お詫びとお断り

2020年春以降、2024年3月現在、新型コロナウィルス感染症等の各種感染症の流行下での遠隔介護のため、マーラー祝祭オーケストラ第22回定期演奏会への訪問を例外として、公演への訪問を控えさせて頂いています。長期間に亘りご迷惑をおかけしていることにお詫びするとともに、何卒ご了承の程、宜しくお願い申し上げます。

2007年12月31日月曜日

備忘:標題について

もし本人の意図が音楽のプログラムを傍証するならば、大地の歌やショスタコーヴィチのXIVは誤解の余地はないことになる。でも多分、それは単純にすぎる。ショスタコーヴィチのXVやMahlerのIXがそれを物語る。

実証的な検証:1896、標題性の放棄という観点からの転回点?(桜井3 p.141-2)第3、第1のベルリンでの演奏~その他は?嘆きの歌の改訂?確認のこと。

文字通りに受け取る必要はないものの、標題性についても(何とマーラー自身は)それが素材なのではなく、 結論、出来上がったものが結果的にそう解釈できるという意味合いでの<説明>に過ぎないことを認めている。 従って、マーラーの場合はいわゆる素材としての標題の音による実現ではない限りにおいて、それを標題音楽と呼ぶのは 誤りである。(第2交響曲や第3交響曲、第4の生成史はそれを裏付けるだろう。) 実験ということであれば、何が表現されるかも、最後まで決まらない。表現されるべき内容があって、 その仕方の巧拙が問われるのではない。もし、成功/失敗があるとするならば、内容もひっくるめてである。 (Adornoが批判的にひいた「高貴なことを志したが、無慚にも失敗した」という評言は、Adornoの言うとおり やはり適当でないだろう。) つまりkennedy言うところの「実験」そのものについて成功/失敗が言いうるのだ。

IX-4:音楽図像学上の「昇天」?物理的、身体的死の象徴化?私には、どちらとも思えない。己の死は一度しか経験できない。そのときには正誤の判断を残すことはできないだろう。否、Mahlerはこの曲をいつもの夏に書いたのだ。死についての省察が含まれているとは思うが、 如何なる意味でも、死の描写(象徴的であれ)ではないだろう。「について」という標題の陳腐さにも関わらず、そうした距離は存在する。異なるのはその距離の「間」で生じていることだ。

記号論はたいていの場合(楽曲分析と同じで)既成の図式に経験を整序することしかしない。図式を作り上げる手助けをするよりは多く、単にそうした出来合いの図式を用意するに過ぎない。だからつまらないのだ。Xについて音楽が語る、というのはどういう事か?マーラーの音楽はプログラムを持っている。本人も認めているし、それは否定できない。だが、マーラーが与えた標題は「説明」に過ぎず、素材ですらないのだ。

何故ある曲がXについて語っている、と言えるか?マーラーがそういう標題をつけたから、というのは答としてはナンセンスだ。もし、そうだとしたら、それはマーラーの意図の説明で、音楽が語っていることではない。それで良ければ、どんな凡庸な音楽ですら、いくらでも高尚な事を語りうることになる。

結局、音楽の構造から、形式から、そうした内容が「効果」として生じる、というで なければならない。生産の極に偏した研究が逃すのは、そうした聴体験のクオリアだ。だが、マーラー自身が「直観」と呼ぶもの、クオリア以外に救い出すべきものはない。

マーラーのそれは「説明」に過ぎない、素材ですらないのだ。だから、やはりFlorosの立場は(Straussになら正当化できても)正当化できない。それは例えばScoreへの書き込みの類と同じように読まれるべきなのだ。例えばVI交響曲のカウベルについての注記は、標題を示して、その後で撤回するという手つきと同じだ。イメージを示して、でも標題音楽的に解釈するな、という。

IIIは意識の点でも(標題を密輸することで)意識の進化論、発展を論じる口実が与えられている。だが、標題と音楽は一致するとは限らない。「音楽が語ること」は何か?そもそも「意識のレヴェル」を表現することと、音楽が認知的にある意識の機能を使うこととは (とりあえずは)同一視できない。より低次の意識、前意識etc.を「表現する」と言われるとき、その「表現」は描写音楽や 標題音楽に帰せられる記号論的な機能とは異なるだろう。

Greeneの論は意識を時間性と読み替えることで、調的配置やフレーズのclosureの様態といった 楽曲の形態論を意識の様態と対応付けることに成功している様だ。勿論この手続きは間違っていない―否、寧ろこの手続きこそが正解なのだと思う。だが、Greeneの叙述も時折、予定調和的にマーラーが仄めかして消した(だが消したことがわかっている のだから、それを知ってしまえば何もなかったのとは同じではない)標題に合致するように 楽曲の構造を読んではいないか?という疑いを一度は持つべきだろう。果たして、その楽曲は標題が示すような階梯をなして(「表現して」ではない!)いるだろうか?

だが、例えばフレーズの開閉や連結、対位法の層の様相、音楽事象の密度、そしてマーラーの場合は 第10交響曲におけるまで一貫した調的配置の機能は、楽曲の認知的内容を形成するゆえに 信頼のおける根拠になりうる。プログラム的な連想は排除できない―歌詞がまずもって侵入している。マーラーの内部に限っても 歌曲と交響曲の相互引用がある―文化的背景、巨大な引用元たる西欧の音楽の伝統を意識せずとも 「抽象的に音を聴く」のはマーラーの場合は(作曲者の意図はべつにしたとしても尚)不可能だ。だが、印象批評を止めたければ、楽曲の構造に拠るしかないのは明らかだ。

標題といい、歌詞との関係といい、複雑な様相を示す現実を、 既成の概念と用語とで語ろうとすると、どうしても単純化がおきる。媒体の肌理の粗さのせいで、現実をうまく捉えきれないのだ。たいていの論争は、媒体となる用語の周囲を巡っていて、対象自体には届いていない。だから、作曲者は分析されることを嫌うのだろう。

備忘:イロニー・パロディ・異化

異化の微妙さ、異化の効果は文脈を前提にする。もう一つ、表現主義の方向性は民族主義―コスモポリタニズムの軸とはとりあえずは関係しない。文脈を知らずに文脈から身を引き離したことがわかるだろうか?多分わかると思うのだが、、、(ある種の抽象性と具体性の混合として)

イロニーでも何でも、メタファーならメタファーで音楽の具体的な部分に、構造に帰着できなければ不可。印象は不可。メタファーならば指示されるものと媒体が少なくとも存在する。だから、急いでイロニーやグロテスク、パロディに飛びつくべきでない。(もっともパロディはオリジナルが明らかならば、それを認めること自体は構わない)だが、そのパロディの「意味」については慎重であるべきだ。(ショスタコーヴィチでも同じ。マーラーだけではない。)具体的な音楽に即して記述すべきなのだ。

ドン・キホーテもまた、パロディーであった。だが、ドン・キホーテを読むのに、パロディー元であった騎士道小説を読む必要がある、と言えるだろうか?そうした文脈と、そうした文脈に即した受容、同時代における受容が、より本来的といえるだろうか?否、決してそうではあるまい。いわゆるアイロニーなら、歴史的文脈を知らなくても、その文体によって 感じ取ることができるし、ドン・キホーテの感動的な部分は、そうした歴史的文脈を超えている。

マーラーに対しては、まだ充分に距離が取れない時代なのだろうが、マーラーについても全く同じだろう。旋律が同時代の何かの引用であったり、パロディーであることを知り、そのように聴くことがマーラーを 聴く本来的なあり方であるはずがない。文脈に対して無意識な子供が虚心に耳を傾ける時に響く音楽の方が、その作品の価値の核を 正しく聴き取っているのだ。

パロディ度数のようなものも興味深い。-もっともこれは演奏と受容の動的過程を考慮しないとだめかも知れない。つまり、パロディには解釈者がいつも必要なのだ。だからパロディは原理的に不安定だ。(そうは受け取られない場合が常に存在する。-作品としては「不確定」である、と言っても良い。せいぜいが確率が与えられるくらいだろう。-特にマーラーの場合は、全てについて、そうした確率を付与して良い。パロディである可能性が原理的に存在しない作品はマーラーの場合にはない。


誤解・誤読?IVやVII-5の聴取、parody性について。多分Kennedyの著作により可能性は認識した上で、Kennedyの意見に従って、(といっても必ずしもそれを絶対的な権威と見做したわけではなく、寧ろ、自らの聴取に照らして)それをparodyなしで受け取ったのだ。II-3はどうだったか?VIのスケルツォは?VII-3は?IX-3,X-3,4は?その鋭さを「そのまま」受け止めたと思う。だが、VII-5やIVの陽気さもまた、「そのまま」受け止めた。II-5(多分4も、というより寧ろ4こそ!)やVIIIはどうなるのだ?*宗教が装飾と化しているいるのでは、というあの嫌疑、Adornoの留保が適用されるのだろう。VIII-1とVII-5―柴田1984のようだ―を連関させるとしたら、やはりVII-5はparodyでないか。それともVIII-1がparodyかのいずれかになる。勿論、作曲家の意識の上では、VIII-1はparodyではありえない。

作曲家の意図についての解読(例えばショスタコーヴィチにおいて行われている様な)が、ここでも問題なのか?「彼」がparodyを意図したことが問題なのか?それともここで、Adorno的に、隠れた作者を、主観でも世界でもない、表現されたものの主体でない作者を考えるべきなのか?

二重言語性について。
再び、文脈を全く共有しない子供が始めてマーラーの音楽を無心に聴いて受け取るもの。 多分、マーラーの場合とショスタコーヴィチの場合とでは異なるかも知れない。 もっともマーラーの音楽とて一様ではなく、程度は色々だ。つまるところ、こうしたことは 過度に一般化して語るべきではない。

二重言語性ではなくて、皮肉っぽい気分や諧謔は文脈なしでも感じられる。 皮肉や諧謔は音楽的語法として存在するから。別にmit Humorと書かれていなくても、 わざと調子を外した旋律線、奇矯なアクセントなどから、そうした気分は感じ取ることができる。 要するに、この水準であれば、音名象徴などとは異なって、あるいは発達した形態に おけるクラングレーデとは異なって、「通のみがわかっている」コード表なしでも、何某かは伝わる。 一方で、極端なケースでは二重言語であることを隠蔽するような在り方というのもあって、 この場合にはさすがに文脈なしではわからないだろう。

しかしこうしたことであれば、別にマーラーだけが問題ではない。寧ろこうしたことはバロック期に おいてはごく普通だったろうし、もっと洗練され手の込んだ仕方で行われた例もあっただろう。 秘められたメッセージとその解読は、それが音楽の享受のすべてではないにせよ、あちこちで 行われてきたことだ。(音楽だけではない。絵画もそうだし、言語を使ったジャンルでもそうだ。) もう一つ。マーラーとショスタコーヴィチの語法は他人の空似ではなく、ユダヤ音楽の語法を用いている という点で共通しているようだ。だが、多分、こうしたことは件の子供の聴取にはあまり 関係がないだろう。勿論、ユダヤ音楽の語法に含まれる、或る種のアイロニカルな悲しい 調子や、鋭さは伝わる。だかそれが何に由来するかは、少なくとも彼にとっては副次的な ことだ。

悪を醜さとして、音楽の中で表現すること。
人間的な音楽。思想や感情を音を使って表現するというロマン主義的姿勢。一見、悪を表現する、醜を表現する、というのも普通に行われてきたように感じられる。だが、例えばそれは、演劇的空間の中で、記号としての悪を表す修辞学が、 クラングレーデがあったということではないか。一方で二元論はソナタ形式を支える論理であり、ソナタ形式のアレグロ楽章のその動性の根拠だ。 だとしたら、ここで善と悪との葛藤が表現されてはいないのか? 運命との葛藤、困難や苦難との闘争が、ベートーヴェン以来の英雄的なソナタ形式が 表現しているものだ。運命も、困難も、苦難も、原因は皆、外にある。 表現されているのは、悪との戦いであり、悪そのものではない。

そしてまた、ロマン派の音楽は美をその規範とする。それがフランス革命以降の、 前古典期の音楽に要求された「快適さ」を起源としているのではないのかという問いは おくとして、絶対音楽は美を依拠する唯一の価値とする。だから醜いものを持ち込む ことは、その規範からの逸脱だ。描写音楽なら、標題音楽という名目の下、限定つきで 認められていたに過ぎない。だが、それが社会的な要因であるかどうかはともかく、 それは常に忍び込み、その都度指弾を受けながら、時代を追う毎にますます 幅を利かすようになったように見える。調的言語の拡大は、不安や恐怖を 表現するために為されたかのようだ。だがマーラーの場合には、悪そのものよりも、悪との闘争が前面に出ている。ショスタコーヴィチの場合とは異なるのだ。勿論、もはやそれは英雄的なものではなく、ごく私的な悲鳴に過ぎないかも知れないが。マーラーは悪に対して、ナイーヴであったのではないか?自分の中にあるそれに対しても、無頓着で無反省であったのではないか?人間はそんなに立派な存在ではない。として、そうした醜さ、不完全さを告発することに意味があるだろうか?例えばオペラやある種の演劇の様に人間を描く、それに意義があるか?個別の人間の不完全さを書くことに 意味などないのではないか。―マーラーはそれをしなかったとも言えるし、交響曲という形式を簒奪してやってしまった という観方をする人もいるだろう。

備忘:引用

引用に意味がないとは言わない―自己引用と、他者の作品の引用を区別することを完全に正当化することはできないだろう。 また、引用によって、作品の意味が―少なくともその一部が―構成される可能性、あるいはまた少なくとも作者の意図が 解読される可能性は否定しない。 だが、引用の解読は、引用された楽句が作品の中でどう機能しているか、どのような文脈が作品の側にあるかについての 議論なしでは、作品には辿り着かない。 自己引用は除いて―それは作品全体を一つの総体としてみる立場からすれば、どのみち考慮に入れなくてはならない― 引用というのを締め出してしまったとしても、それでマーラーの音楽の力が弱まるとは到底思えない。 何故、引用の知識が作品を理解する要件になるのだろう。 もしかしたら、それはそれである種の音楽の歴史のようなものになるかも知れないが、それには興味はない。

多分こうした限定には批判は可能だろう。だが、どこかで切断する必要はあるし、(しないなら、マーラーの音楽というのも 止めにすれば良い。中立的な作品の概念をとことん破壊した上で語って見せればよい。それをやらないで こうした作業仮説的な限定を批判するのは、批判のための批判に過ぎない。)結局はここではマーラーの作品を扱いたいのだ。 編曲はどうなる?編曲と創作に線を引くことは出来ないだろう、という主張も同じだ。それは程度の問題だ、という他ない。 少なくともマーラーの場合、(それがかなり創造的な局面を含んだとしても)編曲を創作の間に区別を持ち込むことを妨げるものは 無い様に思える。一般の音楽についての理論など必要としていないのだから、現実にマーラーにおいてある切断が、 限定が可能なら、それで充分なのだ。

作品と、せいぜいが歌詞、これに限定すべきだ。
勿論、それですらある文脈において聴かれるという限定から自由ではない。 だが、それから自由になるのは不可能だ。(宇宙人に人間の感情を伝えるのなら、、というエピソード は、実はこうした議論では真面目に検討すべきだ。多分、宇宙人にはマーラーの音楽はわからないだろう) だから、どういう前提に立つかが自覚されていれば、それでいいのだ。

引用を考えることの際限なさ。 例えば芸術音楽については、いくらかは(現代の日本に居ても)辿れるだろう。 だが、民謡やユダヤ音楽は?
一般に創作の極における社会史的背景を跡付けることは意義あることだが、最後は作品と無関係なところに 行ってしまう。
(Adornoの観相学にとって音楽は媒体に過ぎないのではないか、という疑問が付きまとうのはそのためだ。) 文化史的な意味づけ、音楽における「引用」も、同じことだ。 作曲者について「事実」どうかを問題にするにせよ、享受の受容の極で起きていることに限定するにせよ、 そうした関連付けが意味のすべてではない。認知実験的なレベルは抽象だが、そうした基層を除いて周辺を うろついても音楽を言い当てることにならない。 標題をさぐっても音楽そのものには行き着かない。
一方で音楽から読み取れる意味の方に熱中するあまり音楽そのものが消えてしまうべきではない。 (cf.川村のAdorno批判は、その意味ではあたっている。)

備忘:病跡学・社会学・教育・文学

病跡学

例えば、福島章1978「グスタフマーラーの想像と強迫反復」in「天才の精神分析」pp.61-74 新曜社,
阪上正巳1988「グスタフマーラーの病跡―強迫的衝動性とパラノイア性」病跡誌35 pp.39-51,
高江州義英1979「グスタフマーラー」病跡誌17,
福島章1983「マーラー初期作品の分析」病跡誌25,
福島章1989「マーラーファンの精神分析」in「マーラー」サントリー音楽文化展'89

社会学・教育・文学

全面的に首肯できる訳ではない。総論反対・各論賛成に近い。
細部の分析は見事だが、アドルノの社会批判的立場はいただけない。
その評価は時としてあまりに恣意的だ。

美しくないモナド、星座
マーラーにおけるアドルノ的な視点。西欧的な視点の排去。ごく自然に100年後の日本に生きる人間の距離で。
伝記主義の中央突破(他の対象ではできない。)

サン・ヴィクトルのフーゴーの教育論における類型。
全世界を異土とする、というのは、マーラーの有名なことばを響きあうものがある。

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ハンス・マイヤーのディレッタンティズムへの反論 それではディレッタンティズムでない読み方に何の価値がある?
勿論、「文学史」なり「文学理論」があっても良い。
だが、あいにく文学は―意図から言っても、結果から言ってもそうした学者仕事のためにあるのではない。
マーラーの音楽もまた然り。
音楽は少なくともここでは分析される「ために」あるのではない。

*アドルノ
音楽形式を管理社会の比喩としてとらえ、一応既存の形式枠の存在を容認した上で、 それを打ち破るところにマーラーの音楽の脱近代社会的特質を見出そうとする 否定弁証法的見方(高野 事典p.271)

(ジルバーマン p.429)「~で虚しく試みているように、この作曲家を預言者的な社会批判者 に仕立て上げようと...」

(Hopkins/Meyer)Snyder p.203 で言及されているパラメータ及びクロージャ

*

多楽章の場合
(1)生成史的な視点(実証的に):どこから始めるか。e.g. 「大地の歌」は第2楽章から、第5交響曲は第3楽章から、第7交響曲は第2,4楽章からetc.
(2)静態的な「作品」の動力学。どこが形式的な出発点か?(これは音楽の時間的な継起の順序とは別である。cf.小説における叙述の順序)

ex. 「大地の歌」作品の順序(大谷説)と作曲の時間的順序(Hefling IIから開始)
どうせ人生と芸術の乖離を言うなら、実証的な論拠を示せるこちらの方がいいのでは?(cf.村井の議論)

美学において「普遍性」はまやかしだ。少なくとも種の限界を超えることはできない。
GMの素朴さ、純真さ。何故屈折一方の解釈が我が物顔でまかり通るのか。自然児。常にメタレベルではない。マルチレベルであり、より包括的であると言える。

affect 涙を流すこと、cf. 能、文楽 「上品さ」「慎み」という規範からの逸脱。いつも「ひとひねり」ではない。
音楽外経験の連想によるのか? (Xenakisのprotestを思い浮かべよ。)

客観性/主観性の極の逆転?
歌曲の場合 Wunderhornliederの客観性/fallenden Gesellen, Kindertotenliederの主観性?
Symphonieは客観的な筈?
だが、マーラーではそうではないのではないか。主観的・個人的・私的な独白としての交響曲
個人と世界との関係(そのいずれの項でもなく、関係性)
Heimat 社会や社会集団、他の「人」の介在/自然・孤独

外/内、ベクトル
超越の運動。
外に向かってはみだす。
外からやってくる。cf. ブルックナー,ヴェーベルン,シベリウス。マーラーでは第8交響曲。別の仕方で第3交響曲も。
天から降ってくる。←自分が昇ることはない。だが、マーラーでも第3交響曲は?
内面を降りてゆく。記憶の窓の外側に降りる。ブルックナーなら第8交響曲, シベリウスなら第4交響曲, マーラーでは第9交響曲、第10交響曲
両方ある。後者のみは?
フランクは?だがそれは求心的でもない。内面に「空間的な」拡がりがある。三輪眞弘も一緒に考えることができる。

toposの問題。世界と主体のどこで鳴っているのか。世界の側から?向こうから音楽がやってくる。
主体はどこにいるのか―「自分の」場所ではない。cf.第9交響曲第1楽章のコーダ。ヘルダリン後期の詩篇。神話?―信仰?
作曲家とは? cf.シェーンベルクがIXについて言ったこと。

仮象性:宗教性に対する距離
素材としての形而上学的問題。不滅性etc.を超えることができるか?
「神経美学」的な基盤の下で、如何にして音楽が、快/不快や「効果」以上のものを持ちうると主張できるか

作品の不滅性の否定。
作品それ自体(個人の声ではなく)。だがGMの場合はどうか。アウトサイダー・アート的なもの
あるいは精神分析的な「体験」の語り。作る側も聞く側も。
聴くことの儀式性、聴体験を語ることの儀式性。

ホルブルックの解釈(p.79)をVarianteの技法のSemanticsとしてみてみること。cf. idee fixのtransfiguration

意識の音楽
流派ではない
歴史的な分類や概念ではない
作者の意図とも別
主観性でも「描写」音楽でもない
或る種の捉え方
技法とのある向き合い方。一定レベルの「ゆとり」か距離が必要。或る種の熟達も必要条件(十分条件ではない)。
具体的に何が言えるのか?
何か特定の「意味」、具体的な説明はできない。歌詞は素材で音楽の「意味」ではない。
「意識」の様態―描写というより映されたもの、聴取による「感受の伝達」
意識とは言うが、常に意識が関与している必要は無い。
だが、意識の関与が見られる、その痕跡があるような音楽。
人により、曲により意図するかは別だが、勿論影響はある。意図せずにも勿論ありえる。

風景の問題。自我の音楽/世界の音楽のうち、前者には風景はない。内部の系の記述。 後者は風景、主体の動きはない。意識の音楽には両方の極が存在する。外界に対する反応の、界面の記述。 素材と内容のどちらに創作の極の関心の中心があるかが表現主義の問題だとすれば、これはそもそもここではナンセンスではないか?

