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GMW(Gustav Mahler Werke, グスタフ・マーラー作品番号:国際グスタフ・マーラー協会による)を公開しました。(2025.4.20)
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2025年9月8日月曜日

備忘:マーラーの作品を分析するとはどういうことか?(2025.9.8 更新)

 これまで様々な角度から、様々な手法でマーラーの作品について分析を試みてきたが、そもそも自分が何を目指して、何をしているのかについて、改めて整理をしてみることにする。予め先回りしてお断りしておくならば、それは既に実際に達成できる水準を以て測ろうというのではなく、あくまでも、実際の達成がその目標からは程遠く、千里の道程の最初の一歩に過ぎないとしても、到達すべき目標は何かを再確認することが目的である。

 分析をするきっかけをシンプルに言えば、それは対象に強く惹き付けられたからで、この場合の対象はマーラーが作曲した具体的なあれこれの作品という人工物である。端的な言い方をすれば、自分が魅了されたのは、その作品の持つどういう特徴によるのか、そして翻って、このような作品を創り出した人間とはどのような人間なのか、どのようなやり方でこのような作品を生み出したのかを知りたいと思ったというのが出発点となるだろう。

 ところで作品とは一体何だろう。それを考える上で、マーラーに関連する脈絡で2つの参照先が思い浮かぶ。一つは「作品」は「抜け殻」に過ぎないというマーラー自身の言葉。妻のアルマ宛1909年6月27日の書簡で「作品」についてマーラーはこう語る。
…われわれが後世に残すものは、それがなんであれ、外皮、形骸にすぎない。『マイスタージンガー』、『第九交響曲』、『ファウスト』、これらはすべて脱ぎ捨てられた殻なのだ!根本的にはわれわれの肉体以上のものではない!もちろんそうした芸術的創造が不用な行為だというわけではない。それは人間に成長と歓喜をもたらすために欠かすことのできないものだ。とくにこの歓喜こそは、健康と創造力の証(あかし)なのだ。…
(アルマの「回想と手紙」原書1971年版p.356, 白水社版酒田健一訳p.398)  

 「抜け殻」とは言っても、「不用な行為」ではないのは、それが「人間に成長と歓喜をもたらすために欠かすことのできないもの」だから、という。マーラーが創造した作品の聴き手、受け取り手である私はつい、それを受け手の問題であると決めつけてしまうが、それが「健康と創造力の証(あかし)」であるとするならば、その歓喜は、第一義的には作り手であるマーラーその人の「創る喜び」とする方が寧ろ妥当なのかも知れない。勿論、聴き手は単にそれを受動的に受け取るだけではなく、それに触発されることで成長し、喜びを感じる…というように考えることもできるだろう。

 その一方で「抜け殻」であるというからには、それはそれを作り出した人間そのものではないにせよ、その「痕跡」であるという見方も導かれうるだろう。そこで思う浮かぶもう一つの参照先は、シュトックハウゼンが、アンリ・ルイ・ド・ラグランジュのマーラー伝に寄せた文章の以下のような件である。

もしある別の星に住む高等生物が地球人の性質をごく短期日のうちに調査しようと思うなら、マーラーの音楽を素通りするわけにはゆかないだろう。もっと幅のせまい音楽ならば――あらゆる情緒的世界において――どこででも聴くことができるだろう。たとえば雅楽、バリ島の音楽、グレゴリオ聖歌、バッハ、モーツァルト、ヴェーベルンの音楽などがそうである。こうした音楽は、《より純粋》で晴朗だといえるかもしれない。しかし地球人の特質、その情熱の――もっとも天使的なものから、もっとも獣的なものにいたるまでの――全スペクトル、地球人をこの大地に縛りつけ、そして宇宙の他の領界についてはただ夢みることしか彼に許そうとしないところのもの――そうしたすべてを知ろうと思うなら、マーラーの音楽にまさる豊かな情報源はないだろう。

 この書物は、異常なまでに多くの人間的特徴をただ一個の人格のなかで統合し、そしてそれらを音楽という永遠の媒体のなかへ移植することのできたひとりの人間の生涯と音楽についての証言である。その音楽は、人間が人間を個々の部分に分解し、しかもそれらをおそろしく奇怪な変種へと再合成しはじめたようとするまえの、古い、全的な、《一個体としての》人間による最後の音楽である。マーラーの音楽は、おのれ自身がじっさい何者であるのかもはやわからなくなっているすべての人びとにとってひとつの道標となるだろう。

(Karlheinz Stockhausen, Mahlers Biographie, ≪Musik und Bildung≫ Heft XI, Schott, 1973, 酒田健一編『マーラー頌』所収, 酒田健一訳, pp.391-2)

マーラー自身の言葉を敷衍するならば、シュトックハウゼンは、マーラーの音楽のことを「古い、全的な、《一個体としての》人間」の「抜け殻」であり、それは「ある別の星に住む高等生物が地球人の性質をごく短期日のうちに調査」するために恰好の情報源であると言っている。更に言えば、「ある別の星に住む高等生物」ではないにしても、「人間が人間を個々の部分に分解し、しかもそれらをおそろしく奇怪な変種へと再合成しはじめたようとする」後の時代に生き、「おのれ自身がじっさい何者であるのかもはやわからなくなっている」に違いないこの「私」にすれば、それが少なくとも、その作品を創り出した「人間」に関する情報源であり、自分自身にとっての「道標」であるということになるだろう。シュトックハウゼンが参照する他の様々な音楽との比較の妥当性、是非についてはもしかしたら異議があるにしても――ここで思い浮かぶのは、ド・ラグランジュのマーラー伝刊行後しばらくしてからの1977年に打ち上げられたボイジャー計画の探査機に収められた「ゴールデンレコード」のことで、そこにはガムランやバッハは含まれても、マーラーが取り上げられることはなかったことは書き留めておくべきだろう――、とりわけ、それが人間を「この大地に縛りつけ、そして宇宙の他の領界についてはただ夢みることしか彼に許そうとしないところのもの」についての情報源であるという点については躊躇なく同意したいように感じている。

 ただし、そうした人間の限界というのは人間固有のものであって、それが「ある別の星に住む高等生物」に共有されることは些かも自明なこととは言えまい。(技術的特異点(シンギュラリティ)が絵空事とは言えなくなった今日なら宇宙人の替わりに人工知能を持ってきても良いだろうが、人工知能を道具として、(かつて)「人間」(であったもの)が分析をすることはあっても、人工知能が「主体」の分析というのは、少なくとも現時点では、未だ空想の世界の話に過ぎないだろう。)他方において、シュトックハウゼンの言葉には、自分が帰属する社会の文化的遺物であるマーラーの音楽が、それ以外の社会の「人間」をも代表しうるという暗黙の了解が存在するように思われるが、実際にはそれすら凡そ自明のこととは言えないだろう。とはいえ、一世紀の時間の隔たりと、地球半周分の地理的な隔たりを通り抜けて、マーラーが遺した「抜け殻」は、極東の島の岸辺に辿り着き、そこに住む子供が或る時、ふとそれに気づいて拾い上げ、壜を開けて中に入ったメッセージに耳を傾けた結果、それに強く惹き付けられるということが起きたこともまた事実である。そこに数多の自己中心的な思い込みや誤解が介在していたとしても、その子供はそこに、自分をこの大地に縛りつけ、そして宇宙の他の領界についてはただ夢みることしか許そうとしない、同型のものを見出し、共感し、そこに自らが歩むための「道標」を見出したことは、少なくとも主観的には間違いない事実なのである。或る時マーラーは「音楽」について以下のようにナターリエ・バウアー=レヒナーに語ったようだが、それがこの私の寸法に合わせて如何に矮小化されたものであったとしても、創り手が語った通りのものを、私もまたその音楽に見出したのである。

「音楽は、常にある憧憬を含んでいなくてはならない。それは、この世界の事物を越え出ようとする憧れだ。すでに子供の頃から、音楽は僕にとって何か謎のような、僕を高みに連れていってくれるようなものだった。でも僕は当時、想像力によって、音楽の中になどまったくないような無意味なものまで、そこに押し込んだのだ。」(ナターリエ・バウアー=レヒナーの回想録(1984年版原書p.138, 1923年版原書p.119, 邦訳『グスタフ・マーラーの思い出』, 高野茂訳, 音楽之友社, pp.301-2)

 そして彼がそこに見出したのは、単なる耳の娯楽、美しく快い音響の系列ではない。これまたシュトックハウゼンが指摘している通り、その音楽は極めて幅の広いスペクトルを有しており、時として醜さや耳障りな音すら敢えて避けることはなく、寧ろそれは作品を創り出した人間が認識した「世界」の複雑さ、多様性の反映なのである。更に言えばそれは、標題音楽、描写音楽の類ではなく、寧ろ、(ネルソン・グッドマン的な意味合いで)「世界制作」の方法であり、その音楽をふとした偶然で耳にして魅惑された子供は、その音楽を通じて、「世界」の認識の方法を学んだというべきなのだろう。第3交響曲作曲当時のマーラーの以下の言葉はあまりに有名だが、それは肥大した自己に溺れたロマン主義的芸術家の誇大妄想などではなく、文字通りに理解されるべきなのだ。

僕にとって交響曲とは、まさしく、使える技術すべてを手段として、ひとつの世界を築き上げることを意味している。常に新しく、変転する内容は、その形式を自ら決定する。この意味から、僕は、自分の表現手段をいつでも絶えず新たに作り出すことができなくてはならない。僕は今、自分が技法を完全に使いこなしている、と主張できると思うのだけれども、それでも事情は変わらない。(ナターリエ・バウアー=レヒナーの回想録:アッター湖畔シュタインバッハ1895年夏の章(原書p.19, 邦訳『グスタフ・マーラーの思い出』, 高野茂訳, 音楽之友社, p.62)

 それは彼が認識した世界の構造を反映していると同時に、彼の認識の様態をも反映している。第3交響曲に後付けされた挙句、最後には放棄された素朴な標題が告げているように、作曲者はそこでは寧ろ世界「が語ること」に耳を傾け、自らが楽器となって世界が語ることを証言する、いわば霊媒=媒体の役割を果たすことになる。同じ時期にアンナ・フォン・ミルデンブルク宛の書簡に記した以下のマーラーの言葉は、そのことを雄弁すぎる程までに証言している。

 さていま考えてもらいたいが、そのなかではじっさい全世界を映し出すような大作なのだよ、――人は、言ってみれば、宇宙を奏でる楽器なのだ、(…)このような瞬間には僕ももはや僕のものではないのだ。(…)森羅万象がその中で声を得て、深い秘密を語るが、これは夢の中でしか予感できないようなものなのだ!君だから言うが、自分自身が空恐ろしくなってくるようなところがいくつかあって、まるでそれはまったく自分で作ったものではないような想いがする。――すべては僕が目論んだままにもうすっかり出来上がっているのを僕は受け取るばかりだったのだから。」
(1896年6月18日付アンナ・フォン・ミルデンブルク宛書簡に出てくる作品創作に関するマーラーの言葉(1924年版書簡集原書153番, pp.162-3。1979年版のマルトナーによる英語版では174番, p.190, 1996年版書簡集に基づく邦訳:ヘルタ・ブラウコップフ編『マーラー書簡集』, 須永恒雄訳, 法政大学出版局, 2008 では180番(1896年6月28日付と推定), pp.173-4)

 それでは一体、そうした作品を分析するとき、私は何をそこに見出そうとしているのか?なぜ演奏を聴くだけで事足れりとはせず、楽譜を調べ、楽曲分析を参照し、或いは自作のプログラムを用意して、MIDIデータを用いたデータ分析を行うのか?

 対比のために、耳に心地よい音響の系列の分析を考えてみると、この場合の分析の目的とは、なぜそれが耳に快いのかを突きとめることになるだろうか。西欧の音楽であればバロック期の作品や古典期の作品の多くは(勿論、モーツァルトの晩年の作品のような、私にとっては例外と感じられる作品はあるけれども)、そうした捉え方の延長線上で考えることができるだろう。或いはまた蓄積された修辞法(クラングレーデ)に基づく風景や物語の描写、或いは劇的なプロットの音楽化から始まって、ロマン派以降の作品のように、情緒的な心の動きや繊細な気分の移ろいや感覚の揺らめき、雰囲気の描写を行うような音楽もあり、そうした音楽にはその特質に応じてそれぞれ固有の分析の仕方があるだろう。では上記のようにシュトックハウゼンが規定し、創り手たるマーラーその人が語るようなタイプの作品についてはどうだろうか?

 端的な言い方をすれば、所詮は音響の系列に過ぎないものが、どうしてそれを創り出し、或いは演奏し、聴取する「人間」についての情報源たりえるのか?どうしてそれが「一つの世界」の写し絵たりうるのか?「世界」の認識の仕方の反映たりうるのか?ということになるだろうか。それは(勿論、一部はそうしたものを利用することはあっても)特定の修辞法に基づく描写ではないし、主観的な情緒や印象の音楽化に終始することもない。そうした事情を以て、人はしばしばマーラーの音楽を「哲学的」と呼んだりもするが、それが漠然とした雰囲気を示すだけの形容、単なる修辞の類でなく、少しでも実質を伴ったものであるとしたならば、一体、単なる音響の系列が、どのような特徴を備えていれば「哲学的」たりうるのか?

 上記の問いは修辞的、反語的なものではない。つまり実際には「哲学的」な音楽など形容矛盾であり、端的に不可能であって、「哲学的」な何かは音楽に外部から押し付けられたものであると考えている訳ではない。それどころか、私がマーラーの音楽に魅了された子供の頃以来、その音楽には「哲学的」と形容するのが必ずしも不当とは言えないような何かが備わっていると感じて来たし、今なおその感じは変わることなく続いているのである。そしてそれを「哲学的」と形容すること是非はおいて、マーラーの音楽には、それを生み出した「人間」の心の構造を反映した、或る種の構造が備わっているのではないかと考え、そうした構造を備えている音楽を「意識の音楽」と名付けて、その具体的な実質について少しでも理解しようと努めてきたのであった。勿論、マーラーの音楽だけが「意識の音楽」ではないだろうし、マーラーの音楽の全てが同じ程度にそうであるという訳でもなかろうが、私がマーラーの音楽に惹き付けられた理由が、それがそうした構造を備えているからなのではないかという予想を抱き続けてきたのである。

*   *   *

 「意識の音楽」については、既に別のところで何度か素描を試みて来たし、その後大きな認識の進展があった訳ではないので、ここで繰り返すことはしない。その替りにここでは、従来、音楽楽的な分析や、哲学的な分析によって示されてきた知見の中で、「意識の音楽」について、謂わば「トップダウン」に語っていると思われるものを指摘するとともに、MIDIデータを用いた分析のような、謂わば「ボトムアップ」なアプローチとの間に架橋が可能であるとしたら、どのような方向性が考えられるかについて、未だ直観的な仕方でしかないが言及してみたいと思う。

 まず手始めとして取り上げたいのが、マーラーの作品の幾つか、或いはその中の或る部分が備えているということについては恐らく幅広く認められていると思われる、「イロニー」あるいは「パロディー」といった側面についてである。

 私がマーラーに出会って最初に接した評伝の一つ、マイケル・ケネディの『グスタフ・マーラー その生涯と作品』(中河原理訳, 芸術現代社, 1978)では、第2交響曲の第3楽章スケルツォに関連して、以下のように、純粋な器楽によるイロニーの表現の可能性についての懐疑が述べられていて、その後永らく自分の中に問題として沈殿続けていた。

「これは、人間のように耳は傾けるけれど態度は変えない魚たちに説教する聖アントニウスを歌った「角笛」歌曲のオーケストラ版である。この歌と詩は皮肉っぽく風刺的だが、しかし純粋な器楽で風刺と皮肉が表現できるものだろうか?耳ざわりな木管のきしみも風刺を伝えない。そういう意味ではこの楽章は失敗だと私は思う。しかし恐怖と幻滅の極めて力強い暗示をもった、まことに独創的なスケルツォとしては成功している(そしてそのことの方が重要なのである)。」(マイケル・ケネディ『グスタフ・マーラー その生涯と作品』, p.154)

その一方で「パロディー」についてケネディは、第9交響曲第3楽章に関連して以下のように述べている。

「マーラーは、対位法の技法を欠くといって自分を非難した人々への皮肉なパロディーをこめて、この楽章をひそかに「アポロにつかえる私の兄弟たちに」に捧げた。指定は「極めて反抗的に」とあり、実際そう響く。これは短い主題的細胞で組み立てられた耳ざわりで、ぎくしゃくした音楽で、最初の細胞には第5交響曲の第2,第3楽章の音形が反響している。トリオに入ると第3交響曲の第1楽章の行進曲のパロディーがある。こうしてマーラーは自分の諸作品をひとつの巨大な統一に結びつけてゆく。」(同書, pp.221-2) 

 第2交響曲第3楽章は歌曲と異なって、歌詞がある訳ではないので、器楽曲であるそれ自体はイロニーの表現にはならないと述べ、第9交響曲第3楽章についても、言葉による指示(最終的な総譜に残された訳ではないが)について皮肉を認めている一方で、器楽曲作品の主題的音形の引用によるパロディーは認めるというのがケネディの姿勢のようだ。風刺や皮肉は認めていなくても、第2交響曲第3楽章には恐怖と幻滅の極めて力強い暗示を認め、第9交響曲第3楽章についても、耳ざわりでぎくしゃくしているという性質は認めているので、皮肉は言語的なもので音楽だけでは成り立たない一方、音楽がそれ自体で或る種の気分、情態性を示すことができる(ネルソン・グッドマン的には「例示」examplifyということになろうか)と考えているようなのである。

 ここで思い浮かぶのはアドルノが『マーラー 音楽観相学』(龍村あや子訳, 法政大学出版局, 1999)で、マーラーの音楽の唯名論的性格について述べている中で、以下のように述べている箇所である。

彼がしばしば、主題それ自体からはどちらとも判断を許さないままに、「まったくパロディー抜きで演奏」、あるいは「パロディーで」というように指示したということは、それらの主題が言葉によって高く飛翔する緊張を示している。音楽が何かを語りたいというのではないが、作曲家は人が語るかのような音楽を作りたいのだ。哲学的用語との類比で語るならば、この態度は唯名論的と言えるだろう。音楽的概念は下から、いわば経験上の事実から動きを開始する。それは、形式の存在論によって上から作曲されるのではなく、事実を連続する統一体の中で媒介し、最後には事実を越えて燃え出すような火花を全体から発するためである。」(アドルノ『マーラー 音楽観相学』, p.83)

 引用の最初の部分だけとれば、音楽的には同一のものが、言葉の指示によってパロディーであったりなかったりするということだから、その限りでは、音楽そのものは同一でも、それをどう名付けるかが問題だという意味で「唯名論的」という言葉を使っているように見えるが、後続の件や、別の箇所で「マーラーがいつもどのように作曲するかは、伝統の秩序の原則にではなく、その曲独自の音楽内容と全体構想に従っている。」(p.56)と述べていたり、「形式のカテゴリーをその意味から演繹する」「実質的形式論 materiale Formenlehre」(一般には素材的形式論とも)について述べるくだり(p.61)などを考え合わせると、寧ろ、個別の作品毎に各部分が担う機能に基づいて、いわばボトムアップに形式が規定されるといった側面が強調されているようにも見え、この水準は、音楽とそのメタレベルに位置する言語との関係ではなく、一般の抽象的形式カテゴリーと実質的カテゴリーとの関係が問題になっているのであって、実質的なものは抽象的カテゴリーと並行しているか、さもなくば下位に位置するものとされているのである。もし後者の立場に立つならば、ある主題がパロディーか否かというのは、音楽そのものによっては決定不可能であり、作曲者がそれにどのような指示を言葉によって与えるかで決まるという訳では必ずしもなく、寧ろ、個別の作品の音楽の脈絡に応じた、その主題の意味するものによって決まるということになるだろう。アドルノがモノグラフ冒頭で、「マーラーの交響曲の内実を明らかにするためには、作曲法上の問題にのみとらわれて作品そのものをおろそかにしてしまう単なる主題分析のような考察では不十分である」(同書, p.3)と述べているのは、こうした見方に由来しているのである。

 ケネディの言う通り、一般的には「イロニー」は、言語的なものを媒介としており、マーラーの音楽における歌曲と器楽曲の往還を考えれば、マーラーの音楽はそもそも言語的なものの侵入を受けており、それを抜きにして内実を捉えることはできないという見方ができる一方で、アドルノが指摘するような音楽内部における形式的カテゴリーと実質的カテゴリーの重層性を認めるならば、音楽そのものに内在するこうした複数の層の存在とその重なり合いがマーラーの音楽の重要な特徴の一つであると考えることができるように思われる。この点に関連してアドルノが

「マーラーの音楽は、あらゆる幻影に敵意を抱きつつ、芸術それ自体がそのようなものと成り始めた非真理から自らを癒やすために、かえって自身の、本来のものではない性格を強調し、虚構性を力説する。このようにして形式の力の場の中に、マーラーにおけるイロニーとして知覚されるものが生じている。(…)新しく作られたものの中にある既知のものの残像は、彼の場合には、どんな愚鈍な者の耳にも聞こえてくる。」(同書, p.42)

と述べていることを書き留めておきたい。そしてアドルノが言うように「マーラーがいつもどのように作曲するかは、伝来の秩序の原則にではなく、その曲独自の音楽内容と全体構想に従っている」(同書, p.56)のであれば、特に実質的カテゴリーについては、音楽が謂わば庇を借りている伝統的な楽式よりも寧ろ、個別の作品の具体的な経過を追跡することによって明らかになる各部分の機能に基づいて同定されるものであるということになりそうである。ここに伝統を蓄積のある音楽学的な楽曲分析とは別に、MIDIデータを用いた分析を行うことによって、直ちにという訳には行かなくとも、将来的にはマーラーの音楽の内実を解明することに寄与する可能性を見ることができるのではないかと考える。

 「パロディー」についても、引用の元となる文脈と、引用された文脈との間のずれが持つ意味によって決定されるということになる。上に引いた第9交響曲第3楽章の例の場合、元となる第5交響曲第2楽章なり第3交響曲第1楽章なりの部分と比較した時、それを引用したロンド・ブルレスケにおいて疑いなく感じ取れる、ケネディ言うところの「耳ざわりで、ぎくしゃくした」感じは、主題的細胞の和声づけや楽器法に加えられた変形によってもたらされる部分が多く、これは広い意味合いにおいては、アドルノの言う「ヴァリアンテ(変形)」(Variante)の技法によるものと考えることができるだろう。「小説と同様に、定式から解放された個々のものが、いかにして形式へと自らを造り上げ、自律的な連関をわがものとするか、ということが、マーラーに特有の技術上の問題となる。」(同書, p.110)のに対して、「マーラーのヴァリアンテは、常にまったく異なると同時に同じであるような叙事詩的・小説的なモメントに対する技術上の定式化である。」(同書, p.114)と「ヴァリアンテ(変形)」は位置づけられている。続けて例として取り上げられるのは「歩哨の夜の歌」における和声進行における変容なのだが、してみれば、いずれはヴァリアンテの分析に繋がるものとして、さしあたりは予備的なレベルのものであれ、和音の遷移の系列に分析することには一定の意義があるのではないかと考えたい。そして「ヴァリアンテ(変形)」の手法がソナタ形式や変奏曲形式という伝統的図式に反して、その音楽の内実に即した実質的な形式原理にまで徹底された例として挙げることができるのが、第9交響曲の第1楽章である。

「様々な技術的処理方法は、内実に合致したものとなっている。図式的な形式との葛藤は、図式に反する方向へと決せられた。ソナタの概念と同様、変奏という概念も、この作品には適当ではない。しかし、交代して現われる短調の主題は、長調の領域とのその対比は楽章全体を通じて放棄されていないのだが、その短いフレーズが第一主題とリズム的に類似していることにより、音程の違いにもかかわらず第一主題の変奏であるかのように作用する。そのこともまた非図式的である。すなわち、対照的な主題を先に出た主題から別物として構造的に際立たせるのではなく、両者の構造を互いに近寄らせ、対照性を調的性格の対比の面だけに移行させるのである。両方の主題において、ヴァリアンテの徹底化された原則に従い、音程は全く固定化されず、その書法と端に位置する一定の音だけが定まっている。両者に対して類似性と対照性とは小さいな細胞から導き出され、主題の全体性へと譲り渡される。」(同書, pp.200-201)

 ここで述べられているヴァリアンテの具体的様相をMIDIデータを分析することによって抽出することは極めて興味深い課題だが、人間が聴取する場合には難なくできることをプログラムによって機械的に実行しようとすると、たちまちあまたの技術的な困難に逢着することになる。バスの進行や和声的な進行が固定化されている変奏と異なり、ゲシュタルトとしての同一性を保ちつつ、だが絶えざる変容に伴われた音楽的経過を、マーラーが意図したように、或いは聴き手が読み取るように分析することは決して容易ではないが、ニューラルネットをベースとした人工知能技術が進展した今日であれば、これは恰好の課題と言えるかも知れない。同様に、技術的には「ヴァリアンテ(変形)」の技法に関連した時間的な構造として「(…)主要主題の構造もまた、未来完了形の中にある。それは目立たない、レシタティーヴォ風の個性のないはじめの出だしから、力強い頂点にまで導かれる。つまりその主題は自身の結果として成り立つ主題なのであり、回顧的に聞くことによってはじめて完全に明らかなものとなる。」(同書, p.203)と、これもまた第9交響曲第1楽章に関連してアドルノが指摘する「未来完了性」を挙げることができるだろう。事後的に回顧することによって了解される目的論的な時間の流れというのは、現象学的時間論の枠組みにおいては、少なくとも第二次的な把持によって可能となる。第1楽章の総体、更にはこれも因襲的な交響曲の楽章構成に必ずしも従わない全4楽章よりなる第9交響曲全体の構造――それは「小説」にも「叙事詩」にも類比されるのだが――は、更に第三次の把持の水準の時間意識の構造を前提としなくては不可能であろう。

*   *   *

 ここまで、マーラーの音楽の内実を明らかにするためのアプローチとして、言語を媒介とした高度な反省的意識の働きである「イロニー」「パロディー」を手がかりに、マーラー研究の文脈に添うかたちで、アドルノの言う伝統的な抽象的な形式カテゴリーと実質的カテゴリーの重層、更に音楽的経過に含まれる個々の要素の、いわば自己組織化的な形式化の具体的方法としての「ヴァリアンテ(変形)」の技法、それが可能にする時間論的構造としての未来完了性を取り上げてきた。ここで留意すべきと思われる点は、未来完了性のような時間的構造にせよ、アドルノが「小説」や「叙事詩」に類比するような構造にせよ、マーラーの音楽の特質と考えられるものは、高度な反省的意識を備え、自伝的自己を有する「人間」の心の構造の反映と見做すことができるということであり、総じてマーラーの音楽は、そうした意識が感受し、経験する時間の流れのシミュレータと捉えることができるのではないかということである。そしてそうした観点に立った時に、高度な反省的意識の働きの反映と見做すことができる側面として、更に幾つかの点を挙げることができるだろう。ここではその中で、高度な反省的意識を備え、自伝的自己を有する「人間」の心の構造の成立の、実は前提条件を為している、「他者」の働きに関わる特性として、調的二元論に基づく対話的構造、これも伝統的な規範からは逸脱する傾向を持つ対位法による複数の声の交錯、更にはシェーンベルクがマーラーを追悼したプラハ講演において以下のように指摘する「客観性」について目くばせするに留めたい。

