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2024年6月24日月曜日

ナターリエ・バウアー=レヒナーの回想録:第3交響曲についての言葉に含まれるヘルダーリンへの言及

ナターリエ・バウアー=レヒナーの回想録:第3交響曲についての言葉に含まれるヘルダーリンへの言及(1984年版原書p.56, 邦訳(高野茂訳)pp.113-4)
Auch die Einleitung zum ersten Satz der Dritten entwurf er und erzählte mir davon: "Das ist schon beinahe keine Musik mehr, das sind fast nur Naturlaute. Und schaurig ist, wie sich aus der unbeseelten, starren Materie heraus - ich hätte den Satz auch nennen können: 'Was mir das Felsbebirge erzählt' - allmählich das Leben losringt, bis es sich von Stufe zu Stufe in immer höhere Entwicklungsfromen differenziert: Blumen, Tiere, Mensche, bis ins Reich der Geister, zu den 'Engeln'. Über der Einleitung zu diesem Satz liegt wieder jene Stimmung der brütenden Sommermittagsglut, in der kein Hauch sich regt, alles Leben angehalten ist, die sonngetränkten Lüfte zittern und flimmern. Ich hör' es im geistigen Ohr tönen, aber wie die leiblichen Töne dafür finden? Dazwischen jammert, um Erlösung ringend, der Jüngling, das gefesselte Leben, aus dem Abgrund der noch leblos-starren Natur (wie in Hölderlins 'Rhein'), bis er zum Durchburch und Siege kommt - im ersten Satz, der attacca auf die Einleitung folgt."

 彼は《第三交響曲》の第一楽章への導入部の構想もまとめ、それを私に話してくれた。「それは、もはや音楽というものではなく、ただ自然音だけ、と言ってよい。生命のない硬直した物質から――僕はこの楽章を、「岩山が私に語ること」と名付けてもよかろう――生命がしだいに身を振り離し、一段階ごとに、花、動物、人間といったより高度な発展形態に分化していって、最後に精神の領域、つまり「天使たち」にまで達する過程には、人をぞっとさせるものがある。この楽章の導入部には、ふたたびあの夏の熱気、息をつくものもなく、すべての生き物が動きを止め、太陽に酔いしれた空気が震え微動する、じりじりとした夏の真昼の灼熱の気分がみなぎっている。僕には、それが心の耳で鳴っているのが聞こえるけれども、どうやってそれに相応する実際の音を見出したらよいのだろう?そこでは、若者の縛られた生が(ヘルダーリンの『ライン』におけるように)まだ生命のない硬直した自然の底しれぬ深みから、救済を求めて嘆きを声をあげる。そして、導入部にすぐに続く第一楽章になって若者は解放され、勝利を得るのだ。」

マーラーがヘルダーリンを好んでいたのはアドラーの言及(Guido Adler "Gustav Mahler", 1916のp.43)から始まって、ヴァルターの回想 (邦訳第2編「反省」第3章「個性」p.192参照)やアルマの回想と手紙に含まれる書簡(1901年12月16日)でも証言されているが、 彼自身の証言として具体的な作品に言及しているのは、上に掲げた1896年夏のアッター湖畔シュタインバッハでの第3交響曲についての言葉と、 同じくバウアー=レヒナーの回想にある1893年7,8月のアッター湖畔シュタインバッハでの 「ワグナーの偉大さ」についての言葉のようである。言及されている作品はいずれも讃歌「ライン」で、「ワグナーの偉大さ」の方は第4節の'Das meiste nämlich vermag die Geburt, und der Lichtstrahl, der dem Neugeborenen begegnet'「つまり、生まれと生まれたばかりのときに出会った光線が、大部分を決めてしまうのである」が実際に 引用されている(1984年版原書p.33, 邦訳p.57)。
実を言えば、上に掲げた箇所は1923年版においては(wie in Hölderlins 'Rhein')という括弧に括られた補足の部分が欠けていることがわかる(1923年版原書p.40)。 この欠落の理由は定かではない。一方Dike Newlinによる英訳版の注ではマルトナーがここの部分で参照されているのは第2節の「冷気みなぎる淵より、 /救いを請い求める声を聞く。/大声でわめき、母なる大地に訴えるは、/ひとりの若者、、、」'Im kältesten Abgrund hört / Ich um Erlösung jammern / Den Jüngling, ... ' であることを述べている。ヴァルターの証言によれば、「ライン」は「パトモス」と並んでマーラーが特に好んだとのことだから、バウアー=レヒナーの回想で2度までも「ライン」に 言及するのはヴァルターの証言を裏づけていることになろう。特に上掲の部分は自作の第3交響曲第1楽章にちなんでの言及であるだけに、非常に興味深い。 第3交響曲におけるニーチェの影響は、第4楽章においてツァラトゥストラに含まれる詩が用いられていることもあって頻繁に言及されるが、ヘルダーリンの圏の中に それを置くことは、一層興味深いように感じられる。第3交響曲の音調が全体としてヘルダーリン的であるかどうかはおくとして、アルニム・ブレンターノとニーチェを、 デュオニソスとキリストを結ぶ不可視の結び目としてヘルダーリンを考えるのはそれほど突飛なこととは思われない。なお、フローロスのマーラー論第1巻では マーラーの精神世界を体系的に提示することが目論まれていて、ヘルダーリンについても手際よくまとめられている(II.Bildung のpp.58-9)。
 
ちなみにマーラーのヘルダーリンへの傾倒、とりわけ後期讃歌に対する評価が、ディルタイの「体験と詩作」(1905)やいわゆるゲオルゲ派による「再発見」、 更にはヘリングラート版の刊行(1913~1923)に先立つことは注目されて良いだろう。勿論「子供の魔法の角笛」の編者でもあるブレンターノやアルニムをはじめとする ロマン派の作家によるヘルダーリンの評価は 既になされていたし、シュヴァープ等による詩集の刊行は1826年(第2版は1842年)であるから、そうした流れの中でマーラーがヘルダーリンを発見したとしても 不思議はないのだろうが。実際、ド・ラ・グランジュのマーラー伝の1894-1895年の項(フランス語版第1巻p.495, 英語版第1巻p.303)には、フリッツ・レーアに対して、 アルニムとブレンターノの全集とともにヘルダーリンの作品集を送るよう依頼したという記述があるし、アルマの遺品の蔵書には1895年9月30日付けの序文を持つ 2巻本のヘルダーリン全詩集(コッタ社刊)が含まれている。(Perspective on Gustav Mahler 所収のJeremy Barham, "Mahler the Thinker : The Book of the Alma Mahler-Werfel Collection", p.85参照。ただし後者は序文の年月日からみて、前者とは別にアルマ自身が持っていて、マーラーがアルマへの書簡で言及したものと 考えるのが妥当だろう。)マーラーのヘルダーリンとの出会いがどこまで遡るかは最早はっきりしないのであろうが、少なくとも第2交響曲を完成させ、第3交響曲を 手がける時期にはマーラーはヘルダーリンに親しんでいたようだ。ド・ラ・グランジュの記述によれば、上記のレーアへの依頼は丁度第2交響曲のフィナーレに取り組んで いた時期にあたる。なおアルマ宛の書簡ではもう1回、1907年7月18日付け書簡でヘルダーリンの名前が、 今度はモムゼン、ベートーヴェンの書簡、ゲーテやリュッケルトとともに現れる("Ein Glück ohne Ruh'", Nr.212, p.325)。
 
ところで第2交響曲のフィナーレの歌詞がクロップシュトックの詩にマーラーが大幅な追補をしたものであることは良く知られているし、マーラー自身、それを「自作」のものであると 作品を仕上げている最中のベルリナー宛書簡(1894年7月10日)で述べているほどだが、その中の有名な一節"sterben werd'ich um zu leben"に関してヘルダーリンに ちなんで些か気になることがあるので書きとめておくことにする。マーラーは第2交響曲について後に1897年2月17日付けのアルトゥール・ザイドル宛の書簡において、 聖書を含むあらゆる文学書を渉猟しつくした挙句、ビューロウの葬儀で歌われたクロップシュトックに霊感を受けて終楽章を書き上げたと語っている。これだけ 読めば、その渉猟はビューロウの葬儀でクロップシュトックの詩に触れる以前となりそうだが、「自作」の詩が、つまりクロップシュトックの詩への追補が行われたのは、 まさに上に触れたレーアへのヘルダーリン作品集の送付依頼があった時期と考えるのが妥当であろう。以下の指摘において、マーラーがヘルダーリンを無意識的に 引用したとまで主張するつもりはないのだが、それにしても時期的な一致もあり、ザイドルの書簡における「渉猟」、ただしここではクロップシュトックの詩にいわば 導かれて「自作」の詩を書き上げる過程における読書の対象のうちにヘルダーリンが含まれていた可能性を示唆するように思われるのである。
 
「ヒュペーリオン」第2巻第2部のあの「運命の歌」を含むベラルミンに宛てた長大な書簡にはディオティーマからヒュペーリオンに宛てられた最後の手紙の長大な 引用が含まれるが、その中に「わたしたちは生きるために死ぬのです」(Wir sterben, um zu leben.)という言葉がある。続けて神々の世界では「すべてが平等」で 「主人も奴隷もいない」と語られ、その少し後にはヨハネの黙示録への暗示もあるこのくだりは、第2交響曲のフィナーレとぴったりと重なるわけではないが、 マーラーが色々な人に対して語ったと伝えられるプログラムの内容と呼応するところが少なくないように思われる。この程度の類似は他にもあるかも知れないし、 いわゆる実証的な裏づけはないわけで、これらをもってヘルダーリンのマーラーに対する影響を云々しようとは思わないが、マーラーにおける「復活」「再生」に ついての考え方、のちにはゲーテの「ファウスト」第2部を用いて再び展開される考え方の、控えめに言っても地平を形成しているとは言えるだろう。否、ヒュペーリオンの 結末、更にはそれが遠くまだ幽かに予見する1806年以降の、スカルダネリの署名を持つものを含んだヘルダーリンの後期詩篇の風景は、こちらもまた 第8交響曲を超えたマーラーの後期を、とりわけシェーンベルクが(フローロスの指摘によれば、マーラーがヘルダーリンに対して用いた言い回し"Ganz-Großen"を シェーンベルクが今度はマーラーに対して用いている)プラハ講演で「われわれがまだ知ってはならないような、われわれがまだそれを受けとめるところまでには 熟していないようななにごとかがわれわれに語られているかにみえる」(酒田健一訳、「マーラー頌」p.124)と述べた第10交響曲の世界を寧ろ示唆しているとさえ 言えるかも知れないと私には感じられるのだ。(2010.11.23)

2024年6月6日木曜日

マーラー祝祭オーケストラ第23回定期演奏会を聴いて(2024年5月26日 ミューザ川崎シンフォニーホール)

マーラー祝祭オーケストラ第23回定期演奏会
2024年5月26日 ミューザ川崎シンフォニーホール

プフィッツナー 音楽的伝説『パレストリーナ』第1幕への前奏曲
マーラー リュッケルトによる5つの歌曲(私の歌をのぞき見しないで, 私はやわらかな香りをかいだ, 真夜中に, 美しさゆえに愛するなら, 私はこの世に忘れられ)
マーラー 第10交響曲(デリック・クックの補筆による演奏用バージョン)

井上喜惟(指揮)
蔵野蘭子(アルト)
マーラー祝祭オーケストラ

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 半年前に井上喜惟さんとマーラー祝祭オーケストラによる「嘆きの歌」のコンサートに立ち会うべく、2020年の新型コロナウィルス感染症の流行以降初めてコンサートホールに出かけた時に、既に感染症法上の分類が変更されて半年が過ぎていて、ホールに向かう途上の鉄道の混雑と駅の雑踏は旧に復していたように記憶していますが、今回、半年ぶりに再びコンサートに赴くべく土曜日の昼頃にミューザ川崎のある駅に向かいました。インバウンドの旅行客の増加のせいか、一層激しくなったように感じられた混雑に狼狽し、そちらこちらで聞かれる咳の音に心を驚かされつつ、普段その中に逼塞している環境との余りの違いに対する戸惑いの儘にコンサートホールに到着し、携帯電話に着信がないことを確認してから電源を切り、自分の座席を確認して開演を待つ間、自分がその場に相応しくない存在のように感じられるとともに、自分の現在の精神的・身体的状態が、これから接することになる演奏を、それに相応しく受け止めることができるかどうか、耐えきれなくなって途中で席を立ちたくなってしまうのではという思いに囚われていたことが鮮明に、生々しい感覚とともに思い起こされます。

 この日のプログラムには冒頭にプフィッツナーの「パレストリーナ」前奏曲が含まれていましたが、そもそもプフィッツナーの作品といえば、数十年前に1曲だけ、FM放送で確か若杉弘さんの指揮で「キリストの小さな妖精」の序曲を聞いたことがあるだけ、「パレストリーナ」についてもそれがブルーノ・ヴァルターやトーマス・マンに支持された「代表作」であるという断片的な知識のみしかない状態で接したので、何かをコメントする資格などなく、いつもの通りに有識の方に委ねることとして、以下ではマーラーの作品についてのみ感想を記しておきたく、まずは最初の曲の後、休憩を挟むことなく引き続いて演奏された「リュッケルト歌曲集」について記したく思います。

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 実は私は、実質はソロ・カンタータとも連作歌曲集とも見做されうる交響曲「大地の歌」を別にすれば、マーラーの「歌曲」の実演に接したことがこれまで一度もありませんでした。私の場合にはそもそもコンサートに赴く機会自体がほとんどないため、接する機会がない理由にはなりようがありませんが、それでもなお交響曲に比べて管弦楽伴奏の歌曲の演奏頻度は、その価値を思えば不当と感じられる程低いことを感じます。勿論そこには恐らくそうならざるを得ない様々な理由があるわけで、まず演奏会を企画する側からすれば歌手を招かなくてはならないという問題がありますが、同じソリストを招くにしても、それなりのスケールとポピュラリティのあるレパートリーを多数擁し、大向こうを唸らせるような名人芸の披露によって集客の効果さえ期待できる協奏曲とは異なって、歌曲は基本的にはピアノ伴奏でリサイタルで演奏されるスタイルが標準であり、管弦楽伴奏版は或る種例外的な位置づけになってしまうのは避け難く、数多あるレパートリーの中から管弦楽伴奏歌曲が数の限られた公演プログラムの中の一曲として選択される機会はどうしても限定的なものにならざるを得ません。また歌曲には当然ながら歌詞があり、歌詞が聴きとれて理解できることが聴取の前提となる点も敬遠される理由になっているかも知れません。管弦楽伴奏歌曲に対して西洋音楽史上の或る時期のコンサート需要に応じて生産された製品であるという見方を採れば、一世紀の後、そのニーズは最早極めて限られたものになっている上に、文化的伝統が異なる地球の裏側では、そもそも「歌曲」というジャンルを受け入れる素地が極めて限定されたものでしかないというのが実情なのかも知れません。必ずしも「歌」が駄目というわけではないのは、ポピュラー音楽の分野を見れは明らかですし、クラシック音楽においても、例えば「オペラ」については稍々違った状況のように感じられますが、ここでは、歌曲と交響曲の作曲家であるマーラーの作品において、その交響曲の受容の度合いを思えば甚だしくバランスを欠くと思えるほどに歌曲が取り上げられないこと、それを考えれば、前回のカンタータ「嘆きの歌」の上演同様、今回の「リュッケルト歌曲集」についても、マーラーの名を冠するオーケストラの矜持を示す、意義深い企画であることを一言記しておきたいように思います。私個人について言えば、この「リュッケルト歌曲集」は、交響曲を含めても、マーラーの作品の中で最も身近に感じられ、演奏の録音を通じて、或いは楽譜を通じて、更にはMIDIデータの分析といった仕方も含めて、繰り返し接し、親しんできた作品であり、聴く頻度だけ取れば、歌曲集の中でも飛びぬけて高いだけではなく、交響曲と比してさえ勝るとも劣らない作品でしたから、まずこの作品の実演にようやく接することができたことに対し、更にそれが自分が居る同じ空間の中でリアライズされるのに立ち会うという経験そのものに対し、喜びもひとしおのものがありました。

 「リュッケルト歌曲集」は「さすらう若者の歌」や「子供の死の歌」、或いは「大地の歌」とは異なって連作歌曲集ではなく、「子供の魔法の角笛」に基づく歌曲がそうであるように、個別の歌曲を一まとめにしただけなので、曲順が決まっているわけではないし、そもそもが5曲まとめて演奏しないといけないわけでもありません。更に言えば、マーラー自身が管弦楽伴奏版を作成したのは4曲だけ、作曲の経緯からしても他の作品とは区別される「美しさゆえに愛するなら」は、その経緯に相応しくピアノ伴奏版のみで、管弦楽伴奏版は他の編曲者による後補になることから、この歌曲集を取り上げるにあたっては、非常に多様な選択肢がありえることになります。例えばマーラーが1905年1月29日にこの歌曲集の管弦楽版の初演を行った時には、(当然ながら)「美しさゆえに愛するなら」を除いた4曲が、「私はやわらかな香りをかいだ」、「私の歌をのぞき見しないで」、「私はこの世に忘れられ」、「真夜中に」の順番で演奏されています。それに対してこの日のプログラムでは、マックス・プットマンが管弦楽版を作成した「美しさゆえに愛するなら」を含めた5曲全てが取り上げられ、「私の歌をのぞき見しないで」 「私はやわらかな香りをかいだ」、「真夜中に」、 「美しさゆえに愛するなら」、 「私はこの世に忘れられ」の順番で演奏されました。当然のことながら演奏の順番というのは作品解釈の一部であって、正直に言えば、私個人が選択するであろう順序と、この日の演奏順序は異なるものでしたが、接してみると調的配置の面でも、物語的・心理的な流れからも自然な排列であり、しかも後述するような印象が残ったのは、偏にこの順序によるものではないかと考えられ、蒙を開かれる思いがしました。

 「リュッケルト歌曲集」の管弦楽は交響曲に比べれば遥かに規模の限られたもので、寧ろ室内管弦楽の嚆矢と見るべきで、その書法は中期の交響曲よりは寧ろ「大地の歌」の中間楽章に繋がるような、時として工芸品を思わせるような、繊細で微妙に移ろう色彩を備え、管弦楽伴奏であるにも関わらず、外に向かって広がっていくよりは内面に沈潜していく傾向が強いと感じますが、ーー岡田暁生先生は、この「リュッケルト歌曲集」を「ユーゲントシュティール・リート」というジャンルを開拓した作品と規定されていますが、これは卓見であると考えます(「ユーゲントシュティールと世紀末の作曲家たち」参照、『キーワード事典 作曲家再発見シリーズ マーラー』, 洋泉社, 1993, 所収)ーー、この日の演奏は、豊かな色彩感はそのままに、移ろいゆく響きの流れの豊かさが印象的で、隅々まで良く歌って非常に雄弁でさえあり、それがしばしば歌曲というジャンルをはみ出て寧ろオペラの一場面を思わせるようなスケールの大きな劇的な盛り上がりを示す点でユニークな演奏であったと感じました。そうした管弦楽の動きは勿論、歌手の歌唱スタイルに反応したものであって、一つ一つの言葉に込められた感情、ニュアンスも驚く程に多彩であり、通常の歌曲の歌唱であれば、或る種の抑制の中でフォルムを崩さないことを優先して表現されるものが、この日の蔵野さんの歌唱においては、呟きや囁きに近い弱音から、大きなコンサートホールに響き渡るような強靭な節回しに至る迄、驚くべき多彩な幅を持ったものであった点が強く印象に残りました。またこれは色聴という私個人の体質に固有のものなので一般性はないかも知れませんが、管弦楽ならではの調性の変化に対応した色彩の変化が録音で聴いた時に比べて、比較にならない程鮮やかなのには驚かされました。具体的に記述すれば、透明感のある、柔らかな光がたゆとう第1曲、曲頭の零れ落ちるような緑色が中間部分で第5曲を思わせる暖色系に変化した後、末尾でふっと元の色に戻るコントラストも鮮やかな第2曲、色彩よりも明度の変化に勝り、闇の暗さから眩い蒼天の輝きに至る第3曲、同じく色彩の点ではニュートラルで、途中に微妙な陰影を交えて、だが全体としては一貫して晴朗な第4曲、そして、聴き手を包み込むような暖色系の穏やかな光の中で中間部の色彩の微妙な変化が美しい第5曲というのがそのアウトラインになるでしょうが、実際の細部の色彩と輝きの移ろいの微妙さは文字通り筆舌に尽くし難いものがありました。

 それと同時に、数十年の長きに亘り聴き続けて親しんできたにも関わらず、この実演に接して初めて思い至ったこともあります。それは特にこの曲集の中では、特に第5曲(「私はこの世に忘れられ」)が体現している「孤立」のことで、それは一面において第3曲(「真夜中に」)のような、実存的な単独者性と隣り合わせでもあるのですが、それでもそこでの「真夜中」は、例えば第3交響曲第4楽章の「夜」とは異なって、虚無に陥っていく傾向のものではなく、それは寧ろ交響曲の世界では猛威を振るう「世の成り行き」の最中に穿たれた異空間であって、特に第5曲では外部からは遮断されたその内部は親密さと安らぎに満たされているのですが(丁度、第6交響曲の世界を裏側から眺めているような感覚もあります)、それが望まれていはしても実際には実現しないがゆえに夢想され、希求されるものではなく、たとえ儚く仮初のものであるにせよ現実のものであって、確かにその中に主体が住まって安らっているというリアリティが今回の演奏を通じて強く感じられたのが印象的でした。

 それでふと思い浮かんだのが、アルマの回想録の1903年から1906年までの期間が「輝かしい孤立」と名付けられていたことで、マーラー自身がアルマとの生活をこのように呼んだことに由来するとアルマは一連の章の冒頭に記しています。アルマとの生活が必ずしも穏やかで安らぎに満ちたものではなかったことは既に良く知られていて、くだんのアルマの回想もまた、その背後に数多くの言い落しがあることが明らかにされており、そしてその葛藤の最大のものが第10交響曲の創作の背景の一部を為しているというのは余りに有名なことですし、実は「リュッケルト歌曲集」のうち、アルマへの私信としての性格を持つ「美しさゆえに愛するなら」以外の4曲は、1901年11月のアルマとの出会いに遡って、その年の夏に書かれたものなので、伝的的事実に符合を見つけようとする類の試みはここでもあっさり頓挫することになるのですが、それでもなお、「輝かしい孤立」の中で、自分の出生や生い立ちに纏わる様々なしがらみから離れ、職場のいざこざや人間関係の軋轢からも離れて、ひとときであっても自分の価値観の中で生きることができることがもたらす深い慰藉と静かな喜びの気持ちが極めて直截な形で伝わってくるように感じられ、強く心を打たれたのでした。

 「輝かしい孤立」という言葉は、これは邦訳だけ見ていると気付かないかも知れませんが、原文は英語でSplendid Isolationであり、それが英語であるからには、直接には当時の大英帝国の外交政策を「栄光ある孤立」と呼んだことに由来するのでしょうが、その由来の側の政策の後日の歴史的評価が割れることも、マーラーのアルマとの生活についての後世の評価が割れることも、ここでは主要な問題ではないと考えます。また同様に、この歌曲集の持つ雰囲気にユーゲントシュティル的な自閉への傾きを感じ取り、そのあざといまでの人工的で工芸的な繊細さに或る種の閉塞や自己中毒の危険を嗅ぎ付けるといった方向性の指摘にも首肯できる面があるとは思います(例えば、典型的なユーゲントシュティル様式によるツェムリンスキ―の傑作「メーテルリンク歌曲集」についてであれば、躊躇することなく私も同意することでしょう)が、それでもなお、そうした「孤立」抜きで「世の成り行き」をやり過ごすことなどできないし、マーラーの創作においては、若き日には微睡みの夢の中にしかなく、そしてその後の作品においては、「大地の歌」、第9交響曲においてそうであるように、再び、最早それが現実のものではないという(否、ことによったら、一度も現実のものとなったことはないという)認識を伴った苦々しい回顧という形をとる他ないにせよ、ここでは(錯覚のようなものであれ)一時それが現実のものであると感じられたということ、そしてそのことが作品に刻印されているということ(とはいえ、それは自伝的作品ということではなく、寧ろ世界との関わりの様態、認識の仕方の反映と考えるべきなのですが)の方に一層の重きをおきたいように思うのです。何よりも実感として、この日の「リュッケルト歌曲集」の演奏に接した時に、「世の成り行き」に翻弄され、弱りきって疲労困憊し、乾ききっていた自分の心の中にどっと暖かなものが流れ込んできたように感じられ、自分が長らく離れ、忘れかかっていた大切な何かがふと姿を現したのに接したような、救われたような気持ちになったというのは紛れもない事実ですし、その効果は音楽を聴いている瞬間だけ錯覚を引き起こすような刹那的・一時的なものではなく、或る種のモードの切り替えを駆動し、「この世の成り行き」に立ち返った後においても知らぬ間に別の軌道に乗り移っているというようなものなのです。こうしたことを私が感じたことがこの日の演奏の客観的な質にどれだけ関わるかは判断がつきかねる部分もありますが、事実として書き留めて置きたく思います。更に付言するならば、「真夜中に」を挟んで、後半に「美しさゆえに愛するなら」を持ってきて「私はこの世に忘れられ」で結ぶというこの日の演奏の排列がそうした感じ方に影響したのは間違いないことで、これが先に、排列の物語的・心理的な合理性と述べたことの実質に他なりません。かくして井上さんの解釈の下、このコンサートにおいてマーラーの音楽が自分に手を差し伸べてくれるのを経験したということを、感謝の気持ちとともに証言しておきたく思います。

