2007年12月31日月曜日

マーラーへのアプローチについての断想(2008以前)

時折浮上する疑問がある。100年前に遠い異郷に生きた天才、セレブリティが一体、私に何の関係があるのか?だが、それを除いてしまったら、今度は何が残るのか?否、何かが残る必要などあるのか?といったこと…いずれにせよ、懐疑は残る。だが、一方でそれを「無きもの」にすることは多分できない。 そのことはますます明らかになりつつある。 他の音楽が視界から消えたとしてもこれは残ってしまう、唯一かどうかはどうでもいい。 残ってしまうもののうちに含まれることは確かなのだ。

音楽を選択することが逸脱になるかならないか、という基準について言えば、マーラーのようなケースは音楽を選択することに問題はなかった。音楽家であることには疑問の余地がない。普通の人間が文章を書くように、音楽を書くことができたに違いない。但し指揮者と作曲の葛藤はあった。だが、重要なのは、職業的な作曲家ではないということ。注文に応じた作曲はない。彼は書きたい音楽を 書きたいように書いた。良きにつけ悪しきにつけ彼は職人ではなかった。この点は重要だ。 プロ意識というのも作曲についてはなかった筈だ。(それは自分を作曲家と自己認識するということとは異なる。 彼は指揮者としては、現場の現実から最善のものを作り出す柔軟性をもったプロだった。だが作曲家としては どうだったか。)そのかわり、彼は自分の内面の声には忠実だった。書くものが中にあればこそ、書いたのだ。

勿論作曲の作業は、一瞬の霊感の賜物などではない。だが、生まれつきの音楽家であることに加えて、そのように 日々訓練すれば、流れるものを書き留めるかのように作品を創る瞬間があったのは、不思議でもなんでもない。 普通の人間なら、もっと単純な身体技能のようなものを習得するのと同じようにして、彼は作曲に対したのだろう。天才神話は不要だ。だが、或る種の技能の習得として、脳の神経ネットワークの訓練の結果として、その創作プロセスを 考える必要はある。そして、その能力は一般に他の能力、人格的な偉大さなどとは、ひとまず別のものとして考える べきなのだ。

当時の聴き手にとってどの様に聴こえたか、というのはどうでも良い。(マーラーの場合はブラウコップフのZeitgenosse der Zukunftという キャッチがきいて、ショスタコーヴィチ程は問題にされない―ただし、如何に「受け入れられなかったか」の強調はさんざん行われたが。 実際には、半分は間違っている。生前から、作曲家としても認められた存在であったことは確かなのだ。 ポレミックな存在であったことは確かだが。)他方で、Kuehn/Quanderに収められた図録を見ると、疎外感、違和感、時代と地域の差を感じてしまう。私は、そのようには聴いていない。その音楽は、生まれた環境に拘束されたものとしては聴いていない。 私の自分の耳の訓練の歴史に拘束されてはいるが、マーラーの音楽を、歴史的な遺産として聴いているのではない。 マーラーを聴くことは、博物館に行くことではないのだ。

マーラーは大指揮者であったから、マーラーを主題としなくても、文化史の中でのその位置づけを 描き出すことそのものが一つの主題となりうる。だからマーラーを巡る文化史的研究が盛んになったのは首肯できる。一方、その結果がマーラーの音楽とどのように関係しているか―同時代における受容史を 含めて、あるいは素材としての、環境としての音楽的文学的哲学的バックグラウンドが 明らかにされることが、曲の理解に寄与するであろうことは別段、否定されるべきことでもない。だが、それとマーラーの音楽が持っている豊かさを明らかにすることは、完全に一致してしまうことはない。いくら伝記的事実が明らかになり、作曲者の人となりがわかっても、それが曲の説明になる訳では ないのと同様だ。