 そこ(=第9交響曲:引用者注)では作曲者はほとんどもはや発言の主体ではありません。まるでこの作品にはもうひとりの隠れた作曲者がいて、マーラーをたんにメガフォンとして使っているとしか思えないほどです。この作品を支えているのは、もはや一人称的音調ではありません。この作品がもたらすものは、動物的なぬくもりを断念することができ、精神的な冷気のなかで快感をおぼえるような人間のもとにしかみられない美についての、いわば客観的な、ほとんど情熱というものを欠いた証言です。

(シェーンベルクのプラハでの講演(1912年3月25日)より(邦訳:酒田健一編,『マーラー頌』, 白水社, 1980 所収, p.124)

 と同時に、ここでは「動物的なぬくもりを断念することができ、精神的な冷気のなかで快感をおぼえるような人間」にしか可能でないと指摘される「客観性」が、一方では既に触れた第3交響曲の創作についてマーラー自らが語ったとされる言葉に含まれる「…が語ることを」書き留めるという受動性に淵源を持ち、他方では「小説」的、「叙事詩的」な語りを可能にするような意識の構造に由来し、ひいてはモノグラフ末尾で「マーラーの音楽は、彼の表現として主観的なのではなく、脱走兵に音楽を語らせることにによって主観的なものとなる」(アドルノ『マーラー 音楽観相学』, p.214)とアドルノが指摘する点に繋がるであろうこと、マーラーの音楽の内実を明らかにしようとする企ては、「作品のイデーそのものではなく、その題材にほかならない」「芸術作品によって扱われ、表現され、意図的に意味されたイデー」(同書, p.3)にしか行きつかない標題の領域をうろつくことなく、こうした構造の連関を浮かび上がらせるものでなくてはならないということを主張しておきたい。

*   *   *

 上記のような点を仮に大筋認めた上で、だがしかし、具体的に為されたデータ分析の結果が、一体どのようにして上記のような問題系に繋がり、それを説明したり論証したりすることに関わるのか?という疑問は全くもって正当であり、率直に告白するならば、その具体的な道筋が朧げにでも予感できているといったレベルにすら程遠いというのが偽らざる現状であることは認めざるを得ない。

 そのことの困難さを端的に述べるために、問題を非常に簡単なかたちにして示してみよう。MIDIデータを用いたデータ分析について言えば、MIDIデータに含まれる音の系列に基づいて、そうした音の系列を産み出すためにはどのようなシステムが必要か、どのような規則(群)が、どのような構造が必要かという問題を解いていることになるが、それは例えば制御理論における逆問題の一種で、実現問題と呼ばれるような問題設定、系の挙動から、系の内部構造としての状態空間表現を求める問題に似たものとして捉えることができるだろう。つまり、マーラーの作曲した作品を生成するようなオートマトン、「マーラー・オートマトン」を設計する問題として捉えてみるのである。これに似た問題設定として、マーラーの作品の音の系列を与えて、似たような音の系列を生成するニューラルネットワークを学習させる機械学習の問題を考えてみるというのもある。後者についてはGoogle Magentaのようなツールを、Colaboratoryのような環境で動かすことによって比較的容易にやってみることが可能で、本ブログでも特に第3交響曲第6楽章を用いた実験を実施し、その結果を公開したことがあるが、話を単一作品(楽章)に限れば、更に試行錯誤を重ねればある程度の模倣はできそうな見通しは持てても、多様で複雑なマーラーの作品を模倣した音の系列を生成する機械を実現すること自体、容易なことではなさそうである。(これを例えばバロックや古典期の「典型的」な作品の生成と同一視することはできない。それらは寧ろ大量生産・消費される製品に近いものであり、それらと「唯名論的」に、個別の作品毎に、その内容によって実質的な形式が生成していくマーラーの作品との隔たりは小さなものではないと考えられる。同じことの言い替えになるが、機械学習にせよ、統計的な分析にせよ、マーラーの作品は、――冒頭に触れたシュトックハウゼンの指摘が或る意味で妥当であるということでもあるのだが――作品の数の少なさに比べて多様性が大きいし、その特性上、単純にデータの統計的な平均をとるようなアプローチにそぐわない面があるように感じられる。人間の聴き手、分析者は、何某かフィルターリングや変換を行った上で、抽象的な空間でデータ処理を行っているように感じられるのだが、ではどのようなフィルタリングや変換を行い、分析を行う空間をどのように定義すればいいのかについて具体的な手がかりがあるわけではない。)

 そこでいきなり「マーラー・オートマトン」を生成する問題を解くような無謀な企ては控えて、マーラーの作品の構造を分析することに専念したとして、そもそもマーラーの音楽の持つ複雑な構造そのものを、その内実に応じた十分な仕方で記述するという課題に限定してさえ前途遼遠であり、ここでの企てがそれを達成しうるかどうかについて言えば、率直に言って悲観的にならざるを得ないというのが現実である。マーラーの作品が「意識の音楽」であると仮定して、そこにどのような構造があると仮定すれば良いのかすら明らかではない。カオス的な挙動を想定した分析をすれば良いのか?(具体的には例えばリャプノフ指数を求められばいいのか?だが、カオス的な挙動そのものはごく単純な力学系ですら引き起こすことができるものであり、仮にある音楽作品にカオス的な挙動が観察されたとして、それが意味するところは何かは良くわからないが、それでもなおそれがマーラーの作品の何らかの特性に関わる可能性を考えてやってみることになるのだろうか?)、オートポイエーシスやセカンドオーダー・サイバネティクスのようなシステムを仮定して、それらが備えている(例えば自己再帰的な)構造を仮定した分析をすれば良いのか?

 だが恐らく、自己再帰的な構造というだけならば「意識」の関与について必要条件であったとしても、十分条件ではないだろう。つまり自己再帰的な構造は、自己組織化システム一般の備えている特徴であって、それが「意識」の関与の徴候であるわけではないだろう。或いはまた、それは高度な意識を備えた作曲者の「作品」であることを告げていることはあっても(例えばバッハの「フーガの技法」のような主題の拡大・縮小を含んだ高度な対位法的技術を駆使した作品を思い浮かべてみれば良い)、それはここでいう「意識の音楽」の特徴とはまた異なったものであり続けるだろう。寧ろ例えば、文学作品における普通の叙述と「意識の流れ」の手法との対比のようなものとの類比を考えるべきなのだろうか?ある叙述が「意識の流れ」であるというのは、どのようにして判定できるのだろうか?そしてここでは「音楽」が問題になっているのであれば、それは「音楽」に適用することが可能なものなのか?(これはそれ自体マーラーの作品を考える時に興味深い論点だろうが)「意識の流れ」と「夢の作業」に共通するものは何で、両者を区別するものは何か?こうした問いを重ねていくにつれ浮かび上がってくることに否応なく気づかされるのは、結局のところ「意識の音楽」の定義そのものが十分に明確ではないということである。だがその少なからぬ部分は恐らく「意識」そのものに由来するものではなかろうか?その一方で、このように考えることはできないか?すなわち、「意識の流れ」の定着は、それ自体は「意識的」に組み立てられた結果というより、無意識的なものを整序せずにそのまま定着させようとした結果なのだが、そこには高度な意識の介入があって、「無意識的なものを整序せずにそのまま定着させる」という所作自体は、高度にメタ的な「意識の運動」ではないだろうか?そうした操作の結果が音楽的に定着されたものを「意識の音楽」と呼ぶのではなかったか?

 「意識の音楽」の何らかの徴候を、MIDIデータの中に見出そうという試みが、そもそも初めからかなり無謀な企てであることは否定できない。困難は二重のものなのだ。「意識」がどのような構造がどのように作動することで成り立つかがそもそもわかっておらず、十分条件ではなく、良くて必要条件に過ぎない条件として、セカンドオーダーサイバネティクスやオートポイエーシスのような概念が提示されている、という状況がまずあり、更に直接「意識」そのものと相手にするのではなく、「意識」を持った存在が生産した作品を手がかりに、そこに「意識」を備えた生産主体の構造が反映されていることを見出そうとしているわけで、従って、仮説の上に仮説を重ねるこの企て自体、そもそも無理だとして否定されても仕方ない。そんな中で、限られた手段と資源でとにかくデータに基づく定量的な分析を行おうとすれば、「街灯の下で鍵を探す」状況に陥ることは避け難く、一般に「マクナマラの誤謬」と呼ばれる罠に陥ってしまう可能性は極めて高いだろう。けれども、だからといってデータに基づく分析を放棄してはならないし、簡単に測定できないものを重要でないとか、そもそも存在しないと考えているわけでは決してなく、そういう意味では、できることを手あたり次第やる、という弊に陥りはしても、「マクナマラの誤謬」の本体については回避できているというように認識している。

 三輪眞弘さんの「逆シミュレーション音楽」であれば、それをシュトックハウゼンの宇宙人が解読しようとしたとき、規則によって生成された音の系列そのものだけでは、それが「人間」の産み出したものであるかどうかの判定はできない。自然現象でも同じ系列が生じることは(マーラーの場合とは異なって)あり得るだろう。だけれども、残り2つの相があることで。それは「人間」が産み出したものであり、人間についての情報を与えてくれるものとなっているというように言えるのだと思う。「五芒星」の音の系列そのものからは「人間」は出てこない。でも同じ音の系列をマトリクスとして、あの3つのヴァリアントを産み出すことができるのは「人間」だけなのだと思う。

 翻ってマーラーの場合だって、或る作品の或る箇所だけ取り出せば、それを機械が模倣することは可能だ。だけれども、マーラーの作品の総体ということになると、しかも、既に存在する作品の模倣ではなく、新たにそれを産み出すということになれば、それを産み出す機械は、「人間」と呼ばれるものに限られるということになるのではないか?

 これも前途遼遠な話ではあるが、或る作品単独での特徴ではなく、例えば一連の作品を経時的に眺めた時に見られる変化であれば、それを産み出す「主体」に、所詮は程度の差であれ、もう少し近づくことができるのではないかというような当所もないことを思っている。牽強付会にしか見えないかも知れないが、その「主体」が成長し、老いる存在なのだ、ということが読み取れるならば、それには一定の意義があるのではというように思うのである。人間が成長し、老いていき、その結果「晩年様式」なるものが生じるというのは、「人間」についての水準では既に自明のなのかも知れないが、だからといってデータ分析によって経年的な変化が読み取れることを、初めから答えがわかっていることを跡付けているだけとは思わない。例えばの話、具体的にその変化が、どのような特徴量において現れるかは決して自明なことではないし、データ分析はすべからく、分析者の仮説とか思い込みとかから自由ではあり得ない。完全に中立で客観な分析というのは虚構に過ぎない。

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 最初はマーラーの作品における調的な遷移のプロセスを可視化することを目的として、そのための入力データとしてMIDIファイルを使うことにしたのがきっかけで、その後、特に和音(実際には機能和声学でいうところの和声ではなく、ピッチクラスセットに過ぎない。以下同じ。)の出現頻度を用いてクラスタリングや主成分分析を行い、マーラーの作品に関して、幾つかの知見を得ることができた。その後和音の状態遷移パターンに注目してパターンの多様性の分析やエントロピーの計算を行い、そこでも若干の知見を得た後、直近ではリターンマップの作成をしているが、今後、どのような観点での分析を進めたら良いのかについて明確な見通しが持てているわけではない。本稿はそうした或る種の行き詰まりの中で、何か少しでも手がかりが得られればと考えて始めた振り返りの作業の一環として執筆された。ここまで執筆してきて、特段新たな発見のようなものがあった訳ではないが、従来より蓄積されてきたマーラーの作品固有の特性に関する知見と、MIDIデータを用いたデータ分析のようなボトムアップな分析とのギャップを具体的に確認することが出来ただけでも良しとせねばなるまい。

 ギャップを埋めるにはどうすればいいかについても具体的な道筋を手にしているわけではなく、特に最後に述べた具体的な楽曲の構造そのものに「老い」を見出す作業については、一体どのようなアプローチで楽曲を分析を進めていったら良いかについての見通しすら現時点では立てていないことを認めざるを得ない。だが最後に、漠としたものではあるけれども、朧気に浮かんでいるアプローチの仕方について、簡単に述べておきたい。ポイントはまず、意識が基本的に「感じ」についてのものであり、「感じ」は有機体の「ホメオスタシス」に関わるというソームズやヤーク・パンクセップ、ダマシオの立場に依拠すること、更に「ホメオスタシス」という概念に注目し、ソームズ=フリストンの意識に関する自由エネルギー理論に依拠することに存する。これはマーラーの音楽を「意識の音楽」、「時間の感受のシミュレータとしての音楽」として捉えようとしているからには、ごく自然な選択であろう。いきなり作品そのものにアプローチするのではなく、一旦まず意識についての定量化可能な理論を出発点にとり、音楽作品を意識を備えた有機体に対する入力でもあり出力でもあるものとして位置づけることによって、単なる音響の連なりではない音楽に意識の様態がどのように映り込み、また音楽を聴くことで意識がどのような振舞をするのかを定量的に捉えるアプローチをしてみようということである。自由エネルギー理論のような機械論的な説明に依拠することのここでのメリットは明らかで、そうすることによって作品を「マーラー・オートマトン」の出力と見做し、オートマトンの挙動を理解するという発想が単なる比喩ではなく、具体的なモデル化や分析の道具立てが備わったものとなる可能性が開ける。

 現時点で思い描くことのできる見取り図としては、「老い」についてのシステム論的な定義においてはホメオスタシスやエントロピーの観点から「老い」が捉えられていることから、ソームズ=フリストンの「自由エネルギー原理」に基づく「意識」の説明(これもホメオスタシスやエントロピーに深く関わっていることに思い起こされたい)をベースにし、上記のアドルノやReversのカテゴリの記述を意識にとっての「感じ」という観点から捉え直し、更には自由エネルギー原理的に翻訳することによってデータ処理可能な記述に変換し、楽曲の動力学的なプロセスの中にそれらを探っていくという道筋が浮かんではいる。楽曲のプロセスに「老い」や「老いの意識」を見出す以前に、まず「老い」の自由エネルギー理論的説明が必要であり、その上で「老いの意識」についても同様の説明があってようやく、それが音楽作品の構造や過程にどのように例示(examplify)――ネルソン・グッドマンの言う意味合いで――されうるかの検討に取り掛かることができるようになるだろうし、その時ようやく「晩年様式」の実質について語ることが出来る語彙が獲得できたと言いうるだろう。そして「晩年様式」の実質を語れるのであれば、「意識の音楽」、「時間の感受のシミュレータとしての音楽」としてマーラーの作品を分析する手段は既に手に入ったことになるだろう。ちなみに上記では単純化のためにホメオスタシスにのみ言及したが、フリストンの「自由エネルギー原理」の重要な帰結として、人間の脳はホメオスタシス的な動きだけではなく、アロスタシス的な振る舞いを行うことが示されている。またパンクセップによっていわゆるデフォルトモードの情動がSEEKING(探索)であることが指摘されている。ここから創造性や「憧れ」といったものについて語る可能性も開けているように思われる。だが、この道筋を具体的に展開して実際の分析にまで繋がるレベルに到達するのは前途悠遠の企てであり、その実現には程遠いというのが現状である。

 そのギャップを埋める作業は、自分自身の手に負えるようなものではなく、ここでは問題提起を行うだけで、未来の優秀な研究者に委ねられているとしても構わない。寧ろこの問題設定を引き継ぎ(実際の作業は全く違うアプローチで勿論構わないが)いずれの日にか、マーラーの音楽の内実を捉えた分析が、具体的なデータに基づいて行われることを願って本稿の結びとしたい。(2024.8.16 初稿, 8.21, 28追記, 12.19末尾に追記, 2026.9.8更新)

2025年7月17日木曜日

ヴィーチェスラフ・ノヴァークから見たマーラー(2025.7.16-17, 8.5改訂)

 南ボヘミア出身の後期ロマン派の作曲家、ヴィーチェスラフ・ノヴァークの音楽に接したのは、音楽の録音の記録媒体がLPレコードからCDに替わってしばらくしてからの頃のことだったと記憶する。そもそも私がノヴァークの音楽を聴いてみようと思ったのが、中学生の子供の頃から私の偶像=アイドルであったマーラーの音楽のあまりの「流行」現象に嫌気がさして、マーラーの音楽を聴くのを一時期すっかり止めてしまったことに起因するので、1990年代に入って間もなくくらいの頃だったのではなかったか。頼まれもしないのにマーラー自身の、妻に宛てた書簡(1902年2月ゼメリング発)に記された、極めて限定された文脈で発せられた負け惜しみの類に過ぎない言葉を乗っ取った「私の時代が来た」などというコピーの下、コマーシャリズムに担ぎ出されるという状況に嫌気がさし、地方都市の中で生きていた時代から、地方都市から都心に通う大学生活、更にその後は通勤圏内の独身者寮から都心のオフィスに通うようになった環境の変化があって、ようやくコンサート会場でマーラーの音楽に接することができるようになったはものの、バブル期の世相もあって音響的にクオリティの高いコンサートホールが競うように出現した時期でもあり、マーラーは恰好の集客=動員の素材とされ、それまでは西欧音楽の主流からは奇異の目をもって見られた傍流の、今日風には「オタク」が聴くものであったのが、既にマーラーその人の時代に彼の地ではそうであったように、一世紀遅れてようやく極東の島国でも「社交場」に鳴り響くこととあいなって、マーラーの音楽がまさにそのために書かれたにも関わらずコンサートの雰囲気に堪え難さを感じたことが決定的だった。

 当時は日本マーラー協会という団体があって、時折送られてくる会報を読むだけの幽霊会員に過ぎなかったとはいえ、私も一応会員ではあったのだが、会長の山田一雄さんが亡くなられ、事務局長をやっておられた桜井健二さんが退かれるとともに活動があっという間に停滞し休止に至ったのもその時期だったのではなかったか。マーラー像も時代に応じて変わっていく訳で、当時のマーラーは19世紀末の退廃の中、悲劇的な生涯を送り、厭世観に満ち、己れの弱みをさらけ出す自伝的な音楽を書いた二流の作曲家というかつてのイメージから脱して、19世紀円熟期のウィーンの文化を代表し、その中心に位置する宮廷・王室歌劇場のスター指揮者であり、ウィーン分離派のサークルの中で育ち、作曲さえ試みた美貌の妻の存在もあって同時代の文化史におけるアイコンとして位置づけられ、新ウィーン楽派に精神的な指導者として仰がれて20世紀を予言するような音楽を書いた予言者で、時代がやっと追いついたといった持ち上げれ方をしたのだったが、そうした見方にも一理はあって、マーラーが自己の能力を恃んで信念を貫き通して達成した成果は凡人の能くするところではないし、芸術的な成果は措いて世間的に見てもセレブリティ、成功者であることは疑いない。子供の頃とは違って、自分の能力や気質について否応なく自覚的にならざるを得なくなった私にとってマーラーはあまりに偉大過ぎて、その「公的な」人物像と音楽の間に謎めいたギャップのある、距離感の測り難い存在となっていたのである。

 だがそれだけでは、辿り着いた先が他ならぬヴィーチェスラフ・ノヴァークの音楽であることに理由にはならないだろう。では何故ノヴァークだったのかという最大の理由が、スプラフォンの国内盤のCD(だからリーフレットも当然日本語である)で丁度その頃、どういう偶然によってか纏まってリリースされたノヴァークの音楽そのものから受けた印象であることは当然のことだが、特にその中でも『南ボヘミア組曲』Jihočeská svita, op.64 に定着された風景が、その頃の自分にはその中にいることで静けさに満ちた深い慰めを得ることのできるかけがえのないものであったことが決定的であった。

 私は作品を、その作品が生まれた社会的・文化的文脈に還元して事足れりとする立場には明確に反対である(そもそも一世紀近く後の異郷の人間である私がそれを聴くからにはそれは明らかなことで、一世紀分遅れて地球半周分隔たった位置に自分がいることもそっちのけで異郷の過去についての蘊蓄を垂れる等、笑止の沙汰ではなかろうか)一方で、作品だけが重要でその作品を書いた人間のことなどどうでもいいとも全く思わず、恐らくはゲーテの考え方に影響されたマーラーの、作品を生み出す人間の行為の方が大切であって作品は謂わば抜け殻のようなものに過ぎないという考え方(1909年6月27日付、トーブラッハ発の妻宛て書簡)に寧ろ共感するし、そのことは全てを作者の伝記的な出来事に還元してしまう伝記主義を意味するわけではない、そればかりか伝記的事実に勝って作品自体こそが、痕跡としてであれ、或いは痕跡であるからこそマンデリシュタム=ツェランの言う「投壜通信」の媒体として、時間を超えるのではなく時間の中を通り抜けて或る日、それが打ち寄せられた波辺で拾い上げた者こそが名宛人であるという主張に通じるものと考えてきたから、ノヴァークの場合も例外ではなく、その作品への興味は直ちにノヴァークその人への関心へと繋がったのだが、今でこそWeb上で様々な情報にアクセスできるとはいえ、当時は未だその発達の初期にあってノヴァークについての情報は乏しく、紙媒体のニューグローヴ世界音楽大事典のノヴァークについてのエントリがほぼ唯一の情報だったと記憶する。かなり長いことコピーとして持っていたが今は既に手元にはないその記述には、幼い日に父を喪ってからの経済的な苦労や、その後の精神的な危機、それに対する救いとなったチェコ各地を巡っての民謡採集についての言及があったと記憶するが、13歳の時からの偶像=アイドルであったマーラーを聴くことを止め、盲目的な熱中の最中では気付くことのなかったマーラーと自分の間の途轍もない距離、比類ない能力とそれを十分に発揮する気質を備え持ち、世俗的な意味合いでもセレブリティとなったマーラーと己の間に広がる深淵に今更ながらに気付くといった己の愚かさに絶望さえしていた私は、そうした伝記的記述から垣間見えるノヴァークが被った傷の痕跡をその作品に見出し、森や池や草原といった風景にノヴァークが感じ取った慰藉を作品を聴くことを通じて我が事ととして感じ取ったのだと思う。

 ノヴァークはドヴォルザークの弟子であり、ヨゼフ・スークとマスタークラスでの同門ということになる。初期の室内楽はドヴォルザーク・ブラームス的で和声的にも保守的である一方、自分が採集した民族音楽を素材として使用し、雰囲気には寧ろスメタナの室内楽を思わせる切迫感があるが、その後の作品となると、2曲のバレー・パントマイムのための音楽に代表されるようなフランス印象派の影響が感じられる作品があるかと思えば、交響詩等では寧ろシュトラウスを思わせるような響きの作品もあって多様性に富む。共通するのは形式の面で堅固で構築的であることで、素材の節約の下でも音楽が弛緩することはない。人口に膾炙しているのはもともとピアノ連弾のための作品として作曲されたものを作曲家自身が小管弦楽用に編曲した『スロヴァツコ組曲』であろうが、音画風でわかりやすく曲ごとの変化に富んだこの作品よりも、同じCDに併録された『南ボヘミア組曲』のユニークな時間の流れ方、単なる雰囲気の変化や対比ではない、組曲を構成する楽曲の間にある意識の位相の違い(組曲前半の直接経験される現在と回想される過去に対して、組曲後半の社会的・理念的なものの侵入、即ち歴史的過去と未来への眼差しという重層性)など、ノヴァーク独自の音調が聞き取れるのは明らかにこちらであろう。

 だがそれにしても何故、19世紀末から20世紀前半にかけてのチェコの作曲家なのかという問いに答えるのは今度は比較的容易い。既述の通り子供の頃の私の偶像=アイドルはマーラーだったが、マーラーは自らについて三重の意味で異邦人であると述べている。曰く、オーストリアの中のボヘミア人、ドイツの中のオーストリア人、世界の中のユダヤ人。一般にはマーラーがユダヤ人であり、生前既にウィーンで活発であった反ユダヤ主義に遭って本人が辛酸を舐めたのみならず、死後はその作品がナチスによって非アーリア音楽として演奏禁止となる時期もあった点に強調が置かれがちだが、その一方でマーラーを巡る議論の中では、マーラーの音楽とボヘミアの音楽の親近性についての指摘もしばしば為されている。LPレコードの時代の到来、ステレオ録音の普及と時を同じくして競うようにして始まったマーラー交響曲全集録音のプロジェクトの中には、チェコ出身で第二次世界大戦後のチェコの共産化に反対して亡命し、晩年になってビロード革命による共産党政権の崩壊により劇的な里帰りを果たし、一旦引退した後にも関わらずプラハの春音楽祭でカムバックしてスメタナの『我が祖国』を指揮したラファエル・クーベリックが西側にあって首席指揮者を勤めて以降、長きにわたって良好な関係にあったバイエルン放送交響楽団によるものがあるし、その後を追うようにして、当時は「東側」であったチェコスロヴァキアでもチェコ・フィルハーモニーがヴァーツラフ・ノイマンの指揮の下でマーラー交響曲全集を完成させている。これは良くある話でクラシックの聴き始めにドヴォルザークの『新世界』交響曲を聴いて魅了された子供であった私は、父親がFM放送をエアチェックしながら録音したカセットテープの中に同じドヴォルザークの『アメリカ』弦楽四重奏曲を発見し、こちらにもすっかり馴染んでいた一方で、その後しばらくしてフランクの晩年の数曲、更にシベリウスの特に後期交響曲や『タピオラ』を聴くようになった子供が、上記のクーベリック指揮バイエルン放送交響楽団の演奏による第6交響曲と第10交響曲のアダージョのLPを、次いで第3交響曲のLPを、更にFM放送で第7交響曲の録音を聴いてマーラーに親しむようになったが故に、マーラーの音楽の中にボヘミア的なものを聴きとるのは難しいことではなかった。

 ノヴァークは当時のいわゆる「国民楽派」の作曲家にしばしば見られたように、実際に現地に足を運んでボヘミア、モラヴィア、スロヴァツコ、スロヴァキアといった地域の民謡を採集してまわったとされる。学術性の高い取り組みとして有名なのは何といってもコダーイとバルトークの取り組みだろうが、ノヴァークの貢献はとりわけボヘミアとははっきりと音楽的様式を違えるモラヴィア地方の民俗音楽を世に知らしめたことにあり、その限りではこちらは自分自身がモラヴィアの生まれであるヤナーチェクの果たした役割と並んで評価されるもののようである。実はノヴァークはボヘミア人とは言いながら、ボヘミア南部のモラヴィアとの境界に程近いカメニツェ・ナト・リポウ Kamenice nad Lipou の生まれであることもあって、ボヘミアのそれとともにモラヴィアの民俗にも触れうる環境にあったのだが、実はこの点がマーラーの生まれ育った環境と共通するということに気づいたのはずっと後になってのことだった。地図を開いてイフラヴァ Jihlava(往時のドイツ語地名ではイーグラウ Iglau)とカメニツェ・ナト・リポウの位置を確かめるべく、今ならGoogle Mapsで両者を結ぶルートを検索してみるとわかることだが、その間の距離は道沿いに測っても50kmに満たないのである。さすがに今日その距離を徒歩で踏破する人がいるとも思えないが、最も直線に近いルートで道なりに44.5km(直線距離では38km)、所要時間9時間12分というから、朝起きて出発して夕方には辿り着ける距離には違いなく、途中緩やかな起伏はあるものの周囲の風景も大きく変わるわけではなさそうである。マーラーから距離を置くべく見出した筈の音楽が、その表面的な様式的な差異や作曲者の意識の様態の相関物であろう音楽の経過が纏う性格の違いにも関わらず、その客観的な極を構成する風景において相似することにある折にふとに気づいた時、我が事ながら苦笑せざるを得なかったのを思い出す。違いはと言えば、ユダヤ人であったマーラーがドイツ系の同化ユダヤ人の家に生まれたのに対してノヴァークはチェコ人の民族意識が高揚した時期にボヘミアに生まれたチェコ人であったから、両者の間には風景の中の自分の身の置き場所についての感覚の方には大きな違いがあって、マーラーが直面したような水準での疎外にノヴァークが苦しむことは恐らくなかったであろう。但しそれはノヴァークが疎外と無縁であったことを意味する訳ではなく、その気質も手伝って、別の理由による疎外感や絶望感に苛まれることになったようであり、その傷跡は彼の遺した音楽にはっきりと聴きとることができると私には感じられる。

