特に交響曲、管弦楽伴奏歌曲をはじめとして、マーラーの音楽には膨大な数の録音が存在し、それゆえ名盤には事欠かない。
時代による様式の変化や指揮者、オーケストラの個性などがあいまって非常に多様な選択肢があるが、嗜好もそれと同じだけ
様々であろうから、ここでは特に個別に言及しない。範囲をWebページに限定しても熱心なコレクターが多くおられるようなので、
様々な演奏を聴きたい方は、そうした方のWebページをご覧になることをおすすめする。以下では有名な曲については、
主として入手のし易さを重視した例を、それ以外では録音の多様性を示す例を挙げることにする。
交響曲全集については上述の通り、多くの選択肢が存在するゆえ、ここで特定の演奏を取り上げるまでもなかろうが、
「大地の歌」、第10交響曲のアダージョのみの版と5楽章のクック版のすべてを含んでいるインバル/フランクフルト放送交響楽団は
網羅性の高さと入手のしやすさを兼ね備えている。なおインバルはウィーン交響楽団と全ての管弦楽伴奏歌曲の録音もしている。
「嘆きの歌」は今や1880年の初稿を聴くことができる。ナガノ/ハレ管弦楽団のものが入手しやすいだろう。
歌曲はピアノ伴奏しかないものと管弦楽伴奏も存在するものがあるため、網羅的な録音というのはなかなかない。
もっとも管弦楽伴奏のものに限れば選択肢は広い。なお、「リュッケルト歌曲集」の管弦楽伴奏版はしばしば、
マーラー自身の管弦楽伴奏のある4曲に加え、マックス・プットマンの管弦楽伴奏編曲による「美しさのゆえに愛するなら」を
含める場合が多い。その中で、ナガノ/ハレ管弦楽団(ヘンシェルの歌唱)のものは1905年1月29日のマーラー自身の指揮に
よる「子供の死の歌」「リュッケルト歌曲集」(管弦楽伴奏のある4曲のみ)の初演の演奏会のプログラムを再現したもの
で、同時に演奏された「子供の魔法の角笛」のうちの7曲も併せて演奏されており、大変に興味深い。特に「子供の魔法の
角笛」のうち、「歩哨の夜の歌」「無駄な骨折り」「不幸な時の慰め」「塔の中で迫害されている者の歌」は男声と女声の
掛け合いで歌われる場合と男性単独で歌われる場合があるので、その点での聴き比べも興味深いだろう。ヘンシェル/ナガノの
演奏では、「歩哨の夜の歌」「不幸な時の慰め」「塔の中で迫害されている者の歌」が男声のみで歌われるのを聴くことができる。
なお、「大地の歌」はアルトのかわりにバリトンでの歌唱の可能性をマーラー自身が想定していたが、現実にはバリトンが歌った録音は非常に少ない。
バーンスタイン/ウィーン・フィル、フィッシャー・ディースカウのバリトン、キングのテノールのものが著名だろう。
歌曲のピアノ伴奏版なら、フィッシャー=ディースカウ/バレンボイムのものが「青年時代の歌」「さすらう若者の歌」
「子供の魔法の角笛」「リュッケルト歌曲集」を収めていて貴重だろう。バーンスタインがピアノ伴奏をし、ルートヴィヒとベリーが
歌った「子供の魔法の角笛」、同じくバーンスタインのピアノ伴奏、フィッシャー・ディースカウの歌唱による「さすらう若者の歌」、
「リュッケルト歌曲集」(4曲)「青年時代の歌」(抜粋)もまた非常に有名であろう。ただし、「美しさのゆえに愛するなら」「ハンスとグレーテ」
「外へ!外へ!」「たくましい想像力」は含まれていない。初期のいわゆる「3つの歌」を含むものと
しては、ベイカー/パーソンズのものがある(「青年時代の歌」「さすらう若者の歌」を併録。)「子供の死の歌」の
ピアノ伴奏版は、いわゆる大家、有名歌手の演奏では思いのほかない。管弦楽伴奏版と比べたときの差は、最近になって
ようやくピアノ伴奏版の録音が増えてきた「大地の歌」ほどではないにしても、かなり大きいように思える。
必ずしも入手しやすいわけではないかも知れないが、新しい録音ではゲンツ/ヴィニョルズのものが「青年時代の歌」の抜粋(7曲)、
「さすらう若者の歌」「リュッケルト歌曲集」とともに「子供の死の歌」を収めていて貴重だと思う。
「大地の歌」のピアノ伴奏版は現在では幾つかあるが、嚆矢となったカツァリスのピアノ、モーザーとファスベンダーの歌唱のものが
