において第1楽章が回想される「深淵」の部分を 過ぎた後、練習番号25番から始まる最終部分、とりわけ練習番号28のImmer breiter以降の ベルリン・フィルならではの豊かな響きとゆったりとしたテンポ設定が相俟った音楽の 高潮は圧倒的なもので、オーケストラが「入った」状態になるのが録音を通してすら 手にとるようにわかる。聴いていて、いわゆる「ぞっと身震いが起きる」瞬間だ。
例によって足早な、けれども確信に満ちたコーダは真に「感動的な」もので、その感動は 恐らく指揮をしているバルビローリも含めた奏者も、会場の聴き手も共有したものに 違いない。会場の深い感動までありありと伝わる貴重な記録である。その感動を35年も 経った後に、遠く隔たった地で共有するのは考えてみれば不思議な経験である。
決して演奏の精度は高くないし、録音の状態も良いとは言えず、加えて様式的には 個性的過ぎて、受け入れ難い向きもあるかとは思うが、感動の深さにおいてはバルビローリの ライブの演奏記録の中でも屈指のものではないかと思う。

バルビローリのマーラー:第2交響曲・シュトゥットガルト放送交響楽団(1970)

1970年4月のライブを南西ドイツ放送局が録音したものが最近CDになってリリースされたもの。 バルビローリはいわゆるスタジオ録音ではこの曲を残していないので、この曲に関しては 貴重な音源だ。オーケストラがシュトゥットガルト放送交響楽団というのも珍しい。 特に晩年のバルビローリはベルリン・フィルやウィーン・フィルだけでなく大陸の 色々なオーケストラに客演しているようで、最近、そのライブ録音がリリースされる ようになった。
この演奏はライブ特有の演奏上の疵が聴く人によっては許容範囲をはっきりと超える程 大きく、CDでの観賞の妨げになる場合もあるのではと思う。私はあまりそういう疵に 頓着しない方だが、流石にこの演奏は些か気になってしまった。
これまた最近リリースされたコンセルトヘボウ客演の記録も、疵というか、意思疎通の 限界のようなものが感じられるように感じられ、気になったのだが、バルビローリの ような本来、入念な準備によって緻密で、幾分個性的な解釈を与えていくタイプの指揮者の 場合、客演での演奏は必ずしも常にバルビローリの意図を徹底するに至らない場合もあるのでは なかろうか。必ずしもライブがだめで、(かつては可能であった)スタジオでの入念な 作業なしでは真価が発揮できないというわけではないのは、BBCからリリースされている他の ライブ録音で聴かれる見事な演奏が証している。例えばハレ管弦楽団のような、バルビローリの 個人的な様式に馴染んだオーケストラが、バルビローリとともに弾き込んだレパートリーを やれば、スタジオ録音を上回るような充実した演奏が可能なのだ。
それではこの演奏は全く価値がないのかと言われると、それは決してそうではない。 勿論バルビローリの演奏スタイルが無上の説得力を生み出す瞬間がそこかしこにあって、 演奏会場にいて聴いたら、確実に圧倒されたに違いない。些か大仰で下手をすると 空虚にさえ響きかねないフィナーレ(私はさる実演でしらけてしまうという、信じがたい 経験をしたことがある。)は、ここでは確かな手ごたえを持っている。
かつてマーラー自身がこの曲を振った時にも、本人の頭痛のせいもあって演奏の制御が十分で なかったにも関わらず、奏者も聴衆も圧倒されたというエピソードがあったと記憶しているが、 それを思い起こさせるような、大変な力に満ちた演奏である。

バルビローリのマーラー:第2交響曲・ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(1965)

1970年のライブに続いて今度は1965年のベルリンフィルとの演奏がCDでリリースされた。 こちらはモノラル録音だが聴くのに大きな支障は感じない。ただしこのような大規模な 作品の場合、特にフィナーレの頂点の部分のダイナミクスや音響のバランスが損なわれて しまうのは致し方ないこととはいえ、残念なことではある。
演奏自体についていえば、単純に「事故」が少ないだけであったとしても、録音されたものを 繰り返し聴くということになればそれなりの価値を持つことになるのだろうが、それだけで なく、合奏の精度の面からも、バルビローリの意図の実現という面からも、 1970年の録音に比べて全体としてこちらの方が成功していると感じられる。
解釈の基本線に大きな隔たりはない。ただしオーケストラの体質のせいもあってか、 バルビローリの持っている資質のうち、念入りな歌いまわしよりは、わかりやすく ストレートと言っても良い、率直な曲の運びの方が前面に出た演奏に思える。 表現も叙情的である以上にある種の鋭さを備えていて、聴き手の心に突き刺さるかの ようだ。フィナーレの音楽の高潮は真正なもので、実演ですら一度ならず「取り残された」 経験のある私は(些か大げさだが)救われたような思いで聴いた。
私はこの演奏を聴いてみて、バルビローリの特にマーラー演奏におけるオーケストラの 資質の寄与の大きさに改めて気付かされた。恐らく第3交響曲や第6交響曲では、 前者のハレ管弦楽団、後者の(スタジオでの)フィルハーモニア管弦楽団と、 ベルリンフィルとの比較によって、それがよりはっきりするのだろうが、 そうしてみると第9交響曲がベルリン・フィルとの演奏のみで残っていることが 個人的には残念な気もする。スタジオ録音にはレコード会社のラインナップ上の 制約が働くので仕方ない部分もあるのだが、ハレ管弦楽団とではなくても、 例えばフィルハーモニア管弦楽団との第9交響曲はどんなものになっただろうか、 という思いを禁じることができない。これはベルリンフィルとの演奏に不満があると いうことではなく、フィルハーモニア管弦楽団のようなイギリスのオーケストラとの 演奏であれば、ベルリンフィルとの演奏では前面に出なかった、バルビローリの 持つ別の側面、例えばあの素晴らしい第5交響曲に現れていた資質がはっきりと 現れた演奏になったのではないかと思うのである。

バルビローリのマーラー:第1交響曲・ニューヨーク・フィルハーモニック(1959.1.10)

バルビローリの指揮した第1交響曲の演奏の記録としては、スタジオ録音の他に、1959年1月10日に「古巣」であるニューヨークフィルハーモニックに客演した際の カーネギーホールでのライブ録音が残っている。 (ニューヨークフィルハーモニックによるマーラーの歴史的演奏の記録のセット中に収められている。) バルビローリの解釈が事前に非常に緻密に練られたものであるがゆえに、これに先立つハレ管弦楽団との スタジオ録音と大きな解釈の変化はないが、ニューヨークフィルハーモニックという、マーラー自身が晩年にまさにこの作品を 指揮をしたもあるオーケストラによる演奏でもあり、その一方で、常任指揮者としての在任中は1939年10月26,27日と12月16,17日の2回、 第5交響曲のアダージェットのみしかマーラーを取り上げなかったバルビローリが、戦後になって1952年にカーダスに薦められて以来、マーラーに 本格的に取り組むようになってから初めて「古巣」でマーラーを取り上げたという意味でも大変に興味深い記録である。 (バルビローリは1962年12月6,7,8,9日に再び、今度はフィルハーモニック・ホールでニューヨーク・フィルハーモニックを指揮して第9交響曲の 演奏をしており、12月8日の記録が残っているので、これは別に取り上げたい。)

更に加えて、こちらの演奏には非常に印象的なエピソードが残っている。戦後アメリカに定住した アルマが、この1959年の客演時のリハーサルとコンサートを聴いているのである。演奏後バルビローリに 会った彼女は、バルビローリに「私の偉大な夫を再び見、そしてその演奏を再び聴いたような思いがした」 「まるでマーラー自身が指揮をしているかのようだった」と語ったと伝えられている。 (ケネディによる伝記ではp.266、バルビローリ夫人による回想録ではp.152を参照)。

無論、これはいわゆるアネクドットの類を超えるものではないかも知れないし、 アルマの評価というのも随分と気まぐれな部分もあったようだが、それでもなお、 50年前に同じオーケストラで作曲者である自分の夫自身が指揮した演奏を彼女は 確かに聴いていたことを思えば、バルビローリの演奏のどこかに、マーラーその人と通じるテンペラメントを 彼女が見出したのだ、と想像することはあながち不当なこととは言えないように思える。 1957年のスタジオ録音でも、その同じテンペラメントは聴き取ることができるに違いない、と私には思われただけに、 非常な期待を持っていたのだが、実際にその記録に接した印象は、事前の期待を裏切らない、素晴らしいものであった。

演奏会自体は1月8,9,10,11日の4回行われ、そのうちの3回目の10日の演奏会の模様が放送用に収録されたものが 記録として残っており、モノラルではあるが状態は比較的良く、それほど聞きにくくはない。会場のノイズも拾われていて、 臨場感には事欠かないし、終演後の客席と感動を共有できるのは、それが録音を通じてであれ、半世紀の時と場所の隔たりを越えての ことと思えば感慨深いものがある。その客席にはアルマもまた居た筈であり、こうやって録音を介して記憶の継承に与れるのはやはり素晴らしいことであると 思わずにはいられない。

