2023年5月22日月曜日

2つの旋法性?:MIDIデータを入力とした分析続報(2):全音階・五音音階・全音音階を巡って(2023.5.21, 最終更新5.31)

 1.はじめに

 本稿の直前の記事、「付加六は旋法性の現われか?:MIDIデータを入力とした分析続報:主和音形とその転回形・属七・属九・付加六の出現頻度分析」では、これまで本ブログで断続的に実施・報告してきた、Webで公開されているマーラーの作品のMIDIファイルのデータを入力とした分析の続報として、長短の主和音形(ピッチクラスの集合)について転回形を区別し、かつそれらと属七・属九・付加六の和音形に対象を限定した分析の結果を報告しました。それはそれまでに今後の課題として挙げられていた2つの分析観点のうち、和音の転回の区別を意識することで、和音の持っている機能的側面を反映した分析が可能となる可能性があるため、最低限でも主三和音形(機能としての主和音ではなく主和音の形)については転回形を区別した分析をするという課題に応じたものでした。もう一つの課題である、機能和声で用いられる、所謂「名前のついた和音」だけを対象とするのではなく、特に後期作品に行くほど増加する、「名前のない」未分析の和音を集計・分析対象とするという課題については、「名前のない」未分析の和音を網羅的に扱うことは手に余るので、直近の分析でも取り上げた旋法性に関連して、特にマーラーの「後期様式」と密接な関連を持つと指摘されている五音音階と全音音階の構成音からなる和音に対象を絞った分析を行いましたので、その結果を以下に報告します。本ブログにおけるデータ分析が持つ様々な制限や限界については前の記事で一通り触れましたので、ここでは割愛し、端的に分析のスコープと結果について述べることとさせて頂きます。


2.本分析の背景

 本分析が導きの糸としたのは、アドルノのマーラー・モノグラフに含まれる、マーラーの、特に後期作品を特徴づけるとされる和音についての指摘です。それは本ブログの別のところで準備作業を進めているマーラーの音楽における「老い」についての論考の糸口の一つでもある、老年に関するゲーテの言葉への以下のような言及から始まる、最終章「長きまなざし」の一節の中に含まれています。

「ゲーテの言葉にあるように「現象から身を引く」ために、また自分の音楽に、痛みに満ちた思い出の香りを染み込ませるために、後期のマーラーは時代のもつ異国趣味に心を傾ける。かくして中国が様式化の原則となる。」(アドルノ『マーラー 音楽観相学』, 龍村あや子訳, 法政大学出版局, 1999, p.189)

後続の箇所でアドルノは、「≪大地の歌≫の終わるところから始まっていると人が語ったのも誤りではない」第九交響曲の中間楽章について「全音階法(ママ)をさらに旋律形成に使い、またその帰結として和声進行にも利用している」と述べ、続けて以下のように述べていきます。

「マーラーは、ヨーロッパ芸術の全体の動きの中ではそれらすべてが少々古び、全音階法(邦訳原文ママ)が時代遅れとなった時点で、五音音階や東アジア風の響きを醸し出している。彼は全音階(邦訳原文ママ)に、ドビュッシーの手入れによってすでに失われてしまっていたショックのようなものを取り戻す。たとえば<地上の惨めさについて>の酔人の歌の中の「朽ちたがらくた」に全音階(邦訳原文ママ)の和音が伴うとき、音楽はさながら砕け散るかのようである(原注6)。」(同書, 同ページ)

 そして更に後続の部分で、中国が「初期のの頃に民謡が果たしていたのと似た役割を担っている。それは言葉どおりに捉えられるのではなく、本来のものでない性格によってはじめて語られるような「仮唱」なのである。」(同書, p.190)という「ありえたかも知れない民謡」についての重要な指摘ーーこれについても、本ブログの別の記事(「ありえたかも知れない民謡」としてのマーラーの歌曲についての覚書)で検討を行っていますがーーに至るわけですが、ここで問題にしたいのはそのことではなく、その具体的な手段として五音音階と共に指摘されている「全音階」についてです。

