お知らせ
2025年1月20日月曜日
マーラーの音楽が喚起する「想像上の風景」(イマジナリー・ランドスケープ)(2025.1.20 再公開)
2025年1月16日木曜日
マーラーの行進曲が喚起するもの(2025.1.16 再公開)
いろいろな音楽の間を彷徨った後、別に意識して避けてきたわけではない筈だが、無意識的にどこかで敢えてそうして いたかも知れないなと思いつつもマーラーの音楽を聴いてみると、ただちに幾つかの顕著な質に気づいて酷く驚くことになる。 例えば行進曲。マーラーが行進曲を偏愛したのは明らかだろう。 マーラーの幼児期の記憶の中にその起源を求める見方は繰り返しなされてきた。 「芸術音楽」の擁護者からはマーラーの音楽の中のいわゆる「バナルな」要素として誹謗される恰好の材料を提供した。 集団操作の道具、ある意味ではオーケストラを統率する楽長の音楽に相応しいと皮肉られるだろうか。 画一的を強制し、意識に自発性を許さずに寧ろ心理的な適応を強いる音楽。 容赦ない「世の成り行き」への屈服、攻撃者への同一化をあらわしているのだという精神分析的な解釈もある。
確かにマーラーの行進曲は、音楽の主体を急きたて、どこかに追いやる働きをする。 停滞を中断し、活動を強制するかのようだ。 マーラーの音楽を聴く私も、行進曲に促され、前に進もうとする。 しかもマーラーの行進曲は、それが主体にとっての強制であるという主体の側の反応そのものを刻印していることもあるから、 疲れていても、動かなくてはならないのだ、という認識に聴いている私を誘う。 その認識には両面があって、強制的に歩かされているという悲壮感と、蹲っているよりは少しでも歩いた方がましだという気持ちが綯交ぜになっている。 実はそうやって急き立てられでもしなければ、怠け者の私は残された時間を浪費して、何事も成し遂げられないかも知れない。 怠惰な人間が何かを為すには、外からの暴力が、強制が必要なのだ、というわけだ。
その外部とは、「世の成り行き」かも知れないが、自分の奥底に穿たれたいわば内部の外部から響く呼びかけかも知れないのだ。 マーラーの音楽が自分の中にすっかり埋め込まれ、意識としての私よりもより下の層を構成しているとしたら、 それはフロイトのモデルのうち、超自我の指令ではなくて、寧ろエスの呼びかけであるということだってありうる。 マーラーの行進曲はそのどちらでもありうるのではないか。
もっと単純に、私の中に埋め込まれたマーラーがゲーテの思想に共感して、「活動を止めてはならない」と呼びかけているとしたら? 人間は密室の中で、外部とのコミュニケーションを絶ったままでは生きていけないのだ。 連帯への誘いであれ、強制であれ、外部からの呼びかけに応えて、外部に出て行く必要があるのだ。 行進に加わっても、あっという間に脱落し、落伍するかも知れないとしても、また立ち上がり、どこかに向かって歩かなくてはならない。 寧ろそれは生物としての、動物としてのヒトの性質に由来するのかも知れない。
不吉な連想。
1.ハールメンの笛吹きに率いられた生物の集団自殺。 閾域下に働きかける信号によって、集団催眠にかけられ、操られた集団の行進はどこに向かうのか。 だがそれも、遺伝子のどこかに仕組まれた、進化の詭計によるものだとしたら?
2.強制収容所でマーラーの姪が演奏した行進曲。 収容所の入り口には、ナチスの欺瞞に満ちたモットーである「労働は自由にする」が掲げられている。 そこでの自由とはなんだったか。生き延びるためには行進から落伍してはならない。 だがそれは強制収容所の中だけのことなのだろうか。
一旦乗りかかった船からは、途中で降りるわけにはいかないのだ。 おまけに乗った船が実は泥舟であった、ということもある。 最初は立派な船であっても、何かのはずみで泥舟に変貌することだってある。 行進に加わったときにそれを見極めることが常にできるというのは後知恵に過ぎないのではないか。 しかも行進に加わらないことはできないのだ。 せいぜいが、運がよければどの隊列に加わるのかについての選択肢があるかも知れないというのが現実ではないのか。
マーラーの音楽が持つ異様な活力は、ぎっしりと詰った情報ともども、聴くものを疲れさせ、消耗させる。 だから疲れて病んでいるときには、しばしばマーラーを聴くのに耐えられなくなるのだろう。 だがじきに、自分の中に埋め込まれたマーラーの音楽が、再び立ち上がって歩き始めるように促し始める。 目を覚ませ、とそれは私に呼びかける。
もしお前が一緒に行進している同伴者が幽霊であったらどうか? それでもお前は一緒に行進するのか? だがしかし、私もまた幽霊の如き存在ではないのか? マーラーの行進曲は、そうした幽霊たちに手を差し伸べ、隊列に加わるように誘う。 かくして「レヴェルゲ」達の隊列が組まれる。
行進がどこに行くのか、誰も知らない。 いや、ある意味では皆が知っていて、知らないふりをしているということもできる。 実はそれがどこにも辿り着かない、目的のない、行進のための行進であることを、マーラーの音楽は誠実にも隠し立てすることがない。 ただ、マーラーは自分がかつて見聞きし、体験したと思った何かに再び出遭えることをどこかで待ち望んでいる。 どこに行けばいいのかもわからないし、それが実現することのないことを予感しているにも関わらず、何か自分に勝りたるものに与ることを夢見ることを断念することはできずに、盲目の意志に導かれて行進は続くのだろう。
私は弱った体の恢復を待ちながら、過去の異郷から響いてくる行進曲の響きに耳を澄ませ、性懲りもなく再び隊列に加わることを夢見て、その意志を壜に封じて情報の海原に投げ込む。 遠い昔、子供の頃にふとしたきっかけで、誰に教えてもらうでもなく、自ら探し当てた壜の中に閉じ込められた音楽の響きに導かれて、このようにして。
(2012.5.1, 2025.1.16 改題の上、再公開)
2025年1月13日月曜日
第8交響曲と「大地の歌」との連続性’(2025.1.13再公開)
2024年6月17日月曜日
「パルジファル」から「子午線」へと過ぎ越す「応答」としての第9交響曲(2024.6.17更新)
パルジファルの音楽は、それが現実に場を持たない感じがしない。 第1幕の前奏曲からして、それは既にあまりに現実的な空間を浮かび上がらせる。 それは具体的な現実の歴史の中の出来事ではなく、その中に場所も時点も 持たない。それは過去に起きた歴史的出来事の再現を企図しているのではない。 にも関わらずそれはひどく現実的で、まるである可能世界で「現実に」生じた、 あるいは生じつつある出来事のようだ。これは「ありえたかもしれない」出来事 なのだろうか。
劇場での上演という制約のためなのだろうか?音楽だけを聴いても その音楽は、ひどく現実的なものに聞こえる。神話的な空間での 出来事にも関わらず、登場人物は現実の身体を持つ「生身の人間」であり、 アムフォルタスにせよ、クンドリーにせよ、その苦悩はひどく人間的なもの、 あまりに人間的なものであり、その感情はいわゆる「この世ならぬもの」の 息吹からは遠い。神話的で、或る意味で図式的でありながら、少しも 現実的な感情を逸脱しようとしない。寧ろ、現実的な筋書きを持つ オペラが、そらぞらしくわざとらしく感じられる(ごく単純に、人は普段そのように 歌ったり、振舞ったりしないものだという白々しさの感覚に囚われる)のに対し、 ここでは演劇的なもののもつ空々しさは、或る意味で巧みに帳消しに されているという見方もできるだろう。(パルジファルの筋書きだけを取り出して 映画をとったときのことを考えてみればよい。むしろそちらの方が現実離れ した感じを与えるのではないだろうか。)科白が歌われること、音楽が 常に物語の背景に流れ続けていることは、ここではまるで当たり前であるかの ようだ。逆に、音楽を介して、ある可能世界の現実が成立しており、 音楽を介してしか、その世界の出来事を理解可能なかたちに翻訳することが できないかのようだ。
それに対応するように、「聖金曜日の奇跡」は少しも奇跡のようでない。 それは寧ろ、ごく普通の四季の循環のプロセスにおける出来事に対する 価値付け、解釈の結果のようであって、劇場の舞台の上で如何なる 奇跡も現実には起きないように、音楽もまた如何なる奇跡をももたらさない。 それはごく普通に或る瞬間に、この世において生身の人間が見るであろう 風景のようだ。
時間論的に未来完了的な構造を備えていることとの関連について言えば、 ここでは前奏曲で予示されてしまった「音楽的出来事」が展開されるだけであって、 新たな何かが到来することはない。「再現」はここではベクトル性の深みを欠き、 どこか遠くに来てしまって、後戻りが利かないという感覚は希薄だ。 全ては起こるべくして起こった。仕組まれており、偶然やゆらぎのもたらす、本当の 意味での「新しさ」がここには欠けているのではないか? 寧ろそれは、かつて起きたことの反復、これからも永遠に繰り返される出来事の 提示のように感じられる。 物語のプロットは非可逆的性を備えているようであるにも関わらず、それは 反復されうるように感じられる。同じものがそっくりそのまま繰り返されるのだ。
色々な演出での色々な時点と場所におけるパルジファルの上演は、演出家が 如何に差異を意図し、オリジナリティに取り憑かれていたとしても、結局は同じものの 繰り返しにしかならないよう予め定められているかのようだ。しかしそれはある意味では 当然で、演出を替え、衣装を、舞台装置を替え、歌手を、オーケストラを、指揮者を 変えても、音楽そのものは変わらない。ここでは音楽が全てを生じさせる根拠なので、 所詮はそうした変化は、或る種の展望の相違、視点の相違に過ぎない。 ある春の日が、別の一日と気温も湿度も、光の調子も、何一つとして全く同一と いうことはないのに、結局は同じ春の一日に過ぎないと感じられるのに近い感覚がそこにはある。
こうしたあり方を指して「神話的」と呼ぶのであれば、これはまさしく「神話的」であり、 神話そのものと言っても良いようにすら思われる。 この作品が成功しているのか、失敗しているのかは、そこに何を求めているかによるだろう。 しかし、どちらにしてもこの作品が極めて完成度の高い、優れた作品であることは間違いがない。 ある見方をすれば、これは恐るべき力を持った、あまりにうまくできた、完璧な成功作であろう。 この作品を、或る種の頂点、極限と見做すことは不当なこととは思えない。
「舞台神聖祝典劇」というジャンルの創出企図にも関わらず、舞台の上で、あるいは 音楽の裡で起きる出来事は、あまりに強い実在感を備えすぎているし、想像される意図 からすれば意外なことかも知れないし、人が期待するものからしてもそうかも知れないが、 超越的な契機を欠いているようなのだ。一言で言えば、その音楽は聴き手を 「どこか別の場所」に連れ去らない。勿論、パルジファルの物語の空間は、虚構であり、 現実ではない。そしてこの音楽が聴き手を、物語の空間に、虚構の中に誘う仕方が 如何に完璧で、如何にその力が強力かについては既に述べた通りである。 だが、それは「どこか別の場所」が備えているべき「他性」を欠いているように思われる。 彼方から到来するものの息吹に欠けている。
恐らくはベクトルの向きが逆なのだ。予め虚構の時空の中で繰り広げられる 物語は、現実が彼方からの息吹によってこの世ならぬものに変容する一瞬を 持ち得ない。変容する瞬間のもつ「突破」のベクトル性の深みもまた持ち得ない。 どこかに裂け目があって、そこから何かが到来するという構造がここにはそもそもないからだ。 皮肉なことに、ある意味でこの音楽が完璧なだけ、もしかしたら作者の企図の実現の 度合いに関して、例外的な程までに成功しているがゆえに、その出来の良さの分だけ、 「他性」を、「超越」のもつ受動的な構造を、作品自体は決定的に欠いているのだ。 作品の内側においては、ある仕方では「超越」のもつ受動性が示されているという見方も 可能だろうが、それは皮肉にも逆の意味を帯びてしまいかねない。このような仕方で 受動性が提示されてしまうと、それはそれで一面的なものとなり、本来はその背後に 働いている契機が、恰も否定されてしまうかの如き誤解を生じかねない。もっとも ワーグナー自身にしてからが、もともと本当にそう考えていたのであり、だからここには 「誤解」などなく、寧ろ私の側に「誤読」があるか、控えめに言っても、無い物ねだりを しているだけなのだという意見はあるだろうし、それにも一理あることは認めざるを得ない。
だが音楽はそもそもすべからくそうしたものではないのか、という問いに対しては、 そうかも知れないが、必ずしもそうとは限らない場合もあるように思える、と言うほかない。
私が経験した限りにおける「パルジファル」において生じていると私に感じられた上のような事態を ベイトソンが「プリミティブな芸術の様式と優美と情報」で導入した「一次過程」について、 「冗長性とコード化」の夢の中のコミュニケーションに関するくだりを補いつつ照合してみると、 「パルジファル」に関して、それが現実に場を持たない感じがしない、というひどく回りくどい言い方を 私がしたのは、ベイトソンが夢の特性として指摘している性質故ではないだろうかというように思える。 それは直説法的ではない。まさに「ありえたかもしれない」ものの提示であり、ある「パターン」の提示、 ホワイトヘッド的な永遠的客体の無時間性を備えた、括弧入れされた提示なのではないか。 だからそれは、何度でも、変形されつつも、同じ「パターン」として提示されうる。 「パターン」の不変性を担うのが、ここでは「音楽」であるというように私には思える。
更にベイトソンはフロイトが夢を「夢の作業」による加工・変形を経た二次的なものであるという考えを、 或る種の転倒と見做している。 だが、「芸術とは、われわれの無意識の層を伝え合うエクササイズである」と いうベイトソンの定義に忠実にあろうとしたとき、既に意識を備えた有機体である人間の、その意識が己の 構造上の制約の中で、それでも精神の全体を垣間見ようとしたとき、そうした転倒は避けて 通ることのできない経路なのではないか。あえて自分の背後を覗こうとした意識が受け取るものは、 自分自身を含む精神の「幽霊」なのだということに気づくことはないのか。 そしてそういった意識と無意識の関係が原理的に抱える問題に気づいた意識は、 ベイトソンの言う「魂の部分間の統合 - とりわけ、一方の極を「意識」、もう一方の極を 「無意識」とする精神の多重レベル間の統合」を企図したとして その企図が破綻を運命づけられている場合もまたあるのではないか。
ベイトソン自身、「目的意識対自然」においてその統合の困難について語っている。 単に意識を融解させて無意識的なものを噴出させるのではなく、統合を企図したとき、 既に予め分裂している状態で生じるのは、ポリフォニーであり、幽霊との「対話」による 超越の試みではなかろうか。「世界を構築すること」としての交響曲創作は、そうした統合の 試みであり、マーラーは生態学的心理学的な意味合いでの拡張された「心」のあちらこちら (それは自分の内部の無意識かもしれないし、外部の環境かもしれない) からの声に耳を澄ませ、それに形式を与えようとしたのではないか。
それゆえ破綻を宿命づけられた超越の試み自体を定着させた作品があってもいいし、 それは見方によっては壮大な「失敗作」と断定されもするのだろうが、そうした作品に よってしか聴き取ることのできない音調というものがあるだろう。 未来完了的な音楽の構成法という点では表面上は共通しているにも関わらず、 「どこか別の場所」の端的な非在を告げつつ、そうすることで「どこか別の場所」を 浮かび上がらせるような作品というものがある。それはツェランがある詩篇で戦慄すべき 簡潔さで言い当てたように、どこにもない傷をもここから取り去らねばならないといった 現実から発して、時間を通って、だが、誰に届くかもわからず壜に詰めて投じられると いった作品のあり方に、こちらはこちらで正確に対応した内実を備えている。 それは作品の中で「対話」を志向し、作品そのものもまた「対話」を志向する。 「虚構」を「虚構」と指し示し、裂け目から垣間見たものが幻影に過ぎなかったのでは ないかという懐疑にさいなまれつつ、そうした裂け目の彼方を目がけてなおも発せられる 予め挫折を運命づけられたかのような作品によってしか告げられない超越の様態がある。
アドルノはマーラーの第8交響曲における否定的な契機の欠如を批難する。 だが、マーラーが「パルジファル」であれば第2幕に対応するような場面を第8交響曲に含めなかったのは、1曲全体が「突破」の瞬間を押し拡げたものであるかの如きこの 作品にとっては当然のことであり、そうすることで得られたであろう芸術的な成功は、 そうしなかったことで得られた「応答」としての切迫、パウル・ツェランが「子午線」で語ったような、「探しあてらるべき場所の光に 照らされての―どこにもない場所=ユートピアの光に照らされての」「みじめな生き物」としての 「人間」の「場所(トポス)の探索」のぎりぎりの試みの持つこれ一度きりの切迫を 損なってしまったであろうことを思えば、どちらの側に私が与するかは明白である。 聴く者は、自分がどこにいるのかが一瞬わからなくなって恐慌に陥るかも知れない。 「ありえたかもしれない」世界を克明に、あたかも現実のように示す芸術の傍らに、 「ありえない」場所を浮かび上がらせる営みがある。
それを思えば、マーラーが1883年に聴いた「パルジファル」への「応答」が、 第9交響曲であるということ(この点はアドルノが「『パルジファル』の総譜に寄せて」で指摘している。本ブログの記事「アドルノの「パルジファルの総譜によせて」中のマーラーへの言及」を参照)は、一見すると矛盾しているかにさえ見えるマーラーの 内的な一貫性を示していると考えることができるだろう(アドルノの側についてもまた、本ブログの別の記事「アドルノがパウル・ツェラン宛書簡で自己引用した「マーラー」における第9交響曲についての言及」で触れているように、ツェランに宛てた書簡の中で、よりによってマーラー・モノグラフの第9交響曲に関する箇所を自己引用していることを指摘していることを以て、ここでの「子午線」への過ぎ越しへの企てが筆者の恣意ではないかという疑念に対して答えておくことにしよう)。全く異なる色彩と音調を備えた 風景の中で聴き手は逍遥し、未来完了的な主題構成法も、移行の機能も、 鐘の響きも全く異なるものに変容させられていることに気づく。否、それが「パルジファル」の エコーであることにそもそも気づかないということだっておおいに有り得るし、それで構わないのだ。 モンサルヴァートの春の野辺での聖金曜日の奇跡の代わりに訪れるのは、ドロミテの地で "Enrosadira"と呼ばれる現象、日の出や夕暮れの陽の光に照らされて、赤色、薔薇色、 菫色などの色彩に変化する現象であり、太陽が沈んでいくある夕べの対話の一刻である。 そうであってみれば、そうした「山中の対話」(ただしこちらはエンガディンにおいてだが)を語ったもう一人の小さなユダヤ人のことばが、 そこでの消息をこの上もない正確さで告げていたとしても、何の不思議もない。私如きが 付け加える言葉は最早ない。だから私はここで沈黙し、もう一人の小さなユダヤ人に 語らせることにしよう。
(...) Erst im Raum dieses Gesprächs konstituiert sich das Angesprochene, versammelt es sich um das es ansprechende und nennende Ich. Aber in diese Gegewart bringt das Angesprochene und durch Nennung gleichsam zum Du Gewordene auch sein Anderssein mit. Noch im Hier und Jetzt des Gedichts - das Gedicht selbst hat ja immer nur diese eine, einmalige, punktuelle Gegenwart - , noch in dieser Unmittelbarkeit und Nähe läßt es das ihm, dem Anderen, Eigenste mitsprechen : dessen Zeit.
