お詫びとお断り

2020年春以降、2024年3月現在、新型コロナウィルス感染症等の各種感染症の流行下での遠隔介護のため、マーラー祝祭オーケストラ第22回定期演奏会への訪問を例外として、公演への訪問を控えさせて頂いています。長期間に亘りご迷惑をおかけしていることにお詫びするとともに、何卒ご了承の程、宜しくお願い申し上げます。

2023年11月20日月曜日

マーラー作品のMIDI化状況について(2023.11.20更新)

既に別のところでも何度か記していることであるが、専門の研究者ならぬマーラー愛好家にとって、近年のインターネット環境におけるコンテンツの充実は目覚しいものがある。権利が切れた出版譜が`PDF化されて自由に閲覧可能になったり、歴史的録音がmp3のフォーマットで無償で入手できるようになったかと思えば、いよいよ自筆譜についても、その一部については既にスキャンされた画像が公開されるようになってきており、同様にpdf等のフォーマットで入手できるようになってきている歴史的研究文献ともども、これまではアクセスが困難であった情報に容易にアクセスできるようになってきている。

ところで、そうしたトレンドと並行して、マーラーの作品をMIDIのフォーマットで入力して、MIDI音源で再生できるようにしようという試みが為されてきている。アコースティックなオーケストラがコンサートホールで演奏することを想定したマーラーの音楽を電子的に再生するという姿勢の是非について議論はあるかも知れないが、広く別の媒体での演奏というようにとってみても、それまではせいぜいが、ピアノ・リダクション(2手、4手連弾、2台ピアノなど、これまた色々な形態の編曲がされてきているが)や室内楽編曲が行われたくらい、しかもレコード、CDといった録音・再生技術やテレビ・ラジオといった放送技術の発達前で実演以外だとピアノや室内楽で自ら弾くしか作品に接する手段がなかった時代でこそ需要があったが、その後は寧ろそうした編曲版は半ば忘れられた存在となり、逆に近年になって、受容の多様化の現われとして、通常のオーケストラ版では飽き足らなくなった層向けに室内楽版やピアノ・リダクション版のCDの録音・販売がされるようになったり、あるいはピアノ編曲版がいわゆる「オリジナル」に比べて価値的に一段下に置かれるといった価値基準からは自由な立場から、ピアノ・リダクション版のツィクルスが行われるようになってきた(一つだけ実例を挙げれば、残念ながら私は聴く機会を得ないままだが、大井浩明さんが近年継続的に取り組まれている)ような状況だが、受容の多様化の一貫として、しかもマーラーの時代には全く存在しなかった新たな受容のあり方として、MIDIファイルへの入力の試みというのは大変に興味深いものがある。

私見では、MIDIデータというのは、楽譜の情報を変換したデータ、しかもそれを自由に分析、編集、加工することが可能な汎用のフォーマットとして非常に大きな価値があると思われる。マーラー自身もその伝統のうちにある西欧の音楽の伝統が築き上げてきた記譜法のシステムは、人間が読み取るためにはそれなりに合理的なものだが、その情報を加工したり、編集したり分析しようとしても簡単にはできないからだ。

寧ろ今後、コンピュータによる大量のデータの処理がますます一般的になるとともに、MIDIのデータの価値はますます増大していくのではないかと思われる。もしかしたら狭義のDTMの範囲を超えて、今後はMIDIデータが、様々な音楽情報処理の基盤としての意味を持ってくるようなこともあるのではなかろうか。(実は、私自身、今回MIDIファイルを調べてみようと思い立った理由というのが、マーラーの作品のある側面をコンピュータにより分析してみたかったからに他ならない。それならMIDIファイルを使うと良いというアドバイスを頂いて調べてみると、ことマーラーに限って言えば、正直に言ってここまで充実しているとは想像していなかった程に状況が進んでいることを確認して、大いに不明を恥じることになったような次第である。)

現実には電子的なメディアの常で、MIDI規格においても機種依存性の問題があるようで、仕方ない側面もあるとはいえやはり色々と弊害があって悩ましいことのようだし、実際に分析に使おうとしてみると、例えば、「音を鳴らす」観点からいけば不要な、付帯情報に過ぎない拍子や調号の情報は、必ずしも「楽譜通り」に入力されているわけではないようで、小節数にしても、必ずしも楽譜と一致するとは限らないようだ。多くの場合には恐らくは入力の便宜上、音価を倍にしたり半分にしたりということは行われているものと思われるし、稀にはシーケンサソフトの制限で、1ファイル1000小節という制限を回避するために小節数を調整する必要が生じたりということも実際に起きていると聞く。マーラーの交響曲楽章で1000小節を超えるのは、第8交響曲第2部だけなので、最後のケースが問題なのは1つだけのはずだが、別の作成者が第3番1楽章、第5番3楽章、第6番4楽章のような大規模な楽章についてはファイルを分けているケースもあり、類似した別の制限が理由なのかも知れない。(媒体もパラメータも異なるが、LPレコードにおいて、こちらは演奏時間に制約されるのだが、例えば第3番1楽章、第8番2楽章あたりは必ず片面には収まらないことから、途中で分割されていたのをふと思い出してしまった。)

小節数の制限についてのみ言えば、分析目的からすれば、寧ろ、分割して、楽譜通りに入れることが望ましいということになるが、本来DTMで「鳴らす」為に入力しているわけで、そうであれば、楽章の途中で切れるのは如何にも興醒めであり、そうした目的の違いを考えれば分析にとっては多少の制限がつくのは仕方ない側面もある。

音高や持続のような情報だけが分析の目的であれば問題にならないが、音色の次元を考えれば、今度はチャンネル数の制限がネックとなり、第8番のような作品を「正しい」音色で入れるのには困難が伴うのは容易に想像がつく。人間の奏者の持ち替えよろしく、同一チャンネルで音色を切り替える工夫等はごく普通に行われているだろうが、特殊楽器の利用、クラリネットなどの移調楽器の場合における、管による音色の違い、更には(弦のみならず管でも)ソロ・ユニゾンの差異が音色の効果狙いである場合(アドルノの言う、第4交響曲第1楽章の「夢のオカリナ」を思い浮かべよ)、弦楽器における線(弦)の指定、ミュートに留まらない特殊奏法の指定(フラジオレット、コル・レーニョ、バルトーク・ピチカート、、、)等々に忠実に従おうとすれば、音色のパラメータの方は切りがなさそうだ。更に加えてマーラーの場合、空間的な指定、ベルアップやら起立せよといった奏者への指示もある。これらは音響の変化としてよりも、膨大な発想表示、指揮者への注などと同様、コメントのような形で入れることになるのだろうか。

