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2025年4月6日日曜日

吉田秀和『永遠の故郷 真昼』より:「≪少年の不思議な角笛≫から」(2025.4.10更新)

 例えばGabriel Engelの伝記がGustav Mahler : Song-Symphonist と題されているように事典的な記述においては交響曲と歌曲の大家とされるマーラーは、だが世上、専ら交響曲の作曲家として認知されているように見える。勿論、それは故なきことではない。マーラーはその創作の初期には室内楽も書いたしオペラの構想もあったようだ。室内楽については「ピアノ四重奏曲」の一部が残っているが、オペラの方は実現に至らず、辛うじてヴェーバーの「3人のピント」の補作が残ることになった。そしてマーラーが自ら作品1としたのはカンタータ「嘆きの歌」だが、それ以降マーラーが残したのは専ら交響曲か歌曲なのである。そして単に量的にみてもそうだが、重要性の点からも、マーラーの作品の主要なジャンルが交響曲であることは論を俟たないだろう。

 実際私も、マーラーに初めて接したのはFM放送で流れてきた第1交響曲(小澤征爾・ボストン交響楽団のの録音のうち、全集ではなくグラモフォンから出て、後に「花の章」が挿入された形で流布した録音の方、ただしリリース当初は普通の4楽章の形で、私が聴いたのもそうだった)だし、その後も「大地の歌」、第7交響曲…と交響曲を一つ、また一つと「発見」して、その音楽に魅惑されていったのであった。歌曲の方はと言えば、地方都市のレコード屋(当時はまだCDではなくLPレコードの時代だった)には交響曲のLPは置いてあっても、歌曲のものはなく、確か最初に買った録音はカセットテーブだったし、それ以前に私自身が、何と言ってもなけなしのお小遣いを叩いて買うのに交響曲の方を優先したということも否定できず、歌曲の録音に接する機会は自ずと限定されていたように記憶する。そのかわりといっては何だが、歌曲はピアノ伴奏版の楽譜を早くから入手していて(勿論、これもまた住んでいた地方都市の楽器屋の店頭に偶々置かれていたのであるが)、歌曲は楽譜を通して親しんでいった側面が強いというのは、別のところでも記したことがある。

 だがそれでは折に触れて取り上げて耳を傾ける頻度はどうかとなると、勿論時期にも依るけれども、思いのほか歌曲に手を伸ばす機会が多いのである。勿論、管弦楽伴奏版があるものは管弦楽伴奏版も聴くけれど、そうした作品についても敢えてピアノ伴奏版を取り上げることも多いし、ピアノ伴奏版しかない作品を聴く頻度も決して低いわけではない。それには恐らくマーラーが残した作品に分け隔てなく接しようとする気持ちが与っているに違いないのだが、それより何より、ごく単純に、私はマーラーの歌曲が交響曲に劣らず好きなのだと思う。これも衆目の一致するところとして、マーラーの音楽の特徴の一つは歌曲と交響曲という一見したところ相容れなさそうなジャンルが独特のかたちで融合しているところで、旋律の相互引用は「嘆きの歌」以来だし、初期の交響曲では歌曲がそのまま一つの楽章として組み込まれるかと思えば、歌曲の方も、「さすらう若者の歌」に始まる連作歌曲集は「子供の死の歌」を経て、「大地の歌」という交響曲とも連作歌曲ともつかない作品、しかもそれこそマーラーの創作の到達点と目される傑作に到達するのだが、そういう、歌曲の中でも、謂わばメイン・ストリームに属さない、歌曲集に収めされた単独の作品もまた、その価値において決して引けを取ることはないと私には感じられるし、仮に客観的な価値については譲ったとして、好みの問題になってしまえば、これは間違いなくその主観的な重みは対等のものだと思う。

 だが実際には、今日の日本に住んでいる平均的な愛好家にとって、マーラーの作品の中でも歌曲に関する情報は、交響曲に比べれば極めて乏しいものと言わざるを得ないのではなかろうか。そもそもマーラーの作品に限らず、一般に歌曲というジャンルは20世紀後半から21世紀にかけての極東の島国において、その存在場所を見出すのに苦労しているように思われる。今やマーラーの交響曲がコンサートのレパートリーの中でも「売れ筋」として扱われているのに対し、歌曲が取り上げられる機会はほとんどないし、いわゆるクラシック音楽と呼ばれるジャンルにおける歌の中では何と言ってもオペラが幅を利かせていて、歌曲の存在感は希薄なものに感じられる。そもそも歌一般ということであれば、わざわざ1世紀も前の泰西の歌曲などに目を向けなくても、その後の1世紀間の間に発達し市場を席捲するようになったポピュラー音楽の方が遥かに多様なニーズに応じるだけの拡がりを持っているのだし、そもそもかつて歌曲が演奏され、受容されていた空間、文化的な場(ミリュー)は最早ほとんど存在していないというのが現実だろう。かつて録音技術が確立された時期に最初に録音されたのは、技術的に人間の声が向いている(というか、より「まし」だった)という事情とSPレコードの録音時間の制約が相俟って、歌曲とかオペラのアリアとかであり、マーラーの作品については早くもアコースティック録音の時代に第2交響曲の全曲録音が為されてはいるけれども、それでも最初期の録音の多くは歌曲なのだが、その後1世紀の時間の経過とともに歌曲が現実の場を喪っていくにつれて、限られた貴重な機会であるリサイタルに欠かさず足を運ぶことが叶わない一般の多くの愛好家にとって、録音を自宅で一人で耳を傾けるのが、歌曲の受容に辛うじて残された可能性になってしまったかのようだ。斯く言う私の場合で行けば、マーラーを聴き始めてもう45年にもなろうかというのに、遂に歌曲のリサイタルを訪れたことは未だなく、交響曲の一部となっている作品を除けば、辛うじてそれでも実演に接することができたのは管弦楽伴奏版による「リュッケルト歌曲集」のみ。それでも私が最も好んで聴く歌曲集の実演に接することが出来たことは、得難く、忘れ難く、心に深く刻み込まれているのではあるけれども。

 そのような事情だから、この極東の地に限って言えば、マーラーの交響曲に関する言説は巷間にあふれていても、こと歌曲についての情報は極めて乏しいものに感じられる。その中で、吉田秀和さんの文章にはマーラーの歌曲を採り上げたものが幾つかあり、貴重なものに感じられる。(なお歌曲に限らず、いわゆる音楽批評として日本でマーラーを論じたものとして、吉田さんの書かれたものの質、量両面での重要性には疑いがなく、その中でごく早い時期に書かれた規模の大きなマーラー論については別に取り上げたことがあるので、併せてご覧いただければ幸いです。)吉田さんのマーラーに関する文章は、本稿執筆時点では、河出文庫に『決定版 マーラー』(2019)として収められているのが最も網羅的であり、かつ手軽に接することができるものだろう。この中にも歌曲についての文章が2つ含まれていて、一つはタイトルもそのままずばりの「マーラーの歌」(初出は『レコード芸術』1981年9月号)、もう一つは掉尾を飾る「菩提樹の花の香」(初出は『マダム』1977年3月~12月の「音楽の光と闇」)。いずれも『作曲家論集第1巻』に収められており、私はそれで親しんだのだが、ことに「菩提樹の花の香」は、私自身が最も好きな歌曲であるIch atmet' einen linden Duft(私は仄かなリンデの香りをかいだ)に因んだ文章で、接した時に我が意を得たりと感じたのを昨日の事のように思い出す。一方の「マーラーの歌」は網羅的で詳細な音源紹介もある充実した紹介で、個人的には「大地の歌」が含めて論じられている点や、私が好きなベイカー・バルビローリのアルバムを高く評価されている点など、こちらも共感できる点が多々あるのだが、それとは別に、この文章は歌手の四家文子さんの追悼として書かれていることに留意すべきであろう。もっとも実際には、私が四家文子さんの歌唱に接したことがあろう筈はなく、だがその名前は「大地の歌」の日本初演を歌った方として忘れ難く記憶されているのであった。(一方で私は、これまた日本におけるマーラーの演奏者として忘れ難く記憶されているネトケ=レーヴェに師事して声楽家としての専門教育を受けた四家さんが、だが戦前は「声楽家」としてよりは寧ろ数多くの歌謡曲を手がけた歌手として活躍されていたことをずっと知らない儘であった。)吉田さんは「マーラーの歌」の文中で四家さんの「亡き子を偲ぶ歌」の歌唱に接したことに触れられているが、同じところで「子供の魔法の角笛」の歌唱者として挙げられている関種子さんについては、『決定版 マーラー』には収録されていない別の文章で触れられている。(ちなみに関種子さんもまた、ネトケ=レーヴェ門下であり、最初はクラシックの声楽家としてデビューするものの、やはり戦前には歌謡曲の歌手として活躍していて、コンサートでのマーラーの歌曲の日本初演もそうした文脈の中に位置づけて捉える必要があるように思われる。)本稿のタイトルに掲げた『永遠の故郷 真昼』(集英社, 2010)がそれである。この本はタイトルからは窺い知れないが、実際には収録されている文章の過半(11篇中6篇)がマーラーの歌曲に関するものであって、『すばる』に2007年から2009年にかけて掲載された以下の文章が収録されており、マーラーの歌曲を個別に取り上げた日本語の文献として大変貴重なものに思われる。

  • 「≪少年の不思議な角笛≫から」(初出:『すばる』, 2007年8月号)
  • 「マーラーの「ラインの歌」」(初出:『すばる』, 2007年10月号)
  • 「「ヴンダーホルン」とは何か」(初出:『すばる』, 2007年12月号)
  • 「≪パドヴァのアントニウスの魚説法≫」(初出:『すばる』, 2008年3月号)
  • 「間奏曲」(初出:『すばる』, 2008年4月号)
  • 「≪告別≫」(初出:『すばる』, 2009年5月号)

吉田さんは1913年の生まれ、2012年に98歳で逝去されているので、それに先立つこと5年から3年の、90歳を超えた、まさに最晩年の文章ということになるが、このうち最初の「≪少年の不思議な角笛≫から」において、関種子さんが≪少年の不思議な角笛≫の歌曲を演奏されたのに接した回想が語られているのである。以下、少し長くなるが冒頭から引用させて頂く。

「 マーラー(Gustav Mahler 一八六〇—一九一一)は≪少年の不思議な角笛 Des knaben Wunderhorn≫という詩集から十数編あまりを選んで音楽とした。その中の三篇は そのままの形で第二、第三、第四交響曲に組みこまれ、別の二篇は歌の声部をとり除いた器楽曲の形で、これまた第二、第三交響曲に一つずつ入っている。マーラーの場合――特に早いころの彼の場合、歌が交響曲のような大型の器楽曲の中に何の違和感もなくとりこまれていたことの良い例である。残りの中、十二篇は管弦楽つき歌曲として――ユニヴァーサル楽譜出版社などから――上下二巻のポケットスコアの形で発売されている。その中にも名作佳品が少なくなく、私はその幾つかをとり上げては折にふれてきく。」(上掲書, pp.53~54)

という要を得た概説を導入として回想に移る。

「最初にきいたのは、確か、過ぐる大戦のはじまる少し前のことだったように覚えている。そのころはまだ、ナチのユダヤ人狩りを逃れて日本に来たヨーゼフ・ローゼンシュトックが当時の東京のオーケストラの指揮者として活躍していた。」(同書, p.45)