有名だろう。またソプラノの平松英子が野平一郎のピアノ伴奏で歌った「大地の歌」は、連作歌曲集としてのこの作品のポテンシャルを
活かした企画であり、なおかつ日本人による演奏としての解釈のユニークさも備えている。しかも歌唱もピアノも技術的に驚くべき水準に達して
おり、ピアノ伴奏版に留まらず、管弦楽版も含めて「大地の歌」の演奏を語る上で欠かすことができない名演であると思う。テノール・バリトン歌唱の
ピアノ伴奏版としては、スミスのテノール、パレイのバリトン、ラーデマンのピアノによる演奏がリリースされている。
マーラーは今や人気者なので、「ピアノ四重奏曲楽章」や交響詩「葬礼」をはじめ第1交響曲のハンブルク稿、ヴァイマル稿(5楽章からなる交響詩「巨人」) などの初期形の録音すら存在する(例えばルード指揮ノルシェーピング交響楽団の「巨人」(ハンブルク稿)、 ハマル指揮パンノン・フィルハーモニー管弦楽団の「巨人」(ヴァイマル稿)やリッケンバッハー指揮 バンベルク交響楽団の「葬礼」「花の章」など)。果ては交響曲のピアノ連弾版(ただし、これには例えばツェムリンスキーが「私的演奏協会」 での演奏のために編曲した、際立って優れた第6交響曲の編曲なども含まれる)、室内楽編曲版などの録音すら入手できる ようになっている。第10交響曲の全曲演奏用補筆版については、いわゆる「標準」の地位にあると見なせるクック第3稿のみならず、 他のバージョン(カーペンター版、マゼッティ版など)による録音も出ている。またクック版に準拠しながらも、部分的に 管弦楽法を改変している録音も存在する。(例えばザンデルリンクの演奏。)
いわゆる歴史的な録音に関心がある人にとっては、マーラー自身が残したピアノロール(1905.11.9)や、マーラーの友人であった メンゲルベルクがアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団を指揮した第4交響曲(ソプラノはヴィンセント)の演奏、 オスカー・フリートが1924年に残した第2交響曲の録音などが興味深い記録であろう。 近衛秀麿の指揮した第4交響曲の録音も初期の記録としては貴重であり、CD化されたことがあった。(ただし私見では近衛のそれは あくまでも資料としての価値を超えるものではないが。) ヴァルター、クレンペラーといった指揮者は現在でもお馴染みの指揮者だが、いずれも指揮者マーラーの弟子と呼んでよい。 その解釈は時代の流れもあって、少なくとも指揮者マーラーの流儀の継承であるわけではないが、一方で、今日のように マーラー演奏が一般的になる以前からマーラーを取り上げていたこともあり、その演奏には歴史的な価値があるだろう。
だが歴史的録音の価値は、クロノロジカルな初録音記録の競争にあるわけではないし、時代の証言としての記録、つまるところ 同時代人の証言などと等価な資料体としての価値に限定されるわけではない。歴史的録音が可能なマーラーという作曲家の作品自体が 最早過去のものであり、1世紀の時間的な隔たりがあること、更にはおよそマーラー自身の伝統とは懸け離れた極東の島国に住まう人間にとって それが如何に自分から遠いものであることを知るにつけ、マーラーその人を知る人々の演奏、マーラーの生きた時代の記憶を持つ人達の演奏に、 馴れの問題も含めた演奏技術の向上や録音技術の向上にも関わらず後世の、だが寧ろ自分にとっては近い時代の演奏には聴き取れない 何かが存在することは明らかであろう。あるいはいっそのことそうした歴史的なパースペクティヴを捨ててしまって、端的に時代の壁、テクノロジーの 限界の壁を超えて、私たちだけでなく、未来の人びとの心をも捉え続けるに違いない演奏を歴史的録音によって聴くことができるのは確かなことなのである。
