お詫びとお断り

2020年春以降、2024年3月現在、新型コロナウィルス感染症等の各種感染症の流行下での遠隔介護のため、マーラー祝祭オーケストラ第22回定期演奏会への訪問を例外として、公演への訪問を控えさせて頂いています。長期間に亘りご迷惑をおかけしていることにお詫びするとともに、何卒ご了承の程、宜しくお願い申し上げます。

2020年9月14日月曜日

Google Street Viewによるヴァーチャル・ツアー(12):グリンツィンク墓地にあるマーラーの墓

 以前はStreet Viewが使えなかったオーストリアでも、現在は使えるようになったようなので、以前はGoogle mapの航空写真で紹介していた場所のうち、Street Viewでアクセスできるようになった場所については、改めて紹介することにしました。例えばアッター湖畔の作曲小屋は、湖畔を通る幹線道路から小屋の近くまでの道が規制されているため、依然としてStreet Viewでは見れないようです。一方でグリンツィンク墓地にあるマーラーの墓は、墓地の中にも関わらず、以下のようにStreet Viewで見ることができます。(2020年9月14日)

グリンツィンク墓地にあるマーラーの墓

Google Street Viewによるヴァーチャル・ツアー(11):マーラーが生涯を終えたレーヴのサナトリウム

以前はStreet Viewが使えなかったオーストリアでも、現在は使えるようになったようなので、以前はGoogle mapの航空写真で紹介していた場所のうち、Street Viewでアクセスできるようになった場所については、改めて紹介することにしました。例えばアッター湖畔の作曲小屋は、湖畔を通る幹線道路から小屋の近くまでの道が規制されているため、依然としてStreet Viewでは見れないようです。(2020年9月14日)

マーラーが生涯を終えたレーヴのサナトリウム(マリアンネガッセ20番地:プレートが嵌め込まれている)

Google Street Viewによるヴァーチャル・ツアー(10):アルマの実家のあったホーエ・ヴァルテ

 以前はStreet Viewが使えなかったオーストリアでも、現在は使えるようになったようなので、以前はGoogle mapの航空写真で紹介していた場所のうち、Street Viewでアクセスできるようになった場所については、改めて紹介することにしました。例えばアッター湖畔の作曲小屋は、湖畔を通る幹線道路から小屋の近くまでの道が規制されているため、依然としてStreet Viewでは見れないようです。(2020年9月14日)

アルマの実家のあったホーエ・ヴァルテ
マーラーと出会った頃の家、ヨーゼフ・ホフマン設計(シュタインフェルトガッセ8番地)


1908年以降転居した場所(ヴォーラーガッセ10番地)

Google Street Viewによるヴァーチャル・ツアー(9):宮廷歌劇場監督時代にマーラーが住んでいたアウエンブルグ通りの家

以前はStreet Viewが使えなかったオーストリアでも、現在は使えるようになったようなので、以前はGoogle mapの航空写真で紹介していた場所のうち、Street Viewでアクセスできるようになった場所については、改めて紹介することにしました。例えばアッター湖畔の作曲小屋は、湖畔を通る幹線道路から小屋の近くまでの道が規制されているため、依然としてStreet Viewでは見れないようです。(2020年9月14日)

宮廷歌劇場監督時代(1898/11/19~1909/10/7)にマーラーが住んでいたアウエンブルグ通り2番地のアパート (アウエンブルガ―ガッセ2番地:プレートが嵌め込まれている)

Google Street Viewによるヴァーチャル・ツアー(8):ヴェルター湖畔のマイアーニクのマーラーの別荘

 以前はStreet Viewが使えなかったオーストリアでも、現在は使えるようになったようなので、以前はGoogle mapの航空写真で紹介していた場所のうち、Street Viewでアクセスできるようになった場所については、改めて紹介することにしました。例えばアッター湖畔の作曲小屋は、湖畔を通る幹線道路から小屋の近くまでの道が規制されているため、依然としてStreet Viewでは見れないようです。(2020年9月14日)

ヴェルタ―湖畔にあるマーラーの別荘は、湖面側からの写真で有名ですが、湖畔を通る道路からも確認することができます。

道路を挟んで反対側の森の中には作曲小屋も残されていて、Street Viewでは小屋に向かう途(グスタフ・マーラー通りと名付けられています)の途中まで(駐車場まで)しか辿れませんが、Google mapで共有された写真を見ることが可能です。

2020年9月5日土曜日

「私はこの世に忘れられ」:新型コロナ禍におけるマーラー演奏について(youtubeを対象とした2020年9月2,3,5日の調査報告:2021年4月29日更新)

 新型コロナウィルス感染症の流行が始まり、日常生活が影響を被るようになってから早くも半年が経とうとしている。これまでここでも、まず3月末に、マーラー祝祭オーケストラの演奏会の延期の決定に因んだ「1892年、ハンブルクで…:マーラー祝祭オーケストラの公演延期に接して(4月1日公開)」(https://gustav-mahler-yojibee.blogspot.com/2020/04/1892.html)においてマーラーがハンブルク歌劇場時代に遭遇したコレラ禍について紹介し、その後もコンサートホールでの公演が中止を余儀なくされている状況をうけて「「リハーサルのとき私がいったすべてのことをどうぞお忘れなく!」 ーオスカー・フリートの第2交響曲の録音についての覚書(7月17日公開)」(https://gustav-mahler-yojibee.blogspot.com/2020/07/2.html)において、マーラー作品の受容の歴史を振り返り、その中に現下の状況を位置づける作業を行った。

そこでも書いたことだが、新型コロナウィルス感染症の影響が長期化した中で、無観客での演奏のオンデマンド配信の試みはあるものの、その本来の規模からすれば小編成の作品を、これまた何分の一かに絞られた聴き手の前で演奏するのがせいぜいであり、コンサートホールの性能を目一杯活用する必要のあるマーラーの交響曲のような作品の実演の再開の見通しは立っていないという状況は半年を経過してなお、変わっていないように思われる。実際、3月末に5月の公演を9月に延期することが決定されたマーラー祝祭オーケストラの演奏会は、その後更に来年の5月に再延期する決定が既に為されている。コンサートの公演というのは一度きりの実演だけの問題ではなく、プローベのスケジュール他、コンサートを成り立たせるために必要な、準備作業・後作業の全てが影響を受けることになる。この状況が続く限り、事実上マーラーの作品の実演は不可能となり、マーラーの演奏の伝統は断絶することになりかねない。

その一方で、そこではまた、フリートの録音を嚆矢とする録音による聴取が一般的になる以前にマーラーの作品へアクセスする手段であったピアノ連弾や2台ピアノ、あるいは独奏への編曲や、室内楽編成への編曲に触れ、現下の状況でマーラーの作品のオリジナルの編成での上演が事実上不可能なのであれば、せめて編曲版での演奏を、という希望を記すとともに、リュッケルト歌曲集を筆頭に、「子供の死の歌」など、管弦楽伴奏歌曲の管弦楽編成はもともと小さいから、それらと室内楽版の交響曲を組み合わせたプログラム・ビルディングの可能性についても言及したのであった。

更に伝聞したこととして、緊急事態宣言の最中において、ネットワーク上でビデオチャットのようなツールにより接続した奏者達が、その場で「合奏」が試みられたことにも触れた。以下、本稿ではこれをヴァーチャルアンサンブルによる「リモート演奏」と呼ぶことにする。ただし、ここではその定義を拡張し、その場でリアルタイムで行ったものだけではなく、編集作業によって「演奏」として完成されたものも含むことにする。この両者の間には大きな径庭が存在し、最終的な見た目だけで単純に同一視することはできないが、その一方で、いわゆるプローベに相当する準備なしの一度きりでない限り、演奏を仕上げていくプロセスや同期をとる工夫、そこだけとればマルチマイクでの録音の編集作業と似ているであろう編集のプロセスについては様々なやり方、段階が存在するものと思われる。一部は試行錯誤も含まれるであろうそうした方法論について、だがここで微細な差異を論じるだけの知識も経験も今の私にはない。したがってそうした技術的な細部は非常に重要であり、細かく論じるべきであるとは思えど、断念せざるをえず、ここでは一旦、結果から、画面がギャラリー・ビューの形態をとっていることをもってヴァーチャルアンサンブルによる「リモート演奏」と見做さざるを得ないことをお断りしておくべきだろう。

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ここでは、半年が経過しようとするこのタイミングで、実際にマーラーの作品の演奏がどのように行われたかを、youtubeにアップロードされた記録に基づき調べてみた結果を報告したい。演奏の出来は玉石混交だが、見つけることができたものは、貴重な試みを記録するという意味合いも込め、できるだけ取り上げることにした。

とはいえ断るまでもなく、あくまでの以下に報告する内容は、私が独自に自力でyoutubeのファイルを検索し、一つ一つ聴くという極めてアナログな方法で調査をした結果に過ぎず、網羅性を保証するものでは何らない。更に付け加えれば、それはあくまでもある時点―9月2日、3日、5日にそれぞれ数時間ずつ調査をした時点―での確認結果に過ぎず、特にポストコロナにおける観客を入れた演奏の再開の状況については、今後、時々刻々と新たな情報が付け加わっていくであろう。その一方で、完全に旧に復する前の過渡的な状況でどのようなアプローチが取られるかを、幾つかの先駆的な試みの映像記録を通じて確認することはできると考える。これらの点に予めご了承頂いた上で、以下の情報は自由に利用頂いて構わないし、また、新たな興味深い情報があれば、是非ともご教示頂ければ幸いである。

上記により以下のように分類して、それぞれについて調べた限りで特筆すべきと思われたものを紹介することにしたい。

A.中止を余儀なくされた重要な公演

B-1.ロックダウン期間中の無観客での演奏の記録

B-2.ロックダウン期間中のヴァーチャル・アンサンブルによる「リモート演奏」。ここでは編集作業によって「演奏」として完成されたものも含む。

B-3.「ポストコロナの演奏会」:現時点ではソーシャルディスタンスを確保するために観客数を制限するなどの制約の下ではあるが、とにかく観客を入れた形での演奏会の記録

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A.中止を余儀なくされた重要な公演

これについては、何といっても、1920年にメンゲルベルクが主催したアムステルダムのマーラー祭から数えて今年が丁度100年目のアニヴァーサリーであることから開催が予定されていた、アムステルダムでのマーラー・フェスティバルが中止となったことを取り上げるべきかと思われる。

・コンセルトヘボウのマーラー・フェスティバルの中止について

https://mahlerfoundation.org/mahler/plaatsen/netherlands/amsterdam/mahler-festival-amsterdam-2020

アムステルダムでのマーラー・フェスティバルのマーラー受容史上での重要性やメンゲルベルクの存在に述べた上で、今回が3回目であったことにも触れている。なお中止の理由を述べる際に1892年のハンブルクのコレラ禍に言及している。

・代替のオンラインコンサート(ただし過去の録音による)

https://www.concertgebouworkest.nl/en/mahler-festival-2020-online

更にこのマーラー祭に関する幾つかの動画が確認できるが、その一環として、中止になった全交響曲の演奏会の替わりに無観客のコンセルトヘボウ大ホールで演奏された室内楽や歌曲の演奏のうち、記録を私が確認できたのは以下の2つである。

・Alma Quartet & Nino Gvetadze - Empty Concertgebouw Sessions - Mahler Festival Online

https://www.youtube.com/watch?v=P1Qid2KHs14

弦楽四重奏版のアダージェット(第5交響曲第4楽章)から始まって、歌曲のピアノ独奏編曲、マーラーが学生時代に作曲したピアノ四重奏曲などが演奏されている。

・Thomas Oliemans & Hans Eijsackers - Empty Concertgebouw Sessions - Mahler Festival Online)

https://www.youtube.com/watch?v=-UVYEpFUAKY

こちらは初期の歌曲集と「子供の魔法の角笛」の中の幾つかの歌曲と「さすらう若者の歌」がピアノ伴奏で歌われている。

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B-1.ロックダウン期間中の無観客の演奏会の記録

この分類に属するものとしては、エディンバラでの音楽祭でのマーラー作品の演奏を取り上げたい。ソーシャルディスタンスに配慮したステージ配置であることが映像で確認できるだけではなく、交響曲の室内楽版と管弦楽伴奏歌曲という私が提案した組み合わせがまさに実際に実現されており、我が意を得たりというように感じた。

・My Light Shines On: Mahler Symphony No. 7 with RSNO conducted by Thomas Søndergård

https://www.youtube.com/watch?v=0jJtS-P5kFM

エディンバラでの音楽祭におけるマーラー第7交響曲の室内楽版全曲の無観客演奏。

・My Light Shines On: Mahler & Lieder with Royal Scottish National Orchestra & Karen Cargill

https://www.youtube.com/watch?v=VgWEJcCdN9c

リュッケルト歌曲集(「私は柔らかな香りをかいだ」「私の歌を覗き見しないで」「私のはこの世に忘れられ」)の無観客演奏。

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B‐2.ロックダウン期間中のヴァーチャル・アンサンブルによる「リモート演奏」の試み

集まることができない音楽家が、リモートで演奏をしたものを編集することによって作り上げた「作品」はyoutubeで夥しい数を確認することができるが、その中には、マーラーの作品を取り上げたものも含まれる。但し交響曲についてはいずれも長さにして数分の一部分にすぎず、全曲演奏は勿論、一楽章を通したものもないようだ。

しかし幸いにも、この試みにとってまさに相応しい作品であろうと思われる「私はこの世に忘れられ」(Ich bin der Welt abhanden gekommen)のリモート演奏(2020/05/15)がある。これはまた、上で触れたマーラー・フェスティバル・オンラインの一部でもあり、そのためにコンセルトヘボウとマーラー・ファウンデーションにより委嘱された演奏のようだ。そういうこともあり、まずは何をおいてもこれを最初に掲げるべきだろう。

・Mahler: I am lost to the world

https://www.youtube.com/watch?v=N0ZNQg_dzmM

そこまで深読みをした選曲とも思われないが、この歌曲は、マーラーその人とマーラーの作品が、今日置かれている「動員と熱狂」から背を向けた志向を持っていることを、この上もなく明確に告げているのであり、その意味で自明のことに思われた「動員と熱狂」がコロナ禍によって断ち切られた現時点に、これ程相応しい作品はないと言っても良い程の内容を備えた作品であることに、聴き手は改めて気づかされることになる。

上記以外の交響曲の一部の演奏の試みで、私が現時点で見つけることができたものを以下に順不同で掲げる。ニューヨーク・フィル、サンフランシスコ交響楽団、ボルティモア交響楽団のようなアメリカの団体が多く、ヨーロッパでもスペイン、アイルランド、スイス、イギリスの団体のもので、いわゆるドイツ・オーストリアのものがないのは偶然だろうか。

演奏される作品では、その作品の内容(死と復活)故か第2交響曲が圧倒的に多いようだ。第5交響曲第4楽章のアダージェットあたりは省略なしで取り上げることも可能ではいう気もするのだが、案に相違してリモート演奏の記録には巡り合えていない。中期交響曲はその複雑さ故に演奏が困難なのかも知れないが、その一方で、目下の状況が続く限り実演に接することが不可能な度合いが最も甚だしいと思われる第8交響曲が、第2部の大詰めの部分だけとはいえ百人以上の演奏者が参加したリモート演奏で取り上げられていることは特筆されるべきだろう。一方で、抜粋で更にコントラバス合奏の編曲とは言え、ロンドン・フィルのコントラバス奏者が第9交響曲の終曲のアダージョの一部を弾いているものは目下の状況を思えば、個人的に共感できる。

・NYYS Orchestra | Michael Repper, Music Director | Mahler: Symphony No. 1, Mvmnt 2

https://www.youtube.com/watch?v=ezZosUYlvMo

・MTT25 Performance Excerpt: Third Movement from Mahler 1

https://www.youtube.com/watch?v=yeuDPfqagks

・MTT25: Mahler 1 Finale

https://www.youtube.com/watch?v=mrGJSP2inSg

・Musicians of San Antonio Symphony Play On: Mahler 2

https://www.youtube.com/watch?v=Tsxl7PJSd64

・Mahler - Symphony No. 2, Finale - Virtual Performance

https://www.youtube.com/watch?v=JwNqqbXfztI

・Gustav Mahler Symphony No.2 Finale

https://www.youtube.com/watch?v=9CMRpVArFw4

・Mahler’s Second Symphony with Garanca, Chichon and the Gran Canaria Philharmonic on Easter Sunday

https://www.youtube.com/watch?v=8UyvnRG787Y

・Mahler 2 - Low Brass chorale - Finale (Ft. Jay Friedman)

https://www.youtube.com/watch?v=pXeCPSaEFko

・Gustav Mahler - Sinfonia n.2, Auferstehung "Resurrezione" - Estratto dal quinto movimento.

https://www.youtube.com/watch?v=gEol6A-33xY

・Mahler Symphony No. 2, Fifth Movement: Brass Chorale

https://www.youtube.com/watch?v=h8uzgmAs47w

・Folsom Lake Symphony at Home Series - Brass Chorale from Mahler Symphony No. 2, Fifth Movement

https://www.youtube.com/watch?v=avT_-rWIj8Q

・Mahler 2 Brass Chorale

https://www.youtube.com/watch?v=C5N5ky9vB7s

・BSO Virtually Performs Powerful Ending of Mahler's Third Symphony

https://www.youtube.com/watch?v=YOy_JkmGX6s

・Audentia Virtual Ensemble - Mahler 8 "Symphony of a Thousand"

https://www.youtube.com/watch?v=iv7-XeYYZbY

・London City Orchestra - Mahler 4 lockdown

https://www.youtube.com/watch?v=i3LtoVIBJcE

・LGSO@Home, Lake Geneva Symphony Orchestra, Mahler 4 Virtual Orchestra

https://www.youtube.com/watch?v=3o89qJVY-S0

・Mahler 9 – Adagio – Double Basses of the London Philharmonic Orchestra

https://www.youtube.com/watch?v=GUjaV1GSNWk

[追記]

・Exploring the Themes of Mahler's Symphony No. 9(Colorado Symphony)

https://www.youtube.com/watch?v=Hgz3SdQzbQg

これはマーラーの作品の演奏の記録自体が目的であるというより、或る種のプレゼンテーションの中に第9交響曲の一部の演奏が含まれるといった体裁のもの。厳密には映像の作成日時は不明だが、演奏がヴァーチャル・アンサンブルであることは恐らくは新型コロナ禍の影響と思われることと、所詮は「摘まみ食い」であるにしても、比較的演奏時間が長いという理由によって、ここに含めることにする。

最後にイギリスのマーラー協会がロックダウンの最中の4月に行った「デジタル・リサイタル」の模様を5月2日に公開しているのを紹介して追記を終えたい。曲目はピアノ伴奏での『さすらう若者の歌』『リュッケルト歌曲集』。2曲の間に『花の章』、そして最後に『アダージェット(第5交響曲第4楽章)』というプログラム。ロンドンを南北に挟む位置関係(車で2時間程の距離)にあるヒッチンとクロイドンで別々に収録されたものとのこと。

・Full Digital Recital for the Mahler Society UK

https://www.youtube.com/watch?v=XXoVW_CFgbA

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B-3.「ポストコロナの演奏会」の記録 

この文章の執筆を開始した時には確認できなかったが、まさに執筆中の2020年9月5日に公開された、スペインのバレンシア州アリカンテ県のマリオーラ山地の麓の街ボカイレントで8月22日に行われた観客を入れてのコンサートでの第1交響曲の室内楽版の演奏記録に接することができた。

演奏会場は教会であり、客席はマスク着用でソーシャルディスタンスにも配慮されている一方で、演奏者の方は、最初に指揮者が登場する時にはマスクをしているものの演奏前には外してしまうし、楽器奏者はノーマスクである。なお目下のところスペインに出かけることはできないだろうが、今日であればGoogle Street Viewでヴァーチャルに街を訪れることは不可能ではなく、私も訪れたことのないこの街に、郊外の道路から橋を渡ってアプローチし、旧市街の中心の広場を訪れ、そこから街の外周を巡ってみたりして、街の雰囲気を多少なりとも感じ取ってみたりしてみた。ただしGoogle Street Viewによる演奏会場の教会(Parroquia De La Asunción De Nuestra Señora:聖母被昇天教会)の近くの街の中心部の画像は2016年7月に収録されたもののようであるが。

なお、この演奏で用いられている室外楽版は、他で一般に用いられているKlaus Simonのものではなく、演奏の指揮をしているJaume Santonjaによるものとのことである。教会の豊かな残響は、ソーシャルディスタンスに配慮して舞台一杯に広がった室内管弦楽の配置や、こちらもまた、まばらとまでは言えないが、一列に2名程度の着席に制限された客席にも関わらず、響きを充実したものとしているように感じられる。

・Gustav Mahler: Symphony No.1 [ensemble version J.Santonja] - AbbatiaViva music collective

https://www.youtube.com/watch?v=RDm0O2UFUbg

Bocairent (Spain) August 22nd, 2020. 