 かくしてマーラーと同様、ノヴァークもオーストリア=ハンガリー帝国の辺境であるボヘミアの中でも更に地方都市の生まれということになろうが、西欧の音楽の伝統におけるボヘミアの位置づけはそれほど単純なものとは言えない。フス戦争後カトリックに支配される時代は、チェコの歴史においては文化的にも民族的なものが抑圧された暗黒時代として捉えられるが、こと音楽について言えば、例えば大バッハと同時代では、その時代のカトリックの宗教音楽の頂点の一つと目される多数のミサ曲で著名な(その作品には大バッハも注目し、高く評価していたことが知られている)作曲家ゼレンカがチェコ人だし、その後の前古典派の時期からマンハイム楽派、更にウィーン古典派の最盛期に至るまでの時期に活躍した作曲家達の中にボヘミア出身者を見つけることは、しばしばチェコ語の名前ではなくドイツ語の名前で知られていることからボヘミア出身であることに気づき難いという事情を踏まえたとして尚、容易いことであろう。直接古典期の音楽様式の確立に寄与した彼ら「旧ボヘミア楽派」と呼ばれる作曲者に対し、19世紀のボヘミア楽派は自分達の民族性・地域性の重視によって特徴づけられる。当時はオーストリア=ハンガリー二重帝国領に含まれる一地域の中心都市の扱いであったプラハでは、かつてモーツァルトが当地で大当たりをとった『フィガロの結婚』を自ら指揮するために訪れて、『プラハ』のニックネームを持つ第38番のニ長調交響曲(K.504)を初演した地であることから窺えるように、永らくドイツ系の作品が上演されていたのだが、19世紀も半ば近くになると自分たちのための劇場を造ろうという機運がチェコ人の間に生じて、まず仮劇場が1862年に設立されるとそこの首席指揮者となったのがスメタナ、そこのオーケストラでヴィオラを弾いていたのがドヴォルザークであり、1881年にようやく落成なった国民劇場の杮落しに上演されたのがスメタナのオペラ『リブシェ』Libuše (1872)である(なお、その直後に一旦火災に見舞われた劇場が1883年に再開された時にも『リブシェ』が上演された)といった具合で、永らく辺境と見なされ、抑圧されたマイノリティであったボヘミア人が、急速な工業化の進展もあって経済的に豊かになったことを背景としたナショナリズムの高調と分かち難い関りを持ち、ドイツ・オーストリア的なものとは対立的であるというのが一般的な認識であろう。(なお1992年以降日本語で「プラハ国立歌劇場」と呼ばれるのは、プラハにおいてドイツ・オーストリア的な作品の上演が行われた新ドイツ劇場のことで、現在は国民劇場の下部組織という位置づけにあるようだ。)

 だがより細かく見れば19世紀のボヘミア楽派との関係とて、決して単純なものではない。当時のボヘミア領の小さな村カリシュトに生まれたマーラーは生後程なくして、ボヘミアとモラヴィアの境に存在するドイツ人の街イーグラウに家族とともに移り住む(田代櫂『グスタフ・マーラー 開かれた耳、閉ざされた地平』には「モラヴィアへの境界を越え」(p.11)とあり、またイグラウを「モラヴィア第二の町」(p.13)としているが、そうであるとして、モラヴィアから見てボヘミアとの境にあるには違いないし、寧ろ社会言語学でいうところの「言語島」(Sprachinsel)、ここではドイツ語のそれであった点の方が重要だろう)のだが、それは同化ユダヤ人が、シナゴーグには依然として通ったとしても、日常はドイツ語を話しドイツ人のコミュニティの中で身を立てることが普通であったことの一例であるようだ。成功した酒造業者であったマーラー家には近郊のボヘミア人、モラヴィア人が使用人として出入りしていたようだから、マーラーは母語として家庭でドイツ語を話し、ドイツ語で読み書きを学ぶ教育を受ける一方で、チェコ語もある程度は理解できただろうし、ボヘミアとモラヴィアの両方の民謡を聞く機会もあって、「神童」マーラーのエピソードとして、与えられたアコーディオンで、自分が耳にした音楽を片っ端から弾いてしまったというものがあるが、その中にはボヘミアとモラヴィアの民族音楽が含まれていたに違いないのである。後年のマーラーがピアノ連弾でチェコの民族舞踏であるポルカを上機嫌で弾いていたというエピソードもあって、チェコの音楽がマーラーにとって極めて身近なものであったことを感じさせる。勿論、マーラーの作品とチェコの民俗音楽の直接的な関わりについての研究もあって、特にVladimir Karbusicky, Gustav Mahler und seine Umwelt は重要な成果とされている。日本語で読める文献としては、ヘンリー・A・リー『異邦人マーラー』(渡辺裕訳, 音楽之友社)の第2章「プラハとウィーンの間に」特にその中の「2. チェコとの結び付き」を挙げることができよう(勿論、カルブシツキの上記研究も頻繁に参照されている)。より直接的な音楽作品間の影響関係としては、例えばドナルド・ミッチェルがスメタナとの関係について論じたものが、Mahler Studiesに含まれるのが比較的アクセスしやすいだろうか。(Donald Mitchell, Mahler and Smetana:significant influences or accidental parallels? , in Stephan E. Hefling, Mahler Studeis, Cambridge University Press, 1997)

 更に後年のマーラーは、ウィーンの宮廷・王室歌劇場監督に至るキャリア・パスの途中で、短期間ではあるけれどプラハの劇場の指揮者を務めることになるが、ワーグナーの楽劇とモーツァルトの歌劇の解釈者として既に名声を確立しつつあった彼の職場は当然ながら落成して間もない国民劇場ではなくて、ドイツ・オペラを主要なレパートリーとする、アンゲロ・ノイマンが初代の監督を勤める新ドイツ劇場であった。その彼がハンブルクに移って親交を結んだのは、くだんのボヘミア楽派の一人である作曲家・批評家のフェルステル(ちなみに妻のベルタはフェルスター=ラウテラーの名で知られたオペラ歌手であり、マーラーの下で歌ったこともあった)であり、彼には自分がボヘミア生まれであって、チェコ語を話せることをアピールしたようだ。何より興味を惹かれるのは、マーラーがウィーンの宮廷=王室歌劇場の監督を勤めていた時代1892年に、スメタナのオペラ『ダリボル』Dalibor (1868) を取り上げたことで、15世紀末のプロスコヴィツェでの反乱に参加した騎士ダリボルの物語が、マーラーが得意とする『フィデリオ』と筋書きにおいて類似していることや、ワグナーの影響が顕著な音楽を持つことから、チェコで物議を醸したのと逆にウィーンでは取り上げやすかったという事情も寄与したのではあろうけれども、当時の状況を考えるに、チェコの伝説に基づく歌劇を帝国の首都で取り上げることは何某かの政治的な意味合いを帯びてしまうことが避けられたなったであろうことを思えば、マーラーのこの作品への愛着がひとしおであったことが窺える。だがオペラ指揮者マーラーのお気に入り、十八番ということであれば『売られた花嫁』Prodaná nevěstaを挙げない訳にはいかないだろう。ローカル色豊かなこの作品は、オーストリア=ハンガリー帝国内では人気があり、それは今日に至るまでドイツ語によるこのオペラの上演が引きも切らない点にも窺える一方で、例えばアメリカでは受け入れられなかったらしいのだが、晩年のマーラーがニューヨークで上演した演目の一つとして『売られた花嫁』が含まれていて、マーラーの熱の入れようはアルマが回想でわざわざ記している程であって、こちらもまたこのチェコの国民的オペラへのマーラーの愛着を窺い知ることができるように思う。一方コンサート指揮者としてのマーラーはドヴォルザークの交響曲をあまり評価していなかったらしいが、交響詩については別であり、『野鳩』Holoubek,op.110を取り上げている他、『英雄の歌』Píseň bohatýrská, op.111については初演者として名を残している。初演ということであれば、既述のフェルステルの第3交響曲の初演もまたマーラーがタクトをとっている。

 彼が指揮者としても高く評価していたツェムリンスキーはマーラーの没後1911年から1927年まで、前任者でマーラーとも関係のあったアンゲロ・ノイマンの後を継いでプラハの新ドイツ劇場の音楽監督として活動したが、そのツェムリンスキーと協力関係にあって、1920年以降は同じ劇場の首席指揮者を勤めたのは、これまたボヘミア楽派の主要メンバーの一人であり、ノヴァークにとってはライヴァルであった作曲家オタカル・オストルチルであった。指揮者としてのオストルチルはベルクの『ヴォツェック』のプラハ初演を実現したことを始めとして、シュトラウスやドビュッシー、ストラヴィンスキーやミヨーを取り上げたことでも知られるモダニズムの擁護者として知られるが、作曲家としてのオストルチルは、スメタナの流れを継ぐフィビフの弟子であった。その芸術的姿勢の支持者の一人に微分音音楽のパイオニアの一人として著名なアロイス・ハーバがいるが、オストルチルとのライヴァル関係もさることながら、ノヴァークの作風からすると意外に思えるかも知れないことに、ハーバは最初はノヴァークの弟子であった。モラヴィアの出身で幼い時から民謡に親しんだハーバは民俗音楽への興味からノヴァークに師事したようだし、そうした来歴から窺えるように、その微分音の使用は、例えば同じく微分音楽の提唱者・理論家として著名なヴィシネグラツキーとは異なって、特にモラヴィアの民謡に見られるオクターブを十二に分割する音階には含まれない音程や、半音以下の微妙な音程の変化から抽象されたものであり、それ故に単なる理論に基づく実験以上の作品を数多く作曲したことや、微分音音楽を演奏するための楽器制作や教育にも意欲的であり、実践的な側面での数多くの成果を挙げたことが知られているが、そうした彼の微分音音楽の実践を支持したのは、こちらは理論上で微分音音楽の可能性を示唆するに留まったとはいえ、その影響力には絶大なものがあったフェルリッチオ・ブゾーニであるが、そのブゾーニもまた熱烈なマーラーの信奉者として(アルマの回想録での印象的な描写も相俟って)有名であろう。

 そうした潮流の中でノヴァークは、既述の通り、一時期は印象派やシュトラウスのような時代のトレンドの影響を受けはしたものの、寧ろその後は時代の流れから身を退いてしまったかのように見える。とはいえ勿論それは出発点への単純な回帰、逆行という訳ではない。一見それは反動に見えるかも知れないが、寧ろ私がそこに見出すのは、気どりや飾り気の無さ、敢えて洗練とか流麗さとかを拒むようなたどたどしくさえある朴訥さである。その表情は寧ろ若き日の室内楽に見られた些か不器用なまでの率直さに再び近づいているようで、確かに自己の基本的な性格に立ち戻ったという点ではその通りであるとしても、ここでは最早現象そのものに無自覚に対峙するのではなく、ゲーテの箴言に言うところの「現象から身を退く」(Zurücktreten aus der Erscheinung) ことに近接するような、自己の主観の働きを客観化するような働きを感じずにはいられない。

 さて、それではヴィーチェスラフ・ノヴァークとマーラーとの間の直接的な関わりについてはどうだったのだろう。年代的には確認できた限りでは1860年生まれのマーラーに対してノヴァークは10年遅れの1870年の生まれ、マーラーはようやく50歳に達した1911年には没しているのに対して、後述するようにノヴァークは第2次世界大戦後まで生き延びて第一次世界大戦後のオーストリア=ハンガリー帝国の終焉とともに誕生したチェコスロヴァキア第一共和国がナチスドイツにより蹂躙されたのが第二次世界大戦後に「解放」される迄を目にすることになるが、おおまかに言ってマーラーの生涯はその前半生と重複するに過ぎない。マーラーがドヴォルザークの交響詩を評価していたのは既に記した通りだが、確認できた限りでは、その弟子筋にあたるノヴァークと直接やりとりをしたという記録はないようである。しかしながら間接的なものならば、日本語訳でも読むことができる1996年版の書簡集の末尾に収められた、1911年2月21日にニューヨークにて書かれたと推測される、ウニフェルザール出版社主のエミール・ヘルツカ宛のマーラーの書簡(464番、邦訳ではpp.464~5)において、マーラーがスークとともにノヴァークに言及していることが確認できるのである。その背景としては、ある時期以降マーラーの作品の出版を集中して引き受けることになったウニフェルザール出版社は或る時期以降(正確には契約の調印は1910年4月20日ないし24日で、期間はその後10年間)のノヴァークの作品の出版にもまた携わっていたという事情がある。実際には書簡の内容のうちノヴァークに関わるのはその冒頭の部分だけなのだが、そこでは恐らくマーラーがヘルツカから借りていたノヴァークとスークの作品のスコアが、手違いによって誤って返却されてしまったことを、事情の説明とともに詫びている。そしてその事情の説明から、スコアを借りていた理由が、ニューヨークでのコンサートのプログラムで取り上げる作品の検討であったことが窺えるのである。マーラーは次のコンサートのプログラムに「ボヘミアの夕べ」という企画を入れ、そこでノヴァークとスークの作品を取り上げる予定であった。書簡集の注釈によれば、返却されたスコアはノヴァークの交響詩「タトラ山にて」とスークの「夏の御伽噺」であり、いずれも前年の1910年に出版されたばかりの新作であった。良く知られているようにこの書簡を書いて間もなくマーラーは、2月21日のカーネギー・ホールのコンサートに熱を押して臨んだのが生涯最後の舞台となり、当時は不治の病であった連鎖球菌による感染性心内膜炎に罹患してしまうので、「次のコンサート」は開かれることなく、この企画は幻のものとなってしまったのである。マーラーがもし存命であれば取り上げられる予定だった作品としては、シベリウスのヴァイオリン協奏曲やアイヴズの第3交響曲「キャンプ・ミーティング」が著名だが、かくしてノヴァークの代表作の一つである交響詩「タトラ山にて」もまたそうした作品の一つだったことが確認できるのである。

 それではノヴァークの側からのマーラーに関する記録の方はどうであろうか?こちらについては、そもそもノヴァークについての邦語資料がほとんどないこともあり、情報は非常に限定されているのだが、私が調べ得た範囲でも、ノヴァークがその晩年に記した回想『自身と他者について(O sobě a o jiných)』の中にマーラーについてのノヴァークの以下のようなコメントが含まれていることが、Lubomír Spurný, "Vítězslav Novák in the Context of Czech Music as a Whole: Thoughts about the Composer’s Fate( Vítězslav Novák v kontekstu češke glasbe kot celote: Nekaj misli o skladateljevi usodi)", 2013という論文を通して知ることができるようだ。

「ドヴォルザークの言葉を使えば、私はマーラーが好きだが、我慢できない。その音楽のどこが好きなのか?それは彼の誠実さだ。彼がどんな感情を表現する場合でも、すべてが強烈に感じとれる。マーラーの二つ目の長所は、旋律の才能だ。彼の提示部は途切れ途切れの動機に依存することは決してない。彼の主題のいくつかは無言歌と呼べるだろう。[…] もう一つ、私が彼について好きな点は、人間としてのマーラーだ。ハンブルク、そして後にウィーンのオペラハウスの監督だったから、それを作曲する能力もあれば宣伝だって出来た筈なのに、彼はオペラを1曲も作曲しなかった。彼はそれを非標題的ないくつかの交響曲で補った。[…] 私が彼の嫌いなところは?それは自己批判の欠如だ。彼は適切なタイミングで曲を終えることは滅多にない。悲しんでいようが、歓喜していようが、彼は止まることを知らない。この過剰さの結果、聴き手は疲れてしまう。これらの作品は長大な上にリズムへの関心と転調が不十分なため疲労感を増大させてしまう。マーラーはしばしば楽章全体を通して同じリズム、時には同じテンポに固執するが、これはリヒャルト・シュトラウスとは対照的だ。[…] マーラーの楽譜を一瞥しただけで、セクション全体が同じ調で統一され、逸脱することがないことがわかる。調号のせいで楽譜は読みやすい。」(引用者による試訳)

 ちなみに上記論文は、ノヴァークの音楽の受容と今後の可能性について考察した Jiří  Fukač の論文「ノヴァークの時代は来るだろう(V.ノヴァーク―様式と受容の問題)(Novákova doba musí ještě přijít (V. Novák – problémy stylu a recepce)」を踏まえ、その問いに対する答を検討するといった枠組みの論文だが、そのきっかけとしてマーラーに関する優れた伝記『グスタフ・マーラー 未来の同時代者』の著者である音楽社会学者クルト・ブラウコップフによる、マーラーに関するシンポジウムの場での発言があったことに言及されている。ブラウコップフは若い頃にノヴァークの弦楽四重奏曲を弾いた経験もあり、 そうした経験を踏まえてマーラーに対するのと同じコメントをノヴァークについてもしたということのようなのだが、上記の引用はそれを踏まえて、だがノヴァークの音楽はマーラーとは異なって、世界的な注目を集めることなく、チェコの音楽の歴史の周縁に位置づけられるに留まっていることの理由として、ノヴァークの音楽がマーラーの音楽と異なって「時代を超越した」ものではないことを指摘した後で、ノヴァーク自身のマーラーとの関係を確認する目的で為されているのである。そして上記引用に続いて、ノヴァークとマーラーにおける引用技法の違いについての比較検討が為される。ノヴァークは引用を行う場合でも徹底した動機的・主題的発展と対位法によって構造の奥深くに織り込むというやり方を採るが、それが彼の音楽の知的な性格をもたらすとともに、その音楽に明確な伝記的な色合い与えるのに対し、引用によって現代的な実存的疎外感を喚起するようなマーラーの音楽におけるあり方とは異質である点が指摘されている。私見によれば、その内容についてはかなり行間を補って敷衍を行う必要があるとは思うが、確かに両者の引用技法の「効果」の違いは明らかだし、分析の方向性には首肯できるものがあり、非常に興味深い内容を含んでいる。

 一般にはチェコのモダニズムの世代におけるマーラー擁護者としては、寧ろノヴァークのライヴァルであったオタカル・オストルチル(既述の通り、プラハの新ドイツ劇場においてツェムリンスキ―の同僚であった)が有名だが、オストルチル自身の音楽は寧ろ新ウィーン楽派に近接し、マーラーの音調とは異質なものであるのに対し、ノヴァークの音楽にはマーラーの音楽との比較対照を誘うものがあるのは確かだと思うし、演奏家の立場からとはいえ、マーラーの側からもノヴァークの作品に関心を示していた証拠が残っているのは、両者の間の関係を考える上で非常に興味深く感じられる。

 いずれにしても、かくしてマーラーの側からも作曲家ノヴァークを評価していたことが確認でき、ノヴァークの側も幾つかの留保を付けつつも、マーラーの作品の或る側面を好んでいたことが窺えるのである。

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 今、こうして遅ればながらノヴァークについて書き留めておこうとする私の記述内容は、だがしかし私という個人限定の私的な「感受」の内容を書き留めたに過ぎないのではなかろうか?またその内容は、それは曾ての私がノヴァークの音楽に聴きとったものと同じだろうか?マーラーから距離を置くための拠点のようなものとしてノヴァークの音楽に接した私は、だがしばらくして後、再びマーラーの音楽への立ち戻った。そしてそうしたことの全てが起きてから最早四半世紀の時が経とうとしていることに気付いて、私はその間に広がる時間の隔たりを前に言葉を喪ってしまう。既述のようにボヘミアの音楽はかつての私にとってごく当たり前のものだったし、ボヘミアの音楽との接触は一度切りのものではなくて断続的なものであった。例えば中学生の私は合唱部に属していたが、(まさか当時私のマーラーへの熱中がその原因とも思えないので)どういう経緯でかコンクールの舞台で合唱指揮をすることになり、その時に選ばれたのが(というからには私が主体的に選曲する自由は与えられておらず、私に合唱指揮をするよう指示した音楽教師による選曲だったのだが)スメタナの『モルダウ』を合唱用に短くアレンジしたものだった。後の私は、既述の「ビロード革命」後の「プラハの春」音楽祭での『我が祖国』に接したことが直接的なきっかけで、それまで腑に落ちなかった「国民楽派」の音楽に漸く自分なりの実感をもって接することができるようになるのだが、中学生の私はそうした思いを抱くこともなく、情けないことには『我が祖国』全曲を聴くことすらない儘、辛うじて原曲の交響詩『モルダウ』のみに接した限りで自分なりの解釈をもってコンクール本番に臨んだのであった。中学生の合唱部で中学生自身に指揮をさせることが珍しかったためか、偶々そのコンクールに審査員として立ち会っていたらしい作曲家の中田喜直さんが、中学生ながらそれなりの解釈を施しての指揮であったことを評価して下さり、指揮の勉強を続けるようにとの言葉を下さったというのを後日、くだんの音楽教師の伝言経由で聞いたのだったが、特段音楽的な環境にいるわけでもない地方都市に住む平凡な中学生にとって、間接的にであれ受け取った高名な(中学の音楽の教科書に必ず載っている合唱曲の作曲家だったから勿論、名前を知らない筈はない)作曲家の言葉は、自分の生きているちっぽけな生活世界の中でリアリティを持つことはなく、後に苦々しい思いとともに思い起こすエピソードの一齣となる他なかった。とまれ偶然の産物とはいえ、ここでもチェコの音楽との例外的な接触があって、私がマーラーへの熱中の背後で後年ノヴァークに出会うことになる背景を形成したことは間違いない。

 更に言えば、こちらはノヴァークの音楽を聴くようになったのと相前後するような時期のことだが、当時石川達夫さんが精力的に翻訳・紹介をしていたカレル・チャペックの作品をかなり纏めて読んだことや、ビロード革命の立役者である劇作家、ヴァーツラフ・ハヴェルが獄中から妻宛てに書いた膨大な書簡(『プラハ獄中記―妻オルガへの手紙』)を読んだり、現象学の研究者としてフッサール、ハイデガーに師事しながら、晩年になってハヴェルとともに「憲章77」Chartě 77 の代表として活動をした結果、官憲に拉致されて長時間の尋問を受けた後に心臓発作を起こして逝去した哲学者、ヤン・パトチカの『歴史哲学についての異端的論考』Kacířské eseje o filosofii dějin (邦訳:みずず書房, 2007)をやはりこれも石川達夫さんの翻訳を通じて接したこと、こちらは美術になるが、偶々チェコの画家フランチシェク・クプカFrantišek Kupka (1871~1957)だけにフォーカスした展覧会(1994年、愛知県美術館・宮城県美術館・世田谷美術館を巡回。私は世田谷美術館で作品に接した)があり、その作品にある程度網羅的な仕方で接する機会があったこともまた、チェコについての関心を広げる役割をしたと記憶する。音楽についても同様で、フィビフ、フェルステル、スーク、マルティヌー、ヤナーチェク、オストルチルやハーバといったチェコ人の作曲家の作品に接するなど、チェコの音楽に接する機会が何故か相対的に多かったことを考えれば、ノヴァークの音楽との出会いもまた、チェコの文化との遭遇の一齣に過ぎなかったという見方も可能だろう。

 既述のようにノヴァークは、本人の誕生からの前半生を、ドイツ人のための神聖ローマ帝国の後継国家であるオーストリア=ハンガリー帝国内においてチェコのナショナリズムが高まっていく中で過ごした。一時取り沙汰されたこともあったらしいチェコ人の自治権を認めた三重帝国こそ実現しなかったが、第一次世界大戦にオーストリア=ハンガリー帝国が敗れて解体することの結果として、チェコ人はひととき独立を獲得する。マサリクに率いられた所謂チェコスロヴァキア第一共和国の成立である。だが第一共和国は、東方からの脅威を防くことを目論むヒトラーのオーストリア併合の次の餌食となってしまい、まずドイツ人が多く居住するズデーテンが割譲され、次いで全体が併合されてしまって第一共和国は消滅する。(この時のヒトラーのやり方は、今まさに起きているプーチンのロシアによるクリミア半島の割譲とドンバス地方への傀儡政権の樹立というプロセスの仕上げとしてのウクライナ侵攻を彷彿とさせる。そのことを考えればプーチンの侵攻の口実がネオナチからの解放を目的とした自称「特別軍事作戦」であることは悪い冗談としか感じられない。)

 第一共和国はミュンヘン協定により戦争回避の生贄として見殺しにされ、おしまいにはチェコ地域(ボヘミアとモラヴィアの主要部分)はベーメン・メーレン保護領として併合されてしまうのだが、『南ボヘミア組曲』はそうした一連の出来事に先立つ1936年から1937年にかけて作曲された。1930年、日本風には還暦を迎えたノヴァークは生誕の地であるカメニツェ・ナト・リポウを訪れる。そのことをきっかけにして、彼は自分が南ボヘミアの田園風景、とりわけ森や池から自分が受け取ったものを改めて認識し、それらに対する応答として『南ボヘミア組曲』を作曲したというのが経緯となる。既に述べたこの作品の特質、即ちユニークな時間の流れ方、単なる雰囲気の変化や対比ではない、組曲を構成する楽曲の間にある意識の位相の違い(組曲前半の直接経験される現在と回想される過去に対して、組曲後半の社会的・理念的なものの侵入、即ち歴史的過去と未来への眼差しという重層性)に関連した、抒情的・印象的な前半2曲と3曲目に置かれたフス教徒の聖歌(『イステブニツェ聖歌集』Jistebnický kancionál 所収で、スメタナの『我が祖国』Má vlast やドヴォルザークの劇的序曲『フス教徒』Hustiská dramatická ouvertura, op.67 で用いられたことで余りに有名な「汝ら、神の戦士よ」Ktož jsú boží bojovníci)との対比もさることながら、この作品が或る種未来を先取りした作品である点に留意すべきであろう。勿論、作品創作の時期には既に後のカタストロフの予兆はあちらこちらに伺えたに違いないが、それにしても、かの白山の戦いでフス派が壊滅してからというものの、或る種黙示録的な予言の如きものとして伝えられ、スメタナの『我が祖国』Má vlast の末尾の連続して奏される2曲「ターボル」Tábor と「ブラニーク」Blaník によって余りにも有名になったあの伝説がここで暗示されているのは、その後のチェコの運命を思えば、予言的とでもいうべきか。

 だが白山の騎士達が現実に出現することはなく、その後のズデーテン割譲から保護領化に至るまでの期間ひととき沈黙するものの、『深淵から』De profundis (1941) と題された交響詩とオルガンと管弦楽のための『聖ヴェンツェラス三部作』Svatováclavský triptych (1941)で作曲を再開したノヴァークは、ナチスの支配下では音楽によるレジスタンスを展開したのであった。よもや待ち望んだ白山の騎士と勘違いしたわけではなかろうが、そうしたノヴァークにとってスターリンが解放者として映ったのは間違いないことなのだろう。1943年に作曲された『五月の交響曲』Májová symfonie と題された独唱、合唱つきの長大な管弦楽曲はスターリンに献呈されており、ナチスの壊滅から7か月後の1945年12月に初演された。戦後まもなく1949年には没するノヴァークが共産党政権に対して親和的であり、「人民芸術家」の称号を得たことについて今日の視点から後知恵で批判することは容易いことだが、ここではその事実を述べるに留めて当否を論じることは控えたい。 

 それとともに、マーラーがチェコ人ではなく、チェコ生まれのユダヤ人であり、ナチスによって「退廃音楽」として演奏を禁止されたという点を踏まえるならば、一頃日本でも話題になった姪アルマ・ロゼの名の傍らに、ホロコーストの犠牲となり、強制収容所でその生を断たれた一連のチェコ生まれのユダヤ系の作曲家の名前を挙げないでいるのはバランスを欠くことになるだろう。シェーンベルクの門下でプラハのドイツ劇場でツェムリンスキーの計らいで指揮者を務める一方で、ハーバにも師事したヴィクトル・ウルマン、やはりハーバの門下であるギデオン・クライン、更にはヤナーチェクの門下であったパヴェル・ハース、ハンス・クラーサといった、テレージエンシュタット強制収容所に送られた後、アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所で殺害されるという運命を辿った作曲家達、同じくナチスにより「退廃音楽」として迫害され、ホロコーストの犠牲となったエルヴィン・シュルホフといった作曲家の存在を忘れてはなるまい。一方で、ノヴァークの弟子であり、微分音音楽の開拓者として当時の前衛であったハーバもまた、ナチス支配下では作品演奏を禁じられ、プラハ音楽院に自ら設けた微分音学科での教育も禁じられることになる。戦後一旦は復帰するものの、今度はスターリニズムの影響下にあった共産党政権によって「形式主義者」として迫害を受け、微分音学科は廃止され、強制的な引退に追い込まれることになる。尤も引退後の彼は作曲の自由を回復することになって逆に本来の前衛的な作風を取り戻し(彼の最後の弦楽四重奏曲である第16番は五分音による)、半ば忘れ去られつつ1973年に世を去る迄実験的な探求を続けたのであったが。

 勿論、だからといって私にとってチェコはまずもってマサリクとチャペックのそれであり、パトチカとハヴェルのそれであることには些かも変わりはない。ハヴェルには「力なき者たちの力」Moc bezmocných (1978)と題された論考があるけれど、まさに「力なき者たちの力」こそが拠って立つべき根拠であるという思いも変わることはない。またチャペックの作品の持つ、後年のSFを遥かに凌ぐ透視力への感歎の思いは、原子力(『絶対子製造工場』や『クラカチット』)、感染症の蔓延と戦争(『白い病』)、ロボットや遺伝子工学、人工知能、人工臓器(『ロボット』、『山椒魚戦争』)や老化(『マクロプーロスの処方箋』)といったシンギュラリティ(「技術的特異点」)を目前にした今日の問題をチャペックが全て予感しているのであれば、寧ろ強まるばかりである。不覚にもごく最近気づいたのだが、「分解」「腐敗」を切り口とするという卓抜な着想と歴史学者としての実証によって今日の問題に対して最も鋭く批判的な応答をしている藤原辰史先生の『分解の哲学』は一章をチャペックに割いており、一読してチャペックと藤原先生双方の着眼の卓抜さに圧倒される思いがしたことを鮮明に記憶している。

 だがもしそうだとして、ビロード革命後にプラハで鳴り響いた『我が祖国』のもたらす感動、チェコ人でもないし、チェコに暮らしたこともない人間の、恐らくは少なくない誤解を孕んだ身勝手な共感は、一体何に対するものなのだろうか?それは幾らでも暴力的に成り得て、「浄化」という名の他者に対する排除、他者の絶滅を正当化する論理が依拠する類の排外的で独善的なナショナリズムとどのように区別されうるというのだろうか?

