お詫びとお断り

2020年春以降、2024年3月現在、新型コロナウィルス感染症等の各種感染症の流行下での遠隔介護のため、マーラー祝祭オーケストラ第22回定期演奏会への訪問を例外として、公演への訪問を控えさせて頂いています。長期間に亘りご迷惑をおかけしていることにお詫びするとともに、何卒ご了承の程、宜しくお願い申し上げます。

2018年9月28日金曜日

小林憲正「アストロバイオロジー 宇宙が語る<生命の起源>」より

「 1898年、若き日の大指揮者ブルーノ・ワルターは、オーストリアの保養地シュタインバッハにある、作曲家マーラーの別荘を訪ねた。あまりの自然のすばらしさに見とれていたワルターに、マーラーはこういったそうだ。「そんなに見なくてもいいよ。すべて私が作曲してしまったからね。」
 マーラーはこのときまでに、自然への賛歌ともいえる交響曲第3番ニ短調を完成していた。演奏に100分ほどかかるこの大曲は6楽章からなり、それぞれに副題がついていた―「野原の花々が私に語ること」「森の動物たちが私に語ること」など。本書の各章タイトルは、これをレスペクトしたものだ。もちろん宇宙が私たちに語ることをこのような小冊子で語りつくすことなど、とてもできない。その面白さの一端を感じていただければ幸いである。(…)」(あとがき p.120)

 もし題名を伏せて上記の文章をあとがきに持つ書物のジャンルを当てよという問題が出されたならば、果たしてどれくらいの人が正解に辿り着けるものか、想像がつかない。手掛かりは「宇宙が私たちに語ること」という部分くらいにしかないけれど、「宇宙」という単語は文脈により、様々なニュアンスで用いられるから、よもや文字通りの「宇宙」を相手にした、アストロバイオロジーの著作の中で、上記のようなかたちでマーラーが参照されると思い至るのは難しいかも知れない。
 だけれども、既にアドルノはマーラーに関するモノグラフの中で、マーラーの「大地」とは「地球」のことに他ならず、それは同時代の通念としての母なる大地でも、ナショナリスティックなイデオロギーにおいて血と対を為すそれでもない、後年、宇宙飛行士が外から眺めることになる地球の「青さ」を先取りしたものであると述べているのを思い浮かべたらどうだろうか? あるいはまた、シュトックハウゼンが宇宙人の視点を持ち込んで、マーラーの音楽のスペクトルの幅の広さについて語っていることを思い浮かべてもいいかも知れない。
 そうした連想の糸を辿るならば、ボイジャー計画において、パイオニア探査機の金属板に続いて、地球外知的生命体や未来の人類が見つけて解読してくれることを期待して、地球の生命や文化の存在を伝える音や画像が収められたレコードが探査機に搭載されたことに行き着くだろう。
 レコードには、115枚の画像と波、風、雷、鳥や鯨など動物の鳴き声などの多くの自然音に加え、様々な文化や時代の音楽、55種類の言語の挨拶、当時のアメリカ大統領であったジミー・カーターと国際連合事務総長であったクルト・ヴァルトハイムからのメッセージ文が収められたのだが、残念ながらマーラーの音楽は、シュトックハウゼンのお墨付きにも関わらず、地球を代表する音楽には選ばれなかったようである。西欧の音楽として選ばれたのはバッハ、ベートーヴェン、モーツァルトとストラヴィンスキー、ホルボーンの作品だが、選曲は「様々な文化や時代の音楽」という観点で行われており、「大地」に根差した、各地域の特色を表す作品という選択基準が意図せず内包するイデオロギーが、三重の意味で故郷を持たない異邦人マーラーの音楽をまたしても疎外した、という穿った見方もできないことはなかろう。シュトックハウゼンの方は、1つだけ選ぶという条件なのだが、こちらはこちらで、半ばは意図して、だがやはり半ばは意図せずして、マーラーの音楽が持っている、アドルノ的な意味合いでの「地球」を、宇宙から眺めるという視点を過たず捉えたと言えるのではなかろうか。
 小林さんの書物の各章タイトルに登場するのは、隕石、彗星、火星、エウロパ、タイタンといった顔ぶれなのだが、就中タイタンは、それを探査するためにボイジャー1号が冥王星の探査を諦めた軌道を選択してフライバイを行ったにも関わらず、分厚い大気に阻まれて、探査機に備え付けられた機器ではその大気の下にあるものを観測することができなかったという因縁を持っている。小林さんの書物はといえば、ようやく近年のカッシーニ探査機から分離されたホイヘンス・プローブが、初めてその地表に到達して映像を地球に届けたことや、カッシーニ探査機によって長期間にわたって繰り返されたフライバイの結果に基づき、地球とは異なったタイプの生命がタイタンに存在する可能性を紹介しているのであり、そうした意味で、半世紀前のアドルノやシュトックハウゼンの認識の継承、深化という点において、現在においてマーラーの音楽について語るのにまことに相応しい内容を備えているように思われるのである。自分の立つ場所を、自分の視点を絶対視しない姿勢、「外」に対する眼差し、「他者」に対する意識を備え、自分が語るのではなく、外部からの語りかけを聴くという姿勢こそ、ジャンルを超えてマーラーの作品がリスペクトされる理由であり、それは寧ろ今日では、科学や工学の分野にこそ呼応するものをより多く見出すように私には感じられる。(2018.9.28)

