お詫びとお断り

2020年春以降、2024年3月現在、新型コロナウィルス感染症等の各種感染症の流行下での遠隔介護のため、マーラー祝祭オーケストラ第22回定期演奏会への訪問を例外として、公演への訪問を控えさせて頂いています。長期間に亘りご迷惑をおかけしていることにお詫びするとともに、何卒ご了承の程、宜しくお願い申し上げます。

2010年10月17日日曜日

「大地の歌」は交響曲ではないのか

今年はマーラー生誕150年というアニヴァーサリーであるにも関わらず、かつての1980年代後半から1990年代前半にかけての「マーラー・ブーム」前後の状況と比べれば、 少なくともこの極東の国における雰囲気は随分と落ち着いたものであると感じられる。勿論、コンサート・プログラムやら、放送における企画やら、雑誌における企画やらが ないではないが、もう四半世紀も前のあの「根拠なき熱狂」は一体何だったのかと思わずにはいられない。マーラーは既にフレームに納まりはしたが、新たな読み直しを する程の時間はまだ経っていないという事情もあるのかも知れないし、あるいは単純に、海外の事情は詳らかにしないし、実感も持てないので判断は差し控えるが、 こと日本国内においては商業的なプロモーションをするだけの経済的な余裕が喪われてしまったというのが実情なのかも知れない。オーケストラの運営状況は厳しさを増す一方のようだし、 マーラーの普及に大きく貢献した録音媒体の方も、LPからCDへと移行して後、今は丁度過渡期にあるようだし、書籍についてもまた然り、ベルナール・スティグレール風に言えば 「第3次記憶」を支える基盤の変動の最中にあって、これまでマーラーに関する「記憶」を保持していたあり方もろとも、マーラーという記憶そのものもまた、現在との接点を喪って 過去の地平の彼方に没しつつあるのだというのが、更に四半世紀が過ぎてから回顧しての展望にならないとも限らないとさえ感じられる。

その一方で、今はまだ時期が熟していないかも知れなくても、もう四半世紀が過ぎた頃には今度はようやく新たな読み直しが可能となって、現時点では予想もつかないような仕方で マーラーの受容が行われているということだってありえるだろう。意識のあり方とて歴史的に規定され、その意識がそこに埋め込まれている社会的文脈との相互作用によって変容 していくものであるとすれば、遠い将来のある時点でジュリアン・ジェインズがホメロスの時代の意識の様態を探ったのとパラレルな探査がマーラーを素材にして行われたりするのかも 知れない。シュトックハウゼンのように宇宙人を持ち出すまでもなく、そもそも「人間」というのも一つの概念であり、時代とともに移ろい、変化していくものなのだから、意識の 考古学の如きものを考える方が遥かに興味深い。否、そうしたシュトックハウゼンのマーラー認識そのものが、例えばアドルノがマーラー論において「大地の歌」に関連して 宇宙飛行士が宇宙から眺めた球体としての地球を持ち出したことなどとともに、ある時代の認識の様態を端的に象徴するものとして分析の対象になっても不思議はなかろう。

そうした中で「クラシック・ジャーナル」という雑誌がマーラーの特集を企画し、そこに掲載された「マーラーについてあまり知られていないこと、いろいろ」と題された前島良雄さんの文章を たまたま目にする機会があった。そしてその文章の中に「「大地の歌」は交響曲か」、という一節があり、「「大地の歌」を交響曲に分類することが自明であると考えられているのは、 わが国の特殊事情によるものであるようだ」とし、それを受けて「大地の歌」を交響曲に分類することに「第9の迷信」が影響しているという主張がなされるのを知り、強い違和感を 感じずにはいられなかったので、まずは自分の整理と備忘のために、もう一つには同じ文章を読まれた方に対して、前島さんの文章を読んで私が素朴に抱いた疑念、あるいは 思い浮かべたこと、更にはまた改めて調べてみたりした幾つかの事項を参考までに記録しておくことを目的として書き留めておくことにする。

*   *   *

前島さんの文章において「大地の歌」を交響曲に分類することが自明であると考えられていることの根拠として挙げられているのは、CDなりLPなりの「交響曲全集」に 「大地の歌」が含まれるかどうかに関する調査結果であり、日本国内と海外での扱いの差に、日本特有の事情を見ておられるようなのだが、 一読した限りでまず不思議に感じられるのは、その指摘の後に続く、「大地の歌」を交響曲とすることについて「第9の迷信」が影響しているという主張が、先行するCDやLPの 「交響曲全集」での「大地の歌」に対する日本国内と海外での扱いの差とどう結びつくのかが判然としないことである。 仮に「第9の迷信」についての影響の差が日本国内と海外での扱いの差の原因であるとするのであれば(ただし、 そのように明確に書かれているわけではないが)、何故その差が生じることになったかこそがこうした社会学的な議論においては重要ではないかと思えるのだが、 その点については触れられていないので、読み終えてみて些かはぐらかされた感じになり、実は前半の話と後半の話は独立の話なのだろうかと思ってみたりすることにもなる。

