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2020年1月26日日曜日

アメリカの消防士のゴング?:第10交響曲についてのアドルノの言及を巡って(2020.1.28更新)

 アドルノの『マーラー』の最後の章「長きまなざし」の中に、第10交響曲の「プルガトリオ(煉獄)」末尾のゴング(タムタム)に関する言及があるのだが、以前この部分を読んだ時に、「おやっ」と思って記したメモが残っている(実はメモのままこのブログの記事として公開状態にある)。もともとが雑多な覚えの末尾に、その直前のメモの主題とは全く別に、おまけのようにそのことを書き記したこと自体、実は半ば忘却の彼方に去っていたのだが、どなたかがその「メモ」を読んで下さったお蔭で思い出したので、感謝の気持ちを籠めて、些事ではあるけれど備忘としてここで取りあげて置くことにする。

 問題のアドルノの文章は以下の通りである。

(...) Diesem könnte die Geschichte von dem Tamtamschlag des Feuerwehrmanns in Amerika entlehnt sein, der Mahler einen traumatischen Schock versetzt haben soll und der wohl am Ende des »Purgatorio«-Fragments aus der Zehnten Symphonien wiederkehrt;  (...)
Taschenbuch版全集第13巻pp.291-292, 龍村訳 pp.191~192

前後を読むと、ここではカフカについて論じられているのだが、私が気になったのはその本来の論旨から言えば、どちらかといえば些末な事実に関することであった。アルマの『回想と手紙』の読者であれば、否、そうでなくても、第10交響曲についての作品解説の類でも良く参照されるので、それを通じて知っている人も多いだろうが、アルマの『回想』の中にアドルノが言及しているエピソードが出て来はしても、それは厳密に言えば、アドルノが述べている通りではないのである。

 アドルノのモノグラフの全訳としては2つ目の訳業ということになる龍村訳にはかなり豊富な訳注がつけられており、ここの部分にも訳注が付けられているので、それを参照した読み手は、もう一度「おやっ」と思うことになる。そこでは

「アルマ・マーラーによると、第十交響曲の葬送のゴング(タムタム)は、ニューヨークで夫妻がホテルの窓から見た、殉死した消防士の葬儀の印象に由来しているという。」(龍村訳 訳注(VIII 長きまなざし)*8 p.259)

と述べられており、ミッチェル版の『回想』の対応箇所のページ数が記されているのである。つまりこの訳注では、恰もアドルノの言及の通りにアルマが回想で述べているかのように書かれている。

 ところが知っている人は知っている通り、この訳注は事実に反しているのだ。アルマの『回想と手紙』を確認してみることにしよう。私は、酒田健一訳の1973年に白水社から出版された旧版を子供の頃に入手して以来ずっと手元に置いて参照してきたので、それを引用することとさせて頂きたい。それは「新世界 1907-1908年」の章に出て来る、以下のパラグラフのことに違いない。

「若い美術工芸学校の生徒のマリー・ウヒャーティウスが、ある日マジェスティック・ホテルに私をたずねてきた。話しこんでいるうちに、私たちはふと聞き耳を立てた。セントラルパーク沿いの大通りが騒がしい。窓からのり出して見ると、下は黒山のような人だかりがしている。葬式だった―行列が近づいてくる。そういえば新聞に、消防士が一人火事で殉職したという記事が出ていた。行列がとまった。代表者が前に進み出て、短い挨拶をした。私たちのいる十二階からでは、なにかしゃべっているらしいとわかっても、声までは聞こえてこない。挨拶のあとちょっと間をおいてから、おおいをかぶせた太鼓が一つ鳴った。あたりは水を打ったように静まり返り、やがて行列は動き出し、式は終わった。
 この風変わりな葬儀を見ているうちに、私の目には涙があふれてきた。おそるおそるマーラーの部屋の窓のほうをうかがうと、彼も身をのり出していて、その顔は泣きぬれていた。このときの光景は彼によほど深い感銘を与えたとみえて、のちに彼はあの短い太鼓の響きを『第10交響曲』のなかで使っている。」
(アルマ・マーラー『グスタフ・マーラー 回想と手紙』, 酒田健一訳, pp.155~156)

