お詫びとお断り

2020年春以降、2024年3月現在、新型コロナウィルス感染症等の各種感染症の流行下での遠隔介護のため、マーラー祝祭オーケストラ第22回定期演奏会への訪問を例外として、公演への訪問を控えさせて頂いています。長期間に亘りご迷惑をおかけしていることにお詫びするとともに、何卒ご了承の程、宜しくお願い申し上げます。

2005年11月5日土曜日

「はじめに」の撤回された異稿(2005年11月版)

何かについて語ることはとても難しい。その対象について余程知悉しているという確信無しに迂闊に書いてしまえば、後悔することになるのは明らかである。一方で、人は愛するものについて語り損なうとも言われる。実際に、よくわからずに強い印象を受けた時に書いた内容、それはいわば決め付けや思い込みに過ぎないのだが、それでもそれが後で知った事実と結果的に整合しているという偶然も決して珍しいことではない。

私はマーラーに対して、はっきりとした両価感情を抱いている。知っている、という点において、私の貧弱な経験の裡の相対的な比較に過ぎないとはいえ、マーラーの音楽以上によく知り、親しみ、馴染んでいるものは(ジャンルを超えても)ないと言ってよい。経験が人間の自己を形成する、という言い方が文字通りに受け取られるのであれば、マーラーの音楽は、まさに「私の一部」であると言って良い。勿論これは程度の問題であって、他の様々なものたちも、それぞれの度合いで「私」を構成しているのであって、別にマーラーの音楽だけに質的な飛躍を含む特権的な何かがあるわけではない。けれども量も一定の度合いを超えれば質に転化する。いや、このこと自体、Webで知る限りでも多くの方に起きていることのようだし、「マーラーと私」を特権化しようという意図は全くない。客観的に、統計的に見れば、とりわけマーラーのようなある種の「毒」を持った音楽については良く起きることが、私の場合にも起きたというに過ぎないのであろう。他の人には容易に嗅ぎ付けられるらしい、その「毒」というものに、どうやら私は全く無頓着であったし、基本的には今でもそうであるというのが、なによりの証拠に違いない。

しかしいずれにせよ、一旦そのように自分の一部になってしまったものを引き剥がすことは決して容易ではない。一時期私はそのようにしようと試みた。それは丁度、自分がある種の妥協として選択した職業に幾ばくか馴れ、それとともに、その妥協によって自分が喪ったものの巨大さ(私のような、能力の乏しい人間にとって、手に負えないという意味での相対的な大きさだが)に思い当たるようになった時期だった。内容こそその人間の能力と、置かれた環境に応じて様々であろうが、誰もが、偉大な天才ですら迎えるある種の危機の時期だったのであろう。(ちなみに「天才」マーラーにもそういう時期はあった。ちょうど第1交響曲と、後に第2交響曲の第1楽章になる交響詩「葬礼」の時期がそうだと思う。もっとも彼が遭遇した状況と私のそれとは全くといっていいほど接点がないのは勿論である。)その時期まで私は、マーラーについて書きたいという希望を持っていて、それ以外の研究の真似事はほとんど断念していたにも関わらず、一時期、大学時代の恩師に対して自分の企画を送って指導をお願いするようなことさえした。アドルノのような経験と知性とをもってのみ可能であるようなそうした企てに研究を断念して世間に出てしまった私が無謀にも取り組むなどという暴挙は、正統的な現象学者・倫理学者である恩師に受け入れられる筈も無く、沈黙による拒絶という回答を得ただけだった。(それでも寛容な師はその拒絶を詫びてくれさえしたのだった。)それを機に当時所有していたマーラーに関するすべての音源と楽譜・書籍を処分した。(引き取ってもらった古書店の店長が、初対面にも関わらず、惜しくは無いのかと念を押してくれたのをはっきりと覚えている。)自分の一部を切り捨てるそうした決断は大きな虚脱感と幾ばくかの苦痛によって報復を受けたが、それでもそれから数年間は寧ろマーラーの音楽を懼れて遠ざけていたのである。それはある程度成功したとも言えるし、こうして今現在は再びその音楽を聴くようになっているのであれば、失敗したというべきかも知れない。禁煙の類との類比でいけば明らかに失敗だろうが、しかしこうした事象の場合には、そうした事実自体が持つ意味というのは確実に存在する。要するにかつてのように私はマーラーを聴くことができなくなっているのに否応無く気付かざるを得ないのである。

いわゆるその「禁忌」を解くきっかけが何であったかを正確に想い出すのは難しい。その後、ある時期に、自分の貧しい、そして年を追うごとにますます貧しくなる精神生活に業をにやして「棚卸」を行ったことがあって、音楽についてはCDと楽譜を徹底的に整理した(その整理を生き延びたCD、楽譜はほとんどなく、今持っている僅かなそれらのほとんどは、その後、吟味の上で再び入手したものである)のだが、その時に、最早マーラーが自分にとって、ある種の疎遠さを帯びた他者として存在していることに気付いたのだったと思う。そして整理してみると、自分の中に(抑圧された形であれ)棲み続けている数少ないものの一つで、それをとってしまえば結局自分の中には何も残らないような気持ちに囚われたのを記憶している。小人閑居して不善を為すのことば通り、生活の糧を得ることに追われる合間にふと訪れる凪の時期になると、憂鬱が自分を強く支配する傾向が徐々に強まり、それが耐え難くなったことに追い立てられるようにして、それまで封じてきたものに再び向き合うことになったのだった。異郷の地の、時間的にも隔たった過去の天才。自分とは全く異なる環境に生きた、自分には及びもつかないような才能をもって、指揮者として自分には及びもつかないような世俗的な成功を収め、その上で世紀を隔てたこの僻遠の地で聴かれ続ける音楽を残した人間に、かつてはあれほど親しみを感じていたのが信じ難く思われた。その一方で、その音楽が自分に対して力を持つことを確認せざるを得なかった。(それには、かつては不思議な偶然で聴くことのできなかったバルビローリの演奏を聴くことができるようになったことが与っているのかも知れない。)

結局、否定も執着のある種の様態であるということに過ぎず、一旦飲み込んでしまったものを全く無いものとするのは所詮は不可能である、という当たり前のことに気付くのに、頭の悪い私は随分と時間をかけねばならなかった。おまけに、そうした時期をおいてみて、実は自分の一部として取り込んだその音楽が、実際には自分の基本的な資質にとって必ずしも親和的なものではなく、寧ろそれは、ある種のないものねだり、自分と正反対のものに惹かれる側面が強かったらしいということにようやく思い当たったのである。全く物分りの悪いにも程があると呆れられそうなものだが、いずれにせよ、そうして長い時間をかけてようやく、一つの他者として、しかも精神的にはもっとも馴染みの深い、それでも限りなく自分とは隔たった他者としてマーラーの音楽に接することができるようになったと感じている。

そしてこうした状況に至ってなお、驚くべきことに(多少は自分でも呆れはしたのだが)自分にはまだマーラーの音楽について語りたいという気持ちと、書くべき内容が存在することが明らかになった。マーラーについて書くことは、それが必ずしも自分に近しい音楽ではないにも関わらず、自分について語ることになってしまうことへの懸念、そして、結局のところマーラーの音楽の「毒」に中てられ続けているのは確かなようなので、「人は愛するものについて語り損なう」の愚を犯すことになりはしないかという懸念はある。けれども、自分をある意味では裏切って生活の糧を得ることにその時間の大半を費やすことにしてしまい、そしてそこから抜け出すことができない愚かで平凡な人間にとって、そうした対象でなければ、その残された時間を費やす意味などありはしないのであろう。ますます時間は減り、今や休日すら蚕食されつつあり、意識の裡のどこかでは常に仕事のことを意識せざるを得なくなってしまっている状況で、残った時間を何に使うかは決定的に重要なことだ。こんな無益なことに時間を費やすなら仕事をした方が生活の足しになるのでは、あるいは家族や親のために時間を使うべきなのではないかという気持ちも強い。とはいっても、こうしてマーラーについて書くことがどういう意義を持つものであるかについて更に考えてみたところで、下手な考え休むに似たりということになるだけだろう。こちらの意義についてなら、そんなことを考えるくらいなら仕事をするなり家族や親の相手をするべきなのははっきりしている。幸いなことに意義ある内容についてなら、マーラーほどの偉大な人間についてであれば、例えばWebにおいてすら、今や幾らでもアクセスすることが可能である。つまり、ことマーラーに限れば自分のWebページの「客観的な」存在意義の欠如について思い悩む必要は初めからないのである。そうであってみれば安心して自分のために書くことができるのだと思えばいい訳である。願わくばこうした取るに足らない文章もまた、マーラーが遺した偉大なミームの存続と伝播の一端を担わんことを。たとえそれが存在するという事実性のみでしか寄与できないとしても。そしてまた願わくば、マーラーが語った「神の衣を織る」ことに、ほんのわずかでも寄与せんことを。

実際のところ、何も価値のない、何も意義あるものを生み出すことのできないものは、何も遺さずに消えてしまったほうが良いという気持ちに抗することは難しい。私の父はそういう意味ではとても厳しく、潔い人間だった。その死の後で、こうしたWebページを続けるべきかについては迷いがないわけではない。そもそも暫く前から、例えば自分が生活のためにしている仕事の成果物に自分の署名をする必要のないことに、安らぎすら感じるようになっている。それを思えばこのWebページもまた、いずれ他の文章同様に消去することになるのかも知れないが、その一方で、そうした出来事の後でこうした文章を書いているのもまた事実なのだ。マーラーの音楽にはそういう側面があると私には感じられる。マーラーの音楽は生きるための勇気を聴き手に与える類の音楽なのだ。通常、厭世的な音楽ということになっている晩年の作品がとりわけそうなのだと私は思う。そうした力は、未完成の第10交響曲の全曲(私が聴くのは専らクック版である)を筆頭に、第9交響曲、大地の歌において、他のより「肯定的」と考えられている作品にまさって感じ取ることができると私は思う。否、晩年の作品だけでなく、それ以前の、第6交響曲と「子供の死の歌」を頂点とする作品も含めてマーラーの音楽全てがそうした音楽なのだ。自分に近しい者の最期が近いことを認識した時の絶望により相応しい音楽、そして喪の音楽、喪に相応しい音楽は他にもあるだろう。また、そうしたことに対して超然とした態度をとることを教えてくれる高い品位の、あるいはそれ自体超然とした音楽もまた、あるだろう。だが、それらに勝って、マーラーの音楽は、死を引き受け、それを無化することなく、その上で行き続けることを示唆してくれる音楽だと感じている。(2005.11.5)

2005年8月31日水曜日

(自)意識の音楽・自我の音楽(マーラーを聴くこととはどういうことか)

音楽を聴くということは、一体どういうことなのだろう。 私がマーラーの音楽を聴くとき、何が起きていると考えれば、その音楽に惹きつけられる理由が わかったり、あるいは、自分がそこで感じているものを説明できるだろうか。

勿論音楽には色々な聴き方があり、誰の作品を誰が聴くかによりそれは違っていてよい。 ある聴き方というのは、あるタイプの作品にのみ適用可能だろう。また、同じ音楽に対して 様々な聴き方が可能だろう。 だから、ここではマーラーを私が聴く場合に限定して考えてみよう。

手がかりは、音楽の認知を含めた知覚を一般に、それだけを取り出して考えることをしないことにある。 本来知覚は目的もなしに行われるものではなく、目的指向的行動としての行為の基礎として捉えるほうが 自然なのだ。これは、アフォーダンスと呼ばれるものに近い。音楽は、行為の機会としての情報として 捉えるべきなのだ。人間は、環境に埋め込まれて生きている。常に具体的な状況に含まれ、それと相互作用をしている。 知覚は環境としての世界を構成する具体的な文脈としての部分的状況の把握だが、 それは常に環境へのフィードバックとしての行為による文脈への関与と関連付けて捉えなくてはならない。 それは認識と行為を切り離して論じるべきでないということだけでなく、認識と行為を別のものとして、 かわるがわる直列に交代する系列として捉えるという考え方さえ、場合によっては不十分である可能性が あるということだ。寧ろ、知覚とフィードバックは同時並行的に行われていると考えた方が良い。

このように考えたとき、表象の認識を聴取のモデルとするのは適切ではないし、クオリアは受動的な 質ではない。音楽を聴くことも含めて、知覚というのを受動的な経験と見做すべきではない。 知覚というのは、身体的な振る舞いの可能性の感受であり、世界にコミットする信念として 技能のかたちで含まれているものなのだ。従ってクオリアは、行為へのいざないの ベクトル性に他ならない。

そこに主観性の構造が移されているというのは、主観のある世界への関与の仕方が、 命題のかたちを経ることなく、音の構成によって、写し取られているということになる。 それを享受すること、そのパターンを自分の内側に形成すること、つまり 世界への関与の仕方を受容することが、音楽を聴くことなのだ。

音楽を聴いて、何故そのように感じたのか、そう感じることが可能な仕組みの如何にしての レベルでは、音楽の形式やその認知の問題が出てくる。 その表現が如何にして可能なのかは、音楽固有の問題だし、それには技術的な側面が関係するだろう。 だが感じた内容は、それとは別だ。それは複雑で単に音楽の範囲にとどまらない広がりを持ったものだ。

その限りで、演奏の具体的な技術の問題は、とりあえずはここでは寧ろ 捨象する方がいい。勿論、何らかのかたちで関係してはいるが、とりあえずは別の問題なのだ。 音楽が、何かを伝える、表現する、と言われるのは、音楽家の技術的な問題の次元とは とりあえずは切り離して考えることができる。手段と目的の二分法を一時的に採用するということだ。

聴取する人間が、埋め込まれている環境としての具体的な文脈には、文化的なレヴェルもまた 含まれるのは明らかである。音楽の聴取を考える時に音の知覚や認知を独立して扱うのは、 あくまでの作業仮説としてのことでなくてはならない。文化的な文脈は実際には聴行為に 深く入り込んでいるために、かえってその依存の度合いを測ることが困難で、しばしば ある立場を絶対視することに繋がる。音の知覚や認知を文化から切り離しうるという 立場が仮説を超えて主張されれば、それは科学主義という名のドグマなのだ。

従って音楽によって表現される内容については文化的な問題があるだろうが、その一方で それは音楽の形式のそれとは分けて考えるべきだ。例えば、表現されたものとしての死の問題や 生の行路での世の成り行きとの関係は、表現の媒体とはとりあえずは別の問題だ。 死生観の洋の東西の違いはあるかも知れないし、その基盤となっている文化の総体の中には、それを表現 している音楽の形式や楽器が含まれているかも知れないが、それでも、表現された 生き方の姿勢は、表現媒体の違いを超え、文化を超えて共通している部分を 認めることもできるだろう。それを保証する地盤としては、例えば生物学的な共通性を 想定しても良いかもしれない。

認知モデルのメタファーは、行為へのいざないの類型を表したものとみなすことができるだろう。 抽象的な思想や、具体的な事物や出来事を音楽自体が表現しているというのは 正しくない。それは音だけでは無理で、文化的な文脈が必要だ。標題であったり、 プログラムノートであったり、演奏される機会であったり、あるいは、より端的には歌詞が、 音だけではせいぜい、認知モデルのメタファーレベル止まりの表現を、具体的に文脈づけする。 (歌詞と音楽のどちらが優位かはここでは問わない。そもそもそれは作者の意図の次元の 問題に過ぎないことも多い。どちらが優位であっても、音が表現する行為へのいざないを 具体的に意味づける役割を歌詞が果たすのは変わりがない。)

このように捉えられた聴取は、美とは関係ない。美学はここでは問題にならない。 美は、こうしたことに付随する別の次元の価値の問題だ。だから享受の側面においてすら、 芸術を美に還元してはならない。 また、聴くことを方法論の検証や楽曲分析のような知的な作業と同一視してはならない。 観賞や認識といったレベルに切り取ってしまってはいけない。 聴くこともまた、行為へのいざないなのだ。それは認識の仕方、より一般に世界へのコミットの仕方の 変化へのいざないなのだ。

ここでいう行為へのいざないは、作者の意図とは別の次元の話だ。むしろそれは、 知覚の志向性の基本的な性質に由来する、基本的な次元の話なのだ。 勿論、読み手の解釈の多様性も当然、別の次元の話で、それは多くの場合、 知覚のレベルで受け取ったものを、特定の具体的な文脈に結び付ける作業なのだ。 どのような技法で作られているか、どのような構成を持っているのかを分析する 作業とも別なことは明らかだ。そのような知的な聴き方は、知覚自体ではなく、 知覚の構造の反省的な認識(を伴った知覚)であって、ここでいう音に対する 反応というレベルでの知覚ではない。

例えば実験音楽は、少なくとも意図としては、音により何か別のものを表現しようとは していないし、従って、聴き手が音の知覚を、何か別のものに関連付けして意味づける ことを望んでいない。こうした立場は現実には、寧ろ特殊で例外的なものだ。 なぜなら、通常人間は、文化的なものを含めて様々な文脈の中に埋め込まれている ものだからだ。従って、知覚を自分が埋め込まれた文脈に沿って意味づけしようと する態度の方が自然なのだ。それは寧ろ特殊な操作を必要とする。一般には 或る種の認識がそこに忍び込むことは避け難い。裸の知覚をそのまま認識する ためにはある種の還元の操作が必要だ。

