お知らせ
2015年5月10日日曜日
『大地の歌』の「風景」について―甲斐貴也さんへ―
マーラーの早すぎる晩年(あくまでも事後的にそう区分されるに過ぎないが)に、ドロミテ・アルプスの風景の中で作曲されたこの作品は、いつもの通り、初演を念頭においた出版の準備が進められていたものの、マーラーの突然の死によって、生前に楽譜が出版されることもなく、彼自身の指揮による初演も行われることがなかった。それゆえこの作品の後世による受容のプロセスは、マーラー没後半年を経た1911年11月20日にウィーンで行われたブルノ・ワルター指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、シャルル=カイエのアルト、ミラーのテノールによる初演の時から始まったのである。レコードへの録音は、1936年5月24日に収録されたブルノ・ワルター指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、アルト:トールボリ、テノール:クルマンの演奏を嚆矢とするが、そのSPレコードは戦前の日本にも輸入され、日本初演に先立って聴かれていたことが幾つかの文章で確認できる。その後LPレコードからCDを経て今日に至る迄の膨大なディスコグラフィーについては改めて言うまでもなかろう。ただしその特異な編成もあって、これだけマーラーが頻繁に演奏される今日となっては、実演に接する機会は寧ろ相対的に減っているように感じられる。
大地の歌の演奏記録の中で、1939年10月5日のアムステルダム、コンセルトへボウの演奏会の記録であるシューリヒト指揮、コンセルトへボウ管弦楽団、トールボリとエーマンの歌唱の記録は、まずもって、録音状態の悪さを超えて今尚説得力を喪わないその演奏の卓越について触れるべきだろうが、そればかりではなく、今日我々が耳にするのとは異なった、まさにマーラーの同時代の演奏様式を垣間見ることができる点で際立った記録でもあり、なおかつ演奏中(第6楽章の間奏が終わったタイミング)に発生したハプニングの記録でも有名であろう。実はこの演奏会、本来はメンゲルベルクが指揮する筈であったが、(メンゲルベルクにはしばしば起きたことのようだが、)病気のために指揮ができなくなり、急遽代役を探すことになったのだが、歌手達の意向もあって、ユトレヒトのオーケストラに客演していたシューリヒトが代役を務めることになったという経緯があるらしい。既に前年にオーストリアはナチス・ドイツにより併合され、ドイツ国内ではユダヤ人の音楽を演奏することが禁じられ、オランダの独立ももう間もなく喪われようというこの時期に、ユダヤ人により作曲された「大地の歌」という題名の作品を、ドイツ人の指揮者の指揮によりオランダのオーケストラが演奏するという状況の異様さが、くだんのハプニングを引き起こす原因であったに違いないが、後にはメンデルスゾーン、マイアベーアと並んで”3M”としてナチスより忌避されることになるユダヤ人の、中国の詩に取材した作品の演奏で件のハプニングが起きたことは、この曲の風景とどのように関係していたものだろうか?
日本での初演は1941年1月22日、日比谷公会堂におけるローゼンシュトック指揮新交響楽団(現在のNHK交響楽団)、 四家文子のアルト、木下保のテノールによる演奏であり、楽曲紹介を含む当時の新交響楽団の機関紙(音楽雑誌「フィルハーモニー」第15巻第1号 大地の歌)からは、同じ年の年末には太平洋戦争に突入することになる当時の日本の雰囲気が伝わってくる。ちなみに同年10月成立の東條英機内閣に外務大臣として入閣し、結果的に開戦時の外務大臣となり、そのために後に極東国際軍事裁判の被告となった東郷茂徳は、上記のワルターの演奏のレコード録音の数ヵ月後の1936年8月に、ナチスにより追われたローゼンシュトック(彼はユダヤ系であった)が新交響楽団の指揮者に就任するために来日した際に、当時のドイツの駐日臨時代理大使(大使館参事官)ネーベルが行った干渉に対し、当時の欧亜局長として断固として撥ね付けたという記録が残っている。なお、戦後最初に演奏されたマーラーの作品は恐らくは『大地の歌』ではなかったか。昭和21年(1946)5月1日というから、ポツダム宣言受諾からまだ1年と経過していない時期に、同じくNHK交響楽団の前身であった日響の定期で取り上げられているようなのである。(指揮は山田和男(のち一雄)で独唱者は日本初演時と同じ。)ちなみに奇しくも同じ日に、上述の東郷茂徳は戦犯容疑者として巣鴨拘置所に収監されている。極東国際軍事裁判の開廷は2日後の5月3日である。東郷茂徳は薩摩・苗代川の陶工の家系の出、文禄・慶長の役/壬辰・丁酉倭乱で島津義弘により朝鮮から虜囚として連れてこられた人々の子孫の一人であり、外交官としては異例の、シラーの戯曲についての論考が残る独文学専攻出身であり、ユダヤ系ドイツ人を妻とした人である。そして同時に、前年の1945年9月11日の戦犯容疑者39名の逮捕命令の対象者に自分が含まれていることを知り、静養していた軽井沢を発って東京に赴く際に、陶淵明の「神釈詩」の末尾(「縱浪大化中/不喜亦不懼/應盡便須盡/無復獨多慮」)を墨書して家族に渡した人でもある。このような文脈を備えた彼がもし、自分が救ったローゼンシュトックの演奏する『大地の歌』を聴いたとしたら、そこにどのような風景を見出したであろうか?
一方で、管弦楽伴奏連作歌曲とも交響曲ともつかないこの作品に、ピアノ伴奏版の自筆譜があることが判明し、しかもその世界初演が日本で行われたことを記憶している人も少なくなかろう(1989年5月15日、国立音楽大学講堂において、サヴァリッシュのピアノ、 アルト:リポフシェク、テノール:ヴァンベリ)。それまで知られてきた管弦楽版と比べたとき、各楽章のタイトルや歌詞のみならず、小節数の違いさえ含むこのピアノ伴奏版は、作曲の過程において少なくとも1908年頃の段階までは、管弦楽版とピアノ伴奏版が、いわば並存するような形で存在していたことを告げているが、それだけではなく、現在所在不明になっている同じ時期の日付を持つ管弦楽版草稿の第1,2楽章を補うものとして重要だし、実際に国際マーラー協会のマーラー全集において補巻IIとして出版されただけでなく、1990年出版の管弦楽版の校訂作業のきっかけとなった。ちなみに、ピアノ伴奏版においても依然として題名には「交響曲」と書かれており、この作品について単純に交響曲か否かを論じてみても、ここでマーラーが達成したことの意義を測ることができないは言うまでもないことであろう。
だが何よりも『大地の歌』がハンス・ベトゲの「中国の笛」という漢詩のドイツ語による翻案(追創作:Nachdichtung)の中の幾つかの詩を歌詞として用いている点こそ、この曲が提示する風景を性格づけることにおいて決定的であることは衆目の一致するところだろう。こちらもまた、ドイツ文学の泰斗ハンス・マイヤーの挑発的な論文に対してアドルノが反論をするかと思えば、マーラーが(常に歌詞として用いた原作に対してそうであったように)ベトゲの詩を改変したプロセス(ここでもまた上記のピアノ伴奏版が大きな役割を果すのであるが)は勿論、エルヴェ・サン=ドニやユディット・ゴーチェの仏訳やハイルマンの独訳を経由したベトゲの追創作のプロセスまで追跡され、更には原作である漢詩の推定を音楽学者や中国文学者が試みるといったことが為されてきており、最早、論じつくされたかのような感すらある。
だが問題は単純な洋の東西といったものではない。日本から見れば中国も外国であり、但し非常に長期に渉り、非常に徹底した影響を受け、独特の受容をしてきたという経緯から、幾つかの面で西洋におけるオリエンタリズムと対偶の位置から中国に向き合っているということを先ずは認識すべきであろう。管見では中国文学者は、少なくとも前了解としてそのような姿勢を持っており、従ってオリジナルの漢詩とその西欧の言語への翻訳を比較する際に、単なる正確さの基準のみを以て「誤訳」であるかどうかを云々するといった水準に留まらず、まさに日本人がそうしてきたように、異文化を受容にするにあたり、固有の文脈に埋め込むための変換の作業が存在することを前提とし、その上で何が起きているのかを見極めようとしているように感じられる。
既に半世紀も前の1970年にNHK交響楽団が「大地の歌」をプログラムとしてとりあげた際、機関紙<フィルハーモニー>(同年10月号)に掲載すべく依頼したことによって書かれた、吉川幸次郎氏の『「大地の歌」の原詩について』において既に、オリジナルの盛唐の詩が「素材」に過ぎず、「いろいろと自由な変形をうけている」ことが指摘され、その上で、「西洋のことは耳学問の私には、はっきりとしたことはわからない」と留保つきながらも、「しかし、変形をうけながらも、その感情は依然として、中国的である。あるいは少なくとも唐詩的である。そうしてマーラーの作曲もそれを増幅する」と述べ、更に加えて「新しく接触し発見した異地域の異種の文明、その中にある特殊そうに見えて実は普遍なもの、それをより大きな普遍へと造型しようとするのが、マーラーの努力であったろう」と述べられているのである。
更に近年の例として、やはり中国文学者の市川桃子氏は『中國古典詩における植物描寫の研究―蓮の文化史―』(2007)所収の第三部『「採蓮曲」の系譜』の第三章「樂府詩「採蓮曲」の飛躍」において、李白の「採蓮曲」のマーラーの『大地の歌』の歌詞に至るまでの19世紀半ば以降の西欧での受容の経過を詳細に分析している。(甲斐貴也氏のご教示による。甲斐氏には、貴重な文献のご教示に対して此の場を借りて御礼申し上げる。)ここでは、マーラーの音楽では第4楽章の歌詞である「採蓮曲」一篇に限定してではあるが、ヨーロッパでの受容の過程で起きた変容に対して、「このようにして、李白「採蓮曲」に描かれる情景は歐州で始めて翻譯されたときに、歐州にある情景として無理のない設定に大きく變わったのである。ただし、場所や状況設定は變わっても、若く美しい乙女たちが夏の日差しを浴び、澄んだ水に姿を映して、樂しそうにおしゃべりをしている、その至福の光景を描くという本質的な點は、全く變わっていない。」という指摘がされている。そればかりではなく市川氏は、先行する第二章にて、李白の「採蓮曲」の最後の句に出現する「断腸」という表現に注目し、まずそれを「地上に再現されたこの天上世界から疎外された李白自身の氣持ちを投影したもの」とする解釈を踏まえ、「地上に再現された最上の美の世界は共通であるが、そこから生れた意味は李白とマーラーでは異なってい」るけれど、「しかし、どちらにも、生への、美への、切なる憧憬の念があり、どちらにも、それを手に入れられない絶望的な悲哀がある。地上の人間は、完全なる美の世界を手に入れることは出来なかったのである」との指摘をしているのである。マーラーの『大地の歌』の第4楽章の全曲での位置づけに関し、柴田南雄の「シンメトリー説」を引きつつも、それに対して留保をつけて「この第四楽章もまた『大地の歌』全體を覆っている悲哀に浸されている」という指摘をしている点と並んで、作品の持つ重層的な構造(それは歌詞が単に並置されているのではなく、語りレベルに応じて幾つかに層化された配置されていることに対応している)に対する把握を示しており、そのことによってこの第4楽章においてすら、語り手の哀傷に満ちた視線が潜んでいる点を正確に剔出されている点は見事というほかない。
それでは第1楽章の歌詞に登場する猿の啼声はどうだろうか。人口に膾炙した杜甫の『登高』(風急天高猿嘯哀/渚清沙白鳥飛廻)やら『碧巌録』(羸鶴寒木翹/狂猿古台嘯)をはじめとした漢詩における、特定の情緒の喚起するイメージというのがあって、そうしたものを背景に音楽を聴くことになるのだが、しかしマーラーの音楽によってそれは、所詮素材に過ぎないベトゲの詩の文学的価値とはとりあえず別に、こう言って良ければより「実存的」な、自己の存在なり生に対する人間の認識に深められているという点を見逃してはなるまい。
例えばそれをニーチェの『ツァラトゥストラ』のEinst wart ihr Affen, und auch jetzt ist der Mensch mehr Affe, als irgend ein Affe.を思い起こしつつ聴く人が居たとすれば(実際、甲斐貴也氏が私信でそのような指摘をされている)、其の人の把握にも理があることを認めざるを得ないだろう。ニーチェは当然ここで当時流行の進化論を背景にして書いているわけだが、ニュアンスの無視できない違いはあるものの、洋の東西を問わず、猿と人間が似ているというのは、或る意味では自然な理解なわけであり、だからこそ人間の運命の寓意にもなるのだろう。ショスタコーヴィチもまた、この作品における「猿」の形象に注目したことが知られているが、第14交響曲などから窺えるように、無神論者である彼の認識は寧ろニーチェ直系であると言って良かろう。他方、進化論については受け入れつつ、唯物論的な立場には懐疑的であったらしい、だが、ということはそうした立場を否定できないものと捉えてはいたらしいマーラー自身は、この「猿」をどのように捉えていたものか?
