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2024年6月27日木曜日

ナターリエ・バウアー=レヒナーの回想録:音楽シーズン1901~1902年の章に出てくる歌劇「ゼッキンゲンのラッパ手」についてのマーラーの言葉

ナターリエ・バウアー=レヒナーの回想録:音楽シーズン1901~1902年の章に出てくる歌劇「ゼッキンゲンのラッパ手」についてのマーラーの言葉(1923年版原書p.173, 邦訳『グスタフ・マーラーの思い出』, 高野茂訳, 音楽之友社, p.451)
Mahler erzählte aus alter Zeit, daß er in Prag aus Verzweiflung, den greulichen "Trompeter von Säkkingen" so oft dirigieren zu müssen, in einer lustigen Stunde sich den Spaß machte, aus der ganzen Oper das Leitmotiv herauszustreichen, wie sie auch von nun an ohne Einbuße (alles ist ja in diesem "Schund" gleich wichtig oder unwichtig) dort so aufgeführt wurde ! Der Intendant sagte zwar einmal, es komme ihm so merkwürdig vor, als fehle etwas darin; aber was es war, dahinter kam er nicht !
"Dieses Machwerk ist übringens so, daß man gerade so gut alle Bläser oder, wahrhaftig, sämtliche Streicher daraus entfernen könnte, ohne daß es jemand merkte, da alle Instrumente : Bläser, Streicher, Schlagwerk, immer genau dasselbe spielen !"

 マーラーは昔の話をした。彼がプラハにいたとき、吐き気をもよおすような《ゼッキンゲンのトランペット吹き》を何度も指揮させられたのに嫌気がさして、気分が良い時に、遊び半分に、このオペラ全体からライトモチーフを、今後そこでそのかたちで演奏しても支障がない程度に抜き出して削ってしまった。(この「がらくた」にあっては、すべてが重要とも無意味ともつかなかった。)そこの監督は、何か欠けていて妙な気がする、とは言ったが、それには気づかなかったのだ!
「このでっち上げの作品は、ほとんど全ての管楽器や、実際、弦楽器をそっくり取ってしまったところで誰も気づかない、といった代物なのだ。管楽器であれ、弦楽器であれ、打楽器であれ、すべての楽器がいつも同じことを弾いているんだからね!」

こちらは自作の「ゼッキンゲンのラッパ手」ではなくて、ネスラーの歌劇に関する、ナターリエ・バウアー=レヒナーの回想録に収録されたマーラーのコメントで、 彼のネスラーの作品に対する評価が端的に窺える言葉である。
ネスラーの歌劇を聴いていないのは勿論、私にとってはそもそも歌劇というジャンル自体が疎遠なものなので、この評価の当否を云々しようとは思わないが、 この言葉が回想ならではの誇張でないのは、例えばハンブルク時代にイギリス公演を行った際に、ドイツで当時話題の作品であったこの歌劇の イギリス初演がその演目の一つに含まれていたにも関わらず、その指揮をマーラー自身は行わなかったことによっても確認できるようである。(2007.12.26)

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