終演後の客席の熱狂も含め、これはエピソードが伝えられて当然の素晴らしい演奏であり、マーラーが晩年の1909年12月16, 17日に 同じカーネギー・ホールでニューヨーク・フィルを指揮して若書きのこの曲を自ら取り上げたとき(これはこの作品のアメリカ初演でもあった)の印象をワルター宛の書簡 (1996年版書簡集429、これはアルマの回想の付けられた書簡選でも採られていて、ミッキェヴィッチの「葬送」の引用を含むことで有名な書簡である)にて述懐しているが、 その印象を彷彿とさせるような圧倒的な力を感じずにはいられない。弦楽器のフレージングやポルタメント奏法の徹底などにいつものバルビローリの入念な準備が 窺えるが、随所に見られる大きなテンポの変化やルバートが自然に処理されているのは、このときは客演とはいうものの、かつてバルビローリがフルトヴェングラーの代役をかって、 短期間であれこのオーケストラの常任であったことにもよるだろうし、マーラー・オーケストラであり、2度の戦争を挟みながらマーラーを演奏し続けてきたオーケストラがマーラーの 音楽を十二分に消化しているということにもよるのだろう。

印象に残る部分は枚挙に暇がないが、特に第4楽章の2度ある突破のうちの最初の激発が収まったあと、第1楽章冒頭を回想する箇所の回想の時間性の眩暈を起こさせるような深み、 全く異なる時間の流れにふと落ち込んだような対比の鋭さはバルビローリの解釈の真骨頂を示すものだろう。第1楽章展開部後半を再現した2度目の突破からコーダに至るまでの音楽は、 まさにマーラーが書簡で語った「造物主への嘆願」であると感じられるし、アルマが50年近い時を隔ててこの演奏にマーラーその人を聴き取ったとしても不思議はない、 勿論、我々はマーラー自身の演奏がどうであったかを知る術はないけれど、確かにそれに迫る何かを備えていることを確信させる演奏の記録だと思う。

一方1959年のニューヨークでのコンサートは、今日ではDover版などで確認できる古い版(恐らくは1906年の版)にほぼ従った演奏のようであるが、興味深いことに、 ここにおいても2年前のスタジオ録音と同じく第4楽章冒頭の主題提示の開始部分でトランペットによる補強がはっきりと聴き取れる。一方で練習番号44番前後の シンバル打ちについては1906年版にしたがっているようだ。この点で特に印象的なのは、相対的にゆっくりと、踏みしめるように無骨に演奏される第2楽章レントラーの 再現部分の練習番号29番の4小節後からティンパニが主題のリズムをフォルテで強打する部分で、この作品の成立史を知る者にとっては交響詩「巨人」のフラッシュバックであるかの ような印象を覚え、はっとさせられる。第1楽章の序奏の練習番号2番の4小節前のTempo I に対して、その直前にクラリネットが奏するカッコーの音型の 最後の繰り返しを、楽譜の指示(これは1906年版で既に確認できる)に従わずにTempo I に従うことや第1楽章の提示部反復を省略したりするなどは1957年の ステレオ録音と共通するものであるが、随所で聞かれる違いについてはニューヨーク・フィルハーモニックが所有しているであろう楽譜に基づくものである可能性が 高いように思われる。ニューヨーク・フィルハーモニックは2度の大戦を挟んで、一旦ヨーロッパでは中断しかかったマーラー演奏の伝統を継承してきたオーケストラだし、 マーラー自身が晩年、この作品を指揮した際に使用した楽譜がライブラリに保管されているようなので、この演奏にもそれが反映されている可能性は充分に あるわけである。ちなみにニューヨーク・フィルハーモニックのライブラリ所蔵の楽譜は1899年のヴァインベルガーのもののようだが、恐らくマーラー自身が演奏したとなれば 1906年版に反映された変更も含め、その後の改訂の結果が反映されていると考えるのが自然であろう。この演奏のどの部分がそうした伝統に属しており、あるいは バルビローリ独自のものであるのかも含め、事実関係については現在の私には確認の手段がないのでこれ以上のコメントは控えるが、いずれにしてもそうした様々な 歴史的な脈絡の交錯の中で実現した稀有の記録の一つであることは疑いを容れないと考える。

バルビローリのマーラー:第5交響曲・ニュー・フィルハーモニア管弦楽団(1969)

第5交響曲は、かつてのいわゆる「マーラー・ルネサンス」において頻繁に取り上げられ、 今や代表曲の一つとして定着した感じがあり、演奏の数も録音の数も大変に多く、 すっかり「現代的な」演奏の型のようなものができあがった観のある曲であり、 それゆえこの演奏を最初に聴いた時には、ある意味ではあまりに「危なっかしい」 テンポの揺れ、とことん各声部が歌いきろうとするあまりにともすれば曖昧になる 縦の線に驚いたのだった。
しかし結論から言えば、この演奏はこの曲の最高の演奏、決定盤だと思う。 実際のところ、他の曲は他の演奏スタイルもありうるかと思わないでもないのだが、 この曲は(そして恐らく第1交響曲もだが)他の演奏を聴く必要がないと感じさせるような 説得力がある。バルビローリの演奏は、この曲の解釈の中では最も叙情的なタイプに 属するのであろうが、そもそもこの曲が構造的には借用しているベートーヴェン的な 構想がその実質においても実現されうると考える立場には私が懐疑的なこともあり、 音楽の実質に見合っているという意味でこれに勝る演奏はないように感じている。 (この曲は作曲技法の観点は措くとして、その実質においては寧ろ後ろ 向きで回顧的な色合いが強いように私は考えている。マーラー作品中のある種の折り 返し点、停泊地のような作品ではないだろうか。例えばブラームスやブルックナーと 比べるまでもなく、マーラーは精神的にはベートーヴェンの後継者でありえたかも知れないが しかし、実際にはその音楽の実質はあまりに脆いものだ。そしてその脆さは寧ろ晩年の シューベルトに通じているように思える。)そしてそれゆえ印象的な部分にも 事欠かない。例えば、第2楽章の終わりにまるでブロッケンのように浮かび上がっては 霞んでいくコラールの朧な輝き、描写音楽ではないかと思うほど強烈な雰囲気を 持つスケルツォのホルンパート、そして、バルビローリの常で決して停滞しない アダージェットの静まり返る瞬間に広がる空間。第5楽章冒頭の(多くの場合 アダージェットからのテンポの変化で片付けられてしまう)空気の変化の鮮やかさ、 そしてこれ見よがしに合奏能力を誇示することなく、寧ろ、冒頭の木管の音色の 変奏であるかのようなその後の経過など、枚挙に暇が無いほどだ。
勿論、この演奏の特に終楽章の解釈は今日的な、オーケストラの合奏能力を最大限に 発揮させるタイプのものとは全く異なるが故に、受け入れ難い向きも多いだろう。 一方で、他の演奏で何となく第5交響曲に違和感を感じたり、説得力の欠如を感じる のであれば、この演奏がその回答になる可能性があるように思える。

バルビローリのマーラー:第1交響曲・ハレ管弦楽団(1957)

LPでのリリースが知られていながらCD化されていなかったものをバルビローリ協会が 復刻したもの。1957年6月11,12日にハレ管弦楽団の本拠地であるマンチェスターの 自由貿易ホールで録音され、Pye Recordsからリリースされたものである。

この曲は、マーラー演奏が「普通」になる以前でも相対的に演奏・録音の機会が多 かったのだが、今日ではかえって取り上げられる頻度が減少している感すらある。 恐らくその音楽があまりにナイーブに過ぎて、耳がすっかり肥えてしまい、 マーラーに対してソフィスティケートされたスタンスで対することができる現代の 聴き手には些か気恥ずかしくも鬱陶しくも感じられるのがその理由ではないかと想像される。 或る意味では正当なことだと思うが、もはやこの曲が例えば第6交響曲や第9交響曲と 同列に論じられることはないかのようだ。

こうしてようやくCDで聴けるようになったバルビローリの演奏も、さながら時代遅れの 演奏の典型のように扱われるかも知れない。端的に言えば、マーラーがスコアに指示して いるブラス奏者の起立が違和感無く行われるタイプの演奏だ。ここでもバルビローリは、 マーラーの交響曲の小説的な脈絡を、心理的な流れを重視した演奏を行っている。 第1楽章提示部の反復もまた、バルビローリの常の流儀で採用されていない。

私はこの演奏を聴いて、昔聴いたアバド・シカゴ交響楽団の演奏のことを思い浮かべた。 これは大変に優れた演奏であったが、奏者の起立のような「スタンドプレイ」は凡そ 似つかわしくない、造形的で引き締まった解釈だった。勿論、第1楽章提示部の反復も きちんと行われていた。シカゴ交響楽団の演奏の精度は瞠目するものがあって、 有名な第1楽章再現部のあのアドルノのいう「突破」の部分の 音響的な鮮明さは特に印象的であったのを思い出したのである。 皮肉なことに、20年以上前の演奏を20年後に聴くことになったわけだが、 バルビローリの演奏のその「突破」の部分は(当然ながら)随分と異なっているようだ。 それは場面の転換・視界の変容というよりは、ある種の眩暈のような、より身体的な 事象のように感じられる。

けれども、バルビローリの演奏の頂点は明らかにフィナーレの、あの「突破」の再現と それに続くコーダにある。演奏の精度や録音技術の限界を超えて、むき出しで飼い馴ら されていない力を感じさせるその音楽は、恐らく、晩年にニューヨークでこの若書きの 自作を指揮した作曲者自身が聴き取ったそれに通じるものがあったに違いないと 思わせるものを持っている。第9交響曲のようなエピソードに彩られているわけでも ないし、第6交響曲のように目立った特長もない、そして楽曲のあまりの素朴さの代償に 色々と施されるかもしれない細工もない演奏ではあるが、にもかかわらずこの演奏は ある種の極限であって、必ずしも出来の良いとは言えないこの作品の理想的な解釈で あるように思える。もうこの曲を頻繁に聴くこともないのだが、この曲に関しては この演奏があれば充分、他の演奏を敢えて聴こうとは思わない。