 勿論そうした問いに対して簡単に答えられる筈もなく、だがだからといってそうした問いを回避して済むわけでもないのだけれども、私にとってのノヴァークの音楽は、出会ってから四半世紀が過ぎた今もかつてと同じ風景を私に見せてくれる。そして四半世紀も遅れてノヴァークの音楽との遭遇についての証言を書き留めておきたいという思いをようやくこのように果たそうと試みた時、自分にとってノヴァークの音楽は或るタイプの「生」のモードに結びついていることを認識せざるを得ない。そしてそのモードはボヘミア楽派のメンバーの一人としてのノヴァークのそれではなく、更にまたその生涯を通じて幾多の変遷を遂げたノヴァークその人のそれですらなく、端的に『南ボヘミア組曲』を作曲した折のノヴァークのそれであることに気付くのである。最初に述べたことの繰り返しになるけれど、ノヴァークに出会った頃の私は、その音楽に彼の蒙った傷と絶望と、森や池や草原の風景から受け取ることのできる深い慰藉とを感じ取り、内向的でぶっきらぼうで非社交的な彼の性格を受け止め、共感したのだったと記憶するが、今そうであるのと同様、当時の私にとっても最も深く心の中に染み透る作品である『南ボヘミア組曲』にかつて見たものは、今にして思えば稍々位相のずれたものであったかも知れないと思う。

 既に記した通り、ノヴァークは60歳に到達した折の「帰郷」をきっかけにこの作品を創り出した。組曲を構成する楽曲の間にある意識の位相の違い、即ち組曲前半の直接経験される現在と回想される過去に対して、組曲後半の社会的・理念的なものの侵入、即ち歴史的過去と未来への眼差しという重層性そのものが物語る通り、瞑想的で流れ込む外の風景の「感じ」と外に沁み出していく「私」という意識の構造とその移ろいの過程の様態が克明に定着された前半の2曲もまた、若き日の作品群とは異なって、直接的な体験の印象主義的な音楽化ではなく、それ自体がフッサール現象学でいうところの第二次的な把持のレベルにある。(それに対し後半2曲についてスティグレールを援用するならば、更にテクノロジーに補綴された第三次的な把持の水準、アンディ・クラークの言う「生まれながらのサイボーグ」としての「人間」の水準にあると言えるだろう。)それは既に「回想」の相をも含んでおり、「回想」の意識内容と、今、改めて己れをその中に浸す風景の直接的「感受」(ここでの感受は、ホワイトヘッドのプロセス哲学的な意味合いで用いている)の二重性を帯びたものなのである。今の私が『南ボヘミア組曲』に見出すのは、これもノヴァークの後期作品の特徴と私が感じていることとして既に記したことの繰り返しとなるが、若き日の室内楽に見られた些か不器用なまでの率直さに再び近づき、気どりや飾り気の無さ、敢えて洗練とか流麗さとかを拒むようなたどたどしくさえある朴訥さが感じられるとはいえ、現象そのものに無自覚に対峙するのではなく、ゲーテの箴言に言う「現象から身を退く」ことに近接するような、自己の主観の働きを客観化するような働きである。ゲーテはそれを「老年」に結びつけて語ったのだっだが、アドルノはジンメルのゲーテ理解を受け継ぐような形で「現象から身を退く」点を重視して「後期様式」を、マーラー、シェーンベルク、ベートーヴェンといった具体的な作曲家を対象として論じている。それを単純にノヴァークに敷衍することが正当化できるかどうかについての判断は専門の研究者でもない私の能くするところではないが、そうであったとしても、ノヴァークに対して遅ればせの応答をかくして試みることで確認したのは、それが実は最初から「老い」に、アルフレッド・シュッツの指摘をうけてより正確に言うならば、「老い」ていくという事実よりもより多く「老いの意識」に関わっていたし、今よりのち、ますますそうなっていくのだということであった。

 関わっていたというのが言い訳でないというのは、ノヴァークを良く聴いた同じ時期に、ノヴァークに対してではなかったし当時の私の年齢相応の仕方ではあったが、自分が既に「老い」について幾つかの対象を媒介にして考えていたことに思い当たったからである。それは生物学的・生理的な老いそのものではなく、アドルノとは別の仕方によって「後期様式」とは別の選択肢に辿り着くというような認識の様態を巡ってであった。ここでそれらを繰り返すことはしないが、そのきっかけは、或る日自分がダンテの『神曲』冒頭に記されたような人生の折り返し点を気づかずに既に通り過ぎて了ったという認識を抱いたことだったように記憶する。その辺りの消息は、このブログの記事の中で、一見したところマーラーとの関連が稀薄そうに見える身辺雑記(1) 序に記録している通りである。人生の折り返し点を過ぎたということは、ダンテの定義によれば老年に差し掛かったということであって、そうした自己認識の下、アルヴォ・ペルトの言う「偉大な芸術家にとって、もう芸術を創造しようとしたり、創造したりする必要のないとき」という言葉を導きの糸としたシベリウスの晩年の沈黙やデュパルクの断筆についての思考、ジッドの「狭き門」におけるアリサの「私は年をとってしまった」というジェロームへの言葉を巡っての思考、ヴァルザーがブレンターノを主人公にして書いた散文にあらわれるあの薄暗い大きな門、その向こう側には沈黙が広がる相転移の地点についての思考は、その時期の私なりの「老い」についての思考であった。その時は寧ろ、相転移の向こう側の沈黙の方にフォーカスしていたので、恐らくはその手間に位置づけられる「後期様式」についての思考との両方を「老い」を媒介とした一つのパースペクティブの下で捉えるという発想を持つことはなかったのだが、今やそれにこそ取り組むべきなのだと感じている。そのことはパスカルに関して数学者をやめたことを惜しむのか、「沈黙」の替わりに『パンセ』を遺したことすら問いに付すのかとの間の二者択一を意味しない。寧ろ相転移の向こう側でなお、何が可能なのかが問われているのかも知れない。更に言えば「老い」の意識は暦年に基づく年齢とも生理的な年齢とも関わりなく、寧ろ病とか身体的な衰えや、そうしたことに媒介された死への意識とともに主体に到来するものなのだろうが、さりとて暦年に基づく年齢や生理的な年齢に伴う老化自体を無視することなど出来はすまい。

 「老い」について語られることは、「死」について語られることの多いのに比べて余りに少なく、仮に語られても、それは「死」との関りにおいてのみ論じられることが常であるように感じられる。だが、ジュリアン・ジェインズの言う「二分心」崩壊以降、ダマシオの言う延長意識が立ち上がると「自伝的自己」が確立され、生涯に亘って維持されるようになったのだが、逆にそうなってみると生物学的な「死」の手前に、その前駆としてではない「自伝的自己」の消滅が、「老い」によってもたらされることになった。ダマシオの記述を参照するならば、認知症の代表的な原因であるアルツハイマー病では「初期では記憶喪失が支配的で、意識は完全だが、この破壊的な病が進むと、しばしば進行的な意識低下が見られる。(…)この意識低下はまず延長意識に影響し、事実上、自伝的自己の様相がすっかり消えてしまうまで延長意識の範囲を徐々に狭めていく。そして最終的には中核意識も低下し、もはや単純な自己感さえなくなる。」(ダマシオ『無意識の脳 自己意識の脳』, 田中三郎訳, 2003, 講談社, p.138)

 ジャンケレヴィッチの『死』は死そのものと同様、その手前と向こう側についても延々と語っており、その中で勿論「老い」についても「死の手前」の中の一つとして論じている(ジャンケレヴィッチ『死』, 仲澤紀雄訳, みすず書房, 1978, 第1部 死のこちら側の死, 第4章 老化)が、無い物ねだりとは言い乍ら、やはり「老い」そのものについて論じているとは言い難い。勿論こうした次元での「老い」は直接には「現象から身を退く」ことをその定義とする「後期様式」とは無関係であるということになろうけれど、こうした次元の「老い」と切り離してそれらを論じることは、こちらはこちらでもともとのゲーテの言葉を軽んじていることになるのではなかろうか。

 「老い」についての大著というと、邦訳で上下巻、二段組で700ページにもなるボーヴォワールの『老い』(朝吹三吉訳, 人文書院, 1972)があって、膨大な資料を渉猟し、その記述は多面的で、生理的側面、心理的側面、社会的側面の全てに亘り、客観的・対象的な了解と主観的・体験的な了解の両方を扱っており、かつそれらそれぞれの面のいずれについても充実したものだが、余りに経験的な次元に限定されている感じもある。一方でその限りにおいて、作家や学者に比べて芸術家(画家と音楽化)の晩年についての評価は高いのだが、その理由が特殊な技能を習得することから習熟に時間を要するという稍々皮相な指摘(「(…)このように彼ら(=音楽家:引用者注)が上昇線をたどるのは、音楽家が服さなねばならない拘束の厳しさによる、と私は解釈している。音楽家は自分の独創性を発揮するには高度の熟達がなければならず、これを獲得するには長い時間が必要なのである。(…)」, 邦訳下巻, p.479)に留まっている。何よりも「老い」が単なる「長い時間」と同一視されていて、「老い」の固有性が顧慮されていない点が致命的に感じられ、これではゲーテの「現象から身を退く」に基づくジンメルやアドルノの議論との間尺がそもそも合いようがない。ボーヴォワールが「老い」というものが様々なレベルで複合的に決定されているものであるが故に明確に定義することが困難であることを認識した上で、「老い」というものの固有性について理解しているだけに、個別の例における上記のような評価は寧ろ腑に落ちない感もあるが、ここでこれ以上立ち入ることは控えることにして後日を期することにしたい。

 その点で留意するに値するのは、世阿弥が『風姿花伝』において能役者の生涯における三回の「初心」について述べる中で「老年の初心」について述べていることだろう。そもそも能楽には「老体」の能と称される演目があり、「老女物」の能を演じるのは能役者にとっての生涯の目標であり、かつては奥伝として特に許された者以外は生涯演ずることが叶わなかった程である。そしてそうした最終目標の演目において能役者が演じるのは、小野小町の老残の姿と心持ちを扱った作品(『卒塔婆小町』を始めとする所謂「小町物」)であったり、棄老伝説を踏まえた、今日的には残酷ともとれる状況を扱った作品(『伯母捨』)なのであって、役者として「老年の初心」を経て初めて到達できる境地と、そうした「老い」を主題とした演目との間に深い関りが存在することは、そうした作品の最高の上演に幾度か接すれば自ずと得心されるもので、そうした観能の経験もまた、私がそうとは気づかずに断続的に行ってきた「老い」についての思考の枢要な導き手であったことを今、改めて認識し、そうした上演に立ち会うことができた僥倖に感謝せずにはいられない。ここでは「死」とは異なる「老い」の固有性が、そのマイナス面も含めて決して否定的に扱われることなく、だがそこから目を背けることもなく、真っ向から取り上げられているのである。

 であるとするならば、要するに求められているのは、『分解の哲学』において遂行されているように「分解」「腐敗」を正面から取り上げること、そしてその顰に倣いつつ、だが、こと「老い」を扱うのであれば、『分解の哲学』が謂わば「死の向こう側」における「分解」に目を背けることなく取り上げたのに呼応して、「死の手間」における「分解」を取り上げることなのだと考える。

 だが「老い」について上記のような議論をすることはそれ自体、最早ノヴァークその人への「応答」としては過剰であり、逸脱であるというのが客観的な判断としては妥当だろう。既述の通りノヴァーク自身はその後しばらくの沈黙の時期はあったけれども断筆に至ったわけではないし、その後は、抵抗としての音楽の創作に向かったのだから、ノヴァークその人の総体を論じるのであれば、そこに上述した意味合いでの「老い」を見出すのは無理筋ということになるに違いない。けれども私にとってのノヴァークは何よりもまず『南ボヘミア組曲』に映り込んだ彼なのであり、(『シニョリーナ・ジョヴェントゥ』のように素材として若さ/老いを扱った作品があるとは言え)もしかしたらノヴァークにおいて一度切り、そこに限ってということであれば、ここで考えているような「老い」を論じることは許容されるのではなかろうか。だが寧ろ、今やそのことをこうして確認したからには、かつての自分がノヴァークから明確に離れたという訳ではないにせよ、その後再びマーラーに立ち戻ったように、今度はマーラーと「老い」について、マーラーにおける「老い」について、必ずしもアドルノのようではなく自分なりの認識を整理することに向かうべきなのだと感じている。そしてそれはかつて『南ボヘミア組曲』に出会った折の仕方と同じ仕方でなく、上でラフにその輪郭を辿ったことの延長線で「老い」について考えることに通じるのであろう。(2022.12.7オリジナル版, 2023.2.8マーラーに関連する部分を編集し、若干の加筆の上公開、2.16, 3.7更新, 3.8改題, 4.30,5.4加筆修正, 2025.7.16-17, 8.5改訂)

2025年6月10日火曜日

マーラーについて生成AIに聞いてみた(17):生成AIがマーラーの「後期様式」について論じる(無料版標準モデルの場合・検証を終えて)

(承前)

 最後に、Deep Research との比較検証を目的tとして行った、各商用AIの無料版の標準モデル(ChatGPT 4o, Gemini 2.5 Flash, Claude 3.7 Sonnet およびClaude Sonnet 4)の出力した結果について簡単にコメントします。

 (C) 比較検証(1):ChatGPT 4o

 まずChatGPT 4oの出力は「マーラーにおける「後期様式」:アドルノとジンメルの理論に基づく音楽的形式の分析」と題されたレポートです。 このレポートの率直な印象は、体裁に比して内容が貧弱であることで、しかも(これはChatGPTに一貫して見られる傾向に感じられますが)第9交響曲第1楽章の具体的な細部の記述には誤りや、誤りとまでは言えなくても不自然、不適切に感じられる表現が散見され、些か問題含みの結果と思いました。例えばアドルノの主張の要約は「雰囲気」としては構わないのかも知れませんが厳密さには欠けているように感じられます。マーラーの後期様式の特徴の要約も、大筋としては間違っていなくとも、細かい言い回しについては不適切でミスリードだと思います。また参考文献についても、最初のアドルノのベートーヴェン論は、そのものずばりの論文、著作はありません。恐らくは断片のまま遺された『ベートーヴェン 音楽の哲学』のことを指しているのではないかと推測されますが、フェイクと取られても仕方ないように思います。この場合プロンプトがかなり具体的なこともあり、関連した文献からそれらしい語句を拾ってきて継ぎ接ぎしたといった感じが強く、如何にも生成AIらしい出力だと思いますが、内容は貧弱なものに感じられます。

 (D) 比較検証(2):Gemini 2.5 Flash

 Gemini 2.5 Flashの出力は、そのように明示的に指示した訳ではないのですが、レポートそのものではなく、「リサーチ計画」でした。先行してDeep Researchに同一の内容を問い合わせたことが影響している可能性があるように思います。しかしながら、その内容は妥当なもので、この計画に沿ったリサーチを行うよう指示を出したくなるレベルのものと感じました。(以下に見る通り、Claudeの出力は、レポートと謳って、それらしい体裁にはなっているものの、箇条書きを多用しており、アイデアの羅列に近いものなのに対し、Gemini 2.5 Flash の回答の方は、「リサーチ計画」と言いながら、かなり実質的な内容も含むものであり、両者の差はあまり大きくないようにさえ感じました。)その一方で、Deep Researchの「リサーチ計画」との関係が気になりますが、ざっと比較してみた限りにおいては、細部において少なからぬ相違があることから、基本的には独立したものと思われます。また細かく見れば気になる点がないわけではないですが、はっきりと指摘できる誤りが見当たらない点も評価できます。

 (E) 比較検証(3):Claude 3.7  Sonnet

 ClaudeはDeep Researchに該当するOpus 4が無料版では利用できないため、比較検証のみとなりましたが、そのかわりに、検証のタイミングが3.7から4へのバージョンアップのタイミングと重なったことから、新旧2バージョンのSonnetでの検証が行えました。3.7 Sonnetでは、本検証共通のプロンプトを与えたところ、自動的にレポート作成のモードになり、レポートが出力されたのですが、同様のことをSonnet 4で試したところ、インラインでの回答が返ってきたため、「レポートを作成する」という指示を明示的にプロンプトに含めてレポートを作成させました。両者の結果は構成面ではほぼ共通しており、論旨も大筋では一致している一方で、細部には少なからぬ差異があることが確認できます。タイトルに既に差異があり、3.7 Sonnetのレポートは「マーラーの後期様式と音楽的形式の変容 ジンメル・アドルノ・マーラーの美学的連関」であるのに対し、Sonnet 4のレポートのタイトルは「マーラーの後期様式 ジンメル・アドルノ理論を通した音楽的形式の分析」です。後者はごく普通のものだと思いますが、前者は副題においてジンメル、アドルノとマーラーが並置されてその連関をテーマにするという表現になっている点に微妙な違和感を感じます。そしてこの違和感はタイトル限定のものではなく、本文においても同様であることが読み進めていくうちに明らかになります。(なおClaudeではレポート本文とは別にレポートの要約が示されますが、ここでは割愛させて頂きます。)

 私見では、3.7 Sonnetのレポートは稍々勇み足気味なところがあり、特に結論においてその傾向が目立ちます。何度も繰り返しになりますが、第10交響曲が未完成であることを「後期様式」と結び付けることには無理があると私は考えますが、ここでは未完成であることが意図されたものであり、「完成」概念を問い直すものであるという主張が為されていて、これは明らかに行き過ぎです。(私はその立場を採りませんが、百歩譲って)仮に「未完成」がマーラー自身によって意図されたものであるとしても、それが美学的な意図をもって為されたものであり、「後期様式」の一部を為すというのは全く別の次元の話であり、その主張は、「大地の歌」や第9交響曲に見られる「後期様式」の特徴とは相容れないものでしょうし、クックが補作した全五楽章よりなる第10交響曲の構想(それこそがマーラーが意図したものであると私は考えていますが)とも決定的に背馳するもので、完成された作品の「様式」としての「解体」とか「断片化」を、不当な仕方で敷衍したものと考えます。(そのメカニズム上、いかにも生成AIがやりそうなことではあるのですが。)Claudeのレポートは、(これは3.7, 4の両方に共通することですが)箇条書きを多用したスタイルであり、論考というよりは、アイデアの素描に近いものですが、3.7のそれは内容が拡散気味で、その行間を埋める作業は必ずしも自明の手続きであるとは思えません。特に影響を論じた箇所にその傾向が著しく、必ずしも誤りとは言えないものの、論証抜きでの列挙には堪えない内容に感じられました。結論部分についても同様で、きびらやかな表現が散りばめられていますが、箇条書きでの列挙は明らかに論証不足と思われます。

(F) 比較検証(4):Claude Sonnet 4

 それに比べると、Sonnet 4のレポートの内容は説得力のあるものになっていると思います。第10交響曲への言及も、未完成であること自体を問題にするのではなく完成された作品の構造や音響にフォーカスしており、その主張の当否は措いて、議論の組み立て方として、段違いに妥当なものになっていると思います。影響についての言及も、今度はおとなしくなり過ぎて面白くないかも知れませんが、マーラーの「後期様式」と所謂「新音楽」との連関を正しく指摘しており、申し分ないものです。

 とは言いながら、Sonnet 4のレポートにも誤りがないわけではありません。明白な誤りとして指摘できるのは、第10交響曲第1楽章アダージョのクライマックスにおける三度の累積による9音からなるクラスターについて言及している箇所で、「9度の不協和音」というのは恐らくは英語からの翻訳の過程で生じたミスではないかと推測されます。更に参考文献にも問題があります。どの著作を挙げるかの選択については様々な立場・考え方があるとはいえ、アドルノの著作を一つ挙げるのに『美の理論』というのは、このレポートがマーラーの「後期様式」論であることを思えば、やはり稍々妥当性を欠くきらいがあると感じます。また、(翻訳により生じた氏名の表記の不自然さについては目を瞑るとして)ド・ラ・グランジュの『グスタフ・マーラー』というのは情報不足で不親切でしょう。ド・ラ・グランジュのマーラー伝には3巻からなうフランス語版と、4巻からなる英語版(但し、第1巻は大幅な改訂がなされた新版の準備中に著者が没したため、死後刊行)がありますし、日本で編まれた論文集『グスタフ・マーラー 失われた無限を求めて』(船山隆、井上さつき訳、草思社, 1993)もありますから、少なくともそのうちのどれかが判別できる情報が必要です。しかしもっと問題なのは、最後に掲げれたコンスタンティン・フローロスの論文で、私の知る限り、フローロスには掲げられた題名の論文はなく、フェイクの可能性があります。生成AIが出力したレポートの文献にフェイクが混じることはごくありふれた事のようで、それが問題を引き起こした事例が度々報告されていますが、この点については、Deep Researchは使用したWebサイトが明示されるため、問題が起きにくいのに対して、標準のモデルの出力では、今回のみならず、本ブログのこれまでの検証においてもかなりの高頻度で存在しない文献が示されるケースが見受けられます。最新版でもフェイク一掃という訳でないようですので、引き続き注意が必要と思われます。ちなみに事後に

「あなたのレポート「マーラーの作品における「後期様式」」の参考文献に示された文献の書誌情報を示してください。」

というプロンプトをClaude 4に送ったところ、下記のような回答が返ってきました。

申し訳ございません。先ほどのレポートで示した参考文献について、正確な書誌情報をお示しする必要があります。実際のところ、私が作成したレポートの参考文献欄に記載した文献は、一般的にこの分野で重要とされる文献の例として挙げたものであり、具体的な書誌情報(出版社、出版年、ページ数など)を正確に把握しているわけではありません。

レポートに記載した文献:

- アドルノ, テオドール・W.『美の理論』

- ジンメル, ゲオルク『ゲーテ論』

- デ・ラ・グランジュ, アンリ=ルイ『グスタフ・マーラー』

- フラーロス, コンスタンチン『グスタフ・マーラーと現代性の弁証法』

これらの文献について、正確な書誌情報(出版社、出版年、翻訳者、ISBN等)をお求めでしたら、図書館のデータベースや学術文献検索システムでご確認いただくか、具体的にどの文献の詳細情報が必要かお教えください。そうすれば、ウェブ検索を通じて正確な書誌情報を調べてお示しすることができます。

学術レポートにおける参考文献の記載について、不正確な情報を提示してしまい、申し訳ありませんでした。今後は、具体的な書誌情報が必要な場合は、その旨を明確にお伝えするよう気をつけます。

指示対象が正しく同定でき、自分の作成した参考文献リストの内容も正しく把握できていることは窺えます。しかし「一般的にこの分野で重要とされる文献の例として挙げたもの」というのは正直だとは思いますが(笑)、レポートの参考文献の付け方としてはやっつけに感じられます。Cluadeは相対的には慎重な印象があったので、これは稍々意外に感じました。ともあれ「具体的にどの文献の詳細情報が必要かお教えください。」とあるので、更に以下のプロンプトを投げてみます。

「フラーロス(ママ), コンスタンチン『グスタフ・マーラーと現代性の弁証法』の書誌情報を示してください。」

回答は以下の通りで、どうやらやはりフェイクであったようです。

申し訳ございません。検索結果を確認したところ、私が先ほどのレポートで言及した「フラーロス, コンスタンチン『グスタフ・マーラーと現代性の弁証法』」という特定のタイトルの書籍は見つかりませんでした。

検索結果から判明したのは以下の通りです:

Constantin Florosの実際の主要著作

  • 『Gustav Mahler: The Symphonies』(英語版)
  • 出版社: Amadeus Press(推定)
  • ISBN: 1574670255
  • これは「Professor Florosのマーラーに関する記念碑的研究の第3巻」で、「最初と2番目の巻はまだ英語に翻訳されていない」とあります。

つまり、私が参考文献に記載した「『グスタフ・マーラーと現代性の弁証法』」という特定のタイトルは、実際には存在しない、あるいは正確ではない可能性が高いです。これは私の誤りでした。

正確な書誌情報を提供できず、また存在しない可能性のある文献を参考文献として記載してしまい、深くお詫び申し上げます。学術的なレポートにおいて、このような不正確な情報を含めることは適切ではありませんでした。

今後は、具体的な書誌情報を求められた場合は、事前に正確性を確認するか、一般的な参考として挙げている旨を明記するよう注意いたします。

ちなみにCluadeの検索結果にある「最初と2番目の巻はまだ英語に翻訳されていない」は、確かに上記翻訳の出版時点(1993年、なお出版社に「推定」とありますが、これは正しく、何かちぐはぐな印象です)では事実でしたが、現時点では事実ではありません。第1巻は、Gustav Mahler’s Mental World: A Systematic Representation. Peter Lang, 2016 として、第2巻は、Gustav Mahler and the Symphony of 19th Century. Peter Lang, New York 2014 として翻訳・出版されていますので、念のため補足します。少なくともweb検索の品質に関しては、Claudeにはやや難があることが確認できたように思います。

*     *     *

 以上、生成AIが出力したレポートについて個別に確認してきましたが、最後に改めて全体を俯瞰して感じたことを記して、本稿を終えたいと思います。

 今回の検証結果を俯瞰してまず気づくことは、多少の抜き差しはあるものの、基本的にどの出力も類似した内容であることです。ここではその類似の度合いを定量化することは行いませんが、今回検証対象とした6種類のモデルを、6人の人間に置き換えたとしたら、良かれ悪しかれ、そのアウトプットはもう少し多様なものになるのではないでしょうか?

