2008年10月7日火曜日

作品覚書(18)リュッケルトの詩による歌曲

リュッケルトの詩による歌曲は、1901年の夏に「子供の死の歌」の第1,3,4曲とともに作曲され、 管弦楽伴奏も作られた4曲と、翌年にピアノ伴奏版のみ書かれた「美しさゆえに愛するなら」に 分かれる。「最近の7つの歌」として「起床合図」「少年鼓手」とともに出版された際に、 「美しさゆえに愛するなら」についてはマックス・プットマンが管弦楽伴奏編曲を行ったものが 組み込まれたが、マーラー自身は管弦楽伴奏版を作成しなかった。

ところで、上記の作曲時期のずれは、「美しさゆえに愛するなら」という歌曲の成立事情を 考えた場合、決定的な意味を持つ。他の4曲は妻となったアルマ・マリア・シントラーと出会う 前に作曲されたのに対し、「美しさゆえに愛するなら」はアルマとの結婚後の最初の夏、8月に 書かれたのである。アルマの回想録にもこの曲に関するエピソードが登場するが、要するに、 この曲についてはアルマ宛に認められた手紙のような性質の作曲であったようなのである。 他の4曲とて、それぞれが独立の作品であり、連作歌曲であるわけではないのだが、 それでもなお、こうした成立事情を確認することは意味のないことではないだろう。

マーラーの創作を区分するとき、「子供の死の歌」とこのリュッケルトの詩による 歌曲は、交響曲であれば中期の第5,6,7交響曲とセットにされることが多い。初期の 交響曲を「角笛交響曲」と称するのに対応させてか、中期の交響曲の方を「リュッケルト交響曲」と 呼ぶ人もいるようだ。これはまずもって創作時期の近接、それから素材としての参照関係に基づく 区分なのだろうが、厳密には「少年鼓手」は1901年の作曲だから、時期的にリュッケルトの詩への 付曲と少なくとも重なるし、「少年鼓手」と並んで、1899年作曲の「起床合図」の中期交響曲との 関連もまた明らかであろう。従って、「角笛」の世界から遠ざかってしまった、と見るのは 些か単純化し過ぎた見方なのだが、それでもなお、リュッケルトの詩への付曲に見られる主観的で 現実的な側面が、中期の交響曲のそれ、特に第5,6交響曲と対応しているのは確かなことであろう。 ある意味ではパラドクシカルなことに、純器楽による交響曲において、マーラーの場合には主観的で 個人的な側面がより強く現われることになる。大規模な管弦楽を動員する交響曲と、切り詰めた 室内管弦楽によるリュッケルト歌曲を単純に同一視はできないものの、交響曲に素材を提供する とともに、交響曲を注釈し、解釈する(この場合主語は曲自体である)存在として、リュッケルトの 詩に対する付曲の持つ意味は決して小さくない。歌詞の有無や媒体の違い、交響曲という 形式の意義を測るのに、ミニアチュアのような繊細な、だが確固たる広がりを持つ歌曲を参照点に してこそ見えてくるものがあるに違いないのである。(2008.10.7 この項続く)

形式の概略(長木「グスタフ・マーラー全作品解説事典」所収のもの。<美しさめあてに愛するなら>以外は管弦楽版による)
<ぼくの歌を見つめたりしないで>第1節「非常にいきいきと」134F
第2節3566
<やわらかな芳香をぼくは吸いこんだ>第1節「非常に優しく、内面的に、ゆったりと」117D
第2節1836-Es-D
<この世間からぼくは消えたのだ>前奏「非常にゆっくりと、控えめに」19Es
第1節1027
第2節「少し流れるように、しかし急ぐことなく」2843
第3節「再び控えめに」4467
<真夜中に>第1節「落ち着いて、一様に」120a
第2節「流れるように」2135A
第3節3648a
第4節4970
第5節「~一転して力強く」7194A
<美しさめあてに愛するなら>第1節「内面的に」18C
第2節916c
第3節1722C
第4節2334

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