しかしながら、ことマーラーに関してMDI化にあたっての最大のネックは、「声」ではなかろうか。今日であらば初音ミクのようなヴォーカロイドに歌わせることは当然、技術的には可能なのであろうが、調べた範囲では、歌詞を歌わせたMIDIファイルは一つもなく、いずれも歌詞パートをある音色をあてて鳴らしているだけに留まっている。この状況は日本だけではなく 外国語の歌詞に対する距離感が違う筈の海外においても同じなのだが、主として技術的制約故であることを思えば、当然のことかも知れない。もっとも、網羅的に調べたわけではないので、どこかでヴォーカロイドに歌わせた例がある可能性は十分にある。しかし総じて言えば、「鳴らして聴く」目的のMIDI化にしても、マーラーが優れて人間の声の、歌の作曲家であるが故に、まだ途上にあると言うべきなのかも知れない。

[追記]ヴォーカロイドによるマーラーの歌曲の歌唱の例としてニコニコ動画のものについて本ブログコメント(以下のコメント欄を参照)にてご教示頂きました。情報の提供につき御礼申し上げます。取り上げられている作品は、「大地の歌」、「子供の魔法の角笛」の中の幾つか(「原光」「天国の生活」を含む)、リュッケルト歌曲集が中心で、最初期の「思い出」はある一方で、「さすらう若者の歌」からは「朝の野辺を歩けば」のみ、「子供の死の歌」はないようです。他方で第2交響曲の「復活」の合唱や第8交響曲第1部が取り上げられています。

以上のように少し考えただけでも、いろいろと制限はありそうだが、作品情報の「機械可読」な形式として、MIDIファイルのメリットはそうした制限を上回るものがあるのは確かなことであろう。

というわけで、マーラーの作品のMIDIファイルの状況がどうなっているのかを調べてみると、それはそれで非常に興味深い状況が見て取れたので、簡単に気づいた点を記しておきたい。

まず、マーラーの音楽はDTMの対象として、比較的ポピュラーなものと言って良さそうであるということ。作品の長大さ、編成の大きさを考えると入力の手間は大きいものと思われるが、にも関わらず、専らマーラーの作品のMIDI音源を紹介したページというのが幾つか存在する。

更に加えて、ことマーラーに関しては、寧ろ日本国内の方が入力が盛んにすら見えること。それを最も端的に物語っていると思われるのが、世界でも唯一のMIDIによるマーラー交響曲全集(「柳太朗」こと加藤隆太郎さんによる)の存在で、これを達成したのが日本人であることはおおいに喧伝されて良いことのように思われる。

以下、私が気づいた範囲でマーラーの作品のMIDIファイルがある程度まとまって公開されているサイトを紹介しておくことにする。ご覧いただけるとわかる通り、マーラーの作品の主要な部分のほとんどが既にMIDI化されており、大規模作品では「嘆きの歌」、歌曲では子供の魔法の角笛の数曲を除けば初期のピアノ伴奏歌曲を欠くくらいであって、その充実ぶりには驚かされる。他の作曲家の作品の日本における状況との比較などから、日本におけるマーラー受容のユニークな特質が浮かび上がってくるのではとさえ感じられる。

なお、より網羅的なMIDIデータの所在の情報については、別途、以下のページで画像ファイルとして参照・ダウンロードできるようにしているので、必要に応じてそちらも参照されたい。

https://gustav-mahler-yojibee.blogspot.com/p/midi.html


(A)日本国内のサイト

(1)Deracinated Flower
マーラー 交響曲全集
(旧サイト)http://www.geocities.jp/masuokun_2004/
(現サイト)http://kakuritsu.sitemix.jp/asobi/midi2/index.html

交響曲第1番~第9番と大地の歌の総てがMIDI化されている世界でも唯一のサイト。
※2020年1月現在では、ホームページ閉鎖のため閲覧不能。Wayback machineのアーカイブは残っていることを確認。第8交響曲第2部では、使用していたシーケンサの制限(最大1000小節)を回避するために、小節数の情報が楽譜に忠実ではない。その他のケースでは、一部例外はあるものの、小節の情報についてはほぼ楽譜通りのようである。一方で残念ながら曲によっては入力が不正確な部分が散見され、分析に利用するには注意が必要であることも確認している。

[2022.8.8の追記]作者よりコメントにてご連絡頂き、移転先のURLをご教示頂いたので、情報を更新しました。

[2023.7.12の追記] 移転先のURLも閲覧できなくなっているようです。


(2)The World of Tachan Orchestra
マーラーの部屋
http://midi-orchestra.xii.jp/

交響曲第5,6,7,9番全曲と第3番第1楽章、大地の歌第6楽章をMIDI化。第3交響曲第1楽章、第5交響曲第3楽章は2つのファイルに、第6交響曲第4楽章は3つのファイルに分割されている。

※2020年1月現在、第1交響曲が追加されていることを確認。なお曲によっては拍や小節の情報が楽譜と一致しないため、或る種の分析での利用にあたっては制限があることも確認している。

※2023年11月20日現在、閲覧不能。

(3)PSPのおっちゃんなブログ・・・。
ピアノ演奏MIDI集
http://www.geocities.jp/uncle_of_psp/music.html

ピアノ演奏版ということで、交響曲第1,2,5,8番を公開。
※2020年1月現在、ホームページ閉鎖のため閲覧不能。

(4)お抹茶いつかし
デジタル音楽館~パソコンが奏でるシンフォニー~
http://www004.upp.so-net.ne.jp/itsukashi/digital_symphony/index.html

交響曲第5番全曲と第2番第4楽章(原光)を公開。

※2023年7月現在、閲覧不能。新しい作品はyoutubeで公開されているようです。

(5)Andante comodo - 音の住む館 -
幻想曲(ファンタジー)
その他のMIDI
http://www5d.biglobe.ne.jp/~mabushis/fantasy_etc.html

リュッケルト歌曲集(5曲)と子供の魔法の角笛より3曲の歌曲をMIDI化している
貴重なサイト。

※2020年1月現在、『大地の歌』第3楽章が追加されていることを確認。

(B)海外のサイト

(1)GustavMahler.com
http://gustavmahler.com/

交響曲第1番(2種)、第2,3,4,5,9番および第10番(クック版)のMIDIファイルが
公開されている。色々な作者のファイルをまとめて公開しているサイトであり、
日本のサイトが個人のものであるのと対照的である。