ひっかかりの原因を突き止めるべく、再読してみた結果、前島さんの主張は二重・三重の意味で私には不可解に感じられることがわかった。 まず1つ目は「「大地の歌」を交響曲に分類することが自明であると考えられているのは、わが国の特殊事情によるものであるようだ」という主張がLP, CDの交響曲全集に それが含まれるかどうかという点のみに基づいて為されている点である。2つ目は、「大地の歌」を交響曲に分類することに「第9の迷信」が影響しているという主張が、 「わが国の特殊事情」なのかどうかについて些かも明らかではないにも関わらず、あたかも「第9の迷信」が「わが国の特殊事情」であるともとれるような書き方になっている点である。 流れからすれば「わが国の特殊事情」の説明として「第9の迷信」が影響しているという主張になるはずだが、もしそうであるとするならば、今度は「第9の迷信」が「わが国の特殊事情」 であることの実証があってしかるべきだし、どのような事情で「第9の迷信」が日本では根強く信じられているのかについての説明があっても良さそうなものだが、その点についての 説明が為されることはない。そして3つ目は、最後に至って突然シベリウスの「クレルヴォ」が比較対象として取り上げられ、「大地の歌」を交響曲に分類することには営業的な 意味があるのではないかという主張がなされ、それは「わが国の特殊事情」に纏わるものに違いないのだが、では何故日本ではそうなのかの説明はまたしても為されず、 なおかつ「第9の迷信」とは少なくとも権利上は全く独立のものであるが故に、それぞれがどう関係し、あるいは関係しないのかについての説明がないのも腑に落ちないといった 具合なのである。

勿論、「交響曲全集」に「大地の歌」が含まれるかどうかに関する調査結果は事実として受け止められるべきなのだろうが、後半の「第9の迷信」についての議論との相関が 気になりだすと、「「大地の歌」は交響曲か」に関する他の手がかりはないものかと考えてみたくもなる。そこで私が思いついたのは2つあって、1つはこれまた「マーラー・ブーム」の頃には 日本でも頻繁に行われ、今年から来年のシーズンにかけては海外・国内いずれにおいても行われる予定であるらしい、コンサート・ホールでの「マーラー・ツィクルス」での「大地の歌」の扱い、 もう1つはマーラーの「交響曲」に関する文献における「大地の歌」の扱いであった。いずれについても網羅的な調査をやるだけの環境も時間も能力も私にはないので、学問的な 分析に値する調査は専門の研究者に期待することとして、ここではとにかく、市井の愛好家がふと出来た休日の空き時間を使って調べた限りで知りえたことを紹介しておくことにしたい。

*   *   *

まず、「マーラー・ツィクルス」の方だが、まず1990年前後に国内で行われたケースについて記すと、シノポリ/フィルハーモニア管弦楽団による東京芸術劇場の杮落としでは歌曲集や 「嘆きの歌」とともに「大地の歌」が取り上げられていて、CD同様、交響曲に限定されないのに対し、ベルティーニ/ケルン放送交響楽団によるツィクルスは「交響曲」のみであり、 だがそこで「大地の歌」が第10交響曲のアダージョと組み合わされてツィクルスの1回分を構成していたようである。一方、ほぼ同じ時期に3年かけてサントリーホールで行われた 「純国産」の企画である若杉/東京都交響楽団のツィクルスでは、交響詩「巨人」が第1交響曲のハンブルク稿として 初演されたり、交響詩「葬礼」が第2交響曲の第1楽章に置き換わる形で、後続する4楽章と続けて演奏された点や、新ウィーン楽派の3人だけでなく、ツェムリンスキー、 シュレーカーの作品とマーラーの交響曲が組み合わせられたプログラム構成が特徴的であったが、マーラーに関してはやはり「交響曲」に限ったプログラムであったが、 ここでは「大地の歌」は別枠の特別演奏会という形態で第10交響曲のアダージョと組み合わせたプログラムで取り上げられた。 (その一方で、パンフレットに掲載された諸井誠さんとの対談で若杉さんは、交響曲全曲という場合には「大地の歌」も含めなくてはならないと述べているのだが。) 時期は少し下るが、「国産」のもう一つのツィクルスである1999年シーズンの井上道義/新日本フィルハーモニーのそれは歌曲集やらピアノ四重奏曲等を 併せて取り上げたプログラム構成になっており、その中で「大地の歌」を含めている。要するにマーラーの管弦楽作品を取り上げる場合は勿論、交響曲に限定した場合も 「大地の歌」は含まれているようなのである。