勿論、カントやショーペンハウアーを読み、天文学、物理学に関心を示す人物の産み出す音楽は ―前提として、何をその音楽から読み出しうるのかの可能性について―そうした嗜好のない人物の それとは異なっていることには疑問の余地はない。―この違いが無視できるほど作品の中立性と いうのは大切な立場ではない。楽曲分析は、通常、その音楽の特異性を、固有の構造を明らかに しようとするよりは寧ろ、伝統的な既存の道具により、逸脱を、ルール違反を検出する。勿論、ルール違反にプラスの価値を与える様な符号の逆転はありうるが、結局、その音楽の 特徴は、ネガティヴな距離によってしか測れないことが多い。マーラーその人が音楽学者の分析を嫌ったのは、それが内容・形式の二分法を持ち出して、 内容を置き去りにすること、そして、形式はといえば、それを適切な言語で記述できないことへの 苛立ちがあったに違いない。その証に、内容のほうについてだって、標題や解説の類だって、拒絶の対象になっている。それよりは「直観」の方が、音楽に虚心に耳を傾けて得るものの方が信頼できると考えるのは ごくまっとうな反応だろう。

だが「直観」を語るとき、それに応じた語が、形式が必要なのだ。Adornoがした様に、それは対象に応じて、その都度、用意されねばならない。してみればAdornoは出発点では少なくとも間違っていない。問題はその分析の目的、 最終目的が結局、マーラーをそれが産まれ出た文脈に還元してしまいがちな点だ。作品が、時代を超えて(永遠に、とは行かなくても)生き続けるという契機を、それは軽視しすぎている。

一方で、受容史というのも、今度は個人の聴体験を、その経験の背景にある文化的社会的な文脈に還元して しまいがちである点で、生産の極での社会学的研究と五十歩百歩だ。Adorno風の観相学こそ可能ではないが、 例えば演奏会評をコーパスとした研究等がそれに近いものとして可能になるだろう。だが、それは作品と作品を聴く体験の現場については語らない。研究としては重要なのだろうが、それによって音楽が語るものに近づくことは難しいだろう。せいぜいが―どんなに優れたものであっても、アナール派の歴史学が可能にしたような、あるいは 構造主義的な社会科学が可能にしたような、機能主義的な説明の水準にとどまり、個別的な経験の質は救えない。

これは意識の哲学におけるハードプロブレムと丁度並行している。だが、クオリアを 捉えようという企ては―Negelのような不可知論者はいるが―全く手段がない訳ではない。それと同じことが音楽を聴くことで得られる経験についても言える筈だ。他の音楽はおくとして―このレベルでは音楽一般というのを語るのは多分不可能だ―マーラーの音楽に限れば そうした企ては正当化されうる。逆にそういう音楽でなければ、結局、興味を持つことができないのだ。

ありきたりの楽曲分析では不充分だ、というAdornoの発言は正しい。だが、だからといって作品から創作の現場に飛躍できるというのは正当化できない。Adornoのあの理念の歴史としての社会的背景の解読の観相学の性急な図式化の部分は幸い、その後の研究により 中性化され、より実証的な(装いをもった)文化史、社会学的な研究が主流になった。だが、伝記が作品へと辿り着けないのと同じで、そうしたマーラー研究も作品には辿り着かない。桜井のマーラー研究が熱意と実証精神にあふれる素晴らしいものであったとしてもそれは作品には到達しない。否、de La Grangeすら―彼は作者と作品の結びつきを主張することについて、少なくとも権利上は最も大きな 権利を持っているはずだが―それは一筋縄ではいかないことを語る。Mitchellの生成史もそうだ。

結局、もう一度、楽曲分析の近傍まで戻らなくてはならない―実のところAdornoの論の説得力は、それが作品の 分析に基づいていることによる。―そしていわゆる楽曲分析の伝統的な道具ではない、もう少し認知心理学よりの 道具を整備して、しかもAdorno的な観相学のイデオロギー的な部分を除去して、楽曲を聴くことで生じることを 明らかにすることが必要だ。勿論、伝記も社会学も文化史も結構、プログラムも結構だが、それを作品と混同してはならない。

記号論的に中立な作品というのはそれ自体抽象かも知れないが、だからといって作品と背景とを無批判に 結びつけるのは問題がある。何といっても作品は作者でもないし、背景となった文化的社会的事象そのものではないのだ。少なくとも、存続して、時空を横断している限りでは、そうした「地平」「環境」とは別のものであることは確かだ。引用もまた、そうした「環境」を指示することしかしない。それは作品ではなく、作品の出自を指示するだけだ。(2002~2008書かれた備忘の一部)

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