なおこのバルビローリの演奏で興味深いのは、1957年の録音にも関わらず第4楽章冒頭の主題提示の 開始部分でトランペットによる補強が確認できることである。これは全集版での演奏が定着した 現在では当然のことのように思われるかも知れないが、1906年版では存在しないし、従って全集版 以前の演奏では木管とホルンだけで演奏される場合も珍しくないのである。
同じことは練習番号56番からのホルンの旋律の補強が全集版によっているように聞こえることからもいえるだろう。 バルビローリの演奏でもう1点興味深いのは1906年版にない練習番号44のシンバルの一撃が採られているだけでなく、 その3小節前の頭拍にもシンバルが打たれているのが確認できることで、これが使用楽譜によるのか、 「現場の判断」によるのかはわからない。いずれにせよそうしたところにもバルビローリの準備の入念さと 解釈の徹底が窺えるし、それは実現された演奏の比類ない質に貢献しているに違いないのである。

バルビローリのマーラー:第6交響曲・ニュー・フィルハーモニア管弦楽団(1967, プロムスライヴ)

録音記録があることは良く知られており、正規のリリースが待望されていた1967年8月16日のロンドン、ロイヤル・アルバートホールでの 演奏をBBCが収録したライブ録音である。スタジオ録音とほぼ時期を同じくして行なわれたコンサートでの演奏だが、テンポの設定や解釈は寧ろ 前年のベルリンでのライヴに近い。勿論、オーケストラの持つ特性に応じて、相対的にはスタジオ録音により近いということはできるだろうが。 楽章順も含め、いわゆる第3版に基づく点はスタジオ録音と同じで、ラッツ校訂の協会全集版は採用されていない。また第1楽章のソナタ 提示部反復を行なわないのは、いつもと同じである。
録音の状態は決して良いとはいえないだろうが、演奏は(第3交響曲のハレ管弦楽団の時もそうだったように)、バルビローリの解釈の リアリゼーションの徹底という点で、ベルリンの演奏を上回っていると感じられる。いわゆるライブつきものの事故が少ないだけでも 随分と安心して聴けることは確かだが、スタジオ録音では(どの程度意図的かはおくとして)どうしても曖昧になってしまう楽章間の流れの 一貫性、説得力は圧倒的で、最も理想的なこの曲の演奏の一つであることは間違いない。
楽章順の問題はリーフレットにかなり細かく記載されている。バルビローリとしてはスタジオ録音がレコードとして出る際に中間楽章を 「入れ換え」られたのはやはり不本意であったようだが、私見ではそのバルビローリの楽章排列が彼の解釈と如何に密接に結びついているかを 感じ取れるのは、ライヴ演奏の方、とりわけこのニュー・フィルハーモニア管弦楽団とのライヴだと思う。
第2楽章150小節のFliessendの指示の後、練習番号62番以降190小節のallmählich wieder zurückhaltend、192小節のZeit lassen!の 指示までの音楽の流れを生み出すバルビローリの読みのユニークさは、とりわけてもこの演奏では圧倒的であるとともにある種の自然さを 備えているように感じられるし、フィナーレの練習番号150番直前のルフトパウゼが生み出す音楽の推進力、そしてその結果もたらされる 練習番号153番でテンポを戻しての主要主題再現の凄みなど、バルビローリの音楽のマクロな流れの読みの深さがライブならではの ドライヴと相俟って強烈な印象を聴き手に残す、素晴らしい演奏だと思う。
勿論、録音状態の制限もあるし、演奏精度だけを単純に 比較すればもっと「巧い」演奏は近年幾らでもあるに違いない。だが例えば、バルビローリの演奏が「不揃い」に聴こえるのは、技術的な限界や 弾きなれていないことだけに由来するわけではないと私には思える。各パートが自分のフレーズを歌いきろうとしたとき、しかも夥しい素材断片の 固有の性格を、垂直的には同時に重ね合わせて実現しようとした場合、管弦楽が単一の呼吸でぴったり揃うことと両立しえないのではないか。 マーラーの交響曲が一つの世界である、というのを比喩として捉えてはならない。そこでの「世界」というのは、例えばハイデガーの「世界内存在」に おける世界であり、それゆえマーラーの音楽は決して孤立した主観のモノローグなどではない。調的配置は依然として決定的に重要だが、 その機能は全く変わってしまっていて、アドルノ的な意味で「唯名論的」にその都度、具体的な楽曲において規定される。そうした在り様を 最も良く聴き取ることができる演奏の一つとして、私はバルビローリの演奏を挙げることができると思うし、その意味でこの演奏の録音は、 そうしたバルビローリの特性が最高のかたちで実現された記録であると思う。

バルビローリのマーラー:第6交響曲・ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(1966)

1966年1月13日の演奏のライブ録音がCD化されたもの。モノラルであるが、既出の第2交響曲と 比較しても遥かに聴きやすく、私は気にならなかった。
この曲にはニュー・フィルハーモニア管弦楽団とのスタジオ録音があるが、それに比べて 推進力に勝った演奏だ。バルビローリは一般には粘液質の歌い方がトレードマークのように 思われているが、一方で音楽の進行については思いのほかストレートで、剛毅といってもいい ような側面を持っている。この演奏は、その後者がよく現れているというべきか。 ただし、これはバルビローリの解釈の違いではなく、オーケストラの特性の違いに由来する ものだと思う。勿論指揮者は、オーケストラの固有の響きを己の解釈を乗せる媒体として 最大限利用するわけで、バルビローリの解釈というのもその限りでは相対的というか、 流動的な部分が存在するが、この演奏はそうした幅のようなものをはっきりと感じさせる。
演奏は素晴らしい。大きなテンポの変化(マーラーの場合には特に顕著で、それに加えて管弦楽の 編成が大きいので合奏の精度はどうしても犠牲になる。でもこれは選択の問題で、 バルビローリは実演においても「安全運転」を取らなかったということなのだ。)、徹底したフレージング、 一つ一つの音に込められたニュアンスの深さ、どれをとってもバルビローリならではの特性の良く 現れた際立って優れた演奏だと思う。(とはいえ、繰り返し聴くには些かつらい事故もおきている。 例えば第1楽章、練習番号35から36にかけて―特にSostenuto, a tempoの変化とその後の フレーズの頂点でのten.指示によるルバートが繰り返しかかる361小節にかけての部分などは、 アンサンブルが崩壊してしまっている。恐らく、テンポの変化に応じて振り方を変える可能性のあるところで、 客演ゆえにリハーサル時間が限られる限界が現れてしまったのではなかろうか。同様の、 テンポが変わる部分で振り方の変化の有無の判断に混乱が生じたとおぼしきケースは、 同じベルリン・フィルの第3交響曲のフィナーレなども聴かれる。それゆえ、こうした事故が気になって 観賞の妨げに感じられる人には、バルビローリの客演でのライブ録音はお勧めできない。)
第1楽章の展開部後半に置かれた、アドルノ言うところのSuspensionの表現は、これまで 聴いたどの実演にもまして際立っていて、音楽の持つ多層性というのを捉えていると思う。 テンポだけが変わるのではない。ひっくるめて「視界」が、照明が変わるのに応じて、 意識の流れが不連続に切り替わるのである。それは、形式原理からいけば、ある種の逸脱かも 知れないが、ここで音楽が求めているものに忠実ではないかと感じられる。 音楽がそうした逸脱を、不連続に断絶する経過を要求しているのだと思う。
第2楽章におかれたアンダンテは、例によって停滞しない。それは寧ろ自由に漂っている。 均質な意識の状態というのはなく、動機断片毎に固有の速度があるかのように、テンポは揺れる。 終曲間際、音楽は滑り出し、一気に流れてゆく、そして舞い上がったフレーズが旋回を繰り返しながら 着地する頃になって、流れもまたふと緩んで、静けさが戻る。その変化は壮絶な効果を持っている。 その後、第3楽章にイ短調のスケルツォが踏みつけるように進入してくるのもまた、そうした アンダンテの道のりがあってこそ、一層戦慄的なのだ。
尚、第6交響曲については特にアンダンテとスケルツォの順序の問題について触れておくべきだろう。 どちらがマーラーの決定稿かという問題はおくとして、バルビローリの演奏における順序は 今日の標準とは異なり、スタジオ録音も含め、第2楽章アンダンテ、第3楽章スケルツォである。 (スタジオ録音はリリースによってはこの順序を入れ換えた排列に編集しなおしたものが 存在するが、これは少なくともバルビローリの少なくともコンサートにおける解釈において 前提されている順序ではないのは確かなことのようだ。) この順序の選択は、少なくともそのきっかけは、偶々バルビローリが参照した楽譜の エディションがそうであったからという消極的なものかも知れないが、この楽章排列による 演奏は、逆の順序による演奏とその印象において大きな違いがある。(全集版で採用されている 打楽器パートの改変や、1907年1月7日にメンゲルベルクに書き送ったという第4楽章 407~414小節の弦パートの8va指示などにも従っていないことから、ここではバルビローリが 全集版を参照していない、という仮定にたって記述をした。ちなみにハンマーについても、 3度目を打たせているのがはっきりと確認できる。ただしエルヴィン・ラッツ校訂による マーラー協会全集版の刊行は1963年であり、クロノロジカルには、バルビローリが全集版も 参照した上であえて第2楽章アンダンテの排列を選択した可能性もないとは言えない。 管弦楽法の修正の方は、パート譜の準備の問題もあるので、こちらはぐっと現実的な 判断をせざるを得なかっただろうと想像するのが自然に思えるが。 もしそうだとしたら、近年、マーラー協会がラッツの校訂をいわば「修正」し、楽章排列も 元に戻したことと考え合わせると、バルビローリがどのような理由により判断を下したか、 興味深いものがある。)
もともとの古典派交響曲の排列はアンダンテが先行するわけで、マーラー自身の構想の 方には、もしかしたらこの点についての意識が働いたのではと私は憶測しているが、 少なくともバルビローリの演奏においては、その事情はあまり関係がないように思える。 例えば、第1交響曲でもそうであるように、第6交響曲においてもまた、バルビローリはソナタ形式に 従って書かれた第1楽章の提示部反復を行っていない。もっともこれはマーラーに限った ことではなく、より古典的な作品においても事情は同じであって、従ってそこには時代的な 傾向も与っているかも知れないが、いずれにせよ小説的な流れ、劇的な脈絡を 重視したバルビローリの解釈と提示部反復の省略は矛盾していないように感じられる。
それゆえ中間楽章の排列に関しても、寧ろ、心理的な流れとして、長調の第2主題素材により 終結する第1楽章の後に、遠隔調だが長調のアンダンテが続き、再びイ短調のスケルツォの後に、 アンダンテの並行短調のフィナーレ導入が来て、主部でイ短調に戻る、という調性配置の効果が 大きいように感じられる。通常排列のイ短調(コーダは長調)→イ短調→変ホ長調→ハ短調の 導入・イ短調の主部とは流れが全く異なることは明らかだろう。こちらの排列は、ラッツの校訂に 沿ってアドルノが賞賛した配置であり、こちらの「座りの良さ」を評価する意見も故なしとは しないが、バルビローリの演奏は、ここでもまた、一見何時になく厳格な枠として存在しているかに 見えるソナタ形式からの逸脱を重視し、寧ろ枠がしっかりしているが故の断層に加わった力の大きさの 方により忠実なのだと思われる。
また、アンダンテ楽章のテンポ設定にも、楽章排列の違いが現れるに違いない。 それを心理的なものと考えるにせよ、様式的な把握の問題と見做すにせよ、 第2楽章におかれた場合の方が「軽く」、第3楽章におかれた場合の方が 「重く」演奏されることになる。(これは両方の排列いずれにおいても優れた演奏記録が存在し、 比較が可能なマーラー指揮者―例えば、クラウディオ・アバドの場合など―では明確に 確認できることだろう。) バルビローリのテンポ設定は、明らかに第2楽章アンダンテの配置が前提となっている。
バルビローリのこの演奏は演奏会のライブであり、そうした調的な配置やテンポ設定による 流れはスタジオ録音に比べて一層はっきりしている。それゆえ第3楽章スケルツォの冒頭は、 ぞっとするような衝撃を持っている。その動機素材が第1楽章の冒頭と共通するだけに、 アンダンテ楽章を挟んで再開される効果には一段のものがある。 そしてスケルツォ楽章が不機嫌に沈黙した後、ハ短調でフィナーレが始まるのを聴くのは、 通常の排列でこの曲を聴くのとは全く異種の経験である。 スタジオ録音を自分で編集しなおして聴けばいいという意見もあるだろうが、 私個人としては、バルビローリの解釈というのはこの楽章排列が「前提に」なっている ように感じられ、従って、その流れを自然に追うことができるこのライブ録音の価値は 極めて高いものがあると感じている。

