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GMW(Gustav Mahler Werke, グスタフ・マーラー作品番号:国際グスタフ・マーラー協会による)を公開しました。(2025.4.20)
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2025年1月13日月曜日

備忘:マーラーの音楽における「老い」についての論考に向けての準備作業 (1)(2025.1.13更新)

  かつて私は、その年齢相応の仕方ではあったが「老い」について幾つかの対象を媒介にして考えたことがあった。それは生物学的・生理的な老いそのものではなく、アドルノとは別の仕方によって「後期様式」とは別の選択肢に辿り着くというような認識の様態を巡ってであった。

 それらの起点はと言えば、或る日自分に訪れた「折り返し点」の感覚ではなかったか?この折り返し点という感覚は、様々な「老い」についてのドキュメントのアンソロジーでもあるボーヴォワールの『老い』の中でしばしば現れるから、その時にそう思って以下にも書き付けた通り(そしてその時には、ダンテの『神曲』の冒頭が思い浮かんだのだったが)、それは普遍的な感覚なのだろう。そしてその時には気づかなかったけれど、つまるところこれは「老い」についての自己認識だったのだろう。ボーヴォワールの『老い』の第五章は「老いの発見の受容―身体の経験ー」と題されているが、そこには、ルウ・アンドレアス=サロメが病気のあとで髪の毛がたくさん脱けたのをきっかけに、「それまで自分に「年齢がない」と感じていたのだが、そのとき彼女は自分が「梯子の悪い側」(下り坂)に差しかかかったのを認めたと告白している。」(ボーヴォワール『老い』(上), 人文書院, 1972, 下巻, p.338)というくだりがある。ボーヴォワールはこのケースを急激な変化が老いの自覚を促すケースとして挙げているのだが、私の場合には、病などの急激な変化がきっかけという訳ではなく、寧ろ、同じ章の冒頭のボーヴォワール自身の回想である「早くも四〇歳のとき、鏡の前に立ちつくして、「私は四〇歳なのだ」と自分に向かってつぶやいたとき、私はとうてい信じられなかった。」(同書下巻, p.333)というのに寧ろ近いのだろう。だがしかし、そもそも私の老いの自覚は身体の経験に根差したものではなかったのだ。したがってそれよりも寧ろ、同じ『老い』の中にボーヴォワールが参照するダンテの『饗宴』における老いについての考察―「彼(ダンテ:引用者注)は人生の道を、大地から天に昇って頂点に達し、そこからふたたび加下降する弧に比較している。天頂の位置は三十五歳である。それから人間はゆっくりと衰えてゆく。四十五歳から七〇歳までが、老年の時期である。」(同書上巻, p.264)を確認した時(かつての「折り返し点」に事後的に気づいた私は『饗宴』の方は知らなかった訳だが)、それが自分のその時の認識の在り方に即したものであったことに驚き、更にその時の私が他ならぬダンテの『神曲』の冒頭を思い浮かべたことの方にもまた、今頃になって驚いたのであった。

Nel mezzo del cammin di nostra vita
Mi ritrovai per una selva oscura,
Ché la diritta via era smarrita.

人生の半ば、私は暗い森のただなかにいた。
有徳の正道は、もはや見失われて。(ダンテ『神曲』)

 まさにそのような感覚を持つ。多分それは普遍的な感覚なのだ。生きる力と衰えの均衡点に居ることの齎す停滞感なのではないか。

 人生の半ばを過ぎたことは確かだ。書き留めておくべきであったかも知れないが、今から1,2年程前のある時期に、はっきりとそのような感覚を持った。 そして、自分には何も残すものはなさそうであること、未だ「神の衣」を織ることあたわず、夢のまま終わるのかもしれないという漠とした感覚。 実際には、そうあっさりと思い切れるものでもない。だってまだ半分残っているのだから。 けれども、それが「どこ」にあるのか、わからなくなっている。(「身辺雑記(1)」の冒頭部分)

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 『狭き門』のアリサにおける「老い」。アリサとジェロームの関係における「老い」。相転移の向こう側。不可逆性(「もうページはめくられてしまった」)。不連続性。その移行のプロセスに注目すること。事後的に気づくのか?「老い」はアリサの側にあって、ジェロームにはない。だが、最後の場面における「年を経た=齢をとった」ジェロームにはないか?ジュリエットにはないか?