いわゆる絶対音楽というのは、音の構築の自律性を主張するから、一見この立場に近いと 言える。だが、それは知覚のごく基本的なレベルでの価値付け(或る種の感情や 気分など)を禁じているわけではない。単にそれをより具体的な生活世界の 特定の事象に結びつけることを禁じているに過ぎない。 知覚のもつごく基本的な志向自体は遮断されているわけではない。 しかも絶対音楽はそうした志向を美という次元で回収しようとする。 そのことは逆に「美」を感覚的な快さのレベルに回収することになる。

一方、実験音楽の立場は、美という価値の次元を拒絶する(少なくとも「美」を 感覚の次元に回収することは拒絶する)ことは勿論だが、 知覚の基本的な価値付けすら括弧いれして、知覚のあり方そのものの変更を 促そうとしているのだといえる。ただし、これは本来知覚や認知が持っている具体的な 目標指向的な性質からはかけ離れている。まさに抽象化して形式的な枠組みそれ 自体を問題にするのだ。随伴的に情緒的、気分的な反応を惹き起こすことは あるだろうが、通常の音楽とは異なって、それ自体が目的なのではない。 いわゆる「表現」はここでは断念されていたり、拒否されていたりするのである。 その意味では絶対音楽とは中途半端な抜け道をもった概念で、寧ろ実験音楽の方が、 絶対という言葉に相応しいのではなかろうか。

マーラーのような音楽は、そういう意味では歌詞がついたものや標題がついたもので なくても理念的な意味での絶対音楽ではない。まず、それが美という次元に価値を おいていないのは明らかであるように思える。一方で作曲者の意図のレベルにおいても、 それは単なる知覚に随伴してしまう感情や気分の表現にとどまらないだろうし、 マーラーの場合には、その意図を作品が裏切ることなく(それが恐らく優れた作品の 定義なのだろうが)聴き手には、そうした感情や気分の背後にある、より意識的な 世界へのコミットの姿勢が伝わるからである。要するに、ここでは単なる情緒や気分の 表現が意図されているのではないし、実際に聴取において起きているのも、その レベルにとどまらない。そうした情緒や気分を自覚する自己言及的な過程自体が 「表現」の対象になっているのだ。

私は、そうした自覚的システムの過程を表現することが意図されている種類の 音楽を、(自)意識の音楽、あるいは自我の音楽と呼びたい。それは行為へのいざないとして 情緒や気分が生じる過程をシミュレートすることができるだけの系の複雑さを前提としているが、 まさにそうした自己言及的な自覚のシステムのことを一般に自意識と呼ぶからである。 勿論、音楽が皮肉や自己韜晦を表現することができるのは、そうした能力を前提にしている。 引用、パロディが問題になるマーラーの音楽の特徴は、自我の音楽の特徴である。 そうした特徴は、しばしば文化依存であると言われるし、実際に個別の解釈は文化的な文脈の 方向付けの上でなされるのだが、そうしたレヴェルとは別次元の、音楽を聴取するシステムの 形式的な構造の水準で、それは保証されているのだといえる。無論、そうした自己言及的な システムが高度に発達し、音楽の聴取の類型として可能であることそのものが、ある文化に 固有の事象なのかも知れないが、必ずしも創作がなされた具体的な文化的な文脈なしでも、 言い換えれば、特定の解釈が与えられない曖昧な状態でも、二重言語性を感じ取ることは 可能なのである。

(ここまで述べたことは、ショスタコーヴィチについてもほぼ当て嵌まるだろう。実は この文章は最初ショスタコーヴィチに到達することを念頭において書き始められたのだが、書き終えてみると、 寧ろマーラーについて語っているということ気づき、結局マーラーについての文章として公開することになった。 ショスタコーヴィチとマーラーとの間には、様々な点で大きな違いが存在するけれども、 意識の音楽という点ではまさにマーラーの後継者であると言いうると思う。 少なくとも私はそのようにショスタコーヴィチを聴いている。)

従ってマーラーの音楽を聴くことは、単なる耳の快楽の追求ではないし、感覚的な美の探究でもない。 娯楽でも気晴らしでもない。一方で知的な遊びでもない。それは自我の世界に対する態度の 感受であり、それは聴き手の行為に影響を及ぼすような類の出来事なのである。
(2005.8作成, 2007.6.14補筆・修正して公開, 2021.1.31改題)

2005年7月31日日曜日

歌詞についての概観

マーラーの作品は歌曲と交響曲がそのほとんどを占めている。 一般にはマーラーは第一義的には交響曲作家であり、また勿論そうした見方は間違って いないが、だからといって歌曲の重要性が看過されるべきではないだろう。

常にあってはかけ離れた、相容れないとすらいえるような二つのジャンルの間の 融合は、歌曲の旋律の交響曲での引用、交響曲楽章への歌曲への嵌め込みを経て 最後には大地の歌という交響曲的な構想をもった連作歌曲集へと至る。 しかし歌曲の側でも、さすらう若者の歌、子供の死の歌といった連作歌曲の流れが あってこそ、大地の歌のようなユニークな形式が生み出されたのだと思われる。

*   *   *

そこで本ページでは、マーラーが素材とした歌詞をまとめたい。幸い、マーラーに 関しては著作権の問題で原詩の掲載を控えないといけないようなケースというのは ないようなので、その全貌を提示することが可能である。 上述の理由から対象を歌曲に限定するのもマーラーの場合には意味がないので、 交響曲楽章で合唱により歌われるものも含めることにする。外延を嘆きの歌、 3つの歌から大地の歌までの作品とすると、曲数にして60曲程度になる。

なお、本ページの方針として、原詩の背景には(マーラーの自作のケースを除けば、 作者が誰であるかということも含めて)重点をおかない。そうした研究は 数多くあるし、勿論有益だろうが、私見では結局のところ詩というのは素材、 出発点に過ぎない、特にマーラーの場合に限って言えば、優れてそうである言いうる というのがその理由である。

ただしマーラーが施した改変に一定の留意をすべきなのは当然だろう。作曲者の 意図は達成されたものとは別だとはいえ、それは原詩の背景を調べることとは 自ずと次元が異なると思われるし、詩を(かなり気侭に)改変するという スタンス自体が、マーラーの特徴の一つといってよいからだ。

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自作の詩に音楽をつけるのは、ジャンルを問わねば別段驚くべきことでも無いはずだが、 実際にはクラシック音楽の文脈ではマーラーの特徴の一つに数えるべきで、 破棄されたオペラのリブレットも含め、影響関係を論じるならばまずはワグナーの 影響が問題になるのかも知れない。 しかし自作の詩への作曲はある時期を境に途絶えてしまう。それに対し、 歌詞の改変はほとんど改作といってよいクロップシュトックの復活の賛歌の敷衍から、 カトリックの著名な賛歌である「来たれ創造主なる聖霊よ」のパラフレーズを経て、 「大地の歌」の「告別」まで続く。「復活」がそうであるように「告別」もまた、 その改変の程度たるや、実質はベトゥゲの詩を下敷きにした自作の詩と呼んでも いいくらいの徹底ぶりで、そうした詩への介入の程度から見ると後期作品は 初期作品に通じるものがあると言ってもよいくらいに思える。もっともそれ以外では 原詩に忠実であったかといえば決してそんなことはなく、子供の魔法の角笛に 対しては削除、追加といった改変をかなり自由に施して作曲している。

歌詞を素材と見なすこうした態度について裏付けとなるマーラー自身の言葉が あるのはよく知られているが、それを踏まえて言えば第8交響曲の第2部のみが 「言行不一致」の例であるかも知れない。要するにゲーテのファウストへの 作曲というのは、シューマンやリストの先例があるかどうかに関わらず、何より マーラー自身にとっての「例外的な」ケースだった。そして、どう取り繕った ところで第8交響曲の第2部が、マーラーが介入を最小限に控えたゲーテのテキストに 強く拘束されているのは否定しがたいように思える。(とはいえ、例えばシューマンと比べれば、 マーラーはここでも自由に振舞っていると言える。「音楽に詩をあわせる」ための 語句の変更、移動、繰り返しは多く、それらはしばしばゲーテの元の詩の韻律を 壊してしまう。それだけではなく、「熾天使の教父」の語りを全く省略してしまうことで、 後続する「昇天した少年たち」の歌の意味合いを変えてしまうことまでしている。 だがそれでも巨視的に見てゲーテの詩句が音楽の構造を決定していることは 明らかだと思う。) その音楽のそこここに底知れぬ力を放つ瞬間があるのを否定するつもりはないが、 それが瞬間の積み重ねに過ぎず、例えば第1部のあの(些か退行的なのかもしれないが、 それでもなお)緊密な構造に比べても、内容から形式を鍛造する、 あのいつもの動性がその音楽に感じられないのもまた、否定できないように 私は感じている。

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なお詩の掲載にあたっては、手元にある資料、CDのリーフレット類や、Webの 以下のサイトに依拠した。マーラーによる改変についても、私は直接原典に あたって確認できる環境にはないので、同様に二次資料に依拠せざるを得なかった。 特に「大地の歌」については、ベトゥゲの原詩とマーラーの改変のみならず、 ベトゥゲの「種本」であるハイルマンの詩集、その元のエルヴェ・サン=ドニの詩集と ユディト・ゴーチェの詩集、更におおもとの漢詩まで辿る研究が存在するが、 ここではマーラーが参照した原詩とそれに対してマーラーが行った改変に限定して 編集を行っている。詳細を知りたい方は以下の参考サイトをご覧になっていだだくのが 良いと思う。

従って、知見の多くはそうした先行研究やサイトに拠るものだが、異同も 少なくないため、少なからず自分の判断で取捨選択を行わざるを得なかった。
本ページに意義があるとすれば、マーラーが音楽をつけた詩が一覧できるということに 過ぎないかも知れないが、現実にそうしたWebページが他にはない以上、何かの役に 立つこともあるのではないかと考えている。

また、こうしたページの場合には、誤字の類はないように万全を期するべきだが、 つきものであるのが現実であろうと思う。もしお気づきの点があればご教示いただき たく、お願いする次第である。

*   *   *

一方で、歌詞の翻訳はこのWebページの作成者の力量に余るということで断念しており、 今後も検討対象として扱うときに必要に応じて試訳をすることはあるかも知れないが、 網羅的、包括的な訳詩を行う予定はない。

そもそもWebには、以下でも紹介している梅丘歌曲会館「詩と音楽」の ような素晴らしい訳詩と的確な解説が為されているサイトが既に存在しており、私も参考にさせていただいている。従って、訳詩を必要とされる方には、 そちらを参照されることをお薦めすることにして、ここでは原詩などの資料を掲載するに留める方針とする。

なお、当Webページの歌曲の訳題についても順次、従来の訳詩よりも適切と思われる 梅丘歌曲会館「詩と音楽」のものに準拠するよう変更する予定でいる。梅丘歌曲会館「詩と音楽」で扱われているのは49曲(「大地の歌」を含む)。 詳細はグスタフ・マーラーのページを ご覧になっていただければわかるが、マーラーのほぼ全ての歌曲の歌詞とその対訳を参照することができるようになっている。 参考までに、梅丘歌曲会館「詩と音楽」での訳題を以下に掲げておく。 (2010.7.18/19, 8.16, 9.2, 11.6追記)

  • 若き日の歌 第一集 Lieder und Gesänge aus der Jugendzeit
    • 春の朝 Frühlingsmorgen 詩:リヒャルト・レアンダー
    • 思い出 Erinnerung 詩:リヒャルト・レアンダー
    • ハンスとグレーテ Hans und Grete 詩:作曲者
    • セレナーデ Serenade  詩:ティルソ・デ・モリーナ
    • ファンタジー Phantasie 詩:ティルソ・デ・モリーナ
  • 若き日の歌 第二集 Lieder und Gesänge aus der Jugendzeit
    • 悪い子を良い子にするには Um schlimme Kinder artig zu machen 詩:子供の不思議な角笛(Des Knaben Wunderhorn)
    • 私は喜びに満ちて緑の森を歩いた Ich ging mit Lust durch einen grünen Wald 詩:子供の不思議な角笛(Des Knaben Wunderhorn)
    • それ行け! Aus! Aus!  詩:子供の不思議な角笛(Des Knaben Wunderhorn)
    • 強烈な想像力 Starke Einbildungskraft 詩:子供の不思議な角笛(Des Knaben Wunderhorn)
  • 若き日の歌 第三集 Lieder und Gesänge aus der Jugendzeit
    • シュトラスブルクの砦の上 Zu Straßburg auf der Schanz' 詩:子供の不思議な角笛(Des Knaben Wunderhorn)
    • 夏に交代 Ablösung im Sommer 詩:子供の不思議な角笛(Des Knaben Wunderhorn)
    • 別れて会えない Scheiden und Meiden 詩:子供の不思議な角笛(Des Knaben Wunderhorn)
    • 二度と会えない Nicht wiedersehen 詩:子供の不思議な角笛(Des Knaben Wunderhorn)
    • 自意識過剰 Selbstgefühl  詩:子供の不思議な角笛(Des Knaben Wunderhorn)
  • さすらう若人の歌 Lieder eines fahrenden Gesellen
    • ぼくの好きだった人が結婚式をあげるとき Wenn mein Schatz Hochzeit macht 詩:作曲者
    • 今日の朝、野原をゆくと Ging heut morgen übers Feld 詩:作曲者
    • ぼくは赤く焼けたナイフを持っている Ich hab' ein glühend Messer 詩:作曲者
    • ぼくの好きだった人の二つの青い瞳 Die zwei blauen Augen von meinem Schatz 詩:作曲者
  • 子供の不思議な角笛 Des Knaben Wunderhorn
    • 歩哨の夜の歌 Der Schildwache Nachtlied 詩:子供の不思議な角笛(Des Knaben Wunderhorn)
    • 無駄な努力 Verlorne müh' 詩:子供の不思議な角笛(Des Knaben Wunderhorn)
    • 不幸中の慰め Trost im Unglück  詩:子供の不思議な角笛(Des Knaben Wunderhorn)
    • 誰がこの小唄を思いついたの? Wer hat dies Liedlein erdacht?  詩:子供の不思議な角笛(Des Knaben Wunderhorn)
    • この世の暮らし Das irdische Leben 詩:子供の不思議な角笛(Des Knaben Wunderhorn)
    • パドヴァのアントニウス 魚へお説教 Des Antonius von Padua Fischpredigt 詩:子供の不思議な角笛(Des Knaben Wunderhorn)
    • ラインの伝説 Rheinlegendchen 詩:子供の不思議な角笛(Des Knaben Wunderhorn)
    • 塔に囚われて迫害を受けし者の歌 Lied des Verfolgten im Turm 詩:子供の不思議な角笛(Des Knaben Wunderhorn)
    • 美しきトランペットが鳴り響くところ Wo die schönen Trompeten blasen 詩:子供の不思議な角笛(Des Knaben Wunderhorn)
    • 高度な知性を讃えて Lob des hohen Verstands 詩:子供の不思議な角笛(Des Knaben Wunderhorn)
    • 三人の天使がやさしい歌を歌ってた Es sungen drei Engel einen süßen Gesang 詩:子供の不思議な角笛(Des Knaben Wunderhorn)
    • はじめての灯り Urlicht 詩:子供の不思議な角笛(Des Knaben Wunderhorn)
    • あの世の暮らし Das himmlische Leben 詩:子供の不思議な角笛(Des Knaben Wunderhorn)
    • 起床合図 Revelge 詩:子供の不思議な角笛(Des Knaben Wunderhorn)
    • 少年鼓手 Der Tambourgesell 詩:子供の不思議な角笛(Des Knaben Wunderhorn)
  • 5つのリュッケルトの詩による歌曲
    • 私の歌の中まで覗きこまないで Blicke mir nicht in die Lieder 詩:リュッケルト(Friedrich Rückert)
    • 私はほのかな香りをかいだ Ich atmet' einen linden Duft 詩:リュッケルト(Friedrich Rückert)
    • 私はこの世に忘れられて Ich bin der Welt abhanden gekommen 詩:リュッケルト(Friedrich Rückert)
    • 真夜中に Um Mitternacht 詩:リュッケルト(Friedrich Rückert)
    • あなたが美しさゆえに愛するのなら Liebst du um Schönheit 詩:リュッケルト(Friedrich Rückert)
  • 交響曲「大地の歌」 Das Lied von der Erde
    • 『地上の苦悩をうたう酒宴の歌』 Das Trinklied vom Jammer der Erde 詩:ベートゲ(Hans Bethge)
    • 『秋に寂しい人』 Der Einsame im Herbst 詩:ベートゲ(Hans Bethge)
    • 『若さについて』(ピアノ版:「磁器の四阿」) Von der Jugend (Der Pavillon aus Porzellan) 詩:ベートゲ(Hans Bethge)
    • 『美しさについて』(ピアノ版:「岸辺にて」) Von der Schönheit (Am Ufer) 詩:ベートゲ(Hans Bethge)
    • 『春に酔う人』(ピアノ版「春に飲む人」) Der Trunkene im Frühling (Der Trinker im Frühling) 詩:ベートゲ(Hans Bethge)
    • 『別れ』 Der Abschied 詩:ベートゲ(Hans Bethge)
  • 子供たちの死の歌集 Kindertotenlieder 詩:リュッケルト(Friedrich Rückert)
    • 1.いまや太陽は明るく昇る Nun will die Sonn' so hell aufgehn
    • 2.今になってみればよく分かる Nun seh' ich wohl
    • 3.おまえのママが Wenn dein Mütterlein
    • 4.私はよく考える、あの子たちは出かけただけなのだと Oft denk' ich,sie sind nur ausgegangen
    • 5. こんな天気のとき、こんなに風が鳴るときは In diesem Wetter,in diesem Braus