バルビローリのマーラー:第6交響曲・ニュー・フィルハーモニア管弦楽団(1967)

どうやら巷ではこの演奏はテンポの遅さと粘着質の表現が特徴ということに なっているようだが、しかし、私が聴いた印象では、今日風にデジタルにクリアな 演奏ではないというだけで、バルビローリの狙いは、悲劇的なドラマの拡大鏡的な 再現ではなく、音楽の叙情性をぎりぎりまで追い詰めることにあったように 思えてならない。例えば、第1楽章の有名なモットーの鳴らし方も、強弱の対比 よりも音色のコントラストの方にウェイトがあるように思われ、悲劇によって 喪われるものよりも、その後に残るものに関心があるということを窺わせる。
あるいはまた、バルビローリの演奏についてしばしば言われる、「フィナーレの弱さ」なるものも、 ある規範の下での判断としては一理あるのかも知れないが、バルビローリがこの音楽に 何を読み取ったのかを思えば無条件で首肯しがたいものがあるように感じられる。 否、心理的、内容的な側面を捨象した平面においてすら、ラッツ=アドルノの― ということは、近年までのこの曲の恐らくは大半の解釈が前提としていた―「フィナーレ交響曲」の 構想が、中間楽章の配置に対する前提の変更によって、更により本質的にはそれに伴って 生じる調性配置の構想の再考によって一体どのような変化を受けるのかを検討することなく 第3楽章アンダンテ型の演奏と性急に比較することに、私は疑問を感じる。 (同じことは、例えばレークナーの演奏にも言える可能性はあるが、レークナーの演奏に ついては、私は判断ができるほど聴いているわけではないので断定は控えたい。)
もっとも、バルビローリは恐らく、このスタジオ録音に関してはラッツの校訂版を少なくとも 参考にはしているようだ。というのもベルリン・フィルとのコンサートでの演奏とフィルハーモニア管弦楽団との スタジオ録音には、多少の違いが聴かれるからである。 それが最も顕著なのは、ベルリン・フィルとのライブでは打たせている3度目のハンマーが フィルハーモニア管弦楽団の演奏では削除され、改訂版のチェレスタが聴かれること だろう。一方で終楽章の407小節以降の8vaについては採用されておらず、 従って、ラッツの校訂版を使用しているとも言い難いのである。 実はこのスタジオ録音がLPでリリースされた折のレコードでの収録順序は、バルビローリの慣習に反して、 第2楽章スケルツォ、第3楽章アンダンテであったらしい。この点に関するバルビローリの 考えは詳らかにしないが、スタジオ録音の場合、コンサートでの 演奏とは異なって、録音セッションの順序は必ずしも楽章の排列の通りではないし、場合によっては 部分的な取り直しをしたりする可能性もあるだろうから、 ここで論じてきたような流れが相対的に希薄になることは考えられ、従って、 スタジオ録音であれば、どちらの順序をも許容するような側面があるということは いえるだろう。(更に言えば、こうした順序の任意性自体をマーラーの音楽の特徴として 検討してみることもできるかも知れない。恐らくマーラーの交響曲をポプリと見做す 皮相な態度にさえ、全く根拠がないものとは言えないかも知れないのだ。)
だが少なくとも基本的にはバルビローリは第2楽章アンダンテ・第3楽章スケルツォの配置を前提に 解釈を組み立てているのだし、それによって生じる調性配置がもたらす音の地形の 眺望は、並行短調で開始されるフィナーレとの対照のために、アンダンテ楽章が しばしばアダージョ的にたっぷりと演奏される時のそれと異なっているのは明らかだろう。 だが、そもそもマーラーの指示はあくまでアンダンテ・モデラートなのだし、バルビローリの 場合には、アンダンテが、動機的に大変に似ている第1楽章とスケルツォを隔てる 間奏曲のような位置づけになっているわけで、その時にハ短調で開始される― アンダンテの並行調であることを考えれば、こちらもまた、ある意味で「再開」される と言ってもいいのではと私には感じられる―フィナーレの序奏部分―アレグロ・モデラートで イ短調が確保されるまでのブロックがどのように扱われるべきか、 繰り返し再現する序奏の扱いをどうするのか、とりわけ、ショスタコーヴィチに恐らく影響を 与えたに違いない、再現部でのブリッジ型の主題排列―序奏再現に続いて先に 第2主題が再現される―をどのように扱うかについて、そうした脈絡を無視した 判断をすることが妥当とは思えないのである。ごく図式的な言い方をすれば、 ラッツの読み取った構想に比較して、こちらは複数の「層」の交代、形式に亀裂を 入れる流れの不連続性が前面に出たものになるに違いないのである。 勿論、私はバルビローリの解釈は―ラッツ校訂の協会版を参照して、代替案との 比較検討を行ったとしても、あるいはそうでなかったとしても、―そうした全体構想に従って、 説得力ある仕方で組み立てられていると思うし、 単に意図の水準に留まらず、このスタジオ録音においても、ベルリン・フィルとのライブにおいても、 その意図は十分に実現されていると感じている。
実際、演奏様式はバルビローリ晩年のエルガーと同様のもので、縦の線がきっちりと 揃わないのを意に介さないほどまでに、個々のパートを歌わせようとするスタイルも 共通のものだ。つまるところこの音楽はとことん意識の音楽で、最期まで主観は 没落することなく、目覚めているのだ。音楽はついに世界のものになりきることなく、 主観を苛む悪意ある攻撃性に転化してしまうこともない。その点を看過してこの 演奏をいわゆる今日的な演奏と比較するのはあまり意味があることとは思えない。
一方、こうした演奏が今日可能なのかどうかと問うことは、勿論意味のあることだろう。 いわゆる熱演とよばれる演奏が、バルビローリにおいてそうであったような主観性の 擁護ではなく、一見似ていながらそれとは裏腹に、主観を責め苛む悪意ある暴力との 同一化を惹き起こしていないかと考えてみるのは必要かもしれない。そうした行き方に 対してはバルビローリのこの演奏は距離をおいたままであり続けるだろうと思われる。