 アリサはもう、後には引き返さない。迷いはあるし、絶ち難い心の動きはあるけれど、 それらを寧ろ利用して反発力を得るかのように、パスカルを捨て、ピアノの練習を捨て、遂には家を出てしまうに至る。「私は年老いたのだ。」という 第8章のアリサの決定的なことばの重みは、一見するとそのように読めるにも関わらず、そしてその時のジェロームがまさにそう誤解してしまったように、 その場を取り繕ったことばであるわけではない。この言葉は、誰よりもアリサ自身にとって、ありのままの風景、展望であったろう。 彼女は相転移の向こう側の領域にいるのだ。だからジェロームの見ているのは、文字通り「幻」なのである。

 裏返せば、アリサは初めから相転移の「向こう側」に居たわけではない。「私は年老いたのだ。」という言葉を文字通りに受け止めるとどうなるか。 まず年老いる、とは以前のようではない、以前とは変わってしまった、相転移が生じて、 以前とは別の相に既にいるのだ、ということに他ならない。アリサの日記は、その異なる相から響いてくるのだ。アリサはある一線を越えてしまった。ヴァルザーの描く、 ブレンターノが入っていったというあの門が思い浮かぶ。(それはカトリックへの帰依に関するものだったから、寧ろ10年後の「田園交響楽」のジェルトリュードに こそ相応しかったのかも知れないが。)

 勿論、アリサもまた、正統的なキリスト教の教義からすれば、逸脱した恣意的な理解に陥っているのだろう。 ジッドはニーチェをプロテスタンティズムの極限点と見做していたらしいが、ニーチェの歩みをアリサの歩みと類比的に見る見方(山内義雄が紹介している)は 必ずしも的外れではないと感じられる。極限点は、向こう側なのだ。ただしそこでは何も許されない。「狭き門」はそれ自身閉ざされる。二人で通れないのではない。 門は常に、その人のものだ(ここからカフカの「掟の門前」に、そして「審判」に補助線を引くことができるだろう)。門をアリサは自ら閉ざした、という人がいても 不思議はない。

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 ヴァルザーがブレンターノを主人公にして書いた散文にあらわれるあの薄暗い大きな門、その向こう側には沈黙が広がる、相転移の地点のほんの手前についての思考、それは「掟の門前」(カフカ)や「狭き門」(アリサの「老い」)とどう関わるのか?門の通過。クリプトへの下降。ランプ。扉。待機。仮面をつけた一人の男。カトリック…

Ein Jahr oder auch zwei Jahre vergehen. Er mag nicht mehr leben, und so entschließt er sich denn, sich selber gleichsam das Leben, das ihm lästig ist, zu nehmen, und er begibt sich dorthin, wo er weiß, daß sich eine tiefe Höhle befindet. Freilich schaudert er davor zurück, hinunterzugehen, aber er besinnt sich mit einer Art von Entzücken, daß er nichts mehr zu hoffen hat, und daß es für ihn keinen Besitz und keine Sehnsucht, etwas zu besitzen, mehr gibt, und er tritt durch das finstere große Tor und steigt Stufe um Stufe hinunter, immer tiefer, ihm ist nach den ersten Schritten, als wandere er schon tagelang, und kommt endlich unten, ganz zu unterst, in der stillen kühlen tiefverborgenen Gruft an. Eine Lampe brennt hier, und Brentano klopft an eine Türe. Hier muß er lange, lange warten, bis endlich, nach so langer, langer Zeit des Harrens und Bangens, ihm der Bescheid und der grausige Befehl erteilt wird, einzutreten, und er tritt mit einer Schüchternheit, die ihn an seine Kindheit erinnert, ein, und da steht er vor einem Mann, und dieser Mann, dessen Gesicht mit einer Maske verhüllt ist, ersucht ihn schroff, ihm zu folgen. »Du willst ein Diener der katholischen Kirche werden? Hier durch geht es.« So spricht die düstere Gestalt. Und von da an weiß man nichts mehr von Brentano. (Robert Walser, Brentano)

