既に確認した通り、「晩年様式」についてアドルノは、マーラーに先立ってベートーヴェンのそれを取り上げている。『楽興の時』,所収の「ベートーヴェンの晩年様式」(初出はチェコスロヴァキア共和国のための双紙『アウフタクト』第17巻第5/6号, 1937)
そこでの指摘は必ずしもマーラーの場合とぴったり重なる訳ではないようで、「老シュティフター」と並んで「老ゲーテ」への言及が含まれているにも関わらず、マーラーの場合に全面に出てくる「現象から身を退く」、更に基本的な部分では共通しているものの(ちなみにジンメルもまた、「晩年様式」の例として、まさにベートーヴェンを挙げているのだが)、ジンメルのゲーテ論における「老い」の把握との間の懸隔もまた少なからずあるように見受けられる。その懸隔の由縁が、どこまでベートーヴェンという個別のケースを扱ったことに拠るのかどうか。
「大芸術家の晩年の作品に見られる成熟は、果実のそれには似ていない。それらは一般に円熟しているというより、切り刻まれ、引き裂かれてさえいる。おおむね甘みを欠き、渋く、棘があるために、ただ賞味さえすればよいというわけにはいかない。そこには古典主義の美学がつねづね芸術作品に要求している調和がすべて欠けており、成長のそれより、歴史の痕跡がより多くそこににじみ出ている。世上の見解は、通例この点を説明して、これらの作品がおおっぴらに示現された主観の産物であるためだという。主観というよりはむしろ≪人格≫と呼ぶべきものが、ここで自らを表現するために形式の円満を打ち破り、協和音を苦悩の不協和音に変え、自由放免された精神の専断によって、感覚的な魅力をなおざりにしているのである、と。つまり、晩年の作品は芸術の圏外に押しやられ、記録に類したものと見なされるわけだ。」(アドルノ, 『楽興の時』, 三光長治・川村二郎訳, 白水社, 新装版1994, p.15)
ところがここで持ち出されるのは「死」であって「晩年」そのものではないらしい。
「まるで、人間の死という厳粛な事実を前にしては、芸術理論も自らの権利を放棄し、現実を前に引きさがるほかはないといったありさまである。」(ibid.)
だが、かくいうアドルノもまた、結局、「老い」そのものではなく、「死の想念」に言及するには違いない。
「ところで、この形式法則は、まさに死の想念において、明らかとなる。死の現実を前にしては、芸術の権利も影がうすれるとすれば、死が芸術作品の対象としていきなりその中に入り込めぬことも確かである。死は作られたものにではなく、生けるもの「にのみ帰せられているのであって、であればこそあらゆる芸術作品において、屈折した、アレゴリーというかたちで表されてきたのであった。」(同書, p.18)
そこで批判されるのは心理的な解釈である。
「この肝心な点を心理的な解釈は見のがしている。それは死すべき個人性を晩年作品の実体と見なしてしまえば、あとははてもなく芸術作品のうちに死を見いだすことができると思っているらしい。これが彼らの形而上学の、まやかしの精髄だ。たしかにこうした解釈も、晩年の芸術作品において個人性が帯びる爆発的な力に気づいている。ただそれを、この力そのものが向かっているのと反対の方向に見いだそうとしている。つまる個人性自体の表現のなかに見いだそうとしているわけだ。ところがこの個人性なるものは、死すべきものとして、また死の名において、実際には芸術作品のなかから姿を消しているのである。晩年の芸術作品に見られる個人性の威力は、それが芸術作品をあとに、この世に訣別しようとして見せる身ぶりにほかならない。それが作品を爆破するのは、自己を表現するためでなく、表現をころし、芸術が見かけをかなぐり捨てるためだ。作品については残骸だけをのこし、自らの消息についても、自分が抜け出したあとの抜けがらをいわば符丁として、あとにとどめるだけだ。」(ibid.)
