マーラー祝祭オーケストラ第23回定期演奏会
2024年5月26日 ミューザ川崎シンフォニーホール
プフィッツナー 音楽的伝説『パレストリーナ』第1幕への前奏曲
マーラー リュッケルトによる5つの歌曲(私の歌をのぞき見しないで, 私はやわらかな香りをかいだ, 真夜中に, 美しさゆえに愛するなら, 私はこの世に忘れられ)
マーラー 第10交響曲(デリック・クックの補筆による演奏用バージョン)
井上喜惟(指揮)
蔵野蘭子(アルト)
マーラー祝祭オーケストラ
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半年前に井上喜惟さんとマーラー祝祭オーケストラによる「嘆きの歌」のコンサートに立ち会うべく、2020年の新型コロナウィルス感染症の流行以降初めてコンサートホールに出かけた時に、既に感染症法上の分類が変更されて半年が過ぎていて、ホールに向かう途上の鉄道の混雑と駅の雑踏は旧に復していたように記憶していますが、今回、半年ぶりに再びコンサートに赴くべく土曜日の昼頃にミューザ川崎のある駅に向かいました。インバウンドの旅行客の増加のせいか、一層激しくなったように感じられた混雑に狼狽し、そちらこちらで聞かれる咳の音に心を驚かされつつ、普段その中に逼塞している環境との余りの違いに対する戸惑いの儘にコンサートホールに到着し、携帯電話に着信がないことを確認してから電源を切り、自分の座席を確認して開演を待つ間、自分がその場に相応しくない存在のように感じられるとともに、自分の現在の精神的・身体的状態が、これから接することになる演奏を、それに相応しく受け止めることができるかどうか、耐えきれなくなって途中で席を立ちたくなってしまうのではという思いに囚われていたことが鮮明に、生々しい感覚とともに思い起こされます。
この日のプログラムには冒頭にプフィッツナーの「パレストリーナ」前奏曲が含まれていましたが、そもそもプフィッツナーの作品といえば、数十年前に1曲だけ、FM放送で確か若杉弘さんの指揮で「キリストの小さな妖精」の序曲を聞いたことがあるだけ、「パレストリーナ」についてもそれがブルーノ・ヴァルターやトーマス・マンに支持された「代表作」であるという断片的な知識のみしかない状態で接したので、何かをコメントする資格などなく、いつもの通りに有識の方に委ねることとして、以下ではマーラーの作品についてのみ感想を記しておきたく、まずは最初の曲の後、休憩を挟むことなく引き続いて演奏された「リュッケルト歌曲集」について記したく思います。
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実は私は、実質はソロ・カンタータとも連作歌曲集とも見做されうる交響曲「大地の歌」を別にすれば、マーラーの「歌曲」の実演に接したことがこれまで一度もありませんでした。私の場合にはそもそもコンサートに赴く機会自体がほとんどないため、接する機会がない理由にはなりようがありませんが、それでもなお交響曲に比べて管弦楽伴奏の歌曲の演奏頻度は、その価値を思えば不当と感じられる程低いことを感じます。勿論そこには恐らくそうならざるを得ない様々な理由があるわけで、まず演奏会を企画する側からすれば歌手を招かなくてはならないという問題がありますが、同じソリストを招くにしても、それなりのスケールとポピュラリティのあるレパートリーを多数擁し、大向こうを唸らせるような名人芸の披露によって集客の効果さえ期待できる協奏曲とは異なって、歌曲は基本的にはピアノ伴奏でリサイタルで演奏されるスタイルが標準であり、管弦楽伴奏版は或る種例外的な位置づけになってしまうのは避け難く、数多あるレパートリーの中から管弦楽伴奏歌曲が数の限られた公演プログラムの中の一曲として選択される機会はどうしても限定的なものにならざるを得ません。また歌曲には当然ながら歌詞があり、歌詞が聴きとれて理解できることが聴取の前提となる点も敬遠される理由になっているかも知れません。管弦楽伴奏歌曲に対して西洋音楽史上の或る時期のコンサート需要に応じて生産された製品であるという見方を採れば、一世紀の後、そのニーズは最早極めて限られたものになっている上に、文化的伝統が異なる地球の裏側では、そもそも「歌曲」というジャンルを受け入れる素地が極めて限定されたものでしかないというのが実情なのかも知れません。