『大地の歌』が喚起する、眼前に確かに広がると感じられる風景は、一体何処のものなのか? 1世紀以上の時間的な隔たりと地球を1/3周分の空間的な隔たりを介して21世紀の日本でこの作品に接する者にとって、マーラーの作品のみならず、西洋のクラシック音楽の中でも特異な相貌を示すこの作品は、良かれ悪しかれテクノロジーの影響下にある長い受容の歴史を経て尚、未だ謎めいた存在であることを止めないかに見える。
クルト・ブラウコップフ等が指摘するように、マーラーの作品の普及にはLPレコードを代表とする録音技術の発達が大きく寄与してきたが、『大地の歌』に関しては1936年のSPレコードへの収録以来、LPレコードからCDを経て今日に至る迄に膨大なディスコグラフィーが築かれ、過去の歴史的名演の数々を何度も繰り返し聴くことができる替りに、その特異な編成ゆえか、マーラーの演奏が当たり前になった今日となっては、演奏頻度が飛躍的に向上した他の作品に比べ、実演に接する機会は寧ろ相対的に減っているかのようだ。のみならず、ラジオやテレビによる実況放送に加え、Live Streamingのような技術によって「生演奏」自体がますます仮想化しつつあるかに見える。
他方、作曲の当時マーラーが見ていた風景はと言えば、既にマーラーの時代に存在していた写真に加え、現在では例えばGoogle Street Viewを用いれば、(これはマーラーの時代にようやく発明されたばかりで実用化前であった)飛行機に乗り、鉄道や車により現地を訪れることなく、自宅でドロミテの風景の中を仮想的に移動することができる。今や、トーブラッハを訪れたデチャイが書き留めた、マーラーが毎日午後に逍遥したとされる道を逍遥することすらできるのだ。だがだからといって、マーラーがドロミテの風景を通して、アドルノのいう「仮晶(Pseudomorphose)」として構築した風景が其処にあるということはできない。それは端的に、作品の裡に仮想的なかたちでしか存在しえないのだ。
『大地の歌』の歌詞の素材である、漢詩に基づくハンス・ベトゲの追創作(Nachdichtung)を巡っては、オリジナルの漢詩の推定は勿論、エルヴェ・サン・ドニやユディット・ゴーチェの仏訳やハイルマンの独訳を経由したベトゲの追創作の過程が追跡され、誤訳の実証的な指摘さえされてきた。だが既に半世紀近く前に吉川幸次郎が指摘している通り、漢詩はあくまで素材に過ぎず、ベトゲのみならず、マーラー自身による自由な変形を受けている点を見落としてはならず、仮想のものでしかない中国の風景もまた、そうであることにより、吉川の指摘の通りに、中国的であると同時に普遍的なものたり得ているのである。
更に言えば、歌詞に対するハンス・マイヤーの辛辣な評に対しアドルノが述べた通り、素材に過ぎない詩のみを音楽と独立に論ずるのは、文化的な潮流、時代の嗜好としてのオリエンタリズムやら当時流行の世紀末的な「死のイメージ」やらに還元することと同様、マーラーの疎外の意識が「仮晶」としてこの作品に定着したものを損ない、この作品において達成されたものを却って見えなくさせてしまう危険があるだろう。
『大地の歌』が交響曲か否かという問題もまた、「第9の迷信」に関連づけ、単純な二者択一を論じるのは皮相である。コンサートやCD販売といった興行や流通の制度からは厄介者扱いされるであろう、大管弦楽と2名の歌手を必要とする交響曲にして連作歌曲というユニークな形態の作品が、創作の到達点の一つとして産み出されたことこそが、マーラーの創作の特異性を示しているのである。歌詞と音楽との関係は勿論、変形の技法とともに、独自の「調性格論」(Tonartencharakteristik)をベースにした発展的調性によるシンフォニックな作品の設計が実現する6つの楽章間の多層的な構造を、ある時にはその中を逍遥し、ある時には俯瞰しつつ具体的に眺めていくことこそ重要であり、そうしてこそこの作品の無尽蔵の豊饒さに触れ、この形態でのみ実現可能な実質を捉えうるのでないか?
