コンサートならではの空間的な配置について言えば、第2部のコーダ手前の栄光の聖母の歌唱は3階席右側のオルガン脇、同じ高さで聴くことになりました。練習番号174のWenn er dich abnetの出だしのピッチもぴったし、素晴らしい歌唱でしたが、距離が近いためにppには聴こえず、ちょっとびっくりしました。他方、各部のコーダで「離れて配置される」との指示のあるバンダは第1部ではオルガンの手前、オルガン奏者のすぐ脇、合唱の一番上の席とほぼ同じ高さ(合唱は真後ろから金管の直接音を浴びることになります)。第2部では指定通りにオーケストラ本体からは最も離れた4階席の最前列。
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指揮者の坂入さんは弱冠30歳にしてこの曲を演奏したことになります。確かシューリヒトがヴィースバーデンでこの曲を振ったのは30代だったと記憶しますが、何しろマーラー自身による初演(1910年9月)に立ち会った時に丁度30歳、取り上げたのはその2年後とのことだから32歳ですか。同様に、28歳で初演に立ち会ったストコフスキーは1916年にフィラデルフィアでアメリカでの初演を実現しているので34歳だったことになります。坂入さんは彼ら2人よりも更に若いことになるのですね。
そういうこともあってか、私が会場でふと思い出したのは、1923年(大正12年)にベルリンで第8交響曲の演奏を聴いた兼常清佐が記した以下の言葉でした。
「(…)"フィルハーモニー"の演奏台は臨時に聴衆席の中まで拡張された。この演奏団の上には、真白の服の女性合唱団が管弦楽団を埋めるようにとりまいた。後には一段高く男性合唱団がひしめき合っている。大風琴の上には強い電燈が一つぎらぎらと光っている。一方の隅にピアノがある。他の隅にはチェレスタがある。ハルモニウムがある。上の段には見馴れぬ鋼鉄の棒がかけられている。すべてものものしい、圧倒的の光景である。この大勢を指揮する若い指揮者パウル・ペルラの得意は察するに余りがある。彼は凱旋将軍のごとく指揮台に現われた。雷のような拍手が彼を迎えた。マーラーの『世界市民への贈物』である『第八シンフォニー』は満堂の聴衆の魂を底の底から揺り動かした」(兼常清佐「音楽巡礼」、桜井健二『マーラーとヒトラー』p.76に引用されていて、私はそれによって知りました。)
合唱団の配置、ピアノ、チェレスタ、ハーモニウム、グロッケンといった楽器の配置といった細部は異なるけれど、「若い指揮者」パウル・ペラは1892年生まれだから31歳、年齢に関しては坂入さんに最も近いが、更に坂入さんの方が若いのです。第8交響曲を指揮した最も若い指揮者といった、ギネスブックのエントリのような記録に関心があるわけでもなく、調べるつもりもないのですが、管見では坂入さんより若い指揮者による演奏の記録はありません。
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ただ正直に申し上げると、素晴らしい演奏を味わいつつも、ホールにおいて私が少し別の感覚も抱いていたことを言わなくては、その場での経験を偽ることになってしまうでしょう。
「離れて配置される」バンダの位置については上に述べた通りで、まず些か例外的な(何しろ「離れて」いるとは言い難かったので)第1部での配置に驚きましたが、では第2部の配置について違和感はなかったかというとそうではない。第2部の配置そのものは自然な選択であると思うのですが、第1部の配置が念頭にあったので、こちらはこちらで驚いたというのが正直なところです。ごく単純に、私には意図がよくわからない。マーラーの他の作品でもそうであるように、だがこの第8交響曲については一層、「空間性」は決定的な意味を持ち、「何処」で音楽が鳴っていて、つまりオーケストラが乗っている舞台が仮想的な作品の空間のどこに位置していて、「遠く」(即ちマーラーの指示の「離れた」ところ)が「何処」であるのかというのは決して些末ではない、と思うのです。しかも、これは歌詞により曖昧さなく明確であると私は理解しているのですが(従って勿論、多くの人が指摘していることでもあるわけですが)、第1部のVeni、地上から天に向かっての、「私」が、「我々」が発する「来たれ」に対し、第2部のKomm、こちらは高いところから栄光の聖母が、直接にはかつてグレートヒェンであった女に向けて呼びかける「来たれ」には明白な対応関係があり、それに対応して、バンダが奏する音型にも対応関係をマーラーが設定しているにも関わらず、そのシンメトリをあえて壊したのは何か事情なり理由なりがあったのでしょうか?