一年また二年が過ぎ去った。彼はもはや生きつづけたいとは思わなくなった。それでこのわずらわしい生命をわれとわが手で断ちたいと思った。こうして彼は、深い洞窟があることを知っている場所にやって来た。もちろん洞窟を下に降りていくことはためらわれた。しかし彼は、一種の喜悦をもって、自分にはもはや望むべき何もないこと、自分にはもはや何の所有物も、何かを所有したいという願望もないことを思った。こうして彼は真暗な、大きな門を通り抜け、一段一段と下に降り始めた。最初の数段を降りるうちに、もう何日間も歩きつづけているような気がした。こうして最後に一番下に、静かでひんやりとした墓所が地下深くひろがる所に来た。ランプが一灯、燃えていた。彼は扉を叩いた。その前で彼は長いこと長いこと待たなければならなかった。ついに、おびえつつ待ちつづけた長い長い時間の後に、入っていいという決定と命令が下された。彼は子ども時代を思わせるおずおずとした態度で入っていった。一人の男が待っていた。マスクで顔を覆ったこの男はブレンターノにぶっきらぼうに、自分の後について来い、と言った。「カトリック教会の僕になると言うのだな?それはここを通って叶えられる」。暗鬱なその影はそう言った。そして、この時以来、ブレンターノの消息は断たれたままである。(飯吉光夫編訳, 『ヴァルザーの詩と小品』, みすず書房, 2003, pp.101-2)

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 老いと断念・断筆。

 デュパルクの断筆。

 デュパルクのことを考えていて、ふとアルヴォ・ペルトが修道僧に会った時のエピソードを想い出した。ペルトは祈りのために音楽を書いていると言ったのに対し、修道僧は、祈りのことばはもう用意されているから新たに何も付け加えることはない、と言ったらしい。だがペルトは作品を書くことを止めなかった。私はその話を読んだときにペルトの態度の方を不可解に感じたのだった。そう、デュパルクの態度の方が遥かに一貫していないだろうか?もっとも、あえてそうしたエピソードを明かしたからにはペルトは多分答えを持っているのだろうが。だが、私思うに件の修道僧はそのペルトの答えを決して認めないだろう。もう一つ。ジッドの「狭き門」で、アリサがパスカルを批判する件がある。数学者をやめたことを惜しむどころか、「パンセ」を遺したことすら問いに付されうる、というわけだ。「私は年をとってしまった」というアリサのジェロームへの言葉の意味は、要するに相転移の臨界のこちら側に来てしまった、という意味なのではないか。「ルサルカ」を破棄したデュパルクと同じ側にいる、ということなのではないか。)

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 後に何も残さないこと。シベリウスの沈黙。密かに為されたアウト・ダ・フェ。

 シベリウスは主観を(もっと言えばそれ自体啓蒙の産物たる「人間」を)超えたところにノモスのあることを確信していたに違いない(もう一度、ヘルシンキでのマーラーとの有名な対話を思い起こせばよい)が、しかしそのノモスを己の音楽の素材とは考えることができなかった。そのノモスに忠実であろうとするあまりに、曲を組み立てる恣意、手癖のように入り込む己の主観の働きに苛立つようになったのではないだろうか?