(2)ClassicalArchives
http://www.classicalarchives.com/

マーラーだけでないクラシック音楽全般のMIDIファイルを公開しているサイト
マーラーは、交響曲第1番、第9番の全曲(これらは(1)と同一音源)、
第1番第3楽章、第3番第5楽章、第4番第1楽章(2種)、第4番第2楽章、
第5番第4楽章(3種)、第5番第5楽章、第6番第1楽章、第7番第1楽章、
第9番第4楽章、第10番第3,4,5楽章が公開されている。

(3)Kunst der Fuge
http://www.kunstderfuge.com/

(2)同様に、マーラーだけでないクラシック音楽全般のMIDIファイルを公開しているサイト
マーラーは、(1)と同一の音源であり、交響曲第1番(2種)、第3,4,5,9番および
第10番(クック版)が公開されている。


(4)KARAOKE
 Lieder, Arien, Ensembles, Chöre  aus dem klassischen Repertoire
http://www.impresario.ch/karaoke/

マーラーだけでないクラシック音楽の歌曲・アリア・アンサンブルや合唱曲などの
MIDIファイルを公開しているサイト
マーラーは、子供の死の歌(5曲)、さすらう若者の歌(4曲)、リュッケルト歌曲集(5曲)、子供の魔法の角笛のうち11曲の計25曲に達する。
いずれもピアノ伴奏のみ(「カラオケ」)と歌唱パート旋律つきの2種類が公開されている。
※恐らくMIDIキーボードでの演奏をMIDIファイル化したものと想定され、音が拍節とずれているために、(プログラムの工夫によりある程度の回避は可能だが)分析には適さないことを確認している。

(2016.1.3:公開)
(2020.1.18:最新の情報を追記)
(2022.8.8:Deracinated Flowerサイトの「マーラー 交響曲全集」の移動後のURLを追記)
(2023.7.12:リンク切れにつき更新。ヴォーカロイドによる歌唱の試みについて本文中に追記。)
(2023.11.20):リンク切れにつき更新。

フリッツ・レーア宛1885年1月1日付けカッセル発の書簡にある「ゼッキンゲンのラッパ手」についての言葉(2023.11.20更新)

フリッツ・レーア宛1885年1月1日付けカッセル発の書簡にある「ゼッキンゲンのラッパ手」についての言葉(1924年版書簡集原書23番, p.33。1979年版のマルトナーによる英語版では29番, p.81, 1996年版に基づく法政大学出版局版・須永恒雄邦訳では32番, p.37)
(...)
Meine "Trompetermusik" ist in Mannheim aufgeführt worden und wird demnächst in Wiesbaden und Karlsruhe aufgeführt werden. Alles natürlich ohne das geringste Zutun von meiner Seite. Denn Du weißt, wie wenig mich gerade dieses Werk in Anspruch nimmt.(...)

(…)僕の≪トランペット吹きの音楽≫はマンハイムで演奏されたが、続いてヴィースバーデンとカールスルーエでも演奏されることになっている。万事がもちろん、一切僕の関与なしにだ。だって、君もご存じのとおり、この作品はまったく僕にとっては物の数には入らないのだ。(…) 

この手紙をここに引いたのは「ゼッキンゲンのラッパ手」の再演に関する言葉が含まれるためだが、実はこの新年に書かれた手紙は「さすらう若者の歌」の 創作に関連して引用されることの方が遙かに多い。実際、この手紙の主題はそちらにあって、引用した部分はまるで「ついで」のように触れられているに 過ぎないのだ。というわけで、上記の引用の前後に記述されている「さすらう若者の歌」に関係する部分は、別の機会に是非紹介したい。
ここでは半年前には「大変に満足」していた筈の「ゼッキンゲンのラッパ手」に対する冷めた態度が印象的だが、それが「さすらう若者の歌」創作にまつわる 状況と心境の変化とともに語られていることが私には興味深く感じられる。それでもマーラーはこの後交響詩「巨人」において一旦は、その両者を「引用」する。 最終的には第1交響曲に改訂する際に「花の章」を削除することで、「ゼッキンゲンのラッパ手」を抹殺してしまうのであるが。
なお、言及されているマンハイム、ヴィースバーデン、カールスルーエのうち再演が確認されているのは、ラ・グランジュによればカールスルーエのみとのことである。 ちなみに英語版書簡集には、カールスルーエでの演奏の予告が収録されている。それによれば日付は1885年6月5日なのだが、これはラ・グランジュの1973年の 英語版の記述(6月6日)とも、フランス語版第1巻の記述(6月16日)とも一致しない。後者は恐らく誤植だろうが、前者もまた、その可能性がある。 ラ・グランジュが上演を確認した資料がマルトナーが書簡集で紹介した演奏予告とは別のものなのかどうか確認する術がないので、誤植なのか 予告より遅れて上演されたのかは判断できない。ラ・グランジュの著作は大部なせいか、この類の誤植は少なくなく、資料として使おうとすると 他の文献との矛盾が見つかることがしばしばで厄介である。(2007.12.26, 2023.11.20邦訳の情報を追加)

イダ・デーメル(詩人のリヒャルト・デーメル夫人)の日記に出てくるマーラーの言葉(2023.11.20更新)

イダ・デーメル(詩人のリヒャルト・デーメル夫人)の日記に出てくるマーラーの言葉(アルマの「回想と手紙」、1971年版原書p.121, 白水社版酒田健一訳p.112)
Es käme ihm auch immer wie Barbarei vor, wenn Musiker es unternähmen, vollendet schöne Gedichte in Musik zu setzen. Das sei so, als wenn ein Meister eine Marmorstatue gemeißelt habe und irgend ein Maler wollte Farbe darauf setzen. Er, Mahler, habe sich nur einiges aus dem Wunderhorn zu eigen gemacht ; zu diesem Buch stehe er seit frühester Kindheit in einem besonderen Verhältnis. Das seien keine vollendeten Gedichte, sondern Felsblöcke, aus denen jeder das Seine formen dürfe.