そうした録音として私が特にここで言及したいのは、交響曲であればすでに触れたメンゲルベルクとコンセルトヘボウ管弦楽団による1926年5月の第5交響曲 第4楽章や1939年9月の第4交響曲の演奏、そして1936年5月24日のワルターとウィーン・フィル、トールボリとクルマンの独唱に よる「大地の歌」、アンシュルス直前の1938年1月16日のワルターとウィーン・フィルによる「第9交響曲」、あるいはまたその翌年のNBC交響楽団との 第1交響曲、1939年10月5日アムステルダムでのシューリヒト指揮によるコンセルトヘボウ管弦楽団とトールボリとエーマンによる「大地の歌」 (この演奏はコンサートの最中に起きたハプニングが記録されていることで有名だが、私見では、そうした史料的な価値を捨象してなお無比の価値を持つ)、 更に戦後まで範囲を広げれば、1948年のワルターのウィーンへの里帰り公演である第2交響曲の演奏、 これまたワルターとウィーン・フィルによる、だが今度はフェリアーとパツァークの独唱による「大地の歌」の1952年のスタジオ録音、そして同じくフェリアーが 今度はルイスとともにバルビローリとハレ管弦楽団とともに同じ1952年に今度はマンチェスターで演奏した「大地の歌」のエア・チェックの記録である。 個人的には、その系列に連なるものとして、(一般にはこれ自体は「歴史的録音」の範疇外として扱われるのだろうが)バルビローリとベルリン・フィルによる 第9交響曲の1964年の録音も含めたいように感じる。バルビローリの演奏はそれ自体、直接的にはヨーロッパ大陸のマーラー演奏の伝統とも独立だし、 晩年のマーラーが指揮したニューヨーク・フィルハーモニックの時代にはマーラーをほとんど採り上げていないから、ここでの伝統との連続性も極めて薄弱に 過ぎないものでありながら、今日から見ればその後の演奏様式よりは寧ろ過去の様式に通じるものを持っているように思われてならないのである。 ただし、そのバルビローリが第二次世界大戦後、ネヴィル・カーダスに勧められてマーラーを「発見」した後、「古巣」のニューヨーク・フィルハーモニックに 2度客演した折の記録がいずれも残っていて、しかもいずれも圧倒的な演奏であることは留意されてよい。1959年1月11日カーネギーホールでの第1交響曲、 1962年12月8日フィルハーモニーホールでの第9交響曲の演奏の放送用録音がそれで、特に前者は晩年をアメリカで過したアルマがリハーサルと本番に 立会い、賞賛の言葉をバルビローリに送ったというエピソードをアネクドットの類と思わせない、極めて優れた演奏である。
だが、歴史的な録音の価値という意味では交響曲と歌曲に優劣をつけることは意味がないことであって、こちらもまたレーケンパーとホーレンシュタインによる 「子供の死の歌」の1928年の録音を筆頭に、「子供の死の歌」であればフェリアーがワルターとウィーンフィルの伴奏で歌った1949年の録音から 1967年のバルビローリとハレ管弦楽団の伴奏によるベイカーの歌唱という系列を、あるいはまた「私はこの世に忘れられ」であれば、 1907年にマーラーによりウィーン宮廷歌劇場に招かれ、短期間ではあるがマーラーの下で歌った経験を持ち、さらには1911年11月のミュンヘンにおける ワルターによる「大地の歌」初演でも歌ったサラ・シャルル=カイエによる1930年代の録音、「大地の歌」のコンサートのアンコールに歌われた 1936年のトールボリの録音、これもまた「大地の歌」のフィルアップとして録音された1952年のフェリアーの歌唱、そして1964年と1967年の 2度、オーケストラを変えて録音されたバルビローリ伴奏によるベイカーの録音といった系列を挙げないわけにはいかないだろう。 その一方で、ワルターのピアノ伴奏での「リートと歌」からの8曲の録音があり、またワルターとニューヨーク・フィルによる第4交響曲のソプラノ・ソロを受け持った デジ・ハルバンが、やはりマーラーがウィーン宮廷歌劇場に呼び、マーラーの下で歌ったあのゼルマ・クルツの娘であることを確認しておいてもいいだろう。 1950年ニューヨーク・フィルと第8交響曲を録音したストコフスキーは1916年に第8交響曲のアメリカ初演を行なっているが、 その彼が1910年9月のマーラー自身の指揮によるミュンヘンでの第8交響曲初演の聴衆の一人であったこともまた忘れてはなるまい。 またシューリヒトも同じく第8交響曲初演に立ち会っており、1913年9月には監督を務めたヴィースバーデンで第8交響曲の初演を行い、また1921年4月13日から25日までに わたりドイツで最初のマーラー・フェスティヴァルを開催した指揮者である。セッション録音こそないものの、上述の1939年のコンセルトヘボウとの「大地の歌」の他に 晩年の1958年にフランス国立管弦楽団を指揮した第2交響曲と「さすらう若者の歌」、同年にシュトゥットガルト放送交響楽団を指揮した第2交響曲、1960年にやはりシュトゥットガルト 放送交響楽団を指揮した第3交響曲などの演奏記録には接することができる。