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 15分の休憩を挟んで、後半はデリック・クック補筆による5楽章版の第10交響曲。別のところでも述べたように、第10交響曲のクック版はマーラー祝祭オーケストラがまだジャパン・グスタフマーラー・オーケストラという名称であった2014年6月15日に同じミューザ川崎シンフォニーホールで行われた第11回定期演奏会で取り上げられており、今回は10年ぶりの再演だったのですが、私自身、この10年前の演奏に接しており(その感想は、ジャパン・グスタフ・マーラー・オーケストラ第11回定期演奏会を聴いてという記事として公開)、今回は2回目となります。初めて実演に接した「リュッケルト歌曲集」に比べると、その点については遥かにリラックスした気持ちで演奏に接することができた一方、冒頭記した、自分の精神的・身体的コンディションが作品を受け止めるに十分なであるかどうかについては全く自信がなく、恐る恐るという感じで、第1楽章アダージョ冒頭のあの有名なヴィオラのパート・ソロを聴き始めることになりました。結論から言えば、演奏者の凄まじい集中力に引き込まれて、一気に最後まで聴き通してしまったというのが実態で、演奏の充実は、終演後のオーケストラの皆さんの感極まったような、それでいてどこか晴れ晴れとした表情に尽くされていると感じられ、こうした素晴らしい演奏に立ち会えたことの幸運を強く感じつつ拍手をしました。その一方で、そうした達成を目の当たりにして、自分がプログラムに寄稿した文章が色褪せたものに感じられ、自分の文章が如何に非力で無力であるかを痛感せずにはいられませんでした。そうしたこともあって、公演プログラムに寄稿させて頂いた文章も含め、第10交響曲について既に記事として公開している内容を繰り返す愚を犯すことは避け、拙いものになることは承知の上で、とりあえずは今回の公演の印象のみを書き留めておきたいと思います。更には、印象に残った細部については列挙に暇がないとは言うものの、今回の演奏について言えばそうした細部を取り上げることの必要性を強く感じないことから、そうすることは必要で相応しい別の機会に譲ることとして、全体的な印象だけを記して感想に替えさせて頂きます。また同一指揮者・同一オーケストラにより同一曲の再演ということであれば、前回の演奏との比較というのが関心事の一つになると思いますが、前回が10年前のことであり、その公演の記録はyoutubeでも公開されていて、いつでも何度でも接することができるとはいえ、当日に演奏会場で受けた印象や感じたことをもひっくるめての比較を行うことには困難が伴うことから、基本的には今回の公演の演奏から受けた印象に絞って記すことにさせて頂きます。(前回との比較ということでは一つだけ、第4楽章末尾から第5楽章冒頭にかけて連打されるバスドラムは、今回もまた前回と同様にステージ上のパイプオルガンのパイプに程近い客席の高いところに置かれ、丁度マジェスティック・ホテルの高層階から通りで行われた葬儀を眺め、大太鼓の音を聞いたマーラーやアルマとは上下関係が入れ替わって、その音はどこか遠くの上の方から降ってきてステージの上空の空間自体が振動しているかのように客席に降りてきて、会場全体に響き渡ったことを備忘のために記しておきます。)

 今回の演奏の全体的な印象を一言で言えば、聴き手を圧倒する、演奏者の凄まじいばかりの集中力と、細部に拘って響きのバランスや音色を磨き上げるよりは音楽の流れを重視し、恣意性を排した自然なテンポ設定で作品の大きな構造を浮かび上がらせるとともに、各パートが表情豊かに歌いきるといった点にその特徴があったように感じます。勿論、第10交響曲のような長大な作品の場合、集中が疲労との応酬の関係にあることは避け難く、この公演においても特に作品の終わりに近づくにつれて傷が目立つことがなかったとは言えませんが、そうした点を指摘すること自体が場違いでナンセンスなことであると感じられる程に、まさに一期一会と形容するに相応しい、燃焼力の高い演奏であり、何者かが降りて来たかのような奇跡的な瞬間も幾度となくありました。10年前の演奏では個別の細部に立ち入れば、まだ些か手探りのようなところがないとは言えなかったのに対して、今回は完全に曲が手の内に入ったかのような、自在で表現意欲が迸る生気に富んだ演奏で、全体を俯瞰してのコヒーレンスの高さが際立っていたように思います。

 前回同様、今回の演奏でも使用された演奏用バージョンを作成したデリック・クックは自分の作成したバージョンを(他の一部の補筆版作成者のように)決定的で、改変の余地のないものとはせずに、自分のバージョンに基づいて更に独自の改変を施したオリジナルなバージョンを作成することに対しても否定的ではなかったようですし、実際に既にそうした実例も幾つか存在しますが、今回の演奏は基本的にクック版のスコアをそのまま忠実に実現する形で行われました。そしてそのことを踏まえると、より自由に加筆を行っている他の補筆バージョンに比べてしまうと控えめで、稍々もすれば禁欲的で響きが薄いという印象を受ける瞬間がないとは言えないクック版を楽譜通りにリアライズしているにも関わらず、特に近年のマーラー祝祭オーケストラの備えている、芯のあるずっしりとした手応えを感じさせる響きによって、輝きに満ちて雄弁とさえ感じられるものになっていることに驚き、圧倒されました。管弦楽の全てのパートが凄まじいばかりの集中力をもって演奏された結果として、マーラー固有の対位法的な線の絡み合いが鮮やかに浮かび上がり、普段より聴きなれている筈のディティールのそこかしこで、こんなにも雄弁で意味深い表情が込められていたのかと気付かされ、驚くこともしばしばでした。またこのことにはステージの上での対抗配置の採用、すなわち第1ヴァイオリンの反対側に配置された第2ヴァイオリンやヴィオラといった中声部の充実が音響的な幅をもたらし、第1ヴァイオリンのすぐ向こう側に配置されたチェロやバスのパートの安定が奥行に豊かさをもたらしていたことも大きく与っていたと思います。

 テンポの設定が他の解釈に比べた時にユニークな印象を受けるのはいつものことですが、今回特に感じたのは、各楽章に含まれる複数のテンポ間の相対的な関係の設定が、オーケストラの各パートが歌いきるという観点からみても合理的であるということで、更にそれに加えてテンポが常に流動し、時として渦を巻いてうねるような効果を生みだしており、リズムの有機性が際立ち、頻繁に生じる変拍子の交替によって音楽にドライブがかかって聴き手をも引き込んでいくような強い身体性を帯びたものとなっていました。

 総じて指揮者の井上喜惟さんがクック版のスコアから読み取った第10交響曲という作品の持つ複雑さ、豊かさが余すところなく提示され、しばしばクック版に物足りなさを感じてか楽器法に手を加えるようなことが行われ、或いはクック版とは別に、より雄弁で饒舌なバージョンが作成される例も今や数多くありますが、そうした改変や異稿を不要とするような説得力に満ち、クック版の持つポテンシャルが(狭い私の聴取経験からすればこれまでに経験したことのない程に)発揮された稀有な演奏であったと考えます。そしてその結果として、現実には未完成のまま遺されたにせよ、マーラーの全作品の頂点に立つことになったであろう、この第10交響曲のありうべき姿が、デリック・クックと彼を助けたゴルトシュミット、マシューズ兄弟の補筆作業と、井上喜惟さん率いるマーラー祝祭オーケストラのリアリゼーションとの時と場所を隔てた共同作業によって十全に提示された演奏であったと認識しています。

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 コンサートに出かけることは、人によっては日常生活の一部であるかも知れないし、非日常的な例外的な出来事かも知れません。それはその人がコンサートに出かける頻度や、個別の公演が持つ意味合いに依って変わるでしょうし、公演の持つ意味合いというのは、演奏される曲目、出演する演奏者から始まって、公演の日時(平日の夜か、休日の昼間か)、公演会場となるコンサートホール、或いは例えばそのホールと自宅との位置関係といった、一見したところ些末に至る迄の様々な条件を介した、その公演とその人との関わりの様相に応じて様々でありうるし、それらの条件に応じて、そもそもそのコンサートに出かけるかどうかの取捨選択がまず行われるに違いありません。そしてそうして選択されたコンサートから受け取るものについても、上述のような聴き手一人一人が持っている諸条件に加え、例えば座席の位置、客席の埋まり具合といったものがその場で鳴り響く音響を受け取るのに少なからぬ影響を及ぼすでしょうし、その時の聴き手の心理的な状態、体調といったものに聴取の経験は容易く影響されてしまいます。聴き手は演奏を評価し、ことによったら点数付けをさえする神のごとき評価者ではありません(それは「音楽の聴取」とは別の何かで、その別の何かであればAIで置き換えることも可能でしょう)。聴き手は限りなく多様なパースペクティブのうちの一つに過ぎず、背後にある自分が受取るものの由来を知ることはできないし、聴取の脈絡もまたコンサートが行われるその場所と時間に限られるわけではなく、その外に果てしなく広がっているのであり、聴き手はそうした中で自分の能力の限界の範囲で出来事に立ち会う他ないのです。

 このような自明のことを延々と書くのも、まずは私にとってこのコンサートの持つ意味が事実として例外的なものであったからで、更には、このコンサートから自分が受取ったものが特殊個別的な自分の状況に強く拘束されたものであることをまず何よりも感じずにはいられなかったからに他なりません。例えばこの公演が平日の夜だったり、土曜日であれば現在の私が出かけることは叶わなかったでしょうが、それだけではなく、このコンサートの前日、当日の午前中にトラブルがあって、その経過によっては出かけることを断念せざるを得なかった可能性もあり、幸いにしてコンサートに出かけてから戻る迄の時間は平穏であったものの、その後もコンサートで受け取ったものに向き合う余裕がないまま、こうして10日程の日々が過ぎ去ってしまいました。私を「忘れて」はくれない「世の成り行き」との関わり合いの中で断片的された空き時間を縫うようにして、こうして感想を書い継いでいる今も尚、自分が遭遇した出来事の例外性を記録し、証言するのに相応しい状況とは率直に言って言えないと感じ、今や自分がその場で垣間見たものから場違いな程にまで隔たって、自分のキャパシティを超えたものを抱え込んで了っているという感覚から逃れられずにいます。未だそれを受け取るに相応しい程には熟していないばかりか、そもそも自分はそれを受け取る資格を始めから持っていない、無縁な存在なのではという疑念から逃れることも困難なようです。そうであれば、いっそのこと向き合うことそのものを断念してしまえば良いという考え方もあるでしょうし、実際にそうした思いが去来しない訳ではなくとも、今度は自分が受取ったものの重みがそれを受け取った事実を証言しないで済ませることを許しません。とりわけてもマーラーの音楽は、「世の成り行き」の中で落伍し、打ち捨てられた人々に対して手を差し伸べる音楽であり、その投壜通信を拾う名宛人としての権利が私には確かにあると思うことができる稀有な存在なのです。しかも第10交響曲が私が彷徨う岸辺に辿り着くには、他の作品にはない紆余曲折があり、仮に私が投壜された手紙そのものを拾っても、判じ絵か暗号文字の如きそこに自分宛のメッセージを読み取ることなどできなかったでしょう。そうした事情もあって、どんなに拙い仕方であっても、受け取ったものの価値に比して取るに足らないものであっても、それが起きたことを証言するのは、或る種の出来事の経験に関して言えば、立ち会った者に課された義務なのだということを常々感じてきましたが、そのことを今回のコンサートについて程強く感じたことはなかったように思います。私が消え去っても、私が受取った作品は私を超えて存続するし、恐らくは前回同様、今回の演奏記録も収録され、いずれは前回同様youtube等で公開されて共有の財産となり、或る種の永続性を獲得することになるであろうとは思いますが、それに留まらず、当日会場に居たて、私を含めた聴き手の一人一人が異なるパースペクティブの下で経験したこともまた損なわれることなく何らかの形で存続して欲しいと願わずにはいられません。なぜならば、それらの総体が「音楽」に他ならないからです。

 前回の「嘆きの歌」の公演もそうでしたし、今回の公演でも改めて、私にとってそれは、娯楽としての消費であれ、所謂教養としての「音楽鑑賞」であれ、そうしたことを目的として演奏会場に赴くというよりは寧ろ、例えば現代日本の作曲家・メディアアーティストの三輪眞弘さんが仮構する、消え去った何者かを追悼し、記憶するための儀礼により近いようだということをはっきりと感じました。そしてそのことが、私にとっては、アドルノがヘーゲルを参照していうところの「世の成り行き」をやり過ごすためのほぼ唯一の「抵抗」の拠点であるということもまた、強く認識しました。我々はミームの存続のための媒体に過ぎず、シェーンベルクは第9交響曲に関して作曲者を「メガフォン」に喩えましたが、作曲家のみならず、演奏者、聴き手もひっくるめて、「音楽」に関わる我々全てを通して他の何者かが語るという点が重要なのであって、マーラーが「音楽」を世界のようにすべてを包括するものでなくてはならないと語ったことの少なくとも一面は、こうした認識に繋がっているものと思います。マーラーは自分の営為を、愛読したゲーテ『ファウスト』第1部の地霊の科白を引用しつつ「神の生きた衣を織ること」であると述べたことがありますが(1896年11月18日にハンブルクからリヒャルト・バトカに宛てた書簡)、マーラーが遺した作品がそうであるように、このコンサートにおけるその作品の演奏もまた、「神の生きた衣を織ること」と喩えるに相応しく、語り継がれるべき出来事であったと確信しています。そのことをここに証言するとともに、そうした達成を実現した、まずはマーラーその人と、とりわけても第10交響曲についてはデリック・クックと彼の補作を支援した人々(更にもう一度、「輝かしい孤立」をマーラーその人とともに生き、没する直前に、まるで遺言のようにクックの作業に対する支持を表明したアルマのことも今一度思い起こしましょう)、そして井上喜惟さんのもとに集った演奏者の皆さんに対して感謝の言葉を記してこの稿を終えたいと思います。(2024.6.6公開, 6.7加筆)

2024年5月27日月曜日

音楽の鳴り響く「場所」を求めて――第10交響曲クック版の再演に寄せて(2024.5.26 マーラー祝祭オーケストラ第23回定期演奏会によせて)

 マーラーの早すぎる逝去の後、未完成で遺された第10交響曲の受容の歴史は、ドラフトを演奏可能な形態にまで補筆する企ての歴史でもあった点で他の作品とは一線を画する。モノグラフ第二版へのあとがき(1963)、更には「グラフィックとしてのフラグメント」(1969)において表明された補作に否定的なアドルノの姿勢は、ブルノ・ヴァルター、エルヴィン・ラッツといった有力なマーラー擁護者とも共有され、国際マーラー協会の全集版では第1楽章のアダージョのみが出版され、演奏や録音においてもアダージョのみが取り上げられることが多かった一方で、ドラフトの一部のファクシミリの出版(1924)以降、様々な補作の試みが為されてきたことは、永らく実演においても録音においても頻繁に取り上げられてきたデリック・クックによる全五楽章からなる演奏用版に加え、新旧を問わず様々な補作版が演奏、録音されるようになった今日では最早人口に膾炙した事柄に属するだろう。更には近年のAIブームの最中にあって、2019年にはメディア・アートの分野で著名なArs ElectronicaにおいてAIによる補作が発表されたかと思えば、かつては特定の限られた人にしかアクセスできない、謂わば「秘教的存在」であったドラフトもパブリック・ドメインとなり、ネットワークを介して誰もがアクセス可能であることを思えば、第10交響曲の全貌は今や我々にとって明らかなものであるかの如くに感じられても不思議はなかろう。

一方で第10交響曲を巡っては、未完成作品であることも手伝って、他の作品にも増して多くのことが作品の周囲で語られてきた。その多くはドラフトに書き込まれた言葉や作曲当時の伝記的出来事を手掛かりにした標題に関する問いであったり、自伝的側面が強調されるマーラーの作品の中でもその度合いが著しいこの作品の成立と伝記的事実との関係の詮索であるが、それらは遂に作品そのものに辿り着かない感が拭えず、この曲が聴き手に与える印象の破格の強さ、その質の特異性を証言するものとしては、強い情動を伴う音楽の聴取経験に関する心理学実験における、この曲についての聴き手の証言の方が寧ろ勝っているようにさえ見える。

かつて私は第10交響曲のクック版を聴いて、ヘルダーリンの最後期の断片(Wenn aus der Ferne...「遠くから…」)を思い浮かべつつ、そうした「遠く」、人間が生きたまま到達できるとは到底思えない、辛うじて垣間見ることしかできない「場所」で鳴り響く音楽であると感じたのだったが、その感覚は数十年の後の今も変わることはない。シェーンベルクのプラハ講演(1912)の末尾は第10交響曲への言及で結ばれるが、そこではこの曲について「未だにわれわれが知る由もなく、未だに迎える覚悟もできていない何かがわれわれに授けられでもしそう」(アーノルド・シェーンベルク「グスタフ・マーラー」,『シェーンベルク音楽論選 様式と思想』, 上田昭訳, ちくま学芸文庫, 2019 所収, p.160)だと述べられている。そのシェーンベルクの顰に倣えば、 私は自分がまだそれを受け止めるところまでに熟しておらず、それを知ってはならないような気持ちに捉われてならない。そしてこの信じられない程の強度を持つフィナーレに圧倒されながら、自分が一体何を受け取っているのかをきちんと語ることが未だにできない。それが第9交響曲の先にあり、この作品によって第9交響曲や「大地の歌」に関する或る種の捉え方が否定されるのは確実だと思うのだが、さりとて音楽の鳴り響く場所がどこなのかを私はきちんと言えないのである。だがそういう場所があることを指し示す音楽の力は物凄いものだし、それを産み出すことが出来た人間が確かに居たということは、本当に感動的な、 それを思うだけでも胸が一杯になるようなことだし、音楽が示す風景を、所詮は音楽が終われば消え去る仮象として片付けてしまうことが、 この音楽について私は出来ない。どんなに大袈裟に響こうとも、知ってしまえば生き方が変わってしまう類の音楽であるという言い方はこの第10交響曲に関して、私個人に限って言えば誇張でも比喩でもない端的な事実なのである。

そうした例外的な音調をもたらすのに嬰へ長調という調性が寄与していることは疑いないだろう。それはオーケストラの楽器にとっては「鳴らない」調性であり、実現される音響にどこか朧気な雰囲気を与えているに違いない。一時は第1楽章のアダージョと対を為すフィナーレとして企図されたこともあったらしい第2楽章のスケルツォは決然とした嬰へ長調で終わるが、最終構想ではそこ迄を第1部とし、その後に「この世の営み」を示唆する変ロ短調の短い「プルガトリオ」によって開始され、スケルツォとフィナーレが続く第2部が置かれ、全体で二部五楽章制をとることによってマーラー固有のポリフォニックな多層性が実現することになる。フィナーレ末尾には調性の異なる二種の構想が存在するようだが、クックが選択したのは嬰へ長調の方であり、是非は措くとして、それによって音楽が持つことになる意味は決定的である。それはその帰結として生じる、この作品におけるニ長調の風景の特異性(フィナーレの30小節目から始まる、あの忘れ難いフルートソロの箇所を思い起こして頂きたい)からも明らかであろう。そしてその意味は第1楽章のアダージョのみではなく、全五楽章を聴きとおすことによって初めて確認可能となるのであって、このことを以てしてクックの補筆の意義は明らかなことと私には思われるのである。

客観的に見ればシェーンベルクの言葉は当時の状況に依存したものとして相対化してしまえるのかも知れないが、第10交響曲の全貌が明らかになったというのは思い上がりに過ぎず、未だそれが啓示されていないという認識は、一世紀後の今日も尚、有効であると私には思えてならない。シュトックハウゼンはド・ラグランジュのマーラー伝第1巻に寄せた文章において、宇宙人が人間を理解するという仮定におけるマーラーの音楽の卓越性を述べたが、二分心崩壊以後・シンギュラリティ以前の同じ「神の不在」のエポックの終端にあって、AIが補作を行うのを目の当たりにするようになった我々にとって、「人間の解体」の後に一歩踏み出しかかりつつも未完に終わった第10交響曲こそ、シンギュラリティの向こう側におけるポスト・ヒューマンにとっての音楽に関する重要な予感を告げる預言的な存在なのではなかろうか? 

かつて私は、第10交響曲は、第5交響曲にも比せられる転換を告げる作品なのではないかという仮説を提示したことがある。偶々この作品の生成の最中でマーラーの生涯が断ち切られたことによる行き止まり、終着点の印象とは裏腹に、それは次のエポックの開始を告げる音楽ではなかったか。その無調への接近に伴う和音の拡張に関して言えば、MIDIファイルを入力とした和音に関するデータ分析の結果もまた、マーラーが「発展的」な作曲家であることを裏付け、第10交響曲が未来に向かっての発展の途上にあることを証言している。この曲をある種の行き止まり、乗り越え不可能な限界とし、そこに西洋音楽の終焉を見る立場にも歴史的な正当性があるのだろうが、かつての「人間」の解体の後、シンギュラリティが現実味を帯び、機械が有機体と区別がつかなくなるポスト・ヒューマンの予感の最中、『再帰性と必然性』(原島大輔訳,青土社,2022)においてユク・ホイが試みるように、「非人間のなごり」を見出し、ありうべき「宇宙技芸」を思い描くことに共感する私は寧ろ、第10交響曲を通過点として第11交響曲がどのようなものになりえたかを問うマイケル・ケネディの姿勢に与したいように思うのである。第10交響曲を完成させ、更にその先にあるものを確認すること――それは過去のデータに基づく近似と汎化に基づき、例外的な「新しさ」をどうすることもできない現在のAI技術によっては到達困難であろうし、そもそも第10交響曲が垣間見せてくれる「遠く」の「場所」は遂にAIには無縁のものであろう――は、同じエポックの終焉を生きる「人間」ならぬ我々の責務なのではなかろうかと思えてならないのである。

演奏され、再演されることが音楽作品の成立に不可欠の条件であり、アドルノが傲慢にも言い放ったようにドラフトをファイルに入れて一人眺めることは、作品を奇妙な幽霊的な状態のまま辺土に幽閉するが如き仕打ちであることを思えば、演奏用バージョンを作成し、解説付きの放送により聴き手に届けようと企てた(一度きりの筈のその記録もまた、今やCD化されて我々の手元に届くようになっている)クックの功績の大きさは測り知れないし、その企てに接し、それまでの態度を翻して支援を行ったアルマの判断に我々は感謝すべきであろう。

そして第10交響曲が、同じ演奏者によって10年越しに再演されることの意義もまた明らかであろう。演奏の一回性に留まらず、指揮者が年を経るに応じて解釈は異なったものとなり、演奏もまた更新される。完成作と同様の資格では存在していない第10交響曲にとって、そうした地道な作業の繰り返しの積み重ねこそが、そもそもこの世に存在するための条件に他ならず、その行為によってのみ作品は都度新たに生を享け、未来に向けて新しい姿を浮かび上がらせ、それを受け止める準備が出来ているかを聴き手に問うのだということを、再演に接する一人一人が身を以て経験することになるだろう。そしてそれはプラハ講演の末尾のシェーンベルクの以下の言葉に対して、我々一人一人が応答することに他ならない。

「しかしながら、『第十』がまだわれわれに啓示されていない以上、われわれは闘いつづけなければならない。」 (2024.3.4初稿, 2024.5.27本ブログにて公開)


2024年5月26日日曜日

[お知らせ] マーラー祝祭オーケストラ(音楽監督・井上喜惟)第23回定期演奏会(2024年5月26日)

 マーラー祝祭オーケストラ(音楽監督・井上喜惟)第23回定期演奏会が本日、2024年5月26日にミューザ川崎 シンフォニーホールにて開催されます(12:45開場、13:30開演)。詳細は以下のマーラー祝祭オーケストラの公式ページをご覧ください。(当日券が発売されるようです。)

Mahler Festival Orchestra Offcial Site (https://www.mahlerfestivalorchestra.com/)



プログラムには、マーラーの第10交響曲のデリック・クックの補筆による演奏会用バージョン(全五楽章版よりなる、所謂「クック版」)及びリュッケルトによる5つの歌曲がプフィッツナーの「パレストリーナ」前奏曲とともに含まれます。第10交響曲のクック版はマーラー祝祭オーケストラがまだジャパン・グスタフマーラー・オーケストラという名称であった2014年6月15日に同じミューザ川崎シンフォニーホールで取り上げられており、今回は10年ぶりの再演となります。10年前の公演に接した本ブログ管理人の感想は、ジャパン・グスタフ・マーラー・オーケストラ第11回定期演奏会を聴いてという記事として本ブログで公開しています。

今回の公演における第10交響曲クック版の再演に際してプログラムノートに寄稿させて頂いておりますので、是非ともご一読頂ければ幸いです。

また本ブログでは、上記の公演の感想以外にも、第10交響曲に関連して以下のような記事を執筆・公開していますので、併せてご覧頂ければ幸いです。

また、リュッケルト歌曲集の管弦楽伴奏版の演奏に接する機会は、こと日本国内では稀であり、大変貴重な機会となります。リュッケルト歌曲集に関連した本ブログの記事としては以下のようなものがありますので、こちらも目を通して頂ければ幸いです。

(2024.3.29公開, 5.26更新)

2024年3月10日日曜日

シェーンベルクのプラハでの講演(1912年3月25日)より(2024.3.10更新)

シェーンベルクのプラハでの講演(1912年3月25日)より(邦訳:酒田健一編,『マーラー頌』, 白水社, 1980 所収, p.118。 ただしこの邦訳は抄訳であり、全訳はアーノルド・シェーンベルク「グスタフ・マーラー」,『シェーンベルク音楽論選 様式と思想』, 上田昭訳, ちくま学芸文庫, 2019, p.115以降に「グスタフ・マーラー」というタイトルで所収。)
Statt viele Worte zu machen, täte ich vielleicht am besten, einfach zu sagen: » Ich glaube fest und unerschütterlich daran, daß Gustav Mahler einer der größten Menschen und Künstler war.« Denn es gibt ja doch nur zwei Möglichkeiten, jemanden von einem Künstler zu überzeugen, die erste und bessere: das Werk vorzuführen, die zweite, die zu benutzen ich gezwungen bin: seinen Glauben an dieses Werk auf andere zu übertragen.