こうした点を考えたときに直ちに気付くことは、マーラーの側の文脈もまた、ベトゲの詩作のみを問題にするのはあまりに皮相であり、マーラーに少なからぬ影響を与えた『意志と表象としての世界』のショーペンハウアーや『ツァラトゥストラ』のニーチェ、更には『ゼンド・アヴェスタ』のフェヒナーにおける東洋を考えるべきだということだろう。(リュッケルトが東洋学者であったことや、ゲーテにおける東洋に思いを致してみても良いだろう。マーラーの思想圏なるものを想定したとき、それは単純なオリエンタリズムには収まらない拡がりを持っているのは間違いない。)
もう一つだけ例を挙げれば、終楽章の歌詞で語られる、行き先の「山」というのは、帰郷を意味しているのではない。(ハイデガーのヘルダーリン読解の問題点が何処にあったかを思い浮かべよ。)かなりの高官顕職に上り詰めたらしい王維も実際にそうしたようだが、「山」というのは陶淵明のような遁世、ただし桃源郷のような神仙思想とも結びついた場所、非在の場所としてのユートピアでもあるような場所のはずで、それはマーラーの音楽が最後に到達する(仮想の、実在しない)場所でもあるのではないか。もちろんマーラーの音楽の「場所」は、東洋思想の桃源郷のイメージそのものではありえないだろうが、ではそれを中国を軸に反対向きから見ている我々日本人が見ているものは、一体、どれくらい近くてどれくらい遠いものなのか。当時の地球に対する認識を踏まえたアドルノの「大地」=「地球」説の後、人工衛星に乗って地球を宇宙から眺めることができるようになって久しく、火星の地表の風景を、あたかもその場を訪れたかのように観察することができる時代に生きる人間、系外惑星の探索が進み、地球とにた条件を持った惑星の探索が行われるようになった時代に生きる人間、マーラーの同時代の1903年に初めて提唱された、生命の起源が地球外にあったかも知れないという「パンスペルミア説」が科学的な検証に耐えうる学説として検討されている時代に生きる人間にとって、「大地」とは、『大地の歌』の終曲が描き出す風景とは、一体どのようなものだろうか?
いずれにしても、以下のようなことは言えるのではなかろうか。『大地の歌』の音楽が指し示す場所、実在のどこかと結びつくわけではない精神的ランドスケープの中を逍遥することがまずは問題なのではないか。現在ではGoogle Street Viewを用いれば、現地を訪れることすらせずに、自宅でドロミテの風景を眺めることができるようになっているが、マーラーがドロミテの風景に、アドルノの言う「仮晶(Pseudomorphose)」として見たものが、そこにあると単純に言うことはできないだろう。
マーラーがワルターに第3交響曲を作曲した時に言ったとされる「もう作曲してしまったから、現実を見るのは及ばない」という言葉、「交響曲とは世界の構築である」という、大言壮語として受け止められがちな言葉は、後年アメリカに渡ったマーラーが、演奏旅行の折、ナイアガラの滝を訪れた後にバッファローでベートーヴェンの田園交響曲を指揮して妻のアルマに語ったとされる「漠然と訴えるばかりの自然よりも明確に訴える芸術の方が偉大だ」という言葉(アルマ・マーラー「グスタフ・マーラー 回想と手紙」酒田健一訳, 1973, p.p.212~3)、一回性の出来事の構造を「作品」としてデジタル化し、再現可能にすることで世代を超え、個体の経験が遺伝することのないという生物学的基盤に対する反逆を可能にした人間の精神の営みの特異な在り方の把握を通して理解すべきであり、それはまた、マーラーが作品として遺してくれたものの質を正しく見極めるためにも必要なのではないか。
ジュリアン・ジェインズの「二院制の心」(bicameral mind)の理論が示唆するように、現在の意識の在り方が、人類史上のあるエポックに固有のものであり、「隠れたる神」が、まさにそうした意識の構造に由来する宿命的なものであるとして(カントが指摘する「理性の宿命」は、この文脈において捉えなおされるべきものに思われる)、そして未来方向には、レイ・カーツワイルのような技術特異点論者が述べるように、技術的特異点の向こう側では、意識の形態自体が変容し、「人間」の概念自体が変わってしまうかも知れないとして、その手前で「隠れたる神」の状況下で生きる人間は、結局のところマーラーの世代の末裔なのだ。
であるとするならば、マーラーの作品を賞味期限切れの過去の遺物としてではなく、「今」、「此処」で受容し、それに応答しようとするならば、彼と彼の作品を彼が生きた時代と環境に還元して、歴史的・考古学的な対象として扱うのではなく、各自が取り組むべき「世界の構築」に向けての「無意識のエクササイズ」(グレゴリー・ベイトソン)として向き合わなくてはならないのではないかと思われてならないのである。『大地の歌』の場所は、実在のどこかと結びつくわけではなく、その意味では場所を持たず、仮想的で非在ではあるけれど、決して無ではない。無ではないどころか、自己の個体としての有限性の認識に裏打ちされたこの作品にこそ、自己の個体としての有限性を超える可能性が存するのではなかろうか。(2015.5.10)
2008年1月14日月曜日
「大地の歌」第1楽章の詩の改変をめぐって ―甲斐貴也訳「大地の歌」によせて(2)―
梅丘歌曲会館の 甲斐貴也さんによる「大地の歌」の訳詩が、フェリアー/パツァーク/ワルター/ウィーンフィルによる1952年のあの伝説的な録音の CDによる復刻(オーパス蔵 OPK 7036/7)のリーフレットに収められるという知らせは、昨年、まさに甲斐さんによる 「大地の歌」の訳詩改稿にちなんで覚書を認めた者として、ひときわ嬉しいものに感じられた。
のみならず、それをきっかけに甲斐さんが上記のリーフレットのために用意された訳稿における、第1楽章の第3連についての 興味深い解釈についてコメントさせていただく機会をいただき、私にとって非常に意義ある経験をすることができた。 以下では、そこで述べさせていただいたコメントに基づき、甲斐さんの解釈に対して、拙いながらも私なりに些かの敷衍を試みたい。 なお、コメントそのものは2007年10月にメールのやりとりの中で数回に分けてなされたものである。
実は上記CDのリーフレット中に、甲斐さんご自身による「訳者メモ:第一楽章の「悲歌」について」が収められている。ご自身の 翻訳の意図については非常に的確に記述されているから、それをお読みいただければ充分であって、私の以下の小文などは 蛇足に過ぎない。ご興味をお持ちの方は是非、甲斐さんご自身の解説を参照していただきたい。
ちなみに上記のCDには、同時に録音されたフェリアー歌唱の3つのリュッケルト歌曲が併録されている。「私は俗世から消え失せた」
「優しい香りを吸った」「真夜中に」の3曲であるが、これらが「大地の歌」とそれぞれ密接な関連を持つことについては、最初の
覚書で私も言及していて、その選曲の妙にも感嘆した。それがワルターの解釈の反映なのか、録音を企画した側の発案なのかは詳らかに
しないが、いずれにしてもこのCDで復刻された録音が如何に深い楽曲への理解に裏打ちされたものであるかが窺えるように思われる。
これら3曲についても勿論、甲斐さんの訳詩が収められているので、こちらも併せてご覧いただくことをお奨めする。
本稿の執筆を甲斐さんにお約束したのはコメントをお送りした後直ぐにであるから、随分と前のことになる。 一つには「ネタばらし」になるのを懸念してCDのリリースを待ったというのもあるのだが、それと同時に折角の機会なので関連する文献を調べようか、 更に少し内容を膨らませようか、などと考えているうちにのびのびになってしまっていた。
結局、初稿の段階では以前のコメントを整理するだけとなってしまい、全曲を通じての語りの層構造の整理など、その後考察しようとしていた点に ついてはまだ手付かずの状況にある。従って現時点では以下の内容はコメントの時点と本質的に変わらない「思いつき」のレベルに過ぎず、 前回の覚書よりも更に手前の構想メモのようなレベルのものであることを認めざるをえない。 全く面目もないが、今後、折にふれ肉付けしていき、何とか全体の構想の輪郭を辿るところまではいきたいと考えている。
遅ればせながらCDリリースの快挙に対するお祝いとともに、このような考察の機会を与えてくださった甲斐さんに御礼を申し上げたい。 その一方でお約束を果たすのがこのように遅れてしまい、なおかつ内容的に全く不十分であることについてはお詫び申し上げたいと思う。
今回の甲斐さんの解釈の眼目は、訳者メモにもあるとおり、「第一楽章の第三連全体が、第一連で「一曲(ein Lied=歌または詩)吟じよう)」 と予告されている「悲歌(Das Lied vom Kummer)」にあたるという仮説」にあり、訳稿の最終形態ではその部分は文語訳になっている。 そして「第三連全体を「悲歌」とするなら、第一楽章の題名「現世(エルデ:原文ルビ)の苦を詠う酒宴歌(Das Trinklied vom Jammer der Erde)」 とは、酒宴の様を描く楽章全体ではなく、酒宴で詠われる歌、すなわち「悲歌」の部分を指すと考えることが出来ます。」と述べられ、 「"Erde"(エルデ:原文ルビ)を大地と現世の両義に用いてその悠久と儚さを詠う、あたかも作品全体のミニチュアのような「悲歌」こそ、全曲の 曲名「大地(エルデ:原文ルビ)の歌」の由来であると考えることもできると思います。」と書かれている。
要するに、第3連を或る種の埋め込みと見做し、第1楽章の歌詞が入れ子構造になっているという指摘なのだが、これはマーラーがベトゥゲの原詩に 施した改変や、改変した歌詞につけられた音楽の構造など、幾つかの点で非常に自然な解釈であるように私には思われたのである。 以下に私が傍証として考えた項目を示すことにする。
まず何といっても、「大地の歌」の成立過程で、マーラーが全曲のタイトルを第一楽章に基づき、Das Lied vom Jammer der Erdeとしていた時期が ある点が挙げられる。その根拠の一つであるアルマの「回想と手紙」にある「大地の歌」の題名に関する証言を以下に掲げる。
Den ganzen Sommer arbeitete er fieberhaft an den Orchesterliedern, mit den von Hans Bethge übersetzen chinesischen Gedichten als Texten. Die Arbeit vergrößerte sich unter seinen Händen. Er verband die einzelnen Texte, machte Zwischenspiele, und die erweiterten Formen zogen ihn immer mehr zu seiner Urform - zur Symphonie. Als er sich darüber klar war, daß dies wieder eine Art Symphonie sei, gewann das Werk schnell an Form und war fertig, ehe er es dachte.
Es Symphonie zu nennen, getraute er sich aber nicht aus dem Aberglauben, den ich schon angedeutet habe; und so glaubte er, unsern Herrgott überlistet zu haben.
All sien Leid, seine Angst hat er in dieses Werk hineingelegt: » Das Lied von der Erde « ! Es hieß im Anfang: Das Lied vom Jammer der Erde.
(アルマの「回想と手紙」原書1971年版pp.168--169, 白水社版邦訳pp.162--163)
この文章はアルマの「回想」の1908年夏の章の始まってすぐに出てくるものであるが、ここでは最後の文章で「大地の歌」の題名についての言及がなされている 点が特に注目される。1971年版では脚注がついていて、このタイトルと第1楽章の最終的な曲名との関連に触れているが、この点は全曲の構想を考える上で、 示唆的であるように思われる。
一方、近年研究が進んでいる実証的な草稿の調査結果を含めて題名のプランの変遷を辿ると、"Die Flöte der Jade"「翡翠の笛」(de La Grangeの伝記第3巻p.1123参照)、"Das Trinklied von der Erde"(これはSusanne Villの"Vermittelungsformen verbalisierter und musikalischer Inhalte in der Musik Gustav Mahlers"のp.155が詳しい)などの形態もあったようだ(Danuserのモノグラフのp.26参照)。
最初のものはde La Grangeも言及しているように、Bethgeの詩集の源泉の一つであるユディト・ゴーティエの詩集の題名(「翡翠の書」)を思わせるが、それをマーラーが知っていたかはともかく、かつてDer Pavillon aus Porzellanが「誤訳」に基づくものであるという考証が為され、それなりに話題になったことが思い出される。誤訳は紛れもない事実なのだろうし、陶器の亭というイメージの非現実性もその通りには違いないが、それを言い出せば「翡翠の笛」だって劣らず不自然には違いなく、要するにマーラーの想像力の領域におけるイメージの体系を受け止めるにあたっては、そうした実証的な事情は大きな意味を持たないということを告げているように思われてならない。
一方"Das Trinklied von der Erde"の方は、"Das Lied vom Jammer der Erde"と丁度対をなすように、これもまた最終形態における第1楽章の題名と関連している 点が興味深い。草稿ではTrinkという語が後で書き足されたような形跡があるようだが、開始調の同主調を取る第5楽章がこれまた酒にちなんだ題名を持っていることや、第5楽章のみ成立過程がわからないことなどを考えると、色々と想像力をかき立てられる。いずれにせよ最終的には重心の移動が起こり、JammerもTrink-も冒頭楽章の題名に収まり、全曲はそれらなしの» Das Lied von der Erde «になったわけである。
結局最終的にはDas Lied von der Erdeになったものの、これによってマーラーが第一楽章をどのように位置づけていたかが 窺えるように思える。そして以前にも覚書に書いたことの繰り返しになるが、Erdeの両義性がここに端的に顕れているということも言える。 すなわち初期の段階では悲惨な地上としての側面に重点があったのに対し、彼が経験した試練に対する受容が進むにつれ、捉え方の 変化が生じたのではなかろうか。そしてそれは恐らくは「大地の歌」にとって外的なものではなく、まさにこの「大地の歌」の創作の過程自体が そうした受容の過程に他ならないのではないか。
そうした重点の移動に関連して興味深いのは、これまた覚書でも言及したことであるが、第3連冒頭の
「天空永遠(とわ)に蒼く大地(エルデ)は
悠久にして春到れば花咲く」
(甲斐訳:括弧内は原文ルビ。斜体も原文による)
の特に後半部分が、ベトゥゲの原詩そのものではなく、マーラーが書き換えたものであることである。更にこの箇所が、
第6楽章末尾のこれまたマーラー自身によって追加された詩句との明白な繋がるのは明らかだが、第6楽章の末尾の追加が
若き日のマーラーが当時の友人であったシュタイナーに宛てた書簡(1914年版の書簡集1番, pp.5--9,。マルトナー編英語版では
2a番, pp.54--56)に含まれる言葉に類似することは、デリック・クックなどによって指摘されている通りである。(Deryck Coock,
Gustav Mahler, 1980年のfaber & faber版ではp.105。もっとも私見ではクックの見解の優れたところは、その類似ともに、
両者の間に存在する認識の差異を的確に指摘していることで、その違いこそが「大地の歌」の構想の根底にあるのだと
思うのだが。)
それだけではなく、例えばDie müden Menschen gehn heimwärts, / Um im Schlaf vergeßnes Glück /
Und Jugend neu zu lernen! の箇所についても、マーラーの改変について、ケネディはそれが1884年12月に後に「さすらう若者の歌」が
成立するきっかけを作ったあのヨハンナ・リヒターに書いたマーラー自作の詩に含まれる詩句の挿入であると述べていて、
晩年のマーラーの改変が若き日の言葉に由来すること、そして「大地の歌」が先行する「さすらう若者の歌」「子供の死の歌」という
2つの連作歌曲集と密接な関係を持つことが、このような点からも窺えるのである。
またこの第3連については、マーラーがベトゥゲの原詩を一部削除してしまっている点にも注目すべきだろう。原詩では整然とした 4連構成になっているのを敢えて崩して、その上であえて上記のような詩句の挿入を行うような改変になっており、マーラーの明確な意図が あることははっきりしているのである。
ベトゥゲの原詩(イタリックはマーラーが削除した部分):
Das Firmament blaut ewig und die Erde
Wird lange fest stehn auf den alten Füßen,
Du aber, Mensch, wie lang lebst denn du?