 シベリウスの沈黙は、ある種の完璧主義、強すぎる自己批判のなせる業だと考えられているようだし、第8交響曲に対するプレッシャーや戦乱、はたまた国家から終身年金が保証されたことによる経済的安定に至るまで、外面的な理由は様々に考えられているようで、それぞれその通りなのかもしれないが、晩年の音楽を聴くと外面的な理由以前に、音楽自体のうちに沈黙に至る方向性があるように感じられてならないのだ。

 それ故、第6交響曲、第7交響曲、そしてタピオラという3作品については、沈黙ではなく、撤回でもなく、作品が公表され、遺されたことを感謝すべきなのであろう。それらはある種の臨界の音楽、一歩間違えれば作品のかわりに沈黙が残されただけかも知れないような相転移の領域の音楽なのだと思う。シベリウスの歩みが止まるのが作品番号にして100を超える作品を産み出した後であって、その途上や、その出発点でなかったことは色々な意味で幸いなことだったのではなかろうか。それがペルトの言う、「偉大な芸術家にとって、もう芸術を創造しようとしたり、創造したりする必要のないとき」を迎えたという一例なのかどうかはわからない。そもそもシベリウスの音楽は、狭義では宗教的なものではない。典礼的な意味合いでの祈祷の音楽ではない。だが私には、その音楽の辿った沈黙への道筋、森の中へ消えていく足跡の方が、ペルトが選び取った貧しさ(ティンティナブリ)による祈りの形をした音楽の産出(それは本当に無名性を目指しているだろうか?)よりも、ペルトが会ったというあの修道僧の言葉に忠実ではなかったかと思えるのだ。

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 これらはその時期の私なりの「老い」についての思考であった。それは実は最初から「老い」に、アルフレッド・シュッツの指摘をうけてより正確に言うならば、「老い」ていくという事実よりもより多く「老いの意識」に関わっていたし、今よりのち、ますますそうなっていくのだということを自覚せざるを得なくなったのである。(老いの経験と老いの意識の区別については、シュッツ『社会的世界の意味構成』の第2章 自己自身の持続のおける有意味的な体験の構成 を参照のこと。邦訳:佐藤嘉一訳, 木鐸社, 1982, p.63参照。なおシュッツについては後程、更に触れることになるだろう。)

 かつては寧ろ、相転移の向こう側の沈黙の方にフォーカスしていたので、恐らくはその手間に位置づけられる「後期様式」についての思考との両方を「老い」を媒介とした一つのパースペクティブの下で捉えるという発想を持つことはなかったのだが、今やそれにこそ取り組むべきなのだと感じている。そのことはパスカルに関して数学者をやめたことを惜しむのか、「沈黙」の替わりに『パンセ』を遺したことすら問いに付すのかとの間の二者択一を意味しない。寧ろ相転移の向こう側でなお、何が可能なのかが問われているのかも知れない。更に言えば「老い」の意識は暦年に基づく年齢とも生理的な年齢とも関わりなく、寧ろ病とか身体的な衰えや、そうしたことに媒介された死への意識とともに主体に到来するものなのだろうが、さりとて暦年に基づく年齢や生理的な年齢に伴う老化自体を無視することなど出来はすまい。

 マーラーの音楽における「老い」について考えるということは、従って二重の課題を抱え込むことになる。一方では作品そのものの中に「後期様式」なるものの特徴を探り当てなくてはならないだろう。確かに「老い」を感じさせる音楽というのはあり得るだろうし、マーラーの作品の中にそれを見出すことは寧ろ容易なことにさえ感じられる。だが世上、それは「老い」そのものとしてではなく、寧ろ「死」とか「別れ」とかと関連づけられて語られてきたものではなかったか?そもそも一体「老い」を感じさせる「音楽」というのは、それが伝記的事実についての知識の後付けの投影でないとしたら、一体どのような構造を備えたものなのか?他方では、「自伝的」作曲家と言われることがあるマーラーにおいては一見したところ自明なこと、他の作曲家に比べれば遥かに見て取りやすいものと一般には了解されているであろう作品と作者との関わりの問い直しにつながるだろう。その作品における「発展」を認め(これもまた自明のことにさえ思われる)、「後期様式」の存在を認めたとして、それがマーラー自身の「老い」、あるいは「老いの意識」とどのように関わるというのだろうか?そもそも私がかつて拘っていた「相転移の向こう側」は、だが他ならぬマーラーの生涯という個別のケースについては当て嵌まらないのではないか?という問いにまず答える必要があるだろう。その上で、マーラーの「老いの意識」がマーラー固有の「晩年様式」にどのように反映されているか、マーラーの後期作品は「老いの意識の音楽」たりうるのか?それは「老いの時間の感じのシミュレータ」たりうるのかが問われていることになろう。今のところそれは予感めいたものに過ぎないが、こうした一連の問いは、例えば「第8交響曲」と「大地の歌」や第9交響曲の間に広がるかに見える深淵についての問い直しにつながっていくだろうし、更には第9交響曲と未完に終わった第10交響曲との間に指摘されることがある断絶、或いは第10交響曲の位置づけそのものについての問い直しにつながっていくだろう。一体、マーラーの作品においてそもそも「老い」は存在するのか?存在するとしたら「老い」は何時から始まっているのか?マーラーの作品系列における亀裂・断絶に見えるものは、「老い」に纏わるこの節で取り上げたような相転移と同じものなのか、異なるものなのか?具体的などの作品の何処の部分にマーラーの音楽における「老い」を見出すことができるのか?