このくだりを読んだ人は、まず間違いなく、アルマが参照しているのは、第10交響曲の第4楽章のスケルツォの末尾、第5楽章のフィナーレの冒頭に鳴る、あの忘れ難い大太鼓の一撃であると考えることであろう。勿論、アルマは明確にそこの部分だと指示しているわけではないけれど、それにしても、「おおいをかぶせた太鼓が一つ鳴った。」とあって、それがゴング(タムタム)ではないことは間違いない。念のため対応の箇所の原文をあたっても 、

Die junge Kunstgewerbeschülerin Marie Uchatius war einst bei mir in Hotel Majestic. Wir wurden aufmerksam. Auf der breiten Straße, entlang des Centralparks, Getümmel und Lärm. Wir lehnen uns aus dem Fenster, unten eine große Menschenmenge. Ein Leichenbegängnis ― der Kondukt naht. Jetzt wissen wir auch aus unsern Zeitungskenntnissen, es war ein Feuerwehrmann, der bei einem Brand den Opfertod fand. Der Zug steht. Der Obmann tritt vor, hält eine kurze Ansprache, wir ahnen im 11. Stock mehr als wir hören, daß gesprochen wird. Kurze Pause, dann ein Schlag auf die verdeckte Trommel. Lautloses Stillstehen ― dann Weitergehen. Ende.Diese seltsame Totenfeier preßte uns die Tränen aus den Augen. Ich sah ängstlich zu Mahlers Fenster hin, aber da hing auch er weit hinaus, und sein Gesicht war tränenüberströmt. Die Szene hatte einen solchen Eindruck auf ihn gemacht, daß er diesen kurzen Trommelschlag in der Zehnten Symphonie verwendet hat.(酒田訳がそれに基づいている1949年版原書(アンシュルス後、第二次世界大戦中の1940年に出版された初版の、戦後出版された再版)ではp.170、現在入手しやすいと思われるFischerから出ている『回想』部分のみのTaschenbuch版ではp.163)

となっていて、やはりゴング(タムタム)ではないのである。いやこういうのは私だけではない。というよりも私がほとんど反射的に「おやっ」と思ったのは以下の理由による。
 
 これも上記の『回想と手紙』と並んで、子供の頃からの伴侶であった2冊のうちのもう1冊であるマイケル・ケネディの『グスタフ・マーラー』(中河原理訳、芸術現代社、1978年)は、著者がデリック・クックの知己であることもあって、第10交響曲に関する正確でかなり詳細な情報を含んでいるのが一つの特徴となっているが、その第5楽章の紹介のくだりは以下のようになっていて、この件を記憶した子供であった私の中では、アルマの回想が第4楽章のスケルツォの末尾、第5楽章のフィナーレの冒頭に鳴るバスドラムと関連していることは「事実」も同然であったわけなのである。

「これが何を意味するか、君だけが知っている」とマーラーはアルマにあてて、このスコアに書いている。マーラーはふたりがはじめてニューヨークに行ったとき(1907年12月から翌年4月まで)の出来事に触れているのである。このときはセントラルパークを見おろすホテル・マジェスティックに泊った。英雄的な死をとげた消防士の葬列が窓の下にとまった。歩き始めるまえに、覆いをつけた太鼓が短く鳴った。感じやすいマーラーはこれを眺め、涙がほほを伝った。その太鼓がこの終曲を開始し、ニ短調を保ってゆく。(…)
マイケル・ケネディ『グスタフ・マーラー』(中河原理訳、芸術現代社、1978年、p.233)

アドルノの側について言えば、彼自身は、例によってこういう側面の参照に関してはその典拠についての注をつけていないので、確実にアルマの回想の上掲のエピソードを参照しているという証拠があるわけではないとはいうものの、他にこれに替るドキュメントがあるものか、寡聞にして知らない。もしアドルノが言及している通りの、ゴングが鳴り響くアメリカの消防士に関するエピソードというのが別にどこかにあるのをご存知であれば、是非ご教示頂きたくお願いする次第である。