なお、ここの部分を読んで思い起こされるのは、マーラー・モノグラフの冒頭、パウル・クレツキのカットを含む第9交響曲の録音につけられた解説に登場する「死が私に語ること」という標題に対してのアドルノの批判であって、まさにここで指摘される「反対の方向」を向いた解釈の批判ということになるのだろう。(アドルノ『マーラー 音楽観相学』, 龍村あや子訳, 法政大学出版局, 1999, p.4 を参照のこと。)
もう一つ、こちらは『楽興の時』の掉尾を飾る「異化された大作-『ミサ・ソレムニス』によせて―」の末尾近くにも「晩年様式」への言及が確認できる。
「『ミサ・ソレムニス』の美的に破綻をきたしているところ、一般にいまなお何が可能であるかという、ほとんどカント的にきびしい問いのために、明確な造形を断念しているところなどは、見た目に完結した外容のかげに口をひらいた裂け目と対応しているのであり、そうした裂け目を、後期の四重奏曲の構成はあらわに見せている点だけがちがうのである。しかし、ここではまだ抑制されていると言ってよい擬古ふうへの傾向を、『ミサ』は、バッハからシェーンベルクにいたるほとんどあらゆる大作曲家の晩年様式と分け合っている。」(p.240)
こちらは1959年執筆だから、マーラー・モノグラフに寧ろ時期的には近接する。「バッハからシェーンベルクにいたるほとんどあらゆる大作曲家」の中にマーラーは恐らく間違いなく含まれるであろう。
最後にウィーン講演(『幻想曲風に』所収、邦訳は「『アドルノ音楽論集 幻想曲風に』, 岡田暁生・藤井俊之訳, 法政大学出版局, 2018)。ここでも晩年様式はベートヴェンのそれを参照しつつ、『大地の歌』に関して述べられている。
「時として≪大地の歌≫では、極端に簡潔なイディオムや定式が充実した内容で満たされきっているが、それまるで、経験を積んで年を重ねた人物の日常の言葉が、字義通りの意味の向こうに、その人の全生涯を隠しているかのようである。まだ五十に手の届かない人物によって書かれたこの作品は、内的形式という点で断片的であり、(ベートーヴェンの)最後の弦楽四重奏以来の音楽の晩年様式の最も偉大な証言の一つである。ひょっとするとこれをさらに上回っているかもしれないのは、第9交響曲の第1楽章である。」(上掲書, p,123)
ここでの「極端な簡潔なイディオムや定式」は、ベートーヴェンの晩年様式における「慣用」であり、と同時に、ぴったりと重なることはなくとも、少なくとも一面において柴田南雄が指摘する「歯の浮くようなセンチメンタリズムに堕しかねない」「ユーゲント様式」(柴田南雄『グスタフ・マーラー ー現代音楽への道ー』, 岩波新書, 1984, p.160)を含んでいるのだろう。マーラー・モノグラフにおいてはハンス・ベトゥゲの「工芸品的な詩」への言及はあっても、アドルノが様式化の方向性として指摘するのは「時代のもつ異国趣味」の方なのだが(アドルノ『マーラー 音楽観相学』, 龍村あや子訳, 法政大学出版局, 1999, p.189)。
* * *
ところで「ベートーヴェンの晩年様式」に戻って、上で引用した最後のくだり、「作品については残骸だけをのこし、自らの消息についても、自分が抜け出したあとの抜けがらをいわば符丁として、あとにとどめるだけだ。」という部分について、マーラーに関して思い浮かぶのは、1909年6月27日、トーブラッハ発アルマ宛書簡に出てくる、人生と作品の関わりについてのコメント、更にその中で述べられる、作品は「抜け殻」に過ぎないという認識だろうか。(アルマ・マーラー, 『グスタフ・マーラー 回想と手紙』, 酒田健一訳, 白水社, 1973, pp.398~399。なお下記引用箇所ではないが、関連した箇所について、過去に以下の記事で取り上げたことがある。妻のアルマ宛1909年6月27日の書簡にある「作品」に関するマーラーの言葉)