3回目の第8交響曲実演に接したマーラー愛好家の専門家への手紙より

(…)2018年9月16日にミューザ川崎で行われた、東京ユヴェントス・フィルハーモニーの創立10周年記念演奏会、開演18:30の夜の演奏会で普通なら行くことはないのですが、連休の中日、ミューザ川崎、そしてタクトをとられた坂入さんが井上喜惟さんの知己とのことで、追加発売のチケット、3階右側で舞台の右側が半分見えない(しかも第8交響曲の場合、2階客席に合唱が入るのでその半分は足元から声が出てくるような感じの)席であったが聴いて参りました。

演奏はアマチュアとは思えない、精度の高いもので、歌手の方々も幸いにして皆さん好調だったようで、リアライズという点では申し分ない、素晴らしい演奏と受け止めました。とりわけ私見ではこの曲の要所を占めるパートである児童合唱のNHK東京児童合唱団の上手さには脱帽。彼女たちは若いけれど、この曲は初めてではないようで(パーヴォ・ヤルヴィのタクトでNHK交響楽団との共演がある由)、思えばこれはこれですごいことではないでしょうか?児童合唱は、定義上いつもそうなのですが、今回は指揮者のみならずオーケストラも若くて、とにかく勢いと溢れるばかりの精気に満ちた溌剌とした演奏で、オーケストラの10周年記念に相応しい、とても良いコンサートでした。

コンサートならではの空間的な配置について言えば、第2部のコーダ手前の栄光の聖母の歌唱は3階席右側のオルガン脇、同じ高さで聴くことになりました。練習番号174のWenn er dich abnetの出だしのピッチもぴったし、素晴らしい歌唱でしたが、距離が近いためにppには聴こえず、ちょっとびっくりしました。他方、各部のコーダで「離れて配置される」との指示のあるバンダは第1部ではオルガンの手前、オルガン奏者のすぐ脇、合唱の一番上の席とほぼ同じ高さ(合唱は真後ろから金管の直接音を浴びることになります)。第2部では指定通りにオーケストラ本体からは最も離れた4階席の最前列。

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指揮者の坂入さんは弱冠30歳にしてこの曲を演奏したことになります。確かシューリヒトがヴィースバーデンでこの曲を振ったのは30代だったと記憶しますが、何しろマーラー自身による初演(1910年9月)に立ち会った時に丁度30歳、取り上げたのはその2年後とのことだから32歳ですか。同様に、28歳で初演に立ち会ったストコフスキーは1916年にフィラデルフィアでアメリカでの初演を実現しているので34歳だったことになります。坂入さんは彼ら2人よりも更に若いことになるのですね。