Nicht hundert Jahre darfst du dich ergötzen
An all dem morschen Tande dieser Erde,
Nur ein Besitztum ist dir ganz gewiss:
Das ist das Grab, das grinsende, am Erde.
Dunkel ist das Leben, ist der Tod.
マーラーの改変(イタリックが挿入部分):
Das Firmament blaut ewig und die Erde
Wird lange fest stehen und aufblühn im Lenz.
Du aber, Mensch, wie lang lebst denn du?
Nicht hundert Jahre darfst du dich ergötzen
An all dem morschen Tande dieser Erde
第3連でマーラーが省略した部分に注目してみると、まず気づくのは、本来はDunkel ist das Leben, ist der Tod.のルフランが ここにも存在していたことで、ここでマーラーがこの詩を有節歌曲として処理するつもりがなかったことは明らかである。 例えば長木さんは「グスタフ・マーラー全作品解説事典」において、この省略についてソナタ形式に対応させるための措置という 説明をされているが、これはそうした方向性での解釈だと思われる。だが長木さんの説明はルフランの省略に関してのみの理由付けになっていて、 その前の2行の省略については触れられていないし、上述の1行の入れ換えについても「細かい違い」に含められてしまっているようである。
私見では、マーラーの詩の処理には楽曲の図式への合致という狙い以上のものがあったのであり、そして甲斐さんの解釈は 想定されるその狙いと合致しているように思われるのである。参考までに省略された2行について、本Webページのマーラー作品の歌詞紹介のページで参照させていただいている最上先生の訳を 示すと、以下の通りである。
「一つだけお前に確実な財産がある,
それは墓,最後にニヤニヤ笑っているもの。」
(最上訳:出典は「マーラーの《大地の歌》─ 唐詩からの変遷 ─(第1~3楽章)」、香川大学経済論叢、第76巻第3号、2003年12月発行)
削除された部分のことなので、最終的な形態のみを問題にするのであればこれはルール違反だし、控えめに考えても過大視することは控えるべきかも知れないが、 マーラーの意図を想像する上で、また意図とは離れたレベルでも、テキストの水準で第3連が結果としてどうなったかを考える上では、 自作の詩句との入れ替えと併せて、やはりこの削除の影響を考える必要はあるだろうと思われる。
私が気になるのは、
(1)ここで"Grab"「墓」が出てくること。 これは勿論、第4連に繋がっていくイメージ。
(2)"das grinsende"について。「笑い」が出てきている。ニュアンスは違うが、いやでも第1連の"auflachend" と響きあうように感じられる。
という点である。いわば、原詩にある「死すべき人」と「墓」の「笑い」の応酬というファクターを落とした上で、
auf den alten Füßenを自作のund aufblühn im Lenzに置き換えてしまったわけだ。
内容上、本来は第3連も他の連と同じレベルにあったものを、マーラーはあえて、上記のような処理によってレベルを1つずらしたのだと考えることが できるのではなかろうか。その上で、第6楽章に向けての補助線を引き、埋め込まれた歌を第1楽章の題名とダブらせることと併せて、 今度は全曲を指し示すものであることを示唆する、という構造になっていると考えるのである。
しかも、実はマーラーが省略した2行は、ベトゥゲがNachdichtungの素材として用いたハイルマンのバージョンにも、ゴーティエのそれにも存在しなければ、 遡って「原詩」とされる李白の詩にも対応する部分がない、いわばベトゥゲの純粋な「創作」部分だというのも興味深い点かも知れない。 マーラーが「調査」の上でそうしたのではないのは伝記的な調査の結果を見る限り、ほぼ確実だから、取捨選択の動機が全く別であることは明らかだが、 マーラーは、ベトゥゲの創作のオリジナリティが発揮されている部分をいわば無意識に排除した上で、もしかたらこちらも無意識に、自分の若き日の 言葉に置き換えることで、この第3連を全曲の「核」として扱いたかったのだと思う。
こうして考えると、甲斐さんの解釈は非常に説得力があるものに感じられるが、私としては、最初の覚書で 「大地の歌」の理解においてポイントであると述べた「自己の有限性の認識」がまさにこの第3連で端的に述べられていること、しかもそれが 「永遠の大地」との対比で述べられていることが非常に印象的であり、まさに我が意を得たりと感じられたのである。
ところで、図と地の関係を考えた上で、第1楽章の第3連と、内容上それに呼応する第6楽章の末尾を同時に考えることは実に面白い。 第1楽章ではここが埋め込みになっている、つまり語りの内容になっているのだが、全曲を見た場合には、実はここで埋め込まれている方が レベルがいわば到達点になっていると考えられるからである。そこで、以下では少し寄り道になるが、「大地の歌」全体における「入れ子」「埋め込み」の構造、 語りの層の重層性について気づいた点を簡単に書き留めておこうと思う。
図と地ということで言えば、「大地の歌」でそれが端的に顕れているのは、これまたやはり終楽章の、一般には2つの詩を 間奏曲を介して連結したことに基づく人称の扱いであろう。前半では友との最後の別れを待つ「私」が語っているのに 対して、間奏曲の後では一旦、「友は馬を降り別れの杯を彼に差し出した」というように、語り手が第3者として登場するのだ。 そして、いわゆる自由間接話法におけるそれのように、「彼は(...)話した:」以降、彼の語りの内容として「私」が語るのである。 ちなみにここの部分の話法の処理もまた、ベトゥゲの詩に由来するのではなく、マーラーによる改変によるものであることに 留意すべきだろう。そしてその処理が単純にErとIchを入れ換えるといったもので無い点に特に注意が必要であろう。
管見によればこれを強引に「私」に統一して訳した例もあるようだが、私見によれば、誤りとまで言うつもりはなくとも、 それにより喪われるものの多さを考えた時に、そうした措置には強い抵抗感を感じる。これまでに見てきたとおり、ベトゥゲの 原詩に対してあえて各種の改変を行なうことで、マーラーは意図的に語りのレベルを重層化したと考えられるのであれば、 そうした措置は、控えめに言ってもマーラー自身の意図に添ったものであるとは言えないだろう。 第1楽章第3連からは些か離れるが、最終的には深い関係を有する点なので、そうした「意訳」に恣意的で主観的な 態度を感じることに対する裏付けとなる論拠を更に別に探すとなれば、例えばマーラーが管弦楽版の各楽章に与えた 題名の問題が考えられるかも知れない。
「大地の歌」には死後間もなくワルターにより初演された管弦楽版の他に、決定稿には至らなかったものの「ピアノ伴奏版」が 存在していて、作品の生成過程においては寧ろ連作歌曲のそれに近い点があることは、今日では良く知られるようになっている。 ピアノ伴奏版がサヴァリッシュのピアノにより日本で初演されたこと、初演や出版(国際マーラー協会版の補巻2)に国立音楽大学が 大きく寄与していることをご存知の方も多いだろうし、現時点では日本人演奏者によるものも含め、複数の録音によってピアノ 伴奏版を知ることもできるようになっている。
一方「大地の歌」の歌詞の成立に関しては、ここで問題にするベトゥゲの原詩に対するマーラーによる改変のみならず、 オリジナルの漢詩とベトゥゲの詩を繋ぐ一連の翻訳・翻案の系譜も詳しく調べられているのはこれまた周知の事実だろう。 そしてそれと併せて、上述のピアノ伴奏版と管弦楽版の歌詞の間にも差異が存在していることも、ピアノ伴奏版を調べれば 直ぐにわかることであり、このサイトでも歌詞のページで紹介をしている。
詳細は上記のページをご覧いただくとして、その差異のうちここで特に注目したいのは、題名に関して、ピアノ伴奏版ではベトゥゲの原題に
依っているのに対して、管弦楽版は特に第3楽章、第4楽章が「~について(von ...)」という形式になっていることである。
このvonは第一楽章の題名にも出現するし、全曲のタイトルの最終形でも残された。
これを例えば、第3交響曲の成立過程に存在した「~が私に語ること」という各楽章の「標題」と対比するのも興味深い。
これらは同じ6楽章で、楽章構成は丁度逆行するような構造になっていることなど、この2曲の比較は色々と興味深い点が多いが、
ここで扱うには大きすぎるテーマであるので、これについては稿を改めたいと思うが、ここでは語りの主体が誰であるのかという点が
問題で、vonが全曲のタイトルにも、第1楽章にも、そして第3,4楽章にも出現すること、そしてそれが原詩にあるものではなく、
マーラー自身が与えたものであることは、その観点からも留意されて良いことだと思われる。
こうした改変の方向について渡辺裕さんは「ブルックナー・マーラー事典」において「個別的・具体的なタイトルをより一般的・ 抽象的なものに変えようとする方向性」と特徴づけ、それを大地の歌における歌曲と交響曲というジャンル間の緊張関係の 問題に結びつけて、「最終的には交響曲の方に傾いていったマーラーの歩みを象徴的に示していると言ってよいだろう」と されている。あえて更にそれに付け加えるとすれば、ここで問題なのは「具体的な歌曲/抽象的な交響曲」という皮相な 対立なのではなく、タイトルをより一般的・抽象的なものに変えることが、上述の層の多重化、視点の多様化といった側面に 関わるからこそ、そうした改変がマーラーにおける交響曲の理念に沿ったものであると言いうるのだと思う。であればこそ、 マーラーにおいては歌曲でも管弦楽の伴奏が要求されるのだろうし、交響曲と歌曲という一見したところ対立するジャンルが かくも自然に融合しうるのだ。要するに重要なのは「大地の歌」が歌曲か交響曲かといった二者択一の問題でないのは 勿論だが、その2つのジャンルを対立し相容れないものとして創作の歩みを辿ることではなく、その両者がその都度どのような 緊張関係のうちに均衡点を見出しているかの具体的な様相を突き止めることのはずである。そうでなければ「大地の歌」の ようなケースは例外的なものとして否定に扱うしかなく、その個別性を扱うことはできないだろう。
図の中に地を更に埋め込むという騙し絵的なやり方は、ジャンルを問わないマーラーの特質であると考えられる。勿論それが すべての作品に観察できるというわけではないが、それが歌曲なり交響曲なりの一方のジャンルに固有の特徴であるということは ないように思われる。ここで論じている「大地の歌」では、それはまずもって歌詞のレベルでの操作だが、実際には歌詞のない 器楽曲の構造のレベルでも、そのような入れ子構造はあちらこちらに見られる。 その最も著しい例は第4交響曲だろう。またこの入れ子が、例えば「子供の魔法の角笛」歌曲集におけるあのイロニーと密接な関連を 持つことも留意されてよいだろう。
いずれにせよ、再び「大地の歌」に戻れば、丁度エンブレムのように最初は第1楽章においては作中の歌として提示された第3連の内容が、 第6楽章に至って反転して語り手のレベルであることが判明し、最後はその語り手のレベルに漂ったまま終わるというのは、 実に鮮やかでマーラーらしい着想であると思う。
要するに「現世の苦についての酒宴歌」は、第1楽章の題名であり、第3連の歌のことでもあり、そして、全曲のタイトルでもあるのだ。 第3連はマーラーのバージョンにあっては、意味の核を為していて、それだけに、ここを浮かび上がらせる甲斐さんの試みには 説得力を感じたのである。
ちなみに、この「入れ子」の最も整合的な解釈は、実は第1楽章が一番外側にあるのだ、というものであろう。(もしかしたら誰かが言っているかも 知れないが、サーベイができていない。ご存知の方がいらしたらご教示いただければ幸いである。)