「――ところできみはすでに私が人間の≪作品≫についてどう考えているか知っていると思う。少なくとも推察はできるだろう。それはかりそめの姿、”滅ぶべき部分”(原文傍点強調、以下同様)にすぎない。しかし人間がみずからをたたきあげて築いたもの、たゆまぬ努力によって”生まれ出た”彼の姿は、不滅のものだ。」
この書簡のテーマが、芸術創造についてではなく、妻アルマの人間的な「成長」であることには留意し、一応念頭においておいくべきだろうが、「作品」観として読もうとした時に重要なのは、そのことよりも、この作品についての見解に先立って、生命の進化についてマーラーが語っている点であり、当然、生命観と作品観との関わりを考える必要があるだろう。(同じく原文は、過去の記事「妻のアルマ宛1909年6月27日(20日?)付書簡にある「エンテレケイア」に関するマーラーの言葉」を参照。)
「人間は―そしてたぶんどんな生物も―たえずなにかを生み出してゆくものだ。このことは進化のあらゆる段階にわたって生命の本質と切り離しては考えられない。生産力が尽きると、『エンテレケイア』は死滅する。すなわちそれは新しい肉体を獲得しなければならない。高度に進化した人間の位置するあの段階では生産(大部分の人間には再生産のかたちでそなわっているが)には自覚の働きがつきまとっていて、そのため一面において創造力は高められるが、その反面、道徳的秩序にたいする”挑戦”として発現する。これこそ創造的人間のあらゆる”煩悶”の源泉にほかならない。天才の生涯にあっては、こうした挑戦が報いられるわずかな時間をのぞいて、あとは満たされることのない長い生存の空白が、彼の意識に苦しい試練といやされぬ憧憬を負わせる。そしてまさにこの苦悩に満ちた不断の闘争がこれら少数の人間の生涯にそのしるしを打刻するのだ。」
マーラーの場合、第8交響曲第2部の素材になったという以上に、伝記的事実として知られている限りでも彼自身が筋金入りのゲーテの愛読者であり、客観的には些か自己流という評価になるにしても、寧ろそれだけ一層、単なる教養の如きものとしてではなく、自己の生き方を方向づけるものとしてゲーテの思想を我がものとしていたという点が特筆される。そしてこの点を以て、その作品の様式を論じる時、ゲーテの考え方に依拠することは、他の場合とは質的に異なった意味合いを持っていることになる。(更に言えば、上記引用で登場する「エンテレケイア」への言及が、同じ1909年6月に、やはりアルマ宛にトーブラッハで書かれた書簡に含まれる『ファウスト』第2部の「神秘の合唱」をめぐってのマーラーの説明の中に登場していて、当然、両者を関連付け、一貫した展望の下で理解すべきことを追記しておくべきだろう。)
勿論、作曲者がゲーテを愛読したからといってそのことが直ちに論理的に必然としてその音楽作品のあり方を規定する訳ではないのは当然だが、ことマーラーの場合に限って言えば、その繋がりをあえて無視した議論は重要な何かを見落とすことになるだろう。こうした事情はどの作曲家にも成り立つというものではないが、ことマーラーの場合には、それをどう評価するかどうかは措いて、そうした繋がりがあること自体は確実であると思われる。否、最終審級ではそれがゲーテに由来するかどうかも最早問題でなくて、マーラー自身がそのような考え方を抱いていたことと、生み出された作品との関係が問題であり、ことマーラーの場合に限って言えば、両者は無関係ではありえない、それどころか密接な関係を持つということだ。その際、その関りの具体的な様相は、アドルノが「晩年様式」を論じる時に指摘するように、単純な伝記主義でも、心理的なものでも、標題としての関わりでもない。
* * *
もう一点、備忘を。
マーラーがベートーヴェンの後期をより高く評価していることは、アルマの回想録の中の「結婚と共同生活 1902年」の章の末尾のベートーヴェンを巡ってのシュトラウスとの対話において確認したが、それを踏まえた上で、アルマが回想の「第八交響曲 1910年9月12日」の章に書き残している以下のマーラーの言葉をどう受け止めたものか?