[追記]

その後調べてみると、上記に先立って7月9日にLa Cité de Nantes(La Cité des Congrès de Nantes:フランスのロワール川河畔の都市ナントの中心にある展示貿易センター)で行われたペイ・ド・ラ・ロワール国立管弦楽団による第4交響曲のコンサートの録音が、2020月7月17日に公開されていることに気付いたので、追記しておくことにする。こちらは最近しばしば採用されるKlaus Simonによる室内管弦楽版による演奏である。客席ではマスクが着用されていることがうかがえる。

・La 4e Symphonie de Mahler (version Klaus Simon) par l'Orchestre National des Pays de la Loire

https://www.youtube.com/watch?v=nNyOGYhTrlQ

Le jeudi 9 juillet 2020 à La Cité de Nantes, l'orchestre National des Pays de la Loire enregistrait la 4e Symphonie de Mahler en version pour orchestre de chambre. Dirigé par Pascal Rophé, ce concert a été retransmis en direct sur notre page Facebook. La soprano Carolyn Sampson accompagne l'orchestre dans cette oeuvre intime et émouvante.

更に室内管弦楽編曲ではない、フル編成でのコンサートの記録を2つ確認した。客席の方は人数制限があり、マスク着用が義務付けられているように見えるが、舞台の上は通常と何ら変わらない。一方は合唱を伴う第2交響曲であることにも驚かされる。

・Siam Sinfonietta plays Mahler 7(2020年8月19日の演奏会)

(https://www.youtube.com/watch?v=a4U5Z7XrV4w)

・MAHLER Symphony No. 2 by Shanghai Philharmonic Orchestra & ZHANG Yi(2020年8月30日の演奏会)

(https://www.youtube.com/watch?v=yZtoJTzfYwY)

前者はマーラー作品のタイ初演を数年にわたり次々と行ってきたサヤーム・フィルハーモニック管弦楽団の創設者であるソムトウ・スチャリトクルが率いるユース・オーケストラの演奏であり、後者はシーズンのオープニング・コンサートとのこと。欧米では最も規制が緩いと言われるスウェーデンにおいてすら、ノルシェーピング交響楽団のオープニング・コンサートが無観客であることを知ると、彼我の差には些かの驚きを禁じ得ない。

・Säsongspremiär: Mahler och Beethoven med Steffens och Mattei(2020年9月4日のの演奏会。マーラーの『子供の死の歌』が最初に演奏された。)

(https://www.youtube.com/watch?v=HdYEqkxwWSg)

だが、いずれにしても、公開の演奏会における通常編成での交響曲演奏が確認できたことから、最早これ以上の調査は蛇足であろう。

なおyoutubeでは公開されていないが、実は日本国内でも、沼尻竜典さん指揮する京都市交響楽団が、去る2020年8月23日にびわ湖ホールで第4交響曲の公開の演奏会を実施しているはずである。これは両者によるマーラー・ツィクルスの初回で、もともとは第10交響曲のアダージョと第1交響曲というプログラムであったものを、曲目変更したとの由。

(https://www.biwako-hall.or.jp/performance/2020/03/13/post-919.html)

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ここまでマーラーについての調査結果を報告してきたが、実は思いつくところがあって、この作業に先立ち、マーラー以外の作曲者のある作品についての調査をまず行ったのが、本稿の調査を行うきっかけとなったというのが事実であるので、最後にマーラーからは離れるが、その点について触れて報告を終えたい。

実は私見では、コロナ禍における演奏において、いわゆる「アイコン」のような存在となっている作品としては、マーラーのどんな作品にも優って、シュトラウスが1945年に作曲した23の独奏弦楽器のための習作「メタモルフォーゼン」にこそまず最初に指を屈するべきであろうと思う。そして実際、マーラーの作品に先立って、「メタモルフォーゼン」がどのように取り上げられているかを調べる作業を行い、その結果をうけて、「そういえばマーラーはどうだろう」と思ってここで報告した調査に着手したのであった。

戦争と疫病という違いはあるが、第二次世界大戦の末期、ドイツやオーストリアの劇場が爆撃により徹底的に破壊されて閉鎖され、音楽活動が不可能になるという事態に接し、自分がその伝統の中で生き、その中で人生を歩んできた音楽の伝統の破壊と断絶に、観念の裡にであったり、比喩としてであったりではなく、現実として直面せざるを得なかった80歳を過ぎた最晩年のシュトラウスが、まさに音楽活動の死を追悼するという思いを込めて、1945年3月13日に疎開先であったガルミッシュ・パルテンキルヒェンで着手し、4月12日に完成した作品こそ「メタモルフォーゼン」であった。自作の回想だけではなく、ベートーヴェンの英雄交響曲の葬送行進曲が参照されていることでも有名なこの作品程、目下、音楽が置かれた状況に相応しいものはないのではなかろうか。

果せるかな「メタモルフォーゼン」には、B-1.ロックダウン期間中の無観客演奏の記録は勿論、B-2.ヴァーチャルアンサンブルによる「リモート演奏」の記録のいずれについても全曲版が存在する。

・B-1.ロックダウン期間中の無観客演奏:Metamorphosen - 2020 Found Season

https://www.youtube.com/watch?v=QlWO3FfaRmo

2020年6月7日、イギリスでのロックダウン後初のオーケストラコンサートと銘打って「メタモルフォーゼン」が取り上げられている。ここでは奏者が舞台上一杯に広がって、間隔をとっていることのみならず、客席に背を向けて演奏しているのが印象的で、カメラワークも通常の演奏会の中継とは異なったものとなっている。なお、これ以外にも、例えば6月6日のケント・ナガノとフランス放送フィルの演奏の記録も確認できるが、こちらは通常の演奏会の中継に近い雰囲気の映像である。演奏はこちらも同様に素晴らしく感動的なもので、わずか1日違いというのは偶然であろうが、いずれについても背後にある状況に思いを致さずにはいられない。

Richard Strauss : Métamorphoses

https://www.youtube.com/watch?v=giB-5PzFbnU

・B-2.「リモート演奏」の記録:R.Strauss : Metamorphosen / by remote ensemble

https://www.youtube.com/watch?v=RkqznP-45Nw

30分近い長さを思えば「リモート演奏」で全曲を作り上げたこと自体、驚嘆に値するが、そればかりではなく、単にやってみましたというに留まらない素晴らしい「演奏」を、指揮者の熊倉優さんをはじめとする24人の日本人の演奏家達が成し遂げたことは大いに注目されて良いことのように思われる。またこの作品が、通常の管弦楽のように弦楽五部の合奏ではなく、23人の独奏弦楽器奏者(10本のヴァイオリン、5本のヴィオラ、5本のチェロ、3本のコントラバス)のために書かれた作品であることは、一人一人がリモートで演奏したものを編み合わせるという方法に相応しいものであることも指摘しておきたい。

そしてB-3.「ポストコロナの演奏会」での演奏の記録もまた当然に存在する。ベルリンのすぐ隣、ブランデンブルク州ポツダムの救世主教会で6月11日、12日に行われたロックダウン後初めての再開コンサートの記録は圧倒的で言葉を喪う。そしてここで取り上げられているのもまた「メタモルフォーゼン」である。実は私が偶々最初に見つけたのはこの演奏会の記録であった。

ポツダムの教会でのコンサートの様子を伝える録画は2種類あって、1つ目はオーケストラでコントラバスを担当し、当日の演奏にも参加されているToru Takahashiさんによる録画である。

・B-3.「ポストコロナの演奏会」の記録:Metamorphosen NKOP(Toru Takahashi)

NKOP Erster Live-Konzert in Berlin-Brandenburg nach Corona-Pandemie in der Erlöserkirche in Potsdam Mitschnitt am 12.6.2020 mit Zoom Q4 

https://www.youtube.com/watch?v=bX0GQyIFeFs

ご覧になってわかる通り、客席の観客は疎ら、チェロ奏者の一人はマスクをしているし、他の奏者の譜面台にもマスクがかけられているのを確認することができる。だが、私があれこれ贅言を尽くすよりも、端的に、映像につけられたToru Takahashiさんの文章をそのまま引用させて頂くことの方が適切に思われる。

「ベルリンも緩和は進んでおりますが、コンサート禁止はまだ続きそうです。

が、お隣のポツダムはブランデンブルク州、600席ある教会に75人で満員の条件ではありますが、木曜日と金曜日、ベルリン・ブランデンブルクで初めての再開コンサートが許可され、行いました。

3か月振りのオーケストラリハーサル、本番は、やはり特別でありました。

初日はプロが収録し近々に公開される予定ですが、私が録画しました2日目、昨夜のコンサートをお届けいたします。

編集・調整無しでライブコンサートの雰囲気、演奏を禁止されてました音楽家の様々な想いをどうぞ!」(Toru Takahashi)

2つ目がいわばオフィシャルな録画のようである。こちらは1日目6月11日の演奏の記録とのこと。(同じ内容のファイルが、オーケストラからと教会からとそれぞれ公開されているようだ。一つ目がオーケストラが投稿したもの、二つ目が教会が投稿したものである。)

・1. Nach-Corona-Konzert in Potsdam (Richard Strauss: »Metamorphosen«)(Neues Kammerorchester Potsdam)

Die »Metamorphosen für 23 Solostreicher« sind eine Komposition von Richard Strauss, die er am 13. März 1945 begann und am 12. April in Garmisch-Partenkirchen beendete. Das etwa halbstündige Solostück für Streichinstrumente ist sein letztes großes Orchesterwerk und wurde am 25. Januar 1946 in Zürich unter der Leitung des Widmungsträgers Paul Sacher uraufgeführt.

https://www.youtube.com/watch?v=D1Y-xnRS0r0

・Richard Strauss »Metamorphosen« NKOP(Erlöserkirche Potsdam) 

11. Juni 2020 Erlöserkirche Potsdam

Neues Kammerorchester Potsdam - 4. Sinfoniekonzert(e) der Saison 2019/2020 «ALTE NEUE≫

https://www.youtube.com/watch?v=1FtsFly8dMU

マーラーの場合と同様に、ここでも教会が会場として選ばれていることの意味を改めて確認すべきだろう。これは京都大学人文科学研究所の岡田暁生先生にご教示頂いたことだが、教会こそは近代的なコンサートホールのいわば原型なのだ。響きは豊かで深く、教会の内部の空間を充たしている。IN MEMORIAMとシュトラウス自身が自筆譜に書き込んだ作品末尾のあの「英雄」の葬送行進曲の引用の旋律が、これほど鮮明に心に迫り、胸を衝く演奏を私は知らない。

またオーケストラのファイルのサムネイルには、「メタモルフォーゼン」の着想の由来と思われるゲーテの動植物の変態(Metamoophosen)を示唆する蝶が蛹から脱皮する過程を示す画像が含まれていて、これもまた示唆に富んでいる。シュトラウスがなぜ「音楽の死」を追悼する音楽を、独奏楽器群による「変容」形式の作品としたのか、その意味合いを、75年後のコロナ禍の中で改めて考えてみるべきなのではなかろうか。

更に上記以外にも、チロル交響楽団の奏者が、コロナ禍での長い中断の後に室内楽コンサートを再開するに当たり、「メタモルフォーゼン」の弦楽七重奏版を演奏した映像も確認できている。

・Wir spielen wieder: R. Strauss Metamorphosen(Tiroler Landestheater)

Mit viel Freude, frischem Wind und dem nötigen Abstand starten die Mitglieder des Tiroler Symphonieorchesters in unterschiedlichsten Formationen in die ersten Kammerkonzerte nach der langen Corona-Zwangspause. 

Richard Strauss: Metamorphosen – Fassung für Streichseptett von Rudi Leopold

https://www.youtube.com/watch?v=YhogyYKv9V0) 

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「メタモルフォーゼン」を巡る上記のような状況を思えばマーラーの「復活」は、今、部分的にリモート演奏で取り上げられるのもわからなくはないものの、やはりそれよりは寧ろ、「里帰り」したワルターが指揮した1948年のウィーンでのあの歴史的演奏会のように、将来、コロナ禍が克服された時に、フル編成で、全曲を演奏することにこそ相応しい作品ではないかと思えてならない。だがそれにも増して―これもまた岡田先生に教えて頂いたことだが―シュトラウスの「メタモルフォーゼン」の「変容」の原理は、マーラーの特に晩年の作品―上記の調査報告の中で私が共感を覚えた第9交響曲の終曲のアダージョがまさに該当する―の構成原理でもあることに留意すべきであろう。それはまたアドルノばモノグラフ等で指摘する「変形の技法」の到達点でもある。このことは決して偶然とは思われない。私は別のところで、経験不可能な超越論的な時間というものはなく、常に主体の構造や体験の内容に相関的なものと捉える立場から、音楽を、そうした主体の構造や体験の内容に相関した時間の「感じ」(feeling)についてのシミュレータであると捉え、音楽の構造に「感じ」を引き起こすシステムの構造のある部分がマップされていると考えるアプローチについてメモを記したことがあるが(山崎与次兵衛アーカイブ:三輪眞弘の2019年9月1日の記事「「時の逆流」および時間の「感受」のシミュレータとしての「音楽」に関するメモ」(https://masahiromiwa-yojibee.blogspot.com/2019/09/blog-post.html))、その立場を踏まえれば、死に瀕した主体が、比喩としてではななく、文字通り「死を通過して生き延びていく」ための深い知恵のようなものがそこには秘められているのであり、我々は今こそ、マーラーやシュトラウスが晩年に到達した地点で語ろうとしたことに耳を傾けなければならないのではなかろうかという思いを強くするのである。この点について貴重な示唆をはじめ、特に「メタモルフォーゼン」の演奏記録について鋭く的確なご指摘を数多く頂き、その見方をご教示頂いた岡田先生への御礼をもって、この文章の結びとしたい。実際「メタモルフォーゼン」に関しては、例外的にこの作品には親しんできたとはいえ、シュトラウスについて常にはマーラーを介してしか接して来なかった私の理解には限界があり、その演奏の映像記録に関する上記のコメントの多くが岡田先生の示唆に基づくものであることを、感謝の気持ちとともにここに特記させて頂く次第である。(2020.9.5初稿、9.6加筆, 9.9追記,9.11追記, 2021年4月29日、ソムトウ・スチャリトクル、サヤーム・フィルハーモニック管弦楽団、サヤーム・ユースオーケストラについての記述を訂正。)

2020年7月17日金曜日

「リハーサルのとき私がいったすべてのことをどうぞお忘れなく!」 ーオスカー・フリートの第2交響曲の録音についての覚書

Als Oskar Fried um 1906 in Berlin Mahlers Zweite Sinfonie aufführte, war Mahler bei der Generalprobe anwesend. Er saß in Parkett. Fried hatte drei Werke auf den Programm : eine Kantate von Max Reger, Orchesterlieder von Franz Liszt und eben die Zweite Sinfonie. Da Fried sich viel zu lange bei der Reger-Kantate aufgehalten hatte, war er erst beim zweiten Satz der Mahler-Sinfonie angelangt, als die dreistündige Probe schon beendet war. Als er hörte, daß er aufhören müsse, geriet er in einen furchterlichen Zorn, packte einen ihm mit aller Kraft ins Publikum. (Er ist ein Zufall, daß niemand verletzt wurde.) Mahler blieb ganz ruhig und gelassen, nahm Fried mit in sein Hotel und besprach dort alles mit ihm.
Am nächsten Abend ging Fried vor Anfang des Konzertes zu den Orchestermusikern und sagte zu ihnen : "Meine Herrn, es war alles falsch, was ich gemacht und probiert habe. Ich werde heute abend ganz andere Tempi nehmen, bitte gehen Sie mit mir." Nicht nur die Philharmoniker gingen mit Fried, sondern auch das Publikum. Es wurde ein ganz großer Erfolg. Wie hätten sich andere Komponisten verhalten : Sie hätten wohl gelogen und gesagt:"So habe ich mein Werk noch nie gehört." Mahlers Haltung war gerade entgegengesetzt, er sagte dir Wahlheit, nicht die Unwahrheit. Er fand es schlecht, aber er wußte, daß es mit seiner Belehrung gut werden konnte, und so wurde es auch.
(aus : Otto Klemperer, Erinnerungen an Gustav Mahler, Atlantis Verlag, 1960, SS.15-16)