 多言を弄するかわりに、ただ一言、「私は、グスタフ・マーラーがもっとも偉大な人間にして芸術家のひとりであったと、かたく、ゆるぎなく信じている」と申しあげるのがいちばんよろしかろうと思います。といいますのは、だれかにある芸術家の価値を認めさせるにはふたとおりの方法しかなく、第一の、そしてよりより方法は、作品そのものを持ち出すこと、第二の、つまり私がここでとらざるをえない方法は、その作品にたいする自分の信念を他の人びとに伝達することだからです。 

すでにこの講演で第9交響曲について述べた有名な言葉については紹介済だが、ここで上に引用したのは講演全体の冒頭部分である。如何にもシェーンベルクの 面目躍如といったスタイルの語り出しだが、最初はマーラーを批判した経緯から、サウロが回心して使徒パウロとなったのを自らのマーラーとの関係に対応付けて マーラーを擁護していくこの講演は、単に内容が示唆に富んで興味深いというに留まらない、感動的なものだと思う。上記のシェーンベルクの言葉に従えば、 私は既に第1の、より良い方法によってマーラーの価値を認めているのではあるけれど、シェーンベルクの採った第2のやり方はこの上もない説得力を持って 成功しているのではなかろうか。

実際、この講演の持つ影響力の大きさは大変なものであったらしく、その後マーラーのイメージを色々な側面で方向付けることになったようだ。とりわけ顕著な 「聖化」の傾向は、フランキスト達のペール・フランクの聖化同様、顕著なもので、アルマが回想録によって作り出したマーラーのイメージともども、マーラーの「実像」を 捉えることの妨げになったのは否定し難いことであろう。だが100年後の異郷の地からの展望はすっかり異なっていて、 まるでこの地では今やマーラーについて「客観的に」語ることが可能になったかのようであり、「マーラーの時代が来た」という言葉自体、 改めて持ち出すまでもない自明の事実となったかのようである。

だが、マーラーを聴き始めてようやく30年になろうかという私個人の展望は全く異なっている。作品とマーラーを直接知る人間による記録や書簡といった資料を通して 感得されるマーラーの姿は、確かに今や適切な距離感をもって過去の異郷に位置づけられ、かつてはあんなに身近だった彼は、今や一個の他者、 直接会ったことのない、そして勿論直接会うことは叶わない他者になった。そのかわり彼の音楽は今や演奏会のレパートリーの中心の一つ、 CDなどの録音メディアの売上げの中核となり、その音楽はすっかり日常的なものになったようだし、程度の差はあれ直接、間接にその恩恵に私自身が 浴しているのは恐らく間違いのないことなのだが、それによって私にとってマーラーが一層わかりやすい存在になったかと言えば、 決してそんなことはないことだけは断言できる。マーラーは未だに私にとって未解決の問題だし、その一方でその音楽が私にもたらす「何か」の重みは、 私の生の行路の展望に応じて少しずつ変わりつつ、寧ろ一層増しているように思われる。その一方で、ますます増え続けるマーラーのコンサートやCDは、 かつての思い出すのも忌まわしい「マーラーブーム」以降、私にとっては100年近く前のシェーンベルクの言葉ほども身近に感じられないというのが 正直な感じ方なのだ。

ここで引用したシェーンベルクの講演は、実は第10交響曲への言及で結ばれている。客観的に見ればそれは当時の第10交響曲を巡る状況の産物であって、 その後第10交響曲が辿った紆余曲折を考慮に入れれば、シェーンベルクの発言は状況に依存したものとして相対化してしまえるのかも知れない。 ところがその状況は既に30年前においてほぼ成り立っていた筈なのである。私はマーラーを聴き始めて比較的すぐに、まず第10交響曲のアダージョを聴き、 それに深く魅了された。当時の私がある機会にマーラーを語る際に、その音楽の中から1曲選んだのは他ならぬ第10交響曲のアダージョだった程なのである。 クック版を知ったのも非常に早い時期で、これは偶然の悪戯なのだが、例えば第5交響曲などよりもずっと早くにクック版の第10交響曲は馴染み深い存在 だったのである。否、そうした風景は30年を経た今でも基本的には変わらないようである。

だが、それでは私にとってシェーンベルクの展望は30年前の時点の私にとってすでに最早受け入れ難いものだったろうか? あるいはまた、今の私に関してはどうだろうか?この問いに対する答えは、かつても否であり、そして今尚、否であり続けているようである。 一見したところでは論理的には矛盾した言い方になってしまうかも知れないが、私見によれば第10交響曲のアダージョの聴取の経験は 寧ろシェーンベルクの言葉の正しさを告げているように感じられるし、クック版は更にそれを補強していると私には感じられるのである。シェーンベルクの顰に倣えば、 私はまだそれを知ってはならないような気持ちに捉われるし、自分がそれを受け止めるところまでに熟していないように思えてならない。 第10交響曲はまだ私に「語られていない」のではないかというのが寧ろ偽らざる心境なのだ。 この信じられないほどの強度を持ったフィナーレを繰り返し繰り返し聴き、それにほとんどいつものように圧倒され、涙しながら、 自分が一体何を受け取っているのかをきちんと語ることが未だにできないでいるのだ。確かにそれは第9交響曲の先にあるようだが、 では一体その音楽が鳴っている場所が「どこ」であるのか、私にはわからない。第10交響曲によって第9交響曲や大地の歌に関する或る種の捉え方が 否定されるのは確かだと思うのだが、だからといって、第10交響曲の響いている場所が、とりわけクック版の鳴り響く場所がどこなのか、私には言えない。 だが、そういう場所があることを指し示す音楽の力はもの凄いものだし、それを産み出すことが出来た人間が確かに居たというのは、本当に感動的な、 それを思うだけでも胸が一杯になるようなことだと思うし、私は音楽が示す風景を所詮は音楽が終われば消え去る仮象として片付けてしまうことが、 この音楽については出来ない。どんなに大袈裟に響こうとも、その音楽を知ってしまえば生き方が変わってしまう類の音楽である、という言い方は マーラーの第10交響曲に関して言えば、私個人に限って言えば比喩でも何でもない、端的な事実なのである。

だから多分、シェーンベルクの言葉に従うなら、私は戦いつづけなければならないのだろうと思うのだ。こうした受け取り方は、 客観的には誤読だということになるのかも知れないが、それでもなお、シェーンベルクその人は、このような受け止め方を許してくれるだろうという、 身勝手な思い込みから私は逃れられないでいるのだ。それゆえもう一度、自分のために彼の講演の末尾の言葉を確認しておこう。
Aber wir, wir müssen doch weiter kämpfen, da uns die Zehnte noch nicht gesagt wurde.

しかしわれわれは、そうです、われわれはやはり戦いつづけなければなりません。第十交響曲はまだわれわれに語られていないからです。 

(2008.5.18 マーラーの命日に第10交響曲のクック版を聴きながら, 2024.3.10邦訳を掲載。)

2023年3月16日木曜日

備忘:マーラーの音楽における「老い」についての論考に向けての準備作業 (9)

 では、かつての私はマーラーの「後期様式」についてどう感じ、考えていたのか?

 まず眼差しのあり様としての「後期様式」を考えた時、それを「現象から身を引き離す」と捉えるのは「Mahlerの場合は」最も適切だということ。だがそれは一般化はできない。人により「後期」は様々だ。(例えばショスタコーヴィチを思い浮かべよ。)その一方で、ヴェーベルンの晩年とマーラーの晩年のアドルノの評価の違いはどうだろうか?いずれも「現象から身を退く」仕方の一つではないのか? こちら(マーラー)では顕揚されるそれと、あちら(ヴェーベルン)の晩年にどういう違いがあるのか?もっともこの疑問は幾分かは修辞的なものだ。なぜなら両者の様式が異なったベクトルを持っているのは明らかだから。寧ろ、にも関わらずそれらのいずれもが「現象から身を退く」仕方としては共通する点を以て、両方の「現象から身を退く」ことの間の差異を通じて「マーラー」の場合に照明を与えることが問われているのではなかろうか?

 更に具体的な問題として、マーラーの「後期」はいつから始まるのか、という問いには様々な異説があって、ヴェーベルンにおける作品20のトリオと21の交響曲の間にある明確な区切り点を見出すのが困難に見える。特に厄介なのは第8交響曲の位置づけだろう。

 ところで「大地の歌」の第1楽章について、かつての私には違和があった。今のほうがこうした感情の存在することがよくわかる。そういう意味で(多分にnegative―そうだろう?―な意味で)これは成年の、否、後期の(晩年、ではないにしても)音楽なのではなかろうか?
その一方で、「大地の歌」と第9交響曲を双子のような作品として、一方が他方のヴァリアントの如きものとして扱われることが多いのに対して、第9交響曲と第10交響曲の間に広がる間隙は大きいように見える。マーラーに関して、もしシェーンベルクが間違ったとするならば、それは「いわゆる第9神話」に、彼独特のやり方によってとらわれたことが挙げられるだろう。この点についてはマイケル・ケネディの方が正しいと私には思われる。更に、そこを「行き止まり」と看做すことなく、第10、第11交響曲を考える点でもケネディは正しい。マーラーは本当に発展的な作曲家だった。だから第9交響曲は行き止まり等ではない。確かに第10は「向こう側」の音楽かも知れない。(なお、これを第9交響曲より現世的と考える方向には与しない。)けれどもマーラーは「途中で」倒れたのだ。マーラーの死は突然だったから本当に途中で死んでしまったことになる。(ただし仮にそれが誤診であったとしても、心臓病の診断が下って後、迫ってくる自分の「死」を彼が意識しなかったというのは全くの出鱈目だ。せいぜいがアルマの回想のバイアスに対する警告程度であればまだしも、彼の見てていた主観的な風景を、あたかもそんなものはないかの如き主張、誤診という客観的事実のみを以て、マーラーが「健康」であったなどといった主張は「ためにする」議論でしかない。)

 そうしたこともあってマーラーの第10交響曲こそが最も近しく感じられる。この不思議なトポス、だけれども、これは存在する、そうした場所はあるのだ。少なくとも残された者の裡においては。それ自体、何れ喪われるものであっても、それは存在する。全くのおしまい、無というわけではない。それは「喪」そのものかも知れないが、喪のプロセスは残された者の裡には存在する。マーラーがこの曲を、特に第1楽章以降を書いたのは不思議だ。彼は確かに危機の最中にはあったし、己の死を意識してはいただろうが、でも死に接していたわけではないのだ。

 だが私はこの曲のAdagioに、他のよりポピュラーな作品に先んじて、最初にそれだけ単独で知ることになったのだが、知ってたちまちに、結果として早くから惹きつけられた。マーラーについて最初に書いた、ケネディの評伝の「読書感想文」の形態をとった文章の中で言及したのは、まさにこの楽章だった。他ならぬこの曲だった。それを子供時代に聴くというのはどういう事だったのか?

 否、「現象から身を引き離す」ことは老年だろうが、子供であろうが、実はいつだって可能だ。ただし有限性の意識として共通であってもクオリアは異なるだろう。かつての宇宙論的な絶望と今の生物学的な絶望との間には深い淵が存在する。

 「後期様式」とは具体的に何だろうか?回想という位相。(かつての)新しさの経験。異化の運命。後期様式による乗り越え。風景の在り処。現実感は希薄。回想裡にある。かつて現実だった?「だったはずの」? …「ありえたかも知れない」?「仮晶」=「ありえたかも知れない」もう一つの「民謡」としての「東洋趣味」、「中国様式」?

 確かにマーラーは何か違う。consolationなのか、カタルシスなのか。(ホルブルックの)Courage to Beという言い方に相応しい。それを「神を信じている」という一言で済ませるのは何の説明にもなっていない。その「肯定性」―それはショスタコーヴィチとも異なるし、例えばペッテションとも異なる― について明らかにすべきだ。同じように救済もまた、もしそれがあるとするならば、第8交響曲のみしかない訳ではないだろう。マーラーは「約束で」長調の終結を選んだわけではない。強いられたわけでもない。とりわけ第10交響曲の終結が、それを強烈に証言する。一体何故、このような肯定が可能なのか―マイヤーの言うとおり、これは「狭義」の信仰の問題ではない筈だ。懐疑と肯定と。

 アドルノのベートーヴェンの後期様式についてのコメントをマーラーの後期様式と対比させること。『楽興の時』の中でのベートーヴェンの後期様式やミサ・ソレムニスについてのそれを、マーラーの『大地の歌』、第9、第10、そして第8と対照させつつ検討する。案に相違してベートーヴェンの閉塞と解体に対して、マーラーは異なった可能性を示したのかも知れない。アドルノのことばは、その消息についてははっきりと語らない。一見したところ、両者の身振りは極めて近いものがある。だが、並行は最後まで続くのか?寧ろ一見したところ厭世的に受け取られることの多いマーラーの方が「他者のいない」ベートーヴェンよりも、 異なった可能性に対して開かれていたのでは、という想定は成り立つ(Greeneの立場とも対比できるだろう)。

 ホルブルックと大谷の「喪の作業」(『大地の歌』に関して)を組み合わせて考える。個人的な『大地の歌』―第9交響曲における普遍化というのは成立するのだろうか?ところで、ホルブルックの「結論」(原書p.213)はどうか? 多分正しいのだろうが――これは私の求めている答ではない。 では答はどこにあるのか? そもそもマーラーにあるのか? 勝手読みは(マイヤーの心配とは別に)必ず無理が来る。 「感じ」が抵抗し、裏切るのだ。 頭で作り上げた「説明」は、どこかで対象からそれてゆく。 一見、ディレッタンティズムに見える―衝動に支えられた―探求の方が、より対象に踏み込めるに違いない。

 あるいは、「実感」が追いつかない――忘れてしまったのか?――否、そんなことはない。 まだ「わかっていない」だけかも知れない。 ここに「何かがある」のは確かなことだ。 自分が求めているものとぴったり同じではない可能性も否定できないにせよ、自分にとって限りなく重要な何かあがあるのは確かだ。

(2022.12.7-8 公開, 2023.3.16改稿)

2022年5月16日月曜日

デイヴィッド・コープのEMI(Experiments in Musical Intelligence)によるマーラー作品の模倣についての覚え書(2022.5.16更新)

 2019年7月刊行ということなので、もう2年半も前のことだが、 EMI(Experiments in Musical Intelligence)システムという自動作曲のコンピュータ・プログラムの開発者であるデイヴィッド・コープの著書Computer Models of Musical Creativity(音楽的創造性のコンピュータモデル)の邦訳が出版されていることに最近気づいて、慌てて取り寄せてざっと一読したのは既に1ヵ月程前のことになる。その全体を紹介するだけの余裕はそもそもなく、仮に出来たにせよこのブログはそれに相応しい場ではなかろうが、MIDIデータを用いたマーラー作品の分析を少しずつ進め、その結果を公開したり、第10交響曲の補筆完成に関連して人工知能に言及してきたこともあって、上掲書についてもマーラーとの関わりに限って今までに知りえたことについての紹介をしておきたい。

 邦題は『人工知能が音楽を創る 創造性のコンピュータモデル』(音楽之友社)で、原著の題名は邦訳では副題の方で言及されていることになる。自動作曲は、人工知能の研究が始まったばかりの頃以来の研究テーマであり、人工知能で用いられる手法もルール・ベースのアプローチから、蓄積された事例に基づくデータ駆動型プログラム、生物の進化における選択・淘汰のモデルのアナロジーに基づく遺伝的アルゴリズム、ニューラルネット、更にはファジー論理のような確率モデル、力学系に基づくシステムに至るまで様々であるから、自動作曲を行うコンピュータ・プログラム=人工知能と考えれば、邦題は非の打ちどころなく正当なものだということになろうが、深層学習がもたらしたブレイクスルーによって到来した今日の何度目かの人工知能ブームにおいて流布しているイメージからすれば、ミス・リーディングとまでは言わないまでも、マーケットを意識したキャッチ―な題名のように感じられる。

 ただしこの印象は、私がかつての人工知能、ブルックスによってGOFAI(Good Old-Fashoned AI)と呼ばれた記号処理ベースの人工知能システムに、産業応用を生業とするエンジニアとして多少なりとも関わったことがあって、その時に人工知能研究に対して抱いた違和感に似た感覚を、今頃になって感じることになったという個人的な事情による部分が大きいように感じる。それにしてもブルックスがサブサンプション・アーキテクチャをもって記号処理ベースのAIに異議申し立てを行ってからでさえ既に四半世紀が過ぎようとしており、その間にそれまではタブーとされた意識や心について論じることが当たり前になっていることを思えば、ここでのコープの立場は情報工学的研究としては申し分ないかもしれなくとも、些か保守的であるという印象を拭い難い。注意深く選択されたコープによる創造性の定義は或る意味では非の打ちどころがないが、チェスのようなゲームを例として説明される創造性が、音響のパターンの組み合わせ方の選択という、多くの場合、必要条件ではあることは認められるかもしれなくても十分条件であるかどうかは極めて疑わしい側面に「音楽」を還元してしまっていることがもたらすであろう帰結についてコープは無頓着に見える。彼によれば創造性には意識は勿論、知性も不要だし、生命すら不要であるというのだが、それは検証可能な仮説というよりは、寧ろ信念に近いものに感じられる。結果としてコープがやっていることは、創造性を自分の信念によって定義して、その定義に沿った出力を計算するシステムを開発し、動作させた結果をもともとの信念による定義に照らして創造的であると言い募ることとの区別が限りなく曖昧になってしまっているように感じられてならない。コープはコンピュータが生成した作品を人は真っ当に聴こうとさえしないと不満を募らせるが、そうした態度を招来する原因の一端は明らかに、特定の作曲家の様式の模倣を行うという彼が自ら選んだやり方に起因している筈である。コープは模倣の元となった作品と生成された作品を比較すれば、生成された作品のオリジナリティがわかるという言い方をするが、端的に言って、そういう比較を聴取に持ち込むこと自体が対象を「音楽」として受容することと相容れないことにコープは気が付いていないようだ。

 だがそうしたコープの見解について検討を行い、きちんとした批判を行う作業を行うだけの余裕が今はないので将来の課題とせざるを得ず、そのかわりにここでは端的に、コープが開発したEMI(Experiments in Musical Intelligence)によるマーラー作品の模倣について、後日の検討のための覚えを記しておくことにしたい。非常に肌理の粗い言い方になるのを承知の上で敢えて言えば、コープのような立場は、或る様式に従った音響パターンとしての作品の職人芸的な生産という音楽制作の或る局面においては一定の有効性を持つだろうが、それはマーラーの作品が位置づけられる局面とは最も疎遠であると私は以前より考えてきたし、今でもそう考えている。であるが故に、コープがよりによってマーラーを様式模倣の対象として選択したことに酷く驚き、『人工知能が音楽を創る』に付録Aとして付されたEMIによる作品リストに含まれる様式模倣の作曲家の中で、マーラーが特別な地位を占めていることに当惑し、その理由を突き止めようという衝動を覚えたのであった。以下は将来その作業に着手するための備忘として書き留めておくものである。

 『人工知能が音楽を創る』の中で最初にマーラーが取り上げられるのは、第5章、コープが創造性の一翼を担っていると考えている「引喩」についてのところである。最初に「フレームワーク」の節で第4交響曲第1楽章の冒頭主題の上部構造としてヘンデルのメサイア中の或る旋律を指摘するレオナルド・マイヤーの見解が参照され、続いて第9交響曲第4楽章の序奏部分の音型、ドレスデン・アーメンの例としての第1交響曲第4楽章の一部、第5交響曲第1楽章冒頭のファンファーレ、「子供の死の歌」第2曲のトリスタン音型が参照される。マーラーの音楽に様々な先行作品の「引用」を指摘すること自体は寧ろありふれたことであるから、ここでマーラーがサンプルとして取り上げられること自体に不思議はない。一方で、コープの定義する創造性の観点からすると、ここで「引喩」と呼ばれているものが或る既存の特徴的な音響パターンの再利用以上のものであるかどうかは自明ではないだろう。コープは最後の「子供の死の歌」第2曲の引用に関して、よりによって(と私には思えるのだが)マーラーの伝記的事実を参照してみせるが、それがコンピュータの創造性の探求という文脈においてどう正当化されるのかについては些かも明らかには見受けられない。繰り返しになるが、何しろコープによれば創造性には生命は不要なものなのだから、子供の死など関係がない筈だし、ましてや作曲者の娘の死が作曲者に与えた影響を論じることが創造性の構成要素としての「引喩」に関わる筈がないではないか。そのレッテルの正当性についての議論を一先ず措けば、或る種の誤解に基づくにせよ「自伝的作品」といったような規定が為される類の音楽は、コープの定義する創造性からすれば最も縁遠いものの筈である。

 だがコープのEMIによる模倣においてマーラーが単なるサンプルに留まらない或る種特別な地位を占めていることが、最終章である12章「美学」に至って明らかになる。この章の冒頭では、コンピュータが作曲したという知識が聴衆の作品の受容の態度を予め規定してしまい、まともに評価されないのはどうしてかについての検討が行われる。そこで例として取り上げられるのがEMIによるマーラーをタイトルロールに持つ「オペラ」の自動作曲なのだ。そしてそれが美学的インタラクションとどう関係するかは措いて、コープはオペラ「マーラー」についての説明を(コープ自身の並々ならぬ思い入れも含めて)延々と行い、その中のアリアの1曲についてはヴォーカルスコアではあるが、まるまる1曲全体の譜面を提示しさえするのである。ここでのコープの議論の進め方について気になる点を書き出し始めればきりがないことになるので、ここでは控えることにするが、例えば、

「(…)オリジナル曲とオペラ中のパッセージとを比べると、後者は引用というよりは言い換えに近い。私は通常このような模倣は好まないが、マーラー自身は好んで自作を引用したから、ここでは気にしないことにする。」(邦訳 p.366)