「そのころ彼はよくこんなことを言った。「テーブルの下につばを吐いてみたって、ベートーヴェンになれるわけのもんじゃないさ!」」(アルマ・マーラー, 『グスタフ・マーラー 回想と手紙』, 酒田健一訳, 白水社, 1973, p.211)
これをアルマは、1910年11月のアメリカ渡航を記す箇所で、航海中にマーラーの最後のものとなった写真を撮ったことに続けて、さりげなく、そういえば、という感じで記している。何の注釈もないこの言葉は、子供の頃に接した私にとっては、ごく当たり前のように、ベートーヴェンになろうと思ってもなれるものではなく、自分は自分でやれることをやるしかない、という創作についてのマーラーの態度表明と受け取ったのであったが、しばしば極めて疑わしいアルマの記憶を信じるならば、これは上で参照した書簡よりも更に1年後のこと、しかも第8交響曲の初演という畢生の大プロジェクトを成功裡に成し遂げた後の発言であることに留意すべきだろうか。子供の私は、シェーンベルクがマーラーのネクタイの結び方の方が音楽理論の学習よりも大切だと言ったというアネクドットを念頭に、もしかしてベートーヴェンに、テーブルの下につばを吐くことに関するアネクドットがあるのかしらと思いつつ、そちらの確認は遂に行わないまま今日に至っているのだが、問題はそのことの事実関係よりも、こう言いながら『第九交響曲』も『ファウスト』さえも、「抜け殻」に過ぎないと断言するような認識に、この発言を結び付けて了解することの方にあるという点についてであるという考えについても、かつての子供の頃から変わらない。要するに、「すべて移ろいゆくものは比喩に過ぎない」からこそ、それは「抜け殻」なのだろう。作品は自分の死後にも残るとはいえ、『ファウスト』第2部終幕のようなパースペクティブの下では、所詮は「移ろいゆくもの」に属するのだ、ということなのだろう。そしてマーラーはこの時期、やっと50歳に達するといった年齢であるにも関わらず、そうした認識を己れのものとしていたということなのだろう。
そしてこのマーラーの認識から導かれることの一つとして、「抜け殻」に過ぎないからといって、作品を遺すことに意味がないと考えているわけではない、ということがある。そもそもマーラーは、例えば既にブラームスやドヴォルザークがそうであったような、作品を出版することで食べていける職業的な作曲家ではなかった。指揮者としての生業の余暇に書かれたそれは、注文とか委嘱に基づくものではなく、世間的には楽長の道楽に過ぎなかった。最近はセットにして論じることの是非が議論のネタになるということがそもそもなくなってきている感のあるブルックナーとの比較において、実は「交響曲」というフォーマットを敢えて選択して、頼まれてもいないのに次から次へとそれを作り続けたという点だけは共通しているのであって、その営みが世間的な意味合いでは「無為」のものであることへの認識もあったに違いない。そして再びブルックナーがそうであったように、マーラーにとってもまた、作品を書き続けることが問題であったに違いない。作品が「抜け殻」に過ぎないとして、だからといって、作品を作ること自体からさえ離脱することは、そもそも問題にならなかったに違いない。既に書くことそのものへの断念に関して、デュパルクの断筆やシベリウスの晩年の沈黙についてかつて記したことを確認したのだったが、ことマーラーに関して言えば、そうしたことは全く問題にならないだろう。実際にはゲーテの「老い」についての認識と、それについてのジンメルの解釈には「東洋的諦観」が関わっているとはいうものの、同じく東洋的な無為に対する評価の姿勢を明らかに持っている「老年的超越」が「生み出すこと」への固執からの離脱という契機を内包しているのとは異なって、例えば中島敦の「名人伝」に描かれるような東洋的な「無為の境地」はゲーテ=ジンメルにも、ゲーテ=マーラーにも無縁のものであったに違いない。(己が名人であること自体から脱出してしまった「名人伝」の弓使いは、「現象から身を退く」ことを、「抜け殻」さえ残さないという徹底的な仕方で、まさに東洋的に実践したとは言えないだろうか?或いはまた、これこそが、自分はそれを実践できなかったかに見えるペルトの言う「偉大な芸術家にとって、もう芸術を創造しようとしたり、創造したりする必要のないとき」を迎えた一例なのではないだろうか?)