Wir sind, wenn wir so mit den Dingen sprechen, immer auch bei der Frage nach ihrem Woher und Wohin : bei einer »offenbleibenden « , » zu keinem Ende kommenden «, ins Offene und Leere und Freie weisenden Frage - wir sind weit draußen. Das Gedicht sucht, glaube ich, auch diesen Ort. (...) (Paul Celan, "Der Meridian")
(…)この対話の空間の中で、はじめて、語りかけられるものがかたちづくられます、語りかけられるものが、語りかけ名ざす「わたし」のまわりに集まってきます。しかもこの語りかけられたもの、名ざされることによっていわば「あなた」となったものは、この現前の中へおのれの別のありようをも持ちこむのです。詩の「ここ」と「いま」においてなお――たしかに詩自身はつねにこのただ一つの、一度かぎりの、そのたびごとの現前しかもたないのですが――このような直接性と身近さの中においてなお、このものはみずからの、つまりわたしたちにとっては「別のもの」の、ひたすら固有なるものをともに語らしめます――すなわちその時間を。
このようにして、わたしたちが物事について語るとき、わたしたちはつねにそのものたちの「どこから」と「どこへ」をも問いかけているわけです――これは、「未解決にとどまる」「決して終わることのない」問いかけ、そして、ひらかれたもの、うつろなもの、ひろびろとしたものを指向する問いかけです――わたしたちははるか外へ出てしまっています。詩もまた、この場所を求めるのだ、と思います。(…)(パウル・ツェラン、「子午線」、飯吉光夫編・訳、『パウル・ツェラン詩文集』、白水社、124~5頁 )
(2012.12.15公開,17加筆. 2023.12.6 ツェラン「子午線」の引用部分の邦訳を追記。2024.6.17改題の上、自他の文献の参照を追記)
2022年12月30日金曜日
「ありえたかも知れない民謡」としてのマーラーの歌曲についての覚書(2022.12.30更新)
一般にはマーラーは、第一義的には交響曲の作曲家として認知されているが、その創作の全体を俯瞰した時に直ちに気付くことは、交響曲以外の創作ジャンルが、ほぼ歌曲に限定されるという点であろう。だがそれ以上に特徴的なのは、平均的な了解としては相容れない筈の交響曲と歌曲という2つのジャンルが、マーラーにおいては相互に影響を与え合い、時として融合している点である。前者としては歌曲がそのまま交響曲の一楽章として埋め込まれた、第2交響曲第4楽章(「原光」Urlicht)や第4交響曲第4楽章(「天国の生活」Das himmlische Leben)もあれば、合唱が追加されるなどの歌唱パートの改変とともに管弦楽化された第3交響曲第5楽章(「三人の天使がやさしい歌を歌う」Es sungen drei Engel einen süßen Gesang)のような場合、逆に管弦楽化されて構造的にも拡張される第2交響曲第3楽章(歌曲としては「魚に説法するパドヴァの聖アントニウス」Des Antonius von Padua Fischpredigt)や第3交響曲第3楽章(歌曲としては「夏の交替」Ablösung im Sommer)のような場合、更には交響曲楽章の主題として用いられる場合(枚挙に暇がないが、例えば第1交響曲第1楽章における「朝の野を歩けば」Ging heut' morgens übers Feldや第3楽章のトリオにおける「彼女の青い目が」Die zwei blauen Augenなど)から、歌曲の一部が引用される場合(これまた枚挙に暇がないが、例えば第5交響曲のフィナーレにおける「高い知性への賛美」Lob Des Hohen Verständesの引用や第9交響曲第4楽章における「よく私は考える、子供たちはちょっと出かけただけなのだ」Oft denk' ich, sie sind nur ausgegangenの引用など)まで、関係の様態は幅広いスペクトルを持っている。後者について言えば、まず何と言っても『大地の歌』(Das Lied von der Erde)が挙げられるだろう。それは『さすらう若者の歌』(Lieder eines farhrenden Gesellen)、『子供の死の歌』(Kindertotenlieder)といった連作歌曲集の流れの集大成であると同時に、マーラー自身によって交響曲と規定されているという点で、それらの連作歌曲集とは一線を画している。結果として、交響曲の側から見た場合には本来は器楽であるべきジャンルへの様々な水準での声楽の導入があり、他方では内部構造を持たない複数の歌曲をただ集めただけの歌曲集から連作歌曲集としての組織化・構造化の方向性の極限として交響曲が位置するといった見取り図がマーラーの創作に関しては成り立つことになる。しかもそれは、膨大で多様なジャンルに取り組んだ他の作曲家であれば、その創作の持つ多面的なアスペクトのうちの一つとして、謂わば外側からアプローチすることも可能だったろうが、マーラーの場合には、それが創作全体のまさに要石の部分に位置し、アドルノの言葉を借りるならば、その作品群の成り立ちを「唯名論的」に規定する実質的な要素であることになる。つまり外的にそれぞれ独立に、事前に規定された2つのジャンルを偶々選択した時にその間に存在する関係といった把握でなく、歌曲と交響曲の両者が、そして両者のみが存在する空間において個別の作品同士の間に生じるその都度の関わり合いを通じて個別の作品の構造が具体的に規定される様相についての観相学が求められているということになるのではなかろうか。
その結果として、ことマーラーに関しては、単なる音楽形式の問題を超えてより一般に言葉と音楽との関係が他のケースにも増して問題となる。マーラーの交響曲については標題に関する議論というのが或る種の紋切り型のようなものとして存在しており、尚且つそれは、マーラーの生きた時代に既にそのようなものとして存在していて、マーラー自身がそうした問題に関わらざるを得なかった事情を勘案すれば、それを問題として取り立てること自体には一定の正当性があるということになるだろうが、これもまたマーラー自身が既に気付いて或る種の拒絶の身振りを示したことから窺えるように、せいぜいのところ素材の一つに過ぎない標題性なるものを外部から作品へと押し付けて、それを以て作品について何かが解明されたとするような類の議論は、まさに上に記したような事情がある故にマーラーの作品について何かを明らかにすることはない。そしてこのこともまた、アドルノがマーラーに関するモノグラフの冒頭で既に半世紀以上も前に指摘していたことである。それ故にマーラーにおける言葉と音楽の関係を問おうとしたならば、標題などではなく、さりとて楽譜に書き込まれた膨大な言葉による指示に音楽への言語の侵入を見るのでもなく、たとえ自明に見えたとしてもまずはマーラーの創作が交響曲と歌曲より成り、かつ一部の例外を除いてそれらのみから成り、しかもその間には、冒頭でその一例を示したような複雑な関係性のネットワークが存在しているという事実を無視することはできないだろう。それ故また他方で、あたかも言語の侵入を受けない自律した音響態として、言語的な意味づけを排した上でマーラーの作品に向き合う態度は、仮に個別の作品については時としてその場で生まれる「サウンド」として手垢のついていない新鮮さを感じさせることはあっても、その場限りで消費されてお終いとなってしまい、あたかも投壜通信のように(ツェランが講演で述べたように、時間を超えてではなく)時間を通って作品が運ぶ価値に辿り着くことはないだろう。
とはいってもそれは、作品が誕生した際の文脈を忠実に再現することなく作品に接することを非本来的であるとして断罪するような主張に繋がる訳でもない。そうではなくて、ごく単純に、例えばもし或る聴き手が歌曲「魚に説法するパドヴァの聖アントニウス」Des Antonius von Padua Fischpredigt)を知っていて第2交響曲に接する場合と、知らずにそうする場合には違いがあるし、そうした関係の存在を知った途端に、それを無視して音楽を受け止めることはできないだろうということに過ぎない。言い換えれば、マーラーの交響曲に接するに際して歌曲の存在を抜きにした場合と、それを前提とした場合とでは様々な水準で交響曲の受容自体が異なったものになるだろうという、ごく当たり前のことを言っているだけである。第2交響曲第3楽章は事実として歌曲そのものではないのだから、それが恰も「魚に説法するパドヴァの聖アントニウス」Des Antonius von Padua Fischpredigt)そのものであるような意味の押し付けが不当である一方で、それが「魚に説法するパドヴァの聖アントニウス」Des Antonius von Padua Fischpredigt)の変形であることを知ってしまえば、そのことがまるでなかったように第2交響曲第3楽章を聴くことはできないし、更に言えば、その事実を無視するとしないとに関わらず、マーラーその人は勿論そのことに自覚的であり、意図的にそのようにしたという事実は残る。同様に当たり前のことではあるが、第5交響曲第4楽章の、著名であるだけにそれだけ不幸でもある抜粋の場合とは異なって、歌曲のみを取り出すことには狭義における抜粋とは異なった性格がある。歌曲は一方でそれ自体単独で存在しているにも関わらず、恰もミトコンドリアのような細胞内小器官が元を質せば細胞内共生体であるのと同様に、独立の歌曲であると同時に交響曲の一部でもあるのだ。他方において、歌詞を剥ぎ取られて器楽化されれば元々の歌詞とは異なる文脈の中で異なる意味を獲得することになるのだが、それと同時に元々の歌詞の残響がその文脈にエコーすることを防ぐこともまたできない。単純な引用・被引用の関係はここでは成り立たず、どちらがオリジナルであるかは決定不可能なのだ。勿論、実証的な研究が創作のプロセスを事実問題の水準で解明し、どういう順序で作品が出来上がったのかについての事実が明らかになることはあるだろうが、それはそれとして、一般論ではなく、マーラーという個別のケースにおいてそれを事後的に受け取る状況に限定して言えば、交響曲と歌曲の間、或いは歌曲のピアノ伴奏版と管弦楽伴奏版の間の関係はお互いが相手のヴァリアントであると捉えるべきで、どちらが他方に対してオリジナルであるということは言えないだろう。そしてこのような歌曲のありようが「マーラーの場合」を特徴づけているように私には思われるのである。そのことの帰結として、連作歌曲集ではない、常ならば構造を持たない単なる寄せ集めである歌曲集が取り上げられる際にも、その中からどれを選んでどのような順序で並べるかについて、演奏者の側に選択の可能性が生じるようになる。かくして粗い類推ではあるけれど、交響曲が長編小説であれば、連作歌曲集は全体で一つのまとまりをもった連作短編集であるのに対して、そうでない歌曲集もまた、単なるアンソロジーではなく、嘗て或る種の実験小説において、断章群を提示しておいて読者が自ら読む順序を決定していくという試みが為されたことへの類比が寧ろ適切なものとなる。
従って、ここでの歌曲と交響曲と関係を問おうとした場合、例えば、歌曲が交響曲に引用される具体的な様相を分析するというアプローチに帰着して事足れりというわけではないことになる。そのような研究としては既に半世紀も前にモニカ・ティッベの研究があり(Tibbe, Monika, Über die Verwendung von Liedern und Liedelementen in instrumentalen Symphoniesätzen Gustav Mahlers, Emil Katzbichler, 1971)、今更屋上に屋を架す必要もないだろうが、さのみならずアドルノが夙に指摘している通り、マーラーの場合において歌曲は、交響曲に対していわゆる「予備的研究」なのではなく、その役割は交響曲に素材を提供することに存するというように見做されるべきではないのであってみれば、歌曲を引用する交響曲といった図式自体が既に或る種の予断を含んでしまっているのだ。ここでの文脈からは稍々逸れることになるが、そのことはマーラー作品内における歌曲と交響曲の関係にのみ言えるのではなく、一般にマーラーの作品における各種の引用を指摘するような姿勢に共通していることで、勿論そうした実証的な研究の存在意義を否定するわけではないにしても、そうしたアプローチそのものが含み持つ予断が見えてくるものを先行的に規定してしまうことは避け難く、時として、或る種の文化的な文脈への還元によって事足れりとする立場に通じるものがある。歌曲が交響曲とともに、対等の立場で星座を形作ることがマーラーの創作の総体において不可欠の契機なのであって、一見したところ些事に思われるかも知れなくとも、上に例示したような交響曲と歌曲との関係の多様性そのものが、ここでの交響曲なり歌曲なりの在り方を決めているのだ。例えば第4交響曲第4楽章に見られる、独立の歌曲でもあり交響曲の一部でもあるという二重性は、本来的には別々のジャンルに帰属するべきものが偶然に借用されているという見方では捉えきれず、寧ろその二重性こそがマーラーの作品にとって本質的であって、実際にはそのような二重性を明示的には持っていない他の多くの歌曲においてさえ、仮想的な仕方で同様の二重性を謂わば予示的に備えていると考えるべきなのだ。
マーラーの歌曲のうち、管弦楽伴奏版が作成されなかった(但し、「夏の交替」のように交響曲との関連を持つ作品は含まれている)初期の作品群は『リートと歌(Lieder und Gesänge)』という一見ありきたりの題名の下、3巻に編まれたのであったが、機械的な反復を忌避するという、交響曲形式に対する態度において顕著なマーラーの姿勢は歌曲においても変わることはなく、それ故典型的なのは、題名が示唆するような有節的なリート(Lied)と通作的な歌(Gesang)といった二元論的区分よりも、その間を架橋し、しばしば境界を曖昧にするように節を絶えず変形していく手法であり、それが技術的な構成原理となっている点については交響曲と変わるところはないように見える。交響曲にも語りの契機が侵入し、古典派的交響曲が範例として「演劇」を持っているのに対して、ここではアドルノが言うように「小説」が範例となってシェーンベルクが指摘する「音楽的散文」が支配的となるのだが、その結果は旋律線の白熱であり、予めルバートを作りこみ、人間の声ではなく、楽器が(二次的に、「表現」として)「うたう」ことになる。マーラーの交響曲は騒音的な非楽音の導入の廉でしばしば嘲笑の的になってきたが、常には音色的な効果を添えるだけの打楽器が(場合によってはセンツァ・テンポで、ということは恰も周囲の脈絡とは独立にそれ固有のリズムとテンポを持っているかのように)「うたう」ことが求められているということに他ならない。同様にして、マイケル・ケネディによればマーラーの作品の基本的原理は二声の対位法だが、それは単なる和声進行の声部への分配に終始することなく、寧ろ外部を、他なるものを作品の中にこだまさせる契機なのだ。それは或る時にはステージとは別のテンポで動く舞台裏からの響きであり(第3交響曲第1楽章の展開部末尾、冒頭のファンファーレが回帰する直前を参照)、或る時には音色の変化により、或る時には極端な音域の乖離により仮想的に仮構される空間の広がりでもあるだろう。そこでは「うたうこと」と騒音的な非楽音の対比によって、音楽が生まれてくる起源的な場所が遡及的に言い当てられようとしているかのようだ。
主観的抒情と客観的叙事の対立についても同様なことが言えるだろう。マーラーの歌曲が所謂芸術的なリートの系譜に連なるものではないこともまたしばしば指摘されることで、最もその傾向が著しいのは『子供の魔法の角笛』歌曲集ということになるであろう。一見したところ民俗的な素材に見える『子供の魔法の角笛』は文学史の中でドイツロマン派を代表する作品と見做されてきたし、それ故そうした民族的遺産に対してユダヤ人マーラーが曲を付けたことに対する言いがかりめいた誹謗中傷が、とりわけてもナチズムが支配した時代には激しかったとは言え、1世紀後の極東の異邦人の子供がマーラーの音楽に取り込まれたそれを聴いた時の印象に照らした時には、フォン・アルニムとブレンターノは民謡を蒐集する民俗学者などではなく、結局のところ『子供の魔法の角笛』は彼らの創作であったという、マルク・ヴィニャルの「音楽素材と史的弁証法」(青土社『音楽の手帖 マーラー』、或いは酒田健一編『マーラー頌』(白水社)所収)における指摘の方が自然に感じられるのである。それが民謡を模倣したものであるとすれば或る種の追創作(nach-dichtung)と捉えるべきで、だとすればそれは寧ろ『大地の歌』の詩がハンス・ベートゲの追創作であるのに親和的とさえ言えるであろう。アドルノはモノグラフの中でシュペヒトが『子供の魔法の角笛』歌曲集の楽譜に寄せた文章を引用しつつ、その見解に疑念を呈しているのだが、その指摘については、それに対する賛同とともにそれを引用しているヴィニャルの見解に与することができるものの、続けてそのアドルノがムソルグスキーやヤナーチェクを参照しながらマーラーの作品の叙事的性格を指摘するのに接すると、ボヘミヤに生まれて、幼少期にはその地の伝統的な音楽にとり囲まれて育ったマーラーの作品にスラブ的な響きを見出そうとすることには一定の妥当性があるのだろうとは思えども、そこにもまた解消し難いギャップがあるという感覚を否定することは難しい。そういうヴィニャルがマーラーを形容した「真実の、または佯りの…」という言葉への共感を、それを象徴する例である「四度で鳴く郭公」をタイトルとした文章に記した川村二郎のマーラー論(青土社『音楽の手帖 マーラー』所収)を読んだ時、子供ながらに「真実の、または佯りの…」という両義性がマーラーの音楽の或る種屈折した特質に良く迫り得ているという点を認めるに吝かではなくても、自分が聴き取ったものが両義性という言葉で尽くされれているかどうかという点については留保の必要を感じずにはいられず、なお懸隔が存在することを感じずにはいられなかった。自ら三重の意味での異邦人であると規定したマーラーの音楽は、一部の評者が言うようなエキュメニカルなものでは決してなく、端的に根無し草の無国籍的なものであって、自分が生まれ育った環境に対してさえ距離感を持ち、或る種のよそよそしさを感じずにはいられないような側面を持っており、敢えて言うならば寧ろ端的に「佯りの」もので、無意識的に湧き上がるものそのものではなく、意識的にシミュレートされ直したものだと言うべきではなかろうか。マーラーの音楽が文化的にも歴史的にも懸け離れた土地に住む子供にとって逆説的にも身近に感じられ、自分に向かって手を差し伸べてくれる存在であり、パウル・ツェランが参照しているマンデリシュタムの投壜通信についての言葉のように、岸辺に辿り着いて打ち上げられた壜の中の手紙を自分宛のものであると感じ取ったのは、そこに両義性があるからであるというよりは、その音楽が初めから風景からの疎外を孕んだものであるが故であるとする方が、事態の正確な記述になり得ていると感じられるのである。そのことが特に明確なのは『大地の歌』の場合なのだが、それについては『大地の歌』のコンサートに寄せて以前書いた文章で触れたことなので、ここではその内容は繰り返さない。