印象主義のパラドクス。対象から認識様態への視点の変更はあるが、だがだからといって、それ以前に「風景」があったわけではない。 寧ろそうした視点の変更が「風景」としての対象というあり方を可能にしたのだ。 工房の、アトリエの中で描写は修辞学の体系の内側にしかなく、生の現実はなかった。生の現実なるものは、対象の「手前」の 発見とともに発見されたのだ。そしてこれは音楽についても同じだ。標題音楽や描写音楽には寧ろ、現実の端的な反映はない、 というべきなのだ。絶対音楽そのものではなく、それを借用して意識の流れ、無意識の、夢の作業を定着させる枠組みに 換骨奪胎することがマーラーの作業だった。既存の音楽はそれ自体、素材として用いられる。マーラーは、「見えたものを 見えたように」、「感じたものを感じたままに」定着できると思い込むにはあまりに哲学的な発想の持ち主だったので、結果は いわゆる狭義の印象主義を逸脱し、寧ろ「意識の音楽」とでも呼ぶしかないような多層的で内側に自己言及性を孕んだ構造を 作り上げたのだ。それは世界の描写でも世界を垣間見た印象の定着でもなく、むしろ、マーラー自身、ある時にそういったように 世界そのものの構築に近い。マーラーの音楽を哲学的と呼ぶべきなのはこうした点においてであって、決して素材として ニーチェを使用しているとか、ゲーテを用いているとかというのは何の根拠にもなっていない。

絶対性に関していえば、マーラーには或る種の逆転がある。歌詞があるときの方が、分裂していて客観的であり、 絶対音楽的な中期交響曲の方が主観的でさえある。cf.新ウィーン楽派特にヴェーベルン初期の表現主義
歌曲が主観的であるわけではない。交響曲もpolyphonieであるからには、単独で孤立した主観の内側ではない。
だがクオリアは残る。クオリアを他性と隔たったナルシスティックなものと捉えるのは、クオリア自体の持つ「外性」、力を見落とすことになる。
そもそもなぜ「印象」として刻印されるのか、クオリアは外部からの力の痕跡なのだ。そういう意味では、クオリアは私的かも知れないが独我論的ではありえない。

マーラーの音楽は力学系としてみたとき、非自律系ではないか?
再現・変形の問題、外部が映り込む。

Absoluteness (Knapp)
metaphoricalだが作品自体の「自己」 -- 系としてならmetaphorではない(成立条件としてどのような構造を有している必要があるのか)
⇔Schopenhauer的Wille / Weltlauf ⇔アドルノ的モナドに投影される社会・制度などとの関係
⇔Himmelの多義性少なくとも多価性
Durchburch(「突破」):相転移として定義しなおす。
要件:複雑さ(感受しうるにはある程度の複雑さが必要):次元の数、パラメタの数のどちらか?
マーラーに起きえて例えばヴェーベルンには起きないと言えるのはどのような根拠によるのか。

意識の音楽を支える根拠:
・外界の音に対する反応→音楽
・雷鳴・風の音etc. cf. クセナキス/シベリウス/マーラー
・身体性、踊り ワルツ・レントラー・行進曲
・共感覚?:色・光の調子、湿度、明るさ、空間性

Reverse Flow of Time(「時の逆流」)
III-6, VIII-2 etc.
(1)現象論的特徴
(2)マーラーのみ(何故? Romanのモデルから?)ブルックナー,ヴェーベルン,ショスタコーヴィチ,シベリウスのいずれにもない。
(3)回想にあらず。経験された過去、記憶の想起でない、確かに類似はあるが。ノスタルジーとの関連。夢。
 夢は確かにマーラーの特性かも知れない。

マーラーは、だがいつもlevel4の推論者ではない。
眠りへの接近
動物や植物
level間の往還がある。
だが、楽曲のある箇所が眠りのパートであるというのは何を根拠に言えるのか?
cf. suspensionは多分取り出すことができる。定義ができる。
levelの違いが楽曲のどこに現象しているのかを明確にする必要がある。

フランクルが現象対決的なのに対して、森田は現象受容的(大谷)。
現象に対する態度が含まれることに注意。実は常に・既に含まれていると考えるべき。価値論的な世界の方が具体で 認識モデルは抽象に過ぎない。
更に態度が認識されている現象に映りこんでいる(従って態度によって風景は異なる)ことにも注意。

マーラーをアドルノから引き離す。日本では寧ろ自然なことのはず。アドルノは多分誤読されるほかない。異なった読み方しかできないのではないか。
多分アドルノの受容そのものが日本では特異なのだ。弁証法の持つ重みの違い。 日本人は否定弁証法的にマーラーを聴けているだろうか。 美の問題もそう。醜さ、グロテスクにしてもそう。Weltlaufを、現象を「受容」してしまう志向姿勢を持つ文化圏において、同じように聴けるはずはない。
だが、それはマーラーを誤解している、ということではない。マーラーであれば、そうした聴き方も可能なのだ。他の作曲家の受容では災いであるものが マーラーの受容の場合には福と転じる可能性がある。

デリック・クックの言う「音楽の言語」
文化依存だが、それでOK
歌詞の問題:マーラーの場合は寧ろわかりやすい。
受容についてあるレベルの誤差で論じることは可能。

備忘:アドルノの「聴取の類型論」(音楽社会学序説)をめぐって

1.エキスパート:
 完全に対象に適応した聴取を行う
   なに一つ聴き逃すことはないし、また同時にどんな瞬間でも聴き取ったものを確認している。
 例えばヴェーベルンの弦楽三重奏曲の第二楽章のように、しっかりした構成の支えをもたぬ自由な曲にはじめて出くわしても、その形式の各部を言うことができる人
 構造的聴取
 互いに連累しあっている部分部分(過去・現在・未来の各瞬間)を聴覚と通じて綜合し、そこから一つのまとまりをもった意味を析出させる。
 同時的なもの(複雑な和声・多声の錯綜)も明確に把握する。
 今日このタイプはある程度まで職業音楽家の範囲の中に限られる。
 自分の仕事が完全に理解できるのは自分の同類だけしかないと主張しがち。
2.良き聴取者:
 音楽全体のまとまりを自発的に理解し、承認し、その判断には確とした根拠があり、評判とか気ままな趣味だけに頼ることはしない
 作品中の技術的、構造的連累はその意識には上ってこないか、少なくとも完全には上って来ない
 勘のよい直接的な聴取の能力
3.教養消費者:
 このタイプの人は音楽を多量に聴く。状況が許せば飽くことなく貪り聴き、いろいろな知識・情報に詳しく、レコードの収集家でもある
 音楽を文化財として、自己の社会での評判のために知らねばならぬものとして彼は聴く。
 伝記と演奏家たちの長所に関した知識を集め、長時間それについて無駄話をして飽くことがない。
 作品の展開には冷淡で、聴取の構造もこま切れ的
 自分で美しいと思い込んでいるメロディとか圧倒的な瞬間とかを待ち受けている
 フェティッシュなものがある
 とにかく評価の好きな人間
 彼を感嘆させるのは自己目的と化した手段、つまりテクニックである
 論敵の対象の現代音楽に対しては大抵は敵対の立場をとる
 音楽文化財が彼らの管理の手にかかると次第に商略的消費財に姿を変える
4.情緒的聴取者:
 聴取の対象の本質からはさらに遠ざかっている
 自分の本能を解き放ってくれるのが音楽
 音楽の形態そのものへは大抵は無関心
 チャイコフスキーのようにはっきりと情緒的な音楽を実際はことのほか強く求める
 彼らに涙を流させることは困難ではない
 自分の生活とは無縁な領域に、ふだんは諦めざるをえない何かの代償を捜している
 構造的聴取に近づけようとする試みにはすべて激しく反撥する
 音楽は行動の節約のための手段にすぎない。
5.復讐型聴取者:
 感情禁止、身振りのタブーを避けて音楽に逃げ込むかわりに、そうした禁圧こそ自分たちの専有物だと宣言し、音楽上の構造の規範として学び取る
 古き時代への逃避
 秩序や集団自体が目的
 「作品への忠実性」
 自分たちが過去の時代の実地の演奏法―かなり怪しい!―だと思っている代物を杓子定規に守って行こうと励むことに重点をおく。
 誤った厳格さ
6.音楽を娯楽としてしか聴かない型:
 音楽は意味とまとまりのある全体ではなく、刺激の源泉であり、さらには情緒的要素、またスポーツ的要素の混入して一役かっているが、それらすべては音楽は快適な慰安の手段として要求されるため、平板化している
 喫煙との類似。
 ラジオをかけたまま仕事をする人間。集中力の欠如。
 自覚したロー・ブロウであり、自分が平均的な人間であることを徳と考えている。
 マスメディアとの関係。  奇妙な自我の弱さ。自己の評価に従い、商品の顧客としての立場で他者と連帯する覚悟はできている。
 現実のあらゆる支配機構に順応して生きて行くし、音楽に対しても同じような態度をとる。
7.無関心な者、非音楽的な者、音楽嫌いな者:
 幼児時代の過程が問題。
 粗暴な権威が色々な欠陥をもたらす?
 厳格な父親の子はしばしば楽譜の読み方が覚えられない

私は基本的に4.情緒的な聴き手だろうか。アドルノ的には随分と「情けない」聴取者のようだが、仕方あるまい。

あわせて、マーラーの通俗性について。 あるフランス人の問い。現実が悲しみに満ちているのに、なぜその上に悲しい音楽を聴くのか?
(今なら答える事ができる。「慰めを得るために。」)
品のなさ。安っぽい音楽。フランツ・シュミットの両価感情に満ちた発言。指揮者としての卓越と、音楽の「安っぽさ」。
あるいはアーノンクールの、チェリビダッケの拒絶。コンサートホールの様な「公共の場」で、はしたない…
日本人は能や文楽を観て涙することに抵抗がない。彼の地のことは、実は私には分からない。だが私にはマーラーの音楽はあまり抵抗がないのだろう、結局…
バルビローリの証言。ポルタメントをイギリスの楽団員に弾かせることの難しさ。 「別に不道徳なわけじゃない。」「それにどっちみち心配することなんかないんだ。どうせ批判を浴びるのは私なんだから!」

*

聴き手がおかしな劣等感に悩まされることはない。
聴き手は「聴き方」を産み出すのだ。
勿論、それは恣意的であってはならないが、かといって唯一の規範があるわけでもない。
少なくとも頭の良過ぎたAdornoが自信たっぶりに自分の好みを、それが規範であるかのように 正当化してみせ、それによって自分の好みに合わないものを断罪してしまったような愚は犯すべきではない。

理論は見方を変える。新しい聴き方を可能にするという点に価値がある。
逆にそのような聴き方を提案できるとき、ようやく聴き手は作り手と―あるいは優れた演奏者と―肩を並べることになる。
一方で、ここで理論と呼んでいるものが、例えば楽譜を参照しながら他人の分析を参照しながら聴くといったような聴き方の延長線上にあるという認識も必要だ。結局のところ現実の聴取は様々なレヴェルでの文脈に規定されていて、 雑種的でしかない。実験室でしか可能でないような理想的で単純な聴取はあり得ない。
(実験室の中にさえ、被験者は自分の経験を背景を持ち込んでしまう。だからむしろ意図されたとおりの実験をやる事の方が困難なのだ。)

同じように、伝記的背景、生成史的な研究は、作曲の現場を、ではないにしても作曲の環境を、経過を辿ろうとする試みだ。 それを知っているのと知らないのとではやはり聴き方が異なるだろう。
Adornoのような作曲の現場の重視―これは形を変えて高橋悠治などの、演奏者=作曲家にも見られる―は、或る意味では 正しい―「作者の意図」に少なくともより確実に寄り添うことができる。ただしそれは己も作者たることによって、 ということになるだろう―のだが、実際には、歴史的な文脈に強く拘束される。同時代に生きて問題意識を共有していない場合には、そのようなアプローチは著しく困難になる。(高橋はそれで構わない。過去の作曲家の「使用価値」を 過大評価しないと考えているらしい点で、少なくとも一貫はしている)Adornoのどうしようもない偏狭さは、よく言えばその拘束性を意識していた証だが、他人に押し付けるのは筋違いだ。

Adornoの評言を、その批判的な意図を除いて適用すること。
Minskyの立場は、実はAdornoのエキスパートか良き聴取者である。
大きな構造連関の発見が問題になっている。
Meyerはもう少し柔軟で、エキスパートの立場―彼はそれを形式主義的な立場と結びつける―に一方的に価値をおきはしない。寧ろ情動的なものに価値をおいているのは明らかで、「相補性」を強調している。 勿論、Meyerが想定しているのも、伝統的なヨーロッパ音楽だから、音の関係が重視され、音の内部に 入り込むような聴き方はここでは考慮の外だ。
マーラーは例えば、音色、しかも打楽器的、雑音的な音響の利用によって音の質の次元への配慮を占めし、 かつシェンカー分析の予断する図式が全く意味を為さないような調的配置を行うことで、こうした分析の裏をかく。Meyerの分析では「予想に反すること」が情動を引き起こす、という立場だが、これは標準的な図式とそこからの逸脱で情動を説明しようとしている。これはマーラーの場合には―丁度、異化の考え方が (Adornoがそう考えたように)伝統的図式の再利用という形で機能していると考えることが可能であると同じだけは―有効性を持つかも知れない。
だが、「予想に反すること」=情動は多分間違っている。
純粋に示差的に情動の由来を考えるべきではなく、それが「基準」だろうが「伝統」だろうが、そうでなかろうが、 或る音型の持つ力というのを考える必要はある。差異では説明できない強度の次元があるのだ。
だが、音楽を聴くことが、何重にも社会的・文化的に規定され、個体のレヴェルでは学習と訓練によって 条件づけられていることをMeyerが強調することは全く正しい。

それでも尚、心理学的な一定の基盤を考えることは対象を限定すれば―つまりマーラーの場合とかにしてしまえば― 有効な筈だ。そうでなければ無条件で、規範としての音楽理論が幅を利かし、個別の経験の質は救い出せない。

もしNichlas Cockeの言っている事が正しいとするば―そしてそれは正しいように思われる―音楽を分析することは 新しい聴き方の創造であると言って良い。
様々な聴き方があり、場合によってはそれらに対して規範を持ち込むこともありえる。
(どの聴き方が「正しい」のか、という論争は、規範の導入によって生じる。)
もし、「作曲家の意図したこと」の再現であろうとするならば、その作曲家がどのような理論―これは伝統的な 「理論」である必要はない。むしろ個人的な文法と言うべきかも知れない。―を持っていたかを考えることは 意味があることだろう。
だが、ここで「意図したこと」には曖昧さが残る。つまり、彼が意識的に行った操作が作品のすべてなのか、 作曲者の明示的な意図がすべてなのかという問題が別にあるのだ。
個人的な文法というのは、意識的なものではないかも知れない。
そうした本人が気づかなかった規則性を抽出することは、それでは無意味な越権行為なのか?そんなことはあるまい。
作品の価値は作者の意図は超え出ている。「天才」ということが言えるとしたら彼は自分で思っているよりは偉大なのだ。
(勿論、技術的に「うまく書けた」と思うことがあっても良いが、それが全てではない、ということだ。)

Meyerの参照的表現主義と絶対的表現主義者の対比は事態の整理には役立つであろう。要するにマーラーの場合、 特に前者が幅を利かせるのに対し、後者の立場を強調したいというのが私の意図だ。そして私は形式主義者ではない。
形式主義的に音楽を聴いていないのだ。
勿論聴き方は色々あって良い。単に私はそのように聴かないと言うだけの事だ。

Adornoの聴取の類型について、理論―心理学(規範的―現象記述的)及び(参照的/絶対的)表現主義的/形式主義的という 観点からながめること。彼は結局のところ情緒的に音楽を聴く聴き手を貶めることによって彼がとっておきたかった 美的なものの「複合性」を犠牲にしていないだろうか?

備忘:聴取について

聴くことの中に行為を持ち込める。単なる受動ではない。娯楽でも気晴らしでも、知的な遊びでもない。

音楽のうちですら、行為論と認知論との間には溝があるように思える。享受の極の議論と、制作(作曲および演奏)の極はやはり別れる。そして認知自体を論じるのか、認知される内容(音楽に表現されているもの)を 論じるのかの分裂もある。もともとは後者がやりたかったのだ。だが、前者の比重も大きくなっている。前者の方が、寧ろAIやプログラミングの問題と結び付けやすくなっている。後者の内容の問題は、要するにクオリアの問題だが、これはなかなか結びついてこない。

さまざまな音楽。ある個体の受容についていうのであれば、いつその音楽に出会ったのか?音楽には言語における母語と第2言語の習得のような差異はないのだろうか?新しい音楽、異なるタイプの音楽に出会い、その仕組みを理解し、そこから何かを学ぶことはできる。だが、それを表現の媒体とすることについてはどうだろうか?あるいは表現されたものを受容するという過程については?

一方で、可塑性を信頼する立場もある。何歳になったら言語の習得が困難になるのか、 母語・第2言語の差異というのは結局、一般には程度の問題ではないか(私の場合はそうではないが) 母語以外を表現の媒体とすることだって可能ではないか、と考えることもできる。

その一方で、あるシステムが他のシステムよりも合理的で強力だ、ということはないだろうか。そうだとしたら、これはどちらを先に受容して、内部のネットワークを形成したか、という問題ではない。今度は可塑性が力を発揮する。そして、あるシステムはその可塑性をより発揮させやすいシステムを持っている、etc.

あるいは、作品を作る仕組みとして強力であるがゆえに、より力を持つ作品が作られやすい。ある文脈、ある目的のためでない音楽、というのが可能なこと自体、そのシステムの強力さを表していないか?

勿論、ある個体がそうした強力なシステムを受け容れるか、拒絶するかは別の問題だ。

*

悲しみを、怒りを、感情や気分を読み取るというとき、実際に悲しんでいるのか。だが確かに悲しみの構え、枠のようなものは構成される。悲しみが表現されている、というのはどういうことか?志向的対象は明らかでない。悲しみを引き起こす原因は不定のまま。
悲しみの志向的な構えはある。が充実されるべき対象はない。ある意味では逆向きの流れ、「型から入る」―文脈に応じて対象が見つかるかも知れない。ある旋律を聴いてしかじかの感情や気分になる、というのは、タブララサではなくて、文化的伝統の枠組みの中で起きている。幾分かは生理的基盤を持つが、概ね文化的なもの。幾分かは記号なのだ。慣習的なコード。共有されている場が存在する。例えばショスタコーヴィチと私の間にそれは実在する。それの如何にして、の部分はある種の模倣に基づいている。喚起される感情と、表現されているとされる感情、ここでは専ら前者が問題。形式や構造の把握―完全に知的なもの。だが、期待―充足のような図式がある。期待―充足は行為に関わる構えのことクオリアは機能主義的に考えると、随伴的なものと言っても良い。運動感覚、時間意識も結局そこで生じる構えのある側面に過ぎない。感情や気分、情動の側面を抑制すると浮かび上がる。要するに構えのどの側面を強調するかの問題。

背景を知ることによって音楽的イベントとそれにより生じる構えについて、ある解釈を することができ、それは作者の側で意図されたり、あるいは実際に生じていたものの モデルとなりうる。だがそれは副次的で二次的な構成に過ぎない。

悲しみの原因が(対象が)認知主体の側にあれば、悲しみの枠を用意する音楽が 本当の悲しみを惹き起こすかもしれない。だがこのとき悲しみの原因は曲ではない、曲は対象ではない。表現された怒りは怒りの指向のみが結晶して残っていて、対象は落ちている。音楽とは空虚な志向、感情の抜け殻なのだ。

*

何度も聴くことは、一度しか聴かないこととは異なる。ある「部分」を再度聴くことは、そこを「部分」として、全体の脈絡の中で聴くことなのだ。更には他の曲の中に位置付けて、勿論、他の作曲家の作品の中に位置付けてという延長も可能だ。聴き手の聴取時の文脈もあるだろう。かつて聴いた時の文脈の想起もあるだろう。これが中心になってしまえば、音楽を聴くのではなく、過去の経験を想起するトリガーとして(検索のキーとして) 利用されることになる。尤も、その場合にキーと内容の関係は様々であるだろう―ある情緒、感情の喚起という形を とるかも知れないから。

だが、作品の内部に文脈を限定しても、その部分はまさにその「場所」に位置付けられる。一度そうした経過のうちで聴いてしまえば、その部分のみを取り出して聴いたらどうなるのかを考えるのは少なくとも 困難を伴う。音楽自身が、再現するとき、過去を想起するのだ。再現は同じものではありえない。Da Capoは時間の静止を、中断された継起の再開を告げる。それは時間の経過を「変わっていない」という形で告げ、ついで帳消しにする。発展変奏の類における、あるいはソナタ形式の再現はDa Capoではなく、同じものではない。それは非可逆の変化を告げる。Da Capoは主体にとって外在的だ。それは主観的な時間の経過と「外側」の出来事の経過の不一致を告げる。

だがレントラーの三部形式をそのように捉えるのは、既にある立場を、それを単なる舞曲として、踊るための音楽として 考えないことを意味する。舞曲は一旦、直接的に身体的なものから、心理的なものに抽象され、更に、主体と外部との あり様を記述する現象学的な音楽になる。だからこうした見方は、どこにでも適用できる訳ではないし、適用できてもそれはある種の誤読、少なくとももともとの 機能からかけ離れた読みだ。

ところで「もともとの機能」というのにこだわる必要は「作曲者」を記述する系の中に取り込むのでなければ、 全く無いことになる。「作曲者」を記述する系の内部に取り込むケースはほとんどない。だが、現象学的な音楽の場合、この場合については「作曲者」を内部に取り込まねばそうした記述が困難であるかの ようだ。音楽の内容における「主体」は、勿論、作曲家自身ではない(寧ろ、聴き手であるといった方が良い)劇音楽と異なって、叙事的な広がりを有するとは言っても、それは描写的な客観性からは遠い。パースペクティブは主観の意識のそれで、観客のそれではない―そうしたパースペクティブが現象学的という 所以なのだ。

例えば、気づかれずに聴かれている動機の連関を意識すること、明らかにすることはどうなのか?それは引用を知っている/知らないとは些か異なると言えるかも知れない。少なくとも、それは無意識には聴かれていて、作品のコヒーレンスの認知にどこかで寄与している可能性が高い。勿論、それを意識しなくても作品を聴くことはできる。(演奏の場合も多分同じだ。)だが、作品が「何故」「如何にして」あるプログラムを表現していると言い得るかを説明しようと思えば、 どうしてもこうした連関を明らかにしていく他に方法はなかろう。それが、作曲者自身に気づかれていたかどうかすら 問題ではない。

備忘:Grenneへの批判(~2008年以前)

Greene, David B., Mahler, Consciousness and Temporality, Gordon and Breach Science Publishers, 1984

その音楽に関する分析の中で個人的に興味深く感じられる方向性をもったものとしては、現象学的な アプローチからマーラーの音楽に迫ろうとしたGreeneの著作「マーラー、意識と時間性」(1984)が挙げられる。 その内容の詳細について同意できると考えているわけではないが、マーラーの音楽を聴いて感じ取る ことのできる「質」を捉えようとする場合に、基本的に楽曲の構造に注目しながら、解釈のためのデヴァイスと して意識の分析の成果を用いるという発想は、妥当な姿勢だと思う。より厳密に認知心理学的な立場に たつことも勿論考えられるだろうが、ことマーラーの音楽についていえば、もう少しレヴェル的に上位の抽象も あって良いと思う。

だが、期待に反して、具体的なその内容には失望を禁じえない。哲学サイドの議論については摘み食いにしか見えないし、 具体的な音楽の「時間性」(と呼ばれているもの)を分析する道具立てがあまりに貧困なため、それは分析というよりは 単なる主張の羅列、しかもあまり意味があるとは思えない主張の羅列にしか見えない。

以下は読書メモで、あまりに目に余った部分を備忘のために書き留めたもの。

*

①positiveであれnegativeであれ、他人を傍証に出すとおかしくなる。
p.166 Part2の出だし、IとII~VIの間の休止について、Bekkerをひいているが、この休止をIの終結性と結びつけるのはおかしい。
II~VUだって同じように完結しているのなら、休止をおくべきことがIの完結性の傍証にはならない。
少なくともこれは不適切だ。
しばしば、その分析は楽曲に従っている限りで正しいと思われるのに、そこから離れて何かを論じると間違いに陥るのは、結局方法論的には破綻している証拠だ。

②p.163もひどい。折角の楽曲の構造の分析をbanalなマーラー自身の譬えの例証にしか使えないとすれば、興味は薄れてしまうだろう。 標題的なもの以上のものを析出できなければ、単に事前に誂えられたプログラムという答えに合わせて分析を構成するだけでは、このような方法論の価値はない。

Greeneは自らの方法を裏切っているのだ。
③時間論といいながら、その時間分析のスキーマは貧しくないか?因果性と自由意志を繰り返して 用いるだけだから「どちらでもない」「どちらでもある」のような記述として無意味なことが起こる。
それでいて突然、HeideggerのWiederholungを突然持ち出すのは不自然だ。
もしWiederholungを出してくるなら、予期/瞬視/忘却といったセット、 あるいは本来性、非本来性という点を踏まえなければ意味がない。
memory of memoryやfulfillnessから一息にWiederholungに飛躍するのは、 全くご都合主義的という他ない。(p.130)

認知に基づく例証理論
マクロな構造よりもミクロなアコーギグ?
また、音色、音量etc.のパラメータに言及せずに、時間性を語れるのか?
一面的―あるいは結局「内容の側」の説明―文学的なそれと権利上は同じもの―ではないのか?

p.232.
通常のループ、リニアの時間意識、というか、これは単なる時間の「表象」に過ぎない。
confusedかどうかはだから、表象のレヴェルだろう。時間意識はむしろ、整序をしようとする。流れを 反復を構成するのだ。
Greeneの説明はそんなに間違っていないのかも知れないが、ずれがある。
説明するものと、説明されるもの、例証するものとされるものの間の混乱、あるいは時間意識と 時間表象についての混乱。
例えばGreeneはHusserlの把持と記憶、想起、予期とのレヴェルの違いを理解しているだろうか?
認知理論風に言えば、LTM/STM、リハーサル、想起etc.といった機能レヴェルの違いを理解しているか?
聴取の意識から、Greeneの説明は離れすぎる。その距離は、examplifyの一言で乗り越えられる。
これはおかしい。

しかも構造の分析はしても、それはマクロに過ぎるのだ。ミクロな認知のレベルで起きていることを捉えずに マーラーの音楽の持つ「質」が捉えられるのか?