言ってみれば、それが「抜け殻」であるとの認識の下でさえ、作り続けることに価値や意味が賭けられているという構造は変わらない。そしてその根底には「動作し続ける」ことによって自らを維持するという、今ならオートポイエティックと言われもするだろう「生命」についての認識が存在する、というのが引用した書簡の告げる消息なのであろう。そして(これは個人的なことだが)私自身もそうした点に関してマーラーの姿勢の方により多く共感するということなのだろう。子供の頃の私は、マーラーと自分の間に横たわる能力の差を半ばは意識して、けれども実際にはその程度を正確に測ることなく、「テーブルの下につばを吐いてみたって、マーラーになれるわけのものでもない!」と一人ごちたのだったが、それが子供ならではの傍若無人であることを認識している今の私も、かつての共感そのものを自己に無縁のものとして断ち切れているわけではない。寧ろ同じ中島敦なら「山月記」の李徴に対して年端もゆかぬ子供がそれなりの切実さをもって抱き、数十年の年月を経て今なお抱き続けている同情と共感の方がまだしも身分相応であり、いずれ自分もまた虎となって、「生み出すこと」への固執から、それを超越するのではなく、単に忘却してしまうという望まぬかたちで離脱することになる可能性をさえ認識すべきであるとは思いつつも。
いずれにしても、マーラーにおける「抜け殻としての作品」という認識は、寧ろその後ボーヴォワールが「老い」についての大著の中で述べた「私は、私が為した(作った)ところのもの、しかもただちに私から逃れ去って私を他者として構成するところのもの、である」(ボーヴォワール『老い』、第六章 時間・活動・歴史, 邦訳下巻, p.441)という作品の定義に通じていて、だが「老い」と「作品」の関わりということであれば、それは(ボーヴォワールがそう捉えたがっているように見える)単なる技術的な円熟、名人が到達する自在の境地への到達という観点ではなく、「作品」がもともと備えているはずの、だが若き日には必ずしも認識されるわけではない、或いは、それが意識されるときには常に克服されるべきものと認識されがちである「他性」の持つ意味合いが、己の「老い」についての認識とともに変容していく、その具体的な様相こそが問題にすべき点に違いない。シェーンベルクがマーラーの第9交響曲について述べる「非人称性」、作曲家が、背後の誰かの「メガホン」代わりになっているという指摘は、まさに作品が、まだわからぬ先の何時かに、ではなく、もう間もなく自分がそこから退去することが決定づけられている(それが事後的には誤診であったとしても、診断によってそのような認識をマーラーが抱いたことはどのみち厳然たる事実であって、それを覆そうとする類の後知恵は、こと「作品」について言えば何も語ることはないだろう)という意味合いで既に疎遠なものとなりつつある「世界」との関わりのシミュレーションである限りで、他性を帯びているという消息を告げているのではないだろうか。「老い」によって、作曲する主体の側から見て「作品」がもはや己に属するものであるよりは、己から逃れ去れ、己を他者として構成するような異物として、事後的に「抜け殻」として認識されるといった状況が生じる。マーラーのくだんの発言が、第8交響曲を作曲している最中のものではなく、「大地の歌」の完成を間近に控え、それと並行して第9交響曲の作曲に取り掛かっていた時期のものであることにも留意すべきだろうか。勿論、マーラーが「作品」を「抜け殻」という時、それは別に晩年の作品に限ってそうであると言っている訳ではない。その時点で振り返ってみれば、作品は常に、その都度の自己の行いの「抜け殻」に過ぎないということなのだろうが、そうした認識が作品自体に染み透っているのが後期作品であり、アドルノのいう「晩年様式」なのだろう。要するに今やそれは、私がもうじきそこから居なくなる、別れを告げる相手である限りの世界についてのシミュレーションなのだ。