その中の一つとして、「戦争に入って間もなくきいたモーツァルトの≪レクイエム≫」に触れた後、いよいよマーラーの演奏の話になる。

「それより少し前だったのではないか、ある時の定期演奏会のプログラムにマーラーの≪少年の不思議な角笛≫から二つか三つの歌がのったのは。マーラーは言うまでもなくユダヤ人だったから、ドイツならこんなことはもう不可能だったろうし、日本でも日独防共協定下どうかとと思われたかもしれないのに、ローゼンシュトックは敢えてマーラーをとり上げた。そうした、私はそんなことを全く考えもせずマーラーをきいて、すごくおもしろいと思った。

 歌ったのは確か関種子さん。ローゼンシュトックが例によって――当時流行の新即物主義のスタイルにそって、あんまり粘らず、あっさりと、しかし品の良い知的な指揮ぶりでバトンをふっている横で、小柄な彼女も、あんまりヴィブラートをかけない濁りのない純白な感じの発声で、はずむような軽快なリズムにのせて、マーラーの「疑似民謡調」の歌を歌っていた。」(同書, p.45)

この部分については様々な角度からコメントしたい点が多々あるが、当時の状況については、太平洋戦争開戦時の外相だった東郷茂徳(彼はもともと独文出身の異色の外交官で妻もドイツ人だった)が、ローゼンシュトックの来日にあたって少なからぬ手助けをしたことや、その後の日本においても何故か国策ニュース映画のBGMとして、マーラーの第二交響曲の録音(しかも敵国であるアメリカのオーマンディ指揮ミネアポリス管弦楽団の演奏である)が用いられていたことなど、それぞれ別に記事として取り上げているのでここでは割愛し、そうした外的状況ではなく、≪少年の不思議な角笛≫を「疑似民謡調」とさらりと形容している点に注目しておこう。あまりに長くなるので吉田さんの文章の引用は控えるが、この点は夙にアドルノが指摘していることでもあり、もともとのアルニムとブレンターノのアンソロジーの持つ屈折(アルニムが民謡に対して施した改作には、マーラーが歌曲を作曲するに際して歌詞をしばしば改変したこととの並行性を見出すことができよう)も併せて指摘されている点も含め、この曲集の持つ複雑な性格が的確に捉えられており、首肯でき、傾聴すべき点が多い。それでも敢えて私見を追加して指摘するならば、マーラーは更に「三重の意味での異邦人」の立場でそれに取り組み、音楽化したということを念頭におくべきだろうと思う。アドルノの言を借りるならば、それは若き日のマーラーにとって、後に「大地の歌」におけるベトゥゲの漢詩の追創作(nachdichtung)がそうであったように「仮晶」であった。吉田さんもまた別の文章(先に触れた1973年から1974年にかけて書かれた長大な論考「マーラー」)において、「旋律の知性化」として取り上げておられ、「ロマン主義者の夢見た自然と素朴の「喪失、解体」という明解な意識が、現実の正しい認識として、存在している事実を示している」(上掲の『決定版 マーラー』ではp.27)と述べるなど、マーラーの「旋律」を巡って極めて示唆に富んだ論考を展開しているが、そちらについて論じるのは本稿の範囲を大幅に超えてしまうので断念せざるを得ないので、ここではそれが高度の芸術意識の裏づけをもった「疑似民謡」(同書, p,56)であるに留まらず、吉田さんが別の歌曲≪シュトラスブルクの砦の上で Zu Straßburg auf der Schanz≫について的確に指摘した「「ここにないもの、あったけれど、いつか失われてしまったもの」をもう一度とり戻そうとする熱い望み」(同書, p.81)を背後に秘めているということを指摘するに留めたい。

 ところで吉田さんは、当日取り上げられた曲について記憶を辿りつつ、≪ラインの小さな言い伝え Rheinlegendchen≫と≪この小さな歌を思いついたのは誰だ Wer hat dies Liedlein erdacht?≫があったように覚えているのに対し、「もう一曲あったような気がするが何だったか」(同書, 同頁)と述べて候補として≪パドヴァのアントニウスの魚説法 Des Antonius von Padua Fischpredigt≫と≪トランペットが高らかに鳴り響くところ Wo die schönen Trompeten blasen≫を挙げているが、これはその後の話の展開――≪パドヴァのアントニウスの魚説法 Des Antonius von Padua Fischpredigt≫は別稿で取り上げられるし、≪トランペットが高らかに鳴り響くところ Wo die schönen Trompeten blasen≫については時代状況に照らした省察が繰り広げられ、文章の後半ではこの曲が専ら取り上げられることになる――に繋げるためにわざとそうしているのか、それとも過去の事(何しろ70年も前のことである)で本当に記憶が曖昧になっているのか、俄かには判断しがたいところがある。

 気になって調べてみると、森泰彦「日本におけるマーラー受容1924~1985—オーケストラ演奏記録が語るもの」(『ブルックナー・マーラー事典』(東京書籍, 1993)所収 , p.504)によれば、1938年1月9日の第187回定期演奏会でローゼンシュトック指揮の下、関種子さんが歌ったのはやはり三曲で、「ラインの小さな言い伝え」「この小さな歌を思いついたのは誰だ」とともに取り上げられたのは「無駄な骨折り」であったとのこと。森さんの論文は1993年には出版されているから、吉田さんは『すばる』寄稿の一連の文章を執筆するにあたり参照することは可能だった筈であり、そうでなくても吉田さんのような方が調べようと思えば、幾らでも調べられた筈なので、つい、話の行きがかり上、わざと記憶が定かでないふりをしたのでは、という勘繰りをしたくなる訳である。

 ついでなので、関種子さんの歌った3曲のうち Wer hat dies Liedlein erdacht?とRheinlegendchenとはマーラーの作品の最初期の録音で取り上げられる「定番」曲であったことも指摘しておきたい。特にWer hat dies Liedlein erdacht?の「人気」は突出しており、現在知られている限りで最も時期を遡る Grete Stückgoldの管弦楽伴奏による演奏(1915年説もあるが、そうでなくても1921年迄は遡れるようだ)がそうだし、Lula Mysz-Gmeinerがピアノ伴奏で歌ったもの(1925ないし1926)、同じくLula Mysz-GmeinerがJulius Dahlkeのピアノ伴奏で歌ったもの(1928)、更にはElizabeth SchumannがGeorge Reversのピアノ伴奏で歌ったもの(1930)がある。またRheinlegendchenもまた、Dol Dauber Salon Orchesterによる「歌唱なし」の録音(1928)があり、1931年にはHeinrich SchlusnusがHermann Weigertの指揮するベルリン国立歌劇場管弦楽団とともに演奏したものがあるといった具合である。ローゼンシュトックが1938年にマーラーの歌曲を採り上げるにあたって、そうした録音のことを知っていて念頭においていたかどうかはわからないし、そもそも何故この2曲なのか、色々と想像はできても確かなことはわからないまでも、少なくとも当時の「流行」のようなものがプログラムとして選択する背景にあったのではないかと推測される。

 そして吉田さんはその次の回で、今度はその2曲のうちRheinlegendchenを取り上げて、ここでも冒頭、関さんの歌唱の回想が綴られることになる。だがそれも、その後に個別に採り上げられる≪パドヴァのアントニウスの魚説法 Des Antonius von Padua Fischpredigt≫についての文章も、最後に句読点を打つべく書かれたかのような≪告別≫についての文章も、個別に採り上げて論じるのは別に機会に譲るとして、ここでは吉田さんの『永遠の故郷 真昼』所収のマーラーに関する一連の文章における指摘の中で、マーラーの個別の作曲に触れたものではないけれど、私見では極めて重要と思われる点について触れることでこの小文の結びとしたい。

 それは『永遠の故郷 真昼』のマーラーの歌曲に関する一連の文章の中での折り返し点を為す、「「ヴンダーホルン」とは何か」の中での、まさに題名通りの「不思議な角笛」についての指摘である。実際にはこの文書は、題名のテーマのみを扱っているのではなく、個別の作品としては「シュトラスブルクの砦の上で」が取り上げられているのだが、私が注目したいのは題名のテーマそのものに対する答の方で、その中でも特にヴァ―リヒのドイツ語辞典のWunderhornの項を調べて結果が報告されている部分である。

 曰く「ヴンダーホルンとは神話学的にいうと、決して飲みつくせない角型の容器」(上掲書, p.91)のこととされているというのである。更にグリムの辞典には「オルデンブルクのヴンダーホルン」という項目があり、これは1474年にケルンの金細工師が作った銀製のTrinkhorn(飲料を盛った角型の容器)であり、以下に示すアルニム=ブレンターノ篇の詩集第2巻のお馴染みの表紙の挿絵はまさにそれを描いたものだとのこと。


 更に吉田さんはグリムの辞典の記述を引き「グリムには、これが神話学的には幸福の象徴であり、花や果物を満載した容器で、多産性、豊穣、過剰などを意味するとある。」(上掲書, p.92)としており、「以上、「ヴンダーホルン」と名づけられたこの詩集は、手にとってみれば「汲めどもつきせぬ興趣あふれる読みもの」にほかならないのである。」(同)とまとめていて、勿論、そのことに異論の余地はないのだが、これを読んだ私は、別のあることを思い浮かべたので、それについて備忘のために書き留めておきたい。

 私の参照先は、レヴィ=ストロースの「クレチャン・ド・トロワからワーグナーへ」である(佐々木陽太郎訳が『現代思想 1985年4月 特集=後期レヴィ=ストロース」に収められており、私はそれを参照している)。レヴィ=ストロースによれば、「聖杯伝説」の聖杯(グラール)とは、ケルト神話に由来しており、「グラールは奇跡をうむ器のひとつととらえることができよう。すなわち、皿にせよ、籠、丼、角杯、鍋にせよ、それを用いる者は尽きることなく食物を手にし、あまつさえ不滅の生命を手にいれることもないではない」(上掲書, p.43)。もうおわかりのことと思うが、私が指摘したいのは、ヴァ―リヒやグリムの指摘に従えば、「子供の魔法の角笛」は、ワグナーの「パルジファル」のベースとなった神話における聖杯(グラール)に他ならないということに尽きる。

 アルマの回想録などから、マーラーは「パルジファル」の元となった伝説、特にヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハの叙事詩は読んでいたらしいが、だからといって、両者に存在する疑いようのない連関に気づいていたかどうかは別の問題だし、そもそも自分の歌曲の題材である民謡詩集の題名と、ワーグナーの最後の舞台作品の元となる伝説に関係があったところで、それが直接的にマーラーの創作に関して何かを解き明かす鍵になるわけではないだろう。だがそうであったとしても、アルマの回想に収められたイダ・デーメル(詩人のリヒャルト・デーメル夫人)の日記が証言するところによればマーラーにとっては「幼いころから特別な因縁があった」それ、「完成された詩ではなくて、だれもが思いのままに鑿をふるえる岩の塊」であった「子供の魔法の角笛」(吉田さんの拘りにも関わらず、この文脈を踏まえた時、私は敢えて「少年」よりも「子供」を、「不思議」よりも「魔法」のニュアンスを採りたいように感じる)という詩集は、彼がそこからかくも豊かな作品を彫りだすことができた「汲めどもつきせぬもの」=「聖杯」であったということは言えるだろう。

 だが更に今一度、レヴィ=ストロースに立ち戻り、彼が「オイディプス神話」と対比させつつ「ペルスヴァル神話」に何を見出していたか、更にまた、マーラーが良く知っていたヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハとワグナーが、聖杯(グラール)に対する問いをどのように変換したと指摘しているかを確認してみよう。