つまり、第6楽章で図と地の反転があるのではなく、素直に第6楽章の終結部は、第1楽章第3連と同じレベルであると考えるのだ。すると「大地の歌」の全体構想は、最低でも3つ程度の層構造になっていることになるだろう。その層を特定するためにはより詳細な検討が 必要だろうが、例えば考えられる1つの仮説として、以下の様な想定を出発点に吟味していくことが考えられると思う。
レベル1:第1楽章の第1,2,4連、第6楽章の後半の「語り」のレベルや間奏曲(前奏やそれに続くレシタティーヴォも含む)
レベル2:第1楽章の第3連、第6楽章の「私」の語る内容部分、終結部分、中間楽章の「話者」、総じて「について」の想定される語り手のレベル。
レベル3:中間楽章の内容。時間的には「過ぎ去ってしまったもの」
実はこれは当初甲斐さんに送った私信における仮説とは、第6楽章に関して多少の違いがある。既に述べた間奏曲によって隔てられた前半と 後半の人称の分裂をどのように考えるかが問題になる。ここでは調的配置などを考慮に入れて、冒頭のゴングの響きやそれに続くレシタティーヴォ、 それらに対応する後半の間奏曲とレシタティーヴォといった調的にハ短調をとる部分は、レベル1に属し、その後「私」の進入とともにレベル2に 降りた音楽が、間奏曲によって一旦外側のレベルの介入を受け、そのまま後半部分ではレベル1の水準で進んでいき、Er sprach以降、 レベル2に再び移行して終結部分に至るまで、第1楽章の第3連と同じ水準で最後にいたると考えた。
また、上では中間楽章を一括りにしてしまっているが、厳密には第5楽章のレベルが第3,4楽章と本当に一致しているのかは検討の余地がある だろうし、第2楽章についてもそうだろう。あるいはもっと単純に、中間楽章を1レベル深く埋め込まれたと考えずに、全体を2層構造で考えることも 可能かも知れない。要するに上述のレベルはあくまでも検討の出発点に過ぎず、これを結論として主張するつもりはない。後述する調的な 配置の問題も併せて考えることで、今後、中間楽章、とりわけ第2,5楽章の位置づけについては更に考えていきたい。
もっとも、それでも第2,5楽章のレベルについての検討の余地はあっても、中間楽章が1レベル深く埋め込まれているという感覚は否定し難い。 そしてそれは、マーラーが第1楽章のタイトルを全曲のタイトルに考えていた―厳密にはTrinkliedそのものではなく単にLiedとした上で、ではあるが― という事実とも全く矛盾しない。まさに第1楽章が「枠」を構成していて、マーラーの天才的なところは、その「枠」に戻らずに、レベル2で曲を 解き放ってしまった点にある、という言い方ができるだろうか。
勿論、大地の歌の巨視的な構造に関しては様々な議論があり、上記の仮説とは一見して相容れないものもある。 例えば柴田南雄さんは「大地の歌」全曲の中心を第4楽章、さらにはあの騎乗を模したとされるその間奏部に置き、 そこを軸としたシンメトリーになっているとお考えのようである。この見方をとる場合には、第6楽章を二つに分け、前半を第2楽章と、 後半を第1楽章と対称と捉えるのである。柴田説は「大地の歌」のみならず、マーラーの交響曲全体、ひいてはより巨視的な音楽史的な パースペクティブからこのシンメトリーを捉えておられ、曲への接近の姿勢が異なることもあって、歌詞の叙述レベルのようなミクロな視点は そもそも考慮されていない。だがそれだけでなく、第6楽章においてまさにそれを間奏曲を介して1つの楽章に形成したという観点からも、 その結果生じた、前半5楽章とその合計に匹敵する長さをもった第6楽章というバランスを考えても、あるいは後述する全曲の調的配置の観点からも、 そこに隠れたシンメトリーがあることを否定することはなくても、そこから漏れてしまうものの大きさを考えるにつけ、シンメトリー構造は「大地の歌」という 複合的でかつ総体としてはユニークな構造を持った作品の一面に過ぎないのではという感じを拭えない。
否、マーラーの交響曲一般に議論の対象を広げた場合でも、シンメトリーの存在が際立った特徴になっているとはいうのは確かであっても個別の様相は 一様ではないし、内容や長さが異なるものを並べたり、Teil(部)という上部構造を導入したりというように、マーラー個人の様式を特徴づけるのは、 複合的な構造の重ね合わせや、楽章間の関係の非因習的な関連づけにあるように私には思われる。そもそもマーラーの単純な反復を忌避する 嗜好や、その音楽の極端に時間的に展開してゆく動的な性格は単純なシンメトリーに対立し、緊張を齎す契機であって、 それは調的配置によっても裏付けることができるだろう。結局冒頭に戻るような円環的な時間からマーラーほど隔たったものはない。 東洋的と言われ、内容上、春の訪れの反復を齎す循環のうちに永遠性を見出すかに見える「大地の歌」もまた、地上の悲惨さの認識からそこへと至る 心的過程こそが楽曲の実質であり、永遠性に与れない有限で儚い自己の限界の認識がそこには厳として存在することを思えば、 寧ろ私はその過程が形作る層の構造の方に注目したいのである。
そしてここで議論している層構造はそうしたマーラーの作品の中でも、とりわけ多楽章よりなる交響的作品の際立った特質の1つだと思われる。 マーラーが愛読した「カラマーゾフの兄弟」などを思い浮かべても良いが、アドルノも指摘しているように、こうした発想は長編小説のそれに近いように思われる。 そしてこの特質は、ヘルシンキでシベリウスに語った言葉や、あるいは遡って、はっきりと自分の作品のあり方を自ら認識することになった 第3交響曲作曲時に語られたという、あの"Symphonie heißt mir eben : mit allen Mitteln der vorhandenen Technik eine Welt aufbauen."という 有名な言葉と密接に関係するのだろう。 マーラーは多楽章構成に最後まで拘ったし、更にそれらを平面的に布置するのに飽き足らず、それにかぶせるようにTeilというまとまりを上位に 与えることもしている。それは当初は交響詩と呼んでいた第1交響曲の初期稿の段階から、未完成に終わった第10交響曲に至るまで 一貫していると言って良いと思う。第8交響曲のように上部のTeilのみが残って楽章が無くなるケースも、そうした多楽章構成に対するマーラーの 試みだし、一方で楽章の内部で複数の層を重ねたり、楽章の開始と終了の層をあえて変えたりという試みも、多楽章形式への拘りと 表裏一体なのだ。多楽章形式は結果として視点の複数性、自己認識や反省のための空間の確保を可能とし、マーラーの音楽を、 自己意識の音楽として捉えることを可能にしていると考えられる。
そうした多楽章形式による「世界の構築」への拘りは、微視的にはこれまたアドルノが提示したVarianteの技法によって支えられているのだろうし、 あるいはまたマーラーが対位法について語ったアイヴズを彷彿とさせるような発言と関係するだろうが、恐らくそれと最も明確に関係しているのは、 これまたしばしば取り上げられる調性配置ではないだろうか。調性配置では、Dika Newlin以来の発展的調性(第5交響曲に典型的に見られる)に 関する議論が有名だが、上記のような層の問題として捉えた場合には、第3交響曲第1楽章の伝統的なソナタ形式からすれば破格の調性配置 (そこでは「再現」の持つ意味が従来のものとは実質的に異なったものにされている)や、第6交響曲の中間楽章の順序にまつわる議論、歌曲を 末尾に持つ第4交響曲や一見したところシンメトリカルでありながら内容上はバランスを欠いている様に見える第7交響曲のそれのような因習的でない 構想をどう評価するかといった問題に密接に関係するように思われる。
だがここでは「大地の歌」を扱っているわけなので、歌詞内容の側面との比較を念頭においた上で、調性配置の観点から、大地の歌の作品全体の
層構成について、ひいては甲斐さんの解釈について簡単に考えてみたい。そのとき直ちに思い当たるのは以下の点ではなかろうか。
(A)これはよく指摘されることであるが第1楽章の第1,2,4連の末尾のあのDunkel ist das Lebern, ist der Todというルフランは調的な主音が半音ずつ上昇する
(ト短調―変イ(短)調―イ(短)調)。出発点はマーラーの「悲劇の調」であるイ短調。第3連はそのなかで「括弧に入った」 部分である(調性はヘ短調)。
ちなみに、第3連の扱いをソナタの展開部に対応づける議論があるが、私はこれは留保をつけたいように感じる。確かに第1楽章の調性配置の
巨視的なシェマはそうかも知れないが、それだけで割り切るのは、この歌曲=交響曲の複合的な構想を単純化したものに感じられるからである。
それを端的に示すのが、上記のルフランの扱いではなかろうか。なお、上記のルフランで(第6交響曲のモットーを連想せずにはいられないが)第3音が
ぼかされて、長調・短調の感覚が曖昧にされている点にも注目すべきだろう。
(B)全曲終結は、ハ長調で全曲の開始調の平行調だが付加6の効果で、長調・短調の対立が宙吊りになり、かつ、トニカでの解決が放棄される。
これは、詩の内容の層構造上、レベル1に戻らずに中間のレベル2で終わってしまうことと釣り合っているように思われる。
そもそもフィナーレである第6楽章はハ短調で開始される。これもまた嫌でも第6交響曲を思い浮かべざるを得ないが、前半では小川の描写になる部分で
ヘ長調に転じる。異なるのはその後イ短調を経て、これまたマーラーによって差し替えられたO Schönheit! O ewigen Liebens - Lebenstrunkne Welt!という
歌詞で頂点に達する部分が変ロ長調をとるのに対し、後半の対応する部分、即ちコーダではハ長調をとることである。(なお、第6楽章の調的構造に関しては
長木さんの「グスタフ・マーラー全作品解説事典」の記述には個人的には疑問がある。ここではより妥当と思われたHeflingに従った。)第6楽章だけに関して言えば
終結部分は同主調であるということができる。結果的に第1楽章第3連がフラット4つのホ短調/変イ長調、第6楽章前半の頂点がフラット2つの変ロ長調、そして最後が
ハ長調・イ短調を宙に吊った付加6の和音という配置になっているのだが、これにどのような意味づけが可能かについては残念ながら現時点では
何ともいえない。今後の課題としたいと思う。
(C)コーダにおける付加6も含め、イ短調ともハ長調ともつかない曖昧な感じは、実は全曲を支配する基本動機に由来している。これがいわゆる5音音階に 一致することもまた良く指摘されることだが、だとするといわれるところの「東洋趣味」の調的な設計上の寄与を測ることは、中国への依拠を「仮晶」と とらえたアドルノの観方とともに検討してみる必要があるだろう。
更に「大地の歌」全曲の調的配置と層構造の関係については興味深い点が数多くあるが、ここではそれらを指摘することしかできない。
例えば、イ短調の開始に対して同主調を探すと第5楽章がイ長調であることに気づく(もっとも既に第1楽章の末尾のルフランの部分で、一旦
音楽はイ長調に到達しかかるのだが)。これは第6楽章の位置づけを考える上で重要な点だと
思われる。また第6楽章前半の「私」の語りの内容部分で採用される変ロ長調は第3楽章の調性でもあるのだが、それだけではなく、第1楽章の
揺れ動く調性の中で、アトラクター的な極をなしていることも注目されてよいかも知れない。そしてこの文章の主題であった第1楽章第3連が
含まれる展開部のヘ短調という調性は、直前のルフランの変イ調と密接な関係にある(変イ長調となら平行調)。さらに第2楽章のニ短調という調性は、
一見したところ第1楽章で提示された調的組織から離れているように見えるが、第3楽章がフラット2つの変ロ長調であることを考えると、
イ短調―フラット1つのニ短調―フラット2つの変ロ長調という流れが見出せる。実際第2楽章の内部でも対比セクションに変ロ長調が出現する。
第2楽章のクライマックスは変ホ長調だが、ニ短調―変ホ長調という関係は、第6楽章の変ロ長調が出現する直前のレシタティーヴォがイ短調(!)を
とることを考えると、実は並行した関係にあることがわかる。(基音が半音上がって長調に転じている。)etc...