音楽家が完璧な詩に作曲しようと試みるのは、野蛮な行為としか思えない。それはまるで彫刻の大家が彫りあげた大理石の立像に、そこいらの絵描きが色をぬりたくろうとするようなものだ。だから自分は『子供の魔法の角笛』のなかからほんの少しばかり頂戴するにとどめた。この本とは幼いころから特別な因縁があったからだ。それは完成された詩ではなくて、だれもが思いのままに鑿をふるえる岩の塊なのだ。 

マーラーが自分の作品における歌詞の選択についての考えを述べた言葉。 マーラーは作曲にあたって原詩に手を入れることを躊躇しなかったが、その姿勢を裏付ける言葉だと思われる。 これを例えばデュパルクの言葉と比較するのは興味深い。 最初の1文については同じだが、その後は異なって、デュパルクは不可能事に挑んだのに対して、マーラーは終生、ずっと現実的だったと言えそうだ。 なお、比喩として彫刻家や画家を持ち出しているが、画家は丁度マーラーの姓との語呂合わせになっている(Maler / Mahler)のが意識してのことだとしたら、 機転のきいた言葉ではなかろうか。(機転があるのは記録者のデーメル夫人の方である可能性も否定できないが。)

ちなみに、ここでは割愛したが、この文章の前には戯曲に音楽をつけることについての発言があるが、それが暗に自分がオペラの作曲を放棄したことの 説明になっているようで、ここで引用した部分と両方あわせて第8交響曲第2部のゲーテ「ファウスト」第2部終幕への作曲のことを考えてみること同様、 興味深いものがある。

なお、原書のページは私が所蔵しているミッチェルによるドイツ語新版(1971)のものである。デーメル夫人の日記からの引用は Splendid Isolation 1905 の 章の最後に置かれているから、それを手がかりに探せば他の版でも同定は難しくないだろう。(2007.5.15, 2023.11.20邦訳を追加)

2023年11月13日月曜日

MIDIファイルを入力とした分析:状態遷移パターンの出現確率分布の比較(2) 他の作曲家の作品との比較

1.はじめに

 記事:MIDIファイルを入力とした分析:状態遷移パターンの出現確率分布の比較では、マーラーの交響曲全体の状態遷移パターンの出現確率分布と、各作品の状態遷移パターンの出現確率分布との比較を行った結果を報告しました。一方、他の作曲家の作品との比較については、マーラーの同時代以降の作品との比較を企て、一旦公開まで漕ぎ着けたものの、未分析の和音が占める割合が高いことに気付き、意味のある集計・分析にならないと判断し、記事を撤回しました。その経緯は記事:MIDIファイルを入力とした分析:未分析の和音の出現頻度―エントロピー計算結果の同時代以降の作品との比較の記事撤回についてに記載した通りです。そして同記事ではマーラーの同時代以降の作品との比較の替わりに、比較対象としてきた他の作曲家の作品における未分析の和音の出現頻度を報告しました。その結果を踏まえ、本記事では、他の作品との比較をしようとした場合に、未分析の和音の割合が比較的小さくて、マーラーの作品に出現する和音および和音の遷移のパターンの範囲に収まり、その頻度の分布の比較をすることが概ね可能な作品を選択して比較を行った結果を報告します。以下、これまでの記事同様、計算結果に対するコメントはせずに、集計・分析条件の説明と結果の報告のみを行います。

 但し、これまで本ブログで行ってきた、MIDIファイルを入力としたマーラーの作品の分析を通して見た場合、MIDIファイルから自作のプログラムで抽出した拍毎・小節頭拍毎の和音(ピッチクラスの集合)の連なりを分析しようと試みて、最も初期には和音の系列データそのものを時系列データと見做して、時系列データの比較手法を用いたクラスタリングを検討したものの、和音の系列データの各要素は或る次元を持った量ではなく、ピッチクラスの集合をある規則で符号化して数値化したものであるためにうまく行かず、その後は一定の限定した和音の集合に範囲を限定して、その出現頻度に注目した分析を行ってきたのに対して、状態遷移パターンの出現確率分布を用いて、カルバック・ライブラー・ダイバージェンスのような特徴量を用いた比較を行ったり、出現確率分布のベクトル全体を特徴ベクトルと見做したクラスタリングを行うことによって、漸く和音(ピッチクラスの集合)の系列の全体を表す特徴量を用いた分析が可能になったと言えるのではないかと思います。また、個別の作品間の比較や、それらと他の作曲家の作品との比較に留まらず、マーラーの交響曲全体についての特徴量を計算して、それと個別の作品とを比較することが可能になったこともあって、その一部の次元のみを取り出しているに過ぎないとは言え、漸く「マーラー・オートマトン」の出力の全体を捉えた分析に辿り着いたように感じます。


2.集計・分析の方法

これまでに用いてきた以下の特徴量を集計することとします。各項目それぞれの詳細については各特徴量の集計や分析の結果を報告した過去の記事を参照頂きたく、ここでの説明は割愛させて頂きます。