或いはまた、マーラーの音楽の歌詞を眺めた時、叙事に際してオリジナルには存在したかも知れない固有名をことごとく欠いている点はどうだろうか?廃棄された若き日の歌劇の創作の試みの果てに、辛うじて筋書きめいたものを持ち、テキストが物語としての体裁を備えている最後の作品であると同時にマーラー自身が作品1として、自らの創作の出発点と見做したカンタータ『嘆きの歌』の登場人物は、だが固有名を持たない。その後もう一度きり、ゲーテの戯曲『ファウスト』の終幕の場をその第2部の素材とした交響曲が書かれるが、ここでも(かつてグレートヒェンと呼ばれたといったように注記されることはあっても)固有名が予め剝ぎ取られているのは果たして偶然なのだろうか?「原光」で天使と格闘するのはヤコブその人ではないし、「3人の天使が優しい歌を歌う」で主を裏切ったことに悔恨の涙を流すのもペテロその人ではない。それらに加えて「おお人よ注意せよ」という呼びかけも併せて須らく女声に割り当てられているのに対応するように、歌詞からすれば男声で歌われるべき『さすらう若者の歌』も『子供の死の歌』もまた屡々女声で歌われ、しかもそれは些かも例外などではなく、寧ろ女声による名唱に事欠かない点について異論はないだろう。そしてそれら連作歌曲集の到達点でありながら「交響曲」と規定された『大地の歌』は、逆説的にも歌曲を含めたマーラーの全創作の裡で最も主観的な極に位置しながら、「私」は男声と女声とに分裂する。それでいて終楽章の「告別」はと言えば、別れであるからには当然複数の人間が登場する筈だというのに、私と友はしばしば交替し、果ては本当にそこに「友」がいるのだろうかと訝しむことにさえなりかねない。
マーラーにとって『子供の魔法の角笛』は、自分がその中に否応なく巻き込まれる「世の成行き」との様々な関わり方を仮託する素材であったのではなかろうか。その中の一つであり、「この世」の成行きに対して、神から出たのだから神のもとに帰るのだ、とうたわれる「原光」は、今、現在のここ、日本での文脈でなら、三輪眞弘の「新しい時代」に出てくる「昇天少年」の歌に比せられるだろう。その一方でマーラーの中には、インド哲学の影響が著しいショーペンハウアーを皮切りに、ゲーテ(『西東詩集』West-östlicher Divan)、東洋学者でもあったリュッケルト、フェヒナー(『ツェント・アヴェスター』Zend-Avesta)、そしてハンス・ベトゲによる漢詩の追創作と、東方的なものに対する関わりが一貫して流れていて、その果てに中国の詩の模作の中で「故郷」という言葉が出てくる時に、一体それは何を指し示しているのだろうか。オリジナルの王維の詩「送別」には、「南山」とあって実はこれは普通名詞ではなく、固有名詞であって、具体的に長安の南にある山のことだそうだが、マーラーの作品の歌詞では例によって、固有名詞は剥ぎ取られている。そして、中国を反対側から眺めている極東の子供にとってもやはり同様に、南山という固有名詞は、中国人であれば感じ取れるのかも知れない具体的な場所への参照を欠いていて、却ってそうした文脈が剥ぎ取られらたベトゲ=マーラーの詩の方が身近に感じられる。まるで『大地の歌』の、聞きようによっては鼻もちならない露骨な異国趣味と受け取られかねない中間の第3楽章・第4楽章・第5楽章こそが「ありたかも知れない故郷の歌」であるかのように。マーラーを簒奪者として規定してみせるハンス・マイヤーのような西欧のインサイダーにとって「原光」と「告別」は全く別のことを歌っていることになるのだろうが、異邦の子供であった私には、それが異なったものとは思えなかったし、今でもそれは変わらない。そうした展望の下では「告別」の「故郷」が生地カリシュトなり、幼年期を過ごしたイーグラウのことを指しているのだという解釈はそもそも入り込む余地がない。「故郷」をめがけて歩んで、だが辿り着くことが夢想される山は、幼少期に「ここ」とは別にあるのだと夢想した「彼方」、アドルノがマーラー・モノグラフの最初の章で鮮やかに描写する、十代半ばの子供が朝五時にそれを耳にしてたたき起こされる、人を圧するようにうち降りてくる音の源ではないのか?それは「世の成行き」の中には場を持たないという意味での「非-場所」に他ならないのではないか、そしてそれは今一度そのように夢想されるけれども、実際に生きたまま辿り着くことはないのではなかろうか。そしてそうした風景が、後続する歌詞を持たない第9交響曲に、更には、それ自体この世に確固とした形で姿を現すことが許されなかった第10交響曲に映り込む…
* * *
何故このような、取りようによっては自明なこと、或いはまた逆の立場からすればどうでもいいような些末に拘って延々と文章を連ねているのかと言えば、まず第一には、最近行った所蔵録音の整理にあたって、特に歌曲の録音を、更にその中でも比較的古い時期の録音を改めて纏めて聞き返してみて思い至ったことが多々あったからで、就中、歌曲の側から、或いは歌曲を通して交響曲を改めて眺めてみるというパースペクティブが、最大限控え目に言っても、とりわけ今回については主観的には非常に印象的で新鮮であったことから、その感じの由来を突き止めてみたいと感じたからである。
ここでマーラーの作品の演奏の録音記録について時系列に辿り直してみるならば、まず時代を代表する大指揮者でもあったマーラーが指揮した演奏の記録は、1911年に51歳を迎えることなく訪れた彼の早すぎる死によって一つとして遺されることがなく(但し、前世紀末に没したブラームスのピアノ演奏が、ちょうどエジソンの発明したばかりの録音機に録音された記録があり、マーラーより5歳年長のニキシュについても、マーラーの没後、第一次世界大戦まで存命だったが故に、彼が指揮した演奏の録音が残されているということは思い起こしておいてもいいだろう)、僅かに1905年11月9日にライプチヒで記録された自作のピアノ演奏のピアノロール(ウェルテ=ミニョン)が幾つか遺っているだけであるということは良く知られているだろう。そしてマーラーが(それが記録され、再生されることを恐らくは知った上で)指揮をするのではなく、ピアノで弾いた自作が何であったかといえば、第5交響曲第1楽章、第4交響曲第4楽章、「今朝、野辺を行くと」「私は緑の野を楽しく歩いた」の4曲であり、このうち第4交響曲第4楽章は歌曲「天国の生活」そのものなので3曲までもが歌曲のピアノ独奏編曲ということになる。なお、当時のマーラー自身の展望について言えば、同じ年の夏にはマイアーニヒで第7交響曲の第1,3,5楽章のパルティチェルを書き上げたものの、第6交響曲の初演は翌年の5月27日のことであり、前年にケルンで初演し、この年も5月にストラスブールで演奏し、その後12月にはウィーンでも演奏した第5交響曲が「最新作」であった筈である。
それゆえマーラーの演奏史上初めての「録音」の可能性があるのは、マーラーの没後、疑義があるものの1915年の録音という説が存在する、ソプラノ歌手のシュトゥックゴルトが管弦楽の伴奏で歌った歌曲「この歌をひねりだしたのは誰」のようである。それに続くのが1921年に録音された「私は緑の野を楽しく歩いた」で、やはりシュトゥックゴルトが管弦楽の伴奏で歌ったもの。その後、交響曲の方は、1924年のフリートの第2交響曲、1926 年のメンゲルベルクの第5交響曲第4楽章(アダージェット)、1930年の近衛秀麿の第4交響曲と続くが、歌曲の方は、これもまたあまりに著名なレーケンパーがホーレンシュタイン指揮の管弦楽伴奏で歌った1928年の「子供の死の歌」に先立つものとしては、1926年にミズ=グマイナーがやはり「この歌をひねりだしたのは誰」を今度はピアノ伴奏で歌ったものの録音があるようだ。その周波数特性の音域の制約から、辛うじてそれらしく聴こえるのがまず人間の声だということで、アコースティック録音の時代のレパートリーの中心は声楽曲であったらしく、そのレパートリーの一端は、例えば1925年に出版されたトーマス・マンの『魔の山』に含まれる蓄音機に関する挿話からも窺えるが、マーラーの作品の場合においても、最初期から戦後まもなく辺りまでの時期について言えば、1曲がSP盤の片面に収まるという長さも寄与してか、控え目に言っても歌曲の録音が相対的に多いと言えそうで、1950年代までは録音に占める交響曲の割合は6割に満たない。その後LPレコードが普及していった1970年代までは概ね2/3を交響曲が占めるようになり、1980年代になると更に7割程度まで交響曲の割合が上がる。(それに対していわゆるマーラー・ブームを経た後の2010年代の直近の10年は再び歌曲の割合が上がっている。交響曲のリリースは前の10年に比べて減っているのに対して、歌曲は寧ろ増え続けているようなのだが、その原因についての推測はここでは控えることにしたい。交響曲の録音でセッションが組まれることがほとんどなくなってしまったのは、レコードの流通自体が加速化させたのは間違いない作品の普及により習熟が促されて演奏の精度が上がったこと、そのことの結果としての演奏技術の向上と均質化から、一握りのスター演奏者の録音をセッションを組んで収録するという時代が去った一方で、録音技術の進展によって収録・編集が容易になって流通経路が多様化したことで、大資本のレコード会社以外でもリリースが容易になったこともあろうし、交響曲の全曲録音が両手に余るほど蓄積され、レパートリーとして定着する替わりに新たな録音をそこに加えることのマーケットへのインパクトが喪われた結果、異稿や編曲に関心が寄せられるようになったことなども影響しているのかも知れないが、いずれにしてもここでの関心からは外れるので、この件はここではこれ以上扱わないこととする。)現時点でもなお、録音されたまま流通せずに眠っていた過去の演奏記録が発見され、リリースされつつあるので、直近10年のみならず、それ以前の録音記録の傾向についても若干の変動は見られるかも知れず、確定したものとして語ることには慎重になるべきかも知れないが、少なくとも現時点での展望としては、マーラーの演奏記録の年代記の中で、初期においては相対的に声楽曲が優位にあったことは認められるのではないかと思う。声楽曲ということで「大地の歌」を含め、更に第2交響曲や第4交響曲がその一部に歌曲を内包している点を考慮すれば、人間の声の存在感は一層増すことになるだろう。
一見すると荒唐無稽な牽強付会ととられるかも知れないし、勿論、長い径庭を経た末のことになるかも知れないが、それでもなお、上記のような位置づけから出発することによってのみ、マーラーの作品に関して指摘されてきた様々な特徴を、首尾一貫した展望のもとに再配置できるように私には思われる。同時にそれは交響曲を「手持ちのあらゆる手段を総動員して一つの世界を構築すること」とするマーラーの定義に通じていて、それを歌曲の側からの展望として裏返し、翻訳・変換したものでもあるだろう。肥大した自我の誇大妄想の産物であるという嫌疑にも関わらず、第3交響曲の廃棄されたマーラー自身による拙い標題が示唆するのは、そこでの語りの主体は「私」ではないということである。更に加えて、一般にはこうした消息とは無関係であると了解されるに違いないとはいえ、敢えてここにシェーンベルクが第9交響曲について述べた非人称性を突き合わせるのは不当な牽強付会だろうか?シベリウスとの会話でマーラーが述べたように、「世界」として交響曲は確かにありとあらゆるものを包含しなければならないが、その時に留意すべきは、その世界はもともと騒音のみが支配する混沌などではなく、最初から「うた」が存在していたという点なのではないだろうか?「言葉」にさえ先駆けて「はじめに「うた」があった」のであり、「うた」が世界への通路であり、そしてその「うた」は常に既に、外部からの他者の呼びかけと、それに対する反応として対位法的なものではなかったろうか。それは意識とか自己の根拠であり、それらに先行して、それらを基礎づけるが故に、意識が成立し、自己が確立した時には忘却されていて、人は改めて「自分のうた」を探すことになるのだろう。
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ここで一つ、現時点ではそれにどう応答するかは問いとして開かれたままではあるが、興味深い指摘に触れておくことにしよう。ドゥルーズ=ガタリの『千のプラトー 資本主義と分裂病』の「リトルネロについて」の章にはマーラーへの言及が含まれていることに以前注目したことがある(「大地の歌」への参照2件(ジャンケレヴィッチ『死』、ドゥルーズ=ガタリ『千のプラトー』))が、その言及は、実はここでの「ありえたかも知れない民謡」という視点と接続可能ではなかろうか。叙述の順序からすると上で参照した箇所よりも後の部分になるが、この章の最後のパラグラフはこのように始まるのだ。
音楽が凡庸な、あるいは劣悪なリトルネロも、リトルネロの悪質な使用も排除することなく、逆にそれを誘導し、踏み台として使っているのはなかなか興味深い。「ああ、ママ、お話があるんだけど…」、「彼女は木の足をもち…」、「フレール・ジャック…」。子供の、あるいは鳥のリトルネロ、民謡、酒盛りの歌、ウインナ・ワルツ、牛飼いの鈴など、音楽がどんなものでも使用し、どんなものでもさらっていく。童謡、鳥の歌、あるいは民謡などは、つい今しがた問題にして連想的で閉鎖的な常套句に還元されるということではない。明らかにしなければならないのは、むしろ音楽化がリトルネロの「第一のタイプ」(原文強調点)、つまり領土の、あるいはアレンジメントのリトルネロを必要とするのはどうしてなのか、そして第一のタイプのリトルネロを内側から変形し、脱領土化して、音楽の最終目標である「第二のタイプ」のリトルネロ、つまり音楽機械に属する宇宙的リトルネロを作り出すのはどのようにしてなのかということだ。(ドゥルーズ=ガタリ『千のプラトー 資本主義と分裂病』, 河出文庫, 中巻, p.399--400)
後続のところで参照されるのは(ジゼル・ブルレを介した)バルトークなのだが、マーラーに親しみ、マーラーに関する言説に容喙した人であれば、上の文章は寧ろそっくりマーラーにこそ当て嵌まるものと考えるところだろう。「フレール・ジャック」は勿論第1交響曲第3楽章のカノンの素材だし、鳥の声(第1交響曲第1楽章、第2交響曲第5楽章、第3交響曲第4楽章、『大地の歌』の第5楽章、第6楽章など枚挙に暇がない)、ウインナ・ワルツ(一つだけ挙げるならば、何よりも第5交響曲第3楽章だろう)、牛飼いの鈴(第6交響曲と第7交響曲で用いられるカウベル)に加えて民謡が並んでいるのを見れば、これらすべてを素材として「内側から変形し」(アドルノのいう「ヴァリアンテ」の技法を思い浮かべよ)、「脱領土化して、(…)音楽機械に属する宇宙的リトルネロを作り出す」とは、まさにマーラーのことを言っているとしか思えない。「音楽機械に属する宇宙的リトルネロを作り出す」とは、マーラーの言葉に翻訳すれば「手持ちの手段を総動員して世界を構築すること」という、あの第3交響曲に関しての発言の言い換えでなくてなんだというのか?「凡庸な、あるいは劣悪なリトルネロ」で思い浮かべるのは、クヴァンダーとの対談でシノーポリが引き合いに出したウィーンのナッシュマルクト(カールス広場とケッテンブリュッケンガッセの間にある食品市場のこと、立風書房『マーラー事典』所収の同じインタビューの別の訳では何故か「菓子屋」と訳されていて、世にも珍妙な、およそ意味不明な訳文になっているので注意)で「何か食べられるものはないかと廃物の中を探すといったようなこと」(ジュゼッペ・シノーポリへのゲオルク・クヴァンダーのインタヴュー「マーラー・ルネッサンスと世紀転換期への回帰」、キューン、クヴァンダー編『グスタフ・マーラー』所収,泰流社, p.392)といった譬えではあるまいか?或いは、柴田南雄さんのような教養ある聴き手をうんざりさせる、マーラーの音楽における「通俗的」な要素の数々、ハンス・H・エッゲブレヒトがDie Musik Gustav MahlersにおいてVokabelという言葉で言い当てようとした、かの「日常語的語調(umgangssprachlicher Ton)」のことではないだろうか?
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ところでマーラーに関してこのような逸話がある。マーラーは幼少時にアコーディオンを与えられると、自分が接した様々な音楽を悉く記憶し、アコーディオンでそれを演奏することができたというのだ。このエピソードが広く流布した理由は、―語った本人の意図とは別に―マーラーの音楽的才能の発露の早さを示すことでその天才を証しすることであったのだろう(注:このエピソードの典拠はナターリエ・バウアー=レヒナーの『グスタフ・マーラーの思い出』中の「アッター湖畔のシュタインバッハ 1896年夏」の章の「子供時代の思い出」節であるから、このエピソードがマーラーによってナターリエに対して語られたものであることは事実と考えていいだろうし、本人が語ったことであるならば、仮にそのうちの一部が、本人の記憶の中で変形し、事実とのギャップを含むとして、マーラー本人の自己認識の一部であることは依然として成り立つが故に、ここでの議論における有効性は変わらない。ヘルベルト・キリアーン編、ナターリエ・バウアー=レヒナー『グスタフ・マーラーの思い出』, 高野茂訳, 音楽之友社, pp.144~148 参照)。
だが私にとってその挿話は別の疑問を惹き起こすものであり、恐らくその疑問はマーラーにとって「うたう」ことが何であったかという問いに根本的な部分で通じているように思われるのである。このエピソードに関して私が抱く謎は至ってシンプルで素朴なもので、「何故マーラーは自分の声で歌わずに、専らアコーディオンで演奏したのか」という点に存する。いや、現実にはマーラーはアコーディオンで伴奏をつけながら歌ったのが、そのように若干変形されて伝わったという可能だってあるだろうから、その場合には上記の私の問は実証的な水準では意味を喪うことになるだろう。だが私にはこのエピソードは、別のことを告げているように思えるのだ。それはマーラーが、その音楽的才能の最初の発露の時点で既に「固有の声」というのを持てなかったということ、更にそれに加えて、最初から自分固有の声を補綴し代補するものとして楽器が必要だったのではないかということ、誰のものでもない楽音に、自らの声をではなく、自らに語りかけてきたものの声を託したのではないか、つまるところ自分の中に響き渡るのは、常に他者の声なのだということを告げているのではないかということである。(そしてそのことと、指揮者という役割の選択の間にももしかしたら関係があるのかも知れない。)そしてこのエピソードを念頭に置いて先に触れたピアノロールのことを考えた時、一見したところ単なる状況の制約に由来するものでしかなく、事実としてもそうであったのだろうが、マーラーが記録のために取り上げた作品のうち3つまでもが歌曲であって、それをピアノ独奏用に編曲したということが幼年期のアコーディオンの演奏の再現のように感じられはしまいか。更には、これはさすがに牽強付会に過ぎるだろうが、第5交響曲の第1楽章、即ち葬送行進曲を選択したことの方については、グスタフ少年が最初に作曲したのがポルカ付きの葬送行進曲であったという幼少期のエピソードの続きを思い起こさせはしまいか?
それを踏まえて1世紀後の極東を見渡した時私が見出すのは「フォルマント兄弟」のリアルタイム音声合成を行うMIDIアコーディオンである。時あたかも新型コロナウィルス感染症の蔓延によって自分の声で歌うことが禁じられた状況に置かれた人間は、コンサートホールの舞台をぎっしりと満たす大規模な管弦楽や声楽を必要とするマーラーの音楽を満席の聴衆の一人として聴くことを禁じられてもいるのだが、ヴォーカロイドにマーラーの歌曲を歌わせることが普通に行われるようになった今日、そうした状況に置かれた人間にとってのMIDIアコーディオンと、年端も行かぬ子どもであったグスタフ少年にとってのアコーディオンとの比較は見た目程突飛なことではないのではなかろうか?