オスカー・フリートが、1906年ベルリンでマーラーの《第2交響曲》を指揮したとき、マーラーはその総練習に立会い、前方の特別観覧席に坐っていた。フリートのプログラムは、マクス・レーガーのカンタータ、フランツ・リストのオーケストラ伴奏付歌曲、そしてマーラーの《第2交響曲》と、3つの作品からなっていた。フリートは、レーガーのカンタータに時間をかけすぎ、三時間と定められたリハーサルが終っても、まだ《第2交響曲》の第2楽章にたどりついただけであった。中止するように言われると、彼は激怒して手近の椅子を掴み、渾身の力で観客席に投げつけた(幸い怪我人は出なかったけれども)。マーラーこのとき少しも騒がず、フリートをホテルまで連れ戻し、彼と作品全体について論じあった。
 翌日の晩、コンサートに先立って、フリートはオーケストラの団員たちにこう告げた―「諸君、リハーサルで私がやったことは、全部間違っていた。今晩私はまったく別のテンポを使うことになるだろう。どうか私に従っていただきたい。」 オーケストラだけでなく、聴衆も彼の要求を充たした。つまり《第2交響曲》を大成功とみなしたのである。他の作曲家だったら、まず言葉をにごして、自分の作品がそんな風に演奏されるのは聴いたこともない、と言うところだった。マーラーの態度はその正反対で、むしろ真実を語ろうとしたのである。彼はフリートの解釈が間違っているのに気付いた。しかし自分が導いてやれば、その解釈も正しくなることを知っていた―そして実際に正しくなったのだ。
(オットー・クレンペラー『グスタフ・マーラーの思い出』河野徹訳、『音楽の手帖』, 青土社, 1980所収, p.67より)

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オスカー・フリートはマーラーとの関わりにおいては、1924年に22枚組のSPレコードとしてリリースされた第2交響曲の演奏の指揮者としてまず記憶されているのではなかろうか。この録音は、第2交響曲のそれとしてだけではなく、マーラーの交響曲の初めての全曲録音であり、かつ、マイクロフォンを用いた「電気録音」技術が登場する前夜の、所謂「アコースティック録音」と呼ばれる録音技術を用いての収録としては最後期の成果として著名なようだ。フリートはマーラーの第2交響曲だけに限らず、例えばブルックナーの第7交響曲やシュトラウスのアルプス交響曲のような、管弦楽作品としても極めて編成が大きく、演奏時間の長い作品の録音をアコースティック録音の末期にしており、その後すぐに電気録音が始まる直前の録音の記録として異彩を放っており、また貴重なものでもある。

マーラーの作品の演奏者として、フリートはメンゲルベルクやワルター、クレンペラーと並び称される存在だが、この4人のうち、フリートとメンゲルベルクは、理由は違えど第二次世界大戦後には活動しなかった。結果として、ワルター、クレンペラーがその後、ステレオ録音が始まる時期まで演奏活動を続け、歴史的録音という枠を超えて、マーラー直伝の指揮者による演奏記録として、マーラーの録音の標準的なレバートリーの一翼を今なお占めているのと比較すると、フリートとメンゲルベルクの方は、マーラーの交響曲全曲の録音として残っているのはそれぞれ1種類ずつに過ぎず、歴史的な価値の文脈で語られることの方が多いように思われる。だが更に言えば、メンゲルベルクについてはマーラーが高く評価し、信頼していたことが良く知られ、従って当否は措くとしても、マーラー自身の演奏スタイルをその録音記録を介して想像するといったことがしばしば行われている。これも良く知られているようにワルターとクレンペラーが、その長いキャリアの中で、当然のこととして演奏様式を変化させていることや、それぞれの音楽家としての個性の違いもあってか、彼らの演奏をして、マーラー自身の演奏を彷彿とさせるものといった捉えられ方をすることがないことの裏返しとして、メンゲルベルクの演奏は、マーラー直伝の中でも、記録の乏しさを超えて第一人者の地位を占めるものと一般に了解されているように見えるのである。それに比べるとフリートの録音の置かれた立場は、あくまでも録音のテクノロジーの歴史という文脈での記録といった扱われ方が多く、その演奏解釈自体の評価の方は些か影が薄いように見える。その傍証というわけでもないが、例えばマーラーに関するムックの一つである『マーラーのすべて』(音楽之友社, 1987)所収の「指揮者・歌手たちにみるマーラー像」の中においても、ワルター、クレンペラーは当然として、メンゲルベルクの名前はあってもフリートの名前は見いだせない。

だがそれもフリートが遺した録音が、上述のようにアコースティック録音であるが故に音質等の制限が大きく、その後の電気録音の時代の録音と同列に論じることができないことを考えれば、仕方のない部分もあるのだろう。更に言えば、第2交響曲はその編成の大きさや演奏時間の長さにも関わらず、比較的初期の時期にあっても録音に恵まれた作品であり、早くも1936年にはユージン・オーマンディが指揮したミネアポリス交響楽団による演奏の録音がリリースされている。これは電気録音による最初期のレコードということになるが、アコースティック録音と比較しての録音技術の違いによる音質の向上は著しく、このような大曲としては例外的なことにSPレコードの初期の時代、他の作品の全曲録音がまだようやく出始めたばかりの時期に、既に聴き比べができる状況にあったにも関わらず、すぐにオーマンディの演奏が専ら選択されるようになっていたという回想を、平林直哉さんが「マーラー主要作品全録音データ集」という記事に書いている(レコード芸術編『コンプリート・ディスコグラフィー・オブ・グスタフ・マーラー』(音楽之友社, 2010 所収, p.109)。ちなみに柴田南雄さんはこのオーマンディの演奏について、「もちろん当時としては唯一のレコードだったが印象に残る演奏ではなかった。」(柴田南雄『グスタフ・マーラー』, はじめに―われわれとマーラー, 岩波新書版ではp.21-2)と回想しており、ワルターの1936年の「大地の歌」、1938年の「第9交響曲」というマーラーの演奏史上の画期となった2つのレコードと並んで、当時聴くことのできたマーラーの交響曲作品の全曲録音の一つとして紹介している一方で、フリートの演奏の録音についての言及は全くない。柴田さんの言及されている時期の日本国内のSPレコードのカタログには既に記載されていなかったということだろうか?この辺りの状況は、当時の資料で確認ができるのであろうが、現時点での私は詳らかにしないし、それを調べるだけの余裕もない。識者のご教示を仰ぎたく思う。)

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そうしたマーラーの交響曲の録音の黎明期に関する資料の中でも、上に引用したクレンペラーの回想は、フリートの第2交響曲の録音が、いわば「直伝」であることの証拠として、必ずと言って良い程言及されるものであるようだ。何しろクレンペラーは、―これは上記とは別の回想で語っていることであるが―、上の回想で言及されているコンサートにおいて、終楽章のオフステージのバンダの指揮を担当しており、それゆえその回想は当事者の証言といった性質を備えているからである。(ちなみに、そちらの1961年の回想は、ライナー・ヴンダーリッヒ編の『マーラー論集』(1966)所収で、邦訳は酒田健一編・訳『マーラー頌』(白水社, 1980)で読むことができる。)なお、クレンペラーはいずれの回想においても、自分がバンダの指揮を担当したコンサートを1906年のこととしているが、これは1905~6年のシーズンという意味であって、正確な日付は1905年の11月8日のことであった。従って、以下では単純な暦上の日付を優先して、1905年と書かせて頂くことを予め御了承頂きたい。

フリートとマーラーとの交流については、それぞれマーラーについての初期の基本文献であるモノグラフの著者でもあるパウル・シュテファンとパウル・ベッカーが、いずれも短いものではあるが、フリート自身を主題としたモノグラフを上梓しており、そうした文献に遺されたフリート自身の回想からも窺うことができるし、また例えば、これもまた上記『マーラー頌』に収録されている、デチャイの回想に出て来るドロミテでのエピソードに登場する「彼(=マーラー:引用者注)がひじょうに高く買っていたあるベルリンの音楽家」というのはフリートのことらしく、ド・ラ・グランジュの浩瀚なマーラー伝でもフリートの名前は最初に彼等が出遭った1905年以降、頻繁に登場するのが確認でき、特にクレンペラーが回想する第2交響曲の演奏のみならず、中期の交響曲も積極的に取り上げていたことがわかる。(なお、パウル・シュテファンとパウル・ベッカーのモノグラフというのは、それぞれ、Paul Stefan, Oskar Fried Das Wenden eines Künstlers, Erich Reiss Verlag, 1911およびPaul Bekker, Oskar Fried Sein Weden und Schaffen, Harmonie Verlag, 1907のことであり、何れも現在はWeb上でpdf等のフォーマットで読むことができる。)

にも関わらずフリートの影が薄いのは、一つにはアルマの回想における描写のされ方の影響があるのではなかろうか。明らかにアルマはフリートを評価しておらず、その評価が、マーラー自身も含めた夫婦共通の招かれざる客というような、フリートが登場するエピソードでの描写におけるバイアスとして、かなり露骨に表れていることが読み取れる。しかしながらアルマの主観はともかく、マーラーがフリートを高く評価していたことは、例えば上で参照したデチャイの証言などからしても間違いないだろう(あえてデチャイが匿名にした理由は判然としないが、匿名にしておいた上での形容であることを考慮すれば、デチャイがマーラーから直接そうした評価を耳にしていたか、或いは少なくともデチャイが信頼する筋からの伝聞として、つまりマーラーの周辺の人々の了解であったと考えてもよさそうに思える)。一方クレンペラーの回想は、フリートが少なくともリハーサルにおいてはマーラー自身が是としない解釈を行っていたことを証言しており、そこにフリートの能力に対する留保を読み取る向きもあるかも知れないが、クレンペラーの回想を信じる限り、フリートはマーラーの意見を受け止め、ぶっつけ本番で違った解釈での演奏を実現するだけの能力があったのは確かなことのようである。

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その上で、冒頭に引用したクレンペラーの回想の後半部分のマーラーの行動に関するコメントについては、若干の文脈の補完をする必要を感じる。というのも40年前にこのクレンペラーの回想を読んだ私は、当然そうした文脈を知る由もなく、些か短絡的にマーラーの取った行動を受け止めてしまったからである。後述のように、文脈が追加されることでここでのクレンペラーのコメントが無効となるわけではないにせよ、それを知っていると知らないとでは、マーラーがどのような人物であったかについての了解について少なからぬ違いが生じると思われると私は考える。

そしてその文脈を証言する資料はと言えば、ヘルタ・ブラウコップフ編『グスタフ・マーラー 隠されていた手紙』(Herta Blaukopf (hrsg.), Gustav Mahler : unbekannte Briefe, Paul Zsolnay, 1983)所収のフリート宛のマーラー自身の書簡であり、極めて信頼性の高いものなのだ。ルドルフ・シュテファンの解説が付されたフリート宛書簡は12通収録されている。末尾にはマーラーの没後間もなくに書かれたフリートによるマーラー追悼のオマージュ(1911年6月1日の『パン』誌第1年第15号所収)が付けられており、マーラーとフリートの間の繋がりの強さを窺わせるものになっている(邦訳は中河原理訳、音楽之友社、1988年刊)。そしてその書簡のうち最初の6通は、まさにクレンペラーの回想するコンサートに直接関わるものだし、7通目もまたその公演からしばらく後、演奏会の成功の余韻を伝える内容のものである。

この書簡群からわかることは、ベルリンでの第2交響曲の演奏は、マーラー自身が強く望み、そのタクトを託す存在として自らフリートを選び、公演に向けてマーラー自身が強くコミットしたものであるという事実である。バウアー=レヒナーの回想を紐解けば直ちに読み取れることであるが、作曲家マーラーは、特にその若き日々において、自分の作品を公演に漕ぎ付けるためにその費用を実質的に自費で負担するなどの大きな苦労を重ねてきた。1905年といえば5月には第5交響曲の初演を自分自身の指揮で行い、そしてまさにフリート宛の4番目の書簡でマーラー自身がフリートに報告している通り、第7交響曲を完成させた時期にあたるが、この時期においてもマーラーは、自分の作品を上演するにあたって追加リハーサルのための費用を捻出してさえいることが書簡から読み取れるのである。

そうしたことを背景としてクレンペラーの回想におけるマーラーのフリートに対する態度や行動を改めて見直してみれば、中立的な立場で自作の解釈に対して歯に衣着せずに物申す作曲家の姿ではなく、自分の作品を自分の意図通りに世の中に送り出すことに対して労力を厭わない作曲家の姿が浮かび上がって来るように私には感じられる。少なくともマーラーは、フリートの解釈が妥当でないことを認識した時においてさえ、それ故にフリートの能力に疑問を抱いたり、自分の目標の達成に向けての信頼できるパートナーとしてフリートを見ることを止めたりはしなかった。クレンペラーの「自分が導いてやれば、その解釈も正しくなることを知っていた」というのは、そのように読むべきだと思うのである。そして演奏会はクレンペラーが報告する通りの大成功であった。マーラー自身もまた演奏会当日の演奏の出来に満足していたことは演奏会後の書簡の文面からはっきりと読み取ることができる。

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ところで、その演奏会後の書簡の末尾でマーラーは「リハーサルのとき私がいったすべてのことをどうぞお忘れなく!( Bitte, erinnern Sie sich während der Probe nur recht oft an Alles, was ich Ihnen gesagt! 」(個人的には細部において必ずしも異論なしとはしないけれど、ここでは一旦訳は中川原理さんのものを用いることにする)と記している。それではそれから20年近い歳月を隔て、マーラー自身が没した後に訪れた第2交響曲の録音の機会に際して、フリートはマーラーの助言に忠実だったのだろうか?勿論、1905年のコンサートの録音記録があって比較ができるわけではないから、事実に即してそれを判断することはできない。だがその録音からも更に100年近い歳月を隔て、SPレコードから起こしてCDに記録されたその演奏に接する、縁も所縁もない聴き手たる私が感じ取った印象に即して言えば、ここでフリートは、マーラーの助言に対して技術的な限界の範囲内で許容される限りにおいて忠実であろうとしたのではという気がするのである。

例えば田代櫂さんのマーラー伝では、フリートとの1905年の出逢いについて触れたところで後年のこの録音について言及し、「演奏も録音もむろん貧しいが、最初期のマーラーの解釈のドキュメントとして興味深い。」(田代櫂『グスタフ・マーラー 開かれた耳、閉ざされた地平』,p.258)とコメントされているが、このうち録音の貧しさの方は、アコースティック録音の技術上の制約に起因するものとして了解できるにせよ、演奏の貧しさの方については、それが何を指しているのか判然としないように私には思われる。仮にそれが異常な編成とか楽器法の変更といったことに由来するものだとすれば、実際にはそれは寧ろアコースティック録音の技術上の条件に由来するものであり、本来的な演奏技術の欠如や演奏解釈の貧しさではない筈である。そうではなくて、それがフリートの解釈とオーケストラの技術を指しての評言なのだとしたら、私は必ずしもその見解に与しないということである。

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ところでトーマス・マンの『魔の山』には、当時最新のテクノロジーであった蓄音機で音楽を聴く場面が、その長大な作品の末尾近く、これまた当時流行した降霊会の場面のいわば伏線のような形で挿入されている(第7章の最後から4つ目の節、高橋義孝訳では「妙音の饗宴」と訳されている箇所)が、そこで登場するレコードは、時代設定からは確実にアコースティック録音の時代と考えられるし、執筆時期からも電気録音より前であることは確実であろう(『魔の山』の出版は1925年。舞台設定は第1次世界大戦前のサナトリウムである)。そこで紹介されるレパートリーは声楽曲がほとんどで、管弦楽曲は「牧神の午後への前奏曲」くらいというのも、アコースティック録音における曲目選択の傾向に合致している。その周波数特性の音域の制約から、辛うじてそれらしく聴こえるのがまず人間の声だということで、アコースティック録音の時代のレパートリーの中心は声楽曲であったようで、管弦楽の演奏の録音に関しては、『魔の山』にも登場する「牧神の午後への前奏曲」のような小編成のものから徐々に試みられるようになるものの、大規模な作品になると、丁度『魔の山』の出版時期と重なるアコースティック録音時代も末期に近づいてから、ようやく録音が試みられるようになるのである。そして試みられるようになったとは言え、技術上の制約から、ダイナミクスの幅が取れず、バランスも人工的で、弦楽器のプルト数は限られるなど、通常のコンサートホールでの演奏とは全く異なる条件での演奏を余儀なくされたことは、収録の様子を記録した文章からも、残された録音からも窺い知ることができる。

ことマーラーの作品に関して言えば、頻繁に用いられる各種の打楽器は、アコースティック録音が、その記録装置の機構上、特に苦手とするものだったようだ。とりわけてもアタックが強く、波形の振幅が大きい打楽器は録音装置の材質といった物理的条件からも敬遠されたようだが、フリートの第2交響曲の場合では、タムタムやシンバルはしばしば省略されるか、トライアングルやルーテ同様、本来とはやや異なった音色で代替されているように聴こえる一方で、ティンパニはダイナミクスの制限を措けば比較的はっきりと収録されており、低弦の音もしっかりと聴き取ることができて、『魔の山』でいけば、その舞台となった時期ではなく、出版の時期に重なる、アコースティック録音の中では最も技術的に進歩した最後期の録音であることを告げている。

フリートの第2交響曲の収録自体の具体的な詳細は、戦災によって記録資料が喪われたことにより不明のようだが、一般的に知られるアコースティック録音技術に関する情報に基いて想像する限り、拾った音が雲母板を振動させ、雲母板に固定されたブリッジを経由してカッティング針に伝わった振動を増幅した上でディスクに音溝を刻むという仕組みを持ったカッティングマシーンに繋がっているホーンが壁に穴を穿っている演奏室に閉じこもり、普通のコンサートホールでの演奏とは異なったバランスやダイナミクスでの演奏を強いられるといった、特殊な環境下であることを前提にして耳を傾けてみれば、寧ろ聴き取れる演奏の質の高さに瞠目させられさえするというのが私の率直な印象である。