  • 単純マルコフ過程としてみた場合のエントロピー
  • 和音パターン・状態遷移パターンの出現確率のエントロピー
  • 状態数と系列長の比率
  • カルバック・ライブラー・ダイバージェンス
  • 相互情報量
  • 状態遷移パターンの出現確率分布を表すベクトルによるクラスタリング(階層クラスタ分析:complete法)
 このうちカルバック・ライブラー・ダイバージェンスおよび相互情報量については、マーラーの交響曲全曲についての和音パターンおよび状態遷移パターンの出現確率分布を比較対象とした作品のものと比較しますが、比較対象の作品における確率分布を分子側、マーラーの交響曲全体における確率分布を分母側として計算を行うのは、マーラーの各交響曲との比較の場合と同じで、KLD(P||Q)とした時、P:比較対象の作品、Q:マーラーの交響曲全体です。但しマーラーの各交響曲の場合には、交響曲全体で出現するパターン(Q側)が個別の作品(P側)で出現しない、つまり確率0であることはありえるが、その逆はないという条件が成り立ちますが、今回は他の作曲家の作品との比較のため。必ずしも成り立ちません。この時、比較対象の他の作曲家の作品には出現するがマーラーの交響曲には出現しないパターンを含めて出現確率のベクトルを構成すると、計算上、分母が0になり値が無限大になってしまいます。そこでマーラーの全交響曲に出現するパターンのみを対象にして出現確率のベクトルを構成することになりますが、そうすると今度は比較対象の作品に出現するパターンで集計対象にならないパターンが出てきてしまいます。
 今回比較対象の候補とした作品は、記事:MIDIファイルを入力とした分析:未分析の和音の出現頻度―エントロピー計算結果の同時代以降の作品との比較の記事撤回について記載の確認結果を踏まえ、未分析の和音が無いか、あっても極僅かな作品としましたが、その中でも、実際に計算をしてみると、マーラーの交響曲には出現しないパターンを数多く持った作品が出てきてしまいます。また、その割合は当然ですが、和音のパターンについての場合と、状態遷移パターン(ここでは深さ1のみ)についての場合とでは大きく異なります。A、Bという和音が出現しても、A→Bという状態遷移が生じるとは限りませんし、B→Aについても同じことが言えます。従ってある比較対象の作品に出現する和音のパターンが全てマーラーの全交響曲に含まれる場合でも、それら和音の組み合わせである状態遷移パターンについては、その比較対象の作品に出現するパターンがマーラーの全交響曲に出現するとは限りません。そこで本記事の分析にあたっては、そのような未集計のパターンがどれくらい出現するかの集計も同時に行い、結果を報告する対象に含めるかどうかを判断することにしました。
 具体的には、マーラーの全交響曲(gm_all)との比較対象とする作品の候補として、以下を選択しました。
  • ブルックナー:第5,7,8,9交響曲(ab5,7,8,9)
  • ブラームス:第1~4交響曲(jb1,2,3,4)
  • シベリウス:第2,7交響曲、「タピオラ」(js2,7, jsTapiola)
  • フランク:交響曲、交響的変奏曲、弦楽四重奏曲、ヴァイオリン・ソナタ(cfsym, cfsymvar, cfsq, cfvp)
  • ヤナーチェク:シンフォニエッタ(lj)
  • タクタキシヴィリ:ピアノ協奏曲第1番(ot)
  • ラヴェル:左手のための協奏曲、ピアノ協奏曲、優雅で感傷的な円舞曲、「ダフニスとクロエ」第2組曲(mr1, mr2, mr3, mr4)
 これらについて、まず上述のように未集計のパターンののべ数を確認します。まずは単独和音パターン(深さ=0に相当)についての集計結果を示します。

一見して、ラヴェルの作品における未集計和音の数が多いことがわかります。(他の作曲家は全くないか、あっても1曲につき数個。)ラヴェルの作品の系列長は他の作曲家の作品に比べれば相対的に短めですから、系列長の中で占める割合は更に大きいことになります。
 同様に、前後の和音の対からなる状態遷移パターン(深さ=1に相当)について、未集計パターンを見ますが、こちらはのべ数そのものではなく、対象となる系列長の中で、未集計のものが占める割合を以下に示します。

こちらでもラヴェルの作品の未集計パターンの割合の多さは明らかです。シベリウスの作品も「タピオラ」はラヴェルの作品と同等の割合であり、第7交響曲も高めですが、ラヴェルにおけるように半分前後の割合に達する作品はありません。また、深さ0の集計結果も併せて考えると、ラヴェルについては系列のうちのかなりの割合が実質的に分析の対象から外れてしまうことになり、結果の意味合いについて留保がつくことになります。
 そこで本記事の分析においては、ラヴェルの作品は対象外とすることにしました。一方、同様にして、深さ=2,3,4,5の状態遷移パターンについても集計を行った時にどのような結果になるのかについても確認してみたくなりますが、本稿では深さ0,1に限定し、それ以上の深さについての集計・分析は後日を期することとします。


3.集計・分析結果

3.1.エントロピーおよび多様性の計算結果(比較対象の作品およびマーラーの全交響曲(右端))

(A)単純マルコフ過程として見た場合のエントロピーおよび状態遷移パターンの出現確率のエントロピー(深さ0~5)

(B)パターン数/系列長比(深さ0~5)


3.2.カルバック・ライブラー・ダイバージェンスおよび相互情報量の計算結果(KLD(P||Q)とした時、P:比較対象の作品、Q:マーラーの全交響曲)
(A)深さ=0

(B)深さ=1

(参考)出現確率エントロピーの差分(Q-P、但しP:各曲、Q:全体)

未集計のパターン数が多いシベリウスの第7交響曲、「タピオラ」では深さ0の差分がマイナスになっており、マーラーの全交響曲よりもエントロピーが大きいことが確認できる。


3.3. 状態遷移パターンの出現確率分布を表すベクトルによるクラスタリング結果

(A)深さ=0


(B)深さ=1



[付録]ダウンロード可能なアーカイブファイルcontrol_cdnz3_pcls.zip の中には以下のファイルが含まれます。

  • 入力ファイル(比較対象の作品およびマーラーの全交響曲について)
    • gm_control_A_prob_all.csv:和音パターン出現確率(深さ0):マーラーの全交響曲の列を含む。ラヴェルの作品は含まず。クラスタ分析の入力。
    • gm_control_A_prob2_all.csv:状態遷移パターン出現確率(深さ1):マーラーの全交響曲の列を含む。ラヴェルの作品は含まず。クラスタ分析の入力。
    • control_A_prob_all.csv:和音パターン出現確率(深さ0):比較対象作品のみ。ラヴェルの作品は含まず。gm_control_A_prob_all.csvのサブセット。
    • control_A_prob2_all.csv:状態遷移パターン出現確率(深さ1):比較対象作品のみ。ラヴェルの作品は含まず。gm_control_A_prob2_all.csvのサブセット。
    • *_A_cdnz3_pcl.csv:比較対象の各作品(ラヴェルの作品も含む)の状態遷移パターン出現頻度(深さ0~5)
    • *_A_cdnz3_pcl_transition.csv:比較対象の各作品(ラヴェルの作品も含む)の状態遷移マトリクス
  • 結果・中間結果ファイル(比較対象の作品およびマーラーの交響曲全体について)
    • hclust_complete_prob_all.jpg:状態遷移パターンの出現確率分布を表すベクトルによるクラスタリング結果(深さ=0)
    • hclust_complete_prob2_all.jpg:状態遷移パターンの出現確率分布を表すベクトルによるクラスタリング結果(深さ=1)
    • control_A_pcl_KLD_MI.xlsx
      • Sheet1シート:比較対象の作品およびマーラーの交響曲全体について
        • 総拍数
        • 状態数(深さ0~5)
        • 系列長(深さ0~5)
        • パターン数/系列長比(深さ0~5)
        • 単純マルコフ過程としてのエントロピー
        • 状態(パターン)の出現確率(深さ0~5)のエントロピー
        • 対マーラー全交響曲の出現確率エントロピー差分(深さ0~5):(Q-P、但しP:各曲、Q:マーラー全交響曲)
        • 対マーラー全交響曲のカルバック・ライブラー・ダイバージェンス(深さ0,1):(KLD(P||Q)とした時、P:各曲、Q:マーラー全交響曲)
        • 対マーラー全交響曲の相互情報量(深さ0,1)
        • 対マーラー全交響曲の交差エントロピー(深さ0,1)
        • 未集計系列数・深さ0:未集計和音パターンののべ数
        • 未集計系列数・深さ1:未集計状態遷移パターンののべ数
        • 未集計系列比率・深さ1:未集計状態遷移パターンののべ数の系列長に対する割合
      • d0シート:和音パターン出現頻度(深さ0):比較対象作品のみ。ラヴェルの作品を含む。
      • d0pシート:和音パターン出現確率(深さ0):比較対象作品のみ。ラヴェルの作品を含む。
      • d1シート:状態遷移パターン出現頻度(深さ1):比較対象作品のみ。ラヴェルの作品を含む。
      • d1pシート:状態遷移パターン出現確率(深さ1):比較対象作品のみ。ラヴェルの作品を含む。
(2023.11.13)