ヴォーカロイドが「うたう」マーラーの歌曲を聴いて感じるのは、一方では、もしかしたら他の、より本来的な抒情詩としての歌曲とは異なって、マーラーの歌曲の寄る辺なさ、「誰のものでもない」という側面が、人工音声で歌われるに相応しいものなのかも知れないという認識を伴った、ずれを自然なものとして感じるパラドキシカルな印象であり、だけれども他方では、人間の声の歌う、そしてそれに曳き摺られるようにして、伴奏のピアノが、或いは管弦楽の全てのパートが(打楽器でさえも)歌い出してしまう過去の演奏の録音記録に結局のところそれは及ばないというようにも感じるのである。そしてその点こそが、ヴォーカロイドとリアルタイム音声合成MIDIアコーディオンとの間に存在する決定的な差異であり、かつグスタフ少年のアコーディオンと通じる点なのだ。ヴォーカロイドに通じるのは寧ろ「うたうこと」の一回性を持つことのない録音・再生技術に基づく複製芸術、再び三輪眞弘の言葉を借りれば「録楽」の方なのだ。技術的な制約の大きい嘗ての録音を再生した貧弱な音響においてさえ人間の声を聞き取ることができる同じ耳が、今日ではもしかしたら客観的には怪しい部分があるかも知れないヴォーカロイドの歌唱さえ、歌詞を見せられさえすれば、恰も人間が歌っているのと同じようなものとして聴き取ってしまう。アコースティック録音において「最もそれらしく聞こえる」というのには、単なる録音技術に加え、それよりも寧ろ、人間が「人間の声」を聴くことに最適化された聴覚システムを持っているという事情が与ってはいないだろうか。上でも触れたトーマス・マンの『魔の山』の中でアコースティック録音のSPレコードをハンス・カストルプが聴くシーンにおける「幽霊性」の由来もまた、単なる物理的音響に過ぎないものに人間の声を聴き出そうとする人間の知覚の基本的な構えに基づくものではなかろうか。その一方で、21世紀を迎えた以降の最近の神経科学の研究においては、知覚は一般的にそう了解されているように受動的なものではなく、能動的に外界の理解を行っており、ボトムアップの感覚信号における特徴検出としてではなく、外界の状態を予測し、その予測の誤差を検出して最小化するように動作しているというカール・フリストン等の「予測する心」のパラダイムが有力視されるようになってきているが、それは本来的なものが向こう側にあって真理の根拠となるという立場とは異なって、「ありえたかも知れない民謡」の仮構と親和的であるだけでなく、脳を予測する機械と見做し、心を世界についてのシミュレータとして捉えることを通じて、交響曲の創作を「手持ちのありとあらゆる手段を使って世界を構築すること」と定義したマーラーの了解とも親和的ではなかろうか。この立場に立つならば、世界を構築することとは、世界を知覚し、認識することと別の副次的・派生的な行為などではなく、無意識の裡に為される活動を意識化し、リニアな物語として編集したものに他ならないことになるだろう。
「予測する心」のパラダイムが、マーラーの同時代人であるばかりか、直接面識があった可能性もあるとされるヘルムホルツが展開した自由エネルギーについての熱力学的理論にその基盤を持っている点は、偶然とは言え興味深い。マーラーへの影響についての言及を含むフェヒナーに関する研究書である岩渕輝『生命の哲学』によれば、マーラー自身の世界観は、ヘルムホルツの学派よりも寧ろフェヒナーのような広義での生気論的な発想との親和性が高かったとされているようだが、近年の意識や心に関する理論を踏まえた時に感じられるのは、今日の問題意識とマーラーの時代のそれの連続性であり、我々が同じエポックの反対側の端に居るということであり、当時は埋めることのできない対立と思われたものについて、今日であれば新たな発見と理論に基づいたより肌理の細かい議論が可能になっているということである。その最も顕著な例を一つだけ挙げるならば、こちらもマーラーの同時代人であり、同時期にウィーンに住み、マーラーと同じ精神的な圏内に居たと言ってよく、更にはライデンにて、本格的なものではなかったにせよ、分析者・被分析者という関係性の中で、被分析者の位置に立ったマーラーと言葉を交わしたことがわかっていて、直接的な交流があったことがわかっているフロイトの精神分析に関しても、近年、脳神経科学との架橋が試みられており、ソームズの『意識はどこから生まれてくるのか』のように、ダマシオとフリストンの理論を介してフロイトの理論を再評価するといった試みが今まさになされているのである。通常は当時の文脈に帰着させて了解されることが専らであり、そのような了解を前提とする限り、既に今日においては陳腐で賞味期限の切れたものであることになるであろうマーラーの「世界観」なるものも、今日の問題意識に照らして再解釈することが求められているように感じられる。「ありえたかも知れない民謡」という観点にしても、例えばマーラーが用いた旋律が、ボヘミヤの民謡やユダヤの旋律に起源を持つものであるかどうかについての実証的な議論や、マーラーのある旋律が先行する誰それの作曲家のしかじかという作品の引用であるかどうかといった議論が学術的には意味のある問であったとして、だが1世紀後の極東の子供の耳に響くものとの関わりは慎重に言っても希薄、実質的にはほとんど皆無である。その時、その子供に対して、伝統からの断絶と無知をもって聴取の資格なしと断定するのではなく、そうした子供にすら聞き取れるものが何であるかを確認したいというのがここでの立場であり、上に述べた様々な指摘の中でたとえ一つだけであっても、マーラーについて言われてきた様々なことを今日の問題意識の中に再配置するための視点の一つたりうるならば、この覚書の企図は達成されたことになる。(2021.5.23-24 マーラーの命日のために準備したものの未完成に終わった未定稿を補筆の上公開, 5.27-9/7.12更新。8.14自由エネルギー原理に関連してソームズによるダマシオを介したフロイトとの架橋の試みについて追記。2022.5.14 幼年時代のアコーディオンの逸話の典拠について追記。2022.12.30ドゥルーズ=ガタリ『千のプラトー』について追記。)
2018年11月24日土曜日
2つの嬰へ調交響曲:ハイドンの交響曲第45番とマーラーの第10交響曲について
そして間違いなく彼の交響曲の中の頂点をなす交響曲第104番は1795年に旅行先のロンドンで作曲され、その年の4月ないし5月に同じロンドンで初演されたのである。(100年後のマーラーはその前年のハンス・フォン・ビューローの死を契機に年末に、彼が初めて交響曲として完成させたハ短調の第2交響曲を完成させ、1895年3月の最初の3楽章の試演を経て、12月には全曲初演に漕ぎ付けることになる。)既にフランスでは革命が起きており、その影響で歌手を大陸から招聘することが困難となってザロモンのコンサートは最終年に至って中止を余儀なくされ、それに替わって組織されたオペラ・コンサートがハイドンの最後の3曲の交響曲の発表の場となったのだが、その最後を飾る作品を聞くと、時代を超えた天才であるモーツァルトの作品とは異なって、まさに時代が産みだした、だが同時代の限定を超えて、そこに至るまでの西欧の伝統が達成した最高の音楽的知性の成果物を目の当たりにしているような感覚に捉われる。
ハイドンの場合は当時の趣味に合わせた側面というのが確実にあって、パリセットや第1期のザロモンセットが熱狂的に受け入れられたのはそういう側面が強く出ているからだと思われる。そしてそれゆえの限界というのがあるように思え、私見ではそれがザロモンセットの第1期の作品が外面的な効果とは裏腹に稍もすれば退屈に感じられてしまう理由なのだ。勿論それは別段とがめだてされるような側面ではなくて、実際第1期を第2期と同様に評価する向き、あるいはパリセットを或る意味で高く評価する人もいる訳だが、私はそれには与しない。当時はまた、ハイドンの亜流というのも大量生産されたわけだが、それはハイドン自身の発展と達成とは全く無関係の単なる後追いであり、流行の様式に過ぎず、ちょっと聞くと耳に快いけれど、さっぱり面白くない。21世紀の今日なら、AIによる自動作曲がそのレベルの作品であれば産み出しうるだろう。だが、モーツァルトの天才のみが達成できた「例外」は勿論、ハイドンの第104番のような作品も、現在のAIが(模倣することは可能であっても)創り出すことは不可能である。その作品によってのみようやく到達でき、実現した何かは、統計的には天才の「例外」に等しいから、それっぽい亜流のもどきを幾ら大量に作れても、偶然にそれを産み出す確率の低さは宇宙論的なレベルなものとなってしまう。第2期のザロモンセットの初演時には第1期の時程の熱狂はなかったということだが、それは丁度、ある時期のモーツァルトが大いに流行って、でも晩年に行くにつれて、そうでもなくなっていく、今聴いても、こんな音楽がいわば「消費」の対象として流行るわけはないと思ってしまうようなものになっていくのとの並行性を認めることができるだろう。
特にパリセットには顕著に感じられ、第1期ザロモンセットにも明らかに見てとれるのは、実のところハイドンの職人としての非凡さ、その創意の比類ない豊かさの発露に外ならないのかも知れない。委嘱元の管弦楽の編成や技量、聴き手の質や嗜好を踏まえた上で、聴き手を驚かせ、感動させるような工夫がそこかしこに見られ、楽式上の意外性の追求や、大胆な転調の頻出などにこそ、ハイドンの非凡さを見い出し、こちらにこそその本領を見出す見方にも分があるだろう。だが、もしそうならば、いわゆる「疾風怒濤期」の実験についてはどうなるだろうか?突飛な比較に見えるかも知れないが、ブルックナーの初期(といってもそれはハイドンの円熟と同様、50歳を超えてからの成果だが)の交響曲の改訂前の形態の方により多く独創性を、更には或る種の前衛性を見出すこととの並行性を見出すことができるように思われるのだが、私がパリセットや第1期ザロモンセットに感じる退屈さは、ーこれもブルックナーの場合と並行する面があるように感じられるがーまさにそうした創意の或る観点から見た場合の過剰に由来するのではないか、それが抑制されずに発揮されていることにあるのではないかという感じを持つのだ。そして第2期ザロモンセット、中でもその掉尾を飾る104番から受けるのは、それらとは位相を異にする、創意が別の秩序に対して奉仕するかのように、より高度な秩序の裡の調和の形成を目がけて、寧ろ抑制されて用いられているかの如き印象なのであって、それが「完璧」と形容する他ないような質を実現しているように思われるのである。それは最早、最初の一度の、或いは一期一会の驚異を目がけているのではなく、反復の度に累乗される充実を、揺るぎなさ、人間的な地平を超越した無限の可能性を目指していて、それが104番を聴く時に、ここにおいて何か例外的なことが達成されていると感じる理由であると言えば、その一面の説明になりえているだろうか?或る意味ではパリ・セットから第1ザロモン・セットまでの達成は、生物学的基盤の上での社会的知性の延長線上で説明しうるものであったのに対し、第2ザロモンセットに至って、そうした進化論的な基盤を離れ、効用の観点からすればもしかしたら「パンケーキ」(ピンカー)としか捉えられないような領域へ、ドイッチュの言うところの「無限」への飛躍を試みたと言ってもいいのかも知れない。
104番のような作品の完璧さもまた消費にはそぐわないし、ハイドン自身もそれはわかっていたのではなかろうか。第1期の時と違って、もう受けを狙うといった側面は、そもそも古典派のスタイル自体がそういう側面を初めから持っているが故に皆無という訳ではないにせよ大幅に後退していて、何か只管に神様が恵んでくださった才能を、それに相応しく行使することに専念しているといった趣さえ感じるのである。ハイドンのスコアをUrtext で見ると、 In Nomine Domini とか Fine Laus Deo といった言葉が付されているのを確認できるが、それが単に個人的な信仰心の発露を超えて、まさに作曲がそうした行為遂行であったことの証言として読むことができるように思う。こういうことが出来たことを本当に羨ましく思う一方で、そうした人が200年前の異郷の地にいて、その成果物を手に取ることができることは何と素晴らしいことかと思わずにはいられない。
それは寧ろニュートンの発見であるとか、ハイドンの同時代人といって良いカントの批判哲学のようなものに接した時の感動に近い。よく科学は、誰かがやらなければ他の人がやったという意味で、芸術とは異なると言われて、確かにモーツァルトとかマーラーについてはそうだと思う一方で、ハイドンはそういう意味では例外に近いのかも知れない。とはいえ、結局、彼が到達したのだし、そういう彼にしか104番のような完璧さは実現できなかった、それは逆に、或る意味で畸形的な側面のある天才にはできないことではないかとも思う。何かの場面を描写したり、風景を喚起するのではなく、特定の感情を呼び起こされるいうよりは、純粋な形態とリズム、運動と色彩の変化を追っていくうちに感じ取る深い愉悦の感覚は、絵画でいけば抽象絵画から受けるそれに近く、第104番こそは西欧の音楽的知性の頂点の一つと呼びたいように思うのである。それが200年の時間と地球半周分の場所の隔たり故の、聴く私の側の伝統の不在によるものであるとしてもそれは変わらない。そもそも哲学であれ文学であれ、或いは科学でさえも、私はそのように西欧のものを受容してきたのであって、普遍性と云う言葉は今やその使用に限りなく慎重であるべきだとしても、時代を超え、場所を超えた知性の働きをそこに見いだせるという事情に変わるところはない。
ハイドンには第104番以外でもそうした方向性を感じさせる作品の系列というのがあって、私見では、同時期の作品では第99番、第102番(と、その愛称が故に誤解されてしまっているが、その愛称の根拠となった当の第2楽章を除けば、第101番も)がそれに該当するし、少し遡って、エステルハージ宮廷の楽団員であったトストへの餞別として書かれた第88番あたりがそういう方向性での完成の画期であったのではないかと思う。99番は既述の通り変ホ長調、102番は98番に続いて変ロ長調で、これらは(色聴の私にとっては)金色から乳白色の暖色の色彩が実に美しいのに対し、ト長調である88番は色彩があまり感じられないこともあって、特に抽象度という点では際立っているように思われるのである。
ところで交響曲という形式を作り上げる途上で、ハイドンは様々な実験を行っているのであって、到達点のみを見て、それに先行する試みを過渡的なものであったり、登ったら捨ててしまわれる梯子のように見做すのは適切ではないだろう。勿論、104番の達成したものの高みは比類ないものであったから、作品の完成度のような尺度で、若き日の作品を比較の対象としておいて価値の転倒を試みるような近年の研究の動向は、意図は理解できても最終的には首肯しがたいものがあるし、若き日の作品の中には実験に留まった印象のものも含まれるけれど、比較を超えた固有の価値を見出しうる作品を見出すこともまた可能であろう。
後期交響曲の中で先ず思い浮かぶのが当時流行のトルコ軍楽を取り入れたとされる第100番「軍隊」であろう。大太鼓、トライアングル、シンバルといえばマーラーの作品の中ではお馴染みの楽器だが、それだけではなく、トランペットのファンファーレまで取り込まれているし、ト長調という調性にも関わらず、マーラーならば寧ろ第5番とか第6番を思わせるような、行進曲というものが持つある種強制的な性格をふと感じさせるかと思えば、あまりにコントラストが強すぎて深読みを誘う向きもあるメヌエットと、そのポピュラリティにも関わらず一筋縄ではいかない作品だ。マーラーのト長調交響曲である第4番を聴いて、さるウィーンの批評家が「それはあたかも白いかつらをかぶったパパ・ハイドンが、自動車に乗って、ガソリンの煙の中、我々のそばを通り過ぎるかのようだ」と評したらしいが、全く違う性格の作品とはいえ、ハイドン自身の実験精神は、批評家が勝手に被せ続けているかつらを尻目に、寧ろマーラーの精神に親和的な感じさえあるようだ。実際ハイドンは楽章構成から、楽章内の楽式、楽器法(様々な楽器での弱音器の利用、コルレーニョを含む)、引用の技法に至るまで、到達点だけから想像するのは困難な程の、様々な実験を行っているのであるから。
私見では103番はもっと興味深い。この作品は調性格論的には基準からの逸脱の著しい困った作品で、変ホ長調なのに色彩はくすんでしまっている。近年は色々と即興が施されることが多い、題名のもととなった冒頭の太鼓(ただしこれは普通のティンパニ)のロールに続く、ロマン派を通りこしてマーラー以降のモダニスムを思わせるような管弦楽法の序奏からか、色彩のくすみは寧ろ湿度を感じさせ、或る種の不安や予感、幽霊的なものが漂うのが異色で、さしずめアーノンクール風の絵解きならば、遠雷がして、雷雨の忍び寄る予兆を孕んだ空気の中、舞踏会が行われ、、、といったあたりなのだろうが、マーラーならばスケルツォに「影のように」という指示を持ち、若きシェルヒェン(彼がハイドンの交響曲録音のパイオニアであることを思い起こすべきだろうか)を魅惑した7番のような作品に繋がっていく部分があるように感じる。
だが、第104番を頂点とする完成に対する逸脱と言う点では、遡って、いわゆる「疾風怒濤期」と呼ばれる作品群に直接赴くべきであろう。実際第103番に感じるのは、時として感じられなくもない単調さもろとも、その遠い谺のようにも思えるのである。そしてその中で、知名度もさることながら、その異形性と、強烈な感情表現で際立つのは何といっても第45番、「告別」のニックネームを持つ交響曲だろう。今日風にはシアターピース的とでも言うべき趣向が凝らされた終楽章と、その成立に纏わるエピソードについては巷間に流布しているからここでは繰り返さない。寧ろここで注目したいのは、私の色聴が調性格論と関連があるということもあって、その破格の調的配置である。何とこの作品、嬰へ調という、古典期の作品としては稀な調性を持っているのである。
嬰へ調というのは、ハ音に対して悪魔の音程とも呼ばれた中全音にあたる嬰へが基音であり、平均律楽器であるピアノのような鍵盤楽器でこそその後の奏法の発展とともに黒鍵が多くて弾き易い調性として選択されるような例はあるけれど、調弦が固定されている弦楽器、基本的には倍音列に従った共振系を持ち、基音に対して変化記号が増えると正しいピッチの音を出すのが難しくなる管楽器が主体の管弦楽作品では、マーラーと同時代やそれ以降であれば他にも幾つか例はあるとはいえ、嬰へ調の作品はやはり比較的稀である。特に金管楽器が基音にたいする低次の倍音しか出せなかったハイドンの時代、嬰へ調の作品を創ろうものなら、楽器をそのために調達するということにもなりかねず、実際、第45番の場合もfis管のホルンをそのために調達したという真偽不明のエピソードがあるくらいで、少なくともハイドンの同時代にあっては極めて稀な調性に挑んだ破格の作品なのである。
勿論、破格なのは調性だけではなく、嵐のように激動するアレグロ楽章に対して、幽霊的な効果を持つ緩徐楽章での弦楽器における弱音器の使用、長調と短調の頻繁な交替、不協和音の頻用、メヌエットにおける「脱臼」したような奇矯なカデンツの拍節感と、強烈な、あるいは異様なアフェクトを備えており、それに加えてフィナーレの途中で音楽が途切れ嬰へ長調によるゆっくりとした「告別」の音楽が末尾を締めくくるという点も異形である。フィナーレは実質はアッタッカで繋がった2つの楽章と見做すべきで、5楽章形式の作品と見るべきだろう。
さて、マーラーにおける嬰へ調の作品といえば第10交響曲が該当する。勿論、ハイドンの第45番とは似てもにつかないし、影響関係を論じる時に決まって持ち出される引用などの手掛かりがあるわけではなく、寧ろ、両者はそれぞれが際立ってオリジナルな、異なった個性を持つ作品なのだが、にも関わらず、調性の共通性は決して実質のないものではない。マーラーはその同時代の他の作曲家に比べて和声法についてはアナクロニックなまでに全音階的であって、それ故に調性格論が有効な面があるのだが、嬰へ調をオーケストラが鳴らしても、例えばト長調やニ長調のような、ニュートラルだが輝きに満ちた芯のある響きは出ないのである。つまり調性格論は、ことオーケストラ作品においては、マーラーの時代においても(ということは、今日においてもだが)単なるこじつけやメタファーの類ではなく、楽器の音色という物理的な基盤上での認知的な根拠を備えていて、恐らく調性に結びついた色聴のうちの一部(私のそれもそれに属するが)は、そうした点に根拠を持つのではないかと思う。それは神経回路網の馴化と固定の結果(成長に伴う機能分化が途中で止まってしまったという見方があるようだ)なので、結果として絶対音感との対応づけも起きているようだ。その証拠に、私の場合、見える色はモダン・オーケストラのピッチの方が鮮明で、ピリオド奏法の演奏を急に聞くと、ーそのピッチはしばしば半音近く低いことすらあるー色が見えない。ただしばらくそのピッチに慣れれば、色の方も徐々に鮮明になっていくようだから(それでもモダンピッチのそれには及ばないようだ)、絶対的な周波数に対応づいているのではなく、調的組織と、楽器の音色の特性が媒介しているもののように思われるのである。その傍証として挙げられるのは、ピアノではそうした色彩が見えることがない点であり、管弦楽曲でも楽器法により、その鮮明さは随分と異なるのだ。
実は以前マーラーの第10番について考えていて、その調性の特異性に対して、交響曲の歴史の中でも先例のない、例外的なものと一瞬思い込んだ後、あっと思い当たったのが、交響曲の歴史の草創期のエピソードとして語られることの多い、ハイドンの疾風怒濤期の作品、第45番の存在であった。「告別」という内的なプログラムは、マーラーの場合、第10番ではなく、先行する第9番や「大地の歌」に関連づけられることが多いし(動機としての関連で言及されるのは、ベートーヴェンのピアノソナタ「告別」の冒頭の動機であったりする)、マーラーが(まさか知っていなかったとは思わないが)第10交響曲の創作にあたってハイドンの交響曲を参照したという外的な証拠があるわけでもなく、実証のレベルでの関連づけは恐らくは存在しないのであろう。そもそもがハイドンにおける「告別」は、文字通りの「葬送」である第44番とは異なって、マーラーの後期作品におけるそれとは意味が異なるという基本的な違いは無視できないだろうし、更に言えば、後年にはコルンゴルトの交響曲、そしてメシアンのトゥランガリーラー交響曲が嬰へ調の調性を持った作品として存在し、また嬰へ短調であれば、マーラーに先行して、既にリムスキー=コルサコフの「アンタール」のような例もあって、ハイドンの45番も開始の調性ということなら、寧ろこちらに属することになるだろう。(とはいえマーラーだって、出だしだけとればこれはほぼ無調であって、嬰へ長調は寧ろ終結の調性であろうが。)にも関わらず、交響曲の歴史の劈頭と掉尾に聳え、いずれも「告別」を内的なプログラムとして含むハイドンとマーラーの2つの嬰へ調の交響曲は、偶々同じ調性を持った他の作品とは異なって、見かけの様々なレベルの相違を超えて、響きあうものを備えているように感じられてならないのである。
なお私見では、嬰へ調に限らず、調性格論におけるマーラーと古典期の作品との対応は偶然では説明しきれないものがある。例えば変ホ長調を取り上げて、マーラーの8番や2番の末尾に対して、モーツァルトの「魔笛」やハイドンの「天地創造」におけるその扱いを考えてみれば良い。あるいは色彩的に変ホ長調と鮮明なコントラストを持つホ長調が、第4交響曲で、或いは第8交響曲でどういう性格を備えているかを、古典期以前の調性格論と比較しても良いだろう。マーラーの第10交響曲に関連した点に触れるならば、そのフィナーレの後半部分のスケッチには、クックが採用した嬰へ長調のバージョンと、変ロ長調のバージョンが存在するようなのだ。クックは嬰へ調への回帰を選択したが、変ロ調であれば、フィナーレの到達地点で観ることができる風景は些か異なったものになる筈である。勿論マーラーがいずれを選択したかを問うことは原理的に不可能であろうが、この2つの調性が選ばれたことは極めて興味深い。更にハイドンとの関連でもう2点だけ、ハイドンの「天地創造」において変ロ長調が象徴するものを考えてみること、更にモーツァルト追悼として書かれた第98番と同じ変ロ長調(これはモーツァルトにおいて最後のピアノ協奏曲第27番の調性でもある!)で書かれた交響曲第102番の弱音器つきのトランペットとティンパニと独奏チェロのオブリガートで特徴づけられる緩徐楽章の音楽が、「告別」交響曲と同じ嬰へ調で書かれたピアノトリオ第26番の嬰へ長調で書かれた緩徐楽章からの転用であること―ただし交響曲では、その独特の音色の選択に応ずるかのように、主調のドミナントであるヘ長調に移されているのだが―を指摘しておくことにしよう。
最後になるが、指揮者としてのマーラーのハイドンとの関わりは、時代の嗜好を考えれば決して希薄なものではなく、マルトナーの調査結果を信じるのであれば、ハンブルクで99番と101番、ウィーンでは103番と104番、ニューヨークでは「ヒストリカル・コンサート」のフレームにおいて集中的に104番を振っているようである。第104番と並んで(いやそれ以上に)、古典派音楽の頂点を極めたオラトリオ「天地創造」は、不思議なことにこの作品と縁の深いウィーンではなく、ハンブルクで6回指揮しているようだ(抜粋なら、ニューヨークでの「ヒストリカル・コンサート」でも取り上げた記録があるようだが)。だが寧ろ、ウィーンにおけるオラトリオの伝統でハイドンの「天地創造」に呼応してその掉尾を飾る作品は、フランツ・シュミットの黙示録に取材したオラトリオ「七つの封印を有する書」ではなかろうか。さしづめ聖書の劈頭に置かれた創世記に取材したハイドンのオラトリオが、その伝統の開始に位置し、古典派様式の完成を告げるという点でアルファなら、聖書の末尾に位置する黙示録を取り上げたシュミットのオラトリオは、それまでの音楽の歴史を回顧するように、様々な様式が盛り込まれたという点で、その伝統における奥津城たるオメガであろう。ハイドンの「告別」交響曲と第10交響曲に劣らずこちらの対峙も興味深いが、これについては指摘に留めることとして一旦筆を措く事としたい。(2018.11.24公開、25日補筆修正。2019.1.14加筆)
2015年5月10日日曜日
『大地の歌』の「風景」について―甲斐貴也さんへ―
マーラーの早すぎる晩年(あくまでも事後的にそう区分されるに過ぎないが)に、ドロミテ・アルプスの風景の中で作曲されたこの作品は、いつもの通り、初演を念頭においた出版の準備が進められていたものの、マーラーの突然の死によって、生前に楽譜が出版されることもなく、彼自身の指揮による初演も行われることがなかった。それゆえこの作品の後世による受容のプロセスは、マーラー没後半年を経た1911年11月20日にウィーンで行われたブルノ・ワルター指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、シャルル=カイエのアルト、ミラーのテノールによる初演の時から始まったのである。レコードへの録音は、1936年5月24日に収録されたブルノ・ワルター指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、アルト:トールボリ、テノール:クルマンの演奏を嚆矢とするが、そのSPレコードは戦前の日本にも輸入され、日本初演に先立って聴かれていたことが幾つかの文章で確認できる。その後LPレコードからCDを経て今日に至る迄の膨大なディスコグラフィーについては改めて言うまでもなかろう。ただしその特異な編成もあって、これだけマーラーが頻繁に演奏される今日となっては、実演に接する機会は寧ろ相対的に減っているように感じられる。
大地の歌の演奏記録の中で、1939年10月5日のアムステルダム、コンセルトへボウの演奏会の記録であるシューリヒト指揮、コンセルトへボウ管弦楽団、トールボリとエーマンの歌唱の記録は、まずもって、録音状態の悪さを超えて今尚説得力を喪わないその演奏の卓越について触れるべきだろうが、そればかりではなく、今日我々が耳にするのとは異なった、まさにマーラーの同時代の演奏様式を垣間見ることができる点で際立った記録でもあり、なおかつ演奏中(第6楽章の間奏が終わったタイミング)に発生したハプニングの記録でも有名であろう。実はこの演奏会、本来はメンゲルベルクが指揮する筈であったが、(メンゲルベルクにはしばしば起きたことのようだが、)病気のために指揮ができなくなり、急遽代役を探すことになったのだが、歌手達の意向もあって、ユトレヒトのオーケストラに客演していたシューリヒトが代役を務めることになったという経緯があるらしい。既に前年にオーストリアはナチス・ドイツにより併合され、ドイツ国内ではユダヤ人の音楽を演奏することが禁じられ、オランダの独立ももう間もなく喪われようというこの時期に、ユダヤ人により作曲された「大地の歌」という題名の作品を、ドイツ人の指揮者の指揮によりオランダのオーケストラが演奏するという状況の異様さが、くだんのハプニングを引き起こす原因であったに違いないが、後にはメンデルスゾーン、マイアベーアと並んで”3M”としてナチスより忌避されることになるユダヤ人の、中国の詩に取材した作品の演奏で件のハプニングが起きたことは、この曲の風景とどのように関係していたものだろうか?