*   *   *

<参考サイト>
  • 梅丘歌曲会館「詩と音楽」: 従来「大地の歌」、「子供の死の歌」の解説が、素晴らしい訳とともに読むことができたが、現在では、初期歌曲から「子供の魔法の角笛」についての網羅的な訳詩と解説を読むことができる。 詳細はグスタフ・マーラーのページを参照。
  • フィヒテとリンデ:オーパス蔵のCD、 マーラー:交響曲「大地の歌」/ブルーノ・ワルター指揮ウィーン・フィル  カスリーン・フェリアー(a)/ ユリウス・パツァーク(t)添付の訳詩を担当された甲斐さんのページ。訳詩の改訂稿を読むことができる他、マーラーの『大地の歌』の第3楽章「青春について」のテキストに関する、浜尾房子氏の誤訳説を検証、批判した論文「ジュディット・ゴーチェ「磁器の亭」~誤訳説批判」を読むことができる。 なお上記の梅丘歌曲会館「詩と音楽」の「大地の歌」「子供の死の歌」も甲斐さんが担当されている。
  • 香川大の最上英明先生のページでは、 先生の書かれた「マーラーの《大地の歌》─ 唐詩からの変遷 ─」を読むことができる。 即ち、 マーラーの《大地の歌》─ 唐詩からの変遷 ─(第1~3楽章) (「香川大学経済論叢」第76巻第3号(2003年12月発行)掲載) および、 マーラーの《大地の歌》─ 唐詩からの変遷 ─(第4~6楽章) (「香川大学経済論叢」第76巻第4号(2004年3月発行)掲載 ) である。 大地の歌の原詩の変遷を辿るということでは、内容的にも網羅的なこの研究を参照するのが 良いと思う。
  • ドイツのグーテンベルク・プロジェクト (ドイツ語)では、「子供の魔法の角笛」やリュッケルトの詩、そしてニーチェやゲーテのテキストの オリジナルを読むことができる。クロップシュトックの「復活」は残念ながらないようなので、 私はフライブルク大のアンソロジーの ページ(ドイツ語)を参照した。また聖歌(「復活」と「来たれ創造主なる聖霊よ」)については、教会関係のWebで本来の (つまり信仰の場での)姿に接することができる。

マーラーと永遠性についてのメモ

永遠を欲するのは、作品自体でもある。マーラーの時代、録音・録画の技術はまだその黎明期にあったから、 彼の指揮者としての営みは、エフェメールなものであるという宿命を帯びていた。恐らくマーラー自身、そのことに自覚的だっただろう。
では作曲はどうなのか?

マーラー自身は自身の担体としての有限性に自覚的であったし、それだけになお一層、自分を介して生まれてくる作品が、 自分の死後も残ることに拘っていたように思える。そして、実際、永遠を欲するのは人間だけではない。 ミームとしての作品もまた、なんら変わることはないのではないか?

マーラーは、自ら何かを語りたくて作曲をしたのではない。勿論、語るべき何かが己の裡に存在していることへの自覚はあった。 だが、それは「私が語ること」ではない。マーラーが不完全な直観から捻り出した陳腐な標題すら「何かが私に語ること」なのだ。 マーラーその人は、ある種の媒体に過ぎないことをはっきりと自覚している発言も残されている。そしてまたシェーンベルクの第9交響曲に関する コメント、即ちそれが非人称的で、主体はそこでは「メガホン」でしかない、と言っている言葉は比喩などではなく、「文字通り」に受け取られるべきなのだ。

微妙なのは、こうした姿勢が、マーラーが職業的な作曲家でなかったことと無関係ではなさそうなことだ。 職業的な作曲家なら、もしかしたら語るべき何かが己の裡になくても、委嘱を受ければ、あるいは生活の糧を得るために、曲を書くだろう。 勿論、「集団的主観」の方は、そういう作曲においても健在であって、同じように観相学が成立すると言ってよいのかも知れない。 けれども、主観的な契機や衝動を欠いた作品は、それを経由する個人が希薄であるが故に、そしてそれが何かの社会的な目的や機会を意識している割合が大きいゆえに、逆説的にそうした「何か」の声を、つまり「集団的主観」の語りかけに関して貧弱である可能性が高いということにはならないだろうか? マーラーは無意識にその危険を感じていたのかも知れない。耳を澄ます自由を得るために、マーラーは職業として作曲を行わない。

いつでも歴史は敗者のものではなく、勝者のものであるがゆえに、文化のドキュメントは同時に野蛮のドキュメントである、というような考え方は、ベンヤミンに由来するものであったか、それともアドルノに由来するものであったか?(レヴィナスもまた、作品と歴史に関して類比して検討することが可能なことを語っている。)

マーラーの不思議は、ユダヤ人であることの疎外はあったかも知れないものの、彼が生涯を通して、ほぼ一貫して勝者であったにも関わらず、敗者のための音楽を書いたように思われるという、逆説的な状況にある。 一方で、マーラーの音楽をはしたない、みっともないものとして拒絶する態度が存在する。マーラーその人にもどうやらあったらしい自己劇化、「私の声」を大管弦楽を用いて表出することに無節操を感じる人がいるのは別段不思議でもなんでもない。 けれども、決して「立派」とはいえないその内容の語り手が、ウィーンの宮廷歌劇場に君臨した監督その人であることの落差の方が私にとっては大きい。

要するに、歴史に残ったからマーラーが勝者である、という以前に、すでに生前のマーラーは勝者の側にいた、というのが客観的な事実ではないか。 歴史の審判が劇的な逆転を演出し、生前不遇であった天才を一躍、勝者に仕立てたというストーリーは、マーラーの場合には全くあてはまらない。 確かに指揮者としての成功に比べて、作曲家としての成功は全面的とまでは言いがたいだろうが、少なくとも第2交響曲、第3交響曲、そして何より第8交響曲は掛け値なしの成功を収めている。こういう言い方は、これはこれで公平を欠くし、不謹慎の謗りを免れないだろうが、マーラーの生涯の悲劇と呼ばれているものだって、一歩距離をおいてみれば別段、異常なものではない。彼の生きた時代が、例えばその直後のヴェーベルンや、さらにその後のショスタコーヴィチに比べて、遥かに平和な時代であったことは否定しがたいだろうし、幼年の兄弟の早逝、長女の死、妻の不倫、自分の病(誤診であったというのが通説になりつつあるようだが)の自覚、それらは勿論、経験したものにとっては悲劇に他ならないとはいえ、あえて言えば、特に異様で常軌を逸した出来事とは言えないだろう。

もっとも、マーラーの音楽は決して個人の悲劇についての音楽ではない。
マーラーの音楽に固着しているといって良い、悲劇と厭世のイメージはさすがに最近は色褪せてきたとはいえ、なかなか根強いものがあるようだが、例えば第6交響曲を聞いて感じるのは、寧ろ強烈な活力の方で、人によっては、その力の氾濫に閉口するのではないかと思えるくらいだ。悲劇と同じくらい、個人の方も適切でないのは、例えば角笛歌曲集を聴けば明らかだ。否、交響曲においても、語り手と登場人物の分離は明らかであって、これを体験記のように受け止めるのは無理があるだろう。 だから問題は、勝者であるマーラーが何故、弱者を主人公とする小説のような交響曲を、あるいは歌曲を書いたのか、という構造をとるというのが正しいだろう。

だが、多分実際にはそうした観点はそもそも全くの見当違いなのだろう。
世間的にみて勝者であることと、個人の心象は別のものであるし、その経験が(他の人間でもしばしば経験することであるという点で)ありふれたものであるというのなら、それは個人的な経験への沈潜が普遍的なものに転化する契機を形作っているというように考えるべきなのであろう。 私は、マーラーの音楽が歴史上の重要な出来事を予言したといったような捉え方には全く共鳴できないし、一方でマーラーの音楽が扱っている経験があまりに卑小であるが故に、それを大管弦楽を用いて音楽に形作ることをはしたないことだとも思わない。 そもそも、オペラにせよ、歌曲の詩にしろ、あるいは標題音楽のプログラムにしろ、そんなに高尚で立派なことを扱っているとも私には思えない。 問題なのは勿論、素材ではなく、形作られた音楽の方なのだ。

けれども、何故マーラーがこのような音楽を、という謎がそれで解けたことにはならない。歴史のドキュメントは野蛮のドキュメントであるとしたら、歴史の審判を生き延びた(ように少なくとも今のところは思われる)マーラーの音楽における野蛮とは何なのか、に対する答も出ていない。 マーラーの音楽は弱者の音楽「だから」、決して野蛮なわけではない、という論法も、あまり説得力があるようには感じられない。 (野蛮を暴力と読み替えれば、これはレヴィナスにも通じるテーマだ。どっちみち暴力なしには済まないのか?だとしたら「ましな」暴力というのがあるのか、などなど、、、)

マーラーの音楽には、慰めがある。結局生きる勇気を与える音楽なのだ。
聴き手を癒し、生きる力を取り戻させる音楽。 そして、どこかでこの音楽は永遠を信じている。 こどもたちはちょっと出かけただけだ、、、この音楽が永遠を信じる仕方はちょうど、そういうような具合なのだ。そのように、単純で素朴な仕方であたかも忘れ去られていたけれども、気付いてみたらまるで当たり前のことであるかのような自然さ。 それは勿論、幸福が仮象に過ぎず、生は結局有限に過ぎないという意識に裏打ちされている。そういう意味では、この音楽は信仰の産物ではない。 一見して矛盾しているようではあっても、生の有限性と、永遠を信じることとは両立するのだ。

作品自体が投壜通信のごときものだからなのだろうか? この世の成り行きの愚かしさ、情け容赦無さに対するあんなにシビアな認識にも関わらず、あの辛辣極まりないイロニーにも関わらず、何故か、子供のように単純な永遠性への確信は損なわれていないようなのだ。

その懐疑の深さと、現実認識の透徹と、永遠性へのほとんど確信めいた憧憬。その共存は私には、あるときには耐え難い矛盾に感じられるし、 別の時には、その両極端に引き裂かれた意識のありように深い共感を感じずに居られない。

100年が経ち、意識を、生命を、永遠性を巡っての風景はかなり変わってしまった。
進化論は洗練され人間の存在を盲目的なシステムの試行錯誤の産物であり、それは生存のための戦略として取りうる選択肢の一つに過ぎないことが 明らかになった。目的論的なパースペクティヴの遠近法的な錯誤が明らかになり、人間は己が進化の力学系の中の単なる通過点に過ぎないことを 自覚することになった。

一方で心や意識は、行動主義的な括弧入れを経て、いよいよ御伽噺の対象ではなく、科学的な検討の対象に なった。神経科学的な知見は意識が如何に頼りない生物学的基盤に依った儚い存在であるかを明らかにしたし、人工知能研究によって、知性や意識に ついての意識の自己認識は一層深まった。

現代ではマーラーの「世界観」は時代錯誤な骨董でしかない。それに気づかずに、それによって生じるギャップを我が事として引き受けずに、まるで 自分が時代も社会的文化的環境も超越したかのようにその音楽を聴くことができる人も恐らくは居るだろう。否、それどころか、音楽を評論する場では 寧ろそうした姿勢の方が優勢であるかのようだ。そうした距離感がないまま、マーラーを同時代人のベッカーが論じたような「世界観音楽」として捉えられると する立場がどうしたら可能なのか、私には見当がつかないのだけれども。

けれどもだからといって、マーラーの音楽の一見したところ力を喪ったかに見える側面、すでに50年も前にアドルノが懐疑の眼差しを向けたあの 肯定的なものが、全くの意義を喪ったと断言することもまた、私にはできない。ショスタコーヴィチの晩年の認識の方が遙かに自分にとって違和感のない ものであるとは感じつつ、マーラーの音楽の反動的なまでに素朴な、だけれども堅固で決して損なわれることのないようにみえる心の動きが、 冷静に考えれば、あるいは客観的にはそれが「思い込み」に過ぎないものであるとしても、私にとって「不要なもの」とは言い切れないのだ。

風景の変化に無関心であることはできない。だけれども、意識が己の有限性を意識した時に一体何を為しうるのかという問いは、既にマーラーのものであったし、 その問題が解決されることはない。なぜならそれは社会的なものである以上に、生物学的なものだからだ。マーラーの音楽はそうした意識の自己反省の 産物であり、その作品はそれ自体、世界観の表明である以前に、かつまたそうである以上に、そうした自己参照的な系なのだ。私はそこに社会が 映り込む様を見たいとは思わない。そこにマーラーが生きた社会が反映していること自体は間違いではないだろうが、私が関心があるのは結局のところ そうした映りこみを可能にした、と同時にそうした映りこみによってもたらされた主体の側の様態の特殊性にあるからだ。

クオリアに拘り、主体の様態に拘ること、マーラーの音楽を「意識の音楽」「主体性の擁護」として捉えることは、かの「主体の死」の、主体概念の解体の 後に如何にして可能なのかという問いには、確かに傾聴すべきものがある。風景の変化に無関心であることはできない、というのは、そうした主体性への 懐疑の過程と結果を、まるでなかったかのようにマーラーを聴くことはできない、ということなのだ。だけれども、そうした主体概念の問い直しの後に、この私に、 儚くちっぽけな意識に一体どのような展望がありうるのかを問うことは可能だし、少なくとも私はせずには居られない。そして実際のところマーラーこそ、 そうした「主体の死」を引き受けて、その上で何を為しうるかを示した先駆ではなかったか。意識は擁護されねばならない。なぜならそれは取るに足らない、 あまりに儚いものだからだ。

例えばバルビローリの第9交響曲の演奏から聴き取ることができるのは、そうした認識であるように思える。この演奏に対して、 今日の演奏技術の高さや、マーラー演奏の経験の蓄積をもって、あるいはまた、録音技術の進歩をもって、かつて持ちえた価値は既に喪われていると 評価するような意見は、音楽の、そして演奏のもつ個別性をどのように考えているのだろう。否、他人のことはどうでもいい。少なくとも私はこの演奏にこそ、 意識自身による己れの儚さと有限性に対する認識と、それゆえ一層切実でかつ説得力に満ちた擁護を見出すのだ。 ここにはマーラーが書いた音楽の実質と、バルビローリの解釈の志向のほとんど奇跡と呼びたくなるような一致がある。 バルビローリとベルリン・フィルのこのかけがえのない記録の特質は、音楽への主観的な没入ではなく、冷静な認識に媒介された深い共感の質の例外性 にあるように思われるだ。そしてそれゆえ、この演奏を聴くにあたって必要なのもまた同じ、瞬間の音響に埋没することない、音楽の構造についての把握と、 まさにそれによって可能になる、音楽が提示する或る種の「姿勢」に対する同調なのではないか。

そのような「感受の伝達」の連鎖は可能だし、それなくして音楽を聴くことに如何程の意味があるとも思えない。ここでは音楽は娯楽ではないし、 演奏を聴き比べて、巧拙を論じ、評価の序列付けを行う批評的な聴き方は、私がこの演奏に接する際には最も疎遠なものだ。 ここでは音楽を聴くことは、まさに自分の(無)起源を認識する行為に他ならないのだと思われる。(2005.7/2007.12)

2005年7月10日日曜日

アドルノのマーラー論における第4交響曲への言及について(2)--英訳の場合


アドルノのマーラー論での第4交響曲への言及に関して、新しい邦訳と私見との相違を 別のところにまとめたが、 その後、英訳(Mahler - A Musical Physiognomy, translated by Edmund Jephcott, 1992, The University of Chicago Press)を入手して確認したところ、英訳版ではアドルノの注の 付け方を練習番号との相対位置に基本的に改める方針をとっていることがわかった。 (ただし厳密には参照できたのは1996年刊のペーパーバック版である。)
この付け替え作業が推測によるのか、アドルノが参照した版にあたってのものかについては 記載がないが、推測であると書いていないからには、後者なのだろうと思われる。もし そうなのであれば、注の参照箇所に関しては、英訳のそれを「正解」と考えて良いだろう。
そこで、以下に英訳での参照箇所を抜粋したものを掲載したい。少なくとも原注の参照箇所に ついては、私の推定をご覧になるよりは英訳者の調査結果をご覧になったほうが確実だと 思われるからである。
なお、関連して問題にした原文の解釈の相違についても英訳を参照することが考えられるが、 こちらは参照箇所の問題と自ずと性格を異にするものでもあり、ここでは行わない。