[ご利用にあたっての注意] 公開するデータは自由に利用頂いて構いません。あくまでも実験的な試みを公開するものであり、作成者は結果の正しさは保証しません。このデータを用いることによって発生する如何なるトラブルに対しても、作成者は責任を負いません。入力として利用させて頂いたMIDIファイルに起因する間違い、分析プログラムの不具合に起因する間違いなど、各種の間違いが含まれる可能性があることをご了承の上、ご利用ください。

2023年11月10日金曜日

MIDIファイルを入力とした分析:状態遷移パターンの出現確率分布の比較

 1.はじめに

 記事:MIDIファイルを入力とした分析:マルコフ過程としてのエントロピー計算結果(補遺)創作時期別集計において、マーラーの作品を創作時期別に見た場合に、全般的な多様性や状態遷移の深さと多様性の関係において、創作時期によって傾向が変化していく点について、各作品毎ではなく、創作時期別に、更にマーラーの交響曲全体で、単純マルコフ過程として見た場合のエントロピー、深さ0~5の状態遷移パターン出現確率のエントロピー、或いは状態遷移パターン数と系列長の比といった特徴量を集計した結果を報告しました。その結果は、、創作時期によって傾向が変化していくというそれまでの集計・分析に基づく観察と一致するものであったのですが、そこでの比較は数値の単純な比較とそのグラフによる可視化によるもので、定量的に差異を測定した訳ではありません。

 そこで本記事では、マーラーの交響曲全体の状態遷移パターンの出現確率分布と、各作品の状態遷移パターンの出現確率分布との比較を行った結果を報告します。2つの確率分布の比較の方法としては、幾つかの方法が直ちに思い浮かびますが、ここではカルバック・ライブラー・ダイバージェンスと相互情報量の2つを用いました。更に参考として、状態遷移パターンの出現確率のエントロピーについて全体と各作品とを比較した結果も報告します。最後の点は、出現確率分布の比較が、所謂「距離」の定義を満たしているといないとに関わらず(実際にはカルバック・ライブラー・ダイバージェンスは満たしていない訳ですが)、計算して求まる値は両方の差の絶対値であって、非負の量であることから、どちらが多様性がより大きい・小さいといった情報が落ちてしまうのを補うためです。

 更に、カルバック・ライブラー・ダイバージェンスと相互情報量を計算するために用意した状態遷移パターンの出現確率分布を表すベクトル自体を特徴量としてクラスタリングを行ってみましたので、その結果も併せて報告します。なおこれは、以前に行った和音の出現頻度に基づく分類で用いた特徴量と基本的には同じですが、以前の分析では、幾つかの「名前のある」(つまり音楽理論上、機能を持つとされる)和音に対応するパターンに限定して行っていたものを、交響曲全体で出現する全ての和音に対応するパターンを対象として行ったという位置づけになります。直前の記事MIDIファイルを入力とした分析:未分析の和音の出現頻度―エントロピー計算結果の同時代以降の作品との比較の記事撤回についてで取り上げたように、マーラーの作品については未分析の和音はないので、このような分析が可能となっています。

 以下、計算結果に対するコメントはせずに、集計・分析条件の説明と結果の報告のみを行います。また、カルバック・ライブラー・ダイバージェンスと相互情報量の定義などについての説明も割愛させて頂きます。両方とも特に近年の機械学習で用いられていることもあってか、Web上で様々な説明・解説があるようですので、必要に応じてそれらを参照頂けますようお願いします。


2.集計・分析の条件

2.1. カルバック・ライブラー・ダイバージェンスおよび相互情報量の計算

 上掲の創作時期別集計の記事におけるのと同様、単音・重音は対象外(cdnz3)/移置・転回を区別しない(pcl)条件で、今回は各拍(A)毎に抽出した和音パターンの系列のみを対象としました。(A/B系列で大きく見た場合には著しい差異がないと判断し、計算資源の制約に抵触しない限りでは、よりサンプルの多いA系列をもって代表させるのが適当と考えました。)計算対象となる状態は、深さ0(和音=ピッチクラスの集合のパターン)と深さ1(和音=ピッチクラスの集合の状態遷移パターン、単純マルコフ過程の状態遷移パターンに相当)です。

 計算にあたっては従来から用いてきたR言語にあるエントロピー計算用のライブラリ(entropy)をRstudio上で使用しました。R言語のバージョンは4.3.1です。entropyライブラリにはカルバック・ライブラー・ダイバージェンスと相互情報量を計算するプラグインが用意されています(それぞれKL.pluginとmi.plugin)ので、それを利用して計算を行いました。既述の通り、特にカルバック・ライブラー・ダイバージェンスは、所謂「距離」の公理を満たしておらず非可換ですが、ここでは個別の作品における確率分布を分子側、交響曲全体における確率分布を分母側として計算を行っています。つまりKLD(P||Q)とした時、P:各曲、Q:全体です。(交響曲全体で出現するパターン(Q側)が個別の作品(P側)で出現しない、つまり確率0であることはありえるが、その逆はないため。逆向きの計算では分母が0になり、値が無限大になってしまいます。)なお、公開した計算結果には交差エントロピーも含めていますが、これは各曲のエントロピーとカルバック・ライブラー・ダイバージェンスから求めることができます。(即ち、H(P, Q) = H(P) + KLD(P||Q))