必ずしも「歌」が駄目というわけではないのは、ポピュラー音楽の分野を見れは明らかですし、クラシック音楽においても、例えば「オペラ」については稍々違った状況のように感じられますが、ここでは、歌曲と交響曲の作曲家であるマーラーの作品において、その交響曲の受容の度合いを思えば甚だしくバランスを欠くと思えるほどに歌曲が取り上げられないこと、それを考えれば、前回のカンタータ「嘆きの歌」の上演同様、今回の「リュッケルト歌曲集」についても、マーラーの名を冠するオーケストラの矜持を示す、意義深い企画であることを一言記しておきたいように思います。私個人について言えば、この「リュッケルト歌曲集」は、交響曲を含めても、マーラーの作品の中で最も身近に感じられ、演奏の録音を通じて、或いは楽譜を通じて、更にはMIDIデータの分析といった仕方も含めて、繰り返し接し、親しんできた作品であり、聴く頻度だけ取れば、歌曲集の中でも飛びぬけて高いだけではなく、交響曲と比してさえ勝るとも劣らない作品でしたから、まずこの作品の実演にようやく接することができたことに対し、更にそれが自分が居る同じ空間の中でリアライズされるのに立ち会うという経験そのものに対し、喜びもひとしおのものがありました。
「リュッケルト歌曲集」は「さすらう若者の歌」や「子供の死の歌」、或いは「大地の歌」とは異なって連作歌曲集ではなく、「子供の魔法の角笛」に基づく歌曲がそうであるように、個別の歌曲を一まとめにしただけなので、曲順が決まっているわけではないし、そもそもが5曲まとめて演奏しないといけないわけでもありません。更に言えば、マーラー自身が管弦楽伴奏版を作成したのは4曲だけ、作曲の経緯からしても他の作品とは区別される「美しさゆえに愛するなら」は、その経緯に相応しくピアノ伴奏版のみで、管弦楽伴奏版は他の編曲者による後補になることから、この歌曲集を取り上げるにあたっては、非常に多様な選択肢がありえることになります。例えばマーラーが1905年1月29日にこの歌曲集の管弦楽版の初演を行った時には、(当然ながら)「美しさゆえに愛するなら」を除いた4曲が、「私はやわらかな香りをかいだ」、「私の歌をのぞき見しないで」、「私はこの世に忘れられ」、「真夜中に」の順番で演奏されています。それに対してこの日のプログラムでは、マックス・プットマンが管弦楽版を作成した「美しさゆえに愛するなら」を含めた5曲全てが取り上げられ、「私の歌をのぞき見しないで」 「私はやわらかな香りをかいだ」、「真夜中に」、 「美しさゆえに愛するなら」、 「私はこの世に忘れられ」の順番で演奏されました。当然のことながら演奏の順番というのは作品解釈の一部であって、正直に言えば、私個人が選択するであろう順序と、この日の演奏順序は異なるものでしたが、接してみると調的配置の面でも、物語的・心理的な流れからも自然な排列であり、しかも後述するような印象が残ったのは、偏にこの順序によるものではないかと考えられ、蒙を開かれる思いがしました。
「リュッケルト歌曲集」の管弦楽は交響曲に比べれば遥かに規模の限られたもので、寧ろ室内管弦楽の嚆矢と見るべきで、その書法は中期の交響曲よりは寧ろ「大地の歌」の中間楽章に繋がるような、時として工芸品を思わせるような、繊細で微妙に移ろう色彩を備え、管弦楽伴奏であるにも関わらず、外に向かって広がっていくよりは内面に沈潜していく傾向が強いと感じますが、ーー岡田暁生先生は、この「リュッケルト歌曲集」を「ユーゲントシュティール・リート」というジャンルを開拓した作品と規定されていますが、これは卓見であると考えます(「ユーゲントシュティールと世紀末の作曲家たち」参照、『キーワード事典 作曲家再発見シリーズ マーラー』, 洋泉社, 1993, 所収)ーー、この日の演奏は、豊かな色彩感はそのままに、移ろいゆく響きの流れの豊かさが印象的で、隅々まで良く歌って非常に雄弁でさえあり、それがしばしば歌曲というジャンルをはみ出て寧ろオペラの一場面を思わせるようなスケールの大きな劇的な盛り上がりを示す点でユニークな演奏であったと感じました。