(...) Aber ich könnte ebensogut darüber Aufschluß geben, "woran" ich lebe, als "woran" ich schaffe. - "Der Gottheit lebendiges Kleid" - das wäre noch etwas! Aber da würden Sie wohl weiter fragen? Nicht?
Wenn ich ein Werk geboren habe, so liebe ich es, zu erfahren, welche Saiten es im "Andern" zum Tönen bringt; aber einen Aufschluß darüber habe ich bisher weder mir selbst gegeben, noch viel weniger von anderen erhalten können. Das klingt mystisch! Aber vielleicht ist die Zeit wieder gekommen, wo wir und unsere Werke uns wieder ein wenig un-"verständlich" geworden sein werden. Nur, wenn dem so ist, glaube ich daran, daß wir "Woran" schaffen. (...)
(…)そこでお答えし得るのは、「何によって」創作するか、であると同時に「何によって」生きるか、ということです。――「神の生きた衣」――今なおそうではないでしょうか! しかしこう申したら貴殿はさらにお尋ねになりたいでしょう? そうではありませんか?
作品を生み出せば、それを愛し、それが「他者」のいかなる琴線に触れるか知りたいと思います。しかしこれに対する答えを、いまだかつて自分でも与えられず、また他者からも得られたためしがありません。こう申し上げると不思議に思われるかもしれません! しかし、我々と我々の作品がいま少し「わかる」ものでなくなってしまった、そんな時代がまたしてもやってきたのではないでしょうか? ただ、もしそうであるなら、「何によって」我々が創作をするのか、その何かに小生は信を置いているのです。(…)
(...) But I could no more tell you what I work 'at' than what I live 'in'. -- 'The living cloak of godhead' -- that might serve as an answer! But it would only make you go on asking questions, would it not?
When I have given birth to a work, I enjoy discovering what chords it sets vibrating in 'the Other'. But I have not yet been able to give an explanation of that myself -- far less obtain one from others. That sounds mystical! But perhaps the time has again come when we and our works are on the point of once again becoming a little in-'comprehensible' to ourselves. Only if that is so do I believe that we work 'at' something.(...)
この「語録」の別のところに記したとおり、フランソワーズ・ジルーのアルマ・マーラーに関する小説に出てくる作品創作に関するマーラーの 「神の衣を織る」という言葉の由来がずっとわからないままでいたのだが、書簡集を読み返していて、上掲のリヒャルト・バトカ宛の書簡に出てくる "Der Gottheit lebendiges Kleid"がそれらしいことに気付いたので記録しておくことにする。
この書簡は日付も発信地ないようだが、アルマの編集した1924年版の書簡集では1896年11月18日にハンブルクからバトカに宛てた書簡(この書簡も既に別のところで 紹介している)とともに分類されており、マルトナーも1896年ハンブルクにて書かれたものと推測していて、邦訳のある1996年版書簡集(ヘルタ・ブラウコプフ編)でも(少なくとも排列上は)それが踏襲されている。 ただしヘルタ・ブラウコプフはもっと後の時期のものであるかも知れないとの推測を注で述べている。11月18日付け書簡の背景については当該書簡の項に記載したとおりだが、上掲の書簡は アルマのつけた注によれば、アンケートに対する回答として書かれたものとのことで、確かなことがわからない時期の問題をおけばジルーの記述とも背景は一致しており、この書簡が典拠であることは 間違いないだろう。この言葉に関連してこれまた既にここで紹介したアルマの「回想と手紙」の1910年の章に出てくる人間の「義務」についてのマーラーの言葉との 関係は依然として不明だが、バトカ宛書簡はこの2通だけである一方で、書簡集付属の人名録によればバトカは1922年まで生きていて、プラハの後、ウィーンでも活動したとのことだから、 件のアンケートがずっと後に行われ、それがきっかけでアルマの回想に書き留められたエピソードに繋がった可能性も全くないとは言えないだろう。