 ところで、ここで「全音階」という訳語が当てられているのは、ドビュッシーへの言及からしても、実は通常「全音階」という訳語が当てられることの多いダイアトニックスケールのことではなく、「全音音階」(英語ではwhole-tone scale)のことではないかと思って原文にあたってみると、原文ではGanztonskalaであることが確認できます(私が確認に用いたのは Taschenbuch版 Die musikalischen Monographien 所収の原文で、p.290にあたります)。新訳がでた結果、最早用済みとなって参照されることのないようにさえ見受けられる竹内豊治・橋本一範による旧訳を念のため確認すると、こちらは「全音音階」となっており、更にEdmund Jephcottによる英訳の対応箇所(p.148)を確認すると、こちらでは the whole-tone scaleとなっているのですが、何よりも上記引用の最後の部分の原注6として参照されている「大地の歌」第1楽章の対応箇所を確認すれば、訳文で「全音階の和音が伴う」と訳されているのが、全音音階の構成音からなる和音のことであることが確認できます。(ちなみに新訳では原注6の原書の誤りを指摘して、わざわざそれが「大地の歌」第1楽章の317~319小節目であると注記しているので、訳語の選択の是非はともかく、指示されている事象についての食い違いはないものと思われます。)

 従ってアドルノは、後期様式を特徴づけるものとして五音音階とともに全音音階を挙げ、それがマーラーの後期作品において使用されているという指摘を行っているわけです。全音音階といえばアドルノが引用しているように、ドビュッシーの使用例が有名であり、特に前奏曲集第1巻の「帆」では全音音階と五音音階がともに用いられていることは良く知られているでしょう。そしてドビュッシーのケースについては、パリ万国博覧会で接したガムランのスレンドロ音階の影響が指摘されることがあるようですし、アドルノのこの指摘においても、五音音階、全音音階のいずれもが東洋趣味、東アジア風の響きとして捉えられているようです。

 ということで、上記のアドルノの指摘から、分析対象の和音として、全音音階の構成音からなる和音を追加することが考えられるわけですが、そうした記述に接して改めて前の記事でも取り上げた付加六の和音について考えてみると、こちらは平行調関係にある長調・短調の主三和音の複合であるだけではなく、所謂「四七抜き」と呼ばれる五音音階の構成音と重なっていることに思い当たります。実際には付加六は、五音からなる五音音階の構成音のうち第二音を欠いたものですので、ここから出発して更に、付加六のみを対象とするのではなく、五音音階全ての音を構成音とする和音ーーこれは伝統的な理論では所謂「名前のない」和音であり、それゆえこれまで集計はしても分析の対象にはしてこなかった訳ですがーーを分析対象の特徴量に追加することが考えられます。

 また上記のアドルノの指摘を踏まえた時、後期様式を特徴づける和音に関する指摘として、更に、第5章「ヴァリアンテーー形式」に出てくる以下の指摘のことも思い当たります。

「(…)この楽章(引用者注:=第七交響曲の第一楽章)はマーラーがそれまでに書いた作品のどれよりも感覚的に色彩に富んでいる。彼の後期の交響曲はこの点を重視することとなった。長調は、音をさらに付加されることにより、長調を超えるものとして光を放つ。ブルックナーの第九交響曲のアダージョの有名な和音のようである。」(アドルノ『マーラー 音楽観相学』, p.134)

 第七交響曲の特に第一楽章における所謂「超長調」についてのこの指摘は、例えば第七交響曲(改訂版)のフィルハーモニア版ポケットスコア(日本国内では音楽之友社刊, OGT1479)の序文(F.S.というイニシャルの署名付き, p.iii)でも参照されており、これはこれで有名なものですし、 その具体的な様相は別の機会に独立した話題として取り上げるに相応しい豊かなものですが、ここで思い当たるのは寧ろ、上で引き合いに出されているブルックナーの第九交響曲のアダージョの和音の方で、これは付加六に更に九度を加えたものなのですが、と同時に、ピッチクラスの集合としてみた場合には、まさに五音音階の構成音全てからなる和音に他なりません。

