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2026年9月10日木曜日

五度圏重心分析の方法論的基礎 第2部:分析設計の哲学

 

第2部:分析設計の哲学

本稿は、五度圏重心分析という手法を実際のコーパスに適用するにあたって行われた、一連の設計判断とその根拠を記述する。第1部が「なぜ五度圏埋め込みという手法自体が数理的に正当か」を扱ったのに対し、本稿が扱うのは「その手法を、具体的にどの単位で、どう区切って、どう適用するか」という運用レベルの設計である。

2.1 サンプリングの単位と対象範囲

分析はMIDIデータから小節単位で行う。各小節の先頭拍(拍頭)で実際に鳴っている音(ピッチクラス)の集合を五度圏上に投影し、重心とその関連量を計算する。小節内部で生じる経過音・倚音・刺繍音等の非和声音、および四六の和音を含む転回形の違いは、この計算には反映されない(転回形はピッチクラス集合として同一であるため、五度圏上の重心も同一の位置になる)。

2.2 PC≥3フィルタの理論的根拠

単一の音や2音のみで構成される小節は、和声的な情報量が乏しく、テクスチュアの薄さそのものが調的指標を歪めるノイズ源となりうるため、3音以上(PC≥3)を含む小節のみを分析対象とするフィルタを適用している。単音・二音の小節が持つテクスチュア上の特徴は、別途Harmonic_Coverage等の指標で捕捉される。

このフィルタには、和声的情報量の乏しさとは別に、五度圏重心という計算の定義そのものに起因する、より根本的な理由がある。単一のピッチクラスのみが鳴っている瞬間、その「重心」は当該ピッチクラス自身の単位円上の点と一致するため、r(原点からの距離)は常に1という最大値を取る。これはどの音が鳴っていようと、その音がどのような文脈に置かれていようと機械的に成立する等式であり、複数の音が特定の調的中心へと収束しているという実質的な意味での「調的集中」を何ら反映しない。同様に、2音のみが鳴っている小節では、重心のrはもっぱらその2音の五度圏上での隔たり(音程関係)のみによって決定される。たとえば完全五度の関係にある2音はr0.97ときわめて高い値を取り、増四度(三全音)の関係にある2音はr=0(五度圏上で正反対の位置にあるため相殺)となる。すなわち2音小節のrは、複数声部が和声的に収束する度合いではなく、単にどの音程が選ばれたかを言い換えているに過ぎない。これらの小節を分析に含めると、テクスチュアが薄い箇所ほどAvg_r・Tonal_Focusが不自然に高騰し、両指標が測定しようとしている「和声的収束」という概念そのものが変質してしまう。

したがって本フィルタは、単なるノイズ除去という消極的な理由だけでなく、重心という幾何学的量が定義上意味を持つための最小条件——複数の独立した音による収束・分散が観測できること——を確保するという、より積極的な理由に基づいている。

なお、テクスチュアの薄さに起因する情報不足という問題自体は、本研究に固有のものではなく、他の調性推定手法においても等しく生じる。たとえばクラムハンスル=シュムックラーの調的階層モデルでは、単一時点のピッチクラスだけで24の調プロファイルとの相関を取ろうとすると同様に不安定な推定になるため、実務上は前後の一定区間(ウィンドウ)にわたるピッチクラス分布を集計してから相関を計算することで、この問題を緩和している。しかし、この種の時間窓による平滑化は、本研究が採用する瞬間ごとのサンプリング設計とは相容れない。本研究の五度圏重心分析は、拍頭(または各拍)という特定の時点における瞬間的な調的重心を、小節・楽章を通じて高い時間分解能で追跡することを目的としており、前後の文脈を参照して各時点の推定値を補強するという操作は、この時間分解能そのものを損なってしまう。したがって本研究では、クラムハンスル型の手法のようにウィンドウ処理で情報不足を補うのではなく、情報量が一定の閾値に満たない時点(PC<3の小節)を測定対象から除外するという、より単純な対処を選択している。