だからもし「老年的超越」を、或る種の悟りの境地の如きもの、解脱として捉えるならばマーラーの晩年の作品は、それには該当しないことになるだろうが、「老年的超越」をまさに「老い」がもたらした世界との関わりの変容(とはいえ、それは何も日常の経験を絶した特殊な経験などでは決してなく、寧ろ日常的なあり方自体がそのように変容するということなのだが)として捉えるならば、マーラーの晩年の作品はまさに「老い」の時間性が刻み込まれたものであり、そこにこそ「老年的超越」を見てとることができると言い得るだろう。(更に、この立場に立つならば、例えばDavid B. Greene, Mahler : Consciousness and Temporalityにおける第9交響曲の時間性に関する分析はどのように評価されることになるか、ここでは詳述できないので、これは別の機会に果たすべき宿題としておきたく思う。まずもって分析対象となった第1楽章、第4楽章それぞれを「通常の意識の時間プロセスの変形」なるものとして把握するという基本的なアウトラインが既にこの分析の限界を示している点については既に別のところで述べているので繰り返さないし、予め分析者が用意した図式をあてがうようにして、これほど複雑なプロセスを持つ音楽に対するには余りに単純で杜撰な、持って回ってはいるがその内実は貧困な言い回しによって各々のブロックの「意味」を説明するだけの偽装された標題音楽的解釈の一種に過ぎない点は一先ず措くとして、それでもなお具体的な楽曲の分析によって取り出されたものの中に、ここで「晩年様式」に固有のものとされる「老い」の時間性の把握として首肯できるものが含まれていることはないかを改めて確認してみたい。)
* * *
上記を踏まえた上で、アドルノ自身「晩年様式」についての言及の中での対象に応じたずれだけではなく、アドルノの「後期様式」と、ゲーテ=ジンメルの「老い」の理解の関連のあり方の方もきちんと確認する必要があるだろう。
まず「形式を打破し、根源的に形式を生み出していく、まさにカント的な意味における」主観性は、ここではベートーヴェンの中期について言われているように思われる。他方でアドルノは、既に若い頃から現れていたようにも見える、形式をボトムアップに生成させていく唯名論的な傾向を、マーラーの作品全般の特性として捉えている。一方ジンメルの方は、他方外部の形式を借りるのではなく、他に形式を求めずとも、それ自体形式を備えている点を老齢の特徴であると述べており、そのことが「現象から身を退く」ことを可能にすると述べている。
「青年期にあつては主観的無形式は、歴史的乃至理念的に豫存する形式内に収容さるゝ必要がある。主観的無形式は此の形式に依って一客観相たるべく発展されるのである。けれども、老齢に於ては、偉大な創造的人物は―予は茲で勿論純粋の原理、理想に就いて述べるが―自己内に、自己自らに形式を具へてゐる。即ち、今や<絶対に彼自らのものである形式>を所有する。彼の主観は、時間空間に於ける規定が内外共に我々に添加する一切を無視すると共に、謂はゞ彼の主観性を離脱し了つたのである。-即ち、已に述べたゲーテの老齢の定義にいふ「現象からの漸次の退去」である。」(ジムメル『ゲーテ』, 木村謹治訳, 1949, 桜井書店, 第8章 発展 p.383~384)
ここにはアドルノの「晩年様式」が備えている裂け目とか破綻、形式の破壊といった側面は見られず、寧ろ壮年期の「円熟」に近い印象さえ感じさせる(別途論じるべきだろうが、ここで上記引用のすぐ後の箇所で、ジンメルが「老齢の象徴意義の神秘的性格」について述べるところで、ゲーテ自身が「静寂観」と「神秘」とは老齢の特質であると言ったことを引き、ゲーテの言う「神秘」がジンメルの言う「象徴」に他ならないことを述べた後、「一切の所與世界の象徴的性格を、「一切の無常相は一の比喩に過ぎない」と宣布する「神秘合唱團」」に言及していることに目配せしておこう。言うまでもなく、これは第8交響曲第2部で用いられた『ファウスト』第2部の最後の「神秘の合唱」のことに他ならない。であるとしたならば、そのことはマーラーの「老い」との関係については何を物語ることになるのだろうか?)。それはジンメルがここで或る種の原理的な極限形態である理想を述べているが故に破綻は生じず、だが現実の人間においてはその理想は到達不能であるが故に、円熟に至ったと思った次の瞬間には破綻を避けることができないという力学が存在するということなのだろうか?