兼常の聴いたコンサートが恐らくそうであったと想像される様に、この演奏に対する聴衆の反応は猛烈といって良いものでしたし、音響的な実現という点では申し分ないものであったことを思えば、これは瑣末なことかも知れません。そんなことに拘って、総体の印象を薄めてしまうのは愚かしいことであるという言い分に説得力があることを否定しようとは思いません。しかも私は別のところで書いている通り、アドルノがモノグラフで示したこの作品についての留保に対して、常には距離を置き、寧ろ、そこにある逡巡のようなものに、実演に接した経験を裏切ることのない態度を見出しさえしてきたのです。第8交響曲の実演に接するのは、何とこれで3回目。唯一第7交響曲のみが3回の実演に接しているだけという私の貧しい実演に接した経験の半分は、若き日の苦い疎外の思い出に満たされていて、それ故に実演に接するのを永らく(四半世紀に亘って!)控えてきた程なのですが、その中にあってこの作品の実演は、ほぼ唯一といって良い例外だったのです。恐らくは演奏の客観的な出来からすれば最も優れたものであったであろう今回の演奏で、だけれども、どうしようもなく違和感を抱いてしまったが故に、本来なら演奏会の感想として纏めて公開することを予定していたものが、私の主観的な判断基準では出来なくなってしまったこの状況を自分でも整理する必要に駆られて、このようなご連絡をさせて頂いているような状況なのです。
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「何処」で音楽が鳴っていて、つまりオーケストラが乗っている舞台が仮想的な作品の空間のどこに位置していて、「遠く」が「何処」であるのかという点は本当に瑣末なのか、そんなのは頭で作った理屈に過ぎないのではという問いに対して私は、必ずしもそうとは言えない、と答えるでしょう。寧ろそれは実感として感じられたものなのです。ですから、その時に感じた様々な印象を跡付けながら、そこに存在するに違いない連関を見出し、違和の理由を突き止める作業にもう少しお付き合い頂きたく思うのです。大切なお時間を頂くことになり申し訳ありません。恐らくそうして見出したものは、私の個人的な思い、主観的な反応に過ぎず、演奏の客観的な評価とは無関係であることを認めざるを得ないでしょう。それゆえこの演奏会については、感想を公開することを潔く断念するつもりです。それでもなお、他方において、この作業をすることなくしては、少なくとも私個人にとってコンサートに赴き、一度限りの演奏を聴く意味はないように思うのです。この作業なしには、再び実演に接することを断念せざるを得ないように思うのです。
私は頭の中に入っている音楽がその場でリアライズされるのを追い、歌詞を噛み締めつつも、どこかで、少しだけ取り残されたような気がして、かつまた、自分が年をとったことを感じていました。それは私のような老境に差し掛かりつつある人間ならではのもので、演奏されたみなさんには関係のないことなのだろうし、会場に居た多くの聴き手の方々にとってもそうでしょう。坂入さんをはじめとする奏者の方々の若さと、技術的な達成を目の当たりにして、マーラーの没年を超えてなお馬齢を重ねるしかないというのが偽らざる現実である我が身を振り返らざるを得なかったに過ぎないのかも知れません。
マーラー本人はこの曲を振ったとき50歳でした。歌手のリリ・レーマンはマーラーがひどく老け込んでいることに驚いたという証言を残しているし、シュペヒトは、終演後に聴衆に向かって挨拶をするマーラーを見つめていた若者が「あの人はもうすぐ死んでいくだろう。あの人の目をご覧なさい。勝利者の、新しい勝利に赴く人の目つきではありません。まさにすでに死が手を肩にかけた人の目つきです。」(マルク・ヴィニャル『マーラー』における引用より。手元の邦訳ではp.186)と語っているのを聞いたといいます。無論のこと、こうしたアネクドットの類の常で、その後1年を経ずに亡くなったことを知った人間の後付けであると疑うこともできるでしょうし、コンサートのあったその時点での展望としては、マーラーは単に扁桃炎を起こしていたのを無理をしただけだったのかも知れません。