そうした管弦楽の動きは勿論、歌手の歌唱スタイルに反応したものであって、一つ一つの言葉に込められた感情、ニュアンスも驚く程に多彩であり、通常の歌曲の歌唱であれば、或る種の抑制の中でフォルムを崩さないことを優先して表現されるものが、この日の蔵野さんの歌唱においては、呟きや囁きに近い弱音から、大きなコンサートホールに響き渡るような強靭な節回しに至る迄、驚くべき多彩な幅を持ったものであった点が強く印象に残りました。またこれは色聴という私個人の体質に固有のものなので一般性はないかも知れませんが、管弦楽ならではの調性の変化に対応した色彩の変化が録音で聴いた時に比べて、比較にならない程鮮やかなのには驚かされました。具体的に記述すれば、透明感のある、柔らかな光がたゆとう第1曲、曲頭の零れ落ちるような緑色が中間部分で第5曲を思わせる暖色系に変化した後、末尾でふっと元の色に戻るコントラストも鮮やかな第2曲、色彩よりも明度の変化に勝り、闇の暗さから眩い蒼天の輝きに至る第3曲、同じく色彩の点ではニュートラルで、途中に微妙な陰影を交えて、だが全体としては一貫して晴朗な第4曲、そして、聴き手を包み込むような暖色系の穏やかな光の中で中間部の色彩の微妙な変化が美しい第5曲というのがそのアウトラインになるでしょうが、実際の細部の色彩と輝きの移ろいの微妙さは文字通り筆舌に尽くし難いものがありました。
それと同時に、数十年の長きに亘り聴き続けて親しんできたにも関わらず、この実演に接して初めて思い至ったこともあります。それは特にこの曲集の中では、特に第5曲(「私はこの世に忘れられ」)が体現している「孤立」のことで、それは一面において第3曲(「真夜中に」)のような、実存的な単独者性と隣り合わせでもあるのですが、それでもそこでの「真夜中」は、例えば第3交響曲第4楽章の「夜」とは異なって、虚無に陥っていく傾向のものではなく、それは寧ろ交響曲の世界では猛威を振るう「世の成り行き」の最中に穿たれた異空間であって、特に第5曲では外部からは遮断されたその内部は親密さと安らぎに満たされているのですが(丁度、第6交響曲の世界を裏側から眺めているような感覚もあります)、それが望まれていはしても実際には実現しないがゆえに夢想され、希求されるものではなく、たとえ儚く仮初のものであるにせよ現実のものであって、確かにその中に主体が住まって安らっているというリアリティが今回の演奏を通じて強く感じられたのが印象的でした。
それでふと思い浮かんだのが、アルマの回想録の1903年から1906年までの期間が「輝かしい孤立」と名付けられていたことで、マーラー自身がアルマとの生活をこのように呼んだことに由来するとアルマは一連の章の冒頭に記しています。アルマとの生活が必ずしも穏やかで安らぎに満ちたものではなかったことは既に良く知られていて、くだんのアルマの回想もまた、その背後に数多くの言い落しがあることが明らかにされており、そしてその葛藤の最大のものが第10交響曲の創作の背景の一部を為しているというのは余りに有名なことですし、実は「リュッケルト歌曲集」のうち、アルマへの私信としての性格を持つ「美しさゆえに愛するなら」以外の4曲は、1901年11月のアルマとの出会いに遡って、その年の夏に書かれたものなので、伝的的事実に符合を見つけようとする類の試みはここでもあっさり頓挫することになるのですが、それでもなお、「輝かしい孤立」の中で、自分の出生や生い立ちに纏わる様々なしがらみから離れ、職場のいざこざや人間関係の軋轢からも離れて、ひとときであっても自分の価値観の中で生きることができることがもたらす深い慰藉と静かな喜びの気持ちが極めて直截な形で伝わってくるように感じられ、強く心を打たれたのでした。
「輝かしい孤立」という言葉は、これは邦訳だけ見ていると気付かないかも知れませんが、原文は英語でSplendid Isolationであり、それが英語であるからには、直接には当時の大英帝国の外交政策を「栄光ある孤立」と呼んだことに由来するのでしょうが、その由来の側の政策の後日の歴史的評価が割れることも、マーラーのアルマとの生活についての後世の評価が割れることも、ここでは主要な問題ではないと考えます。