 ブルックナーの第九交響曲に東洋趣味を見るのはお門違いも甚だしいということになるでしょうが、であれば寧ろ、それが東洋趣味に由来するものであるかどうかとは別に、長調に音を付加された結果としての「超長調」という、既存の調性感を超えた領域への移行に関わるものとして五音音階性を捉えることができるように思います。そして五音音階や全音音階のような、既存の全音階法(こちらは文字通りのダイアトニックスケールのことですが)を超えるメカニズムを「旋法性」と名付けるのであれば、付加六は確かにその一部(五音音階性の側)の現われであるということは言えるのではないでしょうか。

 しかしその一方で、上記のような見方に立った時、前の記事までで論じてきたことに対しては、以下の2点の修正を施すべきではないかという仮説が導かれるように思います。

 まず1点目の修正点として、マーラーの後期様式を具体的に特徴づけるものとして、少なくとも2つの異なる「旋法性」が存在することになります。一つは従来想定してきた付加六との関りが深い五音音階であり、今回それに加えて全音音階を考慮すべきであるということになります。ここから付加六だけに注目するのではなく、五音音階の構成音全てから成る和音も分析対象に加えるべきであるだけではなく、全音音階の構成音についても分析対象に加えるべきであることになります。

 更に付加六が五音音階の一部の構成音からなる和音であるとしたとき、まさに五音音階の構成音からなる C-D-E-A-G という並びをマーラーの旋律の或る種のプロトタイプ(基本的原型(原語は basic shape)と彼は呼んでいます)と考える、フィリップ・バーフォードの以下の見解が思い起こされます。

「(…)マーラーの交響曲の楽章間にはさらに精妙を極める結びの糸が張りめぐらされており、そのことは彼の書いたほとんどすべての作品で跡づけることができる。次に示すものは基本的原型とも言うべきもので、マーラーの抒情的インスピレーションに支配的な旋律の流れの特徴的曲線構造である(譜例1)。」(バーフォード, 『マーラー/交響曲・歌曲』(BBCミュージック・ガイド・シリーズ), 砂田力訳, 河村譲二補訳, 日音プロモーション, 1987, pp.12~13 )

 上記で譜例1として掲げられているのがC-D-E-A-G という並びであり、これが「特に後期の交響曲においては、半音階的仕上げで隠されている」(ibid.)という指摘に続いて、

「さらにまた特徴的なことは、譜例1で示されたこの基本音型が<付加6度>の和音に含まれていることであり、それは<大地の歌>の最終ページで重要な役割を演じている(譜例2)。」(同書, 同ページ)

という指摘が為されるのですが、バーフォードの主張が正しいとするならば、五音音階的要素は、後期作品のみならず、マーラーの作品一般にみられる特徴であるということになり、それを後期様式のみの特徴に限定することはできないことになります。これが2点目の修正点です。

 実際少し思い起こしてみるだけで、少なくとも中期交響曲と密接な関連を持つリュッケルト歌曲集等において既に、「大地の歌」に先駆けて、五音音階的な旋律(例えば「私はこの世に忘れられ」)や全曲の終止における付加六の使用(例えば「私はやさしい香りをかいだ」)の例が思い浮かびます。更にアドルノが上記の引用箇所に先立って、「美しさゆえに愛するならば」について

「(…)歌声は主音の六度上のイ音で終わり、主和音とは不協和である。」(アドルノ『マーラー 音楽観相学』, p.187)

と指摘している通り、歌唱部分の結びに付加六が現れていることも思い起こされます。またマーラーの作品と他の作曲家の作品との比較においては、付加六の使用こそがマーラーを特徴づけるものであることはこれまでの分析で十分に明らかにされていると思います。

 但しその一方で、マーラーの作品間の比較において、出現頻度の観点から付加六の和音について確認するならば、その頻度が後期に向けて徐々に高くなり、優越した要素になっていくという点については、これまでの分析結果が事実として示していますので、後期作品のみの特徴というわけではなくても、後期で優位に立つ特徴ということは言えるわけで、全体としては、

全音階的(diatonic)な要素/五音音階的(pentatonic)な要素(付加六)/全音音階(whole-tone scale/Ganztonskala)的な要素