Adorno風のミクロロギーをやりたくなる。構造の分析も、あまりに一足跳びに心理的(心理学的とはいえない) なメタファーに依りすぎている。これではそのメタファーが楽曲の構造上のどのパラメータに対応するのかの 説明がもう1レベル必要になってしまう。


Greeneの議論においても、またもや因果性、自由意志の問題が生じている。
それが問題があるなら、因果性の定義を変えれば良いのだ。
因果性にこだわる必然性はどこにあるか?
更に言えば、因果性と自由意志との間の関係だって決着がついているわけではないのに、ここではそれは 素通りしてしまって、どちらでもない、confusedな状態と通常でないtransfiguredな状態が区別される。
groundnessが問題になるが、そもそも意識に受動性を認めない立場はありえないし、新しさを認めない立場もありえない。
だからGreeneのdeviceはあまりに杜撰なのだ。
Heideggerを引くのであれば、あるいはHusserlにしても、あまりに表面的に過ぎる様に思える。
方向性は多分正しいが、実現は全く不十分ではないか?
むしろ現象学的なアプローチを取るのであれば、そうした概念がどのように位置づけを得るのか、一般的な(folk psychologyでの) 了解との違いを明らかにした上で論じるべきだ。
また、狭義での認識の水準を超えたLevinasやHeideggerの方向性についても考慮すべきだ。
超越論的自我の問題をここで持ち出すのは適切だろうか?
一般にどのVersionの現象学を用いるのかを明らかにしないで単にHusserlやHeideggerの著作から都合良く利用できるところだけ 引用するのは安易にすぎる。これだから音楽学のレベルが低いと言われるのだ。
少なくとも―採用しなくても―現象学的還元に対する立場、自然的態度と現象学的記述が区別されるという点に触れずに、 Husserlをfolkpsychologyの変種のように捉えるのは不当だ。

自己言及性については、信念、信念の信念、、、というレベルを設ければ済む。多分一度やれば済むことだ。 またIIIでもVIIIでもいいが、Sartre的な即自存在を引き合いに出す意味はどこにあるのか?
体験の分析と、音楽で表現されている内容の「記述」のどちらなのか。examplify理論をIntroで援用した 割には、具体的な記述は怪しい。一見そうでないように見えても、結局Greeneの分析は、一方では 楽曲の形式の分析、他方では内容の(哲学的な概念を動員した)記述―しかもそれはGreeneが聴き取ったもので 一般性はないらしい―哲学者しかやりそうになり独我論に頗る近い―に過ぎず、両者を結びつける肝心の 部分はちっとも明確ではない。
部分的にフレーズの分析があってこれはこれで妥当かもしれないが、結論めいたことを述べる段になると 内容の記述が一人歩きを始める。記述に使った概念という、分析の道具や素材の側の論理で話が進んでしまい 音楽にはちっとも帰ってこない。
これがAdorno的であれ、非Adorno的であれ、社会批判、あるいは単なる文化史的なアプローチであれば、 そうした外部の論理を確かめることに意味がある―それが作品に何らかの形で投影されていると考えるのだから― が、Greeneは内在的な形式分析から出発しているのだから、それは反則、ルール違反ではないか?

Greeneの分析は時折、単に既成の哲学的意識経験の概念の適用に過ぎなかったり、ややもすると 単なるメタファーになってしまっている。都合良く色々な哲学者の装置を(それらの間の関係に ついての見解の表明無しに)アドホックに適用することは、事態を明らかにするよりも、混乱させている ことにしかならない。
Greeneの分析が、楽曲の聴取の体験に基づくというのであれば、その結果はオリジナルなものであるよりは、 工学的に広い妥当性を持つものであるべきだ。だから個別の分析でGreeneが様々な評者のコメントを 否定しているのは(内容の当否はともかく)スタンスとして矛盾していると言わざるを得ない。
ある評者が―自らの聴取の経験から―ある内容を読み取った結果が、―それを間違いといいたてるなら― 何故「間違っている」のかを説明すべきなのであって、単に否定するのは自分の分析の一般的妥当性を 自ら否定することにしかならない。
体験の分析を行う際の様々な学説の「つまみ食い」もまた、Greene自身の分析の寄与のありかを 見えにくくしている。
transfiguredという言葉はそれを繰り返すだけなら空虚だし、自己撞着的な記述 (groundness/ungroundness, directedness etc.)は説明になっていない。
むしろ、それではなく、別の用語を使うべきなのではないか?
「~でもなく、~でもない」は、神学や形而上学ならいざ知らず、具体的な経験の分析では単なる怠慢であり、 不毛だ。

本来的自己に対するGreeneの解釈は正しいのか?
非本来的自己と自然的態度―folk psychologyを信じるものとしてのを単純に同一視していいのか?
Husserlの超越論的自我とHeideggerのDaseinを区別することは正しいだろうが、Husserlの読み方としてはこれはおかしい。

「反復」についてのGreeneの理解はどうだろうか?(p.129 etc.)
日常の自己が連続性について持っている仮定からすれば、マーラーの音楽はナンセンスになるというのは「おかしい」。
日常性、自然的態度、還元、その他についてひどい混乱があるのではないか?

・p.24における図と地の反転についての論も、少なくとも表面上はナンセンスに近い。 何故これがニュートン的な古典物理学的描像と対立するのか、不明だ。 マーラーに図と地のambiguityや反転があるのは確かだが、そしてこれがマーラーの特徴であるというのも多分正しいが、 そこから先の議論はでたらめにしか見えない。

少なくとも日常的自我とfolk psychologyの主体とを混同することが現象学の(そしてHeideggerの)批判の対象に なっているのだが、Greeneはその点について全く理解できていないようだ。

・temporalityを問題にするなら、音楽の始まりと終わり、音楽の内部と外部を問題にすべきだ。
マーラーの場合ならersterbendの問題があるだろう。
あるいはKLやIの開始―主題の出現(Brucknerと異なって「生成」ではない?だがIXがある。)を音楽の経過に 持ち込むことも、同じように問題にされるべきだ。

一般にはベートーヴェン型の動機や主題の労作に対して、歌謡旋律の導入は異質のものだと言われる。 だが一方で、いわゆる楽段の4小節単位の構成というのがあって、それがさらに8小節の楽節に発展したのに対して それに対する逸脱という形で特殊性が言われることもある。(cf.シェーンベルクのVI-3の主題の分析) ところでそもそも、楽段はそれ自体、歌曲に由来する。 むしろ、歌曲の様な構成ではソナタは作曲できない、ということが無視されるべきではない (シューベルトへの批判を考えてもよい。) また変奏形式についても―こちらは主題は歌謡形式のものでも良い―そこで問題なのはマーラーにおける 形式をどう考えるか、どう特徴づけるか、ということだ。 楽節構成を韻律法的に読んでいくGreeneのやり方は、一つの方法ではあるが、あまりに一面的過ぎて それだけで何かが語れるとは思えない。 方法論があまりにも貧しいので、議論はその方法の結果のみからは出発できず果ては哲学者の概念装置のつまみ食いになる。

フレーズの非完結性はそれ自体興味深いが、韻律法的な楽節分析とどう関係するかは少しも明らかにされない。 普通に素朴に考えればフレーズが完結しないで次から次へと受け渡されてゆくことは、マーラーのような大きな形式を 構成するのには自然に見える。何が普通で何が普通でないのか? (動機による労作は、フレーズの完結性という観点からいけば、更に完結性が低くなる可能性があるのでは? だとすると、歌謡形式がここでは暗黙の前提になっている?結局、予断が含まれるのだ。)
例えば、GreeneのBekker批判は人を驚かすようなものだ(p.32)
そこではフレーズの構成という形式的・統語的レベルの議論が、いきなり常識的な意識の概念からの 逸脱に飛躍する。その間の関係付けについての正当化は全く行われない。Goodmanのexemplification theoryが あればOKなのだそうだ。
Adornoの弁証法と時間性の関係も、注で述べられているほど簡単なものではないだろう。 Adornoの弁証法とは、異なる時間性とは何か?そもそも、Adornoの弁証法の時間性とは何なのか? groundlessnessが「不可能でない」―Greeneが良く使う言い回しだ―というのがAdornoでは全く考慮されていない というのか?「新しい」「異なった」時間性、「変形された」時間性、という言い回しが頻出するわりには、 その実質はちっとも明らかにならない。 私の立場はAdornoとは違う、と叫んでいるだけにしか聞こえない。

ベートーヴェンをmodelとしてしまうことの危険。
実はAdornoはそうだし(中期ベートーヴェン)、Greeneについてもベートーヴェンを典型として マーラーをそれからの逸脱とするような見方がある。 だが、例えばソナタ形式の「標準」があったとして、それが中期ベートーヴェンなのかHaydnなのかは 問題だ。何故ベートーヴェンなのか?そもそもソナタの「標準」とは何か?
とりわけ時間論的分析においての規範の意味は? ベートーヴェンの時間性の方がマーラーより分析しやすい などということがあるだろうか?意識の流れに近い、小説のようなマーラーの音楽ならではの近寄りやすさ というのはないのか?
マーラーをいつも逸脱として例外として捉えるのはどうか(対比自体がいけないと言う訳ではないが、 評価上、バイアスがかかる)
もっと(実際には多くの日本人がしているように)端的にその作品に接したらどうなのか?

意識の音楽、無意識の音楽の定義
Greeneによれば、III-3は無意識、6は意識なのか?

*そもそも意味不明だ。無意識を「描写した」ということ?6が意識の描写である、というはもっと わからない。マーラーのつけた標題を密輸するから、こんな訳の分からないことになるのでは?
どういう点で、無意識の、意識の描写になりえているかの説明がせめて必要だろう。


Greeneの主張を救い出すこと
Heideggerはおくとして、反復を検討すること
Iの4における反復は有名だ(どちらの重点をおくかでAlmaが異議を唱えたエピソードがある。)
IIの5における合唱の入りも繰り返される(拍子が大きく変わっているが)
そしてVの5における反復。

より一般には「再現部」の問題が、各曲のソナタ楽章に存在する。勿論、文字通りの再現はないが、 だが、反復には違いない。反復はどういう意味合いを持つのか?
あるいは舞曲楽章のDa Capoも含めるべきかもしれない。


Greene p.14 音楽が現象学的還元をする、と考えて良い。意識の様相を自然的態度におけるドクサから引き離して 記述する―現象学とマーラーは並行している。
一方で、「ありうべき」―実際には体験できない意識を音楽が示しうる、というのは興味深い。
(cf. VIIIおよびIX)この主張については批判的に検討すべき。
ただ、私の経験していないものでマーラーが経験したものの表現と享受(伝達)は可能だし、音の流れの操作により 通常起こり得ない様態を「例証する」―シミュレーションに近い―ことは原理的には可能だろう。
一般論としては、充分に可能でナンセンスではない。

だからtransfiguredという言い方には注意が必要だ。
もっとも、もう一つの可能性がある。それは、感受の伝達(Whitehead的な意味で)しかも、不完全な伝達という考えに基づく。
だが、これはまだ作曲者の内部事象と音楽と聴取者の内部事象の3項図式に戻ることになる。
(これが間違っているとは思わないが。だが、感受の「結果」は音楽の「表現としての出来」だけでなく、聴取者の 内部状態にも依存するだろう。)

またGreeneは(実際にはよりマーラーに「近い」のかも知れないが)宗教的なものについての 自分の立場があるだろう。
多分妥当なのは、W.Jamesがとった様な立場なのだろう。
例えばハンス・マイヤーの様な読み取りは多分誤ってはいないのだろう。
だが、宗教性というのを心理的なカテゴリーとして捉えたら、マーラーの音楽がそうであることは 多分間違いない。だが、それが意識の様態としてどのようにであるのかを言わなければ 「~の気がする」というレベルに戻る。それこそマイヤーの言う装飾に目が眩んでついつい騙された、 ということになる。だからGreeneのいうtransfiguredというのの実質が問題なのだ。
それは「経験不可能」だが「可能である筈の」例外的な経験なのか?
ここにも「表現される対象」と「表現」の分裂があるようだ。
表現される対象としては「例外的な」ことがあろうが、表現は結局のところ可能なものの 範囲でしか可能ではない。それが「例外的」というのは日常ではそのような意識なり志向性なりが 生じることがない、という以上のものは無い筈なのだ。―それは他の音楽でも起きるだろう。
(また、アドルノの言う「ねえ、よくきいて」という叙事の姿勢も参照のこと)

備忘:客観性について

Adornoが示唆し、Leaが検証したような、脱民族性を「外」から覗き込む立場を考えてみよ。批判的機能を専ら問題にするというのなら、外側に居るのと内部にいるのとではその意義は異なるだろう。少なくとも脱民族性についてのコメントを「文字通り」に受け取るのは知的怠慢だろう。それは我々には関係ない、とは言えなくとも、全く異なった関わり方を招来するに違いないからだ。

「~について」という形式は(渡辺の指摘通り)看過できない。「~」の部分のバナリテより「~について」という形式が主観的抒情詩からの背馳を示していることの方が 重要だ。客観性というのはそういう事だ。それは「私」のことではない。けれども演劇のような志向を持つ 音楽がそうであるような客観性と、ここでの客観性は似て非なるものである。(大地の歌をZemlinksyの Lyrische Symphonieと比較すれば良い。)


主観/客観でいけば、、、

初期の歌曲(ただし3つの歌曲や若者時代の歌の1巻は除外する)の「客観性」、グリム童話やWunderhornのアルカイズム、 少なくとも素材として主観的な抒情詩を取り上げていない。 むしろ民俗的なもの、叙事的なものへの傾斜が強い。このことと、「自我」の音楽、「意識の音楽」との表面上の矛盾は説明されなくてはならない。 一方で、Rueckertはどうか(これは素朴ではあるが、とりあえず主観的なものといってよい。「民謡」ではない。ただし、Rueckertは過去の詩人であるということに留意する必要はある。マーラーは決して同時代のものに詩をつけようとは しなかったということは記憶されていい。)それではベトゥゲを通してみた中国はどうなのか?中間点としてのfahrenden Gesellen―全体として民謡調だが、自伝的(ただしフィクションでも可!)性格のために 主観的な色合いも強い。

・「バラード」という形式に注意。こうした歌曲の素材の選択は並行した時期の交響曲の「スタンス」とどのように関係しているか?

実際にはWunderhornは民謡ではない。Bethgeが中国の詩でないように。それらはどちらも「まがいもの」なのだ。それから、非合理性。

集団的社会的なエトスと捉える必要があるのか?それはAdorno的な観相学とある面では近いものになる。むしろ「主観的」たり得ない点が問題だ。この点についてはAdornoは正しい。批判的な意識こそがそこに見出されるべきなのだ。客観性は、マーラーのあちこちに見られる。というか、それは「世界」であるのであれば、主観的なものではありえない。
主観は自らの媒介性を意識している。目覚めているのだ。眠りにつこうとする意識に対する起床合図は外からやってくる。注意すべきはその程度に変動があることだ。マーラーの音楽を全体として捉えるのが必要なのは、それが一貫しているからではなく、それが一見して矛盾しているのでは と思わせる程度に多様だからだ。そして、その多様性もまた、「客観」の割合の多さと関係しているだろう。いずれにせよ、マーラーの場合、世界と主体の間の関係は一様でない。WunderhornとKindertotenliederでは、第3交響曲と「大地の歌」では、様相は大きく異なる。だから、ある一部分だけを取り出して、全体を評価しようというのは、少なくともここでは適切でないだろう。

備忘:感情・表現について

1.表現の問題
i)Adorno邦訳p.29―ミメーシスの問題もあり。
p.169 Ihm zu begegnen erheischt Beesinnung auf den Ausdruck in Musik.
ii)門脇p.101 技能の「表現」、技能の形で含まれているものの明示的な確定
iii)Levinasの「表現」論?志向性理論


感情は「内面的な感じ」なのか、それとも「外」を指示する記号なのか?
後者の観点は興味深い。外というよりは―それは自己の把握も含んでいる、引数として自分の状態を含んでいるはずだ― Heidegger風には世界内存在、つまり世界と主体の関り方のあり様そのものを示している、と言った方が良い。
そして、ここに「客観性」への「世界」への出口がある。
マーラーの音楽の「客観性」は劇伴の、あるいは描写音楽の客観性とは向きがまるで異なっている。
一方、マーラーの音楽を主観主義的に、心の、魂の動き表現として捉えるロマン派的見方も正確ではない。
叙情ではなく、叙事に近づくその仕方は、しかし、神話や童話に取材したオペラやカンタータ―マーラーも嘆きの歌で は少なくとも表向きはそうした流れに属し、従っているようにみえる―とは異なって、マーラーの音楽は「外」から、 劇の展開される空間を覗き込んだりはしない。それはいつも―自分にとっては外的な事象を表現しているように 思われるところでも一旦自分の眼を通しているという意識を忘れることはない。

cf.劇音楽:シュトラウスやツェムリンスキーの様に、~を表現するというのが技術的な次元で捉えられる場合、~は「私」とは関係ない。
一方で、主観的、心理的な音楽というのが(多分、極限においてのみ、理念としてのみであろうが)考えられるだろう。
これらの問題は多分、上記の隠れた作者の問題と関連するが、同一ではない。
フランス革命以前の音楽を考えればよい。その修辞学を。マーラーの客観性は劇的/演劇的という軸で考えられるものとは、少し違う。
そういった観点では明らかに主観的であっても、それは自我の音楽ではない。だが、だからといって、「無意識」を簡単に持ち出せば済むわけでもない。
結局、作曲における作者とは誰か、の問題なのだ。

~を表現することに「私」を代入可能であること。これがロマン主義の定義ではあるまい。「私」を特権化する事にあった筈だ。ベートーヴェン以来、 マーラー,シューベルトはその様であろうとする。私でないXについての音楽であっても、そこには私がある、という仕方。
音楽が私を表現するのではなく、私の中で音楽が鳴る?
うまい言い方だが、レトリック以上のものがあるだろうか?

結局「表現」という関係の定義にかかっている。それはやはり私を表現していることにならないのか?(個性の発現とは異なる位相で) 集団的無意識、社会、個人の反映?痕跡?

インガルデンの言うところの「志向的対象」、志向性と意識、私性、クオリアの問題。
勿論、現象学(とりわけフッサール)では理念的なものをも、志向的対象と考える。
だから解釈の「正しさ」というのは、そうした志向の可能性が前提となって成立しているということになる。

Adornoのレトリックを翻訳して、定着させること。手探りは手探りに過ぎない。明晰でないことを顕揚すべきではない。
何とはなしに、掴めていると感じられているものの表現方法の問題でもある。

確かに「Expressivo」が「何かの」表現ではない、という指摘は興味深い。
一般に音楽が何かを表現する、と言われるのとは異なった意味合いで、「表現」というのが考えられる。
その二重性と、門脇の指摘する、前述定的領野と述定的領野の二重性が、どう関係するか?

Levinasの言語論、作品論を、志向性理論と関係づけて読むきっかけになるだろう。
要するに、マーラーの音楽は、「信念」や志向性のレベルに相当するものを持っている、という事があるのだろう。
或る種の身体性(行進曲、舞曲)についての注意。マーラーにおいては、逆方向を向いている。
芸術的に洗練されるのではなく、もう一度、身体性を呼び起すために導入されるのだ。
そこに「表現」が生じる。単なる異化作用の如きものではうまく説明できないだろう。
寧ろ、2つの層の間の関係の再考を音楽的に行っていると見るべきなのだ。

行進曲(Lea)
スケルツォ―レントラー
古典派において芸術として洗練されたもの
起源を再び想起する?
HaydnへのMitchellの言及―だが多分起きている事柄の向きは逆ではないか?
この点は吟味の必要がある―にも留意すること。

行進曲については、Krenekが16退場のところで言及していることにも注意。行進曲、葬送行進曲もまた。

マーラーVI-1
行進曲を「そのまま」持ち込むこと、特にソナタ形式の第1主題部において。
もともとそうであったものを、時間が経ってから、もう一度そのまま持ち込むことにより、形式を(少なくとも)批判する。行進曲も歌もそう。素材としてかつて備給であったものを、そのままの形でもう一度取り込むこと。形式の純化により背景(というより基層)にしまい込まれてしまった契機をもう一度取り出すこと。それはいわゆる普通の擬古主義とは反対だ。擬古主義は形成された上部構造のみを、いわば借りてくる。内容にあたる部分は、実質的で「あってはならない」。
ここでは逆のことが起きている。形式のほうが吟味されるのだ。実質のほうは?
だが、形式が形成されていたときの実質はそんなに立派なものだったのか?Adornoのあのノスタルジーはある意味では不可解だ。Beethovenの音楽だって、ああいった攻撃性と執拗さを、ある意味では強いられ、社会的に条件付けられて持つようになったのだ。

"純音楽的解釈"⇔ミメーシス的契機
マテリアルという捉え方は肌理が粗すぎる。
既成の形式が問題であれば、ミメーシスと純音楽的解釈の関係が「ない」とは言えない。
音楽「外」の素材?を区別する必要がある?

備忘:意識


意識のようなちっぽけで不完全なものに、祈り、語りかける相手、見守り、道を示す 存在があるだろうか?
ヴォルテールが主張した必要性ではない。(必要などうかでいけば、それは 「主観的には」必要なのだ。だが、視点を替えて、それだけのことをする価値が 意識の側にあるのかを問えば、その必要性は途端に怪しくなる。) 統計的な蓋然性でも多分ない。(その線ではかなり絶望的だろう。) だが、そうした存在を否定することもできない。実際に意識は時に祈り、語りかける。
だから、それは存在しているのだ。少なくとも「主観的」には。
そして、主観的に慎ましく存在するそうした領域を否定することはできないだろう。
Shostakovichに、Xenakisに、彼らの姿勢に全く共感しながら、けれども、 FranckやMahler, Webernにある何かに対して否定しきれないのは、そのためだ。 それを非合理だとか、弱さのゆえに否定することは多分できない。 なぜなら、それは存在しているからだ。それが思いなしであり、客観的には無で あったとしても。
意識というのはそうしたものなのだ。厄介な存在。

有限性の意識というのが存在する。
超越の拒否、天上的なものの拒否もまた。
アドルノの「地球」としての大地、天文学的な相対化、地動説、郊外としての地球すら不徹底?
永遠に回帰するもの、より大きな秩序としての大地もある(cf. ヘルダリンの後期断片)が、 有限性の意識は、そうした秩序に対する絶望でもある(cf. ショスタコーヴィチ)。
ショーペンハウアーの盲目の意志の現代版としての利己的な遺伝子?
大地の歌=irdische Leben?
それゆえMahlerは両義的だが、でも喪失の同調のみではないだろう。
甘美さはしばしばそれに近づくが、Mahlerは夢見ることによってであれ、抵抗のあり方を示している。
~例えばVIにしてもIXにしても、力に満ちた「前向き」の音楽であって、それは敗北主義的ではない。
喪というのも生の一部だ。けれども生きている以上は立ち止まり続けることは出来ない。
だとすれば、、、

マーラーのIIを本当に久しぶりに聴く。
この曲が或る種の「憧れ」をもった音楽であることは良く分かる。
たとえ多くの場合に最早ついて行けなくとも、この曲の持つ「真実」を否定することはできない。

よみがえりも、文字通りには私は信じていない。
信じていないものに感動できるという事こそ、音楽の持つ危うさではないか?
ただし、よみがえりを信じていなくても、全くの無だとは思っていない部分がどこかにあって、マーラーの音楽はその「再会」のtoposの音楽であるように感じられる。
IIもそう、III-6, IXもそう、Xもそう、大地の歌の6もそうだ。Kindertotenliederの終曲もまた。

いつかまた、会うこともあるのでは、という、あてのない、根拠の無い空想に、マーラーの音楽は響きあう。
それは不滅性とも違うかも知れない。本当に「子供達はちょっと出かけただけだ」
自己の経験に照らしても?
マーラーの音楽の不思議さ。マーラーも懐疑に苦しんだに違いない。なのにどうしてこのような音調を持つ曲が書けるのか? あるいは懐疑に苦しんでいるからこそ、なのか?

Shostakovichでなくとも、Sibeliusでさえ、もっと無神論的で理性的だ。
あるいはXenakisのあの不思議なためらい。彼の言っていることは矛盾している。パルメニデス的存在を肯定し、同時に不滅性を否定する。 それは人間の有限性と「存在」―あのためらいはこの2つの間に調停できないものがあることにXenakisが気付いたからではないか?

いずれにせよ、II-5を聴いた、あの不思議な印象は、これまでにない様なものだった。
大地の歌やXならともかく、IIでこのような印象を抱くとは思っていなかったのだろう。マーラーの一貫性の証でもあるだろう。
私の中にはマーラーと異なる気質がある。それでいて私は、私の一部はマーラーの音楽でできている。だからなのか?
おお信じよ、と音楽が語りかける、その音楽に感動し、信じてしまうのであれば、これは自己中毒的な悪循環ではないのか?