また同様に、この歌曲集の持つ雰囲気にユーゲントシュティル的な自閉への傾きを感じ取り、そのあざといまでの人工的で工芸的な繊細さに或る種の閉塞や自己中毒の危険を嗅ぎ付けるといった方向性の指摘にも首肯できる面があるとは思います(例えば、典型的なユーゲントシュティル様式によるツェムリンスキ―の傑作「メーテルリンク歌曲集」についてであれば、躊躇することなく私も同意することでしょう)が、それでもなお、そうした「孤立」抜きで「世の成り行き」をやり過ごすことなどできないし、マーラーの創作においては、若き日には微睡みの夢の中にしかなく、そしてその後の作品においては、「大地の歌」、第9交響曲においてそうであるように、再び、最早それが現実のものではないという(否、ことによったら、一度も現実のものとなったことはないという)認識を伴った苦々しい回顧という形をとる他ないにせよ、ここでは(錯覚のようなものであれ)一時それが現実のものであると感じられたということ、そしてそのことが作品に刻印されているということ(とはいえ、それは自伝的作品ということではなく、寧ろ世界との関わりの様態、認識の仕方の反映と考えるべきなのですが)の方に一層の重きをおきたいように思うのです。何よりも実感として、この日の「リュッケルト歌曲集」の演奏に接した時に、「世の成り行き」に翻弄され、弱りきって疲労困憊し、乾ききっていた自分の心の中にどっと暖かなものが流れ込んできたように感じられ、自分が長らく離れ、忘れかかっていた大切な何かがふと姿を現したのに接したような、救われたような気持ちになったというのは紛れもない事実ですし、その効果は音楽を聴いている瞬間だけ錯覚を引き起こすような刹那的・一時的なものではなく、或る種のモードの切り替えを駆動し、「この世の成り行き」に立ち返った後においても知らぬ間に別の軌道に乗り移っているというようなものなのです。こうしたことを私が感じたことがこの日の演奏の客観的な質にどれだけ関わるかは判断がつきかねる部分もありますが、事実として書き留めて置きたく思います。更に付言するならば、「真夜中に」を挟んで、後半に「美しさゆえに愛するなら」を持ってきて「私はこの世に忘れられ」で結ぶというこの日の演奏の排列がそうした感じ方に影響したのは間違いないことで、これが先に、排列の物語的・心理的な合理性と述べたことの実質に他なりません。かくして井上さんの解釈の下、このコンサートにおいてマーラーの音楽が自分に手を差し伸べてくれるのを経験したということを、感謝の気持ちとともに証言しておきたく思います。
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15分の休憩を挟んで、後半はデリック・クック補筆による5楽章版の第10交響曲。別のところでも述べたように、第10交響曲のクック版はマーラー祝祭オーケストラがまだジャパン・グスタフマーラー・オーケストラという名称であった2014年6月15日に同じミューザ川崎シンフォニーホールで行われた第11回定期演奏会で取り上げられており、今回は10年ぶりの再演だったのですが、私自身、この10年前の演奏に接しており(その感想は、ジャパン・グスタフ・マーラー・オーケストラ第11回定期演奏会を聴いてという記事として公開)、今回は2回目となります。初めて実演に接した「リュッケルト歌曲集」に比べると、その点については遥かにリラックスした気持ちで演奏に接することができた一方、冒頭記した、自分の精神的・身体的コンディションが作品を受け止めるに十分なであるかどうかについては全く自信がなく、恐る恐るという感じで、第1楽章アダージョ冒頭のあの有名なヴィオラのパート・ソロを聴き始めることになりました。結論から言えば、演奏者の凄まじい集中力に引き込まれて、一気に最後まで聴き通してしまったというのが実態で、演奏の充実は、終演後のオーケストラの皆さんの感極まったような、それでいてどこか晴れ晴れとした表情に尽くされていると感じられ、こうした素晴らしい演奏に立ち会えたことの幸運を強く感じつつ拍手をしました。その一方で、そうした達成を目の当たりにして、自分がプログラムに寄稿した文章が色褪せたものに感じられ、自分の文章が如何に非力で無力であるかを痛感せずにはいられませんでした。そうしたこともあって、公演プログラムに寄稿させて頂いた文章も含め、第10交響曲について既に記事として公開している内容を繰り返す愚を犯すことは避け、拙いものになることは承知の上で、とりあえずは今回の公演の印象のみを書き留めておきたいと思います。