という一節を取り上げると、「引用というよりは言い換えに近い」模倣が、マーラー自身の(言い換えならぬ)自己引用によってどうして正当化されるのか、読み手は途方に暮れることになる。これだけなら単なる揚げ足取りの類と見做されてしまうかも知れないが、少なくとも私には、コープのようなアプローチを採ることと、その素材としてバロックや古典期のような一定の様式に基づく作品が職人芸によって量産された時代の作品ではなく、よりによってマーラーの作品を取り上げることの間には乗り越え難いギャップがあるように感じられる。

 これも皮相な一例に過ぎないかも知れないが、歌劇場監督、オペラ指揮者としてあれほど優秀であったマーラーが、最初期の学生時代の試みと、ヴェーバーのオペラの補筆を除けばオペラの作曲を手掛けることが決してなかったことは良く知られているし、そのことの理由についても繰り返し考察されてきた事柄であり、コープ自身「彼自身オペラを作曲することはなかった」(p.365)と認めながら、そうしたマーラー本人をタイトルロールとしたオペラを、「自分自身の特別な好み」(ibid.)に基づき、「自分が聴きたかった」(ibid.)から作ろうと思いつくこと自体私には理解し難い。百歩譲って或る種のアイロニーとしてとか、或いは返す刀でオペラのコンセプト自体も脱構築する(これも前世紀ならともかく、21世紀の今日では今更な感じが否めないが)とかいう観点でもあれば別だが、何より決定的なのはそうしたオペラをよりによってマーラーの書法の模倣によって作ろうというのだから最早返す言葉がない。序でだからもう一言だけ言えば、これも物議を醸す材料に事欠かないマーラーにおける音楽とテキストの関係を知っている者は、コープが、

「コンピュータの作曲した曲に歌詞をつけるのは、興味ある挑戦である」(p.366)

と事も無げに言い出すのを目の当たりにしてあっけに取られてしまうだろう。

 実はオペラ《マーラー》の存在自体については、楽譜が売られているのを見かけたことがあるので知っていたのだが、それがマーラーの様式模倣を行う自動作曲システムによる作品だということに気付かず、ここで初めて知って大変に驚いたのだった。かてて加えて既に触れたように付録としてつけられたEMIによる作曲リスト(pp.399-400)を確認する限り、マーラー作品の模倣は10作品にも及び、作品数だけとればバッハやモーツァルトを上回って最多であることがわかって更に困惑は深まるばかりとなる。

David Cope の歌劇「マーラー」のヴォーカルスコア

 既述の通りコープの主張には理解に苦しむ点が多々あるが、それについて理路を整えて批判する作業は後日を期することとして、ここでは(或る意味ではコープがそう望んでいる通り)、コープの語っていることではなく、自動作曲の出力そのものを聴取した印象を、しかもマーラーの作品の模倣、およびそれとの対比の目的で聴いたモーツァルトの作品の模倣に限って書き留めておくことにしたい。(実は個人的には模倣作品のリスト中にペルゴレージの名前があれば、多少はコープのことを見直したに違いないのだが、生憎ペルゴレージはコープの関心の対象外なようだ。大量の偽作やストラヴィンスキーの「プルチネッラ」のような事例を考えれば寧ろペルゴレージこそ格好の「ネタ」に違いないのにどうして?という気がするが、コープにとってはこういう事情は恐らく関心の外なのだと思う他ない。)

 Amazonで確認した限り、本稿執筆時点でそのうちの7曲の楽譜が入手可能であることが確認できた。更には邦訳書の冒頭に記載の通り、著者のWebページおよびyoutubeの著者のアカウントでは、自動作曲システムを用いて生成した「マーラーもどき」の作品の幾つかを(全て断片ではあるが)聴くことができる。

 参考までに、以下に『人工知能が音楽を創る 創造性のコンピュータモデル』の付録Aに記載されているマーラーの作品の模倣による作品を、2022年4月の本稿執筆時点で日本のAmazonで楽譜が入手できるかどうかの対応つきで一覧しておくことにしよう。以下で(*)が付されている作品は楽譜の入手が可能なようである。

  • アダージョ  Adagio, 弦楽オーケストラ, 8分
  • 4つの歌  Four Songs, ソプラノ、アンサンブル, 28分 (*ピアノ伴奏版および室内アンサンブル版)
  • 生と死の歌  Lieder von Leben und Tod , 独唱(複数)、オーケストラ, 25分 (*ヴォーカルスコア)
  • オペラ《マーラー》Mahler (opera), 独唱(複数)、合唱、オーケストラ, 4時間 (*ヴォーカル・スコアおよび3分冊のフルスコア)
  • オペラ《マーラー》(短縮版)Mahler (opera)(short version), 独唱(複数)、合唱、オーケストラ, 2時間
  • 歌の交響曲 A Symphony of Songs, オーケストラ, 30分 (*)
  • 管楽器のための組曲 Suite for Winds, 管楽8重奏, 40分30秒 (*)
  • マーラー・カンティクル Mahler Canticles, 合唱、吹奏楽, 14分 (*ヴォーカルスコアおよびフルスコア)
  • 3つの歌 3 Songs, テノール、ピアノ, 12分
  • 3つの二重唱 3 Duets, 20分, アルト、テノール、合唱、ピアノ, 20分 (*)
 ちなみにこれもまた揚げ足取りの類と見做されるかも知れないが、上記のリストを眺めて或る日ふと思ったのが、コープが作品に付したタイトルの奇妙さである。初期の破棄された試みと、初期創作の掉尾を飾り、かつマーラー自身が「作品1」と認めたカンタータ『嘆きの歌』を除けばマーラーは交響曲と歌曲しか書かなかった。確かに編曲の中にはバッハの管弦楽組曲の編曲が含まれるものの、人によっては内的な論理を見出し損ねた挙句、その交響曲を組曲・ポプリの類に過ぎないとの揶揄をすることはあれど、マーラーの創作において「組曲」というジャンルは明らかに異質なものに感じられ、自ら自発的にそうしたジャンルを題名として選択する可能性があったようには思えない。また「歌の交響曲」というのは、研究者がマーラーの作品の性格付けを行うための規定としては考えうるだろうが、個別の作品のタイトルとしては明らかに異様である。

 だが「そうした指摘は揚げ足取りで、コープがやっているのは音楽そのものの模倣であり、タイトルはその対象ではない」といった類の抗弁は、「生と死の歌」というタイトルの前で沈黙せざるを得なくなる。ご丁寧にこれだけはドイツ語のタイトルだから、他のタイトルとは異なって、ここではそれが模倣の実質的な一部を為しているのだろうと想像する人がいてもおかしくはなかろう。だがアドルノのマーラーに関するモノグラフに馴染んだ人は、直ちにその末尾の第8章「長きまなざし」(ここでは引用は法政大学出版局から1999年に刊行された龍村あや子による新しい邦訳による。以下についても同様。)の中の「大地の歌」を論じた箇所にある以下の一節を思い浮かべるに違いない。
「《大地の歌》という題名は、もしこの作品の内容がその並々ならぬ要求を正当化し、悲しみの真理によって大げささを払拭していなければ、新ドイツ派の「自然交響曲」や「生と死に関する高尚な歌曲」といった範疇との絡みが疑われるかもしれない。」(アドルノ『マーラー』, 邦訳 pp.197-8)  
 よもやこのアドルノの言葉を、マーラーが新ドイツ派的であって、そのようなタイトルの作品を書いていると述べていると受け止めたわけでもなかろうし、これはモノグラフの冒頭すぐに出てくる「マーラーの第9交響曲に書かれてしまったあの馬鹿げたほど大げさな「死が私に語りかけること」という標題は、真理の契機を歪曲するものとしては第三交響曲の「草花や動物たち」よりもたちが悪い。」(同書, 邦訳p.4)というくだりの意図を取り違えたわけではなかろうが、「歌の交響曲」同様、研究者によるマーラーの作品の性格付けとしてならともかく―実際、ドナルド・ミッチェルの3巻よりなるマーラー研究の最後の巻は "Gustav Mahler, Songs and Symphonies of Life and Death" というタイトルを持っている―「高尚な」を除けば良いというものでもなく、結局のところコープの姿勢が創作者ではなく研究者であり、これらの作品は創作であるよりも研究における模倣の実験の結果に近いことを告げているように思えてならない。繰り返しになるが、作曲家によってはタイトルへのアプローチを問題にすることに拘る必要が希薄な場合もあるだろうが、ことマーラーに関して言えば、決してそんなことはない。仮に百歩譲ってコープのタイトルの付け方がマーラー的でないこと、或いはコープのタイトルへの姿勢がマーラー的でないことを不問に付したとして、どのみちここでコープのやっていることはマーラーの「模倣」として疑問の余地があることは確実なことに思える。

 だがタイトルという「パレルゴン」についての議論はこれくらいにして、youtubeで作品の幾つかを聴いた印象に移ろう。以下に本稿執筆時点(追記をした2022年5月時点、ただし4月時点と変わりがないようだ)でyoutubeで公開されていることが確認できたコンテンツを一覧しておく。オペラ《マーラー》の一部が大半を占め、それ以外はアダージョの一部のみのようである。
  1. ・オペラ《マーラー》に関するもの
    • 間奏曲
      • David Cope Emmy Mahler (6:43):David Cope's Experiments in Musical Intelligence Program's composition, an intermezzo from the opera Mahler, in Mahler's style.
      • Mahler opera Emmy David Cope (2:59):Portion of an intermezzo from Mahler (opera) by Experiments in Musical Intelligence computer program created by David Cope. 
    • アリア
      • Mahler opera aria Emmy David Cope (2:59):Portion of an aria from Mahler (opera) by Experiments in Musical Intelligence computer program created by David Cope.
      • Mahler opera Emmy aria (2:04):Portion of aria from Mahler (opera) by Experiments in Musical Intelligence computer program created by David Cope. 
      • Mahler Opera Emmy David Cope (1:22):Portion of another aria from Mahler (opera) by Experiments in Musical Intelligence computer program created by David Cope. 
      • Mahler opera fragment Emmy David Cope (6:43):Fragment of an aria from Mahler (opera) by Experiments in Musical Intelligence computer program created by David Cope. 
    • 二重唱
      • MAhler opera Emmy David Cope (2:07):Portion of a duet from Mahler (opera) by Experiments in Musical Intelligence computer program created by David Cope. 
    • 四重唱
    • レシタティーブ
    • 断片
    • 管楽合奏用編曲の断片
      • Mahler opera emmy frag (4:09):Fragment From the Experiments in Musical Intelligence opera Mahler arranged for wind ensemble by David Cope. 
    • ウィンド・オーケストラ版(?)
      • Mahler Emmy Opera (4:17):From Mahler's opera for Wind Orchestra by David Cope's Experiments in Musical Intelligence.
  2. アダージョに関するもの
    • Mahler Adagio Emmy David Cope (1:57):Mahler Adagio for Strings fragment by Experiments in Musical Intelligence (Emmy) programmed by David Cope.
 聞いてみてまず思ったのは、データ分析に用いたMIDIデータを素材として、Google Magentaで模倣(としての自動作曲)や記憶した系列の再生の実験をしばらくやった経験に拠れば、その生成物にとても似た感触があるということだった。EMIの出力結果だけ聞いた場合と比べて、自分が感じた違和感の在り様と在処の把握について感覚的につかむ素地を事前に持てたことだけでも、別途Google Magentaで実験をやっていて良かったと思ったのだが、その共通する印象を非常に単純化して言ってしまえば、学習のサンプルとして与えたマーラーの作品に含まれるローカルなパターンの奇妙な継ぎ接ぎで、時々、ほとんど引用紛い(というより、その箇所だけ取れば、記憶された断片が連想によって想起されたものに印象としては近いもの)になる。けれども全体としては全くマーラー的ではない、というのが率直な印象である。奇妙な継ぎ接ぎというのは、でたらめではないけれど違和感が拭えないということで、連結としては可能であってもフレーズの構造上は奇妙な脈絡(それはシェーンベルクの言う「音楽的散文」、マーラーの作品を特徴ずける不均衡なフレーズ構造とは似て否なるものである)が生成されるのだが、恐らくそのことは機械学習がミクロなパターンの組み合わせの再生はできても、巨視的な構造を扱うことが難しいという点に関係するのではないかと思われる。実はGoogle Magentaでの実験は、当初は触れ込み通りの自動作曲の試行(つまり、まさにコープのやろうとした「模倣」を自作のプログラムではなく、Google Magentaというツールを使って試みること)の筈だったのだが、実験をしているうちにやっていることの意味合いに疑問を感じるようになったために、一旦は記憶した系列の再生の実験に方針を変えたのだが、そうした試行錯誤の過程で受けた印象に類似した印象を受けたのである。従ってGoogle Magentaでの実験で感じた、やっていることの意味合いに対する疑問は、そっくりそのままコープのやっていることにも当て嵌まるのであって、或る種の既視感を感じさせる経験だった。

 別段それを誇るとかいうのではなしに、交響曲だけではなく、歌曲についても子供の頃から繰り返し聞いてきたが故に、私はマーラーの作品はほとんどすべて(完璧に暗譜しているわけではないにせよ、不完全ながら頭の中で概ね再生できる程度には)記憶しているので、ある部分のネタがどの作品なのか嫌でも気づいてしまう。これがモーツァルトとかだと、私が知らない作品、聴いたことがない作品、聴いたことを覚えていない作品もたくさんあり、かつモーツァルト自身にも他者の様式模倣のような作品が少なからずあるので、そういう意味では「らしさ」を感じる余地が相対的にはあるのだろうが、やはり「劣化した」モーツァルトにしか聞こえない。古典期の忘れられた作曲家の作品だと言われたら、そうかなと思ってしまう程度の出来のものはあるように思うが。だがマーラーに関してはそうではない。そもそもマーラーは自己引用はしても様式的な自己模倣というのとは最も縁遠い作曲家で、言ってみればどの曲も他の曲と似ておらず、それぞれが特殊なものなのだ。だからコープがやっているようなアプローチはそもそもマーラー的ではない。時折、ある交響曲が先行する交響曲の二番煎じであるという批判があるにしても、それはよりマクロな構想に関して言われるのであって、個別の楽曲の様式の水準においては既成の自分の作品に似た作品というのをマーラー自身が決して書かないので、ここで行われているような模倣そのものが、そもそも着想の時点で非マーラー的に思えてしまうということなのだと思う。(岡田暁生は『音楽と出会う 21世紀的つきあい方』, 世界思想社, 2019において、AIによる自動作曲に一章(第7章 AIはモーツァルトになれるのか?)を割いて音楽学的な観点から批判をしている中で「偉大な芸術家は絶対に自分のコピーはしない―これをどれだけ強調してもしすぎではない」(p.166)と述べているが、少なくともマーラーに関しては、私はその見解に全面的に賛成である。)

 それ以外にも、恐らくコープがそれによってマーラーに似せることができる、あるいはできたと思っているに違いない特徴は、私に言わせると確かに表面的にはある作品のある部分に実際に存在するけど、だけれどもそれを使ったらマーラー的に聞こえるというと全くピント外れに思えるのだ。素人が偉そうにとは思うけど、私にはコープは、マーラーのマーラーたる所以が全く分かっていないとしか思えなかったというのが正直な印象である。

 勿論、こうした印象が私の方が間違っているせいで生じている可能性もあり、コープのマーラー作品の模倣に接した他の人の印象がないかと思って少しだけ探してみると、日本語で読めるものとしては、以下のような記事が確認できた。

森田浩之「ヒトの知能とキカイの知能」⑧ (https://www.jihyo.co.jp/topics/hitonotinoutokikainotinou8.html)

 ここで参照されている「マーラースタイル・アダージョ」は、付録Aの作品目録より判断する限り、弦楽合奏向けの8分程の長さのアダージョと思われるが、それに対応すると思われるyoutubeの2分程度の長さを持つ音源を聴く限り、上掲記事にある「交響曲第9番の第4楽章を基礎にした別の曲」ではなく第3交響曲第6楽章のアダージョに基づく模倣にしか私には聞こえない。(以下に現時点でアクセスできるyoutubeのコンテンツのURLを再掲しておく。)

Mahler Adagio Emmy David Cope (https://www.youtube.com/watch?v=oPcaGlaROjA) 

 この点について現時点で考えられる可能性としては、上掲記事が参照しているものと、現時点でyoutubeに公開されているもののいずれもが8分程ある長さの作品の一部ではあるけれども、作品中の異なった部分である可能性があるだろう。第3交響曲第6楽章と第9交響曲第4楽章のキメラと言えば人間には想像もつかないが、プログラムにとってはそうしたキメラの合成が難しくないことは、例えばホフスタッターが『ゲーデル・エッシャー・バッハ』の中で紹介している(邦訳 pp.596~7)人工知能による自動作曲のごく初期の成果、即ちマックス・マシューズが作成したプログラムが「ジョニーが凱旋するとき」と「イギリス擲弾兵」を入力として出力した「作品」等によって良く知られていることであろう。せめてアダージョのスコアが入手できれば確認ができるのだが、残念ながら既述のAmazonで購入可能なスコアのリストにはアダージョは含まれないので、ここでは推測に留める他ない。

 だがその点を措けば、局所的な素材だけとれば「そのまま」だけれども、全体としては如何にもAIが生成したらしい、みすぼらしい継ぎ接ぎにしか聞こえないという点や、にも関わらず、もし知らない人が聴けば本物との区別がつかない可能性を否定しない点も含めて、上掲記事の著者と私とは概ね似たような印象を受けたものと想像される。

 なお上掲記事では第10交響曲の別バージョンを機械に作らせたらというアイデアも披露されており、この点について既に私自身、後述の通り、過去に書いてWebで公開している幾つかの記事の中で、特にスタニスワフ・レムの「ビット文学の歴史」(『虚数』所収)を参照にしたりしつつ何度か取り上げていることもあって、大筋において首肯できるものがある。(但し上掲記事では、「横」=メロディー、「縦」=オーケストレーションとした上で、デリック・クックによる補筆完成の経緯を踏まえた説明が為されているが、ここでオーケストレーションという言葉で包括されているものの実質は、アドルノがマーラー・モノグラフ第2版の後書きに記した通り、寧ろ和声づけおよび対位法的な補完であることを指摘しておきたい。無論のこと管弦楽法についてもマーラーの断片的な指示に基づく補完作業が行われたのは事実だが、クックの補筆の寄与の最も大きい部分は垂直方向の和声と対位法の次元の補完であり、だからこそクック版とカーペンター版やホイーラー版といった他の補筆完成版との相違が顕著になるのがその次元なのだし、他方でアドルノ他の論者が第10交響曲の補筆完成を不可能と判断した理由も、まさに垂直方向の和声と対位法の次元の補完をマーラー本人以外が行うことを越権と見做したが故の筈なのである。)

 既述の通り、実は私自身、第10交響曲の人工知能による補筆の可能性について、過去の記事において何度か触れているのだが、その度に繰り返し、その結果に対して悲観的であることを記してきたのだった。一つだけ例を挙げるならば記事「第10交響曲への言及1件(アルフ・ガブリエルソン「強烈な音楽経験による情動」)」(https://gustav-mahler-yojibee.blogspot.com/2019/07/101.html)においては以下のように記したのであった。 

(…)今日の展望からすれば、例えば第10交響曲の補筆をAIにやらせたらどうなるのか、というような問いを立てることができるだろう。かつてスタニスワフ・レムは「ビット文学の歴史」において、ドストエフスキーの翻訳をしていたコンピュータが、空き時間を使って、「未成年」と「カラマーゾフの兄弟」の間を埋める「ありえたかも知れない」作品を産み出すといった状況を提示してみせた。加えて、カフカの「城」の未完成部分の補完には失敗したという「オチ」さえ用意しているのだが、それらに比べれば、ほぼ完成した第1楽章があって、その他の楽章も粗密はあっても水平的には最後までドラフトが遺された作品の補完作業は遥かに可能性が高そうに見えるかも知れない。おまけに今なら、クック以外にも存在し、かつますます増え続けているかに見える様々な補完のヴァリアントを機械学習の素材とできるわけである。既に機械学習技術が、バッハのコラールもどきを人間を騙せる程度にまで自動生成できるのであれば、遥かに長大で複雑な作品であっても、様々な補完作業の良いとこ取りなら技術的に不可能とは言えないだろう。完成された部分は遥かに多くても、フィナーレのコーダが全く欠落し、かつフィナーレのための試行錯誤に費やされた余りに長い時間故に、先行する3楽章との間に様式のギャップが生じてしまっているかに見えるブルックナーの第9交響曲に比べても、有利な条件は揃っていそうではないか。

 だが、現状の機械学習の能力を前提にする限り、その試みは大して興味の持てる結果をもたらさないであろうことは、予め決まっているのだ。それは、最大限に成功して、極めて巧妙な折衷に過ぎないのだ。もしかしたら、過去のマーラーの作品の側により引き摺られた結果が得られる可能性はあるだろうが、マーラーその人が切り開きつつあった「未来」の方向に踏み出した結果が得られることは、原理的に言ってあり得ない。マーラー以降の様々な傑作をサンプルとして与えたところで、それはマーラーの「ありえたかも知れない未来」とは無縁のものであり続けるのは明らかなことだ。古典派以前の、作曲家が音楽職人であり、消費財としての作品を、固定化されたパターンを再利用して、コピーするようにして生産する時代であれば事情は異なるだろうが、(今は価値の優劣は一先ず措くとして)マーラーのように一作、一作毎に発展し続けた作曲家においては最後の作品が目指していた「未来」が含み持つ、未聞の「新しさ」の理解抜きに補筆はあり得ない。そして「新しさ」と「例外」の区別は、つまるところ創造性は、少なくともシンギュラリティの手前の現時点では未だに「人間」のものであるようだ。レムの「ゴーレムXIV」におけるゴーレムやオネスト・アニーの「旅立ち」は未だ暫らく先のことだし、有性生殖と有限の寿命といった生物学的な拘束条件を持たない彼らにとっては、そもそも第10交響曲の「遠く」など全く無縁のものだろう。(…)

 だがEMIによる作品リストを眺めた時に、そういう試みがなされているかを実際にはきちんと調べたことがないことにはたと気付いて調べてみると、豈図らんや、以下のような記事に行き当たった。まずはAFPの2019年9月の記事。

AIがクラシックの巨匠と肩を並べた? マーラー未完の曲を「完成」2019年9月10日 14:34 発信地:リンツ/オーストリア(https://www.afpbb.com/articles/-/3243774)

日本語で読める記事としては、音楽之友社のサイトの類家利直さん執筆の以下の取材記事が確認できた。

メディア・アートの祭典「Ars Electronica2019」レポート:AIが学習し、再現するブルックナー、マーラー、グレン・グールドたちを観る(https://ontomo-mag.com/article/report/arselectronica2019-20191211/)

Ars Electronicaと言えば、メディアアートの世界的なイベントとして有名で、本ブログの姉妹ブログで紹介している三輪眞弘さんが2007年にデジタルミュージック部門の最高賞であるゴールデン・ニカ賞を受賞していることもあって、決して疎遠な世界ではないのだが、よりによって2年前の2019年のArs Electronicaでこのようなことが行われていたことにようやく気づき、汗顔の至りである。これもまた本来ならば気づいてすぐに紹介すべきところ、デイヴィッド・コープのマーラー作品の模倣の紹介ともども多忙に紛れて1ヵ月以上が経過してしまった。

いずれについても備忘がわりの覚え書で済ませるような内容ではなく、そもそもが上に自己引用した私の見解を検証する格好の素材なのだから、機会があればいずれ改めて取り上げたいが、現時点では調べた限り、演奏の断片的な映像を除けば、人工知能が補作した作品を聴いて確かめることはできないようでもあり、最後にArs Electronica自体の紹介ページ(英語)とブログ記事(ドイツ語)へのリンクを紹介して覚え書を一旦終えることで当座の責めを塞ぐこととしたい。

Mahler-Unfinished(https://ars.electronica.art/futurelab/de/projects-mahler-unfinished/

Mahler-Unfinished : Wenn Mensch und Maschine Musik machen

https://ars.electronica.art/aeblog/de/2019/09/02/mahler-unfinished/

[付記]本稿の内容とは直接関係ないが、『人工知能が音楽を創る』における創造性についての議論の中で非常に気になる記述があるので、備忘のためにここで指摘をしておきたい。以下に引用する記述は第2章背景の先行研究の節の冒頭の部分である。