無駄に苦しんだのではない?生きるために死ぬ?
記憶も、物質も、喪われる。
だが、しかし、、、
マーラーは何かを見たのではないか?
まだ私は全否定できないでいる。

備忘:時間性


マーラーの音楽は、何も未聞の宗教的経験の音楽化などではない。確かに音楽の持つ時間の構造は独特だが、 それはマーラーの場合について言えば、寧ろ現象学的な時間に近い。ただし日常生きられる時間性という意味合いで。 (例えば死の受容といったイベントも、ここではあえて「日常」の側に含める。それだけを特権化する理由がないので。)
音楽の研究者が「日常の時間」というとき、あまりに物象化されすぎた時間表象にとらわれすぎている。 ―これは現象学が見出した領域をまるまる無視してしまっている。日常の時間「表象」と日常生きられる時間性との 区別は必要で、後者は自明でない。少なくともSein und Zeitが持つインパクトはそれを明らかにしたことに あるのだから。例えば椎名の分析もそうだ。還元を持ち出す必要などない。音楽的経験の時間は日常的なそれと 異なるには違いない。だが、まずはそれは経験の素材の特殊性によるので、それ以外については―Greeneの transfigured同様―慎重であるべきだ。
勿論音楽が非日常的な経験への通路たりうることを否定するのではないが、それがどう可能かを説明するのに― こちらでは真木悠介、木村敏、九鬼そして道元だ―様々な説をその相互関係に留意せずに並べることが実質的に 貢献するとは思えない。
Greeneにせよ、椎名にせよ、「日常性」という言葉を自分の立場のオリジナリティを強調するために 利用しているのでは、という疑いを否定することは困難だ。
日常という言葉で一体どういう時間性を含意しているのか、例えばHeideggerが分析した豊かな領域は 一体どういった扱いを受けるのか、日常性の豊かさこそが音楽的経験を可能にする前提のはずなのに、ただちに 特異な、特殊な経験を持ち出し、それを可能にすることがあたかも「価値」であるかの様な主張はどこか転倒している。 もっとも、こうした「日常的時間」の用法は、それなりに一般的ではある。 そして計測可能な、量化された時間というのがある事自体は否定しがたい。 ポイントは、それらがいわゆる本当の意味での日常的な時間意識とはまた異なった、それなりにelaborateされた 表象であることだ。
だから、日常性を批判するなら相手が違うし、そうした表象の批判は日常性の批判にならない。 もう一つは時間性に「限定」してしまうことで、体験の質を逃してしまう危険。これは「時間性」を扱うといったときに 用意される道具立ての貧しさに由来する。例えばGreeneの分析を見よ。
一方で椎名の方は、―彼が顕揚したい実験音楽の時間性についてはおくとして―これほど複雑な構造を持っている ロマン主義の音楽、例えばマーラーの音楽の複雑さを目的論的という言葉で片付けてしまうのは、些か不当に 感じられる。意地悪な見方をすれば、実験音楽の時間性の方が、(時として、それ自体が作者の問題意識でもあるゆえ) より単純で分析しやすい、それについて語ることが容易であるに過ぎないのでは、という疑いを払いのけるのは難しい。 実際のところどうなのかはわからない。なぜなら椎名の議論は両者を具体的に分析してみせた結論ではないから。 Greeneの分析の結果の貧しさは、マーラーの音楽の時間性の貧しさではない。それは分析の手段の貧しさに過ぎない。 椎名の近代音楽の時間性についての議論がそうでないといいのだが、私はあまり納得できていない。 音楽記号学が(少なくとも、私が関心を持っているタイプの音楽に限って言えば)どうやら不毛らしいことについては あまり異論はないのだが、では音楽的時間論の方はどうなのかといえば、こちらもまた、私が関心を持っているタイプの音楽 についてどうなのだろうか。些か腑に落ちないものがある。
あるいは、近代音楽の時間性を日常的時間と切り離された閉じたものとして捉え、一方でその裏返しとして日常的時間の 貧困と無意味を指摘し、それらの両方に対峙するものとして実験音楽的な時間性を置くという図式は、今ここで マーラーという近代音楽の典型のことを思い浮かべている私には、全く現実離れしたものに感じられる。 実験音楽が切り開く時間性が、日常の豊かさを回復させるとは、日常生活の如何なる瞬間においてなのか? 一方で、マーラーの音楽の時間性が、ある時には「世の成り行き」の時間性であるとしたら、それは控えめに言っても、 「日常的時間と切り離された閉じたもの」ではない。寧ろ、日常の「貧困と無意味」を逃れえるとされる実験音楽の 方が日常的な時間性に対して閉じていると言えないのはどうしてなのか、、、
否、ひとがみなCageのように生きることができるのであれば、話は違うだろう。だが、一瞬だけ実験音楽を聴いて、 その場限り体験できる日常の豊かさとは何なのか?所詮は、コンサートホールで演奏され、CDに収められて 流通している点で何ら変わるところはないというのに。著者はCageのような生き方を実践されているかも知れないが、 残念ながら、日常的時間の貧困と無意味から逃れられない私には実験音楽のありがたみはわかることはなさそうだ。 まあ、今頃マーラーみたいな音楽を聴いている人間のことなど、どうでもいいのかも知れないが、だったら、 「実験音楽における」という制限をつけて欲しい気もする。そうすればはじめから期待せずに済むわけなのだから。
日常性を本当に問題にして、それに対する音楽の機能を考えるなら、作品の内部構造のみを問題にするのは 不十分だろう。演奏の次元は、作品に最もよりかかった部分であり、それよりはせめて創作の次元や受容の次元の 議論をしなければ片手落ちだと思うし、音楽を聴いている瞬間だけを問題にするのは、この議論の枠組みを 考えれば不十分なはずだ。(風呂敷を広げたのは論者の方であって、読み手の私ではないので、読み手の 私はすっかり戸惑うことになる。)否、そもそも、こうした話をしだしたら、最後までそれは音楽の時間論で あり続けることができるだろうか。

*

音楽的時間論というのは一見したところ魅力的な領域に見えるが、そこでの議論のいい加減さにはうんざりする。 フッサールを、ベルクソンを持ち出して、音楽の時間はそれとは違います、というのが一体何の説明になっているのか? 音楽的時間論を具体的な音楽に適用して成功した例というのがあるのだろうか?(Greeneのような、その実何の時間論 にもなっていないような空疎なものは除外する。)いい加減な2項対立をでっち上げて、一方を非本来的だ、と批判して、 果ては、色々な哲学者の時間についての議論の摘み食い、というのがお定まりのコースのようだ。
これでは時間を直接扱わない心理学的な議論の方がまだしもだ。恐らくそうなのだろう。時間そのものを扱うのが 恐ろしく難しいのは、専門的な哲学的な訓練を受けた人間なら、身に沁みてわかっていることだろう。 結局、具体的な何かを手がかりにせずに時間を論じることはできない。にも関わらず、音楽学者というのは、自分だけは 特権的にそれができると思っているらしい。だったら、哲学者の分析を摘み食いせずに、自前でやればいいのに。 個別の音楽という具体的な検証対象を持っているのに、そのくせ具体的な分析はやらない。(いわゆる楽曲分析ではなく、 時間論的な音楽の個別分析というのが問題なのだ。もし普通の楽曲分析で済むなら、わざわざ哲学者を連れ出す 必要も、ことさら音楽の時間論をぶつ必要もないだろう。―Greeneの場合がまさにそうなってしまっているように見受けられるが) だからたいていの場合には気の利いた比喩程度にしかなっていない。
そもそも哲学的な時間論は、私が多少はそれに関わった経験からすれば、具体的な適用において検証されない限り、 信用してはならない、とさえ考えるべきだと思われる。それを思えば、哲学的な時間論を、その時間論が論じられた 本来の狙いや意図もお構いなしに音楽という対象に引き込んで、しかも自分でも哲学者に劣らないほど抽象的なレベルでの 時間論を展開してしまう音楽学者の態度には全くもって感心してしまう。
(一部の哲学者がその思想との連関が全く明らかでない数学(もどき)を濫用した廉で、「知の欺瞞」という著作で 批難されたことは記憶に新しいが、音楽学者が時間論を展開する上で哲学に対してとっている態度の方は、批難されることは無いようだ。 連関は全く明らかではないし、哲学もどきである可能性だってあるような気がするのだが、、、まあ外部から見れば、 どちらも怪しげな学問(もどき)に過ぎず、とりわけ哲学者は自業自得だということにされてしまうのだろうが、とりわけ いわば「踏み台」にされた一部の個別の哲学者にとってみれば、気の毒な話ではある。)
しかも、音楽的時間論においては作品の価値というのがどのように考えられているのかもわからない。時間論的に興味深い 構造を持つ音楽が「優れた」音楽なのか(だとしたらこれは美学と共犯関係にある)、あるいは無関係なのか(こちらは心理学に 接近するだろうか)、あるタイプの音楽を取り出すとき、その音楽の価値と、そこで議論されている時間性との関係は 全く明らかではないはずだ(少なくともベルクソンやフッサールにおいては、それは音楽の価値とは無関係だったはずだし、 そもそも彼らは「音楽的」時間を解明するために音楽の時間的な分析をしたわけではないだろう)。 だが、私にとって自明でないこうした溝は音楽学者にとっては自明のことらしい。あるいは断りも無く、いつの間にか、 ある時間性を体現している音楽が顕揚されてみたりして、読み手はあっけにとられることになるのである。
勿論、こうしたことはすべて、具体的な楽曲についての時間論的分析(とやら)を提示してもらえば済むのである。 実験音楽でもロマン主義の音楽でも何でもいいが、それらにおける凡庸な作品と優れた作品の違いは何か。それが 時間論的な議論とどう関係する(あるいは無関係なの)か。そうしてみれば貴重な筈のGreeneの分析は、しかし、 この観点からはほとんど何も得るものがない。結局のところ、それは分析ではなく、自分の貧困な(自称)時間論的図式の マーラーの音楽への押し付けに過ぎないから。具体的な分析と、時間論的な議論は結局噛み合っていないようにしか見えない。

*

にも関わらず、具体的な場面についていえば音楽は時間論的な装置の適用可能性を試すための格好の材料になっているのは 確かなことのように思われる。(向きが逆になっていることに注意。寧ろ哲学的な概念装置の方が検証される仮説なのだ。)

例えばマーラーの作品における「決定的な瞬間」について考えてみること。
恐らくAdornoの聴取の類型論からすれば、こうした瞬間に拘泥する聴き方は軽蔑の対象になるのだろう。 だけれども、そうした瞬間があることは、Adornoですら否定できなかったに違いない。 勿論その瞬間の「質」を決定するのは、全体の脈絡であり、作品の構造的な全体の形態なのだ。 そもそもAdornoその人の「突破」もまた、そうした特異点を言い当てようとする類概念に違いない。 あるいはまた、XIIIの児童合唱の「ぞっとする」瞬間、、、

例えばIV-3のあの中間部分。
IX-4の弦による歌のフレーズの閉じる部分(その後はいわゆる「充足」にあたる後楽節だ。)
III-6の最後の変奏の回帰部分(コルネットで主題を弱音で吹かせる部分。)
「決定的な瞬間」を決定的たらしめている要因は何なのかを考えることは意味のないことではないだろう。

あるいは「時間の逆流」(ここではホワイトヘッドのエポック時間論のある解釈で見られるそれのこと。)
時間の逆流が見られるのはMahlerの際立った特徴である。他にはちょっと思いつかない。
II-5, III-6 LE-6 IX-1,4 否VIII-2すらそうした「恐るべき」瞬間を持つゆえにかけがえがない。

「構築する」「編む」というメタファー。
音楽的時間の流れ、経過は、その目的論的性格(とその否定)は、少なくとも、メタファーとして機能しうる。
IX-4のおける死、解体、停止。
Adorno的なDurchbruch / Suspension / Eefuellungは時間論的であると同時にほとんど心理学的な図式だ。
「心理的」音楽外事象とのアナロジー。

備忘:交響曲の区分問題

Adornoが形式面からの分析によってその構造が小説(ロマン)に似ているという結論を引き出したのは 興味深い。
Greeneさらには恐らくHopkinsの様な認知的分析と小説形式はどう関係するのか?
←構築的なもの、ソナタ形式、 近藤のジェスチャーとしての音楽という指摘も考慮のこと。

散文であって、韻文にあらず。

LE 個人的/客観性→relativity(genre)
gm VIII⇔dsch XIV⇔gmLE⇔dsch X

sinfonie⇔lieder


Suspension/cesure
I-1?, III-1のsection間
IV-1の「夢のオカリナ」
V-2の対主題提示
VI-1のSuspension(Cow-bell)
VII-2の展開部2
IX-1の提示部末尾

temporality flowの停止、方向感の喪失?
--
見出されるものとしての因果性―通常の意識は充分主体的ではない。
後からその様に自己表象する。
→Greeneの主張する そうであると思っている/実際にそうなっている の対立
説明の原理としての←(この場合は)楽曲の構成原理、実装の原理としての

備忘:雑記

VIII Kuehn,Quander p.290~第2部についてのStephanのコメント
スコアの前書き(F.S.)
Mitchell―特に第2部歌詞
Silberman p.208
歌曲集~Silberman 詞に曲をつける、曲に合わせて詞を嵌め込む

*Es sungen drei Engel einen suessen Gesangの管弦楽版について

歌曲における調性:移調が容易に行われうる。元の調性は明らかなのか?管弦楽伴奏とピアノ伴奏。

VIの問題(特にAndante)-KindertotenliederあるいはRuckertliederの位相と同期?
VIIのNachtmusikの問題(こちらはWunderhorn)

最初の構想では「文脈」が付随する。改訂はそれを取り除く方向に働く。一般論としては多分そう。

完成判断の問題―初演の持つ意味

*Walterへの手紙―Keuhn & Quander p.206にある
1909/12 totenfeierからの引用に絡めて金子1 p.72にも引用されている
全体としてこの手紙の内容は興味深い。芸術家の二重生活についての文章。
cf. 第1交響曲フィナーレについてのgm自身の解説(Bauer-Lechnerへ?)
すべて典拠を書き留めないと、どこで書いたかわからなくなる!
(村井 p.195-6, バウアーレヒナー p.87)


備忘:マーラーにかけた時間の長さ

--
Mitchell 
第1巻さすらう若者の時代 1958/1980(rev.)
第2巻 1975
第3巻 1985

de La Grange 
1 1973 (English ver.)/1979 (rev.)
2 1983
3 1984

Floros
1 1977
2 1977
3 1985

Blaukopfが30年かかったと言っている。(1969だから、startは1939頃?) その間に「筆者のマーラーへの愛にも起伏がなかったわけではない。 マーラーの音楽に背を向けた時期もあった。しかしこうして得られた距離― 一部はマーラーを誤解したこと、一部は自分の傾向に変化が生じたことによるのだが― は結果的に有益だった」と述べている。

まさにそうでなくてはならない。 1914年生まれのBlaukopfだから1939だと25歳のとき。 1969の出版は55歳のときだ。

Mitchellはもう50年近く、de La Grangeもまだ改訂を続けている。 時間をかければ良いというものではなくても、時間をかけることに何某かの意味はあるだろう。

備忘:調性配置

Adornoのdur-mollの交代
dur-mollは、倍音列からすればもともと対称ではない。
下降転調と上昇転調。調配置の力学。

KL-6 a-a
I-VII 5(4)-5 D-C
II-VIII 5(2)-2 (c)Es-Es
III-LE 6-6 (d)D-a(C)
IV-IX G-D(Des)
V-X (cis)D-fis(Fis)


2.Darstellungsmittel bei Mahler ist die Tonalitaet insgesamt, und vorab der Dur-Moll-Dualismus, ...(p.175邦訳p.36)

3.seine Harmonik ist makrologisch. Rueckungen werden vor unmerklich - glatte Modulationen bevorzugt.
Die Idee makrologischer Harmonik wirkt bis in die Anlage ganzer Symphonien hinein. (p.176 邦訳p.37)

従って各交響曲の各楽章間の調的配置を考えることには意味がある。

*

構造―調性配置の「解説」―例えば、発展的調性―これは怪しいのでは?
例えばV, 3部でシンメトリーを見るか、序曲つきの4楽章ソナタと見るか、マーラー自身も分裂している。
2楽章が冒頭楽章なのだ、というのも正しいし、3部構成とした直観も正しいのだろう。
聴くとどうなのか?序(1)-2345とはやはり聴こえない?多分3部構成の方が優位だ。


長調=短調の間の揺れ、ユダヤ性との関係(cf.ショスタコーヴィチ)


調的配置、フレーズのclosure
モノフォニックかマーラー特有の層的技法か?
それとも、いわゆる対位法か?―マーラーの場合対位法は、
①ヨーデル風のうたい重ねに近づく(LEetc.)
②層的に動機がちらばる―背景の遠近法(III-3)
③かけ離れた二声の解離(IX-4の副主題)
④①に近い、二声の受け渡し―片方だけみるとclosureが曖昧(III-6 etc.)

いくつかのパターンに分かれる。
Greeneは言及しないが、Adornoのdurchbruch/Suspension/Erfuellungは認知心理的に読める (内在主義的楽曲分析への応用とも多少異なる。)

・発展的調性の問題(Dika Newlin)
これはGreeneでも他所でもいつも問題になる。

備忘:変形(ヴァリアンテ)の技法

Variante-オリジナルはどれか?主題は最後にあるいは回顧的にのみそれを知りうる。→「未来完了性」との関わりについて検討せよ。

cf.原詩の扱い。原詩の改変とVariante技法との類比。

*     *     *

時間の流れの形成。Varianteによる主題の変容による流れの形成。
closure / finale問題、エネルギー最小、カデンツにおける安定(解決)
だがclimaxでの終了は、エネルギーの最小化からすると「もともと」無理がある。
→XIIIを最後に、finale問題は消失。
ersterbend/morendoによる終了は、エネルギー最小の点からは、最も適切なclosureとなる。
マーラーはもはやfinaleの問題を解決しない。
LEの付加6の和音は?

*     *     *

変形の技法によって、モティーフ、素材の持つ意味、引用の意義は変わる。それはライトモティーフではないし、同じモティーフの単なる反復でもない。

*     *     *

マーラーの「再現」の恐ろしさ、それが聴き手にもたらす、時としてそれ自体がトラウマになりそうな程強い情緒的なバイアスである。

「決定的な瞬間」においては、相転移が生じ、最早、それは単なる繰り返しとしての再現ではないこと、寧ろ、もはや元のようではない、音楽がもう引き返せないところまで来てしまったということを告げているが故にそうした強烈な情緒的な負荷が生じるのではなかろうか。

こうしたメカニズムを支えている技術的な要素として、アドルノ指摘する「ヴァリアンテ(変形)」の技法が挙げられる。アドルノがヴァリアンテの技法と時間性との関わりについて述べる以下の一節との対応づけを考えよ。
「彼のヴァリアンテは、時間を静止させるのではなく、時間によって生成し、さらにまた二度と同じ流れに乗ることはできないということの結果として、時間を生産するのだ。マーラーの持続は力動的である。彼の時間の展開のまったく異質なところは、物まねの同一性に仮面をかぶせるのではなく、伝統的な主観的力動性の中になお一種の物的なもの、つまりは以前に措定されたものとそこから生じたものとの間にある硬化した対照性を感じ取ることによって、時間に内側から身を任せることにある。」(アドルノ『マーラー 音楽観相学』, 龍村あや子訳, 法政大学出版局, 1999, p.128)
彼の「再現」が文字通りの「反復」ではなく、「ヴァリアンテ」がもたらす対照性の効果によって、それが二度と戻ることのない過去に「かつてあった」ことがあり、今やそこから遥かに時間が経過したという決定的な感じを与えることで聴き手を震撼させ、戦慄させ、軽い恐慌状態にすら至らしめるということは言えるのではないか。

*     *     *

私が生態学の中でも特に植物生態学に惹かれた原因の一つは、当時の私にとってのアイドルであったマーラーやヴェーベルンに影響を与えたゲーテの植物論だった。特に彼の「原植物」という発想の影響は明瞭で、彼らの作曲技法にもその反映が見られる。

そのことに関連して、藤原辰史『植物考』(生きのびるブックス, 2022)に、ベンヤミンのVarianteへの言及が含まれることを書き留めておくべきだろう。登場するのはブロースフェルトの『芸術の原形』を取り上げた第4章の、「ベンヤミンの評価」と題された節(同書, p.85以降)。ヴァリアンテに対する言及は更にその中で、ベンヤミンが1929年に書いた書評「花についての新刊」の内容を紹介する中で、書評の一部を引用するところ。
(…)つまり、植物の拡大写真は、「創造的なものの最も深い、最も究めがたい形のひとつ」に触れる。この場合、「形」というのは、さまざまなものが変形する以前のプロトタイプのようなものだ。ベンヤミンはこんなことを言っている。
この形を、大胆な推測をもって、女性的で植物的な生原理それ自身、と呼ぶことが許されてほしいものだ。この異形は、譲歩であり、賛同であり、しなかやなものであり、終わりを知らぬものであり、利口なものであり、偏在するものである。
 この場合、異形とはVariateで、原形をずらしたり、改変したり、変形したりしたもののことである。自然のものとしてこの世に存在する植物の形に、人間の作ったトーテムポールや、建築物の柱や、踊り子の動きを見ることができるのは、植物の「創造」の原理が、超越者の「発明」ではなく、なんらかの真似や譲歩や賛同を通じて「変化」していくという中心なき移ろいのようなものだからである、とベンヤミンは考えているようだ。(同書, p.87)
アドルノがマーラーについてのモノグラフで、作曲技法としてVarianteの手法を指摘しているが、『植物考』で指摘された点を踏まえれば、概念的も明らかに共通点があり、無関係ではないのだろうと思う。私はベンヤミンは不勉強で、自分の興味があるテーマについて書かれた論考を摘まみ食いしているだけで全く疎いのだが。

*     *     *

ナターリエ・バウアー=レヒナー『グスタフ・マーラーの思い出』(高野茂訳, 音楽之友社, 1988)
p.162 : 純粋な書法
(…)植物の場合に、一人前の木として花を咲かせ、枝を幾重にも伸ばした木が、たった一枚だけの葉からなる原形から成長していくように、また人間の頭がひとつの脊椎骨にほかならないように、声楽の純粋な旋律性を支配している法則は、豊潤なオーケストラ曲の錯綜した声部組織にいたるまで、保持されなくてはならない。(…)
p.350:シューベルトについて 1900年7月13日
(…)あらゆる繰り返しというものは、もうそれだけで嘘なのだ!芸術作品は、生命と同じように、常に発展していかなくてはいけない。そうでないと、そこから虚偽と見せかけがはじまる。(…)
p.431;第五交響曲に関するマーラーの話
(…)とくに、一度でも何かを繰り返してはならず、すべてが自発的に発展しなくてはならない、という僕の原理(…)

上記では、最初の「純粋な書法」の節が、ゲーテの「原植物」を最も強く示唆する。

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ブルーノ・ワルター『マーラー 人と芸術』(村田武雄訳, 音楽之友社, 1960)
p.148
しかし、マーラーの心を強くひいたのは、与えられた主題の変形と拡大、すなわち変奏曲の基底となる「種々の変形(ヴァリアンテ)」が展開の重要な要素であった。そして、この変奏技術は、その後のかれの交響曲にいっそ立派な形式となって表現されて、かれの再現部と終結部とに美しさを加えたのである。

*     *     *

以下は、岡部真一郎『ヴェーベルン 西洋音楽史のプリズム』(春秋社, 2004)に、著者自身による翻訳により引用された、モルデンハウアーのヴェーベルン伝に収録されたヴェーベルンの日記の一部である(Moldenhauer, Anton von Webern: A Chronicle of his Life and Work, London, 1978 のpp.75-76)。見ての通り、第一義的には対位法に関する文脈であり、ヴァリアンテについてではないことに注意。だが、結論部分は結局、そういう話になるようにも読める。変奏に主題が移り、「展開」の仕方が問題となっているわけなのであるから…もっとも、マーラー自身は、「主題が再現する度に新鮮な美しさを感じさせるためには」、旋律そのものの美しさが重要であると言っていて、ヴァリアンテの技法を持ち出しているわけではない。
岡部真一郎『ヴェーベルン 西洋音楽史のプリズム』(春秋社, 2004)
p.67 
シェーンベルクが、対位法の奥義を理解しているのはドイツ人だけだ、と述べたのがきっかけで、話は対位法へと向かった。マーラーは、ラモーなど、フランス・バロックの作曲家の存在を指摘し、一方、ドイツ圏では、バッハ、ブラームス、ヴァーグナーの名前を挙げるに留まった。「この問題い関しては、我々にとっての規範となるのは、自然だ。自然界においては、宇宙全体が、原始的細胞から、植物、動物、人間、そして、超越的な存在である神へと発展して行く。同様に、音楽においても、大きな構造は、これから生まれるべきもの全ての胚芽を包含する単一のモティーフから発展すべきだ。」ベートーヴェンにおいては、ほとんどいつでも、展開部において、新たなモティーフが現れる、と彼は言った。しかしながら、展開部全体は、単一のモティーフにより構成されるべきである。したがって、この点から言えば、ベートーヴェンは対位法の名手とは言い難い。さらに、変奏は、音楽作品において、最も重要な要素であるとも彼は述べた。主題は、シューベルトにおいて見い出されるように、真に特別な美しさを持つものでなければならない。主題が再現する度に新鮮な美しさを感じさせるためには、それが必要なのだ。彼にとっては、モーツァルトの弦楽四重奏曲は、提示部の二重線で終わりだ、という。現代の創造的音楽家の使命は、バッハの対位法の技術とハイドンやモーツァルトの旋律性を一体化させることなのだ。
そして上記のマーラーの言葉を、ヴェーベルンの「原植物」(以下の引用文では「根源植物」)と結び付けているのは、実際には著者の岡部さんなのだった。
一方、再度、マーラーについての日記への記述に目を向ける時、今一つ、我々の目を引くのは、この大音楽家の「宇宙は単一の原始的細胞から発展し、構築される」という発言にヴェーベルンが強く魅かれていたと考えられることが。これは、後年、ヴェーベルンが繰り返し言及したゲーテの「根源植物」の概念をも想起させるものではあるまいか。(同書, p.68)