以上は日本国内で演奏されたものだから、CDやLPでもそうであることを前島さんが指摘したのと同様に、外来のオーケストラのコンサートであったとしても「国内向け」仕様なのでは、 という考え方もあるだろうから、海外におけるツィクルスについても多少調べてみると、1920年のアムステルダムでのマーラー祭、1967年のウィーン芸術週間、1995年のアムステルダムでの マーラー祭のいずれも歌曲集、「嘆きの歌」などとともに「大地の歌」を含むもので、いずれもそもそも交響曲全曲という枠組みではない。 現在進行形である今年から来年のシーズンはどうかと言えば、コンセルトヘボウ管弦楽団、バイエルン放送交響楽団、北ドイツ放送交響楽団のものは「大地の歌」を含むし、 ストックホルムでの複数のオーケストラによるものは含まないといった具合である。コンサートの場合、1回のプログラムの長さの問題もあるし、歌手の招聘の問題もあるだろうから、 交響曲だけのツィクルスというのは企画上却って難しいのかも知れないし、マーラーの作品のみ特別に集中して行うのか、他の作曲家の作品と組み合わせて定期演奏会の枠組みの中で やるのかといった点も影響するかも知れない。いずれにしても「「大地の歌」は交響曲か」という問いに対してコンサートにおけるマーラー・ツィクルスは明確な判断材料を与えるものではなさそうである。 ということは同時に、ここでは日本と海外との間には大きな差異があるわけではなさそうだということでもある。

*   *   *

ではマーラーに関する文献の中での扱いはどうだろう。歌曲や「嘆きの歌」も含めた全作品解説ではなく、タイトルに「交響曲」と銘打った文献に限って調べることするが、 結果はやはりLPやCDの場合とは些か勝手が異なるようだ。

古いところでは、例えばベッカーのGustav Mahlers Sinfonien(1921)は「大地の歌」を含んでいる。ほぼ同じ時期のイステル編の Mahlers Symphonien(2 Auflage)もやはり含んでいる。それらが、アルマが撒き散らした伝説の圏内で書かれたものであるという時代的な制約の下にある点は否定できないが、 その一方で新しいところでも、例えばレナーテ・ウルム編のGustav Mahlers Symphonien : Entstehung - Deutung - Wirkung (4. Auflage, 2007)は「大地の歌」を含んでいる。 実を言えば、当の前島さんが訳されているフローロスのモノグラフ第3巻(1985)がそもそもずばり「交響曲」という題名を持っているのだが、この中でもやはり 「大地の歌」は扱われているのである。まさかこの点に気付かずに(あるいは忘れて)前島さんが上記の文章を書かれたということはあり得ないから、前島さんの主張する 「「大地の歌」を交響曲に分類することが自明であると考えられているのは、わが国の特殊事情によるものであるようだ」というのは、LP, CDといった録音媒体の企画やら マーケティングに限定した議論なのだということなのだろうか。こうした文献における分類は何かの理由で考慮する必要がないのだろうか。私にはその辺の事情が 判然としないのである。

実を言えば、Webページでの分類をご覧になっていただければわかるとおり、「「大地の歌」は交響曲か」という問いに対する見解そのものについては、私は前島さんの 主張に賛成なのである。「大地の歌」は交響曲と歌曲の中間的な形態であり、こうした形態に辿り着いたことが「マーラーの場合」の特殊性を示していると私は考えている。 だがこれは別に私独自の立場というわけではなく、既にアドルノがモノグラフにおいて「《大地の歌》は純粋な形式というものに反乱を起こしている。それは一つの中間型なのである」 (龍村訳p.194)と述べ、更に続けて「歌曲交響曲Liedersymphonieという構想は、マーラーのイデーにまことに適している。それは、先験的に上から与えられた図式に拘泥 することなく、意味深く互いに連続する個々の出来事の結果として生成する一つの全体であるのだから。」(同)と述べていることを指摘しておこう。ともあれ、それゆえ私は一方で ピアノ伴奏版の「大地の歌」もまた、他の連作歌曲集の場合と同様それ固有の価値を持つと考えるし、それゆえ例えば平松・野平による全曲をソプラノ歌唱・ピアノ伴奏で 演奏する形態にも違和感を感じていない。だが、だからといってもう一方でマーラー自身が「大地の歌」を草稿の上でだけとはいえ「交響曲」と呼んだ事実は残るし、 そのことに言及せずに論を進める前島さんの議論は、例えばその後で交響曲の「ニックネーム」に関しては作者の意向を顧慮する立場を取られていることからすれば 一貫しないのではなかろうかと感じずには居られない。