一部は時代様式もあって時折大きく揺れ動くテンポや、微細なアゴーキクに機敏に対応するアンサンブル、丁寧でありながらしなやかさを備えたフレージングや細部の表現の彫琢は、音質の制限を超えてはっきりと聴き取ることができ(もっと言えば、音質やダイナミクスの制限を、そうしたディティールが相当程度補って、本来あるべき筈の限界を超えた表現の幅を感じさせさえするようにさえ私には聴こえるのだが)、この録音にかける奏者達の意気込みと、その背後に存在したであろうフリートのこの作品に対する深い思い入れを感じ取ることができると私には思われる。

例えばポルタメントの多用はそれ自体は時代の様式のせいかも知れないが、それが表現として成立しているかどうかはまた別の問題だし、テンポの変動についても同様のことが言えて、そのいずれについても今日時折見られる、ことさら復古的なスタイルの模倣を企図した演奏とは異なって、ここではそれらは表面的な効果に留まることなく、慣れてしまえば自然にさえ感じられるし、時折見られる、現在の通常の演奏(それは概ね、楽譜に書かれていることに忠実に、逆に楽譜に書かれていないことは原則としてやらないという、それはそれで一つの演奏様式に属するといって良いだろうが)からすれば特異に感じられるアゴーギクにさえ、そこに恣意を見出すところか、逆にマーラーが「あなたのリハーサルのとき私がいったすべてのことをどうぞお忘れなく!」と語りかけた言葉に、フリートが20年近い年月の経過の後、尚も忠実であり続けた証しを読み取ることだって可能ではないかと思えるのである。

総じて私の耳には、このフリートの第2交響曲の演奏の録音記録は、1905年の公演がマーラー自身をも満足される出来となったことを彷彿とさせる演奏、否、もっと端的に言って、時として音質の制約を超えて、感動し、圧倒されさえする、極めて優れた演奏に聴こえるのである。フリート自身がこの録音をどう評価していたかは詳らかにしないが、恐らく私の想像では、「その時に利用可能なありとあらゆる手段を総動員して、一つの世界を作り上げる」(ちなみにこれはマーラーが自らの交響曲の創作に関して述べた言葉だが)試みの成果として、それなりに納得し、満足し、既に逝って久しいマーラーからの様々な助言や助力に対する遅ればせながらの応答を果たし得た、マーラーが自分に伝えたことを、すべてではないにせよ、その場で可能な限り記録として留めることができたと感じていたのではないかという気さえするのである。

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だがその一方で、新型コロナウィルス感染症の影響が長期化し、コンサートホールでの演奏については、無観客での演奏のオンデマンド配信の試みはあるものの、その本来の規模からすれば小編成の作品を、これまた何分の一かに絞られた聴き手の前で演奏するのがせいぜいであり、コンサートホールの性能を目一杯活用する必要のあるマーラーのような作品の実演の再開の見通しは立っていない現下の状況において、私がこの古びた演奏記録を久し振りに聴いてみて感じたことの中には、フリート自身の思いであるとか、記録された演奏のユニークな価値といった、本来論じられるべき観点とは些か異なった側面もまた含まれることを否定できない。最後にそのことを記して、この文章を終えることにしたいと思う。

(なお、ホールの音響を設計するような精緻な耳からすれば、舞台の上の演奏者の人数もさることながら、コンサートホールの客席が埋っていない状態での音響は、目標として想定されたそれではないということになるだろう。また、実際にこれは様々に試行されて、その結果の証言も目にすることができるようだが、奏者間の距離が普段と異なるということがアンサンブルの細部に意図せずして影響することは避け難い。更にまた、コンサートの公演というのは一度きりの実演だけの問題ではなく、上で参照したマーラーの書簡にもあったようなプローベのスケジュール他、コンサートを成り立たせるために必要な、準備作業・後作業の全てが影響を受けることになることに聴き手は思いを致すべきだと考える。4月にマーラー祝祭オーケストラの公演の延期の折に記した通り、この状況が続く限り、事実上マーラーの作品の実演は不可能となり、マーラーの演奏の伝統は断絶することになりかねないのだという点について、現時点で再度、認識を新たにすべきように感じる。)

そこでまず、もう一度フリートの演奏の録音の位置づけを確認すると、レコード自体は既に発明されていたにも関わらず、本格的な商用の録音が行われる時代を迎えることなく1911年に没したマーラー自身の演奏の痕跡は、彼が当代きっての大指揮者であったにも関わらず、自他の作品を問わず、かろじてウェルテ・ミニヨンのピアノロールに記録された自作作品のピアノ演奏のみである。そしてそれ以降の電気録音による1世紀にわたる膨大な演奏の録音とフリートの演奏の録音が異なるのは、既に述べたように、技術的にこれが電気信号を媒介としていないという点である。実際に聴いてみても、後の電気録音と比較したとき、(三輪眞弘さんの言葉をお借りすれば)同じ「録楽」とはちょっと呼び難いような独特のクセがあって、それ故に、通常の音楽の音響的な側面に関するドキュメントというよりも寧ろ「音楽の化石」とでも呼びたいような気がしてくるのを抑え難い。

同じく電気信号を媒介としないピアノロールとはポジとネガのような関係にあるとでも言うべきだろうか。ピアノロールと違って、再生のために改めて楽器を媒介させる必要はないが、結果として音質が今そこにある楽器によってリアルに補綴されることなく、寧ろ、あたかも別の聴覚器官を備えた生物が聴き取ったであろう音をヴァーチャルに再構したものを聴いているような感覚に捉われる。

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既に述べたようにアコースティック録音は、後のスタジオ録音と大きく異なり、通常のコンサートとは全く異なった、極めて人工的な環境でしか収録ができなかった。シュトロー・ヴァイオリンのようにそれ専用の楽器も用いられたし、繰り返しを厭わずに言えば、プルト数の調整、省略されたパート、他の楽器で代替されたパート、録音されたものを再生した結果から逆算して原音のバランスを変えるといった「逆イコライゼイション」とでも言うべき作業を行った上で、ようやくより「自然な」音質が得られるといった具合であり、その点もまた、別の聴覚器官を備えた生物向けの解釈の印象を強めているのかも知れない。シュトックハウゼンが想定した宇宙人に聴かせるマーラー作品の演奏記録の候補リストの中からは、このフリートの演奏は真っ先に除外すべきだということになるのだろが、一方でその宇宙人が、もしこの録音記録に気づいてしまったら、その時彼はどのようにこれを受けとめるのだろうかということも考えてしまう。

その一方で、今や仮想現実とか拡張現実と呼ばれる技術が急速な進展を示している昨今、そうした技術のみならず、コンサートホールでの実演の代替としてのストリーミングにせよ、ここで取り上げた記録媒体への収録にせよ、それらはすべて電気録音の開始以降、電気信号を媒介としたものになったということに思いを致さずにはいられない。勿論、アコースティック録音の装置とて、その機構の一部には電気が用いられていたわけだが、一方で再生装置の方についても『魔の山』でハンス・カストルプが操作するように、その初期には機械仕掛けが用いられた時期もあったわけで、フリートの演奏の録音はそういう意味において電気仕掛け以前の機械仕掛けによる産物という特殊な位置を占めているということが言えそうである。

そしてそこから更に思いを拡げると、マーラーの交響曲に関しては、電気録音の時代になってからしばらくもその長大さが制約となり、いわゆる「鑑賞」における制約が大きかったことに思い至る。フリートの録音は最初に述べたようにSPレコードで何と22枚組、オートチェンジャーのようなものがあれば別なのだろうが、4分おきくらいにレコード盤を替える必要があり、従ってマーラーの交響曲楽章のほとんどについて一楽章通して聴くことが、そもそも不可能だったのである。その意味では、CDに復刻された録音を連続再生させて聴いている私は、かつてのSPレコードの聴き手とは根本的に異なった条件で聴いていることになる。(だからこそ、録音の際にも恐らく細切れにされたテイクのことを考えれば、それらを通して聴いた時の音楽の流れの自然さと解釈の一貫性への驚きを禁じ得ないのでもあるが。)

もう半世紀前のことになるマーラー・ルネサンスの時期において、クルト・ブラウコップフが社会学者としての視点でLPレコードの寄与の大きさを指摘したことは、私のような世代の聴き手にとっては常識に属する事柄であったのだが、その一方で、レコードによる作品の聴取が当たり前になったことで重要度が低下していったものとして、ピアノ連弾や2台ピアノ、あるいは独奏への編曲や、室内楽編成への編曲を通じてのマーラー作品へのアクセスがあるであろう。恐らくマーラーが生きていた時代には、時折ヨーロッパのどこかの街で上演される、マーラー信奉者の指揮者(その中にはフリートも含まれていたのだ)がマーラーの作品を取り上げるコンサートに、(今まさにコロナ禍の最中、それを介した感染拡大が問題視され、自粛を要請されているのと何ら違いはないのだが)当時急速な発達を見せていた鉄道網を駆使しておっつけ馳せ参ずるのでなければ、スコアを研究する以外には、そうした編曲を通じて作品に接する他手段がなかった。シェーンベルクのサークルで同時代の作品の分析や研究のために実演に接しようとしても、コストの制約からフル編成のコンサートを催すことができなかったことから、かの有名な「私的演奏協会」での演奏に用いるべく、マーラー作品のピアノ編曲、室内楽編曲が行われ、演奏されていったことは良く知られているであろう。

興味深いのは、マーラーがオーケストラの主要レパートリーとしてすっかり定着し、年間に何種類もの新しいマーラー作品の演奏の録音がリリースされるようになった近年になって、そうした編曲への注目が再び高まっているように見えることである。良く知られたところでは、ツェムリンスキーによる第6交響曲、カゼッラによる第7交響曲のピアノ用編曲やエルヴィン・シュタインによる第4交響曲の室内楽編曲、或いはシェーンベルクが企図して未完のままとなった「大地の歌」の室内楽編曲が補筆されて演奏されるようになったかと思えば、新しい編曲が行われ、それが録音されてリリースされるといったことも一般的になってきた。日本国内では少し前になるが、大井浩明さんがマーラーの交響曲のピアノ編曲版の演奏のツィクルスを開催されており、注目を集めたことは記憶に新しい。

ちなみに第2交響曲についてはワルターの2台ピアノ編曲が有名で、演奏の録音も存在している。その一方、最初に引用したクレンペラーも第2交響曲のピアノ編曲を行ったことを回想の別のところで本人が記しているが、管見ではクレンペラーの編曲というのは目にしたことがなく、当然、その演奏に接したこともない。(今後、発掘されて、演奏されたりすることがあるのだろうか?)他方、小管弦楽編成への編曲としては、写真資料の集成であるMahler Albumや、上でも触れたマーラーの残したピアノロールを再生した記録のCD、或いは第2交響曲の自筆譜ファクシミリの出版等を行ってきたことで知られるキャプラン財団のオーナーで、かつての1980~90年代のマーラーブームの折にはロンドン交響楽団を指揮したアルバムをリリースし、その後2002年にはウィーンフィルを指揮した第2交響曲の演奏がドイツ・グラモフォンレーベルからCDとしてリリースされるなどしてマーラーの世界では恐らく知らない人はいないであろう、かのギルバート・キャプランがロブ・マテスと共同で編曲したものがあり、それまた同様に自ら指揮したアルバムが2014年にリリースされている。最後のキャプランの編曲は小管弦楽とはいいながら、所謂2管編成への編曲であり、やはり4管編成で書かれたヴェーベルンの大管弦楽のための6つの小品op.6に対して後年、こちらは作曲者自らの手によって2管編成版が作成されたのに近いだろう。(オリジナルのマーラーの編成が4/4/5/4-10(バンダ含む)/10(同左)/4/1-2(Harp)/2(Pauke)/3(Perkussion)/1(Orgel)に対して、キャプランの編曲の編成は2/2/2/2-3/3/2/1-1/1/2/1。)

だが現下の状況でマーラーの作品のオリジナルの編成での上演が事実上不可能なのであれば、せめて編曲版でもというのはマーラー・ファンとして思わずにはいられない。ピアノ編曲、室内楽編曲はまた別だろうが、管弦楽でということであれば、キャプランの編曲であれば、弦楽器のプルト数も合唱団も大幅に編成を絞ることができ、最近はすっかり普通になったピリオドスタイルの古典派交響曲の演奏と同程度の規模での演奏が可能であろう。既にベートーヴェンの第9交響曲では緊急事態宣言後にそうしたスタイルで国内での演奏が試みられているわけだから、編曲の上演権などの権利関係は詳らかにしないけれども、少なくとも物理的には演奏可能な規模に何とか収められそうである。

実際にキャプランさんが、コロナ禍のような状況を予測して編曲を行ったというわけではないだろうが、マーラー作品の受容の在り方を振り返ってみたとき、そうした方向でのアプローチがあっても良さそうな気がするのである。知る限り、交響曲の小管弦楽・室内楽向けの編曲は既に第1,2,4,5,6,7,9,10番と「大地の歌」の存在を確認しており、権利上の問題等がクリアできれば、室内楽編成でのツィクルスという企画さえ可能だろう。リュッケルト歌曲集を筆頭に、「子供の死の歌」など、管弦楽伴奏歌曲の管弦楽編成はもともと小さいから、それらを組み合わせるプログラム・ビルディングも可能ではなかろうか。

もっとも、この文章を記している直近について言えば、再び感染者の顕著な増加が見られ、その傾向から判断するに、一旦再開しかけた公演も再び中止になる可能性が高まっており、今後については予断を許さない状況に再び陥りつつあるが、いずれ再度、再開の可能性を探る時の選択肢として考慮されてもいいように思われる。幸いにして我々は、過去の記憶ということについては、既に十分すぎる程のものを持つに至っていて、その中には、その時々の状況に対してどのように対峙したかについての記録もまた膨大に含まれている。ことマーラーの場合には、全く異なる理由での不幸な中断の記憶さえ含まれており、我々がそこから学ぶべきことは、数限りなくあるように感じられる。

(ちなみにこちらはコロナ禍と直接関係なく、近年の動向から将来への方向性として注目されるのは、最近は下火になってしまっているが一時期流行したDTMの流れでのMIDIファイルの作成と、こちらは最近ますます盛んになっているかに見えるヴァーチャル歌手によるマーラーの歌曲作品の歌唱であろう。こちらは人間の手による実演という「音楽」が備えているべき必須の要件からの逸脱となるが、それでもなお、特に今回のコロナ禍における状況を踏まえれば、ありうべき「上演」の形態の可能性の一つとして捉えなおすべきなのではないだろうか。)

*     *     *

さて随分とフリートの録音から遠ざかって回り道をしたように見えるが、ここまで来て突然、フリートがアコースティック録音にまつわる様々な技術的制約の中で、「その時に利用可能なありとあらゆる手段を総動員して、一つの世界を作り上げる」ことを試みた記録として、新型コロナウィルス感染症が蔓延する現在の状況において可能性を探る作業のすぐ隣に、だが自分が生まれるより遥か以前から永らく存在していることに気づくのである。

繰り返しになるが、技術的な詳細は措いて、基本的には舞台の上での上演をマイクで拾い、それを後で調整すれば良いという、近年の完成された録音技術と同じ前提に立ってフリートの試みを評価するのは不当なことでさえあろう。寧ろそれはキャプランが試みた、編成の縮小以上の大胆で困難な編曲の試み、アコースティック録音用の機械という奇妙な別種の「生物」に向けてマーラーの作品を演奏するための、前代未聞の編曲だったというように捉えるのが妥当に感じられる。

これは伝聞だが、緊急事態宣言の最中においては、ネットワーク上でビデオチャットのようなツールにより接続した奏者達が、その場で「合奏」を試みるといったことも試みられたらしい。だがそれは概ね「合奏」というものが持つ本質にそぐわないものとならざるを得なかったと聞く。恐らくそこで本来的に求められていたのは、常には当然のように成り立っている「合奏」のための基本的な条件を充足させることの妨げとなる、ネットワークでの接続に伴う様々な技術的な問題を一つ一つクリアしていくような緻密で綿密な作業を通して、在るべき「合奏」の姿から「逆算」した上で演奏を作り上げていくといった作業である筈で、だから即興的にその場に集まったからといってどうなるものでもなかったのではなかろうか。つまりそこで求められていたのは、アコースティック録音という条件の下で、「リハーサルのとき私がいったすべてのことをどうぞお忘れなく!」というマーラーの言葉に応答しようとしたフリートの試みに寧ろ近しいものなのではなかろうか。

そしてそれは専ら演奏する側の問題であるというわけではない。聴き手は単に提供される音響を消費し、複数の演奏記録を演奏時間の長さやら、ある細部の再現の正確さを比較して点数付けをしたりするような立場にいるのではない筈である。目下のような状況で、どのような演奏が可能で、どのような聴取が可能なのかは、聴き手である私にも課された問題である。それを思えば、例えばフリートの試みに接した時、それに対して開かれた耳を持ち、マーラーの「リハーサルのとき私がいったすべてのことをどうぞお忘れなく!」という言葉へのフリートの応答をそこに聴き取り、それを通してマーラーが我々に語ることを聴き取り、我々もまた応答することこそ、今、ここで求められていることに本質的に関りのあることなのではないかということに思い至った次第なのである。
(2020.7.17 初稿公開, 8加筆, 8.27室内管弦楽編曲について加筆)

2020年4月4日土曜日

1892年、ハンブルクで…:マーラー祝祭オーケストラの公演延期に接して(2020.4.7追記)

 未知のウィルスが原因の伝染病の猛威の前には、深層学習によるAI技術のブレイクスルーがあり、シンギュラリティが論じられるようになっても尚、その実現には程遠い今の時点では、人間の営みの基本は歴史が証言する、これまで繰り返してきたものと大きくは変わらず、そこで一人ひとりが直面せざる得ない剣呑な状況や運命もまた、1世紀前と変わらないように感じられる。