いずれにせよ、インタビューがアメリカで行われた という私の推測は正しくなかったようである。ひところラ・グランジュの伝記に記載されたアメリカ時代のインタビュー(かなりの分量がある)にあたったのだが、探し当てられなかったのも道理である。ヘルタ・ブラウコプフの注記の根拠はわからないものの、普通に考えれば1910年のエピソードとの関係はないものと考えるべきなのだろうが、その可能性を捨てきれないのには実は理由がある。 マルトナーが注記していることだが、"Der Gottheit lebendiges Kleid"という言葉はゲーテの『ファウスト』からの引用なのだ。良く知られている通り、ゲーテの『ファウスト』の終幕を歌詞として 用いている第8交響曲の初演は1910年9月にミュンヘンで行われたから、件のアルマの回想はタイミングとしては丁度一致しているとも考えられるのだ。件のアンケートが雑誌のための ものであれば、掲載されている雑誌があれば確認できるかも知れないが、第8交響曲初演にちなんでそうしたアンケートが為され、マーラーが『ファウスト』の引用をもって回答したというのは そんなに突飛な推測とは言えまい。勿論手紙の原本が残っていれば用紙とかインクなどから時期を推定するなどの作業が行うことではっきりするかも知れないが、 私にはそれが出来ないから、今のところはまたしても推測のままにしておくほかはない。
だがせめて、それでは"Der Gottheit lebendiges Kleid"が『ファウスト』のどこに出てくるのかはここで確認しておくことにしよう。第1部が始まって間もなくの、ファウストの独白が繰り広げられる「夜」の 場面で地霊が語る言葉として以下のように出てくるのだ(第1部509行目)。
Ein wechselnd Weben,
Ein glühend Leben,
So schaff ich am saufenden Webstuhl der Zeit
Und wirke der Gottheit lebendiges Kleid.
(Goethe Werke, Hamburger Ausgabe in 14 Bänden, Bd. 3, 11.Auflage, 1981による)
「経緯(たてよこ)に織り交う糸、
燃える命、
こうしておれは「時」のざわめく機(はた)をうごかす。
神の生きた衣を織る。」
(手塚富雄訳『ファウスト』中央公論社版〈1971〉,p.21による)
更に少し先、「書斎」の場面のメフィストの言葉には、この言葉と呼応するかのように "Zwar ist's mit der Gedankenfabrik / Wie mit einem Weber-Meisterstück" という言い回しも出てくる。 こうした言葉を念頭において改めてマーラーの書簡を読むと、一見したところ掴みどころの無さそうなマーラーの文章の修辞が、明らかにファウストの詞章を踏まえたものであることが窺える。 例えば"woran" ich lebe, als "woran" ich schaffe.という言い回しは、それに由来するかどうかはおくとしても、上記詞章に含まれるLebenと響きあう。なお、ゲーテの『ファウスト』には様々な版が あり、本文にかなりの差異が見られるが、それに呼応するように、上記の引用箇所についての訳もまたかなり幅があるようだ。例えば岩波文庫に収められている相良守峯訳では 「転変する生動、/灼熱する生命、/こうしておれは時のざわめく機織にいそしみ、/神の生きた衣を織っているのだ。」(岩波文庫版、上巻、p.42)となっているし、確認した他の幾つかの版では 更に違いが甚だしいが、ここでは「神の生きた衣を織る」という言い回しに拘っているのだから、その言い回しを訳文に反映している2種類の訳を掲げるに留める。
なおジルーの文章は、もし典拠がこの書簡であるとすれば、忠実な翻訳ではなく、些か自由なパラフレーズであろう。ジルーがどの版を下敷きにしているかは定かではないが、寧ろゲーテの詞章に 近いものになっているのに対し、ジルーの小説の独訳版は、この書簡を照会することもなく(もっとも問いが Warum glauben Sie ?に変わっているのは、後段のマーラーの Nur, wenn dem so ist, glaube ich daran, daß wie "Woran" schaffen. にひきずられてのことかも知れないが)、ゲーテを参照したとも思えず、ジルーの文章の更なるパラフレーズを 試みたもののようだ。一方、この書簡自体の翻訳について言えば、マルトナーの英語版の方は注釈より明らかだが、1996年版の邦訳がゲーテの詞章を踏まえているかどうかは定かではない。 それが影響しているかどうか、マルトナーの英語版の英訳(ただし翻訳自体は、Eithne Willeins と Ernst Kaiser によると記されている)と邦訳との間には解釈の少なからぬ違いが見受けられるのが些か気になることを付記しておくことにする。(2009.12.06, 12.13加筆修正、 2010.5.4加筆、2023.8.21タイトルを更新するとともに、引用中の誤記を修正するとともに比較対照ができるように邦訳および英訳を参照し、かつ出典記載を詳細化。)
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