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2024年6月24日月曜日

アルマの「回想と手紙」に出てくる自己の「異邦人性」についてのマーラーの言葉

アルマの「回想と手紙」に出てくる自己の「異邦人性」についてのマーラーの言葉(アルマの「回想と手紙」、1971年版原書p.137, 白水社版邦訳(酒田健一訳)p.129)
Oft sagte er: » Ich bin dreifach heimatlos : als Böhme unter den Österreichern, als Österreicher unter den Deutschen und als Jude in der ganzen Welt. Überall ist man Eindringling, nirgends "erwünscht". «

彼はしばしばこう言っていた。「私は三重の意味で故郷のない人間だ。オーストリア人のあいだではボヘミア人として。ドイツ人のあいだではオーストリア人として。全世界のなかではユダヤ人として。どごに行っても招かれざる客、ぜったいに《歓迎される》ことはない。」 

この言葉はマーラーの評伝の類ではおなじみの、あまりに有名なものだが、実はその典拠はというとアルマの「回想と手紙」が唯一のものらしい。そしてこの言葉が出現する 「回想」における文脈というのは、あの1907年の出来事を語る章の冒頭で、或る種の寄り道というか息抜きとして紹介されるマーラーの若き日の出来事を語る中でなのである。 指揮者マーラーの最初の「任地」はバート・ハルの夏季劇場であったのだが、そこで知り合った人間を冬になってヴィーンに戻ってから訪問したら門前払いを食らった。 それをマーラーは自分がユダヤ人だからだろうと思った、という話に続いて上記の言葉が紹介されるのだ。その間にはアルマ自身によるコメント、門前払いの理由は 単に「夏場の付き合い」というのはそういうものだからに過ぎないのでは、という意見が挿入されている。
深読みしようというのではないが、この言葉が独り歩きした時に持つことになる重みを思えば、その典拠における文脈は些か意外な感じもある。何しろ、マーラーに この言葉を言わせるのに相応しいエピソードは他にも幾らでもあるわけだし、1940年に出版されたアルマの「回想と手紙」自体の出版時の状況―それは序文でアルマ自身が語っているし、その時期に、そしてそれに続く数年にヨーロッパのユダヤ人がおかれた状況について知らない人はいないだろう―を考えると、私には手に負えないような微妙な問題をそこに読み取る人ももしかしたらいるかも知れないとさえ思われる。アメリカへの亡命を余儀なくされたアルマが、わざわざこの時期に、ユダヤ人であった最初の夫の「回想と手紙」を出版したことそのものが、ある種のプロテスト、意思表示であったのは確かなことなのだから。アルマが序文を書いたのは、そうした逃避行の途上のサナリー・シュル・メールでだったこと、そしてこの本がアムステルダムで出版されたことを確認しておくのも意味のあることだろう。
だが私個人としては、そうした背景や意味合いの詮索はおいて、とにかく、この有名な言葉が登場する文脈を私自身が忘れずにおくために、ここに典拠とともに紹介しておこうと思った次第である。(2008.2.10, 2.11補筆修正)

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