「創造性研究の歴史はたいてい上下二院制(原文では点による強調)の精神から始まる。上下二院制の精神とは、我々の精神は2つの部屋から成るという初期ギリシア時代の概念である。一方の部屋は、ムーサの神々を通して創造の神によってもたらされる新しいひらめきを創り出す部屋と考えられた。ムーサの神々とは叙事詩のカリオペ―、歴史のクレイオ、愛詩(原文ママ)エラト、音楽と抒情詩のエウテルペ、悲劇のメルポメネ、神々への讃歌のポリヒュムニア、舞踏のテルプシコレ、喜劇のタレイア、天文のウラニアの9人の女神を指す。彼女らは超自然的イノベーションを起こし、それをもう一方の受動的な精神の部屋に注入する。面白いことに、プラトンはこの新しいひらめきを創り出す部屋を狂気の源として、つまり高度な創造性は狂気と表裏一体であると考えていた。しかしアリストテレスは、連想説(原文では点による強調)として知られるプロセスをもって上下二院制の考え方に反対した。一般に、連想説は、創造的な思考を無意識あるいは潜在意識化の連想として特徴づけるものである。アリストテレスの見方では、思考とアイデアの結びつき、イメージと経験の結びつき、原理と方式の結びつきから類推が導かれ、それがさらに創造的な思考法を生みだすとされている。」(邦訳pp.45-46)

そして連想説に関する考察の参考文献として、John S. Dency & Kathleen H. Lennon, Understanding Creativity, San Francisco, Jossey Bass, 1998のpp.15-41を示しているのだが、上記の記述は、本ブログの記事でも何度となく参照してきたジュリアン・ジェインズの<二分心>(bicameral mind:二院制の心)の仮説を想起させずにはおかない。但し、ジェインズの仮説はあくまでも近年の心理学や脳科学の知見と言語学・考古学的な傍証に基づいた、神の住まう部屋が右脳、それを受け取るのが左脳であるとするジェインズ自身の仮説であるのに対して、ここでは初期ギリシアにそういう概念があったと述べられている点が異なる。(ちなみにジェインズは、そういう概念が初期ギリシアにあったというように述べてはいない。)連想説についての文献は掲げられているが、上下二院制の精神に関する参考文献の指示はないこともあり、どこまで追跡できるかはわからないし、この点がコープの創造性についての主張と直接関係を持つわけでないが、機会があれば更に調べてみたい。

[付記その2] John S. Dency & Kathleen H. Lennon, Understanding Creativity, San Francisco, Jossey Bass, 1998を取り寄せて確認したところ、第2章 A brief history of the concept of creativityの最初の節(p.16)の見出しがずばり The Bicameral Mind であり、それがジュリアン・ジェインズの命名であること、学術的な仕方でこの見方を取り上げたのがジェインズが最初であることが明記されているのを確認できた。詳細については別途報告するが、取り急ぎ現時点で確認できたことを報告しておくことにする。

(2022.4.10暫定版公開, 4.11付記を追加, 4.13付記その2を追加, 4.24作品リストなど追加。5.9 作品のタイトルについてのコメントおよびyoutubeで聴けるサンプルの情報を追記。5.14,16 「模倣」に関する箇所に対して参照文献についての情報を付記した上で補筆)

2020年1月26日日曜日

アメリカの消防士のゴング?:第10交響曲についてのアドルノの言及を巡って(2020.1.28更新)

 アドルノの『マーラー』の最後の章「長きまなざし」の中に、第10交響曲の「プルガトリオ(煉獄)」末尾のゴング(タムタム)に関する言及があるのだが、以前この部分を読んだ時に、「おやっ」と思って記したメモが残っている(実はメモのままこのブログの記事として公開状態にある)。もともとが雑多な覚えの末尾に、その直前のメモの主題とは全く別に、おまけのようにそのことを書き記したこと自体、実は半ば忘却の彼方に去っていたのだが、どなたかがその「メモ」を読んで下さったお蔭で思い出したので、感謝の気持ちを籠めて、些事ではあるけれど備忘としてここで取りあげて置くことにする。

 問題のアドルノの文章は以下の通りである。

(...) Diesem könnte die Geschichte von dem Tamtamschlag des Feuerwehrmanns in Amerika entlehnt sein, der Mahler einen traumatischen Schock versetzt haben soll und der wohl am Ende des »Purgatorio«-Fragments aus der Zehnten Symphonien wiederkehrt;  (...)

(…)マーラーに精神的外傷(トラウマ:原文ルビ)のようなショックを与え、第十交響曲の「プルガトリオ」断片の最後に再び出てくる、アメリカの消防士のゴング(タムタム)の音はカフカから引きついだのかもしれない。(…) 

Taschenbuch版全集第13巻pp.291-292, 龍村訳 pp.191~192

前後を読むと、ここではカフカについて論じられているのだが、私が気になったのはその本来の論旨から言えば、どちらかといえば些末な事実に関することであった。アルマの『回想と手紙』の読者であれば、否、そうでなくても、第10交響曲についての作品解説の類でも良く参照されるので、それを通じて知っている人も多いだろうが、アルマの『回想』の中にアドルノが言及しているエピソードが出て来はしても、それは厳密に言えば、アドルノが述べている通りではないのである。

 アドルノのモノグラフの全訳としては2つ目の訳業ということになる龍村訳にはかなり豊富な訳注がつけられており、ここの部分にも訳注が付けられているので、それを参照した読み手は、もう一度「おやっ」と思うことになる。そこでは

「アルマ・マーラーによると、第十交響曲の葬送のゴング(タムタム)は、ニューヨークで夫妻がホテルの窓から見た、殉死した消防士の葬儀の印象に由来しているという。」(龍村訳 訳注(VIII 長きまなざし)*8 p.259)

と述べられており、ミッチェル版の『回想』の対応箇所のページ数が記されているのである。つまりこの訳注では、恰もアドルノの言及の通りにアルマが回想で述べているかのように書かれている。

 ところが知っている人は知っている通り、この訳注は事実に反しているのだ。アルマの『回想と手紙』を確認してみることにしよう。私は、酒田健一訳の1973年に白水社から出版された旧版を子供の頃に入手して以来ずっと手元に置いて参照してきたので、それを引用することとさせて頂きたい。それは「新世界 1907-1908年」の章に出て来る、以下のパラグラフのことに違いない。

「若い美術工芸学校の生徒のマリー・ウヒャーティウスが、ある日マジェスティック・ホテルに私をたずねてきた。話しこんでいるうちに、私たちはふと聞き耳を立てた。セントラルパーク沿いの大通りが騒がしい。窓からのり出して見ると、下は黒山のような人だかりがしている。葬式だった―行列が近づいてくる。そういえば新聞に、消防士が一人火事で殉職したという記事が出ていた。行列がとまった。代表者が前に進み出て、短い挨拶をした。私たちのいる十二階からでは、なにかしゃべっているらしいとわかっても、声までは聞こえてこない。挨拶のあとちょっと間をおいてから、おおいをかぶせた太鼓が一つ鳴った。あたりは水を打ったように静まり返り、やがて行列は動き出し、式は終わった。
 この風変わりな葬儀を見ているうちに、私の目には涙があふれてきた。おそるおそるマーラーの部屋の窓のほうをうかがうと、彼も身をのり出していて、その顔は泣きぬれていた。このときの光景は彼によほど深い感銘を与えたとみえて、のちに彼はあの短い太鼓の響きを『第10交響曲』のなかで使っている。」
(アルマ・マーラー『グスタフ・マーラー 回想と手紙』, 酒田健一訳, pp.155~156)

このくだりを読んだ人は、まず間違いなく、アルマが参照しているのは、第10交響曲の第4楽章のスケルツォの末尾、第5楽章のフィナーレの冒頭に鳴る、あの忘れ難い大太鼓の一撃であると考えることであろう。勿論、アルマは明確にそこの部分だと指示しているわけではないけれど、それにしても、「おおいをかぶせた太鼓が一つ鳴った。」とあって、それがゴング(タムタム)ではないことは間違いない。念のため対応の箇所の原文をあたっても 、

Die junge Kunstgewerbeschülerin Marie Uchatius war einst bei mir in Hotel Majestic. Wir wurden aufmerksam. Auf der breiten Straße, entlang des Centralparks, Getümmel und Lärm. Wir lehnen uns aus dem Fenster, unten eine große Menschenmenge. Ein Leichenbegängnis ― der Kondukt naht. Jetzt wissen wir auch aus unsern Zeitungskenntnissen, es war ein Feuerwehrmann, der bei einem Brand den Opfertod fand. Der Zug steht. Der Obmann tritt vor, hält eine kurze Ansprache, wir ahnen im 11. Stock mehr als wir hören, daß gesprochen wird. Kurze Pause, dann ein Schlag auf die verdeckte Trommel. Lautloses Stillstehen ― dann Weitergehen. Ende.Diese seltsame Totenfeier preßte uns die Tränen aus den Augen. Ich sah ängstlich zu Mahlers Fenster hin, aber da hing auch er weit hinaus, und sein Gesicht war tränenüberströmt. Die Szene hatte einen solchen Eindruck auf ihn gemacht, daß er diesen kurzen Trommelschlag in der Zehnten Symphonie verwendet hat.(酒田訳がそれに基づいている1949年版原書(アンシュルス後、第二次世界大戦中の1940年に出版された初版の、戦後出版された再版)ではp.170、現在入手しやすいと思われるFischerから出ている『回想』部分のみのTaschenbuch版ではp.163)

となっていて、やはりゴング(タムタム)ではないのである。いやこういうのは私だけではない。というよりも私がほとんど反射的に「おやっ」と思ったのは以下の理由による。
 
 これも上記の『回想と手紙』と並んで、子供の頃からの伴侶であった2冊のうちのもう1冊であるマイケル・ケネディの『グスタフ・マーラー』(中河原理訳、芸術現代社、1978年)は、著者がデリック・クックの知己であることもあって、第10交響曲に関する正確でかなり詳細な情報を含んでいるのが一つの特徴となっているが、その第5楽章の紹介のくだりは以下のようになっていて、この件を記憶した子供であった私の中では、アルマの回想が第4楽章のスケルツォの末尾、第5楽章のフィナーレの冒頭に鳴るバスドラムと関連していることは「事実」も同然であったわけなのである。

「これが何を意味するか、君だけが知っている」とマーラーはアルマにあてて、このスコアに書いている。マーラーはふたりがはじめてニューヨークに行ったとき(1907年12月から翌年4月まで)の出来事に触れているのである。このときはセントラルパークを見おろすホテル・マジェスティックに泊った。英雄的な死をとげた消防士の葬列が窓の下にとまった。歩き始めるまえに、覆いをつけた太鼓が短く鳴った。感じやすいマーラーはこれを眺め、涙がほほを伝った。その太鼓がこの終曲を開始し、ニ短調を保ってゆく。(…)
マイケル・ケネディ『グスタフ・マーラー』(中河原理訳、芸術現代社、1978年、p.233)

アドルノの側について言えば、彼自身は、例によってこういう側面の参照に関してはその典拠についての注をつけていないので、確実にアルマの回想の上掲のエピソードを参照しているという証拠があるわけではないとはいうものの、他にこれに替るドキュメントがあるものか、寡聞にして知らない。もしアドルノが言及している通りの、ゴングが鳴り響くアメリカの消防士に関するエピソードというのが別にどこかにあるのをご存知であれば、是非ご教示頂きたくお願いする次第である。

 ちなみにこの第10交響曲がマーラーの早すぎる晩年に訪れた、一般的には家庭内の不和ということになるであろう出来事に関わることは良く知られている。ケネディの評伝は伝記と作品解説の2部に分かれるが、そのいずれにおいてもこの点について、しばしばアルマに対して批判的なトーンを交えて言及している。私見では、それは全く正当な態度だと思われるが、その一方で私が第10交響曲を聴きながら最近感じるのはそれとは別のことである。作品とその作品を産み出す背景となった伝記的事実とは一先ず区別して考えるべきであり、私のそれは寧ろマーラーその人の経験の側についての思いに過ぎないのだが、マーラーのような性格の人は、この時期に、自分が気付かずに、時として無意識に、或る時にはもしかしたら良かれと思ってやった数々のことが、他人にとっては迷惑な、不快ですらあることに思い至らなかったことについての果てしない慙愧の念を感じていたに違いないということだ。誤解のないように繰り返して言うが、第10交響曲がその慙愧の念を表現していると感じたということではない。それとはいっそ無関係に、だが、背後にそうした悔悟の念、自分が意図せず独善的でしかなく、他人にとっては迷惑な存在であったこと、自分がどんなに願ったとしても、他人のために何かをすることにおいて、自分が不十分な存在であり、常にではなくても、最終的には力及ばないこと、そしてその時に気付いた時には最早手遅れであって、自分がやってしまったことについては最早取り返しがつかないのだという認識、或る意味ではあまりに平凡で取るに足らないと言われもしよう認識に直面したときの絶望感というものが潜んでいるような感じがしたということに過ぎない。そしてそのことをふと、上記のエピソードを引用しつつ思っただけではあるのだが、こと私個人に関しては、こうした「人間的な、あまりに人間的な」地平がマーラーへの共感の背景となっていることが否定しがたいことのように思われること、そして一見無関係に見えたとしても、アドルノの了解との隔たり(とはいえそれは対称なものでは全くなく、こちら側はごく私的な感じ方の根拠に過ぎず、何ら一般性な価値を有するものではないのだ)が、もしかしたらこの辺りに存するかも知れないと感じたこともあり、敢てここに追記しておくことにしたい。

 アドルノが第10交響曲の補筆に対して否定的な見解であったことは、龍村訳に収められているモノグラフ第2版へのあとがきからも窺えるが、これまた周到にも龍村訳の訳注で言及されている通り、»Fragment als Graphik«というタイトルの論考を後に書いてもいて、実はそこでももう一度、第3楽章について言及しているところで、

(...), obwohl der berühmte Tamtamschlag am Ende, den Alma Mahler mit einer biographischen Episode in Zusammenhang brachte, immerhin auf eine inkommensurable musikalische Situation deutet. (Taschenbuch版全集第18巻, Musikalische Schriften V, p.252) 

(…)、とはいえ、アルマ・マーラーが伝記上のエピソードに関連付けた末尾のタムタムの一撃は、少なくとも計り知れぬ音楽的状況を示している。(引用者による試訳) 

と記しているのであって、少なくともアドルノ自身の中では一貫した主張だったようである。上掲の»Fragment als Graphik«は1969年の日付を持つ文章のようだが、これはまさにアドルノの没年にあたっているから、アドルノが生前一貫して持ち続けていた信念だったと言って良いだろう。

 ここからは私の想像になるが、アドルノは既に戦前の1924年に出版されていたファクシミリには当然目を通していただろうし、同じ1924年秋の演奏も、或いは聴いていたかも知れない。また1951年に出版された所謂クシェネク=ヨークル版(これには第1楽章と第3楽章が収められている)も知っていたに違いないけれど、第4楽章・第5楽章の草稿を精査したことはなかったのではなかろうか。

 一方、クック版の補筆作業とその成果に基づく演奏については、演奏こそ、ゴルトシュミット指揮によるクック第1稿の放送初演が1960年12月19日にBBC放送であり、 クック第2稿の初演は1964年8月13日、ロンドンにおいてであるが(なお、いずれについても今やCDで聴くことができる)、これらを補筆に対して否定的であったアドルノが聴いたことがあったかどうか?更にクック版の楽譜としての出版はアドルノの没後の1976年まで待たなくてはならないのである。アドルノが、同じシェーンベルクのサークルのメンバーであったクシェネクや自分の作曲上の師であったベルク、シェーンベルクの師であったツェムリンスキーが関わった1924年版の作業は勿論として、その後のクックによる補筆の動きを知っていたことは、モノグラフ第2版へのあとがきから状況的には疑いないが、実証的な観点からすれば、わざわざ大太鼓が打ち鳴らされる箇所が別にあるのを知った上で尚、第3楽章末尾のゴングの一撃とアルマの回想のエピソードを結びつけるとも思えない。というわけで、アドルノが第4楽章のスケルツォの末尾、第5楽章のフィナーレの冒頭に鳴る大太鼓の一撃を知らなかったのではという見解に傾くのである。尤も、アドルノは必ずしも実証を重んじるタイプではなかったかも知れず、従ってこれ以上についてはアドルノを研究されている専門の研究者の判断を俟つしかなく、素人の憶測は慎むこととしたい。

 だが、斯く云う私も、上記のことに気付いた時にさえ、アドルノの主張の本筋の是非については別の問題であると思っていたし、その点の認識については基本的には現時点でも変わりはない。第10交響曲の「ゴング」と消防士に関する事実がどうであれ、「プルガトリオ」を閉じるゴングは、「プルガトリオ」が典拠としている歌曲『この世の営み』や歌曲『魚に説教するパドヴァの聖アントニウス』に基づく第2交響曲第3楽章の末尾同様、死後の世界への到着を告げる(『この世の営み』については歌詞の物語る通りだし、「プルガトリオ」の後には「悪魔が私と踊る」第4楽章が続き、第2交響曲第3楽章の後には、あの歌曲『原光』そのものである第4楽章が続く)ものではあるだろうから、アドルノの指摘それ自体は問題なく、誤っているのは消防隊の連想と、事実関係の誤認の点のみに限定されるだろう。

 いや正確に言えば、「プルガトリオ(煉獄)」とはこの世の営みの終焉とと天国への到着との間にあるのだから、死後の世界への到着を告げるゴングが曲の末尾に鳴るのはズレているだろう、という指摘はあるかも知れない。この点に関しては文字通りには反論の余地はないが、だとしたらそれは標題から逆に音楽に辿ろうとするが故に発生する問題だと返すことはできるだろう。「死後の世界への到着を告げる」という言葉がもたらす歪みが問題だというなら、或る種の相転移のポイントの通過を表すというように言い直しても良い。そもそもがそのようなゴングの音の象徴学に拠るならば、曲頭からゴングが鳴り響く葬送の歩みのような『大地の歌』の「告別」は、既に「死の世界」だということになるだろうが、それでは「告別」の中間部分の器楽による「葬送行進曲」はどうなる、といった疑問が出て来ることになるだろう。こんな議論を追いかけていけば、そのうちに当の音楽からどんどん離れて行ってしまう。要するにこうした標題的な詮索は、音楽に対して言葉の持つ歪みを押し付けているに過ぎないし、音楽は出来事を文字通り「物語る」のではないのであって、寧ろ「時間性の様態のシミュレータ」と見做すのが適切なのだが、このことは別に書いたのでここでは繰り返さない。

 ただ、その上でアドルノがかくもこだわった第3楽章末尾のゴングに関して確認してみたいと思うことがある。それはそのゴングを、クシェネク=ヨークル版に従ってフォルテで鳴らすべきか、それともクック版におけるように小さく鳴らすべきか、いずれが妥当かという点である。最初はFM放送で(諸井誠さんによる解説に導かれて)レヴァインの録音を聴き、しばらくはインバルがヘッセン放送のオーケストラと録音したものが私のリファレンスだったのだが、メモを記した当時私が良く聴いていたのはクルト・ザンデルリンクが旧東ドイツのベルリン交響楽団(現在のベルリン・コンツェルトハウス管弦楽団)を演奏した全曲版だった(やはり旧東ドイツのドイツ・シャルプラッテン・レーベルから出ていた)らしく、メモにはこの演奏への言及もある。これも良く知られていることだろうが、ザンデルリンクはクック版に基づくとはいえ、器楽法上は独自の変更をかなり行って演奏をしているのだが、プルガトリオ末尾のゴングの一撃もまた、当時の私がクシェネク=ヨークル版を参考にしたかと思ったくらい、はっきりと鳴らされている。アドルノへの問いに戻れば、クシェネク=ヨークル版にせよクック版にせよ、ここの部分については「補筆」であるには違いなかろうから、アドルノは、第10交響曲の演奏そのものに否定的であった原則に立ち戻って、そんなことはマーラー自身でもなければ答えられない、というようにこちらの問いを切って捨てそうな気がするのだが、それでもなお問いかけてみたくなる程度には、アドルノの「アメリカの消防士のゴング」への拘りに対して、私自身の方がひっかかりを感じているということなのであろう。

 私は、別のところで何度となく記している通り、第10交響曲をアダージョのみから捉えるのではなく、全5楽章の交響曲として捉える立場に与したく思っていて、クックの補筆は、私のような単なるアマチュアの愛好家にとっては十分過ぎる程に、マーラーの意図を捉えたものと感じている。恐らくはこの点こそが分岐点なのだろうが、そういう私にとってはアドルノの本件についての了解、つまりゴングと大太鼓の間の「ずれ」は、単に第10交響曲が未完成であるという事実に即した是非の議論に留まらず、第10交響曲を含めた、もっと言えば、曲毎に発展し続けたマーラーの創作活動にあって、それをあり得たかもしれない全作品の頂点として捉えるような位置づけに基づいてマーラーの作品全体を考える立場からすれば、或いは決定的かも知れない認識の相違に通じているのではないかという気がしてならないのである。

 スタニスワフ・レムの『ビット文学の歴史』における、ドストエフスキーの『未成年』と『カラマーゾフの兄弟』の間に横たわるミッシング・リンクにあたる作品のAIによる仮構やカフカの未完成作品『城』の補完の(こちらは実は失敗に終わることが、その理由の示唆的な説明とともに語られる)エピソードを、マーラーの第10交響曲の場合に突き合わせてみることは極めて興味深い。ネットワークやデジタルメディアの発達に伴う「創作」、「創作物」の概念の変化に加えて、AIによる文学作品、美術作品、音楽作品の「創作」というのが一気に現実味を帯びるようになった今日、未完成であるが故に、ありうべき存在という様態でした存在しえない「幽霊的」な存在である第10交響曲に対してどのように向き合うかということは決して些末な問題とは思えない。AIが第10交響曲を補完することは、仮にやったとしても(レムがカフカの『城』について示唆したのと、或る部分では全く異なる―寧ろその点についてはブルックナーの第9交響曲のフィナーレの方が『城』のケースには近い―だろうが、大枠としては同じような理由で)必ずや失敗に終わるであろうと私は思っていて、そのことはそう考える理由とともに別にところに記した通りだが、そのことが結局は(それこそカフカの地下茎の迷路の如く)アドルノがカフカを引き合いに出したことの背後にある認識の正しさを裏付けていることに通じている点を認めるには吝かでなくとも、こと第10交響曲に関しては、アドルノの認識を今日我が事として引き受けようとしたときに、彼の立場を離れることが寧ろ必要なことのように感じられるのである。彼と共にプルガトリオ末尾のゴングの響きの前で立ち止まるのではなく、本当はそうであった筈の、未聞の、未成のバス・ドラムの一撃をこそ受け止めるべきなのではなかろうか?