備忘:対位法

対位法、アドルノの指摘。対位法的発想と、伝統的な図式からの乖離。
例えばフーガそのものが導入されるのは稀である。
第5交響曲のフィナーレ、パロディーとしての?
第8交響曲第1部の展開部。
第9交響曲のロンド・ブルレスケ。
厳密な模倣対位法であるカノンもまた、卑俗な旋律(「フレール・ジャック」)の、更にパロディーとしてしか存在しない。
第3交響曲第1部(第1楽章)展開部には、フガートが開始されるフェイクまで存在する。
ただし動機・旋律の拡大・縮小はある。つまり声部間の「模倣」の問題?
一方で線的な書法自体は寧ろ、至る所に見られると言って良い。
主題間の対比が弱まる代わりに、声部間の解離が大きくなる。(解離についてのアドルノの指摘を参照せよ。)第9交響曲第4楽章のアダージョの対比群。或いは第10交響曲アダージョ。


備忘:組曲形式

何故、第9交響曲の第2楽章と第3楽章に居心地の悪さを感じるか? 
それは、「そういう音楽」だからだ! 
でも第1楽章,第4楽章と第2,3楽章のバランスの悪さは? 
いくつかの曲をつなげるという曲の構成法(組曲形式)の問題。 内部の小説的な脈絡と、曲同士の接続の分裂。 ヴェーベルンはそれのうち特に前半を、シベリウスと(多分)ペッティションは後者を問題にした。ヴェーベルンは叙事的な広がりを拒否したため、内部の構造の支えを喪った。シベリウスやペッティションは 単一楽章形式に行き着いた。(恐らくある意味では晩年のショスタコーヴィチも。) マーラーなら『大地の歌』はそれに成功している。恐らく第9交響曲よりも。

楽章配置、組曲的な構成と「ロマン」(必ずしも対立しない、カフカの審判の例を考えよ) ここでも連作歌曲と交響曲を同時に捉えること。 ミッチェル的な生成史も併せて問題にすること。

楽章数の任意性(第3交響曲と第4交響曲の生成史。交響詩「巨人」から第1交響曲への改訂, 嘆きの歌の改訂、さすらう若者の歌の生成史)
楽章配置の任意性(第5交響曲,第6交響曲(中間楽章),第3交響曲(第7楽章としての第4交響曲フィナーレ))
作曲の順序(第2交響曲のケースと第7交響曲のケース)
Teilの導入(第3交響曲,第5交響曲,第8交響曲,交響詩「巨人」も第2交響曲の5分間の休止も)
楽章の一部が歌曲として独立(第3交響曲(第4楽章、第5楽章),第4交響曲(第4楽章),第2交響曲(第4楽章))
楽章の一部が交響詩として独立(第2交響曲第1楽章、ごく初期の構想としては第3交響曲第1楽章も(交響詩「パン」))

マーラー:過去と歴史的(?)未来(己のものではない)。未来が非人称
ショスタコーヴィチ:歴史的過去と未来(到来するものとしての)。過去が非人称

アドルノの誤り、第10交響曲の「ゴング」と消防隊に関して。 ただしプルガトリオを閉じるゴングは、この世の営みや魚に説教するパドヴァの聖アントニウスに基づく第2交響曲同様、 死後の世界への到着を告げるものではあるだろうから、それ自体は正しい。誤っているのは消防隊の連想と、事実関係の誤認だけだ。

Tam-tam 第10交響曲第3楽章, 第2交響曲第3楽章, 大地の歌の「告別」は?
越境? 第6交響曲のフィナーレでハンマーの打撃とともに打ち鳴らされていることに注意。特に音の強さのバランスの推移に注意。ハンマーが2回か、3回かは現実の現場の処理では問題になるだろうが、少なくとも音楽の論理としてはどちらでも大きな違いはない。寧ろ、ゴングの音の強さにおいてこそ、解釈が浮かび上がるとさえ感じられることも多い。(例えばレヴァインの例。)

第10交響曲第3楽章 ザンデルリンク版では最終音でゴングが強い音で鳴る。第2交響曲第3楽章との対比は少なくともこの版では間違いではないだろう。

備忘:テマティスム


伝記主義―作曲家
手紙、回想、ドキュメント
評伝
音楽的影響関係
文化的・思想的背景
環境や社会状況との関係
音楽活動と地域・都市
ユダヤ人問題
世紀末ウィーンの文化的状況
ボヘミアの民俗音楽
指揮者としての活動

引用、コラージュ、空間性、通俗性
自己引用に限定した引用集―典拠も?―楽章間の相互関係も含めて→楽章間と他の曲。組曲構成、サイクルの問題。作品という境界。
歌詞と音楽の関係、標題性、精神分析、病跡学
社会学的解釈

アドルノ 近代批判
作品内在的な議論

楽曲分析・フィナーレ論(崩壊の論理―Sponhauer)
Klangflaeche(音面)―AdornoのSuspension

交響曲と歌曲
標題性
歌詞の使用法(改変)
編曲・改作

各論

KL 森のメルヒェンのカットの問題
I ブルミーネ問題
II totenfeier 歌曲の問題
III 進化論、自然哲学
IV 第4楽章の「意図」
V ヴェニスに死す
VI 楽章順序の問題
VII フィナーレ問題
VIII 代表作問題
LE 東洋的諦観の問題、歌曲か交響曲か?
IX 楽章構成の問題 Courage to Be
X 成立史、クックの補作

備忘:初期

嘆きの歌、馴染みの無さにも関わらず、自然さ。様式の問題。個性の確立?作品1? 「らしさ」が、パラメータが固有の特徴を示すアトラクタを形成しつつあるということか?

*嘆きの歌:バラード詩形について~Villon etc.の詩形とは無関係

・物語が読み込まれる、語り手は第三者
・登場人物の性格や独白よりも、動作や会話が強調される
・押韻、構文は単純
・反復句(リピート、ルフラン)が使われ、民謡や伝統音楽に近い。
・歌われる旋律は調的というよりは旋法的
・基本的に口承文化である。そのため作者不詳であり、時代ごとや伝播した地域ごとに寓話の内容や旋律に違いが生じる
・テーマは口頭によっては示されない
・事実や史実に基づく例も少なくない
・詩の結びに倫理的なオチがつくことがある。

だが、マーラーはこれを自分で書いたのだ。口承文化のパスティッシュ。「子供の魔法の角笛」が民謡のパスティッシュ同然であるように。
マーラーにパスティッシュという意識があったかどうかより、このような形態を借りて語ろうとする衝動の在りようの方が気になる。
「さすらう若者の歌」もまた、マーラー自身による(「子供の魔法の角笛」の引用・再編集作業を含む)民謡のパスティッシュだ。

例えば万葉調の長歌「もどき」を作る中学生がいた。彼はなぜ、万葉集の形式などを持ち出したのか? どのような衝動に基づいて?
「ありえたかも知れない民謡」によって、ハンス・マイヤーの「簒奪者」批判に対応する。

第1交響曲
若書き。けれども違う。何が?(cf. フランツ・シュミット)
ある種の痛み?既にそこに回顧的な意識が介在すること?(だが第1交響曲は、交響詩「巨人」ではない。交響詩「巨人」が第1交響曲になるまで、更にはその後の改訂を含めて、今日演奏に用いられるバージョンに到達するまでに、回顧的な意識が介在したということはないだろうか?勿論、ブルックナーの2回にわたる大規模な改訂の波ほどではないにせよ。)

痛みも含めて、Jugentzeitにこの曲の感情を共有したもののみが、後年、 アドルノのいう後期作品の眼差しをもって、この曲をまた、回顧的に聴くことができる。(実際にマーラーは、ニューヨークで自作を指揮した時にそうしている。ワルター宛の書簡やアルマの回想を参照せよ。)

第1交響曲と第2交響曲の第1楽章は近い。
また「さすらう若者の歌」は「子供の魔法の角笛歌曲集」の世界に属するともいえる。
従って、第1交響曲~第4交響曲で一まとめというBekkerの見解はおかしくはない。
強いて切れ目を探すなら、第2交響曲の第1楽章と第2楽章の間の休憩がその切れ目だ。第4楽章はAppendix的だ。
第1交響曲から第3交響曲までで「情熱の」3部作というマーラー自身のコメント(フランクリンp.121)。
フランクリンの訳は時折訳し直したほうが良いと思える程ひどい。

備忘:後期(~2008以前)

後期様式
眼差しのあり様。「現象から身を引き離す」というのがことマーラーの場合に限れば最も適切。しかし、人により「後期」は様々だ(cf.ショスタコーヴィチ)。
ヴェーベルンの晩年とマーラーの晩年のアドルノの評価の違い。いずれも「現象から身をひく」仕方の一つではないのか? こちら(マーラー)では顕揚されるそれと、あちら(ヴェーベルン)の晩年にどういう違いがあるのか?

作曲年代の確認
「大地の歌」1907~?1908~?:実は異説があるようだ。
「大地の歌」第1楽章については、かつては違和があった。今のほうがよくわかる。こうした感情の存在することが。そういう(多分にnegative―そうだろう?)な意味でこれは成年の、否、後期の(晩年、ではないにしても)音楽なのだ。

マーラーに関するシェーンベルクの誤り
いわゆる「第9神話」にとらわれたこと。マイケル・ケネディの方が正しい。第10、第11交響曲を考える方が正しい。
マーラーは本当に発展的な作曲家だった。
だから第9交響曲は行き止まり等ではない。
確かに第10交響曲は「向こう側」の音楽かも知れない(これを第9交響曲より現世的と考える方向には与しない。) けれどもマーラーは途中で倒れたのだ。マーラーの死は突然だったから本当に途中で死んでしまったことになる。

マーラーの第10交響曲こそが最も近しく感じられる。
この不思議なトポス、だけれども、これは存在する、そうした場所はあるのだ。少なくとも残された者の裡においては。それ自体、何れ喪われるものであっても、それは存在する。全くのおしまい、無というわけではない。
それは「喪」そのものかも知れないが、喪のプロセスは残された者の裡には存在する。
マーラーがこの曲を、特に第1楽章以降を書いたのは、不思議だ。彼は確かに危機にはあったし、己の死を意識してはいただろうが、でも死に接していたわけではない。

この曲の、少なくともAdagioに、早くから惹きつけられた。
14歳になるかならぬかの折、最初に私がマーラーについて書いた中で引用したのは、まさにこの曲だった。他ならぬこの曲だった。
それを子供時代に聴くというのはどういう事だったのか?
否、「現象から身を引き離す」ことは、いつだって可能だ。ただし有限性の意識はあっても、クオリアは異なる。かつての宇宙論的な絶望と、今の生物学的な絶望との間には深い淵が存在する。

回想という位相。(かつての)新しさの経験。異化の運命。後期様式による乗り越え。
風景の在り処。現実感は希薄。回想裡にある。かつて現実だった?「だったはずの」?

確かにマーラーは何か違う。
consolationなのか、カタルシスなのか。Courage to Be(ホルブルック)という言い方に相応しい。それを「神を信じている」という一言で済ませるのは何の説明にもなっていない。その「肯定性」―それはショスタコーヴィチとも異なるし、例えばペッティションとも異なる― について明らかにすべきだ。
救済は第8交響曲にのみしかない訳ではないだろう。マーラーは規範や理論に従って「約束で」長調の終結を選んだわけではない。強いられたわけでもない。
とりわけ第10交響曲の終結がそれを強烈に証言する。
一体何故、このような肯定が可能なのか―ハンス・マイヤーの言うとおり、これは「狭義」の信仰の問題ではない筈だ。
懐疑と肯定と。

アドルノのベートーヴェンの後期様式についてのコメントをマーラーの後期様式と対比させること。案に相違してベートーヴェンの閉塞と解体に対して、マーラーは異なった可能性を示したのかも知れない。アドルノのことばは、その消息についてははっきりと語らない。
一見したところ、両者の身振りは極めて近いものがある。だが、並行は最後まで続くのか?
寧ろ一見したところ厭世的に受け取られることの多いマーラーの方が「他者のいない」ベートーヴェンよりも、 異なった可能性に対して開かれていたのでは、という想定は成り立つ。(これは同じくベートーヴェンとマーラーについてのモノグラフを持つGreeneの立場とも対比できるだろう。)

アドルノのles moments musicauxの邦訳のうち、ベートーヴェンの後期様式やミサ・ソレムニスについてマーラーの「大地の歌」, 第9交響曲, 第10交響曲そして第8交響曲と対照させつつ検討する。

ホルブルックのCourage to Be(第9交響曲)と大谷の「喪の仕事」(「大地の歌」に関して)を組み合わせて考える。
「個人的な「大地の歌」―第9交響曲における普遍化」というのは成立するのだろうか?

ところで、ホルブルックの「結論」(p.213)はどうか?
多分正しいのだろうか―これは私の求めている答ではない。 では答はどこにあるのか? そもそもマーラーにあるのか? 勝手読みは(ハンス・マイヤーの心配とは別に)必ず無理が来る 「感じ」が抵抗し、裏切るのだ。 頭で作り上げた「説明」は、どこかで対象からそれてゆく。 一見、ディレッタンティズムに見える―衝動に支えられた―探求の方が、より対象に踏み込めるに違いない。
あるいは、「実感」が追いつかない―忘れてしまった―否、そんなことはない。 まだ「わかっていない」だけかも知れない。 ここに「何かがある」のは確かなことだ。 自分が求めているものとぴったり同じではない可能性も否定できないにせよ自分にとって限りなく 重要な何かあがあるのは確かだ。

備忘:歌曲について

うたの問題。認知の問題として考えること。旋律なり動機なりが存在すること。旋律を分解せずに ひとつの単位として扱うこと。(分割が可能なのはいわゆるフレーズ、動機のレベルまで) 旋律を変奏し、動機を展開すること。変化させ、場所を移し、あるいは組み合わせる。
マーラーの音楽を聴けば、そうした方法がどんなに豊かであるかがわかる。
戦略的にそれを否定することはあってもいいが、だからといって、そうした方法の豊かさは否定できない。
むしろそれが、合理的で強力で、ある程度の一般性があって、わかりやすいから、あえて否定するのだ。
それを利用することに伴う、危険を理由に。

テキストは素材、勿論、選択はある。
だがテキストがよければテキス自体を検討すれば良い。
結局、音楽がすべてだ。テキストのみでも音楽のみでもない。
(テキストの選択が好みに合わない場合を考えよ。)

*

マーラーの歌曲の「場所」。
「子供の魔法の角笛歌曲集」の客観性。眼差しが眺めているその場所はどこか?
「リュッケルト歌曲集」の場所。「ここ」はどこか?

場所の感覚が、はっきりと聴き取れる。
マーラーは、どうしようもなく過去の人だ。
時代も場所も異なる。
けれども、何なら生物としての、といっても良い、マーラーが 感受したクオリアが、そっくり作品の中に封じ込められているように思える。

作品は独自の世界を持つ、と言われるが、それと対比される現実だって、 作品と同じように、ある認識のモードに従って読み取られたものなのだ。
そしてマーラーの場合については、作品の世界と、個体としてのマーラーの 感受のモードの間に、そんなに大きな距離があるとも思えない。

曲を書くこともまた、世界の感受の一様式なのではないか?
少なくともそれは生の営みの一部で、抽象はできない。

ある種の懐かしさ?
かつて自分が訪れたことがある場所を再び訪れる感じ?
つまり、それは自分にとって「他所」なのだ。
マーラーは他者なのだ。

歌曲の良いところは、それが断面を切り出すことができることだ。
横の流れ、小説的な脈絡はここでは省略できる。
勿論、連作歌曲というのがあるが、それは、そうした断片を並べることで、 全体を予感させるようになっている。

「真夜中に」のような歌曲は、その内部に時間の、経験の流れがあるが、 だがそれは、一まとまりのものだ。
横の流れ、小説的な脈絡とは、異なった場所、異なった主体、異なった時間を 結びつけて、多元的な「世界」を組織する仕方なのだ。
つまり、そこには視点の多元性が含意されている。
マーラーの「世界のようでなくてはならない」という理念は、そうした多元性への 志向であって、誇大妄想的なものではない。

多分だからこそ交響曲の中に歌曲が埋め込まれるのは自然なのだ。

マーラーの作品は些かぎこちない仕方で「Xが私に語ること」と表現されたように、 複数の声の交響する時空間を組織することが志向されている。
語るのは私ではない。これは独我論ではない。世界は私の心の、観念の裡に しかないなどどは見做されていない。私には見通せないほど複雑な脈絡が 世界に存在することを、語りかけられている私は感じている。

「Xが私に語ること」という言い回しは、作品についてはほとんど何も 語らないが、世界と「私」の関係の証言にはなっている。

備忘:交響曲

ヘルシンキでシベリウスとの会話で「交響曲」が話題になったとき、マーラーがシベリウスに対して語ったこと。

Nein, die Symphonie muss sein wie die Welt.
Sie muss alles umfassen.

世界であろうとする―すると「世界」の縁が現れる?
すべてを含もうとする―すると外部が浮かび上がる?

楽曲の長さ。マーラーの場合は、しばしばコンサートを1曲で占有する長さ。
これは実は大変に重要だ。他の曲を聴かなくていい。

長さを可能にするもの。
長大な―30分を超える持続を可能にするのは?―「大形式」への志向。
繰り返し、だが全く同じではない。

反復すること、しないこと、絶えざる変奏。
ロマン(小説)は、心理学的な展開は型どおりの反復を嫌う。
ソナタの提示部反復、そして「再現」、ロンドにおける「回帰」
同じ音型が別の意味を持つ(「変形の技法」も参照のこと)。
意味が変容することが発展、展開。
変化を支えるものと同一性を支えるもの―何が変わったから意味が変わるのか?

パラメータを区別すること?
新しい要素の導入?多元論?それとも「外部」の存在を示唆?

多くの音楽は、理由は様々だが「一面的」だ。
それがある理想を目指せば、音楽から現実が抜け落ちる。
世界のようにすべてを包含するというマーラーの理念は、見かけほど単純ではない。
それは対立物も中に含み、世界のとの素朴な関わりを括弧入れすることを要求する。
要するに、媒介性が露わになるのだ。
純粋な客観も純粋な主観も虚偽であるということを告げている。

交響曲は世界のようでなくてはならない。
この発言は、決して、自明でも、普通でもない。ある時代、ある場所のある文化的・社会的背景で可能になった。
だが、いずれにせよ交響曲が世界である、というのはどういうことなのか、 世界という言葉で何が言われているのか。そのとき、主体の地位はどういったものであるのか。
そうしたことを問い直す必要はある。

世界認識について、確かに解釈学的循環はある。
だがそれよりも、音楽を聴くこと、ある世界認識を知ることが、自分の世界認識の様態に及ぼす影響を軽視すべきでない。
ミームとしての伝播。

認知心理学的な視点は、原子的・部分的すぎて具体的な体験に辿り着けない。
ある体験の連想etc...
世界に対する態度、気分、情動etc.

「私的な交響曲」というのは、考えてみればおかしな現象だ。 だが、マーラーあたりを基準にしていると、おかしさの感覚が麻痺してしまう。 むしろ社会主義リアリズムにおける「公的な」交響曲のあり方の方が、そのありようにふさわしい。 もっとも、交響曲の前身たるシンフォニアは、そうした機能とはまた異なった 機能を持っていた。それでも、いわゆる「私性」というのが無縁であったのは 同じだと言える。それはいわゆる公共の場で上演される劇に関係するもので、 従って、基本的に「私性」とは関係がない。
考えてみれば、ロマン派の交響曲は、そういった矛盾を(ベートーヴェン以来、 ベートーヴェンのせいで)抱え込むことになったのだ。(いや、ベートーヴェンは むしろ社会主義リアリズム的な「公的」な交響曲のあり方を予告したと言えるかも知れない。 私的な側面ということであれば、むしろベルリオーズの方が適切かも知れない。 ただし、ベルリオーズの物語は、もとは私的なものであっても、充分劇化されて いるともいえ、そういう意味ではベートーヴェンの第5交響曲のような類型の方が 「私性」はまさっているといえるかも知れない。この曲と、この曲と一見したところ 対照的な第6交響曲こそ、ロマン派交響曲の規範なのだ。)

絶対音楽という理念の成立は、それと対となる標題音楽、プログラムを持つ音楽という 考え方と不可分である。だが、絶対音楽にしてからが、結局、なんらかの情緒なり 気分なりを引き起こすものである、というレベルは否定されたとは言いがたい。 純粋に音の関係や運動に関心が行くのは、もっと後のこと、西欧音楽の伝統を 否定するいわゆる実験音楽まで待たなくてはならない。トータル・セリエリスムすら、 音楽の経過においては伝統的な音楽の枠組みを踏襲している。(そういう意味では 一面では伝統的な音楽への根本的な批判である実験音楽は、純粋音楽の 極限という点では、伝統の終端に位置づけられるのかもしれない。それは 或る種の臨界点なのだ。だが、いずれにせよマーラーの場所はそこではない。)
いや、古典派の音楽だって、情緒や気分の表現だとは考えられていたし、 それも、バロック期以前のクラングレーデが縮退したものである。この点でいけば、 実験音楽のような発想と絶対音楽の理念とは根本的に異質で、音楽が何かを 表現するものである、という点自体は、絶対音楽においても否定されているわけでは ない。少なくともある種の残滓として、絶対性の剰余としての表現というのはあった。 十二音音楽を準備する無調期が、いわゆる純粋な表現性というのを獲得しようと した時期であったのは興味深い。
私的な音楽といっても、それがプログラムとして与えられればベルリオーズのような 標題交響曲になるし、プログラムがなければ、あれほど主観的な表出性を持つ マーラーの交響曲だって、絶対音楽なのである。否、純粋な表現性という点では、 絶対音楽的な度合いが強い第6交響曲のような作品こそ、最も優れているという 見方さえ成り立つだろう。

マーラーが交響曲は世界のようでなくてはならない、と言ったとき、それは完結して調和のとれた閉じた時空として 思い浮かべられていた、ということはなさそうだ。アドルノのいう全体性に回収できない仕方、というのは、 多分正しいが、だがそれは世界が私にとっての世界であること、その結果それは事実上汲み尽くし得ないこと、 私は世界に対して単純に受身でも、能動的でもないことに由来するのではないか?