『大地の歌』という作品の実質を把握するにあたり、例えば、題名にも含まれるErdeという単語の孕む、有限で悲惨な「地上」と永遠に輝く「大地」との両義性を、どう訳し分けるかといった翻訳の問題から辿るのは一見したところ本末転倒に見えるかも知れない。
だが上述のような、素材のレヴェルでの、狭義の翻訳には収まらない変形・変換の介在を思えば、ことこの作品に限っては翻訳の問題は決して副次的ではないし、もっと言えば、別にマーラーでなくても、歌詞つきの音楽でなくても、異国の音楽を受容するに際しては、無意識的であれ、何らかの「翻訳」が為されているに違いない。日本人にとっては外国語であるドイツ語の歌詞を十分に身体化できないことの逃げ口上ではなしに、歌詞の注釈として音楽を解釈するような姿勢はこの作品には相応しくないし、楽曲においてもそうであるように、歌詞の水準においても、単なるポプリ、アンソロジーではない、絶えざる変形と複数の層の重ね合わせにより構築される仮想的な世界に端的に向かい合うべきなのだ。
日本から見れば所詮は外国であるけれど、非常に長期に渉って徹底した影響を受け、独特の受容をしてきた経緯から、西洋のオリエンタリズムに対して、謂わば「対偶」の位置から中国に向き合うのであれば、日本において問題となるのは、単純な洋の東西の差異ではありえない。万延元年に生まれ、明治44年に没したマーラーの同時代の、未だ漢詩を自ら作る伝統を受け継いでいた日本人であればともかくも、1世紀後の日本に生きる人間にとって、『大地の歌』の「原風景」にしても、どこか既視感のあるものであり乍ら、最早過去のものであり、かつての日本人に比べてずっと意識的に向き合うものでしかないだろう。
だが逆にそれだけに一層、非本来的なものを擁護する戦略としてマーラーがとった、漢詩を素材とした擬態が孕む屈折により浮かび上がる風景の見え方の面において、不思議な近さ、もっといえば構造的な同型性の如きものを感じずにはいられない。この音楽が指し示す仮想的な場所を、マーラーがドロミテの風景に「仮晶」として見たのと構造的に似た仕方で、我々は日本の風景の中に、やはり「仮晶」として見出すことができる、のみならず寧ろ逆説的に、精神的なLandscapeとしては、本物の中国の風景よりもそちらの方が(非在としての)「真実」と名指すにふさわしいように感じられるのである。
そしてその由来を問うならば、マーラー個人の様式を特徴づける、複合的な楽曲構造の重ね合わせや楽章間の非因習的な関連づけこそが、有限で儚く、永遠性に与れない、過ぎ行くものとしての自己の限界の認識によってもたらされる、かつては憧れの対象であった「愛する大地」の永遠性に対する疎外の意識が生み出すErdeの両義性、単純な対立でもなく、対立の止揚、解消でもないようなErdeに対する見方を導き出すことに気付かされる。
単純な反復を忌避するマーラーの嗜好や、不連続的な相転移も含めて複雑に展開するマーラーの音楽の動的な性格は、単純なシンメトリーや冒頭に回帰する円環的な時間構造と対立し、緊張をもたらす契機であり、東洋的と言われ、内容上、春の訪れの反復による循環のうちに永遠性を見出すかに見える『大地の歌』もまた、地上の悲惨さの認識から自己の有限性への受容へと至る心的過程の音楽的実現こそがその実質であろう。
そのことは例えば、「悲劇」の調であるイ短調で始まる第1楽章において、マーラーがベトゲの詞章を改変し、詩の中で酒杯を干す前に、琴か箜篌か或は琵琶かを弾きつつ歌う歌詞として入れ子状に埋め込んだ、第6楽章末尾の予告であるところの第3連がmemento moriの調であるヘ短調で歌われるのが、一旦、第5楽章末尾で(第6交響曲第1楽章や第10交響曲第1部のように)同主調のイ長調に到達した後、第6交響曲同様ハ短調でフィナーレたる第6楽章が再開し、最後は冒頭の平行調にあたるハ長調に辿り着き、更にそれまでのマーラーのモットーであった長調から短調への推移を宙に吊ってしまうかのように、付加6の和音で作品全体が閉じられるという調的設計自体が物語っているものなのだ。
マーラーがワルターに第3交響曲作曲時に言った「もう作曲してしまったから、現実を見るには及ばない」という、自信過剰な芸術家の大言壮語と見做されかねない言葉を、「作曲とは世界の構築である」という、これまたそれ自体、文学的修辞の類として比喩的に受け止められがちな言葉を文字通りに受け止めることを通じて理解し、必要であれば既存の楽曲分析の枠組みを超え、複製技術を介さない実演という契機を含めた音楽的「出来事」の過程の全体を複雑系としてシステム論的に捉えることによってこそ、マーラーが遺したものを受け止め、未来へと向けて応答することが可能になるのではなかろうか。
今回の実演の企画が、演奏に参加する人のみならず、聴き手も含めて、まさにそうした「今」「此処」における『大地の歌』の生産的な受容にとってのまたとない「出来事」となることを願って止まない。
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