検証は今後の課題であるし、仮にできたとしてもあくまでも傍証に過ぎないだろうが、上記のような調的な配置についてもまた、 第1楽章第3連についての甲斐さんの解釈や層構成の仮説と、少なくとも矛盾しない説明が可能であるように感じられる。調的配置については 単純にあるパートがどの調で書かれているかだけでなく、転調の問題、即ち各パートの繋がり具合も考えなくてはいけないことを思えば、 層構成についても、それを静的なものとして、単純に第1楽章第3連と第6楽章コーダの歌詞の共通性や、詩の上での叙述のレベルから 考えるだけでは不十分で、どこから何を眺めているか、といった把握の仕方が必要かも知れない。
そもそも調性配置については、特に音楽の聴取のレベルでの心理的な効果については実証的には疑問が呈されることもあるだろう。対象となっているのが局所的な 転調による対比の効果といったミクロなものではなく、マクロな布置の問題であることもあって、とりわけマーラーの音楽のような物理的に長大な持続を持つ 音楽の場合は尚更かも知れない。だが、実証的な証明は困難であっても、そして楽譜を調べ、知識としてそれを知っていることによるバイアスに起因する 部分が多くあったにしても、歌詞の扱いと楽曲の構造のこのような対応は、聴取によって受ける印象と少なくとも矛盾するところはないように思われる。 例えば上述の層構造についてはそもそも明確で唯一の正解というのはないのかも知れないが、だからといってそうした層の存在を聴取の際に感じるという 事実の方は残る。
そしてまた、翻訳において、これを意識するかどうかは別の問題だろうが、甲斐さんご指摘のとおり、こうした語りの層は、それがあること、つまり語り手の 存在に言及されることは(例えば第6楽章に関しては)あっても、きちんとした議論は、管見では見たことがない。ましてや第1楽章第3連に 関しては、指摘されれば全く自然に思われるにも関わらず、そのような指摘は寡聞にして知らない。 従って、そうした層を第1楽章において的確に探り当てられ、それを翻訳の上でも示すのは、大変に意義あることと思われたのである。 少なくとも私個人にとっては、甲斐さんの翻訳の改訂のプロセスにお付き合いさせていただいたのは、その過程で浮かび上がり、背景に後退する 意味の層の運動を眺めることに他ならず、実に貴重な経験だと感じたし、自分が大地の歌に対する理解を深める上で得難い経験をさせていただいたと 感じている。
(2008.1.14,19初稿作成, 20補筆・修正, 2.23補筆・修正)2007年5月31日木曜日
「大地の歌」における"Erde"を巡る検討のための覚書 ―甲斐貴也訳「大地の歌」によせて―
マーラーに関して私は、交響曲だけではなく、それ以外の歌曲や「嘆きの歌」に ついても、その全体像を考える上で欠かせないと感じてきたし、そうした思いは ますます強くなってきている。一般にはマーラーは第一義的には交響曲作家であり、 また勿論そうした見方は間違っていないが、だからといって歌曲の重要性が 看過されるべきではないだろう。
常にあってはかけ離れた、相容れないとすらいえるような二つのジャンルの間の融合は、 歌曲の旋律の交響曲での引用、交響曲楽章への歌曲への嵌め込みを経て最後には「大地の歌」と いう交響曲的な構想をもった連作歌曲集へと至る。しかし歌曲の側でも、さすらう若者の歌、 子供の死の歌といった連作歌曲の流れがあってこそ、大地の歌のようなユニークな 形式が生み出されたのだと思われる。
交響曲に関して論争になる「標題」「プログラム」の問題についてもまた、それを直接云々する前に 歌曲において歌詞がどのように扱われているのかを考えずして議論するのは 随分と片手落ちではなかろうか。削除された「標題」や、作品の「説明」のために 書かれた文章と作品との関係の微妙さに比べれば、歌詞はとにかく、控えめに言っても 作品の直接的な素材であり、直接「標題」を云々する手前で、まず歌詞と音楽との関係を 考えることで浮かび上がってくることは色々とありそうである。
そして、そういう意味でも「大地の歌」はその作品の要石のような位置にあるように感じられる。 例えば、Dika Newlinが、マーラーの交響曲において2つ以上の歌詞付楽章がある場合には、 2つとも同じ作家のものは使われない、という大変に興味深い指摘をしているが、 「大地の歌」は、ここでもまた、ベトゲのNachdichtungとして考えれば連作歌曲、 李白他の中国の詩人の詩作への付曲と考えれば交響曲といった具合なのである。
これは歌詞と音楽との関係ではなく、寧ろ構想の水準の問題だが、勿論、歌詞と音楽との 関係と密接に結びついているのは確かで、それゆえ、例えばマイヤーが「音楽と文学」でマーラーの態度を 「簒奪者」と規定したのは、その説の当否はおくとしても、それなりの根拠あってのことには違いなく、 これに対するシュライバーの反撥には誤解が含まれているように感じられる。実際のところはそこに文学側から 眺めるか、音楽側から眺めるかの対立を読み取るのが妥当なのかも知れないが、それは少なくとも 私にとってはどうでも良いことで、問題はあくまでマーラーにおける言葉と音楽との間の緊張関係の 具体的なありようの方なのだ。
そんなことを考えている折、 梅丘歌曲会館で 甲斐さんが以前訳された「大地の歌」の訳を改訂されている(2007年6月稿)のに気付いて、 改めてその翻訳を熟読させていただいた。 そして、とりわけErdeという語の翻訳に対する繊細な配慮に感じ入るとともに、 その中でも第1楽章の題名について「地上」と訳されたことに強い説得力を感じたのである。 この文章で私もまたそうしているが、Das Lied von der Erdeは「大地の歌」と 訳す慣習になっている。だが、こと第1楽章の題名についていえばJammer der Erdeとは、 ずばり「地上の悲惨さ」とでも訳すのが適切に感じられたからである。 甲斐さんもまた、私が書き込んだコメントに対して、曲名を「大地の歌」としたことは 慣習への妥協である、とはっきり述べられている。
と同時に、だとしたら、他の部分、とりわけ第6楽章末尾のあのマーラーが 追加した歌詞のDie liebe Erdeはどうなのか、全曲のタイトルはどうか、というように、 この「大地の歌」全体でErdeという言葉で捉えられているものが何なのかを 改めて自分なりに考えてみたい気持ちになったのである。
ここに記すのは、その検討の結論ではなくて、むしろ検討の前準備のための 覚書である。思いつくままに視点を書き留めてみて、Erdeとは何かを考えることは、 実はマーラーを理解する切り口として決して周辺的ではないし、些事拘泥では ないという感じが強くなってきて、それゆえに却って簡単に結論が出せるような 問題ではないということが認識された、というのが正直なところである。
Erdeをどう訳すか、といった翻訳の問題から辿るのは本末転倒だと言われれば それまでだが、自分が抱いているイメージがその翻訳で変わってしまう気がするだけに、 私にとっては無視できないし、翻訳に込められた解釈は、まさに作品をどう捉えるかの 直接的な反映に違いない。しかも、この場合に限って言えば、漢詩のドイツ語への翻訳、 より正確には、エルヴェ・サン・ドニやユディット・ゴーチェの仏訳やハイルマンの独訳を経由した うえでの更なるベトゥゲによるNachdichtung、そしてさらにその上にマーラーその人による 決して無視することのできない改変という過程があって、その過程では狭義の翻訳の 問題には収まりきれない変形・変換が介在しているのは確かなのであるし、しかも、 マーラーの場合は、それを単に文化的な潮流、時代の流行としてのオリエンタリズムに 還元するのは、時代の文脈にマーラーを位置づけることによって適切な遠近感を 取り戻すという意義は認められても、かえってマーラーが持っていた疎外の意識、 アドルノがPeudomorphoseという語によって捉えようとした存在の様態を損なってしまう危険が あるのであってみれば、「翻訳」の問題は、決して副次的な問題ではないのだ。 もっと言えば、別にマーラーでなくても、歌詞つきの音楽でなくても、日本人が異国の音楽を 受容するに際しては何らかの(無意識的な)「翻訳」が為されているに違いないのである。 そうした幾重もの屈折を経て、あるいはそうした屈折を潜り抜けて、私がマーラーの音楽から 受け取ったと感じているものが何なのかを改めて考えてみようとした時に、Erdeという語の 翻訳という、一見些細に見える切り口を通して垣間見える展望は、決してトリヴィアルなものでは ないようだ、というのが偽らざる感覚なのである。
本当は、甲斐さんとの対話をしていきながら考えていった方が、自分独りでやるよりも ずっと深い理解に辿り着けそうなのだが、あいにくブログのコメントは字数の制限なども あって、こうした検討には向いていない。ブログのコメントには不適切なテーマという ことでまずは覚書を書く事にした次第である。そんなわけで、きっかけを与えて くださった甲斐さんに感謝の気持ちを申し上げたい。また、甲斐さんの訳業に比べて、 私の文章は、随分とまとまりのない、つたないものであることをお許しいただきたい。
以下に甲斐さんのお許しを得て、本稿で扱う2007年6月稿の第1楽章の歌詞の翻訳を転載する。 注も含め、甲斐さんご自身のものをできるだけそのまま転載したが、ドイツ語原文の明らかな誤字は 訂正させていただいた。
なお、甲斐さんも述べられているように、マーラーが曲をつけた詩は(マーラーについては「いつものこと」 ではあるが、)原詩そのものではない。第3連の改変を始めとして、この点についても興味深い論点が幾つも存在するが、 本稿はあくまでマーラーが曲をつけた詩における"Erde"という語に対象を限定することとし、 そうしたマーラーの改作にまつわる問題は別稿で扱うこととする。(2007年10月現在準備中。)
交響曲「大地の歌」より
詩: ベートゲ(Hans Bethge)
訳: 甲斐貴也(2007年6月稿)
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黄金の杯には既に酒が満ち我らを誘う だがまだ飲むな、その前に一曲歌いきかせよう! この悲嘆の歌をお前達の心に哄笑のように響かせたいのだ やがて嘆きの時が迫ればその心の園は荒れ果て 喜びも歌も枯れ萎むのだから 生は不可解だ、そして死も! この家の主よ! その酒倉は黄金色の酒が満ちている そしてここにはわたしの琴がある! 琴は掻き鳴らされ、酒盃は飲み乾されるのが それぞれにふさわしいこと 酒で満たされた杯があるべき時にあるならば その価値はこの世のどの王国にも勝る! 生は不可解だ、そして死も! 天空は永遠に蒼く 悠久の大地は春来たれば花咲く だが人よ、お前達はどれだけ生き永らえるというのだ 儚い戯れに過ぎぬ浮世の楽しみさえ 百年と許されぬではないか! あれを見ろ! 月明かりの墓の上に蹲る 亡霊のような獣の姿を あれは猿だ! 聴け、生の甘美な芳香を 鋭く引き裂くその叫声を! さあ盃を取れ、今こそその時だ! この黄金の杯を飲み乾すのだ! 生は不可解だ、そして死も! ~李太白による~ |
Schon winkt der Wein im gold'nen Pokale, doch trinkt noch nicht,erst sing' ich euch ein Lied! Das Lied vom Kummer soll auflachend in die Seele euch klingen. Wenn der Kummer naht,liegen wüst die Gärten der Seele, welkt hin und stirbt die Freude,der Gesang. Dunkel ist das Leben,ist der Tod. Herr dieses Hauses! Dein Keller birgt die Fülle des goldenen Weins! Hier,diese Laute nenn' ich mein! Die Laute schlagen und die Gläser leeren, Das sind die Dinge,die zusammen passen. Ein voller Becher Weins zur rechten Zeit Ist mehr wert,als alle Reiche dieser Erde! Dunkel ist das Leben,ist der Tod! Das Firmament blaut ewig,und die Erde wird lange fest steh'n und aufblüh'n im Lenz. Du aber,Mensch, wie lang lebst denn du? Nicht hundert Jahre darfst du dich ergötzen, an all dem morschen Tande dieser Erde! Seht dort hinab! Im Mondschein auf den Gräbern hockt eine wild-gespentische Gestalt! Ein Aff ist's! Hört ihr,wie sein Heulen hinausgellt in den süßen Duft des Lebens! Jetzt nehmt den Wein! Jetzt ist es Zeit,Genossen! Leert eure gold'nen Becher zu Grund! Dunkel ist das Leben,ist der Tod! ※第三連で後半3行を省略し、A+A+B+Aの形にするなど、マーラーによる改変がかなりあります。省略された部分は下記の通り。 [Nur ein Besitztum ist dir ganz gewiss: Das ist das Grab,das grinsende,am Erde. Dunkel ist das Leben,ist der Tod.] |
さて、Erdeが「大地」ではなく、「地上」「浮世」と訳しうるということで私が 関連して思いついたのは、これまた甲斐さんにコメントさせていただいたとおり、 Wunderhornliederにおけるirdische/himmelische の対立である。よく知られていることだが、 これはいずれも原詩の題名ではなく、したがってこの対立はマーラー自身が持ち込んだものである。 第4交響曲の終曲に位置づけられたDas himmelische Lebenの原題はDer Himmel hängt voll Geigenであり、 これはこれで、第2楽章の死神ハインのフィデルを否でも連想してしまうという点で、 その詩の内容を考えたときに意味深長だが、 ここではVerspätungという原題を持つDas irdische Lebenが第10交響曲の煉獄の楽章に 関係していることの方が、晩年のマーラーを考えるに際して一層示唆的だろう。 要するに、ErdeはHimmelの対立項であり、寧ろ「世の成り行き」Weltlaufがそこで容赦なく経過する 場所、第4交響曲に即して言えばdas Irdishce meiden / weltlich'Getünmmelなのである。
だがこの点についての最も大胆な指摘は、長木さんが「全作品解説事典」の「大地の歌」の項で書かれている 内容ではなかろうか。長木さんは上述のHimmelとの対立を指摘された上で、 「大地の歌」というのが誤訳ですらありえ、「この世の歌」「俗世の歌」とした方が良かったのではと書かれている。 村井さんもまた、新しいマーラー伝の作品論の「大地の歌」の項の末尾で「大地の歌」はDas Lied von Himmelである 第4交響曲に対して、「地上の歌」「浮き世の歌」であるとしている。
私もこの見方には大筋においては賛成である。そして、こうした見方を傍証する事実として、例えばジルバーマンの「マーラー事典」の 「大地の歌」の項でも触れられているように、マーラーはもともと全体の題名を、第1楽章の標題に基づいて Das Lied von Jammer der Erdeにしようと考えていたことがあげられるだろう。
しかし、だからといってそれだけをもって全曲の構想をはかることは些か性急に過ぎるだろう。まずもって第1楽章と第6楽章の間の 距離を測る必要があるだろうし、甲斐さんも適切に指摘されているように、第1楽章の歌詞中ですら3箇所Erdeという語が 出現していて、 alle Reiche dieser Erde / die Erde wird lange fest stehen und aufblühn im Lenz /dem morschen Tande dieser Erde という具合なのである。2つ目は寧ろ第6楽章の末尾のDie liebe Erdeと響きあうものがある。 甲斐さんは「この世」「大地」「浮世」と訳しわけられているが、曲名の「地上」と併せて 4種類の訳語を使い分けられたこの選択の説得力には多くの方が同意されるのではなかろうか。
「大地の歌」は非常に有名な曲なので、国内盤のCDにつけられたものなどを含めれば、 その歌詞の翻訳は実に様々なものがあるだろう。残念ながらその全てを調べることは 今の私にはできない(寧ろこれはCDを蒐集して居られる方の方が適任かも知れない)が、 例えば、恐らく「スタンダード」の一つとして考えることができる深田甫訳のあるバージョン (というのも深田訳には複数のバージョンがあるようなので、ここでは私の手元にある 長木「全作品解説事典」所収のもの)を参考までに調べてみると、やはり、第1楽章の曲名は 「地上」、最初は「大地」(これは多少意外だが、実に巧みに「大地」という訳語を使われている。)、 2番目は「大地」、3番目は「地上」といった具合で、「地上」と「大地」を使い分けて おられるのが確認できる。これだけの例から一般化するのは避けるべきだろうが、少なくとも「地上」「大地」を 区別することが文脈上自然なことは異論の余地はないだろう。
ところで甲斐さんの用いられた「浮世」というのは、まさにDas irdische Lebenにぴったり 来るが、更には、第1楽章のルフランである Leben / Tod の対立(もっとも、 歌詞は、dunkelなのはどっちも同じだと言っているのだが)とも響きあうところがあるだろう。 つまるところ、Erde / Himmel は、Leben / Todと並行しているという見方がまずは成り立ちそうに 見えるのである。
III.