バルビローリのマーラー:第7交響曲・BBCノーザン交響楽団・ハレ管弦楽団(1960)

この演奏の存在は実はもう20年も前から知っていたのだが、マーラーをほとんど 聴かなくなってから、ようやくBBCのLEGENDシリーズの一部としてリリースされた ものを聴くことができるようになった。
この曲の説得力のある演奏はほとんどないように思える。特に厄介な第5楽章に ついては、意図してか、そうでないかは問わず、聴いていてうんざりするような 演奏が多い。しかもそれは合奏の精度や、音響的なバランスの良し悪しとは あまり関係がないように思われる。ましてや、交響曲全体の一貫性を感じ取れる ような演奏はほとんどない。場合によっては、そうした一貫性ははじめからない ものとして、分裂した状態で音楽を放置することを正当化したり、あるいは 第5楽章をあからさまなパロディとして、不愉快さがあたかも予期されたもので あるかのような解釈が良しとされることもあるようだ。
しかしバルビローリの演奏は、一貫性に欠けることもないし、第5楽章が 見かけの壮大さを裏切って空虚に響くこともない。それは真正なフィナーレで あり、しかも音楽の経過の上で、第1楽章のほの暗い序奏から出発する過程の 説得力ある帰結となりえていると感じられる。この第5楽章は決して紛い物の 書割の下で演じられているのはない。マイケル・ケネディがその著書で何故、 あんなに力強くこの作品の頂点がロンド・フィナーレにあると断言できたのか、 私はこの演奏に接してよくわかったし、勿論、彼の主張は正しいと思う。 実演を幸運にも経験できた会場の感動は明らかで、50年も前、自分が生まれる 以前の異郷の地の感動をこうして共有できるのは、大変に素晴らしい経験だ。
録音のバランスも必ずしも良くなさそうだし、演奏そのものもライブ故、 かなり傷があるのだが、そうした点はこういった説得力を奪ってしまうような ものではないように思える。勿論、細部の正確さ、楽譜に書かれている音が どれだけ聞えるかという情報量の問題、そしてパートのバランスの問題 (録音による部分も含めて)など、音響面が気になる人や、演奏の完成度を 問題にする人は、この演奏を聴く必要はないかもしれない。いまやこの 曲の演奏の録音も数多く存在し、そうした点において勝っている演奏は 幾らでもあるからだ。それでも混成オーケストラによる一発取りという条件や、 当時この曲がどの程度オーケストラのレパートリーとして定着していたかを 思えば、バルビローリの解釈の実現という点では驚異的といっても良いほどの 演奏だと感じられる(単純な比較はできないが、ベルリン・フィルのライブに劣ることは ないと断言できる)。徹底したフレージング、そしてとりわけこの演奏でも頻繁に 起きるテンポの交代への反応をとっても、この演奏が如何に徹底した準備の上で 為されているかがはっきりと伺える。何よりもこの演奏では、解釈上の巨視的な設計の 巧みさが際立っていて、この曲にあっては例外的な一貫性の達成を強い説得力を もって感じ取ることができるわけで、それのみをもってしても、この曲の屈指の名演と 言えると私は思う。

バルビローリのマーラー:第9交響曲・ニューヨーク・フィルハーモニック(1962.12.8)

1936年2月にトスカニーニの後任としてニューヨーク・フィルハーモニックの常任指揮者の候補にあがったフルトヴェングラーが、 ヒンデミット事件後のナチスとの紆余曲折などの影響もあってのことであろう、ニューヨーク・フィル内部からあがった反対意見などに 嫌気して就任を断った結果、いわばピンチヒッターとして呼ばれたのがバルビローリであったが、ほんの四半世紀前にはマーラー その人が指揮をしたこのオーケストラに在任中にはバルビローリはわずかに第5交響曲のアダージェットのみしか演奏していないようである。 そのバルビローリがイギリスに戻ってからマーラーを「発見」し、マーラーにとってもバルビローリにとっても「古巣」であるオーケストラで マーラーを指揮したのは2回、1959年1月8,9,10,11日の第1交響曲と、1962年12月6,7,8,9日の第9交響曲であった。

1962年12月の公演のうち12月8日の演奏は放送用に録音され、その記録が残っている。モノラルで残響に乏しい録音だが、 演奏はニューヨーク・フィルの個性もあって、非常にユニークなものだと思う。まずもってベルリン・フィルと比べても、基本的な 技術水準においてひけをとらないだけではなく、ヨーロッパでは一旦途絶えかかったマーラー演奏の伝統を2度の戦争にも 関わらず継承し続けたオーケストラにとってマーラーの音楽が自分の手の内に入っていることを感じさせる、非常に安定感のある 演奏であることが印象的だ。トリノのオーケストラのそれや、別の曲でのハレ管弦楽団の演奏でのような、各声部が 歌いきろうとするあまりに縦の線が曖昧になることはここではほとんどなく、バルビローリ独特の徹底的なフレージングはそのままに、 寧ろ巨視的な流れの方を鮮明に浮かび上がらせるのである。アンサンブルの安定度はあちこちでマーラーに不慣れな ベルリン・フィルを凌駕しており、バルビローリが事前に準備したテンポの変動の設計の実現の点では、こちらの方が 優る部分も少なくないと私には感じられる。

バルビローリは情緒纏綿、カンタービレの指揮者というイメージがあり、勿論それは決して間違いではないのだが、決して即興的に 解釈を変えるタイプではない。一方で当然のことながらオーケストラの個性によって、解釈の実現の方はその都度変動する。勿論、ライブと セッション録音の違いもあるが、複数の異なるオーケストラによる演奏が残っている場合には、寧ろオーケストラの特性とあいまって 少しずつその個性のどの部分が現れるのかが変わってくることが多いと思うが、この演奏もまさにそうした点で印象的な記録で、 バルビローリの音楽の巨視的な流れの把握の卓越、大きな構造を見据えたテンポの設定が圧倒的な説得力をもたらす 顕著な実例たりえていると思う。

印象に残る部分は枚挙に暇がないが、思いつくままに例を挙げれば、第1楽章をソナタと見做した場合の提示部後半の Allegro moderatoのテンポ設計と末尾での句読点の打ち方の鮮やかさ、展開部の最初の部分の空気が徐々に 変わっていく感覚の生々しさ(142小節以降の バーンスタインがスル・ポインティチェロ気味にヴァイオリンを弾かせるあの部分は、だが、このバルビローリの演奏の方が 雰囲気に富んでいるように私には感じられる)、160小節あたりから一気に音楽が流れ始めるその変化の聴き手に 生理的・身体的に働きかけ、眩暈を起こさせるような激しさといった具合に音楽的なイベントがそれまでの脈絡から準備され、 予感され潜在的であったものが現実となる過程を克明にリアライズしていくいつものバルビローリの手際が、 この演奏では特に際立っている。楽章末尾の434小節のWieder a tempo (aber viel langsamer als zu Anfang)が、まさにこれだといったテンポの設定で第1楽章の音楽を停止にもたらすのに 立ち会うのは鳥肌が立つような経験である。ここでも単にテンポが変わるのではない。異なる層が露出して、 不連続に意識が切り替わるのだ。(突飛な連想だが、ここでのバルビローリの手つきは、エルガーの第1交響曲の 第1楽章を扱うそれを思わせる。幾つかの意識の層が交代し、潜ったり、浮かび上がったりするが、背景には 冒頭の流れがずっと伏在している。だがここではエルガーの場合とは異なって、最後に至って冒頭のレベルそのものが 更に括弧に入れられ、振り返られる。この音楽は元には戻らない。一つ上に上がって終わるのだ。これは回想そのものではなく、 回想する意識の音楽なのである。バルビローリに聞けば(第1交響曲コーダでのホルン奏者の起立に対してある評で 揶揄された折に投書によって返答したときと同様、)「マーラーの指示に従ったまでです」と答えるかも知れないが、 いずれの場合でも作品の核心をそれによって確実に演奏として実現しているのである。)