更には、印象に残った細部については列挙に暇がないとは言うものの、今回の演奏について言えばそうした細部を取り上げることの必要性を強く感じないことから、そうすることは必要で相応しい別の機会に譲ることとして、全体的な印象だけを記して感想に替えさせて頂きます。また同一指揮者・同一オーケストラにより同一曲の再演ということであれば、前回の演奏との比較というのが関心事の一つになると思いますが、前回が10年前のことであり、その公演の記録はyoutubeでも公開されていて、いつでも何度でも接することができるとはいえ、当日に演奏会場で受けた印象や感じたことをもひっくるめての比較を行うことには困難が伴うことから、基本的には今回の公演の演奏から受けた印象に絞って記すことにさせて頂きます。(前回との比較ということでは一つだけ、第4楽章末尾から第5楽章冒頭にかけて連打されるバスドラムは、今回もまた前回と同様にステージ上のパイプオルガンのパイプに程近い客席の高いところに置かれ、丁度マジェスティック・ホテルの高層階から通りで行われた葬儀を眺め、大太鼓の音を聞いたマーラーやアルマとは上下関係が入れ替わって、その音はどこか遠くの上の方から降ってきてステージの上空の空間自体が振動しているかのように客席に降りてきて、会場全体に響き渡ったことを備忘のために記しておきます。)
今回の演奏の全体的な印象を一言で言えば、聴き手を圧倒する、演奏者の凄まじいばかりの集中力と、細部に拘って響きのバランスや音色を磨き上げるよりは音楽の流れを重視し、恣意性を排した自然なテンポ設定で作品の大きな構造を浮かび上がらせるとともに、各パートが表情豊かに歌いきるといった点にその特徴があったように感じます。勿論、第10交響曲のような長大な作品の場合、集中が疲労との応酬の関係にあることは避け難く、この公演においても特に作品の終わりに近づくにつれて傷が目立つことがなかったとは言えませんが、そうした点を指摘すること自体が場違いでナンセンスなことであると感じられる程に、まさに一期一会と形容するに相応しい、燃焼力の高い演奏であり、何者かが降りて来たかのような奇跡的な瞬間も幾度となくありました。10年前の演奏では個別の細部に立ち入れば、まだ些か手探りのようなところがないとは言えなかったのに対して、今回は完全に曲が手の内に入ったかのような、自在で表現意欲が迸る生気に富んだ演奏で、全体を俯瞰してのコヒーレンスの高さが際立っていたように思います。
前回同様、今回の演奏でも使用された演奏用バージョンを作成したデリック・クックは自分の作成したバージョンを(他の一部の補筆版作成者のように)決定的で、改変の余地のないものとはせずに、自分のバージョンに基づいて更に独自の改変を施したオリジナルなバージョンを作成することに対しても否定的ではなかったようですし、実際に既にそうした実例も幾つか存在しますが、今回の演奏は基本的にクック版のスコアをそのまま忠実に実現する形で行われました。そしてそのことを踏まえると、より自由に加筆を行っている他の補筆バージョンに比べてしまうと控えめで、稍々もすれば禁欲的で響きが薄いという印象を受ける瞬間がないとは言えないクック版を楽譜通りにリアライズしているにも関わらず、特に近年のマーラー祝祭オーケストラの備えている、芯のあるずっしりとした手応えを感じさせる響きによって、輝きに満ちて雄弁とさえ感じられるものになっていることに驚き、圧倒されました。管弦楽の全てのパートが凄まじいばかりの集中力をもって演奏された結果として、マーラー固有の対位法的な線の絡み合いが鮮やかに浮かび上がり、普段より聴きなれている筈のディティールのそこかしこで、こんなにも雄弁で意味深い表情が込められていたのかと気付かされ、驚くこともしばしばでした。またこのことにはステージの上での対抗配置の採用、すなわち第1ヴァイオリンの反対側に配置された第2ヴァイオリンやヴィオラといった中声部の充実が音響的な幅をもたらし、第1ヴァイオリンのすぐ向こう側に配置されたチェロやバスのパートの安定が奥行に豊かさをもたらしていたことも大きく与っていたと思います。