その一方で第6楽章のDie liebe Erdeの部分の歌詞はマーラーが書いたもので、 しかも若き日に書いた文章に由来していることもまた併せて考える必要があるのではなかろうか。 これも良く知られているように「大地の歌」の第6楽章の歌詞には、若き日のマーラーの友人への手紙や 詩作に出てくる言い回しと非常に似通っている部分があり、ここでマーラーははっきり自分の青年期に 回帰していると言い得るのである。
一般に言って、マーラーが晩年(といっても50歳くらいなのだが)になって、 壮年期の「世の成り行き」との葛藤から一歩身をひいて、「大地の歌」と第9交響曲で 個体としての限界と率直に向き合ったときの姿勢には「この世に忘れられる」ことの 安らぎと、あるいはもしかしたら「嘆きの歌」で描かれた眠り、 「さすらう若者の歌」の若者が終曲で旅立つことで手に入れる眠りのあの、 不思議な甘美さと通じたものがあるように思われる。
「大地の歌」と第9交響曲においては、カトリックとゲーテに依拠した第8交響曲とは 異なって、憧れが既成の宗教的なものとはっきりと切り離されているが、そこでErdeは、 一方では苦悩に充ち悲惨なものでありながら、同時に憧憬の対象ともなっているのである。
こういう言い方をすると、「それは読み違いであって、(多くの翻訳が示すとおり)もともと2種類のErdeがあるのだ、 それを混同するからそのような混乱した見方になるのだ」という批判が出てくるかも知れない。
だが本当にそれは別々のものなのか。私には、それが実は同一のものなのだという認識こそ、 マーラーの晩年を特徴付けるものではないかというように感じられてならないのである。 勿論、第1楽章のルフランで Leben / Tod が同じものと捉えられるのも、それと並行していると 考えるのである。
そういう意味では、「大地の歌」という訳が誤解を招くものであることには同意できるが、 だからといって、長木=村井説のように、Himmelの対立項としての「地上性」「浮き世」という側面のみを 強調するのも、行き過ぎであると思う。(もっとも両者の書き方には、従来説に対する差別化の意図があって、 強調はレトリカルなものであるととるべきなのかも知れないが。)あくまで、私は、―かつての第4交響曲でも 本来コントラストをなすべき第2楽章と第4楽章が不思議な仕方で通底していて、第1楽章の「夢のオカリナ」 の少し先には第5交響曲の冒頭への通路が口を開けていたように―「大地の歌」においても、 かつては対立と捉えていたものが、もはや単純な対立とは捉えられなくなったという点、かつてはDurchburchの 契機によって目指されていたものの仮象性への認識を重視したいのである。
またあるいは、これがマーラー晩年固有の認識であるという主張には異論があり、 寧ろその点ではマーラーは一貫していたのだ、という意見もあるかも知れない。 確かにそうした主張にも首肯できる部分があるのだが、実際にはもう少し個別には入りくんでいて、場合によっては 矛盾さえ見出せる様相を呈している、というのが実態ではないかと思われてならない。作品の様式の変遷、 マーラーその人の認識の変遷もあるし、個別のある時点の断面での認識を切り出したところで、その内部では 隅々まで一貫しているとは限らない、ことマーラーの場合については、そうではない、というのが私の素朴な印象である。
そうした両義性、単純な対立でも、対立の止揚、解消でもないようなErdeに対する見方ということについて、 音楽そのものの様態から何か手がかりを得ようと思えば、例えば、大地の歌のコーダのあの有名な付加6の和音の 機能を考えてみればよい。(なお村井さんは、何故か「増6度和音」と呼んでいる。私は和声学について正規の教育を 受けたわけではないが、ドッペルドミナンテの第5音(ラ)を半音下げた下方変位の和音のうち、第2転回形を増6の和音と 呼ぶのは聞いたことがあるのだが、付加6を「増6度和音」と呼ぶようなことがあるのだろうか。ご存知の方のご教示を仰ぎたい。) 一般に付加6はIよりもIVにその機能が近いといわれているが、そうした機能を考えると、実は歌曲を眺めたとき、全く同じ和音 (ここでは付加6)ではなくても、似たような終わり方をする曲は他にもある。 私が思い浮かべるのは2つあって、そのうちの1つはWunderhornliederのDer Schildwache Nachtliedで、 アドルノも指摘しているが、ここでは変ロ長調の属7和音の変形(CをDに置換する)によって、音楽は開かれたまま終わる。 勿論、結局はそれぞれの場面での終結の意味が問題なのだが、それでも一体どのような種類の 歌詞につけられた曲であるかを考えることは、恐らくヒントになるだろう。男女の対話を歌詞に持つこの曲は、最終節に 至って真夜中の闇の中に消えてゆくのである。マーラーはここでも歌詞に手を入れていて、Feldwachtという単語を 引き伸ばして歌わせて終わる。MitternachtといえばRückert LiederのUm Mitternachtが思い浮かぶが、それよりも、 ここではまずもって歩哨兵を意味するFeldwachtという単語から、真夜中に目覚めているもの、というこれまたマーラーでは お馴染みの、しかも恐らく非常に重要なイメージを連想することができるように思われることの方が私には興味深い。 無論、それはあのRevelgeにも通じるし、翻って「大地の歌」の終結部とも通じるものがあると感じられる。
だが、実はRückert LiederのIch atmet'einen linden Duftの方がもっと直接的だ。ここでは終結としてまさに付加6の 和音が用いられているし、チェレスタも響けば、「さすらう若者の歌」の終曲の眠りを包み込む菩提樹の香りLindenduftまで 隠されているのだから。この曲については後ほど、チェレスタの使用に関連して、Rückert Liederの他の曲も含めてもう一度 取り上げてみたい。Der Schildwache NachtliedでUm Mitternachtに言及したが、Ich atmet'einen linden Duftの 方は、Ich bin der Welt abhanden gekommenに触れずに済ますわけには行くまい。
もっとも、青土社「音楽の手帖」所収の深田論文のように「大地の歌」第6楽章のコーダの付加6の和音を「調性からの別れ」とするのは、 幾らなんでも飛躍が過ぎるように感じられて、私には受け入れられない。恐らくは ベルクやツェムリンスキーへの影響などもお考えの上での主張なのだろうし、 その後の第9交響曲、第10交響曲の歩みを考えた場合、汎調性から無調への流れのうちに このコーダを位置づけることはできるだろうが、この地点に調性との「告別」を認めることには 私は同意できない。ことは比喩や連想で済む話ではなく、マーラーにもドイツ文学にも造詣の深く、この文章でも 参照させていただいた素晴らしい翻訳をされている先生の発言だけに、首を捻ってしまう。所詮は素人の私が 見落としている何かがあるのかも知れない、否、そう考える方が「自然」かも知れないのだが、、、この点については、 「ブルックナー・マーラー事典」の「大地の歌」の項で渡辺裕さんが述べられている見解の方が納得できる。(ただし、 同意できるのはそれまでであって、マーラー個人の「晩年」の状況より、時代の精神風土との結びつきを重視する 姿勢には同意できない。どんなに控えめに考えても、後者が前者を否定することはないだろうし、これまた 戦略的にそうしている面はあるだろうが、後者に力点をおくことは、ことマーラーの場合に限っては、最終的に適切でない、 というのが少なくとも現時点での私の考えである。)
ただし、マーラーがシューベルトの後継者であることを告げるあのmoll-Durの 自由な交代、遂には第6交響曲において最も端的なモットーとして結晶した あの移行についてのある種の止揚であると取れないこともないだろう。 勿論、ここで起きているのは、第3音の下降による同主調間の移行そのものではない。 だが、例えばヴィニャルも指摘している通り、付加6によって、並行調であるイ短調・ハ長調が宙吊りになることは 確かだろう。ここで「大地の歌」の第1楽章が、マーラーにとっての悲劇の調性であるイ短調で開始すること、 第5楽章がその同主調であるイ長調で終わり、第6楽章がハ短調で開始され、ハ長調、ただし付加6で終わるという、 調性配置を思い起こしてもいいだろう。少なくともこうした点を素通りして議論を進めるのは、それが音楽であることを 置き去りにする危険を孕んでいるように思える。
IV.
それは「大地の歌」を、「東洋的」と見るかどうかという、一見したところ皮相な問いにも繫がっていくに違いない。 「大地の歌」の原詩の問題はかなり研究されていて、元の漢詩からベトゲの詩が成立するまでの過程についても、 色々なところで情報を得ることができるようになっている。そうした研究成果も踏まえた上で、一般にはベトゲの Nachdichtungはオリジナルの漢詩とは別のものである、と考えられていて、それはせいぜい単なる「東洋趣味」、 時代の趣味の装飾的な部分に過ぎないとされてしまうようだが、例えばそうした西欧側の事情よりはオリジナルの 漢詩の世界をずっとよく知っておられる吉川幸次郎さんのような中国文学者が、そこに中国的なものが 読み取れないこともないとコメントされているのは、果たしてリップサービスに過ぎないと割り切れるものなのか。
もっとも、私は何が西洋的で、何が東洋的であるという議論がしたいのではないし、 私にはそうする能力も資格もない。また、マーラーはやはり東洋思想を理解していた、あるいは東洋的な諦観に 至ったのだ、などと言いたいわけでもない。(「東洋的な諦観と」は、具体的に何を指しているのかも私にはわからないし。) そうではなく、私が注目したいのは、マーラーに確かにあったと思われる Erde / Himmel の対立、あるいは Leben / Tod の対立、 そしてこれら2つの対立の対応関係の帰趨の方なのである。
こうして考えたとき、Adornoの有名なマーラー論での「Erde=地球説」とでも言うべき 主張もまた興味深い。一見したところ、これは突飛な見方のようでいて、思いのほか説得力があるからでもあるが、 その一方で、その斬新さにも関わらず、結局のところこれもまた際立って「西洋的」な見方のように感じられてならないからでもある。 つまり、何とはなしに、Todへの移行=昇天=地球を見下ろす、といったような連想があるように感じられてならないのだ。 長木=村井説の言う「垂直」方向の動き、いわば「超越」の運動である。
勿論、アドルノには新ドイツ楽派からナチスへと流れていく(あるいは、とりわけ後期のハイデガーを思い浮かべても良いが)、 まさに「大地」「土地」としてのErde、より端的に「血」(=民族)と対を形成することになる「土」(=祖国)といった捉え方、 あるいはマーラーにも出現する―ただし、これまた両義的な仕方ではあるが―「故郷」Heimatに対するある種の 姿勢、ハイデッガーのヘルダーリン読解に見られるような立場(これにはアドルノはパラタクシスをもって対抗するわけである)に 対する批判があって、それらを是非とも相対化してしまいたかったに違いないし、 マーラーを生産的に受容するという観点からは傾聴すべき主張だと思うのだが、やはりマーラーの 作品そのものの持っている内容からすると、やや性急に思えてならない。
そればかりでなく、既述の連想がそれなりの妥当性を持つものとすれば、それはいかにも「西洋的」な発想だと思う。 「故郷」Heimatを持たないという思いは、同じ同化ユダヤ人であったアドルノとマーラーに共通する のだろうが、マーラーがベトゲの取りようによっては些か胡散臭さすら感じられる詩を通して 読み取ったものは、アドルノの説(白状すると、私は初めて読んだときには、思わず苦笑してしまった。 珍説とすら感じられたのである)に比べて、ずっとずっと、「東洋人」のはしくれである自分に身近に 響くように思われたのである。まあ、私の受け止め方は単なる思い込みに過ぎないと言われれば それまでなのだが、私は幼少の、丁度マーラーを聴き始めたのと同じ時期に漢籍に興味をもって、 漢詩はかなり熱心に読んでいて、「大地の歌」も第1楽章こそ、これまた随分大げさな、とは思ったものの 李白や王維、孟浩然の世界と異質だとはやはり思わなかった。(寧ろ中国と日本の違いは感じたけれど。) 青土社の「音楽の手帖 マーラー」所収の柴田南雄さんのレコード評に、上記の吉川幸次郎さんの訃報に触れつつも、 東洋的無常観を表現した「大地の歌」を聴いてみたいと書かれていた文章があったが、(生意気にも) その頃の私もそれには全く同感で、その頃レコードで持っていたメリマン、ヘフリガー、ヨッフム、コンセルトへボウ管弦楽団の 演奏ですら、もっと淡々、坦々として諦観が前面に出た演奏にならないものか、と感じていたくらいなのである。
これは余談だが、私は今なおいわゆる「阿鼻叫喚」系の演奏は、この「大地の歌」に関しては抵抗がある。 例えばバーンスタインの演奏は、こと「大地の歌」についてはマーラーの晩年の様式 みたいなものを「吹き飛ばして」しまっていないか、という疑念から私は逃れられないでいる。 バーンスタインは、この曲に込められた内容に関しては、最後の部分でマーラーに同意していないのでは なかろうか。そして他の演奏家ならそれでもいいのだが、バーンスタインのようなタイプの演奏家に 限っては、そうした齟齬が致命的なものになるのでは、という気がしている。
もっとも、私は現時点では「究極の演奏」に巡りあうべく色々な演奏を聴き比べることには 関心が持てなくなっているので、だからどの演奏がいい、というのはない。結局は「究極の演奏」も また私の主観的な嗜好の監獄から自由ではありえない。バーンスタインについて如何にも否定的に書いたが、 だからといってバーンスタインの演奏が「間違いだ」というのではないし、「悪い」というのでもない。 単に、私が「大地の歌」の音楽から受け取れると思っているものが、バーンスタインの演奏からは 聴き取れないというだけの話である。
更に言えば、ここで書きとめている「大地の歌」に対する見方も、これが「正解」である、 と考えているわけではない。これは「客観性」「真理」を追求することを要求される学問的な 性質のものではない。音楽の受容に関しては、そうした客観性と、自分の経験の質に忠実であろうと する志向が両立しうるかどうか、私には自明とは思えないのである。そしてとりあえず、どちらを とるかと言われれば、私は後者なのだ、ということなのだと思う。
V.