聴き手は音楽の聴取の裡に、まさに生きられた時間を経験するのだ。 それは単なる音響の継起などではなく、作品として記録された「生」、個別的な経験の追体験の如きものであって、 こうして録音記録という媒体を介して、聴き手は記憶の継承に与るのである。バルビローリの解釈は的確にそうした 個別的なものの記憶を生き生きと甦らせる点で際立っているが、この演奏や1959年の第1交響曲の演奏などは そうした点では最も印象に残る記録に数えられるだろう。更に言えば第9交響曲は第1交響曲と異なって、マーラーが生前、 それが現実の音として実現されるのを聴くことのなかった作品であり、大指揮者マーラーその人の解釈もまた 伝わらない。だが、事実関係からはマーラーの伝統の「外」に位置することになるバルビローリは、極めて意識的に、テクニカルに、 解釈という作業を通じて、記憶されたもの新たに経験しなおすことに成功している。「普遍的」という言葉を不用意に 使うのは慎むべきだろうが、バルビローリの解釈が何かを探り当てていることは確かだし、その方法と、その結果は、 もし用いるとしたら、「普遍的」という言葉に相応しいものであると思う。それは21世紀の極東の聴き手にすら 何かを確実に受け取ったと確信させるような類のものなのである。そしてそれは他の演奏について為されるような、 ユダヤの血を強調したり、ボヘミヤなり中欧なりの風土、ウィーンの音楽の伝統によって正統性を主張する挙措よりも、 その非正統性によって、マーラーの音楽のよるべなさに寧ろ相応しいとさえ言いたくなる程なのである。少なくとも そうした「伝統」を身体化していない私のようなアウトサイダーにとって、バルビローリの演奏は寧ろアクセスしやすい、生理的に わかってしまうような何か備えているように思われる。そして一見逆説的にも見えるが、恐らくはその受容の様態のギャップに 由来したものか、自分が属しているはずの日本のマーラー演奏の「伝統」の方がかえって私にとっては疎遠に感じられる程なのである。

バルビローリのマーラー:第9交響曲・トリノ・イタリア放送管弦楽団(1960.11)

既述のように、バルビローリがマーラーを取り上げるようになったのは第二次世界大戦後のことだが、最初に取り上げた交響曲が 第9交響曲(1954年2月)であったことは銘記されて良いだろう。バルビローリはある作品を取り上げるにあたって場合によっては 数年前から念入りに準備をして臨んだだけに、どのような経緯がそこにあったにせよ、第9交響曲を他の作品に先駆けて研究し、 まさに己の血肉となるまで消化したという事実は確認されて良い。そしてその第9交響曲の演奏記録のうち最も時代的に早いのが このトリノのイタリア国営放送(RAI)のオーケストラを演奏したライブの記録である。

この演奏はライブなのだが、放送用に収録されたものが残っている。丁度モノラルとステレオの過渡期であったせいか、 最初の3楽章はステレオ、終楽章のみモノラルという些か変則的な形態で記録が残っている。ステレオで収録された部分は やや分離や定位が人工的な感じがしたり、あるいはバランスが不自然であったりする感じもあるが、聴きにくいという程でもない。

演奏は勿論、申し分ない。後2種類ある第9交響曲の演奏記録と比べたとき、時代的な隔たりがないせいもあって、 バルビローリの解釈そのものは基本的に変わっておらず一貫したものであることが窺える。勿論、全く同一の演奏ということではなく、 一つにはオーケストラの個性による違いが確実に存在するし、マーラーの音楽に対する慣れ具合の差のようなものも聴き取れるように 思える。更にはバルビローリとの共同作業の経験の長さの違いというのもあるのかも知れない。トリノの放送オーケストラとバルビローリの 付き合いがどの程度のものであるかは詳らかにしないが、私の聴いた感じでは、バルビローリの解釈の徹底という点では、特に 弦楽器パートを中心に見事な実現だと思うが、その一方で作品への慣れはそれほどでもなく、恐らくはそれに起因すると思われる 事故も何箇所かで起きている。(最も大きな事故は終楽章のStets sehr gehalten以降の「大地の歌」の「告別」の回想のような エピソードの部分の98小節あたり以降、フルートが出遅れたまま数小節演奏が続くため、対位法的な絡みが滅茶苦茶になっている ところだろうか。ここはバルビローリのいつもの解釈で、テンポも雰囲気もはっきりと切り替わり、全く異なる時間の層が析出する部分で あり、この演奏もそうした雰囲気の鮮明さにおいては際立っているだけに、このミスは惜しまれる。その他にもところどころ あるパートがごっそり聞こえない箇所があるが、バランスのせいではなくで本当に演奏の事故で「落ちて」いる部分もあるのかも知れない。)

だが、そうした傷を論ってみても、大した意味があるわけではない。全体としてこれはバルビローリらしい丁寧で徹底したフレージングによる 歌に満ちた感動的な演奏であって、後にベルリン・フィルにバルビローリを呼ぶことをシュトレーゼマンに決意させたというイタリアで聴いた 演奏というのがまさにこの演奏であったとしても充分に納得が行く。とりわけ終楽章の弦楽合奏の感情に満ちた歌は圧倒的で、 精度としては恐らく優る残りの2つの演奏よりもこの演奏を好む人がいても不思議はない。バルビローリが随所に要求するポルタメントも ここでは極めて有機的に「歌」となっていて、その音色の特性もあって、この終楽章がアドルノがマーラー論で(だが、私見では的外れな ことに「大地の歌」に関して)言及したドロミテの茜色に染まった時の裡にあることを実感させられる。変ニ長調という調性は、或る種の 共感覚の持ち主(かくいう私がそうなのだが)には、明度も彩度も低い暖色系の色を思い浮かべさせることがあるかも知れない。 特に末尾のたそがれた薄明の光の感じは圧倒的だ。手元は闇の中だけれども彼方の山は鮮やかな茜色に染まっていて、 空は紫色から藍色、そして闇へのグラデーションを為している。音楽の持つ意識の流れに完全に同化した、楽音の向こう側の 客席のしんとした気配まで伝わってくる感動的な演奏記録である。

バルビローリのマーラー:第9交響曲・ベルリンフィルハーモニー管弦楽団(1964)

昔、この曲(それはその時分にほぼ唯一容易に入手できるバルビローリのマーラーだった。) を聴いた時の印象は、明るい、見通しの良すぎる、一面的な演奏というもので、マーラーの音楽の 持つ多様性、世界と主観との軋轢を十分に表現できていないと感じられ、ベルリン・フィルとの 有名なエピソードを聞いて期待して聴いたこともあって、ひどくがっかりしたものだった。 そしてその時のそういった印象は、決して見当はずれなわけではなく、現代のマーラー演奏なら 欠けることがないであろう、新奇な音響上の効果の強調も行われず、パート間のバランスや奇矯な アクセントの強調などの譜面の再現という点で不満を抱く人も多いのではなかろうか。 改めて聴いてみても、この演奏は他のバルビローリのマーラー演奏同様、非常に変わった 個性的な演奏だと思う。

実のところ予想外ではあったが、にも関わらず「マーラー的」でない演奏と感じたわけではなく、 違和感を感じたとは言っても、例えばジュリーニの演奏と聴いたときの違和感とは随分 異なるのである。 誤解を恐れずに言えば、あまりに「自然に」音楽が経過していくことに驚いたのだ。 表現主義的で、ある意味では音楽外の文脈や、更に場合によっては単なる演奏上の技術的な 指示ばかりではない総譜上の指示、あるいは音楽の経過が内包するプログラム (標題をつけるのを止めたとはいえ、マーラーの場合にはそれは別段「秘められている」わけではなく、 明らかであると思うが)を無視することはないのだろうが、実際には安易に内容に擦り寄ることはなく、 音楽を演奏することで実現されるものが何であるかに 虚心に耳を澄ます姿勢が優越していており、この演奏も純音楽的な解釈には違いないのである。 (シェーンベルクがこの曲を「非人称的」だと言ったのは、バルビローリの演奏が実現しているような ような自然さと関係があるかも知れない。「暖かい」といわれるバルビローリの演奏が、 シェーンベルクの有名な発言に対してどのような立場にあるかは、聴く人により様々であろう。 私は、寧ろバルビローリの演奏こそ、シェーンベルクの言いたかったことを探り当てている、と いうふうに感じているのだが。)

そうした前提のうえで、バルビローリの演奏では、その第3楽章は、世界を買おうとして破産した 主観の末期の心象たろうとする。「極めて反抗的に」というマーラーの指示は、意図ではなく、 実現されるものとして構想され、実際にそのように達成されているように思われる。 勿論、この演奏を黎明期に続くあのマーラーブームの時代精神に忠実な演奏と比較すること、 例えば2つほど例を挙げれば、レヴァインやカラヤンのような場合と比較することは、意味を なさないだろう。

マーラーブームの時代には「純音楽的な」演奏がもてはやされたものだった。曰く「健康な」 「神経症的でない」マーラー、、、そうした「流儀」の演奏とも、あるいはまた、今日のブーレーズの ような「客観的な」演奏ともバルビローリの演奏はほとんど接点を持たない。この演奏は純音楽的で ありながら、やはり今日においては特殊なのだ。 これがマーラーの第9交響曲の代表的な演奏として、より今日的な演奏と併置されるのは奇観ですらある。 演奏としての完成度の問題は措くとして、その音楽の捉え方では間違いなく、今日的な演奏とは 相容れないものがあるのではないかと思われるからである。

ちなみに、とりわけカラヤンの演奏は、バルビローリが指揮した同じベルリン・フィルに よるものであること、恐らく、カラヤンがこの曲に取り組むにあたって、パート譜への書き込みや、 あるいはもっと直接的に奏者たちの間に「生きた記憶」として身体化されていたに違いない バルビローリの解釈を―好むと好まざるとに関わらず、だが、想像するに、この場合には 多分そんなに否定的にではなく―自分の解釈を築きあげるための土台にしたことを思えば、 それにも関わらず決定的に存在するように感じられる断絶を聴き取ることは、ほとんど驚異的な ことなのかも知れない。もっともだからといって、ことマーラーに関してカラヤンととかく比較される バーンスタインの演奏が、バルビローリにより近いわけでは全くない。寧ろ、バルビローリの演奏に 聴き取ることのできる或る種の音調は、バーンスタインの演奏には全く聴き取ることができない ものだと私には感じられる。粘液質の歌い回しや、テンポの伸縮などの表面的な特徴から バルビローリをバーンスタイン「式」の主観的で自己投入型の演奏と同一視することがあると すれば、それは全く見当外れのことと言わなくてはならないだろう。