 ちなみにこの第10交響曲がマーラーの早すぎる晩年に訪れた、一般的には家庭内の不和ということになるであろう出来事に関わることは良く知られている。ケネディの評伝は伝記と作品解説の2部に分かれるが、そのいずれにおいてもこの点について、しばしばアルマに対して批判的なトーンを交えて言及している。私見では、それは全く正当な態度だと思われるが、その一方で私が第10交響曲を聴きながら最近感じるのはそれとは別のことである。作品とその作品を産み出す背景となった伝記的事実とは一先ず区別して考えるべきであり、私のそれは寧ろマーラーその人の経験の側についての思いに過ぎないのだが、マーラーのような性格の人は、この時期に、自分が気付かずに、時として無意識に、或る時にはもしかしたら良かれと思ってやった数々のことが、他人にとっては迷惑な、不快ですらあることに思い至らなかったことについての果てしない慙愧の念を感じていたに違いないということだ。誤解のないように繰り返して言うが、第10交響曲がその慙愧の念を表現していると感じたということではない。それとはいっそ無関係に、だが、背後にそうした悔悟の念、自分が意図せず独善的でしかなく、他人にとっては迷惑な存在であったこと、自分がどんなに願ったとしても、他人のために何かをすることにおいて、自分が不十分な存在であり、常にではなくても、最終的には力及ばないこと、そしてその時に気付いた時には最早手遅れであって、自分がやってしまったことについては最早取り返しがつかないのだという認識、或る意味ではあまりに平凡で取るに足らないと言われもしよう認識に直面したときの絶望感というものが潜んでいるような感じがしたということに過ぎない。そしてそのことをふと、上記のエピソードを引用しつつ思っただけではあるのだが、こと私個人に関しては、こうした「人間的な、あまりに人間的な」地平がマーラーへの共感の背景となっていることが否定しがたいことのように思われること、そして一見無関係に見えたとしても、アドルノの了解との隔たり(とはいえそれは対称なものでは全くなく、こちら側はごく私的な感じ方の根拠に過ぎず、何ら一般性な価値を有するものではないのだ)が、もしかしたらこの辺りに存するかも知れないと感じたこともあり、敢てここに追記しておくことにしたい。

 アドルノが第10交響曲の補筆に対して否定的な見解であったことは、龍村訳に収められているモノグラフ第2版へのあとがきからも窺えるが、これまた周到にも龍村訳の訳注で言及されている通り、»Fragment als Graphik«というタイトルの論考を後に書いてもいて、実はそこでももう一度、第3楽章について言及しているところで、

(...), obwohl der berühmte Tamtamschlag am Ende, den Alma Mahler mit einer biographischen Episode in Zusammenhang brachte, immerhin auf eine inkommensurable musikalische Situation deutet. (Taschenbuch版全集第18巻, Musikalische Schriften V, p.252) 

と記しているのであって、少なくともアドルノ自身の中では一貫した主張だったようである。上掲の»Fragment als Graphik«は1969年の日付を持つ文章のようだが、これはまさにアドルノの没年にあたっているから、アドルノが生前一貫して持ち続けていた信念だったと言って良いだろう。

 ここからは私の想像になるが、アドルノは既に戦前の1924年に出版されていたファクシミリには当然目を通していただろうし、同じ1924年秋の演奏も、或いは聴いていたかも知れない。また1951年に出版された所謂クシェネク=ヨークル版(これには第1楽章と第3楽章が収められている)も知っていたに違いないけれど、第4楽章・第5楽章の草稿を精査したことはなかったのではなかろうか。

 一方、クック版の補筆作業とその成果に基づく演奏については、演奏こそ、ゴルトシュミット指揮によるクック第1稿の放送初演が1960年12月19日にBBC放送であり、 クック第2稿の初演は1964年8月13日、ロンドンにおいてであるが(なお、いずれについても今やCDで聴くことができる)、これらを補筆に対して否定的であったアドルノが聴いたことがあったかどうか?更にクック版の楽譜としての出版はアドルノの没後の1976年まで待たなくてはならないのである。アドルノが、同じシェーンベルクのサークルのメンバーであったクシェネクや自分の作曲上の師であったベルク、シェーンベルクの師であったツェムリンスキーが関わった1924年版の作業は勿論として、その後のクックによる補筆の動きを知っていたことは、モノグラフ第2版へのあとがきから状況的には疑いないが、実証的な観点からすれば、わざわざ大太鼓が打ち鳴らされる箇所が別にあるのを知った上で尚、第3楽章末尾のゴングの一撃とアルマの回想のエピソードを結びつけるとも思えない。というわけで、アドルノが第4楽章のスケルツォの末尾、第5楽章のフィナーレの冒頭に鳴る大太鼓の一撃を知らなかったのではという見解に傾くのである。尤も、アドルノは必ずしも実証を重んじるタイプではなかったかも知れず、従ってこれ以上についてはアドルノを研究されている専門の研究者の判断を俟つしかなく、素人の憶測は慎むこととしたい。