一方で、「大地の歌」と第9交響曲をあまりに性急に一まとめのものとして扱うことも 問題を起こすことになるかも知れない。密接な関係はあるものの、第9交響曲は「大地の歌」の 「後」に続く作品で、すべての面で大地の歌の帰結を出発点にしているものの、「大地の歌」の 反復でも、同じことの(今度は純器楽による)言い直しでもないだろう。
こうしてみたときに気になるのが、マーラーについてしばしば言われる象徴的な楽器法の 「大地の歌」への適用である。例えば、タムタム / マンドリン / チェレスタ という楽器に限定してみよう。
タムタムは、勿論常にではないが、しばしば Leben から Tod への移行とか、端的にTodを象徴する場面で使われる。 第2交響曲の第3楽章の「この世の営み」の無窮動が止んで、原光へと移行するattacaや、 第9交響曲第1楽章のHöcheste Kraft「最高の力をもって」の部分に続く、あのWie ein schwerer Konductの葬送行進曲を 思い浮かべてもいいだろう。そして「大地の歌」では、第6楽章、特にその中でも葬送行進曲風の中間の間奏曲部分が それにあたるだろう。(ちなみに、この部分について、HAYESさんがMAHLERIANA中の文章で WunderhornliederのNicht wirdersehenのルフランとの類似を指摘されているが、これは、これまたHAYESさんの 述べられている通り、ルフランの歌詞(Ade, mein herzallerliebster Schatz!)を考え合わせるに非常に興味深い指摘である。)
チェレスタについては第6交響曲と第8交響曲におけるその機能を考えてみればよい。 楽器の名前の通り、Himmelを象徴すると見做されることが多い。 わけても、第6交響曲の第4楽章において、3回目のハンマー打ちが削除され、チェレスタの上行音型に置き換わった ことはよく引き合いに出される。第1楽章のSchwungvollの第2主題でも響いているが、それ以上にアドルノのいう Suspensionの最も典型的な例である、第1楽章の展開部後半の、あのカウベルが鳴るブロック、あるいはアンダンテ楽章の やはりカウベルの響くエピソードのブロックでチェレスタが用いられることを見逃すことはできないだろう。 第8交響曲では、第2部も終わり近くの、あのマリア博士のBlicket auf!という呼びかけから始まる霊感に充ちた素晴らしい歌の後、 これもまたその力を否定し難い「神秘の合唱」に至る直前の、こちらは毀誉褒貶のある間奏曲の部分(練習番号199以降) の用法が重要だろうか。そのチェレスタが、「大地の歌」では第6楽章のDie liebe Erde以降のコーダで響くのである。 従って、これにやはり或る種の象徴を読み取ろうとするのは自然なことではあるだろう。
だが、これだけで終わらせてしまってRückert LiederのIch atmet'einen linden Duftに言及しないのは、マーラーの歌曲を 交響曲同様に重視すると言った手前、言行不一致の謗りを免れないだろう。 しかも、ここでも菩提樹の香りLindenduftが隠れていて、だとすると、ここでもまた若き日の「さすらう若者の歌」の終曲の眠りが 思い起こされる。(だから村井さんが「大地の歌」の終結部に関して特に「さすらう若者の歌」に言及しているのは的確だと思われる。) だが、Ich atmet'einen linden Duftそのものはどうなのか?しかも上で既に述べた通り、ここでは終結の付加6まで一致しているのである。 この作品には、同じRückert Liederに含まれるIch bin der Welt abhanden gekommenに通じるような遁世の安らぎはあって、 そこでなら、Himmelという言葉が、gestorben der Weltという言葉が確かに出てくる。gestorben dem Weltgetünmmelまで 出てきて、Erde / Himmel で行けば、どちらかといえば後者の側に属しているようにさえ見える。だが その一方でそもそもRückert Liederの世界は、Wunderhornliederの世界に比して、丁度同時期の中期交響曲群がそうであるように、 ずっと現実的、地上的な感覚が強いのもまた確かなことと感じられる。
そしてもう一つ、チェレスタが鳴り響く歌曲として忘れてはならないのは、Kindertotenliederの終曲である。ニ短調の嵐の音楽が Allmählich langsamerに至って、第1曲でも響いたグロッケンシュピールの響きとともに静まっていき、 ついにニ長調に転じたLangsam. Wie ein Wiegenliedの部分、曲尾において、ここではニ長調の主和音で閉じられるに至るまで、 ずっとチェレスタが響いている。その子守歌の歌詞に従うならば、ここでのチェレスタの機能は、第6交響曲におけるのと同様、 あるいはそれ以上に明確にHimmelを象徴するものと考えてよいのだろう。
だが、私の主観的な見方かも知れないが、この曲の 悲しみは、実にこの子守歌で頂点に達するのだ。この子守歌には、喪失の受容と諦観が伴っている。意識は天国にはない。 意識は地上にあって、いなくなってしまった子供が神様に守られている天国のことを思うのだ。安らぎはここにはない。 喪ったものはもう、元には戻らないから。だからチェレスタがHimmelを象徴しているといっても、そこでの意識のありようを個別に 見れば決して単純なものではないのだ。
結局のところ、チェレスタの響きには一定の情調が結びついていることは確かなのだが、 Erde / Himmel の対立にあまり図式的に適用するのは無理が生じるのではなかろうか。としてみれば、「大地の歌」の コーダでチェレスタが鳴ったといっても、それはやはり「地上」でのことで、Ich bin der Welt abhanden gekommenで既にそうであるように、 gestorben dem Weltgetünmmelとは言い、Himmelといっても、それはあくまで比喩であって、単純にいわゆるTodやHimmelといった 超越的なもの「自体」とは異なったものとして捉えられている、ここでの文脈に即して言えば、ErdeがWeltgetünmmelの場でもあり、一方でHimmel でもあるということかも知れないのである。
更には、大地の歌のコーダではチェレスタと同時にマンドリンが響いていることを無視することはできない。
第7交響曲の第4楽章、第2のNachtmusikを先駆とし、またもや第8交響曲第2部でもグレートヒェンであった Una poenitentiumが過去を振り返って聖母に取り縋りながら語る部分、ついでSelige Knabenがやはり 自分たちの過去とファウストの過去を対比させて語る部分―つまり過去のものとなった地上に対して眼差しが 向けられる部分―で用いられているが、「大地の歌」では第4楽章でははっきりと地上の(ただしそれは、 まるで回想の裡にあるように儚げではあるが)風景の中で鳴っていたマンドリンの響きは、ここでは寧ろ琵琶のようですらある。 第7交響曲や第8交響曲ではそうではなくても、「大地の歌」ではマンドリンは「東洋趣味」の現われであると 一般には解されるのかも知れないが、琵琶のようであるとはいっても、私がそこに東洋を聴いているわけではなく、 その音色は第6交響曲のカウベルとは異なって、寧ろチェレスタとは調和しない要素が残っていることを感じさせると いうことが言いたいのである。例えば第6交響曲では、Mediatorの指定のあるハープの弾奏や、低音の 調律されていない鐘の響きが表しているものに通じているように感じられる。(そしてそこでもやはりチェレスタは鳴っている のである、たとえそれが切れ切れで、まるで、遥かに遠ざかった場所から辛うじて風のまにまに響いてくるようであっても。)
そして第9交響曲では、チェレスタもマンドリンもないかわりに、葬送の鐘がタムタムとともに残るのである。 第4楽章において、Stets sehr gehaltenの指示以降、はっきりと大地の歌の終楽章が参照されるが、 それはその音楽の中では、客観的な要素、もはや表情を喪って宙を漂うしかない要素、シェーンベルクの 言う「非人称性」を思わせる要素に結び付けられる。こうしてみると、「大地の歌」終結のマンドリンの 響きを「非人称的」と形容したケネディの発言は、意味深長に思える。
こうした特徴の列挙はまだまだ続けることができるだろうし、重要なものを見落としているかも知れないが、 いずれにせよ、その特徴について何か解釈を自信をもって下すことは、私にはまだできそうにない。 だが、それでもこれまで聴いてきて、比較的揺らぎのない印象が心のなかに刻印されていることも確かなので、 ここでは論証抜きにその印象を書いておきたい。
私見では、大地の歌の終曲はersterbendの指示にも関わらず決して主観の消滅の描写ではないし、 同様に、第9交響曲の第4楽章も、「昇天」の音楽化ではないのは勿論、(この点では村井説とも異なって)超越を拒絶した死の描写であるとも思わない。 そういう見方は、結局、マーラーの晩年の音楽を、そうした音楽を書くに至った彼の心境を軽んじる一方で、結局「昇天」の音楽化という見方と同様、 「死が私に語るもの」の標題よろしく世紀末的な「死のイメージ」の描写というレベルに還元してしまいはしないだろうか。
別にマーラーその人の心境や認識、人生観(何なら世界観でも宇宙観でも、、、)が前代未聞の稀有なものであると言いたいわけではない。 むしろその音楽の創作の「動機」―それは素材に過ぎない―そのものは寧ろありふれていて、私の様な凡人にすら体験しうる、従ってあるレベルでは 共感できるようなものであっても、その心の傷の深さがその音楽に刻印されるときの様態の方は全く例外的で「天才的」という他なく、そうしたモメントを無視すること、 そして描写されているというよりは、音楽そのものがもたらす心的なプロセス(意識的、無意識的なものをひっくるめて)のユニークさとその圧倒的な力を、 それ以外の何かに還元してしまうような見解には抵抗を感じるということである。
子供の死の歌の回想は「ここではない場所」、あるいは「どこでもない場所」を示しはするが、いずれにせよ、最後まで主観は覚醒しているように聴こえる。 マーラーの音楽そのものが、それ自体或る種の非可逆な過程であり、だからこそその音楽を聴くことは、聴き手にとってそれを聴く前とは異なった 何かを発見させることがあるのだと私には感じられる。
シェーンベルクが言ったように、第9交響曲における主体は「メガホン」に過ぎないかも知れない。 だが第9交響曲が「限界」であって、その先にはTodが立ちはだかっているというのは、それもまたやはり「神話」に過ぎないのではないか。 (プラハ講演の時点で、シェーンベルクが第10交響曲に関して何を知っていたかを考慮する必要があるだろうし、後年 彼が、他の多くの作曲家同様に第10交響曲の補筆を断った理由は、例えばショスタコーヴィチがはっきりとそう言っているように、 寧ろ技術的な問題―ただしそこには作品を作ることに対する心構えのようなものも含まれる―が第一義的なものであったのではないかと思う。)
未完に終わった第10交響曲もまた、それの手前、第9交響曲との間に溝があるという見解同様、アダージョとそれに 続く部分の間に超えがたい溝があるという主張には同意し難いものがある。勿論第10交響曲がいかなる意味でも 完成した状態にないことは認めた上で、それでも私は、クックによって明らかにされた全5楽章の構想全体を重視したいのである。 演奏用の補筆とは言いながら第10交響曲のフィナーレを聴けば、おしなべて晩年のマーラーの音楽が どのような「場所」で鳴っているのかについてに関して、誤解することはないように思われる。
まだそれを説得力のある仕方で論証することはできないとはいえ、このような印象を持つ私にとっては、第10交響曲の演奏版の 作者であるクックが当初はBBCでの放送のためにマーラーに関して書いた小冊子で「大地の歌」について記した内容は、 強い説得力を持っている。クックは「大地の歌」の内容が若き日のマーラーの文章や詩と共通している部分があることを指摘した上で、 それを単なる回帰と見做さず、晩年の認識の違いをはっきりと述べているのである。 それを私なりに敷衍するならばその違いはまさに、かつては憧れの対象であった「愛する大地」の永遠性に対する「疎外の意識」の存在にあるのだと思う。 「さすらう若者の歌」で、あるいはリュッケルト歌曲集で、孤独と引き換えにWeltlaufから逃れる先であったそれ―それを「自然」と呼ぶことは容易いが、 それでなくても発散しがちな議論がこれ以上発散しないようにするためにも、ここでは「自然」について主題的に論じることはしない ―に対して、実はそれはHimmelなどではなく、結局同じErdeなのであるという認識がまずあって、更にその上で、「大地」の永遠性、 その絶えざる回帰・循環の一部でありながら、有限な個体は、その永遠性には与れないのだという認識があるのだと思う。
簡単な事、ある意味では最初からわかりきったことなのだ。「別れ」は永遠性に対するそれであり、それは自分の有限性に由来するに 違いない。そして勿論そうした認識をもたらす契機として、やはり娘の死、(後世の眼では誤診だったとしても主観的には大きなダメージとなった)自分の病の 宣告といった、個体の有限性に向き合うマーラー自身の個別的な経験があることは否定し難いと思う。 私は同じ時期にヴァルターに宛てて書いた書簡に現れたマーラーその人の気持ちを、当時流行の「死のイメージ」の描写などに すり替えたくないのである。私は「大地の歌」に、思い込みだろうが何だろうが、やはりそうしたマーラーの声を 聴き取ることができると感じているし、その重みだけは否定したくないのである。
それゆえ例えば、ここで最終的な判断をすることは到底できないものの、大谷さんが病跡学雑誌に掲載された論文で述べられている、 マーラーの晩年の音楽が、死の受容のプロセスの反映であるという説には説得力を感じる。 大谷1995(病跡誌No.49 pp.39-49)によれば、「大地の歌」の曲の配列が、絶望(悲しみと怒り)、虚脱、受容、見直し(再起)という死や障害の 受容過程(平山1988「悲嘆の構造とその病理」現代のエスプリ248 pp.39-51)に類似しているという。すなわち、受容の過程は以下の様な経過を辿る。
1.現実の否認
2.喪失に心から気付き、不安でしようがない。生きていく自信や意欲が持てない、悲しみが膨らみ感情の起伏が激しくなって、特に怒りが表面に出る。
3.引きこもり。亡き者にできるだけのことをしたのだろうか?