第3交響曲のような、特に第3交響曲第1楽章や第2楽章のような「無機物」や「植物」を「表現した」と言われる部分も、それは描写である、 とは言い切れない。マーラーの陳腐なプログラムを大切にする必要はないけれど、「XXが私に語ること」のうち 大切なのはXXが何であるかよりは、それらがすべて「私に語ること」として感じられ、企図されていることに違いない。
まるで万華鏡のように第3交響曲は各楽章毎に異なる時間性を持つが、その時間性―聴取によって聴き手に語られること ―を聴き取ることが必要なのであって、それをプログラムに還元するのは見当違いも甚だしい。

マーラーへのアプローチについての断想(2008以前)

時折浮上する疑問がある。100年前に遠い異郷に生きた天才、セレブリティが一体、私に何の関係があるのか?だが、それを除いてしまったら、今度は何が残るのか?否、何かが残る必要などあるのか?といったこと…いずれにせよ、懐疑は残る。だが、一方でそれを「無きもの」にすることは多分できない。 そのことはますます明らかになりつつある。 他の音楽が視界から消えたとしてもこれは残ってしまう、唯一かどうかはどうでもいい。 残ってしまうもののうちに含まれることは確かなのだ。

音楽を選択することが逸脱になるかならないか、という基準について言えば、マーラーのようなケースは音楽を選択することに問題はなかった。音楽家であることには疑問の余地がない。普通の人間が文章を書くように、音楽を書くことができたに違いない。但し指揮者と作曲の葛藤はあった。だが、重要なのは、職業的な作曲家ではないということ。注文に応じた作曲はない。彼は書きたい音楽を 書きたいように書いた。良きにつけ悪しきにつけ彼は職人ではなかった。この点は重要だ。 プロ意識というのも作曲についてはなかった筈だ。(それは自分を作曲家と自己認識するということとは異なる。 彼は指揮者としては、現場の現実から最善のものを作り出す柔軟性をもったプロだった。だが作曲家としては どうだったか。)そのかわり、彼は自分の内面の声には忠実だった。書くものが中にあればこそ、書いたのだ。

勿論作曲の作業は、一瞬の霊感の賜物などではない。だが、生まれつきの音楽家であることに加えて、そのように 日々訓練すれば、流れるものを書き留めるかのように作品を創る瞬間があったのは、不思議でもなんでもない。 普通の人間なら、もっと単純な身体技能のようなものを習得するのと同じようにして、彼は作曲に対したのだろう。天才神話は不要だ。だが、或る種の技能の習得として、脳の神経ネットワークの訓練の結果として、その創作プロセスを 考える必要はある。そして、その能力は一般に他の能力、人格的な偉大さなどとは、ひとまず別のものとして考える べきなのだ。

当時の聴き手にとってどの様に聴こえたか、というのはどうでも良い。(マーラーの場合はブラウコップフのZeitgenosse der Zukunftという キャッチがきいて、ショスタコーヴィチ程は問題にされない―ただし、如何に「受け入れられなかったか」の強調はさんざん行われたが。 実際には、半分は間違っている。生前から、作曲家としても認められた存在であったことは確かなのだ。 ポレミックな存在であったことは確かだが。)他方で、Kuehn/Quanderに収められた図録を見ると、疎外感、違和感、時代と地域の差を感じてしまう。私は、そのようには聴いていない。その音楽は、生まれた環境に拘束されたものとしては聴いていない。 私の自分の耳の訓練の歴史に拘束されてはいるが、マーラーの音楽を、歴史的な遺産として聴いているのではない。 マーラーを聴くことは、博物館に行くことではないのだ。

マーラーは大指揮者であったから、マーラーを主題としなくても、文化史の中でのその位置づけを 描き出すことそのものが一つの主題となりうる。だからマーラーを巡る文化史的研究が盛んになったのは首肯できる。一方、その結果がマーラーの音楽とどのように関係しているか―同時代における受容史を 含めて、あるいは素材としての、環境としての音楽的文学的哲学的バックグラウンドが 明らかにされることが、曲の理解に寄与するであろうことは別段、否定されるべきことでもない。だが、それとマーラーの音楽が持っている豊かさを明らかにすることは、完全に一致してしまうことはない。いくら伝記的事実が明らかになり、作曲者の人となりがわかっても、それが曲の説明になる訳では ないのと同様だ。

勿論、カントやショーペンハウアーを読み、天文学、物理学に関心を示す人物の産み出す音楽は ―前提として、何をその音楽から読み出しうるのかの可能性について―そうした嗜好のない人物の それとは異なっていることには疑問の余地はない。―この違いが無視できるほど作品の中立性と いうのは大切な立場ではない。楽曲分析は、通常、その音楽の特異性を、固有の構造を明らかに しようとするよりは寧ろ、伝統的な既存の道具により、逸脱を、ルール違反を検出する。勿論、ルール違反にプラスの価値を与える様な符号の逆転はありうるが、結局、その音楽の 特徴は、ネガティヴな距離によってしか測れないことが多い。マーラーその人が音楽学者の分析を嫌ったのは、それが内容・形式の二分法を持ち出して、 内容を置き去りにすること、そして、形式はといえば、それを適切な言語で記述できないことへの 苛立ちがあったに違いない。その証に、内容のほうについてだって、標題や解説の類だって、拒絶の対象になっている。それよりは「直観」の方が、音楽に虚心に耳を傾けて得るものの方が信頼できると考えるのは ごくまっとうな反応だろう。

だが「直観」を語るとき、それに応じた語が、形式が必要なのだ。Adornoがした様に、それは対象に応じて、その都度、用意されねばならない。してみればAdornoは出発点では少なくとも間違っていない。問題はその分析の目的、 最終目的が結局、マーラーをそれが産まれ出た文脈に還元してしまいがちな点だ。作品が、時代を超えて(永遠に、とは行かなくても)生き続けるという契機を、それは軽視しすぎている。

一方で、受容史というのも、今度は個人の聴体験を、その経験の背景にある文化的社会的な文脈に還元して しまいがちである点で、生産の極での社会学的研究と五十歩百歩だ。Adorno風の観相学こそ可能ではないが、 例えば演奏会評をコーパスとした研究等がそれに近いものとして可能になるだろう。だが、それは作品と作品を聴く体験の現場については語らない。研究としては重要なのだろうが、それによって音楽が語るものに近づくことは難しいだろう。せいぜいが―どんなに優れたものであっても、アナール派の歴史学が可能にしたような、あるいは 構造主義的な社会科学が可能にしたような、機能主義的な説明の水準にとどまり、個別的な経験の質は救えない。

これは意識の哲学におけるハードプロブレムと丁度並行している。だが、クオリアを 捉えようという企ては―Negelのような不可知論者はいるが―全く手段がない訳ではない。それと同じことが音楽を聴くことで得られる経験についても言える筈だ。他の音楽はおくとして―このレベルでは音楽一般というのを語るのは多分不可能だ―マーラーの音楽に限れば そうした企ては正当化されうる。逆にそういう音楽でなければ、結局、興味を持つことができないのだ。

ありきたりの楽曲分析では不充分だ、というAdornoの発言は正しい。だが、だからといって作品から創作の現場に飛躍できるというのは正当化できない。Adornoのあの理念の歴史としての社会的背景の解読の観相学の性急な図式化の部分は幸い、その後の研究により 中性化され、より実証的な(装いをもった)文化史、社会学的な研究が主流になった。だが、伝記が作品へと辿り着けないのと同じで、そうしたマーラー研究も作品には辿り着かない。桜井のマーラー研究が熱意と実証精神にあふれる素晴らしいものであったとしてもそれは作品には到達しない。否、de La Grangeすら―彼は作者と作品の結びつきを主張することについて、少なくとも権利上は最も大きな 権利を持っているはずだが―それは一筋縄ではいかないことを語る。Mitchellの生成史もそうだ。

結局、もう一度、楽曲分析の近傍まで戻らなくてはならない―実のところAdornoの論の説得力は、それが作品の 分析に基づいていることによる。―そしていわゆる楽曲分析の伝統的な道具ではない、もう少し認知心理学よりの 道具を整備して、しかもAdorno的な観相学のイデオロギー的な部分を除去して、楽曲を聴くことで生じることを 明らかにすることが必要だ。勿論、伝記も社会学も文化史も結構、プログラムも結構だが、それを作品と混同してはならない。

記号論的に中立な作品というのはそれ自体抽象かも知れないが、だからといって作品と背景とを無批判に 結びつけるのは問題がある。何といっても作品は作者でもないし、背景となった文化的社会的事象そのものではないのだ。少なくとも、存続して、時空を横断している限りでは、そうした「地平」「環境」とは別のものであることは確かだ。引用もまた、そうした「環境」を指示することしかしない。それは作品ではなく、作品の出自を指示するだけだ。(2002~2008書かれた備忘の一部)

マーラーのどこに惹きつけられたのか

「自然の音」と「対位法」が、私がマーラーに強く惹きつけられた要因であることは疑いない。最初に聴いた第1交響曲には「巨人」という標題がついていることや、それにまつわる様々な議論を知るのは後のことで、 私はその音楽が「自然の音」を含んでいること、それから何よりその対位法的な書法に強く惹きつけられたのを はっきりと記憶している。私はもともと非常に強い線的な発想や嗜好を持っているようで、小学生の時分に 見よう見まねで試みた作曲も、対位法の規則を知る以前に、自由な拍節感で複数の旋律線が絡むような類の ものだった。そうした私にとって、マーラーは最初にまず「対位法」の作曲家だったのである。
単に線的というのではなく、常に複数の旋律が独立性を持って響いていることが重要で、モノディ的な線の展開や オルナメントには関心は無かったし、旋法上、和声法上の新奇さにも関心がなかった。管弦楽法の巧みさにも 魅了されただろうが、それもそうした線をくっきりと浮び上がらせる方向性あってのもので、純粋に音響的な効果にも 関心がなかったし、色彩の合成によって得られる多彩さにもほとんど関心がなかった。それよりは複数の線の 表情の交代や対照の鋭さのようなものに強く魅せられたように思う。

マーラーと「映画」。「ヴェニスに死す」は映画も原作もだめ。ケン・ラッセルの映画は日本で公開された時に映画館で 見たが、これもだめ。強い反撥と拒否反応。むしろ、流れていた音楽、ハイティンクがコンセルトヘボウ管弦楽団を指揮したものだったと思うが、 こちらの方が強く印象に残った。従って、その後、マーラーにちなむ映像作品、バレーなどは見ないことにしている。
映画といえば、会社勤めを始めてからしばらくして、寮生活をしていた時分に、休日の昼間の誰も居ない寮の食堂のテレビを 何気なくつけたときに偶々やっていた映画で、マーラーの第9交響曲の第1楽章が使われていたので、しばらく観ていた記憶が ある。モノクロの映画なのか、それともカラーなのかもわからない。雪に閉ざされた山小屋が舞台で、何かの抗争が行われていたのだが、 映画自体は私にとっては全く興味をひかないものであったので、プロットは全く記憶にない。雪に閉ざされた山小屋を外から 映したショットと、山小屋の内部のショット、そしてSibeliusのIV-1とMahlerのIX-1が交互に流れていたということしか覚えていない。

マーラーについての「私の場合」。旋律や主題だけでなく構造におけるまで記憶されている点が特殊。 実はソナタ形式の様な動的な発展を含む形式の方が、構造や音楽の経過を覚えやすい。 マーラーの場合なら、スケルツォ、レントラーといった静的な形式の方が楽章全体の流れを追いにくい。 (時間論的にはDa Capoのある音楽は、静止していると言える。) 心理的にDa Capoの持つ意味は面白い、それはトリオで切り替わった文脈の流れの再中断、元の文脈の復帰だ。 (もっともこうした捉え方は、古典派の作品に対しては―ロマン派的な遡及読みをするのでなければ― 困難だろう。それが可能なのがマーラーの特質なのだとも言える。) ソナタにおける再現部はマーラーの場合、展開の論理の優越により、文字通りの再現ではない。

いずれにせよ、すべての曲のすべての楽章を思い出せること、各楽章内の構造の記憶があること、 これは他の場合には当て嵌まらない。

Mahlerの音楽は実際には私にとって他者だ。 XenakisもTakemitsuもしかり。でも他者というのも必要なのだ。外に向かって歩みだすには。

私にとって、Mahlerは夏の音楽かも知れない かつてそうだった様に けれどもMahlerその人にとっても、自分の音楽は夏のものだったのだ、、、 だからそれは決して無意味ではない。 たとえ気候や風土がこれほど違ったとしても。

Mahlerの音楽ほど自分自身の経験上のリファレントが少ない音楽は珍しい。 まるで外界に対する反応としてではなく、あくまで内側の感情の動きの側にあるようだ。 大地の歌の告別、第1交響曲の冒頭(これが日本の盛夏の連想になっているのが奇妙だ)第6交響曲のアンダンテ(ただしこれはあまり強くない) 第10交響曲の5(これもそう)等、どちらかというと、ある個別の、時点と場所の座標が特定される経験に連想付けられたものであって、経験や 認知の、感受の様式となっているとは言い難い。
(例えばSibeliusや、Takemitsuの方が、それに相応しい)
*これは本当か?五十歩百歩ではないか、、、
Mahlerの音楽は奇妙に場所を持たない。(これは、現実の風景でない、仮想の光景への連想を持たないといった程度の意味だ。) それはMahlerが生きた環境と無縁の場所と時に生きているからかも知れない。 (否、むしろSibeliusの方が特殊なのかも知れない。Takemitsuは同時代の日本の作曲家だから、こちらはある意味では自然だ。)

寧ろこう言うべきか?
ある風景、ある光景と連想付けられる様なことは、ある年齢までにしか起きない。事故が形成途上で、可塑性の高い時期にしか。 実際、ある時期以降、同じ音楽を聴いても、恐らくその音楽がつくられたであろう文脈の気配や雰囲気を強く感じるようになっていて、 それ故、それらは自分にとって他者性を帯びたものになっている。 自己の経験の、自己の一部として同化してしまうということが無い様だ。

それでもMahlerのある音楽(子供の死の歌、大地の歌、第10交響曲)は、そうした経験と、別の種類の結びつきを持っている。 それはそれで稀有なことではある。

自己の一部として同化するということは、誤解、強引な読みを伴うだろう。 第1交響曲の序奏が日本の盛夏と結びつくなどどいうのはそれの最たるものだろう。 けれどもそうした我有化は、実際には例外的な出来事で、簡単には起きない。

MahlerとSibelius(交響曲のみ)、Webern、実際には最初にはFranck、そしてずっと遅れてショスタコーヴィチ。 Mahlerは、ある個別の時点での経験への固着が強い。 Mahlerは寧ろ、Franckのような、外部を持たない内面の音楽として受け止めている部分もある。

音楽ではなく、音楽外のものとの情緒的な結びつきが、人を感動させるとしたら、それは音楽を聴いているのではない。 Mahlerについて、ある部分それがいえる。 逆にMahlerをそうでない様に聴く、新鮮な耳で聴くことは困難だった。(今でもその困難さはなくなった訳ではないが。) けれども、今やそうした連想から離れて聴く事も不可能ではない、と。 しかしそれにしても、音楽外的なものを(己の私的な経験は除外しても)完全に無にするのは困難だろう。 (ジュリーニの演奏のあの―自分では見たことの無い―風景の生々しさを考えよ。)

Mahler、生きる意志、少なくとも糧にはなる。IX、そして大地の歌、否V-2やVIも。
今朝、夢の中でII-5の最後の部分が流れた。
テンポは自分がコントロールしていた。とても速いテンポで最後まで到達する。
II は、意識のレベルでは、ずっとずっと疎遠だ。なのに何故?途を歩いている。緑の鳩が横切る。その羽は 杉のような針葉樹の木の葉のようだ。

かつて、私は無人の沈黙する自然のうちにいた。そこには他者はいなかった。
かつてマーラーを聴いた私は、何を聴いていたのか?
今、私は他者がいる世界にいる。他者がいる世界では、自分の行為は(無作為も含めて) 他者への働きかけ(やその欠如)として測られる。すでに倫理的な空間。(cf.Levinas)
今、マーラーを聴く私はかつての私ではない。マーラーは世の成り行きには出会っていたが、 他者に出会っていたのだろうか?
かつての私のほうが、寧ろマーラーに相応しい聴き手ではなかったかという疑問は残る。
ただし、自意識がなければ、常に行為は無償で、結果は偶然だ。
(自)意識がなければ、倫理はない。倫理はメタレベルの推論を要求する。
スマリヤン-津田のレベル4の推論者。逆に、レベル4の推論者は、すでにあらかじめ倫理的な 存在なのではないか?
だが、それもまた、他者が世界に存在してのことだ。
確かに、レベル4の推論者でなければ、その世界には「痛みを感じる」他者はいない。
だが、無人の沈黙する世界に、「美しい」自然のうちにいるときは?
そのときは、実はレベル4の推論者は「消滅」しているのだろうか?

マーラーの「矛盾」とマーラーへの「距離」

マーラーの「遠さ」:引用、文化的文脈、民族性、社会的背景、地位(成功者)―引用も文化史もアドルノの観相学の本来の企図も、すべて遠い異邦の出来事には違いない。
作曲活動の不滅性(Blaukopf p.106)
進化論、汎神論と唯物論
ゲーテのファウストと唐詩の間の距離

作曲者でもなく、演奏家でもない、楽曲分析―伝統的な音楽学での―も遠い。
影響と再生産、単なる享受者、受容者にとどまって何が可能か?

内在主義、それどころか認知心理学的な水準まで戻っても良い。
(形式的な分析は「聴取」の論理からすれば―そして音楽は現象する音が全てだとすれば―逆立ちしている。伝統的な楽式論からの出発を保障するのは、せいぜい作曲主体の知識との共通性だ。―つまり、同じ教育を 受けたという。)

世界観の問題は残る。 マーラーの場合は、まずそれは「意図された」ものであった。 意図されたものはどうでもよくて、実現されたものが問題であったとして、だがそこで問題になるのはやはり世界観 ―というか認識のあり様、意識の様態といったものだ。 ところで、認知心理学的な水準に戻ることは、実験室の環境に聴取を還元することではない。マーラーの場合はそれは無謀な企てだ。 だから、結局はもう一度文脈というのは入って来ざるを得ない。 少なくとも歌詞は無しで済ますことは出来ない。 (標題は、それが撤回された、という事実を無視しなければ、やはりそれなりの手がかりにはなる。但し、標題音楽的な 解釈が是とされることには全くならない。標題は結局、歌詞そのものでもないのだ。) だからニーチェと第3交響曲は問題にして良い、すべきなのだ。

―マーラーの「矛盾」はだが、ずっと前から言い古されてきた事だ。 指揮者と作曲家、交響曲と歌曲、しかし世界観ともなれば別だ。意識の様態の多様性自体は問題ではない。 けれどもコヒーレンスはやはり想定されねばならない。 Kennedyは「実験的」「演技者」と呼んだ。 仮説とその検証がより近いのか? 否、そうでもないだろう。 作品を形成する作業と、そこに盛り込まれる実質の問題はだから分裂もするし、緊張関係にもある。

マーラーの音楽は、その世界観はもはや過去のものであって、疎遠なものだ。何と言っても前世紀の価値観の 産物なのだ。だが、マーラーの音楽は、同時代にあっても、アナクロニックなものであった。アナクロニズムには、だから注意を払う必要がある。

(もっとも、生活世界レベルでの世界観や思想、信仰については、彼が懐疑主義的でしばしば「実験的」で あったとはいえ、それなりに「誠実に」表明されていると思うが、、、)
それが「実験」であったことが戸惑いの原因ともなり、逆に時代の違いを乗り越える契機にも なりうるということなのだろう。それでも、違いは無心に音楽を聴いていたころには想像もしなかった程大きいように感じられる。それとも、これは私が変わったのか?かつての私はむしろマーラーの音楽の同時代人だったのか?

進化論と第3交響曲(Vignal):だがマーラーはショスタコーヴィチと違って、唯物論者ではなかったろう。主観的な闘争―勝利ではなく、漸次的な推移 banalな素材。

進化論的思潮との距離。唯物論への抵抗(手紙より)

例えば進化論に対する立場。あるいは唯物論に対する立場:19世紀の西欧の音楽では、この点で展望を共有することを期待するのは難しい。ただし日本にいれば、微妙に風景のピントの合い方はずれてみえる。マーラーの進化論に対する立場は微妙だ。彼は自然科学に対する豊富な意識を持っていた。ニーチェに対してはアンビヴァレントな感情を持っていた。ショーペンハウアーに対する共感を考えれば、実際には進化論を受け入れる素地はあったろう。だが、恐らく進化論に対しては留保をしたに違いない。彼の神がどのようなものであったかはわからないが、神がいたのは確かだろう。神秘主義があったに違いない。
彼は(処世のために改宗はしても)カトリックではなかった。とはいうものの、時代の空気を考えれば、現在の日本に生きる人間の意識と単純に同一視するのは 困難だろう。

こうした立場の違いを理由に、音楽そのものを拒絶することは一般には 「筋違い」と見做される。だが、そうだろうか?実際にはそうした態度はしばしば 密輸されているのではないか。教会で典礼に用いられる音楽を、そうした文脈を切り離して聴くのは 実際には困難だ。現実にはやってしまっている人は多いだろうが。

人と音楽の解離?かつての伝記主義的な解釈は、寧ろ音楽から人への投影に基づくもの?

出世主義者マーラー:Mahlerの音楽は、Adornoのいうほど、弱者の、引かれ者の歌なのか? 出世主義者であり、かつ成功者、今風にはセレブリティでもあったMahler

Mahlerの微妙さは、その多面性にある。あったのは自己への信頼ではなく、媒体としての宿命の認識だったかも知れない。醜い星座、調和しないモナドのイメージを定着させる?何のために?それに何の意義がある?

醜さや悪を観念的に考えることも、何か巨大な怪物としてイメージする必要もない。それは目前に、ごく日常的に存在する。エイハブのように鯨に向かうのは、ある種の投射の結果だ。

作曲者の意図と作品と、いずれに忠実であるかは明らかだ。だが、問題は主体の意図ではなく、作品がどうであるかということだ。もし、そうだとしたら「作曲者」はどうなる?天才の神話は?あるいは「個性」と言うものは?

マーラーへの疑念はむしろ第8交響曲を書いてかつ第9交響曲を、「大地の歌」を書くことができる点、あるいは第6交響曲のあとで第8交響曲を書ける点だ。両立しうるのか疑わしくなるほどの振幅。本当にどちらも信じられたのか?気分的なもの以上のものを読み取ろうとしたとき、そうした世界観や死生観のちょっと考え付かないほどの 相違はとまどわせるものになる。勿論、どちらかが本当で、どちらかが偽りでということはないのだろうが、だから、Greeneの第9交響曲についての最後のコメントは正しいだろう。第10交響曲があればまだ「一貫」するかも知れない。第9交響曲では問いへの答は出ていない。宙に吊られたままなのだ、と。

またKennedyの「演技者の要素があること、つまり確信からでなく、精神的な実験として態度を構えた」 というコメントは正しいのだろう。(ところで、かつての私は、一体ここに何を読み取っていたのだろう?こうした世界観の矛盾をどう思っていたのか?もう思い出せない。)

Mahlerの謎。なぜあのような音楽を、私は「内容」を問題にしているのだ。彼が疎外を感じていたとして、それを強調するのはおかしい。公的な成功と内面を混同することと同じくらい、両方を分離することも間違っている。平和な戦争の無い時代に、頂点にまで登りつめた人間の書いた音楽、私はそれを本当に理解しているのだろうか?100年前の異邦の音楽、しかも全く異なる生活。寧ろ作品そのものに向かい合う、自分なりに向かい合うことのみが可能か? 例えば、第3交響曲第6楽章、この音楽がどんなに並外れたものか、今ならわかる (かつては「当たり前」のように聴いていたのだ!何ということ!)

*かつての私のマーラー観が、恐らく、その当時まだ残っていたマーラー観の影響を受けて、ひどくエキセントリックで内面的なものであったのは 確かだ。何しろ、彼を成功者だとは思っていなかった。文字通り、殉教者だと思っていたのだ。第3交響曲第6楽章についての記述は、作品自体から受ける印象のことではない。そういう点では、かつての私も「当たり前」のように聴いていたわけではない。この作品の持つ時間性は、全く独特の、稀有のものだ。ここでいう並外れたもの、というのは、寧ろ、音楽史上をみても破格である、人間が創造したものとして、云々といった、比較対照をした上での 卓越性を言っている。確かに、かつてはもっと直接に音楽を聴いていたので、そうした他との比較の上での偉大さというのは「考えたことがなかった。」

しかしどちらが作品に端的に向き合っているか、判断は困難だ。言えるのは、かつての方が無媒介に接していたこと、今は距離感が存在すること、 その事実だけだ。(それでもその音楽は、その距離を乗り越えて、私の心を打つ。そういう意味でも、これは例外的で卓越した音楽だ。もっとも、 この感動には、しまいこまれた印象の想起、といった側面もあるのかも知れないが)。そして自分がかつて受け取ったもの、否、今でも受け取れると感じられるものと、そうして反省的に捉えられた人間が一致しない。だから自分にはきちんと聴けていないのではないかという懸念が生じる。もう少し一致してもいいはずだ。MozartやBrucknerの様な音楽では「ない」のだから、尚更だ。(従って、今一度、伝記的な像の確認もまた、必要だろう。La Grangeを入手する手配をしたのは、そうした理由による。欲しいのは、作品の解釈ではなく、 生涯の事実。人間像の方なのだ。この場合には。作品像は私の裡にあるのだから。)

偉人伝のシリーズに収まった大作曲家の生涯は子供を欺く。ラ・グランジュが、モルデンハウアーが、オールリジが、へーントヴァや ファーイが明らかにする作曲家の生は、ちかよればちかよるほど、子供が心に 描いた理想像から離れてゆく。伝記を読み事実を知ることでわかるのは、自分が音楽の向こうに見出していた主体は、 多少とも自分勝手な投影に過ぎないということだ。

社会的環境、選択された生き方、性格、思想を理解することは、自分が親しんでいる 音楽が産み出された環境が、実は自分とはどれだけかけ離れているのかという認識だ。(だからといって別に同時代性や、日本の作曲家であることが、距離感を塞ぐことは ありえない。)

コミットメントの重視。主体性。倫理。ここでは命題的とはいえないかも知れないが、 音楽を通じて表現された態度の帰属が問題になっているといえる。デイヴィドソンの根源的解釈だ。勿論こうした考え方は、作品を表現の媒体として捉える立場を前提としている。
そして作品には意味がある、という立場を。だが、マーラーの場合には、そうした立場をとることが問題になることはないだろう。

芸術と人生(2023.7.7更新)

芸術と生活の分裂―確かに。
だが、それが一致するようなことがあり得るのか?