*   *   *

「第9の迷信」について前島さんは、アルマの作り話である可能性すら示唆しているが、私にとって問題なのは「第9の迷信」を広めた点についての事実関係はおくとして、 それを否定した序に「「大地の歌」は交響曲か」についての本質的な議論の方まで葬り去られてしまうことである。 フローロスとてアルマがそう伝えるから「大地の歌」が交響曲なのだとは言っていない。フローロスに限らず「大地の歌」が作品の構造上、 交響曲と呼ばれるに相応しい実質を備えているかどうかの検討をそれぞれの論者が行っているわけで、確かに「大地の歌」は単なる連作歌曲とは言い難い、少なくとも 第8交響曲が交響曲であるのと類比的に論じられる程度には、交響曲的な実質を備えているのは確かなことなのである。

そもそもアルマの回想が意図的か否かを問わず、多くの歪曲・記憶違いを含むものであることや、アルマが編んだ書簡集がかなりの程度に改竄されたものであることは 今では良く知られていて、寧ろ旧聞に属するものであると私には思われる。子供であった私が最初に読んだマーラーの評伝は、デント社のシリーズの1冊として書かれた マイケル・ケネディのものの邦訳だったが、ケネディのようなどちらかといえば一般向けの啓蒙書といった体裁のものですら、そうした点の指摘は既に行われていた。ちなみに ケネディのモノグラフが置き換わることになったレートリヒの「ブルックナーとマーラー」(マーラーの部分の更に一部だけ邦訳がある)においても「死後出版の3つの交響曲」という章で 「大地の歌」が扱われているが、ここでは「第9の迷信」が事実として言及されている。従って、「第9の迷信」に限って言えば、文献が執筆された年代を考慮に入れる 必要はあるのだろうが、「「大地の歌」は交響曲か」という点について言えば、あくまで管見ではあるが、近年の研究においてさえ「大地の歌」を交響曲と見做さない立場が 優勢であるようには思えない。何より前島さん自身が訳されたフローロスにしてもそうであって、フローロスはアルマの証言をひとまずは受け入れる立場を取っているからには 見解が対立しているにも関わらず、「大地の歌」のテキストの問題については詳細な訳注をもって介入することを厭わない前島さんが、その一方で「「大地の歌」は交響曲か」と いう点についても、「第9の迷信」についてもフローロスの立場に異議を唱えるわけでなく、訳注による介入をするわけでもないのは思えば不可解という他ない。

勿論私には「第9の迷信」が現時点でどの程度日本に蔓延っていて、それが「大地の歌」を交響曲に分類することにどの程度与っているかについて実証的に検証することは できないので、前島さんの説を否定することはできないが、それを言い出せば「第9の迷信」がアルマの作り話であるという実証的な裏づけがあるわけでもなく、要するに 前島さんにとって「「大地の歌」は交響曲か」の判断基準が奈辺にあるや杳として知れないというのが正直な印象なのである。

仮にの話だが、「第9の迷信」が虚構であったとして、だからといってアルマが回想で記述した「大地の歌」成立の経緯、フローロスが引用し、前島さん自身が訳している 「彼は、それぞれ別々のテクストをつなぎ合わせ、間奏を作曲し、長大になった音楽形式はしだいに彼本来の音楽形式―つまり交響曲への彼自身を引き寄せていった。 これが交響曲のような作品になりそうだということにマーラーが気付くと、作品はみるみるうちにその形を成し、彼が考えていたよりも早く完成してしまった」(AME 175を フローロスが引用したもの。前島訳p.318)という件の信憑性はまた別のものだろう。アルマ自身が、それは最初は歌曲として構想されたと述べているのである。 「大地の歌」はマーラー自身が演奏することがなかったし、生前に出版されることもなかったから、最終的な形態については所詮は想像の域を出ないとはいえ、 ピアノ伴奏版の完成度が管弦楽版よりも劣ることや、形態的に前の段階を示している可能性があること、更にマーラーが「大地の歌」の出版契約にあたり、 自分の用意したピアノ伴奏版の出版は想定していなかったことを告げる書面が残されていることなどを傍証としてあげることができるように、 「大地の歌」が交響曲「でも」ある、否、第一義的には完成した作品はマーラーが草稿にはそう書いたようにSymphonie für eine Tenor- und Altstimme und Orchester であるという経緯をアルマの回想は生き生きと証言しているのではないか。細かい区別に拘泥するならば、「第9の迷信」は寧ろ番号付けに纏わる問題であって、 「大地の歌」が番号なしであれ「交響曲」であるという主張とは別の平面の話であるという見方も可能だろう。