4.癒し。これからの新しい役割の意識
5.生き直す vita nova? 孤独感の深まり。
第1楽章.最も絶望的で苦悩に満ちている
第2楽章.寂寥、悲哀
第3,4楽章.過去の美への耽美的傾向
第5楽章.現実逃避
第6楽章.彼岸への指向、宿命への穏やかな肯定
(もしかしたら、Kindertotenliederが必ずしも実体験に基づいたものはなかったことを思い浮かべるべきなのかも知れない。もっとも、Kindertotenliederの 連作歌曲集としての一貫性の高さ、聴いてえられるカタルシスの深さもまた格別のものがあり、こちらについては病跡学的にどのような説明が可能なのか 伺ってみたいところではある。)
ここで重要なのは、その音楽が「死」そのものの「描写」であるのではなくて、その「受容」の過程の、凡人には為しえない天才的な仕方での昇華で あるということで、それゆえに聴き手もまた、音楽を聴くことでそのプロセスを自分なりに反復することができる可能性があるのだ。 (大谷さんも述べているように、「受容」そのものについてマーラーの能力が際立っていたということではなくて、偉大なのはその過程の作品化の方なのだが、 そこにある経験の深み、作品と経験との他には見られないほどに密接な関係がマーラーの特徴なのだと思う。)
とりわけ「大地の歌」について言えば、その構成が死の受容過程に類似しているという指摘は大変に興味深いもので、この「大地の歌」を 含めた様々な優れた芸術作品が持っている「力」、多くの人が感じ取ることができる力の正体を考える上で示唆的だと思うし、病跡学とはいっても、 いわゆるマーラーその人の気質類型論の類にはあまり関心はないとはいえ、この説については、私の自分の経験に照らして、深い共感を覚える。 例えば、バルビローリの「大地の歌」の演奏記録を聴き、その印象について書いた際、そうした経験を反芻しつつ文章を綴ったのを私ははっきりと覚えている。 (だから、この説に一見賛成しつつ、各楽章の性格付けと不可分のものである筈のその具体的なプロセスについて異議を唱えるような主張は、 私見によれば全く見当外れであって、すでにそれは一般的な「標題」や「プログラム」の議論にこの説を縮退させて論じているに過ぎず、であれば寧ろ、 この説にそのもの対して異議を唱えるのでなければ一貫しないだろうと思われる。少なくとも大谷説の要諦は経験の具体的な側面であり、その 説得力の源泉も、具体的な音楽の構成と心的なプロセスの同型性にある筈なのだ。)
さらにまたこの大谷さんの見方は、マイケル・ケネディの「マーラーは死ではなく、生に対する熱烈な憧れを表現」したのだという意見、その作品が聴き手の 「新陳代謝の一部になる」という表現と強く響きあうものがあるように思われる。 そして何より、私がマーラーに関して強く感じていること、マーラーの音楽が有限の主体の、儚い意識の擁護であること、取るに足らないものであっても、 それが還元不可能なものであり、様々な価値の源泉であるという感じ方とも一致しているように思われるのである。私にはヴェーベルンが気質の違いを 超えてマーラーに見出したかけがえのないものとは、こうした認識ではなかったかと思えてならないのだ。
VI.
そもそも、とりわけてもマーラーの場合、それが歌付であるからといって、主観的な感情や世界観の直接的な表明で あるということはできない。よく比較されるように、マーラーは友人であったヴォルフとは異なって詩に曲をつけるといった姿勢は 決して持たなかったが、マイヤーの「簒奪者」という定義を認めたうえでなお、常に単純素朴に自分の感情や認識を託しうる 詩に曲をつけたわけではないと思う。無論、最低限の共感なくしてはその詩が選択されることはないだろうが、詩と音楽との 間の関係は決して常に一様で直接的なわけではないのではなかろうか。それが明らかなのは、Wunderhornliederにおける イロニーに彩られた民謡調であろう。そこでの歌詞と作曲者との距離感は覆い難い。マーラーの旋律はしばしばキッチュの 嫌疑をかけられるほどに素朴で感傷的な装いを持っているが、その使われ方の方は些かも素朴ではない。 少なからぬ人が指摘しているように、マーラーの音楽にはどこかに醒めて客観的な部分があって、それはこの「大地の歌」ですら 例外ではないように私には思えるのである。(そしてその距離感が、ここでは有限性ゆえの「疎外」の意識に由来すると 考えているのは既述の通りである。)
その意味では、「Erde=地球説」をまるまる受け入れることは困難でも、若き日のマーラーにとっての ドイツ民謡の位置に、晩年は中国が来たのだ、それらはPeudomorphoseなのだ、というアドルノの主張には頷けるものがある。 この点についてはどっちみち外部の人間に過ぎない私には最終的に「わかる」ことはありえないだろうが、 紛い物であるとして蔑まれるベトゲの詩に比べて、アルニム=ブレンターノの民謡が「真正」であるということは ないのだろう。「大地の歌」を時流に応じた異国趣味と捉えるのは、全くの間違いではなくても、マーラーの場合の 特殊な事情を見損なっているように思われてならない。故郷がない人間の異国趣味とは一体何か、 その文化に帰属しきれない外部の人間にとって民謡とは何か、ということを考えずして、控えめに言っても 素材に過ぎない当時の文化を引き合いに出して作品を説明するだけでは、マーラーという場合の特異性を 探り当てることはできないのではなかろうか。既に上でも触れたが、それゆえ「ブルックナー・マーラー事典」における 渡辺説が、非常に綿密で恐らくは正確な文化史的な調査と理解に基づくものであったとしても、そしてまたマーラーの 音楽の未来を志向した部分を重視することには全く賛成なのだが、にも関わらず、だからといって、マーラーという「個別の場合」を 当時の精神風土に還元することには同意できない。そもそも、シェーンベルク、ベルク、ヴェーベルンたちとマーラーとの影響関係はそれ自体、 まさに文化史・音楽史的な研究の対象には違いないだろうが、彼らがマーラーに見出したものが、狭義での技法的な次元のみに 留まるのか(それは例えばシェーンベルクのプラハ講演を裏切っていないか)、時代の流行に沿った世紀末的な「死」のイメージと やらに留まるのか(こちらはマーラーの「未来」への志向の方を裏切っていないか)、私には疑問である。 例えば書簡に見られるヴェーベルンやベルクの発言、ヴェーベルンの音楽にはっきりと聴き取れるマーラーの「場合」の こだまが、そうしたレベルで説明できるとは私には到底思えないのである。少なくともヴェーベルンが同時代の他の誰かではない マーラーを「選んだ」のは、マーラーの個別性が問題だったからに違いないし、私が追求したいのも、マーラーをどう「還元」するか ではなく、還元できない特異性の方にあるのだ。そうした個別性は学問に適さないというのであれば、寧ろ、 別に学問でなくても結構である。
一方で、「東洋人であるからマーラーの非西洋的な無常観がより 一層理解できる」式の主張もまた、見当外れに思われる。実のところマーラーが非本来的なものを擁護する 戦略としてとった中国の詩への擬態を、そのまま「わかる」ことなど自分にはできない。もっともそれを言えば、ベトゲの 詩でなくても、1000年も前の中国の詩人の原詩に対する「東洋人」のはしくれたる私の「理解」なんぞ、こちらも劣らず 怪しげなものであるに違いない。けれども、だからといってその戦略によってマーラーが擁護したかった、 音楽のかたちで伝えたかったものに、アクセス不能だとも思わない。そうした文化史的な知識の防御なしに、私が幼少時に 虚心に漢詩の世界にのめり込んで感じ取ったもの、マーラーの音楽を虚心に聴いて受け止めたもの、そして そこに確かにあると感じられた接点を否定しようとは思わない。客観的にはそれすら誤解だ、幻想だ、思い込みだ、 として嘲笑われてしまうとしても、である。アドルノの言葉に寄生して言えば、10代前半に聴いたその音の感覚的 実体性―クオリア―を前にすれば、形而上学的思考も、美学も無力だし、そうした個別的な経験によって 刻印される芸術作品の力を無視してしまえば、論じる理由そのものが消滅してしまう。
同様に、或る種の世界観や人生観をもってマーラーの作品を 説明しようとするやり方も、音楽が持っているニュアンスを言語の歪みによって損なってしまいがちであると 感じられる。結局のところ、マーラーは思想家ではなく、音楽家なのだ。 外から概念を押し付けるのではなく、音楽が個別に語るものを聴き取ること、音楽と歌詞とのその都度の 関係を、その距離感を感じ取ることが重要であるように思われる。
マーラーの音楽を俯瞰してみると、その一貫性に驚嘆する一方で、ちょっと見ただけでは矛盾しているように 思われるものが含まれていることに困惑することになる。例えばそれを伝記主義的に、マーラーの生涯における 出来事と、それに対するマーラーの心境の変化に還元して説明をしてしまいたくなるのは無理も無いことだし、 恐らくまるまる間違いということではないのだろう。
ここで取り上げているErdeについてみても、若き日からのモチーフであることを思えば、その一貫性は驚異的であるが、 その一方で、とりわけ晩年のマーラーはErdeについて決して単純な見方をしているわけではないことがここまでの予備的な検討からも容易に 予想される。音楽家であるマーラーは、音楽によって、Erdeとの様々な関わりの様態を色々な角度から しかも実はかなり客観的に吟味しているのではなかろうか。マイケル・ケネディの言うとおり、それは結論や確信ではなくて、 寧ろ実験であり問いかけなのではないか。マーラーの音楽の魅力は、その姿勢の誠実さ、 その追求の徹底性、それを行う際の技術的な処理の独自性に由来するところが大きいように感じている。 そして見かけの素朴さに反してその音楽が主観的な感傷に陥らないのは、一つにはその生まれ育ちに由来する どうしようもない疎外感ゆえの、だが、もう一つには自分自身に対してさえ醒めた視線を投げかけることができる 批判的な知性ゆえの距離感があるせいなのではなかろうか。マーラーの音楽は際立って「意識的な」音楽、 自己意識が成立するために必要な自己参照性を内包した系の音楽なのである。
最初にも書いたように、これは覚書に過ぎず、何か結論めいたことをここで書こうとは思わない。 思いついたままを書き記したが、今後更に音楽を聴き、詩を読み、そして様々な文献にあたることで、 更に追加すべきことが出てくるであろう。いずれにしても、本格的な検討が始められると感じられる瞬間は、 まだ当分の間訪れることはなさそうである。
その中で甲斐さんの翻訳は、私にとってはあまりに広大な問題領域を経巡る際の、最上の道標のように思われる。 今後も恐らく、改めて読むだびに考察のきっかけが得られるような刺激に満ちたものであり続けるように感じている。
(2007.5.31作成, 6.2補筆・修正して公開,6.4補筆、とりあえずの定稿とする。6.25 Kindertotenliederについて補筆, 6.27「死の受容」過程について補筆。7.19修正。9.30修正・加筆。10.6許諾を得て、甲斐さんの翻訳を転載する形態に変更。)