(2022.12.7-8 公開, 2023.3.15改稿, 2024.12.8 加筆, 2025.1.13 邦訳追加)

2024年12月18日水曜日

備忘:マーラーの音楽における「老い」についての論考に向けての準備作業 (3)(2024.12.18 更新)

 「老い」についての大著というと、邦訳で上下巻、二段組で700ページにもなるボーヴォワールの『老い』(朝吹三吉訳, 人文書院, 1972)があって、膨大な資料を渉猟し、その記述は多面的で、生理的側面、心理的側面、社会的側面の全てに亘り、客観的・対象的な了解と主観的・体験的な了解の両方を扱っており、かつそれらそれぞれの面のいずれについても充実したものだが、余りに経験的な次元に限定されている感じもある。一方でその限りにおいて、作家や学者に比べて芸術家(画家と音楽化)の晩年についての評価は高いのだが、その理由が特殊な技能を習得することから習熟に時間を要するという稍々皮相な指摘に留まっている。

 「このように彼ら(=音楽家:引用者注)が上昇線をたどるのは、音楽家が服さなねばならない拘束の厳しさによる、と私は解釈している。音楽家は自分の独創性を発揮するには高度の熟達がなければならず、これを獲得するには長い時間が必要なのである。」(邦訳下巻, p.479)

 何よりも「老い」が単なる「長い時間」と同一視されていて、「老い」の固有性が顧慮されていない点が致命的に感じられ、これではゲーテの「現象から身を退く」に基づくジンメルやアドルノの議論との間尺がそもそも合いようがない。ボーヴォワールが「老い」というものが様々なレベルで複合的に決定されているものであるが故に明確に定義することが困難であることを認識した上で、「老い」というものの固有性について理解しているだけに、個別の例における上記のような評価は寧ろ腑に落ちない感もある。

* * *

  ボーヴォワールの分析は主観的・体験的な了解に関わる部分では『自我の超越』や『存在と無』といったサルトルの現象学的分析に依拠しているが、一般的に言えば、「老い」のような水準は、現象学的分析においては扱いづらいもののようである。現象学が通常扱う意識の水準で「疲労」とか「倦怠」が取り上げられることはあるが、それらは概ね、せいぜいが過去未来方向の把持を含めた「幅をもった現在」の意識の相関者である「中核自己」の水準であるのに対し、「老い」は生活世界の住人である「自伝的自己」に関わるもので、両者は区別されるべきように思われる。