念のため繰り返して強調するが、前島さんも「大地の歌」は交響曲ではないと断定しているわけではないし、私がその点について異議があるわけではないのも既に 述べた通りである。私がひっかかったのはその点ではなくて、上記のような微細な議論の齟齬もさることながら、「大地の歌」を交響曲に分類することが恰も日本固有の、 しかも近年の(「海外の」という含意がもしかしたらあるのだろうか)研究成果を知らないが故の、更にはアルマが流布させた「第9の迷信」による誤解であるかの如き論調に まずもって非常に強い違和感を抱いたのである。序に言えば、私は「大地の歌」にまつわる情報の多くをHeflingのモノグラフから得ているが、Heflingがピアノ伴奏版に ついて報告した論文の題名にしてからが"Das Lied von der Erde : Mahler's Symphony for Voices and Orchestra - or Piano"なのであって、 「大地の歌」は交響曲だということになっているのだ。CD, LPの交響曲全集の問題はともかくも、交響曲「大地の歌」という呼称は「わが国の特殊事情によるもの」でもなければ、 「第9の迷信」に基づく誤解ばかりというわけでもないようにしか私には思えないのである。

*   *   *

前島さんが指摘するCD, LPの交響曲全集に「大地の歌」が含まれるのが日本固有の事情である理由は、別途原因を探るべき価値があるテーマかも知れない。 また単純に海外と日本を対立させるのではなく、時代の経過とともに「大地の歌」の受容がどのように変遷してきたかについて、これは海外、日本ともども追跡してみる べきなのかも知れない。寧ろ見方によっては、マーラーについての文献は「大地の歌」を交響曲に分類しているにも関わらず、海外でのCD, LPの交響曲全集に 「大地の歌」が含まれないことの方を異常なことと見做して、何故そういうことが生じるのかを追求するような立場だって可能かも知れないのだ。もしかしたらそこに 「大地の歌」という「標題」を持つ「交響曲」に対する微妙な態度が浮かび上がらないとも限らない。

前島さんはシベリウスの「クレルヴォ」が交響曲と呼ばれることを「大地の歌」と類似した例として挙げられているが、実際には作曲者がそれを交響曲と呼んだかどうかに ついての差異が両者には存在するし、「クレルヴォ」を交響曲と見做すのは日本人だけではないという点を指摘しないのは公平を欠くだろう。更に別の作曲家に目を向ければ、 例えばチャイコフスキーにおける「マンフレッド交響曲」のような例はどのように位置づけられるのだろうか。そもそもベートーヴェンの「戦争交響曲」と呼ばれる 「ウェリントンの勝利」はどうなのか。それらが標題交響曲なり描写音楽であり、はっきりと他の交響曲と異質であるというのであれば、アイヴズの第4交響曲と 「祝日交響曲」の差異はどうだろうか。あるいはまた、マーラーならむしろ第8交響曲を連想させる2部構成をとり、3楽章よりなる器楽によるシンフォニアを第1部とし、 9曲からなる声楽を含むカンタータを第2部として持ち、作曲者自身が「交響カンタータ」と呼んでいたらしいメンデルスゾーンの第2交響曲はどうだろうか。 声楽が全編を占めるということで言えば、ニックネームの項で前島さんが言及するショスタコーヴィチの 第14交響曲だけではなく、同じく「大地の歌」の影響なしには考えられないブリテンの「春の交響曲」やらツェムリンスキーの「叙情交響曲」はどうだろうか。 スクリャービンの「法悦の詩」「プロメテウス―火の詩」は交響曲全集(ピアノ協奏曲は含まない)に含まれるだろうか。こうした例は幾らでも挙げることができるだろうが、 そこにはマーラーの場合に見られるような海外と日本との差異が、日本固有の事情がやはりあるのだろうか。ないとすればそれは何故なのか、あるとしたらそれはそれで マーラーの個別の事情であるはずの「第9の迷信」の影響というのはそうしたパースペクティブの下ではどういう位置づけになるのか。