日本での初演は1941年1月22日、日比谷公会堂におけるローゼンシュトック指揮新交響楽団(現在のNHK交響楽団)、 四家文子のアルト、木下保のテノールによる演奏であり、楽曲紹介を含む当時の新交響楽団の機関紙(音楽雑誌「フィルハーモニー」第15巻第1号 大地の歌)からは、同じ年の年末には太平洋戦争に突入することになる当時の日本の雰囲気が伝わってくる。ちなみに同年10月成立の東條英機内閣に外務大臣として入閣し、結果的に開戦時の外務大臣となり、そのために後に極東国際軍事裁判の被告となった東郷茂徳は、上記のワルターの演奏のレコード録音の数ヵ月後の1936年8月に、ナチスにより追われたローゼンシュトック(彼はユダヤ系であった)が新交響楽団の指揮者に就任するために来日した際に、当時のドイツの駐日臨時代理大使(大使館参事官)ネーベルが行った干渉に対し、当時の欧亜局長として断固として撥ね付けたという記録が残っている。なお、戦後最初に演奏されたマーラーの作品は恐らくは『大地の歌』ではなかったか。昭和21年(1946)5月1日というから、ポツダム宣言受諾からまだ1年と経過していない時期に、同じくNHK交響楽団の前身であった日響の定期で取り上げられているようなのである。(指揮は山田和男(のち一雄)で独唱者は日本初演時と同じ。)ちなみに奇しくも同じ日に、上述の東郷茂徳は戦犯容疑者として巣鴨拘置所に収監されている。極東国際軍事裁判の開廷は2日後の5月3日である。東郷茂徳は薩摩・苗代川の陶工の家系の出、文禄・慶長の役/壬辰・丁酉倭乱で島津義弘により朝鮮から虜囚として連れてこられた人々の子孫の一人であり、外交官としては異例の、シラーの戯曲についての論考が残る独文学専攻出身であり、ユダヤ系ドイツ人を妻とした人である。そして同時に、前年の1945年9月11日の戦犯容疑者39名の逮捕命令の対象者に自分が含まれていることを知り、静養していた軽井沢を発って東京に赴く際に、陶淵明の「神釈詩」の末尾(「縱浪大化中/不喜亦不懼/應盡便須盡/無復獨多慮」)を墨書して家族に渡した人でもある。このような文脈を備えた彼がもし、自分が救ったローゼンシュトックの演奏する『大地の歌』を聴いたとしたら、そこにどのような風景を見出したであろうか?
一方で、管弦楽伴奏連作歌曲とも交響曲ともつかないこの作品に、ピアノ伴奏版の自筆譜があることが判明し、しかもその世界初演が日本で行われたことを記憶している人も少なくなかろう(1989年5月15日、国立音楽大学講堂において、サヴァリッシュのピアノ、 アルト:リポフシェク、テノール:ヴァンベリ)。それまで知られてきた管弦楽版と比べたとき、各楽章のタイトルや歌詞のみならず、小節数の違いさえ含むこのピアノ伴奏版は、作曲の過程において少なくとも1908年頃の段階までは、管弦楽版とピアノ伴奏版が、いわば並存するような形で存在していたことを告げているが、それだけではなく、現在所在不明になっている同じ時期の日付を持つ管弦楽版草稿の第1,2楽章を補うものとして重要だし、実際に国際マーラー協会のマーラー全集において補巻IIとして出版されただけでなく、1990年出版の管弦楽版の校訂作業のきっかけとなった。ちなみに、ピアノ伴奏版においても依然として題名には「交響曲」と書かれており、この作品について単純に交響曲か否かを論じてみても、ここでマーラーが達成したことの意義を測ることができないは言うまでもないことであろう。
だが何よりも『大地の歌』がハンス・ベトゲの「中国の笛」という漢詩のドイツ語による翻案(追創作:Nachdichtung)の中の幾つかの詩を歌詞として用いている点こそ、この曲が提示する風景を性格づけることにおいて決定的であることは衆目の一致するところだろう。こちらもまた、ドイツ文学の泰斗ハンス・マイヤーの挑発的な論文に対してアドルノが反論をするかと思えば、マーラーが(常に歌詞として用いた原作に対してそうであったように)ベトゲの詩を改変したプロセス(ここでもまた上記のピアノ伴奏版が大きな役割を果すのであるが)は勿論、エルヴェ・サン=ドニやユディット・ゴーチェの仏訳やハイルマンの独訳を経由したベトゲの追創作のプロセスまで追跡され、更には原作である漢詩の推定を音楽学者や中国文学者が試みるといったことが為されてきており、最早、論じつくされたかのような感すらある。
だが問題は単純な洋の東西といったものではない。日本から見れば中国も外国であり、但し非常に長期に渉り、非常に徹底した影響を受け、独特の受容をしてきたという経緯から、幾つかの面で西洋におけるオリエンタリズムと対偶の位置から中国に向き合っているということを先ずは認識すべきであろう。管見では中国文学者は、少なくとも前了解としてそのような姿勢を持っており、従ってオリジナルの漢詩とその西欧の言語への翻訳を比較する際に、単なる正確さの基準のみを以て「誤訳」であるかどうかを云々するといった水準に留まらず、まさに日本人がそうしてきたように、異文化を受容にするにあたり、固有の文脈に埋め込むための変換の作業が存在することを前提とし、その上で何が起きているのかを見極めようとしているように感じられる。
既に半世紀も前の1970年にNHK交響楽団が「大地の歌」をプログラムとしてとりあげた際、機関紙<フィルハーモニー>(同年10月号)に掲載すべく依頼したことによって書かれた、吉川幸次郎氏の『「大地の歌」の原詩について』において既に、オリジナルの盛唐の詩が「素材」に過ぎず、「いろいろと自由な変形をうけている」ことが指摘され、その上で、「西洋のことは耳学問の私には、はっきりとしたことはわからない」と留保つきながらも、「しかし、変形をうけながらも、その感情は依然として、中国的である。あるいは少なくとも唐詩的である。そうしてマーラーの作曲もそれを増幅する」と述べ、更に加えて「新しく接触し発見した異地域の異種の文明、その中にある特殊そうに見えて実は普遍なもの、それをより大きな普遍へと造型しようとするのが、マーラーの努力であったろう」と述べられているのである。
更に近年の例として、やはり中国文学者の市川桃子氏は『中國古典詩における植物描寫の研究―蓮の文化史―』(2007)所収の第三部『「採蓮曲」の系譜』の第三章「樂府詩「採蓮曲」の飛躍」において、李白の「採蓮曲」のマーラーの『大地の歌』の歌詞に至るまでの19世紀半ば以降の西欧での受容の経過を詳細に分析している。(甲斐貴也氏のご教示による。甲斐氏には、貴重な文献のご教示に対して此の場を借りて御礼申し上げる。)ここでは、マーラーの音楽では第4楽章の歌詞である「採蓮曲」一篇に限定してではあるが、ヨーロッパでの受容の過程で起きた変容に対して、「このようにして、李白「採蓮曲」に描かれる情景は歐州で始めて翻譯されたときに、歐州にある情景として無理のない設定に大きく變わったのである。ただし、場所や状況設定は變わっても、若く美しい乙女たちが夏の日差しを浴び、澄んだ水に姿を映して、樂しそうにおしゃべりをしている、その至福の光景を描くという本質的な點は、全く變わっていない。」という指摘がされている。そればかりではなく市川氏は、先行する第二章にて、李白の「採蓮曲」の最後の句に出現する「断腸」という表現に注目し、まずそれを「地上に再現されたこの天上世界から疎外された李白自身の氣持ちを投影したもの」とする解釈を踏まえ、「地上に再現された最上の美の世界は共通であるが、そこから生れた意味は李白とマーラーでは異なってい」るけれど、「しかし、どちらにも、生への、美への、切なる憧憬の念があり、どちらにも、それを手に入れられない絶望的な悲哀がある。地上の人間は、完全なる美の世界を手に入れることは出来なかったのである」との指摘をしているのである。マーラーの『大地の歌』の第4楽章の全曲での位置づけに関し、柴田南雄の「シンメトリー説」を引きつつも、それに対して留保をつけて「この第四楽章もまた『大地の歌』全體を覆っている悲哀に浸されている」という指摘をしている点と並んで、作品の持つ重層的な構造(それは歌詞が単に並置されているのではなく、語りレベルに応じて幾つかに層化された配置されていることに対応している)に対する把握を示しており、そのことによってこの第4楽章においてすら、語り手の哀傷に満ちた視線が潜んでいる点を正確に剔出されている点は見事というほかない。
それでは第1楽章の歌詞に登場する猿の啼声はどうだろうか。人口に膾炙した杜甫の『登高』(風急天高猿嘯哀/渚清沙白鳥飛廻)やら『碧巌録』(羸鶴寒木翹/狂猿古台嘯)をはじめとした漢詩における、特定の情緒の喚起するイメージというのがあって、そうしたものを背景に音楽を聴くことになるのだが、しかしマーラーの音楽によってそれは、所詮素材に過ぎないベトゲの詩の文学的価値とはとりあえず別に、こう言って良ければより「実存的」な、自己の存在なり生に対する人間の認識に深められているという点を見逃してはなるまい。
例えばそれをニーチェの『ツァラトゥストラ』のEinst wart ihr Affen, und auch jetzt ist der Mensch mehr Affe, als irgend ein Affe.を思い起こしつつ聴く人が居たとすれば(実際、甲斐貴也氏が私信でそのような指摘をされている)、其の人の把握にも理があることを認めざるを得ないだろう。ニーチェは当然ここで当時流行の進化論を背景にして書いているわけだが、ニュアンスの無視できない違いはあるものの、洋の東西を問わず、猿と人間が似ているというのは、或る意味では自然な理解なわけであり、だからこそ人間の運命の寓意にもなるのだろう。ショスタコーヴィチもまた、この作品における「猿」の形象に注目したことが知られているが、第14交響曲などから窺えるように、無神論者である彼の認識は寧ろニーチェ直系であると言って良かろう。他方、進化論については受け入れつつ、唯物論的な立場には懐疑的であったらしい、だが、ということはそうした立場を否定できないものと捉えてはいたらしいマーラー自身は、この「猿」をどのように捉えていたものか?
こうした点を考えたときに直ちに気付くことは、マーラーの側の文脈もまた、ベトゲの詩作のみを問題にするのはあまりに皮相であり、マーラーに少なからぬ影響を与えた『意志と表象としての世界』のショーペンハウアーや『ツァラトゥストラ』のニーチェ、更には『ゼンド・アヴェスタ』のフェヒナーにおける東洋を考えるべきだということだろう。(リュッケルトが東洋学者であったことや、ゲーテにおける東洋に思いを致してみても良いだろう。マーラーの思想圏なるものを想定したとき、それは単純なオリエンタリズムには収まらない拡がりを持っているのは間違いない。)
もう一つだけ例を挙げれば、終楽章の歌詞で語られる、行き先の「山」というのは、帰郷を意味しているのではない。(ハイデガーのヘルダーリン読解の問題点が何処にあったかを思い浮かべよ。)かなりの高官顕職に上り詰めたらしい王維も実際にそうしたようだが、「山」というのは陶淵明のような遁世、ただし桃源郷のような神仙思想とも結びついた場所、非在の場所としてのユートピアでもあるような場所のはずで、それはマーラーの音楽が最後に到達する(仮想の、実在しない)場所でもあるのではないか。もちろんマーラーの音楽の「場所」は、東洋思想の桃源郷のイメージそのものではありえないだろうが、ではそれを中国を軸に反対向きから見ている我々日本人が見ているものは、一体、どれくらい近くてどれくらい遠いものなのか。当時の地球に対する認識を踏まえたアドルノの「大地」=「地球」説の後、人工衛星に乗って地球を宇宙から眺めることができるようになって久しく、火星の地表の風景を、あたかもその場を訪れたかのように観察することができる時代に生きる人間、系外惑星の探索が進み、地球とにた条件を持った惑星の探索が行われるようになった時代に生きる人間、マーラーの同時代の1903年に初めて提唱された、生命の起源が地球外にあったかも知れないという「パンスペルミア説」が科学的な検証に耐えうる学説として検討されている時代に生きる人間にとって、「大地」とは、『大地の歌』の終曲が描き出す風景とは、一体どのようなものだろうか?
いずれにしても、以下のようなことは言えるのではなかろうか。『大地の歌』の音楽が指し示す場所、実在のどこかと結びつくわけではない精神的ランドスケープの中を逍遥することがまずは問題なのではないか。現在ではGoogle Street Viewを用いれば、現地を訪れることすらせずに、自宅でドロミテの風景を眺めることができるようになっているが、マーラーがドロミテの風景に、アドルノの言う「仮晶(Pseudomorphose)」として見たものが、そこにあると単純に言うことはできないだろう。
マーラーがワルターに第3交響曲を作曲した時に言ったとされる「もう作曲してしまったから、現実を見るのは及ばない」という言葉、「交響曲とは世界の構築である」という、大言壮語として受け止められがちな言葉は、後年アメリカに渡ったマーラーが、演奏旅行の折、ナイアガラの滝を訪れた後にバッファローでベートーヴェンの田園交響曲を指揮して妻のアルマに語ったとされる「漠然と訴えるばかりの自然よりも明確に訴える芸術の方が偉大だ」という言葉(アルマ・マーラー「グスタフ・マーラー 回想と手紙」酒田健一訳, 1973, p.p.212~3)、一回性の出来事の構造を「作品」としてデジタル化し、再現可能にすることで世代を超え、個体の経験が遺伝することのないという生物学的基盤に対する反逆を可能にした人間の精神の営みの特異な在り方の把握を通して理解すべきであり、それはまた、マーラーが作品として遺してくれたものの質を正しく見極めるためにも必要なのではないか。
ジュリアン・ジェインズの「二院制の心」(bicameral mind)の理論が示唆するように、現在の意識の在り方が、人類史上のあるエポックに固有のものであり、「隠れたる神」が、まさにそうした意識の構造に由来する宿命的なものであるとして(カントが指摘する「理性の宿命」は、この文脈において捉えなおされるべきものに思われる)、そして未来方向には、レイ・カーツワイルのような技術特異点論者が述べるように、技術的特異点の向こう側では、意識の形態自体が変容し、「人間」の概念自体が変わってしまうかも知れないとして、その手前で「隠れたる神」の状況下で生きる人間は、結局のところマーラーの世代の末裔なのだ。
であるとするならば、マーラーの作品を賞味期限切れの過去の遺物としてではなく、「今」、「此処」で受容し、それに応答しようとするならば、彼と彼の作品を彼が生きた時代と環境に還元して、歴史的・考古学的な対象として扱うのではなく、各自が取り組むべき「世界の構築」に向けての「無意識のエクササイズ」(グレゴリー・ベイトソン)として向き合わなくてはならないのではないかと思われてならないのである。『大地の歌』の場所は、実在のどこかと結びつくわけではなく、その意味では場所を持たず、仮想的で非在ではあるけれど、決して無ではない。無ではないどころか、自己の個体としての有限性の認識に裏打ちされたこの作品にこそ、自己の個体としての有限性を超える可能性が存するのではなかろうか。(2015.5.10)
2010年10月17日日曜日
「大地の歌」は交響曲ではないのか
今年はマーラー生誕150年というアニヴァーサリーであるにも関わらず、かつての1980年代後半から1990年代前半にかけての「マーラー・ブーム」前後の状況と比べれば、 少なくともこの極東の国における雰囲気は随分と落ち着いたものであると感じられる。勿論、コンサート・プログラムやら、放送における企画やら、雑誌における企画やらが ないではないが、もう四半世紀も前のあの「根拠なき熱狂」は一体何だったのかと思わずにはいられない。マーラーは既にフレームに納まりはしたが、新たな読み直しを する程の時間はまだ経っていないという事情もあるのかも知れないし、あるいは単純に、海外の事情は詳らかにしないし、実感も持てないので判断は差し控えるが、 こと日本国内においては商業的なプロモーションをするだけの経済的な余裕が喪われてしまったというのが実情なのかも知れない。オーケストラの運営状況は厳しさを増す一方のようだし、 マーラーの普及に大きく貢献した録音媒体の方も、LPからCDへと移行して後、今は丁度過渡期にあるようだし、書籍についてもまた然り、ベルナール・スティグレール風に言えば 「第3次記憶」を支える基盤の変動の最中にあって、これまでマーラーに関する「記憶」を保持していたあり方もろとも、マーラーという記憶そのものもまた、現在との接点を喪って 過去の地平の彼方に没しつつあるのだというのが、更に四半世紀が過ぎてから回顧しての展望にならないとも限らないとさえ感じられる。
その一方で、今はまだ時期が熟していないかも知れなくても、もう四半世紀が過ぎた頃には今度はようやく新たな読み直しが可能となって、現時点では予想もつかないような仕方で マーラーの受容が行われているということだってありえるだろう。意識のあり方とて歴史的に規定され、その意識がそこに埋め込まれている社会的文脈との相互作用によって変容 していくものであるとすれば、遠い将来のある時点でジュリアン・ジェインズがホメロスの時代の意識の様態を探ったのとパラレルな探査がマーラーを素材にして行われたりするのかも 知れない。シュトックハウゼンのように宇宙人を持ち出すまでもなく、そもそも「人間」というのも一つの概念であり、時代とともに移ろい、変化していくものなのだから、意識の 考古学の如きものを考える方が遥かに興味深い。否、そうしたシュトックハウゼンのマーラー認識そのものが、例えばアドルノがマーラー論において「大地の歌」に関連して 宇宙飛行士が宇宙から眺めた球体としての地球を持ち出したことなどとともに、ある時代の認識の様態を端的に象徴するものとして分析の対象になっても不思議はなかろう。
そうした中で「クラシック・ジャーナル」という雑誌がマーラーの特集を企画し、そこに掲載された「マーラーについてあまり知られていないこと、いろいろ」と題された前島良雄さんの文章を たまたま目にする機会があった。そしてその文章の中に「「大地の歌」は交響曲か」、という一節があり、「「大地の歌」を交響曲に分類することが自明であると考えられているのは、 わが国の特殊事情によるものであるようだ」とし、それを受けて「大地の歌」を交響曲に分類することに「第9の迷信」が影響しているという主張がなされるのを知り、強い違和感を 感じずにはいられなかったので、まずは自分の整理と備忘のために、もう一つには同じ文章を読まれた方に対して、前島さんの文章を読んで私が素朴に抱いた疑念、あるいは 思い浮かべたこと、更にはまた改めて調べてみたりした幾つかの事項を参考までに記録しておくことを目的として書き留めておくことにする。
* * *
前島さんの文章において「大地の歌」を交響曲に分類することが自明であると考えられていることの根拠として挙げられているのは、CDなりLPなりの「交響曲全集」に 「大地の歌」が含まれるかどうかに関する調査結果であり、日本国内と海外での扱いの差に、日本特有の事情を見ておられるようなのだが、 一読した限りでまず不思議に感じられるのは、その指摘の後に続く、「大地の歌」を交響曲とすることについて「第9の迷信」が影響しているという主張が、先行するCDやLPの 「交響曲全集」での「大地の歌」に対する日本国内と海外での扱いの差とどう結びつくのかが判然としないことである。 仮に「第9の迷信」についての影響の差が日本国内と海外での扱いの差の原因であるとするのであれば(ただし、 そのように明確に書かれているわけではないが)、何故その差が生じることになったかこそがこうした社会学的な議論においては重要ではないかと思えるのだが、 その点については触れられていないので、読み終えてみて些かはぐらかされた感じになり、実は前半の話と後半の話は独立の話なのだろうかと思ってみたりすることにもなる。
ひっかかりの原因を突き止めるべく、再読してみた結果、前島さんの主張は二重・三重の意味で私には不可解に感じられることがわかった。 まず1つ目は「「大地の歌」を交響曲に分類することが自明であると考えられているのは、わが国の特殊事情によるものであるようだ」という主張がLP, CDの交響曲全集に それが含まれるかどうかという点のみに基づいて為されている点である。2つ目は、「大地の歌」を交響曲に分類することに「第9の迷信」が影響しているという主張が、 「わが国の特殊事情」なのかどうかについて些かも明らかではないにも関わらず、あたかも「第9の迷信」が「わが国の特殊事情」であるともとれるような書き方になっている点である。 流れからすれば「わが国の特殊事情」の説明として「第9の迷信」が影響しているという主張になるはずだが、もしそうであるとするならば、今度は「第9の迷信」が「わが国の特殊事情」 であることの実証があってしかるべきだし、どのような事情で「第9の迷信」が日本では根強く信じられているのかについての説明があっても良さそうなものだが、その点についての 説明が為されることはない。そして3つ目は、最後に至って突然シベリウスの「クレルヴォ」が比較対象として取り上げられ、「大地の歌」を交響曲に分類することには営業的な 意味があるのではないかという主張がなされ、それは「わが国の特殊事情」に纏わるものに違いないのだが、では何故日本ではそうなのかの説明はまたしても為されず、 なおかつ「第9の迷信」とは少なくとも権利上は全く独立のものであるが故に、それぞれがどう関係し、あるいは関係しないのかについての説明がないのも腑に落ちないといった 具合なのである。