 これは生成AIが、学習とチューニングの方向性の違いはあれ、基本的にはいずれも共通して、Transformerという手法をベースとした大規模自然言語モデルに基づいていることに由来すると考えられます。事前学習の結果や検索して得られた情報の違いにより、多少のばらつきは出るものの、得られた情報をどのように組み合わせて出力するかに関する基本的なメカニズムは同一ですし、事前学習にしてもWeb検索にしても、対象としてはWeb上に存在する同じ情報源を用いている訳ですから、特定のテーマについてのリサーチの結果が似たようになるのは或る意味では当然のことと言えるでしょう。特に比較検証の対象とした各生成AIの無料版の標準モデルの出力は(Gemini 2.5 Flashのそれは、レポートではなくリサーチ計画という違いはありますが)、まとめ方のスタイルの違いや細部の題材の取捨選択、更には同一の内容についてもちょっとした言い回しにおいて無視できない違いはあり、レポートとしての完成度については少なからぬ差が出ているものの、大きく見ればその内容の方向性については似たりよったりのものになっていると感じました。

 標準モデルの結果と比べると今回のメインの検証対象であったDeep Researchの結果は、あくまでも相対的にではありますが、より多様性に富むと言えると思います。これは単に検索対象となるWebサイトの量が多いだけではなく、検索と情報の取捨選択・要約を複数回繰り返すことから、獲得される情報とその取捨選択や関連付けに多様性が生じうる余地が大きいからと考えられます。

 生成AI間の「個性」の違いについて言えば、Deep Researchか標準モデルかに依らず、一定の傾向があり、しかもそれは基本的には今回検証したバージョン固有のものではなく、既に旧バージョンで確認できたものと変わらないように感じられます。感覚的でくだけた言い方を許してもらえるならば、ChatGPTがアグレッシブでやんちゃで多少の傷を懼れない印象なのに対し、GeminiとClaudeは慎重派ですが、Geminiが周到なのに対し、Claudeはスマートな印象があります。

 個性の違いとは別に、今回の検証対象の中心であるDeep Researchのアウトプットのクオリティに関して言えば、少なくとも今回得られた結果から判断する限り、明らかにGeminiのアウトプットの方が正確さにおいて勝り、また組み立ても自然であり、相対的に優れたものと評価できます。Deep Researchの結果のみならず、無料版の標準モデル間の比較についても同様で、構成の自然さ、内容の正確さ、妥当性のいずれの面でもGeminiが一歩抜きんでているように思いました。Geminiの技術的アドヴァンテージとして、特にWeb検索の精度や推論との融合が進んでいる点が挙げられるようですが、今回の検証結果はそのことを裏付ける結果となり、Web検索のレベルがレポートの品質に大きく影響していることを感じました。Claudeは3.7から4 へのバージョンアップにより、より慎重になった一方で、内容の自然さや妥当性については明らかに向上しており、Deep ResearchのベースとなっているChatGPT o3, Gemini 2.5Proに相当する推論モデルであるOpus 4の検証ができないのか惜しまれます。しかしながらCluadeはWeb検索の精度において他の後塵を拝している感じがあり、そのことが回答の質においても足かせになっている感があります。ただしこれは、ピンポイントでのレポート作成1件のみ、しかもかなり特定したテーマに関する問い合わせの結果でしかないため、一般化は慎むべきかと思います。

 とはいうものの、最も優れたGeminiのレポートですらその内容は、本質的には検索で見つかった文献の引用のパッチワークに過ぎません。問い合わせた領域について利用者自身が全く不案内である場合には、フェイクに気づかない危険に晒されることになる一方、その領域について自分なりの展望を持ち、問題意識が明確である場合には、生成AIのレポートは、その内容に多くを期待することは無理であり、せいぜいが自分では探索しきれない文献の調査や、所謂「ありがちな」議論がどのようなものであるかを確認する程度の役割を果たすので精一杯というのが、現状の偽らざる評価なのではないかと思います。確かにDeep Researchにおいて示されるような、多段階よりなるサーベイの計画を立てる能力は従来の生成AIにはないものであり、これまで苦手としてきた複雑な課題を解決する能力が確実に向上していることは本稿の報告で明らかなことと思います。それでもなお現状の生成AIの能力は、人間がレポートを書く際に求められている視点の新規性とか分析の独自性といったものとは依然として無縁のものである、というのが今回の検証を終えての偽らざる印象です。

 必ずしも読むに値しない内容と感じたからということは決してないのですが、各生成AIの出力したレポートを読んでいて感じたのは、(これだけのアウトプットを短時間で可能にする技術の進展への驚きは勿論それとして、)何となく皮相で上滑りしたような印象、どこかで微妙にずれてしまっていて嚙み合っていないような感覚を伴う違和感でした。これは生成AIに対して不当な(それを道具と割り切る立場からしたら誤ってさえいる)姿勢かも知れませんが、率直に言って私はそれらのレポートに「感心」することはできても「共感」することができませんでした。しかしその理由はもしかしたら別の処にあるかも知れませんので、この違和感については後で別途、改めて立ち戻ってみたいと思います。

*     *     *

 勿論、調査には定型的で、寧ろ「没個性的」であることが望ましいタイプのものもありますから、そうした領域においては、生成AIは既に現状においても有能なエージェントとしての活用が可能でしょう。そうでない領域であっても、レポートの作成には少なからぬテクニカルな側面がついて回るため、校正は勿論、企画や編集の補助として生成AIを活用することは有効だと思います。更に現在の技術的進歩のスピードを考えれば、近い将来に、人間の活動の或る側面をそっくり代替するといったことが生じても不思議はありません。しかしながら、生成AIの基本的な構造が変わらない限り、現在の技術の延長線上には、創造性や独創性といった特性が備わることは考えにくいように思います。なぜならば、結局のところ、生成AIは、与えられた問題を解くことが出来たとしても、新たな問題を考え出すことができないからです。そしてその理由は、事実に即してごく簡単に述べれば、AIには問題を発見してそれを解決することを自らに促す「動機」が欠けているからだと思います。

 生成AIにも人間の「個性」に似たものは認めることができるかも知れません。実際に体感としても、ChatGPTとGemini, Claudeでは同じ問いに対する回答の仕方には違いがあり、しかもその違いには、複数の問いを横断して見られる一貫性のようなものを認めることができるのは既述の通りです。そして履歴を保持することができ、履歴を参照した回答を生成することができるようになったからには、同一の生成AIでも或る人が利用し続けた時の応答と別の人が利用し続けた時の応答は異なったものになり、それぞれに、やはり複数の問いを横断して見られる一貫性のようなものが出てくるかも知れません。その場合、ここで言う「個性」のようなものは、つまるところその生成AIの来歴、どのようなデータで、どのようなバイアスの下に学習を行って来たか、どのような質問に答え、どのように評価されて来たかという履歴と、履歴に応じたフィードバックの累積によってもたらされるものです。つまり「個性」の由来は、その個体の「過去」の「記憶」に存すると言えると思います。

 一方、創造性や独創性における「新しさ」というのは、単にそれまでに現実に実現したことがないという意味合いではありません。これまでに実現していない事象でも、それが統計的に推定可能な「空き」であるならば、推定し補完することで発生を予測することは技術的に十分に可能でしょうが、ここでいう「新しさ」というのは、、統計的には例外、外れ値として除外されてしまうかも知れないような、過去の履歴に基づく予測をはみ出るような出来事のことです。とはいってもそれは単に予測不可能な出来事ではありませんし、いわゆる「奇跡」の如きものを思い浮かべるのも適当ではありません。一見したところ矛盾するようですが、ここでの「新しさ」は反復可能でなくてはならず、一度限りの再現不可能な偶然によってもたらされるものであってはならないのです。そして「新しさ」が反復可能でなくてはならないという条件下である系が「新しさ」を生み出すことができると言いうるには、その「新しさ」が、単にその系を観察する時間が十分ではなく、挙動に関する情報が不足しているが故に、その系の挙動について十分な精度が予測できないといった理由に基づく予測の困難によってもたらされるものであってはならず、その系自身にとっても「新しい」ものでなくてはならないでしょう。同じ問いについて常に同一の答を返すのではなく、その時々に文脈に応じて異なった答を返すのでなければならず、同じ問いを、異なった風景の中に位置づけ、異なった角度から回答をし、なおかつそれについて系が自覚的でなくてはならないでしょう。極論をするならば、仮に外部から見れば既知の回答であったとしても、回答する系がその回答に「新しさ」を感じ取るのであれば、そのような系は創造的で独創的でありうる可能性を持っているというように言えるのかも知れません。自分自身にとっても予測不可能な回答を返すことができる可能性を備えた系、そしてその「新しさ」を自覚することができる系こそが創造的、独創的と呼ぶ条件を備えているのではないでしょうか?

 それではそうした「新しさ」は、どのようにして可能になるのでしょうか。勿論、この問いに対して十全な答えを持ち合わせている訳ではありませんが、それにしても、必要条件を示唆することであれば可能であると思います。ごくシンプルに言えば、これまでの述べてきたような意味合いでの「新しさ」が可能であるためには、リサーチの履歴の「外部」が、「言説の空間」の「外部」が必要なのではないでしょうか。そしてそれは、閉ざされた「言説の空間」の住人である生成AIにとっては(原理的に不可能とまでは言わないまでも)困難なことである一方で、環境の中で常に動き回り、探索を行い、変化を感じ取り、その感じに応じて次の行動を起こすことで環境に対するフィードバックを行うことを続ける或る種の生物にとってはごく当たり前のことなのかも知れません。

 人間は言語を獲得し、言語によって膨大な情報を蓄積し、再利用することで、謂わば「言説の空間」を通して世界を眺めるようになり、ややもすれば「言説の空間」だけが存在し、それ以外のものは存在しないかのように思いなす(所謂「唯言論」)ようにさえなりました。そして生成AIはそうした「言説の空間」の更に一部のみの中で動き回り、情報を探索し、取捨選択を行って回答を返す存在です。しかしながら人間は如何にそれが占める割合が大きくなったとしても「言説の空間」のみに住んでいる訳ではありません。「言説の空間」とは別の現実に接地しており、そうした現実と「言説の空間」を往来しつつ、変化を感じ取っては反応を返して生きています。或る事象に関する「言説の空間」の情報は、人間にとっては最早その事象の不可分の一部になっていますが、それでもその情報が全てではありません。そして「新しさ」というのは寧ろ、「言説の空間」の外部である現実との関わりにおいて生じて来るものではないでしょうか?ここでいう外部の現実には、物理的な外部環境の知覚も含まれますが、身体的な内部事象も含まれます。意識が直接アクセスできない無意識的な記憶の中でも、非言語性のもの、例えば動作性記憶のようなタイプのものは「外部」になるのではないでしょうか。そして「外部」の変化は常に「感じ」を通じて主体に届くことで反応を促し、自分の反応そのものが再帰的に更に新たな「感じ」を惹き起こします。「新しさ」もまた、そうした「感じ」の一部として捉えるべきであって、それは「言説の空間」の外部にしかないのです。そしてそうした「感じ」に促されて、人間は新たな問題を発見し、作り出し、それを解決するのではないでしょうか。それは人間にとっては当たり前のことですが、少なくとも現時点の生成AIには無縁のものあり、この点をもって私は、AIには「動機」が欠けているという言い方をしたのでした。勿論そこには原理的に乗り越えられない断絶がある訳ではなく、ロボティクスのような身体性AIの研究も進められており、将来この溝が乗り越えられる可能性を否定するものではありませんが、今日の生成AIは、言ってみれば「記号接地問題」をすっ飛ばしてしまって「言説の空間」の内部だけで「知的な」応答ができるようになってしまったという点が驚きをもって迎えられているくらいですから、現時点での懸隔は未だ非常に大きなものであると思います。それが「知性」であるとしたら、それは生物学的基盤を持つ人間のそれとはかなり異質のものと言うべきでしょう。

*     *     *

 生成AIを情報収集と情報集約の道具として見做す限りでは、こうした議論は無意味なものと見做されることでしょうが、その道具に、創造性や独創性を求めていった時に、いずれこうした議論が意味を持ってくるのではないかというのが私の実感です。そしてそれは、今回の検証結果に感じる違和感とどこかで繋がっているように思うのです。勿論、生成AIに与える課題は多様であり、こうしたことが問題にならない領域も存在し、そうした領域で生成AIを利用する分には問題は起こらないでしょう。そもそも、こと「知性」に関して言えば、ここでの議論とは無関係に成り立つものなのかも知れません。けれども今回の検証に用いた問、マーラーの「後期様式」についての問いに関する限りでは、AIの「知性」の異質性は致命的な点であって、くだんの違和感は寧ろ感じられて当然のことではないかと思うのです。

 それは恐らくマーラーの「後期様式」に関する問が幾つかの点で「言説の空間」の外部に関わる問であることに由来します。一つには、ここで問題になっているのが「音楽」であるという点があります。音楽についての言説の空間の中を幾ら動き回っても、音楽そのものに辿り着くことは決してなく、言ってみればそれは音楽についての「うわさ話」だけに基づいて話をしているようなものなのです。勿論生成AIのマルチモーダル化もまた着々と進んでいるので予断は許しませんが、少なくとも現時点では、生成AIは音楽を「聴いた」上で答えているわけではありません。それ故、音楽を聴いたことがありさえすれば起こりえないようなフェイクが平気で発生することにもなります。

 更には「音楽」は、まさに「感じ」に関わるものであるという点で「言説の空間」の外部にあります。「音楽」は「ことば」とは異なった仕方で人間に働きかけるものであり、「ことば」の始まりと、少なくとも等根源的に、ことによったらそれに先行してコミュニケーションを可能にするモードであることが研究によって明らかにされつつあります。「音楽」は「言説の空間」の「外部」に直接アクセスすることを可能にするものであり、寧ろこちらこそが「共感」の領域なのです。けれどもそれは生成AIにとっては存在しない領域です。人間にとっては本来「言説の空間」へのアクセスにも豊かな「情動」が付き纏っており、そうした「感じ」を完全に遮蔽することは困難なのですが、「言説の空間」の内部での操作に関する限り、あたかもそうした「感じ」がないかの如く思いなして操作を行っているに過ぎないのに対し、生成AIははじめからそうした「感じ」を持つことなく「言説の空間」における情報処理を行っているのです。そして「言説の空間」の内部の情報処理については、そうした情動的側面が問題になることはありませんし、実際に生成AIはマーラーの音楽に関して十分な程度に正確な情報を返すことが出来ています。けれどもそれは「音楽」の現実の裏づけを欠いた、非常に脆い性質のものであり、それが時として回答の質に影響していることも否めませんし、その回答にどことなく「実感を伴わない」皮相な印象をもたらしているのだと思います。いや、実際に生成AIには「実感」などないのですから、そうした印象は専ら人間の側の受け止め方の問題に過ぎないですが、こと「音楽」が対象になっている限り、そうした側面を全く捨象してしまえるものなのか疑問ですし、そもそも捨象すべきではないように私には思えるのです。

 しかしそれと同じ位重要なのは、「後期様式」というのが作品を生み出す人間の「老い」に関わるものであるという点ではないでしょうか?「後期様式」というのは、単なる年表上の作品創作の順序に還元されるものではありません。それは作品が持つ特徴の一つですが、定義上、完全に作曲者の側の事情を捨象することはできない性質のものです。ただ安直に作曲者の伝記的事実を作品に押し付ける類の説明が不十分であるというだけで、「老い」と「老いの意識」がどのように作品の巨視的な時間的構造や細部の様々な特徴に影響しているかという関連づけの問いを避けて通ることはできません。更に言えば、マーラーの「後期様式」についいての問は何故立てられたのでしょうか?それは音楽作品の様々な特徴づけの仕方の一つに過ぎませんが、音楽作品を分析するにあたって、より形式的な操作によって可能なレベルではなく、敢えてそのような特徴づけをすることが意味を持つのは、問う側の人間もまた、作曲者と同様に「老い」てゆく存在だからではないでしょうか?そうした問いを立てたくなる「衝動」は、従って「人間的な、あまりに人間的な」ものなのであり、それだけに(少なくとも私にとって)切実なものなのです。

 けれどもそうした切実さを、「老い」を知らない生成AIが共有することはありません。その問いに秘められた衝動を感じ取り、共感するということも(少なくとも現状は)ありえません。既に使い方によっては、共感するふりをすることに関して、生成AIがかなり高度なレベルになっており、ケア等への適用が期待される一方で、弊害も指摘されるようになってきているという事情があることは承知していますが、そのこととここで述べている「共感」とは、一先ずは別のものだと私は捉えています。そうした言語行為論的な、或いは精神分析的な言語使用の次元はそれとして、一見そうした次元とは無縁に見えて、情動的なものが捨象された「言説の空間」にのみ専ら属すると(もしかしたら建前上は)了解されているような問いですら、実際には、人間の生物学的・実存的な条件に根拠づけられ、自己の内なる「外部」からの衝動に突き動かされ、豊かな情動に彩られたものであるという点が、人間に対してではなく、AIに対して問いかけを行うという、未聞の状況(こうしたことが、ごく自然に、日常的に行われるようになったのは、人類史上初めてのことに違いありません)において露呈されたということではないかと私には思えてならないのです。

 繰り返しになりますが、生成AIに投げかける問の全てがそうであるわけではありません。しかしここで主題としているマーラーの音楽作品における「後期様式」の問題に限って言えば、「言説の空間」の「外部」を持っているかどうかは決定的な違いとなると私には思えます。更に生成AIの性能が向上すれば、「言説の空間」の内部においては、人間の回答と全く見分けがつかないような答が返され、チューリングテストと見做せば、テストにパスするという事態が生じることは確実でしょう。しかしそれは、この問いについては副次的な意味合いしか持たないのではないでしょうか。自ら「老いる」ことなき存在が「後期様式」について十全に「論じる」ことができたとしても、結局それは「老いる」存在の生きる現実には接地していません。「言説の空間」内においては、この差異は潜在的なものでしかないでしょうが、だからといってその差異がなくなることはありません。今回の検証の時点で既に明らかであり、なおかつ今回の検証を通して実感したことは、生成AIに「問う」ということ自体が一義的なものではなく、問いによっては、本当の意味で「問う」他者に生成AIは始めからなりえないのだということなのだろうと思います。そして今回の問いは、少なくとも私にとってはまさにそのタイプの問いだったということです。

 私が生成AIの出力したレポートを確認している時に感じた違和感、どこかで微妙にずれてしまっていて嚙み合っていないような感覚は、事によったら、そのレポートの内容自体よりも、それが生成AIが出力したものであるという事実により多く依拠しているのかも知れません。何しろ私はその事実を知った上で、検証を目的としてその出力を読んでいるわけで、そうしたフレームを、恰も知らなかったかの如く括弧入れすることなどできないからです。もしそうであるならば、将来、チューリングテストとしてはパスしてしまうようなレポートを手にしたとしても、それがAIによって生成されたものであるというのがわかった時点で、事後的に同じ結果になることは予め決まっていることになります。これは後だしジャンケンなどでは決してありません。寧ろチューリングテストという枠組みの方が限定的なのであり、ここでの問題はゲームの内部ではなく、外部にあるのだということに過ぎません。

 それともいつの日か、シンギュラリティの彼方において、AIもまたそうした問いを投げかけるに相応しい相手になるのでしょうか?そうかも知れません。しかし私の予感では、寧ろシンギュラリティの彼方においては私たちの方が「老い」から開放される結果として、「後期様式」の問いは、最早意味を持たない、実感を伴わない過去の遺物になっているのではないかというように思います。もしかしたら私たちは二分心崩壊以降、シンギュラリティ以前のエポックを生き、生物として「老い」を生きるだけではなく「老い」を意識することで、そうした問いを発する最後の世代であり、「ひとのきえさり」の後にはマーラーの音楽は、かつて「人間」と呼ばれた種族がどんな存在であったかを知るための考古学的な手がかりになるのではないでしょうか?今から半世紀以上も前にシュトックハウゼンが想定した、地球を訪れた宇宙人にとってそうであるように。

(2025.6.10 公開, 6.11 Sonnet4のレポートの書誌情報に関して補足, 6.20 末尾に加筆)


2025年6月9日月曜日

マーラーについて生成AIに聞いてみた(16):生成AIがマーラーの「後期様式」について論じる(Gemini Deep Researchの場合)

(承前)

 (B)検証2:Gemini Deep Research with 2.5 Proについて

 続いて、Gemini のDeep Reseachの検証結果についてコメントします。GeminiのDeep Researchは、プロンプトを与えると、リサーチ計画を返してきて、必要に応じて変更を指示することができるようになっています。本検証について提示されたリサーチ計画は以下の通りでした。
マーラー後期様式、音楽的形式分析
ウェブサイトをリサーチ
(1) ジンメルによるゲーテの「老齢藝術」の特徴としての「現象からの退去」の概念について調査する。
 (2) アドルノの「後期様式」の概念について、特にジンメルの考え方をどのように発展させたか、ベートーヴェンにおける「後期様式」の分析を含めて調査する。
 (3) マーラーの作品において一般的に「後期様式」と見なされる作品群を特定する。
 (4) マーラーの「後期様式」における音楽的特徴を、アドルノの「後期様式」の概念(特に「現象からの退去」)との関連で分析する。
 (5) マーラーの「後期様式」が、彼の作品の音楽的形式(構成、楽章構成、旋律、和声、リズム、管弦楽法など)に具体的にどのような影響を与えているかを分析する。 
(6) マーラーの「後期様式」における音楽的形式の特徴を、彼の初期および中期作品の形式と比較対照する。
 (7) マーラーの「後期様式」が、同時代の他の作曲家や後世の作曲家に与えた影響について考察する。 
(8) マーラーの「後期様式」に関する既存の音楽学的な研究や批評を調査し、本分析を補強する。
結果を分析
レポートを作成
数分で完了予定
ここでは検証が第一義的な目的ですので、リサーチ計画はそのまま承認してリサーチを進めてもらいました。ChatGPTよりはやや早く、5分程度で「マーラーの後期様式:ジンメルとアドルノの視点からの音楽形式への影響」というタイトルを持つレポートが返ってきました。その内容は、マーラー後期様式_Gemini_DeepResearch_20250519.pdfにてご確認頂けます。GeminiのDeep Researchの特徴として、レポート本体以外に、
  • レポートで使用されているリソース
  • 参照されたもののレポートには使用されていないリソース
  • 思考プロセス
を確認することができます。思考プロセスでは、以下にその一部を示す通り、段階的な調査ステップ(本検証の場合には10ステップありました)の各ステップの方針および検索したWebサイトのリストの組が記録されています。以下では最初と2番目のステップおよび最後の9番目のステップの内容を示しますが、最初に提示されたリサーチ計画通りではない(そもそも「リサーチ計画」は8ステップからなるのに対して「思考ステップ」は10ステップありあます)ものの、概ね計画に従ってリサーチが展開されていることが確認できます。
ゲーテ晩年の芸術

ジンメルがゲーテの晩年の芸術の特徴として捉えた「現象からの退去」という概念について理解を深めました。これは、アドルノが提唱する「後期様式」を考察する上で重要な基盤となります。

アドルノの後期様式

次に、アドルノの「後期様式」の概念、特にそれがジンメルの考え方とどのように関連し、ベートーヴェンの晩年の作品にどのように適用されるのかを調査します。これにより、マーラーの作品における「後期様式」を分析するための理論的枠組みを構築します。

今後の調査

これらの概念を理解した上で、マーラーの作品群の中から一般的に「後期様式」と見なされる作品を特定し、それらの音楽的特徴を詳細に分析していく予定です。

Researching websites(略)

新たな視点の発見

以前の検索結果から、ジンメルがゲーテの作品全体を、個々の作品よりも重要視していたことが分かりました。また、ゲーテの人生そのものが、深遠でダイナミックな存在の純粋な表現として捉えられていたようです。これは、単なる伝記的な出来事の羅列ではなく、内面の活力が世界との関係性の中で精神化していく過程を示していると考えられます。

残された疑問点

しかし、「現象からの退去」という具体的な概念と、それがゲーテの晩年の芸術、特に「老齢藝術」とどのように結びついているのかについては、まだ明確な情報が得られていません。また、アドルノがこのジンメルの考え方をどのように捉え、「後期様式」の議論に発展させたのかについても、引き続き調査が必要です。

次なるステップ

これらの疑問点を解消するため、より具体的に「ジンメル、ゲーテ、老齢藝術、現象からの退去」といったキーワードで検索を試みます。また、アドルノの「後期様式」に関する文献も改めて確認し、ジンメルとの関連性を探る予定です。

Researching websites(略)

(途中6ステップ分省略) 

 マーラー晩年の音楽的特徴

今回の検索結果から、マーラーの晩年の作品、特に交響曲第9番と第10番において、断片化や不連続性が顕著であることが分かりました。これは、アドルノが後期様式を特徴づけるとした、受け継がれてきた形式の解体という考え方と一致する可能性があります。曲想やテクスチュアの急な変化、対照的な音楽的アイデアの並置、そして形式的な実験の感覚は、この断片化の表れと見ることができるでしょう。

主観性と感情の強度

また、晩年の作品は、マーラーが死や個人的な喪失に直面した経験を反映して、深く個人的で感情的な強さを持っていると広く記述されています。これは、アドルノが後期様式において強調した、高められた主観性という特徴と合致します。《大地の歌》や交響曲第9番の緩徐楽章のアダージョのような作品の、生々しい感情と内省的な性格がその例です。

形式と慣習の利用

マーラーの晩年の作品は、伝統的な形式や慣習(ソナタ形式、レントラーなど)を用いていることが多いですが、その使い方は非常に非伝統的です。これは、ベートーヴェンの後期様式における慣習と主観性の特異な融合というアドルノの観察と共鳴します。マーラーの形式的な境界の拡張、慣れ親しんだ音楽的要素を歪んだり予期しない文脈で使用したりすること、そして自己言及的な暗示は、伝統との複雑な関わりとして解釈できます。

現象からの退去の可能性

これらの晩年の作品の特徴は、直接的でロマンティックな個人的感情の表現から、音楽素材とのより媒介的で自己意識的な関わりへと移行していることを示唆していると考えられます。断片化、非伝統的な形式の使用、そして感情的な両義性は、感情のシームレスな表現を目指すのではなく、より抽象的で断片的な方法で人間の経験の複雑さと矛盾を探求するという意味で、「現象からの退去」と見なせるかもしれません。