 管見では、現象学的分析としては、アルフレッド・シュッツの生活世界の構成についての分析において「時を経ること」=「老いること」が取り上げられていることを確認している。例えば、既に「老いの体験」と「老いの意識」の区別について参照した『社会的世界の意味構成』の第2章では、「私が年老いていく」事実と「老いの認識」について、フッサール現象学の時間論を参照しつつ述べた後、第3章 他者理解の理論の大要 の第20節 他者の体験流と私自身の体験流の同時性(続き)において、生きられた「同時性」を「共に年老いるという事実」(同書邦訳, p.143, 原文傍点)に見出し、それに基づいて第4章 で社会的世界の構造分析が展開される。C.社会的直接世界 (同書邦訳, p.224以降)で我々関係についての考察が為され、「しかし直接世界的な社会関係において年老いるのは1人私だけではない。我々はともに年老いるのである。」(同書邦訳, p.237, 原文傍点)とされるのである。なおリチャード・M・ゼイナー編『生活世界の構成:レリヴァンスの現象学』でもその最後の部分(第七章 生活史的状況 のE.時間構造)で、「時を経るという体験、つまり幼児期、青年期、成人期から衰退期を経て、老年に向かうという推移の体験」(邦訳:那須壽・浜日出夫・今井千恵・入江正勝, マルジュ社, 1996, p.246)をもっとも根本的な体験のひとつとして挙げており、「われわれは時を経るということ、これがわれわれにとっては最高度のレリヴァンスをもっている。それが、動機的レリヴァンス体系の最高次の相互関係、つまり人生プランを支配しているのである。」(邦訳同書, p.247)という指摘が見られる。勿論、このシュッツが取り上げる「年を経ること」=「老いること」は、時間論的には「推移」一般と関連づけられていることから窺えるように、特にダンテの定義する「老年」における「老い」の固有性をとらえたものではなく、従って、ここでの考察にとっては出発点を提供するものに過ぎないが、狭義での現象学的分析の対象である「中核自己」とは異なる「自伝的自己」の水準にフォーカスしている点、プロセス時間論などで「知「生成」と対比して論じられる「推移」の経験、つまり「超越」における被把持であり「自己超越=死」と「生成」とがリズムを刻むという不連続的・エポック的な時間把握へと接続可能である点、更には「老い」が本質的にポリフォニックであるという認識への展開の可能性を含み持つ点で極めて有効な視座を提供していると思われる。(更に追記。『生活世界の構成:レリヴァンスの現象学』における「時を経るという経験」が登場する箇所には編者による注が付けられているのだが、その注は、シュッツの別の論文「音楽の共同創造過程」への参照を求めている。ここでもまた音楽の体験が取り上げられていることに留意しよう。)

* * *

 結局のところ、総じて「老い」は通常二次的、複合的、派生的概念と見なされているのではなかろうか。老いはファーストオーダーの事象ではなく、ある種の複合・ベクトルの合成の結果と見なされるようなのである。生成に対するのは死であり、老いではないと見なされてしまう。かくして、だが死と老いとを区別しないことは、生成の側に本来は存在する差異を蔑ろにすることにも繋がってはいまいかという疑念が浮かび上がってくることを禁じ得ない。

 しかしその一方で、自伝的自己の老いについては、それでもいいのでは、という問い返しもまた可能ではなかろうか?ポリフォニーは単旋律の複合ではない。ポリフォニーをより単純な要素に還元することはできない。無理にそうすればカテゴリーミステイクになってしまうだろう。ここでもシュッツの指摘に耳を傾けるべきだろうか?『生活世界の構成 レリヴァンスの現象学』の第一章の序言において、シュッツは「対位法」を比喩として取り上げているのである。