「ひとも知るように、ワーグナーは提起されることのない問いというモチーフにたじろぎを覚えた。同じ機能を果たしながらも、いわばその逆をゆくような別のモチーフに切り換えている。意思疎通が保証、確立されるに至るのは、知性の働きによるわけではない。感情面での自己同一化が鍵になる。パルジファルはその存在の根にあるドラマに「いま一度立ち会う」までは、グラールの謎を「理解」せず、それはいつまでの解けないままだ。まさしく、ドラマは破れ目をなす。そして、主人公は生身に痛いほどドラマを感じており、したがって、もはや単に此岸と彼岸とのあいだにあるだけではない。感受性と知性、苦しみにもがく人間と他の生の形態、世俗の価値と霊性の価値のあいだにあるといわざるを得ない。こうして、ワークナーはショーペンハウアーから、一気にジャン・ジャック・ルソーと合流する。ルソーこそは憐憫、および他者との自己同一化を、社会生活と分節言語の出現に先だつ意思疎通の原初の様態とみなしたはじめての人物である。それによって、人間は互いに、また他のあらゆる生の形態と結びつくことができるという次第だ。」(同書, p.55)

  上記を踏まえて今一度確認しよう。なぜ「仮晶」でなくてはならないのか?それはもう明らかなことだろう。答えは以下のようなものになるのではなかろうか。「提起されることのない問い」を問うことは、子供、さすらい人、異邦人、故郷を持たぬ者によってのみ可能になるから。アドルノがマーラーについて論じたモノグラフの末尾で、まさに「子供の魔法の角笛」歌曲集を念頭に置きつつ「隊列からはずれた人々、踏みつけにされた人々だけが、また見捨てられた前哨兵や美しいトランペットの音で埋葬された者、あわれな鼓笛兵、まったく自由ではない人々こそが、マーラーにとっては自由を体現している。」(アドルノ『マーラー 音楽観相学』, 龍村あや子訳, 法政大学出版局, 1999, p.205)と述べたように、聖杯(グラール)に神話的な機能を取り戻すことを可能にするのは、排除され、疎外された者にしか可能でないから、それは「仮晶」であるときにしか、「ありえたかもしれない民謡」である時にしか「聖杯」ではありえないからなのだと。

付記:なお「ありえたかも知れない民謡」としてマーラーの歌曲を捉えようとした小文として「「ありえたかも知れない民謡」としてのマーラーの歌曲についての覚書」があります。併せてお読み頂ければ幸いです。また、マーラーの音楽におけるワーグナーの「パルジファル」との関連についても、アドルノが既に指摘していますが、こちらについては「アドルノの「パルジファルの総譜によせて」中のマーラーへの言及」をご覧いただければと思いますが、そこにおいて結節点となっているのが、まさに「子供の魔法の角笛」に基づく第3交響曲第5楽章であることを申し添えておきたく思います。

(2025.4.6 公開, 4.7,10 付記)


2024年6月6日木曜日

マーラー祝祭オーケストラ第23回定期演奏会を聴いて(2024年5月26日 ミューザ川崎シンフォニーホール)

マーラー祝祭オーケストラ第23回定期演奏会
2024年5月26日 ミューザ川崎シンフォニーホール

プフィッツナー 音楽的伝説『パレストリーナ』第1幕への前奏曲
マーラー リュッケルトによる5つの歌曲(私の歌をのぞき見しないで, 私はやわらかな香りをかいだ, 真夜中に, 美しさゆえに愛するなら, 私はこの世に忘れられ)
マーラー 第10交響曲(デリック・クックの補筆による演奏用バージョン)

井上喜惟(指揮)
蔵野蘭子(アルト)
マーラー祝祭オーケストラ

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 半年前に井上喜惟さんとマーラー祝祭オーケストラによる「嘆きの歌」のコンサートに立ち会うべく、2020年の新型コロナウィルス感染症の流行以降初めてコンサートホールに出かけた時に、既に感染症法上の分類が変更されて半年が過ぎていて、ホールに向かう途上の鉄道の混雑と駅の雑踏は旧に復していたように記憶していますが、今回、半年ぶりに再びコンサートに赴くべく土曜日の昼頃にミューザ川崎のある駅に向かいました。インバウンドの旅行客の増加のせいか、一層激しくなったように感じられた混雑に狼狽し、そちらこちらで聞かれる咳の音に心を驚かされつつ、普段その中に逼塞している環境との余りの違いに対する戸惑いの儘にコンサートホールに到着し、携帯電話に着信がないことを確認してから電源を切り、自分の座席を確認して開演を待つ間、自分がその場に相応しくない存在のように感じられるとともに、自分の現在の精神的・身体的状態が、これから接することになる演奏を、それに相応しく受け止めることができるかどうか、耐えきれなくなって途中で席を立ちたくなってしまうのではという思いに囚われていたことが鮮明に、生々しい感覚とともに思い起こされます。

 この日のプログラムには冒頭にプフィッツナーの「パレストリーナ」前奏曲が含まれていましたが、そもそもプフィッツナーの作品といえば、数十年前に1曲だけ、FM放送で確か若杉弘さんの指揮で「キリストの小さな妖精」の序曲を聞いたことがあるだけ、「パレストリーナ」についてもそれがブルーノ・ヴァルターやトーマス・マンに支持された「代表作」であるという断片的な知識のみしかない状態で接したので、何かをコメントする資格などなく、いつもの通りに有識の方に委ねることとして、以下ではマーラーの作品についてのみ感想を記しておきたく、まずは最初の曲の後、休憩を挟むことなく引き続いて演奏された「リュッケルト歌曲集」について記したく思います。

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 実は私は、実質はソロ・カンタータとも連作歌曲集とも見做されうる交響曲「大地の歌」を別にすれば、マーラーの「歌曲」の実演に接したことがこれまで一度もありませんでした。私の場合にはそもそもコンサートに赴く機会自体がほとんどないため、接する機会がない理由にはなりようがありませんが、それでもなお交響曲に比べて管弦楽伴奏の歌曲の演奏頻度は、その価値を思えば不当と感じられる程低いことを感じます。勿論そこには恐らくそうならざるを得ない様々な理由があるわけで、まず演奏会を企画する側からすれば歌手を招かなくてはならないという問題がありますが、同じソリストを招くにしても、それなりのスケールとポピュラリティのあるレパートリーを多数擁し、大向こうを唸らせるような名人芸の披露によって集客の効果さえ期待できる協奏曲とは異なって、歌曲は基本的にはピアノ伴奏でリサイタルで演奏されるスタイルが標準であり、管弦楽伴奏版は或る種例外的な位置づけになってしまうのは避け難く、数多あるレパートリーの中から管弦楽伴奏歌曲が数の限られた公演プログラムの中の一曲として選択される機会はどうしても限定的なものにならざるを得ません。また歌曲には当然ながら歌詞があり、歌詞が聴きとれて理解できることが聴取の前提となる点も敬遠される理由になっているかも知れません。管弦楽伴奏歌曲に対して西洋音楽史上の或る時期のコンサート需要に応じて生産された製品であるという見方を採れば、一世紀の後、そのニーズは最早極めて限られたものになっている上に、文化的伝統が異なる地球の裏側では、そもそも「歌曲」というジャンルを受け入れる素地が極めて限定されたものでしかないというのが実情なのかも知れません。必ずしも「歌」が駄目というわけではないのは、ポピュラー音楽の分野を見れは明らかですし、クラシック音楽においても、例えば「オペラ」については稍々違った状況のように感じられますが、ここでは、歌曲と交響曲の作曲家であるマーラーの作品において、その交響曲の受容の度合いを思えば甚だしくバランスを欠くと思えるほどに歌曲が取り上げられないこと、それを考えれば、前回のカンタータ「嘆きの歌」の上演同様、今回の「リュッケルト歌曲集」についても、マーラーの名を冠するオーケストラの矜持を示す、意義深い企画であることを一言記しておきたいように思います。私個人について言えば、この「リュッケルト歌曲集」は、交響曲を含めても、マーラーの作品の中で最も身近に感じられ、演奏の録音を通じて、或いは楽譜を通じて、更にはMIDIデータの分析といった仕方も含めて、繰り返し接し、親しんできた作品であり、聴く頻度だけ取れば、歌曲集の中でも飛びぬけて高いだけではなく、交響曲と比してさえ勝るとも劣らない作品でしたから、まずこの作品の実演にようやく接することができたことに対し、更にそれが自分が居る同じ空間の中でリアライズされるのに立ち会うという経験そのものに対し、喜びもひとしおのものがありました。

 「リュッケルト歌曲集」は「さすらう若者の歌」や「子供の死の歌」、或いは「大地の歌」とは異なって連作歌曲集ではなく、「子供の魔法の角笛」に基づく歌曲がそうであるように、個別の歌曲を一まとめにしただけなので、曲順が決まっているわけではないし、そもそもが5曲まとめて演奏しないといけないわけでもありません。更に言えば、マーラー自身が管弦楽伴奏版を作成したのは4曲だけ、作曲の経緯からしても他の作品とは区別される「美しさゆえに愛するなら」は、その経緯に相応しくピアノ伴奏版のみで、管弦楽伴奏版は他の編曲者による後補になることから、この歌曲集を取り上げるにあたっては、非常に多様な選択肢がありえることになります。例えばマーラーが1905年1月29日にこの歌曲集の管弦楽版の初演を行った時には、(当然ながら)「美しさゆえに愛するなら」を除いた4曲が、「私はやわらかな香りをかいだ」、「私の歌をのぞき見しないで」、「私はこの世に忘れられ」、「真夜中に」の順番で演奏されています。それに対してこの日のプログラムでは、マックス・プットマンが管弦楽版を作成した「美しさゆえに愛するなら」を含めた5曲全てが取り上げられ、「私の歌をのぞき見しないで」 「私はやわらかな香りをかいだ」、「真夜中に」、 「美しさゆえに愛するなら」、 「私はこの世に忘れられ」の順番で演奏されました。当然のことながら演奏の順番というのは作品解釈の一部であって、正直に言えば、私個人が選択するであろう順序と、この日の演奏順序は異なるものでしたが、接してみると調的配置の面でも、物語的・心理的な流れからも自然な排列であり、しかも後述するような印象が残ったのは、偏にこの順序によるものではないかと考えられ、蒙を開かれる思いがしました。

 「リュッケルト歌曲集」の管弦楽は交響曲に比べれば遥かに規模の限られたもので、寧ろ室内管弦楽の嚆矢と見るべきで、その書法は中期の交響曲よりは寧ろ「大地の歌」の中間楽章に繋がるような、時として工芸品を思わせるような、繊細で微妙に移ろう色彩を備え、管弦楽伴奏であるにも関わらず、外に向かって広がっていくよりは内面に沈潜していく傾向が強いと感じますが、ーー岡田暁生先生は、この「リュッケルト歌曲集」を「ユーゲントシュティール・リート」というジャンルを開拓した作品と規定されていますが、これは卓見であると考えます(「ユーゲントシュティールと世紀末の作曲家たち」参照、『キーワード事典 作曲家再発見シリーズ マーラー』, 洋泉社, 1993, 所収)ーー、この日の演奏は、豊かな色彩感はそのままに、移ろいゆく響きの流れの豊かさが印象的で、隅々まで良く歌って非常に雄弁でさえあり、それがしばしば歌曲というジャンルをはみ出て寧ろオペラの一場面を思わせるようなスケールの大きな劇的な盛り上がりを示す点でユニークな演奏であったと感じました。そうした管弦楽の動きは勿論、歌手の歌唱スタイルに反応したものであって、一つ一つの言葉に込められた感情、ニュアンスも驚く程に多彩であり、通常の歌曲の歌唱であれば、或る種の抑制の中でフォルムを崩さないことを優先して表現されるものが、この日の蔵野さんの歌唱においては、呟きや囁きに近い弱音から、大きなコンサートホールに響き渡るような強靭な節回しに至る迄、驚くべき多彩な幅を持ったものであった点が強く印象に残りました。またこれは色聴という私個人の体質に固有のものなので一般性はないかも知れませんが、管弦楽ならではの調性の変化に対応した色彩の変化が録音で聴いた時に比べて、比較にならない程鮮やかなのには驚かされました。具体的に記述すれば、透明感のある、柔らかな光がたゆとう第1曲、曲頭の零れ落ちるような緑色が中間部分で第5曲を思わせる暖色系に変化した後、末尾でふっと元の色に戻るコントラストも鮮やかな第2曲、色彩よりも明度の変化に勝り、闇の暗さから眩い蒼天の輝きに至る第3曲、同じく色彩の点ではニュートラルで、途中に微妙な陰影を交えて、だが全体としては一貫して晴朗な第4曲、そして、聴き手を包み込むような暖色系の穏やかな光の中で中間部の色彩の微妙な変化が美しい第5曲というのがそのアウトラインになるでしょうが、実際の細部の色彩と輝きの移ろいの微妙さは文字通り筆舌に尽くし難いものがありました。