そういうこともあってか、私が会場でふと思い出したのは、1923年(大正12年)にベルリンで第8交響曲の演奏を聴いた兼常清佐が記した以下の言葉でした。

「(…)"フィルハーモニー"の演奏台は臨時に聴衆席の中まで拡張された。この演奏団の上には、真白の服の女性合唱団が管弦楽団を埋めるようにとりまいた。後には一段高く男性合唱団がひしめき合っている。大風琴の上には強い電燈が一つぎらぎらと光っている。一方の隅にピアノがある。他の隅にはチェレスタがある。ハルモニウムがある。上の段には見馴れぬ鋼鉄の棒がかけられている。すべてものものしい、圧倒的の光景である。この大勢を指揮する若い指揮者パウル・ペルラの得意は察するに余りがある。彼は凱旋将軍のごとく指揮台に現われた。雷のような拍手が彼を迎えた。マーラーの『世界市民への贈物』である『第八シンフォニー』は満堂の聴衆の魂を底の底から揺り動かした」(兼常清佐「音楽巡礼」、桜井健二『マーラーとヒトラー』p.76に引用されていて、私はそれによって知りました。)

合唱団の配置、ピアノ、チェレスタ、ハーモニウム、グロッケンといった楽器の配置といった細部は異なるけれど、「若い指揮者」パウル・ペラは1892年生まれだから31歳、年齢に関しては坂入さんに最も近いが、更に坂入さんの方が若いのです。第8交響曲を指揮した最も若い指揮者といった、ギネスブックのエントリのような記録に関心があるわけでもなく、調べるつもりもないのですが、管見では坂入さんより若い指揮者による演奏の記録はありません。

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ただ正直に申し上げると、素晴らしい演奏を味わいつつも、ホールにおいて私が少し別の感覚も抱いていたことを言わなくては、その場での経験を偽ることになってしまうでしょう。

「離れて配置される」バンダの位置については上に述べた通りで、まず些か例外的な(何しろ「離れて」いるとは言い難かったので)第1部での配置に驚きましたが、では第2部の配置について違和感はなかったかというとそうではない。第2部の配置そのものは自然な選択であると思うのですが、第1部の配置が念頭にあったので、こちらはこちらで驚いたというのが正直なところです。ごく単純に、私には意図がよくわからない。マーラーの他の作品でもそうであるように、だがこの第8交響曲については一層、「空間性」は決定的な意味を持ち、「何処」で音楽が鳴っていて、つまりオーケストラが乗っている舞台が仮想的な作品の空間のどこに位置していて、「遠く」(即ちマーラーの指示の「離れた」ところ)が「何処」であるのかというのは決して些末ではない、と思うのです。しかも、これは歌詞により曖昧さなく明確であると私は理解しているのですが(従って勿論、多くの人が指摘していることでもあるわけですが)、第1部のVeni、地上から天に向かっての、「私」が、「我々」が発する「来たれ」に対し、第2部のKomm、こちらは高いところから栄光の聖母が、直接にはかつてグレートヒェンであった女に向けて呼びかける「来たれ」には明白な対応関係があり、それに対応して、バンダが奏する音型にも対応関係をマーラーが設定しているにも関わらず、そのシンメトリをあえて壊したのは何か事情なり理由なりがあったのでしょうか?