聴いてまずすぐに気づくのは、バルビローリのマーラーの特徴である、停滞しない緩徐楽章、 リズムの重いアレグロ楽章というテンポ設定だろう。特にこの曲では長大な両端の緩徐楽章の 淀みないテンポの設定のせいで、深刻に立ち止まりくずれおれるタイプの演奏や、そうでなくても、 新ロマン派的にゆったりとした呼吸の演奏に比べて、息の浅い、淡泊な演奏だと思われるかも しれない。バルビローリのテンポの設計は明確すぎるほど明確で、途中で道に迷って途方に くれることはないのだが、こうした見通しの良ささえ、採りようによっては、マーラーの 音楽の十全な再現たりえていないと批判的に考える向きもあるかもしれない。しかし、私は、 その同じテンポの設定のもたらす説得力の強さを圧倒的なものだと思う。そして、このテンポ 設定は、即興的なその場の状況によるものではなく、勿論明確な意図をもって行われていると 感じる。

それは幻視のような効果をもたらす。音楽の向うにある風景。第1,4楽章、特に4楽章の第2主題が 強烈だ。この風景は、主観の外に実際にあるのではない。従って、聴き手にとっては二重の 窓から眺めていることになる。 こうした観点から見た場合、この演奏に一番近いのは多分、エルガーの第2交響曲の 同じバルビローリによる演奏だ。エルガーの場合も第1交響曲の風景が、意識のすぐ 外側にあって、そこへと踏み出すことが可能だったのに対し、第2交響曲では、外は 過去として内側に降りていくと見出すことができる、というかそれ以外には見出せない ものになっている。

かつてこの曲を頻繁に聴いていたころ、特に第1楽章に、その生活圏の風景が見えるように 感じられたことがあったが、このバルビローリの演奏を聴いたときに感じられるのは、 その風景がはっきりと回想する意識の裡にあるということだ。 それはその後聴いたジュリーニの演奏において風景がこの上も無く克明に見える、今、そこに 見えているものに感じられたのとは鋭い対照をなす。風景は現前せず、主体は風景を記憶の窓の うちに見出すのだ。

こうした直接性や所与としての無媒介性を決して装うことの無い、生の沈殿物の総体に媒介 された経験の生々しさ、そしてある意味では逆説的といえるかもしれない、媒介されているが ゆえの具体性は、この曲の演奏にあっては実際には極めて例外的な印象であると私は考えている。 そうした経験の感覚的ともいえるような直接性こそ、バルビローリの演奏の特徴であると思う。 そして、(多分この点が他の多くの演奏と異なる点で、かつ、バルビローリの他の 演奏、エルガーの第2交響曲やシベリウスの第6交響曲、第7交響曲の演奏と共通する点 だと思われるが)最後まで、主観は揮発しない。彼方へ消えていってしまうことはなく、 夜が明けて空が白んでいくのをここで感じ取るのだ。

バルビローリのマーラー

ブルックナーやR・シュトラウスに比べればマーラーはバルビローリのレパートリーとして 広く認知されているが、にも関わらず私にとってバルビローリのマーラーは発見であった。 発見であった、ということは、逆に抵抗も感じたということだ。少なくとも私にとって バルビローリのマーラーはかなり特殊な演奏に属する。その印象を一言で言えば、またしても、 ではあるが、エルガーのようなマーラー、ということかも知れない。
マーラーの音楽は音がぎっしりつまっていて、しかもそれぞれが徹底的に歌うことを求めて いる一方、音楽の脈絡が錯綜としているので、バルビローリのように一音一音に生気を与えて いきながら、音楽を停滞させずに明確に頂点を築いていくスタイルの演奏がよく合致するのは 納得が行く。ザハリッヒな演奏の対極にあって、なおかつ音楽が自家中毒的に澱んでしまうことが ないのだ。マーラーの演奏は、純粋な音響としての豊かさを追求するにしても、その音楽の内実に 寄り添っていくにしても、音楽自体が自己陶酔的に立ち尽くす傾向にあるように思え、しかも、 それが良い演奏と感じられる演奏程強くついてまわると感じていたのだが、バルビローリの 演奏はその点に関して例外であると思われる。
一方、バルビローリの演奏が「重い」とか「暗い」という形容が用いられているのをよく見かけるが、 これはどういうことなのだろう。
昔、第9交響曲(それはその時分にほぼ唯一容易に入手 できるバルビローリのマーラーだった。)を聴いた時の印象はむしろ逆で、どちらかと言えば 明るい、見通しの良すぎる、一面的な演奏のように思えたのを記憶している。マーラーの音楽の 持つ多様性、世界と主観との軋轢を十分に表現できていないと思ったのだ。ベルリン・フィルとの 有名なエピソードを聞いて期待して聴いたこともあって、ひどくがっかりしたものだった。
実際には今聴いても、かつての印象はそんなに間違っていないと思う。ただし評価は逆になる。 今ならばこうした演奏は許容できる。音響としての豊かさにせよ、主観の物語への没入にせよ、 あるいはより知的な解釈にせよ、どちらにしても優れた演奏であるほど演奏自体に自己完結的な 感じがして、ややもすれば暴力的な、押し付けがましい印象を受けるのが常なのだが、そこから 逃れえている演奏も存在しないわけではない、という実例たりうる演奏の一つだと思う。 そして、現在の私には、むしろこうした演奏でなければ、マーラーを聴くことは困難になっている。
第9交響曲についていえば、特に第4楽章は、考えうる限り最高の演奏だ。
他の曲の演奏についての評価も、少なくとも最初に聴いた印象は正直なところ、必ずしも肯定的な ものとは言い難いものが多かったように記憶している。一つには、ベルリンフィルの演奏する 第9交響曲の場合にはそれほどでもないが、フィルハーモニア管弦楽団やハレ管との 演奏ではとりわけオーケストラの合奏の精度の問題があって、これだけで以前の私の聴き方から すれば許容の範囲を超えていた可能性がある。今ならば、それを必ずしも問題にしない聴き方も 可能だと感じているが。いずれにせよ、そうした訳で、私にとってバルビローリのマーラー演奏は 必ずしも抵抗なしに聴けたわけではなかった。私は、マイケル・ケネディのマーラーについての 著作を通じてマーラーを知ったこともあり、リリースされていなかった第2,3,7番についても 優れた演奏をバルビローリが残しているという情報は知っていたのだが、インバルやベルティーニ、 そしてギーレンやツェンダーといった指揮者の演奏をFM放送で聴いたり、アバドのレコードを 聴いたりしてマーラーに馴染んできたという個人的な背景もあり、バルビローリの様式を 消化するには時間が必要だった。

ちなみに世界と主観との軋轢というモメントはマーラー演奏では割と重要な側面だと思うのだが、 必ずしも「思い入れがある」とか「熱演」と呼ばれる演奏であればその軋轢が表現できると いうものでもない。まさにバルビローリの演奏そのものがその最も顕著な反例になっていると 思う。そうはいっても、バルビローリがマーラーに対して親和的であるという冒頭の見解と 直ちに矛盾するということではないのだが。
バルビローリのマーラーは、シベリウスと同様に主観の世界に対する反応の音楽であり、 しかも、マーラーの音楽は総じてそうであることを考えれば、バルビローリの行き方がマーラーと 親和的であるのは想像できる。けれどもマーラーの場合には世界と主観との関係は一様ではなく、 それは関係を時折損なうほどまでに緊張を帯びることもある。世界が遠のく、主観の没落の瞬間が あるのだ。一方、バルビローリのマーラーにとって世界との間には緊張はあっても、 虚無と向かい合うような瞬間はないように思える。私がかつて感じた一面性とは結局 そういうことではなかったか。それゆえ、第1交響曲や第2交響曲の結末は、バルビローリにおいては まぎれもない、真正なものだ。それはひどく心を打つ。第7交響曲のあの問題のフィナーレも バルビローリにおいては真正のフィナーレである。R・シュトラウスにおいてもそうであったよう に、バルビローリは一見、音楽がそれを要求しているかと錯覚するような瞬間においても、 決してアイロニカルな解釈をとることはない。少なくともバルビローリにおいては、音楽は 見せかけ以上の何かを含むことはないかわり、見せかけと反する何かも決して持たない。 これはマーラー演奏において、ある人にとっては致命的な点だし、別に視点から見れば、 ほとんど希有の資質といっても良いかも知れない。そうしたわけで音楽以上の何かをマーラー自身が 音楽に課そうと試みた第8交響曲にバルビローリが最後まで取り組まなかったのは、 単に機会がなかっただけではなく、意図的な態度保留があったに違いない、と私は考えている。 (もっとも、バルビローリ伝の著者であるマイケル・ケネディによれば、バルビローリは 第8交響曲についても、他の交響曲に対して行ってきたのと同様の下準備を行って いたとのことであるから、私のこの見解は間違っているかも知れない。あるいは私が 第8交響曲について抱いている疑念を拭い去ってくれるような解釈をバルビローリなら したかも知れない。)

ある音の動きが、和音の進行が、音色が例えば草原や雲の動き、空気の湿り具合や温度、 光の調子などを喚起するというのは、一体どうして可能なのか?そしてそれを超えて、 永遠性といった観念的な側面を持つ享受を可能にするのは? いわゆる描写音楽のような手がかりがあるというわけでもない(要するに意識的に体系 づけられた修辞法によるのではない)作品に対するそうした連想は、しばしば月並みなものと として貶められるが、しかし、それが可能であることに対してもっと驚くべきなのではないか? もしかしたらそれは、異郷の地にある人間にとって未知の経験を、己の生き生きとした経験として 外挿することを可能にするかも知れない程度の強度を持っているのだ。 とりわけバルビローリの演奏はそうした生々しい感触に満ちている。 そして更に驚くべきことは、バルビローリがそのように感じたという感受の伝達がかくも確実に 行われうるということだろう。常には存在する曖昧さを乗り越えて、そうした伝達が行われる ことの非凡さに驚くべきなのだろう。そうした伝達もまた、かの永遠性の息吹によるものなのだろうか?