 それと同時に、数十年の長きに亘り聴き続けて親しんできたにも関わらず、この実演に接して初めて思い至ったこともあります。それは特にこの曲集の中では、特に第5曲(「私はこの世に忘れられ」)が体現している「孤立」のことで、それは一面において第3曲(「真夜中に」)のような、実存的な単独者性と隣り合わせでもあるのですが、それでもそこでの「真夜中」は、例えば第3交響曲第4楽章の「夜」とは異なって、虚無に陥っていく傾向のものではなく、それは寧ろ交響曲の世界では猛威を振るう「世の成り行き」の最中に穿たれた異空間であって、特に第5曲では外部からは遮断されたその内部は親密さと安らぎに満たされているのですが(丁度、第6交響曲の世界を裏側から眺めているような感覚もあります)、それが望まれていはしても実際には実現しないがゆえに夢想され、希求されるものではなく、たとえ儚く仮初のものであるにせよ現実のものであって、確かにその中に主体が住まって安らっているというリアリティが今回の演奏を通じて強く感じられたのが印象的でした。

 それでふと思い浮かんだのが、アルマの回想録の1903年から1906年までの期間が「輝かしい孤立」と名付けられていたことで、マーラー自身がアルマとの生活をこのように呼んだことに由来するとアルマは一連の章の冒頭に記しています。アルマとの生活が必ずしも穏やかで安らぎに満ちたものではなかったことは既に良く知られていて、くだんのアルマの回想もまた、その背後に数多くの言い落しがあることが明らかにされており、そしてその葛藤の最大のものが第10交響曲の創作の背景の一部を為しているというのは余りに有名なことですし、実は「リュッケルト歌曲集」のうち、アルマへの私信としての性格を持つ「美しさゆえに愛するなら」以外の4曲は、1901年11月のアルマとの出会いに遡って、その年の夏に書かれたものなので、伝的的事実に符合を見つけようとする類の試みはここでもあっさり頓挫することになるのですが、それでもなお、「輝かしい孤立」の中で、自分の出生や生い立ちに纏わる様々なしがらみから離れ、職場のいざこざや人間関係の軋轢からも離れて、ひとときであっても自分の価値観の中で生きることができることがもたらす深い慰藉と静かな喜びの気持ちが極めて直截な形で伝わってくるように感じられ、強く心を打たれたのでした。

 「輝かしい孤立」という言葉は、これは邦訳だけ見ていると気付かないかも知れませんが、原文は英語でSplendid Isolationであり、それが英語であるからには、直接には当時の大英帝国の外交政策を「栄光ある孤立」と呼んだことに由来するのでしょうが、その由来の側の政策の後日の歴史的評価が割れることも、マーラーのアルマとの生活についての後世の評価が割れることも、ここでは主要な問題ではないと考えます。また同様に、この歌曲集の持つ雰囲気にユーゲントシュティル的な自閉への傾きを感じ取り、そのあざといまでの人工的で工芸的な繊細さに或る種の閉塞や自己中毒の危険を嗅ぎ付けるといった方向性の指摘にも首肯できる面があるとは思います(例えば、典型的なユーゲントシュティル様式によるツェムリンスキ―の傑作「メーテルリンク歌曲集」についてであれば、躊躇することなく私も同意することでしょう)が、それでもなお、そうした「孤立」抜きで「世の成り行き」をやり過ごすことなどできないし、マーラーの創作においては、若き日には微睡みの夢の中にしかなく、そしてその後の作品においては、「大地の歌」、第9交響曲においてそうであるように、再び、最早それが現実のものではないという(否、ことによったら、一度も現実のものとなったことはないという)認識を伴った苦々しい回顧という形をとる他ないにせよ、ここでは(錯覚のようなものであれ)一時それが現実のものであると感じられたということ、そしてそのことが作品に刻印されているということ(とはいえ、それは自伝的作品ということではなく、寧ろ世界との関わりの様態、認識の仕方の反映と考えるべきなのですが)の方に一層の重きをおきたいように思うのです。何よりも実感として、この日の「リュッケルト歌曲集」の演奏に接した時に、「世の成り行き」に翻弄され、弱りきって疲労困憊し、乾ききっていた自分の心の中にどっと暖かなものが流れ込んできたように感じられ、自分が長らく離れ、忘れかかっていた大切な何かがふと姿を現したのに接したような、救われたような気持ちになったというのは紛れもない事実ですし、その効果は音楽を聴いている瞬間だけ錯覚を引き起こすような刹那的・一時的なものではなく、或る種のモードの切り替えを駆動し、「この世の成り行き」に立ち返った後においても知らぬ間に別の軌道に乗り移っているというようなものなのです。こうしたことを私が感じたことがこの日の演奏の客観的な質にどれだけ関わるかは判断がつきかねる部分もありますが、事実として書き留めて置きたく思います。更に付言するならば、「真夜中に」を挟んで、後半に「美しさゆえに愛するなら」を持ってきて「私はこの世に忘れられ」で結ぶというこの日の演奏の排列がそうした感じ方に影響したのは間違いないことで、これが先に、排列の物語的・心理的な合理性と述べたことの実質に他なりません。かくして井上さんの解釈の下、このコンサートにおいてマーラーの音楽が自分に手を差し伸べてくれるのを経験したということを、感謝の気持ちとともに証言しておきたく思います。

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 15分の休憩を挟んで、後半はデリック・クック補筆による5楽章版の第10交響曲。別のところでも述べたように、第10交響曲のクック版はマーラー祝祭オーケストラがまだジャパン・グスタフマーラー・オーケストラという名称であった2014年6月15日に同じミューザ川崎シンフォニーホールで行われた第11回定期演奏会で取り上げられており、今回は10年ぶりの再演だったのですが、私自身、この10年前の演奏に接しており(その感想は、ジャパン・グスタフ・マーラー・オーケストラ第11回定期演奏会を聴いてという記事として公開)、今回は2回目となります。初めて実演に接した「リュッケルト歌曲集」に比べると、その点については遥かにリラックスした気持ちで演奏に接することができた一方、冒頭記した、自分の精神的・身体的コンディションが作品を受け止めるに十分なであるかどうかについては全く自信がなく、恐る恐るという感じで、第1楽章アダージョ冒頭のあの有名なヴィオラのパート・ソロを聴き始めることになりました。結論から言えば、演奏者の凄まじい集中力に引き込まれて、一気に最後まで聴き通してしまったというのが実態で、演奏の充実は、終演後のオーケストラの皆さんの感極まったような、それでいてどこか晴れ晴れとした表情に尽くされていると感じられ、こうした素晴らしい演奏に立ち会えたことの幸運を強く感じつつ拍手をしました。その一方で、そうした達成を目の当たりにして、自分がプログラムに寄稿した文章が色褪せたものに感じられ、自分の文章が如何に非力で無力であるかを痛感せずにはいられませんでした。そうしたこともあって、公演プログラムに寄稿させて頂いた文章も含め、第10交響曲について既に記事として公開している内容を繰り返す愚を犯すことは避け、拙いものになることは承知の上で、とりあえずは今回の公演の印象のみを書き留めておきたいと思います。更には、印象に残った細部については列挙に暇がないとは言うものの、今回の演奏について言えばそうした細部を取り上げることの必要性を強く感じないことから、そうすることは必要で相応しい別の機会に譲ることとして、全体的な印象だけを記して感想に替えさせて頂きます。また同一指揮者・同一オーケストラにより同一曲の再演ということであれば、前回の演奏との比較というのが関心事の一つになると思いますが、前回が10年前のことであり、その公演の記録はyoutubeでも公開されていて、いつでも何度でも接することができるとはいえ、当日に演奏会場で受けた印象や感じたことをもひっくるめての比較を行うことには困難が伴うことから、基本的には今回の公演の演奏から受けた印象に絞って記すことにさせて頂きます。(前回との比較ということでは一つだけ、第4楽章末尾から第5楽章冒頭にかけて連打されるバスドラムは、今回もまた前回と同様にステージ上のパイプオルガンのパイプに程近い客席の高いところに置かれ、丁度マジェスティック・ホテルの高層階から通りで行われた葬儀を眺め、大太鼓の音を聞いたマーラーやアルマとは上下関係が入れ替わって、その音はどこか遠くの上の方から降ってきてステージの上空の空間自体が振動しているかのように客席に降りてきて、会場全体に響き渡ったことを備忘のために記しておきます。)

 今回の演奏の全体的な印象を一言で言えば、聴き手を圧倒する、演奏者の凄まじいばかりの集中力と、細部に拘って響きのバランスや音色を磨き上げるよりは音楽の流れを重視し、恣意性を排した自然なテンポ設定で作品の大きな構造を浮かび上がらせるとともに、各パートが表情豊かに歌いきるといった点にその特徴があったように感じます。勿論、第10交響曲のような長大な作品の場合、集中が疲労との応酬の関係にあることは避け難く、この公演においても特に作品の終わりに近づくにつれて傷が目立つことがなかったとは言えませんが、そうした点を指摘すること自体が場違いでナンセンスなことであると感じられる程に、まさに一期一会と形容するに相応しい、燃焼力の高い演奏であり、何者かが降りて来たかのような奇跡的な瞬間も幾度となくありました。10年前の演奏では個別の細部に立ち入れば、まだ些か手探りのようなところがないとは言えなかったのに対して、今回は完全に曲が手の内に入ったかのような、自在で表現意欲が迸る生気に富んだ演奏で、全体を俯瞰してのコヒーレンスの高さが際立っていたように思います。

 前回同様、今回の演奏でも使用された演奏用バージョンを作成したデリック・クックは自分の作成したバージョンを(他の一部の補筆版作成者のように)決定的で、改変の余地のないものとはせずに、自分のバージョンに基づいて更に独自の改変を施したオリジナルなバージョンを作成することに対しても否定的ではなかったようですし、実際に既にそうした実例も幾つか存在しますが、今回の演奏は基本的にクック版のスコアをそのまま忠実に実現する形で行われました。そしてそのことを踏まえると、より自由に加筆を行っている他の補筆バージョンに比べてしまうと控えめで、稍々もすれば禁欲的で響きが薄いという印象を受ける瞬間がないとは言えないクック版を楽譜通りにリアライズしているにも関わらず、特に近年のマーラー祝祭オーケストラの備えている、芯のあるずっしりとした手応えを感じさせる響きによって、輝きに満ちて雄弁とさえ感じられるものになっていることに驚き、圧倒されました。管弦楽の全てのパートが凄まじいばかりの集中力をもって演奏された結果として、マーラー固有の対位法的な線の絡み合いが鮮やかに浮かび上がり、普段より聴きなれている筈のディティールのそこかしこで、こんなにも雄弁で意味深い表情が込められていたのかと気付かされ、驚くこともしばしばでした。またこのことにはステージの上での対抗配置の採用、すなわち第1ヴァイオリンの反対側に配置された第2ヴァイオリンやヴィオラといった中声部の充実が音響的な幅をもたらし、第1ヴァイオリンのすぐ向こう側に配置されたチェロやバスのパートの安定が奥行に豊かさをもたらしていたことも大きく与っていたと思います。