以下、英訳(ペーパーバック版)の原文ページ、英訳での参照箇所を順次掲げる。 括弧内の小節数およびコメントは本ページの作者による補足である。


I.Curtain and Fanfare

p.6、原注(3):第4楽章、練習番号1の7小節後(=18小節)

p.10、原注(13):第2楽章練習番号11


III.Characters

p.44、原注(1):第1楽章練習番号7。参照箇所として第1楽章練習番号23の9小節後(=323小節)。

p.44、原注(2):第3楽章練習番号2の6小節後(=67小節。"klagend"と指示された第2主題の 前半の方の対応箇所の記載は英訳にはない。)

p.53、原注(18):第1楽章練習番号10の1小節後(=126小節)以降。

p.53、原注(19):第3楽章練習番号2の2小節前から始まる。(練習番号"3"の明らかな誤植だろう。)

p.53、原注(20):第1楽章練習番号17の5小節後、アウフタクトを伴う。(=225小節)

p.54、原注(21):第1楽章練習番号1の3小節後(=20小節)。

p.54、原注(22):第1楽章練習番号7の4小節後(=94小節)。

p.54、原注(23):第1楽章練習番号16(=209小節)。

p.54、原注(24):第1楽章練習番号19(=251小節)。

p.54、原注(25):第1楽章練習番号2(=32小節)。

p.55、原注(26):第1楽章練習番号18(=239小節)。

p.55、原注(27):第1楽章6小節を参照せよ。

p.57、原注(29):第1楽章10小節。アウフタクトを伴う。

p.57、原注(30):第4楽章練習番号10(=105小節以降)。

p.57、原注(31):第1楽章練習番号24の11小節後(=340小節)。


IV.Novel

p.68、原注(7):第1楽章練習番号8の前の3小節(99小節~101小節)。


V.Variant-Form

p.90、原注(5):第1楽章5小節。

p.90、原注(6):第1楽章9小節。

p.90、原注(7):第1楽章13小節。

p.91、原注(8):第1楽章練習番号2の5小節前(=27小節)。

p.91、原注(9):第1楽章練習番号2の3小節前(=29小節)。

p.91、原注(10):第1楽章練習番号18の8小節後(=246小節)。

p.91、原注(11):第1楽章練習番号23の4小節後と6小節後(=318,320小節)、練習番号23の1小節後、2小節後(=315,316小節)


VI.Dimensions of Technique

p.107、原注(1):第2楽章練習番号8(=185小節)。

p.118、原注(24):第3楽章練習番号2までの7小節(55~61小節)。


VIII.The Long Gaze

p.149、原注(7):第2楽章22小節以降。


(2005.7.10公開)

2005年7月1日金曜日

アドルノのマーラー論における第4交響曲への言及について

アドルノのマーラー論は全編にわたって具体的な楽曲への言及がされているが、 それらは全て注の形をとっている。そしてその指示は、アドルノが参照した研究用スコアの ページとページ相対の小節数によっている場合が多い。この方式の問題点は、 アドルノが参照したものと同一の版でないと指示している場所が確定できないことである。 (練習番号で指示がされている場合もあり、こちらは版に拠らないので問題はない。) 実際には、訳注で述べられている通り、第4交響曲の場合が問題で、現在一般に使用されている マーラー協会による決定版は1963年の出版で、1960年出版の著作を執筆するにあたって アドルノが参照した旧版と組み方が全く異なるようだ。そのため、旧版を参照することが できなければアドルノの本文の言及から対応箇所を推定するほかない。この作業が 必ずしも常に容易なわけではないのは、訳注に書かれている通りである。
私はただの(しかも実際にはそんなに熱心とはいえない)聴き手に過ぎないのだが、 それでもなお、アドルノの文章を読み、マーラーの楽譜を対照した限りで、新訳の訳者と 異なる見解に達した場所が幾つかあったので、それをここに記載したい。
ただし私はアドルノにせよ、マーラーにせよ専門の研究者でも専門の演奏者でもないし、 自分の見解の正当性を殊更に主張するつもりは全くない。勿論、画期的な訳業である 新訳にけちを付けようとしている訳では全くない。新訳はアドルノに対する理解に基づいた 原文の解釈を背景とした仕事であるばかりか、別のところで書いたように、移動中の 電車の中で読めるほど日本語としてこなれた翻訳なのである。私も含めて多くのマーラー音楽の 聴き手が、訳者の解釈を通じてアドルノの主張をようやく把握できるようになったわけで、 こうした優れた翻訳なしには、ドイツ語が不自由な私のような人間がアドルノの考えに接することなど 不可能なのである。しかし一方で、それだけに、他のところでは明晰な新訳を読まれて、 私同様、第4交響曲に関する部分について、戸惑いを覚える方がいらっしゃるのではないかと 想像される。本項はそうした場合に、新訳の読者が自分で検討を行う一助になること、かつまた 私の疑問や勘違いを公表することで、マーラーを、またアドルノを良くご存知の方の ご教示を乞いたいと考えて公表することにしたに過ぎない。寧ろ、これは新訳の訳者があとがき で奨められている「対峙」の(不十分な)試みの記録であり、グループで討論することの できる環境にない人間が、その代わりにそれを公開するのだというようにお考えいただけるよう 御願いしたい。

以下、各章毎に訳書のページをまず掲げ、対照の便を図るために括弧の中に手元にある 原書(Taschenbuch版全集第13巻による)のページを掲げる。その後で私の見解を記述し、 それが訳書と異なる場合には、それを記載した。利便のために、見解が異なる箇所については、 その箇所をボールド体にすることにした。一読していただければ明らかな通り、解釈の違いは 箇所としてはわずかなものだが、その中には文章の解釈そのものに関わる部分も含まれる。 従って、単にアドルノが参照した楽譜にあたって、原注の対応箇所の記述のみ修正すれば ことたれりというわけにはいかないと考える。(もしそうであれば、そうした文献にあたれる 方が調査をされた結果があれば十分であり、本項はわざわざ推測に推測を重ねる愚を犯して いることになるだろうが。)
なお、厳密には注による楽譜の言及がない箇所でも第4交響曲について言及されている ケースはあるが、とりあえずそれらは対象外とする。


I.天幕とファンファーレ

8頁(154頁)、原注(3):第4楽章17,18小節。ここは歌詞への言及があるので曖昧さはないだろう。

13頁(158頁)、原注(13):第2楽章練習番号11(254小節)。訳書では注の位置が間違っていて、 アドルノの言及している"Sich noch mehr ausbreitend"という指示との対応がとれないためか、 訳書では小節数の同定がなされていない。


III.性格的要素

60頁(193頁)、原注(1):第1楽章練習番号7(91小節)。参照箇所として第1楽章323小節。前者は 練習番号があるし、後者は"Ruhig und immer ruhiger werden"という指示が手がかりになるので、 曖昧さはない。

61頁(193頁)、原注(2):第3楽章62小節、および67小節。前者は"klagend"と指示された第2主題の 前半を、後者は"singend"と指示された後半を指示しており、曖昧さはない。

73頁(203頁)、原注(18):第1楽章126小節。練習番号10の1小節後と書かれていて曖昧さはない。

74頁(203頁)、原注(19):第3楽章78小節。練習番号3の2小節前から始まると書かれていて曖昧さはない。

74頁(203頁)、原注(20):第1楽章225小節、アウフタクトを持つトランペットのファンファーレを 指していると素直に考えるべきではないか。これはまさに第5交響曲冒頭のファンファーレそのもの であり、その後の中期交響曲とカフカの巣穴の地下道のように結びついているという指摘とも 対応する。訳書の解釈はクライマックスである練習番号17より前の216小節だが、思うにこれは、 (漢数字で記載されているがゆえの、226小節の誤植である可能性を除外するとしたら) 訳書75頁末近くのファンファーレについての文章を考慮してのことと忖度される。(Eine Fanfare nun ist nicht weiter zu entwickeln; nur zu repetieren, ...)ここを前の文章との繋がりなどから 原注23の「故意に子供じみた、騒がしく楽しげな領域」(absichtsvoll infantiles, lärmend lustiges Feld)の再現部での繰り返し(原注24)についての記述と考えれば、 そこで「それ以上展開しようがなく」「ただ繰り返されるだけ」のファンファーレというのは、 その「領域」で奏されるもので、かつ再現部の繰り返しでも繰り返されるだけのものでなくては ならないからだ。しかしそれでも、216小節のどのパートの音形がファンファーレと呼びうるのか、 あるいはそれが第5交響曲に見られるのか、私にはわからないし、再現部の繰り返しで216小節に 相当する257小節は寧ろ、移行部(第1楽章練習番号2)との親縁関係を証言する部分であって、 ファンファーレの記述とはやはり一致しないように思える。私見では訳書75頁末近くの ファンファーレについての文章は、その(実際には存在しない)再現についてではなく、 展開部の末尾の、再現部への移行に現れるそれ、つまり上記の225小節以下のファンファーレそのものの ことを述べているのである。ファンファーレというのは「一般に」そもそも展開しようがなく、 繰り返されるほかないし、実際、この第4交響曲第1楽章の展開部末尾のみならず、第5交響曲 第1楽章においても、否、マーラーのその他の交響曲のファンファーレについてもそれは言える のではないか。

75頁(203頁)、原注(21):第1楽章20小節の第1,2クラリネットと第1,2ファゴットによって奏される音型の ことを指しているのであろう。訳注では第25,27,29小節を指定しているが、その後の対応する 第94小節のチェロの音型と第95小節における解決(原注22については正しい箇所を 参照している)についての言及などを考慮した結果、私の見解は異なる。従って「クラリネットとファゴットの うち1つが即興的に奏される。」という該当部分の訳も少なくとも楽譜とは辻褄があっていない。 (もっとも、この箇所の訳については、仮に原注(21)の指示が訳注どおりとしても楽譜との辻褄の 問題は残ると思うが。「(主題複合のうちの)一つがクラリネットとファゴットによって即興的に奏される」 とでも訳すべきなのではなかろうか。)

75頁(204頁)、原注(22):第1楽章95小節。上述の通りであり訳注が参照している箇所を指していると考える。

75頁(204頁)、原注(23):第1楽章209小節、練習番号16。練習番号指定があるので曖昧さはない。

75頁(204頁)、原注(24):第1楽章251小節、練習番号19。同上。

75頁(204頁)、原注(25):第1楽章32小節、練習番号2。同上。なお原注20についての記述を参照のこと。 この脈絡で問題になるのは、訳書75頁から76頁にわたる文章の意味するところであろう。 「遠く離れたものを暖め直」(ein weiter Entferntes aufzuwärmen)すというのは、 単純に32小節を再現することも含め、いわゆる型どおりの再現部を形作ることを意味しているのであろう。 次の「展開部で充分に示されたものをむなしくただ繰り返すだけの力動性をもう一度再現部で動かす」 (in der Reprise abermals eine Dynamik anzudrehen, welche die sehr ausführliche der Durchführung vergebens nur duplizierte.)というくだりと、それに続く甘んじて選ばれた「不規則性ゆえに 印象の強い同一性」(durch Unregelmäßigkeit eindringliche Identität)というのは、 「故意に子供じみた、騒がしく楽しげな領域」の再現部における繰り返し、 つまり原注24で指示された箇所のことを言っているように思われる。要するに、単純な再現もありえないが、 実に念入りな展開部がファンファーレでいわばご破算にされてしまい、展開のダイナミズムが堰き止め られてしまったからには、しばしばあるように再現部を第2の展開部として更なる展開を行うわけにもまた 行かない。そこで、ほんの数十小節しか離れていないのだが、展開部の終わり近くで扱った、移行部の 素材の変形を、もう一度嵌め込んでみた、というふうに考えているのであれば、私の聴取の印象とも一致し、 実に的確な指摘であると思うのだが。

76頁(204頁)、原注(26):第1楽章239小節、練習番号18。練習番号指定があるので曖昧さはない。

76頁(204頁)、原注(27):第1楽章6小節。訳注は17小節から21小節を指示しているが、アドルノの指定 通りかどうかをおけば、訳注の指示している箇所の方が参照先としてはより適切のように思われる。 しかしながら、アドルノの指定は他の注での参照箇所との整合性などを考えれば、主題の最初の提示に おける対応箇所であるのはほぼ間違いがないと思う。

78頁(207頁)、原注(29):第1楽章9小節。ホルンが高音で旋律を吹き、かつアウフタクトを伴うということで、 確実だろう。

79頁(207頁)、原注(30):第4楽章105小節~111小節。歌詞による指示なので曖昧さはない。

79頁(207頁)、原注(31):第1楽章340小節。「第1楽章のコーダ」(der Coda des ersten Satzes)で 「最後のグラツィオーソ・アインザッツの前の「非常に控え目に」という記号のついた3つの四分音符」(die drei "sehr zurückhaltenden" Viertel vorm letzen Grazioso-Einsatz)とあれば、確実であろう。 寧ろこの部分で気になるのは、「パロディーで有名な」(durch Parodien berühmte)という形容である。どの(あるいは誰の?) パロディーでどのように有名なのか、この箇所がパロディーの対象になっているのか、それともこの箇所自体が 何かのパロディーなのかも含め、私にはよくわからない。ご存知の方がいらしたら、是非ご教示いただきたい。


IV.小説

92頁(216頁)、原注(7):第1楽章99小節~101小節。練習番号8の前という指示があり、曖昧さはない。


V.ヴァリアンテ-形式

120頁(237頁)、原注(5):第1楽章5小節。訳書では3小節となっている。確かに主題そのものは3小節から から始まるが、後述のように、ここで問題のジョーカー動機、ヴァリアンテの対象となるオリジナルの部分と いうのは5小節の部分に限定されると考えられるし、他の参照箇所との整合性から考えても、ここでは アドルノは5小節を指示していると考えたい。

120頁(237頁)、原注(6):第1楽章9小節。「その最後の音形」(Sein Endglied)とは、5小節の後半の16分音符の音形であり、 これの変形が出現する箇所だから確実と思われる。ただし、後述のように、原注7の指示している箇所の ことを考えると、この変形は例えば11小節のバスの音形をも含めているかも知れない。

120頁(237頁)、原注(7):第1楽章13小節。訳注では9,10小節としている。私見ではこの部分には2つの問題が ある。まずは簡単な方からいくと、原注の翻訳についてだが、"zweites System, Takt 3"が「第3小節、後半」に なっていて、原文を確認するまで、どういう意味なのか理解できずに困惑した。他の章の原注の翻訳では、 「第2部分」(VIII.原注51他)のように訳されていることもあれば、「後半、第3小節」(VI.原注(4))のように なっている場所もあり、統一が取れていないが、それぞれ意味は誤解無くとれるのに対し、いずれにせよ「第3小節、 後半」では素直に訳書を読めば、全く誤解してしまいかねないと思う。Systemというのはここでは勿論、鳴っている 楽器が限定されている箇所で、スコアが1ページ内で複数ブロックに折り返されることがある、その1ブロックのことを 言っている。
次に見解の違いについてだが、これはどちらかといえば、原注5から始まり、原注11まで続く一連のヴァリアンテの 技法の例示のうち、特に訳書120頁に相当する前半部分の解釈の問題である。
まず、細かいが、「下属音に伴われている」(von der Unterdominante)のは主題ではなく、ヴァリアンテの対象の「部分」でなくては ならない。(これ自体は当たり前のことなので、別にどちらでも良さそうなものだが、この後の解釈の違いに 基づくものであるかも知れないので、特に注記することにする。) 次に「その上に第1のヴァリアンテがすぐに続く。」(eine erste Variante folgt unmittelbar darauf.)が、9小節から「すぐに続く」のだから、 9,10小節のことと解釈されているが、これには疑問がある。この文脈ではオリジナルは5小節、第1のヴァリアンテは 13小節、第2のヴァリアンテは15小節のことなのだ。それは、少し後の「このようにして、最初のヴァリアンテ においては強められる傾向と弱められる傾向とが互いに交錯している。第2の2小節後のヴァリアンテでは、明白に 緊張感の中でこの両者の傾向の均衡が図られる。和声の一時的転調は、原調とは異質なバスの変ロ音、すなわち 強い二度上声音でより強められる。」(In der ersten Variante wirken demnach eine verstärkende und eine abschwächende Tendenz gegeneinander. Die zweite, zwei Takite später, sorgt für deren Ausgleich in entschieden fortschreitender Intensität. Die harmonische Ausweichung wird stärker durch den tonartfremden Baßton b, eine kräftige Nebenstufe.) の箇所から明らかである。そして、原注7の箇所から、上記の箇所までの 記述はひたすら第1のヴァリアンテ、即ち13小節についてだけ書いているのではないだろうか。従って、 原注7の後の「それは次の小節のはじめも下属音に触れるが、すぐに第2小節でイ短調...へと一時転じる。」には 同意できない。訳文は原注7が9,10小節である以上、恐らく10,11小節か、11,12小節のことを指していると いう解釈なのだろうが、これも楽譜を参照して考えて納得できず、止む無く原文にあたった箇所である。 「次の小節のはじめ」というのは原文では"...auf dem guten Taktteil"であって、単にその 小節の強拍、つまり13小節の1拍目のことのように思える。同様に「すぐに第2小節で」の原文 "... schon mit dem zweiten ..."はzweiten Taktteil"のこと、13小節2拍目のことに違いない。実際、 イ短調の和音が現れるのは13小節の2拍目のことである。(ここは聴くと音楽がちょっとだけ歪むような感覚の 箇所で、それゆえ私の立場では、アドルノの指摘は、その歪みの謎解きをしてくれているわけである。) また、それに続く、「前半部分の特徴ある二度の上行形が同じリズムの上で逆行され」(Bei identischen Rhythmus wird die charakteristische Aufwärtsbewegung der Sekund in der ersten Hälfte umgekehrt)というのが (原注7を9,10小節とするなら妥当ともいえるが)12小節の付点4分音符と16部音符の音形の下行のこととされているが、 これも私見では、13小節の「前半部分」のことでなくてはならない。実際、オリジナルの形にたいして、 13小節の第1のヴァリアンテでは、「特徴ある二度の上行形が同じリズムの上で逆行されている」のだから。 なお、その後の「主題それ自体の変形であるこの旋律の冒頭部分」(das vorausgehende Anfangsmotiv nämlich, welches das des Hauptthemas selbst variiert)は訳の指示の通り、11小節のことと思われる。要するに第11小節からはじまる楽節が冒頭 主題の変形と見なされていて、その冒頭の変形と13小節のジョーカー動機の変形が一貫しているというのがアドルノの 指摘であろう。であればこそ、それに先立つ「前半部分の特徴ある二度の上行形が同じリズムの上で逆行され」は、 やはりジョーカー動機の第1のヴァリアンテである13小節の前半のことでなくてはならない、というのが私の見解である。