それを悲惨と見做すかどうかはおくとして、それが「矯正」さるべき異常な事態であるかどうかは疑ってみて良い。 近代化―疎外、分化、合理化。だが、日常生活の実践や儀式との密接な結びつきは、回復さるべき何かなのか? そうではなかろう。

現実を何か外的な価値によって断罪する身振りにはどこか独善がつきまとう。そもそも何故、音楽が 現存する「社会」を超越しなくてはならないのか?何故、音楽が社会的機能をもって価値付けされなくてはならないのか? 音楽が、自律的なもの等ではなく、社会的に規定されているばかりか、寧ろ積極的に、その産出から享受に至るまで 社会の中を通過していく社会的な存在であることは、当然のことであって、自律的な美学は批評をする自分がどのように 音楽と対したかというのを単なるエピソードやアネクドットの類に閉じ込めることによって議論の舞台から締め出そうと しているに過ぎない。 自分だけが超越的な視点で作品を眺めることができ、その眼差しを消去することが可能だというのは、全くお目出度い 姿勢だというべきだろう。 だが一方で、脱審美化された美的経験を重視しながらも、聴衆類型論で良き聴き手を囲い込み、非形象的な音楽を 優位におき、更には直接的な感情的応答を超え出た批判的応答を芸術作品の「真理内容」とすることで、 批判哲学の居場所をちゃっかりと星座の中にとっておく姿勢は、それが結局、今、ここには不在の規範的な 「真なるもの」を目がけている点でやはり疑わしいものとなる。

分裂はユートピアにおいて解決されるべき何かなどではないのではないか? アドルノがマーラーの第8交響曲に対して示した両義性―「救い主の危険」―は自分に対しても向けられるものだ。 多分アドルノ自身も自覚していたことだと思うが。マーラーに何か共感できるものがあるとしたら、それは矛盾のうちに、第2,3,8交響曲と第6,9交響曲および「大地の歌」とを同一の人間が書いたという矛盾のうちにある。どれかが他を回収するわけではない。共感は、そのいずれか一方についてのそれではなく、矛盾と感じられるとしても、にも関わらずその両方が共存しうるということそのものの裡にある。そしてユートピアが文字通り、現実に決して場所を持つことがないという認識の下において、分裂は寧ろ不可避なものなのではないのか?分裂が刻印された音楽こそ、現実の最中において、手を差し伸べ、Courage to Be(ホルブルック)を与えてくれるのではないか?Overcoming depression without drugs(スナイダー)を可能にするのは、まさにその矛盾から目を背けようとはしないが故ではないのか?(2007.12.31公開, 2023.7.7加筆)

マーラーを語ることの困難

偉大な作品について書き、それを公表することは困難だ。 それは大変な勇気を要する。私が何を加えることが出来るのか?
「~について語る」ことが出来るほどに、ある対象について知悉しうるのは決して簡単なことではない。 結局、そのためには充分な時間とコストが必要なのだ。 時間をかけずに、何かを産み出すことはできない。 全ての作品を知らねばならない、というつもりはないにせよ、ほとんどの作品を憶えているくらいでなければ、語ることは難しい、、、
知らずに書くことは恐ろしい。またわからずに書くことも。 何とたくさんの間違いが蔓延って、大きな顔をしていることか。 私もまた、その愚を犯そうというのか?

自分の聴き方に対して反省してみる余裕ができれば、書くことは難しくなる。一通り聴いて全体を捉ええたと 思われるくらいが丁度良い。 文献を読むのは、第一印象が薄れるからではなく、視点の多様性を自分の立つ位置の相対性を認識することで、 そうした反省を生じさせる故に危険なのだ。 独断的な潔さをもって熱中の対象を描き出すのは悪いことではない。 だが、多分、その先に進まなければ、本当に何かを論じることはできない。

音楽一般「について」考えを纏める事はやらないほうがいいだろう。 それだけの時間がない。 音楽そのものについて語るには素養が無さ過ぎる。 だが何と多くの誤解と事実の無視が、基本的な考え違いが音楽の周囲にあることか。
それらに対しては「否」を言わなくては、と思う。 「現象から身を離しつつも」、そこでは赦し難いものを感じる。
音そのものに対する興味、関心というのは、共有しない。 勿論音楽家は興味を持ってよいのだろう。 私が聴き取りたいのは音の構造の水準ではなく、それを支える「何か」の方だ。 そうでなければ音楽家でもない私が何かを言う意義はない。

とりあえずマーラーの音楽は「古典」である。それは同時代性の限界を乗り越えて、文化の違いを乗り越えて、今日の極東の地で聴かれ続けている。 そうであるとすれば、それは「古典」に接するときに生じる問題―その作品が生まれた文脈は既に喪われてしまっていて、間接的な知識というかたちでしか それを理解する手段がないという限界を持っている。マーラーが生きた時代についての、マーラーが己の作品を産み出す素材とした思想的背景についての 知識が増すことは、マーラーの音楽の理解にとって無意味ではないだろうが、一方で、それを幾ら知ったところで、自分が生きている時代がそれとは 全く異なる時代なのだということを忘れてはなるまい。知識の量が経験の質を担保することは、結局ありえないのだ。特にそうした知識を豊富に持つ 人たちは、我が事のようにマーラーに向き合う聴き手の素朴さを嘲笑うが、そのくせマーラーの音楽が世代を超えて生き続ける理由について、 そうした素朴な聴き手以上に多くのことを掴んでいるようには見えない。要するにそういう人達は、マーラーの音楽を過去に閉じた、完結したものとして 扱っているのだ。その姿勢の骨董品の来歴について得々と語るのとなんと似ていることか。

2007年12月26日水曜日

ナターリエ・バウアー=レヒナーの回想録:音楽シーズン1901~1902年の章に出てくる歌劇「ゼッキンゲンのラッパ手」についてのマーラーの言葉

ナターリエ・バウアー=レヒナーの回想録:音楽シーズン1901~1902年の章に出てくる歌劇「ゼッキンゲンのラッパ手」についてのマーラーの言葉(1923年版原書p.173, 邦訳p.451)
Mahler erzählte aus alter Zeit, daß er in Prag aus Verzweiflung, den greulichen "Trompeter von Säkkingen" so oft dirigieren zu müssen, in einer lustigen Stunde sich den Spaß machte, aus der ganzen Oper das Leitmotiv herauszustreichen, wie sie auch von nun an ohne Einbuße (alles ist ja in diesem "Schund" gleich wichtig oder unwichtig) dort so aufgeführt wurde ! Der Intendant sagte zwar einmal, es komme ihm so merkwürdig vor, als fehle etwas darin; aber was es war, dahinter kam er nicht !
"Dieses Machwerk ist übringens so, daß man gerade so gut alle Bläser oder, wahrhaftig, sämtliche Streicher daraus entfernen könnte, ohne daß es jemand merkte, da alle Instrumente : Bläser, Streicher, Schlagwerk, immer genau dasselbe spielen !"
こちらは自作の「ゼッキンゲンのラッパ手」ではなくて、ネスラーの歌劇に関する、ナターリエ・バウアー=レヒナーの回想録に収録されたマーラーのコメントで、 彼のネスラーの作品に対する評価が端的に窺える言葉である。
ネスラーの歌劇を聴いていないのは勿論、私にとってはそもそも歌劇というジャンル自体が疎遠なものなので、この評価の当否を云々しようとは思わないが、 この言葉が回想ならではの誇張でないのは、例えばハンブルク時代にイギリス公演を行った際に、ドイツで当時話題の作品であったこの歌劇の イギリス初演がその演目の一つに含まれていたにも関わらず、その指揮をマーラー自身は行わなかったことによっても確認できるようである。(2007.12.26)

フリッツ・レーア宛1884年6月22日付けカッセル発の書簡にある「ゼッキンゲンのラッパ手」についての言葉

フリッツ・レーア宛1884年6月22日付けカッセル発の書簡にある「ゼッキンゲンのラッパ手」についての言葉(1924年版書簡集原書18番, p.27。1979年版のマルトナーによる英語版では24番, p.77)
(...)
Ich habe in den lezten Tagen über Hals und Kopf eine Musik zum "Trompeter von Säkkingen" schreiben müssen, welche morgen mit lebenden Bildern im Theater aufgeführt wird. Binnen 2 Tagen war das Opus fertig und ich muß gestehen, daß ich eine große Freude daran habe. Wir Du Dir denken kannst, hat es nicht viel mit Scheffelscher Affektiertheit gemein, sondern geht eben weit über den Dichter hinaus. Deinen Brief erhielt ich eben, als ich die letzte Note in dir Partitur schrieb; wie Du wohl fühlen wirst, schien er mir mehr eine himmlische als irdische Stimme.(...)
マーラーの第1交響曲が、その初期の形態では2部5楽章からなる交響詩「巨人」として構想され、その第2楽章には現在では削除された「花の章」が 含まれていることは、今や良く知られていることだろう。第1交響曲の成立の経過の詳細はここでは割愛するが、その更に前史にあたる過程として、「花の章」が 「ゼッキンゲンのラッパ手」という劇付随音楽に由来することにちなんで小文をまとめたので、それにちなんで、ここではその「ゼッキンゲンのラッパ手」の作曲に まつわる書簡を紹介する。早くも半年後には否定的に眺められ、最終的にはマーラー自身により見放される作品だが、それにも関わらずここでのマーラーは、 作曲を終えたばかりの亢奮と高揚の裡にいるように見受けられる。(2007.12.26)

2007年12月16日日曜日

調査レポート「花の章とゼッキンゲンのラッパ手を巡って―林邦之さんに―」

はじめに

以下は、主にロマン派に加え、ヨーロッパの民族音楽にも興味をお持ちで、ドイツの学生歌に大変深い造詣をお持ちの林邦之さんの お問い合わせに応じて調査した結果に基づくものである。
もとのご質問は非常に専門的な性質のもので、私ごときの手に負えるものではなかったのだが、そのうち、以下については、何とか調査しご回答することができた。

  • 「ドイツ学生歌」のLPに含まれる”Lied des Trompeters von Säckingen”が歌詞上は、ドイツ民謡集 ”Allgemeises Deutsches Kommersbuch” に 掲載されている ハイデルベルクの学生歌”Alte Heidelberg, du feine- - - ”そのものであることに関連した、「ゼッキンゲンのラッパ手」に関する事実関係。
  • マーラーの第1交響曲の初期形態に含まれていた「花の章」と「ゼッキンゲンのラッパ手」との関係が具体的にどのようなものであったか。
  • 「ゼッキンゲンのラッパ手」に基づく歌劇に関連した情報について。

いずれも手持ちの文献に記載の内容で、私が一次資料を調査したわけではないが、このテーマについてある程度まとまった情報を日本語で 目にする機会は恐らくなかなかないものと思われるので、公開する価値があると考え、その調査内容をここにまとめておくことにする。

この項に記載する内容は上記のような経緯に基づくものである故、この文章自体がご質問いただかなければありえなかった。 ご質問がなければ、このテーマについてまとめることはなかっただろうし、私としては非常に貴重な勉強をさせていただいたと感じている。 この場を借りて、林さんには深い感謝の意を表したい。

1

「ゼッキンゲンのラッパ手」は、Victor von Scheffel作の韻文の小説(詩物語)である。 Scheffelは1826年Karlsruhe生まれ、1890年同地に没した作家・画家。 「ゼッキンゲンのラッパ手」は1853年に執筆、1854年に出版され、非常に評判を呼び、250版を重ねたということだから、当時としては 大ベストセラーだったのだろう。

今日でも同じようなことが小説と映画、テレビドラマ、演劇といったジャンルの間で行われることは珍しいことではないが、 当時もまた、このベストセラーに基づく翻案劇や、歌劇、それから「活人画」などが作成、上演されたようだ。 その中で最も著名なものは、Victor Ernst Nessler(1841-1890)による同名の歌劇のようである。これについては、歌劇場の指揮者 としてのマーラーとの関連もあるので、後ほど別に扱うことにする。

ところで、質問していただいた林さんがドイツ民謡集"Allgemeines Deutches Kommersbuch"所収の学生歌であることを突き止められた "Alte Heidelberg, du feine--"は、実はSchffelの作品の中に含まれているのである。Scheffelの原作は、現在Webでは Gutenberg-DE(ドイツのグーテンベルク・プロジェクト)で読むことができるので、 ご興味のある方は確認されたい。問題の詩は、"Zweites Stück : Jurg Werner beim Schwarzwälder Pfarrherrn" の中に含まる。(Jurg Wernerは、ラッパ手である主人公の名前。)

従って件の学生歌が"Lied des Trompeter von Säckingen"そのものを題名にしたことの経緯は別にして(それはそれで 調べれば興味深い事実が判明するかも知れないが)、それなりの根拠があるわけである。 学生歌や民謡は、常に匿名の伝承に由来するものとは限らず、このように比較的新しい時代に創作されたもので ありながら、原作が時代の流れとともに忘れ去られ、特に愛好されたその一部のみが、匿名性を持って流通する ということは珍しいことではないのは、例えば 梅丘歌曲会館の特に藤井さんがお訳しになられた詩についてのコメントなどを読めばわかる。 (その他にも、藤井さんがお調べになって判明した興味深い事実は―発見と呼べるようなものも含めて―色々とある。 まだご覧になっておられない方がいらしたら、是非、一読されることをお奨めしたい。)

一方、Scheffelの原作が更に、既存の伝説などに由来するものである可能性も否定できないが、こちらについては 残念ながら、マーラーに関する文献しか手元にない私には手に負いかねる問題である。例えば、実は事実はもう一度逆転し、 "Alte Heidelberg, du feine--"は、そのとき(つまり1853年時点で)すでに学生歌として存在していたものを、 Scheffelが取り込んだものである可能性だってないとはいえない。さらには、Der Trompeter von Säckingenの全体について それが下敷きにした伝説や民謡の類が存在するのかどうかについては何とも言えない。Scheffelの原作、 あるいはScheffelその人についての研究などがあれば(きっとあるに違いない)、それをあたるべきなのだろうと思うが、 私が憶測を重ねることは慎みむべきだと判断し、この点についての追求は断念した。

2.

マーラーと 「ゼッキンゲンのラッパ手」との関係は、今日の我々にとってのマーラー、すなわち交響曲作家としてのマーラーについて 言えば、些か間接的なものである。それは第1交響曲の生成史と関わりを持ち、改訂により今日 一般に演奏される4楽章の形態になる際に削除されてしまった「花の章」と呼ばれる楽章が、実は、マーラーが1884年に書いた 「ゼッキンゲンのラッパ手」の「活人画」のための付随音楽に由来するという事実によるのである。

マーラーは、1884年6月22日付けのカッセル発の友人のフリッツ・レーア宛書簡で、「ゼッキンゲンのラッパ手」の付随音楽の 作曲を行なったことを述べていて、その翌日の6月23日、勤務先の劇場で「活人画」と一緒に上演されることになっていることを述べている。 ちなみに「活人画」というのが、具体的にどういうものであったかはよくわからないようで、少なくとも私の参照している文献では はっきりしたことはわからない。(ほんの100年少し前の事なのに不思議な気もする。あるいは、音楽の―わけてもマーラーの ―研究者が知らないだけで、演劇史研究の専門家の世界では、事情が違ったりするのかも知れないが。)

第1交響曲の生成史については既にご存知の方も多いとは思うが、関連する、成立までの過程について改めて簡単にまとめると、 初演は1899年11月20日ブダペスト、彼は当時、当地の歌劇場の監督だった。初演の時には5楽章2部からなる「交響詩」として演奏されており、 プログラムには各楽章のタイトルもつけられている。

作品の完成については1888年3月のフリッツ・レーア宛書簡がその完成を告げる資料として知られている(アルマ・マーラー 編の書簡集所収)。実はこの手紙は日付がなく、3月にライプチヒから出されたということしかわからない。 いずれにしても、この作品の創作の最終段階は、ライプチヒの歌劇場で働いていた時代であることは確かなようである。

一方、創作の開始についてははっきりとしないようだが、1885年頃、すなわちカッセルの歌劇場時代の末期、 「さすらう若者の歌」の創作時期まで遡れるのは確かなようだ。(よく知られているように、第1交響曲の素材には、「さすらう若者の 歌」と共通するものが数多くある。)

ところで問題の「花の章」だが、自筆譜を検討したドナルド・ミッチェルによれば、使用された五線紙などを根拠に、それが 直接「ゼッキンゲンのラッパ手」の付随音楽のスコアが書かれた時期、すなわち1884年まで遡ると仮定することもできるようである。 (この点については、異論もあって、例えば、金子建志さんは疑問を述べられているが。) ただし、ミッチェルも、「花の章」が、「ゼッキンゲンのラッパ手」の付随音楽をそのまま転用したという決定的な証拠はない、と はっきり述べている。というのも、「ゼッキンゲンのラッパ手」の付随音楽の楽譜は、破棄されたか、そうでなくとも喪われていて、 少なくとも現時点ではそれがどのようなものであったかを直接知ることができないからだ。 (もっとも、ヨーロッパの歌劇場では喪われたと思われていた作品の楽譜が発見されたり、というのはよくあることのようなので、 今後、見つからないとも限らないが。)

にも関わらず「花の章」が、「ゼッキンゲンのラッパ手」と関係しているといえるのは何故かといえば、上掲のレーア宛の書簡以外に もう一つ、非常に重要な証言が残っているからなのである。それは、1920年(1930年としている文献もあるが、間違いの ようだ。Musikblätter des Anbruch II-7,8 (1920) Sonder-Nummber Gustav Mahler pp.296~。ただし元論文には私はあたれていない。 なおAnbruchには1930年にもマーラー特集があるので、上記の間違いはこれを混同したものと推測される。) にマックス・シュタイニッツァーが書いた論文で、著者が記憶している(!)、「ゼッキンゲンのラッパ手」の出だしのトランペットの旋律が 数小節記譜されており、それが「花の章」のそれと一致することが確認されている。 (もっとも、厳密には、シュタイニッツァーの論文のそれと、「花の章」では調性が異なるようで、これはこれで、マーラーが 第1交響曲を改訂した動機や、改訂の過程自体に関連した興味深い部分である。要するに、しばしば「花の章」の削除の理由として、 調的関係の相性の悪さが指摘されるようだが、その点について考える際に、この証言をどこまで考慮すべきかという問題があるように 思われるのだ。)

それでは、「花の章」の音楽は、「ゼッキンゲンのラッパ手」において一体どのような場面で用いられたものだったのだろうか? カッセルでの「活人画」の上演時には"7 lebende Bilder mit verbindende Dichtungen nach Viktor Scheffel von Wilhelm Benneck. Musik von Mahler"と告知されていたようだ。 ミッチェルの推測では、「花の章」はその最初の曲"Ein Ständchen im Rhein"であろうとのことで、それは 主人公のラッパ手ヴェルナーが、月夜の晩にライン川の対岸の城に住むマルガレーテのために吹くセレナーデだったようである。 またド・ラ・グランジュによれば、全曲はこのセレナーデの主題に基づき、その主題が変形されて 行進曲、愛の場面のためのアダージョ、そして戦闘の音楽に用いられたということだ。これは1970年の英語版でも、その改訂版である フランス語版第1巻でも、それぞれの作品解説で読むことができる。ちなみに、ラ・グランジュの著作に記載された各曲の題名は以下の通り。

  • Ein Ständchen im Rhein
  • Die erste Begegnung
  • Das Maifest am Bergsee
  • Trompeten-Unterricht in der Geissblattlaube
  • Der Überfall im Schlossgarten
  • Liebesglück
  • Wiedersehen in Rom

また、自筆譜の存在については1944年の爆撃によって喪われるまでは、カッセルの劇場のアーカイヴにあったが、 爆撃により喪われたと想定されているようだ。(この想定は、上記のシュタイニッツァーの論文での証言に 基づいている可能性が高いと思うが。)

自筆譜について言えば、この作品は、1884年にカッセルで上演された後、マンハイム、ヴィースバーデン、カールスルーエで 演奏された可能性がある。これはレーア宛の1885年1月1日付け書簡で触れられており、これに基づき、ド・ラ・ グランジュが調査したところによれば、ヴィースバーデンは記録なし、マンハイムは爆撃で記録自体が失われ、 辛うじて、カールスルーエでは1885年6月6日に上演された記録があるとのこと。(1973年の英語版注による。 フランス語版の注では6月16日だが、これは誤植ではないか。というのも英語版書簡集のp.81には カールスルーエでの演奏の予告記事のコピーが収録されているが、この予告では6月5日となっているからである。 ラ・グランジュが確認した上演記録が、マルトナーが書簡集に収めた予告とは別のものであるかどうかはわからないので、 5日の予定が6日になったのか、それとも6日もまた誤植なのかを判断することは私にはできない。なお、マルトナーは英語 版書簡集に付けた注で、マンハイム、ヴィースバーデンでの再演は行われなかったと書いている。 ラ・グランジュの本は大部なせいもあってか細かい誤植がかなり目立ち、資料的に用いる際には困ることがしばしばある。) したがって、もし今後楽譜の「発掘」調査をするのであれば、例えばカールスルーエの劇場とかも調査の対象としては 考えられるのではなかろうか。

ちなみにマーラーは、自分が書いたこの音楽について、作曲当初は「Scheffelの気取りとはあまり重なっておらず、その世界とは かけ離れたもの」だと自負し、満足していたものの、その後否定的な考えを持つようになり、既述の通り、一旦は交響詩「巨人」に 組み込まれた「花の章」も、最終的には削除されることになる。「花の章」ではない、そもそもの 「ゼッキンゲンのラッパ手」の音楽自体についても、マーラー自身の否定的な考えは、すでに上記の1885年1月の書簡にも 現われていて、それ以上の上演が行なわれるように運動するようなことはしない、と述べており、そして、上記 3つ以外の上演記録が確認されたという話はないようだ。

以上、マーラーの書いた「ゼッキンゲンのラッパ手」に関して、私が手元にある資料でわかっていることをまとめてみた。

3.