2.3 拍頭サンプリングの統計的正当性

本研究は、和声音/非和声音の判定という機能和声的な規範的操作を経由しない。小節先頭拍という拍節構造上の一点のみを機械的にサンプリングするのは、作曲慣習上、拍頭が和声的に最も安定した瞬間になりやすいという統計的傾向に依拠している。経過音・倚音・刺繍音の類は、定義上、拍の弱部や非アクセント位置に置かれる頻度が高く、逆に拍頭には和声の支えとなる音が置かれる頻度が高い。この傾向は例外のない規則ではなく確率的な傾向にとどまるため、個々の小節について見れば、拍頭サンプリングが非和声音を拾ってしまう誤差を含みうる。しかし本研究が対象とするのは数百から数千小節に及ぶ集計値であり、この規模においては、こうした誤差はある程度打ち消し合うと考えられる。

したがって本手法が主張できるのは、個々の小節の重心が和声学的に厳密に正確であることではなく、小節単位で一貫した規則に基づき機械的にサンプリングした値を、交響曲全曲・全楽章にわたって同一基準で集計することで、意味のある巨視的パターン(軌道の形状、収束・拡散の推移)が浮かび上がる、という点である。本研究における「調的重心」は、機能和声における調性中心(トニック、和声進行の目的地としての調)とは別の構成概念であり、ある瞬間に拍頭で同時に鳴っているピッチクラスの集合が、五度圏という調的近接性を表現する空間上のどこに位置するかを示す、より即物的で局所的な指標である。

頑健性チェック:全拍サンプリングとの比較

拍頭サンプリングという設計上の選択が結果の頑健性を損なっていないかを検証するため、同一のMIDIデータに対し、各小節の先頭拍のみではなく各拍で実際に鳴っている音を単位とするサンプリング(全拍サンプリング)を別途実施し、3つの分析粒度(全楽章・全曲・主要楽章)それぞれで比較した。PC1・PC2スコアの相関(PCAの符号不定性を考慮した絶対値)はいずれの粒度でも高水準を維持し(全楽章:|r|=0.946r=0.812、全曲:r=0.9930.983、主要楽章:r=0.9860.962)、ローディングベクトルのコサイン類似度も同様に高く(PC1:0.984〜0.997、PC2:0.812〜0.986)、9指標が各主成分に寄与する構造そのものはサンプリング単位に依存しないことが確認された。

一方で、全拍サンプリングへの切り替えにより、Tonal_Focus(軌道上で重心が最も頻繁に訪れる局所領域への集中度。定義の詳細は第3部3.1節)は全粒度で一貫して13〜17%低下した。この低下は単なる測定誤差ではなく、「拍頭は和声的に最も安定した瞬間になりやすく、非和声音は拍の弱部に生じる頻度が高い」という拍頭サンプリングの前提と整合的な経験的結果として読み替えられる。全拍サンプリングでは弱拍上の非和声的な音が新たに分析対象に加わり、重心が特定の一領域に滞留する度合いが弱まった結果としてTonal_Focusが体系的に低下したと考えられる。すなわち、拍頭サンプリングを外すと調的集中度の指標が予測通りに悪化するという事実そのものが、拍頭という選択が和声的に安定した瞬間を選択的に捉えていたという前提と整合的な結果を与えている。

2.4 Hauptsatz単位の選択

分析対象となる楽章・作品の範囲は、目的に応じて複数設定する。全楽章分析では個々の楽章を、作品分析では各曲の全楽章を連結したものを、主要楽章分析では各曲のHauptsatz(多くは第1楽章。ただしマーラー第5番は第2楽章Stürmisch bewegtを採用)のみを、それぞれサンプリング単位とする。