 テンポの設定が他の解釈に比べた時にユニークな印象を受けるのはいつものことですが、今回特に感じたのは、各楽章に含まれる複数のテンポ間の相対的な関係の設定が、オーケストラの各パートが歌いきるという観点からみても合理的であるということで、更にそれに加えてテンポが常に流動し、時として渦を巻いてうねるような効果を生みだしており、リズムの有機性が際立ち、頻繁に生じる変拍子の交替によって音楽にドライブがかかって聴き手をも引き込んでいくような強い身体性を帯びたものとなっていました。

 総じて指揮者の井上喜惟さんがクック版のスコアから読み取った第10交響曲という作品の持つ複雑さ、豊かさが余すところなく提示され、しばしばクック版に物足りなさを感じてか楽器法に手を加えるようなことが行われ、或いはクック版とは別に、より雄弁で饒舌なバージョンが作成される例も今や数多くありますが、そうした改変や異稿を不要とするような説得力に満ち、クック版の持つポテンシャルが(狭い私の聴取経験からすればこれまでに経験したことのない程に)発揮された稀有な演奏であったと考えます。そしてその結果として、現実には未完成のまま遺されたにせよ、マーラーの全作品の頂点に立つことになったであろう、この第10交響曲のありうべき姿が、デリック・クックと彼を助けたゴルトシュミット、マシューズ兄弟の補筆作業と、井上喜惟さん率いるマーラー祝祭オーケストラのリアリゼーションとの時と場所を隔てた共同作業によって十全に提示された演奏であったと認識しています。

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 コンサートに出かけることは、人によっては日常生活の一部であるかも知れないし、非日常的な例外的な出来事かも知れません。それはその人がコンサートに出かける頻度や、個別の公演が持つ意味合いに依って変わるでしょうし、公演の持つ意味合いというのは、演奏される曲目、出演する演奏者から始まって、公演の日時(平日の夜か、休日の昼間か)、公演会場となるコンサートホール、或いは例えばそのホールと自宅との位置関係といった、一見したところ些末に至る迄の様々な条件を介した、その公演とその人との関わりの様相に応じて様々でありうるし、それらの条件に応じて、そもそもそのコンサートに出かけるかどうかの取捨選択がまず行われるに違いありません。そしてそうして選択されたコンサートから受け取るものについても、上述のような聴き手一人一人が持っている諸条件に加え、例えば座席の位置、客席の埋まり具合といったものがその場で鳴り響く音響を受け取るのに少なからぬ影響を及ぼすでしょうし、その時の聴き手の心理的な状態、体調といったものに聴取の経験は容易く影響されてしまいます。聴き手は演奏を評価し、ことによったら点数付けをさえする神のごとき評価者ではありません(それは「音楽の聴取」とは別の何かで、その別の何かであればAIで置き換えることも可能でしょう)。聴き手は限りなく多様なパースペクティブのうちの一つに過ぎず、背後にある自分が受取るものの由来を知ることはできないし、聴取の脈絡もまたコンサートが行われるその場所と時間に限られるわけではなく、その外に果てしなく広がっているのであり、聴き手はそうした中で自分の能力の限界の範囲で出来事に立ち会う他ないのです。

 このような自明のことを延々と書くのも、まずは私にとってこのコンサートの持つ意味が事実として例外的なものであったからで、更には、このコンサートから自分が受取ったものが特殊個別的な自分の状況に強く拘束されたものであることをまず何よりも感じずにはいられなかったからに他なりません。例えばこの公演が平日の夜だったり、土曜日であれば現在の私が出かけることは叶わなかったでしょうが、それだけではなく、このコンサートの前日、当日の午前中にトラブルがあって、その経過によっては出かけることを断念せざるを得なかった可能性もあり、幸いにしてコンサートに出かけてから戻る迄の時間は平穏であったものの、その後もコンサートで受け取ったものに向き合う余裕がないまま、こうして10日程の日々が過ぎ去ってしまいました。私を「忘れて」はくれない「世の成り行き」との関わり合いの中で断片的された空き時間を縫うようにして、こうして感想を書い継いでいる今も尚、自分が遭遇した出来事の例外性を記録し、証言するのに相応しい状況とは率直に言って言えないと感じ、今や自分がその場で垣間見たものから場違いな程にまで隔たって、自分のキャパシティを超えたものを抱え込んで了っているという感覚から逃れられずにいます。未だそれを受け取るに相応しい程には熟していないばかりか、そもそも自分はそれを受け取る資格を始めから持っていない、無縁な存在なのではという疑念から逃れることも困難なようです。そうであれば、いっそのこと向き合うことそのものを断念してしまえば良いという考え方もあるでしょうし、実際にそうした思いが去来しない訳ではなくとも、今度は自分が受取ったものの重みがそれを受け取った事実を証言しないで済ませることを許しません。とりわけてもマーラーの音楽は、「世の成り行き」の中で落伍し、打ち捨てられた人々に対して手を差し伸べる音楽であり、その投壜通信を拾う名宛人としての権利が私には確かにあると思うことができる稀有な存在なのです。しかも第10交響曲が私が彷徨う岸辺に辿り着くには、他の作品にはない紆余曲折があり、仮に私が投壜された手紙そのものを拾っても、判じ絵か暗号文字の如きそこに自分宛のメッセージを読み取ることなどできなかったでしょう。そうした事情もあって、どんなに拙い仕方であっても、受け取ったものの価値に比して取るに足らないものであっても、それが起きたことを証言するのは、或る種の出来事の経験に関して言えば、立ち会った者に課された義務なのだということを常々感じてきましたが、そのことを今回のコンサートについて程強く感じたことはなかったように思います。私が消え去っても、私が受取った作品は私を超えて存続するし、恐らくは前回同様、今回の演奏記録も収録され、いずれは前回同様youtube等で公開されて共有の財産となり、或る種の永続性を獲得することになるであろうとは思いますが、それに留まらず、当日会場に居たて、私を含めた聴き手の一人一人が異なるパースペクティブの下で経験したこともまた損なわれることなく何らかの形で存続して欲しいと願わずにはいられません。なぜならば、それらの総体が「音楽」に他ならないからです。

 前回の「嘆きの歌」の公演もそうでしたし、今回の公演でも改めて、私にとってそれは、娯楽としての消費であれ、所謂教養としての「音楽鑑賞」であれ、そうしたことを目的として演奏会場に赴くというよりは寧ろ、例えば現代日本の作曲家・メディアアーティストの三輪眞弘さんが仮構する、消え去った何者かを追悼し、記憶するための儀礼により近いようだということをはっきりと感じました。そしてそのことが、私にとっては、アドルノがヘーゲルを参照していうところの「世の成り行き」をやり過ごすためのほぼ唯一の「抵抗」の拠点であるということもまた、強く認識しました。我々はミームの存続のための媒体に過ぎず、シェーンベルクは第9交響曲に関して作曲者を「メガフォン」に喩えましたが、作曲家のみならず、演奏者、聴き手もひっくるめて、「音楽」に関わる我々全てを通して他の何者かが語るという点が重要なのであって、マーラーが「音楽」を世界のようにすべてを包括するものでなくてはならないと語ったことの少なくとも一面は、こうした認識に繋がっているものと思います。マーラーは自分の営為を、愛読したゲーテ『ファウスト』第1部の地霊の科白を引用しつつ「神の生きた衣を織ること」であると述べたことがありますが(1896年11月18日にハンブルクからリヒャルト・バトカに宛てた書簡)、マーラーが遺した作品がそうであるように、このコンサートにおけるその作品の演奏もまた、「神の生きた衣を織ること」と喩えるに相応しく、語り継がれるべき出来事であったと確信しています。そのことをここに証言するとともに、そうした達成を実現した、まずはマーラーその人と、とりわけても第10交響曲についてはデリック・クックと彼の補作を支援した人々(更にもう一度、「輝かしい孤立」をマーラーその人とともに生き、没する直前に、まるで遺言のようにクックの作業に対する支持を表明したアルマのことも今一度思い起こしましょう)、そして井上喜惟さんのもとに集った演奏者の皆さんに対して感謝の言葉を記してこの稿を終えたいと思います。(2024.6.6公開, 6.7加筆)

2024年5月27日月曜日

音楽の鳴り響く「場所」を求めて――第10交響曲クック版の再演に寄せて(2024.5.26 マーラー祝祭オーケストラ第23回定期演奏会によせて)

 マーラーの早すぎる逝去の後、未完成で遺された第10交響曲の受容の歴史は、ドラフトを演奏可能な形態にまで補筆する企ての歴史でもあった点で他の作品とは一線を画する。モノグラフ第二版へのあとがき(1963)、更には「グラフィックとしてのフラグメント」(1969)において表明された補作に否定的なアドルノの姿勢は、ブルノ・ヴァルター、エルヴィン・ラッツといった有力なマーラー擁護者とも共有され、国際マーラー協会の全集版では第1楽章のアダージョのみが出版され、演奏や録音においてもアダージョのみが取り上げられることが多かった一方で、ドラフトの一部のファクシミリの出版(1924)以降、様々な補作の試みが為されてきたことは、永らく実演においても録音においても頻繁に取り上げられてきたデリック・クックによる全五楽章からなる演奏用版に加え、新旧を問わず様々な補作版が演奏、録音されるようになった今日では最早人口に膾炙した事柄に属するだろう。更には近年のAIブームの最中にあって、2019年にはメディア・アートの分野で著名なArs ElectronicaにおいてAIによる補作が発表されたかと思えば、かつては特定の限られた人にしかアクセスできない、謂わば「秘教的存在」であったドラフトもパブリック・ドメインとなり、ネットワークを介して誰もがアクセス可能であることを思えば、第10交響曲の全貌は今や我々にとって明らかなものであるかの如くに感じられても不思議はなかろう。

一方で第10交響曲を巡っては、未完成作品であることも手伝って、他の作品にも増して多くのことが作品の周囲で語られてきた。その多くはドラフトに書き込まれた言葉や作曲当時の伝記的出来事を手掛かりにした標題に関する問いであったり、自伝的側面が強調されるマーラーの作品の中でもその度合いが著しいこの作品の成立と伝記的事実との関係の詮索であるが、それらは遂に作品そのものに辿り着かない感が拭えず、この曲が聴き手に与える印象の破格の強さ、その質の特異性を証言するものとしては、強い情動を伴う音楽の聴取経験に関する心理学実験における、この曲についての聴き手の証言の方が寧ろ勝っているようにさえ見える。