一方で、実際には上述の例の幾つかにおいて既にそうであるように、ごく単純に作曲者自身が番号を振ったかどうかという点を問題にすることもできるだろう。 前島さんが取り上げられたシベリウスであれば、第7交響曲を「交響的幻想曲」という題名のままにしておいたらどうなっただろうか。あるいはまたショスタコーヴィチを 取り上げるなら、第14交響曲のみならず、第2交響曲や第3交響曲のようなケースや「バビ・ヤール」が番号付き交響曲であることについてはどうだろうか。 ショスタコーヴィチのそれらの作品同様、メンデルスゾーンの「賛歌」も、ヴォーン・ウィリアムズの「海の交響曲」や「南極交響曲」もまた、 番号付きであるという理由だけで交響曲全集から排除することができない。単純にそうすれば欠番が生じて「全集」ではなくなってしまうからだ。 その一方で既述のスクリャービンの場合は第4交響曲と見做されていた「法悦の詩」と「プロメテウス―火の詩」の間に線を引く 選択肢がありえるだろうか。だがそもそもマーラーの場合に立ち返れば、それらとは異なって「大地の歌」を除いても欠番は生じないし、第9交響曲が後に続いているのだ。

前島さんが最後に書いた「交響曲」と名づければ売れるという、恐らくそれ自体は全く間違っている訳でもない理由付けは、その理由が「第9の迷信」によるかどうかに関わらず、 マーラー自身が「大地の歌」に番号を振らずに、次の器楽曲に番号を与えたという事実がまずあっての話なのではないか。裏を返せば海外で「大地の歌」を 「交響曲」に含めないというのを事実として認めたとして、それはそれで海外ではそちらの方が売れるからなのか、「大地の歌」を含めたら売れなくなる理由があるのか、 という問いの立て方だって可能に違いない。

*   *   *

結局のところ欧米のマーラー交響曲全集から「大地の歌」が排除されるのは、「大地の歌」が備えている特徴のうち、何が最も大きく寄与しているのだろう。 上に幾つか挙げた例との類比に限れば、最も表面的には、それが作曲者によって「番号」を与えられなかったからという説明だった成り立ちそうだし、「大地の歌」という 題名、交響曲には似つかわしくない題名のせいかも知れない。もう少し実質的な水準において交響曲的な構造を備えた連作歌曲であるからということであれば これは極めて正当な理由だということになろうが、これとて「交響曲」についてのドクサに従わないマーラーの形式の唯名論的な性格が、それ以外の理由、例えば素材として 用いられている五音音階、アドルノ言うところの「仮象」としての東洋趣味ともども「交響曲」の理念にそぐわないという暗黙の判断がそこに働いているというふうに考えることも できるだろう。要するにマーラーの音楽は今日においても未だ、通念のレベルでは西欧音楽においてマージナリティを帯びており、その中でもとりわけ「大地の歌」は幾つもの理由で「交響曲」から 排除さるべき徴を帯びているのではないか。だとしたら、「第9の迷信」を隠れ蓑にして、マーラー自身が番号をつけなかったことを幸い、あるいは「大地の歌」という「交響曲」には 相応しからぬ題名を作者によって与えられた作品である「大地の歌」を交響曲のカテゴリーから排除するのは、研究文献やら作品解説の水準では「交響曲」として認知されながらも、 しかもマーラーの意図を違えてまでそうするのは寧ろ西欧の伝統そのものではないのかと疑ってみてもいいのだ。

そもそもマーラーの交響曲は第6交響曲を含めてもなお、交響曲の規範からの逸脱の連続である。 そしてアドルノが「突破」「停滞」「充足」あるいは「崩壊」といったカテゴリーを用いたように、その構造は 伝統的な図式とは別の次元での力学を備えていて、それが例えばソナタ形式のような伝統的な図式を変容してしまう。 アドルノのいうマーラーの音楽の唯名論的な性格に惹かれる聴き手にとって、ジャンルの問題は連続的で せいぜいがプロトティピカルなものでしかない。結果として私にとっては交響曲と歌曲の間に序列があるわけではない。寧ろカンタータと連作歌曲と交響曲が 連続的で移行可能な形態であること、歌曲が交響曲楽章の一部になりえてしまうというより大きな展望の方が重要なのだ。

そう名づければ売れるという売る側の思惑や「第9の迷信」もあるには違いないだろうが、端的に「大地の歌」を他のマーラーの交響曲と同じように聴くことに 困難を覚える聴き手は日本にも居るに違いないし、寧ろそれはその人が聴いてきた音楽が形成する地平と相関しているのではなかろうか。 かく言う私も、「大地の歌」を他の交響曲と同一の仕方で聴いているわけではない。もっともそれを言えば私に限っては、第8交響曲もまた、 番号付きではあってもやはり普通の交響曲とは異なるものに感じられる。そういう意味では第8交響曲だってもし番号が付けられなければ「大地の歌」と同じように 排除されたとしても違和感はないのである。一方で「大地の歌」を交響曲に含めるのと同じレベルで、例えば「嘆きの歌」を同列に扱うことは、他の作曲家における 類似のケースはともあれ、ことマーラーの場合に限れば不可能だろう。何よりもまず、作曲者自身がそれを同列のものと見做していないという点は尊重されるべきだし、 それ以上に作品そのものの水準において、結局のところ「大地の歌」にはあり、第8交響曲にはより多く備わっていて、かつ「嘆きの歌」にはない、 「交響曲」に含められるだけの実質というのがやはりあるわけで、それを抜きにした議論は事態を不当に単純化することにしかならないと私には感じられてならない。

