フリッツ・レーア宛1884年6月22日付けカッセル発の書簡にある「ゼッキンゲンのラッパ手」についての言葉(1924年版書簡集原書18番, p.27。1979年版のマルトナーによる英語版では24番, p.77, 1996年版に基づく邦訳:ヘルタ・ブラウコップフ編, 『マーラー書簡集』, 須永恒雄訳, 法政大学出版局, 2008 では27番, p.32)
(...)
Ich habe in den lezten Tagen über Hals und Kopf eine Musik zum "Trompeter von Säkkingen" schreiben müssen, welche morgen mit lebenden Bildern
im Theater aufgeführt wird. Binnen 2 Tagen war das Opus fertig und ich muß gestehen, daß ich eine große Freude daran habe. Wir Du Dir denken kannst,
hat es nicht viel mit Scheffelscher Affektiertheit gemein, sondern geht eben weit über den Dichter hinaus. Deinen Brief erhielt ich eben, als ich die letzte
Note in dir Partitur schrieb; wie Du wohl fühlen wirst, schien er mir mehr eine himmlische als irdische Stimme.(...)
(…)ここ何日か大急ぎで、「ゼッキンゲンのラッパ吹き」のための音楽をやっつけなければならなかった。そいつは明日、劇場で舞台をつけて上演される。二日以内で仕上げたが、正直言っておおいに楽しんだ。君も察するとおり、その曲はシェッフェル流の気取りを必ずしも受け継がずに、まさしく詩人をはるかに凌駕するものだ。総譜に最後の音符を書き付けている折も折、君の手紙を落手。君もきっと感じているだろうが、この手紙は僕にはこの世のものというより天上の声のように思われたよ。(…)
マーラーの第1交響曲が、その初期の形態では2部5楽章からなる交響詩「巨人」として構想され、その第2楽章には現在では削除された「花の章」が
含まれていることは、今や良く知られていることだろう。第1交響曲の成立の経過の詳細はここでは割愛するが、その更に前史にあたる過程として、「花の章」が
「ゼッキンゲンのラッパ手」という劇付随音楽に由来することにちなんで小文をまとめたので、それにちなんで、ここではその「ゼッキンゲンのラッパ手」の作曲に
まつわる書簡を紹介する。早くも半年後には否定的に眺められ、最終的にはマーラー自身により見放される作品だが、それにも関わらずここでのマーラーは、
作曲を終えたばかりの亢奮と高揚の裡にいるように見受けられる。(2007.12.26 執筆・公開, 2024.8.12 邦訳を追加。)
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