121頁(238頁)、原注(8):第1楽章27小節。文脈から確実だろう。

121頁(238頁)、原注(9):第1楽章29小節。同上。

121頁(238頁)、原注(10):第1楽章246小節。ここの原注の翻訳も原注7同様、zweites Systemを「後半」と しているので注意が必要である。

121頁(239頁)、原注(11):第1楽章320小節、比較参照箇所は第1楽章315,316小節、練習番号23とその1小節後。 本文の記述が具体的なので確実であろう。なお些細なことで恐縮だが、ここでも原注の訳には首を捻った。 原文ではcf.になっているのが「さらに」で順接に訳されていただけなのだが、思わず原文にあたって しまった箇所である。もっともアドルノにも問題があって、原注のつけられているのは「旋律的にも、 和声的にも新しく装いながら」(melodisch und durch Neuharmonisierung)だから、寧ろcf.で指定されている 箇所で、アドルノが指示する頂点のイ音への言及の箇所ではないのである。


VI.技術の次元

139頁(253頁)、原注(1):第2楽章185小節、練習番号8。練習番号の指定があるので、曖昧さはない。

154頁(264頁)、原注(24):第3楽章55~61小節。練習番号2まで、とあり、本文の記述も具体的なので確実だろう。


VIII.長きまなざし

191頁(291頁)、原注(7):第2楽章22小節(オーボエの音形)。ただしこの箇所については率直なところ、 そのような気がするといった程度のものである。(訳注も、「のことと思われる」という書き方で、 推測であることを明らかにしている。)幾つかの観点から、私見では訳注の指示する94~103小節では ありえないとは思うのだが、それではどれが「ユダヤ教会的な」(Synagogale)もしくは「世俗的・ユダヤ的な」 (profan-jüdischen)旋律なのか、私には確信をもって 判断することはできない。マーラーのユダヤ性というのは格好の研究テーマに違いないので、恐らくは この箇所を問題にしている文献もあるだろう。(けれども例えばWebで見ることができたそうした論文の 一つは、第1交響曲の第3楽章の旋律をひたすら問題にしつづけ、アドルノのこの本の引用もされているのに、 この箇所のアドルノの言及には全く触れていなかった。当然、読んでいないはずはないだろうから、 意識的に無視したのかもしれないが、これには吃驚してしまった。)いずれにせよ、そういう わけで、この箇所の「正解」についてはご存知の方のご教示を待つほかない。是非、下記宛てにご連絡 いただけるよう御願いする次第である。

(2005.6一部公開、2005.7.1現在の形態で公開, 2007.2.4引用箇所にアドルノの原文を比較のために追加)

2005年5月31日火曜日

参考録音覚書

特に交響曲、管弦楽伴奏歌曲をはじめとして、マーラーの音楽には膨大な数の録音が存在し、それゆえ名盤には事欠かない。 時代による様式の変化や指揮者、オーケストラの個性などがあいまって非常に多様な選択肢があるが、嗜好もそれと同じだけ 様々であろうから、ここでは特に個別に言及しない。範囲をWebページに限定しても熱心なコレクターが多くおられるようなので、 様々な演奏を聴きたい方は、そうした方のWebページをご覧になることをおすすめする。以下では有名な曲については、 主として入手のし易さを重視した例を、それ以外では録音の多様性を示す例を挙げることにする。

交響曲全集については上述の通り、多くの選択肢が存在するゆえ、ここで特定の演奏を取り上げるまでもなかろうが、 「大地の歌」、第10交響曲のアダージョのみの版と5楽章のクック版のすべてを含んでいるインバル/フランクフルト放送交響楽団は 網羅性の高さと入手のしやすさを兼ね備えている。なおインバルはウィーン交響楽団と全ての管弦楽伴奏歌曲の録音もしている。
「嘆きの歌」は今や1880年の初稿を聴くことができる。ナガノ/ハレ管弦楽団のものが入手しやすいだろう。
歌曲はピアノ伴奏しかないものと管弦楽伴奏も存在するものがあるため、網羅的な録音というのはなかなかない。
もっとも管弦楽伴奏のものに限れば選択肢は広い。なお、「リュッケルト歌曲集」の管弦楽伴奏版はしばしば、 マーラー自身の管弦楽伴奏のある4曲に加え、マックス・プットマンの管弦楽伴奏編曲による「美しさのゆえに愛するなら」を 含める場合が多い。その中で、ナガノ/ハレ管弦楽団(ヘンシェルの歌唱)のものは1905年1月29日のマーラー自身の指揮に よる「子供の死の歌」「リュッケルト歌曲集」(管弦楽伴奏のある4曲のみ)の初演の演奏会のプログラムを再現したもの で、同時に演奏された「子供の魔法の角笛」のうちの7曲も併せて演奏されており、大変に興味深い。特に「子供の魔法の 角笛」のうち、「歩哨の夜の歌」「無駄な骨折り」「不幸な時の慰め」「塔の中で迫害されている者の歌」は男声と女声の 掛け合いで歌われる場合と男性単独で歌われる場合があるので、その点での聴き比べも興味深いだろう。ヘンシェル/ナガノの 演奏では、「歩哨の夜の歌」「不幸な時の慰め」「塔の中で迫害されている者の歌」が男声のみで歌われるのを聴くことができる。
なお、「大地の歌」はアルトのかわりにバリトンでの歌唱の可能性をマーラー自身が想定していたが、現実にはバリトンが歌った録音は非常に少ない。 バーンスタイン/ウィーン・フィル、フィッシャー・ディースカウのバリトン、キングのテノールのものが著名だろう。

歌曲のピアノ伴奏版なら、フィッシャー=ディースカウ/バレンボイムのものが「青年時代の歌」「さすらう若者の歌」 「子供の魔法の角笛」「リュッケルト歌曲集」を収めていて貴重だろう。バーンスタインがピアノ伴奏をし、ルートヴィヒとベリーが 歌った「子供の魔法の角笛」、同じくバーンスタインのピアノ伴奏、フィッシャー・ディースカウの歌唱による「さすらう若者の歌」、 「リュッケルト歌曲集」(4曲)「青年時代の歌」(抜粋)もまた非常に有名であろう。ただし、「美しさのゆえに愛するなら」「ハンスとグレーテ」 「外へ!外へ!」「たくましい想像力」は含まれていない。初期のいわゆる「3つの歌」を含むものと しては、ベイカー/パーソンズのものがある(「青年時代の歌」「さすらう若者の歌」を併録。)「子供の死の歌」の ピアノ伴奏版は、いわゆる大家、有名歌手の演奏では思いのほかない。管弦楽伴奏版と比べたときの差は、最近になって ようやくピアノ伴奏版の録音が増えてきた「大地の歌」ほどではないにしても、かなり大きいように思える。 必ずしも入手しやすいわけではないかも知れないが、新しい録音ではゲンツ/ヴィニョルズのものが「青年時代の歌」の抜粋(7曲)、 「さすらう若者の歌」「リュッケルト歌曲集」とともに「子供の死の歌」を収めていて貴重だと思う。 「大地の歌」のピアノ伴奏版は現在では幾つかあるが、嚆矢となったカツァリスのピアノ、モーザーとファスベンダーの歌唱のものが 有名だろう。またソプラノの平松英子が野平一郎のピアノ伴奏で歌った「大地の歌」は、連作歌曲集としてのこの作品のポテンシャルを 活かした企画であり、なおかつ日本人による演奏としての解釈のユニークさも備えている。しかも歌唱もピアノも技術的に驚くべき水準に達して おり、ピアノ伴奏版に留まらず、管弦楽版も含めて「大地の歌」の演奏を語る上で欠かすことができない名演であると思う。テノール・バリトン歌唱の ピアノ伴奏版としては、スミスのテノール、パレイのバリトン、ラーデマンのピアノによる演奏がリリースされている。

マーラーは今や人気者なので、「ピアノ四重奏曲楽章」や交響詩「葬礼」をはじめ第1交響曲のハンブルク稿、ヴァイマル稿(5楽章からなる交響詩「巨人」) などの初期形の録音すら存在する(例えばルード指揮ノルシェーピング交響楽団の「巨人」(ハンブルク稿)ハマル指揮パンノン・フィルハーモニー管弦楽団の「巨人」(ヴァイマル稿)リッケンバッハー指揮 バンベルク交響楽団の「葬礼」「花の章」など)。果ては交響曲のピアノ連弾版(ただし、これには例えばツェムリンスキーが「私的演奏協会」 での演奏のために編曲した、際立って優れた第6交響曲の編曲なども含まれる)、室内楽編曲版などの録音すら入手できる ようになっている。第10交響曲の全曲演奏用補筆版については、いわゆる「標準」の地位にあると見なせるクック第3稿のみならず、 他のバージョン(カーペンター版、マゼッティ版など)による録音も出ている。またクック版に準拠しながらも、部分的に 管弦楽法を改変している録音も存在する。(例えばザンデルリンクの演奏。)

いわゆる歴史的な録音に関心がある人にとっては、マーラー自身が残したピアノロール(1905.11.9)や、マーラーの友人であった メンゲルベルクがアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団を指揮した第4交響曲(ソプラノはヴィンセント)の演奏、 オスカー・フリートが1924年に残した第2交響曲の録音などが興味深い記録であろう。 近衛秀麿の指揮した第4交響曲の録音も初期の記録としては貴重であり、CD化されたことがあった。(ただし私見では近衛のそれは あくまでも資料としての価値を超えるものではないが。) ヴァルター、クレンペラーといった指揮者は現在でもお馴染みの指揮者だが、いずれも指揮者マーラーの弟子と呼んでよい。 その解釈は時代の流れもあって、少なくとも指揮者マーラーの流儀の継承であるわけではないが、一方で、今日のように マーラー演奏が一般的になる以前からマーラーを取り上げていたこともあり、その演奏には歴史的な価値があるだろう。

だが歴史的録音の価値は、クロノロジカルな初録音記録の競争にあるわけではないし、時代の証言としての記録、つまるところ 同時代人の証言などと等価な資料体としての価値に限定されるわけではない。歴史的録音が可能なマーラーという作曲家の作品自体が 最早過去のものであり、1世紀の時間的な隔たりがあること、更にはおよそマーラー自身の伝統とは懸け離れた極東の島国に住まう人間にとって それが如何に自分から遠いものであることを知るにつけ、マーラーその人を知る人々の演奏、マーラーの生きた時代の記憶を持つ人達の演奏に、 馴れの問題も含めた演奏技術の向上や録音技術の向上にも関わらず後世の、だが寧ろ自分にとっては近い時代の演奏には聴き取れない 何かが存在することは明らかであろう。あるいはいっそのことそうした歴史的なパースペクティヴを捨ててしまって、端的に時代の壁、テクノロジーの 限界の壁を超えて、私たちだけでなく、未来の人びとの心をも捉え続けるに違いない演奏を歴史的録音によって聴くことができるのは確かなことなのである。

そうした録音として私が特にここで言及したいのは、交響曲であればすでに触れたメンゲルベルクとコンセルトヘボウ管弦楽団による1926年5月の第5交響曲 第4楽章や1939年9月の第4交響曲の演奏、そして1936年5月24日のワルターとウィーン・フィル、トールボリとクルマンの独唱に よる「大地の歌」、アンシュルス直前の1938年1月16日のワルターとウィーン・フィルによる「第9交響曲」、あるいはまたその翌年のNBC交響楽団との 第1交響曲1939年10月5日アムステルダムでのシューリヒト指揮によるコンセルトヘボウ管弦楽団とトールボリとエーマンによる「大地の歌」 (この演奏はコンサートの最中に起きたハプニングが記録されていることで有名だが、私見では、そうした史料的な価値を捨象してなお無比の価値を持つ)、 更に戦後まで範囲を広げれば、1948年のワルターのウィーンへの里帰り公演である第2交響曲の演奏、 これまたワルターとウィーン・フィルによる、だが今度はフェリアーとパツァークの独唱による「大地の歌」の1952年のスタジオ録音、そして同じくフェリアーが 今度はルイスとともにバルビローリとハレ管弦楽団とともに同じ1952年に今度はマンチェスターで演奏した「大地の歌」のエア・チェックの記録である。 個人的には、その系列に連なるものとして、(一般にはこれ自体は「歴史的録音」の範疇外として扱われるのだろうが)バルビローリとベルリン・フィルによる 第9交響曲の1964年の録音も含めたいように感じる。バルビローリの演奏はそれ自体、直接的にはヨーロッパ大陸のマーラー演奏の伝統とも独立だし、 晩年のマーラーが指揮したニューヨーク・フィルハーモニックの時代にはマーラーをほとんど採り上げていないから、ここでの伝統との連続性も極めて薄弱に 過ぎないものでありながら、今日から見ればその後の演奏様式よりは寧ろ過去の様式に通じるものを持っているように思われてならないのである。 ただし、そのバルビローリが第二次世界大戦後、ネヴィル・カーダスに勧められてマーラーを「発見」した後、「古巣」のニューヨーク・フィルハーモニックに 2度客演した折の記録がいずれも残っていて、しかもいずれも圧倒的な演奏であることは留意されてよい。1959年1月11日カーネギーホールでの第1交響曲1962年12月8日フィルハーモニーホールでの第9交響曲の演奏の放送用録音がそれで、特に前者は晩年をアメリカで過したアルマがリハーサルと本番に 立会い、賞賛の言葉をバルビローリに送ったというエピソードをアネクドットの類と思わせない、極めて優れた演奏である。

だが、歴史的な録音の価値という意味では交響曲と歌曲に優劣をつけることは意味がないことであって、こちらもまたレーケンパーとホーレンシュタインによる 「子供の死の歌」の1928年の録音を筆頭に、「子供の死の歌」であればフェリアーがワルターとウィーンフィルの伴奏で歌った1949年の録音から 1967年のバルビローリとハレ管弦楽団の伴奏によるベイカーの歌唱という系列を、あるいはまた「私はこの世に忘れられ」であれば、 1907年にマーラーによりウィーン宮廷歌劇場に招かれ、短期間ではあるがマーラーの下で歌った経験を持ち、さらには1911年11月のミュンヘンにおける ワルターによる「大地の歌」初演でも歌ったサラ・シャルル=カイエによる1930年代の録音、「大地の歌」のコンサートのアンコールに歌われた 1936年のトールボリの録音、これもまた「大地の歌」のフィルアップとして録音された1952年のフェリアーの歌唱、そして1964年と1967年の 2度、オーケストラを変えて録音されたバルビローリ伴奏によるベイカーの録音といった系列を挙げないわけにはいかないだろう。 その一方で、ワルターのピアノ伴奏での「リートと歌」からの8曲の録音があり、またワルターとニューヨーク・フィルによる第4交響曲のソプラノ・ソロを受け持った デジ・ハルバンが、やはりマーラーがウィーン宮廷歌劇場に呼び、マーラーの下で歌ったあのゼルマ・クルツの娘であることを確認しておいてもいいだろう。 1950年ニューヨーク・フィルと第8交響曲を録音したストコフスキーは1916年に第8交響曲のアメリカ初演を行なっているが、 その彼が1910年9月のマーラー自身の指揮によるミュンヘンでの第8交響曲初演の聴衆の一人であったこともまた忘れてはなるまい。 またシューリヒトも同じく第8交響曲初演に立ち会っており、1913年9月には監督を務めたヴィースバーデンで第8交響曲の初演を行い、また1921年4月13日から25日までに わたりドイツで最初のマーラー・フェスティヴァルを開催した指揮者である。セッション録音こそないものの、上述の1939年のコンセルトヘボウとの「大地の歌」の他に 晩年の1958年にフランス国立管弦楽団を指揮した第2交響曲と「さすらう若者の歌」、同年にシュトゥットガルト放送交響楽団を指揮した第2交響曲、1960年にやはりシュトゥットガルト 放送交響楽団を指揮した第3交響曲などの演奏記録には接することができる。

アドルノのマーラー論が出版された生誕100年の1960年以降、いわゆるマーラー・ルネサンスが始まる。現代的な マーラー評伝の嚆矢となったクルト・ブラウコプフが書いているように、LPレコードの出現は、マーラーの音楽の 普及に大きな影響があった。有名なところではクーベリック、ショルティ、バーンスタイン、ハイティンクといった指揮者が 交響曲全集を完成したのはその時期にあたる。バルビローリのようにスタジオ録音こそ一部の曲しか 残さなかったが、当時より評価が高い演奏の録音が知られていて、ようやく最近になってその業績の全貌が 広く知られるようになったケースもある。(その中には、録音状態の悪さや、第1楽章冒頭の欠落などのハンディにも 関わらず、単なる記録としての価値を遥かに超えた、フェリアーがアルトソロを歌った1952年の「大地の歌」も含まれる。)