兼常の聴いたコンサートが恐らくそうであったと想像される様に、この演奏に対する聴衆の反応は猛烈といって良いものでしたし、音響的な実現という点では申し分ないものであったことを思えば、これは瑣末なことかも知れません。そんなことに拘って、総体の印象を薄めてしまうのは愚かしいことであるという言い分に説得力があることを否定しようとは思いません。しかも私は別のところで書いている通り、アドルノがモノグラフで示したこの作品についての留保に対して、常には距離を置き、寧ろ、そこにある逡巡のようなものに、実演に接した経験を裏切ることのない態度を見出しさえしてきたのです。第8交響曲の実演に接するのは、何とこれで3回目。唯一第7交響曲のみが3回の実演に接しているだけという私の貧しい実演に接した経験の半分は、若き日の苦い疎外の思い出に満たされていて、それ故に実演に接するのを永らく(四半世紀に亘って!)控えてきた程なのですが、その中にあってこの作品の実演は、ほぼ唯一といって良い例外だったのです。恐らくは演奏の客観的な出来からすれば最も優れたものであったであろう今回の演奏で、だけれども、どうしようもなく違和感を抱いてしまったが故に、本来なら演奏会の感想として纏めて公開することを予定していたものが、私の主観的な判断基準では出来なくなってしまったこの状況を自分でも整理する必要に駆られて、このようなご連絡をさせて頂いているような状況なのです。

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「何処」で音楽が鳴っていて、つまりオーケストラが乗っている舞台が仮想的な作品の空間のどこに位置していて、「遠く」が「何処」であるのかという点は本当に瑣末なのか、そんなのは頭で作った理屈に過ぎないのではという問いに対して私は、必ずしもそうとは言えない、と答えるでしょう。寧ろそれは実感として感じられたものなのです。ですから、その時に感じた様々な印象を跡付けながら、そこに存在するに違いない連関を見出し、違和の理由を突き止める作業にもう少しお付き合い頂きたく思うのです。大切なお時間を頂くことになり申し訳ありません。恐らくそうして見出したものは、私の個人的な思い、主観的な反応に過ぎず、演奏の客観的な評価とは無関係であることを認めざるを得ないでしょう。それゆえこの演奏会については、感想を公開することを潔く断念するつもりです。それでもなお、他方において、この作業をすることなくしては、少なくとも私個人にとってコンサートに赴き、一度限りの演奏を聴く意味はないように思うのです。この作業なしには、再び実演に接することを断念せざるを得ないように思うのです。

私は頭の中に入っている音楽がその場でリアライズされるのを追い、歌詞を噛み締めつつも、どこかで、少しだけ取り残されたような気がして、かつまた、自分が年をとったことを感じていました。それは私のような老境に差し掛かりつつある人間ならではのもので、演奏されたみなさんには関係のないことなのだろうし、会場に居た多くの聴き手の方々にとってもそうでしょう。坂入さんをはじめとする奏者の方々の若さと、技術的な達成を目の当たりにして、マーラーの没年を超えてなお馬齢を重ねるしかないというのが偽らざる現実である我が身を振り返らざるを得なかったに過ぎないのかも知れません。

マーラー本人はこの曲を振ったとき50歳でした。歌手のリリ・レーマンはマーラーがひどく老け込んでいることに驚いたという証言を残しているし、シュペヒトは、終演後に聴衆に向かって挨拶をするマーラーを見つめていた若者が「あの人はもうすぐ死んでいくだろう。あの人の目をご覧なさい。勝利者の、新しい勝利に赴く人の目つきではありません。まさにすでに死が手を肩にかけた人の目つきです。」(マルク・ヴィニャル『マーラー』における引用より。手元の邦訳ではp.186)と語っているのを聞いたといいます。無論のこと、こうしたアネクドットの類の常で、その後1年を経ずに亡くなったことを知った人間の後付けであると疑うこともできるでしょうし、コンサートのあったその時点での展望としては、マーラーは単に扁桃炎を起こしていたのを無理をしただけだったのかも知れません。