かつて私は第10交響曲のクック版を聴いて、ヘルダーリンの最後期の断片(Wenn aus der Ferne...「遠くから…」)を思い浮かべつつ、そうした「遠く」、人間が生きたまま到達できるとは到底思えない、辛うじて垣間見ることしかできない「場所」で鳴り響く音楽であると感じたのだったが、その感覚は数十年の後の今も変わることはない。シェーンベルクのプラハ講演(1912)の末尾は第10交響曲への言及で結ばれるが、そこではこの曲について「未だにわれわれが知る由もなく、未だに迎える覚悟もできていない何かがわれわれに授けられでもしそう」(アーノルド・シェーンベルク「グスタフ・マーラー」,『シェーンベルク音楽論選 様式と思想』, 上田昭訳, ちくま学芸文庫, 2019 所収, p.160)だと述べられている。そのシェーンベルクの顰に倣えば、 私は自分がまだそれを受け止めるところまでに熟しておらず、それを知ってはならないような気持ちに捉われてならない。そしてこの信じられない程の強度を持つフィナーレに圧倒されながら、自分が一体何を受け取っているのかをきちんと語ることが未だにできない。それが第9交響曲の先にあり、この作品によって第9交響曲や「大地の歌」に関する或る種の捉え方が否定されるのは確実だと思うのだが、さりとて音楽の鳴り響く場所がどこなのかを私はきちんと言えないのである。だがそういう場所があることを指し示す音楽の力は物凄いものだし、それを産み出すことが出来た人間が確かに居たということは、本当に感動的な、 それを思うだけでも胸が一杯になるようなことだし、音楽が示す風景を、所詮は音楽が終われば消え去る仮象として片付けてしまうことが、 この音楽について私は出来ない。どんなに大袈裟に響こうとも、知ってしまえば生き方が変わってしまう類の音楽であるという言い方はこの第10交響曲に関して、私個人に限って言えば誇張でも比喩でもない端的な事実なのである。

そうした例外的な音調をもたらすのに嬰へ長調という調性が寄与していることは疑いないだろう。それはオーケストラの楽器にとっては「鳴らない」調性であり、実現される音響にどこか朧気な雰囲気を与えているに違いない。一時は第1楽章のアダージョと対を為すフィナーレとして企図されたこともあったらしい第2楽章のスケルツォは決然とした嬰へ長調で終わるが、最終構想ではそこ迄を第1部とし、その後に「この世の営み」を示唆する変ロ短調の短い「プルガトリオ」によって開始され、スケルツォとフィナーレが続く第2部が置かれ、全体で二部五楽章制をとることによってマーラー固有のポリフォニックな多層性が実現することになる。フィナーレ末尾には調性の異なる二種の構想が存在するようだが、クックが選択したのは嬰へ長調の方であり、是非は措くとして、それによって音楽が持つことになる意味は決定的である。それはその帰結として生じる、この作品におけるニ長調の風景の特異性(フィナーレの30小節目から始まる、あの忘れ難いフルートソロの箇所を思い起こして頂きたい)からも明らかであろう。そしてその意味は第1楽章のアダージョのみではなく、全五楽章を聴きとおすことによって初めて確認可能となるのであって、このことを以てしてクックの補筆の意義は明らかなことと私には思われるのである。

客観的に見ればシェーンベルクの言葉は当時の状況に依存したものとして相対化してしまえるのかも知れないが、第10交響曲の全貌が明らかになったというのは思い上がりに過ぎず、未だそれが啓示されていないという認識は、一世紀後の今日も尚、有効であると私には思えてならない。シュトックハウゼンはド・ラグランジュのマーラー伝第1巻に寄せた文章において、宇宙人が人間を理解するという仮定におけるマーラーの音楽の卓越性を述べたが、二分心崩壊以後・シンギュラリティ以前の同じ「神の不在」のエポックの終端にあって、AIが補作を行うのを目の当たりにするようになった我々にとって、「人間の解体」の後に一歩踏み出しかかりつつも未完に終わった第10交響曲こそ、シンギュラリティの向こう側におけるポスト・ヒューマンにとっての音楽に関する重要な予感を告げる預言的な存在なのではなかろうか? 

かつて私は、第10交響曲は、第5交響曲にも比せられる転換を告げる作品なのではないかという仮説を提示したことがある。偶々この作品の生成の最中でマーラーの生涯が断ち切られたことによる行き止まり、終着点の印象とは裏腹に、それは次のエポックの開始を告げる音楽ではなかったか。その無調への接近に伴う和音の拡張に関して言えば、MIDIファイルを入力とした和音に関するデータ分析の結果もまた、マーラーが「発展的」な作曲家であることを裏付け、第10交響曲が未来に向かっての発展の途上にあることを証言している。この曲をある種の行き止まり、乗り越え不可能な限界とし、そこに西洋音楽の終焉を見る立場にも歴史的な正当性があるのだろうが、かつての「人間」の解体の後、シンギュラリティが現実味を帯び、機械が有機体と区別がつかなくなるポスト・ヒューマンの予感の最中、『再帰性と必然性』(原島大輔訳,青土社,2022)においてユク・ホイが試みるように、「非人間のなごり」を見出し、ありうべき「宇宙技芸」を思い描くことに共感する私は寧ろ、第10交響曲を通過点として第11交響曲がどのようなものになりえたかを問うマイケル・ケネディの姿勢に与したいように思うのである。第10交響曲を完成させ、更にその先にあるものを確認すること――それは過去のデータに基づく近似と汎化に基づき、例外的な「新しさ」をどうすることもできない現在のAI技術によっては到達困難であろうし、そもそも第10交響曲が垣間見せてくれる「遠く」の「場所」は遂にAIには無縁のものであろう――は、同じエポックの終焉を生きる「人間」ならぬ我々の責務なのではなかろうかと思えてならないのである。

演奏され、再演されることが音楽作品の成立に不可欠の条件であり、アドルノが傲慢にも言い放ったようにドラフトをファイルに入れて一人眺めることは、作品を奇妙な幽霊的な状態のまま辺土に幽閉するが如き仕打ちであることを思えば、演奏用バージョンを作成し、解説付きの放送により聴き手に届けようと企てた(一度きりの筈のその記録もまた、今やCD化されて我々の手元に届くようになっている)クックの功績の大きさは測り知れないし、その企てに接し、それまでの態度を翻して支援を行ったアルマの判断に我々は感謝すべきであろう。

そして第10交響曲が、同じ演奏者によって10年越しに再演されることの意義もまた明らかであろう。演奏の一回性に留まらず、指揮者が年を経るに応じて解釈は異なったものとなり、演奏もまた更新される。完成作と同様の資格では存在していない第10交響曲にとって、そうした地道な作業の繰り返しの積み重ねこそが、そもそもこの世に存在するための条件に他ならず、その行為によってのみ作品は都度新たに生を享け、未来に向けて新しい姿を浮かび上がらせ、それを受け止める準備が出来ているかを聴き手に問うのだということを、再演に接する一人一人が身を以て経験することになるだろう。そしてそれはプラハ講演の末尾のシェーンベルクの以下の言葉に対して、我々一人一人が応答することに他ならない。

「しかしながら、『第十』がまだわれわれに啓示されていない以上、われわれは闘いつづけなければならない。」 (2024.3.4初稿, 2024.5.27本ブログにて公開)


2024年5月26日日曜日

[お知らせ] マーラー祝祭オーケストラ(音楽監督・井上喜惟)第23回定期演奏会(2024年5月26日)

 マーラー祝祭オーケストラ(音楽監督・井上喜惟)第23回定期演奏会が本日、2024年5月26日にミューザ川崎 シンフォニーホールにて開催されます(12:45開場、13:30開演)。詳細は以下のマーラー祝祭オーケストラの公式ページをご覧ください。(当日券が発売されるようです。)

Mahler Festival Orchestra Offcial Site (https://www.mahlerfestivalorchestra.com/)



プログラムには、マーラーの第10交響曲のデリック・クックの補筆による演奏会用バージョン(全五楽章版よりなる、所謂「クック版」)及びリュッケルトによる5つの歌曲がプフィッツナーの「パレストリーナ」前奏曲とともに含まれます。第10交響曲のクック版はマーラー祝祭オーケストラがまだジャパン・グスタフマーラー・オーケストラという名称であった2014年6月15日に同じミューザ川崎シンフォニーホールで取り上げられており、今回は10年ぶりの再演となります。10年前の公演に接した本ブログ管理人の感想は、ジャパン・グスタフ・マーラー・オーケストラ第11回定期演奏会を聴いてという記事として本ブログで公開しています。

今回の公演における第10交響曲クック版の再演に際してプログラムノートに寄稿させて頂いておりますので、是非ともご一読頂ければ幸いです。

また本ブログでは、上記の公演の感想以外にも、第10交響曲に関連して以下のような記事を執筆・公開していますので、併せてご覧頂ければ幸いです。

また、リュッケルト歌曲集の管弦楽伴奏版の演奏に接する機会は、こと日本国内では稀であり、大変貴重な機会となります。リュッケルト歌曲集に関連した本ブログの記事としては以下のようなものがありますので、こちらも目を通して頂ければ幸いです。

(2024.3.29公開, 5.26更新)

2008年10月7日火曜日

作品覚書(18)リュッケルトの詩による歌曲

リュッケルトの詩による歌曲は、1901年の夏に「子供の死の歌」の第1,3,4曲とともに作曲され、 管弦楽伴奏も作られた4曲と、翌年にピアノ伴奏版のみ書かれた「美しさゆえに愛するなら」に 分かれる。「最近の7つの歌」として「起床合図」「少年鼓手」とともに出版された際に、 「美しさゆえに愛するなら」についてはマックス・プットマンが管弦楽伴奏編曲を行ったものが 組み込まれたが、マーラー自身は管弦楽伴奏版を作成しなかった。

ところで、上記の作曲時期のずれは、「美しさゆえに愛するなら」という歌曲の成立事情を 考えた場合、決定的な意味を持つ。他の4曲は妻となったアルマ・マリア・シントラーと出会う 前に作曲されたのに対し、「美しさゆえに愛するなら」はアルマとの結婚後の最初の夏、8月に 書かれたのである。アルマの回想録にもこの曲に関するエピソードが登場するが、要するに、 この曲についてはアルマ宛に認められた手紙のような性質の作曲であったようなのである。 他の4曲とて、それぞれが独立の作品であり、連作歌曲であるわけではないのだが、 それでもなお、こうした成立事情を確認することは意味のないことではないだろう。

マーラーの創作を区分するとき、「子供の死の歌」とこのリュッケルトの詩による 歌曲は、交響曲であれば中期の第5,6,7交響曲とセットにされることが多い。初期の 交響曲を「角笛交響曲」と称するのに対応させてか、中期の交響曲の方を「リュッケルト交響曲」と 呼ぶ人もいるようだ。これはまずもって創作時期の近接、それから素材としての参照関係に基づく 区分なのだろうが、厳密には「少年鼓手」は1901年の作曲だから、時期的にリュッケルトの詩への 付曲と少なくとも重なるし、「少年鼓手」と並んで、1899年作曲の「起床合図」の中期交響曲との 関連もまた明らかであろう。従って、「角笛」の世界から遠ざかってしまった、と見るのは 些か単純化し過ぎた見方なのだが、それでもなお、リュッケルトの詩への付曲に見られる主観的で 現実的な側面が、中期の交響曲のそれ、特に第5,6交響曲と対応しているのは確かなことであろう。 ある意味ではパラドクシカルなことに、純器楽による交響曲において、マーラーの場合には主観的で 個人的な側面がより強く現われることになる。大規模な管弦楽を動員する交響曲と、切り詰めた 室内管弦楽によるリュッケルト歌曲を単純に同一視はできないものの、交響曲に素材を提供する とともに、交響曲を注釈し、解釈する(この場合主語は曲自体である)存在として、リュッケルトの 詩に対する付曲の持つ意味は決して小さくない。歌詞の有無や媒体の違い、交響曲という 形式の意義を測るのに、ミニアチュアのような繊細な、だが確固たる広がりを持つ歌曲を参照点に してこそ見えてくるものがあるに違いないのである。(2008.10.7 この項続く)