ついで、例えばインバル、ベルティーニ、ギーレン、ツェンダー、コンドラシンといった指揮者の際立って優れたマーラー演奏が、 海外のコンサートの録音のFM放送によって国内に紹介されていった。このうちコンドラシンは第3交響曲や第9交響曲のロシア初演者であり、 第1,3,4,5,6,7,9番の交響曲のロシアのオーケストラによる録音(第1,3,4,9がモスクワ・フィル、第5がソビエト国立交響楽団、 第6,7がレニングラード・フィル)が存在するが、その演奏は別の伝統に属するオーケストラの響きの 個性で際立っているとともに、その一方でコンドラシンの解釈の卓越を証言する極めて質の高いものばかりである。また、 コンドラシンとモスクワ・フィルは第9交響曲の日本初演を1967年4月16日に東京文化会館で行っており、その折の記録(NHKによる実況録音)を聴くことができる。 FMで放送されたのはコンドラシンが西側に亡命して後の演奏だが、その中でもコンドラシンの最後の演奏となった1981年3月7日、アムステルダムの コンセルトへボウでの北ドイツ放送交響楽団との第1交響曲の演奏記録は貴重なものであろう。 その後の若干過熱気味の嫌いもあったブームから今日までについては、多くのところで語られているし、 録音としては現役のものも多いだろうから、ここでは割愛する。

日本人の演奏ということでいけば、上述の近衛の演奏以外では、第1交響曲のハンブルク稿日本初演、第1楽章に 「葬礼」を演奏した第2交響曲を含む、若杉/東京都交響楽団の全集や、日本で世界初演が行われたというゆかりもある ピアノ伴奏版の「大地の歌」の日本人歌手・ピアニストによる演奏(すでに複数存在する)などが挙げられるだろうか。

ただしマーラーの音楽は、基本的にコンサートホールで聴かれるために書かれた音楽であるから、可能ならば実演に 接すべきであろう。舞台裏や離れた場所での演奏指示を含み、空間的な効果を狙った作品も多いし、第8交響曲のように、 音響体としての規模が大きくて、コンサートホールで直接音響に身を浸したほうが、(その繊細で薄い楽器法の部分も 含めて)把握しやすい場合もある。第6交響曲のハンマーをはじめとした、多用される打楽器の音響も、録音を聴くのと 実演に接するので違いが出やすいだろう。一方で、マーラーは特に日本国内のコンサートにおいては、今や集客の しやすい「定番」レパートリーのようなので演奏機会も少なくない。来日オーケストラのプログラムでもマーラーは 最も良く取り上げられる作曲家の一人といっていいだろう。

もっとも、だからといってコンサートホールでの方が「感動できる」かどうかはまた、別の問題である。 演奏の良し悪しとは別に、マーラーの音楽の持つ性質が、まさにそのために書かれているにも関わらず、 コンサートホールのような場に相応しいとは言い難い面を持っているかも知れないので。(だから、ある種の 規範を持つ音楽家はマーラーを演奏すること自体を我慢ならないものと見なして拒絶するだろう。そういう気持ちも 決してわからないではないと私には感じられる。)出不精の私も、マーラーに関しては過半の交響曲の実演に 接しているが、残念ながら「感動した」と言いうるのは率直なところわずかであった。それでもなお、実演に 接したことがあるかどうかは、例えばその後は録音を聴き続けるにせよ、聴取のあり方に影響するであろうと 思われる。

さらに言えば、マーラーが最早過去の存在であること(これ自体は否定しようのない事実であり、マーラーの音楽の 「新しさ」を幾ら述べ立てたところで、そのことによって展望が変わることはない)、要するにマーラーの時代は端的に 既に遙か彼方に去ってしまっていることを思えば、逆説的に、それ自体本来は現実の色褪せたコピーであるはずの 「録音」が、「かつてあった」筈の現実への接点を持ちようのない今日の人間にとって、控え目に言ってもマーラーの 音楽のある側面、しかも極めて重要な側面を知る唯一の手がかりであるに違いない。録音技術が如何に発達し、 如何に立派な再生装置を用いたところで、録音が実演にとって変わることはありえないし、その一方で単純な 時空間の共有、要するに「最近の録音」であったり、「日本での演奏」であったりするという同時代性の事実が 担保するものの頼りなさは明らかなことであろう。今日の日本のコンサートホールで聴くことができるマーラーが 如何なるものであるのかは些かも自明ではないのだ。

マーラーは偶々、録音・再生・複製といった技術が確立する 直前に没してしまったのだが、その結果として、さらに過去の作曲家におけるように殊更に「再構成」の作業を 行わなくても、楽譜の読み方、奏法について「録音」を通して知ることが可能である。ただし、同時代とそれに 続く時代においては録音・再生・複製の技術の限界から、「録音」が様々な限界を抱えていることもまた否定できない。 今日、マーラーは最早過去の作曲家となり、充分な距離感をもってその音楽に接することができるようになり、 恐らくそれに関係して、演奏様式や解釈の点においても変化が生じた。その結果の方は今度は「録音」技術の 進展によって、かつてとは比較にならないほどの「リアリティ」をもって何度も追体験可能となってきた。恐らく今後も ますます演奏様式上は「過去」とは自由になり、録音・再生技術の進展は実演と録音のリアリティの差を狭めていくのだろう。 そのようにしてマーラーの音楽という「ミーム」は再生され、変異にさらされつつも存続していくに違いないのだ。

今日コンサートホールでマーラーを聴くことの意味が些かも自明でないのと同様に、マーラーを「録音」を通じて 聴くことの意味もまた、些かも明らかではない。とりわけ「録音」が持つ意味合いは、ことマーラーに限って言えば これから明らかにされるべき問題として残っているように私には思われる。自分が夜中に自室の机の前で、 PCを用いて再生したマーラーから得る「感動」というのは一体何なのか。実演では恐らく不可能な程の頻度で 同じ曲を繰り返し聴くことは「録音」によってのみ可能だろう。しかも「同じ」演奏を何度も聴くことが可能になるのだ。 そこでおきていることは、実演で、あるいはスコアを通してマーラーを知ることとは全く別の種類の経験であろう。 してみれば可否は別として、「録音」を通じてマーラーを受容することがどういうことであるかをもう少しきちんと測る必要が あるのではないだろうか。 (2005.5初稿,2005.7,2006.5, 2007.12, 2008.3.13,19、2009.05.17, 6.15, 8.1/9, 10.27,31, 2010.1.11, 5.18, 10.3加筆・修正)

参考書籍覚書

マーラーを語る上で、生誕100年を記念して出版されたアドルノのマーラー論を取り上げないわけには いかないだろう。いわゆる専門的な研究を志すわけではなくとも、マーラーについて何かを語ろうとした時に、 この著作を読まずに済ませることは困難だと思う。しかも今日では素晴らしい新訳(「マーラー 音楽観相学」 訳:龍村あや子、法政大学出版局)により日本語でその内容を、比較的に容易に理解する手段が 用意されているのである。
アドルノの文章は難解だと言われるが、幸いにしてあまりにかけ離れた言語である 日本語に翻訳するにあたって充分に意味の通る翻訳がなされるため、訳者の解釈の助けを借りながら内容を 理解することができるという、逆説的ではあるが恵まれた状況に我々はあるのだと思う。「否定弁証法」しかり、 「認識論のメタ批判」しかりである。
とりわけ現象学批判の後者は、個人的には一層理解しやすいものであるが、それと同様かそれ以上に、語られている 音楽に親しんでいるマーラーについての著作であれば、尚更とっつきやすい。私のように、熱狂的なファンでは ない、どちらかといえば距離をおいた聴き手ですらそうなのだから、多くの熱心な聴き手の方にとっては 決して難解であるとは思えず、ややもすると今なお敬して遠ざけられがちであることは驚きである。
もっとも、そうはいっても意味が通りにくい部分も散見するし、私見では、はっきりと誤りではないかと 思われる場所もなくはない。わかりやすい例を一つだけあげれば、III.性格的要素の章の出だし、訳書57頁 (Taschenbuch版の全集13巻では190頁)のアプゲザングの例のうち第3交響曲第1楽章の対応箇所について、 訳者は362小節~368小節であると補足しているが、私見ではアドルノが考えているのは明らかに練習番号28 (351小節)以降である。それはIV.小説の末尾(訳書108頁、原書228頁)の原注26において、まさにその アプゲザングへの再度の言及があり、そこでははっきりと練習番号28がアドルノによって指示されている ことから明らかであるように思われる。聴取の印象からいっても練習番号28からの箇所の方が「充足」に 相応しく、訳者の指定箇所は(アドルノもそう表現しているが)寧ろ「崩壊」であろう。少なくとも 聴く限りでは「充足」として機能しているようには私には感じられない。
(幾つか気付いた点のうち、特に第4交響曲に関する部分については、 別にまとめた(「アドルノのマーラー論における第4交響曲への言及について」) ので、興味がある方はそちらをご覧になっていただければ幸いである。)
しかし旧訳(私が知った時には既に絶版で、図書館で閲覧することしかできなかった)に比べれば、 その訳の素晴らしさは一目瞭然であると思われる。これなら移動時間の電車の中でも読めるという くらいこなれた訳であり、画期的なことだと思う。
なお、これらとは更に別に、青土社「音楽の手帖 マーラー」には、深田甫訳による、第4章の更に部分訳が 収められている。これは一見して非常にこなれた訳なのだが、とりわけ哲学的な概念操作を内容とする抽象性の高い部分に なると途端に首を捻る文章になる傾向がある。(この点では龍村訳の方がずっと違和感がない。) マーラーが曲をつけた詩の翻訳でも著名な訳者の手になるもので、日本語としての読みやすさは群を抜いているとは思うが、 踏み込んで補った部分がアドルノの意図を捉えているかどうかは、また別の問題なのではなかろうか。
もっとも、深田訳に関しては、歌詞の翻訳でも―語彙の豊かさ、表現の多彩さに驚嘆するとともに、 日本語としてこなれていることは認めても―そのあまりの自在さに当惑することが多い(しかも詩によっては複数のバージョンの翻訳があって、 そのバージョンを比較すると、その違いの大きさに再度驚くことになる)のだが、 これは私に文学的な感受性が欠如しているせいなのであろう。まあ、世の中には誤訳だらけの歌詞翻訳があふれていると仄聞するので、 それに比べれば、深田訳の質の高さには議論の余地はないのだろうとは思うのだが。
かつて、このアドルノの著作を評して音楽が行間から聞こえてこないタイプの著作である、という評もあった (「音楽の手帖 マーラー」(青土社)の中の川村二郎さんの文章にそんな記述があった)が、BGM的に マーラーの音楽を思い浮かべながら読むことはできないという意味ではその通りではあっても、実際には寧ろ、 アドルノのこの著作ほど具体的にマーラーの音楽自体に迫ったものは読んだことがない。その記述は至るところ 音楽の具体的な部分への言及に溢れていて、その音楽に慣れ親しんだ方ならば、これほど音楽を思い浮かべ ながら読み進められる著作もないのではないかと思う。もしかしたら専門の研究者にとっては、40年以上前の この著作は最早、参照に値しない「歴史上の文献」になっているのかもしれないが、充分にその内容を 咀嚼することすらまだできていない私にとっては、まだまだアクチュアルな著作である。
とはいうものの、それはアドルノの主張に全面的に賛同できるということではない。「アドルノ以後」の 多くの論者がそれぞれ少しずつ異なったニュアンスで留保をつけているが、私もまた、アドルノの主張の 根本の部分に首肯し難いものを感じる。独自の概念装置を用いたマーラーの音楽の具体的な分析は 素晴らしいと思うが、その社会批判的な部分には必ずしも説得力を感じない。寧ろ、予断された歴史的な 図式に現実を当て嵌めるかのような強引さが感じられる。それが他のアドルノが評価しなかった作曲家に 適用された時の恣意性を思うに、その所説のある部分(もしかしたら、それは根幹をなす部分かも 知れないし、ことマーラーに関しては―文脈を共有する者が持つ「クオリア」の反映ゆえの―それなりの 説得力を感じないでもないのだが)に対して留保をつけざるを得ないように感じている。

というわけで、アドルノの著作があればそれだけでも充分過ぎるほどなのだが、それ以外に挙げると すれば、本来はドナルド・ミッチェルの生成史的な研究(私の知る限り、現時点で3巻)、 アンリ・ルイ・ド・ラ・グランジュの浩瀚な伝記(私が参照しているのは、フランス語版の3巻本である。 その後、内容の改訂・増補を伴う英語版も出ている。)、そして必ずしも評価について一致を 見ているわけではないようだが、コンスタンティン・フローロスの標題音楽的なアプローチによる 大部のマーラー論(これまた3巻本)の3つを挙げるべきなのだろう。
しかしミッチェルの研究はその一部の翻訳が出たきりだし(「マーラー さすらう若者の時代」喜多尾道冬訳, 音楽之友社,品切、「マーラー 角笛交響曲の時代」喜多尾道冬訳,音楽之友社)、 ラ・グランジュについては幾つかの論文の翻訳をまとめたものが出版されているに過ぎない (「グスタフ・マーラー 失われた無限を求めて」船山隆,井上さつき訳,草思社)。 フローロスに至ってはようやく最近英語版からの翻訳で第3巻のみが出版されたばかりである。
ちなみに個人的には私はフローロスの立場にはほとんど関心がない。マーラーがいわゆるハンスリックの意味での 「絶対音楽」ではないのは明らかであるにせよ、だからといって直ちにフローロスのようなアプローチを 正当化することにはならないと思う。アドルノを批判する姿勢を明らかにしているフローロスの立場がアドルノのいう 標題音楽的な解釈として批判の対象になりうるかについても議論があってしかるべきだろうが、 いずれにせよ一読した限りではアドルノの著作ほどの刺激は感じない。 私は幸い研究者ではないので、義務的に読む必要性に迫られることもない。 主要な文献の大部の翻訳が出たこと自体は歓迎したいが、それゆえここでは特に取り上げることはしない。
また、マーラーの音楽をドイツ・ロマン派の汎神論的な自然哲学的世界観の表現として捉えようとする立場と しては例えば国内でも岩下の説があるが、これにもまた同意しかねる。もしマーラーをそうした思潮の中に 位置づけること自体目的であればそれなりに妥当な側面もあるとは思うが、それはマーラーの作品の「環境」の一部 を明らかにするものではあっても、決してマーラー「について」の議論ではないし、マーラーの特異性を明らかにすることは ないように思われる。そもそも岩下の論では第9交響曲が(そしてまた第10交響曲も恐らく同様に) 全く扱えない。マーラーの作品を俯瞰するという観点からすれば、すでにこれのみをもって、その論には致命的な 限界があると言わざるを得ないのではないか。第8交響曲と大地の歌、第9交響曲との間に広がる溝こそ、 そこに矛盾や破綻を見出したり、伝記主義的な裏づけをもった変化を認めるのでなければ、まさに説明が必要な 「躓きの石」であるのは、ワルターの指摘を引き合いに出すまでも無く明らかなことのように思えるのだが。
更に言えば、仮に世界観や理念についての議論に限定したとして、岩下の説で扱われているのはせいぜい ニーチェまでであって、マーラー自身が強い関心を抱いていたより近代的な思潮、 フェヒナーやロッツェといった自然科学の発展の準備をした人たちの考え方に全く触れないのは不可解だし、同様に マーラーその人の軌跡を辿るなら、エドゥアルト・フォン・ハルトマンを素通りすることにも困惑を覚えざるを 得ない。期待して読み始めた人間は、恐らく肩透かしを食らった気分になるだろう。
私のような文化史的な知識の 無いものが、造詣の深い専門家に対して何を言うかとお叱りを受けそうだが、結局のところここで為されているのは、 例えば構造主義的な歴史観におけるような同時代の関連する諸潮流の運動の同型性の抽出ということですらなく (もっとも、そうだとしても尚、私にはあまり関心はもてないが)、結果としてその所説は、所詮は素材に過ぎないもの、 到達点ではなく、出発点をしか指し示さないように思えてならない。 到達点の特異性は紛う事なきマーラーその人のそれだろうが、出発点を渉猟することがマーラーが 実現したことをどれだけ明らかにするのか、素人の私は判然としないし、所説そのものが説得的だとは全く感じられない。
それでいてマーラーがそれを知っていたという実証的な裏づけを示すことなしにカールスの思想を 持ち出すのは如何にも唐突でその意図を測りかねる。フローロスですら手続きは原則としては実証的であり、 寧ろ彼の研究の意義はそこにあるとする見方もあるというのに、その実証性にすら拠らずに議論を進め、その一方で 自説の拠りどころとして、繰り返しパウル・ベッカーの業績―その価値は疑いないものであっても、 寧ろ今日においては、それ自体がマーラーの同時代の受容のあり方として批判的検討の対象にすることが 妥当かも知れないというのに―を引き合いに出すのは、どういう方法論的な根拠によってなのだろうか? 
残念ながら私は文学研究の方法論には疎いし、恐らくはきちんとした学問的な手続きにそって組み立てられている 議論についていけないのだとは思うが、いずれにせよ私の様な「一般の読者」には説得力も感じられなければ、 それを今日論じることの意義も理解できない。フローロスの場合と同様、深い学殖に裏づけされた説であることは 伺えるだけに残念ではあるが、致し方ない。学問的には立派な業績に基づいているのだろうが、 恐らく私にはその価値が正当に理解するだけの知識も能力もないのだろう。
研究のアプローチで行けば、私はマイヤー(Leonard B. Meyer)の言うところの「絶対的な表現主義者」の立場 に共感を覚えているので、そうした方向性の分析には抵抗がない。無論、マーラーの場合には、もっとも控えめに 考えても歌詞の問題があるから、最低限それに対する分だけは「参照的」である必要があるだろう。
それ故「絶対的」な立場で終始するとは思っていないが、その一方で、標題にせよ伝記にせよ、文化的・社会的な 背景にせよ、あるいはもう少し作品内在的には引用の問題にせよ、マーラーの場合には他の作曲家と比してなお、 そうした側面の重要性が大きいことを認めるに吝かではないし、そうした情報を背景にして音楽を聴くことが、 音楽の聴き方を変え、豊かにすることを否定しはしないものの、それらは最終的には参照先の詮索に過ぎず、 マーラーの作品自体の持つ固有性には結局のところ辿り着かないような感じを抱いている。また、 マーラー程の傑出した天才ともなれば、作品はおいて、マーラーその人の人間に対する関心というのがあるのも 理解はできるが、結局のところ私個人について言えば、何と言ってもこれらの作品が遺されていればこそであって、 最終的に作品自体に辿り着かないのは本末転倒に感じられるのである。
そのような背景もあって、かつてのブームの時代に夥しく出版された書籍のほとんどが楽曲案内の類か評伝的なものであり、 勿論それぞれ個性もあり、価値を否定するわけではないが、今振り返ってみればブームの時の持て囃されぶりの 割には後に残ったものは大したことがなかったのでは、という思いを禁じることができない。もちろん中には資料的に 貴重なものも含まれていたのだが、そのほとんどが現時点では入手不可能となっていることを考えれば、 ますますその感を強くする。現在入手が可能な書籍に限定してしまえば、そもそもこうした紹介自体が ほとんど不可能になってしまうのである。もっとも、このこと自体はマーラーのみの問題ではないかも知れないが。