アドルノのマーラー論が出版された生誕100年の1960年以降、いわゆるマーラー・ルネサンスが始まる。現代的な マーラー評伝の嚆矢となったクルト・ブラウコプフが書いているように、LPレコードの出現は、マーラーの音楽の 普及に大きな影響があった。有名なところではクーベリック、ショルティ、バーンスタイン、ハイティンクといった指揮者が 交響曲全集を完成したのはその時期にあたる。バルビローリのようにスタジオ録音こそ一部の曲しか 残さなかったが、当時より評価が高い演奏の録音が知られていて、ようやく最近になってその業績の全貌が 広く知られるようになったケースもある。(その中には、録音状態の悪さや、第1楽章冒頭の欠落などのハンディにも 関わらず、単なる記録としての価値を遥かに超えた、フェリアーがアルトソロを歌った1952年の「大地の歌」も含まれる。)
ついで、例えばインバル、ベルティーニ、ギーレン、ツェンダー、コンドラシンといった指揮者の際立って優れたマーラー演奏が、 海外のコンサートの録音のFM放送によって国内に紹介されていった。このうちコンドラシンは第3交響曲や第9交響曲のロシア初演者であり、 第1,3,4,5,6,7,9番の交響曲のロシアのオーケストラによる録音(第1,3,4,9がモスクワ・フィル、第5がソビエト国立交響楽団、 第6,7がレニングラード・フィル)が存在するが、その演奏は別の伝統に属するオーケストラの響きの 個性で際立っているとともに、その一方でコンドラシンの解釈の卓越を証言する極めて質の高いものばかりである。また、 コンドラシンとモスクワ・フィルは第9交響曲の日本初演を1967年4月16日に東京文化会館で行っており、その折の記録(NHKによる実況録音)を聴くことができる。 FMで放送されたのはコンドラシンが西側に亡命して後の演奏だが、その中でもコンドラシンの最後の演奏となった1981年3月7日、アムステルダムの コンセルトへボウでの北ドイツ放送交響楽団との第1交響曲の演奏記録は貴重なものであろう。 その後の若干過熱気味の嫌いもあったブームから今日までについては、多くのところで語られているし、 録音としては現役のものも多いだろうから、ここでは割愛する。
日本人の演奏ということでいけば、上述の近衛の演奏以外では、第1交響曲のハンブルク稿日本初演、第1楽章に 「葬礼」を演奏した第2交響曲を含む、若杉/東京都交響楽団の全集や、日本で世界初演が行われたというゆかりもある ピアノ伴奏版の「大地の歌」の日本人歌手・ピアニストによる演奏(すでに複数存在する)などが挙げられるだろうか。
ただしマーラーの音楽は、基本的にコンサートホールで聴かれるために書かれた音楽であるから、可能ならば実演に 接すべきであろう。舞台裏や離れた場所での演奏指示を含み、空間的な効果を狙った作品も多いし、第8交響曲のように、 音響体としての規模が大きくて、コンサートホールで直接音響に身を浸したほうが、(その繊細で薄い楽器法の部分も 含めて)把握しやすい場合もある。第6交響曲のハンマーをはじめとした、多用される打楽器の音響も、録音を聴くのと 実演に接するので違いが出やすいだろう。一方で、マーラーは特に日本国内のコンサートにおいては、今や集客の しやすい「定番」レパートリーのようなので演奏機会も少なくない。来日オーケストラのプログラムでもマーラーは 最も良く取り上げられる作曲家の一人といっていいだろう。