「大地の歌」を「交響曲」として扱い、CDの交響曲全集に含めれば売れるというのが日本独特の事情であることを認めたとして、そして更に百歩譲って、 それが可能であることの背景として「第9の迷信」が影響しているという仮説を認めたとして、そうしたレベルで議論が終始すること自体が批判の対象と 同じ土俵の上にいることを告げているように思えてならないのである。それがマーケティング戦略の副産物だとして、「大地の歌」を交響曲に含めることが 自然に受容される日本の特殊性を逆に積極的に評価する意見さえありえるかも知れないし、更に微妙な問題を含む第10交響曲のクック版の扱いについても、 日本で企画されたインバル/フランクフルト放送交響楽団のそれには協会全集版アダージョとともに全集に含まれている点を積極的に評価する向きがあったとしても 不思議はない。

*   *   *

従って実のところ、このように書いてはみたものの、私自身にとってはニックネームの問題も「大地の歌」の分類の問題も、「第9の迷信」の問題も、少なくとも前島さんが 扱う水準に限れば別段興味を惹くような話題ではないのだ。ニックネームは不要だし、「大地の歌」は交響曲と連作歌曲の融合だし、「第9の迷信」の事実関係によって マーラーの後期交響曲の「内容」なり「意味」なりと呼ばれるものが変わるわけではないというのが私の立場である。そもそもフローロスの言う「標題」に対しても私が 懐疑的なことは別のところで既に述べたとおりである。それよりは歌詞と音楽との関係や音楽の構造の具体的な様相そのものに寄り添うことの方が一層興味深いことに思えてならない。 繰り返しになることを厭わずに再度確認すれば、「大地の歌」の魅力は、それが交響曲と連作歌曲の融合であって、「「大地の歌」は交響曲なのか」式の問いを無効にするような 実質を備えていることと不可分の関係にあるのではなかろうか。 (2010.10.17初稿)

2010年10月3日日曜日

近年のマーラー受容を支える技術的環境を巡って

近年の私のマーラーへの接し方について、まずマテリアルなレヴェルでインターネットの発達の影響は非常に大きなものがある。多忙のせいもあって お店に足を運ぶ時間がない私は、CDもほとんどはインターネット経由で購入することが多いが、CDの蒐集に対する関心は希薄なため、 それよりも文献と楽譜へのアクセスに関する恩恵の方が遥かに大きいだろう。特に文献は新しいものではなくて、過去の基本的な文献に 接するのに、まずもって時間的に困難なばかりではなく、専門の研究者でない市井の愛好家に過ぎない私のような人間にとって 図書館のようなところに足を運ぶことは非常にハードルが高いのだが、インターネットで古書を探すことが容易になったことで、そうしたメディアが なければ到底アクセスが叶わなかったであろう文献を手元に置いて参照することができるようになったのは大変に有難い。特に洋書の古書の 入手については、以前は想像もできなかったような恵まれた状況にある。ほんの一例に過ぎないが、1910年刊行のマーラー生誕50年記念論集、 アルマの「回想と手紙」のオリジナルの形態やアルマが編んだ書簡集、バウアー=レヒナーの回想の初版、パウル・ベッカーの研究などといった文献は、 私が生きていない過去、だがマーラーが生きた時代とは確実に繋がっている過去の記憶そのものであり、そうした書籍を市井の一愛好家が 手元においてリアル・タイムにアクセスできることは、CDのような記録手段によって歴史的演奏にリアルタイムにアクセスできることと並んで、 21世紀初頭のマーラー受容のあり方を特徴づける状況ではないかと感じられる。その後の文献にしても、例えば「ブルックナー/マーラー事典」(東京書籍,1993) の文献リストに載っている研究文献のかなりの部分をそれを職業にしている研究者や評論家でもない、さりとて時間と資金とをそれにふんだんにつぎ込むことが できる立場にある訳でもない、平凡な市井の愛好家が手元に置き、必要に応じて参照することができるのは、考えようによってはかなりアナーキーな 事態とさえ言えるかも知れない。そういう意味ではこのWebページの所蔵文献や所蔵録音のリスト自体が、受容史の資料となるのではないかとさえ思える。