 だが、斯く云う私も、上記のことに気付いた時にさえ、アドルノの主張の本筋の是非については別の問題であると思っていたし、その点の認識については基本的には現時点でも変わりはない。第10交響曲の「ゴング」と消防士に関する事実がどうであれ、「プルガトリオ」を閉じるゴングは、「プルガトリオ」が典拠としている歌曲『この世の営み』や歌曲『魚に説教するパドヴァの聖アントニウス』に基づく第2交響曲第3楽章の末尾同様、死後の世界への到着を告げる(『この世の営み』については歌詞の物語る通りだし、「プルガトリオ」の後には「悪魔が私と踊る」第4楽章が続き、第2交響曲第3楽章の後には、あの歌曲『原光』そのものである第4楽章が続く)ものではあるだろうから、アドルノの指摘それ自体は問題なく、誤っているのは消防隊の連想と、事実関係の誤認の点のみに限定されるだろう。

 いや正確に言えば、「プルガトリオ(煉獄)」とはこの世の営みの終焉とと天国への到着との間にあるのだから、死後の世界への到着を告げるゴングが曲の末尾に鳴るのはズレているだろう、という指摘はあるかも知れない。この点に関しては文字通りには反論の余地はないが、だとしたらそれは標題から逆に音楽に辿ろうとするが故に発生する問題だと返すことはできるだろう。「死後の世界への到着を告げる」という言葉がもたらす歪みが問題だというなら、或る種の相転移のポイントの通過を表すというように言い直しても良い。そもそもがそのようなゴングの音の象徴学に拠るならば、曲頭からゴングが鳴り響く葬送の歩みのような『大地の歌』の「告別」は、既に「死の世界」だということになるだろうが、それでは「告別」の中間部分の器楽による「葬送行進曲」はどうなる、といった疑問が出て来ることになるだろう。こんな議論を追いかけていけば、そのうちに当の音楽からどんどん離れて行ってしまう。要するにこうした標題的な詮索は、音楽に対して言葉の持つ歪みを押し付けているに過ぎないし、音楽は出来事を文字通り「物語る」のではないのであって、寧ろ「時間性の様態のシミュレータ」と見做すのが適切なのだが、このことは別に書いたのでここでは繰り返さない。

 ただ、その上でアドルノがかくもこだわった第3楽章末尾のゴングに関して確認してみたいと思うことがある。それはそのゴングを、クシェネク=ヨークル版に従ってフォルテで鳴らすべきか、それともクック版におけるように小さく鳴らすべきか、いずれが妥当かという点である。最初はFM放送で(諸井誠さんによる解説に導かれて)レヴァインの録音を聴き、しばらくはインバルがヘッセン放送のオーケストラと録音したものが私のリファレンスだったのだが、メモを記した当時私が良く聴いていたのはクルト・ザンデルリンクが旧東ドイツのベルリン交響楽団(現在のベルリン・コンツェルトハウス管弦楽団)を演奏した全曲版だった(やはり旧東ドイツのドイツ・シャルプラッテン・レーベルから出ていた)らしく、メモにはこの演奏への言及もある。これも良く知られていることだろうが、ザンデルリンクはクック版に基づくとはいえ、器楽法上は独自の変更をかなり行って演奏をしているのだが、プルガトリオ末尾のゴングの一撃もまた、当時の私がクシェネク=ヨークル版を参考にしたかと思ったくらい、はっきりと鳴らされている。アドルノへの問いに戻れば、クシェネク=ヨークル版にせよクック版にせよ、ここの部分については「補筆」であるには違いなかろうから、アドルノは、第10交響曲の演奏そのものに否定的であった原則に立ち戻って、そんなことはマーラー自身でもなければ答えられない、というようにこちらの問いを切って捨てそうな気がするのだが、それでもなお問いかけてみたくなる程度には、アドルノの「アメリカの消防士のゴング」への拘りに対して、私自身の方がひっかかりを感じているということなのであろう。

 私は、別のところで何度となく記している通り、第10交響曲をアダージョのみから捉えるのではなく、全5楽章の交響曲として捉える立場に与したく思っていて、クックの補筆は、私のような単なるアマチュアの愛好家にとっては十分過ぎる程に、マーラーの意図を捉えたものと感じている。恐らくはこの点こそが分岐点なのだろうが、そういう私にとってはアドルノの本件についての了解、つまりゴングと大太鼓の間の「ずれ」は、単に第10交響曲が未完成であるという事実に即した是非の議論に留まらず、第10交響曲を含めた、もっと言えば、曲毎に発展し続けたマーラーの創作活動にあって、それをあり得たかもしれない全作品の頂点として捉えるような位置づけに基づいてマーラーの作品全体を考える立場からすれば、或いは決定的かも知れない認識の相違に通じているのではないかという気がしてならないのである。