勿論、「交響曲全集」に「大地の歌」が含まれるかどうかに関する調査結果は事実として受け止められるべきなのだろうが、後半の「第9の迷信」についての議論との相関が 気になりだすと、「「大地の歌」は交響曲か」に関する他の手がかりはないものかと考えてみたくもなる。そこで私が思いついたのは2つあって、1つはこれまた「マーラー・ブーム」の頃には 日本でも頻繁に行われ、今年から来年のシーズンにかけては海外・国内いずれにおいても行われる予定であるらしい、コンサート・ホールでの「マーラー・ツィクルス」での「大地の歌」の扱い、 もう1つはマーラーの「交響曲」に関する文献における「大地の歌」の扱いであった。いずれについても網羅的な調査をやるだけの環境も時間も能力も私にはないので、学問的な 分析に値する調査は専門の研究者に期待することとして、ここではとにかく、市井の愛好家がふと出来た休日の空き時間を使って調べた限りで知りえたことを紹介しておくことにしたい。
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まず、「マーラー・ツィクルス」の方だが、まず1990年前後に国内で行われたケースについて記すと、シノポリ/フィルハーモニア管弦楽団による東京芸術劇場の杮落としでは歌曲集や 「嘆きの歌」とともに「大地の歌」が取り上げられていて、CD同様、交響曲に限定されないのに対し、ベルティーニ/ケルン放送交響楽団によるツィクルスは「交響曲」のみであり、 だがそこで「大地の歌」が第10交響曲のアダージョと組み合わされてツィクルスの1回分を構成していたようである。一方、ほぼ同じ時期に3年かけてサントリーホールで行われた 「純国産」の企画である若杉/東京都交響楽団のツィクルスでは、交響詩「巨人」が第1交響曲のハンブルク稿として 初演されたり、交響詩「葬礼」が第2交響曲の第1楽章に置き換わる形で、後続する4楽章と続けて演奏された点や、新ウィーン楽派の3人だけでなく、ツェムリンスキー、 シュレーカーの作品とマーラーの交響曲が組み合わせられたプログラム構成が特徴的であったが、マーラーに関してはやはり「交響曲」に限ったプログラムであった。その一方で、ここでは「大地の歌」は別枠の特別演奏会という形態で第10交響曲のアダージョと組み合わせたプログラムで取り上げられた。 (パンフレットに掲載された諸井誠さんとの対談で若杉さんは、交響曲全曲という場合には「大地の歌」も含めなくてはならないと述べているので、特別演奏会はその発言の意図に沿ったものだったのかも知れないが。) 時期は少し下るが、「国産」のもう一つのツィクルスである1999年シーズンの井上道義/新日本フィルハーモニーのそれは歌曲集やらピアノ四重奏曲等を 併せて取り上げたプログラム構成になっており、その中で「大地の歌」を含めている。要するにマーラーの管弦楽作品を取り上げる場合は勿論、交響曲に限定した場合も 「大地の歌」は含まれているようなのである。
以上は日本国内で演奏されたものだから、CDやLPでもそうであることを前島さんが指摘したのと同様に、外来のオーケストラのコンサートであったとしても「国内向け」仕様なのでは、 という考え方もあるだろうから、海外におけるツィクルスについても多少調べてみると、1920年のアムステルダムでのマーラー祭、1967年のウィーン芸術週間、1995年のアムステルダムでの マーラー祭のいずれも歌曲集、「嘆きの歌」などとともに「大地の歌」を含むもので、いずれもそもそも交響曲全曲という枠組みではない。 現在進行形である今年から来年のシーズンはどうかと言えば、コンセルトヘボウ管弦楽団、バイエルン放送交響楽団、北ドイツ放送交響楽団のものは「大地の歌」を含むし、 ストックホルムでの複数のオーケストラによるものは含まないといった具合である。コンサートの場合、1回のプログラムの長さの問題もあるし、歌手の招聘の問題もあるだろうから、 交響曲だけのツィクルスというのは企画上却って難しいのかも知れないし、マーラーの作品のみ特別に集中して行うのか、他の作曲家の作品と組み合わせて定期演奏会の枠組みの中で やるのかといった点も影響するかも知れない。いずれにしても「「大地の歌」は交響曲か」という問いに対してコンサートにおけるマーラー・ツィクルスは明確な判断材料を与えるものではなさそうである。 ということは同時に、ここでは日本と海外との間には大きな差異があるわけではなさそうだということでもある。
* * *
ではマーラーに関する文献の中での扱いはどうだろう。歌曲や「嘆きの歌」も含めた全作品解説ではなく、タイトルに「交響曲」と銘打った文献に限って調べることするが、 結果はやはりLPやCDの場合とは些か勝手が異なるようだ。
古いところでは、例えばベッカーのGustav Mahlers Sinfonien(1921)は「大地の歌」を含んでいる。ほぼ同じ時期のイステル編の Mahlers Symphonien(2 Auflage)もやはり含んでいる。それらが、アルマが撒き散らした伝説の圏内で書かれたものであるという時代的な制約の下にある点は否定できないが、 その一方で新しいところでも、例えばレナーテ・ウルム編のGustav Mahlers Symphonien : Entstehung - Deutung - Wirkung (4. Auflage, 2007)は「大地の歌」を含んでいる。 実を言えば、当の前島さんが訳されているフローロスのモノグラフ第3巻(1985)がそもそもずばり「交響曲」という題名を持っているのだが、この中でもやはり 「大地の歌」は扱われているのである。まさかこの点に気付かずに(あるいは忘れて)前島さんが上記の文章を書かれたということはあり得ないから、前島さんの主張する 「「大地の歌」を交響曲に分類することが自明であると考えられているのは、わが国の特殊事情によるものであるようだ」というのは、LP, CDといった録音媒体の企画やら マーケティングに限定した議論なのだということなのだろうか。こうした文献における分類は何かの理由で考慮する必要がないのだろうか。私にはその辺の事情が 判然としないのである。
実を言えば、Webページでの分類をご覧になっていただければわかるとおり、「「大地の歌」は交響曲か」という問いに対する見解そのものについては、私は前島さんの 主張に賛成なのである。「大地の歌」は交響曲と歌曲の中間的な形態であり、こうした形態に辿り着いたことが「マーラーの場合」の特殊性を示していると私は考えている。 だがこれは別に私独自の立場というわけではなく、既にアドルノがモノグラフにおいて「《大地の歌》は純粋な形式というものに反乱を起こしている。それは一つの中間型なのである」 (龍村訳p.194)と述べ、更に続けて「歌曲交響曲Liedersymphonieという構想は、マーラーのイデーにまことに適している。それは、先験的に上から与えられた図式に拘泥 することなく、意味深く互いに連続する個々の出来事の結果として生成する一つの全体であるのだから。」(同)と述べていることを指摘しておこう。ともあれ、それゆえ私は一方で ピアノ伴奏版の「大地の歌」もまた、他の連作歌曲集の場合と同様それ固有の価値を持つと考えるし、それゆえ例えば平松・野平による全曲をソプラノ歌唱・ピアノ伴奏で 演奏する形態にも違和感を感じていない。だが、だからといってもう一方でマーラー自身が「大地の歌」を草稿の上でだけとはいえ「交響曲」と呼んだ事実は残るし、 そのことに言及せずに論を進める前島さんの議論は、例えばその後で交響曲の「ニックネーム」に関しては作者の意向を顧慮する立場を取られていることからすれば 一貫しないのではなかろうかと感じずには居られない。
* * *
「第9の迷信」について前島さんは、アルマの作り話である可能性すら示唆しているが、私にとって問題なのは「第9の迷信」を広めた点についての事実関係はおくとして、 それを否定した序に「「大地の歌」は交響曲か」についての本質的な議論の方まで葬り去られてしまうことである。 フローロスとてアルマがそう伝えるから「大地の歌」が交響曲なのだとは言っていない。フローロスに限らず「大地の歌」が作品の構造上、 交響曲と呼ばれるに相応しい実質を備えているかどうかの検討をそれぞれの論者が行っているわけで、確かに「大地の歌」は単なる連作歌曲とは言い難い、少なくとも 第8交響曲が交響曲であるのと類比的に論じられる程度には、交響曲的な実質を備えているのは確かなことなのである。
そもそもアルマの回想が意図的か否かを問わず、多くの歪曲・記憶違いを含むものであることや、アルマが編んだ書簡集がかなりの程度に改竄されたものであることは 今では良く知られていて、寧ろ旧聞に属するものであると私には思われる。子供であった私が最初に読んだマーラーの評伝は、デント社のシリーズの1冊として書かれた マイケル・ケネディのものの邦訳だったが、ケネディのようなどちらかといえば一般向けの啓蒙書といった体裁のものですら、そうした点の指摘は既に行われていた。ちなみに ケネディのモノグラフが置き換わることになったレートリヒの「ブルックナーとマーラー」(マーラーの部分の更に一部だけ邦訳がある)においても「死後出版の3つの交響曲」という章で 「大地の歌」が扱われているが、ここでは「第9の迷信」が事実として言及されている。従って、「第9の迷信」に限って言えば、文献が執筆された年代を考慮に入れる 必要はあるのだろうが、「「大地の歌」は交響曲か」という点について言えば、あくまで管見ではあるが、近年の研究においてさえ「大地の歌」を交響曲と見做さない立場が 優勢であるようには思えない。何より前島さん自身が訳されたフローロスにしてもそうであって、フローロスはアルマの証言をひとまずは受け入れる立場を取っているからには 見解が対立しているにも関わらず、「大地の歌」のテキストの問題については詳細な訳注をもって介入することを厭わない前島さんが、その一方で「「大地の歌」は交響曲か」と いう点についても、「第9の迷信」についてもフローロスの立場に異議を唱えるわけでなく、訳注による介入をするわけでもないのは思えば不可解という他ない。
勿論私には「第9の迷信」が現時点でどの程度日本に蔓延っていて、それが「大地の歌」を交響曲に分類することにどの程度与っているかについて実証的に検証することは できないので、前島さんの説を否定することはできないが、それを言い出せば「第9の迷信」がアルマの作り話であるという実証的な裏づけがあるわけでもなく、要するに 前島さんにとって「「大地の歌」は交響曲か」の判断基準が奈辺にあるや杳として知れないというのが正直な印象なのである。
仮にの話だが、「第9の迷信」が虚構であったとして、だからといってアルマが回想で記述した「大地の歌」成立の経緯、フローロスが引用し、前島さん自身が訳している 「彼は、それぞれ別々のテクストをつなぎ合わせ、間奏を作曲し、長大になった音楽形式はしだいに彼本来の音楽形式―つまり交響曲への彼自身を引き寄せていった。 これが交響曲のような作品になりそうだということにマーラーが気付くと、作品はみるみるうちにその形を成し、彼が考えていたよりも早く完成してしまった」(AME 175を フローロスが引用したもの。前島訳p.318)という件の信憑性はまた別のものだろう。アルマ自身が、それは最初は歌曲として構想されたと述べているのである。 「大地の歌」はマーラー自身が演奏することがなかったし、生前に出版されることもなかったから、最終的な形態については所詮は想像の域を出ないとはいえ、 ピアノ伴奏版の完成度が管弦楽版よりも劣ることや、形態的に前の段階を示している可能性があること、更にマーラーが「大地の歌」の出版契約にあたり、 自分の用意したピアノ伴奏版の出版は想定していなかったことを告げる書面が残されていることなどを傍証としてあげることができるように、 「大地の歌」が交響曲「でも」ある、否、第一義的には完成した作品はマーラーが草稿にはそう書いたようにSymphonie für eine Tenor- und Altstimme und Orchester であるという経緯をアルマの回想は生き生きと証言しているのではないか。細かい区別に拘泥するならば、「第9の迷信」は寧ろ番号付けに纏わる問題であって、 「大地の歌」が番号なしであれ「交響曲」であるという主張とは別の平面の話であるという見方も可能だろう。
念のため繰り返して強調するが、前島さんも「大地の歌」は交響曲ではないと断定しているわけではないし、私がその点について異議があるわけではないのも既に 述べた通りである。私がひっかかったのはその点ではなくて、上記のような微細な議論の齟齬もさることながら、「大地の歌」を交響曲に分類することが恰も日本固有の、 しかも近年の(「海外の」という含意がもしかしたらあるのだろうか)研究成果を知らないが故の、更にはアルマが流布させた「第9の迷信」による誤解であるかの如き論調に まずもって非常に強い違和感を抱いたのである。序に言えば、私は「大地の歌」にまつわる情報の多くをHeflingのモノグラフから得ているが、Heflingがピアノ伴奏版に ついて報告した論文の題名にしてからが"Das Lied von der Erde : Mahler's Symphony for Voices and Orchestra - or Piano"なのであって、 「大地の歌」は交響曲だということになっているのだ。CD, LPの交響曲全集の問題はともかくも、交響曲「大地の歌」という呼称は「わが国の特殊事情によるもの」でもなければ、 「第9の迷信」に基づく誤解ばかりというわけでもないようにしか私には思えないのである。
* * *
前島さんが指摘するCD, LPの交響曲全集に「大地の歌」が含まれるのが日本固有の事情である理由は、別途原因を探るべき価値があるテーマかも知れない。 また単純に海外と日本を対立させるのではなく、時代の経過とともに「大地の歌」の受容がどのように変遷してきたかについて、これは海外、日本ともども追跡してみる べきなのかも知れない。寧ろ見方によっては、マーラーについての文献は「大地の歌」を交響曲に分類しているにも関わらず、海外でのCD, LPの交響曲全集に 「大地の歌」が含まれないことの方を異常なことと見做して、何故そういうことが生じるのかを追求するような立場だって可能かも知れないのだ。もしかしたらそこに 「大地の歌」という「標題」を持つ「交響曲」に対する微妙な態度が浮かび上がらないとも限らない。
前島さんはシベリウスの「クレルヴォ」が交響曲と呼ばれることを「大地の歌」と類似した例として挙げられているが、実際には作曲者がそれを交響曲と呼んだかどうかに ついての差異が両者には存在するし、「クレルヴォ」を交響曲と見做すのは日本人だけではないという点を指摘しないのは公平を欠くだろう。更に別の作曲家に目を向ければ、 例えばチャイコフスキーにおける「マンフレッド交響曲」のような例はどのように位置づけられるのだろうか。そもそもベートーヴェンの「戦争交響曲」と呼ばれる 「ウェリントンの勝利」はどうなのか。それらが標題交響曲なり描写音楽であり、はっきりと他の交響曲と異質であるというのであれば、アイヴズの第4交響曲と 「祝日交響曲」の差異はどうだろうか。あるいはまた、マーラーならむしろ第8交響曲を連想させる2部構成をとり、3楽章よりなる器楽によるシンフォニアを第1部とし、 9曲からなる声楽を含むカンタータを第2部として持ち、作曲者自身が「交響カンタータ」と呼んでいたらしいメンデルスゾーンの第2交響曲はどうだろうか。 声楽が全編を占めるということで言えば、ニックネームの項で前島さんが言及するショスタコーヴィチの 第14交響曲だけではなく、同じく「大地の歌」の影響なしには考えられないブリテンの「春の交響曲」やらツェムリンスキーの「叙情交響曲」はどうだろうか。 スクリャービンの「法悦の詩」「プロメテウス―火の詩」は交響曲全集(ピアノ協奏曲は含まない)に含まれるだろうか。こうした例は幾らでも挙げることができるだろうが、 そこにはマーラーの場合に見られるような海外と日本との差異が、日本固有の事情がやはりあるのだろうか。ないとすればそれは何故なのか、あるとしたらそれはそれで マーラーの個別の事情であるはずの「第9の迷信」の影響というのはそうしたパースペクティブの下ではどういう位置づけになるのか。
一方で、実際には上述の例の幾つかにおいて既にそうであるように、ごく単純に作曲者自身が番号を振ったかどうかという点を問題にすることもできるだろう。 前島さんが取り上げられたシベリウスであれば、第7交響曲を「交響的幻想曲」という題名のままにしておいたらどうなっただろうか。あるいはまたショスタコーヴィチを 取り上げるなら、第14交響曲のみならず、第2交響曲や第3交響曲のようなケースや「バビ・ヤール」が番号付き交響曲であることについてはどうだろうか。 ショスタコーヴィチのそれらの作品同様、メンデルスゾーンの「賛歌」も、ヴォーン・ウィリアムズの「海の交響曲」や「南極交響曲」もまた、 番号付きであるという理由だけで交響曲全集から排除することができない。単純にそうすれば欠番が生じて「全集」ではなくなってしまうからだ。 その一方で既述のスクリャービンの場合は第4交響曲と見做されていた「法悦の詩」と「プロメテウス―火の詩」の間に線を引く 選択肢がありえるだろうか。だがそもそもマーラーの場合に立ち返れば、それらとは異なって「大地の歌」を除いても欠番は生じないし、第9交響曲が後に続いているのだ。
前島さんが最後に書いた「交響曲」と名づければ売れるという、恐らくそれ自体は全く間違っている訳でもない理由付けは、その理由が「第9の迷信」によるかどうかに関わらず、 マーラー自身が「大地の歌」に番号を振らずに、次の器楽曲に番号を与えたという事実がまずあっての話なのではないか。裏を返せば海外で「大地の歌」を 「交響曲」に含めないというのを事実として認めたとして、それはそれで海外ではそちらの方が売れるからなのか、「大地の歌」を含めたら売れなくなる理由があるのか、 という問いの立て方だって可能に違いない。
* * *
結局のところ欧米のマーラー交響曲全集から「大地の歌」が排除されるのは、「大地の歌」が備えている特徴のうち、何が最も大きく寄与しているのだろう。 上に幾つか挙げた例との類比に限れば、最も表面的には、それが作曲者によって「番号」を与えられなかったからという説明だった成り立ちそうだし、「大地の歌」という 題名、交響曲には似つかわしくない題名のせいかも知れない。もう少し実質的な水準において交響曲的な構造を備えた連作歌曲であるからということであれば これは極めて正当な理由だということになろうが、これとて「交響曲」についてのドクサに従わないマーラーの形式の唯名論的な性格が、それ以外の理由、例えば素材として 用いられている五音音階、アドルノ言うところの「仮象」としての東洋趣味ともども「交響曲」の理念にそぐわないという暗黙の判断がそこに働いているというふうに考えることも できるだろう。要するにマーラーの音楽は今日においても未だ、通念のレベルでは西欧音楽においてマージナリティを帯びており、その中でもとりわけ「大地の歌」は幾つもの理由で「交響曲」から 排除さるべき徴を帯びているのではないか。だとしたら、「第9の迷信」を隠れ蓑にして、マーラー自身が番号をつけなかったことを幸い、あるいは「大地の歌」という「交響曲」には 相応しからぬ題名を作者によって与えられた作品である「大地の歌」を交響曲のカテゴリーから排除するのは、研究文献やら作品解説の水準では「交響曲」として認知されながらも、 しかもマーラーの意図を違えてまでそうするのは寧ろ西欧の伝統そのものではないのかと疑ってみてもいいのだ。
そもそもマーラーの交響曲は第6交響曲を含めてもなお、交響曲の規範からの逸脱の連続である。 そしてアドルノが「突破」「停滞」「充足」あるいは「崩壊」といったカテゴリーを用いたように、その構造は 伝統的な図式とは別の次元での力学を備えていて、それが例えばソナタ形式のような伝統的な図式を変容してしまう。 アドルノのいうマーラーの音楽の唯名論的な性格に惹かれる聴き手にとって、ジャンルの問題は連続的で せいぜいがプロトティピカルなものでしかない。結果として私にとっては交響曲と歌曲の間に序列があるわけではない。寧ろカンタータと連作歌曲と交響曲が 連続的で移行可能な形態であること、歌曲が交響曲楽章の一部になりえてしまうというより大きな展望の方が重要なのだ。
そう名づければ売れるという売る側の思惑や「第9の迷信」もあるには違いないだろうが、端的に「大地の歌」を他のマーラーの交響曲と同じように聴くことに 困難を覚える聴き手は日本にも居るに違いないし、寧ろそれはその人が聴いてきた音楽が形成する地平と相関しているのではなかろうか。 かく言う私も、「大地の歌」を他の交響曲と同一の仕方で聴いているわけではない。もっともそれを言えば私に限っては、第8交響曲もまた、 番号付きではあってもやはり普通の交響曲とは異なるものに感じられる。そういう意味では第8交響曲だってもし番号が付けられなければ「大地の歌」と同じように 排除されたとしても違和感はないのである。一方で「大地の歌」を交響曲に含めるのと同じレベルで、例えば「嘆きの歌」を同列に扱うことは、他の作曲家における 類似のケースはともあれ、ことマーラーの場合に限れば不可能だろう。何よりもまず、作曲者自身がそれを同列のものと見做していないという点は尊重されるべきだし、 それ以上に作品そのものの水準において、結局のところ「大地の歌」にはあり、第8交響曲にはより多く備わっていて、かつ「嘆きの歌」にはない、 「交響曲」に含められるだけの実質というのがやはりあるわけで、それを抜きにした議論は事態を不当に単純化することにしかならないと私には感じられてならない。