そのなかで事典という体裁をとった2冊の日本人の著者による著作が注目される。 「ブルックナー・マーラー事典」(東京書籍)のマーラーの部分(編:渡辺裕)と、 長木誠司「グスタフ・マーラー全作品解説事典」(立風書房、絶版)の2つである。後者は絶版のようだが、 豊富な譜例を収めた丁寧な分析であり再版を強く望みたい。前者を単なる曲目解説と片付ける 向きもあるようだが、その解説は実際には綿密な調査と分析に基づいていると感じられるし、 コラムも興味深いものが多く、極めつけは詳細を極める文献案内で、(今となっては些か古い かもしれないが)同時代の文献から執筆時点までの研究史の俯瞰もできるこの文献案内は 大変に貴重なものだと思う。

邦語文献としては他には、柴田南雄「グスタフ・マーラー 現代音楽への道」(岩波書店)は、 新書の体裁ながら、作曲家の視点からの楽曲に対する分析・評価、そして20世紀音楽への影響についての 記述に加え、国内の、特に戦前における受容についての情報を含み、貴重である。

作品解説で入手しやすいものとしては、「作曲家別名曲解説ライブラリ第1巻 マーラー」(音楽之友社)が あげられるだろう。ただし、この本はその成立の経緯から複数の執筆者による分担のかたちをとっており、執筆者による内容の落差が 大きい。特に歌曲では執筆者によっては示唆に富む指摘が含まれる部分もあるのだが、書籍全体としては内容に明らかな間違いや 疑問のある記述が多く見られるように感じられる。
そうした問題は本文だけでなく巻末の資料にも及んでいるし、巻末の資料と本文との間に不整合が あったりするケースも散見される。そればかりか同一の執筆者による筈の生涯の記述と作品の解説の間にも記述に矛盾が あったり、一見したところ意味不明の記述があったりという具合で、到底信頼のおけるものとは言い難いように思われる。
交響曲に分類されている「大地の歌」や歌曲の解説でも、作品解説のあり方に関して疑問に思わざるを得ないような 記述方針のものが一部に見受けられ、入手のし易さだけからこの作品解説が参照されることに些かの違和感を禁じえない。
事実関係に誤りがあるのは論外だが、そうではなくても、主観的なコメントを除いてしまえば音楽を聴けばわかるような情報しか書かれていない 作品解説に一体何の意義があるのか私には判然としないし、推敲不足なのか構文的におかしな文章が見られるに至っては 内容以前の問題であり、別にけちをつけるために読んでいるわけではないのだから些かがっかりもしてしまう。
もっともそれはマーラーの巻に限ったことではなく、同じ執筆者の執筆になる他の作曲家の巻や書籍についても言えることで、 マーラーの場合と異なって資料として手元においておく必要を感じていない作曲家のものについては、あまりのひどさに処分して しまったものもある程なのだが。勿論、人によっては私が気にするようなことは大したことではなく、多少事実関係に間違いがあっても、 日本語として論理的におかしくても、まさにそうした内容なり、文体なりを評価する人もいるかもしれない(事実、そのような コメントを目にすることもある)から、あくまでもこれは私の主観的な評価に過ぎないが、一方で、一読して私と同じ思いをする人もまた いるであろうと思われるので、参考までにコメントをしておく次第である。

そんなものを読むくらいならCDを1つでも2つでも余計に 聴いた方がましだという意見があったとしても、コスト・パフォーマンスを考えればあながち批判もできないのは残念なことだが 仕方ない。一方で、上述のように作品解説にも優れたものはあるわけで、そうしたものが今度は読まれずに軽視されてしまうとしたら、 これもまた残念なことだと思う。
評伝の類は数多いしその優劣を論じても仕方ないだろうが、いわゆる一次文献にあたる 妻のアルマによる回想と書簡集、そして角笛交響曲の時代の同伴者であったバウアー=レヒナーの 回想録は、伝記的な背景を知る上では欠かすことができないだろう。ちなみに前者は、回想の部分のみ 文庫でも出ているが、私がかつて熱心に読んだのは白水社版の翻訳「グスタフ・マ-ラ- 回想と手紙」 (訳:酒田健一)である。5年ほど前に改題して復刊されたようだが、書簡にせよ回想にせよ、 これも際立って優れた訳だと思う。とかく疑惑の目をもって見られがちなアルマの回想ではあるが、 一次文献をこのような達意の訳文で読むことができるのは貴重なことだ。
一方でバウアー=レヒナーの 回想録(「グスタフ・マーラーの思い出」訳:高野茂、音楽之友社、絶版)は現在は入手が不可能のようであるが、 こちらの再版も期待したい。特に本書はオリジナル自体の入手が困難なようでもあり、この重要な著作の 翻訳が刊行されている価値は非常に大きいのではなかろうか。また、指揮者マーラーの弟子と呼んでいい、 ワルターやクレンペラーの回想もまた、貴重なものだろう。ワルターの方はモノグラフとして出版されていて、 かつては邦訳もあった(「マーラー 人と芸術」村田武雄訳、音楽之友社、絶版)し、 クレンペラーの回想は「マーラー頌」に収められていた。更に「音楽の手帖 マーラー」(青土社)の中では 両方を読むことができた(ただし、前者は一部のみ、後者は「マーラー頌」所収のものとは別の文章)。
いわゆる評伝で私が最初に読んだのは、マイケル・ケネディがDent社の叢書のために書いた 「グスタフ・マ-ラ- その生涯と作品」(訳:中河原理。芸術現代社、絶版)であった。 バルビローリ伝の著者として有名な著者によるこの本はイギリスの読者のために書かれているから、 イギリスにおける受容やエルガーやヴォーン・ウィリアムズとの比較の記述が目立つのは当然であるが、 そのおかげで最近ようやく全貌が明らかになったバルビローリの演奏についての記述があったり、 同じくイギリス人であったデリック・クックによる第10交響曲の補筆についてのかなり詳しい記述が あったりして、少なくとも当時としては貴重な内容を含んでいた。 また、詳細な年表がついていたり、散逸した初期作品を含む作品の一覧があったりと、資料面でも 興味深いものであったと思う。
ケネディの原著は注も完備されたしっかりとした体裁のものだが、その後、1990年に第2版が出ており 大幅な加筆がなされている。2000年の再版に際しても追補がなされており、初版以降の研究の進展、 受容の展開がきちんとフォローされていて、文章の読みやすさ、入手のし易さなども含めて、 ハンディな入門書としては非常に優れたものだと思う。なお現在の出版社はオックスフォード大学 出版局である。
しかし現代的な評伝の嚆矢ということであればクルト・ブラウコプフ「マーラー 未来の同時代者」 (酒田健一訳、白水社)を落とすわけにはいかないだろう。音楽社会学者によるこの著作の特徴は、 マーラーの生涯を記述するにせよ、その後のマーラー音楽の受容を記述するにせよ、その社会的な 背景に対する考察が含まれている点であろう。こうしたアプローチは今でこそ当たり前のことのように なっているし、ことマーラーの場合には、ユダヤ人であることや文化史的な文脈との関係を重視する 立場の文献はその後多くあるのだが、この本はその先駆けのような位置にあると思う。なおかつ、 幸いなことに復刊されていて、入手することができるという点でも貴重だ。
ちなみに、私のようなそれほど熱心ではない普通の聴き手にとっては、マーラーの伝記的事実の詳細に 拘泥するような情熱も根気も持ち合わせがない。例えば上述のドナルド・ミッチェルの研究の第1巻は、 ラ・グランジュの伝記と独立に構想されたため、膨大な伝記的情報を含んでいるのだが、 かつて一読した経験では、残念ながら私にとってはそうした詳細な事実の集積と音楽との間に、 寧ろ溝を感じる結果になったのを記憶している。たとえバイアスがかかっていようとアルマの手に よって描き出された壮年のマーラーの姿の方がよほど違和感がない。もっともそれとても、時間的にも 空間的にも遠く隔たったものであるという感覚を強く持たずにはいられないのだが。そもそも マーラーのような桁外れの能力を持った人間のことなど、うまくイメージしようと思っても、 平凡な生活を送っている能力的にも平凡な人間に容易にできる話ではない、というのが偽らざる 実感である。
ちなみに、これらの評伝の多くは翻訳だが、その中にはひどく読みづらいものや、はっきりと誤訳と 断定できるものが数多く含まれるものも残念ながら含まれる。 古い文献の場合には、そもそも 原文に事実誤認が含まれる場合もあるし、アドルノのマーラー論のように原文が大変に凝った 文章で書かれている場合には仕方のない部分もあると思う。
自分でやってみればすぐにわかるが、 1冊の著作を翻訳すれば意味を取りかねる箇所が幾つか出てくるのは止むを得ないことと思われるし、 裏づけの調査にも色々な限界があるのは仕方ないことだろう。校正もれというのもなくならないもので、大意には 影響しない誤字脱字の類にけちをつけるのはあまり生産的なことではなかろう。
しかし、日本語でも入手できる先行文献に あたって確認すれば防げそうなものや、作品を実際に聴くなり、楽譜を確認すれば―それどころか作品を 聴いたことがありさえすれば―私のような素人ですら間違いようのなさそうな取り違いが夥しく含まれるものや、 そもそも日本語としてこなれておらず意味を測りかねる文章が散見されるものもあるので、注意が必要だろう。
個別の翻訳を批判するのは本意ではないので、詳しくはとりあげないが、それでも「目に余る」と感じられたものを 幾つかあげれば、ピーター・フランクリンの1987年出版の新しいマーラー伝(ピーター・フランクリン「マーラーの生涯」 宮本貞雄訳, 青土社, 1999)は、原文がかなり凝った文体を持っているとはいうものの、 思わず首を捻りたくなるような訳文が頻出する。校正不足と思しき、日本語としておかしい部分も多いが、 それだけでなく内容上の誤解も夥しく、気になるところをチェックし出すと、ほぼ毎ページ毎に見つかるような 按配である。
この著作は新しいだけに、内容上、それまでの研究の蓄積を前提とした部分が多く、それだけに 調査不足は致命的のように思われる。だがそれだけでなく、マーラーの音楽に多少とも親しんでいる人間なら そもそも思いつかない類の間違いも多く見られ、熱心なファンの方ならずとも一通りマーラーの音楽を知っている 私のような人間ですらストレスを感ぜずには読めないような訳文である。
残念ながらこの文献に関しては、 もし英語が読めるのであれば直接原著にあたることを奨めざるを得ないし、最初に読む邦語文献としては 到底薦められない。内容的には興味深い指摘も見られるだけに、非常に遺憾なことであるが。翻訳作業の 大変さを思えば批判は出来る限り避けたいと思うものの、この場合については手にとって読まれる方々の 困惑が容易に予想されるゆえ、一言言及せずにはいられなかった。一読された方であれば必ずや同意 いただけることと思い、敢えて批判的なコメントをさせていただいた次第である。
さすがにそこまでひどいケースというのは他には思いつかないが、上でも触れたワルターの著作(ブルーノ・ワルター 「マーラー:人と芸術」村田武雄訳, 音楽之友社, 1960)も時折、おやっと思う部分にぶつかるので、 原文や英訳と照合すると、その多くは日本語訳の問題であることが確認できる。だがこちらはほとんどが容易に 推測がつく類の間違いであり、内容の貴重さや翻訳当時のマーラー受容の状況を考えれば、先駆的な邦訳に 取り組まれた功績を大とすべきであろう。

なかなか興味深い編集方針に基づく、クリスティアン・M・ネベハイの「ウィーン音楽地図」(白石隆生・敬子訳, 音楽之友社, 1987)の第2巻には、マーラーに関する章が含まれる。著者の専門があくまでも美術にあることが、 常とは異なった視点での記述になっていて興味深い点もあるのだが、残念ながら、恐らく原著に含まれると 思しき間違いもかなりあるので、注意が必要である。
一方、翻訳者の責に帰するべき明らかな間違いというのは あまりないが、校正もれや、一般的でない訳語の選択が散見されるほか、意味不明の訳者注―原著者が 引用しているバウアー・レヒナーの回想にある、ウィーン宮廷歌劇場での「ローエングリン」上演についての マーラーの言葉の伝聞について、その意図を推測しているようなのだが、引用された部分だけでなく、 原文の文脈を参照しさえすれば、こういう読み方はできないように思える―があるかと思えば、その一方で、短い 文章の量を思えば、かなりの割合になる明らかな原文の誤りには全く触れないというのは、方針としては 不可解に感じられる。
更に言えば、ここで触れられているのは、実は指揮者としての就任公演についてであって、 監督就任の公演ではないし、マーラーがヤーンから受け継いだ地位は普通「監督」と呼ばれており、支配人は マーラーの上司にあたる地位である。ブダペストでは監督であったと書かれているので、ウィーンにおける地位だけ支配人と するのは明らかにおかしい、といった調子である。
原書を入手して一読した限りでは、これはかなり「自由な」翻訳―それを 翻訳と呼ぶとするなら―であることがわかってきた。ここで逐一詳細を書くのは控えるが、少なくとも原文通りには訳されていないし、 事実関係では原文よりも詳しい記述が(注釈なしに)補われていることもあれば、そもそも原文には全く存在しない文章があったりという具合である。
まだ全てを照合したわけではないが、少なくとも「忠実な」翻訳でないことは確実なようだ。もっとも、訳者は著者と知己で ある旨訳者後書きに記されているから、あるいはそうしたことも了解済みでなされているのかも知れないが。
ちなみに、この本にはヴェーベルンの章もあるが、こちらも原著に含まれていたのであろうひどい間違いが何箇所かある。 もちろん原則として、翻訳者が原著の間違いについて責任を持つ必要なんかないだろうし、全ての作曲家についての 事実関係に通暁しているべきだなどと言いたいわけではない。
だが、 この本については、間違いの多くは信頼のおける文献に一つでもあたればわかる類のごく基本的なものであり、 折角音楽を専門とされている方の手によって翻訳されているのに、こうした誤りが放置されているのは些か残念な気がする。
というわけで、(まさか読者の勉強のためにそのようになっているということはないだろうが、)この本については読者が 自衛する必要があって、基本的な事実関係については、他の信頼できる文献で確認をとりながら読むべきであろう。