バルビローリの特に比較的早い時期の演奏(例えば第1交響曲のそれ)では特に、呼吸の自由さ、空間の広がりが 感じられ、聴くとほっとする。息を深く吸い込むこと、遠くを眺めること、かすかな響きに耳を 傾けることができる音楽なのだ。危険な言い方かもしれないが、一瞬永遠を感じることができるような気さえする。 この永遠は、地平線の彼方や、記憶の窓の向こうではなく、むしろ手前にすぐ近くに、もっと言えば「隣り」に あるように思える。 もっと「音画」のように、もう少し離れたところから音楽がなるように演奏することもできるだろう。 しかし、バルビローリの演奏では、音楽はすぐに近くで鳴っている。 自分と風景との境目あたりで鳴っているように思える。

音楽がすぐに隣りで鳴る感覚は晩年の演奏においても変わらない。バルビローリの演奏の特質である、 ある種の皮膚感覚が例えば第3交響曲では特に際立っている。湿度の微妙な変化、空気の流れによって 起こる光の変化が、纏わり付くように感じ取ることができる。しかし、今度は啓示はそうした 空気の層を通して、少し離れたところから立ち現れるように思える。決して高いところでも、 遠いところでもないのだが、それは今度は隣りではないようだ。 それは、恐らくは主観の視線がどこに向けられているのかに関する違いなのだ。 この曲には、音楽が静まった瞬間に、ある種の奇跡が起きるのではないかと思わせる瞬間があるように 思えるのだが、この演奏においてもその奇跡は決して垂直軸で生じるのではない。奇跡は意識を はみ出した経験(ではないもの)かも知れないが、しかしそれは、どこか別の場所で起きるのではない。 若き日の演奏ではそれはすぐに隣で起きていたように思えたのだが、この演奏では、その隣の 近さの感覚がやや薄れているように感じられるのだ。それは少し手前で感じ取られる、つまり、 同じことだが、少し向こうで生じているように思える。ここでは奇跡が生じる現在の直接性は後退し、 それは少し未来に生じるのを、わずかに遅れて感じ取っているような不思議なずれの感覚がある。

もしかしたら、奇跡は遠のいたのだろうか?それに答えるためにはきちんとした分析が必要になる だろうが、恐らくある種の「老い」がそこには介在するのではないだろうか。少し遅れること、 けれども、それは寧ろ近づくことであるといったような、そうした何かが20年を経て、加わって いるように思える。勿論、ここでいう「老い」は、場合によっては「円熟」と人が呼ぶかもしれ ないものの別名である。そしてバルビローリのような様式発展をした人(それはむしろ、 日本の伝統的な芸能における名人を思わせる)の場合には、この点はとても大切な点だと 思われる。

ちなみにバルビローリがマーラーに取り組み始めたのは1954年以降のことと言われている。 ただし「大地の歌」はずっと早く、1945年のシーズンには取り上げている。また最初に指揮したのは 「子供の死の歌」で、1931年にロイヤル・フィルのコンサートでエレーナ・ゲルハルトの歌唱の伴奏を した記録があるようだ。
いずれにしてもバルビローリにとってマーラーは、始めから馴染みのある存在であったわけではないようで、 最初にマーラーを聴いたのは1930年4月の時点、マーラー指揮者の一人で、マーラーの交響曲の 最初の録音(第2交響曲)を1924年に果たしたオスカー・フリートの第4交響曲のリハーサルに 出席した時のことらしいが、バルビローリは必ずしも好意的には受け止めなかったようだ。
バルビローリはその後1930年代の後半―つまりニューヨーク時代に当たるが―には、第5交響曲の アダージェットのみを取り上げているだけであり、例えばニューヨーク時代にすでに録音が残っている シベリウスは勿論、ブルックナーに比べても、マーラーへの関心は遅かったといえるだろう。
そうしたバルビローリがマーラーに取り組むようになったのは、当時のイギリスにおいてマーラーを 評価していた先駆者の一人である評論家のネヴィル・カーダスの薦めがきっかけであったことは 良く知られている。当時のイギリスではマーラーは必ずしもレパートリーとして定着していたわけではないが、 ハミルトン・ハーティやヘンリ・ウッド(プロムスで有名なあのウッドである)などが取り上げていた。 マーラーの最初の5つの交響曲についての著書もあるカーダスは、ハレ管弦楽団の指揮者となった バルビローリに対し、1930年にハレ管弦楽団を指揮して第9交響曲を演奏したハーティを 引き合いに出しつつ、1952年にバルビローリにマーラーを取り上げるよう薦めたのである。

そういう経緯もあって、50時間ものリハーサルを経て1954年2月にまず取り上げられたのは第9交響曲だった。 その後、第1(1955年11月)、第2(1958年5月)、第7(1960年10月)、第10の第1楽章と第3楽章(1961年11月)、 第4(1963年4月)、第6(1965年1月)、第5(1966年3月)、第3(1967年4月)という順序で演奏して いて、第8は結局取り上げていない。(なおベルリン・フィルとは晩年に第1交響曲から 第6交響曲までと、第9交響曲を演奏しており、もしバルビローリが1970年の夏に没しなければ、 次のシーズンには第7交響曲が取り上げられる予定であったときく。ないものねだりでは あるが、来日が実現しなかったことに加え、ベルリン・フィルとの第7交響曲が残されなかった のも残念なことだと思う。)バルビローリのマーラー演奏に対する準備は徹底したもので、 演奏の2年も前からスコアを研究し、フレージングを書き込むといった作業を進めていたという 証言がある。まさにその音楽を充分に自分のものにしてから演奏を行ったわけで、それを 証言する彼自身の言葉もインタビューで聴くことができる。

マーラーがすっかり「当たり前」になった現在から見れば、バルビローリをマーラーのスペシャリストに 含めるかどうかの判断は微妙で人それぞれといったところだろう。何しろ今では十指に余る交響曲全集 録音が存在するし、ワルターやクレンペラーと異なって、バルビローリはマーラー演奏の伝統の中心に 居たとは言えないという事情もある。チェコの指揮者が持つ中欧の伝統とも無縁である。更にまた、 オーケストラの技術的にも時代の制約による精度の限界があるのも否定し難い。 何といっても当時のオーケストラはマーラーを弾き慣れていなかったし、それはイギリスの オーケストラ同様、あるいはそれ以上にフルトヴェングラーとカラヤンのオーケストラであったベルリン・フィルに 対して当て嵌まるのである。更に言えば、ハレ管弦楽団はマーラーのライバルであったハンス・リヒターが マーラーと入れ替わるようにしてウィーンを去った時に向かった先であった。今日のベルリン・フィルが アバドやラトルの下でマーラーを頻繁に演奏し、あるいはハレ管弦楽団がケント・ナガノの下で 嘆きの歌の初期稿の初演をしたりしていることを考えれば昔日の感があるが、寧ろバルビローリこそが 今日のそうした伝統の原点にいるパイオニアなのである。だが、そうした事情はあったとしても、遺された 演奏記録を客観的に評価したときに、今日的な技術水準から見てそれらには最早歴史上の過去の 記録としての価値しかないと見做す立場があっても全く不当とは言えないだろう。

結果としてその演奏はどちらかと言えばその独特の個性によって存在意義を主張するといったタイプの演奏になるのだろう。 そして私にとってはバルビローリのマーラー演奏は、逆説的なことだが、まさにその周縁性によって他の演奏には 見られない、しかも私がマーラーにとって極めて重要と考える或る種の質を備えたものに思われるのである。 バルビローリはアウトサイダーとしてマーラーに接することでかえってマーラーの音楽の持つある質を卓越した仕方で 捉え、それ故、バルビローリ以上に時代も環境も異なる私のような聴き手にとっては極めて説得力のある解釈を 提示しえているように感じられる。

主観と世界の様態の多様性の記述と引き換えに、音そのものへの誠実さが、もしかしたら もはや信じることが困難な主観の物語に説得力を与えるのだ。そして、この一点のみでも バルビローリのマーラー演奏はかけがえのない価値を持つものであると思う。演奏や録音の 精度の高さにおいてより優れた演奏は今や幾らでもあるだろうが、こうした説得力を持つ 演奏は稀のように思われるからだ。(2002.4初稿、2008.4.13, 5.8,10補筆改訂)