 冒頭述べた通り、参考として個別の作品における状態パターンの出現確率のエントロピーと交響曲全体の状態パターンの出現確率のエントロピーとの差分の計算も行いましたが、こちらについては、後者が前者よりも大きければプラス、小さければマイナスの値を取るように計算しました。これは深さ0~5の全てについて計算を行いました。

2.2. 状態遷移パターンの出現確率分布を表すベクトルによるクラスタリング

 従来から用いてきたR言語を用い、R言語の階層クラスタリング関数hclustで、complete法により計算を行いました。今回の分析の特徴として、各作品の状態遷移パターンの出現確率分布のベクトル(m1~m10)に加えて、交響曲全体の状態遷移パターンの出現確率分布のベクトル(all)も含めてクラスタリングを行うことで、全体と各作品の距離が視覚的に確認できるようにしてみました。


3.集計・分析結果

3.1.カルバック・ライブラー・ダイバージェンスおよび相互情報量の計算結果(KLD(P||Q)とした時、P:各曲、Q:全体)

(A)深さ=0


(B)深さ=1

(参考)出現確率エントロピーの差分(Q-P、但しP:各曲、Q:全体)
※後期作品の深さ0の差分がマイナスになっている点に注意。第8交響曲はわずかにプラスだがほぼ0でした。

3.2. 状態遷移パターンの出現確率分布を表すベクトルによるクラスタリング結果

(A)深さ=0

(B)深さ=1

※深さ0と1では、all(全交響曲)とm6(第6交響曲)の位置が異なりますが、後期作品3曲が概ね同じクラスタに属する点では共通しています。


[付録]ダウンロード可能なアーカイブファイルgm_sym_A_KLD_MI_cdnz3_pcl.zip の中には以下のファイルが含まれます。

  • 入力ファイル(各交響曲および交響曲全体について)
    • gm_A_prob_all.csv:和音パターン出現確率(深さ0):値のみ
    • gm_A_prob2_all.csv:状態遷移パターン出現確率(深さ1):値のみ
    • gm_A_frq_all.csv:和音パターン出現頻度(深さ0):パターンラベル付き
    • gm_A_frq2_all.csv:状態遷移パターン出現頻度(深さ1):パターンラベル付き
  • 結果ファイル(各交響曲および交響曲全体について)
    • hist.txt:R言語の実行ログ
    • gm_sym_A_KLD_MI_cdnz3R_pcl.xlsx
      • 状態(パターン)の出現確率(深さ0~5)
      • 対全交響曲の出現確率エントロピー差分(深さ0~5):(Q-P、但しP:各曲、Q:全体)
      • 単純マルコフ過程、二重マルコフ過程としてのエントロピー
      • 対全交響曲のカルバック・ライブラー・ダイバージェンス(深さ0,1):(KLD(P||Q)とした時、P:各曲、Q:全体)
      • 対全交響曲の相互情報量(深さ0,1)
      • 対全交響曲の交差エントロピー(深さ0,1)

(2023.11.10)

[ご利用にあたっての注意] 公開するデータは自由に利用頂いて構いません。あくまでも実験的な試みを公開するものであり、作成者は結果の正しさは保証しません。このデータを用いることによって発生する如何なるトラブルに対しても、作成者は責任を負いません。入力として利用させて頂いたMIDIファイルに起因する間違い、分析プログラムの不具合に起因する間違いなど、各種の間違いが含まれる可能性があることをご了承の上、ご利用ください。


2023年11月9日木曜日

MIDIファイルを入力とした分析:未分析の和音の出現頻度―エントロピー計算結果の同時代以降の作品との比較の記事撤回について

1.はじめに

  マーラーの交響曲のエントロピー計算結果についてマーラーの同時代以降の作品との比較を行い、結果を記事として11/6に公開しましたが、公開後に改めて検証を行ったところ、比較対象とした同時代以降の作品の集計結果に重大な制限があり、比較分析を行うには適当でないことが判明したため、記事を撤回することにしました。同時に集計結果の公開も中止します。以下、本稿では、どのような問題があったのかを簡単に説明します。

2.記事撤回の理由としての未分析の和音の出現頻度

 確認された集計結果の制限は、一言で言えば、未分析の和音の存在です。本ブログの集計・分析においては、各拍ないし各小節の頭拍に同時に鳴っている音の集合そのものではなく、それをピッチクラスの集合と見做し、ピッチクラスの集合を基本要素として行ってきました。そしてそのために、集計・分析を行うに先立って、音の開離・密集、移置(調性の違い)、転回などを区別せずにピッチクラスを同定するパターン・マッチング処理を行っています。分析を開始したばかりの段階では、マーラーの作品においてすら、特に後期作品に未分析の和音が残る状態で分析を行っていましたが(記事MIDIファイルを入力とした分析:データから見たマーラーの作品 和声出現頻度の分析のまとめを参照)、それは、未分析の和音の出現頻度が低いこともさることながら、当時行っていた集計・分析が、音楽理論上重要な和声に対応したピッチクラスの集合に限定していたため、その影響を無視することができたためです。その後マーラーの作品については未分析の和音が解消されましたので(記事MIDIファイルを入力とした分析:データから見たマーラーの作品 補遺(1):未分析和音の解消を参照のこと)、現時点ではマーラーの作品については、出現する全てのピッチクラスの集合を扱った集計・分析が可能であり、そのことを踏まえた上で、既に後期作品にフォーカスした分析を行った結果を報告してきた(記事2つの旋法性?:MIDIデータを入力とした分析続報(2):全音階・五音音階・全音音階を巡って参照)訳ですが、他の作品については必ずしもその限りではありません。とはいえ、時代的にマーラーに先行する作品では、マーラーの作品で用いられない和音が用いられることはないか、あってもごく稀であることからその影響は限定的ですが、マーラーの同時代およびそれ以降の作品の場合ではその限りではありません。特にエントロピーの計算のように、全てのパターンの出現確率に基づいて計算を行うような場合には、少なからず影響が出来ることが避けられません。

 そこで同時代以降の作品との比較の記事で取り上げた作品について、未分析の和音の出現頻度を確認してみたところ、作品によってはかなりの頻度となり、特にマーラーの交響曲全体との比較対照を行うことを企図して選択したペッテションの作品については、その割合が極めて高いことから、集計・分析自体を行うことが妥当でないと判断し、記事を撤回し、集計結果の公開を中止することにしたというのが経緯となります。