1980年代後半のブームの前の時点ではまだ数えるほどしかなかった日本語で読めるマーラー文献―その当時の状況は、 例えばマーラー生誕120年の1980年に刊行された上述の「音楽の手帖 マーラー」の巻末の文献表に伺える―に マーラー没後70年の1981年に加わったのが、みすず書房刊のクルシェネク/レートリヒ「グスタフ・マーラー 生涯と 作品」(和田旦訳)であった。これは、すでに翻訳のあるワルターの著作の英訳版に付けられたクルシェネクによる略伝に、 ケネディの評伝によって独立した巻を持つ以前にデント社のシリーズでマーラーを扱った巻であった、レートリヒの「ブルックナーと マーラー」の第8章から第14章をつけて1冊の本として翻訳したものである。
このような合本を編む意図については、訳者あとがきで述べられていて、確かにいずれの文章も短いながら興味深い 視点に満ちており、その意図は理解できないこともないのだが、とりわけ「楽曲解説」をなすべく部分訳されたレートリヒの 著作の扱いについては、幾つかの点で注意が必要である。
まず、レートリヒの著作のオリジナルにあたってみてすぐにわかるのは、マーラーを紹介した後半で生涯を扱った部分は 第4章で終わっていて、楽曲解説は(第8章ではなく)第5章から始まっていることである。レートリヒは個別の楽曲の解説に入る前に、 第5章でマーラーの音楽をロマン主義の系譜に位置づけ、第6章で旋律・和声・対位法の特徴を、第7章で 形式・テクスチュア・管弦楽法の特徴を譜例を交えて紹介している。訳者あとがきには、こうした事実の紹介は全くなく、 翻訳のみを読む人間(かつての私はそうだったのだが)は、レートリヒによる興味深い作品解説のいわば「総論」を 欠いたまま各論を読んでいることに気が付かない。
訳者のあとがきにある「楽曲解説」は、個別の作品の解説のことだと考えれば、こうした行為を一方的に不当だと主張することは できないかも知れないが、オリジナルを知れば、レートリヒの意図を損ねた紹介になっているのではという感覚は抑え難い。 しかも楽曲解説としてみた場合、一層興味深く、かつ、その後判明した事実による見直しの影響を受けることの少ないのは、 寧ろ「総論」の部分なのである。それゆえ、このような翻訳が編まれた意義は認められても、実現した形態には大きな不満が残る。
更に言うと、この翻訳の日本語はこなれていなくて、非常に読みづらいが、そればかりでなく、控えめに言っても、レートリヒのオリジナルの 文意が捉えられていない文章がかなり見受けられる。レートリヒの文体は平明なものではないが、かといって格別に凝ったものという 程でもなく、その意図を汲み取るのは決して難しくないのだが、翻訳の方は、直訳調であることをおくとしても、日本語として読んだ時に 不自然に感じられることが多く、原書を読んだ方がわかりやすい部分も少なくない。
ついでに言えば、訳者は「以後の研究により明らかになった事項については、訳文で訂正を行っている」とあとがきに記載しているが、 これについても不可解な点が多い。レートリヒの著作は1953年に執筆され、1963年に改訂されたものであり、訳者も書いている通り、 その後明らかになった事実関係の誤りが含まれているのは仕方がない。問題なのは訳者が行った訂正が、明らかに不徹底なもので あることだ。訳出する際に参照した書物もまた、あとがきに掲げられているが、それらを参照しているのであれば当然為されていてよいはずの 訂正がなかったりして、かえって混乱を招く危険すらあるように思える。訳者が訂正を行っていると主張しているだけに一層その危険は 大きなものになってしまっており、翻訳の日本語のわかりにくさ同様、非常に残念に感じられる。
いまやこの邦訳自体が古いものになってしまい、あえてこの訳を手にする人も少ないだろうが、訳者の意図した「内容的にも充実した 手頃なマニュアル」として使おうとする場合には、注意が必要だと思う。私見では、レートリヒの意見には今尚耳を傾けるべき点が 多くあると感じていて、この著作を現時点で(歴史的な相対化を行う必要はあるだろうが)参照する意味もまたあると思っているので、 あえてここでとりあげておくことにした。
あるいはまた、マーラー事典(立風書房1989)に含まれるシノポリへのインタビューの翻訳も幾つかの明らかな 誤訳が確認できるが、このインタビューについては、それがもともと含まれている原著の翻訳がある (ヘルムート・キューン/ゲオルク・クヴァンダー「グスタフ・マーラー:その人と芸術、そして時代」岩下眞好他訳・泰流社,1989) ので、そちらを参照した方が良いだろう。最後のケースのように複数の翻訳がある場合も含め、総じてマーラーの場合は 比較対照する文献には相対的には恵まれていると言って良いだろうから、それらを照合しながら読んでいけば、 多くの場合には疑問は解消できるように思われる。また、過去とは異なって、現在ではWebで原書を取り寄せることが 格段に容易になっているので、それを利用しない手はないだろう。

いわゆるアンソロジーとしては、上述の「音楽の手帖 マーラー」(青土社、品切)はアドルノもあれば、 テオドール・ライク(精神分析)もブーレーズもバーンスタインもあり、ワルターやクレンペラーの回想も あれば、シェーンベルクの講演もありという、今思うと錚々たる著者によるもので、現在でも(録音の 紹介などは歴史的な記録になってしまうかもしれないが、それはそれで別の意味で貴重だろうし、) 充分に価値があるものだと思う。復刻が望まれる。強いて難を言えば、翻訳は実は部分訳であるものが 多いのに、それと断っていない場合がままあること、日本人の手になる文章、とりわけ書き下ろしの中には、 恐らくは時間に追われて書いたのではないかと想像したくなるようなものが含まれることだろうか。 いわゆるコラム的なものであればさほど気にはならないが、一見、解説論文的な体裁をとっているものの 場合には、情報の提供という点で一定の価値はあっても、著者の所説の展開についてはちょっとついて いけないと感じられるものもある。
一つだけ例を挙げれば、それ自体は大変に刺激的なハンス・マイヤーの論文を 下敷きにした深田論文は、著者の論理を追って細かく読むと不可解な部分が多い上、マイヤーの 所説の切り取り方も大胆なもので、この文章だけ読むとマイヤーの主張が持つニュアンスを誤解しかねない ように思われる。無論、そうした切り取り方自体は別段批難されるべきものではないが、マイヤーの主張に 大幅に依拠しつつ論を進めながら、「簒奪者」という規定の一面のみ取り上げて、「自家培養者」という 自己の主張をそれに繋げるばかりか、取りようによってはマイヤーとは正反対とも考えられる主張に、そうと断ることもなく 繋げてしまうので、マイヤーの元の主張を知るものは思わず目眩に襲われかねない。しかも その後半の「自家培養」という規定に沿って展開される議論は、私の様な文学的な想像力に欠ける人間には、 ついていくのに苦痛を覚えるほどの飛躍に富んでいて、おしまいには唐突に「徒らに生まれてきたのではない、 徒らに闘ってきたのでもない。」という一文で結ばれるのである。
恐らく文学研究の世界では、こうした飛躍が 問題にされることはないのだろうが(それどころか、もしかしたら、賞賛されるのだろうか?)、一般の読者が 読むには少々高尚過ぎるように感じられてならないのは私だけなのだろうか。そればかりか意地の悪い観方をすれば、 時間に追われて、マイヤーの所説を「簒奪し」、自分の知っている文学史上の、あるいはマーラーにまつわる事実を適当に 混ぜ合わせて、思いつき同然の連想によって文章に繋ぎ合わせただけなのでは、という疑いさえ引き起こしかねないとさえ思うのだが。
そもそもマイヤーはカフカの日記の言葉を引いて、マーラーにおける音楽と文学との関係が19世紀の典型に 従った心理学的なものだったといっているのか、そうではなくて、そこに表現主義の先駆となる心理学の否定の 事例を見出しているのか、どっちなのだろうか?
あるいはまた、恐らくそのことと全く無関係ではないのだろうが、 「大地の歌」では、文学だけでなく、音楽の面でも自家培養がなされているという主張を、突然何の説明もなく、傍証もなく つきつけられて納得できなければいけないのだろうか。 情けないことだが、音楽における「自家培養」ということで深田が指しているもの が何なのか、私には全くわからないことを白状せざるをえない。 
更にまた、いわゆる付加6の和音で終結するその末尾を、何の補足もなく 「大地としがらみをなす調性から」の「解放」と言われて納得しなくてはならないのか? 
マーラーのエロスを主題とした 書簡を取り上げて、「これをゲーテ流の汎神論と見做すことは容易だが、そのようなトラディショナリズムを撥ね つけるまなざしが獲得しているものは、エロスが愛という語に置き換えられようが、憧憬とされようが、郷愁とされようが、 事情に変わるところはない」と言われて、理解できなければならないのだろうか? 
「そのようなトラディショナリズムを撥ね つけるまなざしが獲得しているもの」が一体何なのかくらい、自分で考えなさい、ということなのか? 
これが自家培養と どう関係するのかも、自明でわざわざ書くほどのことではないのか? 
そして繰り返しになるが、その後に、 「徒らに生まれてきたのではない、徒らに闘ってきたのでもない。」という一文が来て終わるのを、どう理解せよというのか。
また、これは劈頭で主張されていた「エクメニカルなものへの志向」とどう関係するのか? 
挙げれば切りがないのでもう止めにするが、私には残念ながらどれ一つとしてわからないのである。
まあ、時間に追われたやっつけ仕事だというのは多分、一般の読者に過ぎない自分の無能力を棚に上げた 責任転嫁なのだろうから、つくづく自分が文学とは縁の無い人間、想像力の欠如した人間であるということを 思い知らされて、嘆息するしかないのである。残念ながら、この文章の「行間」を読むことは私の能力の限界を遥かに 超えている。
私にとっては、是非はおくとして、マイヤーの主張の方がはるかにわかりやすい。否、深田の文章に比べれば、アドルノのあの文章の方が まだその論理を追うことができるようにさえ感じられる。
(ちなみに「音楽の手帖」には深田訳のアドルノのマーラー論の一部も 掲載されているが、既述の通りこの訳文もまた要注意である。大変にこなれた日本語になっているのだが、内容が概念的で 抽象的な部分になると、首を捻る文章につきあたることになる。だから、アドルノの文章の方がまだその論理を追うことができるというのは、 深田訳を読んでのことではない。誤解のないように念のために補足させていただく。)
一例を挙げれば、上記のようなケースのあるとはいうものの、それでもこの「音楽の手帖」の全体としての密度の高さは、 その後「マーラーブーム」の只中で編まれたムックの類に比べて、際立っているように思われる。

ブラウコプフの評伝およびアルマの回想と手紙の訳者である酒田健一が編集した「マーラー頌」 (白水社、品切)は、マーラーを巡る「証言」を網羅的に捉えることができるという点では、 更に徹底しているだろう。1890年代の同時代のものから1970年代までの、地域で見ても オーストリア・ドイツは勿論、イギリス、アメリカ、フランス、イタリア、ロシア・ソ連にわたる73の文章の 翻訳を収めたもので、その中には貴重な証言、重要な論文が数多く含まれる。

私は現時点では色々な演奏の聴き比べにはあまり関心がなく、リンクに掲げるような熱心な聴き手のページで 公開されているような的確な評を読めればそれで充分であると思っているので、職業的な音楽評論家の書いた 演奏評(LP・CD評含む)にはあまり関心がなく、それゆえ存在を知りながらも素通りしてきたところで、 そうしたWebページの一つで好意的に評価されていたのを見たのがきっかけで手にとり、一読して、 これは読んでみてよかったと感じたのは、「吉田秀和作曲家論集1 ブルックナー・マーラー」(音楽之友社, 2001)である。
といっても私が感銘を受けたのは、やはり個別の演奏評(LP・CD評)の部分ではなく、むしろ最初におかれた50ページを超えるマーラー論 とでもいうべき文章で、これが1973年~74年に書かれていたということに驚くとともに、この文章に言及している文献というのに心当たりが ないことを些か訝しくさえ感じた。(もっとも、これは私が不勉強なだけなのだと思うが。もしご存知の方がいらっしゃれば 教えていただければ幸いである。)
音楽学者ではなく音楽評論家の文章であるとはいっても、では、私のような市井の愛好家が入手できる範囲で、これだけ音楽自体に 踏み込み、音楽史やマーラーその人の個性にも配慮したものがあったかといえば、あまり記憶にないように思う。 更に(この点は特に素晴らしいと思ったのだが)、自分のマーラー受容の「立ち位置」を明確に意識して書かれたものは更に少ないように思う。 受容史を主題的に論じるのは別に、自分の個人的な距離感を自覚し、はっきりとそう語りつつ、それでいて自分の マーラー経験に対して忠実であろうとする姿勢が感じられて、私には新鮮で、かつ親近感を抱いた。
(逆に音楽学者のものや、あるいは文学研究者としてマーラーにアプローチするケースの方が、その時期の音楽学者の世界の トレンドや、自分の文学における研究領域や関心という前提に対してに無自覚―もしかしたら自覚的で、でもそうとは言わずに 黙っているだけかも知れないが―に従っているようにすら思える。)
勿論、世代の差もあって、私は吉田に比べれば、ずっと抵抗無くマーラーを受け入れてしまった。 (実は自分の体質にそんなに親和的なものではなかったはずなのに、抵抗がなさ過ぎて、「まるのみ」 してしまったせいで、今になって苦労している感じすらあるが、、、)
けれども、それだけに、こんなにきっちりとマーラーについて考えたとは到底言えない、と、今になって感じている。愚かにも、いざ自分で 何か言おうとするまで気付かなかったのだ。(まあ吉田秀和のような高名な評論家と自分を比較しても仕方ないのだが。)
一つ難を言えば、これは無いものねだりのような気もするが、マーラーの音楽を完結し、完成したものと捉えすぎていて、 それを自分が(であってその時々の日本の「世相」なりなんなりが、ではない)どう受け止めるのか、どう生かすのかといったスタンスが 希薄な点は、やはり音楽を評論する、という立場上、仕方ないのかなとも思うけど、残念な気もする。 もっとも、マーラーが「過去」の、「異郷」の音楽であることも、その音楽が非常に高い価値を持つものであることも、 はっきりしているわけで、そうした距離を踏まえ、作品の価値に敬意を持って接するのであれば、そうなって当然ではないか、と 言われれば、それはその通りなのだが。
(この文脈では音楽学者には―音楽に対するアプローチの点で―一般論としてはほとんど期待できず(職業としてやっている んだから当然なわけで、これは勿論非難ではない)、寧ろ、作曲家や演奏家、あるいは―文学研究者ではなく― 文学者や画家といった人たちの言うことに耳を傾けるべきなのかも知れない。 もっとも、吉田にとってマーラーが占める位置の方が、今度は必ずしも中心的ではないかも知れないことを考えれば、 これもまた、あまりにマーラーに偏した意見なのかも知れないが。)
それでもなお、よくわからないながら、強い力によってひきつけるマーラーの音楽が、吉田個人にとって何だったのか、もう一度、 ―個別の演奏評やCD評ではなく、できれば一般的な「評論」の枠すら外して―話を聴いてみたい気がしてならない。
個人的な好みで言えば、同じマーラー論でシェーンベルクの講演とそこでの分析が中心的に取り上げられている点が、 何と言っても気に入っている。(この講演は何といっても群を抜いて素晴らしいものだと思う。)
また、私はバルビローリ贔屓なので、バルビローリの第9交響曲の演奏についての文章は、やはり興味深いものだったし、共感する 部分も多々あった。
更に、「マーラーの歌」「菩提樹の花の香り」は、マーラーの歌曲を 交響曲と同じだけ大事に考えている(そして、現実には歌曲が軽視されがちなので、寧ろ歌曲にこだわりを感じている)私にとっては、 印象的な文章だった。「菩提樹の香り」が普段の生活でもつ感じについては、日本で生まれて 日本で育った私にとってはどうしようもない部分がある。これはもう何といっても「限界」としかいいようがないものだ。
(仏教の世界では、菩提樹は、別のコノテーションを持っているし。もっとも、これはこれで、些か変わった角度でまたマーラーの菩提樹の イメージにもう一度接すると言えないこともないだろうが、、、)

最後に入手が可能であり、かつ新しいという観点から、村井翔「マーラー」(音楽之友社)を あげたい。かつての評伝の定型からは大きく外れ、分量や体裁を考えると際立って充実した 内容を持った著作で、読み応え充分なのだが、著者自ら記している通り、生涯にしても 楽曲解説にしても、どちらかといえば何冊目かに読んだ方が面白く読める内容であると思う。 最初の一冊として読んだらどうなのか、というのは残念ながら判断のしようがないが、 ありきたりの評伝を読むよりは、遥かに価値があると思う。
一方で、楽曲解説から第2交響曲、 第8交響曲を略してしまったことは、分量の問題や著者の立場を考えれば止むを得ないとはいえ、 最初の一冊とした場合には問題かも知れない。否、入門書としての体裁にこだわらずに言えば、 なぜその2曲が「選外」になったのかについての解説というのがあっても良いのではないかと すら思える。
勿論それは嫌いな作品に対する誹謗中傷にはなりようがない。例えば興味深い 生成史を持つ第2交響曲が、何故「うまくいっていない」のかを書くのは、それなりに マーラーの音楽の特質を浮び上がらせることになると思われる。
尚、個人的には歌曲、特に 二つの連作歌曲集の重要性は交響曲に対してひけをとることはないと考えているので、 楽曲解説の選に漏れたのは残念だが、これは立場の問題であり止むを得ないだろう。
ついでに言えば、ここまで充実しているのだから、参考文献についても著者の選択したリストを 拝見したかったと思う。その一部は本文や後書きから伺え、多くは我が意を得たりというように 感じているだけに、これもまた残念である。
(2005.5初稿,2005.6--8,2006.5,6加筆・修正,2007.4.1, 28, 5.1,2,13,27, 6.6加筆, 6.28私信をベースに加筆, 8.27加筆, 2007.12修正, 2008.3.30加筆)