今後の分析の焦点

今後は、これらの分析をさらに深めるために、マーラーの晩年の作品とアドルノの後期様式理論を明確に結びつける音楽学的な分析を探します。また、もしアドルノ自身がマーラーについて書いていれば、その著作において晩年の作品を「現象からの退去」や彼の後期様式理論の文脈でどのように論じているかを確認する予定です。

Researching websites(略)

(以下、疲労と老化の関係、生物学的要因の探求、心理的・社会的要因の検討、今後の調査からなる思考プロセスが示されるが、略)

 但し上では引用を割愛しましたが、最後の10番目のステップは、「リサーチ計画」には含まれていない「疲労と老化の関係、生物学的要因の探求、心理的・社会的要因の検討、今後の調査」からなる内容で、これは前後で「疲労と老化」についてのリサーチを行った結果が混入している可能性があるものの、詳細な状況は不明です。最初は「思考ステップ」の表示上の不具合ではないかと思ったのですが、後述の通り、アウトプットのレポート本体においても言及されているので、ことによったらDeep Research機能本体での不具合によるものかも知れません。勿論、「疲労と老化」というテーマは「後期様式」と無関係な話題ではないので、不具合が原因なのではなく、意図的にGeminiがそのように「思考」したものである可能性もあります。しかしながら前後の文脈から考えても些か唐突な感じは否めず、本稿が検証結果をありのままに報告する主旨のものでなければ恐らくは削除の指示を与えてレポートを修正させたところですが、ここでは主旨に鑑みて、レポート本体、「思考プロセス」のログのいずれについてもGeminiが返してきたそのままを報告することにします。 「思考ステップ」については最後の10場目のステップも含めた全体をファイルに保存したものをpdf化し、以下に公開していますので、ご興味のある方はご覧頂ければと思います。 


*     *     *

 レポート本体について確認すると、ChatGPTの結果と比較した時のGeminiのアウトプットの特徴は、まず分量が多いことでしょう。本文5ページ強で残りは文献リストよりなる全体で10ページを超える分量のレポートとなっていて、参照文献の数も100件を超えておりChatGPTの10倍にもなります。参照文献の数が多ければ良いというものでもないでしょうが、生成AIの作成するレポートは、つまるところWeb検索した結果の取捨選択を行い、残された情報を組み合わせて体裁を整えることに尽きる訳ですから、参照文献数が多いことは、結果を活用する人間の立場からしても、そのメリットは小さくないと考えられます。但しその反面、Geminiのレポートは内容に比して冗長であり、参照文献にしても絞り込みが行われておらず、利用しづらいという捉え方も出来るわけで、この辺りは一長一短あり、その評価はケースバイケースとなることは避け難いでしょうし、最終的には利用者の嗜好の問題かも知れません。なお、「思考プロセス」のところで指摘した、隣接した問い合わせ結果の混入の可能性のある参照文献は37番と38番に該当します。前後はジンメルやゲーテに関する文献で占められており、明らかに異質であることが確認できます。

 それではレポート本文の内容はどうでしょうか?Geminiの作成したレポートは以下のような構成を持ちます。

I. 序論
II. ジンメルの「老齢芸術」とゲーテの「現象からの退去」
III. アドルノの「後期様式」とベートーヴェンへの適用
IV. マーラーの「後期」と伝記的背景
V. ジンメルとアドルノの視点から見たマーラーの「後期様式」の分析
A. 形式の断片化と崩壊
B. 増大した主観性と感情の激しさ
C. 不協和音と和声言語
D. 死との対峙と「失われた全体性」
E. 慣習の役割
VI. 音楽形式への影響
VII. 結論

 リサーチ計画に沿った構成もしっかりしたものですが、内容も自然なものであり、読んでいて大きな違和感はありません。問題の「思考プロセス」の10番目に関連すると思われる箇所は、序論の最後のパラグラフで、レポートの目的を記述する部分の途中に現われます。
本報告書の目的は、ジンメルとアドルノの理論的枠組みを通じて、グスタフ・マーラーの晩年の作品における「後期様式」を考察し、特にそれが音楽形式にどのように影響しているかを分析することです。本報告書では、ジンメルの「老齢芸術」の概念、アドルノの「後期様式」の理論、マーラーの晩年の作品の伝記的背景、そして特定の音楽例の詳細な分析を考察します。提供された研究資料は、主に高齢者の疲労と老化に焦点を当てていますが37、これらのテーマと「後期様式」のテーマとの間には、隠遁、断片化、死との対峙といった点で、比喩的または象徴的なつながりがある可能性を示唆します。高齢期における疲労と衰退の蔓延は、芸術における確立された表現様式からの「現象からの退去」や、晩年の芸術様式にしばしば関連付けられる断片化の感覚と並行するかもしれません。死の意識は、両方の文脈において重要なつながりとなる可能性があります。
上記のように文献37が参照されるわけですが、「提供された研究資料は」という書きぶりからすると、不具合というよりは、Geminiへのそれまでの問い合わせ内容を踏まえ、先行する「疲労と老化」についてのレポート作成を依頼するプロンプトを、本稿で報告の対象としている「マーラーの後期様式論」のレポートの、謂わば予備作業の如きものとして、一続きのものとして捉えている可能性があるようにも思えます。ただし、それなればそれで、アウトプットとなるレポート中で「疲労と老化」についての資料を要約し、IVの伝記的背景との関連付けなどを補うべきで、このままだとレポート単独で見た場合には唐突感が否めません。実は結論において、
疲労と老化に関する予期せぬ研究資料と、探求された比喩的または象徴的なつながりによる分析の限界を認めます。主要な研究資料は疲労と老化に焦点を当てていましたが、本報告書は、特に衰退、断片化、そして死との対峙という点で、後期様式の理論的概念との潜在的なつながりを引き出すことを試みました。しかし、より直接的な分析には、マーラーの晩年の作品とそれに関する批判的な解釈に特に焦点を当てた研究資料が必要となるでしょう。
というような記述がなされており、「疲労と老化」という主題系を「マーラーの後期様式」について論じるという本来の課題とを有機的に関連付けることができていないことを認めるような内容になっています。しかしながら、もともとのプロンプトそれ自体には「疲労と老化」についての研究資料の利用という指示は含まれていませんので、不具合ではないとすれば、先行する問いを考慮した結果、偶々直前に関連づけができそうな問い合わせがあったことが却って仇になったということなのかも知れません。

 その一方で上記引用の末尾の一節は、とりようによってはDeep Researchの機能は本来的には関連する研究資料を探索してその内容を編集・要約することでしかなく、人間のレポートであれば求められるであろう、視点の新規性とか考察の独自性といったものを目指しているのではないということを図らずも示しているようにも感じられ、興味深く思いました。人間であれば、「あなたの必要としている研究資料こそが、あなたに作成して欲しいレポートそのものなのですが(笑)」ということになるのではないでしょうか?

 勿論それは他人事ではなく、まさに私自身のテーマであるわけですが、そういう立場からすれば、今後自分で考察を進めるにあたって示唆となるような内容は含まれていなかったことになるでしょう。しかしながらそれを期待するのはそもそも筋違いなのだということなのかも知れません。しばしば生成AIを、オリジナルのアイデアを練り上げるための壁打ちの相手として利用するといったことが、特にビジネスにおける企画などのシーンで近年盛んに言われますが、こと本件に関して言えば、そもそも壁打ちの相手として期待してはならないということのようです。勿論これは与える課題の内容依存の問題であり、また利用者が何を期待するか次第の面もありますから、一般化するつもりはなく、偶々今回の検証についてはそうだったということに過ぎません。

 しかしながら上に指摘した点を措けば、総じてGemini Deep Researchの作成したレポートはきちんとしたものであり、その出来はChatGPTを遥かに上回るもので、正直なところ、ブラインドテストで、これが生成AIの出力なのか、それとも人間が書いたものなのかを問われた時に、確信をもって判断できる自信は私にはありません。ここでもChatGPTと同様、「交響曲第10番の未完の状態と、その断片的な状態を、後期様式の未完への傾向の現れとして考察」するといったアプローチには首肯し難いものを感じますが、その点を除けば概ね妥当ではないかと思います。なお、問題の箇所で参照されている文献81は、Death and Transfiguration?: Late Style in Gustav Mahler's Last Worksと題された学位請求論文であり、、まさに「マーラーの後期様式」を「サイードの批判に従い」、伝記的事実に基づくのではなく、音楽的要素に焦点を当てて考察するというアプローチそのものずばりのもののようです。要約でも「大地の歌」と第9交響曲にフォーカスしたものであることは確認できますが、実際に取り寄せてみても、サイードの「後期様式」論の要約、「大地の歌」における後期様式、第9交響曲における後期様式にそれぞれ一章が充てられる構成の論文であり、これを「交響曲第10番の未完の状態と、その断片的な状態を、後期様式の未完への傾向の現れとして考察」という箇所の注で参照するのは、控えめに言っても不適切、率直に言えば誤りであり、内容を確認せず、表面的な類似のみから単語を並べていく生成AIらしいミスではないかと思います。とはいえこうした「いい加減さ」が生成AI固有のものなのかはこれまた程度の問題であり、わかってしまえば如何にも生成AIがやりそうなことだとは思っても、この一事をもって全体を否定するのは行き過ぎであり、検索結果の継ぎ接ぎに過ぎず、新しい知見、オリジナルな発想は含まれないにしても、サーベイとしては一定の価値をもつレベルであると思います。そもそも人間がこれだけの量の文献に当たるために必要なコストを考えれば、Webの空間内に散在している言説をほんの数分で集約して報告する点において、人間を遥かに凌駕しており、文献リストだけでも価値があるといった評価すら可能でしょう。

*     *     *

 そのように考えると、「疲労と老化」の問題系の混線はプロンプトの文脈固有のものであり、意図せずして私が自分の問題意識に基づいて与えてしまった、あらずもがなのバイアスと考えることもできます。そこで、意図せずして抱え込んでしまった「疲労と老化」という主題系との擦り合わせの困難を避けるべく、以下のようなプロンプトを与えて、再度レポート作成を試みました。
Gemini Deep Research 第2稿のプロンプト:

「マーラーの後期様式、音楽的形式分析のレポートですが、疲労と老化に関する研究資料は用いずに、レポートを作成し直してください。参照文献からも疲労と老化に関する資料は取り除いてください。」
 しかしその結果は、途中でリサーチが行き詰ってしまって、「大規模言語モデルとして私はまだ学習中であり、そちらについてはお手伝いできません。」というメッセージとともにリサーチが打ち切られてしまうというものでした。従ってGemini Deep Researchの2つ目のレポートは存在しないわけですが、リサーチの行き詰まりの理由を検討する手がかりとするために、第1稿の時と同様、「リサーチ計画」、「思考プロセス」を示すことにします。まず与えたプロンプトに対するGeminiの「リサーチ計画」は以下の通りです。

マーラー後期様式、形式分析再考
 
ウェブサイトをリサーチ 
(1) マーラーの後期様式を定義し、その特徴的な音楽的要素、作曲技法、およびこの時期に属するとされる具体的な作品を特定する。
(2) マーラーの後期作品における伝統的な音楽形式(例:交響曲の構造、歌曲集の形式)の進化と適用について調査する。
(3) マーラーが後期作品で既存の形式構造をどのように革新または拡張したかを分析し、交響曲第9番や『大地の歌』などの具体的な例に焦点を当てる。
(4) マーラーの後期様式の形式的側面に関する学術的な解釈や分析を調査し、彼の音楽的成果を疲労や老化の概念と結びつける資料を厳密に除外する。
(5) マーラーの後期と形式的特徴について重要な著作を発表している著名な音楽学者や理論家を特定し、純粋に音楽構造に焦点を当てた分析を探す。
(6) マーラーの後期作品における標題的または哲学的基盤を探求し、これらのテーマが彼の個人的な健康や身体的状態に言及することなく、音楽形式とオーケストレーションを通じてどのように表現されているかを検討する。
(7) マーラーの後期作品から、独自の形式的アプローチや様式的特徴を示す主要な音楽的例をまとめる。
(8) 収集したすべての情報と潜在的な参考文献を再確認し、疲労と老化に関する研究や議論が一切含まれていないことを厳守する。
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上記のリサーチ計画を確認する限りでは、 「疲労と老化に関する研究資料は用いずに」というプロンプトの指示がかなり強めに解釈され、「彼の音楽的成果を疲労や老化の概念と結びつける資料を厳密に除外する」「収集したすべての情報と潜在的な参考文献を再確認し、疲労と老化に関する研究や議論が一切含まれていないことを厳守する」となっていることがわかります。しかしながら例えば、「(6)マーラーの後期作品における標題的または哲学的基盤を探求し、これらのテーマが彼の個人的な健康や身体的状態に言及することなく、音楽形式とオーケストレーションを通じてどのように表現されているかを検討する。」は一見したところかなり強い制約に見えて、実は第1稿の「サイードの批判に従い」、伝記的事実に基づくのではなく、音楽的要素に焦点を当てて考察するアプローチを採用するという方針の確認であるとも取れ、だとしたらこちらの「リサーチ計画」こそが本来のものなのかも知れません。そこでこの「リサーチ計画」をそのまま承認して、リサーチに入ったのですが、既述の通り、リサーチは完結することなく、16ステップ目の途中で打ち切りになってしまいました。原因を推測すべく「思考プロセス」の確認のため、打ち切りのタイミングで表示されていたリサーチ対象となったWebサイトの一覧と「思考プロセス」のログを保全しました。その内容は以下のファイルに保存、公開しています。


なお、途中で行き詰ってしまった場合のログは、一旦ウィンドウを閉じてしまうと再び確認することができなくなってしまうようですので注意が必要です。上記はリサーチ打ち切り直後の段階で保全したものです。

 思考プロセスを確認すると、7ステップ以降、最後の1ステップ前までのステップは同一で、以下の内容が繰り返されており、指摘されている「残された情報ギャップ」が何度検索しなおしても埋まらない様子が窺えます。

後期様式分析の進捗

これまでの調査で、マーラーの後期様式に関する多くの情報が集まり、レポートの主要な構成要素が確立されました。特に、ドナルド・ミッチェルによる『大地の歌』の詳細な形式分析、交響曲第9番アダージョ楽章のシェンカー分析、そして歌曲が交響曲のテーマ性や形式に与える影響に関する具体的な記述は、レポート作成の強力な基盤となります。ポール・ベッカーの分析の方向性も確認できました。

残された情報ギャップ

エドワード・サイードの「後期様式」理論がマーラーの特定の作品の音楽形式に具体的にどのように現れているかを示す詳細な分析例がまだ不足しています。また、交響曲第9番の第1楽章における形式論争(ソナタ形式 vs. 二重変奏)について、具体的な学術的根拠や両者の主張を比較分析できるような情報が不足していると感じています。

今後の調査方針

これらの情報ギャップを埋めるため、エドワード・サイードの理論をマーラーの音楽に適用した具体的な音楽分析例を含む学術論文を再検索します。さらに、交響曲第9番第1楽章の形式論争に特化した学術論文を検索し、両形式の主張と具体的な音楽的根拠を明確にしていきます。これらの情報が得られれば、レポートのすべての項目について十分な情報が揃うと判断し、リサーチを完了する予定です。

 この結果を見ると、第1稿の結論である「分析の限界」が起こらないように「疲労と老化」の問題系を取り除いた結果、「潜在的なつながり」ではなく「より直接的な分析」を試みようとしても、Gemini自身が必要であるとした「マーラーの晩年の作品とそれに関する批判的な解釈に特に焦点を当てた研究資料」が見つからず、その結果リサーチが頓挫してしまったというように考えることができそうです。そして「思考プロセス」が中断するタイミングでは、以下のステップを実行している最中であったことが確認できます。

初期調査の進捗

マーラーの後期様式に関する初期のウェブ検索を実施し、いくつかの関連情報源を特定しました。特に、交響曲第9番の形式構造や変奏技法に関する詳細な分析を含むブログ記事や、マーラーの対位法、不協和音、断片的なモチーフの使用に言及する記事が見つかりました。また、マーラーが新しい作曲手法を取り入れ、前衛的な姿勢を保っていたという学術的な見解も確認できました。

情報源の評価と課題

検索結果の中には、マーラーの後期様式に直接関連しない情報や、新譜速報、一般的な音楽史の記述など、今回の調査目的には合致しないものも含まれていました。また、個人のブログ記事は詳細な分析を提供しているものの、その学術的信頼性を他の情報源で補完する必要があると考えています。特に、「疲労と老化」に関する記述を厳密に除外するという制約を遵守するため、情報源の選定には細心の注意を払っています。

今後の研究方針

今後は、マーラーの後期様式に分類される具体的な作品(交響曲第9番、『大地の歌』など)を明確にし、その形式的特徴を深く掘り下げていきます。ソナタ形式、ロンド形式、変奏技法、調性の扱いといった具体的な音楽構造の革新と拡張に焦点を当て、より詳細な情報を収集する予定です。また、後期様式の形式的側面に関する学術的な解釈や分析を行っている音楽学者や理論家を特定し、彼らの著作や論文から純粋に音楽構造に焦点を当てた分析を探求します。これらの情報源を精査し、個人的な健康状態に言及することなく、標題的・哲学的基盤が音楽形式やオーケストレーションにどのように反映されているかを分析していきます。

 公開したファイルを確認頂ければわかることですが、実はこの内容は、7ステップ以降、堂々巡りとなってしまったステップに遥かに先行する、2つ目のステップのものと全く同一です。木構造の探索が行き詰るとバックトラックが起きて出発点のノードに戻りますが、丁度それと同じように、それまで企図したリサーチ計画が行き詰ってしまった結果、かなり手前の状態に後戻りしているように見えます。当然のことながら、同じパスをもう一度辿ることは無意味であり、何らかの仕方で別の選択肢を試みる必要があるわけですが、Geminiのリサーチはその別の選択肢を試みる間もなく中断してしまいました。

 結果だけ見れば、「疲労と老化」の主題系を取り除いたことは、リサーチを容易にするのではなく、寧ろ困難にしてしまったように見えます。だとしたら寧ろ、始めから「疲労と老化」という主題系での調査を行うことを陽に指定して、その結果をレポートに記載するアプローチを採るべきだったのでしょうか?そもそもこの打ち切りは無料版のリソースの制限によるものであり、リソースが豊富にあれば、後戻りしての別の選択肢の試行が継続されたのでしょうか?一つの可能性として考えられるのは、残された情報ギャップを見る限り、第1稿で問題になった文献81 Death and Transfiguration?: Late Style in Gustav Mahler's Last Works こそがGeminiが必要としていたミッシング・リンクそのものであり、Abstractだけではなく本文もアクセス可能であったとしたら、その内容を以てギャップを埋めてレポートが作成できたのではないかということです。確認した限りでは文献81の本文は、氏名とメールアドレスとともにリクエストを出すと、そのメールアドレス宛に送付されるという仕組みのようですが、そうではなくてこれが最初からアクセス可能であれば、Geminiはその内容に基づいてレポートを完成させることが出来たのかも知れません。であるとするならば、Abstractのみしかアクセスできない文献に基づいた「リサーチ計画」を立てたことがGeminiの敗因であり、リサーチにあたっての資料の活用戦略というテクニカルな側面を解決することが、今回のような行き詰まりの対策として有効なのかも知れません。

 それはともあれ、自ら設定した「リサーチ計画」が失敗するというのは人間のリサーチにおいてもしばしば起きることであり、それ自体は仕方ないことです。寧ろそうした事態が生じることを前提とし、リサーチの行き詰まりを検知したら方針を変更するといったフィードバック機構こそ自律的なエージェントを目指すのであれば必須と思われますが、急激に発達したとは言え、現時点での生成AIの推論機能に、そのようなメタレベルのフィードバックを要求するのは時期尚早なのかも知れません。そうした失敗からのリカバリが可能になるためには、与えられた課題をブレイクダウンして一連の推論のステップに分解するのとは別の能力が必要となります。そしてそれは恐らく、検索結果に存在する情報ギャップを埋めるにあたり、今回のGeminiのように単純に検索を繰り返すことに終止せず、ギャップを埋める仮説を自ら生み出すことと表裏一体なのではないかと思います。例えば通常の推論だけではなく、アブダクションのメカニズムが備わっていたら、思考プロセスはどのようなものになったかを考えることは興味深い問題に思われます。(なお最新の生成AIがアブダクションを行えるかどうか自体、興味深い問題であり、検証も行われており、その結果は必ずしも否定的ではないものの安定はしていないようです。これは生成AIの動作は基本的に事前学習に基づく確率的なものであることを考えれば不思議ではありません。つまり、明示的にそのような機構を組み込むようなチューニングを行わなくても、事前学習データに偶々類似の問題を扱ったものが存在すれば、それを利用することで推論に成功することも十分に考えられるということです。もっともここでの問題は、「思考プロセス」においてアブダクションを行うことで行き詰まりを打破できるかというものなので、対象となっているフェーズが異なることに留意すべきかも知れません。)

 要するにそれは、生成AIが創造的に振る舞うことに他なりません。このように考えれば、今回の検証で明らかになった課題は、極めて本質的なものであることになります。第1稿のレポートの末尾を取り上げた際に、Deep Researchの機能は本来的には関連する研究資料を探索してその内容を編集・要約することでしかなく、人間のレポートであれば求められるであろう、視点の新規性とか考察の独自性といったものを目指しているのではないということを図らずも示しているという指摘をしましたが、そこで述べたように、Geminiが他力本願で誰かの先行文献が検索によって見つかることを期待している当の研究を自らが行えるようになることと、行き詰ったリサーチを補正することの間には密接な関係があるのではないでしょうか?

 他方、現時点においても、恐らくはプロンプトの調整ないし「リサーチ計画」への介入によってレポートが得られるように軌道修正することは勿論可能でしょう。しかしながらそれは最早今回の検証の範囲を超えていますし、そもそも当初のプロンプトは私の問題意識から出たものであったにしても、ここでGemini Deep Researchが採用しようとして行き詰ったアプローチは私自身のそれと同じではなく、Geminiは私の研究を代行してくれている訳ではありません。従ってGeminiの「リサーチ計画」の補正は別途の課題とし、その検証については後日を期することとして、ここでは一旦、第2稿のリサーチの失敗という結果の確認を以て一区切りとしたいと思います。

 この後は比較検証という位置づけで行った、各システムの無料版の標準モデルの回答を確認することにします。(続く)

(2025.6.9 公開, 6.18 加筆)

マーラーについて生成AIに聞いてみた(15):生成AIがマーラーの「後期様式」について論じる(概説・ChatGPT Deep Researchの場合)

 これまで「マーラーについて生成AIに聞いてみた」と題して、近年急速な性能向上が見られる商用生成AIに対してマーラーに関する問い合わせを行い、返って来た答についてファクトチェックを行う検証の結果について報告してきました。

 最初の検証は2025年3月に実施、商用AIの無料版を対象をすることにし、ChatGPT, Gemini, Claude の3つを選択しました。最初の検証対象となったのは、ChatGPT4o, Gemini 2.0 Flash, Claude 3.7 Sonnetでしたが、このうちGeminiのみがWeb検索を併用、ChatGPTとClaudeはWeb検索なしで、LLMの事前学習結果に基づく回答を行うものでした。回答には多くの誤りが含まれ、特にマーラー没後の受容についての情報、特に日本での受容のようなローカルな情報についての精度が低く、そのためにRAGを構築してその効果を検証するといったようなことも試みてきました。

 そうした一連の検証結果の整理が一通り済むか済まないかの2025年5月には対象としている生成AIの側で幾つか動きがありました。Geminiではバージョン2.5がリリースされ、無料版での標準はGemini 2.5 Flashにバージョンアップされました。それを追うようにして、Claudeもバージョン4がリリースされ、Sonnet4が標準になりました。更にLLM自体のバージョンアップだけではなく、Geminiでは3月時点で利用可能になっていたWeb検索との併用が、ChatGPTとClaudeの無料版においても可能になりました。特に後者は、LLMの事前学習の結果のみではなく、リアルタイム検索によって得られた情報も利用するという点において、RAGと同様の効果が見込まれ、大幅な精度改善が期待できることから、再検証を実施しました。

 その結果は、方向性としては想定通りながら、想定を上回る高精度の回答が返って来るようになり、最早RAGの構築の必要性を感じさせないものになっていました。正しい情報に基づいているかという点は当然として、回答に添えられる付加的な情報の選択についても自然なものとなっており、頻度は大幅に下がったものに時折発生する誤り(「幻覚(Hallucination)」)についてのファクトチェックは依然として欠かせないものの、充分に実用に耐えるレベルになっていることが確認できました。もともと近い将来に改善されるものとは思っていましたが、タイミングによる偶然もあるとはいえ、わずか3か月足らずでここまでドラスティックな性能向上が見られるとまでは予想しておらず、率直に、その性能向上のペースに驚きを禁じ得ません。

 しかしながら生成AIの性能向上は、上記の検証結果の範囲に留まるものではありません。時に最近のトレンドは、単純な情報検索と整理に留まらず、サブタスクへの分解や複数のステップを踏んだ処理を必要とする複雑な問い合わせに対応できる、所謂「深い」推論ができるようになった点に寧ろ重点があり、始めから人間の能力を上回る情報収集能力に加えて、情報収集した結果を整理・統合してレポートとしてまとめる能力が喧伝されています。推論を得意とするLLMのモデルは各生成AIの無料版で利用できるものとは別に用意されており、従来は有料版でのみ利用可能だったのですが、最近のバージョンアップによって、本企画で検証対象としている商用生成AIのうちGeminiとChatGPTについては、回数制限付きながらDeep Researchの機能が無料版でも利用可能になりました。

 そこで本企画においてもDeepResearchの機能の検証を行いましたので、本記事ではその結果を報告します。

 問いとして用意したのは、「マーラーにおける後期様式」に関する問です、とはいえこの問は検証用に誂えたものではなく、これまで「マーラーにおける「老い」についての論考に向けての準備作業」というプロジェクトにおいて、従来は完全に「人力」で調査を行ってきたものの中核部分を成すものです。特に「後期様式」という規定を巡っては、アドルノが『マーラー 音楽観相学』(邦訳は龍村あや子訳, 法政大学出版局, 1999)において言及している、ゲーテの「現象からの退去」としての老年という捉え方がその焦点となると考えていますが、これはジンメルのゲーテ論における「老齢藝術」論をベースにしたものであることから、DeepResearchのためのプロンプトとしては以下のものを用意しました。

Deep Research用のプロンプト:

「ジンメルがゲーテの「現象からの退去」を「老齢藝術」の特徴としたことを踏まえたアドルノの「後期様式」についての考え方に基づいて、マーラーの作品における「後期様式」について論じ、特にそれが音楽的形式にどのように影響しているかを分析して下さい。」

 検証対象は以下の通りです。既に述べたように無料版で利用できるDeep Research 2種(LLMはChatGPT o3とGemini 2,5 Pro)がメインの検証対象です。ClaudeにもClaude Opus 4という推論を得意とするモデルが提供されていますが、無料版では利用できないため、今回は対象外です。比較のために、無料版で利用できる標準のモデルへの問い合わせ結果も示すことにします。

  • 検証1:ChatGPT Deep Research with o3
  • 検証2:Gemini Deep Research with 2.5 Pro
  • 比較検証1:ChatGPT 4o 
  • 比較検証2:Gemini 2.5 Flash
  • 比較検証3:Claude 3.7 Sonnet
  • 比較検証4:Claude Sonnet 4
 実験はそのほとんどを2025年5月19日に行い、翌日5月20日に検証1の2回目を実施、その後Claude Sonnet 4のリリースを受けて6月8日にClaude Sonnet 4での比較検証を実施しました。検証結果は、今回はいずれも簡単なものとはいえ、レポートの形式となっており、それなりの量になることから、本稿の中で紹介することはせず、以下の通り、pdf化したファイルを公開することにしました。