の3つの間の関係について、時代区分の沿った変化に注目しつつ、データ分析によって確認していくべきであるということになりそうです。そして、これらを分析しようとした場合、機能和声的な各種の理論で扱われるような、所謂「名前のついた」和音のみを対象とした分析では不十分であり、それなりの頻度で出現しながらこれまで分析の対象となってこなかった「名前のない」和音にも分析の対象を広げる必要が出てくることになります。


3.分析条件

 上記のような検討から、追加の分析を以下のようにレイアウトすることにしました。

対象とする和音:長短主和音形の基本形(maj, min)、長三和音の四六の和音(maj46), 属七(dom7)、属九(dom9)、付加六(add6)に加えて、五音音階の全ての構成音による和音(penta:ピッチクラスセットID=31)、全音音階の構成音による和音3種、即ち全てを含むもの(ganz:ピッチクラスセットID=1365)、5つを含むもの(ganz-1:ピッチクラスセットID=341),、4つを含むもの(ganz-2:ピッチクラスセットID=277)の合計10種類の和音パターンが各拍の頭で出現する頻度(100拍あたり)を特徴量としました。なお、特徴量を上記10種にするにあたっては、長短主和音形の基本形(maj, min)、六の和音(maj6, min6)、四六の和音(maj46, min46)の全てを含んだより大きな特徴量の集合で予備的な実験を行い、上位の主成分での説明率ができるだけ高くなるような特徴量(和音)の組み合わせを選択した結果になります。

分析手法:今回の分析の対象となる特徴量については事前に、和音の間での出現頻度の違いが大きいことが判明しています。具体的には、マーラーの交響曲全体での出現頻度を比較した時、従来分析対象としてきた「名前のある」和音パターンと比べて、全音音階の構成音全てを含む和音パターン(ganz)のみはそのいずれよりも低いですが、それ以外(penta, ganz-1, ganz-2)の出現頻度は他の「名前のある和音」と比べて特段低いわけではありません。一方、今回の分析対象の中では、特に長三和音基本形(maj)の出現頻度は他に比べて明らかに高いため、標準化を行なわずに分析を実施した場合に、他の和音パターンの寄与が見えにくくなることが予想されます。そこで今回は標準化ありの主成分分析のみを行うことにして、五音音階性、全音音階性の特徴が浮かび上がるようにしました。

分析対象のデータ:まずマーラーの交響曲の間の比較を従来と同じデータセットを用いて行いました。次いでマーラーと他の作曲家の作品との比較について、前回の実験と同じ以下の作品のデータセットについて行いました。(括弧内は以下に示す分析結果におけるラベルを表します。)分析は曲を単位として行い、多楽章形式の作品については各和音形(ピッチクラスの集合)について全曲の各拍頭での出現回数を累計し100拍あたりの出現頻度を求めました。

    • マーラー(mahler):第1~10交響曲、大地の歌(mahler1~10, mahlerErde)
    • ブラームス(brahms):第1,2,3,4交響曲(brahms1,2,3,4)
    • ブルックナー(bruckner):第5,7,8,9交響曲、第9交響曲フィナーレ(bruckner5,7,8,9,9f)
    • スメタナ(smetana):我が祖国(smetanaMaVlast)
    • ドヴォルザーク(dvorak):第7,8,9交響曲(dvorak7,8,9)
    • ヤナーチェク(janacek):シンフォニエッタ(janacekSym)
    • フランク(franck):交響的変奏曲、交響曲)(franckVar,  franckSym)
    • ラヴェル(ravel):ダフニスとクロエ第2組曲、優雅で感傷的な円舞曲、左手のための協奏曲、ピアノ協奏曲ト調(ravelDaphnis, ravelValNS, ravelLeftPC, ravelPC)
    • シベリウス(sibelius):第2,7交響曲、タピオラ(sibelius2,7,sibeliusTapiola)
    • タクタキシヴィリ(taktakishvili):ピアノ協奏曲第1番(taktakPC1) 