だけれどもこの作が、柴田南雄さんが後続の「大地の歌」や第9交響曲とともに「背後の世界の作品」と呼んだ後期作品に属することも確かなのであって、表面的にはド・ラ・グランジュの言う通り歓喜の奔流かも知れなくとも、そして一見したところ否定的な契機に欠けるように思われたとしても、とりわけその第2部が人間が生きたままその場にいることはできず、また、経験することもできないような場での出来事の音楽化であることは、単に素材であるゲーテの「ファウスト」第2部終幕の場の場面設定がそうであるという以上に、マーラーの音楽の内実が物語っていることであると私は思っています。否、第1部での聖霊の訪れる瞬間とて、時間論的に見れば主体が自己超越をして客体化し、次の生成の背景となる受動性の極における出来事、言いかえればミクロなレベルでの「死」の経験に他ならない筈だし、第2部の素材について付言するならば、とりわけても少年達がこの場に至るまでにどんな経験をし、どんな場所を通り抜けてきたかに思いを致せば、総じてこの作品の中には「老い」とか「死」とかが潜んでいることに気付かずにはいられません。自室でCDの録音を聴く場合でさえ、第2部を聴き進めていくにつれ、自分が何処にいるのか、引き返すことのできない場所に到達したのではないかと感じて恐慌に陥ることがあって、怖くてなかなか聴く気になれないというのが、私にとってのこの作品の在り方なのです。
それを思えば、最初に記したバンダの配置に関する違和感もまた、無関係のこととは思えない。「何処」で音楽が鳴っていて、つまりオーケストラが乗っている舞台が仮想的な作品の空間のどこに位置していて、「遠く」が「何処」であるのかという点は、つまるところ上記のような作品の受け止め方と密接に関連しているのであって、10周年記念の大成功の演奏にケチをつけるというわけではなく、その成功は演奏した方々の、とりわけ指揮者の若さに相応しいものであったけれど、そしてこれは単なる無いものねだり、不当な留保であることは承知の上で、だが、しばしば人がこの曲に存在していること自体を見失いがちな、そして終演後の熱狂の只中では忘れられて当然な、「遠く」に対する感覚を欠いていた、あらゆることは「ここ」で起きて、「ここ」で自己完結し、成就していたと感じずにはいられない、それ故の疎外感であったのではないか、Veni-Kommの呼びかけのシンメトリが孕む、絶望的な程の隔たり、「死」を通してしか垣間見ることができないような「遠く」がそこには存在する余地がなかったように感じたが故ではないかと思うのです。
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こうして考えると、演奏の一つ一つを受け止めることがどんなに難しいことか、そしてそれらを比較して優劣を論じることが如何に暴力的な行為であるか、感じずにはいられません。コンサートで音楽を聴くというのは、優れて一つの実践的な行為、聴き手にとっても都度新たな挑戦であって、決して無音室で再生される音響を知覚するといった抽象的なレベルに還元することのできないものなのです。であってみれば、演奏会の成功は、坂入さんをはじめとする奏者の方々、坂入さんとオーケストラとを応援して来た聴き手の方々のためのものであって、やはり私はこのような主観的な経験を語るに留めるのが適当だと思えるのです。(…)
(2018年9月28日公開)
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