最後に、最初に予告したとおり、マーラーとNesslerの歌劇との関係について、若干補足したい。

このNesslerの歌劇はまさに問題の1884年に作曲、初演されたようだ。(初演は1884年5月ライプチヒで行なわれた。) この歌劇もまた、Scheffelの原作同様、非常に人気があったようで、現在でも、またしても典拠がわからないままそのうちの 一曲"Berüt' dich Gott, es wär' zu schön gewesen"が演奏されることがあるという記述がジルバーマンの「マーラー事典」にある。

ちなみにマーラーがScheffelの原作について否定的な意見を持っていたことは、既述の内容からも窺える通りだが、 このNesslerの音楽とマーラーの作曲とは勿論、無関係なもので、こちらについてもマーラーは否定的な見解を抱いていたことを 推測させる資料が幾つかある。 (作曲のきっかけとなった活人画の上演企画自体が、時期的に見てNesslerの歌劇の成功に刺激されてのもので ある可能性はミッチェルの言うとおり、充分にある。)

ただしNesslerの歌劇は当時流行の歌劇だったわけで、歌劇場指揮者であったマーラーは、演奏家としては没交渉で済ませることはできなった ようで、カッセルの次の勤務地であるプラハでの1885-86のシーズンに指揮をしたことが確認されている。 この上演については、有名なバウアー・レヒナーの回想に、マーラー自身の語った顛末が収められているが、そこでは Nesslerの歌劇についても、否定的な意見であったことがはっきりと窺えるのである。

更に後年、ハンブルクの歌劇場時代、イギリスに引越し公演をした際にも、プログラムには、Nesslerの歌劇が含まれている。 これは当時ドイツで大人気だったこの歌劇のイギリス初演で、それなりに注目を集めたことが当時の新聞記事などから窺えるようだ。 ただし、はじめからマーラーには、自分で指揮するつもりはなかったようで、フェルトという人が指揮をしたようだが。 (公演予定のパンフレットの写真が例えばブラウコップフの編集したドキュメント研究に含まれるので確認することが可能である。) まあ自分も同じ作品に作曲したことがあるわけで、作曲家としてのライバル意識のようなものが働いたということも考えられるのだが。

残念ながら、私はこの歌劇を聴いたことはないのだが、ちょっと調べてみると、何とCapriccio レーベルから2枚組みでCDが出ている ことがわかった。Amazonなどで検索すれば比較的容易に見つけられるようなので、ここでは詳細は記載しないが、マーラーの 評価の是非について関心をお持ちの方が確認すること、あるいはそうではなくても、この歌劇そのものに関心をお持ちの方が その内容を確認することは可能なようである。(2007.12.16公開, 12.18加筆修正, 12.26マンハイム、ヴィースバーデン、 カールスルーエでの再演に関して加筆修正)


2007年7月15日日曜日

第8交響曲に関するヴェーベルンのことば

第8交響曲に関するヴェーベルンのことば(Kühn & Quander (hrsg.), Gustav Mahler : ein Lesebuch mit Bildern, 1982, p.171, 邦訳p.375)
Diese Stelle bei » accende lumen sensibus « -- da geht dir Brücke hinüber zum Schluß des » Faust«. Diese Stelle ist der Angelpunkt des ganzen Werkes.
第8交響曲というのは私にとっては最も大きな躓きの石である。その音楽の持つ力の否定し難さと、その力に対する懐疑が拮抗する。 しかもこの後に続くのは「大地の歌」、第9交響曲、第10交響曲といった後期作品なのだ。その力の大きさに応じて、懐疑もまた深いものにならざるを得ないかの ようだ。
第8交響曲に対してアドルノが批判的なのは良く知られているが、実はそのアドルノの文章にも微妙なニュアンスが感じ取れる。そしてそのアドルノがヴェーベルンが 指揮した演奏のaccende lumen sensibusの部分に特に言及していることを知っていると、ヴェーベルン自身が上のような発言をしていることは一層興味深く 感じられる。(アドルノが、この発言を知っていた、ということは大いにありそうなことだが、事実関係の確認はできていない。ご存知の方がいらっしゃれば、お知らせ いただけるようお願いしたい。)ヴェーベルンにはヴァルターが指揮したウィーン初演に際して、シェーンベルクに宛てた書簡(1912年3月16日付け)も残っていて、 そこではヴァルターの解釈に対してかなり否定的なコメントをしているのだが、ではヴェーベルンその人の解釈は一体どんなものであったか、勿論今となっては 知る術もない。だが、私が実演に接した経験からも、この曲に凄まじい力をもった表現が存在するのは否定し難く、恐らくアドルノもまた、実演を聴いた 印象を頭で考えた理屈で否定することができなかったのだろうと思う。(良し悪しはおくとして、こういう点ではアドルノは「率直」で、自己の経験に忠実な人で あったように思える)。 それは丁度、初期作品における些かなナイーブな「突破」Durchburchの契機を、けれどもこれまた否定しさることができないのと通じるところがあると思う。 私見では第8交響曲とは、全曲がその「突破」の一瞬そのものであるような、例外的な音楽なのだ。
今の私にはこの曲について、何ら断定的なことをいうことはできない。マーラーを熱心に聴かれている方の中には改めてこの曲を肯定的に捉えようとする論調も あるようだが、私は残念ながら説得的には感じられないし、少なくとも今のところそれには同意できない。今の私には晩年の(例えば第14交響曲の) ショスタコーヴィチの姿勢の方がよほど説得力があるように感じられ、従って後期の、「大地の歌」、第9交響曲、第10交響曲のマーラーには共感できても、 第8交響曲には距離を感じずにはいられないのだ。だが謎がなくなったわけではないし、この曲を「なかったことにする」わけにはいかない。 そして、引用したヴェーベルンの言葉はきっと謎に対する大きなヒントになるに違いない、という確かな「感じ」があるのも事実である。 マーラーが生涯において一度きり、一曲の音楽全体を「突破」として形作ったその中でも、accende lumen sensibusの箇所こそ、 まさに「突破」の契機が剥きだしになって聴き手を圧倒する一瞬なのは確かなことだし。
第8交響曲が「客観的に」ユーゲントシュティル的な装飾なのか、マイヤーの言う簒奪の最たるものかどうかすら、実はどうでもいいのかも知れない。 かく言うマイヤーもそう認めているようにここにも少なくとも誠実さはある。それが都合の悪い部分だとしても、それに目を瞑って素通りをして済ませるわけには いかない。少なくとも私個人は。 多分、私にとっては、個別の音楽よりもマーラーその人の方が問題なのだろう。お前は結局音楽を聴いているんではない、という批判があれば、恐らく 甘受せざるを得ないのだろう。そう、私もまた、マイヤーがマーラーについて言った「ディレッタント」として、マーラーの音楽に接してきたし、今でもそうしているし、 今後もそうし続けるに違いない。私はそのようにしかマーラーに接することはできないのだ。別に開き直るわけではないが、もしマイヤーの言うことが 正しいのであれば、マーラーに私のように接することもまた、それなりにマーラーに相応しいと言えるのではないかと言いたいようには感じている。(2007.7.15)

ハンス・マイヤー「音楽と文学」より

ハンス・マイヤー「音楽と文学」より(Gustav Mahler, Wunderlich, 1966, pp.145--146, 邦訳:酒田健一編「マーラー頌」p.356)
(...)
Gustav Mahler ist ein (großartiger) Usuroator : auch in der literarischen Sphäre, wie in seinem Verhältnis zur Natur, wie in der Auseinandersetzung mit den religiösen Bereichen. Mahlers Kunst ist in einem so exzessiven Maße dazu bestimmt, der Selbstaussage zu dienen, sie ist in ihren tiefsten Impulsen so ausschließlich Autobiographie, daß alles andere daneben nur als Vorwand zu dienen vermag. Dieser große Künstler verhält sich zur Literatur zunächst wie ein naiver Dilettant, der beim Lesen von Gedichten oder Romanen alles verschlingt, was der Identifikation zu dienen scheint, so daß er alle Aussagen der Dichter danach prüft, ob sie ein Wiedererleben eigener Zustände gestatten, all jene Seiten jedoch überschlägt, die dafür nicht zu taugen scheinen.
(...)
この言葉を含むハンス・マイヤーの論文は大変に面白いもので、その内容が刺激的な点では最右翼に位置づけられると思う。私見では必ずしも全面的に 賛成というわけではないが、その指摘には鋭いものがあって、とりわけ引用した文章は、マーラーの音楽のある側面を非常に的確に言い当てていると思う。 歌詞に対する態度など、それを裏付ける事実にも事欠かない。
ただし、私はそうしたマーラーの態度をあまり否定的には捉えていない。それどころかかつての私は「それがどうした、他にどういう立場があり得るんだ」とさえ 思っていたほどで、さすがに現時点ではそこまで一方的に言うつもりはないものの、やはりマーラーの「簒奪者」的な性格を決して否定的には考えられない。 一つには、私もそうした「ディレッタント」的な姿勢で、文学にも―そして同様に音楽に対しても―接しているからに違いないが、もう一つには、―ここでは 私はマイヤーに同意できないのだが―、マーラーが時代の趨勢からも、その身振りからもその嫌疑は十分にあるにも関わらず、最後のところで「芸術至上 主義者」であったとは私には思えないからでもある。(それは彼が第一義的に「音楽家」であったし、そう感じていたということと矛盾しない。)
一般にはここで問題になっているのは「音楽と文学」の力関係であると読むのが妥当なようだが、私個人としては少なくともマーラーの場合、その平面に 問題が留まることはないと感じている。あるいはまた、マーラーが亜流、終止符なのか、それとも新たな始まりなのかは、 異邦の別時代の人間であり、音楽研究者でも文学研究者でもない私には大した問題ではない。けれども、マイヤーの以下のような指摘―そこでは、 もはや「音楽と文学」の力関係など問題になっていないようだが―は(シャガールとカフカについては判断は控えたいが、少なくともマーラーに関しては) 的確だと思うし、矛盾に満ちて、些か強引ではあるが疑いも無く誠実であり、自分の立っている基盤の脆さについて意識していて、それが作品にも 映りこんでいるという、私にとってのマーラーの音楽の魅力と謎の源泉を言い当てているように感じられるのである。(2007.7.15)
(...) sie (= Mahler, Kafka, Chagall) sind auf der Suche nach einer neuen Naivität, der sie im Grunde mißtrauen. Aber diese Brüchigkeit eben haben sie in ihren besten Werken nach Kräften gestalten wollen. So entstand eine wahrhaftige Kunst, denn die bequeme Harmonie war ausgespart worden. (...)
同上(Gustav Mahler, Wunderlich, 1966, p.155, 邦訳:酒田健一編「マーラー頌」p.364)

2007年7月7日土曜日

アンリ・ルイ・ド・ラ・グランジュ「マーラー」第1巻(フランス語版, 1979)第1章(p.9)より

アンリ・ルイ・ド・ラ・グランジュ「マーラー」第1巻(フランス語版, 1979)第1章(p.9)より
Il n'avait pas cinq ans lorsqu'on lui demanda ce qu'il rêvait de devenir plus tard. La réponse de Gustav Mahler fut aussi surprenante que la question avait été banale : « Je veux être un martyr ! »
Sans doute Arnold Schoenberg ne connaissait-il pas cette anecdote et pourtant il allait s'exclamer, après la mort de Mahler : « Ce martyr, ce saint ... peut-être était-il écrit qu'il nous quittât? ... » Certes, l'histoire de sa vie suffit à détruire la légende aussi absurde que tenace d'un Mahler crucifié par les tragédies personnelles, les deuils, les drames et toutes les catastrophes qui forgent l'âme romantique. Quoi qu'il en soit, Mahler fut réellement un martyr et cela au sens littéral du mot, c'est-à-dire un homme qui met sa vie, toute sa vie en jeu pour sa croyance, un homme pour qui le sacrifice est accomplissement. Sa religion de la musique, son douloureux idéal de la perfection devaient en faire la victime désignée des philistins de la tradition, de la routine et de la facilité. Pour lui, l'acte de musique passait par la contrainte de soi-même, par la souffrance. Il sera donc un martyr de la musique au même titre que Flaubert un martyr des lettres.
同じくアンリ・ルイ・ド・ラ・グランジュのマーラー伝の今度は本文の冒頭である。子供の頃何になりたいかと聞かれて、殉教者になりたいと答えた このエピソードもまた有名なものだが、これを冒頭に置き、またしてもシェーンベルクの言葉を引きながら、マーラーが結局、音楽の殉教者であったという 規定をするところから、この長大な伝記が始まるのである。
個人的なことになるが、もう20年ちかく前に、このアンリ・ルイ・ド・ラ・グランジュの伝記ではなく、ドナルド・ミッチェルの研究の最初の巻を読んだ時に、 膨大な伝記的情報が、音楽を聴くことで自分の中に勝手に作り上げていたマーラーのイメージと一致せず、身勝手な親近感に冷水を浴びせかけ、 距離感をもたらすことになった経験がある。だから伝記には楽聖伝説の類を破壊する効果があるという言葉には頷けるものがある。否、楽聖伝説の 類には興味がなくても同じことだ。同じ中部ヨーロッパに住んでいるならまだしも、それは自己の想像力を遙かに超えた距離の向こう、時空の彼方にあるのだ。 評伝を幾つかと、とりわけアルマの回想録を、その内容をそらんじられるほど読んで、すっかりマーラーを「わかった」気になっている愚かな若造に対して、 自分の知らぬ人、自分の知らぬ土地やものをこれでもかとばかりに延々と提示することで、自分がわかったと思ったのがどんなに浅はかな思い込みに 過ぎないかを思い知らせる効果が、このような伝記には確かにあるのだ。量はここでは質的な効果を持っていて、結局、ある人の生の厚みを そのまま追体験することなど勿論出来はしない、そのわかりきったことを、ともすれば忘れてしまう浅慮を粉砕する強度は、まさにその量に由来するのだろう。
それでは、音楽の殉教者という規定の方はどうか?それは間違いではないのだろうと思うが、こちらもまた、私にとってはマーラーという人の「理解しがたさ」を 象徴するようにさえ感じられる。そうした人間の書いた音楽が自分を惹きつけるのは何故なのだろうか、あるいはまた、自分は本当にその音楽を 理解しているのだろうか、という問いは恐らくなくなることはないのだろうと思う。マーラーのような「時代の寵児」の伝記であれば、恐らく別の読み方― 時代を知るためのコーパスとして用いるような―もまた可能なのだろうが、残念ながら私にはそうした視点の移動はできそうにない。 私にとっては、マーラーの音楽の特異性がまずもって問題なのだから。それゆえ私にとって、伝記というのは直接謎に答えてくれる情報を提供してくれるものではない。 そもそも伝記もまた、「客観的な事実」を伝えるものではなく、ある人物の生の軌跡を浮び上がらせるために、できるだけ多くの視点を提供することに あるのだし。それゆえ必要に応じて伝記を参照することは、寧ろ、過度の熱中による思い込みを防ぎ、適当な距離感を持つために必要なものと 感じている。(2007.7.7マーラーの誕生日に)

アンリ・ルイ・ド・ラ・グランジュ「マーラー」第1巻(フランス語版, 1979)序文(p.5)より

アンリ・ルイ・ド・ラ・グランジュ「マーラー」第1巻(フランス語版, 1979)序文(p.5)より
« Si l'on savait comment Mahler nouait sa cravate, on apprendrait plus qu'en trois années de contrepoint au Conservatoire » : cette boutade d'Arnold Schoenberg suffira, nous l'espérons, à justifier aux yeux du lecteur la démesure de notre entreprise biographique.
マーラーの伝記的研究の金字塔とされるアンリ・ルイ・ド・ラ・グランジュの「マーラー」はまず第1巻のみ英語で1973年に出版されたが、続巻が 刊行されること無く、増補改訂版第1巻が今度はフランス語で1979年に出版される。上記はこのフランス語版の第1巻の序文の最初の一文である。
フランス語版は結局3巻本、総ページ数で3000ページを超える大著となるが1984年に一旦完結する。しかし、その後更に増補・改訂の作業が 行われ、再び英語版で全4巻のうち第3巻までが現在刊行済み、最後の1冊もすでに刊行予告はされていて、その完結が待たれている状態にある。 永らく参照されてきたフランス語版も新しい英語版の完結によりその使命を終えることになるのだろう。その膨大な分量から、マーラー文献として 必ず言及されはしても、これまで日本語訳が刊行されたことはなかったが、そうこうしているうちに結局翻訳はなされずじまいになりそうである。
この大著の冒頭、このような大部な伝記を書くことの意義を述べるために、いきなりシェーンベルクのことばが引用されるのは非常に印象深い。 今日的な冷静な視点からは、この言葉はマーラーの「神格化」の証拠扱いされるのであろうし、アンリ・ルイ・ド・ラ・グランジュ自身の時折あまりにも素朴な 伝記主義に留保がつくのもわからなくもないが、いずれにせよ、ある個人についてこれだけのドキュメントが書かれたという事実に対する驚きがそれに よって減殺されることはないだろうし、マーラーの音楽の魅力が、その生き様との密接な、そして(時として、あまりに)「誠実な」関係にあることも 否定することはできないだろう。(2007.7.7マーラーの誕生日に)

リヒャルト・バトカ宛1896年11月18日付けハンブルク発の書簡にあるマーラーの来歴についての言葉

リヒャルト・バトカ宛1896年11月18日付けハンブルク発の書簡にあるマーラーの来歴についての言葉(1924年版書簡集原書197番, p.213。1979年版のマルトナーによる英語版では185番, p.197)
(...)
Ich bin 1860 in Böhmen geboren, habe den größen Teil mainer reiferen Jugend in Wien verlebt. Seit meinem 20. Lebensjahre gehöre ich meiner äußeren Tätigkeit nach, dem Theater an. Ein Jahr hindurch (85--86) war ich auch als Kapellmeister in Prag tätig, wie Sie sich vielleicht noch erinnern werden. Als schaffender Künstler trat ich zum ersten Male mit der Ausarbeitung und Vollendung der "drei Pintos" von Weber vor die Öffentlichkeit; ein Werk, das seinerzeit auch in Prag unter meiner Leitung in Szene ging.
Komponiert habe ich seit meiner frühesten Jugend alles, was man nur komponieren kann. -- Als meine Hauptwerke bezeiche ich meine drei großen Symphonien, von denen die beiden ersten schon zu verschiedenen Malen, die letze (III.) nur mit einem Bruchstück -- eben dieses "in Schwung gekommen" (Blumenstück) -- zu Gehör gekommen sind. (...)
この書簡はマーラー自身による簡単な自伝的紹介とともに、当時の自己認識が伺える貴重な資料である。 Willi Reich編の1958年のアンソロジーGustav Mahler : Im eigenen Wort -- Im Worte der Freunde (Die Arche)では2月18日付けとされている。どうやら ローマ数字なのか、アラビア数字なのかの解釈の違いで2月説と11月説があるようだが、ここでは第3交響曲の完成時期(同年の夏)や第2楽章の部分演奏の 時期(同年11月9日、ニキシュ指揮ベルリン・フィル)などを考慮して、マルトナー版に従う。
宛先のリヒャルト・バトカはプラハのPrager Neue Musikalische Rundshauの編集者で、マーラーについての紹介記事を書くことを企画してマーラーに問い合わせを してきたものに応じたのが上記引用を含むこの書簡である。 すでにブダペスト、ハンブルクとキャリアを重ね、前年末には第2交響曲の全曲初演を成功させたマーラーが、すでに10年近く前のにヴェーバーのオペラの補作と 自分自身による上演について書いているのは、この書簡の背景を考慮すべきであろう。
マーラー自身がこの時点で自分を交響曲作家として認識していることはその後に続く文章より明らかであり、第3交響曲をその夏に完成させ、 第2楽章の部分上演がつい10日前に行われたばかりの時期であることを考え合わせるとマーラーの意気込みが伝わってくるように感じられる。
この書簡では、この後に第3交響曲の全曲演奏への期待とともに、有名な「ディオニュソスの神、偉大な牧神を誰も知らない」という言葉を含む解説が 続くのであるが、それはまた別の機会に紹介することとしたい。(2007.7.7 マーラーの誕生日に)

2007年6月30日土曜日

アドルノのウィーン講演(1960)より

アドルノのウィーン講演(1960)より(Taschenbuch版全集16巻pp.337--338、邦訳:酒田健一編「マーラー頌」pp.317)
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In Mahlers Musik wird die beginnende Ohnmacht des Individuums ihrer selbst bewußt. In seinem Mißverhältnis zur Übermacht der Gesellschaft erwacht es zu seiner eigenen Nichtigkeit. Darauf antwortet Mahler, indem er dir Form setzende Souvränität fahrenläßt, ohne doch einen Takt zu schreiben, den nicht das auf sich selbst zurückgeworfene Subjekt zu füllen und zu verantworten vermöchte. Er bequemt sich nicht der beginnenden Heteronomie des Zeitalters an, aber er verleugnet sie nicht, sondern sein starkes Ich hilft dem geschwächten, sprachlosen zum Ausdruck und errettet ästhetisch sein Bild. Die Objektivität seiner Lieder und Symphonien, die ihn so radikal von aller Kunst unterscheidet, die in der Privatperson häuslich und zufrieden sich einrichtet, ist, als Gleichnis der Unerreichbarkeit des versöhnten Ganzen, negativ. Seine Symphonien und Märsche sind keine des disziplinierenden Wesens, das triumphal alles Einzelne und all Einzelnen sich unterjocht, sondern sammeln sie ein in einem Zug der Befreiten, der inmitten von Unfreiheit anders nicht zu tönen vermag denn als Geisterzug. Alle Musik Mahlers ist, wie die Volksetymologie eines seiner Liedertitel das Erweckende nennt, eine Rewelge.

アドルノの、これは1960年のマーラー生誕100周年記念の講演の末尾の部分。歌曲「起床合図」に言及した最後の文章は特に有名だろう。 (これにちなんで言うと、対をなす「少年鼓手」の方は、処刑を前にしてGute Nacht!と叫んで終わるのであって、内容上もまさに対をなしている。また 目覚めているということでいけば、同じWunderhornliederの中のDer Schildwache Nachtliedでは、Verlone Feldwachtが登場し、最後は 終止形に到達することなく、Feldwachtという単語を引き伸ばして終わる。勿論、更にRückert LiederのUm Mitternachtへと連想を延ばすこともできるだろう。)

アドルノは社会と個人の関係を問題にするが、―そしてそれは勿論正しいのだろうが―、個人が己の価値の無さに思い当たるのは、別に社会の力に よってだけではないだろう。個人が社会に拘束されているという契機を軽視することはできないだろうが、それでも、社会的なものだけが個人を制約する わけではない。生物学的な限界もまた存在する。ここでアドルノがいわゆる中期のマーラーの「客観性」への言及で話を結んでいるのは、そういう意味で 妥当なのだ。だが、後期はどうなのか、後期様式に見られる―シェーンベルクがとりわけ第9交響曲について指摘した類の―非人称性についてはどうなのか、 というのが最近の私の関心の中心の一つである。社会がどうであれ、「否定性」というのは主観に、意識に予めプログラムされた徴なのではないか、と思えて ならないのだ。意識というのは、遺伝子の搬体たる生物としての個体に比べてもなお、儚く取るに足らないものなのだから。

そうした問題はおくにしても、このアドルノの指摘の的確さは、全く驚異的だと思う。マーラーの音楽がそうした儚い「主観性の擁護」であるという考えは、 まさにこうしたアドルノの言葉で言い尽くされてしまっているとすら思えるほどである。

なお、この講演は酒田健一編の「マーラー頌」で読むことができるが、それ以外にも例えば、シュライバーのマーラー論の「証言」の棹尾を飾るものとして 収めされている(ただしDie Objektivität seiner Lieder und Symphonien, 以降最後まで)。ただし、こちらの邦訳はその最初の文の従属節の解釈がおかしくて、 それだけ読むと、意味が逆転しているようにとれてしまうし、その後の文章も、恐らくはわかりやすくしようとして節の順序を入れ換えたり、原文の構造を崩して 言い換えたりしているのだが、結局、かえって意味がとりにくくなっているように見受けられるので、邦訳を利用する場合には注意が必要だと思われる。

別にけちをつけるのが目的でやっているのではないから、こうやって引用にコメントするたびに邦訳に対する疑義を書くのは本意ではないのだが、 幸か不幸か、そうせざるを得ない場合が多いのは遺憾なことだ。だが、気づいてしまったものを書かなければ備忘の用をなさないので、 止む無くコメントを残しておく次第である。(2007.6.30)

2007年6月23日土曜日

ヴァルターの「マーラー」より:その「人」についての回想

ヴァルターの「マーラー」より(原書1981年Noetzel Taschenbuch版p.113, 邦訳p.207):その「人」についての回想
Es ercheint mir als die große moralische Leistung seines Lebens, daß er sich niemals über die Qualen der Kreatur und die seelischen Leiden der Menschheit mit dem achselzuckenden Ignorabimus des Philosophen beruhigte, um den Blick ungestört dem Schönen und Beglückenden des Weltbildes zuwenden zu können. » Daß du ihr Vater nicht, daß du ihr Zar «, diese Worte aus der Totenfeier des Mickiewicz konnte er in düsteren Momenten auch zu Gott sagen. Aber dann fühlte er wieder, daß hier ein Mißverständnis walten müsse, und blieb der Aufgabe, die ihn gewählt hatte, treu: zu leiden und einen göttlichen Sinn darin zu suchen.
ヴァルターはここで晩年のマーラーが彼宛に送った書簡を思い浮かべながら、マーラーの「態度」について非常に説得力のある説明をしていると私には思われる。 この文章には、長年に亙ってマーラーと親しく接した人ならではの、決して一時の印象に引きずられない視線が感じられる。(もとの書簡も「語録」の方で 紹介しているので興味のある方は参照されたい。)
こう言ってしまえば身も蓋も無いかも知れないが、人間は矛盾に満ちた存在で、その歩みは決して論理的に整合的なわけではない。ある経験を介して、 一方の極から他方の極へと飛躍することだって、無くはないし、それを責めることは(少なくとも我が身を振り返れば)できない。 ヴァルターはそうしたマーラーの歩みに見られる不変項を取り出しているのであろう。 そしてこうした印象が決して個人的なものではなく、例えば、決して親密とはいえなかったヴァルターとアルマの両方から 聞けるというのは、それが必ずしも主観的な偏見の産物とは言えないことを示しているだろう。アルマもそうだが、ヴァルターにしても決してマーラーの「欠点」に 対して盲目だったわけではないのは、この回想を通読すればはっきりと窺えることでもあるし。
だが、これはマーラーの「人」に対してのコメントであって、その音楽はまた別のものだ、という意見に対しては、ヴァルター自身の以下の言葉が 反論することになる。(2007.6.23)