 スタニスワフ・レムの『ビット文学の歴史』における、ドストエフスキーの『未成年』と『カラマーゾフの兄弟』の間に横たわるミッシング・リンクにあたる作品のAIによる仮構やカフカの未完成作品『城』の補完の(こちらは実は失敗に終わることが、その理由の示唆的な説明とともに語られる)エピソードを、マーラーの第10交響曲の場合に突き合わせてみることは極めて興味深い。ネットワークやデジタルメディアの発達に伴う「創作」、「創作物」の概念の変化に加えて、AIによる文学作品、美術作品、音楽作品の「創作」というのが一気に現実味を帯びるようになった今日、未完成であるが故に、ありうべき存在という様態でした存在しえない「幽霊的」な存在である第10交響曲に対してどのように向き合うかということは決して些末な問題とは思えない。AIが第10交響曲を補完することは、仮にやったとしても(レムがカフカの『城』について示唆したのと、或る部分では全く異なる―寧ろその点についてはブルックナーの第9交響曲のフィナーレの方が『城』のケースには近い―だろうが、大枠としては同じような理由で)必ずや失敗に終わるであろうと私は思っていて、そのことはそう考える理由とともに別にところに記した通りだが、そのことが結局は(それこそカフカの地下茎の迷路の如く)アドルノがカフカを引き合いに出したことの背後にある認識の正しさを裏付けていることに通じている点を認めるには吝かでなくとも、こと第10交響曲に関しては、アドルノの認識を今日我が事として引き受けようとしたときに、彼の立場を離れることが寧ろ必要なことのように感じられるのである。彼と共にプルガトリオ末尾のゴングの響きの前で立ち止まるのではなく、本当はそうであった筈の、未聞の、未成のバス・ドラムの一撃をこそ受け止めるべきなのではなかろうか?

 我々が第10交響曲を聴く準備はまだ整っていないとシェーンベルクが述べてからもう1世紀が経過したが、恐らくその準備は未だ出来ていないと言うべきだろう。だがそれは、その準備をまだ進めなくても良いということでもないし、そうした準備が最早不要のものとなったということでもないだろう。寧ろ今やそれを準備すべき時に至ったという認識を持つべきなのではなかろうか。
 
 いや、シェーンベルクがプラハ講演で第10交響曲に言及した、そのもともとの意図に沿うならば、それはそもそも時代の問題ではないのだ。1世紀の歳月は第10交響曲に関する展望を変えてしまった。シェーンベルクが第10について「ほとんど知ることがないだろう」ということの半面においてはまさしく、事実としてそうだろう。講演末尾の「まだわれわれに啓示されていない」という言葉もまた、その限りにおいては今日には最早相応しくないものかも知れない。だが、もう半面は?もう半面は、未だシンギュラリティの手前にいる以上、シェーンベルクが語った時と今とで何ほどの違いがあろうか。なおそこで例えば、マーラーの生命を奪った病は程なくして治癒可能なものとなったことを指摘する人はいるかも知れないし、事実としてそれは決して間違いではない。だがそれが「極限」の向こう側についての何かを授けるのであるとすれば、そのことの意味はシェーンベルクが語ったような水準では、限定的なものに留まるだろう。

 だが一方で、我々は第10交響曲について何某かのことを知ることになったのだし、そのことを恰も無かったかの如き態度をとることは最早許されまい。のみならず、シンギュラリティについて、つまり総じて100年前に既に先取りするようなかたちで予感されていた領域についてもまた、かつてとは異なる切迫の下で論じられる時代となったことは抗いがたい事実であろう。とあるとするならば再び、寧ろ今や第10交響曲を聴く準備をすべき時に至ったという認識を持つべきなのではなかろうかと感じずにはいられない。たとえその準備が私の生きている裡には終わらないとしても。そもそも私にはその準備を成し遂げるだけの能力も時間も遺されていないとしても。マーラーの最後の同時代者かも知れない一人として。その音楽を受け取ってしまった者に課せられた義務として。(2020.1.18初稿公開、2020.1.26-28加筆)

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