 そういう状況の中でマーラーの伝記を紐解くとすぐに目に入るのは、マーラーがハンブルク市立劇場の指揮者を勤めていた時期にコレラの大流行に直面したという出来事であろう。1891年3月26日にハンブルク市立劇場の指揮者に就任したマーラーは、3月29日から5月末までの公演を指揮した後、1892年にはロンドンでのいわゆる「引っ越し公演」を大成功させている。休暇に入ったマーラーが8月16日から再開される劇場に戻ろうとしたまさにその矢先、ハンブルクはコレラの流行に襲われ、それは10月まで猛威を振るうことになるのだ。
 市立劇場の方は新しいシーズンを開始したものの、マーラーはコレラを避けるために休暇を延長し、流行が収束し始めた後、10月初旬になってようやくハンブルクに戻り、シーズン最初の指揮をしている。コレラの流行を知った時のマーラーの反応とその後の行動は、遺されたフリードリヒ・レーア宛の1892年8月の書簡およびアルノルト・ベルリーナー宛の8月から9月にかけての書簡によって窺い知ることができる。(邦訳のあるヘルタ・プラウコプフ編の1996年版書簡集では115番から118番まで、須永恒雄訳の邦訳では107~109頁を参照。)
 コッホによるコレラ菌の発見が1884年であり、今日当然のこととされる細菌が伝染病の原因であるという認識すら当時は未だその確立の途上にあった。衛生学的にも水道設備の近代化の途上であり、エルベ川から取水していた水道設備においては沈殿処理のみが行われ、緩速濾過処理が行われていなかったことがコレラ流行の原因であったようだ。今も残るハンブルク市庁舎の中庭にある女神ヒュギエイアの噴水は1892年のコレラ流行の犠牲者の追悼のためのものであるが、それは今日まで受け継がれている都市衛生の基本がそれによって確立する、衛生学上の画期をもたらす出来事だったようなのである。ちなみに北里柴三郎によるペスト菌の発見は1894年。北里柴三郎は1886年から1891年にかけてベルリンのコッホ研究所に留学し、そこでジフテリアと破傷風の抗血清を開発し、世界で初めて血清療法を発見するという成果を上げている。
 欧州を襲ったコレラの流行というのは勿論これ一度ではない。マーラーの時代に近いところでは1831年にベルリンを襲ったコレラの流行が思い起こされるだろう。一旦は避難をしたヘーゲルが、新学期の開始に合わせて未だ流行の収束していないベルリンに戻り、講義を再開して程なくコレラに罹患し病没したことは余りに有名であろう。既に弱冠31歳にして主著『意志と表象としての世界』を上梓したものの殆ど反響がなく、ベルリンで私講師として行った講義においても当時名声の絶頂にあったヘーゲルの講義に対抗して同じ時間に行ったこともあり、聴講者を獲得することに失敗したショーペンハウアーは、イタリア旅行を経てミュンヘンで病を得て療養のためにガシュタインに滞在した後、ドレスデンを経て1825年にはベルリンに戻り再び講義を行うが、1831年のコレラの流行に遭うと罹患を警戒してフランクフルトに移り、以後遂にベルリンには戻らなかった。そのショーペンハウアーの愛読者であったマーラーは、或いはショーペンハウアーの行動に倣ったものか、その行動は慎重であったように見える。
 1892年夏のコレラ流行当時のマーラーは今日第2交響曲として知られる作品の作曲の途上にあった。紆余曲折を経た第2交響曲が最終的に現在の姿をとるに至ったきっかけが1894年に療養先のカイロで没したハンス・フォン・ビューローの葬儀―ハンブルクのミヒャエリス教会で同年3月29日に行われれた―に参列した折、クロップシュトックの復活の賛歌が歌われたのに接したことであるのはあまりに有名な話だろうが、そのフォン・ビューローに第1楽章の初期稿である交響詩「葬礼」(Totenfeier)をピアノで聴かせたのは1891年11月のことであった。その時のフォン・ビューローの否定的な反応とコメントもまた人口に膾炙しているのでここでは繰り返すまい。

 コレラの流行がマーラーの創作に直接影響しているということは言えないだろう。だが、我々に遺されたその作品が、どのような状況で生み出されてきたかを知ることはその作品を理解する上で決して些末なことではあるまい。そうした背景の詮索は、えてして文学的・思想的な領域、稍々広くとっても美術や都市計画といった文化的側面を持つ領域に限定されがちだが、マーラーが、まさに上述の書簡の相手であるベルリーナー(彼は物理学者であり、アインシュタインの知己でもあった)のような友人を通じて当時の最先端の自然科学の知見についても豊富な知識を持ち、フェヒナーやヴントといった現代の心理学の先駆者の著作にも親しんでいたことは軽視さるべきではなかろう。
 既述の書簡のうちベルリーナー宛のものを読めば、ここでフォーカスしているコロナ禍への対応についてもマーラーはベルリーナーの助言を仰いで行動していることが確認できるし、一旦9月12日にハンブルクに戻ろうとしながら、ハンブルクでの流行が収まっていないなら、ハンブルクの北東、ウーレンホルストにあったベルリーナーの居宅に留まりたいと伝えている。(ちなみに1892年にコレラが流行したのは旧ハンブルク市街であり、アルスター川の対岸、エルベ川に沿って下流側にあるアルトナ市では水道設備に逸早く緩速濾過処理が導入されたことから流行を免れている。ベルリーナーの居宅のあったウーレンホルストは旧ハンブルク市街からアルスター湖を挟んで北東側、現在の大ハンブルク市では北地区に属しており、1842年のハンブルク大火の結果、アルスター湖の堤防の水位が下げられたことにより居住可能になった新しい街区であり、コレラの流行があった旧市街とは離れた場所にある。)マーラーの音楽の背後にある世界に対する認識は、それが一世紀前のものであることは確かだが、それでも今日我々が想像するよりは遥かに科学的な知性に裏打ちされたものかも知れないのだ。

 だが、それよりも今、新型コロナウィルスとの戦いのさなかにある我々にとって切実な接点は、ジュリアン・ジェインズの言う「二分心」以降、レイ・カーツワイルの言う「シンギュラリティ」以前の同じ「神なき時代」「隠れたる神」の時代を生きる同時代者としての、有限の寿命に限界づけられ、かつそのことを意識することを宿命づけられた存在としての共感ではなかろうか。
 コレラ禍を免れたマーラーも、後には猩紅熱が最愛の長女の命をあまりに早く断ち切ってしまう運命に直面し、更に自身もまた連鎖球菌による感染性心内膜炎により命を奪われることになる。それを思えば、第6交響曲のハンマーによる「運命の打撃」のうち残された二つは、二度の世界大戦でも二回の原爆投下でもなく、実は細菌との戦いとその敗北を予言したものであるという主張を誰かがしないとも限らないといった冗談はさておき、いずれも当時は不治の病であったものが、マーラーの没後間もない1928年に発見されたペニシリンをはじめとする抗生物質の開発で治癒可能な病気となったことはよく知られている。だが一世紀経って進歩はしたとはいえ、近年の例に限って思い出すままに挙げてもエイズ、新型インフルエンザ、SARS、そして新型コロナウィルスといった未知の病原菌との戦いは相変わらず繰り返されており、マーラールネサンスの時代には「治癒可能」と説明されることの多かった連鎖球菌による感染症についても、却って今日では耐性菌の出現による新たな脅威にさらされていることを思えば、相変わらず状況に変わりはなく、やはり「二分心」以降「シンギュラリティ」以前という同じ時代にマーラーも我々も生きているのだと感じずにはいられない。
 そして、細胞を持たず、自己複製の能力を持たない「生命」以前の存在であるウィルスが、マックス・テグマークの『Life3.0』によれば「自らのハードウェアを設計する能力」を持った結果、進化の軛を逃れた存在であるLife3.0への橋渡し役としての、謂わば「最後の生命」たる「人間」を脅かしているということを踏まえれば、それは「生命」以前と「生命」以後の抗争として捉えることさえできるのではないだろうか。

 日本では、西浦先生の疫学的数理モデルに基づくクラスタ―の早期発見と抑え込みという方策が、これまで素晴らしい成果をあげてきており、私も微力ながら、例えば「新型コロナウィルス感染症に関する専門家有志の会」(https://note.stopcovid19.jp/ )の活動に賛同したり、自分が置かれた条件の下で、医療関係者、医薬品販売などの生活インフラを担う方々の活動(それは仮に非常事態宣言が出ても、―日本では起きないようだが―ロックダウンが起きても止まることはない、否、止めることができないものであることを認識すべきであろう)を支援しているが、時々刻々と深刻さを増す感染者数の増加状況や各種記者会見などでお話を伺う限り、一刻の猶予を許さない状況に見える。
 例えば「新型コロナクラスター対策課専門家」(https://twitter.com/ClusterJapan)のtwitterでの西浦先生の説明によれば、2割が外出自粛するのではなく、8割が外出自粛して、必要最低限の2割だけが外出するようにならないと感染爆発が防げないと数理モデルは語っている。数理に対するフィーリングがあれば、今起きていることではなく、例えば2週間後におきるであろうことに基づいて今の行動を決めないといけないことは感覚で了解されることと思われる。求められているのは、そのことを感じとる知性であり、それに加えて今、自分からは見えないところで起きていることに対する想像力、更には未だ潜在的な状態にあって2週間後に起きることが想定されることに対する想像力なのではなかろうか。

 マーラーの音楽は、そうした我々の同伴者であり、「生命」以後への道行きから途中で落伍し脱落していく者に手を差し伸べてくれる存在のように感じられる。東日本大震災に遭遇した折、私の頭の中で鳴り響いていた音楽が聞こえなくなり、と同時に外界との間に膜ができたかのような無感覚な状態にしばらく陥ったことを思い出す。そこから抜け出すきっかけ、最初に再び私の頭の中に音楽が鳴り響いたのは、「計画停電」のさなか、自分が勤務するオフィスに向かうべく早朝の渋谷の街を歩いていた時だった。その直後に予定されていたジャパン・グスタフマーラー・オーケストラ(現マーラー祝祭オーケストラ)の第9交響曲の公演が、演奏会場として予定されていたミューザ川崎の被災により延期され、場所を変えて行われたことを思い出す。
 だが、今回の災厄における日常と非日常の切れ目というのはその時とは異なるように思われる。頭の中の音楽が絶えることはなく、あの時に沈黙を破って頭の中に突如として鳴り響いた第9交響曲第1楽章、練習番号8番の手前、Noch etwas zögernd, allmählich übergehen zu ... Tempo Iのところ、より正確には更にその5小節前あたり、ホルンのシグナルが途切れて、ヴィオラに導かれてヴァイオリンが入ってくるところ以降の、逍遥するうちに幾度か回帰することになる、あの清々しい水の流れを思い起こさせる楽節は、「生き延びる」ため、「存続する」ために強いられる、時々刻々の変化への対応が引き起こす長時間の緊張から解き放たれたふとした合い間に心の中で密かに響き出す。そしてその時私は、マーラーの音楽が自分のかけがえのない「同伴者」であること、一世紀前の異郷の地から流れ着いた「投壜通信」が、マンデリシュタムが言ったように、それを偶々拾い上げたかつての子供であった私宛のものであることを確認するのだ。

 来たる5月9日に予定されていたマーラー祝祭オーケストラの第3交響曲の演奏会を9月13日に延期することになったと音楽監督の井上喜惟先生からご連絡頂いたのは去る4月1日のことであった。専門家会議の定義する「感染拡大警戒地域」では、10人以上の集まりを控えることが要請されており、「生き延びる」ためにその要請に応じるならば、オーケストラにとっては公演は勿論、プローベも含めた組織としての活動を全面的に停止することを意味する。或る一つのオーケストラの公演中止に留まらず、全世界でこの状況が続く限り、マーラーの交響曲がその本来の姿でコンサートホールで鳴り響くことはないのだということの持つ意味を、マーラーファンは噛み締めなくてはならないのではなかろうか。だがそれはマーラーの音楽の「死」を意味するのではない。井上先生へは、有識者の見解を取り入れ、ますます深刻になりつつある状況の未来を冷静に見極められての決断に対する深い敬意をお返事としてお伝えしたが、ここで改めてその知性と想像力に対して敬意を表明したく思うとともに、来るべき公演が、こちらはあの感動的な震災後の第9交響曲の演奏会と同じく、マーラーの音楽が生き続けていること、そしてマーラーが今、ここで生きる我々の「同伴者」であることを力強く証明することを信じて疑わない。(2020.4.4初稿, 4.5補筆, 4.6加筆)

[追記] 公開後、岡田暁生先生より、農業思想史・農業技術史がご専門の歴史学者である藤原辰史先生の「パンデミックを生きる指針——歴史研究のアプローチ」(https://www.iwanamishinsho80.com/post/pandemic)をご教示頂きました。藤原先生は、文中で「クリオの審判」を引き合いに出され、現下の状況で問われているのは「いかに、人間価値の値切りと切り捨てに抗うか」「いかに、感情に曇らされて、フラストレーションを「魔女」狩りや「弱いもの」への攻撃で晴らすような野蛮に打ち勝つか、である」と述べられていますが、これはまさに、藤原先生の文章をご紹介くださった岡田先生が訳された「ウィーン講演」の末尾においてアドルノが「生涯を通じて彼の音楽が味方したのは貧しい鼓手の若者、命を落とした歩哨、死者になってもまだ太鼓を叩かねばならない兵士であった。(…)彼の交響曲と行進曲は、あらゆる個別とあらゆる個人とをその下に跪かせる調教の類ではなく、不自由の最中にあっては亡霊の行列のようにしか響き得ない解放された人々の行列の仲間へと、彼らを次々に引き入れてやろうとするものだ」(アドルノ音楽論集『幻想曲風に』、岡田・藤井訳、128~9頁)と述べていることと呼応しており、マーラーの作品が担い、コミットする価値に通じるものがあると考えます。ご教示くださった岡田先生に感謝するとともに、素晴らしいテキストを発信してくださった藤原先生に、感謝の気持ちと敬意を表したく思います。(2020.4.7)

2020年3月8日日曜日

MIDIファイルを入力とした分析:和音の出現頻度から見たマーラー作品(その3:補遺 2021.6.17更新)

MIDIファイルを入力とした分析の一環として、和音(コード)の出現頻度に基づくマーラーの交響曲作品50ファイル(楽章単位)の他の作品71ファイルとの比較を試みた結果を「MIDIファイルを入力とした分析:和音の出現頻度から見たマーラー作品」(https://gustav-mahler-yojibee.blogspot.com/2020/02/midi.html)として報告し、次いでその第2報として比較対象となる作品数を増やして、マーラーの作品50ファイルに対して、他の作曲家の作品200ファイルの合計250ファイルでの分析結果について「MIDIファイルを入力とした分析:和音の出現頻度から見たマーラー作品(その2:拡張版)」(https://gustav-mahler-yojibee.blogspot.com/2020/02/midi2.html)として報告しました。2つの報告でマーラーの作品の和音の出現分布に一貫した一定の傾向があることが浮かび上がってきたことを受け、それを確認するために非常に簡単ではありますがデータ分析を行ったので、その結果を報告します。 

 今回の分析は手法としては極めてシンプルな単なる集計に過ぎず、むしろ前2回の分析に先立って報告されるべき基礎的なものかも知れませんが、いずれにせよ、前2回の分析結果で浮かび上がってきた特徴の一部を非常にわかりやすい形で示しているように思えましたので、補遺として公開することにしました。(2020.3.8記)

(2021.6.17追記:集計プログラムの制約で、対象作品のMIDIデータの各ファイルに含まれる最初の1591拍分のみが分析対象となっていることがわかりました。各ファイルは概ね交響曲作品の楽章単位であることから、楽章の長さに応じて、全てが対象となっている場合もあれば、前半の1591泊目までが対象となっている場合もあることになります。この点についての記載が漏れていたことにつき、お詫びして追記します。なお、この制約をなくした分析を、今後実施の予定です。仮に両者に違いが確認できるのであれば、それ自体、音楽作品の時系列の構造の特性が反映したものである可能性が考えられます。)

1.対象としたデータ

使用したデータは以下の通りです。

「MIDIファイルを入力とした分析の準備作業:和音の分類とパターンの可視化」(https://gustav-mahler-yojibee.blogspot.com/2020/01/midi2020128.html)で行った和音のラベリング(131種類)の結果について、各和音毎の出現頻度を以下の3つのグループ毎に算出。なお、131種類の和音での被覆率は100%ではありませんが、最終的に上位の20種類を抽出したこともあり、結果への影響はほぼないものと考えます。(例えばマーラーの交響曲のグループについては総数58586に対して概ね1%以上の出現頻度の和音が対象となっており、未分析の和音でそれだけの頻度のものはありません。)

A.マーラーの交響曲(「大地の歌」、第10交響曲クック版を含む全11曲50ファイル)の各拍頭に出現する131種類の和音の出現割合

B.最初の報告で比較対照に用いた作品(71ファイル)
 すなわち以下の作品の各拍頭に出現する131種類の和音の出現割合
  アイヴズ 答えのない質問
  シベリウス 交響曲第2番、7番、タピオラ
  ヴェーベルン パッサカリア
  ショスタコーヴィチ 交響曲第10番
  スクリャービン 交響曲第3番
  シュニトケ 交響曲第5番=合奏協奏曲第4番第1楽章
  ブラームス 交響曲第2番、3番、4番
  ブルックナー 交響曲第5番、7番、9番
  フランク 交響曲
  スメタナ わが祖国
  ハイドン 交響曲第104番
  モーツァルト 交響曲第38番、39番、40番、41番 
  シューマン 交響曲第3番

C.第2報で比較対照に用いた作品(200ファイル)
 すなわち以下の作品の各拍頭に出現する131種類の和音割合
  アイヴズ 答えのない質問
  シベリウス 交響曲第2番、7番、タピオラ、5番3楽章、6番4楽章、3番2楽章
  ブラームス 交響曲第1番、2番、3番、4番
  ブルックナー 交響曲第1番、4番、5番、7番、8番、9番
  ショスタコーヴィチ 交響曲第10番
  モーツァルト 交響曲第38番、39番、40番、41番 
  シューマン 交響曲第1番、3番
  スクリャービン 交響曲第3番
  スメタナ わが祖国
  フランク 交響曲
  ハイドン 交響曲第83、88、92、96、99~104番
  シュニトケ 交響曲第5番=合奏協奏曲第4番第1楽章
  ヴェーベルン パッサカリア
  バルトーク 管弦楽のための協奏曲
  ベートーヴェン 交響曲第3、4、5、6、7番
  ベルリオーズ 幻想交響曲
  ドヴォルザーク 交響曲第8、9番
  エルガー 交響曲第1、2番
  メンデルスゾーン 交響曲第3番
  ワーグナー パルジファル前奏曲
  ラフマニノフ 交響曲第2番
  シューベルト 交響曲第8、9番
  チャイコフスキー 交響曲第4、5、6番