4.分析結果

(A)マーラーの交響曲間の比較

 マーラーの交響曲間の比較を第1主成分を横軸、第2主成分を縦軸とした上記のプロットで確認すると、第3象限(左下)方向のベクトルとして長三和音基本形(maj)、それに対して逆方向の第2象限(右上)方向のベクトルとして全音音階の構成音からなる和音(ganz, ganz-1, ganz-2)が確認でき、それらと直交する第4象限(右下)方向に属和音・五音音階構成音の和音(付加六を含む)のベクトルが確認できます。そして大まかには時代区分に沿う形で、第2象限の第1交響曲から反時計回りに、主として第2象限に第2~第5、第7交響曲、第3象限に第6、第8交響曲、第1象限に「大地の歌」と第9、第10交響曲が位置していて、特に横軸に近い軸に沿って、概ね年代順に作品が並ぶ傾向が確認できます。そしてそれは以下の第1主成分得点が示す傾向でもあります。

 

第1主成分得点

第1主成分負荷


 第1主成分は大まかには年代別の傾向を示す成分で、後期に行くほど点数が高くなる傾向にあります。初期には長三和音基本形と46の和音、短三和音が優位であったのが、時代とともにそれ以外の七の和音、九の和音、五音音階的な要素、全音音階的な要素が優位になっていく傾向が抽出されたものと言えます。ただし後に見るように、それぞれの傾向がどこから強まるかについては違いがあり、五音音階的傾向は第6交響曲以降、全音音階的傾向は「大地の歌」以降の後期作品で強くなっており、そのずれによって各時期の特徴が区別できるように思われます。


第2主成分得点


第2主成分負荷


 第2主成分については、全音音階的傾向が強いものの得点が高くなるという特徴を持っています。第1交響曲が例外ですが、それ以外については、第8交響曲までが中立か非全音音階的、「大地の歌」以降の後期作品は全音音階的傾向が強くなっていることが読み取れます。第1交響曲の得点が高いのは、最初に掲げたbiplotグラフから判断する限り、後期3作品が全音音階的要素が強い傾向にあるのとは違って、寧ろ第6交響曲や第8交響曲を特徴づける五音音階的要素が極度に弱い点に起因すると考えるべきだと思われます。
 
 実際、元データを確認してみても、第1交響曲は全音音階的和音3種(ganz, ganz-1, ganz-2)合計で100拍につき0.7であり、これは第3,4交響曲とほぼ同じなのに対して、第6交響曲以降の作品では100拍につき1回を超える頻度です。逆に五音音階系2種(add6, penta)の頻度について見ると、第1交響曲は2種合計で100拍につき3回を切る唯一の作品で、全交響曲中最低です。逆に第6交響曲以降の後期作品では100拍につき5回を超える頻度となっており、前回までの付加六のみを対象とした分析結果でも確認できた、後期にいくに従って五音音階系の特徴(これを前回の分析では「旋法性」と呼んだのでした)が強まっていく傾向は、本分析でも確認できます。


(B)マーラーと他の作曲家の作品間の比較


 マーラーと他の作曲家との比較においては、従来の分析と同様、マーラーの作品は非常にコヒーレンスが高く、特徴が鮮明で一貫している一方で、作曲年代による違いもあって、年代を経ることによる傾向の推移が比較的明確に読み取れる特徴がここでも確認できます。上記のプロットでは中心より下側の中央から右側にかけて、左右に初期・中期・後期と並んでおり、本分析の結果上は、時代を経るに従い推移する特徴は横軸の第1主成分軸に、マーラー作品全体に一貫した特徴は縦軸の第2主成分に現われていると見ることができそうです。ブラームスは中心から見た場合、マーラーの概ね反対側に固まっているのに対し、ブルックナーやドヴォルザークは両者をつなぐ中間的傾向があると言えそうです。ラヴェルは第2主成分軸方向には一貫していますが、第1主成分方向には作品による違いが大きく、大きく2つのグループに分かれることが読み取れます。しかしながら極端なのはシベリウスであり、作品間のばらつきが非常に大きく、左下から右上にかけて幅広く分布していることがわかります(ちなみにこの傾向は前回の分析でも確認できた特徴です)。