テンポの設定が他の解釈に比べた時にユニークな印象を受けるのはいつものことですが、今回特に感じたのは、各楽章に含まれる複数のテンポ間の相対的な関係の設定が、オーケストラの各パートが歌いきるという観点からみても合理的であるということで、更にそれに加えてテンポが常に流動し、時として渦を巻いてうねるような効果を生みだしており、リズムの有機性が際立ち、頻繁に生じる変拍子の交替によって音楽にドライブがかかって聴き手をも引き込んでいくような強い身体性を帯びたものとなっていました。
総じて指揮者の井上喜惟さんがクック版のスコアから読み取った第10交響曲という作品の持つ複雑さ、豊かさが余すところなく提示され、しばしばクック版に物足りなさを感じてか楽器法に手を加えるようなことが行われ、或いはクック版とは別に、より雄弁で饒舌なバージョンが作成される例も今や数多くありますが、そうした改変や異稿を不要とするような説得力に満ち、クック版の持つポテンシャルが(狭い私の聴取経験からすればこれまでに経験したことのない程に)発揮された稀有な演奏であったと考えます。そしてその結果として、現実には未完成のまま遺されたにせよ、マーラーの全作品の頂点に立つことになったであろう、この第10交響曲のありうべき姿が、デリック・クックと彼を助けたゴルトシュミット、マシューズ兄弟の補筆作業と、井上喜惟さん率いるマーラー祝祭オーケストラのリアリゼーションとの時と場所を隔てた共同作業によって十全に提示された演奏であったと認識しています。
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コンサートに出かけることは、人によっては日常生活の一部であるかも知れないし、非日常的な例外的な出来事かも知れません。それはその人がコンサートに出かける頻度や、個別の公演が持つ意味合いに依って変わるでしょうし、公演の持つ意味合いというのは、演奏される曲目、出演する演奏者から始まって、公演の日時(平日の夜か、休日の昼間か)、公演会場となるコンサートホール、或いは例えばそのホールと自宅との位置関係といった、一見したところ些末に至る迄の様々な条件を介した、その公演とその人との関わりの様相に応じて様々でありうるし、それらの条件に応じて、そもそもそのコンサートに出かけるかどうかの取捨選択がまず行われるに違いありません。そしてそうして選択されたコンサートから受け取るものについても、上述のような聴き手一人一人が持っている諸条件に加え、例えば座席の位置、客席の埋まり具合といったものがその場で鳴り響く音響を受け取るのに少なからぬ影響を及ぼすでしょうし、その時の聴き手の心理的な状態、体調といったものに聴取の経験は容易く影響されてしまいます。聴き手は演奏を評価し、ことによったら点数付けをさえする神のごとき評価者ではありません(それは「音楽の聴取」とは別の何かで、その別の何かであればAIで置き換えることも可能でしょう)。聴き手は限りなく多様なパースペクティブのうちの一つに過ぎず、背後にある自分が受取るものの由来を知ることはできないし、聴取の脈絡もまたコンサートが行われるその場所と時間に限られるわけではなく、その外に果てしなく広がっているのであり、聴き手はそうした中で自分の能力の限界の範囲で出来事に立ち会う他ないのです。
このような自明のことを延々と書くのも、まずは私にとってこのコンサートの持つ意味が事実として例外的なものであったからで、更には、このコンサートから自分が受取ったものが特殊個別的な自分の状況に強く拘束されたものであることをまず何よりも感じずにはいられなかったからに他なりません。例えばこの公演が平日の夜だったり、土曜日であれば現在の私が出かけることは叶わなかったでしょうが、それだけではなく、このコンサートの前日、当日の午前中にトラブルがあって、その経過によっては出かけることを断念せざるを得なかった可能性もあり、幸いにしてコンサートに出かけてから戻る迄の時間は平穏であったものの、その後もコンサートで受け取ったものに向き合う余裕がないまま、こうして10日程の日々が過ぎ去ってしまいました。私を「忘れて」はくれない「世の成り行き」との関わり合いの中で断片的された空き時間を縫うようにして、こうして感想を書い継いでいる今も尚、自分が遭遇した出来事の例外性を記録し、証言するのに相応しい状況とは率直に言って言えないと感じ、今や自分がその場で垣間見たものから場違いな程にまで隔たって、自分のキャパシティを超えたものを抱え込んで了っているという感覚から逃れられずにいます。