主要楽章分析は、単なる中間的な粒度として理解されるべきではない。Hauptsatzは交響曲的思考の構成原理であるソナタ形式——提示・展開・再現という弁証法的プロセス——が直接に担われる場であり、この原理の継承と同時に、作曲家ごとの独自の構造的変容(主題群の拡張、展開部の異形化、再現の非定型化等)が最も集中的に刻印される楽章でもある。したがって主要楽章分析が捉えているのは、単なる「代表サンプル」ではなく、音楽的主体が形式原理そのものと直接対峙する場における調的溶解の様態である。

異なる粒度で同一の音楽内容を分析することには、単なる方法論的な厳密性の確保にとどまらない意義がある。音楽的主体そのものが、観測のスケールに応じて異なる相貌を見せる階層的な存在様式を持つという理論的主張と、この複数粒度による検証は直接結びついている。

2.5 コーパス構成

分析対象は8作曲家・55楽章(単一楽章形式の作品を含む)である。

作曲家

楽章数

信頼性

マーラー

11(交響曲第1〜10番+《大地の歌》)

最高信頼性

ペッテション

11(交響曲第6〜16番)

信頼できる単一ソース

ブルックナー

8

ソースによって信頼性に差あり

シベリウス

9

部分的クロスバリデーション済み

ハイドン

8

比較参照群

ブラームス

4

比較参照群

モーツァルト

4

比較参照群

ショスタコーヴィチ

2

比較参照群(n=2、解釈に注意)

各作品の重心データは、MIDIデータから抽出した各小節拍頭のピッチクラスセットを、PC≥3フィルタを適用のうえ単位円上の座標として表現し算術平均を取ったものである。マーラーを中核(全50楽章の個別分析が可能な唯一の作曲家)としつつ、他の作曲家群は主に主要楽章・作品単位での比較対象として位置づけられる。

2.6 MIDIデータの信頼性に関する留意点

MIDIデータの制作経路は、大別すると(a)MIDIシーケンサ等を用いて楽譜情報を手入力したものと、(b)MIDIインタフェースを備えた楽器での演奏を収録し、MIDIフォーマットに変換して保存したものの2種類に分けられる。(b)については、演奏を収録したMIDIデータには拍節(小節・拍)に関する情報がそもそも含まれておらず、拍頭サンプリングを行うために不可欠な拍節情報を事後的に推定する必要が生じるが、この推定を高精度に行うことは現時点の技術水準でも依然として困難である。

一方、(a)の手入力データであっても、再生・鑑賞を目的として制作されたものである場合、必ずしも小節・拍の情報が正確に、あるいはそもそも付与されているとは限らない。また、拍節情報が存在する場合であっても、手入力に起因する入力誤りや音価の揺れが混入する可能性は排除できない。さらに、拍頭サンプリングにおいて小節先頭拍のtick位置に厳密に鳴っている音のみをサンプリングした場合、人間の聴覚では十分に「その拍で鳴っている」と知覚されるにもかかわらず、ごくわずかな発音タイミングの遅れ(ヒューマナイズや演奏由来のずれ等)によってサンプリングから漏れてしまう音が生じうる。

これらの構造的制約に対し、本研究は主として以下の2点の対策を講じている。第一に、拍頭tickの一点のみをサンプリングするのではなく、その前後に一定の幅を持たせた区間内で鳴っている音をサンプリングする方式を採用した(幅は、経過音等を誤って拾わないよう必要最小限の短さに設定している)。第二に、同一作品について複数のMIDIファイルが公開されている場合には、それらの信頼性を比較評価した上で、相対的に信頼性が高いと判断される制作者のデータを一貫して採用することとし、分析全体を通じたデータの一貫性を確保している。マーラーの場合、加藤隆太郎氏による第1〜9交響曲および《大地の歌》の全集が、複数ファイルの比較検討の結果、相対的に信頼性が高いと確認されたため、第10交響曲(クックの補筆による全曲版、別作者による唯一のバージョン)を除きこれを採用している。

(2026.9.10 公開)

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