第1主成分得点

第1主成分負荷

 第1主成分は属九と五音音階系、全音音階系が優位だと得点が高い傾向にあります。
前回の分析では属七と属九を一緒にして計算しましたが、今回の分析で見る限りは、属九は寧ろ九の和音としての五音音階系、全音音階系との共通性の方が優っていて、その分布は寧ろ五音音階系や全音音階系の要素に近い傾向があるように見えます。第1主成分が高いグループと低いグループは作曲家毎にはっきり分かれていて、マーラーはラヴェルやシベリウスとともに高いグループ、他の作曲家は低いグループに分かれるようです。但し例外があって、アドルノが「超長調」について語る際に言及したブルックナーの第9交響曲は高いグループに、シベリウスの中でも作曲時期が早い第2交響曲は低いグループに属していることが確認できます。

第2主成分得点

第2主成分負荷

 第2主成分については五音音階系の要素の強弱が主として影響していることが負荷から確認できます。こちらも第1主成分同様、作曲家毎の傾向は明確で、マーラーはラヴェル、タクタキシヴィリと並んで点数が低いグループに属します。マーラーについては第1主成分とは異なって、時期毎に異なる傾向を示すのではなく、全般に点数が低いことが見てとれます。主成分得点が高いグループの中でもシベリウスの「タピオラ」の得点が突出していますが、これについては第1主成分と組み合わせてみると、同じく主成分得点の高いグループの他の作品とは得点の高さの理由が違うことがわかります。本分析結果を確認後、調べてわかったことなのですが、実は「タピオラ」は全音音階を用いた作品として知られているようで、実際に出現頻度を確認してみたところでも、全音音階的な要素が非常に高頻度に現われているのに対し、同じグループの他のメンバーは五音音階的でない(つまり付加六および五音音階の構成音全てと含む和音の頻度が低い)点では共通していても、寧ろ全音階的な要素が強い結果として主成分得点が高くなっている傾向が読み取れるように思います。

 なおラヴェルの「ダフニスとクロエ」や「優雅で感傷的な円舞曲」も全音音階系の和音の出現頻度が有意に高く、マーラーの第6交響曲以降においてganz, ganz-1, ganz-2の全音音階系和音3種合計で100拍につき1回を超える以外には1を超える作曲家・作品は他にありませんが、「ダフニスとクロエ」は4.5回、「優雅で感傷的な円舞曲」は3.5回となっています。それに対してシベリウスの「タピオラ」は3つ合わせると100拍につき10回強、しかもマーラーの後期の一部作品とラヴェルの「ダフニスとクロエ」以外では出現しない全音音階の構成音を全て含む和音(ganz)の出現頻度が100拍あたり2.5回で、この和音が出現する他の作品に比べても2桁多い結果となっており突出していることが元データから確認できます。ちなみにシベリウスの他の作品について見ると、第2交響曲は全音音階系3種合計で100拍につき0.2程度で頻度が低いグループに属しているのに対し、第7交響曲は1弱でブルックナーの第9交響曲と並んで全音音階系和音の出現頻度については中間的なグループを構成していて、作品間で特徴がまちまちの傾向があるようです。


5.まとめ

本分析の主たる着眼点であった、全音階・五音音階・全音音階の各要素の強さにより、マーラーの交響曲間の分類、マーラーと他の作曲家の作品間での分類は概ね以下の通りとなっていることが分析結果から読み取れるように思われます。なお、以下の+/-はあくまでも比較対象内の相対的な傾向を示すものであり、主成分分析結果のプロットの各象限を特徴づけるために恣意的に単純化した面があることは否定できません。(注記:全音階性は他の作曲家と比較した場合には寧ろマーラーを特徴づけるものですし、特に第6交響曲、第8交響曲については主和音形の出現頻度が下がっているわけではなく、全音階性を"-"とするのは明らかにミスリーディングでラベルとしては適切ではありませんでした。より適切なラベルに修正すべきかも知れませんが、適当なものが思い浮かばず、マーラーと他の作曲家の作品間の分類と併せ、属九和音優位というのを、飽くまでも今回の結果を要約するための便宜的なものとして採用して修正することとします。この点については、本稿をお読み頂いた方からご指摘をうけて再検討した結果、注記と訂正に至りました。この場を借りて、ご指摘に感謝いたします。)