「大地の歌」を「交響曲」として扱い、CDの交響曲全集に含めれば売れるというのが日本独特の事情であることを認めたとして、そして更に百歩譲って、 それが可能であることの背景として「第9の迷信」が影響しているという仮説を認めたとして、そうしたレベルで議論が終始すること自体が批判の対象と 同じ土俵の上にいることを告げているように思えてならないのである。それがマーケティング戦略の副産物だとして、「大地の歌」を交響曲に含めることが 自然に受容される日本の特殊性を逆に積極的に評価する意見さえありえるかも知れないし、更に微妙な問題を含む第10交響曲のクック版の扱いについても、 日本で企画されたインバル/フランクフルト放送交響楽団のそれには協会全集版アダージョとともに全集に含まれている点を積極的に評価する向きがあったとしても 不思議はない。
* * *
従って実のところ、このように書いてはみたものの、私自身にとってはニックネームの問題も「大地の歌」の分類の問題も、「第9の迷信」の問題も、少なくとも前島さんが 扱う水準に限れば別段興味を惹くような話題ではないのだ。ニックネームは不要だし、「大地の歌」は交響曲と連作歌曲の融合だし、「第9の迷信」の事実関係によって マーラーの後期交響曲の「内容」なり「意味」なりと呼ばれるものが変わるわけではないというのが私の立場である。そもそもフローロスの言う「標題」に対しても私が 懐疑的なことは別のところで既に述べたとおりである。それよりは歌詞と音楽との関係や音楽の構造の具体的な様相そのものに寄り添うことの方が一層興味深いことに思えてならない。 繰り返しになることを厭わずに再度確認すれば、「大地の歌」の魅力は、それが交響曲と連作歌曲の融合であって、「「大地の歌」は交響曲なのか」式の問いを無効にするような 実質を備えていることと不可分の関係にあるのではなかろうか。 (2010.10.17初稿)
2009年9月22日火曜日
作品覚書(11)大地の歌
マーラーを代表する作品として「大地の歌」が挙げられることは別段珍しいことではないだろう。 ただし、マーラー・ブームこのかたの演奏会レパートリーや受容の傾向からすれば、「大地の歌」が マーラーを代表する作品と見做されているとは最早言い難いというのが現実ではなかろうか。
それには幾つかの理由が考えられるが、それぞれがこの「大地の歌」という作品の持つ問題を 浮び上がらせるもののように感じられる。まずは、巨大な管弦楽だけではなく、歌手を2人必要と する特殊な編成が、興行する側にとってはレパートリーとしては不利に働くという点。歌手にとっても、 大規模な管弦楽の大音響の中で歌うこの曲は厄介な作品だろうし、それにはこの曲が マーラー自身によって初演することのなかったという事情も関わっているかも知れない。アルマの 主張とは食い違うことになるが、マーラーがもしこの曲を自分で一度でも演奏したら、果たして 管弦楽法に手を入れなかったと言い切れるものか。最近、シェーンベルク=リーン編曲版という 室内管弦楽伴奏版が注目を浴びているのは、耳が肥え、新しいもの、珍しいものにしか 感動しなくなった聴き手側のニーズに応えるというマーケティングの問題もさることながら、 演奏する側の事情も介在している可能性だってあるだろう。
だがそれならば、あのシェーンベルクの手になるものとは言いながら、所詮は他人の手になる 編曲よりも、これまた完成稿とは言い難いとはいいながら、マーラー自身の手による ピアノ伴奏版があるではないか。だが、交響曲よりは連作歌曲としての性格が強くでる ピアノ伴奏版の分は更に悪い。歌曲というジャンル自体の聴き手が限定される上に、 マーラーの歌曲は、ドイツ歌曲の流れからすれば明らかに傍流、異端であることもあり、 一方でマーラーの聴き手のほとんどは専ら交響曲にしか関心がないという事情もあり、 マーラーの歌曲が取り上げられる機会は限定される。仮に取り上げられたとしても、 交響曲としてのスケールを備えた「大地の歌」は、ピアノ伴奏版であっても、歌曲の リサイタルのプログラムには馴染まないだろう。
しかしその一方で、初期に例外はあるにせよ、基本的に交響曲と歌曲という ジャンルのみで創作を続けたマーラーの作品の中で、「大地の歌」が占める位置は やはり特別なものであるに違いない。交響曲にして連作歌曲、というどっちつかずは、 コンサートやCD販売といった興行や流通の制度からすれば厄介者扱いされかねないが、 マーラーの創作の文脈においては、こうした形態の作品がその創作の到達点の一つとして 産み出されたことこそが、その創作の特異性を浮び上がらせる。たかが管弦楽伴奏の ソロ・カンタータを「交響曲」と名づけただけの話ではないか、という醒めた見方もあろうし、 私にはそれに抗弁するだけの音楽史的な知識もないが、ツェムリンスキー、ブリテン、 ショスタコーヴィチの類似の作品は、マーラーの「大地の歌」の強い影響下にあるわけだし、 逆にマーラーがこの作品を産み出すにあたってモデルになった先行作というのも 杳として知らない。事実関係としてそうであるわけだし、そもそもマーラーの創作の論理に したがったとき、それはやはり交響曲にして連作歌曲と呼ぶほか無いもの、最初は 連作歌曲であったものが、交響曲の構造を具備するような発展がその創作過程で 生じた作品なのである。(2008.10.7 この項続く。)
* * *
形式の概略(長木「グスタフ・マーラー全作品解説事典」所収のもの)| 第1楽章(ソナタ形式) | 呈示部(第1節) | オーケストラ導入部「アレグロ・ペザンテ」 | 1 | 15 | a | |
| 主部(1~2行)(力いっぱいに) | 16 | 32 | ||||
| 経過部(3行)「テンポI」 | 33 | 52 | d-g | |||
| 副次部(4~5行)「同じテンポで」 | 53 | 80 | ||||
| リフレイン(6行)「とても落ち着いて」 | 81 | 88 | ||||
| 呈示部展開反復(第2節) | オーケストラ導入「テンポI スビト」 | 89 | 111 | |||
| 主部(1~2行) | 112 | 125 | ||||
| 経過部(3~4行) | 125 | 152 | a-B-Ces | |||
| 副次部(5~7行) | 153 | 182 | es | |||
| リフレイン(8行)「ア・テンポ とても落ち着いて」 | 183 | 202 | as/As | |||
| 展開部(第3節) | オーケストラ導入(主部・副次部展開)「ア・テンポ」 | 203 | 260 | f | ||
| 第1部分(1~2行) | 261 | 284 | ||||
| 第2部分(3~5行) | 285 | 325 | ||||
| 再現部(第4節) | 主部(1~3行) | 326 | 352 | a | ||
| 経過部(3~5行) | 353 | 368 | ||||
| リフレイン(5~7行) | 369 | 392 | A/a | |||
| 後奏 | 393 | 405 | ||||
| 第2楽章 | オーケストラ前奏 「いくらかひそかにけだるく」 | 1 | 24 | d | ||
| A(第1節)「いくらか遅くして」 | 25 | 49 | -g | |||
| A'(第2節) | 50 | 77 | d-g | |||
| B(第3節) | 78 | 101 | d-D | |||
| A''(第4節)~「流れるように」~「高揚して」 | 102 | 137 | d-Es-d | |||
| オーケストラ後奏 | 138 | 154 | ||||
| 第3楽章 | オーケストラ前奏 「くつろいで快活に」 | 1 | 12 | B | ||
| A(第1~2節) | 13 | 34 | -G | |||
| B(第3~4節) | 35 | 69 | ||||
| C(第5節) | 70 | 96 | g | |||
| A'B'(第6~7節)「テンポI スビト」 | 97 | 118 | B | |||
| 第4楽章 | A | 導入(z)「コモド・ドルチッシモ」 | 1 | 6 | G | |
| x(第1節1~2行)「少し流れるように | 7 | 13 | ||||
| y(第1節3~5行)「より落ち着いて」 | 13 | 23 | ||||
| x'(第2節1~2行) | 24 | 29 | ||||
| z(第2節3~8行)「ア・テンポ(より落ち着いて)」 | 30 | 42 | E-H | |||
| B | 導入 | 43 | 52 | G-C | ||
| 行進曲「ピウ・モッソ・スビト(行進曲のように)」 | 53 | 61 | ||||
| (第3節)「さらに放縦に」 | 62 | 74 | ||||
| 疾駆「アレグロ」 | 75 | 87 | c | |||
| (第4節) | 88 | 95 | F | |||
| A' | z-x(第2節1~2行)「テンポI 、スビト(アンダンテ)」 | 96 | 103 | B | ||
* * *
形式の概略:Henry Louis de la Grange, Mahler vol.3 (フランス語版) pp.1136,1142,1145,1150,1153,1165所収。(譜例は略。なお大地の歌についてはフランス語版と英語版の分析に相違が見られる)| 1.地上の苦しみについての乾杯の歌 | 第1節 | A | 1 | 15 | 前奏 | Allegro pesante/A tempo sostenuto | a, A/a | |
| 16 | 52 | 第1セクション | Schon winkt der Wein | |||||
| 53 | 88 | 第2セクションとリフレイン | Wenn der Kummer naht | Sempre l'istesso tempo, とても静かに | d, G/g | |||
| 第2節 | A | 89 | 111 | 間奏 | Tempo I subito | g, c, D, a | ||
| 112 | 152 | 第1セクション | Herr dieses Hauses! | B, Ges, Es, es, Aes, aes | ||||
| 153 | 192 | 第2セクションとリフレイン | Ein voller Becher | - A tempo, とても静かに | ||||
| 第3節(展開) | B | 203 | 263 | 間奏 | f, B, c | |||
| 264 | 325 | 詩節 | Das Firmament/ Du aber Mensche | 情熱的に | ||||
| 第4節 | A1 | 326 | 329 | 詩節とリフレイン | Seht dort hinab! | 抑えて | a, c, B, aes, A, a, A, A, a | |
| 後奏 | 393 | 405 |
| 2.秋に孤独な人 | 前奏 | 1 | 24 | 少しひきずって、疲れて | d | ||
| 第1節 | 25 | 32 | A1 | Herbstnebel wallen | 少し抑えて | d(B), g | |
| 33 | 38 | B1 | 流れるように | ||||
| 第2節 | 39 | 59 | A2 | Man meint | Tempo I subito (少し引きずって) | d/D, g, d | |
| 60 | 62 | B2 | 流れるように | ||||
| 第3節 | 63 | 69 | A3 | Bald werden | Tempo I subito | B | |
| 70 | 77 | B3 | 優しく動いて、再び抑えて | ||||
| 第4節 | 78 | 91 | A4 | Mein Herz ist müde | Tempo I:急がずに | d, Es, B, D | |
| 92 | 101 | B4 | Ich komm'zu dir | 引きずらずに | |||
| 第5節 | 102 | 120 | A5 | Ich weine viel | Tempo I | d, g | |
| 121 | 135 | B5 | Der Herbst | 流れるように/大きく飛躍して | Es | ||
| 後奏 | 136 | 154 | Tempo I subito | d |
| 3.若さについて | 1 | 34 | A | 1-2 | Mitten in dem kleinen | 気楽に、活気を持って | B |
| 35 | 69 | B | 3-4 | In dem Häuschen | 同上 | G | |
| 70 | 96 | C | 5 | Auf des kleinen Teichen | より静かに | g | |
| 97 | 116 | A';B' | 6-7 | Alles auf der Köpfe | ゆっくりと/Tempo I subito | B |
| 4.美について | 1 | 6 | 導入 | Comodo. Dolcissimo | G | ||
| 7 | 27 | A | 1-2 | Junge Mädchen | 幾らか流れるように | ||
| 28 | 32 | 間奏 | より静かに | ||||
| 32 | 42 | Sonne spiegelt | A tempo(より静かに) | E | |||
| 43 | 49 | 間奏 | 少しずつ活気付いて | G,D | |||
| 50 | 61 | 前奏 | Più mosso subito行進するように中庸に | C | |||
| 62 | 71 | B | 3-4 | O sieh, was tummeln | 更にいっそう速く | ||
| 72 | 87 | 間奏 | 常により流れるように/Allegro | -C | |||
| 88 | 95 | Das Ross des einen | 更に流れるように/更にいっそう急いで | F/D | |||
| 96 | 97 | 前奏 | Tempo I subito | B | |||
| 98 | 101 | A1 | 5 | Goldne Sonne | (Andante) | ||
| 102 | 106 | 間奏 | |||||
| 106 | 124 | Und die Schönste | 全く静かに | G | |||
| 124 | 144 | コーダ |
| 5.春に酔える者 | 1 | 3 | 導入(繰返し) | Allegro | A | ||
| 4 | 8 | A+ | 1 | Wenn nur ein Traum | Pesante... A tempo | B | |
| 8 | 15 | B | Ich trinke, bis | F | |||
| 15 | 17 | 繰返し | A | ||||
| 18 | 21 | A+ | 2 | Und wenn ich nicht | Pesante... A tempo | B | |
| 22 | 25 | 導入 | F | ||||
| 26 | 28 | B | So tauml'ich bis | ||||
| 29 | 32 | 繰返し | |||||
| 32 | 37 | A+ | 3 | was hör'ich | A tempo... より静かに/更に静かに | B | |
| 37 | 44 | B | Ich frag'ihn | Ritenuto. ゆっくりと | A | ||
| 45 | 46 | 繰返し | Tempo I subito | F | |||
| 47 | 50 | A+ | 4 | Der Vogel zwitschert | B | ||
| 51 | 64 | B | Der Lenz ist da | ためらって/全くゆっくりと/いくらか流れるように | Des/Aes | ||
| 65 | 71 | 5 | Ich fülle mir | Tempo I | F, C/c | ||
| 72 | 74 | 繰返し | A | ||||
| 75 | 79 | A+ | 6 | Und wenn ich nicht | B | ||
| 80 | 87 | B | Und wenn ich nicht | F | |||
| 87 | 89 | 繰返し | Allegro | A |
| 6.別れ | A | 1 | 19 | 導入 | 4/4-5/4 | 重く | c | |
| 20 | 26 | レシタティーヴォno.1 | Die Sonne scheidet | 自由 | 流れるように。拍子をとって | |||
| 27 | 32 | 間奏 | Tempo I | |||||
| 32 | 39 | O sieh! wie eine Silberbarke | C/c | |||||
| 39 | 54 | Ich spüre | f | |||||
| B 第1リート | 55 | 70 | 前奏 | Alla breve | 非常に中庸に | F | ||
| 71 | 80 | Der Bach singt | 少し活気付いて | d,a | ||||
| 81 | 101 | 間奏 | Pesante | |||||
| 102 | 110 | Die Erde atmet | A Tempo | F | ||||
| 111 | 118 | 間奏 | 流れるように | |||||
| 118 | 128 | Die müde Menschen | 2/2-3/2 | 急がずに | cis/Des | |||
| 128 | 136 | 間奏 | Alla breve | |||||
| 137 | 147 | Die Vöegel hocken still | a | |||||
| 148 | 149 | Die Welt schläft ein | ゆっくりと | |||||
| 150 | 157 | 間奏 | 6/4-4/4-5/4 | |||||
| 158 | 165 | レシタティーヴォno.2 | Es wehnt kühl | 自由 | 非常に均等に、急がずに | |||
| C 第2リート | 166 | 198 | 前奏 | 3/4 | 流れるように | B | ||
| 199 | 229 | Ich sehne mich | 気付かれずに一つ振りに移行する | |||||
| 229 | 236 | 間奏 | 非常に流れるように | |||||
| 237 | 287 | Ich wandle | 再び非常に静かに、急がずに | |||||
| 288 | 302 | 間奏(鳥) | Alla breve | 中庸に | a | |||
| A' | 303 | 375 | 第2部の前奏 | 4/4 | 重く | c | ||
| 375 | 381 | レシタティーヴォno.3 | Er stieg vom Pferd | 急がずに | ||||
| 381 | 389 | 間奏 | ||||||
| 390 | 394 | Er sprach | ||||||
| 第3リート | 394 | 409 | Du mein Freund | C | ||||
| 410 | 419 | Wohin ich geh'? | 6/4(3/2)-4/4 | Rit. ゆっくりと | c/C | |||
| B' | 420 | 449 | Ich wandle | Alla breve | とても中庸に | F | ||
| 450 | 459 | 後奏 | ||||||
| C' | 460 | 527 | Die liebe Erde | 3/4 | ゆっくりと | C | ||
| 527 | 572 | Ewig, ewig | クレシェンドせずに! |
2009年9月21日月曜日
作品覚書(10)第10交響曲(2021.5.9更新)
だが、この第10交響曲は幾多の未完成作品と比べても、際立って恵まれた状況にあると言えるだろう。 イギリスの音楽学者デリック・クックを中心とした演奏用バージョンの補筆作業によって、私のような 市井の愛好家、しかも年端も行かぬ子供ですらその全体像に近づくことが可能になっているのだ。
ところで、この作品を聴いた人は、シェーンベルクがプラハ講演において第9交響曲について述べた言葉を 反芻しつつ、この音楽が一体「どこ」で鳴っているのか、不思議な思いに捉われるではなかろうか。 あるいはそんなことはなく、他のマーラーの作品と何ら違いなく聴ける人もいるかも知れないが、私個人の場合には 初めて聴いて以来、今日までそういった聴き方はずっとできないでいる。別に敬して遠ざけたり、あるいは忌避 したりしているということはなく、実際には例えば第8交響曲は勿論、第5交響曲のように自分にとって比較的 距離感のある作品に比して、第10交響曲を聴く頻度は遙かに高いというのに、それでもなお、その音楽を聴くたびに、 一体音楽が鳴っているこの「場所」がどこなのかを言い当てる適当な言葉を見つかられないでいるのだ。
そうした私にとっての最大の近似値は以下に示す、ヘルダーリン晩年の断片が語られている場所である。
Wenn aus der Ferne, da wir geschieden sind,
Ich dir noch kennbar bin, dir Vergangenheit,
O du Theilhaber meiner Leiden!
Einiges Gute bezeichnen dir kann,
So sage, wie erwartet die Freundin dich,
In jenen Gärten, da nach entawlicher
Und dunker Zeit wir uns gefunden?
Hier an den Strömen der heiligen Urwelt.