形式の概略(長木「グスタフ・マーラー全作品解説事典」所収のもの。<美しさめあてに愛するなら>以外は管弦楽版による)
<ぼくの歌を見つめたりしないで>第1節「非常にいきいきと」134F
第2節3566
<やわらかな芳香をぼくは吸いこんだ>第1節「非常に優しく、内面的に、ゆったりと」117D
第2節1836-Es-D
<この世間からぼくは消えたのだ>前奏「非常にゆっくりと、控えめに」19Es
第1節1027
第2節「少し流れるように、しかし急ぐことなく」2843
第3節「再び控えめに」4467
<真夜中に>第1節「落ち着いて、一様に」120a
第2節「流れるように」2135A
第3節3648a
第4節4970
第5節「~一転して力強く」7194A
<美しさめあてに愛するなら>第1節「内面的に」18C
第2節916c
第3節1722C
第4節2334

2008年5月24日土曜日

私のマーラー受容:リュッケルトの詩による歌曲(2024.6.2更新)

歌曲はLPレコードではなくカセットテープで聴いていたものが多いのだが、この曲集もその例に漏れず、 子供の死の歌と併録されたフィッシャー・ディースカウ、ベームのものをずっと聴いていた。 カセットはレコードに比べて遙かに手軽なこともあり、レコードよりはFMをエアチェックした交響曲と並んで、 カセットで入手した歌曲集を聴く頻度の方が高かったように思える。ただしこの曲集は、いわゆるフィルアップの 事情でアバド・シカゴ交響楽団の第5交響曲のフィルアップに収められたシュヴァルツの歌唱のものを 持っていて、このLPについては第5交響曲より、この歌曲集を聴くことの方がはるかに多かった。

だが、これも他の歌曲と共通しているが、この曲集もまた、そうした録音よりも楽譜を弾いて見つけた作品と いった感覚が強い。さすがに交響曲を連弾で弾くというのは、そもそも楽譜も入手できなかったことも あってやらなかったけれど、ピアノ伴奏版のある歌曲集は、こちらは録音の入手の困難さ(地方都市のレコード屋 にはそもそも歌曲集のレコードなどほとんど置いていなかったのだ)に比べれば楽譜の入手は遙かに容易で、 それゆえ歌曲限定ではあるけれど、ブラウコップフが言う、楽譜からマーラーを知るような受容のあり方についても、 実感として理解できる部分があるのである。その薄く線的な書法、そしてこの曲集に特に顕著な繊細な和声の 移ろいをピアノで自分で弾いて確かめるのは、実に魅惑的な作業だった。

というわけで今も昔も親しみのある曲集で、親密さという点ではもしかしたら一番かも知れない程である。 非常に強い情緒的なインパクトを持つ他の曲集や交響曲と異なり、この曲集の作品はマーラーの作品の中でも その繊細な感覚が最も強く出たものだし、それは決して小品とは言い難い「真夜中に」や「私はこの世に忘れられ」に おいても基本的には言えるだろう。連作歌曲集ですらないことから、気軽に1曲、2曲と取り出して聴けるのも 身近さを増すのに貢献しているに違いない。

その顕著な例は「私はこの世に忘れられ」であり、この曲はウィーン宮廷歌劇場でマーラーの下で歌い、ミュンヘンでの「大地の歌」の初演を歌ったシャルル=カイエ、1936年のワルター・ウィーンフィルの「大地の歌」のアルトであったトールボリ、 1952年のワルター・ウィーンフィルの「大地の歌」のアルトであるフェリアー、そしてバルビローリのバックで歌うベイカーと、 忘れ難い演奏を残した歌手による演奏を聴くことができる。こうしたことは他の曲では起きないことだし、この曲の マーラーの作品中における位置づけというのを良く物語っていると私には感じられる。

[追記]その後、以下の公演で実演に接している。

マーラー祝祭オーケストラ 第23回定期演奏会:プフィッツナー 音楽的伝説『パレストリーナ』第1幕への前奏曲、マーラー リュッケルト歌曲集(私の歌をのぞき見しないで, 私はやわらかな香りをかいだ, 真夜中に, 美しさゆえに愛するなら, 私はこの世に忘れられ)、マーラー 第10交響曲 指揮:井上喜惟、アルト: 蔵野蘭子、マーラー祝祭オーケストラ、2024年5月26日、ミューザ川崎シンフォニーホール 

2008年3月15日土曜日

所蔵録音覚書:リュッケルトの詩による歌曲 (2022.1.3 更新)