(A)マーラーの交響曲内の分類
第2象限(三和音+/五音音階-/全音音階-):第1交響曲
第3象限(三和音+/五音音階+/全音音階ー):第2~5,7交響曲
第4象限(属九+/五音音階+/全音音階ー):第6,8交響曲
第1象限(全音階-/五音音階+/全音音階+):『大地の歌』、第9,10交響曲

(B)マーラーと他の作曲家の作品間の分類
第1主成分
属九・五音音階構成音・全音音階構成音優位:シベリウスの第7交響曲およびタピオラ、ラヴェル、後期マーラー、ブルックナーの第9交響曲
三和音・属七優位:ブラームスなど上記以外の作曲家・作品、シベリウスの第2交響曲、初期マーラー
第2主成分
五音音階+:マーラー、ラヴェル、タクタキシヴィリのピアノ協奏曲第1番
五音音階ー/全音音階+:シベリウスのタピオラ
五音音階-/全音階+:上記以外の作曲家・作品、シベリウス第2,7交響曲

(2023.5.21公開、5.22更新、5.24:指摘をうけて「5.まとめ」に注記を追加し、分類のラベルを修正, 5.31「美しさゆえに愛するなら」についてのアドルノの指摘について追記)


[付録]ダウンロード可能なアーカイブ五音音階・全音音階分析.zip の中には以下のファイルが含まれます。

(A)マーラーの交響曲間の比較(フォルダ名gm_sym_cat)

(A1)入力データ
 gm_sym_cat_57.csv:分析対象の和音形(maj, maj46, min, dom7, dom9, add6, penta, ganz, ganz-1, ganz-2) の分析対象作品毎の出現割合
 gm_sym_cat_col.csv:対象作品の作品に対応した色(主成分得点グラフで使用)
 gm_sym_cat_label.csv:対象作品の作品名ラベル

(A2)主成分分析結果
 prcomp_T.jpeg:主成分分析(scale=T)結果のbiplotグラフ
 ggbiplot_12.jpeg:主成分分析結果(第1,第2成分)のggbiplotグラフ
 ggbiplot_23.jpeg:主成分分析結果(第2,第3成分)のggbiplotグラフ
 pr_score-[1-3].jpeg:主成分得点のbarplotグラフ
 prcomp_PC[1-3].jpeg:主成分負荷量のbarplotグラフ


(A3)分析履歴
 hist.txt:R言語を用いた分析履歴(Windows版R言語 ver.4.1.0をR studio上で実行)。
 主成分分析結果サマリを含む。

(B)マーラーと他の作曲家の作品の比較(フォルダ名gm+control_cat)

(B1)入力データ
 gm_control_cat_add6.csv:分析対象の和音形(maj, maj46, min, dom7, dom9, add6, penta, ganz, ganz-1, ganz-2) の分析対象作品毎の出現割合
 gm_control_cat_col.csv:対象作品の作曲家に対応した色(主成分得点グラフで使用)
 gm_control_cat_label.csv:対象作品の作曲家名ラベル

(B2)主成分分析結果
 prcomp_T.jpeg:主成分分析(scale=T)結果のbiplotグラフ
 ggbiplot_12.jpeg:主成分分析結果(第1,第2成分)のggbiplotグラフ
 ggbiplot_23.jpeg:主成分分析結果(第2,第3成分)のggbiplotグラフ
 pr_score-[1-3].jpeg:主成分得点のbarplotグラフ
 prcomp_PC[1-3].jpeg:主成分負荷量のbarplotグラフ


(B3)分析履歴
 hist.txt:R言語を用いた分析履歴(Windows版R言語 ver.4.1.0をR studio上で実行)。
 主成分分析結果サマリを含む。

[ご利用にあたっての注意] 公開するデータは自由に利用頂いて構いません。あくまでも実験的な試みを公開するものであり、作成者は結果の正しさは保証しません。このデータを用いることによって発生する如何なるトラブルに対しても、作成者は責任を負いません。入力として利用させて頂いたMIDIファイルに起因する間違い、分析プログラムの不具合に起因する間違いなど、各種の間違いが含まれる可能性があることをご了承の上、ご利用ください。

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