 我々が第10交響曲を聴く準備はまだ整っていないとシェーンベルクが述べてからもう1世紀が経過したが、恐らくその準備は未だ出来ていないと言うべきだろう。だがそれは、その準備をまだ進めなくても良いということでもないし、そうした準備が最早不要のものとなったということでもないだろう。寧ろ今やそれを準備すべき時に至ったという認識を持つべきなのではなかろうか。
 
 いや、シェーンベルクがプラハ講演で第10交響曲に言及した、そのもともとの意図に沿うならば、それはそもそも時代の問題ではないのだ。1世紀の歳月は第10交響曲に関する展望を変えてしまった。シェーンベルクが第10について「ほとんど知ることがないだろう」ということの半面においてはまさしく、事実としてそうだろう。講演末尾の「まだわれわれに啓示されていない」という言葉もまた、その限りにおいては今日には最早相応しくないものかも知れない。だが、もう半面は?もう半面は、未だシンギュラリティの手前にいる以上、シェーンベルクが語った時と今とで何ほどの違いがあろうか。なおそこで例えば、マーラーの生命を奪った病は程なくして治癒可能なものとなったことを指摘する人はいるかも知れないし、事実としてそれは決して間違いではない。だがそれが「極限」の向こう側についての何かを授けるのであるとすれば、そのことの意味はシェーンベルクが語ったような水準では、限定的なものに留まるだろう。

 だが一方で、我々は第10交響曲について何某かのことを知ることになったのだし、そのことを恰も無かったかの如き態度をとることは最早許されまい。のみならず、シンギュラリティについて、つまり総じて100年前に既に先取りするようなかたちで予感されていた領域についてもまた、かつてとは異なる切迫の下で論じられる時代となったことは抗いがたい事実であろう。とあるとするならば再び、寧ろ今や第10交響曲を聴く準備をすべき時に至ったという認識を持つべきなのではなかろうかと感じずにはいられない。たとえその準備が私の生きている裡には終わらないとしても。そもそも私にはその準備を成し遂げるだけの能力も時間も遺されていないとしても。マーラーの最後の同時代者かも知れない一人として。その音楽を受け取ってしまった者に課せられた義務として。(2020.1.18初稿公開、2020.1.26-28加筆, 2024.8.11 「グラフィックとしてのフラグメント」の引用に試訳を追加。)

2019年7月6日土曜日

第10交響曲への言及1件(アルフ・ガブリエルソン「強烈な音楽経験による情動」)

 P.N.ジュスリン・J.A.スロボダ編『音楽と感情の心理学』(Patrik N. Juslin & John Sloboda (eds.) "Music and emotion : Theory and research", Oxford University Press, 2001, 監訳:大串健吾、星野悦子、山田真司, 誠信書房, 2008)の第12章に所収の論文、アルフ・ガブリエルソン「強烈な音楽経験による情動」はSEM(Strong Experiences of Music)プロジェクトの報告であるが、この中では、マーラーの第10交響曲が事例として複数回登場する。

 第4節「SEMの情動的な側面」では、激しい情動・快の情動・不快の情動・情動の混合/情動の拮抗の4つに分類され、それぞれについて事例が示されているが、その中の、不快の情動の中で1回、情動の混合/情動の拮抗で1回。マーラーの中では第10交響曲だけが取り上げられ、不快の情動の事例での具体的な作品として、他には「春の祭典」や「フィンランディア」が取り上げられるだけ、情動の混合/情動の拮抗での具体例は、第10交響曲のみで占められている。更に後続する「影響を与える要因」の節で、今度はガブリエルソンの分析の対象となり、クック版の第1楽章200小節以降の、あの有名な和音の箇所の譜例まで示されており、譜例はこれのみだから、些か特別な扱いを受けている感じがある。

 ここではSEM自体についての議論とか、事例自体についてのコメントは一旦、一切控えて、まずは参照されている箇所を以下に引用することにする。(引用は上記の邦訳のままとし、不適切と思われる部分もあえて訂正していない。例えば3.に出てくる「ストッパー」は「音栓」(ストップ)のことで、要するに言いたいのはvolles Werkのことだろうし、4.の曲頭のヴァイオリンのソロは、ヴィオラのパートソロの誤りであろう。またフィナーレ冒頭のバスドラムに関する訳文は意味不明であって、作品を知っていて訳したとは到底思えない。)

3.不快の情動
 次にわずかであるが、非常に不快なSEM事例について述べる。
(中略)
マーラーの『第10交響曲』の和音に関して報告した事例
 ―最愛の近親者を失った直後、この音楽を聞いた男性。
(E6)でも、そこにあった。それまで経験したことがないような、心を引き裂くような、幽霊が出てくるような和音。単音が…オーケストラの無数の楽器によって、付け加えられた。無作為にオルガンのストッパーを引き抜いたような、巨大なオルガン音に似ている。不協和音が脊髄を貫いた。弟と私は同じように反応した。二人とも、原初的で、たぶん有史以来の恐怖でこわばってしまった。一言も口がきけなかった。二人とも、大きな黒い窓に、家の外から私たちを見つめる、死神の顔を見たような気がした。
 これらの事例にみられる不快な情動は、主に音楽によって引き起こされているが、ほかの事例では不快な経験は、さまざまな個人的あるいは状況的な要因と関連付けられる。
(後略)
4.情動の混合/情動の拮抗
 これまでに述べてきたカテゴリーは、快あるいは不快の情動が主となる事例であったが、情動が交錯してあらわれる、聞いているうちに情動が変わる、正反対の方向へ変わる、両方の情動が拮抗するといった事例も多く報告されている。
(中略)
 グスタフ・マーラーの音楽に魅了され、相反する情動が貫くのを感じたという事例が、若い女性によって報告されている。彼女は、マーラーの未完作品、『第10交響曲』の補筆版による演奏に同席した。
(E14)恐怖のなかで待っていた。休憩時間の後、何が起こるのだろうと待っていた…。私はおびえていた。事実、ずっと前から、家や地下鉄の中でおびえていた。失望を恐れていた。この作品が、絶望を引き起こすのではないか、こうなるはずと思っている新しい音楽にならないのではないかと、とても恐れていた…。休憩時間は終わりに近づいた…。私はかつてない期待でいっぱいになった。指揮者が登場した。静寂。指揮者は指揮棒を振り上げ、ヴァイオリンのソロの部分が始まった。この単々とした数小節の奇妙な不可解な旋律のあと、嘘のように太陽が上った。オーケストラは魅惑的な苦しみを伴う激情のなかへ、不意に突入していった。私は、流れる涙を覚えている。私は、まるであの時から今へ、マーラーから私たちへと伝わったメッセージを、理解したように思った。私は、ひじかけをつかんだまま、石と化したように座っていた。しばらくして、めまいを感じた。そして、息をするのを忘れていたことに気づいた…。第一楽章の終わりで、オーケストラは、一丸となって巨大なオルガンのような音で、―苦痛の叫びと恐怖を奏でた。しばらく続いたピアニッシモのあとに、衝撃がやってきた。死への恐怖を引き起こすようなすさまじさに圧倒された。私は汗びっしょりになって息をするのが困難になった。私の人生でただ一度、何がでひどく、強く地面に叩きつけられたようだった。集中していないと知らない間にすり抜けていく思いは、完全にふきとばされた。最終楽章は、大きなバスドラムに対抗する大太鼓の11拍打で始まった。この効果は絶大である。弦楽器に続いてフルートが消え入りそうに旋律を奏するが、突然、大太鼓のビートによってさえぎられる。私は完全に驚嘆した。ビートが打たれるたびに、恐怖でいっぱいになった。楽器が音を奏でるごとに、よくわからないが、大太鼓の音を予想し、嘆いた。ここでもまた、私は、自分がメッセージの受信者であることを感じた…。私は一つの音をも聞き逃さないようにした…。強く、そして直接的に話しかけられているという感覚は、私のなかに息づいていた。恐らくこれは、私がこの作品が未完であること、飾りがなく、むきだしで、―つまり、死の恐怖と闇へのあこがれの間で、揺れ動いている無防備な作品であることを知っているからだろう。
 オーケストラが静かになったあと、しばらく聴衆は座ったままだった…。私と同じように多くの人が、魂の存在に気づき、だからこそ歓喜を感じたのだと思う。拍手と歓声が湧き起こった。それは鳴りやまなかった。作品を貫いていたものは、厳格さと驚愕であり、衝撃ですらあり、しかし同時に偉大な至福であり、―この体験ができたという誇りですらあった。私は、無重力状態でふらふらと家に帰った。私は、一人でコンサートに行ってよかったと思った。すべての言葉が不必要に思え、私自身の言葉ですら不必要かもしれない。この思いを言葉で説明することはできない。
(中略)
6.影響を与える要因
 SEMに影響を与える要因として、音楽的、個人的、状況的要因が考えられる。以下、例をあげながらまとめる。
音楽的な要因
(中略)
E6では、マーラーの『第10交響曲』の「心を引き裂くような、幽霊が出てくるような」和音が、恐怖反応を引き起こした。恐らく、E14の「オーケストラが一丸となって、巨大なオルガンのような音―苦痛の叫びと恐怖―を出した」と同じ和音が、聞き手の衝撃の原因となっている。この和音の楽譜(図12-1:この引用では略するが、クック版の第1楽章200小節以降)から、オーケストラの全パートにおいて、フォルティッシモの和音が、不協和知覚を引き起こす(主に)短三度音程の積み重ねで奏でられていることがわかる。音楽自体には、聞き手にこうした爆発を期待させるような先行部分は、ほとんど何もない。したがって、この和音は、強い不快情動の指標として働いており、併せて期待を刺激している。つまり情動の喚起であり象徴である。同じ和音は、この交響曲の最終楽章(275~283小節)で、再び手の込んだ形で使われている。私の知りうる限り、こうした複雑な和音はそれ以前には見当たらないものであり、無調音楽が作曲され始めた1910年ごろに、ウィーンで、シェーンベルク、ウェーベルン、ベルクらによって使われている。E14の聞き手は、この交響曲の最終楽章の冒頭部分についても「大きなバスドラムに対抗した巨大な大太鼓」のビートがほがの楽器をさえぎり、恐怖を引き起こしたと述べている。
(後略)
(pp.356~364)


 繰り返しになるが、上記の事例の記述内容や、この論文の著者の分析の当否についてのコメントは差し控えたい。心理学研究の事例の中で、マーラーの音楽が、就中、第10交響曲がどのように扱われているのかのサンプルを示すこと自体に意義があると考えたい。情動の極めて大まかな分類、クック版の全楽章が対象でありながら、有名なあの和音にだけ言及して、その情動の類型の片方との対応付けを論じているに過ぎないことなど、マーラーに対するミクロロギー的な立場からすれば、あまりの肌理の粗さに驚きを禁じ得ないが、形式的な分析か、印象批評かのいずれかでしかなかった音楽に対する言説が、演奏会において演奏される作品と聴き手の間に生じる複雑な相互作用を解明する第一歩として、聞き手の情動にフォーカスしたことの証言というように捉えるべきなのかも知れない。寧ろそこで、未だに、そこで起きている出来事を語る適切な語彙を我々は持っていないということに気付くべきなのではなかろうか。とりわけても第10交響曲のような、「二分心」の崩壊後、自伝的意識を持つようになった人間が創造した、最も複雑な作品の一つ、或る種の限界、ないし行き止まりかも知れないような作品を語る準備は、まだ整っていないのではなかろうか、と。

 シェーンベルクは第10交響曲について、(正確な訳ではないが)まだ我々の側がそれを聞く準備ができていない、といったことを述べていたかと思う。勿論それは実証のレベルでは、第10交響曲の草稿が、クックが補完する以前の状態であり、その全貌をシェーンベルク自身も知らなかったことの反映といった面もあったであろう。しかし私は寧ろ、第9交響曲と第10交響曲との間の「亀裂」をシェーンベルクが指摘したと考えたいように思うのである。(ちなみにシェーンベルクは、アルマがジャック・ディーサーを介して第10交響曲の補筆完成を持ちかけた何人かの作曲家の一人であった。だが上記のような発言をするような彼がその仕事を引き受ける筈はなく、同じくジャック・ディーサーに話を持ちかけられたショスタコーヴィチ同様、断っている。)そしてあえて我が事として引き寄せれば、私はこの曲を、マーラーの(未完成なので「ありえたかもしれない」と言わざるを得なくとも)全作品の頂点に立つものと考えている一方で、自分にこの曲を聴く「資格」があるのか?私はそれを十二分に受け止められているのか、という疑念に常に囚われてしまうが故に、シェーンベルクの言葉は万鈞の重みを持つものと感じられる。

 かつて私が個人的にこの曲(私は常にクックが補完した5楽章版を念頭に置いているが)を聴いて連想したのは、ヘルダーリンの最後期の詩編、いわゆるスカルダネリ詩編と同時期に書かれた、でもそれらとは違った音調を備えた断片、Wenn aus der Ferne... であった。そこでの「遠く」は、人間が生きたまま到達できるとは到底思えない場所、ヘルダーリンがあの状態で垣間見た「場所」であり、まさに第10交響曲は、そのような場所で鳴り響いている、そのような「場所」を垣間見せてくれる音楽であると思う。そしてもう出会って40年になるけれど、その認識は変わらないようだ。

 一方でその「場所」とは、三輪眞弘さんが「音楽」の定義で示されている「人間ならば誰もが心の奥底に宿しているはずの合理的思考を越えた内なる宇宙を想起させるための儀式のようなもの、そこには自我もなく思想や感情もない、というより、そこからぼくらの思考や感情が湧き出してくる、そのありか」でもないかと思っている。アプローチの仕方は時代に応じて一見全く異なるけれど、私には、それは同じものなのではないか、そしてそれは自伝的意識を持つ「人間」の、同じエポックにいるが故ではないか、と思えるのである。マーラーの「うたう」ことへの執着を、三輪さんの(やはり見かけはまったく異なる)「うたう」ことへの執着に重ね合わせてしまうのだ。

 今日の展望からすれば、例えば第10交響曲の補筆をAIにやらせたらどうなるのか、というような問いを立てることができるだろう。かつてスタニスワフ・レムは「ビット文学の歴史」において、ドストエフスキーの翻訳をしていたコンピュータが、空き時間を使って、「未成年」と「カラマーゾフの兄弟」の間を埋める「ありえたかも知れない」作品を産み出すといった状況を提示してみせた。加えて、カフカの「城」の未完成部分の補完には失敗したという「オチ」さえ用意しているのだが、それらに比べれば、ほぼ完成した第1楽章があって、その他の楽章も粗密はあっても水平的には最後までドラフトが遺された作品の補完作業は遥かに可能性が高そうに見えるかも知れない。おまけに今なら、クック以外にも存在し、かつますます増え続けているかに見える様々な補完のヴァリアントを機械学習の素材とできるわけである。既に機械学習技術が、バッハのコラールもどきを人間を騙せる程度にまで自動生成できるのであれば、遥かに長大で複雑な作品であっても、様々な補完作業の良いとこ取りなら技術的に不可能とは言えないだろう。完成された部分は遥かに多くても、フィナーレのコーダが全く欠落し、かつフィナーレのための試行錯誤に費やされた余りに長い時間故に、先行する3楽章との間に様式のギャップが生じてしまっているかに見えるブルックナーの第9交響曲に比べても、有利な条件は揃っていそうではないか。

 だが、現状の機械学習の能力を前提にする限り、その試みは大して興味の持てる結果をもたらさないであろうことは、予め決まっているのだ。それは、最大限に成功して、極めて巧妙な折衷に過ぎないのだ。もしかしたら、過去のマーラーの作品の側により引き摺られた結果が得られる可能性はあるだろうが、マーラーその人が切り開きつつあった「未来」の方向に踏み出した結果が得られることは、原理的に言ってあり得ない。マーラー以降の様々な傑作をサンプルとして与えたところで、それはマーラーの「ありえたかも知れない未来」とは無縁のものであり続けるのは明らかなことだ。古典派以前の、作曲家が音楽職人であり、消費財としての作品を、固定化されたパターンを再利用して、コピーするようにして生産する時代であれば事情は異なるだろうが、(今は価値の優劣は一先ず措くとして)マーラーのように一作、一作毎に発展し続けた作曲家においては最後の作品が目指していた「未来」が含み持つ、未聞の「新しさ」の理解抜きに補筆はあり得ない。そして「新しさ」と「例外」の区別は、つまるところ創造性は、少なくともシンギュラリティの手前の現時点では未だに「人間」のものであるようだ。レムの「ゴーレムXIV」におけるゴーレムやオネスト・アニーの「旅立ち」は未だ暫らく先のことだし、有性生殖と有限の寿命といった生物学的な拘束条件を持たない彼らにとっては、そもそも第10交響曲の「遠く」など全く無縁のものだろう。

 以前に記したマーラーのMIDI化状況を報告した記事を読んで下さったある方から、記事へのコメントとして教えて頂いたのだが、今やヴォーカロイドがマーラーの歌曲を歌う時代となっている。私は2016年の年頭に書いた記事で、以下のように記したのであった。
「(…)しかしながら、こと Mahlerに関してMDI化にあたっての最大のネックは、「声」ではなかろうか。今日であらば初音ミクのようなヴォーカロイドに歌わせることは当然、技術的には可能なのであろうが、調べた範囲では、歌詞を歌わせたMIDIファイルは一つもなく、いずれも歌詞パートをある音色をあてて鳴らしているだけに留まっている。この状況は日本だけではなく 外国語の歌詞に対する距離感が違う筈の海外においても同じなのだが、主として技術的制約故であることを思えば、当然のことかも知れない。もっとも、網羅的に調べたわけではないので、どこかでヴォーカロイドに歌わせた例がある可能性は十分にある。しかし総じて言えば、「鳴らして聴く」目的のMIDI化にしても、Mahlerが優れて人間の声の、歌の作曲家であるが故に、まだ途上にあると言うべきなのかも知れない。(…)」
コメントを頂いたのは2019年の1月だから、3年が経過したことになるのだが、ご教示頂いた「ニコニコ動画」の以下のページを確認すると、既に角笛歌曲の幾つかとリュッケルト歌曲集の全て、大地の歌の全曲が存在している。しかも公開時期を確認すると、早いものは2009年にまで遡るようだから、要するに単に上記の記事の時点で私が知らなかっただけに過ぎないことが確認できるのである。(ご教示頂いた方には、この場を借りて遅ればせながら御礼を申し上げたい。)

https://www.nicovideo.jp/tag/VOCALOID+%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%BC?sort=h&order=d

 にも関わらず、そうしたヴォーカロイドによる歌唱の存在も含めて、依然として「うたう」ことも「音楽」も、いずれも「人間」のものであり続けている状況には変化はないし、これからも(シンギュラリティが私が生きている間には到来しないと思っているし、そもそも定義上、「私」がシンギュラリティの向こう側では最早存在しないことを思えば、少なくとも「私」にとっては)ないし、ヴォーカロイドが「うたう」の主体の位置に来ることもまたない。100年前の異郷から投壜された手紙の受取人は「私」でしかあり得ないし、それに応答するのもまた「私」の他にはないのだ。いつしか、シンギュラリティの向こう側の、「人のきえさり」の後の海岸で、誰にも拾われることのない壜の中に封じ込められたトーテムのような音楽機械がかつて発した音響が、かつて「音楽」と呼ばれたものの痕跡、「うた」の化石であったことを知る存在もなく、打ち寄せては返す波に洗われ続ける時が来るとしても。(2019.7.7確定稿)





2018年11月24日土曜日

2つの嬰へ調交響曲:ハイドンの交響曲第45番とマーラーの第10交響曲について

 マーラーとハイドン。ウィーンで活躍した交響曲作家という点では共通しても、それ以外にこの2人の作品に接点を見出すことは難しいように思われる。前古典期のマンハイム楽派のような先蹤はあるにしても、交響曲という形式が、長きに亘るハイドンの創作期間の中において、数にして100曲を超える作品を通して行われた様々な実験を経て完成されたという見方には一定の正当性はあるだろう。ハイドンはその創作期間のほとんどをハンガリーのエステルハージ侯爵の宮廷で過ごし、若き日を過したウィーンに戻ったのはようやく1790年代の初めのことだが、それ以前にもウィーンを訪れており、多大な刺激を受けた年少の天才モーツァルトとの出会いもウィーンにおいてであり、彼の交響曲創作の掉尾を飾る有名なザロモンセットは、その後にザロモンの招聘を受けて実現した2度のロンドン訪問のために書かれた作品であるから、彼の交響曲創作の頂点をウィーンという場所に結びつけることにも正当性はあろう。注意しなくてはならないのは、人の呼ぶ「交響曲の父」の創作の頂点をなす最後の作品の幾つかは、彼がロンドン訪問を決めると間もなく、第1回の訪問中の1791年12月に世を去ってしまうモーツァルトの没後に書かれた作品だということである。パリセットに刺激を受けたとされるモーツァルトの早すぎる晩年の傑作群に、今度はハイドンが刺激を受けるという往還を経ての到達であり、その後マーラーに至るまで1世紀に渉って試みられる様々な試行の先蹤となったベートーヴェンを前にして、彼等2人の手によって、古典派の交響曲は完成を見ると考えられてよいだろう。実際、ザロモンセットの第1期に含まれる変ロ長調の交響曲第98番は恐らくモーツァルトの死を知った直後の1792年初頭に作曲された作品だが、そこにはモーツァルトへの追憶が含まれると言われているし、翌1793年に戻ったウィーンで書かれた、第2期の最初を飾る変ホ長調の第99番におけるクラリネットの採用とともに、その序奏から同じ変ホ長調のモーツァルトの交響曲第39番のエコーを聞き取ることはそんなに突飛なこととは言えないだろう。

 そして間違いなく彼の交響曲の中の頂点をなす交響曲第104番は1795年に旅行先のロンドンで作曲され、その年の4月ないし5月に同じロンドンで初演されたのである。(100年後のマーラーはその前年のハンス・フォン・ビューローの死を契機に年末に、彼が初めて交響曲として完成させたハ短調の第2交響曲を完成させ、1895年3月の最初の3楽章の試演を経て、12月には全曲初演に漕ぎ付けることになる。)既にフランスでは革命が起きており、その影響で歌手を大陸から招聘することが困難となってザロモンのコンサートは最終年に至って中止を余儀なくされ、それに替わって組織されたオペラ・コンサートがハイドンの最後の3曲の交響曲の発表の場となったのだが、その最後を飾る作品を聞くと、時代を超えた天才であるモーツァルトの作品とは異なって、まさに時代が産みだした、だが同時代の限定を超えて、そこに至るまでの西欧の伝統が達成した最高の音楽的知性の成果物を目の当たりにしているような感覚に捉われる。

 ハイドンの場合は当時の趣味に合わせた側面というのが確実にあって、パリセットや第1期のザロモンセットが熱狂的に受け入れられたのはそういう側面が強く出ているからだと思われる。そしてそれゆえの限界というのがあるように思え、私見ではそれがザロモンセットの第1期の作品が外面的な効果とは裏腹に稍もすれば退屈に感じられてしまう理由なのだ。勿論それは別段とがめだてされるような側面ではなくて、実際第1期を第2期と同様に評価する向き、あるいはパリセットを或る意味で高く評価する人もいる訳だが、私はそれには与しない。当時はまた、ハイドンの亜流というのも大量生産されたわけだが、それはハイドン自身の発展と達成とは全く無関係の単なる後追いであり、流行の様式に過ぎず、ちょっと聞くと耳に快いけれど、さっぱり面白くない。21世紀の今日なら、AIによる自動作曲がそのレベルの作品であれば産み出しうるだろう。だが、モーツァルトの天才のみが達成できた「例外」は勿論、ハイドンの第104番のような作品も、現在のAIが(模倣することは可能であっても)創り出すことは不可能である。その作品によってのみようやく到達でき、実現した何かは、統計的には天才の「例外」に等しいから、それっぽい亜流のもどきを幾ら大量に作れても、偶然にそれを産み出す確率の低さは宇宙論的なレベルなものとなってしまう。第2期のザロモンセットの初演時には第1期の時程の熱狂はなかったということだが、それは丁度、ある時期のモーツァルトが大いに流行って、でも晩年に行くにつれて、そうでもなくなっていく、今聴いても、こんな音楽がいわば「消費」の対象として流行るわけはないと思ってしまうようなものになっていくのとの並行性を認めることができるだろう。

 特にパリセットには顕著に感じられ、第1期ザロモンセットにも明らかに見てとれるのは、実のところハイドンの職人としての非凡さ、その創意の比類ない豊かさの発露に外ならないのかも知れない。委嘱元の管弦楽の編成や技量、聴き手の質や嗜好を踏まえた上で、聴き手を驚かせ、感動させるような工夫がそこかしこに見られ、楽式上の意外性の追求や、大胆な転調の頻出などにこそ、ハイドンの非凡さを見い出し、こちらにこそその本領を見出す見方にも分があるだろう。だが、もしそうならば、いわゆる「疾風怒濤期」の実験についてはどうなるだろうか?突飛な比較に見えるかも知れないが、ブルックナーの初期(といってもそれはハイドンの円熟と同様、50歳を超えてからの成果だが)の交響曲の改訂前の形態の方により多く独創性を、更には或る種の前衛性を見出すこととの並行性を見出すことができるように思われるのだが、私がパリセットや第1期ザロモンセットに感じる退屈さは、ーこれもブルックナーの場合と並行する面があるように感じられるがーまさにそうした創意の或る観点から見た場合の過剰に由来するのではないか、それが抑制されずに発揮されていることにあるのではないかという感じを持つのだ。そして第2期ザロモンセット、中でもその掉尾を飾る104番から受けるのは、それらとは位相を異にする、創意が別の秩序に対して奉仕するかのように、より高度な秩序の裡の調和の形成を目がけて、寧ろ抑制されて用いられているかの如き印象なのであって、それが「完璧」と形容する他ないような質を実現しているように思われるのである。それは最早、最初の一度の、或いは一期一会の驚異を目がけているのではなく、反復の度に累乗される充実を、揺るぎなさ、人間的な地平を超越した無限の可能性を目指していて、それが104番を聴く時に、ここにおいて何か例外的なことが達成されていると感じる理由であると言えば、その一面の説明になりえているだろうか?或る意味ではパリ・セットから第1ザロモン・セットまでの達成は、生物学的基盤の上での社会的知性の延長線上で説明しうるものであったのに対し、第2ザロモンセットに至って、そうした進化論的な基盤を離れ、効用の観点からすればもしかしたら「パンケーキ」(ピンカー)としか捉えられないような領域へ、ドイッチュの言うところの「無限」への飛躍を試みたと言ってもいいのかも知れない。