「(…)私が念頭においているのは、同一楽曲の流れのなかで同時に進行している、独立した二つの主題間の関係についてである。それは簡単に言えば対位法の関係である。聴衆の精神は、いずれか一方の主題を辿るだろう。すなわち、どちらの主題であれ一方を中心的主題とみなし、他方を副次的主題とみなすだろう。中心的主題は副次的主題を決定しながら、それでもなお構造全体の入り組んだ構成のなかで依然として優位であり続ける。われわれの人格の、そしてまた意識の流れのこの「対位法的構造」こそが、他の文脈で自我分裂の仮説と呼ばれているもの―何らかのものを主題的に、それ以外のものを地平的にしようとすれば、われわれは自らの統一ある人格の人為的な分裂を想定せざるを得ないという事実―の系をなしている。主題と地平の区別が多少なりとも明確であるようにみえる場合、それを他から切り離して考えてみれば、そこには人格の二つの活動が存在しているにすぎない。そのひとつは、たとえば外的世界における諸現象を知覚する活動であり、他のひとつは「労働すること」、すなわち身体上の動きを通してその外的世界を変化させる活動である。だが、されに詳細に探究してみれば、そうした場合でさえも、精神の選定活動に関する理論は、領野、主題、地平といった問題よりもより一層複雑な問題群のための単なる題目―すなわち、われわれがレリヴァンスと呼ぶように提案している基本的な現象のための題目ーであるにすぎないということが明らかになるだろう。(…)」(リチャード・M・ゼイナー編『生活世界の構成:レリヴァンスの現象学』, 那須壽・浜日出夫・今井千恵・入江正勝訳, マルジュ社, 1996, p.41, ボールド体による強調は原文では傍点。 )

 シュッツの上記の指摘は、「老い」固有の事情についての指摘ではなく、寧ろ生活世界の構成一般についての指摘であるけれど、自伝的自己に関わる限りにおいての老いは、そうした次元に関わる限りにおいて、本質的に対位法的なものではないのか?「老い」の意識は、相対的なものである限りで、他者を必要とするのではないか?「老い」はポリフォニック、対話的なものではないか?それと細胞老化・個体老化という生物学的な意味合いでの老いとは区別されるべきではないか? 

 ボーヴォワールの『老い』においても、第二部 世界ー内ー存在(邦訳同書下巻)において、「老いとは、老いゆく人びとに起こること」(p.331)であるがゆえに「老いという問題については名目論的観点も観念論的観点もとることができない」と主張されるのは、「自己の状況を内面的に把握し、それに反応する主体」(ibid.)としての「年取った人間」としての「彼がいかに彼の老いを生きるかを理解しようと試みよう」とする限り当然のことであろう。そもそもボーヴォワールの分析は、『自我の超越』や『存在と無』といったサルトルの現象学的分析に依拠しているから、シュッツの立場との接点があるのは当然だが、「老いとは、客観的に決定されるところの私の対他存在(他者から見ての、また他者に対するかぎりにおいての、私という存在)と、それをとおして私が自分自身にもつ意識とのあいだの弁証法的関係なのである。」(邦訳同書下巻, p.334)という規定は、シュッツのいうレリヴァンスとしての「対位法的構造」と、少なくとも事象の側としては極めて近しい水準のものを対象としているとは言い得るだろう。如何にも『存在と無』における他者のまなざしに関する議論を彷彿とさせる、「老い」の発見における他者のまなざしの役割の強調も、それが身体の経験の枠組みの中で捉えられる限りにおいて、直接的な他者の視線であったり、鏡に映った自己を眺める自身の視線に還元されてしまうように見えたとして、それのみに尽きてしまうわけではあるまい。勿論、「老い」において生物学的次元・生理学的次元を無視することはできないが、そこに還元してしまえるわけではない。ボーヴォワールの言う「普遍的時間」とは、実のところ普遍的ではありえず、生物学的時間・生理学的時間、そしてそれらと同様、天体の運動のような次元に基盤を持ちつつも、社会的関係によって構成された「暦」のような時間の重層のそれぞれの切断面に老いの経験の契機が孕まれているのであって、さながら冒頭の私の経験は、ボーヴォワールの記述においては、第六章 時間・活動・歴史 の中における「私は、私が為した(作った)ところのもの、しかもただちに私から逃れ去って私を他者として構成するところのもの、である。」(邦訳同書下巻, p.441)という規定に照らした場合の(残念ながらボーヴォワールの場合とは異なって)或る種の欠如の感覚(要するに、何も生み出すことなく馬齢を重ねるという認識)に起因するものであったということになろうか。

(2022.12.7-8 公開, 2023.3.16改稿, 2024.12.18 全面改稿)