だけれどもこの作が、柴田南雄さんが後続の「大地の歌」や第9交響曲とともに「背後の世界の作品」と呼んだ後期作品に属することも確かなのであって、表面的にはド・ラ・グランジュの言う通り歓喜の奔流かも知れなくとも、そして一見したところ否定的な契機に欠けるように思われたとしても、とりわけその第2部が人間が生きたままその場にいることはできず、また、経験することもできないような場での出来事の音楽化であることは、単に素材であるゲーテの「ファウスト」第2部終幕の場の場面設定がそうであるという以上に、マーラーの音楽の内実が物語っていることであると私は思っています。否、第1部での聖霊の訪れる瞬間とて、時間論的に見れば主体が自己超越をして客体化し、次の生成の背景となる受動性の極における出来事、言いかえればミクロなレベルでの「死」の経験に他ならない筈だし、第2部の素材について付言するならば、とりわけても少年達がこの場に至るまでにどんな経験をし、どんな場所を通り抜けてきたかに思いを致せば、総じてこの作品の中には「老い」とか「死」とかが潜んでいることに気付かずにはいられません。自室でCDの録音を聴く場合でさえ、第2部を聴き進めていくにつれ、自分が何処にいるのか、引き返すことのできない場所に到達したのではないかと感じて恐慌に陥ることがあって、怖くてなかなか聴く気になれないというのが、私にとってのこの作品の在り方なのです。

それを思えば、最初に記したバンダの配置に関する違和感もまた、無関係のこととは思えない。「何処」で音楽が鳴っていて、つまりオーケストラが乗っている舞台が仮想的な作品の空間のどこに位置していて、「遠く」が「何処」であるのかという点は、つまるところ上記のような作品の受け止め方と密接に関連しているのであって、10周年記念の大成功の演奏にケチをつけるというわけではなく、その成功は演奏した方々の、とりわけ指揮者の若さに相応しいものであったけれど、そしてこれは単なる無いものねだり、不当な留保であることは承知の上で、だが、しばしば人がこの曲に存在していること自体を見失いがちな、そして終演後の熱狂の只中では忘れられて当然な、「遠く」に対する感覚を欠いていた、あらゆることは「ここ」で起きて、「ここ」で自己完結し、成就していたと感じずにはいられない、それ故の疎外感であったのではないか、Veni-Kommの呼びかけのシンメトリが孕む、絶望的な程の隔たり、「死」を通してしか垣間見ることができないような「遠く」がそこには存在する余地がなかったように感じたが故ではないかと思うのです。

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思えば最初の時は聴いた私が若かった。マーラーの聴き手としては既に10年選手だったとはいえ、坂入さんの年齢よりも更に若く、バブルに華やぐ世相の中のコンサート(サントリーホールの杮落とし)でした。2回目は井上喜惟さんのタクトでの、ジャパン・グスタフ・マーラー・オーケストラによる交響曲全曲演奏の掉尾を飾る演奏会でした。このコンサートについては、私も微力ながらお手伝いさせて頂いて、当事者の末席を汚しており、途中からではあれ、その活動を応援させて頂いてきた方々による演奏であったという事情があり、主観的には普通のコンサートとは違った意味合いを持っていました。そしてそうした「バイアス」は、実は私が実演を聴くのを再開するにあたって、意図的に選択したものでしたが、その選択は間違っていなかったと思います。もしかしたら今回の演奏会については、そうした「バイアス」が欠けていたが故に私の側に欠落があったのかも知れません。けれどもそれだけではなく、それにも増して、井上さんのタクトの下で生成する音楽の時間の流れは一種異様であった、それまでに実演、録音含めて聴いてきた様々な演奏の中にあって全くユニークで、寧ろ異様と形容するのが適当なものであったけれども、それでも尚、上記のような私のこの作品の受け止め方との齟齬はなかったように記憶しています。

こうして考えると、演奏の一つ一つを受け止めることがどんなに難しいことか、そしてそれらを比較して優劣を論じることが如何に暴力的な行為であるか、感じずにはいられません。コンサートで音楽を聴くというのは、優れて一つの実践的な行為、聴き手にとっても都度新たな挑戦であって、決して無音室で再生される音響を知覚するといった抽象的なレベルに還元することのできないものなのです。であってみれば、演奏会の成功は、坂入さんをはじめとする奏者の方々、坂入さんとオーケストラとを応援して来た聴き手の方々のためのものであって、やはり私はこのような主観的な経験を語るに留めるのが適当だと思えるのです。(…)

(2018年9月28日公開)