一方で、少なくともアドルノいうところの「方向」に関しては、アドルノとジンメルは同じ方向を向いていると言えるだろう。つまり作品は、主観が退去した後に遺される「痕跡」だという点で両者は見解を同じくしている。そしてそれは恐らくマーラー自身の「抜殻」としての「作品」観とも共通していると言い得るだろう。
そうだとして、それはシステム論的な老化の定義である「生物がもつロバストネスの変移と崩壊」と同型の構造が異なる階層において生じたものと見做すことができるのだろうか?勿論、そもそも「主観」が成り立つためにシステムが備えていなくてはならない構造的な条件があり、「現象からの退去」はそうした構造的な条件を前提とした「人間」固有のものであり、他の生物では起こらないことだろう。だがマーラー自身の語るところでは、そうした人間固有の「作品」の創造にしても、「進化のあらゆる段階にわたって生命の本質と切り離しては考えられない」のであれば、マーラーが未だ萌芽的なレベルであったとはいえ、当時最新の生命論・有機体論を参照した顰に倣って、ジンメルやアドルノの述べるところを、今日のシステム論的な枠組みにおいて捉え直すべきなのではなかろうか?
ところで、マーラーのエンテレケイアについての言及には興味深い特徴がある。エンテレケイアはもともとはアリストテレスの用語だが、マーラーの時代であれば、有機体の哲学、就中ドリーシュの新生気論における「エンテレヒー」を思い起こさせる。だがここでやりたいのは思想史的な跡付けや影響関係の実証ではなく、当時、そのような枠組みと言葉で語られた内容を今日の言葉で言い直すとしたら、どのようになるかの方だ。マーラーの時代にエンテレケイアないしエンテレヒーという言葉で捉えようと試みられた生物個体の秩序形成のための情報は、今日なら(例えばゲアリー・マーカスの言うように)アルゴリズムとしての遺伝子が担っているということになるのだろうか。「新しい肉体の獲得」というのを遺伝子の側から見たとき、生物はそれを運搬する乗り物の如きものであるというドーキンスの「利己的な遺伝子」のような見方に通じはしないだろうか。更に、そうであるとしたら「抜け殻」としての作品は、それを「ミーム」として捉える見方もあるだろうが、それよりも寧ろ、これまたドーキンスの「拡張された表現型」に通じると考えるべきなのだろうか?「抜け殻」としての作品が、退去した主体の符丁=「痕跡」(レヴィナスの「他者の痕跡」を思い浮かべるべきだろうか?)であるとして、ここで「老い」が、「生との別れ」が本質的に関わるのであれば、それに留まらず、作品をスティグレールの言う第三次過去把持を可能にする媒体として、更にはパウル・ツェランがマンデリシュタムに依拠して述べる「投壜通信」と捉える見方へと接続すべきではないだろうか?更にそれはユク・ホイの言う第三次予持とどう関わるのだろうか?彼はそれが一方では(定義上、「老い」を知らない)「組織化する無機的なもの」によって可能になると捉えているようだが、他方では芸術に、より一般的に技芸に可能性を見いだそうとしてもいる点に対して、こちらは「成長」と「老い」とを本質的な契機として持つ「抜け殻」としての「作品」、「投壜通信」としての「作品」がどのように関わりうるのだろうか?
(2023.6.9公開、6.10-13,16,23,25, 7.6加筆, 2025.5.6 旧稿の後半を独立させ、改題して再公開)
0 件のコメント:
コメントを投稿