 104番のような作品の完璧さもまた消費にはそぐわないし、ハイドン自身もそれはわかっていたのではなかろうか。第1期の時と違って、もう受けを狙うといった側面は、そもそも古典派のスタイル自体がそういう側面を初めから持っているが故に皆無という訳ではないにせよ大幅に後退していて、何か只管に神様が恵んでくださった才能を、それに相応しく行使することに専念しているといった趣さえ感じるのである。ハイドンのスコアをUrtext で見ると、 In Nomine Domini とか Fine Laus Deo といった言葉が付されているのを確認できるが、それが単に個人的な信仰心の発露を超えて、まさに作曲がそうした行為遂行であったことの証言として読むことができるように思う。こういうことが出来たことを本当に羨ましく思う一方で、そうした人が200年前の異郷の地にいて、その成果物を手に取ることができることは何と素晴らしいことかと思わずにはいられない。

 それは寧ろニュートンの発見であるとか、ハイドンの同時代人といって良いカントの批判哲学のようなものに接した時の感動に近い。よく科学は、誰かがやらなければ他の人がやったという意味で、芸術とは異なると言われて、確かにモーツァルトとかマーラーについてはそうだと思う一方で、ハイドンはそういう意味では例外に近いのかも知れない。とはいえ、結局、彼が到達したのだし、そういう彼にしか104番のような完璧さは実現できなかった、それは逆に、或る意味で畸形的な側面のある天才にはできないことではないかとも思う。何かの場面を描写したり、風景を喚起するのではなく、特定の感情を呼び起こされるいうよりは、純粋な形態とリズム、運動と色彩の変化を追っていくうちに感じ取る深い愉悦の感覚は、絵画でいけば抽象絵画から受けるそれに近く、第104番こそは西欧の音楽的知性の頂点の一つと呼びたいように思うのである。それが200年の時間と地球半周分の場所の隔たり故の、聴く私の側の伝統の不在によるものであるとしてもそれは変わらない。そもそも哲学であれ文学であれ、或いは科学でさえも、私はそのように西欧のものを受容してきたのであって、普遍性と云う言葉は今やその使用に限りなく慎重であるべきだとしても、時代を超え、場所を超えた知性の働きをそこに見いだせるという事情に変わるところはない。

 ハイドンには第104番以外でもそうした方向性を感じさせる作品の系列というのがあって、私見では、同時期の作品では第99番、第102番(と、その愛称が故に誤解されてしまっているが、その愛称の根拠となった当の第2楽章を除けば、第101番も)がそれに該当するし、少し遡って、エステルハージ宮廷の楽団員であったトストへの餞別として書かれた第88番あたりがそういう方向性での完成の画期であったのではないかと思う。99番は既述の通り変ホ長調、102番は98番に続いて変ロ長調で、これらは(色聴の私にとっては)金色から乳白色の暖色の色彩が実に美しいのに対し、ト長調である88番は色彩があまり感じられないこともあって、特に抽象度という点では際立っているように思われるのである。

 ところで交響曲という形式を作り上げる途上で、ハイドンは様々な実験を行っているのであって、到達点のみを見て、それに先行する試みを過渡的なものであったり、登ったら捨ててしまわれる梯子のように見做すのは適切ではないだろう。勿論、104番の達成したものの高みは比類ないものであったから、作品の完成度のような尺度で、若き日の作品を比較の対象としておいて価値の転倒を試みるような近年の研究の動向は、意図は理解できても最終的には首肯しがたいものがあるし、若き日の作品の中には実験に留まった印象のものも含まれるけれど、比較を超えた固有の価値を見出しうる作品を見出すこともまた可能であろう。

 後期交響曲の中で先ず思い浮かぶのが当時流行のトルコ軍楽を取り入れたとされる第100番「軍隊」であろう。大太鼓、トライアングル、シンバルといえばマーラーの作品の中ではお馴染みの楽器だが、それだけではなく、トランペットのファンファーレまで取り込まれているし、ト長調という調性にも関わらず、マーラーならば寧ろ第5番とか第6番を思わせるような、行進曲というものが持つある種強制的な性格をふと感じさせるかと思えば、あまりにコントラストが強すぎて深読みを誘う向きもあるメヌエットと、そのポピュラリティにも関わらず一筋縄ではいかない作品だ。マーラーのト長調交響曲である第4番を聴いて、さるウィーンの批評家が「それはあたかも白いかつらをかぶったパパ・ハイドンが、自動車に乗って、ガソリンの煙の中、我々のそばを通り過ぎるかのようだ」と評したらしいが、全く違う性格の作品とはいえ、ハイドン自身の実験精神は、批評家が勝手に被せ続けているかつらを尻目に、寧ろマーラーの精神に親和的な感じさえあるようだ。実際ハイドンは楽章構成から、楽章内の楽式、楽器法(様々な楽器での弱音器の利用、コルレーニョを含む)、引用の技法に至るまで、到達点だけから想像するのは困難な程の、様々な実験を行っているのであるから。

 私見では103番はもっと興味深い。この作品は調性格論的には基準からの逸脱の著しい困った作品で、変ホ長調なのに色彩はくすんでしまっている。近年は色々と即興が施されることが多い、題名のもととなった冒頭の太鼓(ただしこれは普通のティンパニ)のロールに続く、ロマン派を通りこしてマーラー以降のモダニスムを思わせるような管弦楽法の序奏からか、色彩のくすみは寧ろ湿度を感じさせ、或る種の不安や予感、幽霊的なものが漂うのが異色で、さしずめアーノンクール風の絵解きならば、遠雷がして、雷雨の忍び寄る予兆を孕んだ空気の中、舞踏会が行われ、、、といったあたりなのだろうが、マーラーならばスケルツォに「影のように」という指示を持ち、若きシェルヒェン(彼がハイドンの交響曲録音のパイオニアであることを思い起こすべきだろうか)を魅惑した7番のような作品に繋がっていく部分があるように感じる。

 だが、第104番を頂点とする完成に対する逸脱と言う点では、遡って、いわゆる「疾風怒濤期」と呼ばれる作品群に直接赴くべきであろう。実際第103番に感じるのは、時として感じられなくもない単調さもろとも、その遠い谺のようにも思えるのである。そしてその中で、知名度もさることながら、その異形性と、強烈な感情表現で際立つのは何といっても第45番、「告別」のニックネームを持つ交響曲だろう。今日風にはシアターピース的とでも言うべき趣向が凝らされた終楽章と、その成立に纏わるエピソードについては巷間に流布しているからここでは繰り返さない。寧ろここで注目したいのは、私の色聴が調性格論と関連があるということもあって、その破格の調的配置である。何とこの作品、嬰へ調という、古典期の作品としては稀な調性を持っているのである。

 嬰へ調というのは、ハ音に対して悪魔の音程とも呼ばれた中全音にあたる嬰へが基音であり、平均律楽器であるピアノのような鍵盤楽器でこそその後の奏法の発展とともに黒鍵が多くて弾き易い調性として選択されるような例はあるけれど、調弦が固定されている弦楽器、基本的には倍音列に従った共振系を持ち、基音に対して変化記号が増えると正しいピッチの音を出すのが難しくなる管楽器が主体の管弦楽作品では、マーラーと同時代やそれ以降であれば他にも幾つか例はあるとはいえ、嬰へ調の作品はやはり比較的稀である。特に金管楽器が基音にたいする低次の倍音しか出せなかったハイドンの時代、嬰へ調の作品を創ろうものなら、楽器をそのために調達するということにもなりかねず、実際、第45番の場合もfis管のホルンをそのために調達したという真偽不明のエピソードがあるくらいで、少なくともハイドンの同時代にあっては極めて稀な調性に挑んだ破格の作品なのである。

 勿論、破格なのは調性だけではなく、嵐のように激動するアレグロ楽章に対して、幽霊的な効果を持つ緩徐楽章での弦楽器における弱音器の使用、長調と短調の頻繁な交替、不協和音の頻用、メヌエットにおける「脱臼」したような奇矯なカデンツの拍節感と、強烈な、あるいは異様なアフェクトを備えており、それに加えてフィナーレの途中で音楽が途切れ嬰へ長調によるゆっくりとした「告別」の音楽が末尾を締めくくるという点も異形である。フィナーレは実質はアッタッカで繋がった2つの楽章と見做すべきで、5楽章形式の作品と見るべきだろう。

 さて、マーラーにおける嬰へ調の作品といえば第10交響曲が該当する。勿論、ハイドンの第45番とは似てもにつかないし、影響関係を論じる時に決まって持ち出される引用などの手掛かりがあるわけではなく、寧ろ、両者はそれぞれが際立ってオリジナルな、異なった個性を持つ作品なのだが、にも関わらず、調性の共通性は決して実質のないものではない。マーラーはその同時代の他の作曲家に比べて和声法についてはアナクロニックなまでに全音階的であって、それ故に調性格論が有効な面があるのだが、嬰へ調をオーケストラが鳴らしても、例えばト長調やニ長調のような、ニュートラルだが輝きに満ちた芯のある響きは出ないのである。つまり調性格論は、ことオーケストラ作品においては、マーラーの時代においても(ということは、今日においてもだが)単なるこじつけやメタファーの類ではなく、楽器の音色という物理的な基盤上での認知的な根拠を備えていて、恐らく調性に結びついた色聴のうちの一部(私のそれもそれに属するが)は、そうした点に根拠を持つのではないかと思う。それは神経回路網の馴化と固定の結果(成長に伴う機能分化が途中で止まってしまったという見方があるようだ)なので、結果として絶対音感との対応づけも起きているようだ。その証拠に、私の場合、見える色はモダン・オーケストラのピッチの方が鮮明で、ピリオド奏法の演奏を急に聞くと、ーそのピッチはしばしば半音近く低いことすらあるー色が見えない。ただしばらくそのピッチに慣れれば、色の方も徐々に鮮明になっていくようだから(それでもモダンピッチのそれには及ばないようだ)、絶対的な周波数に対応づいているのではなく、調的組織と、楽器の音色の特性が媒介しているもののように思われるのである。その傍証として挙げられるのは、ピアノではそうした色彩が見えることがない点であり、管弦楽曲でも楽器法により、その鮮明さは随分と異なるのだ。

 実は以前マーラーの第10番について考えていて、その調性の特異性に対して、交響曲の歴史の中でも先例のない、例外的なものと一瞬思い込んだ後、あっと思い当たったのが、交響曲の歴史の草創期のエピソードとして語られることの多い、ハイドンの疾風怒濤期の作品、第45番の存在であった。「告別」という内的なプログラムは、マーラーの場合、第10番ではなく、先行する第9番や「大地の歌」に関連づけられることが多いし(動機としての関連で言及されるのは、ベートーヴェンのピアノソナタ「告別」の冒頭の動機であったりする)、マーラーが(まさか知っていなかったとは思わないが)第10交響曲の創作にあたってハイドンの交響曲を参照したという外的な証拠があるわけでもなく、実証のレベルでの関連づけは恐らくは存在しないのであろう。そもそもがハイドンにおける「告別」は、文字通りの「葬送」である第44番とは異なって、マーラーの後期作品におけるそれとは意味が異なるという基本的な違いは無視できないだろうし、更に言えば、後年にはコルンゴルトの交響曲、そしてメシアンのトゥランガリーラー交響曲が嬰へ調の調性を持った作品として存在し、また嬰へ短調であれば、マーラーに先行して、既にリムスキー=コルサコフの「アンタール」のような例もあって、ハイドンの45番も開始の調性ということなら、寧ろこちらに属することになるだろう。(とはいえマーラーだって、出だしだけとればこれはほぼ無調であって、嬰へ長調は寧ろ終結の調性であろうが。)にも関わらず、交響曲の歴史の劈頭と掉尾に聳え、いずれも「告別」を内的なプログラムとして含むハイドンとマーラーの2つの嬰へ調の交響曲は、偶々同じ調性を持った他の作品とは異なって、見かけの様々なレベルの相違を超えて、響きあうものを備えているように感じられてならないのである。

 なお私見では、嬰へ調に限らず、調性格論におけるマーラーと古典期の作品との対応は偶然では説明しきれないものがある。例えば変ホ長調を取り上げて、マーラーの8番や2番の末尾に対して、モーツァルトの「魔笛」やハイドンの「天地創造」におけるその扱いを考えてみれば良い。あるいは色彩的に変ホ長調と鮮明なコントラストを持つホ長調が、第4交響曲で、或いは第8交響曲でどういう性格を備えているかを、古典期以前の調性格論と比較しても良いだろう。マーラーの第10交響曲に関連した点に触れるならば、そのフィナーレの後半部分のスケッチには、クックが採用した嬰へ長調のバージョンと、変ロ長調のバージョンが存在するようなのだ。クックは嬰へ調への回帰を選択したが、変ロ調であれば、フィナーレの到達地点で観ることができる風景は些か異なったものになる筈である。勿論マーラーがいずれを選択したかを問うことは原理的に不可能であろうが、この2つの調性が選ばれたことは極めて興味深い。更にハイドンとの関連でもう2点だけ、ハイドンの「天地創造」において変ロ長調が象徴するものを考えてみること、更にモーツァルト追悼として書かれた第98番と同じ変ロ長調(これはモーツァルトにおいて最後のピアノ協奏曲第27番の調性でもある!)で書かれた交響曲第102番の弱音器つきのトランペットとティンパニと独奏チェロのオブリガートで特徴づけられる緩徐楽章の音楽が、「告別」交響曲と同じ嬰へ調で書かれたピアノトリオ第26番の嬰へ長調で書かれた緩徐楽章からの転用であること―ただし交響曲では、その独特の音色の選択に応ずるかのように、主調のドミナントであるヘ長調に移されているのだが―を指摘しておくことにしよう。

 最後になるが、指揮者としてのマーラーのハイドンとの関わりは、時代の嗜好を考えれば決して希薄なものではなく、マルトナーの調査結果を信じるのであれば、ハンブルクで99番と101番、ウィーンでは103番と104番、ニューヨークでは「ヒストリカル・コンサート」のフレームにおいて集中的に104番を振っているようである。第104番と並んで(いやそれ以上に)、古典派音楽の頂点を極めたオラトリオ「天地創造」は、不思議なことにこの作品と縁の深いウィーンではなく、ハンブルクで6回指揮しているようだ(抜粋なら、ニューヨークでの「ヒストリカル・コンサート」でも取り上げた記録があるようだが)。だが寧ろ、ウィーンにおけるオラトリオの伝統でハイドンの「天地創造」に呼応してその掉尾を飾る作品は、フランツ・シュミットの黙示録に取材したオラトリオ「七つの封印を有する書」ではなかろうか。さしづめ聖書の劈頭に置かれた創世記に取材したハイドンのオラトリオが、その伝統の開始に位置し、古典派様式の完成を告げるという点でアルファなら、聖書の末尾に位置する黙示録を取り上げたシュミットのオラトリオは、それまでの音楽の歴史を回顧するように、様々な様式が盛り込まれたという点で、その伝統における奥津城たるオメガであろう。ハイドンの「告別」交響曲と第10交響曲に劣らずこちらの対峙も興味深いが、これについては指摘に留めることとして一旦筆を措く事としたい。(2018.11.24公開、25日補筆修正。2019.1.14加筆)

2014年6月16日月曜日

ジャパン・グスタフ・マーラー・オーケストラ第11回定期演奏会を聴いて

ジャパン・グスタフ・マーラー・オーケストラ第11回定期演奏会
2014年6月15日 ミューザ川崎シンフォニーホール

マーラー 交響曲第10番(デリック・クックによる演奏用補筆版)