 以下に比較対照の対象となった同時代以降の作品について、未分析の和音の頻度の確認結果を記載します。これはこれで、マーラーでは用いられていない和音がこれだけ用いられているということで、マーラーの作品との比較においては意味のあるデータと思われ、撤回した集計・分析結果の替わりとしての価値はあるものを思います。以下の集計結果を見ると明らかなように、マニャールの「ベレニス」序曲とシェーンベルクの「浄夜」以外は未分析の和音の割合が高く、未分析の状態を解消しなければエントロピーや状態遷移パターンの集計・分析を行うことが難しそうです。ペッテションの作品のパターン数はどの作品でも、全体でのパターン数の121とほぼ同じである点が特徴的で、元の記事でもその点についてコメントをしましたが、未分析の和音の量を踏まえて正確な言い方をするならば、「マーラーの作品において用いられている和音は121種類以上は用いられておらず、それ以外はマーラーの作品では出現しない和音のパターンで占められている」と言うべきだということになります。そしてマーラーの交響曲全体ではその2倍以上の和音のパターンが用いられていることを踏まえれば、多様性についての比較は未分析の和音の解消抜きには論じることができない一方で、用いられている和音のパターンの傾向という観点からであればマーラーとの違いを論じることができるのではないかと思います。

 なお、今後、これらの作品の未分析和音を解消すべくパターン・マッチング処理を拡張するかどうかについては、現時点では否定的です。あくまでも本ブログでの集計・分析はマーラーの作品を対象としたものであり、他の作曲家の作品は比較対象としてのみ意味を持つこと、マーラーの作品について、更に集計・分析をすべき課題は山積しており、そちらを優先して実施する関係上、他の作曲家の作品には手が回らないことがその理由です。

3.未分析の和音の出現頻度

 以下、

作曲家、作品:未分析の和音の出現頻度/系列長 (出現頻度の順位/パターン数) 

という書式で記載します。なお、未分析の和音という定義上、その中に、何種類の和音が区別されて含まれるのかはわかりませんので、その点はご了承頂けるようお願い致します。(仮にそれが単一の種類の和音であるならば、エントロピーの計算上も問題ないことになりますが、頻度が高い場合については、その確率は極めて低いものと思われます。逆に、全てが互いに異なる和音で、それぞれの出現頻度は1であるというケースについても同様です。)

  • マニャール、歌劇「ベレニス」序曲:1/367 (38/42)
  • ヴェーベルン、パッサカリア:49/411 (1/46)
  • ストラヴィンスキー、詩篇交響曲:65/901 (1/100)
  • シュトラウス、アルプス交響曲:407/2459 (1/115)
  • シェーンベルク、「浄夜」:9/1754 (34/90)
  • スクリャービン、交響曲第3番:20/1776 (17/77)
  • シュニトケ、交響曲第5番=合奏協奏曲第4番第1楽章:93/359 (1/84)
  • アイヴズ、「答えのない質問」:21/123 (1/39)
  • ホルスト、「惑星」組曲:86/2898 (8/90)
  • ショスタコーヴィチ、交響曲第10番:50/1867 (7/104)
  • バルトーク、オーケストラのための協奏曲:150/2065 (2/113)
  • ペッテション、交響曲第6~16番、ヴァイオリン協奏曲第2番、交響的断章: 8760/65405 (1/121)
 繰り返しになりますが、マニャールの「ベレニス」序曲とシェーンベルクの「浄夜」以外は未分析の和音の割合が高く、未分析の状態を解消しなければエントロピーや状態遷移パターンの集計・分析を行うことが難しそうです。

 参考までに、状態遷移パターンの比較に用いた作品についても集計結果を以下に記載します。こちらについては、未分析の和音が全くないか、あってもその頻度は概ね低く、集計・分析に致命的な影響を与える程のものではないことが確認できます。従って、以下の作品との比較対照の記事については撤回せず、集計結果データの公開も継続します。

  • ヤナーチェク、シンフォニエッタ:0/1412 (-/78)
  • タクタキシヴィリ、ピアノ協奏曲第1番:0/1804 (-/114)
  • ラヴェル、左手のためのピアノ協奏曲:1/1290 (103/140)
  • ラヴェル、ピアノ協奏曲ト長調:1/1150 (106/137)
  • ラヴェル、優雅で感傷的な円舞曲:1/1289 (141/186)
  • ラヴェル、「ダフニスとクロエ」第2組曲:14/1737 (32/241)
  • シベリウス、交響曲第2番:0/2763 (-/121)
  • シベリウス、交響曲第7番:0/2072 (-/171)
  • シベリウス、「タピオラ」:2/1780 (109/170)

(参考)MIDIファイルを入力とした分析:状態遷移パターンの出現確率に注目した予備分析にて比較対照した他の作曲家の作品のうち、マーラーの作品と同時代以降の作品との比較
  • 単純マルコフ過程としてのエントロピーおよび状態遷移パターン出現確率分布のエントロピー(深さ0~5)

  • 状態遷移パターン数/系列長比率(深さ0~5)


公開したアーカイブファイル gmsym_control_cdnz3_pcls.zip には以下のファイルが含まれます。
  • 入力ファイル(比較対照の作品のみ)
    • *_A_cdnz3_pcl.csv:状態遷移パターン出現頻度(深さ0~5)
    • *_A_cdnz3_pcl_transition,csv:単純マルコフ過程としての状態遷移マトリクス
  • 結果ファイル(マーラーの交響曲および比較対象の作品の集計結果)
    • _control_pcl_summary.xlsx
      • 単純マルコフ過程としてのエントロピー
      • 状態遷移パターン出現確率分布のエントロピー(深さ0~5)
      • 総拍数
      • 状態遷移パターン数(深さ0~5)
      • 系列長(深さ0~5)

[ご利用にあたっての注意] 公開するデータは自由に利用頂いて構いません。あくまでも実験的な試みを公開するものであり、作成者は結果の正しさは保証しません。このデータを用いることによって発生する如何なるトラブルに対しても、作成者は責任を負いません。入力として利用させて頂いたMIDIファイルに起因する間違い、分析プログラムの不具合に起因する間違いなど、各種の間違いが含まれる可能性があることをご了承の上、ご利用ください。
(2023.11.9)