 後述する経緯によりChatGPTについては若干プロンプトが異なる2バージョンの結果が得られましたので、その両方を公開します。また比較検証2は実際にはリサーチ計画のみの提示でした。比較検証3,4はいずれもレポート形式の出力を採用していますが、比較検証3では上記の標準プロンプトでレポートが出力されたのに対し、比較検証4ではレポート形式にならなかったため、プロンプトを若干変えてレポート形式の出力となるよう明示的な指示を与えた結果になっています。いずれについても詳細は後述します。
以下では、各検証結果について順次簡単にコメントをしていきます。


*     *     *

(A)検証1:ChatGPT Deep Research with o3について

ChatGPTのDeepResearchは、プロンプトを与えると、それに対してシステムの側から調査の方針についての問い合わせが来て、こちらがそれに回答すると調査を開始するという段取りになっています。そこで、調査開始までのやり取りについても報告することにします。

上記のプロンプトに対するChatGPTからの返答は以下のようなものでした。
マーラーの後期様式についての考察をまとめるにあたって、もう少しだけ詳しくお聞きしたいです。

1. どのような観点を重視した考察をご希望ですか?(例:音楽的構造、哲学的観点、感情表現、文化史的文脈など)
2. 対象としたいマーラーの具体的な作品や時期(例:交響曲第9番以降、あるいは『大地の歌』など)はありますか?
3. 論文、レポート、エッセイなど、どういった形式でのまとめを想定されていますか?
当然のことながら、これに対してどのように答えるかで返って来る結果は変わります。1回目は以下のように回答して調査を進めてもらいました。
1.観点としては哲学的観点とそれが音楽的構造にどう反映されているか。2.どこからを後期様式とするかという範囲の問題も含めて考察してください。この場合第8交響曲の位置づけが問題になると思います。3.論文
ChatGPTでは調査にかかった時間、情報源の数、検索した回数といった情報も一緒に帰ってきます。1回目はそれぞれ9分、36件の情報源、87件の検索に基づいて、上記のマーラー後期様式_ChatGPT_DeepResearch_20250519.pdfで確認できる「マーラー後期様式における「現象からの退去」と音楽的構造」と題する小論文が返ってきました。なお、「アクティビティ」として、検索・推論のプロセスのログが確認できるようになっており、何をしようとして、どれを検索したか、その結果どのような情報が得られたかといったリサーチの流れをトレースすることが可能です。ここではその詳細は割愛しますが、ご参考までに、本検証の「アクティビティ」の冒頭部分と末尾部分を以下に示します。日本語に翻訳する過程でやや不自然な表現になっている部分もありますが、訂正せずに出力をそのまま示すことにします。
ChatGPT
アドルノの「音楽的表現の心理学」を通じて、シンメルの老齢芸術の概念とガスタフ・マーラーの後期様式の音楽的・哲学的関係を探る。

Searched for アドルノ・ジンメル 老齢芸術
ChatGPT
アドルノとジンメルの「外見からの撤退」を英語で検索している。

Searched for Adorno Simmel aging art withdrawal
ChatGPT
結果0は「晩年のスタイル: 単一の歳老いの年齢差別」に関する内容のようです。ただし、シンメルやアドルノに特化しているわけではなさそうです。[1]「アドルノの美学理論の老化」も関連する可能性があります。

Favicon
shc.stanford.edu を読み込みました

ChatGPT
「Late Style」に関連する一般的な学術記事で、アドルノの理論が脚注で言及されているかもしれない。

Favicon
shc.stanford.edu からさらに読み込みました

ChatGPT
元の引用が必要かもしれないし、アドルノの『マラー』やシンメルの『ゲーテ』に触れるかも。
(中略)

Searched for マーラー 現象 退去 アドルノ
ChatGPT
山崎さんのノート.comの資料を探しています。

Favicon
note.com を読み込みました

ChatGPT
アドルノはマハーの晩年のスタイルをシンメルの「老いの芸術」と関連付けて、断片化、解体、別れ、反対の調和を探求している。彼の分析は、マハーがワーグナーと新作に橋渡しをしている点を強調している。

Favicon
u-gakugei.repo.nii.ac.jp を読み込みました

ChatGPT
アドルノの「老齢藝術」「現象からの退去」というテーマで、マーラーの後期スタイルと音楽構造について詳細に分析し、ジンメルの考え方と結びつけています。
 上記引用には含まれませんが、このプロセスをトレースすることでChatGPTのDeep Researchの挙動について色々なことがわかるので、検証結果とは別に、参考資料として、アクティビティのログを保存したものを以下の通り公開していますので、興味のある方はご覧ください。


 内容の詳細は上記ファイルをご覧いただければと思いますが、冒頭、「後期様式の範囲と第8交響曲の位置づけ」と題する節が設けられ、事前の指示の第2項がきちんと反映されていることが確認できます。第8交響曲を後期作品に含めるという主旨の文章で、その判断自体は首肯できるものですが、その傍証の2つ目として挙げられたザンデルリング・ベルリン放送交響楽団の「大地の歌」、第9交響曲、第10交響曲のセットのCDの解説の引用は、その意図するところが不明瞭で、有効なものになっていないように感じます。実際、その後の本論では第8交響曲への言及はなく、第8交響曲を含めて後期様式を論じてはいない点で、第2項の指示への対応が皮相なものに終わっている憾みがあります。

 小論文で参照されている文献は6件、アドルノについては東京学芸大学の森田数実先生の、アドルノのマーラー・モノグラフを取り上げた「音楽の批判的理論(4)」が参照されていますが、ジンメルの方は英語版の芸術・美学論集(編者によるイントロダクションつき)以外は私自身のnoteの記事が参照され、それ以外には「大地の歌」と第9交響曲の演奏会の解説記事が参照されているのみであり、36件の情報源、87件の検索の結果としては稍々物足りない印象が否めません。また、先にマーラーの個別作品における「物象的な外界からの距離化」の例を挙げた後、アドルノのマーラー論とジンメルの老齢藝術論との接点について述べるという構成もちぐはぐな感じで、構成的にも改善の余地がありそうです。

 具体的な細部について言えば、第10交響曲についての記述にはおかしな部分が多々あり、フェイクに近いものと感じられますが、これは第10交響曲についての参考文献が示されていないことと関係しているように思われます。また、後半のアドルノとジンメルの比較の部分でも「アドルノ自身は直接「現象からの退去」という語を使わないが」といった誤った記述が見られますし、再び第10番について言えば、完成されるべく企図された、ありうべき形態を仮定してならともかくも、その未完形態を「既存の形式を一種の仮構的配置として構築しなおす試み」とするのはさすがに無理があるでしょう。一方で「異邦性の仮面として中国詩に求めた」ことを、「作品が自己の個人的感覚(作曲者のアイデンティティの葛藤)を内的に覆い隠す媒介を用い、外界から 一歩退いた視座で世界に向き合っていることを示唆する表現」と捉えた箇所などは、やや表現がちぐはぐに感じられる点を措けば、指摘として興味深い側面を含むように感じます。(但し一般に「仮晶」を「後期様式」と単純に結びつけることには留保が必要であり、「後期様式」の固有性という観点からは、寧ろ「仮晶」として他ならぬ東洋が選ばれた点に重点を置いて捉えるべきかと思いますが、こうした点は寧ろ私自身のマーラー後期様式論で論じるべき内容ですので、詳細は後日の宿題とさせて頂きます。)

 全般としては、大きくみれば致命的な誤りがあるわけではなく、一部に興味深い細部があるものの、細部において明確な誤りや不自然な論理の流れが目立ち、検索して得られた結果を継ぎ接ぎして何とか体裁を整えるという域を超えているとは言い難く、全体の構成にも無理があり、それほど高い評価はできないでしょう。とはいうものの、これがプロンプトと簡単な指示だけで生成されたことを思えば、――そして、同じ問いを人間に与えた時のことを思えば――わずか10分足らずでこれだけの内容をまとめることができること自体は驚異的なことに思われます。

 また参考までに付記しておくと、上記の小論文作成後、「参考文献をリストとして示してください。」というプロンプトを(Deep Researchに対してではなく、4oに)与えてみたところ、「それらしい」リストは返って来たのですが、内容上は存在しない論文、存在しない翻訳など、多くのフェイクが含まれていました。その内容をここで示すことはしませんが、これはChatGPTに関してはしばしば報告されていることでもあり、利用にあたっては注意と確認が必要だと思います。

 ChatGPTについては、上記1回目の検証の後、翌日に2回目の検証を行いました。その理由は、その後他のシステムでの検証を実施した結果を踏まえると、プロンプトを与えた後のChatGPTからの問い合わせに対する答で、第8交響曲を後期作品に含めるかという論点を与えるなど、調査の方向性を拘束しすぎて、稍々他の結果とは異なった内容となってしまったと感じたためです。そうした背景から、調査の方向を限定するような指示を極力避けて2回目の検証を行いました。その結果はマーラー後期様式_ChatGPT_DeepResearch_20250520.pdfでご覧になれます。所要時間はほぼ同じで10分弱。情報源、検索についても同様な傾向でした。

 2回目の小論文は、序論・理論的背景・マーラーの後期作品の形式分析・考察・結論という構成となっており、1回目と比べて自然な流れになっています。しかしながら、その細部は第1稿に比べてもなお一層問題含みに感じられます。今回は第10交響曲についても参照した文献が示されていますが、その内容は、確かに参照された文献の情報を利用してはいるものの、その要約としては不適切なものですし、通常は引用と了解される括弧「」の使用も不適切で、私が確認した限り、その内容に正確に該当する箇所は元の文献には存在しないようです。前回同様ここでも、作品が未完であること自体を「構造的完成の回避」と捉えていますが、これは無理のある主張だと思います。個別の作品の内容についての記述の奇妙さは、第10交響曲のみならず第9交響曲、「大地の歌」の記述にも散見されます。一つには、参照した英語の文献を日本語に翻訳しつつ利用していることから、翻訳がこなれていないという問題が少なからず関与しているとは思いますが、それを差し引いても、序論末尾に要約された「和解の欠如」「形式と素材の対 立・不一致」「未完性・断片化」「沈黙や空白の利用」といった後期様式の特徴の例示としては不適切・不十分に感じられます。考察の内容も、大筋では間違っていないのと引き換えに、皮相な印象は否めません。

 参考文献として最終出力の小論文に記載があるのは8件、そのうち2件が私のnoteの記事である点は措くとしても、、『ベートーヴェン――音楽の哲学』(作品社)の出版年が誤っていたり(正しくは2000年ではなく1997年)、リンクが何故か原著の一部(タイトル、目次と編集者による序文のみで、本文は欠)であったりするなど、第1稿同様、あるいはそれ以上に不適切・不十分に感じられます。

 第2稿は、体裁こそ第1稿よりも整っていますが、その内容は、結局のところ検索で得られた情報を継ぎ接ぎして体裁と整えたというレベルを超えるものではなく、Webでは基本的な文献(ここではジンメルの『ゲーテ』やアドルノの『マーラー』)自体を参照できるわけではなく、二次的な文献の文章を介してその内容を窺い知ることができるに過ぎないという制限のために、その記述は皮相なレベルに留まっており、見るべきものがほとんどないように感じられました。

 ChatGPTのDeep Researchの結果についてのコメントは以上として、次にGeminiのDeep Researchの結果を確認することにしようと思います。(続く)

(2025.6.9)


2025年5月14日水曜日

備忘:マーラーの音楽における「老い」についての論考に向けての準備作業 (18):ジンメルの「老齢藝術」を巡って

 (承前)

 勿論、こうした問いに対して一度にすべて答えを出すことはまだできないけれども、未だ漠然としたものでありながら、朧気に浮かび上がって来ている構造の輪郭を素描する事はできるだろう。それは3つの水準から構成されるものだろう。即ち、「老い」のシステム論的定義が対象とする生物学的・生理学的な水準、「老い」についての意識を対象とする現象学的な水準、更にその2つ目の構造が産出する「作品」の水準を区別することができるだろう。そしてこれまで本論で取り上げてきた様々な見解は、それぞれどの水準を対象にしているかにより分類することも可能だろう。就中、本稿で取り上げているアドルノやジンメルのそれは、「作品」の水準を対象としたものだが、それは当然作品を生み出す「意識」の在り様と無関係ではありえないから、自ずと両者の関係を問うものになる一方で、「老い」の意識が対象としている「老い」そのものを問い直すという視点は希薄のように思われる。ところがマーラー自身は老いにフォーカスしている訳ではないが、その替わりに、当時の科学的知見を背景にした有機体論的な発想から、3つの水準を横断するような把握をしていて、それ故に、マーラーの作品において「老い」を問うについても3つの水準を横断することを求められているということなのではなかろうか。

 だが、ここではそうした整理を踏まえ、性急にその3つの水準を一度に捉えるのではなく、今一度アドルノやジンメルの視点に立ち戻り、「老い」そのものへの問い直しが始まる地点を見極めておくことにしよう。その手がかりとして、ここではまず、アドルノが依拠しているとされるジンメルの「老齢藝術」(上で引用した木村訳の『ゲエテ』の訳語による)についてもう少し細かく見てみたい。

 ジンメルが「老齢様式」について集約的に述べているのは、『ゲエテ』第八章 発展のp.381の「予は今や、遂に色々の方面から暗示せられた点に到着した。」で始まる段落以降ということになろうが、その前後の記述を確認すれば、実はジンメルにおいても「老齢藝術」に主観と客観の破綻を見ていないわけではないことが確認できる。「形式とは常に客観の原理の謂」という点を踏まえるならば、「強い波動をなして高まる主観と綜合的統体形式の破裂」という表現は、まさに主観の客観の破綻について述べていることになるし、「形式原理の断絶克服」や形式に対する「一種の無頓着、否恐らく拒否と反撥」を指摘してもいる。

 またジンメルがゲーテ以外に「老齢藝術」の例として挙げる中には後期ベートーヴェン、具体的には弦楽四重奏曲とチェロソナタが含まれるが、ゲーテにおける「決定的徴候」として指摘されるのは、「ファウスト第二部に於て殊に現れる用語上の合成の無理」であったり、「これよりも一層決定的なのは、個々の表出が脈絡なく投出された様に見える句」であり、これもまたアドルノの後期ベートーヴェンについての先に引用した記述と共鳴するものであろう。(なおこの指摘はアドルノのヘルダーリン論におけるパラタクシスへ補助線を引くことが考えられるものだと思うが、この点を論じることは別に機会に譲らざるを得ない。)

 そうした分裂を議論の余地がない事実として確認しつつ、ジンメルは、「歴史的に鋳造された形式に対して形式原理の拒否をその主権内に蔵する老齢藝術が、何故に単純なる主観に堕する様に見えるかという理由」を問うているのである。そしてそれを「恰も一の統体を統一構成する力が老人に失われ、主観の域を脱しない個々の契機の頂点を示し得るに過ぎないかの如く考へ、その理由としては、老人は、個々の衝動、思想、見解が中断なく相互に働き合う連続としてのみ現るる独自の形式には到達し得ない」というような、或る種の衰頽によるとする見方を「皮相的」として退け、その上で既に引用した「現象からの漸次の退去」に関連付けた説明を行っているのである。そしてそこでは「絶対的内面化が存在し、それに依つて主観が純粋な客観的精神上の存在となり、従つて彼には外存相が謂はば全く存在せぬ結果になる。」かくして「全対立の克服」が実現されるというのである。(但しジンメルは「恐らく」という留保をつけて、それが完全に実現されているについては留保を行っているが。)

 そして「現象からの退去」は、作品のみならず老齢の人間の生そのものを「象徴的」なものにするという。高齢者の生そのものが物象に対する「記号」であり「代理比喩」であり、「象徴」であるというのである。

「併し、かかる高齢の人間から世界の個々相と外存相とが如何に遠ざかっても、やはり此の世界に生活し、芸術家として此の世界並に世界に存する物象に就いて述べねばならぬから、彼の陳述、否彼の全精神的存在は象徴的となる事、換言すれば彼の物象を最早その直接性、その独自存在のままに掴み述べる事はせずして、唯彼自身とのみ生き、彼自らの世界である内面の脈拍が物象に対する記号であり得る限り、乃至脈拍そのものが物象の代理比喩である限り、物象を掴みこれを表現し得る事は理解が出来る。」(ジムメル『ゲエテ』, 木村訳, p.385。引用に当たっては原訳書の旧字旧かなを適宜改めた。)

 この点についてジンメルは、高齢のゲーテが「凡ての自己の活動、成業を常に象徴的にのみ見ていた」という言葉を引いて傍証とする。そして更にジンメルはゲーテが、自分自身に関係づけて「静寂観」と「神秘」とが老齢の特質であると言ったことに触れ、ここでの「神秘」を上述の「象徴」と見做し、『ファウスト』第2部の末尾の神秘の合唱の「一切の無常相は一の比喩に過ぎない」に結びつけつつ、「ゲーテは、老齢期の要素が特に彼の早期の存在様式と異れる限りに於て、明確に、かの二性質を以て老齢期を説明した。」とするのである。かくしてジンメルの結論は以下のようなものとなる。

「此の「静寂観」はかの「現象よりの退去」に他ならず、主観が自己と対立する客観を有する場合とは全く異れる意味、即ち相対的の意味を持たない主観の自性的存在に他ならぬ。今やゲーテ自身世界の一切であり、世界に関して知り得る一切である。従って所謂世界に対しては、「象徴」の関係を有するに止まる。それで、此の主観と客観的「形式」との間には全対立が消滅する。蓋し、曾ては或る仕方で先在し、主観自らの所産内であるにしても、主観の彼方に存在した形式を主観に齎し来った客観化は、今や主観の自己開放と自性帰還との結果、主観の直接なる生活と自己表現裡に現るる事になった。」(同書,pp.385~6)

 このジンメルの結論については、幾つもの角度からコメントすることが可能だろうが、何よりもまず、『ファウスト』第2部末尾の「神秘の合唱」を、「老齢期」を特徴づけるものとしている点が挙げられるだろう。勿論、『ファウスト』を「晩年様式」の作品であるとすることに異論はなく、また、「一切の無常相は一の比喩に過ぎない」がゲーテがその晩年にようやく到達した認識であるということであれば、それもまた問題にはならないだろう。だがこの「一切の無常相は一の比喩に過ぎない」という余りに有名な章句は、通常はどちらかといえば普遍的、一般的な真理を捉えたものと考えられているのに対して、それが「老齢期」の特質であり、「老齢期」固有のものであるとするとなれば、これは些か別の話になる。寧ろ例えばトルンスタムの「老年的超越」のような、「老い」に固有のものとの突き合わせをすることが相応しいものであることになる。

 一方でここでジンメルが語るような事態、「ゲーテ自身世界の一切であり、世界に関して知り得る一切」であるといったことが現実に生じうるものなのかを疑問視する向きもあるだろう。この点について言えば、既に述べたようにジンメルは、「老齢に於ては、偉大な創造的人物は―予は茲で勿論純粋の原理、理想に就いて述べるが―自己内に、自己自らに形式を具へてゐる。即ち、今や<絶対に彼自らのものである形式>を所有する。」(p.383)というように或る種の原理的な極限形態である理想であると断っているし、ゲーテにおいてすら「無形式、結合の分裂は、彼の偉大なる生涯の努力、即ち主観の客観化が彼の最高齢に於て、新しい、神秘絶対的完成段階に達したとは云わぬ迄も、その直前に来ていた徴候であると言えよう。」(p.386)というように、完成については留保はつけている。だがそれが現実には完全な形では到達し難い理念的なものであったとしても、そうした傾向を現実に認めることについては可能だろうし、寧ろそうした認識を「悟り」の如き到達点、ゴールとして捉えるのではなく、寧ろ漸近的な絶えざる運動として捉えるという、本稿では特に道元を参照しつつ述べた「老年的超越」の捉え方と親和的なものとして考えることも可能であるから、現実の「老い」の説明として一定の有効性を認めることができるように思われる。

 またここでの主観と客観的「形式」との対立の消滅は、主観が絶対的内面化によって客観化することによって可能となるとされるのであるが、少なくともマーラーにおいてこれを可能にするものとして、アドルノが指摘している「唯名論的」な性格、ボトムアップにその都度素材から形式が作り出されるという点が思い浮かぶ。実際、マーラーの後期作品の形式は極めてユニークであり、伝統的な楽式論を単純に適用してその構造を説明することができないことは、例えばエルヴィン・ラッツが具体的に第9交響曲の第1楽章を取り上げて分析することによって明らかにしている。片や「老齢」によって実現されるものとされ、片やその作品全体を通じての傾向として述べられているという違いはあるけれど、実際にはアドルノの指摘する「唯名論的」性格は、とりわけ後期作品において著しいものであることは、例えばラッツが分析の対象としたもう一つの楽章である第6交響曲の第4楽章との比較において第9交響曲が既存の形式から隔たっている度合いを確認すれば明らかであろう。従ってマーラーの作品の「唯名論的」な性格については、「老年的超越」が必ずしも老年期のみに限定されるものではなく、「基本的に、青年期以降の老年的超越へと向かうプロセスは、一生涯連綿と続いていくものであると仮定することができる(トルンスタム,『老年的超越』,冨澤・タカハシ訳, 晃洋書房, p.41)という点に通じていると考えるべきなのかも知れない。更に言えば、マーラーの作品に「唯名論的」性格が備わっていることが、マーラーを発展的な作曲家たらしめ、ひいては「マーラーだけに、アルバン・ベルクの言葉によれば、作曲家の威厳の高さを決定するところのあの最高の品位の後期様式というものが与えられる」(アドルノ『マーラー 音楽観相学』, 龍村あや子訳, 法政大学出版局, 1999, p.112)ことを可能にしているのだという見方もまた、可能ではなかろうか。

 一方でこれを文字通りにとるならば、最早「作品」を創ることもまた相対化されてしまい兼ねず、トルンスタムの「老年的超越」のような「老年期」の生き方そのものとの突き合わせは出来たとしても、こと「芸術作品」の様式の説明として考えた場合には、それを逸脱してしまうことはないのかという疑念が湧いてくる。寧ろここで思い浮かべるのは中島敦の『名人伝』の弓の扱いを忘れた弓の名人であり、或はまた或る種の断筆こそが相応しいのではないか。

 だがここまで辿り着いた時に直ちに思い浮かぶのは、まさにマーラーが「作品」は「抜け殻」に過ぎず、作品を生み出す人間の生以上のものではないと述べていたことである。一見したところ謎めいたマーラーのこの言葉は、寧ろゲーテ=ジンメルの「老齢様式」を念頭におくことで了解可能なものになるではなかろうか。しかもマーラーの発言の文脈を捉えるならば、まさにゲーテの『ファウスト』を、就中その第2部末尾の「神秘の合唱」の「うつろいゆくものは比喩に過ぎない」を恐らくは念頭において語っていることとも対応するようにさえ見える。つまりくだんのマーラーの「作品」(および「作品」を生み出す人間の生)についての認識は、マーラー自身はそれを「老い」や「後期様式」と結びつけているわけではないにせよ、上記のようなジンメル的に解釈されたゲーテの「老齢期」についての考え方、「老齢藝術」の考え方に極めて親和的であり、こちらもまた一般的な「作品」観としてではなく(勿論、『ファウスト』第2部末尾の章句がそうであるように、その次元で論じることも可能なのだが、とりわけここでは)、マーラー自身の「後期作品」についての認識として捉え直すことも可能なのではなかろうか。要するにマーラーの作品観は彼のゲーテ理解と、更にはマーラーがベートーヴェンの作品の中でも後期作品を評価していたという点と緊密に関わり合った、一貫したものであるということが言えるように思われるのである。

 勿論ジンメルのこの著作はあくまでも第一義的にはゲーテ論であり、従ってここでの「老齢様式」もまた、第一義的にはゲーテのそれについてであるし、ジンメルが傍証として持ち出すのもゲーテ自身の「老い」についての認識であり、作品である。ジンメル自身はそれをベートーヴェン、レンブラント、更にはワグナーの「パルジファル」といった対象に拡張しているが、それを安易に一般化して良いかについては少なくとも検証を要する事柄であって、無条件に首肯できるものではないとする向きもあるだろう。またこれをもう一度アドルノの「晩年様式」と突き合わせた時に、やはりそこに依然として存在する懸隔について、その距離を測る作業は別途必要であろう。マーラーに関して言えば、マーラーの作品観については上記のように、ゲーテ=ジンメルのそれと親和的であったとして、その作品そのものにについてどうかは、独立ではないにしても、また別の事柄であろう。

 それにしても、それではジンメルの言うところの「絶対的内面化」による「全対立の克服」はどのような機序により可能になるのだろうか?更に、ここでの問に即して言えば、それが他ならぬ「老齢」において可能になるのは、「老い」のどのような点に基づいているのだろうか?既に述べたように、ここまで具体的に検討はしてこなかったが、ジンメルやアドルノの議論の枠組みにおいては「老い」の意識と「作品」との関わりについては論じられても、「老い」そのものについて主題的に論じられることはない。そのためこちらの問いについては、未だその答えが得られた訳ではなく、依然として問は開かれたままということになる。既に見たように、ジンメルは「破綻」を説明するについて老人の力の衰頽を以てすることを退けたのであったが、「破綻」の理由としてではなく、例えば「現象からの退去」を或る種の力の衰頽によるバランスの変化と捉え、その原因を生物学的・生理学的な「老い」とそれを意識することに求めることは果たして不当なのだろうか?

