2007年12月31日月曜日

備忘:交響曲の区分問題

Adornoが形式面からの分析によってその構造が小説(ロマン)に似ているという結論を引き出したのは 興味深い。
Greeneさらには恐らくHopkinsの様な認知的分析と小説形式はどう関係するのか?
←構築的なもの、ソナタ形式、 近藤のジェスチャーとしての音楽という指摘も考慮のこと。

散文であって、韻文にあらず。

LE 個人的/客観性→relativity(genre)
gm VIII⇔dsch XIV⇔gmLE⇔dsch X

sinfonie⇔lieder


Suspension/cesure
I-1?, III-1のsection間
IV-1の「夢のオカリナ」
V-2の対主題提示
VI-1のSuspension(Cow-bell)
VII-2の展開部2
IX-1の提示部末尾

temporality flowの停止、方向感の喪失?
--
見出されるものとしての因果性―通常の意識は充分主体的ではない。
後からその様に自己表象する。
→Greeneの主張する そうであると思っている/実際にそうなっている の対立
説明の原理としての←(この場合は)楽曲の構成原理、実装の原理としての

0 件のコメント:

コメントを投稿