Adornoが形式面からの分析によってその構造が小説(ロマン)に似ているという結論を引き出したのは
興味深い。
Greeneさらには恐らくHopkinsの様な認知的分析と小説形式はどう関係するのか?
←構築的なもの、ソナタ形式、 近藤のジェスチャーとしての音楽という指摘も考慮のこと。
散文であって、韻文にあらず。
LE 個人的/客観性→relativity(genre)
gm VIII⇔dsch XIV⇔gmLE⇔dsch X
sinfonie⇔lieder
Suspension/cesure
I-1?, III-1のsection間
IV-1の「夢のオカリナ」
V-2の対主題提示
VI-1のSuspension(Cow-bell)
VII-2の展開部2
IX-1の提示部末尾
…
temporality flowの停止、方向感の喪失?
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見出されるものとしての因果性―通常の意識は充分主体的ではない。
後からその様に自己表象する。
→Greeneの主張する そうであると思っている/実際にそうなっている の対立
説明の原理としての←(この場合は)楽曲の構成原理、実装の原理としての
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