  • リュッケルトによる5つの歌曲(美しさゆえに愛するなら,私の歌をのぞき見しないで,真夜中に, 私はやわらかな香りをかいだ,私はこの世に忘れられ), ファン・ダム(Br.) / ジャン=クロード・カサドシュ, リール国立管弦楽団, 1986.4, (2:31, 1:42, 6:16, 2:38, 6:41), トゥルコワン、フレズノワ・ホール, STEREO, Forlaine
  • リュッケルトによる5つの歌曲(私の歌をのぞき見しないで,私はやわらかな香りをかいだ,美しさゆえに愛するなら,真夜中に, 私はこの世に忘れられ), ハンプソン(Br.) / リーガー(Pf.), 1996.3,19-21, (1:16, 2:56, 2:27, 6:33, 6:51), ロンドン、アビー・ロード・スタジオ, STEREO, EMI
  • リュッケルトによる5つの歌曲(私の歌をのぞき見しないで,美しさゆえに愛するなら,私はやわらかな香りをかいだ,私はこの世に忘れられ,真夜中に), トマス・E・バウアー(Br.) / ウタ・ヒェルシャー(Pf.), 2002.10.22-25, (1:27, 2:16, 2:27, 5:34, 5:49), フライブルク、エブネット城公園音楽ワークショップ、テオドール・エーゲル・ホール, STEREO, Ars Musici
  • リュッケルトによる5つの歌曲(私はやわらかな香りをかいだ,美しさゆえに愛するなら,私の歌をのぞき見しないで,真夜中に, 私はこの世に忘れられ), シュレッケンバッハ(A.) / モル(Pf.), 1989.9.21/22, (2:14, 2:14, 1:18, 5:53, 5:35), ベルリン、RIASスタジオ10, STEREO, Capriccio
  • リュッケルトによる5つの歌曲(私はやわらかな香りをかいだ,美しさゆえに愛するなら,私の歌をのぞき見しないで,真夜中に, 私はこの世に忘れられ), ゲンツ(Br.) / ヴィニョルズ(Pf.), 2003.1.13/17, (2:23, 2:08, 1:28, 5:31, 5:39), STEREO, Hyperion
  • リュッケルトによる5つの歌曲(私はやわらかな香りをかいだ,美しさゆえに愛するなら,私の歌をのぞき見しないで, 私はこの世に忘れられ,真夜中に), フィッシャー=ディスカウ(Br.) / バレンボイム(Pf.), 1978.2.5/10, (2:42, 2:04, 1:20, 7:18, 6:04), ベルリン、ジーメンス・ヴィラ, STEREO, EMI
  • リュッケルトによる4つの歌曲(私はやわらかな香りをかいだ, 私の歌をのぞき見しないで, 私はこの世に忘れられ, 真夜中に), フィッシャー=ディスカウ(Br.) / バーンスタイン(Pf.), 1968.11.6, (3:25, 1:32, 8:04, 7:35), ニューヨーク, STEREO, SONY
  • リュッケルトによる5つの歌曲(美しさゆえに愛するなら, 私の歌をのぞき見しないで, 私はやわらかな香りをかいだ, 真夜中に, 私はこの世に忘れられ), ハンプソン(Br.) / バーンスタイン, ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団, 1990.2.22-23, (2:48, 1:30, 3:00, 7:22, 7:48), ウィーン、楽友協会ホール, STEREO, Deutsche Grammophon
  • リュッケルトによる5つの歌曲(美しさゆえに愛するなら,真夜中に,私はやわらかな香りをかいだ,私の歌をのぞき見しないで,私はこの世に忘れられ), ブーレーズ, ロンドン交響楽団 / ミントン(MS.), 1979.5.2-3, (2:27, 5:34, 2:17, 1:17, 6:25), ロンドン、EMIスタジオ, STEREO, CBS-Sony
  • リュッケルトによる5つの歌曲(私はやわらかな香りをかいだ,美しさゆえに愛するなら,真夜中に, 私の歌をのぞき見しないで, 私はこの世に忘れられ), アンドリュー・デイヴィス, ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団 / フォン・シュターデ(Sp.), 1978.12.8,15,16, (2:14, 2:26, 6:05 1:36, 6:21), ロンドン、EMIスタジオ, STEREO, CBS-Sony
  • リュッケルトによる5つの歌曲(私の歌をのぞき見しないで,私はやわらかな香りをかいだ,真夜中に,私はこの世に忘れられ,美しさゆえに愛するなら), ゾッフェル(A.) / インバル, ウィーン交響楽団, 1992.6.9/10, 7.4/5, (1:27, 2:47, 6:04, 6:44, 2:22), ウィーン、コンツェルトハウス, STEREO, Denon
  • リュッケルトによる5つの歌曲(私の歌をのぞき見しないで,私はやわらかな香りをかいだ,真夜中に,美しさゆえに愛するなら,私はこの世に忘れられ), ベーカー(MS.) / バルビローリ, ニュー・フィルハーモニア管弦楽団, 1969.7.17,18, (1:37, 2:42, 5:55, 2:27, 6:46), ロンドン、ワトフォード・タウン・ホール, STEREO, EMI
  • 私はこの世に忘れられ, ベーカー(MS.) / バルビローリ, ハレ管弦楽団, 1967.5.4, (6:52), ロンドン、アビーロード第1スタジオ, STEREO, EMI
  • リュッケルトによる5つの歌曲(私はこの世に忘れられ,美しさゆえに愛するなら,私の歌をのぞき見しないで, 私はやわらかな香りをかいだ,真夜中に), ルートヴィヒ(A.) / カラヤン, ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団, 1974.5.8-9/10.14, (7:04, 2:31, 1:31, 2:37, 6:03), ベルリン、フィルハーモニー, STEREO, Deutsche Grammophon
  • リュッケルトの詩による5つの歌曲(私の歌をのぞき見しないで, 私はやわらかな香りをかいだ,真夜中に,美しさゆえに愛するなら,私はこの世に忘れられ), ファスベンダー(MS.) / シャイー, ベルリン放送交響楽団, 1988.2/1989.1/3, (1:24, 2:31, 5:48, 2:01, 6:10), ベルリン、イエス・キリスト教会, STEREO, Decca
  • リュッケルトの詩による5つの歌曲(私はやわらかな香りをかいだ,私の歌をのぞき見しないで,美しさゆえに愛するなら,真夜中に, 私はこの世に忘れられ), スーザン・グラハム(NS.)/ ティルソン=トーマス, サンフランシスコ交響楽団, 2004.9.29-10.3(Live), (2:30, 1:20, 2:40, 6:28, 6:43), サンフランシスコ、デイヴィス・シンフォニー・ホール, STEREO, SFSMEDIA
  • リュッケルトの詩による5つの歌曲(私はやわらかな香りをかいだ,美しさゆえに愛するなら,私の歌をのぞき見しないで,真夜中に, 私はこの世に忘れられ), スーザン・グラハム(MS.)/ マイケル・ティルソン・トーマス(P.),2001.9.19-23(Live), (2:27, 2:30, 1:14, 6:55, 6:37), サンフランシスコ、デイヴィス・シンフォニー・ホール, STEREO, SFSMEDIA
  • リュッケルトの詩による5つの歌曲(私の歌をのぞき見しないで, 私はやわらかな香りをかいだ,美しさゆえに愛するなら,私はこの世に忘れられ,真夜中に), ウルマナ(Sp.) / ブーレーズ, ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団, 2003.6.14-16(Live), (1:18, 2:37, 2:45, 7:02, 5:54), ウィーン、楽友協会大ホール, STEREO, Deutsche Grammophon
  • リュッケルトによる4つの歌曲(私はやわらかな香りをかいだ, 私の歌をのぞき見しないで, 私はこの世に忘れられ, 真夜中に), ヘンシェル(Br.) / ナガノ, ハレ管弦楽団, 1999.5, (2:29, 1:23, 5:54, 5:52), マンチェスター、ブリッジウォーター・ホール, STEREO, Erato
  • リュッケルトの詩による3つの歌(私は俗世から消え失せた, 優しい香りを吸った, 真夜中に), フェリアー(A.) / ワルター, ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団, 1952.5.20, (5:25, 2:45, 6:18), ウィーン、ムジークフェライン・ザール, MONO, Opuskura
  • リュッケルトによる3つの歌曲(私の歌をのぞき見しないで, 私はこの世に忘れられ, 真夜中に), ベルマン(Bs.) / ノイマン, チェコ・フィルハーモニー管弦楽団 , 1977.10-10-12, (1:48, 5:27, 5:13), プラハ、ルドルフィヌム, STEREO, Supraphon
  • リュッケルトによる5つの歌曲(美しさゆえに愛するなら,私の歌をのぞき見しないで, 真夜中に,私はやわらかな香りをかいだ,私はこの世に忘れられ), コジェナ(Sp.) / アバド, ルツェルン祝祭管弦楽団, 2009.8.21-22(Live), (2:26, 1:23, 6:04, 2:54, 9:54), ルツェルン、文化・会議センターコンサートホール, STEREO, EuroArts
  • リュッケルトによる5つの歌曲(私はやわらかな香りをかいだ, 私はこの世に忘れられ, 真夜中に), ルートヴィヒ(MS) / クレンペラー, フィルハーモニア管弦楽団, 1964.2.17-18, (), ロンドン、キングズウェイホール, STEREO, EMI
  • リュッケルトによる5つの歌曲(私はやわらかな香りをかいだ, 私の歌をのぞき見しないで, 私はこの世に忘れられ, 真夜中に), フィッシャー=ディースカウ(Br) / メータ,  ウィーンフィルハーモニー管弦楽団, 1967.8.20(Live), (2:57, 2:42, 1:24, 7:20, 6:59), ザルツブルク、ザルツブルク音楽祭, MONO, Orfeo
  • リュッケルトによる4つの歌曲(私はやわらかな香りをかいだ, 私の歌をのぞき見しないで, 私はこの世に忘れられ, 真夜中に), フィッシャー=ディースカウ(Br) / ベーム,  ベルリンフィルハーモニー管弦楽団, 1963.6.18, (3:01, 1:32, 6:52, 6:25), ベルリン、キリスト教会, STEREO, Deutsche Grammophon
  • リュッケルトによる5つの歌曲(私はやわらかな香りをかいだ,美しさゆえに愛するなら,私の歌をのぞき見しないで, 私はこの世に忘れられ,真夜中に), マウラ・モレイラ(A) / ロバート・ワグナー,  インスブルック交響楽団, 1962.5.23-26, (2:24, 2:04, 1:23, 6:23, 5:09), インスブルック、MONO, VOX
  • リュッケルトによる5つの歌曲(私はやわらかな香りをかいだ,美しさゆえに愛するなら,私の歌をのぞき見しないで, 私はこの世に忘れられ,真夜中に), フォレスター(A) / フリッチャイ, ベルリン放送交響楽団, 1959.9.16, (3:13, 2:26, 1:23, 6:00, 6:13), ベルリン、キリスト教会, MONO, Deutsche Grammophon
  • リュッケルトによる4つの歌曲(私はやわらかな香りをかいだ, 私の歌をのぞき見しないで, 私はこの世に忘れられ, 真夜中に), フィッシャー=ディースカウ(Br) / バーンスタイン(Pf). 1968.11.8(Live), (3:44, 1:25, 8:00, 7:23), ニューヨーク、リンカーン・センター、フィルハーモニーホール, MONO, MYTO
  • 私はこの世に忘れられ, シャルル=カイエ(Ms.) / マイロヴィツ, ベルリン国立歌劇場管弦楽団, 1930, (4:57), ベルリン, MONO, Ultraphon / Naxos Historical
  • 私はこの世に忘れられ, トールボリ(A.) / ワルター, ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団, 1936.5.24 (Live), (5:56), ウィーン、ムジークフェライン・ザール, MONO, Columbia / Naxos Historical
  • 私はやわらかな香りをかいだ, スザンヌ・ステン(A) / レオ・タウブマン(Pf.), 1940, (2:54), , MONO, Columbia
  • リュッケルトの詩による5つの歌曲(私はやわらかな香りをかいだ,私はこの世に忘れられ, 私の歌をのぞき見しないで,美しさゆえに愛するなら,真夜中に), イローナ・シュタイングリューバー(Sp.) / フェケテ, ウィーン国立歌劇場管弦楽団, 1946, (2:49, 5:53, 1:29, 2:46, 5:07), ウィーン, MONO, MERCURY
  • 私はやわらかな香りをかいだ,美しさゆえに愛するなら, エルフリーデ・トレッシェル(Sp.) / リヒャルト・クラウス(Pf.), 1949, (2:23, 2:22), , MONO,HÄNSSLER
  • リュッケルトの詩による5つの歌曲(私の歌をのぞき見しないで,私はやわらかな香りをかいだ,真夜中に, 美しさゆえに愛するなら,私はこの世に忘れられ), アルフレッド・ポエル(Bs.) / プロハスカ, ウィーン国立歌劇場管弦楽団, 1951, (1:34, 2:14, 5;03, 2:15, 6:08), ウィーン, MONO, VANGUARD
  • リュッケルトの詩による4つの歌曲(私の歌をのぞき見しないで,私はやわらかな香りをかいだ,私はこの世に忘れられ,真夜中に), リューバ・ヴェリッチュ(Sp.) / パウル・ウラノフスキー(Pf.), 1953.5.30, (1:14, 2:43, 6:16, 5:59), ニューヨーク、コロンビア30番街スタジオ, MONO, SONY
  • 私はこの世に忘れられ, クリスタ・ルートヴィヒ(MS.) / ジェラルド・ムーア(Pf.), 1957.11.13, (6:32), ロンドン、アビーロードスタジオ, MONO, EMI
  • リュッケルトの詩による4つの歌曲(私はやわらかな香りをかいだ, 美しさゆえに愛するなら,私の歌をのぞき見しないで,私はこの世に忘れられ), ノーマン・フォスター(Br.) / ハインリヒ・シュミット(Pf.), 1958.12.30, (13:23), ロンドン, MONO, PYE
  • リュッケルトの詩による3つの歌曲(私はやわらかな香りをかいだ,真夜中に, 美しさゆえに愛するなら), クリスタ・ルートヴィヒ(MS.) / ジェラルド・ムーア(Pf.), 1959.5.3-5, (2:34, 5:55, 2:59), ロンドン、アビーロードスタジオ, MONO, EMI
  • 私はやわらかな香りをかいだ,私はこの世に忘れられ, エリザベート・シュヴァルツコプフ(Sp.) / ワルター, ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団, 1960.5.29(Live), (2:34, 6:35), ウィーン、ムジークフェラインザール, MONO, Bruno Walter Society
  • 私はやわらかな香りをかいだ, 美しさゆえに愛するなら,  ユディト・ラスキン(Sp.) / ノーマン・ジョンソン(Pf.), 1964.10.9(Live), (10:17), , MONO, Saint Laurent Studios
  • 私はこの世に忘れられ, イルムガルト・ゼーフリート(Sp.) / ローゼンタール, フランス国営放送管弦楽団, 1967.1.14(Live), (5:14), パリ、フランス国営放送, MONO, EMI DVD
  • 私はやわらかな香りをかいだ, エリザベート・シュヴァルツコプフ(Sp.) / ジェフリー・パーソンズ(Pf.), 1968.4.10, (2:50), ベルリン, STEREO, WARNER
  • 私はやわらかな香りをかいだ,  ユディト・ラスキン(Sp.) / ジョージ・シック(Pf.), 1971.12.19(Live), (14:12), , MONO, Saint Laurent Studios
  • 私はこの世に忘れられ, 美しさゆえに愛するなら, ジェシー・ノーマン(Sp.) / アーウィン・ゲージ(Pf.), 1971.12.17-21, (6:44, 2:32), ベルリン、ヨハネスシュティフト, MONO, MEMORIES
  • 私はやわらかな香りをかいだ,    ユディト・ラスキン(Sp.) / マーティン・カッツ(Pf.), 1978.12.19(Live), (14:34), , MONO, Saint Laurent Studios
  • 私の歌をのぞき見しないで, 私はこの世に忘れられ, フィッシャー=ディスカウ(Br.) / バレンボイム(Pf.), 1971.9.14(Live), (1:41, 8:43), ベルリン, STEREO, Audite
  • 私はやわらかな香りをかいだ, 私はこの世に忘れられ, 真夜中に, トゥーレル(Sp) / バーンスタイン, ニューヨーク・フィルハーモニック, 1960.2.16, (2:50, 6:30, 7:00), ニューヨーク、セント・ジョージ・ホテル, MONO, SONY
  • 真夜中に, ルイス・マーシャル(Sp) / ウェルドン・キルバーン(Pf.), 1962.10.16, (5:59), モスクワ、モスクワ音楽院, MONO, モスクワ音楽院

リュッケルトの詩による歌曲のうち、「子供の死の歌」に含まれない5曲は、曲集として編まれる意図はなく、それぞれが独立の作品であり、従って、演奏会でも録音でも、部分的に取り上げられることが少なくない。特に管弦楽伴奏版については、「美しさゆえに愛するなら」はマーラー自身によるバージョンは存在していない点に留意する必要がある。他の4曲は「子供の死の歌」とともに1905年1月29日のコンサートでマーラー自身が指揮する管弦楽伴奏版によって初演されたのだが、この曲のみ2年遅れて1907年にピアノ伴奏版での初演が確認されているのである。上記の録音のうち、ナガノ指揮ハレ管弦楽団の演奏に「美しさゆえに愛するなら」が含まれないのは、ナガノの企画がその初演時のプログラムを再現したものである故に他ならない。一方で、フェリアーの歌をワルター指揮のウィーン・フィルが伴奏した1952年の録音は、もともと「大地の歌」の録音とともに収録されたものだったのだが、それぞれ「大地の歌」との関連が濃厚な3曲を選択して演奏している点が注目される。また、シャルル=カイエ、トールボリもまたワルターの下で「大地の歌」を歌った歌手であり、それぞれが「私はこの世に忘れられ」の歌唱を遺しているのは興味深い。トールボリのものは「大地の歌」の演奏会のアンコールでの歌唱であり、一方、シャルル=カイエはウィーン宮廷歌劇場においてマーラーの下で活躍した歌手であると同時に1911年11月20日の「大地の歌」の初演者でもある。それぞれその歌唱が遺されているのは実に貴重であるとともに、音質の制約を超えてそれぞれの歌唱の素晴らしさの片鱗を今なお知ることができることの意義は限りなく大きいだろう。なお、この曲集がピアノ伴奏で録音される頻度は、子供の死の歌ほどではないにせよあまり高くないのではないか。男声ではフィッシャー=ディースカウの録音が2種類あるため、さほどそうした感じはないが、女声については非常に少ないように思われる。上記は男声・女声と管弦楽伴奏・ピアノ伴奏をとりあえず網羅している。