B,Cについては様々な傾向の作品が含まれていますが、今回の集計では個別の作品の差異は無視されて71ないし200ファイルの全体での出現頻度を基に割合を計算しているので、全体を平均化した割合を比較することになります。

2.集計結果

上記3つのそれぞれについて出現割合の降順に並べて上位20種類を抽出し、グラフ化したものを以下に示します。
グラフの縦軸が出現割合、横軸が和音の種別になります。和音の種別の番号は「MIDIファイルを入力とした分析の準備作業:和音の分類とパターンの可視化」で用いたものと同じですが、「MIDIファイルを入力とした分析:和音の出現頻度から見たマーラー作品」で分析対象としたものを含めて、「MIDIファイルを入力とした分析の準備:調性推定と和音のラべリング」(https://gustav-mahler-yojibee.blogspot.com/2020/01/midi2020128.html)でラベリング対象にした和音について示せば以下の通りです。

  3 :五度 5 :長二度 9 :短三度 17 :長三度 33 :短二度 65 :増四度
  25 :短三和音 19 :長三和音 77 :属七和音 93 :属九和音
  27 :付加六 69 :イタリアの増六 73 :減三和音 273 :増三和音
  51 :長七和音 153 :トリスタン和音 325 :フランスの増六 
  (ここまでが前2回の分析の対象)
  585 :減三+減七 89 :減三+短七 275 :増三+長七 281 :短三+長七

A.マーラーの交響曲(50ファイル、total=58586)

B.比較対象1(71ファイル、total=81576)

C.比較対象2(200ファイル、total=222903)


3.集計結果から読み取れること

・19、25は長三和音、短三和音であり、1は単音であるから、それを除くとマーラーの交響曲で比較グループとの比較において目立つのは、3:完全五度、27:付加六、51:長七和音の和音の割合が高く、77:属七和音の割合が低いことでしょうか。これらは(完全五度については特に言及しませんでしたが)前2回の分析でも傾向として浮かび上がってきた点だと思います。
・73 :減三和音、585 :減三+減七といった比較グループ1,2の平均では第10位までに入っている和音が、マーラーの場合は16位、20位であり、出現頻度が低いことがわかります。このうち585:減三+減七は前2回の分析対象には含まれていませんでしたが、この和音を追加して分析を行うべきだったかも知れません。
・7や11は前2回の分析対象にも、和音のラベリング対象にも含まれていませんが、マーラー、比較グループのいずれでも20位までには入っています。11の順位には大きな差はありませんが、7はマーラーでは9位を占めており、この和音(いわゆるサスペンションコード)は分析に含めることが考えられます。
・順位は低いですが、マーラーにおいて20位までに出現して、比較グループで出現しないのは29(マーラーで17位、比較グループ1で26位、比較グループ2で24位)、その逆は589(比較グループ1で19位、2で20位、マーラーでは33位)です。
・20位までの和音の被覆率については、マーラーの交響曲では比較グループいずれと比べても7%程度低く、両者に共通の上位の3種(長三和音、短三和音、単音)の被覆もマーラーでは30%程度なのに対し、比較グループは40%程度であり、有意な差がありそうです。ただし比較グループは様々な様式の作品の平均であり、古典的作品と非古典的な作品のバランス等が影響している可能性があるため、この点については比較グループをさらに分割して比較するのが適当に思われます。

和音の種類を追加する、ないし入れ替えて分析を行うことに関して言えば、上で候補となった和音がいずれも全体に占める割合が低いことから、分散が大きくならないため単純に追加しただけでははっきりとした結果が出ないことが予想されますし、そもそも順位差が有意であるかどうかもありますので、統計的に扱うためには検討が必要と思われます。

[ご利用にあたっての注意] 公開するデータは自由に利用頂いて構いません。あくまでも実験的な試みを公開するものであり、作成者は結果の正しさは保証しません。このデータを用いることによって発生する如何なるトラブルに対しても、作成者は責任を負いません。入力として利用させて頂いたMIDIファイルに起因する間違い、分析プログラムの不具合に起因する間違いなど、各種の間違いが含まれる可能性があることをご了承の上、ご利用ください。
(2020.3.8公開)

2020年2月24日月曜日

MIDIファイルを入力とした分析:和音の出現頻度から見たマーラー作品(その2:拡張版 2021.6.17更新)

MIDIファイルを入力とした分析の一環として、和音(コード)の出現頻度に基づくマーラーの作品の他の作品との比較を試みた結果を「MIDIファイルを入力とした分析:和音の出現頻度から見たマーラー作品」(https://gustav-mahler-yojibee.blogspot.com/2020/02/midi.html)として報告しましたが、その第2報として比較対象となる作品数を増やして、マーラーの作品50ファイルに対して、他の作曲家の作品200ファイルの合計250ファイルでの分析結果について報告します。ようやくデータ分析として一般的な規模となったと認識しています。対象となるデータセットを変えれば各分析の結果は当然異なってくるわけですが、その中で共通に見出せる特徴に注目することで、マーラーの作品の特徴の一端を窺うための参考になればと思います。

(2021.6.17追記:集計プログラムの制約で、対象作品のMIDIデータの各ファイルに含まれる最初の1591拍分のみが分析対象となっていることがわかりました。各ファイルは概ね交響曲作品の楽章単位であることから、楽章の長さに応じて、全てが対象となっている場合もあれば、前半の1591泊目までが対象となっている場合もあることになります。この点についての記載が漏れていたことにつき、お詫びして追記します。なお、この制約をなくした分析を、今後実施の予定です。仮に両者に違いが確認できるのであれば、それ自体、音楽作品の時系列の構造の特性が反映したものである可能性が考えられます。)

分析の入力データと結果のデータ・グラフについては、以下からダウンロードできます。(和音出現特徴分析_拡張版.zipという1ファイルにアーカイブされています。)

https://drive.google.com/file/d/1cDlfRKTTFy4F_lCM5Qv0W3YFOgfVWz9b/view?usp=sharing

以下では最初の報告との相違点を中心に記述を行います。分析の概要については前の記事をご覧いただけますようお願いします。(2020.2.24記)

1.対象データ
・マーラーの作品については変更なし。
  全交響曲のMIDIデータ(楽章毎)、合計50ファイル

・比較対照用の作品:以下の作品のうちマーラー以外の作品のMIDIデータ
 (楽章毎。合計200ファイル)
 作曲家別にラベルをつけて、クラスタ分析結果との照合を行った。
 作曲者数はマーラーを含めて24名。以下、ラベルの番号、作曲者、作品の順に示す。
 なお前回とは異なり、時代区分でカテゴリを分けることは行っていない。
 従ってグラフの色分けと時代区分の対応付けはない。

  0.アイヴズ 答えのない質問
  1.シベリウス 交響曲第2番、7番、タピオラ、5番3楽章、6番4楽章、3番2楽章
  2.マーラー 交響曲第1~10番、大地の歌
  3.ブラームス 交響曲第1番、2番、3番、4番
  4.ブルックナー 交響曲第1番、4番、5番、7番、8番、9番
  5.ショスタコーヴィチ 交響曲第10番
  6.モーツァルト 交響曲第38番、39番、40番、41番 
  7.シューマン 交響曲第1番、3番
  8.スクリャービン 交響曲第3番
  9.スメタナ わが祖国
  10.フランク 交響曲
  11.ハイドン 交響曲第83、88、92、96、99~104番
  12.シュニトケ 交響曲第5番=合奏協奏曲第4番第1楽章
  13.ヴェーベルン パッサカリア
  14.バルトーク 管弦楽のための協奏曲
  15.ベートーヴェン 交響曲第3、4、5、6、7番
  16.ベルリオーズ 幻想交響曲
  17.ドヴォルザーク 交響曲第8、9番
  18.エルガー 交響曲第1、2番
  19.メンデルスゾーン 交響曲第3番
  20.ワーグナー パルジファル前奏曲
  21.ラフマニノフ 交響曲第2番
  22.シューベルト 交響曲第8、9番
  23.チャイコフスキー 交響曲第4、5、6番

2.分析に用いた特徴量:変更なしで以下の通り。
 単音、重音:完全五度、長二度、短三度、長三度、短二度、増四度
 短三和音、長三和音、属七和音、属九和音、付加六、イタリアの増六
 減三和音、増三和音、長七和音、トリスタン和音、フランスの増六

3.分析手法
 分析はすべてR言語(version.3.6.0, 2018-04-23版)を用いて行った。
 分析履歴をアーカイブに含めた。(hist.txt)
 A.主成分分析:prcompを使用。標準化を行う(scale=TRUE)。
  説明率80%⇒第10主成分までについて負荷と主成分得点を計算。
  分析結果はbiplotでグラフ化。負荷と主成分得点はbarplotでグラフ化。
 B.因子分析:factanalを使用。
  因子数の決定は相関行列の固有値を参照:固有値が概ね1以上⇒6因子と決定
  rotationはvarimax(直交回転), promax(斜交回転)の両方を試行。
  分析結果はbilplotでグラフ化。負荷と因子得点はbarplotでグラフ化。
 C.階層クラスタリング:距離はユークリッド距離を使用し、結果をhclustに与えた。
  クラスタリング手法としては以下の3種を試行し、結果はデンドログラムでグラフ化。
   complete(完全連結法)
   average(群平均化法)
   wardD2(最小分散法)
  クラスタの安定度を確認するために、ユークリッド距離・完全連結法での
  上位の5クラスタのJaccard係数の平均値をfpcパッケージのclusterbootを
  用いて求めた。(hist.txt)
  更にマハラノビス距離を用いて最小分散法によるクラスタリングを行った。
 D.非階層クラスタリング:kmeansを使用。
  クラスタ数はギャップ統計を参考にした。
  kmax=10、最大イテレーション回数=100でclusGapを使用。
  結果をbarplotでグラフ化。
  ⇒クラスタ数8で試行した結果をclusplotでグラフ化。
 
4.分析結果の概要
 A.主成分分析
概ね左下側にマーラーの作品が偏っていることから、まず第1主成分がマーラーの作品を特徴づけていると予想されるので、まず第1主成分得点を確認してみると以下の通りであり、左側への偏りに対応したものであることが確認できる。ここでは示さないが、第1主成分以外にも(上記グラフから想像される通り)作品によってばらつきがあるものの第2主成分、更には第5、第7主成分についてもマーラーの作品に関して偏りが見られた。(アーカイブ中には全ての主成分の得点および負荷のグラフが含まれている。)
一方で、マーラー作品の中で、第1主成分得点について例外的という意味で「マーラー的」でない楽章を取り出すことができるだろう。

なお、今回は前回とは異なって、以下のグラフの色分けは時代区分に対応しているわけではない。色と作曲家の対応は、左側から右側へ順番に以下の通りである。

 マーラー(赤)・アイヴズ(黒)・シベリウス(黒)・ブラームス(緑)・
 ブルックナー(白)・ショスタコーヴィチ(黒)・モーツァルト(青)・
 シューマン(水色)・スクリャービン(黒)・スメタナ(紫)・フランク(黄)・
 ハイドン(青)・シュニトケ(赤)・ヴェーベルン(白)・シベリウス(黒)・
 バルトーク(灰色)・ベートーヴェン(青)・ベルリオーズ(水色)・
 ブラームス(緑)・ブルックナー(白)・ドヴォルザーク(緑)・エルガー(紫)・
 ハイドン(青)・メンデルスゾーン(緑)・ワグナー(水色)・
 ラフマニノフ(黒)・シューベルト(青)・シューマン(水色)・シベリウス(黒)・
 ハイドン(青) ・チャイコフスキー(紫)


第1主成分の負荷は以下の通り。得点がマイナスなので、付加六、長七、属九、増三、トリスタン和音、フランスの増六などの頻度が高く、単音、三度、長三和音、属七、減三などの頻度が低いという傾向があることになる。



B.因子分析
まず、相関行列の固有値をとると以下のようになる。固有値が概ね1以上であることやグラフの傾きから、因子数を6とする。

因子分析の結果でも因子数=6で十分との判定が得られた。rotation=promaxの結果を以下に示す。右側にマーラーの作品が偏って分布していることが窺えることから第1因子がマーラーの作品の特徴づけの和音の出現分布上での主要な因子であることが示唆される。(アーカイブ中にはvarimaxの結果も収められている)。

そこで第1因子得点を確認してみる。左の赤いバーがマーラーの作品の棒グラフであり、若干の例外はあるものの、明らかな偏りが見られ、それが上記のbiplotの分布の偏りに対応していることがわかる。
 

第1因子負荷を確認すると以下の通り。付加六、長七、増三、属九、フランスの増六がプラスであることなど、主成分分析の結果や前回報告の結果と同様の傾向を示していることがわかる。
数値を確認したところ第3因子もマーラーの作品に共通の特徴が表れているように思えたので、以下に掲げる。まずは因子得点から。左隅の赤いバーがマーラーの作品群に対応しているが、一部を除いてマイナス方向に偏っていることがわかる。
 

第3因子負荷は以下の通りで、属七に特徴のある因子だが、上に示したようにマーラーの作品は因子得点がマイナスなので属七の割合が少ないことがわかる。これもまた前回得られた結果と共通の傾向である。
C.階層クラスタ分析
距離はユークリッド距離のみ。クラスタリング手法としてhclustでデフォルトのcompleteを使った結果は以下の通り。他の作品の数が増えたので、ややわかりにくくなったが、大きく古典派系と非古典派系に分かれ、マーラー作品の多くは後者に属する傾向は前回と共通している。


上記の結果に対して、クラスタの安定性を確認するために、fpcパッケージのclusterbootを用いてJaccard係数の平均値を求めた結果を履歴ファイルに収めている。全般に不安定だが、マーラーの作品が属する上位のクラスタについては相対的に安定しているようである。
更に距離をマハラノビス距離に変え、ward法によってクラスタリングした結果を以下に示す。
なお必ずしもこの結果に限定されないが、マーラーの作品の中で、マーラー作品の多くが属するクラスタではない別のクラスタに属する楽章を見てみると、主成分分析や因子分析における「非マーラー」的な楽章と概ね一致する傾向があることを確認できる。


D.非階層クラスタ分析
clusGapを用いてGap統計をとった結果(アーカイブ中のhist.txt参照)はクラスタ数2で安定だが、それ以上のクラスタ数については試行の度に結果が異なり安定しない。しかしクラスタ2については既に前の報告で示したので、ここではGap統計で再度結果が安定しはじめる8クラスタの結果を示す。ただしkmeans法はその手法そのものがランダムネスを含んでいるので、同じデータでも試行の都度データの細部は変化しうるので、以下はあくまでもおおまかな傾向を知るための参考程度に過ぎない。

作曲家毎のクラスタへの所属は以下の通りとなっている。行方向が作曲家のラベル、列方向がクラスタ番号であり、行:2がマーラーで第1、4クラスタに集中していることが読み取れる。一方で第2、3、5、6あたりが古典派のクラスタのようであり、マーラーの作品とは相補的な分布となっている。マーラー以外の作曲家は作品数が限定されているので、偶然そういう作品が選ばれたということもあるものの、概ね時代区分に沿った分布の傾向が読み取れる。

    res
class  1   2   3   4   5   6   7   8
   0    0   0   0   0   1   0   0   0 アイヴズ
   1    3   0   0   2   1   0   2   0 シベリウス
   2  21   1   0  20  3   0   4   1 マーラー
   3    1   1   5   0   5   0   4   0 ブラームス
   4    4   1   1   7   9   0   1   0 ブルックナー
   5    1   0   2   3   0   1   1   0 ショスタコーヴィチ
   6    0   5   7   1   0   0   1   1 モーツァルト
   7    0   0   3   0   1   0   1   0 シューマン
   8    2   0   0   0   1   0   0   0 スクリャービン
   9    0   0   1   1   4   0   0   0 スメタナ
   10  2   0   0   1   0   0   0   0 フランク
   11  0  20  11 2   2   5   0   0 ハイドン
   12  0   0   0   1   0   0   0   0 シュニトケ
   13  1   0   0   0   0   0   0   0 ヴェーベルン
   14  2   0   0   2   0   1   0   0 バルトーク
   15  0   7   2   1   2   3   3   0 ベートーヴェン
   16  0   0   1   2   1   1   0   0 ベルリオーズ
   17  0   0   0   0   3   0   4   1 ドヴォルザーク
   18  5   0   0   0   0   0   2   0 エルガー
   19  1   0   0   0   0   0   2   1 メンデルスゾーン
   20  0   0   0   0   0   0   1   0 ワグナー
   21  3   0   0   1   0   0   0   0 ラフマニノフ
   22  0   0   3   0   0   0   3   0 シューベルト
   23  6   0   0   3   0   2   1   0 チャイコフスキー

5.アーカイブファイルに含まれるファイルの説明
和音出現特徴分析_拡張版.zipの中には以下のファイルが含まれます。

(1)入力データ
 cfreqA.csv:分析対象の和音(コード)の出現割合のファイル
 col_cfreqA.csv:対象作品のbarplotにおける色指定。(時代区分には対応しない。)
 class_cfreqA.csv:対象作品を作曲家別に分類したファイル
 corresp_cfreqA.csv:生の頻度情報ファイル。cfreqAに含まれないコードも含む

(2)主成分分析系
 prcomp.pdf:主成分分析結果のbiplotグラフ
 pr_score-[1-10].pdf:主成分得点のbarplotグラフ
 prcomp_PC[1-10].pdf:主成分負荷量のbarplotグラフ

(3)因子分析系
 (3-1)直交回転(varimax):因子数=6
  varicomp.pdf:因子分析結果のbiplotグラフ
  vari_score-[1-6].pdf:因子得点のbarplotグラフ
  vari_load-[1-6].pdf:因子負荷量のbarplotグラフ
 (3-2)斜交回転(promax):因子数=6
  procomp.pdf:因子分析結果のbiplotグラフ
  pro_score-[1-6].pdf:因子得点のbarplotグラフ
  pro_load-[1-6].pdf:因子負荷量のbarplotグラフ
 (3-3)相関行列の固有値
   eigen.pdf