残念ながら文献については未だその途上にあり、だが恐らく今後はそうなることと予想されるが、楽譜については著作権の問題がなくなったものは デジタル画像に変換され、オンラインで入手できるようになっており、それによって出版譜の異同の確認ができるようになったことの恩恵も大きいだろう。 個人的には今後最も期待しているのは世界中のあちこちに散在して収蔵されている自筆譜ファクシミリのデジタル化、オンライン化で、これができるようになれば、 マーラーの「音楽」が本当の意味で市井の愛好家にとって手に届くものになるだろう。こうしたことを書けば、「猫に小判」「豚に真珠」という声が聞こえて きそうだが、私個人についてはそうした評価を甘受するにしても、その恩恵に浴してマーラーの研究に画期的な貢献をするような研究が出てくるのは 間違いがない。技術の革新による処理時間の短縮は、作業の内容を変え、質を変えることになるのは疑いないことで、マーラーの音楽の受容のあり方も 必ずや変容していくに違いない。

もう一点、技術革新に対する期待を書いておくと、現在進んでいる楽譜の画像のデジタル化、オンライン化とは別に、楽譜に書かれた情報のデジタル化の 進展に期待したい。楽譜を再現するという観点からは既にxmlの規格が存在している(ある規格のサンプルに、「さすらう若者の歌」のピアノ伴奏版終曲の 最初のページが取られているのをご存知の方もいられるかも知れない)が、ここでの期待はそれよりも、そうした音楽を構成する情報を 構造的に蓄積することで、作品の分析に対してドラスティックな変化が起きることに対するものである。楽曲分析は分析者が楽譜を読むことによって 行われてきたし、今後もその基本は変わらないにしても、より大量のデータを効率的に分析することができ、検索や抽出、比較や照合が容易に行える ようになり、その結果自体を保存することができるようになれば、楽曲の分析の仕方も大きく変化することになるだろうし、楽曲を分析するための 語彙もまた変わっていくのではなかろうか。アドルノがマーラー論冒頭で批判する楽曲分析の限界は、それをなくすことは原理的にできないにしても、 限界をずっと遠くに押しやることは可能になるだろう。例えば、かつては時間をかけてコンコーダンスを作成することによって行われてきた哲学文献の 用語法の分析などは、現在はテキストコーパスの利用によって全く様相を変えつつある。例えばの話、遠い将来、クックが第10交響曲に対して 行った作業をコンピュータが行うといった事態だって全くの空想とは言えないだろう。これはいわゆるSFの作品の中での話しだが、レムの 「ビット文学の歴史」の中で、コンピュータがドストエフスキーの「あったかも知れない」作品を書き上げたり、カフカの「城」を完成するのに失敗したり といった話が出てくる。ここで私が挙げた例は、対象がマーラーの音楽になっただけで、別段独創的な部分などありはしない。勿論、この半世紀ばかりの 人工知能研究の歩みを考えれば、そうしたことがすぐに可能になるとは到底思えないが、しかしそれがいつの日か可能になるというのは私の個人的な 放恣な妄想などではない。

私は別のところでシュトックハウゼンがド・ラ・グランジュのマーラー伝の書評において、 「もしある別の星に住む高等生物が地球人の性質をごく短期日のうちに調査しようと思うなら、マーラーの音楽を素通りするわけにはいかないだろう。」 (酒田健一訳)と述べているのに対して、その文章に含まれる様々な予断を批判しつつ、だがそれを詩的な比喩か修辞のように、あるいは芸術家の 誇大妄想として受け流すのではなく、逆にその不十分さを補って、もっと先に推し進めていくことによって限界を認識することによってこそマーラーの音楽の 今日的な射程は見えてくるのではないかと書いたことがあるが、それはこうした受容を支える技術的なレベルの進展と無関係ではあり得ない。 そして強調したいのは、現時点でマーラーの受容史を書こうとしたとき、技術的な環境の変化がどのように受容のあり方に影響するのかという分析なしには その作業は不充分なものとなるだろうということ、そして最終的に、「マーラーの場合」の個別性を扱いえないだろうということである。事実問題として、 マーラーの受容は「常に既に」技術の発展と並行して変容してきたし、今日ますますその連関の度合いが増しているのは、私のような市井の一愛好家の 受容のこうした記述だけからでも明らかだし、同時に、私のような市井の一愛好家の己の受容についての振り返りからも明らかなのだから。

なお、最近の私個人のマーラー受容の具体的な様相については、雑文集に収められている幾つかの文章に記述がある。また、自分の受容のあり方と 近年盛んになりつつある、戦前以来の日本におけるマーラーの受容についてのいわゆる「受容史」が告げるあり方との関係、あるいは無関係についても やはり雑文集の中に主題的に扱った文章があるので、ここではそれらの内容を繰り返すことはしない。 (初稿2010.10.3)