井上喜惟(指揮)
ジャパン・グスタフ・マーラー・オーケストラ


ジャパン・グスタフ・マーラー・オーケストラの第11回の定期演奏会を聴きにミューザ川崎を訪れる。 曲目は第10交響曲のデリック・クックによる演奏用補筆版。 第10交響曲はクックの補筆によって演奏可能になった5楽章の形態において その価値が闡明されるものであり、未完成であるにも関わらず、 マーラーの作品の中でも最高の力を備えた作品であるというように ずっと考え続けてきたが、初めて聴いてから30年以上の歳月を経て、 初めて接した実演がかくも素晴らしいものであったことを、非常に幸運なことであると感じ、 このような高水準の演奏を達成した音楽監督の井上喜惟さんと楽団の方々にまずは敬意を表したい。
*   *   *
この曲の主調は嬰へ調で、管弦楽のどのパートにとっても演奏しづらく、鳴らしにくい調性だが、 当然それは意図された選択であって、作品にどこかこの世ならぬ不思議な陰影をもたらしているように 私には感じられる。音楽が響いている場所、音楽的主体のいる場所がどこであるのかを言い当てることが できないように思われるのだ。強いて言えば、ヘルダーリン晩年の詩断片"Wenn aus der Ferne, ..."が 語られている場所が思い浮かぶのだが、その詩断片の語りの場というのもまた異様で、 まるで世の成り行きから超絶した、異世界のほとりで、かつて自分がその只中を 彷徨った世の成り行きを遙かに望みながら語っているかのようだ。
その限りでシェーンベルクがプラハ講演で第10交響曲について述べた言葉、 「われわれがまだ知ってはならないような、われわれがまだそれを受けとめるところまでは 熟していないようななにごとかがわれわれに語られているかにみえる」(酒田健一訳) という言葉は、この作品が知られていない過去の証言であるとして用済みにすることが できない何かを含んでいると私は考えている。
それだけにこの作品について言葉で語るのは非常に難しいのだが、特に今回の演奏を聴いて はっきりと感じ取れたことは、この作品の調的設計を中心としたユニークな全体の構造の 未完成とは思えぬ緊密さ、豊かさと、クックがマーラーの晩年の様式の延長線上で慎重に配置した 色彩の絶えざる変化が、モザイク状に組み上げられ交代する複数の音楽の層の質に 見事に適ったものであるということであった。
第1楽章冒頭のヴィオラが奏する調性感が希薄な旋律をはじめとして、この作品を 無調への入り口として捉える見方が一般的だが、全5楽章からなる交響曲総体の構想から すれば、細部での調性の拡大、非因襲的な楽章間の調的関係にも関わらず、 全体としては調性関係によって多層的・複合的な構造を構築する意図は明確であり、 従来にはない試みが行われているとはいえ、それは紛れもなくマーラーの 交響曲の発展の過程の(未完成であることを重視すれば、ありえたかも知れない) 最先端に位置づけられるものなのである。
この演奏では第2楽章と第3楽章の間にチューニングが行われたが、これは第1楽章と 第2楽章を第1部、第3楽章からを 第2部とする作曲者の構想に沿ったものであるし、実際に第2楽章の末尾において 嬰へ長調に到達することが作品全体の巨視的構造にとって持つ意味を考えれば、 この構造把握の妥当性は明らかであろう。
マーラーが交響曲においてそれまでも 何度か採用した5楽章形式ではあるが、その内部構造は前例のない、非常にユニークなものである。 特に重要なのが第2楽章スケルツォの位置づけであり、ここではスケルツォは「中間楽章」ではなく、 第1楽章に対して同じ調性圏において応答し、そのコーダにおいて第1段目のフィナーレを形成する。 頻繁な転調や調性感の拡大、希薄化にも関わらず、(あるいはそれゆえに)調的な発展はここでは 拒絶されていて、何か現実から断絶した閉鎖された空間の如き領域を形作る。
それに対して第2部冒頭の第3楽章は変ロ短調という調性(これは夙に関連が指摘される 「子供の魔法の角笛」の「この世の生」が到達する調性でもある)によって「プルガトリオ」と いうトポスを、嬰へ調というヴァーチャルで閉じた領域である第1部のいわば裏側に定位して 再開するのである。反復を嫌ったマーラーとしては例外的なDa Capoを持つプルガトリオ楽章の構造は、 この楽章の時間性が(「この世の生」への関連にも関わらず)日常的な生のそれではないことを 告げているかのようである。
いわゆる「死の舞踏」であると一般にはみなされる第4楽章スケルツォでは、その冒頭において ホ短調という調性が選択されていることに留意しよう。轟々と鳴る主部の嵐に対する凪のような (移行部分も含めた)トリオ部分(それはC-A-H-Dと調的に発展していくに従い表情を変えていく)の 指揮者によるテンポの設定が適切であるがゆえに、徐々に音楽が現実の影の領域に 侵入していく経過が的確に示され、その先のコーダにあたるフィナーレへのブリッジ部分への 到達が構造的に準備されているように聴き手には感じられる。
2人のティンパニ奏者が活躍する第4楽章の「影のような」コーダが「完全に消音された大太鼓」 (この演奏では、舞台上ではなく、舞台奥上方の客席に離れて置かれて、あたかもホール全体が 鳴っているかのような効果を上げていた)の一撃で鳴り止み、フィナーレの閾に達したとき、 音楽は二短調の領域にいる。
そしてバスチューバと大太鼓によって進められる 主部に対して、フルートが弦の和音上で息の長い、どんどんと輝きを増していく旋律を奏でるとき、 何たることか、音楽はニ長調の領域にいるのである。(ニ長調がマーラーの音楽において どのような機能をしているかは、幾つかの他の交響曲の楽章を思い起こせば充分だろう。) だがそれは中間のアレグロ部でもフラッシュバックのように挿入される、この楽章の (アドルノのカテゴリにおける)「滞留(Suspension)」のブロックの 調性であり、嬰へ長調の下属調であるロ長調の「幻境」に到達することで、この作品に おける「解決」の方向性が示唆される。
このロ長調の箇所の響きを比喩なしで言い当てるのは私には不可能である。 それは壜の中に閉じ込められた世界のように、何か膜のようなものに隔てられて、 周囲では樹々が嵐に吹かれて枝を撓ませ、その枝を通り抜ける湿気を孕んだ風の音と 風に靡く葉のざわめきとで充たされて、奥行きの感覚が喪われた結果であるのか、 外部から遮断され、閉鎖された空間が生み出され、その中心の場所はひっそりと黙して、 無時間的な空虚を閉じ込めていて、まるで神話的で無時間的な過去の断層に 落ち込んでしまったかのようだ。それはいわば外側(嬰へ調)から見た、 未来から見た「かつて」「現実」であったもののフラッシュバックなのだ。
音楽的主体はその挟間に居て、 いずれにも属さず、いずれとも膜のようなもので隔てられているかのようであり、 記憶の静寂の中にそうした風景が音も無く閉じ込められていて、己自身の存在を その風景の中に予感するのは、まるで自分の生に先立つ遥かな過去の 記憶の中に自分が埋め込まれたかのようで、己がその風景の裡に居るのか外にいるのかすら 最早定かではない。激しい嵐にも関わらず、彼の周囲には静寂が支配していて、 恰も聴覚を介してではなく、戻ってきた陽光の明るみや、暖かみのような 別の感覚を介して音を予感するかのようだ。
その後のアレグロの中間部が第1楽章のカタストロフの再現を経て、冒頭主題の 回帰を惹き起こした後、変ロ長調からの移行を経て、315小節で到達する 嬰ヘ長調の不思議な色合いを帯びた輝きがこれだけ眩く感じられ、 和声の進行による光の変化のニュアンスが、これだけ心を掻き乱すもので あったのも実演ならではで、聴いていて涙を堪えることができなかった。
その涙はまずもって素晴らしい演奏に接したことによる感動によるものなのだが、 同時にそれは、この終結部が第1部の調性である嬰へ調への回帰であること、 つまりここに何か肯定的なものがあるにしても、それは最早通常の 意味合いにおける「現実」で生起するものではないということが 調的な構造と、嬰へ調という調性の持つ固有の音調によって告げられている ことを感じた故なのだろう。 マーラー自身、変ロ長調による終結の代案を考えていたことが 遺された草稿からは伺えるようだが、既に述べたように、 「幻境」の部分がロ長調であることなどから、クックが選択した嬰ヘ長調による 解決に分があるように私には思われる。そしてそれは、井上氏が作品の解説に 記している「12回の打撃音」の「カバラ的」解釈とも整合しているのではなかろうか。
否、このフィナーレの結末における 主体の場所を考えれば、この作品が「この世」では作曲者によって完成される ことなく、その作品の価値を認識した他者によって補筆されなくてはならなかった 事情すら、作品にとって自然な成り行きではなかったかとさえ思えてくる。 再三シェーンベルクのプラハ講演を参照することになるが、確かに第9交響曲は 「限界」であり、第9交響曲では隠れた作曲者のメガフォンであった作曲者は、 第10交響曲では自らが隠れてしまい、補筆を待っていたかのようにさえ 感じられるのである。
第10交響曲には、その創作に纏わる「神話」が永らく付き纏ってきたが、 こうした調的遍歴をそうした「神話」に結び付けて解釈することにさほど意味が あるとは思えない一方で、この日の演奏のような明確な巨視的なブランと 各調的領域の性格やテンポの交替の適切な設定が為された演奏に接すれば、 この作品の持つ調的な設計の力の凄まじさに圧倒されずにいることはできない。 楽曲解説の類に書かれていることを手がかりに音楽を追いかけることと、 楽曲の構造が演奏そのものを通して浮かび上がってくるのを受け止めるのは 全く異なる経験であって、私はこの演奏によってようやく作品の構造を 充分に把握できたように感じられた。
*   *   *
個別の楽章の解釈はといえば、これまでの第7, 9, 4番の実演においても井上氏の スケルツォ楽章の解釈には瞠目させられて来たが、個性の異なるスケルツォを3つ 中間楽章として持つこの作品はまさにその解釈の卓越を認識する、またとない機会となった。
特に第2楽章のスケルツォの解釈の卓越は、録音も含めて、これまでに接したどの 演奏解釈を上回るものであり、初めて隅々まで説得される十全な解釈に接したように感じた。 と同時に、第2楽章の全体構造に占める位置づけについても、ここまで説得的な解釈は これまでに出遭ったことがないほどに決定的なものであったと思う。
譜表の調号指定にも関わらず、不安定ながら嬰へ短調で始まるこの楽章の目まぐるしく変化する 調的な遍歴は、頻繁に交替するその部分部分の音楽の表情と、 固有のテンポによってその構造を明らかにするのだが、この演奏の解釈はそうした 部分部分の固有な音調を巨視的な流れの犠牲にすることなく隈なく提示することによって、 その音楽の経過の複雑さの中に秘められた或る種の必然性の如きものを明らかにしたものであり、 その説得力は圧倒的なものがあった。
オーケストラもまた、明らかに第2楽章に入ってドライブがかかったように感じられた。 特に主部は頻繁に拍子の変わるテンションの高い音楽だが、その響きの充実とリズムの躍動感は素晴らしく、 その後はフィナーレまで緊張感も途切れず、実に手応えのある響きでの演奏が展開され、 それぞれのパッセージの表情の濃やかさもまた、これまで聴いたどの演奏にも優るもので、 息を呑む瞬間にも事欠かなかった。勿論全く瑕がないというわけではないにせよ、 そうした細部の不安定さや瑕が気にならない素晴らしいアンサンブルであった。
特に印象的だったのはこの曲において常に支配的な 弦のパートが良く歌われていることに加えて、頻出する各パートのソロの表情の豊かさである。 印象に残った箇所やパートは枚挙に暇がないが、何よりも全体として、かくも深い感情に 満たされた演奏によって、マーラーの全交響曲の中でも際立って深く人の心を抉る第10交響曲の 全曲を聴くことができたのは稀有の経験であり、それはマーラーを演奏するための集った オーケストラでなくては実現できないに違いないものであり、聴き手にとって圧倒的な経験で あったのは勿論だが、それだけでなく、演奏する方々の心の動きと聴き手の心の動きが 一体となるような感じがして、作品を自らリアライズした指揮者をはじめとする 奏者の方々にとっても必ずや素晴らしい経験であったに違いないと感じられた。
*   *   *
この日の演奏のような素晴らしく説得力のある演奏によって第10交響曲の全貌に 接することができると、「われわれがまだ知ってはならないような、われわれがまだそれを 受けとめるところまでは熟していないようななにごとかがわれわれに語られているかにみえる」 というシェーンベルクの言葉は、この音楽の持っている前代未聞の時間性を 図らずも「預言」してしまっているかにさえ感じられる。
この音楽は、それまでのマーラーの音楽とも異なった、 別の空間、現実の世界に住むものにとってはヴァーチャルと呼ぶ他ない、けれども 紛れもなく、そこもまた或る仕方で人間が生きる空間、進化の偶然と文化的・社会的な 発展の偶然の結果、今あるような意識を備えた人間のみが生きることができる仮想的な 空間を開示している類例のない作品であるように思われるのである。そうしたことを 一瞬であれ実現して見せる音楽芸術の持つ力の凄まじさと、それを構想しえた マーラーの天才に対しては、どんな言葉も無力なものに感じられ、この点でも シェーンベルクの講演内容に同意せざるを得ないのである。
同様に、試みが為された当時は寧ろ批判したり、留保したりすることが 良識ある姿勢とする見方が優越であったかに見えるクックの補筆の作業の 価値も疑問の余地がないものであると思われるし、この演奏はそのことを 最高度の説得力を持って示したと感じられる。
かつての留保は当時のマーラー協会の 校訂の基本姿勢であった最終稿=決定稿主義に象徴される美学を背景とするものであり、 そうした姿勢自体、全く異論を挟む余地のない絶対的なものではないだろう。 管弦楽配置に関しては、何よりも現場の人であったマーラー自身が演奏会場の アコースティクスに応じた臨機応援な対応を是としていたのであるし、 より作品の構造寄りの側面についてのアドルノの、モノグラフの第2版への後書きに 含まれる、決定的にさえ響く留保のコメント、即ち草稿が「垂直的に」断片的であり、 「和声的なポリフォニー、すなわちコラールの枠内での声部の編み細工によって はじめて、楽曲の具体的な形、作曲されたものが示されたことだろう」 (龍村訳)という発言すら、彼がその論の根拠とするマーラーの後期様式の 遺されたものではなく、向かっていった方向を考えたとき、クックの試みを 否定しきることができるような絶対的なものではないと思われる。
アドルノは 「マーラー自身に由来するものを厳密に尊重するならば、一つの不完全なもの、 彼の意図に反するものを提示することになるし、といって対位法的に補完する ならば、その仕事はまさにマーラー自身の創造性の発揮されるべきその場所へと 踏み込んでしまう」(龍村訳)という二者択一を示して両方を拒絶し、もって補筆を 否定するのだが、カーペンターのような、明らかに「マーラー自身の創造性の 発揮されるべきその場所へと踏み込んでしま」った挙句、自分の補筆の方を 絶対視するような姿勢とは全く異なって、クックの作業はどちらかといえば 不完全なものであることを自ら認めた上で、実現される音響像のもしかしたら 少し先に、ありえたかも知れない作品像を浮かび上がらせるための試みであり、 しかもマーラー自身の創作プロセスとて、それがどこで停止し、どこで 再開され、時には改作にまで到るかはその都度その都度の偶然に支配されることも あっただろうことを思えば、「少し先」の距離は、アドルノが考えている 程大きなものではないのかも知れないということは無いのかとさえ思えるのである。
何よりも「第10交響曲の構想の並外れた射程距離を感じ取る人間こそは、 そこに手を入れたり演奏することを回避すべき」であり、「まだ実行に 移されていないイメージに対する巨匠のスケッチを理解してあたかも完成 したかのように色づけする人は、それを壁に架けるのではなく、ファイルに 入れて自分一人で眺めている方がいい」という発言は、少なくともマーラーの 音楽が、人間の手によって演奏会場で演奏され、物理的な音響として 実現されることを不可欠のものとしているという点を決定的に見誤っている のではなかろうか。
今日のマーラーの音楽のポピュラリティは放送や録音媒体による 普及による部分が大きいだろうが、聴く力を麻痺させかねないバブル期に見られた ツィクルスによる実演の氾濫も含めた受容の歴史を経た現時点での展望からすれば、 寧ろ、必要なら「音断ち」をさえした上で、充分な準備と解釈の徹底が施された 実現がなされるのを新鮮な耳で聴取する経験こそが、その音楽の持っている力を 十全に解き放つための必須の契機であるということになるように私には思われる。 そしてまた、そうした契機なくして、過去の異郷の音楽を 今ここで演奏する意義はないし、そうした意義のある試みこそがマーラーの 音楽を世代を超えて継承していくものであるに違いない。
クックの試みもまた、 完成した暁にはコンサートホールで オーケストラによって演奏されることになっていたことが明らかなこの作品、 しかしながら、まさにそのために書かれたにも関わらず、演奏はおろか、 作曲の途上で、楽譜の上においてさえ、 そうした形態を採る前に作者たるマーラーの手を離れてしまったこの作品を、 アドルノのような専門家の占有物にしてファイルもろとも忘却に委ねてしまう ことなく継承していくことを可能にする試みである。
カーツワイルのような技術特異点論者の唱える技術的特異点の向こう側から見たとき、 生物学的な基盤の持つ限界からの自由を獲得し、 時間的にも空間的にも、現在の人間の持っている制限から自由になったとき、 人間のアイデンティティの定義も当然だが、作品のアイデンティティの側も また変容してしまった後で、この作品を取り巻く様々な状況の意味はどのように変わり、 どのような形態で、どのような媒体での受容が行われることになるのだろうか。 最早人間の可聴域の制限すら超え、媒体の制約も超えて、クックの作業の更なる延長線上に、 寧ろその未完成が故のポテンシャリティによって、現在では思いもつかないような 受容のされ方がなされるかも知れない。 例えばスタニスワフ・レムの「虚数」の中に収められた「ビット文学の歴史」に出てくる、 コンピュータによるカフカの「城」の補作完成の試み(これは失敗することになっているが)や、 ドストエフスキーの長編小説のミッシング・リンクの「仮構」といった試みの、 「人力による」(!)先蹤として評価される時代がいずれ到来するのではなかろうか。
マーラーの第10交響曲が提示するものは、21世紀になっても未だ解決済みでもないし、 過去の遺産などでは決してなく、未だそれに接する人間の成熟を待ち続けているように さえ感じられる。そういう意味で、この演奏会における演奏は、なぜ今ここでこの音楽を 演奏するのかについての有無を言わせぬ必然性を感じさせるものであったように感じられた。 改めて音楽監督の井上喜惟氏とオーケストラのメンバーに対して感謝の気持ちを記して 感想を終えたい。 (2014.6.16初稿公開, 17,18加筆修正)

2014年2月16日日曜日

マーラーの音楽の時間性についてのメモ

音楽は時間の組織化、構造化である。それは生物的な、感覚受容や身体的事象へ反応といった体験の時間とは異質の、非日常的に、人工的に編まれた時間の結晶体である。音楽的時間の経験は、様々な時間経験の一種に過ぎないが、それは高度な意識を持つ生物種である人間ならではの社会的・文化的な歴史の沈殿物の摂取であり、或る種の意識経験の様態を自分の中に(変形しつつ)移植することである。 叙事的、ロマン的(アドルノ)と形容される時間の流れを、その複雑さを毀損することなく捉えようとしたとき、充分に意識的で、 批判的・反省的な知性の持ち主であったマーラー自身による説明におけるゲーテの原植物を含む有機体論や進化論的メタファー(エンテケレイアなど)の進入については、その事実を骨董に関する薀蓄よろしく、歴史的な事象として指摘することなどではなく、さりとてそれを単なる比喩や修辞として、音楽自体とは別のものとして無視するのでもなく、システム理論や複雑系の理論の発展を通過した今の地点から捉え直すことこそが必要であろう。

調性組織における発展的調性は、楽式論における単なる反復、ダ・カーポを嫌い、絶えず変容し発展しようとする傾向との間に 明白な相関を有するのであって、出発点に過ぎない和声法や楽式論の図式を逸脱してしまう。その結果として、多楽章形式はここでは 複数の視点、複数の層からなる時間の布置を実現するデヴァイスであり、多重世界論(デイヴィッド・ルイスの様相実在論)の如き理論装置を要請する。 マーラー自身が敏感に感じ取り、指揮者への指示として書き込んだように、楽章の始まりと終わりは一様ではないし、楽章間の関係も、 画一的な単なる中断、中休みには決してならず、ある時にはそこに断層があり、ある時には休止を跨いで連続するといった具合に、 その連関の様相は多彩である。 オーケストラならではの、非平均律的な均質でない和声組織に支えられた調性格論は、直接的には共感覚的に色彩を喚起するものであると同時に、心理的時間としては、モーダルなヴァーチャリティの様々な質・諧調を実現しており、その肌理の細かさに対応した理論装置を要求する。

*   *   *

マーラーの音楽は、職人技による工芸品的な単純なパターンの反復、規則的な変形による線形変化のもつ、物理的とでもいうべき 時間ではない。他方で、外的なプロットに束縛されることのない、独立したモナド的な主体性を備えている。 それが近藤譲の言う「身振り」の音楽であるというのは、命題的態度の音楽であるということであり、それは高度な心性を持つ 意識的主体においてのみ可能となる構造を前提として初めて生じうる時間性を備えているということであり、その時間性は 現象学的・実存的な時間論が分析の対象とするようなものである。

そしてそれは閉じているわけではなく、世界、他者との接触により生じる間主観的な出来事としての実存的時間を備えている。 その空間性は、相対論的に出会うことなく、常に遅れてしか出会い、応答できない同時的存在としての他者との距離であり、 主体の内的時間と同調しない、容赦ない推移の流れ(「世の成り行き」)に身を浸すという意味で、高度な心性を有する 意識的な主体の間主観的な生成過程の組織化である。

その限りにおいては、異星人が地球上の人間について知りたければ、 マーラーの音楽を調べれば良いという、カールハインツ・シュトックハウゼンの言葉は妥当性を持つ。これは(とりわけても 西欧的な意味合いでの)「人間」でなければ産み出しえない類の音楽であることは間違いない。更に、ジュリアン・ジェインズ的な 意識の考古学的な展望を、レイ・カーツワイルのような技術特異点論者のポスト・ヒューマン的な展望と接続する立場からは、 これは将来のある時点で、「かつての人間」の意識の様態を記録した考古学的遺物になるのだろう。マーラーの音楽が音楽で 在り続けるのは、「人間」がかつての、そして大きな変容を蒙りつつ、今なお辛うじて存続している「人間」の存続期間の 範囲内であり、賞味期限つきなのである。ジェインズの記述するホメロスの時代、あるいは西洋中世といった意識なきエポック ではマーラーの音楽はありえなかったし、タイムマシーンで遡及して送り届けたところで理解不可能なものであったに違いないが、 未来の方向に向けても、三輪眞弘さんが「感情礼賛」で「夢を見た」ようにポスト・ヒューマンのエポックにおいてはマーラーの音楽は理解不可能なものとなるであろう。(再帰的に、音楽を聴取する、しかも自己自身のような複雑な音楽を聴取する経験自体もまた、そうした時間性を備えている。このことから、マーラーの音楽自体が聴き手にとって優れた意味での他者である、つまり複雑な内部構造を有し、固有の時間性を持つ他者であり、レヴィナス的な意味で、決して自己固有化できない「他者」であるということが帰結する。それは私の中に埋め込まれても、或る種の飛び地、クリプトとして 存在し続けるだろう。)

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マーラーの音楽の時間はアドルノ風の、「突破」「停滞」「充足」「崩壊」といったカテゴリが示唆する心理的時間であり、 意識の構造に由来するアスペクト的な特性を持つ。楽章内においても時間の断絶、複数の層の不連続な継起があり、 ホワイトヘッドのプロセス哲学における時間論における「時の逆流」を彷彿とさせるような瞬間にも事欠かない。 それは単一の時間ではなく、複数の重層的な時間。時間の分岐と合流であり、ヒンティッカが試みたような可能世界意味論による解釈の下で、 フッサール現象学における内的時間意識の不連続性を取り扱う必要性を認識させる。

第一次過去把持・第二次過去把持の区別は勿論、忘却・想起・回想といった出来事を、多重世界の圏域体系上で解釈しようとしたとき、 しばしばその人工性や模倣的で根無し草の性格が取りざたされるマーラーにおける「民謡」調や、とりわけ「大地の歌」での 東洋趣味もまた、スティグレール的な第三次過去把持による前主体的過去、社会的、集合的記憶への仮構された遡及としての (ありえたかもしれない、架空の)「民謡」。「東洋」(「大地の歌」)として、同じ多重世界の圏域体系上で解釈可能な ものになるのではないか。

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そしてその先には、第10交響曲がある筈であった。嬰ヘ調という調性の持つヴァーチャリティと、その文脈における ニ長調がコントラストによって蒙る変容。過去が絶対的な過去になり、現在は通常の時系列的なパースペクティブから 隔離されて浮遊する。(臨死経験との類比からすれば、それは可能性としての「未来」を最早持たないことの 帰結なのだろうか?)だがそこにおいてこそ、(数学的な意味での)極限としての未来の到来・生成の場があり、 それは主体の側からは自己超越による死と再生の過程である。第10交響曲はそうした時間を作品の裡に 刻み込んでいるという点で、極めて特異な作品である。

この作品が未完成であることについては多くのことが 言われているが、この音楽が、芸術に許されたヴァーチャリティを限界まで徹底させ、「実現しない未来」の 時間を定着しつつあったことを思えば、ありとあらゆる迷信の類を取り除いた後に、その実質と、作品が「この」 現実世界、様相実在論的な可能世界意味論における用語法におけるそこでは、それがスーパーヴィニエンスである ことを確認した上で、未完成に終わったことに対して、「人間」は何某かの意味を読み込みたい欲求に抗うことは 難しい。それを「あまりに人間的」と断定する批判は正しいが、「音楽」が結局は「人間」のものでしかないことに 対する無視は致命的である。

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第8交響曲の冒頭のEsのペダル音は、人間の消滅の時に響く「基底の音」であるかも知れない。(実際、三輪眞弘さんの 「ひとのきえさり」ではEintonという「楽器」がそのように響く。)第8交響曲はアドルノ風には「突破」の瞬間の 拡大であろうが、その音楽は経過につれて、人間がそのままの姿では見ることのできない出来事と化してゆく。 勿論、(プフィッツナーが悪意を篭めて揶揄したといわれるように、またアドルノが両義的な態度の中で、不承不承か、 あるいは寧ろ、己の恃む否定性の威を借ってか認めたように、それは「到来しなかった」かも知れないのだ。 それは1世紀後の極東で、深夜、自室で「録楽」としてそれを聴いた聴き手のちっぽけな脳内で起きた事象に過ぎず、 何も変わっていはしない。これまたアドルノの言うように、ファウストの終景から聖書的近東を経由して 辿り着いた「大地の歌」の極東は紛い物に過ぎないかも知れない。だが、どんな形而上学も可能ではないということが最後の形而上学たりうる ように、あるいはまた、架空の極東の民族の(だから決して「到来したことのない」)滅亡を記憶する機械による朗読が、 あたかも最後の「音楽」のように、あるいは「音楽」の終焉のドキュメントとして、それ自体は現実に生起し、 その事実が語り継がれていくように、第10交響曲の、決して到来することのない、決して経験することのできない 時空は、マーラー自身によって完成されることはなかったけれども、デリック・クックによって演奏可能な形にされ、 1世紀を経てなお、極東の地で再演が試みられる限りにおいて、まさに「音楽」として、「音楽」を介して、 現実的に生起するのである。

かつての「音楽」、かつてそう呼ばれ、今なお、人がそれをそう呼ぶことに何の疑問を抱かない音楽作品と その演奏を振り返ってみたとき、逆に、或る過去の時代の、自分とは異なった歴史的・文化的伝統に属する人間が作曲し、 記譜して残した作品を、別の誰かが演奏するとき、あるいはまた、不幸にして未完成に終わった作曲を、 別の誰かが補うとき、更には同時代にいながら、それゆえに常に遅れてしか応答できないにせよ、自分のできる仕方 (それ自体は「音楽」ではないかも知れない)での応答を試みるとき、そうした人間の営みによって、 音楽が、第一義的にはまず自分自身という人間のためのものでありながら、そうした自分という或る種の制限、 檻の如きものが制限づけているに違いない視界の狭窄、感性の水路の狭窄にも関わらず、 その音楽(だがそれは、正確には「どれ」のことを、「どの範囲」の出来事を指しているのだろうか?)が 人間の限界を超越して、想像することの出来ないような彼方へと(そう、まるで宇宙船にカプセル化されて 未知の知的生命体に向けて送り出されたものであるかのように)、突き抜けていってしまい、 私のようなちっぽけな人間には及びもつかないような存在に感じられることが、しばしば生じる。 その限りで、いかに突飛で滑稽に見えようとも、アドルノが「大地の歌」に関連して、宇宙飛行士が外側から 見ることになる地球の青さを先取りしていると述べたのは、それがジャン=ピエール・デュピュイの賢明な破局論 での意味合いにおける「予言」である限りにおいて、文字通り正しいのである。だとしたら、レイ・カーツワイルの 述べる技術的特異点の彼方で生起することの「予言」が、第10交響曲において、それ自体未完了で開かれたままの 状態で行われていると考えることもまた可能であろう。

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勿論、技術的特異点の彼方において、この「音楽」が、否、おしなべて「音楽」自体が最早意味を喪失し、 無用のものとなる可能性もある。そうではなくても、かつての「人間」の制約条件に強く拘束されているがゆえに、 過去の遺物として、博物館での展示品としての価値しかなくなる可能性もあるだろう。その一方で、第10交響曲の 「今」と「ここ」がようやく適切な現実を獲得する事態も考えられるだろう。マーラーより更に100年前にヘルダーリンが、 早すぎる晩年の寂静の裡に記した断片 "Wenn aus der Ferne" の「今」「ここ」と同様、現在の現実世界では ヴァーチャルな、「場所なき場所」を指し示すそうした作品が、丁度ホメロスの叙事詩のように、今より更に100年後、 新たな光の裡で、新たな光を放たないと誰が言いうるだろうか?

全ては両義的である。まさにそのために書かれたにも関わらず、完成した暁にはコンサートホールでオーケストラによって 演奏されることになっていたことが明らかなこの作品は、しかしながら、演奏はおろか、作曲の途上で、楽譜の上においてさえ、 そうした形態を採る前に作者たるマーラーの手を離れた。だが、技術的特異点の向こう側から 見たとき、生物学的な基盤の持つ限界からの自由を獲得し、時間的にも空間的にも、現在の人間の持っている 制限から自由になったとき、人間のアイデンティティの定義も当然だが、作品のアイデンティティの側もまた 変容してしまった後で、この作品を取り巻く様々な状況の意味はどのように変わり、どのような形態で、 どのような媒体での受容が行われることになるのだろうか。最早人間の可聴域の制限すら超え、媒体の制約も超えて、 クックの作業の更なる延長線上に、寧ろその未完成が故のポテンシャリティによって、現在では思いもつかないような 受容のされ方がなされるかも知れない。

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人間的なものの極限に、人間を超えたものが顕現するかに思われる瞬間がある。通常の自己の記憶の回想ではない、 自己の経験していない過去を展望できるかに思われる瞬間があり、それに応じて、実現可能性のある現在の延長としての 未来ではない未来、人間の意識がその形態のままでは経験不可能に思われるような未来、極限としてしか想像できない未来が 顕現するかに思われる瞬間がある。音楽は実際には起きはしないことをあたかもそれが今ここで成就したかの如く偽る 詐術などではない。それは現実とは異なる実在の多重世界の別の一つにおける別の現実の投影なのだ。

これは現在の瞬間が拡大されて、永遠と化する奇跡ではない。そこで起きるのはまた、充実ではなく、「ノエマの 爆発」の如き出来事であり、寧ろ自己は没落し、滅して、純粋な受動性の領域が現れ、外から何かが到来する瞬間、 外に対して自己を被曝する瞬間であると同時に、主体の自己超越の瞬間なのだ。そうした瞬間は孤立した出来事ではなく、 それが生じるための力学が働く多層的な脈絡と多岐的な広がりとが必要となる。 マーラーの音楽は、そうした瞬間をその中に胚胎しているという点で特異な音楽であろう。そうした瞬間を孕む 時間的な構造はそれ自体、人間の歴史の蓄積の結果であり、マーラーの音楽はそうした文脈の下で起きた一回性の事象であった。 勿論、もう一度歴史が反復されれば、それが生じる可能性はあるが、それが生じるのは必然ではなく、系の持つゆらぎの 産物に過ぎず、異なった径路を辿ることになると考えるべきだ。

その音楽にあっては「ここ」こそが主体にとって未だ訪れることがなかった異邦の地であり、「自己」が滅したときにしか 出現しないという意味で、最も主体から遠い場所なのだ。これほど「人間」から遠ざかった音楽は、だが「人間」にとって遠いのであって、それは「人間」的主体の構造に基づいていて、それゆえ優れて「人間」のためのものなのだ。 シェーンベルクの第10交響曲への評言は、しばしば歴史的には誤解に基づいた、仰々しいほどまでに大袈裟なものと されることがあるが、実際には個別の出来事の事実関係の差異を超えて、その音楽の質を正しく言い当てている。 我々は、それを聞くための準備がまだ出来ておらず、その音楽に値しない。その故にその音楽は我々にとって未完成のまま留まる。それは常に未来に向かって開かれたまま、聴き手の個体の限界をさえ超えて存続し続ける。(2014.2.16初稿,2.21加筆)