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2024年6月24日月曜日

アルマの「回想と手紙」にある自分の墓と葬儀についてのマーラーの言葉

アルマの「回想と手紙」にある自分の墓と葬儀についてのマーラーの言葉(アルマの「回想と手紙」原書1971年版p.226, 白水社版邦訳(酒田健一訳)p.228)
... Unter tränen bat er sie, daß er, falls ihm etwas zustoße, neben seiner kleinen Tochter in Grinzing begraben werde. Er wolle eine einfaches Begräbnis, keinen Pomp, keine Reden. Er wolle einen einfachen Grabstein und nichts solle darauf stehen als der Name » Mahler «. » Die mich suchen, wissen, wer ich war, und die andern brauchen es nicht zu wissen. «

…彼は泣きながら、自分にもしものことがあったら、グリンツィンクの墓に眠っている娘のかたわらに埋めてほしいと言った。葬式はごく簡単でよい。はでに騒いでもらいたくない。弔辞もいらない。飾りけのない墓石を一つ立てて、そこに《マーラー》と刻むだけでよい。「私の墓をたずねてくれる人なら、私が何者だったか知っているはずですし、そうでない連中にそれを知ってもらう必要はありませんからね。」 

最後のマーラー自身が言ったものとして記録された言葉は有名だろう。ご存知の方も多いと思われるが、墓石についての彼の希望は入れられ、 分離派のヨーゼフ・ホフマンのデザインによる墓石には、彼の名前のみが刻まれている。行列と弔辞の方はどうだったろうか? マーラーがここで拒絶したのは、 ウィーンでは伝統のある、大勢の市民が行列をつくるような類の葬儀のことのようで、その意味では希望はかなえられたと言って良い。

死の四日後の5月22日に雨の中で行われた葬儀に参加するには入場許可証が必要で、近親者のみが参加したとのことだ。 それでも数百人が参加したようで、雨の中に列をつくって並ぶ人々の写真を幾つかの文献で見ることができるし、入場許可証は英語版の書簡集で 見ることができる。埋葬のシーンをシェーンベルクが描いた油絵「マーラーの葬儀」も残っている(新潮文庫の船山隆『マーラー』にカラーで掲載されている他、 モノクロでなら岩波新書の柴田南雄『マーラー』でも見ることができる)。 シェーンベルクのOp.19のピアノ曲集はシェーンベルクのほぼ唯一のミニアチュア様式の作品として著名だが、この曲集は6曲目のみが1911年6月17日に 書かれていて、繰り返し響く和音が葬送の鐘を模していて、マーラーの葬儀の印象に由来するものとの解説が柴田南雄『マーラー』にある。

更に彼は同年出版の『和声学』をマーラーの思い出に献じ、1913年にプラハであの有名な講演を行うというかたちで、故人への追悼の気持ちを 示していくのである。(2007.5.18マーラーの命日に)

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