未だそれを受け取るに相応しい程には熟していないばかりか、そもそも自分はそれを受け取る資格を始めから持っていない、無縁な存在なのではという疑念から逃れることも困難なようです。そうであれば、いっそのこと向き合うことそのものを断念してしまえば良いという考え方もあるでしょうし、実際にそうした思いが去来しない訳ではなくとも、今度は自分が受取ったものの重みがそれを受け取った事実を証言しないで済ませることを許しません。とりわけてもマーラーの音楽は、「世の成り行き」の中で落伍し、打ち捨てられた人々に対して手を差し伸べる音楽であり、その投壜通信を拾う名宛人としての権利が私には確かにあると思うことができる稀有な存在なのです。しかも第10交響曲が私が彷徨う岸辺に辿り着くには、他の作品にはない紆余曲折があり、仮に私が投壜された手紙そのものを拾っても、判じ絵か暗号文字の如きそこに自分宛のメッセージを読み取ることなどできなかったでしょう。そうした事情もあって、どんなに拙い仕方であっても、受け取ったものの価値に比して取るに足らないものであっても、それが起きたことを証言するのは、或る種の出来事の経験に関して言えば、立ち会った者に課された義務なのだということを常々感じてきましたが、そのことを今回のコンサートについて程強く感じたことはなかったように思います。私が消え去っても、私が受取った作品は私を超えて存続するし、恐らくは前回同様、今回の演奏記録も収録され、いずれは前回同様youtube等で公開されて共有の財産となり、或る種の永続性を獲得することになるであろうとは思いますが、それに留まらず、当日会場に居たて、私を含めた聴き手の一人一人が異なるパースペクティブの下で経験したこともまた損なわれることなく何らかの形で存続して欲しいと願わずにはいられません。なぜならば、それらの総体が「音楽」に他ならないからです。
前回の「嘆きの歌」の公演もそうでしたし、今回の公演でも改めて、私にとってそれは、娯楽としての消費であれ、所謂教養としての「音楽鑑賞」であれ、そうしたことを目的として演奏会場に赴くというよりは寧ろ、例えば現代日本の作曲家・メディアアーティストの三輪眞弘さんが仮構する、消え去った何者かを追悼し、記憶するための儀礼により近いようだということをはっきりと感じました。そしてそのことが、私にとっては、アドルノがヘーゲルを参照していうところの「世の成り行き」をやり過ごすためのほぼ唯一の「抵抗」の拠点であるということもまた、強く認識しました。我々はミームの存続のための媒体に過ぎず、シェーンベルクは第9交響曲に関して作曲者を「メガフォン」に喩えましたが、作曲家のみならず、演奏者、聴き手もひっくるめて、「音楽」に関わる我々全てを通して他の何者かが語るという点が重要なのであって、マーラーが「音楽」を世界のようにすべてを包括するものでなくてはならないと語ったことの少なくとも一面は、こうした認識に繋がっているものと思います。マーラーは自分の営為を、愛読したゲーテ『ファウスト』第1部の地霊の科白を引用しつつ「神の生きた衣を織ること」であると述べたことがありますが(1896年11月18日にハンブルクからリヒャルト・バトカに宛てた書簡)、マーラーが遺した作品がそうであるように、このコンサートにおけるその作品の演奏もまた、「神の生きた衣を織ること」と喩えるに相応しく、語り継がれるべき出来事であったと確信しています。そのことをここに証言するとともに、そうした達成を実現した、まずはマーラーその人と、とりわけても第10交響曲についてはデリック・クックと彼の補作を支援した人々(更にもう一度、「輝かしい孤立」をマーラーその人とともに生き、没する直前に、まるで遺言のようにクックの作業に対する支持を表明したアルマのことも今一度思い起こしましょう)、そして井上喜惟さんのもとに集った演奏者の皆さんに対して感謝の言葉を記してこの稿を終えたいと思います。(2024.6.6公開, 6.7加筆)
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