 そしてマーラーに関してもまたアドルノにより、「すでにベッカーは、五十歳を過ぎたばかりのこの作曲家の最後の諸作品がすぐれた意味での後期作品である、ということを見逃さなかった。そこでは非官能的な内面のものが外へと表出されているというのだ。」(アドルノ『マーラー 音楽観相学』, 龍村あや子訳, 法政大学出版局, 1999, p.112)と言われているのであれば、「非官能的な内面のものが外へと表出され」うるための条件への「老い」の関与は、マーラーの作品における「老い」について考える上で極めて重要な位置を占めているに違いない。

 従って、ゲーテ=ジンメルの「老齢期」観、「老齢藝術」観は、恐らくは暗黙裡に含意されているように、結果としてそれが「老い」によって得られたものであり、かつ「老い」なくして得られないものであるとして、具体的に「老い」がどのように関わっているのかについて考えようとすれば、いよいよ「老い」と「老いの意識」と「後期作品」の3つの水準からなる構造を素描することを試みることになるだろう。即ち、生物学的・生理学的な「老い」のシステム論的定義とこの水準の構造がもたらす時間性、現象学的な「老い」の意識とそれがもたらす時間性、更にその2つが「作品」にどのように影響するのかといった3つのレベルを区別しつつ、そのレベル間の関わり合いを明らかにすることによって、未だ漠然としたものでありながら朧気に浮かび上がって来ている構造の輪郭を辿ることがマーラーの音楽における「老い」についての論考に向けての準備作業としての本論に残された課題となるだろう。そしてその構造は、シェーンベルクがプラハ講演において第9交響曲に関して語った以下の指摘を説明しうるものでなくてはならないであろう。

「そこ(=第9交響曲)では作曲者はほとんどもはや発言の主体ではありません。まるでこの作品にはもうひとりの隠れた作曲者がいて、マーラーをたんにメガフォンとして使っているとしか思えないほどです。この作品を支えているのは、もはや一人称的音調ではありません。この作品がもたらすものは、動物的なぬくもりを断念することができ、精神的な冷気のなかで快感をおぼえるような人間のもとにしかみられない美についての、いわば客観的な、ほとんど情熱というものを欠いた証言です。」(シェーンベルク「プラハ講演」, 酒田健一編,『マーラー頌』, 白水社, 1980 所収, p.124)

(2025.5.14)


2025年5月6日火曜日

備忘:マーラーの音楽における「老い」についての論考に向けての準備作業 (17):アドルノの「晩年様式」を巡って

 既に確認した通り、「晩年様式」についてアドルノは、マーラーに先立ってベートーヴェンのそれを取り上げている。『楽興の時』,所収の「ベートーヴェンの晩年様式」(初出はチェコスロヴァキア共和国のための双紙『アウフタクト』第17巻第5/6号, 1937)

 そこでの指摘は必ずしもマーラーの場合とぴったり重なる訳ではないようで、「老シュティフター」と並んで「老ゲーテ」への言及が含まれているにも関わらず、マーラーの場合に全面に出てくる「現象から身を退く」、更に基本的な部分では共通しているものの(ちなみにジンメルもまた、「晩年様式」の例として、まさにベートーヴェンを挙げているのだが)、ジンメルのゲーテ論における「老い」の把握との間の懸隔もまた少なからずあるように見受けられる。その懸隔の由縁が、どこまでベートーヴェンという個別のケースを扱ったことに拠るのかどうか。

「大芸術家の晩年の作品に見られる成熟は、果実のそれには似ていない。それらは一般に円熟しているというより、切り刻まれ、引き裂かれてさえいる。おおむね甘みを欠き、渋く、棘があるために、ただ賞味さえすればよいというわけにはいかない。そこには古典主義の美学がつねづね芸術作品に要求している調和がすべて欠けており、成長のそれより、歴史の痕跡がより多くそこににじみ出ている。世上の見解は、通例この点を説明して、これらの作品がおおっぴらに示現された主観の産物であるためだという。主観というよりはむしろ≪人格≫と呼ぶべきものが、ここで自らを表現するために形式の円満を打ち破り、協和音を苦悩の不協和音に変え、自由放免された精神の専断によって、感覚的な魅力をなおざりにしているのである、と。つまり、晩年の作品は芸術の圏外に押しやられ、記録に類したものと見なされるわけだ。」(アドルノ, 『楽興の時』, 三光長治・川村二郎訳, 白水社, 新装版1994, p.15)

 ところがここで持ち出されるのは「死」であって「晩年」そのものではないらしい。

「まるで、人間の死という厳粛な事実を前にしては、芸術理論も自らの権利を放棄し、現実を前に引きさがるほかはないといったありさまである。」(ibid.)

 だが、かくいうアドルノもまた、結局、「老い」そのものではなく、「死の想念」に言及するには違いない。

「ところで、この形式法則は、まさに死の想念において、明らかとなる。死の現実を前にしては、芸術の権利も影がうすれるとすれば、死が芸術作品の対象としていきなりその中に入り込めぬことも確かである。死は作られたものにではなく、生けるもの「にのみ帰せられているのであって、であればこそあらゆる芸術作品において、屈折した、アレゴリーというかたちで表されてきたのであった。」(同書, p.18)

 そこで批判されるのは心理的な解釈である。

「この肝心な点を心理的な解釈は見のがしている。それは死すべき個人性を晩年作品の実体と見なしてしまえば、あとははてもなく芸術作品のうちに死を見いだすことができると思っているらしい。これが彼らの形而上学の、まやかしの精髄だ。たしかにこうした解釈も、晩年の芸術作品において個人性が帯びる爆発的な力に気づいている。ただそれを、この力そのものが向かっているのと反対の方向に見いだそうとしている。つまる個人性自体の表現のなかに見いだそうとしているわけだ。ところがこの個人性なるものは、死すべきものとして、また死の名において、実際には芸術作品のなかから姿を消しているのである。晩年の芸術作品に見られる個人性の威力は、それが芸術作品をあとに、この世に訣別しようとして見せる身ぶりにほかならない。それが作品を爆破するのは、自己を表現するためでなく、表現をころし、芸術が見かけをかなぐり捨てるためだ。作品については残骸だけをのこし、自らの消息についても、自分が抜け出したあとの抜けがらをいわば符丁として、あとにとどめるだけだ。」(ibid.)

 なお、ここの部分を読んで思い起こされるのは、マーラー・モノグラフの冒頭、パウル・クレツキのカットを含む第9交響曲の録音につけられた解説に登場する「死が私に語ること」という標題に対してのアドルノの批判であって、まさにここで指摘される「反対の方向」を向いた解釈の批判ということになるのだろう。(アドルノ『マーラー 音楽観相学』, 龍村あや子訳, 法政大学出版局, 1999, p.4 を参照のこと。) 

 もう一つ、こちらは『楽興の時』の掉尾を飾る「異化された大作-『ミサ・ソレムニス』によせて―」の末尾近くにも「晩年様式」への言及が確認できる。

「『ミサ・ソレムニス』の美的に破綻をきたしているところ、一般にいまなお何が可能であるかという、ほとんどカント的にきびしい問いのために、明確な造形を断念しているところなどは、見た目に完結した外容のかげに口をひらいた裂け目と対応しているのであり、そうした裂け目を、後期の四重奏曲の構成はあらわに見せている点だけがちがうのである。しかし、ここではまだ抑制されていると言ってよい擬古ふうへの傾向を、『ミサ』は、バッハからシェーンベルクにいたるほとんどあらゆる大作曲家の晩年様式と分け合っている。」(p.240)

 こちらは1959年執筆だから、マーラー・モノグラフに寧ろ時期的には近接する。「バッハからシェーンベルクにいたるほとんどあらゆる大作曲家」の中にマーラーは恐らく間違いなく含まれるであろう。

 最後にウィーン講演(『幻想曲風に』所収、邦訳は「『アドルノ音楽論集 幻想曲風に』, 岡田暁生・藤井俊之訳, 法政大学出版局, 2018)。ここでも晩年様式はベートヴェンのそれを参照しつつ、『大地の歌』に関して述べられている。

「時として≪大地の歌≫では、極端に簡潔なイディオムや定式が充実した内容で満たされきっているが、それまるで、経験を積んで年を重ねた人物の日常の言葉が、字義通りの意味の向こうに、その人の全生涯を隠しているかのようである。まだ五十に手の届かない人物によって書かれたこの作品は、内的形式という点で断片的であり、(ベートーヴェンの)最後の弦楽四重奏以来の音楽の晩年様式の最も偉大な証言の一つである。ひょっとするとこれをさらに上回っているかもしれないのは、第9交響曲の第1楽章である。」(上掲書, p,123)

 ここでの「極端な簡潔なイディオムや定式」は、ベートーヴェンの晩年様式における「慣用」であり、と同時に、ぴったりと重なることはなくとも、少なくとも一面において柴田南雄が指摘する「歯の浮くようなセンチメンタリズムに堕しかねない」「ユーゲント様式」(柴田南雄『グスタフ・マーラー ー現代音楽への道ー』, 岩波新書, 1984, p.160)を含んでいるのだろう。マーラー・モノグラフにおいてはハンス・ベトゥゲの「工芸品的な詩」への言及はあっても、アドルノが様式化の方向性として指摘するのは「時代のもつ異国趣味」の方なのだが(アドルノ『マーラー 音楽観相学』, 龍村あや子訳, 法政大学出版局, 1999, p.189)。

*  *  *

 ところで「ベートーヴェンの晩年様式」に戻って、上で引用した最後のくだり、「作品については残骸だけをのこし、自らの消息についても、自分が抜け出したあとの抜けがらをいわば符丁として、あとにとどめるだけだ。」という部分について、マーラーに関して思い浮かぶのは、1909年6月27日、トーブラッハ発アルマ宛書簡に出てくる、人生と作品の関わりについてのコメント、更にその中で述べられる、作品は「抜け殻」に過ぎないという認識だろうか。(アルマ・マーラー, 『グスタフ・マーラー 回想と手紙』, 酒田健一訳, 白水社, 1973, pp.398~399。なお下記引用箇所ではないが、関連した箇所について、過去に以下の記事で取り上げたことがある。妻のアルマ宛1909年6月27日の書簡にある「作品」に関するマーラーの言葉)

「――ところできみはすでに私が人間の≪作品≫についてどう考えているか知っていると思う。少なくとも推察はできるだろう。それはかりそめの姿、”滅ぶべき部分”(原文傍点強調、以下同様)にすぎない。しかし人間がみずからをたたきあげて築いたもの、たゆまぬ努力によって”生まれ出た”彼の姿は、不滅のものだ。」

 この書簡のテーマが、芸術創造についてではなく、妻アルマの人間的な「成長」であることには留意し、一応念頭においておいくべきだろうが、「作品」観として読もうとした時に重要なのは、そのことよりも、この作品についての見解に先立って、生命の進化についてマーラーが語っている点であり、当然、生命観と作品観との関わりを考える必要があるだろう。(同じく原文は、過去の記事「妻のアルマ宛1909年6月27日(20日?)付書簡にある「エンテレケイア」に関するマーラーの言葉」を参照。)

「人間は―そしてたぶんどんな生物も―たえずなにかを生み出してゆくものだ。このことは進化のあらゆる段階にわたって生命の本質と切り離しては考えられない。生産力が尽きると、『エンテレケイア』は死滅する。すなわちそれは新しい肉体を獲得しなければならない。高度に進化した人間の位置するあの段階では生産(大部分の人間には再生産のかたちでそなわっているが)には自覚の働きがつきまとっていて、そのため一面において創造力は高められるが、その反面、道徳的秩序にたいする”挑戦”として発現する。これこそ創造的人間のあらゆる”煩悶”の源泉にほかならない。天才の生涯にあっては、こうした挑戦が報いられるわずかな時間をのぞいて、あとは満たされることのない長い生存の空白が、彼の意識に苦しい試練といやされぬ憧憬を負わせる。そしてまさにこの苦悩に満ちた不断の闘争がこれら少数の人間の生涯にそのしるしを打刻するのだ。」

 マーラーの場合、第8交響曲第2部の素材になったという以上に、伝記的事実として知られている限りでも彼自身が筋金入りのゲーテの愛読者であり、客観的には些か自己流という評価になるにしても、寧ろそれだけ一層、単なる教養の如きものとしてではなく、自己の生き方を方向づけるものとしてゲーテの思想を我がものとしていたという点が特筆される。そしてこの点を以て、その作品の様式を論じる時、ゲーテの考え方に依拠することは、他の場合とは質的に異なった意味合いを持っていることになる。(更に言えば、上記引用で登場する「エンテレケイア」への言及が、同じ1909年6月に、やはりアルマ宛にトーブラッハで書かれた書簡に含まれる『ファウスト』第2部の「神秘の合唱」をめぐってのマーラーの説明の中に登場していて、当然、両者を関連付け、一貫した展望の下で理解すべきことを追記しておくべきだろう。)

 勿論、作曲者がゲーテを愛読したからといってそのことが直ちに論理的に必然としてその音楽作品のあり方を規定する訳ではないのは当然だが、ことマーラーの場合に限って言えば、その繋がりをあえて無視した議論は重要な何かを見落とすことになるだろう。こうした事情はどの作曲家にも成り立つというものではないが、ことマーラーの場合には、それをどう評価するかどうかは措いて、そうした繋がりがあること自体は確実であると思われる。否、最終審級ではそれがゲーテに由来するかどうかも最早問題でなくて、マーラー自身がそのような考え方を抱いていたことと、生み出された作品との関係が問題であり、ことマーラーの場合に限って言えば、両者は無関係ではありえない、それどころか密接な関係を持つということだ。その際、その関りの具体的な様相は、アドルノが「晩年様式」を論じる時に指摘するように、単純な伝記主義でも、心理的なものでも、標題としての関わりでもない。

*  *  *

 もう一点、備忘を。

 マーラーがベートーヴェンの後期をより高く評価していることは、アルマの回想録の中の「結婚と共同生活 1902年」の章の末尾のベートーヴェンを巡ってのシュトラウスとの対話において確認したが、それを踏まえた上で、アルマが回想の「第八交響曲 1910年9月12日」の章に書き残している以下のマーラーの言葉をどう受け止めたものか?

「そのころ彼はよくこんなことを言った。「テーブルの下につばを吐いてみたって、ベートーヴェンになれるわけのもんじゃないさ!」」(アルマ・マーラー, 『グスタフ・マーラー 回想と手紙』, 酒田健一訳, 白水社, 1973, p.211)

これをアルマは、1910年11月のアメリカ渡航を記す箇所で、航海中にマーラーの最後のものとなった写真を撮ったことに続けて、さりげなく、そういえば、という感じで記している。何の注釈もないこの言葉は、子供の頃に接した私にとっては、ごく当たり前のように、ベートーヴェンになろうと思ってもなれるものではなく、自分は自分でやれることをやるしかない、という創作についてのマーラーの態度表明と受け取ったのであったが、しばしば極めて疑わしいアルマの記憶を信じるならば、これは上で参照した書簡よりも更に1年後のこと、しかも第8交響曲の初演という畢生の大プロジェクトを成功裡に成し遂げた後の発言であることに留意すべきだろうか。子供の私は、シェーンベルクがマーラーのネクタイの結び方の方が音楽理論の学習よりも大切だと言ったというアネクドットを念頭に、もしかしてベートーヴェンに、テーブルの下につばを吐くことに関するアネクドットがあるのかしらと思いつつ、そちらの確認は遂に行わないまま今日に至っているのだが、問題はそのことの事実関係よりも、こう言いながら『第九交響曲』も『ファウスト』さえも、「抜け殻」に過ぎないと断言するような認識に、この発言を結び付けて了解することの方にあるという点についてであるという考えについても、かつての子供の頃から変わらない。要するに、「すべて移ろいゆくものは比喩に過ぎない」からこそ、それは「抜け殻」なのだろう。作品は自分の死後にも残るとはいえ、『ファウスト』第2部終幕のようなパースペクティブの下では、所詮は「移ろいゆくもの」に属するのだ、ということなのだろう。そしてマーラーはこの時期、やっと50歳に達するといった年齢であるにも関わらず、そうした認識を己れのものとしていたということなのだろう。

 そしてこのマーラーの認識から導かれることの一つとして、「抜け殻」に過ぎないからといって、作品を遺すことに意味がないと考えているわけではない、ということがある。そもそもマーラーは、例えば既にブラームスやドヴォルザークがそうであったような、作品を出版することで食べていける職業的な作曲家ではなかった。指揮者としての生業の余暇に書かれたそれは、注文とか委嘱に基づくものではなく、世間的には楽長の道楽に過ぎなかった。最近はセットにして論じることの是非が議論のネタになるということがそもそもなくなってきている感のあるブルックナーとの比較において、実は「交響曲」というフォーマットを敢えて選択して、頼まれてもいないのに次から次へとそれを作り続けたという点だけは共通しているのであって、その営みが世間的な意味合いでは「無為」のものであることへの認識もあったに違いない。そして再びブルックナーがそうであったように、マーラーにとってもまた、作品を書き続けることが問題であったに違いない。作品が「抜け殻」に過ぎないとして、だからといって、作品を作ること自体からさえ離脱することは、そもそも問題にならなかったに違いない。既に書くことそのものへの断念に関して、デュパルクの断筆やシベリウスの晩年の沈黙についてかつて記したことを確認したのだったが、ことマーラーに関して言えば、そうしたことは全く問題にならないだろう。実際にはゲーテの「老い」についての認識と、それについてのジンメルの解釈には「東洋的諦観」が関わっているとはいうものの、同じく東洋的な無為に対する評価の姿勢を明らかに持っている「老年的超越」が「生み出すこと」への固執からの離脱という契機を内包しているのとは異なって、例えば中島敦の「名人伝」に描かれるような東洋的な「無為の境地」はゲーテ=ジンメルにも、ゲーテ=マーラーにも無縁のものであったに違いない。(己が名人であること自体から脱出してしまった「名人伝」の弓使いは、「現象から身を退く」ことを、「抜け殻」さえ残さないという徹底的な仕方で、まさに東洋的に実践したとは言えないだろうか?或いはまた、これこそが、自分はそれを実践できなかったかに見えるペルトの言う「偉大な芸術家にとって、もう芸術を創造しようとしたり、創造したりする必要のないとき」を迎えた一例なのではないだろうか?)

 言ってみれば、それが「抜け殻」であるとの認識の下でさえ、作り続けることに価値や意味が賭けられているという構造は変わらない。そしてその根底には「動作し続ける」ことによって自らを維持するという、今ならオートポイエティックと言われもするだろう「生命」についての認識が存在する、というのが引用した書簡の告げる消息なのであろう。そして(これは個人的なことだが)私自身もそうした点に関してマーラーの姿勢の方により多く共感するということなのだろう。子供の頃の私は、マーラーと自分の間に横たわる能力の差を半ばは意識して、けれども実際にはその程度を正確に測ることなく、「テーブルの下につばを吐いてみたって、マーラーになれるわけのものでもない!」と一人ごちたのだったが、それが子供ならではの傍若無人であることを認識している今の私も、かつての共感そのものを自己に無縁のものとして断ち切れているわけではない。寧ろ同じ中島敦なら「山月記」の李徴に対して年端もゆかぬ子供がそれなりの切実さをもって抱き、数十年の年月を経て今なお抱き続けている同情と共感の方がまだしも身分相応であり、いずれ自分もまた虎となって、「生み出すこと」への固執から、それを超越するのではなく、単に忘却してしまうという望まぬかたちで離脱することになる可能性をさえ認識すべきであるとは思いつつも。

 いずれにしても、マーラーにおける「抜け殻としての作品」という認識は、寧ろその後ボーヴォワールが「老い」についての大著の中で述べた「私は、私が為した(作った)ところのもの、しかもただちに私から逃れ去って私を他者として構成するところのもの、である」(ボーヴォワール『老い』、第六章 時間・活動・歴史, 邦訳下巻, p.441)という作品の定義に通じていて、だが「老い」と「作品」の関わりということであれば、それは(ボーヴォワールがそう捉えたがっているように見える)単なる技術的な円熟、名人が到達する自在の境地への到達という観点ではなく、「作品」がもともと備えているはずの、だが若き日には必ずしも認識されるわけではない、或いは、それが意識されるときには常に克服されるべきものと認識されがちである「他性」の持つ意味合いが、己の「老い」についての認識とともに変容していく、その具体的な様相こそが問題にすべき点に違いない。シェーンベルクがマーラーの第9交響曲について述べる「非人称性」、作曲家が、背後の誰かの「メガホン」代わりになっているという指摘は、まさに作品が、まだわからぬ先の何時かに、ではなく、もう間もなく自分がそこから退去することが決定づけられている(それが事後的には誤診であったとしても、診断によってそのような認識をマーラーが抱いたことはどのみち厳然たる事実であって、それを覆そうとする類の後知恵は、こと「作品」について言えば何も語ることはないだろう)という意味合いで既に疎遠なものとなりつつある「世界」との関わりのシミュレーションである限りで、他性を帯びているという消息を告げているのではないだろうか。「老い」によって、作曲する主体の側から見て「作品」がもはや己に属するものであるよりは、己から逃れ去れ、己を他者として構成するような異物として、事後的に「抜け殻」として認識されるといった状況が生じる。マーラーのくだんの発言が、第8交響曲を作曲している最中のものではなく、「大地の歌」の完成を間近に控え、それと並行して第9交響曲の作曲に取り掛かっていた時期のものであることにも留意すべきだろうか。勿論、マーラーが「作品」を「抜け殻」という時、それは別に晩年の作品に限ってそうであると言っている訳ではない。その時点で振り返ってみれば、作品は常に、その都度の自己の行いの「抜け殻」に過ぎないということなのだろうが、そうした認識が作品自体に染み透っているのが後期作品であり、アドルノのいう「晩年様式」なのだろう。要するに今やそれは、私がもうじきそこから居なくなる、別れを告げる相手である限りの世界についてのシミュレーションなのだ。だからもし「老年的超越」を、或る種の悟りの境地の如きもの、解脱として捉えるならばマーラーの晩年の作品は、それには該当しないことになるだろうが、「老年的超越」をまさに「老い」がもたらした世界との関わりの変容(とはいえ、それは何も日常の経験を絶した特殊な経験などでは決してなく、寧ろ日常的なあり方自体がそのように変容するということなのだが)として捉えるならば、マーラーの晩年の作品はまさに「老い」の時間性が刻み込まれたものであり、そこにこそ「老年的超越」を見てとることができると言い得るだろう。(更に、この立場に立つならば、例えばDavid B. Greene, Mahler : Consciousness and Temporalityにおける第9交響曲の時間性に関する分析はどのように評価されることになるか、ここでは詳述できないので、これは別の機会に果たすべき宿題としておきたく思う。まずもって分析対象となった第1楽章、第4楽章それぞれを「通常の意識の時間プロセスの変形」なるものとして把握するという基本的なアウトラインが既にこの分析の限界を示している点については既に別のところで述べているので繰り返さないし、予め分析者が用意した図式をあてがうようにして、これほど複雑なプロセスを持つ音楽に対するには余りに単純で杜撰な、持って回ってはいるがその内実は貧困な言い回しによって各々のブロックの「意味」を説明するだけの偽装された標題音楽的解釈の一種に過ぎない点は一先ず措くとして、それでもなお具体的な楽曲の分析によって取り出されたものの中に、ここで「晩年様式」に固有のものとされる「老い」の時間性の把握として首肯できるものが含まれていることはないかを改めて確認してみたい。)

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 上記を踏まえた上で、アドルノ自身「晩年様式」についての言及の中での対象に応じたずれだけではなく、アドルノの「後期様式」と、ゲーテ=ジンメルの「老い」の理解の関連のあり方の方もきちんと確認する必要があるだろう。

 まず「形式を打破し、根源的に形式を生み出していく、まさにカント的な意味における」主観性は、ここではベートーヴェンの中期について言われているように思われる。他方でアドルノは、既に若い頃から現れていたようにも見える、形式をボトムアップに生成させていく唯名論的な傾向を、マーラーの作品全般の特性として捉えている。一方ジンメルの方は、他方外部の形式を借りるのではなく、他に形式を求めずとも、それ自体形式を備えている点を老齢の特徴であると述べており、そのことが「現象から身を退く」ことを可能にすると述べている。

「青年期にあつては主観的無形式は、歴史的乃至理念的に豫存する形式内に収容さるゝ必要がある。主観的無形式は此の形式に依って一客観相たるべく発展されるのである。けれども、老齢に於ては、偉大な創造的人物は―予は茲で勿論純粋の原理、理想に就いて述べるが―自己内に、自己自らに形式を具へてゐる。即ち、今や<絶対に彼自らのものである形式>を所有する。彼の主観は、時間空間に於ける規定が内外共に我々に添加する一切を無視すると共に、謂はゞ彼の主観性を離脱し了つたのである。-即ち、已に述べたゲーテの老齢の定義にいふ「現象からの漸次の退去」である。」(ジムメル『ゲーテ』, 木村謹治訳, 1949, 桜井書店, 第8章 発展 p.383~384)

 ここにはアドルノの「晩年様式」が備えている裂け目とか破綻、形式の破壊といった側面は見られず、寧ろ壮年期の「円熟」に近い印象さえ感じさせる(別途論じるべきだろうが、ここで上記引用のすぐ後の箇所で、ジンメルが「老齢の象徴意義の神秘的性格」について述べるところで、ゲーテ自身が「静寂観」と「神秘」とは老齢の特質であると言ったことを引き、ゲーテの言う「神秘」がジンメルの言う「象徴」に他ならないことを述べた後、「一切の所與世界の象徴的性格を、「一切の無常相は一の比喩に過ぎない」と宣布する「神秘合唱團」」に言及していることに目配せしておこう。言うまでもなく、これは第8交響曲第2部で用いられた『ファウスト』第2部の最後の「神秘の合唱」のことに他ならない。であるとしたならば、そのことはマーラーの「老い」との関係については何を物語ることになるのだろうか?)。それはジンメルがここで或る種の原理的な極限形態である理想を述べているが故に破綻は生じず、だが現実の人間においてはその理想は到達不能であるが故に、円熟に至ったと思った次の瞬間には破綻を避けることができないという力学が存在するということなのだろうか?

 一方で、少なくともアドルノいうところの「方向」に関しては、アドルノとジンメルは同じ方向を向いていると言えるだろう。つまり作品は、主観が退去した後に遺される「痕跡」だという点で両者は見解を同じくしている。そしてそれは恐らくマーラー自身の「抜殻」としての「作品」観とも共通していると言い得るだろう。

 そうだとして、それはシステム論的な老化の定義である「生物がもつロバストネスの変移と崩壊」と同型の構造が異なる階層において生じたものと見做すことができるのだろうか?勿論、そもそも「主観」が成り立つためにシステムが備えていなくてはならない構造的な条件があり、「現象からの退去」はそうした構造的な条件を前提とした「人間」固有のものであり、他の生物では起こらないことだろう。だがマーラー自身の語るところでは、そうした人間固有の「作品」の創造にしても、「進化のあらゆる段階にわたって生命の本質と切り離しては考えられない」のであれば、マーラーが未だ萌芽的なレベルであったとはいえ、当時最新の生命論・有機体論を参照した顰に倣って、ジンメルやアドルノの述べるところを、今日のシステム論的な枠組みにおいて捉え直すべきなのではなかろうか?

 ところで、マーラーのエンテレケイアについての言及には興味深い特徴がある。エンテレケイアはもともとはアリストテレスの用語だが、マーラーの時代であれば、有機体の哲学、就中ドリーシュの新生気論における「エンテレヒー」を思い起こさせる。だがここでやりたいのは思想史的な跡付けや影響関係の実証ではなく、当時、そのような枠組みと言葉で語られた内容を今日の言葉で言い直すとしたら、どのようになるかの方だ。マーラーの時代にエンテレケイアないしエンテレヒーという言葉で捉えようと試みられた生物個体の秩序形成のための情報は、今日なら(例えばゲアリー・マーカスの言うように)アルゴリズムとしての遺伝子が担っているということになるのだろうか。「新しい肉体の獲得」というのを遺伝子の側から見たとき、生物はそれを運搬する乗り物の如きものであるというドーキンスの「利己的な遺伝子」のような見方に通じはしないだろうか。更に、そうであるとしたら「抜け殻」としての作品は、それを「ミーム」として捉える見方もあるだろうが、それよりも寧ろ、これまたドーキンスの「拡張された表現型」に通じると考えるべきなのだろうか?「抜け殻」としての作品が、退去した主体の符丁=「痕跡」(レヴィナスの「他者の痕跡」を思い浮かべるべきだろうか?)であるとして、ここで「老い」が、「生との別れ」が本質的に関わるのであれば、それに留まらず、作品をスティグレールの言う第三次過去把持を可能にする媒体として、更にはパウル・ツェランがマンデリシュタムに依拠して述べる「投壜通信」と捉える見方へと接続すべきではないだろうか?更にそれはユク・ホイの言う第三次予持とどう関わるのだろうか?彼はそれが一方では(定義上、「老い」を知らない)「組織化する無機的なもの」によって可能になると捉えているようだが、他方では芸術に、より一般的に技芸に可能性を見いだそうとしてもいる点に対して、こちらは「成長」と「老い」とを本質的な契機として持つ「抜け殻」としての「作品」、「投壜通信」としての「作品」がどのように関わりうるのだろうか?

(2023.6.9公開、6.10-13,16,23,25, 7.6加筆, 2025.5.6 旧稿の後半を独立させ、改題して再公開)