もっとも、だからといってコンサートホールでの方が「感動できる」かどうかはまた、別の問題である。 演奏の良し悪しとは別に、マーラーの音楽の持つ性質が、まさにそのために書かれているにも関わらず、 コンサートホールのような場に相応しいとは言い難い面を持っているかも知れないので。(だから、ある種の 規範を持つ音楽家はマーラーを演奏すること自体を我慢ならないものと見なして拒絶するだろう。そういう気持ちも 決してわからないではないと私には感じられる。)出不精の私も、マーラーに関しては過半の交響曲の実演に 接しているが、残念ながら「感動した」と言いうるのは率直なところわずかであった。それでもなお、実演に 接したことがあるかどうかは、例えばその後は録音を聴き続けるにせよ、聴取のあり方に影響するであろうと 思われる。
さらに言えば、マーラーが最早過去の存在であること(これ自体は否定しようのない事実であり、マーラーの音楽の 「新しさ」を幾ら述べ立てたところで、そのことによって展望が変わることはない)、要するにマーラーの時代は端的に 既に遙か彼方に去ってしまっていることを思えば、逆説的に、それ自体本来は現実の色褪せたコピーであるはずの 「録音」が、「かつてあった」筈の現実への接点を持ちようのない今日の人間にとって、控え目に言ってもマーラーの 音楽のある側面、しかも極めて重要な側面を知る唯一の手がかりであるに違いない。録音技術が如何に発達し、 如何に立派な再生装置を用いたところで、録音が実演にとって変わることはありえないし、その一方で単純な 時空間の共有、要するに「最近の録音」であったり、「日本での演奏」であったりするという同時代性の事実が 担保するものの頼りなさは明らかなことであろう。今日の日本のコンサートホールで聴くことができるマーラーが 如何なるものであるのかは些かも自明ではないのだ。
マーラーは偶々、録音・再生・複製といった技術が確立する 直前に没してしまったのだが、その結果として、さらに過去の作曲家におけるように殊更に「再構成」の作業を 行わなくても、楽譜の読み方、奏法について「録音」を通して知ることが可能である。ただし、同時代とそれに 続く時代においては録音・再生・複製の技術の限界から、「録音」が様々な限界を抱えていることもまた否定できない。 今日、マーラーは最早過去の作曲家となり、充分な距離感をもってその音楽に接することができるようになり、 恐らくそれに関係して、演奏様式や解釈の点においても変化が生じた。その結果の方は今度は「録音」技術の 進展によって、かつてとは比較にならないほどの「リアリティ」をもって何度も追体験可能となってきた。恐らく今後も ますます演奏様式上は「過去」とは自由になり、録音・再生技術の進展は実演と録音のリアリティの差を狭めていくのだろう。 そのようにしてマーラーの音楽という「ミーム」は再生され、変異にさらされつつも存続していくに違いないのだ。
今日コンサートホールでマーラーを聴くことの意味が些かも自明でないのと同様に、マーラーを「録音」を通じて 聴くことの意味もまた、些かも明らかではない。とりわけ「録音」が持つ意味合いは、ことマーラーに限って言えば これから明らかにされるべき問題として残っているように私には思われる。自分が夜中に自室の机の前で、 PCを用いて再生したマーラーから得る「感動」というのは一体何なのか。実演では恐らく不可能な程の頻度で 同じ曲を繰り返し聴くことは「録音」によってのみ可能だろう。しかも「同じ」演奏を何度も聴くことが可能になるのだ。 そこでおきていることは、実演で、あるいはスコアを通してマーラーを知ることとは全く別の種類の経験であろう。 してみれば可否は別として、「録音」を通じてマーラーを受容することがどういうことであるかをもう少しきちんと測る必要が あるのではないだろうか。 (2005.5初稿,2005.7,2006.5, 2007.12, 2008.3.13,19、2009.05.17, 6.15, 8.1/9, 10.27,31, 2010.1.11, 5.18, 10.3加筆・修正)
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