(4)階層クラスタ分析系
 (4-1)ユークリッド距離によるクラスタリング結果
  hclust_complete.pdf:完全連結法による結果のデンドログラム
  hclust_average.pdf:群平均化法による結果のデンドログラム
  hclust_wardD2.pdf:Ward法(最小分散法)による結果のデンドログラム
 (4-2)マハラノビス距離によるクラスタリング結果
  hclust_Mahalanobis_ward.D2.pdf:Ward法による結果のデンドログラム
 (4-3)クラスタの安定性評価に用いた条件(解析結果はhist.txtに収録)
  hclust_complete_rect5.pdf:ユークリッド距離・完全連結法で5クラスタまでを評価

(5)非階層クラスタ分析系:
 (5-1)ギャップ統計
  clusGap.pdf
 (5-2)クラスタリング結果
  kmeans8.pdf:8クラスタでの分類結果のプロット
  kmeans8.csv:8クラスタでの分類結果
  kmeans8.xls:8クラスタでの分類結果と対象作品のクラス分けの対照用

(6)分析履歴
  hist.txt:R言語を用いた分析履歴。各分析の数値的な結果を含む。

[ご利用にあたっての注意] 公開するデータは自由に利用頂いて構いません。あくまでも実験的な試みを公開するものであり、作成者は結果の正しさは保証しません。このデータを用いることによって発生する如何なるトラブルに対しても、作成者は責任を負いません。入力として利用させて頂いたMIDIファイルに起因する間違い、分析プログラムの不具合に起因する間違いなど、各種の間違いが含まれる可能性があることをご了承の上、ご利用ください。
(2020.2.24公開、25データを追加、26一部データ差替・加筆)

2020年2月23日日曜日

MIDIファイルを入力とした分析:和音の出現頻度から見たマーラー作品(2021.6.17更新)

MIDIファイルを入力とした分析の一環として、和音(コード)の出現頻度に基づくマーラーの作品の他の作品との比較を試みたので、その結果を以下に報告します。分析の単位は楽章毎(単一楽章の場合には曲毎)で、各拍の和音(コード)をラベリングした結果(「MIDIファイルを入力とした分析の準備:調性推定と和音のラべリング」https://gustav-mahler-yojibee.blogspot.com/2020/01/midi2020128.html参照)に基づき、単音を含む18種類のコードの出現頻度をとって対象の楽章(ないし曲)の全拍のうち占める割合を計算したものを分析対象としました。

(2021.6.17追記:集計プログラムの制約で、対象作品のMIDIデータの各ファイルに含まれる最初の1591拍分のみが分析対象となっていることがわかりました。各ファイルは概ね交響曲作品の楽章単位であることから、楽章の長さに応じて、全てが対象となっている場合もあれば、前半の1591泊目までが対象となっている場合もあることになります。この点についての記載が漏れていたことにつき、お詫びして追記します。なお、この制約をなくした分析を、今後実施の予定です。仮に両者に違いが確認できるのであれば、それ自体、音楽作品の時系列の構造の特性が反映したものである可能性が考えられます。)

分析やグラフの作成はR言語を用いて行い、階層・非階層のクラスタ分析、主成分分析、因子分析を行いました。分析の入力データと結果のデータ・グラフについては、以下からダウンロードできます。(和音出現特徴分析.zipという1ファイルにアーカイブされています。)

https://drive.google.com/file/d/1fbLw8kq0R8e5psjYcOtQoUXwFVrTxEDD/view?usp=sharing

以下では、分析の概要と上記のアーカイブファイルに含まれる各ファイルとの対応づけを記述します。

このような和音の出現頻度に関する量的分析は音楽情報処理分野ではありふれたものであると思います。このブログで以前言及したものでは、Tonal Theory for the Digital Age, Computing inMusicology 15 (2007-08)には、Eva Ferkova et al., Chordal Evaluation in MIDI-Based Harmonic Analysis: Mozart, Schubert, and Brahms があり、その中で報告された分析の一部として、和音のラベリングと頻度の分析が含まれますが、マーラーの作品について同様の分析が行われたことがあるかどうかは寡聞にして知りません。もしご存じの方がいらっしゃればご教示頂ければ幸いです。

いずれにせよ、時系列に添ったプロセスである音楽に対して、このように静的かつ巨視的な情報に基づく量的・統計的分析が語ることがごく限られていることは言うまでもなく明らかなことと思われます。また、以下の結果は分析の手始めに過ぎず、この結果に基づいて更に分析を行っていく必要があり、実際にその後若干の追加の実験も行っていますが、これまで多くの優れた分析者が直観的に把握してきたマーラーの作品の特性のうちのごく僅かな部分であっても、データに基づく検証が行われることには一定の意味があるものと考え、ささやかなものではありますが、まずは最初の分析結果を公開する次第です。(2020.2.23記)

1.対象データ
・マーラーの作品:重心計算や調性推定で用いた全交響曲のMIDIデータ(楽章毎)
  合計50ファイル⇒カテゴリ2

・比較対照用の作品:以下の作品のMIDIデータ(楽章毎。合計71ファイル)
 便宜的に4つのカテゴリに分類し、クラスタ分析結果との照合を行った。

 カテゴリ1:近現代の作品
  アイヴズ 答えのない質問
  シベリウス 交響曲第2番、7番、タピオラ
  ヴェーベルン パッサカリア
  ショスタコーヴィチ 交響曲第10番
  スクリャービン 交響曲第3番
  シュニトケ 交響曲第5番=合奏協奏曲第4番第1楽章
 カテゴリ3:ロマン派
  ブラームス 交響曲第2番、3番、4番
  ブルックナー 交響曲第5番、7番、9番
  フランク 交響曲
  スメタナ わが祖国
 カテゴリ4:古典派
  ハイドン 交響曲第104番
  モーツァルト 交響曲第38番、39番、40番、41番 
 カテゴリ5:前期ロマン派
  シューマン 交響曲第3番

2.分析に用いた特徴量:上記MIDIデータの各拍毎の以下の和音(コード)の出現割合
 単音、重音:完全五度、長二度、短三度、長三度、短二度、増四度
 短三和音、長三和音、属七和音、属九和音、付加六、イタリアの増六
 減三和音、増三和音、長七和音、トリスタン和音、フランスの増六

3.分析手法
 分析はすべてR言語(version.3.6.2, 2019-12-12版)を用いて行った。
 分析履歴をアーカイブに含めた。(hist.txt)
 A.主成分分析:prcompを使用。標準化を行う(scale=TRUE)。
  説明率80%⇒第9主成分までについて負荷と主成分得点を計算。
  分析結果はbiplotでグラフ化。負荷と主成分得点はbarplotでグラフ化。
 B.因子分析:factanalを使用。
  因子数の決定は相関行列の固有値を参照:固有値が概ね1以上⇒5因子と決定
  rotationはvarimax(直交回転), promax(斜交回転)の両方を試行。
  分析結果はbilplotでグラフ化。負荷と因子得点はbarplotでグラフ化。
 C.階層クラスタリング:距離はユークリッド距離を使用し、結果をhclustに与えた。
  クラスタリング手法としては以下の3種を試行し、結果はデンドログラムでグラフ化。
   complete(完全連結法)
   average(群平均化法)
   wardD2(最小分散法) 
  クラスタの安定度を確認するために、ユークリッド距離・完全連結法での
  上記の2クラスタのJaccard係数の平均値をfpcパッケージのclusterbootを
  用いて求めた。(hist.txt)
  更にマハラノビス距離を用いて最小分散法によるクラスタリングを行った。
 D.非階層クラスタリング:kmeansを使用。
  クラスタ数はギャップ統計を参考にした。
  kmax=10、最大イテレーション回数=200でclusGapを使用。
  結果をbarplotでグラフ化。
  ⇒クラスタ数2で試行した結果をclusplotでグラフ化。
 
4.分析結果の概要
 A.主成分分析
第9因子までのCumulative Proportionは0.81455(詳細はhist.txt中のsummary参照)
主成分得点のうち、マーラー作品を特徴づけるものと考えられるのは第2主成分であり、上記グラフでは、中心から下側にマーラーの作品が偏って分布する様子が読み取れる。

以下に第2主成分得点のbarplotを示す(赤がクラスタ2=マーラーの作品。クラスタ1(近現代)=黒、クラスタ3(ロマン派)=緑、クラスタ4(古典派)=青、クラスタ5(前期ロマン派)=水色)。緑色でマーラーと同じ傾向なのはブルックナーの第5交響曲と第9交響曲。近現代では、ショスタコーヴィチとシュニトケが同傾向で、楽章によってはマーラーより強く傾向が出ている。
なお、ここからマーラー作品の中で第2主成分得点について例外的という意味で「マーラー的」でない、むしろ古典派的な楽章を取り出すことができるだろう。



第2主成分の負荷は以下の通り。主三和音・属七和音の比率が高く、長三度を除く重音の比率が低い成分だが、マーラーの作品は得点がマイナスなので、主三和音・属七和音の比率が低く・長三度を除く重音比率が高い傾向にあると言えそう。

B.因子分析
まず、相関行列の固有値をとると以下のようになる。固有値が概ね1以上であることやグラフの傾きから、因子数を5とする。
因子分析の結果でも因子数=5で十分との判定が得られた。rotation=varimaxの結果を以下に示す。中心から右下側にマーラーの作品が固まっている様子が読み取れる。なおpromaxでも大まかな傾向は同様(アーカイブ中には両方の結果が収められている)。
因子得点を確認すると、マーラーの作品を特徴づける因子は、以下に示す第2因子と思われる。

第2因子の負荷は以下の通りであり、特に属七和音比率高・付加六和音および長七和音比率低の因子だが、マーラーの作品は得点が低いため、属七和音比率が低く、付加六・長七和音比率が高い傾向があることを示していると考えられる。近現代で同傾向なのはスクリャービンの第3交響曲。

C.階層クラスタ分析
距離はユークリッド距離のみ。クラスタリング手法としてhclustでデフォルトのcompleteを使った結果は以下の通り。大きく古典派系と非古典派系に分かれ、マーラー作品の多くは後者に属することが読み取れる。

なお、クラスタの安定性が低そうなことが実験結果から窺えたため、fpcパッケージのclusterbootを用いてJaccard係数の平均値を求めた結果を履歴ファイルに収めている。マーラーの作品が含まれる上位のクラスタについては比較的安定しているという結果になっている。
更に距離をユークリッド距離からマハラノビス距離に変えてward法を用いた結果を参考までに以下に示す。
なお必ずしもこの結果に限定されないが、マーラーの作品の中、マーラー作品の多くが属するクラスタではない、別のクラスタに属する楽章を見てみると、主成分分析や因子分析における「非マーラー」的な楽章と概ね一致する傾向があることを確認できる。


D.非階層クラスタ分析
適当なクラスタ数を検討するためにclusGapを用いてGap統計をとったが、結果が安定しないため(アーカイブ中のhist.txt参照)、安定して同じ結果が得られる2クラスタの結果のみを示すことにした。k-means法は手法上ランダムネスが含まれるので、試行毎に解が変わりうるが、何度か試行した限りでは2クラスタの場合には同一の結果が得られるようである。他の手法の結果と照合して評価をする必要があるが、大まかな傾向―すなわちここでは、マーラーの作品の多くが非古典的なクラスタ(以下の結果では第2クラスタ)に分類される傾向にあること―は、主成分分析や因子分析、或いは階層クラスタ分析の結果によっても同様の傾向が得られているのであって、安定したものであると言えるだろう。

事前に用意した5つの区分(1:近現代、2:マーラー、3:ロマン派、4:古典派、5:前期ロマン派)と上記のクラスタリングの結果との照合結果は以下の通り。なお、個別の作品がどのクラスタに属するかについては、アーカイブ中のhist.txtを参照のこと。

  res
ans   1   2
  1    4  10
  2    6  44
  3  19  14
  4  18    1
  5    4    1


5.アーカイブファイルに含まれるファイルの説明
和音出現特徴分析.zipの中には以下のファイルが含まれます。

(1)入力データ
 cfreqA.csv:分析対象の和音(コード)の出現割合のファイル
 col_cfreqA.csv:対象作品のクラス分けを定義したファイル(色指定も兼ねる)
 (1:近現代、2:マーラー、3:ロマン派、4:古典派、5:前期ロマン派)
 class_cfreqA.csv:対象作品を作曲家別に分類したファイル
 corresp_cfreqA.csv:生の頻度情報ファイル。cfreqAに含まれないコードも含む

(2)主成分分析系
 prcomp.pdf:主成分分析結果のbiplotグラフ
 pr_score-[1-9].pdf:主成分得点のbarplotグラフ
 prcomp_PC[1-9].pdf:主成分負荷量のbarplotグラフ

(3)因子分析系
 (3-1)直交回転(varimax):因子数=5
  varicomp5.pdf:因子分析結果のbiplotグラフ
  vari_score-[1-5].pdf:因子得点のbarplotグラフ
  vari_load-[1-5].pdf:因子負荷量のbarplotグラフ
 (3-2)斜交回転(promax):因子数=5
  procomp5.pdf:因子分析結果のbiplotグラフ
  pro_score-[1-5].pdf:因子得点のbarplotグラフ
  pro_load-[1-5].pdf:因子負荷量のbarplotグラフ
 (3-3)相関行列の固有値
   eigen.pdf

(4)階層クラスタ分析系
 (4-1)ユークリッド距離を用いたクラスタリング結果
  hclust_complete.pdf:完全連結法による結果のデンドログラム
  hclust_average.pdf:群平均化法による結果のデンドログラム
  hclust_wardD2.pdf:Ward法(最小分散法)による結果のデンドログラム
 (4-2)マハラノビス距離を用いたクラスタリング結果
  hclust_hclust_Mahalanobis_ward.D2.pdf:Ward法による結果のデンドログラム
 (4-3)クラスタの安定度解析で用いた条件(解析結果はhist.txtに収録)
  hclust_complete_rect2.pdf:ユークリッド距離・完全連結法で2クラスタまでを評価

(5)非階層クラスタ分析系:
 (5-1)ギャップ統計
  clusGap.pdf
 (5-2)クラスタリング結果
  kmeans2.pdf:2クラスタでの分類結果のプロット
  kmeans2.csv:2クラスタでの分類結果
  kmeans.xls:2クラスタでの分類結果と対象作品のクラス分けの対照用

(6)分析履歴
  hist.txt:R言語を用いた分析履歴。各分析の数値的な結果を含む。

[ご利用にあたっての注意] 公開するデータは自由に利用頂いて構いません。あくまでも実験的な試みを公開するものであり、作成者は結果の正しさは保証しません。このデータを用いることによって発生する如何なるトラブルに対しても、作成者は責任を負いません。入力として利用させて頂いたMIDIファイルに起因する間違い、分析プログラムの不具合に起因する間違いなど、各種の間違いが含まれる可能性があることをご了承の上、ご利用ください。
(2020.2.23公開, 24一部加筆修正, 25結果データを追加, 26非階層クラスタ分析の結果を差し替え)

2020年1月26日日曜日

アメリカの消防士のゴング?:第10交響曲についてのアドルノの言及を巡って(2020.1.28更新)

 アドルノの『マーラー』の最後の章「長きまなざし」の中に、第10交響曲の「プルガトリオ(煉獄)」末尾のゴング(タムタム)に関する言及があるのだが、以前この部分を読んだ時に、「おやっ」と思って記したメモが残っている(実はメモのままこのブログの記事として公開状態にある)。もともとが雑多な覚えの末尾に、その直前のメモの主題とは全く別に、おまけのようにそのことを書き記したこと自体、実は半ば忘却の彼方に去っていたのだが、どなたかがその「メモ」を読んで下さったお蔭で思い出したので、感謝の気持ちを籠めて、些事ではあるけれど備忘としてここで取りあげて置くことにする。

 問題のアドルノの文章は以下の通りである。

(...) Diesem könnte die Geschichte von dem Tamtamschlag des Feuerwehrmanns in Amerika entlehnt sein, der Mahler einen traumatischen Schock versetzt haben soll und der wohl am Ende des »Purgatorio«-Fragments aus der Zehnten Symphonien wiederkehrt;  (...)
Taschenbuch版全集第13巻pp.291-292, 龍村訳 pp.191~192

前後を読むと、ここではカフカについて論じられているのだが、私が気になったのはその本来の論旨から言えば、どちらかといえば些末な事実に関することであった。アルマの『回想と手紙』の読者であれば、否、そうでなくても、第10交響曲についての作品解説の類でも良く参照されるので、それを通じて知っている人も多いだろうが、アルマの『回想』の中にアドルノが言及しているエピソードが出て来はしても、それは厳密に言えば、アドルノが述べている通りではないのである。

 アドルノのモノグラフの全訳としては2つ目の訳業ということになる龍村訳にはかなり豊富な訳注がつけられており、ここの部分にも訳注が付けられているので、それを参照した読み手は、もう一度「おやっ」と思うことになる。そこでは

「アルマ・マーラーによると、第十交響曲の葬送のゴング(タムタム)は、ニューヨークで夫妻がホテルの窓から見た、殉死した消防士の葬儀の印象に由来しているという。」(龍村訳 訳注(VIII 長きまなざし)*8 p.259)

と述べられており、ミッチェル版の『回想』の対応箇所のページ数が記されているのである。つまりこの訳注では、恰もアドルノの言及の通りにアルマが回想で述べているかのように書かれている。

 ところが知っている人は知っている通り、この訳注は事実に反しているのだ。アルマの『回想と手紙』を確認してみることにしよう。私は、酒田健一訳の1973年に白水社から出版された旧版を子供の頃に入手して以来ずっと手元に置いて参照してきたので、それを引用することとさせて頂きたい。それは「新世界 1907-1908年」の章に出て来る、以下のパラグラフのことに違いない。