Da muß ich sagen, einiges Gutes war
In deinen Bliken, als in den Fernen du
Dich einmal fröhlich umgesehen
Immer verschlossener Mensch mit finstrem
Aussehn. Wie flossen die Stunden dahin, wie still
War meine Seele über der Wahrheit ...
In meinen Armen lebte der Jüngling auf,
Der, noch verlassen, aus den Gefilden kam,
Die er mir wies, mit einer Schwermuth,
Aber dir Nahmen der seltnen Orte
Und alles Schöne hatt' er behalten, das
An seeligen Gestaden, auch mir sehr werth
In heimatlichen Lande blühet,
Oder verborgen, aus hoher Aussicht,
Allwo das Meer auch einer beschauen kann,
Doch keiner seyn will. Nehme vorlieb, und denk
An die, die noch vergnügt ist, darum,
Weil der entzükende Tag uns anschien ...
この詩断片の語りの場というのもまた異様で、まるで世の成り行きから超絶した、 異世界のほとりで、かつて自分がその只中を彷徨った世の成り行きを遙かに望みながら 語っているかのようだ。そして、ほとんど同じ印象を、私はマーラーの第10交響曲についても 抱かずにはいられないのである。単に過去を振り返っているのではない。その過去の出来事の 生起したのとは別の場所にいるような感じがしてならない。要するに、シェーンベルクの言っていた あの一線を、やはりこの曲は越えてしまっているのでは、という感覚を否定し難いのだ。 (2008.10.5 この項続く。)
| 第1楽章(ソナタ形式) | 呈示部 | 導入部「アンダンテ」 | 1 | 15 | ? | |
| 主部「アダージョ」 | 16 | 27 | Fis | |||
| 副次部 | 28 | 39 | fis | |||
| 呈示部変奏反復 | 導入部「アンダンテ・コメ・プリマ」 | 40 | 48 | ? | ||
| 主部「テンポ・アダージョ」 | 49 | 80 | Fis | |||
| 副次部「ア・テンポ(流れるように)」 | 81 | 104 | fis | |||
| 展開部 | 導入部 | 105 | 111 | ? | ||
| 副次部(導入部)展開 | 112 | 121 | a | |||
| 主部・副次部展開 | 122 | 140 | Es-fis-A-fis-dis-F | |||
| 展開再現部 | 主部展開再現 | 141 | 152 | Fis(-G-H) | ||
| 副次部展開再現 | 153 | 177 | fis | |||
| (展開部118~125) | (172) | (175) | ||||
| 主部反復展開再現 | 178 | 183 | Fis | |||
| 導入部「いくらか躊躇うように」 | 184 | 193 | ? | |||
| カタストロフ的絶頂 | 発現 | 194 | 198 | as | ||
| 主部・副次部挿入 | 199 | 202 | ||||
| コーダ | 213 | 275 | Fis | |||
| 第2楽章(スケルツォ) | スケルツォ | 主部「速い4分音符で」 | 1 | 22 | fis | |
| 主部展開 | 23 | 59 | ||||
| 移行句 | 60 | 75 | ||||
| 副次部「より荘重に」 | 76 | 130 | F | |||
| 主部展開(「テンポI」) | 131 | 164 | fis | |||
| トリオI | 第1部分「すぐに非常により遅く ゆったりとしたレントラーのテンポで」 | 165 | 185 | Es | ||
| 第2部分 | 186 | 201 | g | |||
| 第3部分(第1部分展開) | 202 | 234 | Es-H-Es | |||
| 第4部分(第2部分展開)「ひきずることなく」 | 235 | 245 | es | |||
| スケルツォ | 主部展開「テンポIスビト」 | 246 | 255 | fis | ||
| 副次部展開 | 256 | 269 | Es | |||
| 主部展開 | 270 | 278 | fis | |||
| 副次部展開「再び留めるように」 | 279 | 299 | D | |||
| トリオII | トリオI第1部分展開「センプレ・アレグロ しかしいくらかより幅広く」 | 300 | 319 | D | ||
| 同第2部分展開「いくらか落ち着いて」 | 320 | 330 | C | |||
| 同第1部分展開 | 331 | 347 | D | |||
| 同第2部分展開「ひきずることなく」 | 348 | 365 | ||||
| スケルツォ主部・副次部展開「ひきずることなく」 | 366 | 415 | F-C-F | |||
| スケルツォ・トリオ展開「すぐに控え目に、非常に表出的に」 | 416 | 477 | Fis-B-Fis-D | |||
| コーダ「いくらか荘重に~いくらか切迫して」 | 478 | 522 | ||||
| 第3楽章(3部形式) | A | 導入「アレグレット・モデラート」 | 1 | 6 | b | |
| 第1部分「速すぎず」 | 7 | 24 | ||||
| 第2部分「少し流れるように」 | 25 | 34 | B | |||
| 第3部分 | 35 | 41 | ||||
| 第4部分 | 42 | 52 | b | |||
| 第5部分 | 53 | 63 | ||||
| B | 第1部分「切迫して」 | 64 | 83 | d | ||
| 第2部分(溜め息1)「いくらか控え目に」 | 84 | 91 | ||||
| 第3部分(溜め息2)「再び控え目に」 | 92 | 95 | ||||
| 第4部分「あわてずに」 | 96 | 106 | ||||
| 第5部分(溜め息3,4)「控え目に」 | 107 | 114 | ||||
| 第6部分「落ち着いて」 | 115 | 121 | ||||
| A(ダ・カーポ) | 導入「テンポI」 | 122 | 125 | b | ||
| 第1部分「速すぎず」 | 126 | 142 | ||||
| 第2部分 | 144 | 153 | ||||
| 第3部分 | 154 | 160 | b/B | |||
| コーダ | 161 | 170 | b | |||
| 第4楽章(スケルツォ) | スケルツォ | 導入「アレグロ・ペザンテ、速すぎず」 | 1 | 4 | e | |
| 主部 | 5 | 64 | ||||
| 副次部 | 65 | 106 | E/e | |||
| 主部展開 | 107 | 122 | e | |||
| トリオI「ゆったりと」 | 123 | 165 | C | |||
| スケルツォ主部展開「ペザンテ、冒頭のように」 | 166 | 247 | e | |||
| (トリオ挿入‐ダンス) | (196) | (225) | c | |||
| (溜め息) | (210) | (217) | ||||
| トリオII「ゆったりと」 | 248 | 379 | A | |||
| スケルツォ主部展開「アレグロ・ペザンテ」 | 380 | 409 | e | |||
| トリオIII「ゆったりと」 | 410 | 443 | H | |||
| (クライマックス(溜め息)「モルト・ペザンテ」) | (432) | (443) | ||||
| スケルツォ副次部展開「ソステヌート」 | 444 | 520 | h | |||
| (トリオ挿入「急ぐことなく」) | (478) | (504) | c | |||
| (溜め息) | (486) | (493) | ||||
| コーダ「明らかにより遅くして、影のように」 | 521 | 578 | ||||
| 第5楽章(3部形式) | 導入部 | 葬送音楽「遅く、重く」 | 1 | 29 | d | |
| 第1部分「いくらか流れるように、しかし常に遅く」 | 30 | 44 | d/D | |||
| 第2部分 | 45 | 57 | h | |||
| 第1部分展開 | 58 | 77 | D/d | |||
| 葬送音楽「テンポI」 | 78 | 83 | d | |||
| 主部 | 第1部分(プルガトリオ・モティーフ)「アレグロ・モデラート」 | 84 | 144 | |||
| 第2部分(溜め息)「燃えるように」 | 145 | 190 | D/d | |||
| (クライマックス) | (179) | (190) | ||||
| 第3部分(導入部第1部分展開)「ソステヌート」 | 191 | 224 | F | |||
| 第4部分(導入部第1部分展開)「非常に落ち着いて」 | 225 | 244 | H | |||
| 第5部分(主部第1,2部分展開)「すぐにいきいきと~アレグロ」 | 245 | 266 | d | |||
| 第1楽章回想 | I/188~193「すぐに非常に幅広く」 | 267 | 274 | fis | ||
| I/203~208「第1楽章の同じ箇所のように」 | 275 | 283 | ||||
| I/1~15「アンダンテ(交響曲の冒頭のテンポで)」 | 284 | 298 | ||||
| 導入部回想 | 第1部分展開「非常に落ち着いて」 | 299 | 314 | B | ||
| 第2部分展開「アダージョ」 | 315 | 322 | Fis | |||
| 第1,2部分展開 | 323 | 346 | -G | |||
| 第2,1部分展開 | 347 | 372 | Fis | |||
| コーダ | 373 | 400 | ||||
* * *
形式の概略:Henry Louis de la Grange, Mahler vol.3 (フランス語版) pp.1242,1248,1251,1253,1256所収。(譜例は略。なお第10交響曲についてはフランス語版と英語版で異なる分析が示されている。)第1楽章はTyll Rohland, Zum Adagio aus der X. Symphonie von Gustav Mahler, in Musik und Bildung, 1973/11に基づく。
第2楽章~第5楽章はDeryck Coockeによる。テンポ指定のうち括弧内のものはCoockeによる。
| 1. Adagio | 第1部分 | 1 | 15 | 導入(ヴィオラのレシタティーヴォ) | Andante | Gis? Eis? | |
| 16 | 27 | A(Aの転回:第24小節) | Adagio | Fis | |||
| 28 | 31 | I''(I'の予告) | 引きずらずに | ||||
| 32 | 38 | I'/B | 流れるように | fis | |||
| 39 | 48 | I(第1の変形) | Andante come prima | Gis? Eis? | |||
| 49 | 80 | A2(Aの第1の変形) | Tempo Adagio | Fis | |||
| 第2部分 | 81 | 104 | I'/B(変形) | A Tempo(流れるように) | fis, b | ||
| 105 | 111 | I(第2の変形、ここに挿入される) | (Andante come prima) | b? | |||
| 112 | 121 | I''(Iの要素とともに) | (少し早めて) | a, d/D, e? | |||
| 122 | 140 | A, I'', A, I'/B, I'' | (少し抑えて) | H, fis, cis, fis, dis, F | |||
| 141 | 152 | A3(Aの変形) | (Tempo Adagio. 冒頭ほど幅広くなく) | Fis, G, H | |||
| 153 | 177 | I'/B(変奏された) | (A Tempo. 流れるように) | fis, b | |||
| 第3部分 | 178 | 183 | A4(展開) | (Tempo Adagio. 以前のように流れるように) | Fis | ||
| 184 | 193 | I(2声での回想) | 少しためらって | A/Eis | |||
| 194 | 199 | コラール(全奏) | aes | ||||
| 199 | 202 | A(断片)とI'/B(断片) | (引きずらずに) | ||||
| 203 | 212 | 《カタストロフ》 | (再び幅広く) | aes, C, H | |||
| コーダあるいはエピローグ | 213 | 227 | I' | A Tempo, etc. | Fis/fis, D | ||
| 227 | 267 | A(I:247-252; I'/B:258/9) | Fis, Eis?, Cis | ||||
| 267 | 275 | 終止和音 | Fis | ||||
| 2. Scherzo(no.1) | スケルツォ | 1 | 4 | 導入 | 早い四分音符(3/4拍を保って-4/4 Alla breve) | cis | |
| 5 | 22 | A | fis | ||||
| 23 | 42 | A(再現) | |||||
| 43 | 60 | 展開とクライマックス | (急がずに) | B, E, G | |||
| 60 | 75 | 移行 | (気付かれないようにより中庸に) | B | |||
| トリオ1 | 76 | 96 | B | (さらにより中庸に) | F | ||
| 97 | 110 | B(変奏された再現) | |||||
| 111 | 116 | A(短縮された再現) | |||||
| 117 | 130 | 移行 | |||||
| スケルツォ | 131 | 141 | A(再現) | (Tempo I subito) | Aes, D | ||
| 142 | 151 | A(展開) | D | ||||
| 152 | 162 | A(再現とクライマックス) | fis | ||||
| トリオ2 | 165 | 186 | C1 | (突然ずっとゆっくりと)中庸のレントラーのテンポで | Es | ||
| 187 | 202 | C2 | g | ||||
| 203 | 234 | C1(変奏と展開) | Es, H | ||||
| 235 | 245 | C2(変奏された再現) | Es/es | ||||
| スケルツォ | 246 | 254 | A3 | (Tempo I subito) | fis | ||
| 255 | 269 | B(展開) | (気付かれないように遅くして) | Es, C | |||
| 270 | 278 | A | (Tempo I 速く) | fis | |||
| 279 | 295 | D | |||||
| 296 | 299 | C(再現とクライマックス) | |||||
| トリオ2 | 300 | 346 | C1 | (Sempre Allegro 拍を保って、しかしやや幅広く) | D,C | ||
| 347 | 358 | C2 | (少し静かに)(引きずらずに) | ||||
| 359 | 365 | 移行 | Es, H | ||||
| トリオ1(と2) | 366 | 375 | BとC(展開) | (A tempo:引きずらずに) | F, C | ||
| 376 | 385 | C(より速く) | C | ||||
| 386 | 407 | CとA | F | ||||
| 408 | 415 | A(移行とクライマックス) | |||||
| スケルツォとトリオ2 | 416 | 422 | A | (突然抑えて)(非常に感情を込めて) | Fis | ||
| 423 | 443 | C(拡大された)とクライマックス | (全く静かに、4拍子で振る) | ||||
| スケルツォとトリオ1,2 | 444 | 457 | AとC | (Tempo I subito、速く) | B | ||
| 458 | 468 | C | Fis | ||||
| 469 | 477 | C | (少し抑えて) | D | |||
| 478 | 491 | A | A tempo しかし幾らか急いで | ||||
| コーダ(トリオ1と2) | 492 | 502 | C(拡大された) | (Tempo I) | Fis | ||
| 503 | 510 | B | (Pesante)-(急いで) | ||||
| 511 | 522 | BとC | (速く) | ||||
| 3. Purgatorio | 提示 | 1 | 6 | 導入 | Allegro Moderato | b | |
| 6 | 14 | A | 急ぎ過ぎずに | ||||
| 14 | 22 | A(再現) | |||||
| 22 | 24 | Aの冒頭(リフレイン) | |||||
| 25 | 32 | B1 | 幾らか流れるように | B | |||
| 33 | 34 | リフレイン | |||||
| 34 | 40 | B2+リフレイン | |||||
| 41 | 52 | B3(バス)+リフレイン | |||||
| 展開 | 64 | 81 | A+B1 | (前進) | d/D | ||
| 81 | 83 | リフレイン | |||||
| 84 | 91 | 新しい主題:C1 | (少し抑えて/a tempo) | (F) | |||
| 91 | 95 | C2(Cの再現) | (再び抑えて) | d | |||
| 96 | 106 | A(展開) | 緩めて/(急いで) | ||||
| 106 | 114 | C(展開とクライマックス) | 抑えて | ||||
| 115 | 121 | A(デクレシェンド) | (A tempo)(だんだん静かになる) | d | |||
| 再現 | 122 | 125 | 導入(短縮された) | (Tempo primo) | b | ||
| 125 | 143 | A(とリフレイン) | (急ぎ過ぎずに) | ||||
| 143 | 151 | B(とリフレイン) | (幾らか流れるように) | ||||
| 153 | 167 | C(縮小された)とB2 | (Senza rit. al fine) | B/b | |||
| 167 | 170 | バスにリフレインを伴った結尾(カタストロフ) | |||||
| 4. Scherzo(no.2) | スケルツォ | 1 | 4 | 導入(和音とRa) | (Allegro Pesante 速くなく) | e | |
| 5 | 25 | A1(クライマックスまで展開) | |||||
| 24 | 41 | A1 | |||||
| 41 | 56 | A1(クライマックスまで) | |||||
| 56 | 64 | 移行 | e/E | ||||
| 64 | 72 | A2 | E | ||||
| 73 | 82 | A2' | g | ||||
| 83 | 98 | A(新たな終結) | e | ||||
| 99 | 114 | A3 リフレインとクライマックス+導入 | (A tempo, しかし急かずに) | ||||
| 115 | 122 | 移行(導入とR) | |||||
| トリオ | 123 | 137 | B1(シンコペーションを伴うワルツ) | (A tempo. 中庸に) | C | ||
| 137 | 144 | B1(変奏された再現) | |||||
| 145 | 152 | B2 | |||||
| 152 | 166 | B3 | |||||
| スケルツォ | 166 | 184 | A1 | (Pesante. 冒頭のように) | e | ||
| 184 | 201 | B1(Rとともに) | (非常に嘆いて) | d | |||
| 202 | 210 | A3(リフレインとR) | |||||
| 210 | 218 | クライマックス | (A tempo) | a | |||
| 219 | 225 | B1 | |||||
| 226 | 243 | A1(展開) | C | ||||
| 243 | 247 | 移行(およびR) | (抑えて) | e | |||
| 248 | 260 | B1 | (A tempo. 中庸に) | A | |||
| 261 | 268 | B2(Rとともに) | |||||
| 268 | 277 | クライマックス | (Pesante) | ||||
| 278 | 286 | B2 | (A tempo. 抑えて) | ||||
| 287 | 290 | 移行1 | A,C | ||||
| 291 | 311 | 移行2 | (A tempo, しかしとても静かに) | A | |||
| トリオ | 311 | 380 | C(B3の展開) | (A tempo. 躍動するように) | |||
| スケルツォ | 380 | 387 | A1 | (A tempo. Allegro pesante) | e | ||
| 388 | 409 | 移行 | |||||
| トリオ | 410 | 423 | B1 | (A tempo. 中庸に) | H | ||
| 424 | 431 | B2 | |||||
| 432 | 443 | クライマックス | (Molto pesante) | ||||
| 444 | 451 | 移行(Rとともに) | (A tempo sostenuto) | h | |||
| スケルツォ | 452 | 461 | A2 | ||||
| 462 | 477 | A(新たな終結) | |||||
| 478 | 485 | リフレイン | |||||
| トリオ | 486 | 494 | B1:クライマックス | (A tempo) | D | ||
| 495 | 504 | B2 | |||||
| コーダ | 505 | 516 | クライマックス(Rとともに) | (Pesante) | d | ||
| 517 | 520 | B2(変奏された)とR | |||||
| 521 | 548 | B2(ディミヌエンド)とR | (はっきりとゆっくりとして。幽霊のように) | ||||
| 5. Finale | 導入 | 第1セクション | 1 | 29 | 3(Purgatorio)のモチーフ:3g, Rbと3C | (ゆっくりと、重々しく) | d |
| 第2セクション | 30 | 45 | フルートのソロ:I1(と3C)、和音のモチーフ s/Rc | 少し流れるように、しかし常にゆっくりと | d/D | ||
| 44 | 58 | Raを伴ったI2(ヴァイオリン)とI3(和音のモチーフ) | H,Es | ||||
| 58 | 66 | フルートのソロ(ヴァイオリンでの再現) | 急ぎ過ぎずに | D/H | |||
| 66 | 72 | クライマックス(Raとともに) | |||||
| 第3セクション | 72 | 84 | 省略された再提示(Rb, 3g-3b) | (Tempo I) | h/d | ||
| アレグロ | 第1セクション | 84/td> | 98 | A(Rb, 3gと3C) | Allergo moderato(ひきずらずに) | d | |
| 98 | 104 | B(3C)の転調 | (引きずらずに) | ||||
| 104 | 120 | A | |||||
| 120 | 127 | B(Purgatorioの引用:第107~111小節) | |||||
| 127 | 145 | Aの展開とクライマックス | |||||
| 145 | 161 | 変形されたB | (火のように) | D/d | |||
| 161 | 176 | AとBの展開およびクライマックス | (急いで) | ||||
| 176 | 186 | クライマックス:4のリフレイン。Ra | (A tempo) | d/F | |||
| 第2セクション | 186 | 190 | Rb, 2C, I2(フルート) | ||||
| 190 | 225 | Rbで中断されるI2など | (Sostenuto) | F/H | |||
| 226 | 236 | I2(中断なし) | (全く静かに) | ||||
| 236 | 243 | I2(拡大、Rcとともに) | H/Aes | ||||
| 243 | 245 | 移行(3C) | g | ||||
| 245 | 260 | A(再提示:Rb, 3g, etc.) | (突然活気付いて) | d | |||
| 261 | 267 | B(とRb)、クライマックスまで | |||||
| 267 | 274 | I1の終わり、クライマックス(Rbとともに) | (突然非常に幅広く)(ゆっくりとした2拍子) | fis | |||
| 275 | 283 | 不協和音(Rbとともに) | Fis | ||||
| 284 | 298 | I1(冒頭)の二声での回帰 | (Andante)(交響曲の最初のテンポで) | ||||
| 299 | 315 | I2(3Cとともに) | (とても静かに) | B | |||
| 315 | 322 | I2 | Adagio | Fis | |||
| 323 | 340 | I1 | |||||
| 340 | 352 | I2 | Fis/G | ||||
| 353 | 372 | I1(導入の再現)とI2 | まだAdagioで(急かずに) | Fis | |||
| コーダ | 373/td> | 393 | I2とI3 | ||||
| 394 | 400 | I1の最初と3 | |||||