「若い美術工芸学校の生徒のマリー・ウヒャーティウスが、ある日マジェスティック・ホテルに私をたずねてきた。話しこんでいるうちに、私たちはふと聞き耳を立てた。セントラルパーク沿いの大通りが騒がしい。窓からのり出して見ると、下は黒山のような人だかりがしている。葬式だった―行列が近づいてくる。そういえば新聞に、消防士が一人火事で殉職したという記事が出ていた。行列がとまった。代表者が前に進み出て、短い挨拶をした。私たちのいる十二階からでは、なにかしゃべっているらしいとわかっても、声までは聞こえてこない。挨拶のあとちょっと間をおいてから、おおいをかぶせた太鼓が一つ鳴った。あたりは水を打ったように静まり返り、やがて行列は動き出し、式は終わった。
 この風変わりな葬儀を見ているうちに、私の目には涙があふれてきた。おそるおそるマーラーの部屋の窓のほうをうかがうと、彼も身をのり出していて、その顔は泣きぬれていた。このときの光景は彼によほど深い感銘を与えたとみえて、のちに彼はあの短い太鼓の響きを『第10交響曲』のなかで使っている。」
(アルマ・マーラー『グスタフ・マーラー 回想と手紙』, 酒田健一訳, pp.155~156)

このくだりを読んだ人は、まず間違いなく、アルマが参照しているのは、第10交響曲の第4楽章のスケルツォの末尾、第5楽章のフィナーレの冒頭に鳴る、あの忘れ難い大太鼓の一撃であると考えることであろう。勿論、アルマは明確にそこの部分だと指示しているわけではないけれど、それにしても、「おおいをかぶせた太鼓が一つ鳴った。」とあって、それがゴング(タムタム)ではないことは間違いない。念のため対応の箇所の原文をあたっても 、

Die junge Kunstgewerbeschülerin Marie Uchatius war einst bei mir in Hotel Majestic. Wir wurden aufmerksam. Auf der breiten Straße, entlang des Centralparks, Getümmel und Lärm. Wir lehnen uns aus dem Fenster, unten eine große Menschenmenge. Ein Leichenbegängnis ― der Kondukt naht. Jetzt wissen wir auch aus unsern Zeitungskenntnissen, es war ein Feuerwehrmann, der bei einem Brand den Opfertod fand. Der Zug steht. Der Obmann tritt vor, hält eine kurze Ansprache, wir ahnen im 11. Stock mehr als wir hören, daß gesprochen wird. Kurze Pause, dann ein Schlag auf die verdeckte Trommel. Lautloses Stillstehen ― dann Weitergehen. Ende.Diese seltsame Totenfeier preßte uns die Tränen aus den Augen. Ich sah ängstlich zu Mahlers Fenster hin, aber da hing auch er weit hinaus, und sein Gesicht war tränenüberströmt. Die Szene hatte einen solchen Eindruck auf ihn gemacht, daß er diesen kurzen Trommelschlag in der Zehnten Symphonie verwendet hat.(酒田訳がそれに基づいている1949年版原書(アンシュルス後、第二次世界大戦中の1940年に出版された初版の、戦後出版された再版)ではp.170、現在入手しやすいと思われるFischerから出ている『回想』部分のみのTaschenbuch版ではp.163)

となっていて、やはりゴング(タムタム)ではないのである。いやこういうのは私だけではない。というよりも私がほとんど反射的に「おやっ」と思ったのは以下の理由による。
 
 これも上記の『回想と手紙』と並んで、子供の頃からの伴侶であった2冊のうちのもう1冊であるマイケル・ケネディの『グスタフ・マーラー』(中河原理訳、芸術現代社、1978年)は、著者がデリック・クックの知己であることもあって、第10交響曲に関する正確でかなり詳細な情報を含んでいるのが一つの特徴となっているが、その第5楽章の紹介のくだりは以下のようになっていて、この件を記憶した子供であった私の中では、アルマの回想が第4楽章のスケルツォの末尾、第5楽章のフィナーレの冒頭に鳴るバスドラムと関連していることは「事実」も同然であったわけなのである。

「これが何を意味するか、君だけが知っている」とマーラーはアルマにあてて、このスコアに書いている。マーラーはふたりがはじめてニューヨークに行ったとき(1907年12月から翌年4月まで)の出来事に触れているのである。このときはセントラルパークを見おろすホテル・マジェスティックに泊った。英雄的な死をとげた消防士の葬列が窓の下にとまった。歩き始めるまえに、覆いをつけた太鼓が短く鳴った。感じやすいマーラーはこれを眺め、涙がほほを伝った。その太鼓がこの終曲を開始し、ニ短調を保ってゆく。(…)
マイケル・ケネディ『グスタフ・マーラー』(中河原理訳、芸術現代社、1978年、p.233)

アドルノの側について言えば、彼自身は、例によってこういう側面の参照に関してはその典拠についての注をつけていないので、確実にアルマの回想の上掲のエピソードを参照しているという証拠があるわけではないとはいうものの、他にこれに替るドキュメントがあるものか、寡聞にして知らない。もしアドルノが言及している通りの、ゴングが鳴り響くアメリカの消防士に関するエピソードというのが別にどこかにあるのをご存知であれば、是非ご教示頂きたくお願いする次第である。

 ちなみにこの第10交響曲がマーラーの早すぎる晩年に訪れた、一般的には家庭内の不和ということになるであろう出来事に関わることは良く知られている。ケネディの評伝は伝記と作品解説の2部に分かれるが、そのいずれにおいてもこの点について、しばしばアルマに対して批判的なトーンを交えて言及している。私見では、それは全く正当な態度だと思われるが、その一方で私が第10交響曲を聴きながら最近感じるのはそれとは別のことである。作品とその作品を産み出す背景となった伝記的事実とは一先ず区別して考えるべきであり、私のそれは寧ろマーラーその人の経験の側についての思いに過ぎないのだが、マーラーのような性格の人は、この時期に、自分が気付かずに、時として無意識に、或る時にはもしかしたら良かれと思ってやった数々のことが、他人にとっては迷惑な、不快ですらあることに思い至らなかったことについての果てしない慙愧の念を感じていたに違いないということだ。誤解のないように繰り返して言うが、第10交響曲がその慙愧の念を表現していると感じたということではない。それとはいっそ無関係に、だが、背後にそうした悔悟の念、自分が意図せず独善的でしかなく、他人にとっては迷惑な存在であったこと、自分がどんなに願ったとしても、他人のために何かをすることにおいて、自分が不十分な存在であり、常にではなくても、最終的には力及ばないこと、そしてその時に気付いた時には最早手遅れであって、自分がやってしまったことについては最早取り返しがつかないのだという認識、或る意味ではあまりに平凡で取るに足らないと言われもしよう認識に直面したときの絶望感というものが潜んでいるような感じがしたということに過ぎない。そしてそのことをふと、上記のエピソードを引用しつつ思っただけではあるのだが、こと私個人に関しては、こうした「人間的な、あまりに人間的な」地平がマーラーへの共感の背景となっていることが否定しがたいことのように思われること、そして一見無関係に見えたとしても、アドルノの了解との隔たり(とはいえそれは対称なものでは全くなく、こちら側はごく私的な感じ方の根拠に過ぎず、何ら一般性な価値を有するものではないのだ)が、もしかしたらこの辺りに存するかも知れないと感じたこともあり、敢てここに追記しておくことにしたい。

 アドルノが第10交響曲の補筆に対して否定的な見解であったことは、龍村訳に収められているモノグラフ第2版へのあとがきからも窺えるが、これまた周到にも龍村訳の訳注で言及されている通り、»Fragment als Graphik«というタイトルの論考を後に書いてもいて、実はそこでももう一度、第3楽章について言及しているところで、

(...), obwohl der berühmte Tamtamschlag am Ende, den Alma Mahler mit einer biographischen Episode in Zusammenhang brachte, immerhin auf eine inkommensurable musikalische Situation deutet. (Taschenbuch版全集第18巻, Musikalische Schriften V, p.252) 

と記しているのであって、少なくともアドルノ自身の中では一貫した主張だったようである。上掲の»Fragment als Graphik«は1969年の日付を持つ文章のようだが、これはまさにアドルノの没年にあたっているから、アドルノが生前一貫して持ち続けていた信念だったと言って良いだろう。

 ここからは私の想像になるが、アドルノは既に戦前の1924年に出版されていたファクシミリには当然目を通していただろうし、同じ1924年秋の演奏も、或いは聴いていたかも知れない。また1951年に出版された所謂クシェネク=ヨークル版(これには第1楽章と第3楽章が収められている)も知っていたに違いないけれど、第4楽章・第5楽章の草稿を精査したことはなかったのではなかろうか。

 一方、クック版の補筆作業とその成果に基づく演奏については、演奏こそ、ゴルトシュミット指揮によるクック第1稿の放送初演が1960年12月19日にBBC放送であり、 クック第2稿の初演は1964年8月13日、ロンドンにおいてであるが(なお、いずれについても今やCDで聴くことができる)、これらを補筆に対して否定的であったアドルノが聴いたことがあったかどうか?更にクック版の楽譜としての出版はアドルノの没後の1976年まで待たなくてはならないのである。アドルノが、同じシェーンベルクのサークルのメンバーであったクシェネクや自分の作曲上の師であったベルク、シェーンベルクの師であったツェムリンスキーが関わった1924年版の作業は勿論として、その後のクックによる補筆の動きを知っていたことは、モノグラフ第2版へのあとがきから状況的には疑いないが、実証的な観点からすれば、わざわざ大太鼓が打ち鳴らされる箇所が別にあるのを知った上で尚、第3楽章末尾のゴングの一撃とアルマの回想のエピソードを結びつけるとも思えない。というわけで、アドルノが第4楽章のスケルツォの末尾、第5楽章のフィナーレの冒頭に鳴る大太鼓の一撃を知らなかったのではという見解に傾くのである。尤も、アドルノは必ずしも実証を重んじるタイプではなかったかも知れず、従ってこれ以上についてはアドルノを研究されている専門の研究者の判断を俟つしかなく、素人の憶測は慎むこととしたい。

 だが、斯く云う私も、上記のことに気付いた時にさえ、アドルノの主張の本筋の是非については別の問題であると思っていたし、その点の認識については基本的には現時点でも変わりはない。第10交響曲の「ゴング」と消防士に関する事実がどうであれ、「プルガトリオ」を閉じるゴングは、「プルガトリオ」が典拠としている歌曲『この世の営み』や歌曲『魚に説教するパドヴァの聖アントニウス』に基づく第2交響曲第3楽章の末尾同様、死後の世界への到着を告げる(『この世の営み』については歌詞の物語る通りだし、「プルガトリオ」の後には「悪魔が私と踊る」第4楽章が続き、第2交響曲第3楽章の後には、あの歌曲『原光』そのものである第4楽章が続く)ものではあるだろうから、アドルノの指摘それ自体は問題なく、誤っているのは消防隊の連想と、事実関係の誤認の点のみに限定されるだろう。

 いや正確に言えば、「プルガトリオ(煉獄)」とはこの世の営みの終焉とと天国への到着との間にあるのだから、死後の世界への到着を告げるゴングが曲の末尾に鳴るのはズレているだろう、という指摘はあるかも知れない。この点に関しては文字通りには反論の余地はないが、だとしたらそれは標題から逆に音楽に辿ろうとするが故に発生する問題だと返すことはできるだろう。「死後の世界への到着を告げる」という言葉がもたらす歪みが問題だというなら、或る種の相転移のポイントの通過を表すというように言い直しても良い。そもそもがそのようなゴングの音の象徴学に拠るならば、曲頭からゴングが鳴り響く葬送の歩みのような『大地の歌』の「告別」は、既に「死の世界」だということになるだろうが、それでは「告別」の中間部分の器楽による「葬送行進曲」はどうなる、といった疑問が出て来ることになるだろう。こんな議論を追いかけていけば、そのうちに当の音楽からどんどん離れて行ってしまう。要するにこうした標題的な詮索は、音楽に対して言葉の持つ歪みを押し付けているに過ぎないし、音楽は出来事を文字通り「物語る」のではないのであって、寧ろ「時間性の様態のシミュレータ」と見做すのが適切なのだが、このことは別に書いたのでここでは繰り返さない。

 ただ、その上でアドルノがかくもこだわった第3楽章末尾のゴングに関して確認してみたいと思うことがある。それはそのゴングを、クシェネク=ヨークル版に従ってフォルテで鳴らすべきか、それともクック版におけるように小さく鳴らすべきか、いずれが妥当かという点である。最初はFM放送で(諸井誠さんによる解説に導かれて)レヴァインの録音を聴き、しばらくはインバルがヘッセン放送のオーケストラと録音したものが私のリファレンスだったのだが、メモを記した当時私が良く聴いていたのはクルト・ザンデルリンクが旧東ドイツのベルリン交響楽団(現在のベルリン・コンツェルトハウス管弦楽団)を演奏した全曲版だった(やはり旧東ドイツのドイツ・シャルプラッテン・レーベルから出ていた)らしく、メモにはこの演奏への言及もある。これも良く知られていることだろうが、ザンデルリンクはクック版に基づくとはいえ、器楽法上は独自の変更をかなり行って演奏をしているのだが、プルガトリオ末尾のゴングの一撃もまた、当時の私がクシェネク=ヨークル版を参考にしたかと思ったくらい、はっきりと鳴らされている。アドルノへの問いに戻れば、クシェネク=ヨークル版にせよクック版にせよ、ここの部分については「補筆」であるには違いなかろうから、アドルノは、第10交響曲の演奏そのものに否定的であった原則に立ち戻って、そんなことはマーラー自身でもなければ答えられない、というようにこちらの問いを切って捨てそうな気がするのだが、それでもなお問いかけてみたくなる程度には、アドルノの「アメリカの消防士のゴング」への拘りに対して、私自身の方がひっかかりを感じているということなのであろう。

 私は、別のところで何度となく記している通り、第10交響曲をアダージョのみから捉えるのではなく、全5楽章の交響曲として捉える立場に与したく思っていて、クックの補筆は、私のような単なるアマチュアの愛好家にとっては十分過ぎる程に、マーラーの意図を捉えたものと感じている。恐らくはこの点こそが分岐点なのだろうが、そういう私にとってはアドルノの本件についての了解、つまりゴングと大太鼓の間の「ずれ」は、単に第10交響曲が未完成であるという事実に即した是非の議論に留まらず、第10交響曲を含めた、もっと言えば、曲毎に発展し続けたマーラーの創作活動にあって、それをあり得たかもしれない全作品の頂点として捉えるような位置づけに基づいてマーラーの作品全体を考える立場からすれば、或いは決定的かも知れない認識の相違に通じているのではないかという気がしてならないのである。

 スタニスワフ・レムの『ビット文学の歴史』における、ドストエフスキーの『未成年』と『カラマーゾフの兄弟』の間に横たわるミッシング・リンクにあたる作品のAIによる仮構やカフカの未完成作品『城』の補完の(こちらは実は失敗に終わることが、その理由の示唆的な説明とともに語られる)エピソードを、マーラーの第10交響曲の場合に突き合わせてみることは極めて興味深い。ネットワークやデジタルメディアの発達に伴う「創作」、「創作物」の概念の変化に加えて、AIによる文学作品、美術作品、音楽作品の「創作」というのが一気に現実味を帯びるようになった今日、未完成であるが故に、ありうべき存在という様態でした存在しえない「幽霊的」な存在である第10交響曲に対してどのように向き合うかということは決して些末な問題とは思えない。AIが第10交響曲を補完することは、仮にやったとしても(レムがカフカの『城』について示唆したのと、或る部分では全く異なる―寧ろその点についてはブルックナーの第9交響曲のフィナーレの方が『城』のケースには近い―だろうが、大枠としては同じような理由で)必ずや失敗に終わるであろうと私は思っていて、そのことはそう考える理由とともに別にところに記した通りだが、そのことが結局は(それこそカフカの地下茎の迷路の如く)アドルノがカフカを引き合いに出したことの背後にある認識の正しさを裏付けていることに通じている点を認めるには吝かでなくとも、こと第10交響曲に関しては、アドルノの認識を今日我が事として引き受けようとしたときに、彼の立場を離れることが寧ろ必要なことのように感じられるのである。彼と共にプルガトリオ末尾のゴングの響きの前で立ち止まるのではなく、本当はそうであった筈の、未聞の、未成のバス・ドラムの一撃をこそ受け止めるべきなのではなかろうか?

 我々が第10交響曲を聴く準備はまだ整っていないとシェーンベルクが述べてからもう1世紀が経過したが、恐らくその準備は未だ出来ていないと言うべきだろう。だがそれは、その準備をまだ進めなくても良いということでもないし、そうした準備が最早不要のものとなったということでもないだろう。寧ろ今やそれを準備すべき時に至ったという認識を持つべきなのではなかろうか。
 
 いや、シェーンベルクがプラハ講演で第10交響曲に言及した、そのもともとの意図に沿うならば、それはそもそも時代の問題ではないのだ。1世紀の歳月は第10交響曲に関する展望を変えてしまった。シェーンベルクが第10について「ほとんど知ることがないだろう」ということの半面においてはまさしく、事実としてそうだろう。講演末尾の「まだわれわれに啓示されていない」という言葉もまた、その限りにおいては今日には最早相応しくないものかも知れない。だが、もう半面は?もう半面は、未だシンギュラリティの手前にいる以上、シェーンベルクが語った時と今とで何ほどの違いがあろうか。なおそこで例えば、マーラーの生命を奪った病は程なくして治癒可能なものとなったことを指摘する人はいるかも知れないし、事実としてそれは決して間違いではない。だがそれが「極限」の向こう側についての何かを授けるのであるとすれば、そのことの意味はシェーンベルクが語ったような水準では、限定的なものに留まるだろう。

 だが一方で、我々は第10交響曲について何某かのことを知ることになったのだし、そのことを恰も無かったかの如き態度をとることは最早許されまい。のみならず、シンギュラリティについて、つまり総じて100年前に既に先取りするようなかたちで予感されていた領域についてもまた、かつてとは異なる切迫の下で論じられる時代となったことは抗いがたい事実であろう。とあるとするならば再び、寧ろ今や第10交響曲を聴く準備をすべき時に至ったという認識を持つべきなのではなかろうかと感じずにはいられない。たとえその準備が私の生きている裡には終わらないとしても。そもそも私にはその準備を成し遂げるだけの能力も時間も遺されていないとしても。マーラーの最後の同時代者かも知れない一人として。その音楽を受け取ってしまった者に課せられた義務として。(2020.1.18初稿公開、2020.1.26-28加筆)